6月号 2018年
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◎続・京都よもやま話 『銀漢亭こぼれ噺──そして京都』は自分史であったが「京都よもやま噺」など京都の歴史や食物などのコラムも添えた。出版から一年を経て、私一人が盛り上がった結果かもしれないが、銀漢俳句会で初の京都吟行会を行うこととなり六十名ほどの参加希望者があるという。そこで本のコラムに書き足りなかったり、新しく知ったちょっと面白い話を旅の前に紹介しておく。 ■清水寺境内の舌切茶屋 NHK大河ドラマ『 西郷が京都で討幕運動に奔走していた頃、清水寺の塔頭、成就院の僧月照との策謀が露見して、二人は薩摩に逃れた。そこまでは描かれるであろう。さてそのあと成就院の寺侍が加担の科で捕えられて拷問を受けたが、一切を語らず舌を噛み切って死んだ。清水寺は残された家族の生計を考えて、境内に茶店を開かせたが、その茶店の名が何と「舌切茶屋」、その曾孫が何と俳優の近藤正臣である。 ■欧陽菲菲の好きな寺 京都にいた若い頃、台湾出身の欧陽菲菲の「雨の御堂筋」が大ヒットした。当時京都一のキャバレーは東山三条の「ベラミ」で、菲菲のショーがあるというので、なけなしの金をはたいて行った。ショーの中で司会者が「菲菲、京都で好きな寺はどこ?」と聞くと菲菲は「キンカクシー!」と答えた。広辞苑にも載っているが一昔前は和式便所のことを「金隠し」とも呼んだ。この答えには笑わざるを得ない。そういえば銀閣寺近くの銭湯に「銀閣寺湯」があった。では金閣寺の近くは、というと「金閣寺湯」ではなく「金閣寺温泉」と、語感はやや和らぐ。私は下劣であろうか、つまらない話を紹介してしまった。 ■「くわばら、くわばら」の語源 4月号の京都案内でも触れたが、京都御苑の下に丸太町通があるが、向いの地方裁判所との間の誰も住んでいない路上に何故か住居表示が残っている。「桑原町」である。大宰府で失意のうちに死んだ菅原道真が怨霊となり、京都に雷を落とし廻ったが、道真の縁者の桑原家の屋敷には落ちることが無かった。そこで京都の人々は雷が鳴ると「くわばらくわばら」と呪文を唱えるようになったのであった。そのようなことから、道真公の祟りを恐れて、没後千百年を過ぎた今も京都はそこに住居表示を残しているのだ。京都とは今も怨霊が潜んでいて時々顔を出す街なのである。 京の路地ひとつ魔界へ夕薄暑 伊那男
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沖縄には度々遊びに行っているが、太平洋戦争の戦跡を巡るのに服装も心の準備もなく、ついつい行きそびれていた。二年前の旅では丁度終戦記念日の8月15日に那覇にいたので、決心をして家族共々、 (平成15年作『花遊集』所収) |
「虹」は四季にわたって詠まれる。「春の虹」「虹」「秋の虹」「冬の虹」。こうなると季節感がしっかりと把えられた「虹」でなくては生き残ることはできない。この句は黒一色で描かれた虹。墨の濃淡だけで七色を想像させる技法である。他の季節とは違って、はかない美しさが出せるかどうかにかかっているが、この句は十分にその雰囲気を醸しているようだ。水墨画から確かに色を想像させた秀逸。 |
確かに、税務署からの通知は住所のところがセロファンで透明に抜けている様式が多い。たいがいは税金の請求であるから印象が強いのであろう。全部お見通しだぞ、という感じが「透明」の措辞に出ているようだ。もちろん封筒の形式が変更になるまでの間、生きている句だが……。 |
