11月号 2017年
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伊藤伊那男作品主宰の八句 祇園会 伊藤伊那男
(「俳句」平成二十九年十月号、「京の路地」十六句より)納めたる祇園粽の軽さかな 京の路地てふ千年を股団扇 唇は朱の一文字鉾の稚児 巡行は鉾の一歩の前のめり 長刀が五階を過る鉾祭 貰ひたる風のぬるさも京扇子 二階より後の祭の復習ひ鉦 旅の荷に嵩張つてゐる鉾粽 今月の目次銀漢俳句会/11月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎俳句の遊び 同人の髙橋初風さんの投句に 裏庭に二羽庭に二羽羽抜鶏
という句があった。「庭」が二回、「二羽」が二回あり、耳で聞けば「にわ」が四回、十七音の内八音を占める。更に「羽(羽に傍点)抜鶏」があるので「羽」の字は三回登場するのである。このような言葉遊びを織り込む技法は古来から喜ばれてきたものである。 言葉遊びの高度なものとしては「回文歌」がある。一番知られているものに、 長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の佳きかな がある。これを平仮名で書くと なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな───であるが、これを反対から読んでみていただきたい。舌を巻く見事さで、回文となるのである。 俳句には、宝井其角の句に 今朝たんと飲めや菖の富田酒
がある。平仮名にすると〈けさたんとのめやあやめのとんたさけ〉となる。其角の才智の光る「回文句」である。 これとは違うが〈秋の野に人まつ虫の声すなり〉のように一語に「待つ」と「松」を掛けた「掛詞」も和歌、俳句、歌謡でよく使われる手法である。細川幽斎が豊臣秀吉の朝鮮出兵に送った句に次のものがある。 からたちはやがてそのままきこくかな 漢字にすると 枳殻はやがてそのまま枳殻かな
であり、「枳殻」の読み方の違いを織り込んでいるのだが、実は、 唐立ちはやがてそのまま帰国かな
が隠されている。つまり、唐立ち(韓立ち=朝鮮出兵)に戦勝して無事の帰国を祈る さて小林一茶に次の句がある。 昼からはちと陰もあり雲の峰
「雲の峰」の変化を詠んだ一見普通の句なのだが、この句の中には昆虫を中心とした生き物の名前が沢山詠み込まれているのである。さていくつあるか数えてみてほしい。正解は 蛭蚊ら蜂蜥蜴も蟻蜘蛛蚤ね
生き物は七種、虫のある漢字は九と満載である。このような楽しみもあることを知っておきたい。 |
「風垣」は寒風を避けるための囲いで、主に日本海側の海風が直撃する地方で多く見掛ける。この句は佐渡での属目であるという。板や竹、葭、茅などを組み合わせて棕櫚縄などで括った敷地の中の、たまたま小春日和の一日の風景なのであろう。放ち飼いの鶏が括り縄を突ついているのだ。本格的な冬が到来する前の長閑なひとときである。先生の好きな鶏を配して、先生の胸の中にある日本の美しい風景である。 (平成2年作『随處』所収) |
「夜業・夜なべ」の概念もここ半世紀の内に随分変ったように思う。私の若い頃には結婚式の最後に〈母さんは夜なべをして手袋編んでくれた〜〉などという歌を流して花束贈呈をして会場を泣かせたりしたものだ。今は共感を得ることは無理であろう。俳句でも〈お六櫛つくる夜なべや月もよく 青邨〉や〈炉にはたく印前だれ夜なべずみ 泊雲〉などが主流であったが、だんだん都市労働者の残業へ移っていく。〈夜業の灯消す鉄粉の暈の中 畦雨〉の如くである。この句もたとえば京浜工業地帯の小工場の雰囲気である。こちらが終業すると、まだ向かいの工場は働いていてその灯が窓に映るのである。現代風景の中の哀愁のようなものがそこはかと残る夜業である。 |
