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 4月号  2018年



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伊藤伊那男作品

主宰の八句












        
             


今月の目次









銀漢俳句会/4月号















  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎短歌と俳句──死をめぐって──

 1月某日に某俳句結社の記念祝賀会があり、祝宴の前に歌人の永田和宏さんの記念講演会があるというので早めに会場を訪ねた。短歌と俳句は近くて遠いものがあり、関心が薄いままで今日まできたが、ふとこの機会に歌人の話を聞いてみたいと思ったのである。
 演題は「ことばの力──歌で思いを伝える」というもので、その話の中の永田さんの奥様である歌人、河野裕子さんを癌で失う直前の歌のやりとりに心を打たれた。
 河野裕子さんの最期の頃の歌
   長生きして欲しいと誰彼数へつつつひにはあなたひとりを数ふ
   手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
 一方永田和宏さんの歌は
   一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
   歌は遺り歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る
 河野さんの「息が足りないこの世の息が」、永田さんの「いつか来る日のいつかを怖る」──が絶唱である。短歌というのはこの、五七五のあとの「七七」が大事で、ここに多くの場合感情の表出がある。
 ところが俳句にはその「七七」が無い。七七の替りに「季語」と「物」を配して、その二つの組合せ、配合の中から七七に相当する部分を語るしか無いのである。いくつかそうした句を挙げてみると、
   
たましひのたとへば秋のほたるかな  飯田 蛇笏

  
()の実のごとき(ほぞ)もちき死なしめき  森  澄雄

 蛇笏の句は芥川龍之介の自死を悼んだもので、たましひと蛍に思いを託して、激しい感情の吐露は無い。澄雄の句は死の直後なのに、たとえば葬式の席で、他人の動作におかしさを覚えてしまうような傍観者的な目、客観視する姿勢がある。丁度その日は私の亡妻の十三回忌当日であったので僭越ながら私の句をいくつか紹介する。
   
妻と会ふためのまなぶた日向ぼこ   伊藤伊那男
かの日より香水減らず妻の部屋
盆用意妻の残しし犬洗ひ

「まなぶた」「香水」「犬」などに悲しみを仮託したが、短歌と較べるとやはり客観的に「死」を見ているようだ。「おいおい、もっと泣けよ」と言われそうだが、俳句はそういう形式の詩である。悲しみの中にどこか滑稽感がある。短歌の講演を聞きながら、俳句との違いを実感したのであった。(平成30年銀漢俳句会年次総会 小講演より)











 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 
一日光る伊達の桑折(こおり)の苗代田     皆川盤水

俳句には作者の名前という前書きがあるというのが私の持論である。この句にある「伊達の桑折」は盤水先生の父祖の地である。仙台伊達藩の発祥の地でもある。先生のご先祖は半田銀山の鉱山守りであったという。五代友厚が力を入れたこの銀山は大規模な地すべりが発生し、先生のご祖父はいわきに出て常磐炭鉱の技師を務めたのである。その故地であることを思うと「一日光る」には特別な思いが籠められていることが解るのである。
                                (昭和45年作『銀山』所収)                             










  
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選

み吉野の魚氷に上り贅の皿         飯田眞理子
京島の路地消えゆくや枇杷の花       塚本 一夫
寒卵善根宿の朝食に            夲庄 康代
ひらがなの飛んで行きたる歌留多会     島  織布
入つたはいいが出られぬ大縄飛       白井 飛露
六道の辻の念仏年送る           武田 禪次
ぽつぺんの存外硬き音なりけり       宮本起代子
袂庇ひ使ふ御手洗初詣           堀内 清瀬
暗渠にも橋の名残り冬うらら        福永 新祇
風呂敷を解き熊手を納めけり        三代川次郎
雪囲釘の頭のひかりけり          坂口 晴子
鋲穴を探して吊す初暦           伊東  岬
恋知らぬ孫に取らるる恋かるた       鏡山千恵子
畦草の轍のままに霜枯るる         坪井 研治
乾物も尽きさうこれも春窮と        桂  信子
七草粥ひろごりて胃のかたちかな      こしだまほ
風の子の今宵神の子聖夜劇         伊藤 庄平
重なれる的の矢音の淑気かな        池田 桐人
どんど火の爆ぜてあらはに夜の浅間     柴山つぐ子
寒靄に沈む吉野の蔵王堂          武田 花果




       








彗星集 選評 伊藤伊那男


み吉野の魚氷に上り贅の皿        飯田眞理子
歳時記を開くと「国栖奏(くずそう)」は宮中での節会の一場面として「元日節会」の副季語として掲載されている。さてこの句は多分その節会の元となった、吉野の国栖浄見原神社で旧正月十四日に奉納される「国栖奏」の一景であろう。小さな神社の下に川が流れており、その川の魚が供物にされると聞くが、それを「魚氷に上り」と捉えたところが出色である。まさに新春の行事を捉えて新鮮である。 

京島の路地消えゆくや枇杷の花      塚本 一夫
確か水上勉の『飢餓海峡』の舞台の一つであった「鳩の町」という青線は京島の一角ではなかったか、と思う。永井荷風や滝田ゆうの作品の舞台「玉ノ井」も近いが、東京スカイツリーの開業で周辺は様変りとなった。昭和三十三年で色街はなくなったが、迷路のような路地は残っていた。これらもここにきて区画整理や建て替えが急速に進んで、様変りの風景、枇杷の花の季語が過去の象徴のように配合されているのが味わいである。 

寒卵善根宿の朝食に           夲庄 康代
 「善根宿」などと聞くと、それだけでとってしまいそうになる。四国八十八ケ所の観音を巡る遍路を無償で泊める奉仕の宿である。その朝食に寒卵が供されたという。まさに善意が「寒卵」に象徴されているように見えてくる。遍路は普通春から始まるものであるが、最近では通年遍路で賑わっているようだ。