入学式が終わって各々のクラスに分かれて、初めての教室に入る。黒板には上級生によって、歓迎の言葉と絵などが書かれている。桜の季節であるから赤いチョークをふんだんに使って黒板一杯に新一年生が喜びそうな絵が描かれているのであろう。「桜色」の把握が効果を発揮した。 |
埴輪は古墳の周囲に並べられていることが多く、人、動物、武具など様々な形のものがある。古墳への殉葬の代用という説が有力のようだ。人を模したものは穏やかな表情のものが多い。欠伸をしているような顔もあり、見学者も埴輪につられて欠伸をしてしまったというのだ。「永き日」の季語の斡旋の効いた句となった。 |
雲雀が上昇して点となった、という句は沢山見てきた。だがこの句はもう少し踏み込んで、その「点」が震えているという所まで詠んで類型を免れた。「ふるはせる」によって、空の一点にとどまって鳴いていることまで想像させるのである。 |
ままごとのおかずに野の草花を添え、さて主菜は土を捏ねた団子である。それが春の土であるところがいい。春の土の温かさ、柔らかさがこの「飯事」の句を支えているのである。作者のやさしい目差を感じさせる。 |
鳥は北へ帰る。作者も北方指向か。「北ばかり」がいい。 |
涅槃図の動物を図鑑と照らし合わせる発想がユニーク。 |
少子化で廃校も多い。「最後の落花」が悲しい。 |
落松葉の芽吹きの凄さを独自の目で詠んだ。いい感性。 |
修二会の一場面が的確。「闇に吐く(・)」と止めたい。 |
利休屋敷は一条戻橋近くであった。「風鬱々」が異色。 |
「朝ざくら」が清々しい。「校門ひとつ」の方が素直。 |
「啓蟄」を人間の営みに持ち込んだユーモア。 |
この句の鳩には自身の思いが重なっているのであろう。 |
「こんなに大きかった!」と両手が語る面白さ。 |
そんなこともあったなと思う。「土筆摘む」に郷愁が。 |
春雷はこんな感じ。「旅愁」が出ている句。 |
少し複雑な心理であるか。「確かむる(・)」とすべきか。 |
伊藤伊那男
今年は諏訪湖の御神渡があり、私も目撃することができた。気温の上下で氷の収縮と膨張が繰り返され、ついには亀裂に沿って氷がせり上る現象である。この記録は一三九七年(応永四年)からあり、気候の推移を知る上で貴重な資料である。さてこの句、湖面が結氷するので当然舟は動けなくなるのだが、それを「金縛り」と詠んだのが出色である。男神が女神を訪ねる儀式という神話伝説があることを思えば、この措辞が俄然力を得てくるのである。 |
涅槃図という仏教のものと、ノアの方舟という旧約聖書の物語を取り合わせたところがユニークである。方舟は、神が悪に満ちた世界を絶滅させようとして洪水を起こした時、ノアが神の恩恵を得て作った舟で、家族や各動物の一つがいずつ乗せて難を逃れ、アララト山に漂着したという話。その舟の混雑した様子が、涅槃図と似ている、というもので、発想が柔軟である。一種類ずつの動物がいるというところもいい。 |
魞漁は琵琶湖の風物詩。春に挿し直したり、修繕をする。その湖底に挿すときに湖水を少し濁す、という。いやそれだけではなく、長い竹竿が傾いたりしていること自体が、近江八景そのものの風景を濁らせている、というのであろう。「やや濁し」の意味の広がりが眼目である。 |
近鉄奈良線が西大寺駅を過ぎると両側に平城宮跡が拡がる。近時朱雀門や大極殿が復元され、まさに青丹よしの往年の雰囲気を再現して楽しませてくれる。千数百年前の平城京と平成の世の平城京を重ね合わせたのがこの句の面白さである。時を経て同じくげんげが咲いているのだ。 |
