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 11月号  2018年


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伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
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伊藤伊那男作品

主宰の16句









        
             


今月の目次







銀漢俳句会/11月号









  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎季語の本意

 9月の銀漢本部句会で左記の句に点が入っていたが、私は季語の本意としてこれらの句には少々問題があることを指摘したが、言葉足らずであったかも知れない。納得のいかない顔付の方もいたように思うので、改めて私の考えを記しておく。以下の句は勉強材料として使わせていただく。決して他意はないので、掲載を了承願いたい。

① 水漬くこと一度ならずも今年米
  いくたびも甚雨を過ごし新米来
② 地震の地に捜索といふ夜業の灯
③ 娑婆の良さ忘れられぬか穴惑
  紅灯のちまた耳順の穴惑


① について──稲の栽培は田起しから始まって、田植、草取、落し水等々様々な手を掛け
て収穫に到る。その間には当然水害も風害も病気もある。つまり「新米」の季語そのものには①にある「水漬くこと一度ならずも」や「いくたびも甚雨を過ごし」という説明が既に内包されているのである。それを乗り超えて収穫に到ったものが新米である。つまり①の上五、中七は言わなくてもよい措辞であり、厳しく言えば「新米」「今年米」という季語だけが残る句ということになる。それが日本の詩歌の共通認識だ、というのが私の意見である。

② について──北海道で発生した大地震から数日後の句会であったためか最も共感を集
めた句であったが私は採らない。その理由は、そもそも「夜業」「夜なべ」という季語は、常日頃行っている作業の延長線上にあるもので、日没が早まっていく夜長の頃がもっとも夜遅くまで仕事をしている雰囲気がするということから秋の季語になったものである。その観点から見ると、災害救助の緊急出動で徹夜作業に入った非日常的な行動が「夜業」といえるのかどうか。今回の地震が秋であったからテレビの映像によって雰囲気的に心に届くのかも知れないが、これは季語の本意とは違うのでは、というのが私の意見である。

③ について──これらの句は俳諧味を狙ったのであろうが、果たして季語の本意を全うし
ているのだろうか。自画像の比喩として穴惑を配しているのであり、蛇の生態を詠んでいるものではない。加えて「穴惑」という言葉が入っていれば「有季」の句であるか、というと必ずしもそうではない、というのが私の意見である。

















 



  

盤水俳句・今月の一句

鶹鶹 伊藤伊那男 

 
鼬罠落莫と城ありにけり         皆川 盤水

 
「伊賀上野四句」として別に〈伊賀城に鍵束の音夕笹子〉〈猟銃音城山にゐて聞き咎む〉〈忍者屋敷に日射失せたり冬の鵙〉が並ぶ。先生が訪ねたのは昭和四十五年。私が訪ねたのはその三十年後であるから、地方でも都市開発が進んで、そのような面影は失われていた。句の眼目は「落莫として」の措辞。そこに鼬罠という具体的な物を提示して、いかにも時代から取り残されたような伊賀盆地の冬枯れの様子が如実である。
                              (昭和四十五年作『銀山』所収)
 











  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男

七夕や願ひの数の葉擦れして        瀬戸 紀恵
囮追ふ視線つなぎて地蜂取り        杉阪 大和
立版古富士は裾まで見せて立つ       渡辺 花穂
川の名の変はる辺りの夏料理        竹内 洋平
誰彼の消息氷菓垂れて来し         小泉 良子
虫売の十の音色に灯を一つ         伊藤 庄平
雨上がり手を突つ込んで茗荷の子      島谷 高水
本家てふ重き荷負ひて晩稲刈る       原田さがみ
虫の音を一枚はおり寝ねしかな       谷口いづみ
大方の父は無名や草田男忌         池田 桐人
歩荷の荷晩夏の尾瀬に影伸ばす       中野 堯司
鷹鳩と化して不肖の声こぼす        笠原 祐子
みほとけの千手千相ただ極暑        中島 凌雲
生くるとは残さるること秋蛍        山元 正規
ふるさとに手足大きく踊るなり       杉阪 大和
つるす衣もくたびれて見え晩夏の灯     桂  信子
墓石の戦歴磨く終戦日           上村健太郎
空蟬の爪にたましひ残りしか        唐沢 静男
観覧車星掬ひ取る夜の秋          伊東  岬
ぱたぱたと畳んで終はる海の家       小山 蓮子


















彗星集 選評 伊藤伊那男

  
七夕や願ひの数の葉擦れして       瀬戸 紀恵
 七夕飾りの句はさんざん詠まれていて、もう新しい発見は無いのでは?と思っていたが、この句を読むと、まだまだ諦めてはいけない、と思う。願い事を書いた短冊が笹の葉と擦れ合う。「願ひの数(・)」の措辞で、沢山の短冊、沢山の願い事が鬩ぎ合っていることが解る。「葉擦れして」の措辞で「そんなには叶えられないよ」という笹竹の悲鳴も聞こえてくるようだ。写生眼を効かせた上で、独自の主張を注入できた句である。
 
  
囮追ふ視線つなぎて地蜂取り       杉阪 大和
私の育った信州伊那谷にこの風景があった。「すがれ」と呼ぶ小さな地蜂に目印の糸を付けた餌を持たせ、巣へ戻る蜂を追う。蜂は空を飛ぶけれど人間は川を跨いだり、起伏を辿る。何人かでリレーをして追うのだが、その所作を「視線つなぎて」とまとめたのが力量である。地下の巣を見付けるとその穴に硝煙を入れて親蜂を眠らせて巣を丸ごと掘り出すのだ、幼虫を木綿針で取り出してフライパンで乾煎りし、醤油、砂糖で味をつける。岐阜県恵那地方でも地蜂取りは盛んで、こちらは炊き込みご飯にするという。 

  
立版古富士は裾まで見せて立つ      渡辺 花穂
 「立版古」は「起し絵」ともいい、芝居の一場面などを組立てる切抜絵。要は飛び出す絵本の元型である。今のように動画を見る時代ともなれば、紙芝居などと同様忘れ去られた玩具である。むしろ俳句の中に残る風物ということになりそうだ。稀に雑誌の付録などに付いてくることがある。さてこの句、背景の富士山が裾まで見えるという。つまり高層ビルが一つもない江戸八百八町の後ろに大きく富士山が聳える立版古である。
  