ひらがなの飛んで行きたる歌留多会    島  織布
 百人一首をはじめとする歌留多は平仮名書きが多い。和歌であるから当然であるし、子供用のものなどは勿論のことである。この句は歌留多会の模様であろう。一文字読んだだけでも手が伸びて札を跳ね飛ばして取る。そのことを「ひらがなの飛んで行きたる」と捉えたのは出色。歌留多会の緊張感の実況中継である。

入つたはいいが出られぬ大縄飛      白井 飛露
 子供の頃の遊びを思い出す。まだ舗装されていない道路は、ほとんど車が通ることもなく、子供達の遊び場であった。土埃を立てながら縄飛もしたものだ。五六人で遊ぶ時は呼吸を整えて一人ずつ輪の中に入り、折を見て抜け出す。入るのも難しいが、抜け出るのも大変であった。そんな様子を面白く伝えた句である。
 
六道の辻の念仏年送る          武田 禪次
 京都の六波羅蜜寺の一景であろうか。このあたりは鳥辺野も近く、幽明界の境目であった。まさに六道の辻である。念仏を称える空也上人像があり、実際に空也念仏の実演もある。「年送る」の季語の斡旋が決め手。

ぽつぺんの存外硬き音なりけり      宮本起代子
 言われてみればなるほど。「存外」の措辞のうまさ。
 
袂庇ひ使ふ御手洗初詣          堀内 清瀬
 晴着の初詣の様子をきちんと詠み取った。

暗渠にも橋の名残り冬うらら       福永 新祇
 変貌する都市の一景。名前が残っている嬉しさ。

風呂敷を解き熊手を納めけり       三代川次郎
 散文的ではあるが「風呂敷を解き」の丁寧さがいい。

雪囲釘の頭のひかりけり         坂口 晴子
細かい所に目の行き届いた句。確かに釘は新しいのだ。 

鋲穴を探して吊す初暦          伊東  岬
 年が改まっても、また同じ位置を探す連続性がいい。

恋知らぬ孫に取らるる恋かるた      鏡山千恵子
 取られても孫の成長は嬉しい。少しの心配も混じる。
 
畦草の轍のままに霜枯るる        坪井 研治
 写生句の典型といっていい。しっかり詠み取った。
 
乾物も尽きさうこれも春窮と       桂  信子
 この季語の句を初めて見た。珍しい着目の句だ。 

七草粥ひろごりて胃のかたちかな     こしだまほ
奇抜な発想。胃にやさしそうである。 

風の子の今宵神の子聖夜劇        伊藤 庄平
「子」のリフレインを用いて昨日と違う子を描いた。 

重なれる的の矢音の淑気かな       池田 桐人
「重なれる」「矢音」に弥が上にも高まる淑気である。 

どんど火の爆ぜてあらはに夜の浅間    柴山つぐ子
浅間山の大きな裾野の鮮烈な色彩のコントラスト。 

寒靄に沈む吉野の蔵王堂         武田 花果
寒靄の季語の斡旋に吉野の山の深さが捉えられている。 
 







      

  












銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

臘梅の香に礼節のやうなもの     東京   飯田眞理子
葱汁や妻と他郷に暮し慣れ      静岡   唐沢 静男
お手付きで揉める幼の歌留多取り   群馬   柴山つぐ子
漆黒を瑞兆として初鴉        東京   杉阪 大和
西行の山より谺年惜しむ       東京   武田 花果
吉野山
奥駈の始まる道や霜日和       東京   武田 禪次
それぞれの母語にて交はす御慶かな  カナダ  多田 美記
寒ざらひ三筋の糸を責め立てて    東京   谷岡 健彦
指させば其処より消ゆる冬の虹    神奈川  谷口いづみ
隠れんぼ冬木の影になりきつて    愛知   萩原 空木
父在すごとくに並び四方拝      東京   久重 凜子
氷柱落つ星の毀るる音をたて     東京   堀切 克洋
鎌鼬父は越後の出を誇る       東京   松川 洋酔
知恵浅き身をふくろふに見つめらる  東京   三代川次郎


















   
   













綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

詰め合うて濁世はぬくし春炬燵    東京   桂  信子
年木樵に道を尋ねて吉野入      埼玉   大野田井蛙
寒風が玉座の下を吉野建       東京   畔柳 海村
南朝を俄か贔屓に葛湯吹く      東京   武井まゆみ
冬ざるる西行庵の無一物       東京   大溝 妙子
山眠る昔遊びし裏山も        長野   三溝 恵子
子沢山のマトリョーシカの冬館    東京   白濱 武子
楪や子へ託したるメスひとつ     東京   竹内 洋平
嫁が君まねき猫から招かれて     長野   高橋 初風
臘梅は彼の日の匂阪神忌       東京   中野 智子
大北風や剝がされさうな影法師    東京   半田けい子
嶋つ児の縄飛の縄もやひ綱      神奈川  伊東  岬
母の手の咲かせるやうに毛糸編む   東京   飯田 子貢
雪礫老いても子には従はず      神奈川  大野 里詩
落し物の行方凩しか知らず      宮城   小田島 渚
夫の亡き歳月疾し初鏡        東京   我部 敬子
割烹着に残るぬくみも初昔      神奈川  久坂衣里子
大阪は父のふるさとくぢら鍋     東京   橋野 幸彦
狛犬の口中の朱初詣         東京   田中 敬子
案の定天下分け目で雪景色      東京   朽木  直