江戸切絵図は当時の観光客用に刷られたものであろう。江戸から東京に名を変えて百五十年、ずい分変貌したのだが、捜せば今もかすかな痕跡を見つけることができる。切絵図と今の地図を重ね合わせると、地形はそれほどは変化していないのである。鉄骨に変ったが橋の名も、そして浅蜊飯も……。 |
「啓蟄」は二十四節季の一つで、太陽暦の今は三月六日頃。冬ごもりの虫がその頃にぞろぞろと穴から這い出してくるが、さて人間はというと衣装が変わるということになろうか。衣料品店の試着室で何着も着てみる。自然現象と人間の営みを描き分けた楽しさである。 |
立て混んだ下町の町工場の一角、建物の隅の取り残された三角の地形に苗木を植えたという。大工場などには無い庶民的風景である。「隅の三角」が物を言った句である。同時出句の<糸切歯丈夫な母の春炬燵>も面白い。春炬燵に入るのだからそれなりの老齢なのであろうが、糸切歯は丈夫で、縫物の手を休めない母親なのである。 |
自分の意志ではなく、町会が配ってくれた苗なのだが、取り敢えず植えてみる。その主体性の無さが何ともおかしいのである。「苗木植う」の題では類例を知らない発想の句であると思う。私も町会であったか、学校であったかが配ってくれた海棠を植えたことがあるが、その後近所の庭のどこにも海棠が咲いて、今も咲き続けているのを思い出す。染井吉野の桜も同様に植えたが、徐々に大きくなり、狭庭からはみ出すほどになったので切り倒した。 |
ざっと拾ってみたが、金子兜太への追悼句が目立った。我々とは全く句風の違う俳人であったが、親しまれた人であったことが解る。ここ十年ほどを見ても多くの著名俳人を見送ったが、兜太が最も強烈な印象を残した、ということになろうか。 |
その他印象深かった句を次に
私ごとだが秩父を歩き廻っていた頃、札所を繫ぐ道端の捨て榾からびっくりするほど大きな春子が育っているのを見つけ、宿に持ち込んで焼いたことがある。大きくとも味が劣るわけではない。商品にならないだけである。椎茸は秋の季語だが、春にもよく育つので春椎茸を春子と呼ぶ。おまけのような感じもあるので「捨て榾」が合うのであろう。「耳そば立てて」は類想が無いとはいえないが、上々の出来映え。同時出句の〈水取の闇うら返す大火の粉〉は、闇を「うら返す」とした措辞に感性の鋭さが垣間見られる。 |
えっ、と意表を突かれた句である。目刺が山小屋に?だが川を遡上したわけではない。山小屋の保存食料として強力に運ばれてきたのである。こうした発想はなかなか出てくるものではない。類想を全く感じさせない句を目にすることは嬉しいものだ。同時出句の〈嚙み合はぬ父子の会話春炬燵〉にはそこはかとない哀感が出ている。 |
他にも〈火の粉落つ響動めきの果て修二会の夜〉〈闇の中修二会の灰を頬に受く〉があり、東大寺のお水取りの行事を丁寧に詠んでいることに好感を持つ。燃え落ちた松明の杉は縁起がよいとのことで、拾っていく人が多い。「杉の香残し」まで喰い込んだ表現がいい。二句目は走り廻る大松明のその火勢を「温もりの近づいて」とおおらかに捉えたところが眼目であろう。一つの行事、祭事に執念を持って取り組むのが俳句上達の秘訣である。 |
子育ての頃、そんな場面があったような気がする。衣類全部、弁当や箸箱‥‥それを「子の名を百は」と大きく纏めたところにほのかなユーモアも滲む。同時出句の〈主役の手届かぬやうに雛飾る〉には、何にでも触りたがる子供の様子がよく解る。秀逸であった。 |