 川の名の変はる辺りの夏料理      竹内 洋平
 味のある句だなと思う。たとえば貴船川が賀茂川となり高野川と合流して鴨川となる。そのような流れの変り目を眺めながらの夏料理。もちろん、別の土地の話であるかもしれないが、読者の心の中の各々の風景であればいい。

  
誰彼の消息氷菓垂れて来し        小泉 良子
久し振りに聞く友人の消息に様々な思い出が湧き出して手に持っていたアイスクリームが溶け出していることに気付く。中村草田男の〈六月の氷菓一盞の別れかな〉の続編のような句だ。 

  
虫売の十の音色に灯を一つ        伊藤 庄平
数字を巧みに使った句だ。様々な種類の虫が売られているが、照らす灯は一つ。構図のうまさである。 

  
雨上がり手を突つ込んで茗荷の子     島谷 高水
 茗荷はこんな感じで密生する。実感である。

  
本家てふ重き荷負ひて晩稲刈る      原田さがみ
少子化の時代、家系の維持は大変。「晩稲」に味わい。

  
虫の音を一枚はおり寝ねしかな      谷口いづみ
言葉遣いの巧みさ。「一枚はおり」が手柄。 

  
大方の父は無名や草田男忌        池田 桐人
「腐った男」の自嘲からの俳号。無名のままでいい。 

  
歩荷の荷晩夏の尾瀬に影伸ばす      中野 堯司
あの尾瀬の木道がまざまざと目に浮かぶ。 

  
鷹鳩と化して不肖の声こぼす       笠原 祐子
「不肖の声」とはうまい比喩。 

  
みほとけの千手千相ただ極暑       中島 凌雲
極暑の思いが千手観音の全部に及んだか。 

  
生くるとは残さるること秋蛍       山元 正規
確かに、人生とはそのようなもの。「秋蛍」がいい。 

 
 ふるさとに手足大きく踊るなり     杉阪 大和
「ふるさと」だからこそ「手足大きく」が生きた。 

 
 つるす衣もくたびれて見え晩夏の灯   桂  信子
「つるす衣も(・)」のも(・)が大事。人間だけではないのだ。 

  
墓石の戦歴磨く終戦日          上村健太郎
「戦歴磨く」が悲しい。彫られた文字を掃苔する。 

  
空蟬の爪にたましひ残りしか       唐沢 静男
爪に焦点を絞ったところがいい。空蝉を支える爪。 
 
 
観覧車星掬ひ取る夜の秋         伊東  岬
 「星掬ひ取る」で抒情を濃くした。「夜の秋」もいい。
 

 
 ぱたぱたと畳んで終はる海の家     小山 蓮子
書割のような海の家だけに「ぱたぱた」が生きた。 






   










銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

ふるさとに砂糖まみれのトマト食ぶ   東京  飯田眞理子
一張は瀬音に近きテントかな      静岡  唐沢 静男
風筋の魔除の音や秋風鈴        群馬  柴山つぐ子
妻が消し我が灯して夜の秋       東京  杉阪 大和
地の熱をそのまま夜に梅筵       東京  武田 花果
カレーズに冷す西瓜や隊商路      東京  武田 禪次
ただ灼けて中空にある風見鶏      カナダ 多田 美記
火も人も天満祭の水の上        東京  谷岡 健彦
鯖鮨をしみじみ明日は京去りぬ     神奈川 谷口いづみ
天地をむすぶ那智山夏の雨       愛知  萩原 空木
うたた寝の現つくつく法師かな     東京  久重 凜子
千枚の田に千枚のいなびかり      東京  堀切 克洋
動くもの全て微速度炎天下       東京  松川 洋酔
クーラーのかたかたと鳴る純喫茶    東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

誰が袖の色や内裏の七変化       大阪  中島 凌雲
若草山めく宇治金時のかき氷      東京  森 羽久衣
折れさうな女の首や立版古       神奈川 宮本起代子
路地すずし生麩のやうなる京ことば   東京  渡辺 花穂
大西日家のひとつもこがすほど     東京  角 佐穂子
老残を囲ふ直線簡単服         東京  我部 敬子
浜木綿や灯台守は唄にのみ       神奈川 久坂依里子
接収の歴史背負ひて夏館        東京  畔柳 海村
晩学や敲きて開く鬼胡桃        東京  竹内 洋平
八月の死者に合掌生きて合掌      東京  相田 惠子
戦中のはなしきりなく胡瓜もみ     宮城  有賀 稲香
浮くやうに江ノ電走る土用波      東京  有澤 志峯
産地へと地球儀回しバナナ剝く     埼玉  伊藤 庄平
丸ビルを過る帰省の夜行バス      東京  伊藤 政三
三代の歯形の残る箱眼鏡        神奈川 伊東  岬
熱帯夜もう朝刊の来る頃と       神奈川 鏡山千恵子
にはとりの歩幅も狭く油照       愛媛  片山 一行
どうみても花らしからぬ芭蕉かな    東京  白濱 武子
陽にあらはなり向日葵の背の孤独    東京  保谷 政孝

