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 2月号  2018年

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 銀漢日録  今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句














        
             


今月の目次







銀漢俳句会/2月号

















   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎「名の木」と「名の草」

 某句会で〈○○○○名の木散る〉という句が出ていた。句会のあと「名の木散る」とそのまま季語として使ってよいのか? との質問が出た。その時、私は「自分では作ったことが無いので自信がないが、……いいんじゃないかな」と答えた。帰宅してから気になって調べてみたところ「櫟散る」「柳散る」「銀杏散る」などと具体的な木の名前を入れて使うものであり「名の木散る」とは詠まないものであることが解った。『角川俳句大歳時記』を見ると、考証の項に以下の記事があった。「按ずるに楓・櫨・柞等の類にて、楓散る・櫨散る・柞散るといふなるべし。然るを、名の木散る、と未練の俳士おしまかせて発句する輩あり、然るべからず」(『年浪草』)。冬の季語の「名の木枯る」も同様である。
 また「名の木の芽」も「()の芽」の副季語で、やはり「桜の芽」「木五倍子の芽」などと具体的に木の名前を入れて使うものである。なお山椒の芽を使った料理の場合は「()の芽和」のように「き」と読む。
 では「名草の芽」はどうであろうか。「百合の芽」「菖蒲の芽」など、具体的な草の名前を入れる場合と、「名草の芽」として詠む例があるようだ。その例句としては〈名草の芽を持ちをりぬ札のかげ 高浜虚子〉〈一つこそ離れてよけれ名草の芽 村沢夏風〉などが挙げられる。「名草枯る」についても〈蕭条と名の草枯るるばかりなり 大場白水郎〉の例句がある。多分芽の小ささ、細かさから、何の芽か判別できないことや、何の草か解らない位に枯れ果てているところから認められているようである。
 総じて言えることは「名の木・名の草」は、名前のある木・草という意味であり、具体的な名前を入れて詠むのが正統なのである。私事だが、35年ほど俳句をしているが、このような微妙な違いを初めて知ったのであり、浅学を恥じるばかりである。
 ついでに言うと「ものの芽」の季語がある。「草の芽」「木の芽」よりも広い範囲のもので、早春に芽吹くもの全体を指す季語であり、「物の芽」「ものの芽」として詠むものである。
 私は『日本大歳時記』(講談社)、『俳句大歳時記』(角川書店)を持っているが、これらを開くと季語には各々に歴史があり、古人が様々な苦労をして築き上げてきたことが解る。良い歳時記は言葉の宝石箱である。もし無人島に一冊だけ持っていくとしたら、やはり歳時記ということになるだろう。









 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男
 

青空に堂扉を開けて節分会     皆川盤水

盤水居の近くの宝仙寺での属目。真言宗豊山派の大寺で、学校経営をしており、確かご息女が通われていたし、「春耕」創刊時(当初は「春光」)の第一回の会合もこの寺で行われたと聞く。句は春を迎える季感の横溢した気持ちのいい写生句である。句集を見ると、この句の次に〈夢の中父の声とぶ節分会〉という心象風景の句がある。宝仙寺の節分会を実見した上で、作句過程の中から幼少時の思い出の一場面が浮かび上がってきたのであろう。
                                (昭和52年作『板谷峠』所収)











  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

秋燕や海図にいくつ船の道         杉本アツ子
伊賀行きのバスの出る頃初しぐれ      末永理恵子
通信使街道年賀郵便車           桂  信子
能登王の墓向く納屋に吊す柿        森 羽久衣
全開の翅に日を亨く秋の蝶         大沼まり子
神留守の蝦蟇の油のよく売れて       武井まゆみ
渾身といふ身のよぢり鮭上る        多田 美記
返り咲くことのあはれを浄閑寺       伊藤 政三
茶の花や行間ひろき母の文         久重 凛子
背の嬰も水もあやして紙漉女        五十嵐京子
紅葉且つ散るもののふの砦跡        瀬戸 紀恵
火床より京を眼下に日和ぼこ        多田 悦子
泥よりも泥のいろして蓮根掘        坂口 晴子
風神と遊びの果ての落葉かな        松浦 宗克
葦刈るやすつからかんの湖のかほ      武田 禪次
眦の涙を指で今朝の冬           島谷 高水
空港に下りて祖国の青き踏む        沼田 有希
持て成しの煮しめの凍る神楽宿       武田 花果
みかん山はるか漁火眼下とす        柴山つぐ子








       








彗星集 選評 伊藤伊那男


秋燕や海図にいくつ船の道        杉本アツ子
その昔、正月に台湾に旅行していたときのことであるが、おびただしい数の燕が台北の空を飛翔しているのを見て驚いたことがある。そうか、日本から避寒の為にここへ来ていたのだ!と。燕は日本で生まれるのに、何故「帰燕」というのであろうか。日本で生れた燕が、南国に避寒に行き、春、日本に帰ってくる、のだが……。それはさておき遥かな海を渡る燕には方角の解るDNAが組み込まれているのであろう。だが人間の航海には海図が必要である。燕の空の道と人間の交通網である航路とを取り合わせた幅のある句となった。 

  
伊賀行きのバスの出る頃初しぐれ     末永理恵子
一読すれば当然松尾芭蕉を偲ぶ句であることが解る。伊賀上野は芭蕉の生地であり、時雨は芭蕉の好んだ季語であり、芭蕉の忌日は「時雨忌」とも言う。それらを組み込んではいるものの、さらりと詠んでいるので作意が感じられないところがいい。「バスの出る頃」の切り口のうまさだ。 