煮凝に亡夫の笑顔重なりぬ      東京   相田 惠子
初日記感謝の二文字記しけり     宮城   有賀 稲香
地鎮祭葉竹も祝ふ虎落笛       東京   有澤 志峯
両の手の鈴を惜しまず初神楽     埼玉   池田 桐人
加はるも去るも一会の焚火の輪    埼玉   伊藤 庄平
初鶏に開く未来の関ならむ      東京   伊藤 政三
松の間の松の絵襖瑞巌寺       東京   今井  麦
雀見上ぐる大年の精米機       東京   上田  裕
一本のための千本寒稽古       東京   宇志やまと
よき目覚め水仙の香に起こされて   埼玉   梅沢 フミ
佳き声で争うてをり初雀       埼玉   大澤 静子
残り火の色をどこかに枯野原     東京   大沼まり子
きびきびと商ひの間を賀詞申す    東京   大山かげもと
新聞の切り抜きの穴漱石忌      東京   小川 夏葉
縄飛びのズボン段段ずり落ちる    埼玉   小野寺清人
朝刊を捲る音にもけさの春      神奈川  鏡山千恵子
初声の高く木の国一の宮       和歌山  笠原 祐子
中華街ポインセチアの朱も加へ    東京   梶山かおり
初雪の蝶の形に溶けてゆく      愛媛   片山 一行
人肌の湯たんぽの湯で洗ふ顔     長野   加藤 恵介
水仙のちから鉢裂く膨れやう     高知   神村むつ代
獅子舞の御神酒賜りまた猛る     東京   川島秋葉男
地吹雪の歯牙を飛ばせて嚙みにくる  長野   北澤 一伯
冬木の芽絵馬はそれぞれ屋根を持ち  東京   柊原 洋征
音ほどは冬の花火の上がらずに    東京   小泉 良子
吉野山歩き尽して年詰まる      神奈川  こしだまほ
名に恥じぬ長き鳴き声息長鳥(しながどり)     東京   小林 雅子
大仏の耳の裏より煤払ふ       東京   小山 蓮子
揚ぐるとき顔にかぶさる初国旗    長崎   坂口 晴子
冬鷗湾一望にかげりなし       千葉   佐々木節子
淑気満つ松の蒔絵の硯箱       東京   島  織布
どんど焼終へし熾火に炎また     東京   島谷 高水
東本願寺
煤掃の音の七条通りまで       兵庫   清水佳壽美
凍みる夜の止つたままの古時計    東京   新谷 房子
点描の浮島となる浮寝鳥       大阪   末永理恵子
闇引きつれておんおんと除夜の鐘   静岡   杉本アツ子
臘梅の溶けるがごとく香り来る    東京   鈴木 淳子
蓋裏を走る雫やじぶ煮椀       東京   鈴木てる緒
寒波来る遠き山の端なほさだか    東京   角 佐穂子
鶴の舞ふ色絵の酒器や屠蘇祝ふ    東京   瀬戸 紀恵
鰤一本届きて父の動き出す      神奈川  曽谷 晴子
醍醐寺の天の泪か片時雨       東京   高橋 透水
陵のかたちに添うて冬菜畑      東京   多田 悦子
鴨居より祖母の見下ろす女正月    東京   谷川佐和子
隙間風皿の唐子は楽しげに      東京   塚本 一夫
自分史とといふほどもなき日記買ふ  東京   辻  隆夫
冬暁の後醍醐陵の静寂かな      愛知   津田  卓
年木積む婆の案内で猿石へ      東京   坪井 研治
煮凝に海石のごとき切身あり     埼玉   戸矢 一斗
初詣柏手ばかり褒めらるる      大阪   中島 凌雲
古日記遠くはるかな日の匂ひ     東京   中西 恒雄
大空の満面の笑み深雪晴       東京   中村 孝哲
臘梅や谷戸折り返す郵便夫      茨城   中村 湖童
もしやしてお酒好きかも三が日    東京   中村 貞代
矢唸りと聞きなす風や鴨の陣     埼玉   中村 宗男
暗がりに樽の香若潮迎かな      東京   西原  舞
陽炎をくづして鍬を入れてをり    東京   沼田 有希
山茶花の散るに懸命風なくも     神奈川  原田さがみ
走り根の迫る西行庵冴ゆる      兵庫   播广 義春
いろいろな犬が寄り来る年賀状    東京   保谷 政孝
注連作り終へて藁屑庭に焚く     東京   堀内 清瀬
晩学として買ふ絵筆春星忌      岐阜   堀江 美州
寒晴や飛行機雲の深轍        埼玉   夲庄 康代
壬生寺の大屋根に鳴く雀の子     東京   松浦 宗克
臘梅の壊れさうなる透け加減     東京   松代 展枝
手付かずの新雪泳ぎ郵便夫      東京   宮内 孝子
牡蠣船の仲居播磨屋贔屓らし     神奈川  宮本起代子
妻にゆづるべく追炊きの柚子湯かな  千葉   無聞  齋
六人の長子に生まれ蜜柑剝く     東京   村上 文惠
これぞまあ米寿の顔かな初鏡     東京   村田 郁子
初日の出神の裳裾か砂洲長し     東京   村田 重子
縄飛に掬はれてゐる富士の嶺     東京   森 羽久衣
大縄飛あごで数へて顎で入る     千葉   森崎 森平
冬草の陰を持たざる繁りかな     埼玉   森濱 直之
雪掻いて人住む家となりにけり    長野   守屋  明
根深汁無口な夫に戻りけり      愛知   山口 輝久
煤逃の吉野よき人よく歩き      東京   山下 美佐
山住みの星もて足りる聖夜の灯    群馬   山田  礁
冬かもめ肩から吊す旅鞄       東京   山元 正規
眉月の燦然とあり近松忌       神奈川  𠮷田千絵子
孫の声ころころ弾む初電話      愛媛   脇  行雲
書初や大志込めたる一画目      東京   渡辺 花穂
古釘になじむ小ぶりの注連飾     埼玉   渡辺 志水














       