一波二波砕き合ひたる土用波      東京  飯田 子貢
井戸水にトマトの廻る故郷かな     埼玉  池田 桐人
かき氷崩さぬやうにしても崩る     東京  今井  麦
流星を納め明日香の山の端       東京  上田  裕
富士のなき銭湯にゐて秋暑し      東京  宇志やまと
母の夢見し日は母とくづざくら     埼玉  梅沢 フミ
朝市の蝮のまなこ瓶の中        埼玉  大澤 静子
まつすぐな幹まつすぐに夏の雨     東京  大沼まり子
草笛やくねりくねりと千曲川      神奈川 大野 里詩
父逝きて設へ怪し盂蘭盆会       埼玉  大野田井蛙
稲妻や嬥歌の山を照らすなよ      東京  大溝 妙子
灼けし道肩揺すりつつ鳩歩む      東京  大山かげもと
膝の子に読み聞かす本稲光       東京  小川 夏葉
地下街のひまはり空を探す顔      宮城  小田島 渚
一方に傾げば押さへ船料理       埼玉  小野寺清人
ダムの放流万緑へまつしぐら      神奈川 鏡山千恵子
八重葎史実胡散の墓を這ふ       和歌山 笠原 祐子
死蟬と空蟬ともに軽がりぬ       東京  梶山かおり
檀林の門送行の礼の黙         東京  桂  信子
吞みこんで酷暑のポストまつかつか   高知  神村むつ代
朝顔を枯らし観察日記果つ       東京  川島秋葉男
ふるさとに送火の燃えつきにけり    長野  北澤 一伯
泣かされてひとりで抓む鳳仙花     東京  柊原 洋征
道すがら戸ごと会釈の帰省かな     東京  朽木  直
稲妻やとろりと沼の横たはる      東京  小泉 良子
滴りといふには猛し橅の森       神奈川 こしだまほ
かざしたるワイン灯に透く夜の秋    東京  小林 雅子
享年の判らぬ墓碑や烏瓜        東京  小山 蓮子
髪洗ふけふの繰り言消えてをり     千葉  佐々木節子
旗挙の木曾の八幡いぼむしり      長野  三溝 恵子
馬肥ゆる五升の水をがぶがぶと     東京  島  織布
尺取の全身使ふ歩幅かな        東京  島谷 高水
夕凪に潮の香りの行きどまり      兵庫  清水佳壽美
上野は未だ目覚めぬ朝の蓮開く     東京  新谷 房子
花火果てたちまち闇を抱く川      大阪  末永理恵子
鰺を焼く反り身の尾にも化粧塩     静岡  杉本アツ子
風抜くる所に風鈴売りの居る      東京  鈴木 淳子
反芻の膝折る牛や雲の峰        東京  鈴木てる緒
水中花終の衰へ知らぬまま       東京  瀬戸 紀恵
言ひたきこと一つ忘れし残暑かな    神奈川 曽谷 晴子
万緑に吞まれ谺の返り来ず       長野  高橋 初風
トンネルを抜けて越後の青田波     東京  高橋 透水
夏蝶の風の速さを追ひ廻す       東京  武井まゆみ
人の輪の真ん中で切る西瓜かな     東京  多田 悦子
長茄子や地についてなほ曲がる体    東京  田中 敬子
風鈴の舌の長さを比べる子       東京  谷川佐和子
夕顔のほのかに闇を薄めけり      東京  塚本 一夫
祇園会も終へて普段の京言葉      東京  辻  隆夫
赤鼻緒の先へ打水祇園かな       愛知  津田  卓
上昇の気流あるかに夏の蝶       東京  坪井 研治
時どきは正座してゐる端居かな     埼玉  戸矢 一斗
竜宮へ魚影の群や箱眼鏡        東京  中西 恒雄
蟬塚へ石段いくつ出羽涼し       東京  中野 智子
天の川地の川はまた人泣かす      東京  中村 孝哲
人の世に浮き沈みあり金魚玉      茨城  中村 湖童
水拭きの黒板乾く百日紅        埼玉  中村 宗男
夏風にふれる秒針時計台        東京  西原  舞
伝馬船釣瓶落しの日を曳きて      東京  沼田 有希
風違へ花のもつるる烏瓜        東京  橋野 幸彦
床の軸問はれてをりぬ夏座敷      神奈川 原田さがみ
ばきばきと音立て回る鉾祭       兵庫  播广 義春
葉柳や一舟すべる蔵の町        東京  半田けい子
尾根をゆくケルンへひとつ石を積み   東京  堀内 清瀬
岐阜提灯下ぐれば亡父眼前に      岐阜  堀江 美州
けふのこと振り返らずに夕端居     埼玉  本庄 康代
亥の子餅神仏茶祖に供へけり      東京  松浦 宗克
下町の屋根の混み合ふ西日かな     東京  松代 展枝
尺蠖のこぼす糞まで等間に       東京  宮内 孝子
大揺れの竹叢台風接近中        千葉  無聞  齋
秋暑し水を欲しげに軒雀        東京  村上 文惠
脩句に寄せて
先づ芙蓉供へて八年の忌を修す     東京  村田 郁子
予定なき日にも用あり髪洗ふ      東京  村田 重子
幹に名を刻みしナイフ夏休み      千葉  森崎 森平
島々を繫ぐ渡船(わたし)や晩夏光   埼玉  森濱 直之
香炉灰整へてより盆に入る       長野  守屋  明
背で泳ぐ子にただ遼か空の(ふち)       愛知   山口 輝久
川風に祓はれ天満祭かな        東京  山下 美佐
牙を剝く飯匙倩(はぶ)酒一献薦めらる     群馬   山田  礁
その度に大き山影いなびかり      東京  山元 正規
一服の茶柱立つる夏座敷        神奈川 𠮷田千絵子
山寺の鐘の凉しき余韻かな       愛媛  脇  行雲
夜濯や明日決勝のユニフォーム     埼玉  渡辺 志水









          











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

誰が袖の色や内裏の七変化       中島 凌雲       
 京都御苑の嘱目であろう。内裏を含む御苑には東京遷都前には二百数十家の公家屋敷があったという。内裏の中には暗くて見えないが、何百年にもわたって様々な人間関係があった筈だ。紫陽花の色の変化に目を遣りながら歴史の場面に思いを馳せたのであろう。こういう句は吟行当日には出てこないもので、胸に刻んだその光景を熟成させた、ということであろう。

  

若草山めく宇治金時のかき氷       森 羽久衣
今夏、私も一緒に歩いた奈良の二月堂の茶屋の一景。句は解説の必要もないほど明瞭。決め手は「若草山めく」の措辞。若草山の裾を巡ってきただけに私の印象は強い。私は猛暑でもかき氷やアイスクリームは頼まない。その時は蕨餅であったか……。もし私がかき氷を注文していたら、この句は私のものであったかもしれない。 

