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 12月号  2017年

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伊藤伊那男作品


主宰の八句
鳥渡る     伊藤伊那男

露草の露もて(はは)に便りせむ
木漏れ日も綺羅を尽せり竹の春
千年を微笑の仏鳥渡る
突堤に海猫の吹かるる厄日かな
夜食来て食卓となる作業台
鯉つぶす信濃一国水の秋
爽やかや人柄だけを褒められて
月明に遺書といふもの書いてみむ







        
             


今月の目次







銀漢俳句会/12月号






 











   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男
 

◎科学技術の進歩と俳句

 私の第一句集『銀漢』に
   
初旅の切符のインキ匂ひけり   伊那男

がある。昭和の終わりの頃の句であるが、その頃の切符には発券機がその場で印字したものが出てくるものがあったのであろう。擦るとインクが手に付着するものがあった記憶がある。また平成に入ってすぐの頃に
  
 閑古鳥車掌の鋏光りけり   伊那男

がある。信州上田の別所温泉を訪ねた時のもので上田から出る単線電車では検札の車掌が切符に鋏を入れた。同じ頃の信越本線横川駅の句に
   
釜飯の筍甘し碓氷越え   伊那男

がある。当時の信越本線は碓氷峠の難所を越える準備のため全て横川駅に停車した。「峠の釜めし」の駅弁が名物で、停車時間に大慌てで買い求めたものである。大勢の釜飯売りが立ち、車窓からも買った。電車が出る時は売り子が最敬礼で見送ってくれたのである。今は新幹線が突っ走る。平成7年の句に
   
スイッチバックして姥捨へ紅葉狩   伊那男

があるが、今はどうなっているのであろうか。
 余談だがその頃「キセル行為」が横行していた。遠くの駅から一駅分だけの切符を買い、自宅の駅では定期券で降車することである。途中を抜く、という意味から煙草を吸うキセルにたとえたもので、火口と吸口だけは金具で途中の筒は竹製の空洞であるところからきている。また「薩摩守」という隠語もあった。無賃乗車で「只乗り」をすることである。その心は平清盛の弟「忠度」からきており「ただのり──只乗り」となったものである。今は長距離の旅以外は切符を買うということが少なくなり、また改札口もコンピューター管理でそのような不正行為はできなくなったのである。
 ついでながら一昔前には「赤電話」というものがあった。公衆電話である。楠本憲吉の入門書で読んだ記憶があり、氏の句ではなく引用句であったと思うが
   
赤電話ごと私燃えています   無名子

という無季の句を思い出す。今は赤電話などは絶滅しているし公衆電話そのものも激減した。携帯電話も当初は肩に掛けるバッグ形式で2キロ以上はあった。そのあと進化したものを持たされたが、それでも虎屋の太棹の羊羹ほどの大きさであった。俳句を始めて35年になるが、科学技術の進歩に取り残された句の一例である。
   
昭和遠し冷しトマトといふ肴   伊那男

 




  








 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

初雪が大雪となり父のごとし        皆川 盤水
 
山形県米沢市にある小野川温泉で初雪に遭遇したという。みちのくの雪であるから初雪とはいえ、そのまま本降りになってしまうこともあろう。その降り方を「父のようだ」という。多分、何事についても一度始めたら徹底的にやらないと気が済まないという父上を思い出されたのであろう。同時に、大地の恵みでもある雪というものへの畏敬の念が重なり合っているのだ。「雪」に対して「父のごとし」と珍しい比喩を用いたのである。
                                 (昭和44年作『銀山』所収)









  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

縄文の神の追はれし山澄めり        武田 禪次
鮎落ちて緩びてきたる川の箍        杉阪 大和
からうじて色のみ知れる小鳥かな      武井まゆみ
交番の国旗の皺も敬老日          大溝 妙子
期限切れの非常食食ぶ厄日かな       中野 智子
言はずとも通ずる仲や豆ご飯        松代 展枝
御饌運ぶ木沓の音や秋気澄む        高橋 透水
鹿笛の闇を転がる山襖           松川 洋酔
清張の絡みし糸を解く夜長         曽谷 晴子
この坂も殉教のみち鳥渡る         坂口 晴子
母の手にあふがぬままの秋団扇       辻本 理恵
野分晴サイレン試す消防士         播广 義春
秋深し言ひたきことを追伸に        相田 惠子
猫つまむやうに運ばれ扇風機        夲庄 康代
べそかきの写真も記念運動会        渡辺 文子
たたむ山一つはづるる秋扇         曽谷 晴子
寝て育つ冬瓜に似し吾子ふたり       中野 堯司
掛けられし水も火の色鎮火祭        伊東  岬
新走扉軋ませ開く蔵            金井 硯児
この町が子らのふるさと虹立ちぬ      池田 桐人

    




   











彗星集 選評 伊藤伊那男


 
縄文の神の追はれし山澄めり       武田 禪次
縄文人がどこから日本列島に入ったのかは諸説ある。その後弥生人が入り、米と鉄の文化に徐々に辺境の地に追いやられていく。蝦夷も沖縄も縄文のDNAを残しているとの説もある。私の郷里信州なども縄文文化の濃厚な地であったが、山人などとして流浪していったのであろう。諏訪の守屋山などはその聖地であり、過日登拝して山頂で昼食を摂ったが、後から考えるとまさにそこは磐座ではなかったか? 掲出句は「山澄めり」に縄文人の孤高、誇り、また哀愁が感じられるのである。 

  
鮎落ちて緩びてきたる川の箍       杉阪 大和
 鮎漁の終ったあとのやや緊張感の緩んできた状態の把握である。当然崩れ始めた簗の綻びや俄作りの番小屋などの風景も含まれるのである。「箍」は竹や鉄などの輪で樽などの外側を締めつけるもので、鮎の川に比喩として用いたのが成功したようだ。