     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

詰め合うて濁世はぬくし春炬燵      桂  信子 
 個性のある句だ。「濁世」は仏教用語で「濁りけがれた世。末世」。この句で言えば「現世」「娑婆」――人間が現実に生きているこの世ということであろう。そこが「混み合っていて温かい」というのである。「春炬燵」という絶対必要なものでない物に詰め合っている、というところに世相が捉えられている。僧職に関わる作者であるだけに尚更の味わいが深まるのである。同時出句の〈初能の畢人ぬ面に還る面〉は技倆の高い作品。句格としてはこちらの方が上であるかもしれない。演者が被ることによって生命を吹き込まれた能面が、ただの面に戻る。句の中に能面の二面性を詠み分けた出色の句であった。

年木樵に道を尋ねて吉野入        大野田井蛙
寒風が玉座の下を吉野建         畔柳 海村
南朝を俄か贔屓に葛湯吹く        武井まゆみ
冬ざるる西行庵の無一物         大溝 妙子

 年末の煤逃吟行会の収穫である。吉野も奥に住む人々には「年木樵」という季語は今も生きているようだ。何度か通った吉野だからこそ地名が句に馴染んだのである。後醍醐天皇の玉座がある吉水院は崖地に桁を組んで張り出した吉野建。玉座の下を風が吹き抜ける。「寒風」に後醍醐天皇の心情を偲んでいるのであろう。吉野葛はこの地の特産品。蔵王堂を見上げながら葛湯を吹けば皆、俄か贔屓の南朝方になるのであった。奥千本に西行庵がある。もちろん昔のものではないけれど想像のよすがにはなる。世捨人といっても日々のたずきはどうしたのだろうか、と思う。周辺全部がまさに「無一物」であった。つくづく吟行はいい。吟行がいいのは、俳句を頭で作るのではなく、身体で作るからである。

  

山眠る昔遊びし裏山も          三溝 恵子
眠る山をこれほど真近に詠んだ句は珍しいのではないか。団栗を拾ったり、杉鉄砲で遊んだりした山もやはり「眠る」。信濃に住む作者であるからこその嘱目であり、同郷の私には同様の風景が鮮明に浮かび上るのである。幾重にも重なる山襞の一重も「眠る山」である。

子沢山のマトリョーシカの冬館      白濱 武子
ロシアの玩具マトリョーシカは、入れ子式の木製人形。日本のこけしからヒントを得て作られたのだという。この入れ子を「子沢山」と詠んだのは楽しい発想だ。「冬館」の斡旋がいかにもマトリョーシカらしさである。余談だが、京都大徳寺の塔頭の鉄鉢料理も食べ終ると、大きさの違う鉄鉢が重なって一つになるのである。

 
楪や子へ託したるメスひとつ       竹内 洋平
私の父も医者だったので、この句が良く解る。私については学力を見て早々に断念したが、兄には期待し、兄はそれに応えようと三年浪人して医学部に入った。「子に託したるメスひとつ」に父の顔が彷彿するのである。
 
嫁が君まねき猫から招かれて       高橋 初風
 「嫁が君」は三ヶ日の間の鼠の異称。忌み言葉の一つ。その鼠が招き猫に招かれて出てきた、という。合わぬ仲の鼠が猫に招かれるというところがいかにも正月らしい楽しさである。

臘梅は彼の日の匂阪神忌         中野 智子       
 あの阪神大震災から二十三年が経つ。作者は当時神戸に住んでいてあの惨事に遭遇しているのである。「臘梅」が咲くと毎年決まって思い出すということであろう。体験者でなければ詠めない句だが、その切実な思いは私たちにも十分に伝わる。一月十七日未明のことであった。

大北風やはがされさうな影法師      半田けい子
影法師さえはがされそうだ、とは凄い表現である。大北風というものをここまで抉り取ったのは見事と言うしかない。影が風に攫われることは物理的には有り得ないのだが、本当になりうそうな臨場感をもって捉えられている。 


 嶋つ児の縄飛の縄もやい綱       伊東  岬
 漁村ではこのような場面があるのだろう。船を繋留していた舫い綱が縄飛の縄になる。島の子供達の遊びの工夫が活写されている。潮の香まみれの島の遊びである。

その他印象深かった句を次に

母の手の咲かせるやうに毛糸編む     飯田 子貢
雪礫老いても子には従はず        大野 里詩
落とし物の行方凩しか知らず       小田島 渚
夫の亡き歳月疾し初鏡          我部 敬子
割烹着に残るぬくみも初昔        久坂衣里子
大阪は父のふるさとくぢら鍋       橋野 幸彦
狛犬の口中の朱初詣           田中 敬子
案の上天下分け目で雪景色        朽木  直












               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
    
教へつつ教はることも寒稽古      神奈川  中野 堯司
歩く会討入り道の十二月        埼玉   志村  昌
初芝居余韻の残る衣紋掛        東京   辻本 芙紗
絵で覚ゆまだ字の読めぬ子の歌留多   神奈川  星野かづよ
初鶏の太陽引つ張り上ぐるかに     東京   豊田 知子
一里塚松の青さも初景色        神奈川  堀  英一
読初や吉の神籤を栞とし        東京   大住 光汪
おほかたは影絵の街に冬夕焼      東京   山田  茜
生きてゐる目出たさにあり薺粥     埼玉   小野 岩雄
蠟燭の揺らめきに似てシクラメン    東京   保田 貴子
寒晴の校歌の如き山河かな       神奈川  有賀  理
寒燈や一軒ごとの物語         静岡   山室 樹一
筆始朝のひかりを含ませて       東京   清水美保子
餅の数競ひし姉妹白髪に        東京   秋田 正美
本命の神定まらず福参り        神奈川  北爪 鳥閑