「まつさらの頁」には、①単に使っていないノートの頁、という意味だけではなく、②やり残したことがあることへの後悔、③まだ形にならない未来への夢‥‥などの青春の欠片が混在しているのであろう。自分にもそんな時代があったな‥‥と思う。同時出句の〈消しゴムで消しきれぬこと多き春〉はより具体的な青春の痕跡ということになろうか。 |
ああっそうそう、と思う。私もそんな風であった。多分ほとんどの人がそうなのであろうが、俳句には詠めなかった‥‥と思う。そうした盲点を突いた句であった。同時出句の〈雛飾るわづかばかりの畳の間〉もいい。私の今住んでいる家にはもはや畳というものが無いのだ。「わづかばかりの畳の間」に今日的な住宅事情が捉えられている。 |
狭山は武蔵野台地の丘陵地帯で、茶の栽培は鎌倉時代に遡るという。関東ローム層の下に砂礫層が走り、水はけのよい土壌である。「雉の声聞く」に刈り込まれた茶畑のうねりが目に浮かぶようである。豊かな風景だ。 |
上五、中七まで読んで、さてどうなるかな、と思うと「大志湧く」と収めたところが何とも面白い。大志はそれ位のことで湧くとは思われないが、目の高さが上になったことで気宇壮大な気分になったのであろうか。ぶらんこを降りたら終ってしまう大志であるかもしれないが‥‥。 |
「雲梯」はそもそも城攻めに用いた長いはしごのことであったらしいが、今は遊戯施設のひとつ。金属製の梯子に懸垂して渡っていくものをいう。ぶらさがった子供達が様々な靴を履いている。土を踏んでいるときには気付かなかったのに、ぶらさがっていることによってそのカラフルな色彩に驚かされたのである。 |
自句自解(30) 中年や西瓜かついでよろめけり
中年とは何歳位を言うのであろうか。広辞苑を開くと「青年と老年の中間の年頃。40歳前後の頃。壮年」とある。が、平均寿命の伸び方などから見ると今は10歳位底上げをして50歳位まではその範疇とみてよかろう。この句は平成7年の句なので私は46歳。中年真只中である。その少し前に大腸癌の手術をしたり、経営していた会社が壊滅的な状況に陥ったりと「中年の苦悩」を実感していた頃である。もちろん40代から始めた月2回ほどの登山は続けており、健脚であった。つまり体力ということよりも気力の問題として「よろめけり」が口をついて出たのだと思う。鈴木真砂女が90歳位で蛇笏賞を受賞したが、その挨拶で壇上に登るとき、少しよろけた。すかさず「昔は男によろめいたけれど……」と笑わせた。この話を聞いたのはこの句よりずっと後年のことである。さて、ここまで書いたところで「や」「けり」があることに気付いた。誰からも指摘されたことは無かった! にはとりの迷ひ込みたる踊の輪
高野素十に〈おづおづと来て踊子にささやける〉があるが、『現代俳句』の中で山本健吉は、当初日本の風景として鑑賞していたのだが、後に素十外遊中の一景であると知ったとして、次のように書く。「ではこの句からわれわれが日本の盆踊り風景を想い描くのは誤りであろうか。私はそうは思わない。作者自身が季語として〝踊子〟を使っている以上、盆踊りの句として鑑賞されることを期待しているのである。(中略)鑑賞の対象は飽くまでも作品であって背後の事実ではない。作品はその背後の経験よりも、いちだん高い次元に結晶されたものである。写生とは決して事実を尊重するということではないはずだ」――と結んでいる。さて私の句、実はニューギニア旅行での嘱目である。鄙びた集落で身体に泥を塗り付けた男たちが武器を持って踊るショーを見物したが、同じ広場に鶏も走り廻っていたのであった。ただし前の鑑賞のように日本の一景として鑑賞して戴くのがいい。 |