  
からうじて色のみ知れる小鳥かな     武井まゆみ
渡り鳥の到来を見たのだが、鳥の動きのあまりの早さにその名前を判定できずにいるのである。横切ったとき、色だけは何とか解ったのだが、それだけ。「小鳥来る」の本意というか、実態をよく捉えた句である。 

  
交番の国旗の皺も敬老日         大溝 妙子
 国旗の畳み皺などは、この日以外にもある筈だが、わざわざ敬老の日で強調しているところが面白い。老人の皺と重ね合わせたところが手柄といえよう。

 
 期限切れの非常食食ぶ厄日かな     中野 智子
阪神大震災、東日本大震災、そして各地の山の噴火と、日本列島は地殻変動期に突入しているようである。地震などがあれば非常食が売れる。期限が来たものはどうするか。捨てるのは忍びないし、食べると言っても味気ない。そうか厄日ーー二百十日を節目として消費する方法があったか……。 

  
言はずとも通ずる仲や豆ご飯       松代 展枝
「豆ご飯」の取り合わせが良いのであろう。これが「松茸ご飯」や「牡蠣ご飯」「蟹雑炊」などでは駄目である。日常性に通ずる素材だからこその配合の良さである。仕草を見ただけで何を考えているか、何を欲しているかが解る。そのような所が「豆ご飯」と合うのである。 

  
御饌運ぶ木沓の音や秋気澄む       高橋 透水
神々しくも爽やかな一景。早朝の気配であろうか。

  
鹿笛の闇を転がる山襖          松川 洋酔
鹿を誘い出す笛。寄れば撃たれる怖い笛の音である。 

  
清張の絡みし糸を解く夜長        曽谷 晴子
「絡みし糸を解く」と松本清張の合わせ方がいい。 

  
この坂も殉教のみち鳥渡る        坂口 晴子
 「この坂」から長崎あたりを連想する。配合の良さ。

  
母の手にあふがぬままの秋団扇      辻本 理恵
やや常套句だが扇子でなく団扇であるところが俳諧味。 

  
野分晴サイレン試す消防士        播广 義春
季語から様々な出来事、これから起ることが想像される。

  
秋深し言ひたきことを追伸に       相田 惠子
本音は追伸に。「秋深し」にやや深刻な雰囲気が……。

  
猫つまむやうに運ばれ扇風機       夲庄 康代
確かにつまみはそんな位置。うなだれた扇風機。 

  
べそかきの写真も記念運動会       渡辺 文子
運動会の数々の思い出の中の一景。 

  
たたむ山一つはづるる秋扇        曽谷 晴子
一夏使った扇にはあちこち不具合が。中七が丁寧。 

  
寝て育つ冬瓜に似し吾子ふたり      中野 堯司
愉快な句。丸々と育っているのであろう。

  
掛けられし水も火の色鎮火祭       伊東  岬
吉田火祭か。「水も火の色」の把握が見事。 

  
新走扉軋ませ開く蔵           金井 硯児
「扉軋ませ」が何とも……。きっと上出来の新酒!

  
この町が子らのふるさと虹立ちぬ     池田 桐人

私にも、子も孫も東京がふるさととなった。季語がいい。





 












  


銀河集作品抄

伊藤伊那男・選



中国瀋陽・大連
秋意ふと大叔父住みし地を訪へば     東京  飯田眞理子
稲の花朝餉の前の野良回り        静岡  唐沢 静男
沢音は秋の音色となりにけり       群馬  柴山つぐ子
大和の名賜り生きて終戦日        東京  杉阪 大和
伊那谷は神のてのひら早稲熟るる     東京  武田 花果
父祖の地に族のこぞりて墓洗ふ      東京  武田 禪次
長男横浜で挙式
婚の帆をすつくと上げり処暑の浜     愛知  萩原 空木
遠山を渡りて伊那の雁となる       東京  久重 凜子
雑踏に我が身の揺らぐ残暑かな      東京  松川 洋酔
新涼の影のふくらむエンタシス      東京  三代川次郎
余生多忙遅き墓参を父母に詫ぶ      埼玉  屋内 松山











   
   








綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

イスタンブール
桑の実を亜細亜の西の端に食む     長野  北澤 一伯
自然薯のひげを大事に朝市女      静岡  五十嵐京子
雑巾は干物のごとし休暇明       東京  上田  裕
流星の一つ投函され届く        宮城  小田島 渚
刺し直す標語の画鋲休暇明       埼玉  戸矢 一斗
御油赤坂あはひの松の色変へず     東京  半田けい子
誰ひとり風を見ぬのに今朝の秋     東京  新谷 房子
月明を金の千手が照り返す       東京  谷岡 健彦
思ひきり眼鏡くもれる夜食かな     東京  武井まゆみ
秋虹や夢に過去形未来形        愛知  山口 輝久
山水画の山たたみ込む秋扇       東京  飯田 子貢
電線を棒で押しあげ祭山車       埼玉  池田 桐人
月光の溶けて茗荷の花ざかり      東京  梶山かおり
万葉の恋は霧野に佇つばかり      東京  桂  信子
なまなかの風では揺れぬ糸瓜かな    東京  畔柳 海村
鶏頭の重さは子規の重さとも      大阪  末永理恵子
思ふこと風に奪はれ秋簾        東京  角 佐穂子
背中へと負ぶさつてくる秋の暮     東京  高橋 透水
銀漢へ鯤の旅立つ日のあらむ      東京  塚本 一夫