雪国に雪搔くだけの帰郷かな      東京   田中  道
一身を洗ひ張りする三ヶ日       東京   釜萢 達夫
町工場門で見送る初荷かな       埼玉   武井 康弘
初旅の一歩踏み出す日本橋       神奈川  秋元 孝之
初鶏を夜勤仕舞に遠く聞く       東京   生田  武
御祝儀をのむに手間取る獅子頭     埼玉   大木 邦絵
冬山となり貫禄をとり戻す       京都   小沢 銈三
ちやんちやんこ着て民宿の人となる   静岡   金井 硯児
じやんけんで何でも決まる炬燵かな   神奈川  上條 雅代
水割りの氷も融けぬ寒の水       東京   倉橋  茂
蕎麦すすり老の一歩が年を越す     神奈川  花上 佐都
一年を掃き出す庭の焚火かな      京都   三井 康有
ご破算の人生もあり絵双六       東京   八木 八龍
富士の絵や床屋の春も改まり      神奈川  横地 三旦  

     



星雲集作品集抄

            伊藤伊那男・選
武甲嶺のくまなく見ゆる大旦      埼玉   秋津  結
履物の色のにぎはふ女正月       東京   浅見 雅江
若水を傘寿の朝の蹲踞に        愛媛   安藤 向山
寒雀日だまりに二羽寄り添ひて     東京   井川  敏
炉開きや一間の部屋のかぐはしく    高知   市原 黄梅
松飾戸口訪ふ風の音          東京   伊藤 真紀
寒昴角も取れなき歳重ね        神奈川  伊藤やすを
えいえいと声で暖取る寒稽古      埼玉   今村 昌史
戌年の決意を胸に初詣         愛媛   岩本 青山
寒晴のやや起伏ある野面かな      東京   上村健太郎
厳として老師の御貌初椿        愛媛   内田 釣月
お隣が恵方と知りて入り浸る      長野   浦野 洋一
買初といふも日用品ばかり       群馬   岡村妃呂子
行き過ぎて又戻り見る返り花      神奈川  小坂 誠子
蔦枯れて捕縛されしか使徒の像     静岡   小野 無道
年行くやペースメーカーの身の内を   東京   亀田 正則
街の灯のすける淑気や雑木林      長野   唐沢 冬朱
叶ふなら一度乗りたや宝船       神奈川  河村  啓
黙しをり大寒の日の水車小屋      長野   神林三喜雄
鴫の群軍配返すごと飛べり       愛知   北浦 正弘
まんなかの黄色がぬくき寒椿      東京   北原美枝子
悴むや目線の先は三歩まで       東京   絹田  稜
戌年の年賀を交す犬仲間        東京   久保園和美
初みくじ飛び立つ鳥のやうに結ふ    神奈川  栗林ひろゑ
秋日和仲睦まじき道祖神        群馬   黒岩伊知朗
北からの羽を洗ひて浮寝鳥       愛知   黒岩 宏行
追羽根の八方に散る福の音       東京   黒田イツ子
子も猫も集ふ溜りや日向ぼこ      神奈川  小池 天牛
元朝の真白き下着揃へ母        群馬   小林 尊子
あの本とこの音楽と冬籠        東京   小林 美樹
寄鍋や北に張り出す低気圧       宮城   齊藤 克之
寒の水飲めど雑念又一つ        神奈川  阪井 忠太
朝方の心許無き湯婆かな        長野   桜井美津江
初空へ願ひ届くや大香炉        東京   佐々木終吉
浅間嶺のしろがね極め冬深し      群馬   佐藤 栄子
鳥ごゑをしめらせてゐる寒の雨     群馬   佐藤かずえ
冬ぬくし一さじ進む離乳食       群馬   佐藤さゆり
何事もなき日ありし日年惜しむ     東京   島谷  操
置手紙なれど長文寒椿         千葉   白井 飛露
奥駈けの峰に熊野の初日の出      神奈川  白井八十八
品川は嘗ての浦や都鳥         東京   須﨑 武雄
夢の母より年玉を貰ひけり       群馬   鈴木踏青子
故郷に子らの寝息や除夜の鐘      愛知   住山 春人
まだ固き讃美歌の声弥撒始め      埼玉   園部 恵夏
おごそかな闇に聞く息御祭       東京   田岡美也子
みちのくの夜ひとすぢの虎落笛     山形   髙岡  恵
七草の名を確かめつ粥すする      東京   髙城 愉楽
雨の音吸ひ込んでゐる敷松葉      福島   髙橋 双葉
主婦なれば口紅だけの初化粧      広島   竹本 治美
水鳥の潜る姿に息を止む        三重   竹本 吉弘
先づ記す結婚記念日初暦        神奈川  田嶋 壺中
短日や人の名思ひ出せぬまま      神奈川  多丸 朝子
卒寿過ぐ母の微笑み初写真       東京   田家 正好
渦の中透き通りゆく葛湯かな      大阪   辻本 理恵
のれそれを啜りて土佐の春の海     東京   手嶋 惠子
松の図の扇を床にお正月        神奈川  長濱 泰子
息ひとつひとつ肺にも淑気満つ     大阪   永山 憂仔
三ヶ日いつもどこかに富士のゐて    埼玉   萩原 陽里
マスクして右と左の耳つなぐ      東京   橋本  泰
霜の夜は猫も眠られないらしき     広島   長谷川明子
手套脱ぐ吾がぬくもりを確かめつつ   東京   長谷川千何子
ぢりぢりと頭が集ふ歌留多会      長野   蜂谷  敦
子の声に家膨らみて三ヶ日       長野   馬場みち子
深空より紅葉の切符受け取れり     神奈川  福田  泉
枯葭のそよぎ川波音なさず       東京   福永 新祇
墨の香を纏ふひと日や筆始       東京   福原 紀子
鰤起し魚の台車軋ませて        千葉   深澤 淡悠
赤城嶺に真向く故郷初日影       東京   星野 淑子
何処いらか臘梅の香を目で追ひぬ    東京   牧野 睦子
去年今年渡す手帳の写し換へ      神奈川  松尾 守人
沈黙を破らんとしてみかん剝く     愛知   松下美代子
雨戸から漏るる鳥声初明り       東京   宮田 絹枝
春の雨面影橋をなつかしむ       東京   家治 祥夫
初護摩の焚き上げの香頂きぬ      群馬   山﨑ちづ子
冬日射す港の丘の異人墓地       神奈川  山田 丹晴
初春や正座の猫にかつお節       高知   山本 吉兆
残像の竈の猫を回想す         群馬   横沢 宇内
竹馬の特技持ちたる母卒寿       神奈川  横山 渓泉
帰りつく一目散の炬燵かな       千葉   吉田 正克
夜神楽の焔の猛ける闇の果て      山形   我妻 一男
侘助の一輪の紅一会の茶        神奈川  渡邊 憲二
湯たんぽと朝の別れををしみけり    東京   渡辺 誠子
初日の出をろがむ諸手神宿る      東京   渡辺 文子