  

折れさうな女の首や立版古        宮本起代子
立版古は今で言えば飛び出す絵本。江戸時代の人々は芝居の一場面などを仕立て蠟燭の明りで楽しんだのである。その中の一場面の女に焦点を当て、更に首の細さにまで焦点を絞り込んだことで句が立ち上ったのである。俳句は森羅万象の中のどれかに思い切り光を当てることが決め手。 

路地すずし生麩のやうなる京ことば    渡辺 花穂
生麩と言えば京都、京都と言えば生麩である。鍋料理や炊合せには欠かせない。色も様々である。あの触感を京言葉に持ち込んだのがこの句で、なるほど、実感である。京都はいつも権力闘争の舞台になっており、角を立てずに身を躱わすのは京都人の特技である。京言葉も一言が多様な意味を持ったりする。この京文化を「生麩のやうなる」と捉えたのは出色であった。「路地すずし」の斡旋は抜群。 
大西日家のひとつもこがすほど      角 佐穂子
大西日というものに見事な比喩を使った句である。家を燃やしてしまうほどだというのだ。だがよく見ると「家のひとつも(・)」とある。この「も」によって、「まあ、そんなものだよ」という軽さが出ているのである。「ちょっと大袈裟だけれどね」という気持である。もし「家のひとつを(・)」であれば句意はもっと重くなるだろう。俳句は一文字が大切。 

老残を囲ふ直線簡単服          我部 敬子
「簡単服」「あっぱっぱ」――は大正時代から始まったという。浴衣のお古などを用いて胴回りを緩やかにしたもので暑さ凌ぎの工夫である。体形が崩れてもあまり目立たないのであろう。「老残を囲ふ」にユーモアと哀愁がある。なお「あっぱっぱ」は大阪で使い始めた俗語。 


浜木綿や灯台守は唄にのみ        久坂衣里子       
 我々の世代には懐かしい句だ。小学生の頃、題名は忘れたが田舎の映画館で見た記憶がある。まだモノクロ映画の時代で、嵐の中で灯台の灯を守る場面に感動したものだ。確か「おいら岬の灯台守は妻と二人で沖行く船の無事を祈って灯をかざす灯をかざす」という歌詞も覚えている。今は住み込みの灯台守などはいない。コンピューター制御の時代である。「唄にのみ」の下五にモノクロ映画の郷愁が籠る。


接収の歴史背負いひて夏館        畔柳 海村
全面降伏とは無残なもので、家を空け渡せ、と言われれば否応なく従うしか無い。畳の部屋も板張りの洋間に改築されたりしたようだ。そんな戦後を抱えた夏館、なんだか夏館が擬人化されたようにも思われてくるのが味わいだ。


晩学や敲きて開く鬼胡桃         竹内 洋平
私の郷里信州には鬼胡桃が多かった。小さくて固い。食用にするには効率が悪いので西洋胡桃に席巻されてしまった。あの頑なさが信州人の気質にも通じる物がある。作者も信州の人。晩学の比喩に鬼胡桃を配したところが実感である。「叩き」ではなく「敲き」の文字を用いて意味を深めている。

八月の死者に合掌生きて合掌       相田 惠子
「八月の死者」とは不本意に死んだ無辜(むこ)の民。その方々への哀悼の合掌。そして生きて来られたことへの感謝の合掌。言葉を削ぎ落して「合掌」のリフレインを生かした。 

その他印象深かった句を次に

戦中のはなしきりなく胡瓜もみ      有賀 稲香
浮くやうに江ノ電走る土用波       有澤 志峯
産地へと地球儀回しバナナ剝く      伊藤 庄平
丸ビルを過る帰省の夜行バス       伊藤 政三
三代の歯型の残る箱眼鏡         伊東  岬
熱帯夜もう朝刊の来る頃と        鏡山千恵子
にはとりの歩幅も狭く油照        片山 一行
どうみても花らしからぬ芭蕉かな     白濱 武子
陽にあらはなり向日葵の背の孤独     保谷 政孝


















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸     

朝顔の折目を正す明けの風       東京  大住 光汪 
郷見えて歩幅広ごる帰省かな      東京  保田 貴子
一振の扇子に動く祇園かな       東京  辻本 芙紗
図書館でアリスと穴へ夏休み      千葉  白井 飛露
朝顔やこのあたりから西陣と      東京  福永 新祇
水中花一泡ふかせ水替ふる       東京  尼崎 沙羅
夜濯や星の瞬き八方に         東京  豊田 知子
青鳩の青を深める潮溜り        神奈川 中野 堯司
蓮の葉の風の連鎖を呼び起こす     東京  清水美保子
村の名の消えて久しや遠花火      長野  坂下  昭
滝落ちて普通の水に戻りけり      埼玉  志村  昌
草の露分けて腹切矢倉へと       東京  田家 正好
蟬の尿浴ぶる爆心地のベンチ      広島  長谷川明子
絵解き図は火色十王詣かな       東京  星野 淑子
転校の子のひとりゐて休暇明      東京  山田  茜
生身魂到来物は仏壇へ         東京  島谷  操
孤独てふ実習もあり夏休み       大阪  永山 憂仔
ぼうたんのうるさきまでにくづほるる  東京  橋本  泰
それ用の皿もあり待つ初秋刀魚     神奈川 横地 三旦
片蔭の細り外出もうできぬ       神奈川 横山 渓泉