3月 3月27日(火) 「萩句会」へ選句。発行所、中村湖童さんの「童夢句会」あと7人。小川洋さん。 3月28日(水) 桜散り始める。店、雛句会」12人。私の句稿、第二句集あと7年分を四、五百句位に絞り込む。これから精査へ。 3月29日(木) Oh! 花見句会」の賞品の染筆。「本の街」へ句。同人評。「俳壇」寄稿文の校正など雑用をこなす。桜並木は落花の中。駅前の山桜がいい。店「秋麗」の藤田直子主宰他7人、内、伊藤文明さんは伊那北高校の先輩。池田のりをさん、慶大時代の友人3人。安藤さんは伊那北高校の先輩。 3月30日(金) 慶應茶道会先輩の八田さん4人。青柳飛さんロスから帰国。日経新聞丸田光一さん3人。丸田さんは伊那北高校後輩。月野ぽぽなさんの近所の育ち。「白熱句会」檜山哲彦、藤田直子、井上弘美、木暮陶句郎、佐怒賀正美さん。いずれも私と同時期に主宰になった仲間の3ヶ月に一度の句会。発行所「金星句会」あと5人店へ。 3月31日(土) 「信濃俳句通信」佐藤文子さんより創刊400号への祝句依頼あり。〈信濃の子まづ及第の通信簿〉昼前、入店し、仕込み。13時半、恒例の「Oh! 花見句会」。Oh! 句会は、年4回あり、朽木直さんが幹事。直さんの綿密な連絡で超結社47名集合。店は俳人で溢れる。持ち寄り5句の句会あと、席題3句の句会。さすがに、人数多く、2回の句会で19時過ぎ。 4月 4月1日(日) 快晴。もう葉桜に。13時、中野サンプラザにて「春耕同人句会」。3ヶ月振りに出席。終わってすぐ溝ノ口へ。孫の亮介君の参加するダンス教室「アイビィーカンパニー」の公演へ。あと成城の牛角で家族で打上げ。 4月2日(月) 彗星集の選評を書いて5月号原稿終了。店、「かさゝぎ俳句勉強会」あと9人。ほか閑散。帰路、寝過ごして隣の駅まで。終電待ち30分あり、タクシーを拾おうと外に出るが1台も無し。牛丼屋があったので食べてしまう。 4月3(火) 15時、「俳句αあるふぁ」中島三紀編集長、カメラマンの武市さん、デザイナーの西郷さん来店し、連載の料理撮影会。5品ほど作る。あと試食会。広渡敬雄さん九州大学時代の仲間5人。発行所は事業部の「銀漢俳句会京都吟行」運営打ち合わせ。あと店へ。日経新聞の丸田さん(伊那北後輩)、俳人協会事務局の方々。お花見の帰りとて能村研三理事長以下、7名ほどで寄って下さる。 4月4日(水) らぎ句会」あと7人。「宙句会」あと14人。パリ在住の伊藤惠子さん参加。店、ロサンゼルス在住の青柳飛さん。 4月5日(木) 飯田眞理子、飯田子貢さんの句集稿第一回目の選句終わる。店「十六夜句会」あと13人。皆川文弘さんと部下。全体閑散。帰路、今度は登戸まで寝過ごす。電車の遅れもあり、結局、小1時間のロス。トホホ……。 4月6日(金) 大倉句会」あと24人。佐怒賀正美「秋」主宰、佐怒賀直美「橘」主宰の兄弟。大王製紙、田中役員など。 4月7日(土) 8時、新宿駅西口集合。志村昌さんの車で甲州へ向かう。もう一台は小野寺清人さんの車で計12人。中央道釈迦堂サービスエリアで休憩し、釈迦堂遺跡博物館を見学。おびたたしい発掘品。周辺は桃の花の中。南アルプスの残雪を眺望。11時、境川村の山廬訪問。飯田秀實、多恵子夫人の出迎えを受ける。蛇笏、龍太の書斎などを拝見したあと、取り寄せていただいたお弁当の昼食。奥様手製の野蒜の天麩羅、田芹のおひたし。