蟋蟀を追ふ子のはうが跳んでをり    東京  相田 惠子
ひととせの思ひ出たたむ秋簾      宮城  有賀 稲香
富士山を裏山と言ふ盆の月       東京  有澤 志峯
姨捨の暮天とよもす落し水       埼玉  伊藤 庄平
伸び代の遅速のありて竹の春      東京  伊藤 政三
鳴り止まぬ目覚し時計休暇果つ     神奈川 伊東  岬
蚊屋吊草戻らぬ過去は美しく      埼玉  梅沢 フミ
過ぎし日の旅への思ひ鰯雲       東京  大西 酔馬
常の日の常を大事に衣被        神奈川 大野 里詩
正座からやがて胡坐に居待月      埼玉  大野田井蛙
ビルまたぐ色数足らぬ秋の虹      東京  大溝 妙子
病名のまた一つ増え夜の秋       東京  大山かげもと
コスモスの名所かつての戦車道     東京  小川 夏葉
敗戦日母は畑を離れざる        埼玉  小野寺清人
朝夕に遠のくさまの蟬時雨       神奈川 鏡山千恵子
七重八重縫うて九度山水の秋      和歌山 笠原 祐子
ナガサキの坂の歪みて終戦日      愛媛  片山 一行
子規庵
去年よりも曲りて太き糸瓜かな     東京  我部 敬子
秋色や孔雀の羽に目はいくつ      高知  神村むつ代
底紅の落ち様にある慎ましさ      東京  川島秋葉男
流星の多き年とや眼鏡拭く       東京  柊原 洋征
吊り橋の真中の揺らぎ秋思ふと     神奈川 久坂依里子
鶏頭の影なほ色のあるごとく      東京  朽木 直
大極殿を芒の中に見失ふ        神奈川 こしだまほ
尾瀬の秋
木道の歩荷遥けし草もみぢ       東京  小林 雅子
掘る仕草より始まりて踊の輪      東京  小山 蓮子
新しき香のあたらしき菊枕       長崎  坂口 晴子
戸隠の奥社は遠し星月夜        千葉  佐々木節子
かなかなに耳あづけゐて夕厨      長野  三溝 恵子
落鮎や流れ増々急なりし        東京  島  織布
句集編む中の絵を選る夜長かな     東京  島谷 高水
一人居に賑やかすぎる月鈴子      兵庫  清水佳壽美
秋色になりはじめたる子規の庭     東京  白濱 武子
小鳥来る蛇口にシャボン吊り下げて   静岡  杉本アツ子
奥の間の畳べたつき台風来       東京  鈴木 淳子
雨粒にしなる荒草涼新た        東京  鈴木てる緒
コスモスの波立ちて母見失ふ      東京  瀬戸 紀恵
秋扇たたむ最後も無音かな       神奈川 曽谷 晴子
秋灯として仏燈の美しく        愛媛  高橋アケミ
新涼や断捨離本をまづ捨てて      長野  高橋 初風
新盆やよく似る兄がもう一人      東京  多田 悦子
カナダより
時差の星頭上に祈る原爆忌       カナダ 多田 美記
風を待つ首長くして秋桜        東京  田中 敬子
病窓に雁の渡るを見てをりぬ      東京  谷川佐和子
山宿の敷布は固し天の川        神奈川 谷口いづみ
心地良き風の吹くころ門火焚く     愛知  津田  卓
離陸機の腹を見送る納涼船       東京  坪井 研治
夏果てて暑さに果てのなき浪速     大阪  中島 凌雲
鬼の子の世の動静にかかはらず     東京  中西 恒雄
秋澄むや歌垣の山登りきて       東京  中野 智子
子は父を父は山見る鰯雲        東京  中村 孝哲
おつかひの近道遠し鉦叩        茨城  中村 湖童
閉店の本屋を恋うて秋の暮       東京  中村 貞代
金臭き水ふるまはれ残暑なほ      埼玉  中村 宗男
湖にをさまりきらぬ新樹光       東京  西原  舞
逝きし友また訪ひて来よ返り花     東京  沼田 有希
団栗を水に遊ばす洗濯槽        東京  橋野 幸洋
蚯蚓鳴く墳丘墓てふ穴あまた      神奈川 原田さがみ
織田作のダブルの裾の像涼し      兵庫  播广 義春
御代りし少し長生きとろろ汁      東京  保谷 政孝
雪洞は灯を待つばかり風の盆      東京  堀内 清瀬
真実は包み隠さず衣被         岐阜  堀江 美州
夜学の灯父の蔵書を照らしをり     東京  堀切 克洋
秋扇おのづとつきしうらおもて     埼玉  夲庄 康代
柊の花ふと香る庭掃除         東京  松浦 宗克
つま先に風を集むる初浴衣       東京  松代 展枝
無花果の匂ひけだるき路地の昼     東京  宮内 孝子
宗全の碑に手を合はす地蔵盆      神奈川 宮本起代子
雲のひつぎ仰ぎつつ蟬身罷りぬ     千葉  無聞  齋
紙片なき机の広さ秋灯         東京  村上 文惠
秋の灯をこぼす隣家の窓親し      東京  村田 郁子
八千草や老いに色香のありとせば    東京  村田 重子
終戦日燃えないごみの収集日      東京  森 羽久衣
鳩吹くや尻の鹿皮震はせて       千葉  森崎 森平
朝顔や牛乳瓶の路地裏に        埼玉  森濱 直之
美作の桃有難く仏壇へ         東京  山下 美佐
七草の探しあぐねしあと二つ      群馬  山田  礁
水分の尾根を越えくる雁の棹      東京  山元 正規
俎板を洗ふ束子や水の秋        神奈川 𠮷田千絵子
一筋の風を逃さぬ秋桜         愛媛  脇  行雲
山寺の一段ごとにある秋思       東京  渡辺 花穂