雲集作品集抄

            伊藤伊那男・選


すかすかと鳴らぬ真つ赤な海酸漿   東京   秋田 正美
夏雲を負うて羽黒の磴のぼる     埼玉   秋津  結
もと茶屋の食堂西瓜冷しをり     神奈川  秋元 孝之
グラス越しビールに収むプラハ城   東京   朝戸 る津
カーネーション優しき母で過したし  東京   浅見 雅江
夏の蝶番ふ義仲館跡         神奈川  有賀  理
立秋と聞き心決む壱万歩       愛媛   安藤 向山
毎朝のラジオ体操百日紅       東京   井川  敏
乗り換へし車内の訛帰省かな     東京   生田  武
崩し字の筆談めける蛍かな      長野   池内とほる
仏具屋の硝子戸光る盆用意      東京   伊藤 真紀
海辺行く電車の軋み夏帽子      神奈川  伊藤やすを
砂浜はまだ熱を持つ居待月      高知   市原 黄梅
稲光一本道を浮き立たす       埼玉   今村 昌史
あるだけの食器を拡げ盆用意     東京   上村健太郎
唾飲みて耳の通るや秋の風      長野   浦野 洋一
秋近し主治医と共に老いて行く    神奈川  大田 勝行
店先の今日売る花の日日草      東京   岡城より子
切株へまた来たと言ふ避暑の家    東京   岡田 久男
夏帽子鍔大きくて顔見えず      群馬   岡村妃呂子
忘れたき事多き日に髪洗ふ      神奈川  小坂 誠子
今朝秋の水の迅さとなりにけり    京都   小沢 銈三
母の魂一日延ばす魂送り       埼玉   小野 岩雄
手を休め遠稲妻や文机        静岡   小野 無道
籐椅子や星の瞬く峡の宿       静岡   金井 硯児
信号はみな赤のまま赤まんま     東京   釜萢 達夫
秋立つや母の忌日と香を焚く     東京   亀田 正則
明け方の海鳴り一つ冬に入る     福井   加茂 和己
バスを待つ一本道や蟬しぐれ     神奈川  河村  啓
かなかなの夕暮シャツの袖おろす   長野   神林三喜雄
八丁と云ふとんぼとか目を凝らす   愛知   北浦 正弘
水の音百万石の端居かな       神奈川  北爪 鳥閑
かさぶたの乾ききつたる夏の果    東京   北原美枝子
憂き事は捨ててしまへと大瀑布    東京   絹田  稜
近づけば空蟬までが鳴く如し     東京   久保園和美
物干の簀子に残る秋暑かな      東京   倉橋  茂
夏祭八木節太鼓が雨を呼ぶ      群馬   黒岩伊知朗
秋めくや浅間の嶺の雲の色      群馬   黒岩 清女
打水や夜風抜ければ水明かり     愛知   黒岩 宏行
酔芙蓉身をしぼりつつ落ちにけり   東京   黒田イツ子
箱眼鏡見突き漁師の歯形跡      神奈川  小池 天牛  
夏野菜に余生延びたる心地かな    群馬   小林 尊子
向日葵の太き気配に振り返る     東京   小林 美樹
沖に根を張りて昂る雲の峰      宮城   齊藤 克之
つくつくと人を諭して法師蟬     神奈川  阪井 忠太
熟れバナナ皮を剝く間に倒れ来る   長野   桜井美津江
編笠や三味の音高し風の盆      東京   佐々木終吉
もてなしに涼風も入れ山家かな    群馬   佐藤 栄子
花茗荷天使の羽の置き忘れ      群馬   佐藤かずえ
灼熱の岩場の一歩確実に       群馬   佐藤さゆり
かき氷舌にそれぞれ蜜の色      神奈川  白井八十八
はらからの櫛欠くるごと魂迎     東京   須﨑 武雄
空蟬や残滓なれどもしがみつく    岐阜   鈴木 春水
泣く大人見上ぐる子供終戦日     群馬   鈴木踏青子
打水の最後は手桶さかさまに     愛知   住山 春人
夜の秋隙間の広き時刻表       千葉   園部あづき
自分への言ひ訳多し墓洗ふ      埼玉   園部 恵夏
抜け殻は鎧のごとし蟬何処      東京   田岡美也子
目の覚めし夢の中にや大花野     東京   髙城 愉楽
雨乞ひの禰宜の祓に畏まる      福島   髙橋 双葉
遠き日の思ひ出残す走馬灯      埼玉   武井 康弘
庭の木に夕の撒水日課とす      三重   竹本 吉弘
蟬時雨音外したる二つ三つ      神奈川  田嶋 壺中
涼み船川灯台の灯を拾ひ       東京   立崎ひかり
秋蛍妻籠馬籠の宿灯る        東京   田中  道
音聞きて二階へ上がる遠花火     神奈川  多丸 朝子
ビルの間を繫ぐる如く天の川     東京   手嶋 惠子
部屋の闇なほ暗くなり日の盛     大阪   辻本 理恵
江ノ電を遊び場にする夏休み     神奈川  長濱 泰子
明るさのひとかたまりのねぶた来る  埼玉   萩原 陽里
香水や噓もきれいにふりまいて    東京   長谷川千何子
打水のホースぬたくる城下町     長野   蜂谷  敦
汗拭ふ名取祝の手ぬぐひで      神奈川  花上 佐都
夏座敷家族写真に写る庭       長野   馬場みち子
大山を二つに分けて滝一つ      千葉   深澤 淡悠
短夜の夢に戻れぬ二度寝かな     東京   福原 紀子
鏡文字交じるひらがな夏見舞     神奈川  星野かづよ
阿夫利嶺に夕星一つ晩夏かな     神奈川  堀  英一
閻魔詣蒟蒻山へ山重ね        東京   牧野 睦子
宿題帳鞄のままにもう晩夏      神奈川  松尾 守人
水底に己が孤独を見て泳ぐ      愛知   松下美代子
青林檎ひとくち齧り反戦歌      京都   三井 康有
片陰り譲りておくか二尺では     奈良   三村  一
風死すや五山一位の道遠き      東京   八木 八龍
写真館まなこ凝らして七五三     東京   家治 祥夫
線香花火落ちぎはの濃き火色かな   東京   矢野 安美
嬬恋に駆足で来る初秋かな      群馬   山﨑ちづ子
隣家より夜釣の成果鰺二匹      神奈川  山田 丹晴
峰雲の輪郭指でなぞりけり      静岡   山室 樹一
いちじくや仄仄として母想ふ     高知   山本 吉兆
機首下げし街は眼下に白夜かな    群馬   横沢 宇内
始業式日焼自慢が勢揃ひ       千葉   吉田 正克
尺蠖虫に尺を取られて指の先     山形   我妻 一男
桐一葉諭すが如くまた一葉      神奈川  渡邊 憲二
国語より算数よりも兜虫       東京   渡辺 誠子
日本晴街道彩る秋桜         東京   渡辺 文子