  
通信使街道年賀郵便車          桂  信子
漢字だけで一句を構成したり、朝鮮通信使の歴史の中の「通信」の言葉を取り出して、現在の「郵便」に結び付けるなど、仕掛けは見え見えの句なのだが、ここまで仕上げてくると、一つの手柄だと認めないわけにはいかない。無理矢理入れた「年賀」の季語にも諾う他はない。 
 
  
能登王の墓向く納屋に吊す柿       森 羽久衣
能登半島を旅した時、その昔凄く栄えた時代があったことを知った。内浦周辺には数百の古墳があり、その中には赤道周辺にしか無い貝細工の腕輪なども出土していたというのであるから交易の広さにも驚く。古墳時代には能登が日本の表玄関であったのだ。能登王が支配したと言われており、一際大きな前方後方墳もあった。そのような能登王の膝元で柿を干す。柿は日本原産、柿本の姓も古くからあり、歴史を偲ぶ取合せもいい。 

  
全開の翅に日を亨く秋の蝶        大沼まり子
貴重な秋の日を受ける蝶。翅の破れも目立ち命の限りも見えてきているのであろう。安息の日差しに翅を広げた秋蝶に一抹の淋しさがまとわりついているようだ。 

  
神留守の蝦蟇の油のよく売れて      武井まゆみ
神の存在と蝦蟇の油の売れ行きは関係なさそうだ。

  
渾身といふ身のよぢり鮭上る       多田 美記
 鮭の遡上のひたむきさを「身のよぢり」と詠んだ手柄。

  
返り咲くことのあはれを浄閑寺      伊藤 政三
 三ノ輪の浄閑寺であれば「返り花」もまた「あはれ」と。

  
茶の花や行間ひろき母の文        久重 凛子
 「行間ひろき」にその人物像も浮き上ってくるようだ。

  
背の嬰も水もあやして紙漉女       五十嵐京子
「あやす」に二つのことを掛けた技。 

  
紅葉且つ散るもののふの砦跡       瀬戸 紀恵
栄枯盛衰は世の常。滅びの地にも美しく紅葉が散る。 

 
 火床より京を眼下に日和ぼこ      多田 悦子
大文字の送り火の山から眺める京。日和ぼこの面白さ。 
 
  
泥よりも泥のいろして蓮根掘       坂口 晴子
腕なども蓮根と見間違えるほどの泥の海の様子。 

  
風神と遊びの果の落葉かな        松浦 宗克
落葉とはそうであったのか……童話的面白さ。 

  
葦刈るやすつからかんの湖のかほ     武田 禪次
琵琶湖西ノ湖辺りか。葦刈が終ると湖の風貌が変る。 

  
眦の涙を指で今朝の冬          島谷 高水
「目にはさやかに見えねども」は秋。「眦の涙」は冬。 

  
空港に下りて祖国の青き踏む       沼田 有希
終戦後帰還兵は日本の緑に泣いたという。その現代版。 

 
 持て成しの煮しめの凍る神楽宿     武田 花果
高千穂か。「凍て」も季語だが、この実感があればOK。 

  
みかん山はるか漁火眼下とす       柴山つぐ子
四国のどこか、海に傾ぐ山。美しい風景を詠み取った。 










 


        












銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

竹のはや風癖がちに風囲       東京   飯田眞理子
紅葉散る不折の像のパレットに    静岡   唐沢 静男
末の子が鍋奉行なり牡丹鍋      群馬   柴山つぐ子
野麦への道まで広げ籾筵       東京   杉阪 大和
鬼の子のからまつ山の松衣      東京   武田 花果
かへりみる長谷観音や冬霞      東京   武田 禪次
冬支度勝手わからぬ異郷にて     カナダ  多田 美記
討入の片付けをする菊師かな     東京   谷岡 健彦
斎王の恋閉ざされて後の月      神奈川  谷口いづみ
ことほぎの堀江に掛かる照紅葉    愛知   萩原 空木
門川の大鯉沈む桂郎忌        東京   久重 凜子
蘆火して土手の草木も少し焼く    東京   堀切 克洋
蓮根掘るひと日澄みたる大筑波    東京   松川 洋酔
猪撃ちし話薬缶の酒をつぎ      東京   三代川次郎













   
   













綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

乗り換へて賢治の里に銀河追ふ     埼玉  伊藤 庄平
にぎやかな家にはきつと小鳥来る    埼玉  渡辺 志水
猪屠る村長選の祝宴へ         東京  橋野 幸彦
菊日和矜持の高さごとの華       長野  守屋  明
よく見れば隙間だらけの風囲      東京  伊藤 政三
日差し受けなほ日陰めく花八つ手    東京  今井  麦
幼稚園の木の実でつくる動物園     東京  田中 敬子
星屑も仕込みに入れてましら酒     宮城  小田島 渚
三山の頭を残し冬霞          東京  畔柳 海村
ただいまとおかへり同時花八つ手    東京  朽木  直
木の実降れ木のぼり出来ぬもののため  東京  大溝 妙子
栗鼠の尾の波打つ速さ木の実落つ    東京  梶山かおり
切り抜きて新聞に窓神の留守      長崎  坂口 晴子
跡継ぎも結構な歳穭に穂        茨城  中村 湖童
鳥渡る島の欠けらに憩ひつつ      群馬  山田  礁