「奥の細道」の飯坂の段は陰暦五月、梅雨にさしかかる頃である。「…ゐろりの火のかげに寝所をまうけて臥す。夜に入て、蚤・蚊にせせられて、眠らず。持病さへおこりて、消入斗になく…」と悲惨な一夜を過ごしている。この句はそれを踏まえて、季節を変えて、秋の飯坂を訪ねたのである。「細道」の言葉を使ったことで、芭蕉を回顧し、芭蕉に代って気持の良い旅にしてみようという思いが重なっているようだ。 |
私もそうだが、兄弟全部が都会に出て、生家は人に渡し、墓だけが残っている、という人は多い。私の場合は、父母の墓は東京にしたが、父方の先祖の墓は屋敷墓であり、叔母一人が守る。十基ほどの墓石が並ぶが、さて将来どうなることか… |
京の送り火は五山に灯るが、最初が東山の大文字。その点火の瞬間を「起筆」と捉えたのがこの句の取柄である。その起筆に合わせて京の町に歓声や溜息が響動(とよも)す。ともかく、一にも二にも「起筆」の斡旋を称えたい。なお京の人が驚いていたが「大文字焼(・)」と言う旅人が増えたという。「今川焼じゃないんだから…」と。 |
メロンというと。やはりきちんとテーブルについてナイフとフォークかな…というイメージである。一方西瓜ならスイカ割りをしてもいいし、皮ごとざっくり切ってかぶりつき、種を飛ばしてもいい。そんな嗜好、生き方の違いを一句としたもの。「胡座かく」の納め方がうまい。 |
荒川線は東京に唯一残った路面電車。住宅の中を通り抜けたりもする。車窓からチラリと見た路地に手花火を見たという。都会生活で癒される一景である。 |
パソコンを使えない私はこのような日々。季語の選択がいい。 |
多くの男子の思い出を呼び起こす句。夏も終りの感慨 |
深川の水掛け祭の風景が如実。「濡れし貫禄」がいい。 |
山間の町だけに川の流れも早い。臨場感が出た。 |
水族館の通路の上を泳ぐ鱝。「現世や」の打出しがうまい。 |
缶ビールで名水の流れを止めるという面白さ。俳諧味。 |
確かに複雑な時代。紙魚が走れば尚更に。 |
コスモスの盛りの末の状態をよく観察した句であった。 |
町中が水を掛け合う不思議な祭。ちゃんと用心の人も。 |
都会の隠者。「酔芙蓉」の配合でゆるやかな時間が解る。 |
坂東太郎とも呼ばれる利根川の大きさを詠んで見事。 |
伊藤伊那男
虹を見てこのような壮大な発想が出てきたことに驚く。あの巨大な孤は神の縄跳びの縄であったのか……。俳句は机辺や厨事の些事も詠むが、このようにスケールの大きな句も詠むことができるのだ、ということが新鮮である。 |
さくらんぼといえば山形県。佐藤錦の誕生の地である。月山はやはり山形県を代表する信仰の山。さくらんぼを摘むのに枝を引き寄せるのだが、この句では「月山」から「引き寄せ」ると、詩的構成を加えたところが見事である。恵みを与えてくれる月山への感謝の念も混じっているようだ。 |
対象物をよく観察した句だなと思う。毛虫の動作を見ると進むとき体液が移動するのであろうか、模様が動き、また色も動く。確かにそのように見える。それを「送る」という言葉を使ったところが的確で、それによって前方へ移動していることが解るのである。俳句は写生の力を付けることが基本の第一、と私は提唱している。観察と写生によって天然自然の妙を摑み、それを他社にも理解できる表現で伝達する。作者の感情など入れなくてもよい。天然の妙を摑んだだけで大きな感動を呼ぶのである。人間の感情――主観――など自然の中で見たら、小さい、小さい。 |