          











     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

教へつつ教はることも寒稽古       中野 堯司
なるほど、と思う。この季語で作ると普通なら教わる方の立場で詠むことが多いのだが、教える方の立場という発想に独自性がある。加えて生徒から教わることもある、という謙虚さを詠んだところが奥床しいのである。この句に納得するのはすべての習い事に通じることで、俳句もそうだな……とつくづく思うのである。 

  

歩く会討入り道の十二月         志村  昌
一読愉快な句である。両国の吉良邸跡から泉岳寺までを歩く会。折しも十二月というのであるから赤穂浪士討入りの日と重なる。時代を越えて同じルートを歩く。命のかかった道行きと、交通事故に注意する時代の歩く会という大きな情況のギャップが浮き出たところが愉快である。同時出句の〈裃の下は背広や年男〉もそこはかとない滑稽感。 

 

 初芝居余韻の残る衣紋掛        辻本 芙紗
句の眼目は「衣紋掛」の結び。当然初芝居には和服で着飾っていったことが解る。帰宅して普段着に着替えてお茶の間に寛ぎながら出し物の場面などを回想する。その都度衣紋掛の着物に目が行くのである。「衣紋掛」という「物」に存分に語らせている句の構成である。

  

初鶏の太陽引つ張り上ぐるかに      豊田 知子
 大胆な詠みっぷりで新鮮である。暁暗の鶏鳴が日の出を促すという場面であるが、「引つ張り上ぐるかに」と言われれば、その臨場感に膝を叩かざるを得ない。鶏にその力を与えたのが俳句という言霊の力である。

 

 絵で覚ゆまだ字の読めぬ子の歌留多   星野かづよ
子供の成長の早さには驚くばかりである。小学校に入るかどうか位の幼児がゲーム機などを巧みに繰るのであるから舌を巻くしかない。この句の幼児も絵を見ただけで歌留多が判別できたのである。子育ての中だからこそ詠めた臨場感。同時出句の〈福を呼ぶ歯のなき赤子初笑〉もいい 

  

おほかたは影絵の街に冬夕焼       山田  茜
「夕焼」は夏の季語。他に「春夕焼」「秋夕焼」「冬夕焼」と全季節に及ぶ。したがって各々の微妙な違いを詠み分ける必要のある季語である。その点、この句は成功例である。空には夕焼の残影があるものの街は「影絵の街」になっている。だが全部ではなく「おほかたは」としたところに冬の街の様子が克明である。同時出句の〈駅弁の紐解く車窓山眠る〉も味わいが深い。

  

寒燈や一軒ごとの物語          山室 樹一
暖かな一家もあれば、たまたま冷えきってしまった一家もある。一人暮しの家もあれば、大家族の家もある。寒燈が見えるだけであるが、一軒ごとに様々な家族の物語が潜んでいるのだ。まさに「物語性」のある句になったのである。

  

雪国に雪搔くだけの帰郷かな       田中  道
都市に人が集中してしまった今日の社会情勢が浮き彫りになった句だ。高齢の親だけが郷里に残っており、時々帰るのであろう。特にこの度の帰郷は雪搔き、雪下ろしだけが目的。作者の望郷の念や、優しい心情が滲み出ているようだ。 

  

一身を洗ひ張りする三ヶ日        釜萢 達夫
「洗い張り」とは、「着物をほどいて洗濯し、板などに張って皺を伸ばすこと」である。つまり綺麗さっぱり仕立て直して出直す、という比喩として句を成したのである。三ヶ日体を休め、気力を充実させて、さて今年も一頑張り、と決意する。そんな覚悟を気持良く詠み切った。 

  

町工場門で見送る初荷かな        武井 康弘
 まだ松の内から稼働を開始した工場であろうか。正月の内にも必要な製品の出荷である。新年初の出荷なので、工員が揃って送り出す。町工場の一景を真摯な目で捉えて出色である。このような人達が生活を守ってくれているのだな……としみじみと感じさせてくれる一句である。
その他印象深かった句を次に。

餅の数競ひし姉妹白髪に         秋田 正美
初旅の一歩踏み出す日本橋        秋元 孝之
初鶏を夜勤仕舞に遠く聞く        生田  武
御祝儀をのむに手間取る獅子頭      大木 邦絵
冬山となり貫禄をとり戻す        小沢 銈三
ちやんちやんこ着て民宿の人となる    金井 硯児
じやんけんで何でも決まる炬燵かな    上條 雅代
水割りの氷も融けぬ寒の水        倉橋  茂
蕎麦すすり老の一歩が年を越す      花上 佐都
一里塚松の青さも初景色         堀  英一
一年を掃き出す庭の焚火かな       三井 康有
ご破算の人生もあり絵双六        八木 八龍
蠟燭の揺らめきに似てシクラメン     保田 貴子
富士の絵や床屋の春も改まり       横地 三旦




















伊那男俳句  


    
自句自解(28)
            