     
















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

朝顔の折目を正す明けの風        大住 光汪
朝顔は漏斗状の一弁の花なのでおのずから畳目を持つ。暁の風がその折目を正した、と見たのがこの句で、仕上りの美しい句となった。気温の上昇する前の静かさ、清冽さが伝わってくる。同時出句の〈朝顔の底に夕べの星ひとつ〉は詩的な処理が成されたもので技倆が高い。逸早く咲く朝顔だけに昨夜の星の配合が適っているようだ。〈一音を身籠り蓮の開きけり〉は「身籠り」に独自性を見る。 


郷見えて歩幅広ごる帰省かな       保田 貴子
 地方出身者にはよく解る句だ。駅に降り立てば父母や同胞と一時でも早く会いたいと急ぎ足となる、それを「歩幅広ごる」と歩幅に焦点を絞ったことで臨場感が共有できるのである。学生の頃の帰省、両親が年老いた時の帰省など各々の歩幅の広がった帰省を思い出す。同時出句の〈一輪の向日葵宿す千の種〉は「千の種」が発見。〈撃たれたき子の迫り来る水鉄砲〉も怖いもの見たさの幼児の生態などがよく詠み取られているようだ。


一振の扇子に動く祇園かな        辻本 芙紗
祇園祭の見せ場、山鉾巡行のスタートを切る長刀鉾の動く瞬間を捉えた句であろう。長老の扇子の一振りで長刀鉾の大きな車輪が動く。その気が後に続く数十基の山鉾に伝わって祭がクライマックスに入るのである。「一振の扇子」の把握がいい。〈川面まで天満祭の囃子かな〉は大阪の大祭。「川面まで」で大阪の特長を出しているようだ。 

図書館でアリスと穴へ夏休み       白井 飛露
イギリスの童話『不思議の国のアリス』であったか、少女が穴から地中の世界へ入っていく話があった。この句は図書館でその絵本を読み、自分自身がアリスと一体になって地中に入っていく‥‥という構成の句である。子供時代には皆がそのような気分を味わった筈で、たとえば風呂敷をマント替りにして月光仮面になったり、おもちゃの刀で赤銅鈴之助になったりしたものだ。この句の発想の方がずっと味わいが深く、詩的であるが‥‥。童心を失っていないところがいい。同時出句の〈案内板徐々に濡れゆく滝の径〉〈海開き市長は浜に革靴で〉は各々観察眼がいい。 


朝顔やこのあたりから西陣と       福永 新祇
「西陣」という住居表示は無い。応仁の乱の折、西軍が陣を張っていた、という由来が現在まで続いているだけであり、そこが京都の不思議なところだ。「このあたりから」がまさにその核心を突いているのである。朝顔の斡旋に槿花一朝の夢の諺も想起されるようである。同時出句の〈初島をただ丸洗ひ土用波〉も「ただ丸洗ひ」がうまい。各々固有名詞を生かした句であった。 


水中花一泡ふかせ水替ふる        尼崎 沙羅
「一泡ふかせる」は「意表を突いて驚きあわてさせること」。水中花の容器の水を替えることで、水中花に一泡吹かせたというのである。もちろん葉や花弁に付着した泡を落としたというような実態の描写も重なるので、単なる機知句から免れているのだ。同時出句の〈手花火を繫ぎて父の帰り待つ〉は幼児期の回想か、しみじみとした郷愁が籠る。〈平和宣言噴水の水分かち〉は「水分かち」の措辞が秀逸で、譲り合いということを象徴させているようだ。 


蓮の葉の風の連鎖を呼び起こす      清水美保子
同時に〈蓮咲くや己が光を放ちつつ〉〈風立ちてうねりとなりぬ蓮葉かな〉〈蓮池の騒めき雨の来る予感〉と「蓮」の句が続く。このように一つの対象を何句かに詠み分けていくのは力の付いた証である。真正面から対象物に向き合っているのだ。しっかりと観察ができている。 


村の名の消えて久しや遠花火       坂下  昭
全国各地で市町村合併が続いている。人口減少に伴い益々加速していくのであろう。前には村の中で見た花火も、山を越えた隣町からの音を聞くのみになったのであろうか‥‥。同時出句の〈墓じまひすると決めたる墓洗ふ〉も悲しい現実である。この二句共に社会の現実を詠んだだけではなく。端々に哀惜の情が籠められているところがいい。 


滝落ちて普通の水に戻りけり       志村  昌
「普通の水」が面白い。同じ水なのに、滝から落ちる時は見せ場を演じるスターで、そのあとの水は只の通行人役という感じをうまく捉えているのである。同時出句の〈合はぬ鍵捨てられぬまま夏果てる〉は短編小説の面白さ。 
その他印象深かった句を次に


蟬の尿浴ぶる爆心地のベンチ       長谷川明子
絵解き図は火色十王詣かな        星野 淑子
転校の子のひとりゐて休暇明       山田  茜
それ用の皿もあり待つ初秋刀魚      横地 三旦
ぼうたんのうるさきまでにくづほるる   橋本  泰
生身魂到来物は仏壇へ          島谷  操
片蔭の細り外出もうできぬ        横山 渓泉
孤独てふ実習もあり夏休み        永山 憂仔



       

















伊那男俳句  


 伊那男俳句 自句自解(34)
伊那男俳句 自句自解(35)
          