一読何とも気持の良い句だ。海辺の高台の開け放たれた夏座敷で昼寝をしているのだろうか。隙間だらけの籠枕に頭を置いているので心地の良い海風が通り抜けていく、というのである。単に頭や体に風が通る、というのではなく、「詩嚢」と言ったところがこの句の嘱目である。「詩嚢」の本来は「漢詩の草稿を入れるふくろ」の意が転じて「詩人の詩想」を意味する言葉となった。物理的な「頭」ではなく「頭脳」に転じた、文人俳句的な鮮やかな佳品。 |
夏休みの間の美術部の一景。複数の部員が熱心にキャンバスに向かっている様子が如実である。油絵具が散乱している。揮発油の匂いも混じっているのであろう。秋の展覧会に向けて全力投球しているのか「油臭さ」の措辞がその様子を活写している。「夏旺ん」の季語の斡旋も的確。 |
「仮の世」とは無常な現世。人は誰でも死んでいくのであるから、あの世へ行くための一時の生、という仏教的な思考である。その仮の世の一日をキャンプに行き、テントを張るというのである。まさに仮の宿であり、実に知的構成の行き届いた作品で、感嘆しきりである。「テント」の例句として頭の中に残しておきたい句である。 |
江戸時代、富士信仰が盛んであった。講を組んでの富士山登山が行われたようだが、女人禁制であり、老人は体力的に無理であり、そこで考え出されたのが、「富士塚」。富士山で集めた溶岩などを中心に富士山の模型を作り、お山開き日に登るのである。作者が行った日は混雑していたのだろう。順番待ちを「入山規制」という現代語を使ったところが妙味で、時代をごちゃ混ぜにした面白さ。 |
暑い最中の京の夕暮時であろうか。暑さが少し収まったものの風も止んで空気も澱んできた黄昏時、ぽつりぽつりと町に灯が点り出す。昔、逢魔が時といって一番恐れられた時間帯である。「京」の固有名詞で「あの世めく」を生かした句となった。 |
みすぼらしい姿となった羽抜鶏だが鶏冠だけは痩せることもなく闘志を残している、という。「闘魂」を使ったことで、羽抜鶏の孤高の姿が浮き上がってきたようだ。 |
その他印象深かった句を次に
秋の虹は、夏の虹と比べると、淡々としてはかなく憂愁の思いが深い。「虹を潜る」といっても実際に潜るわけではなく、近くに見るということであろう。自然の造形に触れてふと我に返ると、結局現実の「濁世」に生きているのである。秋の虹を境に幽明の世界を往き来する心情の濃い仕立てだが決して一人よがりではなく読み手の胸にすんなりと入る。「濁世たり」は決してこの世を厭うているわけではない。むしろ「たり」に哀惜の気持を感じるのである。同時出句の〈流燈の去りたる後の水急ぐ〉〈雑草がまづずぶ濡れに秋時雨〉も安定感のある佳品。 |
一年を通じて行う行為なのだが、この日は少し違う。暑かった日々の中からふと感じた「秋」の発見。日常生活の中の微妙な変化を詠み取ったのである。奇を衒うこともなく淡々と詠んだところに、安定した俳句観が窺われる。 |
都会に暮していると、真夜中でも煌々と明るいので、蟬も鳴き止まない。昆虫さえ夜更しなのである。「熾火のごとく」に熱帯夜が続いているであろうことや、喧噪がまだ納まっていないことなどが読み取られるのである。同時出句の〈抽出しのかろく引かれて夏衣〉も軽妙である。 |
明朝登る山脈の麓に宿を取り、暮れ残る山々を眺める。宿の主が指差しながら教えてくれたのであろう。そうした間にも山々は稜線を消していく。座敷の中の夏炉がひときわ明るくなっていくのである。同時出句の〈虹のこと誰かに言ひたくて一人〉も皆に覚えのあることだ。 |