神の留守有給休暇使ふ巫女       東京  相田 惠子
時雨忌や浦風しみる座禅石       宮城  有賀 稲香
踏石のひとつ取られて草紅葉      東京  有澤 志峯
八つ手咲くカーテン白き診療所     東京  飯田 子貢
数へ日の餅屋の土間に台秤       静岡  五十嵐京子
滅びたる言語いくつや流星雨      埼玉  池田 桐人
朝寒や菜屑流るる用水路        神奈川 伊東  岬
書き足して十一月の一の文字      東京  上田  裕
日の丸の表も裏もしぐるるや      東京  宇志やまと
仮の夢にあさぎまだらが会ひに来し   埼玉  梅沢 フミ
狛犬の胸に日の差す冬はじめ      埼玉  大澤 静子
残されて此の世の棚に糸瓜かな     東京  大沼まり子
雨も又ちからに十月桜かな       神奈川 大野 里詩
徒然草邯鄲の声栞とす         埼玉  大野田井蛙
利休鼠の雲陸続と酉の市        東京  大山かげもと
十二色の鉛筆削る文化の日       東京  小川 夏葉
精油所へ島を出てゆく椿の実      埼玉  小野寺清人
雨しとど末枯を踏む出城跡       神奈川 鏡山千恵子
鳶の輪にいま日溜の柿の里       和歌山 笠原 祐子
森の木のそれぞれ違ふ秋思かな     愛媛  片山 一行
枯菊の焚くに少なし反古も焚く     東京  桂  信子
額縁のごとき鳥居に七五三       東京  我部 敬子
落葉掃く帰りくる子がゐるからは    高知  神村むつ代
枯蔦の主無き家の家系図と       東京  川島秋葉男
北塞ぎ終へて身寄りの話かな      長野  北澤 一伯
抱ふれば鮭の命のぬめりかな      東京  柊原 洋征
花八つ手翅音に怯みつつも寄る     神奈川 久坂依里子
唐辛子有り合ふ釘に掛け干せる     東京  小泉 良子
空に皺よつてゐるらし鰯雲       神奈川 こしだまほ
袴着に追はれカメラの後退り      東京  小林 雅子
懸崖の先の先まで菊かをる       東京  小山 蓮子
拍手に大樫の実の降りにけり      千葉  佐々木節子
庭に咲く終はりの菊を仏花とす     長野  三溝 恵子
狐火で下山できしが語り種       東京  島  織布
竜田姫伊勢にゆかるる姫に笑む     東京  島谷 高水
旅人は碁盤の石に古都の秋       兵庫  清水佳壽美
猿蟹合戦読み聞かせし日柿の秋     東京  白濱 武子
繋留の船の灯かすかに冬霞       東京  新谷 房子
あの頃の空の蒼さや青写真       大阪  末永理恵子
補聴器の気になるノイズ隙間貼る    静岡  杉本アツ子
村中に蓋するごとく冬霞        東京  鈴木 淳子
猪除の寄せ集めなるほまち畑      東京  鈴木てる緒
永観堂見返へる先の紅葉雨       東京  角 佐穂子
竜田姫の指先触れし山河とも      東京  瀬戸 紀恵
朝刊の手元ごはつく冬に入る      神奈川 曽谷 晴子
島市に旧知の名ありみかん買ふ     愛媛  高橋アケミ
削られし鼠小僧の墓の冷え       東京  高橋 透水
朝摘みの香りに着替へ菊人形      長野  高橋 初風
将門の馳せたる大地籾殻焼く      東京  武井まゆみ
幻住庵の椎にとどまる秋の蟬      東京  竹内 洋平
村誌より古き猪垣の野面積み      東京  多田 悦子
夫の遺句墨うすれゆく秋扇       東京  谷川佐和子
塩の道よぎりて雁の渡りけり      東京  塚本 一夫
柿剝くやけふの紙面を下に敷き     東京  辻  隆夫
石山の式部ゆかりのもみぢかな     愛知  津田  卓
人形の悲鳴もときに胡桃割       東京  坪井 研治
茶の咲きて日にち薬をつくづくと    埼玉  戸矢 一斗
信楽の歪めでつつ十三夜        東京  中西 恒雄
築山の富士も高嶺や秋茜        大阪  中島 凌雲
綿虫の群れて羽音のなき夕べ      東京  中野 智子
スカイツリーの臍の辺りの冬霞     東京  中村 孝哲
逝き給ふ貫首の影や菊まつり      東京  中村 貞代
蔓引けば全山乾ぶ烏瓜         埼玉  中村 宗男
妹 結婚
秋麗やベールに花嫁透きとほる     東京  西原  舞
パリ土産携へ二月礼者来る       東京  沼田 有希
弥陀の池かはるがはるに色鳥来     神奈川 原田さがみ
理髪師に眉を刈らるる神の留守     兵庫  播广 義春
ひと雨に草木潤ふ日蓮忌        東京  半田けい子
亡き母の手の温もりや柿落葉      東京  保谷 政孝
燕去る日の衰へを知る如く       東京  堀内 清瀬
木守柿峡の暮色を湛へをり       岐阜  堀江 美州
太巻の断面に顔冬うらら        埼玉  夲庄 康代
針供養繕ひ物に尽きるとも       東京  松浦 宗克
境内は映画のロケ地神の留守      東京  松代 展枝
法要に駆け付けて来し野分かな     東京  宮内 孝子
義経を丹精したる菊師かな       神奈川 宮本起代子
銀漢や生ある限り学ぶべく       千葉  無聞  齋
ペンキ塗るだけの足場や神の留守    東京  村上 文惠
なほ奥の山遥かなり十三夜       東京  村田 郁子
深大寺
綿虫の波郷の方へ夕まぐれ       東京  村田 重子
スコップのかたちさまざま冬支度    東京  森 羽久衣
奥能登や怒濤に混じる虎落笛      千葉  森崎 森平
砧の音谷の夜空の細長く        埼玉  森濱 直之
かはらけに色を托して今年酒      愛知  山口 輝久
塩田に栄えし町の末枯るる       東京  山下 美佐
稲雀風に形のあるごとく        東京  山元 正規
漉小屋の細き坂道野菊摘む       神奈川 𠮷田千絵子
天高し玉の男の子を授かりぬ      愛媛  脇  行雲
舟板も加へて余呉の冬囲        東京  渡辺 花穂