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

桑の実を亜細亜の西の端に食む      北澤 一伯
「イスタンブール」の前書きがあった。そうか、絹の道で日本とも繋がっていたのである。その地の桑の実を食むことで遠い時代の商隊のこと、日本の桑畑の風景へと連想をしたのであろう。作者も私も伊那谷で桑畑に囲まれて育った。その同じ桑の実を「亜細亜の西の端に食む」とは何とも壮大で悠久な歴史への回顧である。 


自然薯のひげを大事に朝市女       五十嵐京子
一度だけ自然薯掘りをしたことがあるが、とてつもない重労働である。畑と違って様々な根や石が絡んでいるので、断ち切る作業が只事ではない。一本掘るだけで私は仕合放棄をした。全きままに掘り出した自然薯は貴重である。ひげ根もしっかり残しているのは、完璧で新鮮な証である。そこに着目した作者の目を称えたい。


雑巾は干物のごとし休暇明        上田  裕
「休暇明」でいい所に着目した句である。水場に吊したり、絞ったままの雑巾は一夏のうちにカラカラに乾いていて、確かに「干物」さながらである。俳句は皆が見ているけれど、見逃していたものを発見するかどうかが肝要であるが、この句はそうした発見のある句であった。 


流星のひとつ投函され届く        小田島 渚
ユニークな感覚の句である。私の育った俳句の範囲には無かった発想だが、このような句が出てくるのも銀漢俳句会の幅の広さと嬉しく思う。俳句には古典の系譜と、西洋詩的系譜がある。この句は西洋詩的感覚の発想の句。私はというとここまでは詠めない。〈流星のひとつ投函されたるか〉――そういうこともあるかも知れない、という疑問形まで。 


刺し直す標語の画鋲休暇明        戸矢 一斗
いい所を詠んだ。夏休み明けの掲示板に新学期に当っての標語を貼り替える。場所が決まっているので同じ位置に画鋲を刺し直す。そんなことが詩になるのが俳句である。俳句は「物」に焦点を当てるのが肝要。しっかりと画鋲に焦点を絞り込んでいるからこその成果である。 


御油赤坂あはひの松の色変へず      半田けい子
松尾芭蕉に〈夏の月御油より出て赤阪や〉がある。東海道五十三次の二つの宿場の近さを夏の短夜にかけて詠んだものだといわれる。掲出句はその街道の松並木を詠んだもので「色変へぬ松」の季語が芭蕉句への挨拶になっているのであろう。格調のある詠み振りである。同時出句の〈もたるるに程よき松や村芝居〉の観点の良さ、〈銀座にはなじめず戻る秋日傘〉のそこはかとない哀愁など、拍手。 

  

誰ひとり風を見ぬのに今朝の秋      新谷 房子 
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる――古今集 藤原敏行〉を思い出す。というよりも、この歌の本歌取りの趣もある。「誰ひとり」という打出しが俳諧的な消化である。たとえば、全くそんな感じがしないのに、テレビで今日は立秋だと知り驚くのである。 

 

月明を金の千手が照り返す        谷岡 健彦
「照り返す」が斬新である。古典の和歌であれば無粋な表現なのであろうが、その奥床しさを破ったのが俳諧であり、この句からそのようなことを思った。荘厳な雰囲気が少し崩れるのである。どこかに「おかしみ」が生れるのである。反射鏡のように仏を見たところがユーモア。 


 

思ひきり眼鏡くもれる夜食かな      武井まゆみ
「夜食」は秋の季語であるが「やや寒・うそ寒」の頃でもある。暖かな食物であれば眼鏡もくもるのであり、その微妙な季感を捉えた句ということになる。「思いきり」の表現に誰もが納得するのである。 


  

秋虹や夢に過去形未来形         山口 輝久
夢にも「未来形」があるところが面白い。私は見たことがないが、この年になってからの未来を見るのは何だか怖いような気もする。それはさておき、この発想は出色である。配合した季語も淡々と消え易い「秋の虹」であるところがいい。 

その他印象深かった句を次に

山水画の山たたみ込む秋扇        飯田 子貢
電線を棒で押しあげ祭山車        池田 桐人
月光の溶けて茗荷の花ざかり       梶山かおり
万葉の恋は霧野に佇つばかり       桂  信子
夏果てて暑さに果てのなき浪速      中島 凌雲















           

 
 





 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

椅子の脚洗うて運動会終る        埼玉  大澤 静子
関ケ原いまも原つぱ虫しぐれ       東京  小泉 良子
微積分難問多しまづ夜食         埼玉  渡辺 志水
重力のさもありさうな黒葡萄       東京  宇志やまと
海馬から記憶引き出す轡虫        神奈川 中野 堯司
蔓草の先に風ある今朝の秋        神奈川 栗林ひろゑ
 吉田火祭
火祭や半身を常に炙られて        千葉  白井 飛露
鳩吹けば鴉応へる日暮時         埼玉  志村  昌
結論の未だ西日の会議室         東京  今井  麦
鉄塔も秋めくものの一つかな       広島  長谷川明子
秋刀魚焼く職退きかねし心もて      東京  竹内 洋平
言へぬこと数多閉ざして木槿散る     長野  守屋  明
父祖のこと少しく語り盆の僧       神奈川 堀  英一
列島の空に矢じるし秋燕         東京  伊藤 真紀
栗剝いて剝いて小山は大山に       東京  岡本 同世

敬老日頑固の集ふ公民館         静岡  金井 硯児
車窓へと迫る盆波故郷へ         静岡  山室 樹一
サンダルの足に馴染みて夏惜しむ     東京  荒井 郁子
留守番の家の広さや鉦叩         神奈川 有賀  理
一盛りの枝豆挟む上司部下        東京  辻本 芙紗
終戦日金属探知ゲート鳴る        山形  髙岡  恵
美しく食むのが得意秋刀魚焼く      広島  竹本 治美
おだやかに住む人ならん木槿垣      東京  福永 新祇
夕焼が大口開けて電車呑む        愛知  松下美代子