なるほど、と思う句だ。鉢巻の巻き方ひとつを見ただけでその人が祭好きであることが解るのである。所作のひとつひとつにオーラが漂っているのである。そこを詠み取ったのが手柄。同時出句の〈思案して納まるところ冷素麺〉〈だみ声を自転車に乗せ氷菓売り〉も人事句の面白さ。自分や他人の挙措動作の中に何か楽しいことはないか、と興味を持って見詰める茶目っ気――創作の力である。 |
一読微笑んでしまう句である。昼寝の人が伸びてきた西日を避けて寝返る。更に西日が伸びてまた寝返る。その繰り返しをうまく捉えたのである。西日の季語を用いて今まで目にしなかった句である。同時出句の〈山笠の立つ空港に降り立てり〉は海外から福岡空港に帰着したその瞬間であろう。これも山笠を詠んで珍しい句だ。 |
子供の頃、夏休みの到来が何と待ち遠しかったことか。捕虫網、麦藁帽、魚を採る簎、などを並べて指折り数えていたものだ。終業式のあと校門を飛び出す。その瞬間から夏休みである。「出ればそこから」がうまい!鞄の中の成績表を親に見せるのは辛いところだが‥‥。 |
カレンダーの巻き癖はなかなか取れないものだ。晩夏の頃ようやくにしてその巻き癖が取れたという。「晩夏」の斡旋が何ともうまいところだ。着目もいい。発見の句。 |
盆の膳は、家に迎えた祖先の霊と共に食事をするもので、自ずから衿を正すものである。「膝を揃へ」にそのことが出ている。この句が面白いのは「箸を揃へて」と人間と物とを並列にした点である。これによって家の中も掃除が行き届き清浄な気が満ちていることが解るのである。同時出句の〈手に吊りし水の重さや金魚買ふ〉も佳品。 |
思えば糸瓜は奇妙な形である。どういう必然性があってあの形になったのであろうか。句はその影が実物よりも更にくびれているという。実物とその影の形状の違いを見抜いた感覚がいい。きっとそうだろうと思わせる説得力がある句だ。 |
仕事で接した京都、 京都生まれの妻と結婚してからの京都、 俳句を始めてからの京都、 妻を亡くしてからの京都・・・・・。 京都は味わいも深みも変化させながら、 いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。 「京都」を軸に、人生と俳句について綴った 著者はじめての自伝的エッセイ。 |
伊那男俳句 自句自解(23) 熟れ柿のどこにどう刃を入れやうか
。柿は日本、中国、朝鮮半島などが原産地。万葉集の歌人に柿本人麻呂の名があるように、古くから親しまれてきた果樹である。「銀漢」編集長の武田禪次さんは殊の外柿好きで、旅先などで柿、干柿を見つけると目の色が変る。私はそれほどではないが、富有柿や庄内柿などをうまいな、と思う。さてこの句は山梨県塩山市にある恵林寺界隈の百目柿を詠んだものである。恵林寺は武田信玄の葬儀を行った寺で、その後の織田信長の甲州攻めの折、織田勢に従わない快川が楼門に籠り、火攻めに会い没した。その時の和尚の偈「山門必ずしも山水を用いず心頭滅却すれば火も亦涼し」は有名である。その寺の周辺が百目柿の産地で、干柿にされるが、驚くほどの大きさである。ぽたぽたに熟れたものは渋味が抜けていてそのまま食べる。中は柔かいのに皮は思いの外固いので齧るわけにはいかない。皮を剥くにも、さてどこから刃を入れたらよいものか……試すがえす迷うのである。 登山宿ポストは鳥の巣箱ほど
四十歳の頃から突然登山を始め、十年少しで一七〇回ほど登山をした。おおむね金曜日の夜中に出発し、翌早朝から登攀して、麓の温泉に入って帰宅する。日曜日は何もなかったように普通に過ごす、という登山であった。この句はそうした登山仲間との登山ではなく、東京新聞の句会の方々との白馬岳登山吟行での嘱目である。論説委員の広瀬一朗、堀古蝶、山田春生さんなど「風」重鎮に同行したのである。当夜は白馬大雪渓下の白馬尻の小屋に泊った。食事のあと居残って句会となった。二十人ほどいたのでそう簡単には終らない。山小屋の従業員から消燈時間が迫っていると、何度か注意を受けたようだが披講が続き、しびれを切らした山小屋が突如電燈を消してお開きとなった。その山小屋の入口に小さなポストがあった。小学生の頃作った巣箱ほどの大きさであった。夏の間だけのポストである。きっと便りは鳥たちが運ぶのか……などという想像も浮かんできた。 |