 
島や今鳶の輪の中栄螺焼く


 もともと子供の頃から歴史が好きだったので、俳句を作り始める前から京都、奈良、近江をよく歩き廻った。そのことがあとから作句の役に立ったし、そのあとも妻の実家の京都に帰省する度にあちこち訪ね歩いたものだ。歴史という点から言うと東京近郊では鎌倉が日帰りの範囲にあり、ずい分歩き、ホームグラウンドの一つになった。俳人協会新人賞を受賞した翌日も、角川の「俳句」から受賞第一作の依頼があったので朝から鎌倉を吟行した。困ったときの鎌倉である。さて掲出句の「島」は江の島である。江の島は今日の行政区分では藤沢市に属するが、私には鎌倉の一部としか思えない。江の島へも数え切れない位行った。この句は江の島の真上に鳶の輪があり、ほぼ丸い外輪を持つ島があり、食堂の焜炉の上に栄螺の丸い蓋がありと、大きな円から小さな円へと焦点を絞り込んでいったものである。写生句で通してきた中で、少し技巧を加えたもので、私にとっては大事な句である。
  
  
実朝の墓なれば白牡丹かな

 源氏という一族は同族の中で殺し合って血筋が絶えた不思議な一族である。私は以前、頼朝の父義朝以降の系図を作ってみたことがある。男子二十五名ほどを書き出したが、寿命を全うしたと思われるのは頼朝の他には頼朝の庶子貞暁一人のみである。貞暁は頼朝が政子に隠れて作った子だが、政子に殺されることを恐れて高野山の僧侶にしたもので、四十六歳の寿命を全うしている。あとは戦死か誅殺である。頼朝でさえ、相模川の橋の落成式の帰路、亡霊に纏いつかれて落馬したのが原因で死んだとという説があり、不自然な点も残る。さて三代将軍実朝は北条氏にそそのかされた兄頼家の遺児公暁に殺されたとされる。『金槐和歌集』を残したことから俳人好みで陰暦一月二十七日を実朝忌として偲ぶ。実朝の墓は寿福寺の裏の矢倉墓だと言われている。大山の麓、秦野に伝首塚がある。掲出句は「実朝に最も似合う花は何なんだろうと考えたところ、白牡丹かな?」というだけの句。
           












      


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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銀漢亭日録

伊藤伊那男

8月

8月20日(月
久し振りに昨夜はクーラーを付けずに寝る。家族6人はようやくスケジュールが合致したようで宮崎県へ夏休みの旅行へ出発。台風が続けざまに来ると心配しつつ。金曜日の夜戻ると。店、環順子さん5名。いよいよ結社誌「パティオ」の創刊と。「演劇人句会」10人。

8月21日(火
「火の会」11人と久々の人数。松山の結社「櫟」の東京支部長、種谷良二、戸田一雄さん来店。種谷さんは私の「井月」本読んで下さったと。屋内松山さん、丁度、松山出身にてお2人と意気投合。「秋麗」の長生子さん。

 8月22日(水)
高校同期「三水会」5人。水内慶太、松川洋酔さん。阪西敦子さん、京都市立芸大の画家他と4人。皆川文弘さん。1年程前から神保町駅の警備のおじさんと敬礼を交わすようになり、時々話す。マイクをつけたまま「お気を付けて」などと話しかけてくれる。一週間に一度位会うのだが、奇妙な交流。

8月23日(木)
「銀漢句会」あと16人。飯田高校下平さんが友人と6名で。

8月24日(金)
大石悦子先生、角川「俳句」立木編集長、滝口百合さん。グラビア撮影の「ランチョン」の帰路と。そうだ!「ランチョン」は石田波郷の縁あり。そこへ水内慶太さん「すし屋の弥助」の鯖ずし持って来て、丁度手配して下さった、だだ茶豆も到着。皆さんで戴く。「天為」の青柳飛さん(米国俳句協会会長)今日、米国から帰国。その足で来店。23時過ぎ、早めに帰宅すると家族、宮崎の「フェニックス・シーガイア・リゾート」から戻っていて、1時間ほど報告を聞く。

 8月25日(土)
娘夫婦と男の子2人は「江戸ワンダーランド 日光江戸村」へ。午後、日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」12人。蛸と里芋の煮物、松茸と鱧の子のすり身のお椀、鱸の南部焼、握り。お開きのあと、渋谷「鳥竹」に少し寄り、買い物して帰宅。女の子2人にステーキ、茄子と茸のソテー添え。梨のデザートなどの夕食作る。庭師が入り、私の部屋明るくなる。

8月26日(日)
快晴。坪井さんに頂いた信州の昼顔うまい。味噌汁、煮物に。終日家。選句。夜、鶏つくね鍋。家族揃う。

 8月27日(月)
梅田津さんの勉強会4人。阪西敦子さんゲスト。青柳飛さんと天為編集部の方々。三輪初子、飛島蘭さん。池田のりをさんとその友人。

8月28日(火)
「萩句会」選句。「ひまわり句会」あと9人。三笠書房の押鐘会長。大野田さん、伊那吟行打ち合わせ。

8月29日(水)
屋内松山さん。環順子さん、結社誌「パテォオ」創刊号を届けて下さる。お目出度う! 「雛句会」9人。

8月30日(木)
歯科へ行くと予約日は明日であると。内科へ行くと今日から夏休みと。両方共カラ振り。この暑い中、何とも……。店、「閏句会」7人。青柳飛さんネット句会の仲間との会のあと六人ほど。

8月31日(金)
岩野歯科、奥歯の修繕、型取り、クリーニング。店、「金星句会」あと7人。「櫟」の種谷さん。堺田さん。15年振りに金融会社時代の同業者松江純さん来店。

9 月

 9月1日(土)
6時50分、起床。慌てる。いつもは孫の部屋の目覚まし時計を借りるのだが昨夜は無く、自力に頼ったため。血圧の薬も切れており、無理はいけない。新宿発8時のあずさ5号(8時丁度のあずさだが……)そういえば狩人の「あずさ2号」は別れる人にどうして列車名と発車時刻まで伝えるのであろうか。まあいいか、昼、伊那市着。昼食あと、大野田、有賀、高遠句会の神林三喜雄氏の車に分乗して権兵衛トンネルを抜けて中仙道奈良井宿へ。1時間散策のあと、木曾義仲の育った日義村へ。巴淵、義仲館、徳音寺の義仲の墓、今井兼平、中原次郎の墓、旗挙八幡神社、禅興寺の義仲の墓、山村代官の墓などを巡る。降ったり止んだりの雨の中。17時半、伊那に戻り、ホテルセンピア伊那にチェックインし、18時、「角八」へ。高遠句会の三溝恵子、守屋明さん。角川書店の北田智広さん、母上の体調不調で急遽伊那へ戻っていた月野ぽぽなさん参加して20人ほどで5句出し句会。料理は鯛の塩釜、刺身、秋刀魚の塩焼き、いか煮、豆腐と鶏の煮物……。最後、おろし蕎麦と盛りだくさん。あと大野田さんの友人のラーメン店に挨拶替わりにチューハイ、餃子など。