       











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

乗り換へて賢治の里に銀河追ふ      伊藤 庄平
宮沢賢治には熱烈なファンがいる。私は『銀河鉄道の夜』には何度か挑戦したけれど、読み通すことができなった。ただし賢治の多岐にわたる才能には瞠目するばかりである。新幹線新花巻駅から在来線に乗り換えると、ふと銀河鉄道に乗っているかのような錯覚を覚えることがある。そのように現実と物語が一体になったようなところが、この句の味わいなのであろう。同時出句の〈父打ちし穴へ釘打つ冬囲〉も、ふるさとや係累への思いが籠った佳品。 

 

 にぎやかな家にはきつと小鳥来る     渡辺 志水
愉快な句だ。確かに陰気な家は小鳥も敬遠してしまうかもしれない。「気」というものは動物にも植物にさえ伝わるもののようである。人を優しく包んでくれる句だ。 


猪屠る村長選の祝宴へ          橋野 幸彦
「猪」は秋の季語で、例句を見ると「猪吊る」「猪を割く」「猪肉」なども秋である。ところが「猪狩」「猪撃つ」「猪鍋」は冬であるから、境目がよく解らない。それはさておき、句は村長選の当選祝の馳走に猪をつぶしたという。豪快である。焼肉にするのか、鍋にするのか……ともかくうまそうだ。村の様子まで想像できる楽しい句となった。

菊日和矜恃の高さごとの華        守屋  明
桜とは違った意味で、菊も日本を代表する花といえよう。皇室の紋章でもある。特徴はやはり気品の高さと香気、ということになろうか。この句はそこを詠み取っている。背の高い花も低い花も各々が矜恃を持って咲いている、というところに菊という花の本意をしっかりと捉えているのだ。 


よく見れば隙間だらけの風囲       伊藤 政三
風囲も雪囲も確かに荒っぽい作りのものが多いようだ。大工さんに頼むわけではなく、大抵は素人仕事であるから当然である。要は頑丈なだけが取柄であるところをよく観察しているのである。 

日差し受けなほ日陰めく花八つ手     今井  麦
八手の花をよく見抜いた句であると思う。目には付くけれど全く華やかさの無い花であるところを「日陰めく」と捉えたのは鋭い感性である。他の花では生きてこない措辞であり、この花の本意を突いているのだ。一物仕立ての佳品。 

幼稚園木の実でつくる動物園       田中 敬子
散歩で拾った木の実や松ぼっくりなどを組み合わせて動物を作る。幼稚園の遊びだけれど、命のもとを使って想像力を養うというなかなかよい教育である。この句は動物ではなく「動物園(・)」と言ったところが眼目で、様々な動物が出来ていくところが楽しいのである。 

  

星屑も仕込みに入れてましら酒      小田島 渚 
「猿酒」とも言う。猿が木の実を蓄えていた木の洞などに雨や露が貯まり自然発酵したという酒である。現実に有るかどうか解らないが、半ば空想的なこうした季語は俳人の想像力を掻き立てるのである。更に想像力を増幅させたのがこのような句で、「星屑も入れて」と詩に昇華していくのだ。 

  

三山の頭を残し冬霞           畔柳 海村 
 ここで言う三山は奈良にある大和三山であろう。東北にも出羽三山があるが、山の標高が極端に違い、この句のような現象をみるのは難しい。大和三山は同じ位の高さの低山なので、霞の上に均等に頭を顕わす様子が一望できるのである。「頭を残し」の表現が少し滑稽さを滲ませた俳諧味で、その上で格調を保った端正な句である。  

ただいまとおかへり同時花八つ手     朽木  直
一昔前の長屋住宅などを思い出す。玄関横や厠の前などに八つ手の花があったものだ。句は話し言葉を並べ、それが「同時」と言い、つまり極めて小さな家であることを暗示しているのである。昭和30年位の頃の生活感である。 


その他印象深かった句を次に

木の実降れ木登りできぬもののため    大溝 妙子
栗鼠の尾の波打つ速さ木の実落つ     梶山かおり
切り抜きて新聞に窓神の留守       坂口 晴子
跡継も結構な歳穭に穂          中村 湖童
鳥渡る島の欠けらに憩ひつつ       山田  礁












               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
大原女の声が先なる冬霞        神奈川  中野 堯司
父の背の記憶ばかりや酉の市      神奈川  栗林ひろゑ
子規子規と子規を呼び捨て子規祀る   広島   長谷川明子
風の子のかくれんぼする風囲      千葉   白井 飛露
ままごとも冬支度する幼かな      神奈川  星野かづよ
冬に入る老いは骨から目玉から     埼玉   萩原 陽里
碁石挟む指の乾きや冬に入る      東京   福永 新祇
空席に気配感ずる神の旅        東京   辻本 芙紗
樟脳の香を解きつつ冬支度       神奈川  有賀  理
熱燗や愚痴に耳貸す夫居らず      神奈川  小坂 誠子
かくれし児すぐに見つかる秋桜     埼玉   大木 邦絵
勢子の綱巻かれしままに鹿の逃ぐ    大阪   辻本 理恵
原爆図見た目を焼いて冬夕焼      東京   岡本 同世
子規庵に垂るる糸瓜の図太さよ     静岡   金井 硯児
猪鍋を有終として秩父辞す       埼玉   小野 岩雄

堂に満つ法華経の渦冬めける      埼玉   今村 昌史
ピッケルもアイゼンも研ぎ冬支度    東京   上村健太郎
夕さりの読経忙しき秋遍路       群馬   佐藤 栄子
寒の朝渕のうねりの重き利根      群馬   鈴木踏青子
暮の秋あれこれ着ては衣の海      東京   田岡美也子
洗はれて目覚める力茎の石       東京   田中 道
角伐や五人がかりで組み伏せて     神奈川  萩野 清司
魚跳ぬる釣瓶落しの湖国かな      京都   三井 康有
鬼灯を鳴らせぬままに街に住む     東京   保田 貴子