独活のマヨネーズ和えなどに感激! あと、秀實さんに後山を案内して戴く。丁度、今日から咲いたという山桜の巨木が見事。大欅の芽吹きも。14時過ぎから俳諧堂をお借りして五句出し句会。白根三山が美しい。16時にお別れして、山中湖、志村さんのブティック社の山荘へ向かう。途中のスーパーマーケットにて食料調達。清人さん持参の海鞘、鮪のづけ、牡蠣の蒸し焼き。私のからすみ大根。鮪のアボカド和え、その他で宴会。ひと眠りして戻ると狂乱の宴会は続いている……。 4月8日(日) 6時起き、快晴。目の前に富士山が! 風呂。朝食は味噌汁、独活炒め。山廬の奥様が裏庭に丁度出たという筍を三本茹でて木の芽を添えて持たせて下さったものを煮る。こごみ和え。……というような豪華版朝食。9時、出句で10句出し句会。富士の裾野の山焼きがあるというので、見物に。山名湖を挟んだ絶景スポットから野焼きを遠望する。富安風生の「俳句の館 風生庵」も見学して山荘に戻り、焼きそばの昼食。野焼きの題で一句出し句会。15時過ぎ、出発し、渋滞の中、19時頃、新宿まで送っていただく。何とも充実した旅。 4月9日(月) 山廬に礼状と賛助会員会費納入。店、『伊那の放浪俳人井月現る』の今泉恂之介さん、北村皆雄監督。平沢さん、秋の井月俳句大会の打ち合わせ。今年は今泉氏に講師を依頼。店、超閑散。 4月10日(火) 「火の会」12人。久々、齋藤朝比古、卓田謙一さん参加。山崎祐子、山田真砂年さん、「復興いわき 海の俳句全国大会」の打ち合わせ。青柳飛さん明日、ロサンゼルスへ帰ると。 4月11日(水) 京都のWさんから西ノ京の筍。別に、成城の仲間から、筍が来たが料理できないからと。何と、京かねの超高級品。店、阪西敦子さん他、句会の後の方々。三笠書房押鐘会長他。 4月12日(木) 「極句会」あと14人ほど。洋酔さんゲストで。 4月13日(金) 橋野幸彦さん、友人と。若手の安里琉太君。あと超閑散21時半に閉める。 4月14日(土) 10時、運営委員会。11時から北辰社取締役会。13時、ひまわり館にて「銀漢本部句会」、56人。あと中華料理店にて親睦会。 4月15日(日) 句稿まとめ、堀切克洋さんの句稿点検。13時半、下北沢駅。杉阪、谷口さんと待ち合わせ。「下北沢ザ・スズナリ」にて、田岡美也子さん出演の「妄想先生」を見る。あと杉阪さんに私の句集稿のチェックや意見を貰う。あと田岡、谷口さんと合流し、酒宴、2軒……。 4月16日(月) 午前中、句集稿点検。地名句、自己類型の排除など四時間ほど集中する。店、「演劇人句会」7人。閑散。 4月17日(火) 堀切克洋君の句集稿点検。店、「天為俳句会」編集部の親睦会6人。金融会社時代の堀川オーナーを囲む会。当時の財務部長の神村さん、旧長銀のKさん、旧興銀のKさん、旧三和銀行のWさん。オーナーには、400億円出資して貰い、返せなかった……。「江戸城天守を再建する会」の秋山さん、森本さん(元三菱地所専務)、会の事務所が隣近所。 4月18日(水) 藤森荘吉さん「閏句会」例会7人。伊那北高校同期「三水会」6人。「大倉句会」の清水ドクター。山梨出身とて、山梨市で開業していた伯父、加々美正彦のことを話したら知っている! と。 4月19日(木) 伊東岬さん、畑で作った野菜沢山(のらぼう、あさつき、キャベツ、あしたば)「銀漢句会」あと17人。 4月20日(金) 12時半より品川のグランドプリンスホテル高輪の宴会場にて、大牧広先生の「港」創刊30周年祝賀会。300人近い大パーティー。