     




星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選
渡り鳥湖面の富士に休みけり       東京  秋田 正美
単線の待合室の捨て団扇         埼玉  秋津  結
燕去る無人駅舎に巣を残し        神奈川 秋元 孝之
鎌倉の谷の深さや梅雨の底        東京  浅見 雅江
狛犬は阿吽の構へ天高し         愛媛  安藤 向山
稲刈の腰を伸ばせば瀬戸の海       東京  井川  敏
雨後の朝白の異なる白芙蓉        東京  生田  武
椋鳥の群を収めて巨樹となる       高知  市原 黄梅
秋風や藍を深めし江戸切子        神奈川 伊藤やすを
黒姫は二番線から蕎麦の花        埼玉  今村 昌史
海青く見ゆる座敷や秋簾         神奈川 上村健太郎
三度目の満願朱印秋高野         愛媛  内田 敏昭
桃の香に青春の歌口ずさむ        長野  浦野 洋一
鬼蓮の咲くや己が葉つきぬけて      埼玉  大木 邦絵
底紅の落花捩れを解かぬまま       東京  大沼まり子
葛の花思ひ出深き浅間山         群馬  岡村妃呂子
盆路を夫帰り来る音かすか        神奈川 小坂 誠子
白菊やかたはらに妻ゐる思ひ       京都  小沢 銈三
ローカル線知り人探す帰省かな      埼玉  小野 岩雄
仏の間色なき風を通しけり        静岡  小野 無道
遠縁の子とはそれきり山葡萄       神奈川 上條 雅代
吊尾根を滝の如くに霧越ゆる       東京  亀田 正則
ためらふを知らずに一葉桐一葉      長野  唐沢 冬朱
雷に声を収めて会終る          神奈川 河村  啓
鶏頭の一本の花鶏そのもの        長野  神林三喜雄
空鋏音に合はするじようびたき      愛知  北浦 正弘
禁と非の多き旧跡葛の花         神奈川 北爪 鳥閑
鉢植の朝顔五輪色違へ          東京  絹田 辰雄
呼びかはす声の溶けゆく花野かな     和歌山 熊取美智子
木の間越しいくつもの空秋うらら     群馬  黒岩 清女
虫送る火の連なれる畦づたひ       愛知  黒岩 宏行
日を負ひて飛ぶ影うすき秋の蝶      東京  黒田イツ子
秋鰹滲む脂の虹の色           神奈川 小池 天牛  
凜として朝の挨拶白桔梗         群馬  小林 尊子
新豆腐箸を押し当て堅さみる       神奈川 阪井 忠太
遣り過ごす風雨いくたび紫苑かな     長野  桜井美津江
編笠や三味の音高き風の盆        東京  佐々木終吉
菅笠に笑み見え隠れ阿波踊        群馬  佐藤 栄子
返せずにゐる本もあり子規忌かな     群馬  佐藤かずえ
川の字に寝入る親子や星月夜       群馬  佐藤さゆり
熱溜めし部屋へとどめの大西日      東京  島谷  操
読み返す友の手紙やつづれさせ      東京  清水美保子
吊革に躰預けて秋暑し          神奈川 白井八十八
畦道に語る豊作とんびの輪        東京  須﨑 武雄
登山者の居眠り乗せて午後のバス     群馬  鈴木踏青子
息継ぎの多くなりけり秋の蟬       愛知  住山 春人
報国寺秋には秋の竹の色         埼玉  園部 恵夏
武者の目に武者震ひなり大ねぶた     東京  田岡美也子
水澄むや心経空へ諳んじる        東京  髙城 愉楽
日焼けしてまだ宿題の終らぬ子      福島  髙橋 双葉
物差しを捜し夜長を思ひをり       埼玉  武井 康弘
耳鳴りを残し飛び立つ法師蟬       三重  竹本 吉弘
モノクロの実写フィルムや終戦日     神奈川 田嶋 壺中
通り過ぎふと振り向けば金木犀      東京  田中 寿徳
信濃へと千国街道鰯雲          東京  田中  道
空蟬や我も捨てたき物多し        神奈川 多丸 朝子
文机に秋扇母の百箇日          東京  辻  隆夫
捕虫網置かれしままに夕まぐれ      大阪  辻本 理恵
カーテンが部室の中まで今朝の秋     東京  手嶋 惠子
カーテンの隙間にもある秋の声      東京  豊田 知子
ビル街が模型のごとし秋夕焼       神奈川 長濱 泰子
吐息越し糸瓜瑞々しく垂るる       大阪  永山 憂仔
その先は虫の闇なり通し土間       東京  長谷川千何子
障子貼る中山道の水車小屋        長野  蜂谷  敦
長靴を干せばこほろぎ飛び出でぬ     神奈川 花上 佐都
かなかなの琴線弾く時のあり       長野  馬場みち子
上高地霧のスープを飲み干せり      神奈川 福田  泉
七夕や人を恋せし日は遠く        東京  福原 紀子
秋晴やジャングルジムのてつぺんに    神奈川 星野かづよ
忠敬像大き一歩を新涼へ         東京  星野 淑子
古河邸窓を額とし秋薔薇         東京  牧野 睦子
明り消し虫に耳貸し闇覗く        神奈川 松尾 守人
固すぎる飯盒の飯天の川         京都  三井 康有
鳴き止んで余韻残せり秋の蟬       東京  宮田 絹枝
鈴虫の鳴きつぐ夜の相聞歌        広島  村上 静子
水澄みて鯉の背びれに痣ひとつ      東京  八木 八龍
鈍色の天より刺さる寒さかな       東京  家治 祥夫
鰯雲ダムの湖底に村一つ         東京  保田 貴子
タワーより見ゆる東京夜半の月      群馬  山﨑ちづ子
笛の音の畦道辿る秋祭          東京  山田  茜
絵日記にいつも朝顔色変へて       神奈川 山田 丹晴
宿題のノートそのまま夜食食む      高知  山本 吉兆
情念を背中で語る秋芝居         群馬  横沢うだい
荒海に星座傾く夜長かな         神奈川 横地 三旦
朝寒や柱時計の刻む音          千葉  吉田 正克
続篇の楽しみ多き夜長かな        神奈川 渡邊 憲二
良書にも似し友のあり秋の声       東京  渡辺 誠子
鳥威し車窓に見つつ赴任地へ       東京  渡辺 文子