     



星雲集作品集抄


            伊藤伊那男・選

一抱へ厩舎へ運ぶ今年藁        東京   秋田 正美
木の葉散る酒船石の線刻に       埼玉   秋津  結
谷底の落葉に埋る家二軒        神奈川  秋元 孝之
人の手の温もりや雁わたるころ     東京   浅見 雅江
茶の花の白をよごせし花蕊の黄     愛媛   安藤 向山
稲架の列遠くに富士の動かざる     東京   井川  敏
秋空を丸く切り取るヘリポート     東京   生田  武
子の探す先に浮かべる鳰        東京   伊藤 真紀
小倉山枝に残りし柿のへた       神奈川  伊藤やすを
好日に子等ももどりぬ秋の里      愛媛   岩本 青山
あらたふと箒のあとや萩のてら     愛媛   内田 敏昭
行きは引き帰途は引かるる七五三    長野   浦野 洋一
みぞそばの小花に雨の玉のせて     群馬   岡村妃呂子
天窓のある家に住み秋の雲       京都   小沢 銈三
小さくも蕊淡からず帰り花       静岡   小野 無道
御供への木の葉に化くる祠かな     神奈川   上條 雅代
遠富士を二分にしたる冬霞       東京   亀田 正則
 伊那部宿
末枯の宿場古道に水の霊        長野   唐沢 冬朱
波頭砕けて散つて冬ざるる       神奈川  河村  啓
摩周湖や雪の風巻(しまく)見え隠る       愛知   北浦 正弘
色変へぬ松や本牧岬跡         神奈川  北爪 鳥閑
先づは子の服買ひにゆく冬支度     東京   北原美枝子
手水舎に袂濡らしぬ七五三       東京   久保園和美
松手入落つる枝先なほ青し       愛知   黒岩 宏行
茶の花やここは特攻基地の跡      東京   黒田イツ子
岩陰に沈思黙考海鼠かな        神奈川  小池 天牛  
日の神の宮居の岩に初冬の日      群馬   小林 尊子
一村を知り尽したる捨て案山子     宮城   齊藤 克之
縁側に踏場なきほど大根干す      神奈川  阪井 忠太
夜咄に知らず知らずの前のめり     長野   桜井美津江
大浅間涅槃像めき冬に入る       東京   佐々木終吉
手首から目覚むる朝や冬来たる     群馬   佐藤かずえ
振り返る大輪に咲く冬花火       群馬   佐藤さゆり
色変へぬ松へまつはる風の色      東京   島谷  操
おしろいや呼び止められて立ち話    東京   清水美保子
故郷の便り猪出たと言ふ        埼玉   志村  昌
諳んじる晶子歌集や銀杏散る      神奈川  白井八十八
朔風の騒ぐ柏葉青きまま        東京   須﨑 武雄
高潮やカフェまで届く砂のつぶ     愛知   住山 春人
暮早しからくり踊る人形町       埼玉   園部 恵夏
名月や虎となる身を案じをり      山形   髙岡  恵
冬浅しそなへの薪を積みしまま     東京   髙城 愉楽
終らない子の立ち話いわし雲      福島   髙橋 双葉
立冬や朝刊配るバイク音        埼玉   武井 康弘
祖母背負ふねんねこの子の眠りをり   広島   竹本 治美
葉を抜きて形整ふ松手入        三重   竹本 吉弘
夜食摂る深夜ラジオの低き声      神奈川  田嶋 壺中
破れ芭蕉雨の三日に錆を増す      東京   立崎ひかり
秋晴や吸ひこまれ行くホームラン    神奈川  多丸 朝子
少し遠くに歩きたくなる秋の朝     東京   手嶋 惠子
頭は先へ尾は身を進め鮭のぼる     東京   豊田 知子
木枯し来江の島の灯の瞬けり      神奈川  長濱 泰子
ふいに立つ名もなき猫と色なき風    大阪   永山 憂仔
爪切りの音の乾きや秋の暮       東京   橋本  泰
七五三長子は長子の歩みもち      東京   長谷川千何子
玄帝と人界を割く山境         長野   蜂谷  敦
猪撃ちの裾分け肉の赤さかな      神奈川  花上 佐都
絵はがきに迷ひ込むごと黄落期     長野   馬場みち子
そぞろ寒足の先より身の内へ      神奈川  福田  泉
色鳥の色洗はれて雨上る        東京   福原 紀子
後継ぎの鋏一途や松手入        東京   星野 淑子
失せものの届きてをりぬ神の留守    神奈川  堀  英一
木犀の星降る中を出棺す        東京   牧野 睦子
変りなく柏手打つや神無月       神奈川  松尾 守人
覚えなき打身の跡やそぞろ寒      愛知   松下美代子
モーターの泥を沸かして蓮根掘る    東京   宮田 絹枝
鈴虫の息の証の動く髭         広島   村上 静子
後の無き老を重ねし暮の冬       東京   八木 八龍
にほひたつ土の温もり春きざす     東京   家治 祥夫
靴底に海砂残し休暇明         東京   山口 一滴
焼芋の匂ひを包む新聞紙        群馬   山﨑ちづ子
色鳥来欠けたるままの道標       東京   山田  茜  
空つぽの南瓜が笑ふハロウイーン    神奈川  山田 丹晴
口聞かぬ娘は部屋へ木の葉散る     静岡   山室 樹一
さくさくと追憶の霜柱踏む       高知   山本 吉兆
火の山も今朝は裾まで雪化粧      群馬   横沢 宇内
葉裏まで光やさしき冬紅葉       神奈川  横地 三旦
挨拶を交はす道端冬めきて       千葉   吉田 正克
花八手路地の角より下駄の音      神奈川  渡邊 憲二
二人用ベンチに一人日向ぼこ      東京   渡辺 誠子
日向ぼこ最年長を中央に        東京   渡辺 文子