8 月 8月12日(土) 6 時起。那覇からの日の出。電灯とクーラーはあるがテレビが無い。快晴。10時の船にて泊港に戻り、「糸満漁民食堂」へ。11時、一番客。2年前に来て、瞠目した店。ビタロー、タマンのバター焼、イカ墨汁など。どれも逸品! 首里城で降ろして貰い、城周辺を散策。城に関するビデオを見る。今日も泊りはホテルユクエスタ旭橋。7時、現地の田和田さん、ななちゃん一家と計11人でイタリアンレストラン「マンジャーモ」で牛頬肉のワイン煮。はちの巣のトマト煮。ゴルゴンゾーラのパスタなど佳品。皆と分れて海藻入り沖縄そば食べてしまう。 8月13日(日) 今日も快晴。9時発。「オクマプライベートビーチ&リゾート」へ。総支配人の加藤大介さんが桃子の先輩で今日は休みにして接待してくれる。ビーチサイドのテラスで昼食。ビール、ワイン。パラソルの下にいたが照り返しで焼ける。昼寝して18時半から「サンセット・シャンパンクルーズ」。「ポメリー・ロワイヤル・ブルースカイ」とトリュフ、フォアグラのつまみ。見事な夕日を見る。戻って近くの居酒屋「シーサーズ」。黒豚のぎょうざ、ミーバイの煮付など佳品。 8月14日(月) 8時朝食。9時半、加藤支配人付き合ってくれて船で辺戸岬の見える沖まで行き、孫達魚釣り。釣果あり。あとシュノーケリングでサンゴなど見る。戻って11時半。ビーチサイドのテラスを拠点に夕方まで遊ぶ。夕方、恩納村の「カフーリゾートフチャクコンド・ホテル」にチェックイン。町の「ちぬまん」にて夕食。残念ながら各々の味付けが塩辛い。最近の傾向。 8月15日(火) 今回の沖縄は私が来てから毎日宿所が変るので落着けず。家族はこのカフーが拠点。一昨年も沖縄で終戦記念日を迎えた。朝部屋のキッチンで素麺を茹でる。快晴。9階から見る恩納村の海とリゾート施設は美しい。田中敬子さんの句集、序文を書き上げる。島織布さん句集の序文に取り掛かる。15時半、プールサイドにてビール、ワイン。カレーパンがうまい! 何年振りに食べることか。 18時半、一時間ほど車で走った北谷の豚のしゃぶしゃぶ専門店「和流」。ここも私の好きな店。葱の細切りを山ほど入れるアグー(島豚)のしゃぶしゃぶ。最後は沖縄そばを入れる。泡盛。 8月16日(水) 6時起。エッセイ一本。朝食は、クロワッサン、チーズ入りオムレツ、マンゴーを用意。近くの道の駅「おんなの駅」にて、てんぷら(かまぼこ)、麩、マンゴー、島らっきょ、ミミガー、豚の煮物など。明日の店で使うものを調達。部屋にて昼の酒盛り。14時半、「なかむらそば」。超人気店。家族はもう1日いるので「ホテルムーンビーチ」で別れ、那覇空港行バスに。24時過帰宅。 8月17日(木) 東京は今朝も雨で17日連続の雨日と。雑用数多。8日振りの店。禪次編集長に、敬子、織布さんの序文渡す。「銀漢句会」あと20人。青柳飛さん他。24時過、家族沖縄から帰宅。 8月18日(金) 「俳句」10月号に16句(祇園祭)送る。ヘアメイクの中川さん来てくれてカット。発行所「蔦句会」の選句。あと8人店。青柳飛さん明日帰国(米)とて「天為」の方々と。 8月19日(土) 14時半、浅草「神谷バー」。