剪定の枝たちまちに嵩ばれり

 私の育った伊那谷は果樹の栽培が盛んで、林檎、梨、葡萄などの畑が広がっていた。林檎は国光林檎で、小さくて酸っぱかった。梨は二十世紀梨で、これは今も私は好きだが、もっと甘い品種に席巻された。葡萄はナイヤガラ種が多かったが、もちろん今は見掛けない。私はそんな田園風景を見ながら自転車で走り廻るのが好きであった。春先の芽吹き前に果樹園では剪定作業が始まる。自在に伸びた枝は、まとめると少しの量でも嵩張ってしまう。その枝を更に切り揃えたり、畑の隅で燃やしたりする。そんな風景を見ながら春が来たな……と実感するのである。句は見たままの景色。度々述べるが、皆川盤水先生から「写生」を教え込まれた。いや教え込まれたというよりも、写生に立脚した句でなければ取って貰えないので、写生句を作るしか無かったのである。ただしそのことが私の俳句の基盤になったのであり、先生に感謝するばかりである。

  
退院の一歩はこべら踏みにけり


 45歳の或る日、大量の下血があり、大腸S字結腸部の癌の診断を受けた。思い返せばその2年前の検査で血便反応があり、再検査に呼ばれていたが、前日ステーキをレアで食べた記憶があり、そのせいだと勝手に判断して黙殺していた。翌年は血便の指摘は無く「ほらほらやっぱり」などと喜んでいたのであった。だが、食べたものを突然戻したこともあったし、寝る時は脚で腹部を抱えるようにしていたことを思い出す。築地の国立がんセンターに入院した。患部を中心に30センチ位切除して繋ぐという配管工事のような手術を受け、幸い転移は無さそうだということで抗癌剤は使わなかった。だが死というものを手の届く位置に実感し、手術前には子供宛の遺書なども書いた。退院は草萌えの頃で、生還の喜びを実感した。入院手術にまつわる句は、この句だけを句集に載せた。某誌の書評で「潔い」と言われたが、実はこの一句しかできなかったのである。
 












  
   


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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掲示板

























 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男


1月

 1月19日(金)
)発行所「蔦句会」選句あと店へ6人。京都の中田剛さん初めて来店して下さる。閑散にてゆっくり話ができる。気仙沼の小野寺和人さん、相撲観戦あと清人さん、千葉さんと。

 1月20日(土)
日本橋鮨の与志喜にて「纏句会」。角川俳句賞受賞でニューヨークから帰国した月野ぽぽなさん(伊那北高校後輩)をゲストに迎え156人。句会あと鰆の幽庵焼、牡蠣のみぞれ煮、握り。18時、銀漢亭にて、月野ぽぽなさんの受賞を祝う会。30人程。一句ずつ祝句を贈る。〈笑ひ初めのため日の本に戻りしと〉酒や料理の差し入れ沢山。

1月21日(日)
妻の命日。丸12年となる。伊集院静先生から線香届く。京都のWちゃんからも供物。16時、京王プラザホテルのエミネンスホール。石寒太先生の「炎環創刊30周年記念大会・祝賀会」。歌人永田和宏さんの講演「ことばの力〜歌で思ひを伝える」を聞く。18時より祝宴。中華風料理。秋尾敏、対島康子、大高翔、高柳克弘、神野紗希さんと同席。帰宅して娘夫婦と小酌。

 1月日22(月)
朝より雪。とても店は開いても無理。アルバイトの太田うさぎさんには出勤ストップの連絡。雑用もあり、仕入れして店へ。仕込みその他をして帰ろうとしたが、新年会準備の井蛙、いづみ、麦、展枝、羽久衣さんが来て帰ろうとせず。やむなく「ふくの鳥」で雪見酒。

 1月23日(火)
17時、パレスホテル東京。第63回角川俳句賞授賞式。月野ぽぽなさん受賞にて駆けつける。あと店に戻る。20時半位から、会の流れの方々来店。朝妻力さん。島田牙城さん中心の「里」の方々。遅れて月野ぽぽなさん登場。発行所は銀漢演芸部の打ち合わせ。杉良太郎の「すきま風」練習に呼ばれる。あと、餃子屋。あれ! 昨日と全く同じメンバー。

 1月24日(水)
快晴ながら寒い。店、「雛句会」15人。国会議員のT先生。今年初めて来店。郷里の先輩、今井さん(岩波書店OB)など。

 1月25日(木)
先般入会の林さん、紹介者のさくらさん。発行所は新年会の演芸部門の打ち合わせ、練習、「銀漢」誌の発送などで20人位の人が出入り。私は遠山の金さん役で入場するので、杉良太郎の「すきま風」の練習。なかなか難しい曲なのである。

1月26日(金)
発行所「門」同人会へ貸し出し。あと「金星句会」。終わって5人店へ。

1月27日(土)
青山梅窓院にて亡妻光代13回忌法要。二階貸席にて直会。持参の自家製カラスミ大好評。そのあと、杏一家ともども家に戻り、更に思い出話など。

 1月28日(日)
13時より全国家電会館五階にて「銀漢年次総会・新年俳句大会」。15時、湯島天満宮に会場を移し、新年の祈禱あと新年会。私は遠山の金さん役で登場。あと銀漢亭に30人程集まり、「すきま風」の大合唱。