           
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星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男


大原女の声が先なる冬霞         中野 堯司

大原は清盛の娘で安徳天皇の母堂、建礼門院の隠棲の地。側近の阿波の内侍などが手遊びに作ったのが柴漬だという説がある。その後独得の衣装で大原の女性が野菜や木工品を頭に載せて京の町へ売り歩いて現在に名を残した。大原はデュークエイセスの歌「京都大原三千院/恋に疲れた女が一人‥‥」の爆発的ヒットで京都でも有数の観光名所となった。さてこの句、その山里の様子を捉えて出色。あたかも大原から霞を連れて京の町へ降りてきたような描写である。「声が先なる」の措辞が手柄。他に〈訪ふ虫も密やかなりし花八手〉は観察の目が効いており、〈恙なき日々のたづきや花茶垣〉はしみじみとした味わい。 

子規子規と子規を呼び捨て子規祀る    長谷川明子

我々も「子規」とだけ言って尊称は付けない。歴史上の人物に対してはそれでよいことになっている。奈良に子規の血縁者の正岡明さんがいる。子規の母八重の出た加藤家の一人を律の養子にして正岡家の名を残しているのであるが、この人の前では「子規」と呼び捨てにするのは躊躇いがある。さて掲出句は「子規」が四回も出てくるところが面白い。ずっと呼捨てにしてきて、最後に「祀る」としたところがうまいのである。俳句の先達に対する深い敬意で最後を締めたところが手柄といえよう。
 

ままごとも冬支度する幼かな       星野かづよ
作者は子育て真最中の方。母親の様子を見ていて、ままごとの子供も冬支度をしているようなのである。人形の服を冬物に着替えさせたり、靴下を穿かせたりしているのかもしれない。「冬支度」の季語をこのような見地から詠んだ句は初見である。子育ての良い記録を残したのである。
 

碁石挟む指の乾きや冬に入る       福永 新祇
私は碁には縁が無かったが、この感覚はよく解る。石の温度や湿度で微妙な季節の移り変りが解るのであろう。指先でそれを知る、というところがいい。同時出句の〈辿り着く木の実だまりの停留所〉も童話的な仕立てで郷愁を誘われた。 

空席に気配感ずる神の旅         辻本 芙紗
神の旅を身近な現代風景に持ってきたところがいい。電車でも飛行機でもよいのだが、ぽつんと空いている席は、もしかしたら出雲へ向う神の座席であるのかもしれない、と感じたのである。これが俳句的感性で、この作者の成長を実感する。同時出句の〈一歩でも明るき方へ冬蝗〉なども冬蝗の生態をよく捉えており、一物仕立てで、人間界へも想像が及ぶ寓意も含んでいるようである。
 

樟脳の香を解きつつ冬支度        有賀  理
「香を解きつつ」が何ともうまいところだ。冬物を取り出す度に、濃く淡く樟脳が匂い、次第に薄れていく様子をしっかりと捉えているのである。同時出句の〈ニュートンもジョブズも林檎丸齧り〉はユニークである。林檎の落下を見て引力を知ったニュートンと、アップルの創始者ジョブズを合わせた面白さで、発想の柔軟さを評価したい。
 

勢子の綱巻かれしままに鹿の逃ぐ     辻本 理恵
奈良の春の行事、鹿の角伐の一景である。荒々しい牡鹿の抵抗する様子を活写している。同時出句の〈角伐の枕に預く鹿の頸〉〈勢子の背角伐の鹿飛び越えし〉も各々臨場感を持った連作である。私は一つの行事を執拗に詠むことが俳句上達の要諦であると思っており、このような作句態度を歓迎する。 

子規庵に垂るる糸瓜の図太さよ      金井 硯児
現在の子規庵の糸瓜棚を皆が見て、皆が俳句に詠んでいる。だが「図太さよ」と言い切った句は無かったであろう。子規は三十六歳で死んだけれど、何と沢山の仕事をしたことか。また俳句と短歌の歴史をかなり独断的に解釈した。その意味では独善的であり、強い意志を貫いて図太くもあった。そうした子規の生き方を彷彿させる句だ。
 

猪鍋を有終として秩父辞す        小野 岩雄
猪鍋に配して「有終」という大袈裟な表現が愉快である。冬の秩父の旅は猪鍋を喰ってこそ!「秩父辞す」などという所も、堅苦しい中に意図せざるおかしみが滲むのである。
 
その他印象深かった句を次に。

角伐りや五人がかりで組み伏せて     萩野 清司
洗はれて目覚める力茎の石        田中  道
暮の秋あれこれ着ては衣の海       田岡美也子
寒の朝渕のうねりの重き利根       鈴木踏青子
ピッケルもアイゼンも研ぎ冬支度     上村健太郎
堂に満つ法華経の渦冬めける       今村 昌史
夕さりの読経忙しき秋遍路        佐藤 栄子
鬼灯を鳴らせぬままに街に住む      保田 貴子
魚跳ぬる釣瓶落しの湖国かな       三井 康有


















伊那男俳句  


    
伊那男俳句 自句自解(26)
  