16時、店に戻る。発行所は「蔦句会」あり、終わって6人店へ。環順子さん3人、結社「パティオ俳句会」創刊と。奥の席、吉野の桜を見に行った女性4人の10句出し句会。 4月21日(土) 10時、大久保の俳人協会4階。第57回全国俳句大会事前投句の予選室。横澤放川、小島健、藤本美和子さん、昼、小島健さんと海老フライ定食。あと16時まで選句。18時、成城仲間のレマちゃん来て、お好み焼きパーティー。レマちゃんは大阪出身。ヘンケル日本代理店の令嬢。お好み焼きの伝授を受ける。 4月22日(日) 国領の竹林の筍の会だが、私は雑事多く、不参加。持ち寄り料理として鯛のカルパッチョ、蓮根のキンピラなど作り、娘に持たせる。莉子はスキー合宿へ。宮澤は日光の撮影へ。終日家。 4月23日(月) 事業部、「銀漢俳句会京都吟行」の打ち合わせ。参加者60人超。編集部5月号発送。店、池田のりを、小川洋、伊達さん(週刊金曜日)など。事業部の面々も。 4月24日(火) 午前中、俳人協会。全国俳句大会の予選作業。松川洋酔さんの洋酔塾が終会し、新たに銀漢俳句会の「ひまわり句会」として発足。第1回目の句会あと店へ12人。 4月25日(水) 店「雛句会」13人。 4月26日(木) 「俳句αあるふぁ」夏号へ「一句一菜」送る。今回の料理はアボカドと鮪のマヨネーズ和え、ガーリックスライスの茸ソースかけ。砂肝の黒胡椒炒め。店、法政大学高柳先生3人。1人は前にも来て下さったドミニカ共和国駐在大使の牧内博幸氏。外は閑散。 4月27日(金) 店、「炎環」の三 初子さん、「ひよこ句会」1周年とて石寒太主宰を招いての記念句会。9人。「金星句会」あと7人。 4月28日(土) ヘアメイクの中川さん来てくれてカット。日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」14人。蛍烏賊と独活の酢味噌和え。焼き蛤、桜蝦の天麩羅(今日の題)。イサキの塩焼、あと握り。酒は出羽桜の泉十段。夜、久々に家族で食事。ビーフステーキ。蕗煮、若布と胡瓜の酢物。独活の皮のキンピラ、独活のマヨネーズ和え(山梨、飯田家の奥様が出してくれたものを思い出して)など。 4月29日(日) 終日、句集稿整理。夕食、新玉葱のサラダ。鶏のニンニク醤油焼き。油揚げ焼など。 4月30日(月) 振替休日。句稿整理。構成が難しい。午後、杏一家来てお好み焼きパーティー。莉子の高一の友人4人も前日から泊まりがけで来ており、大人数。加えてお好み焼きを伝授してくれたレマちゃんにもう一度、正確なレシピを教えてもらおうと声を掛けて一家で来て貰ったので結局19人のパーティーとなる。 5月 5月1日(火) 店、休みとする。11時、熱海駅に、唐沢静男、金井硯児さんの出迎えを受け、唐沢家へ。1年振りの訪問。洋子さんも元気、鯖、丸烏賊などの刺身、魴鮄、目刺、鯵などの干物、くさや、育てた野菜などの料理をいただく。酒は「磯自慢」。途中、寝てしまう。18時頃に辞去。酔っぱらったがともかく帰宅。 |
△ブッドレア ブッドレアの別名(和名)は、ニシキフジウツギ(錦藤空木)・フサフジウツギ(房藤空木)です。ブッドレアの英名はバタフライブッシュ(Butterfly bush)・サマーライラック(Summer lilac)です。バタフライブッシュという名前は、甘い香りと豊富な蜜で蝶を呼び寄せることにちなんでいます。 |
ニゲラ | 虞美人草 | 早苗 | 田植え | 花菖蒲 | |
茅萱・チガヤ | 凌霄花 | ブッドレア |