星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

椅子の脚洗うて運動会終る        大澤 静子
俳句はどの角度から対象を捉えるかが一番の勘所である。誰もが解る風景や光景は絵葉書のようなもので、俳句の歴史の中で何千回何万回と詠まれ尽している筈である。そのような固定観念を排して独自の発見があるかどうかで作家の価値が決るのである。この句は運動会が終った後に焦点を当てている。教室から持ち出した椅子は一日の土埃を浴びている。脚を洗ってから校舎に戻すのだが、誰もが知っていながら詠めなかったことである。根底にしっかりとした写生があるので句柄も揺るがないのである。同時出句の〈芋の露いびつに朝の日を返す〉も対象を丁寧に観察した句、〈夕空の残る山なみひよんの笛〉は心地良い抒情。 


関ヶ原いまも原つぱ虫しぐれ       小泉 良子
新幹線で関西へ向う度に私は右の窓に展開する関ヶ原の風景に思いを馳せる。もちろん建物は建っているが、山の形は変らない筈だし、前面の青田を原野に見立てれば、当時の様子が彷彿するのである。この句は実際に現地に立ってみたのであろう。「いまも原っぱ」の表現は往時茫々の雰囲気であり、「虫しぐれ」は兵どもが夢の跡である。


 
微積分難問多しまづ夜食         渡辺 志水
共感の深い句である。数学に極端に弱かった私は、進学校であったけれど数二Bまでの選択ですむ就職組のようなクラスを選んだ。それでも数学は悲惨な成績で、テストの時には隣の友人が答を教えてくれたりもした。「まづ夜食」に何ともいえないおかし味と哀しみが混在している。 

海馬から記憶引き出す轡虫        中野 堯司
海馬を辞書で見ると「脳の内部にある古い大脳皮質の部分。情動の発現およびそれに伴う行動、さらに短期記憶に関係し、種々の感覚入力に応じて時間空間情報を認知し、一種の統合作用を行う」とある。この句の面白さは「轡虫」を配したことである。別名「がちゃがちゃ」とも呼ばれる賑やかな音を出す虫である。記憶もがちゃがちゃではないか?という滑稽感が読後に余韻を引くのである。同時出句の〈もろこしを端から齧る几帳面〉も佳品。

 
火祭や半身を常に炙られて        白井 飛露
吉田火祭の嘱目であるという。富士登山道に向う町筋の家々の前に立てられた大松明と井桁に組んだ松明に点火されるという。火の粉で衣服に穴が空いたなどという話も聞く位の炎の祭典である。その祭の様子を臨場感を持って捉えているのである。人が多いので片側に寄らざるを得ず、「半身を常に炙られて」という状態になるのであろう。実に的確な把握である。同時出句の〈霊峰の麓の町の新豆腐〉も徐々に新豆腐に焦点を絞っていく技法で成功した。


鳩吹けば鴉応へる日暮時         志村  昌
「鳩吹く」とは両方の掌を合わせ息を吹き出すと、山鳩の鳴き声に似た音が出ることで、鳩笛という。①秋に目立つ山鳩を真似た遊びとも ②山鳩を誘い出して獲るためとも ③鹿狩などで獲物を発見した時の合図とも言われる。ともかく、この句はその狙いが全部外れて、鴉が応えるばかりだという。少年時の回想として読んでもいいし、今現在の作者とみても各々の味わいが醸し出される。

鉄塔も秋めくものの一つかな       長谷川明子 
こういう発想もあったか、と改めて鉄塔を見上げた。無機質の鉄に秋を感じるというのは一つの感性の発露である。確かに秋の山を繋ぐ鉄塔はそのようにも見えてくる。こうした独自の発想を目にしたことが嬉しい。 

敬老日頑固の集ふ公民館         金井 硯児
若い頃は、年を取れば人は丸くなっていくものだと思っていたが、どうやら自分を省みても違うようである。堪える能力が落ちてキレる老人が増えているのである。敬老の日に公民館に集まった面々も、何があってもおかしくない集団。祝いの影に不穏な空気も潜んでいるようである。

車窓へと迫る盆波故郷へ         山室 樹一
帰省する故郷へは海沿いの鉄路を通るのであろう。盆波が車窓に迫る、というところに実感が籠る。盆時の気分がしみじみと伝わり、句柄も綺麗な秀逸であった。 

その他印象深かった句を次に。


サンダルの足に馴染みて夏惜しむ     荒井 郁子
留守番の家の広さや鉦叩         有賀  理
一盛りの枝豆挟む上司部下        辻本 芙紗
返せずにゐる本もあり子規忌かな     佐藤かずえ
終戦日金属探知ゲート鳴る        髙岡  恵
美しく食むのが得意秋刀魚焼く      竹本 治美
おだやかに住む人ならん木槿垣      福永 新祇
父祖のこと少しく語り盆の僧       堀  英一
夕焼が大口開けて電車呑む        松下美代子




