蟇穴を出てまぐはひに加はれり

 私の記憶では信州では蟇を見ることはなかった。気候の違いであろうか。東京で杉並区に小さな家を求めて住んだが、その庭には毎年蟇が出てきた。猫の額のような庭の一体どこに潜んでいたのであろうか、と不思議に思ったものだが、時々玄関に続く飛石にうずくまっていて、夜中に帰宅したときなど危うく踏みそうになったりしたものだ。3月頃に冬眠から覚めて地上に姿を見せる。あとから知ったことだが、その頃生殖活動を行い、再び冬眠に戻り、初夏にまた顔を出すのだという。なかなか呑気な生活である。このようなことから「蟇穴を出づ」とは春の季語、「蟇」は夏の季語ということになる。動きや面構えはユーモラスでもあり、また孤高の雰囲気もあり、俳人好みの動物ということになろう。余談だが、当時私が住んでいた家は次女に譲り、その折、庭のかなりの部分をバルコニーにし、通路には砂利を敷いてしまったので、蟇の居場所は無くなってしまったのではないか。
  
苗代寒勿来関を越えてより

 勿来関は丁度茨城県と福島県の境で、ここを越えると「みちのく」ということになる。JR勿来駅から少し山側に歩くと勿来関跡が公園になっている。確定的にこの地点であったかは不明だが、この近辺であったことは確かであろう。念珠関(山形県旧温海町)、白河関(福島県白河市)と共に古代の陸奥三関の一つである。「勿来」とは「夷人来(・)る勿(・)れ」からきている関名である。現在は盤水先生の故郷いわき市に属す。いわき市は東北地方とはいえ、沿岸を黒潮が流れているためか、冬でも比較的温暖で、日照時間も長い。盤水先生の明るさやおおらかさも、その地勢からきているのではないかと私は思っている。そのいわき市を越えて山形、宮城へ入るにつれて陸奥の雰囲気が濃厚になっていくのである。そのようなところを「苗代寒」の季語で詠んだつもりである。松尾芭蕉が『おくのほそ道』の白河で詠んだ〈風流の初めや奥の田植うた〉に影響を受けていたのかもしれない。
  
雪嶺に声を飛ばして達磨売
 











  
   


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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銀漢亭日録

伊藤伊那男

11月

 11月16日(木)
竹内洋平さん夫妻と俳句仲間6人、吟行のあと。真砂年さん。「銀漢句会」あと13人。本日ボジョレーヌーボー解禁日。

 11月17日(金)
発行所「蔦句会」あと店へ7人。ORIX時代の部下3人。新入社員だった若者が還暦になるという。対馬康子さん。

11月18日(土)
「纏句会」。私の都合で開催日を変更したこともあり、九人と淋しい。しかも私は句会のあと退席にて店に申し訳なし。17時15分、荒木町、ふぐの「しほ瀬」にて三笠書房の押鐘会長の接待受ける。小野寺清人、森崎森平さんと。この店、2年振りか。白子焼、唐揚、鉄皿、煮こごり、鍋と……。鰭酒の焼き具合が何とも良く、次酒3回も。あと行き当たりばったりで昭和の名残のようなスナックでウイスキー、カラオケと楽しむ。帰路、新宿でちょっと飲んでしまう。

 11月19日(日)
終日家。「銀漢」1月号の文章など。夜、家族揃ったので牡蠣、鱈の鍋。某氏に戴いた甲州の煮貝など。

11月20日(月)
店、国会議員のT先生。ボジョレーヌーボー2本、皆に振舞ってくれる。「演劇人句会」の12人。三輪初子さん食料醸界新聞社の井上社長と。新同人の竹内洋平さん句集『f(飾り文字)字孔』届く。

 11月21日(火)
あ・ん・ど・うクリニック。降圧剤、インフルエンザ予防接種。店、「閏句会」七人。屋内松山さんと「天穹」の方々5人。

11月22日(水)
超閑散。「三水会(高校同期の会)」3人。20時半、閉めて井蛙、展枝さんと「ふくの鳥」。

 11月23(木)
勤労感謝の日。13時、杉並会館マツヤサロンにて中島八起さんの句集『青葉木菟』出版記念会。昔の山仲間も5人集まり懐かしい。あと荻窪駅前にて二次会。別れて久々の荻窪にてラーメンの「春木屋」「丸福」と廻る。私の若い頃一世を風靡した店。今は待たずに入れる。嗜好の変化であろうか。味は同じなのだが……。それにしても宴会、二次会のあとラーメン2杯は……。滅多に無い機会だからと言っても何とも欲深いことである。

11月24(金)
「白熱句会」。小山徳夫、藤田直子、佐怒賀正美、井上弘美、水内慶太、久々、小暮陶句郎さん。米国から青柳飛さん(米国俳句協会会長)来て、「天為」の方々も。若手の黒岩徳将、仙台の浅川君、魔王さんなど。「金星句会」あと7人。環順子さん。

 11月25日(土)
東京発9時8分「こまち」にて東北へ。途中から車窓は雪。大曲から奥羽線にて十文字駅。増田町の日の丸醸造(「まんさくの花」)訪問。池田のりをさんの案内で超結社の10数名。内蔵のある町を散策。佐藤又七家と山吉肥料店を見学す。かなりの財産と文化の高さがあった町であることが解る。雪降りしきる。「上畑温泉さわらび」に投宿。夕食後、五句出し句会。ずっと「まんさくの花」を飲み続ける。あと部屋にて袋廻し。10数句を作り、へとへと。

 11月26日(日)
温泉。8時発。日の丸醸造へ。佐藤社長の案内で酒蔵の作業を拝見する。内蔵の座敷をお借りして句会。部屋中に漆をふんだんに使った贅沢な蔵。3句出し句会。買い物などをして13時、稲庭うどんの「佐藤養助商店」。皆、飲むわ。十文字駅発の電車に読み違いあり、タクシーで大曲へ。新幹線間に合う。車中ずっと尻取り句会をしながら飲むわ飲むわ! 帰宅すると桃子、足首二カ所骨折と。