学生アルバイトの大塚凱君が泥鰌を食べたことが無いというので、アルバイトの、うさぎ、小石、いづみ、展枝さんを誘い、暑気払いの会。あと、「ニュー浅草 本店」と梯子して17時半、「駒形どぜう」。すでに酔っぱらっている。どぜう汁、どぜう鍋、さらし鯨など。あとカラオケ……、と一騒ぎ。久々、やってしまった。 8月20日(日) 10時、成城学園前駅近くの喫茶店にて田中敬子さんと待合せ。句集序文について打合せ。1日中、二日酔。「銀漢」のエッセイ、盤水俳句の一句。自句自解。「俳句四季」の「その時、俳句手帳」にエッセイ800字など書く。二日酔では選句できない。 8月21日(月) 堀江美州さんより便り。幕末の儒学者・佐藤一斎についての著作近々出版の運びと。店、「演劇人句会」7人。ほかそこそこ。 8月22日(火) 「萩句会」選句。店、国会議員のT先生久々。閑散。21時半、閉める。 8月23日(水) 法政大学の高柳先生、明治大学の先生お2人と。松川洋酔さん手術終って来店。不死身の人である。「雛句会」11人。盛況のうちに21時半に閉じて帰宅。鰹のたたきなどで1人酒盛り。 8月24日(木) 「細見綾子集」に二句解説。店、超閑散。「雲の峰」の都賀さくらさん(検事)、元裁判官で公証人の林正彦さん来店。林さんは羽咋高校出身。森羽久衣さんを紹介することに。 8月25日(金) 超閑散。パリ在住の伊藤惠子さん、父上の看護で帰国中。堀切君の紹介で何回か来店。「銀漢俳句会」へ入会したいと。「金星句会」あと6人。 8月26日(土) 「纏句会」の日。その前に買物をしたり、三井記念美術館の「地獄絵ワンダーランド」展を見たりしようと早めに家を出る。ところが、会場の日本橋手前まで来たところで、今夜は、本井英さんの「夏潮」のクルージングパーティーであったことに気付く。案内状やお祝いの用意なく、服装もラフ過ぎるので家に戻ることに。トホホ……。出直して日本橋「鮨の与志喜」にて句会。あと、題の岩牡蠣、秋刀魚塩焼、ギンポの天麩羅、握りなど。18時、日の出桟橋。「シンフォニーモデルナ」のエンペラールームにて夏潮クルージングパーティー。180人ほど。2時間半のクルーズ。 8月27日(日) 終日家。休養日とする。寝たり、起きたり。18時位から酒少々。丁度家にあったビデオ「本能寺ホテル」(綾瀬はるか主演)観る。早々に寝る。 8月28日(月) 店、超閑散。 8月29日(火) 編集部、9月号発送。店、法政大学高柳先生と南信州の方々。大野田井蛙さん、環さん他と井月忌俳句大会の事前投句開始についての打合せ。22時、店閉めて、井蛙、展枝、いづみ、麦と久々、餃子屋に小酌。 8月30日(水) 藤森荘吉さんの「閏句会」10人。他閑散。22時閉める。 8月31日(木) 閑散。「大倉句会」、五周年記念誌発行の編集ご苦労さん会流れの8人。 9月 9月1日(金) ニューヨークの月野ぽぽなさんより、今年の角川俳句賞受賞! と。まだ未発表。慶祝。「大倉句会」あと人。上村健太郎君来店。結婚したと。7、8年前か、一緒に店に来た方。山仲間。おめでとう健ちゃん! 9月2日(土) 新宿8時発あずさ号、岡谷にて乗り換え飯田線で伊那市へ。車中、秋葉男さんと添削教室の校正のやりとりをメールで。13、4人集合。東京では雨であったが当地は晴れ。3台の車に分乗して美和ダム近くの中央構造線の露頭を見学。日本列島形成の証を見る。あと、分杭峠のゼロ磁場の地に座る。戻って熱田神社。これは伊那地方唯一の重要文化財。装飾が見事。ずっと案内して下さったボランティアガイドの北条さんに感謝。18時過、「角八」に高遠句会の三溝さん他集まって下さり、17、8人での親睦会。三句出し句会。あと井蛙さん幼馴染みのいつものラーメン店。満腹で倒れるように眠る。 |