 9月2日(日)
雨。7時起き。10時より「信州伊那井月俳句大会」。大野田さん司会。私は最後に選評3分。午後、今泉恂之介氏の講演会。当日句選者の1人は武田花果さん。親睦会あと「門」にて少々飲み、東京へ。車中熟睡。

 9月3日(月)
降圧剤数日切れていたので「あ・ん・ど・うクリニック」へ。先日の血液検査の結果、血糖値基準値を少し上回ったままと。店「かさゝぎ俳句勉強会」あと10数名。

9月4日(火)
大型台風襲来で窓外只ならず。14時くらいまで様子をみて、本日は「銀漢亭」休業とする。「銀漢」10月号の校正その他雑用。孫の希望で鶏モモのニンニク醤油焼などの夕食。骨休めの1日。

9月5日(水)
店、「宙句会」あと13人。「きさらぎ句会」あと6人。駒ヶ根の先輩岩波書店OBの今井さん。

9月6日(木)
夜中、北海道で大地震あったと。天変地異多し。店、「十六夜句会」あと12人。「天為」のHさん泥酔して自宅近くの路傍にうずくまって転た寝。朝、登校する小学生に起こされたと。危ない。今もこういう人がいるのだ。教訓として覚えておこう。

9月7日(金)
上伊那農業高校OB福沢さん他4人。朔出版の鈴木忍さん。堀切克洋君の愛娘ことはちゃん。このところ私のことをジイジ、ジイジと呼び、厨房に入ってくる。

9月8日(土)
10時、運営委員会。13時、麹町会館にて「銀漢本部句会」、53人。あと中華料理店にて親睦会、10数人。あと、中村湖童さんにお招きいただき、姉上、手嶋恵子さん経営の大分料理店「とど」へ。赤坂三丁目。手嶋さんは銀漢会員。かんぱちのりゅうきゅう、関サバ、カサゴの刺身など何ともうまい! 自家製さつま揚げ何種類も。あら汁など。酒は「両関」。すっかり御馳走になる。活力のある姉上。

9月9日(日)
雑用いろいろ。午後、宮澤と夕食の買い出し。松茸のスキヤキをやることに。家族揃って夕食。

9月10日月
午前中、エッセイなど。店、「演劇人句会」6人。他、閑散。22時閉めて餃子屋で小酌。

9月11日(火)
12時、有楽町朝日ホールにて第57回全国俳句大会。当日句選者。20年ほど前に一度手伝い要員で来た憶えあり。当日句500句超。特選句3句につき3分で評。店、「火の会」10人。大会あとの小島健大会委員長寄って下さる。

  9月12日(水)
銀行で打ち合わせ。「梶の葉句会」あることを失念していて慌てる。店、予約なし。山田真砂年、金井さん。早仕舞しようとする頃、水内慶太、祐森水香さん他。ヴーヴクリコで乾杯。

9月13日(木)
岩野歯科。奥歯にセラミック装着。出費大。喫茶店にてエッセイ一本。選句。店、「極句会」あと16人。皆川丈人さんが盤水先生の名前入り原稿用紙沢山出て来たがよかったら使ってくれと届けて下さる。

9月14日(金)
3ヶ月に1度の「白熱句会」。水内慶太、佐怒賀正美、檜山哲彦、木暮陶句郎さん(井上弘美、藤田直子さん欠席)他客無く、私も終始参加。

9月15日(土)
19時より池袋東京芸術劇場シアターイーストにて会員田岡美也子さんのグループる・ぱるのさよなら身終い公演。『蜜柑とユウウツ〜茨木のり子異聞』鑑賞。あと小酌。いづみ、展枝、麦さん。

9月16日(日)
午後、環順子主宰「パティオ」創刊記念祝賀会。如水会館。ジュピターの間。大高霧海先生と隣席。温かな出発式。

  9月17日(月)
敬老の日だが家族からは何の言葉もなく、まだ老人とは思われていないか? 逆に夕飯の仕度を頼まれる。11月号のエッセイや自句自解。昼寝など

9月18日(火)
店、超閑散。20時半閉める。近隣の店2軒ほど挨拶廻り。

9月19日(水)
伊那北高同期「三水会」5人。

 9月0日(金)
発行所、「蔦句会」。あと店へ九人。そのあとは閑散。ラグビーワールドカップ、日露戦の為か。21時、閉店す。帰宅すると成城仲間のくみちゃん来ていて一緒に歓談。

 9月21日(土)
13時半、品川駅構内「十六夜句会」「大倉句会」の品川合同吟行会にゲスト参加。構内の郵便ポスト、ゴジラ記念印などを見て、旧東海道品川宿へ。いづみさんの案内見事。品川寺まであちこち見て歩く。17時より、「ごっつ」という居酒屋にて、5句出し句会と懇親会。更に大井町まで歩き、酒場街へ。二次会。











         
    




 



今月の季節の写真/花の歳時記



2018年11月23日撮影  初雪葛   HACHIOJI




花言葉    『化粧』『素敵になって』『素直にこたえたい』

△初雪葛
ピンク色の葉っぱが、少しずつ白へと変化する様子が、初雪が積もる様子を連想させることが、「ハツユキカズラ」という名前の由来です。
姫蔓蕎麦 いちょう並木 臭木 郁子 枇杷の花
ラベンダーセージ 初雪葛
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/11/24  更新


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