1月29日(月)
鈴木忍さん。事業部、新年大会の後片付け。会の熱気をまだ引きずって何となく活気ある一日。

 1月30日(火)
酷寒の月末。閑散。21時半閉める。

1月31日(水)
最悪の超閑散。20時半に閉めて帰宅。

2月

2月1日(木)
「十六夜句会」あと15人。金融界社時代の女子社員が新入会。また雪となる。

2月2日(金)
「大倉句会」あと17人。対馬康子さん久々。「河」同人の若い2人。竹内洋平さん夫妻など。

 2月3日(土)
朝6時、新宿駅東口交番前。NHK出版、長坂、神谷、カメラマンの板野さん。当方、禪次、一斗、井蛙。NHKの車で信州へ。8時過ぎ、諏訪大社参拝。神長官守矢史料館、柳川英司氏の説明を受ける。ここはいつ来ても不思議な空間。伊那谷に入り、伊那市東春近の天竜川にてざざ虫漁を見せて貰う。あと小笠原商店を訪ね、寒天干の説明と干し場などを案内していただく。心太をご馳走になる。高遠へ向かい、城の後方、峰山寺へ。無住寺だが、この日は節分会で賑わう。けんちん汁や漬け物、野菜の天麩羅などの接待あり。2時からの祈禱に参加。11人の祈禱僧。鬼が二匹出て、私が豆撒き役の1人に。甘酒いただく。絵島囲み屋敷、井上井月の墓を訪問し、取材を終える。「高遠句会」の守屋明、三溝恵子さんが現地参加で案内して下さる。守屋さんの車でかんぽの宿諏訪へ投泊。

  2月4日(日)
8時発、湖畔に行き、5年振りという御神渡りを見る。信濃国二之宮、矢彦・小野神社へ。敷地を接した神社で、矢彦は御柱が樅、小野は赤松。天竜河畔の洩矢神社と藤島神社。寒風と風花の中。洩矢は縄文系、藤島は出雲系で、対決した場所。「古事記」が神話でなく歴史であることを実感する。辰野の小坂鯉店で打上げ。洗い、鯉濃、うま煮、酒は「夜明け前」。最後に鰻丼も。あずさ号では昏睡。18時帰宅。

 2月5日(月)
彗星集評書いて3月号終了。店、「かさゝぎ勉強会」あとの11人店へ。朽木直さん、「Oh! 花見句会」の案内発信。池田のりをさん。

2月6日(火)
国会議員のT先生。閑散にて22時前に閉める。

2月7日(水)
「きさらぎ句会」あと六人。「宙句会」あと13人。

2月8日(木)
NHK俳句の伊那谷吟行記掲載は来年一月号の予定だが、忘れないうちに、と原稿3500字分、一気に下書きする。店、「極句会」あと11人。あす健康診断にて酒控える。

2月9日(金)
「あ・ん・ど・うクリニック」で区の健康診断。宮地眼科へも。元伊勢神宮禰宜・河合真如氏、宮澤と来店。「銀漢」への基金下さる。退任後、「芭蕉の真意」を探求されておられ、そのことを紹介した記事が1月に読売新聞に載り、執筆した記者が何と、銀漢の会員、竹本吉弘さんであったことに驚く。

2月10日(土)
10時、発行所にて運営委員会。午後、「銀漢本部句会」。52人。あと「酔仙」にて親睦会。カラスミ第二弾四腹を水抜き、酒漬けにして帰宅。

 2月11日(日)
武田編集長の肝いりで、秩父の猪鍋を食う会。3回目。11時過ぎ、芦ケ久保の氷柱を見て、秩父。常楽寺などを巡り、「桂」へ。総勢22名。5句出しの句会をしながら猪鍋。私が途中、卵、芹などを買い足して最後のおじやで締める。駅前で二次会。帰宅すると成城仲間五家族位が20数名来ていて仲間入り。

 2月12日(月)
高幡不動尊にて「春耕新年俳句大会」。快晴。盤水先生の墓参り。新年宴会で開会の辞。あと恒例の増田屋蕎麦店にて二次会。

2月13日(火)
校正。「火の会」7人。他は閑散。

 2月14日(水)
11時半、神保町のクッチーナイタリアーナアンゴロにて武田花果『手毬』、島織布『犬の瞳に』の出版を祝う会。「梶の葉句会」の方々。花果さんには〈手毬突く四つ四国の大三島〉。織布さんには〈犬の瞳には妻しか見えず日脚伸ぶ〉の祝句を。店は超閑散。

2月15日(木)
16時、井月忌の集いの打ち合わせ。北村監督、井ノ口、平沢、宮下、大野田さん。「銀漢句会」あと16人。入沢さん3人。

2月16日(金)
発行所「蔦句会」あと店に6人。「閏句会」(ホトトギス藤森荘吉さん)9人。俳壇賞パーティーあとの秋尾敏、佐怒賀直美さんなど。

 2月17日(土)
11時、大宮駅。井蛙さんと落ち合い、氷川神社に参拝し奥信州という蕎麦店。まるで円墳のように積み上げた恐るべき量の蕎麦。大盛りを注文したわけではないのに。生涯で蕎麦を食べ残したのは初めて。40代のとき、盛岡のわんこ蕎麦を118杯食べた私が……。13時、盆栽町にて「彩の国句会」。庄平さん丁寧な句会運び。松山さんもゲストで。17時、大宮駅近くの「日本海」にて親睦会。魚良し。酒は「〆張鶴」「麒麟山」。

 2月18日(日)
原稿書きなど。16時、浅草駒形どぜうへ。光汪、井蛙さんと伊那北高3人の会。あと浅草寺参拝。生牡蠣屋、神谷バー。そこへ、宝塚観劇あとのうさぎ、いづみ、展枝、淳子さんが日比谷で飲んでいるというので合流す。結局、乗り越し、戻り越しなどをしてヘロヘロで帰宅。













         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2018年4月18日撮影 御衣黄  TOKYO/HACHIOJI



 花言葉     「永遠」 「優美」
御衣黄
名前の由来は、貴族の衣服の萌黄(もえぎ)色に近いためとされています。シーボルトが愛して持ち帰ったとされ、標本が残っている神秘のサクラ、『御衣黄(ぎょいこう)』。開いた時の花は緑色、次第に黄緑から黄色になり、花の中心部から筋状に赤くなり、ピンク色に染まって落花します。
雪割草 さくら アニソドンテア ネモフィラ 御衣黄  
 
カタクリ 花蘇芳 花水木 花梨  
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/4/18   更新


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