銀漢亭こぼれ噺



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2017/4/17 発売されました。
 





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 仕事で接した京都、
京都生まれの妻と結婚してからの京都、
俳句を始めてからの京都、
妻を亡くしてからの京都・・・・・。
京都は味わいも深みも変化させながら、
いつしか喜びと悲しみの交叉する街となってきた。
「京都」を軸に、人生と俳句について綴った
著者はじめての自伝的エッセイ。


        















伊那男俳句  

伊那男俳句 自句自解(24)
          
 
 山小屋のランプにゐたる冬の蜂


 フジテレビの俳句会「枸杞の会」の仲間で八ヶ岳の懐深くにある渋の湯温泉に吟行した。硫黄の香の強い、白濁した温泉で、使い古して木目の浮き出た浴槽はなかなかの風格であった。泊った翌朝、私だけ仲間と別れて、黒百合平経由で八ヶ岳に取り付いた。吟行仲間と別行動をするなどという勝手をしたのだが、登山を始めて4年目くらいで、歩きたくて、歩きたくて仕方がなかったのである。結局天狗岳、硫黄岳、赤岳など、ほとんどの山を縦走して美濃戸口へ下山した。最高峰の赤岳に一泊しただけであるから、当時の私はかなりの健脚であった。この句は途中で休んだ山小屋の嘱目。前夜に使ったランプを磨きあげて並べてある。その硝子に冬の蜂が縋りついていた。前日の渋の湯辺りは落葉松が金色の針を散らしている晩秋であったが、山上はすっかり冬の様相であった。どのようなことでここまできてしまったのか、迷い込んだ蜂はここで生を終えることになるのであろうか……。

  
寒鯉のかたまつてゐて触れ合はず


 40歳を過ぎた頃、超結社句会「塔の会」への推薦を受けて入会した。会員は比較的大きな結社の代表選手で、既に名前を知られている俳人たちであった。伝統俳句系とはいえ、結社の特徴や作風に微妙な違いがあった。人事を詠むのがうまい結社、抒情の良さや調べを大事にする結社、滑稽句や機知句に勝れた結社、と各々の違いを知ることができ、貴重な勉強の機会であった。その俳人たちの真似をしたところで、とても太刀打ちできるほど生易しいものではない。結局私の場合は盤水先生に教え込まれた「写生句」を磨いていくしか無いと、改めて自分の座標軸を認識したのであった。鯉は信州で親しんだ魚である。酷寒の時期には池の底に寄り合ってはいるが、決して群れてはおらず各々の距離を保っている。そのような冬の鯉の生態を一物仕立てで詠み切ることができたと思った。それが人間界にも及ぶ寓意になれば尚更である。叔父の池上樵人が「でかした!」と褒めてくれた句。









  
        


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    






















掲示板















 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男

 9月
9月3日(日)
皆は仲仙寺へ。私はゆっくり朝食。10時、「いなっせ」にて「第26回信州伊那井月俳句大会」。昼、午後の講演会講師の正津勉氏、北村会長と食事。そこへ伊那市西春近の方々が井月銘の軸一本持ち込み。竹入弘元先生が急拠、来館して鑑定。真筆! しかも新句と。〈菊さくや孫の祝ひによ記日和 井月〉いい場面に立ち会う。正津さんは路通について講演。当日句選者の1人は禪次編集長。あと懇親会。そのあといつもの「門」休みとて白鳥市長、正津、北村監督と市の方々のバーベキューパーティーに参加。16時の飯田線、あずさと昏々と眠りこけて帰宅。

9月4日(月)
彗星集選句評書いて10月号終了。店、8月の月次表作成。店、羽咋高校卒の林さん、羽久衣さん来店、顔合わせ。林さん「銀漢」入会。「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人、など。「天為」の蟷螂子さん京都から。

9月5日(火)
閑散。本井英、真砂年さん二人吟行のあとと。お二人とゆっくり話。明日の仕込みなど。22時閉める。

9月6日(水)←画像上でリンクします。
「俳壇」11月号へ「小諸宿」10句送る。店、「きさらぎ句会」あと10人。「宙句会」あと13人。てる緒さん家に養子に入ったヨールシャテリアのバニラ16歳、お腹の手術無事終了と。

9月7日(木)
店、「十六夜句会」あと13人。大住光汪君元気。

9月8日(金)
村上鞆彦、今泉礼奈さん来店。来年4月結婚、5月披露宴と。慶祝! 東北大学の浅川君(「駒草」)。「宙句会五周年記念誌」上梓。おめでとう。

9月9日(土)
10時、運営委員会。「いもや」の海老天丼。「銀漢本部句会」57人。あと「テング酒場」で親睦会。

9月10日(日)
先日、光汪君と話題にした高校同期の浜功朗君、連絡とったら逝去していたと。深悼。一日家。10月号の校正。寝たり起きたり。夕方、家族で庭にて夕食。牛舌焼、カラスミなど。久々の晴れで夕風が心地良い。

9月11日(月)
藤岡筑邨先生の「りんどう」600号到来。私の祝句掲載。店、客少なく看板にしようとした頃、京都の蟷螂子、三輪初子さんなど。大住光汪君と「大金星」に少し寄る。

9月12日(火)
「火の会」10人。発行所貸し出しの「駿句会」あと3人など。

9月13日(水)
「梶の葉句会」選句。店、「井月忌俳句大会」の事前投句受付についての打ち合わせ。井蛙、環順子さん他。閑散。

9月14日(木)
編集部は最終校正。「極句会」は店で10人。山田真砂年、天野小石さんいて選句して下さる。

9月15日(金)
発行所「蔦句会」あと店に9人。唐沢静男君夫妻、久々、上京とて寄ってくれる。金井硯児さんも。客少なかったので私も同席して歓談。

9月16日(土)
午前中、11月号の原稿。15時過ぎ、恵比寿の「メゾン・プルミエール」。堀切克洋君の結婚披露宴。新郎新婦が司会をするという珍しい形式のパーティー。隣席は新婦の上司の国土交通省鉄道局長・藤井直樹氏。生後八ヶ月の琴葉ちゃんが可愛い。「銀漢」の仲間五人ほど。終わって渋谷の「森本」にて小酌。