 11月27日(月)
桃子夜中に接骨の治療受ける。子供達のお弁当を作って送り出す。店、特に予約など無かったが、昨日の秋田吟行メンバーなど集まる。真砂年さん、新海あぐりさん。22時閉めて帰宅。桃子、当面一階暮らしか。

11月28日(火)
「萩句会」選句へ。超閑散。数人の客去ったあと20時半閉める。久々の早退けにて新宿でちょっと飲む。20年振り位か。「新高揚」のつけ麺も。

 11月29日(水)
店「雛句会」13人。青柳飛さん。展枝さん三越の仕事仲間と。

 11月30日(木)
武田果花句集『手毬』上梓。発送。店、太田うさぎ、天野小石、会わせて百十歳というGOGOパーティー。2人の衣装と化粧が凄い。お祝いに約30人集まる。

12月

 12月1日(金)
11月の店の月次表作成。1月号の原稿追い込み。桃子骨折にて料理手伝う。店「大倉句会」あと17人。ネットで私の事を知ったという俳句希望の方、店を訪ねてきてくれる。

 12月2日(土)
店にて13時半より、「銀漢亭Oh! つごもり句会」。超結社で31人集合。料理、酒など皆さんからの差し入れ多数。五句持ち寄り。あと3句、2句と3回の句会。19時半位か、お開き。幹事の朽木直、戸矢一斗さんを囲んで7人ほどで「ふくの鳥」。帰路、新宿でちょっと……。

12月3(日)
13時より、中野サンプラザにて「春耕同人句会」53人。あと、春耕賞選考委員会。終わって「炙谷」にて忘年会。あと、「赤ひょうたん」に10人程、二次会。帰宅すると中三、中一の孫が二日後試験とて歴史、政治などについての質問あり。飲みながら二時間程講義。嬉しい時間である。

 12月4(月)
宮澤は指宿。羽生善治さんの竜王戦撮影へ。「銀漢」新年号の原稿執筆終了。店、超閑散。

12月5日(火)
今日も超閑散。国会議員のT先生見えてゆっくり話。21時閉める。

12月6日(水)
「春耕賞」選後評。伊那北高校同窓誌に4句送る。「宙句会」あと15人ほど忘年会。「きさらぎ句会」あと八人忘年会。

12月7日(木)
ヘアメイクの中川さん来てくれて散髪。店、秋元孝之氏が復本一郎先生の「鬼」の大田勝行氏と。私の本を読んでくれている。「十六夜句会」あと15人など。

12月8日(金)
環順子さん職場仲間の女子会八名。

12月9日(土)
風邪気味。10時、運営委員会。13時より「銀漢本部句会」60人。あと忘年会。30数名。あと杉阪氏と「大金星」にて久々、積もる話。

 12月10日(日)
10時前、家を出て野菜類など買って店へ納める。アメ横にて数の子、するめを買い、伊那の従兄弟に送る。12時、浅草、「三浦屋」。久々、盤水先生のご長男、皆川丈人、甥の文弘さんをお招きして忘年会。当方、禪次、井蛙。あと浅草ビューホテルで一杯。あと文弘さんの知る「水口食堂」で「カツ丼のアタマ」などで酒。私の知るラーメンの「あづま」へ行くと火災で閉店。違う店でラーメン……。

12月11日(月)
店、「閏句会」九人。奈良の畑中君の友人2人。梅田津、峯尾文世さんの「銀化」グループ4人など。

 12月12日(火)
「火の会」10人。先般訪問した秋田県増田町の日の丸醸造に礼状と『銀漢亭こぼれ噺』を送ったが、佐藤譲治社長、仕込み時期なのに読んで下さり、便りと新酒「槽しずく」を送って下さる。社長は慶応同期。三井信託に26年勤めたと。

 12月13日(水)
「梶の葉句会」選句。あと店へ10人、忘年会。18時過ぎ、「山廬」を守る飯田秀實さんを志村昌さんがお連れする。清人さんがもてなしの生牡蠣など。山廬でもてなしを受けた松山、真砂年、大和、花果さん他10人程が集まる。

12月14日(木)
「極句会」の忘年闇鍋句会。10数名。各自色々と持ち寄り。特に秋葉男さんの鮪が大好評。寿司も握ってくれる。

 12月15日(金)
「蔦句会」あと七人。そのあと「金星句会」終って5人。たまたま来た客が三菱商事時代の山下美佐さんの部下。武田禪次さんの部下でもあり奇遇。大阪から出張で来てふと寄ったと。

12月16日(土)
午前中、医者。一週間ほど咳込むこと多く、夜中に苦しくて起きることも。相談すると、二週間前に増やした隆圧剤が人によって空咳を伴うことがあり、すぐに薬を変えようと。一週間、風邪薬を飲んでいたが何だったのか。13時、横浜桜木町駅、30人ほど集合「横浜忘年吟行句会」。長崎から坂口晴子さんも。伊勢山皇大神宮、成田山横浜別院、野毛山動物園を吟行。中華街「梅蘭酒家」にて三句出し句会と忘年会。あと有志で馬さんの店。馬さん、今年のお盆の頃95歳で逝去と。












         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2018年2月25日撮影   黄梅  TOKYO/HAHIOJI





花言葉  「控えめな美」「期待」「恩恵」

 △黄梅
オウバイはジャスミンの仲間で、中国から江戸時代初期に渡来し、別名のゲイシュンカ(迎春花)は漢名で、中国のお正月明けに花が咲き始めることから呼ばれています。



雪の花 臘梅 白梅 仏の座 犬ふぐり  
 
馬酔木 黄梅  

写真は4~5日間隔で掲載しています。 



2018/2/26 更新



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