9月17日(日)
桃子と孫は氣志團の君津コンサートに泊まりがけで。リーダーの翔やんが成城仲間。台風襲来の最中。

9月19日(火)
「銀漢女子会」。臭い物を食べようとて、室鰺のくさや、飛魚のくさや。近江菅浦からの鮒鮓。沖縄豆腐餻、鮎うるか……など。他にのどくろ。関鯖の開きなど持ち寄りあり。13人ほど。「こもろ・日盛俳句祭」でお目にかかった上田の河西志帆さん、上京したとて訪ねてくれる。

9月20日(水)
高校同期の「三水会」6人。五日市さん3人。あと閑散。

9月21日(木)
「銀漢句会」あと19人。

9月22日(金)
発行所を「門」同人会に貸し出し。鳥居真里子さん先月肩骨折し入院中。「金星句会」あと6人。仙台の小田島渚さん参加。清人さん気仙沼の弟さんと。明日、南アルプス塩見岳を目指すと。帰路、乗り越して登戸まで。やれやれ……。

9月23、24日(土・日)
2日間家で過ごす。寝たり起きたり選句をしたりテレビを見たり。夜は家族で食事。この生活が続くとなまってしまうかな……。ともかく久々たっぷり休養。隣家の金木犀の大樹が咲き始める。

9月25日(月)
店、「演劇人句会」の句会10人。

9月26日(火)
超閑散。21時過、閉めて「大金星」で作句など一時間ほどくつろぐ。

9月27日(水)
「雛句会」12人。皆川文弘さん。オリックスグループ3人(直接の部下ではなかったが)。

 9月28日(木)
小石さん担当日、誕生日間近とて清人、洋さんよりヴーヴクリコ各々。

9月29日(金)
「白熱句会」。井上弘美、水内慶太、檜山哲彦、佐怒賀正美さんと。主宰同士の句会なので一番緊張感を味わう句会かな。

 9月30日(土)
NHKテレビ「ひよっこ」終了。ずい分泣かせてもらった。14時より日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」。15人全員揃う。句会あと、題の鮭、銀聖の幽庵焼(瞠目のうまさ)、揚茄子の味噌あん掛け、すり蓮根と鱧の椀。握り(特に新子佳し)。あと大和、禪次、松山さんと次期同人推挙についての打ち合わせ。ワイン少々。あと1人渋谷に出て、久々「恵」。40数年前から知っている店。その頃でも老人に見えた親父さんが今もいて、82歳だという。跡継の子息に叱られながら黙って仕事している。年月に磨かれたいい顔だ。

10月

 10月1日(日)
1時、上野駅公園口。「十六夜句会」の吟行会に招かれて。15名。谷口いづみさんの案内で駅構内を歩く。昭和7年再建から今日までの変遷の痕跡を見る。あと西郷さん、東照宮、穴稲荷、五條天神社、下町風俗資料館。アメ横の中の居酒屋にて4句出し句会と親睦会。長崎の坂口晴子さん参加してくれて話。もう一軒。

10月2日(月)
↑画像上でリンクします。
毎日新聞夕刊に私の記事(『銀漢亭こぼれ噺〜そして京都』)。写真に展枝、淳子、麦が写っている。書いてくれた森さんが夕刊沢山持って5人で来て下さる。「かさゝぎ俳句勉強会」あと7人。皆川文弘さん。

10月3日(火)
待宵の日。恒例の「Oh! 月見句会」。超結社で35人集合。月に関する3句持ち寄り。酒や料理も差し入れ多し。終了頃、水内慶太さん見えて8人程で「大金星」。

10月4日(水)
「きさらぎ句会」あと7人。「宙句会」あと13人。23時に店を閉める。うっかり新宿で快速急行に乗り、新百合ケ丘まで。やれやれ……。だが、エッセイ一本分の着想を得たので良いとするか。帰路、名月を見ながら。

10月5日(木)
「本にまつわる俳句大会」の選と選評。特選一、入選五、佳作五。八百字。店、「十六夜句会」あと16人。何と本日、十六夜の月。

10月6日(金)
「大倉句会」あと25人。小野寺清人さんの兄・弟さん参加で仙台の牛舌、気仙沼の牡蠣、その他の提供あり。今泉礼奈さんと大王製紙の同期5人。礼奈さんと村上鞆彦さんの結婚届の証人頼まれる。

10月7日(土)
11時半、鎌倉。「鎌倉句会」の堀英一、中野堯司さんの出迎えあり。蕎麦店で昼食。八幡宮に参拝し13時、生涯学習センター。10人。5句出し句会。17時、駅上の和食店にて親睦会をセットして下さる。越後村上の酒旨し。20時前鎌倉を後にする。連休というのがともかく嬉しい。帰路、登戸で一杯飲む。











           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2017年12 月22日撮影  ポンセチア  TOKYO/HACHIOJI





花言葉   祝福する」「聖夜」「幸運を祈る」「私の心は燃えている」
   
 △ポンセチア
クリスマスのイメージフラワーとなった由来は、ポインセチアの葉の赤色と緑色に由来します。ポインセチアの赤い葉の部分が血、特に十字架に張り付けられた「キリストの血」をあらわします。緑の葉の部分は冬場でも枯れることがないため若々しい生命力のイメージから、「永遠の命」をあらわすと考えられています。
  
今月の紹介した花々・・・・・。


八つ手 オリーブ アニソドンテア 水仙 シクラメン
     
木守柿 ポンセチア       

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写真は4~5日間隔で掲載しています。 



2017/12/19 更新



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