HOME 句会案内 バックナンバー  

2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号
   7月号  8月号  9月号  10月号  11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号
   7 月号  8月号  9月号      

 9月号  2018年



Flash ムービーを利用しています。更新ボタンで再度ムービーへ・・。

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句    伊那男俳句   銀漢の絵はがき 掲示板  
 銀漢日録  今月の写真


Photo Flash Maker を使用しました。更新ボタンで再度動画になります。


伊藤伊那男作品

主宰の八句














        
             


今月の目次









銀漢俳句会/9月号














  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎寂聴と真砂女

 作家の瀬戸内寂聴が句集『ひとり』にて第六回星野立子賞を受賞した。俳句との出会いはたまたま京都嵯峨野の寂庵を訪ねてきた黒田杏子が、東京女子大学の同窓生であったことから交流が始まり、寂庵の一室で杏子指導の「あんず句会」を開いたのが始まりだという。「俳句αあるふぁ」平成30年夏号にその特集があり、授賞式での挨拶が掲載されている。
 ……今、俳句がすごく気にかかります。私はもう95歳ですから、今夜死んでもおかしくないんですけど、結局、ひそかに最後の俳句を残したいと思っているんです。死の間際に私に残るものは俳句だな、と今は思っております。……(中略)……今は、食べているとき以外は俳句のことを考えています。……(中略)……それで九十五歳になってですね、一生懸命になれるものがあることは、やっぱり恵まれていると思います。日本に生まれて、そして俳句を作って、そして俳句を作りながら死んでいく、もうそれしかありません。……(中略)……俳句は死の間際でも、もしかしたら前に書いたものよりもいい句ができるんじゃないかなと思いながら死ねるんじゃないかと。そういう楽しさを与えてくれる喜びがあると思います……。
 年を重ねてからの俳句の存在の大きさが実直に語られている。寂聴の句をいくつか紹介しておく。
   
はるさめかなみだかあてなにじみをり
子を捨てしわれに母の日喪のごとく
仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな
むかしむかしみそかごとありさくらもち
鈴虫を梵音(ぼんのん)と聴く北の寺
独りとはかくもすがしき雪こんこん

 寂聴で思い出すのは、鈴木真砂女が句集『紫木蓮』で蛇笏賞を受賞したときの真砂女の挨拶である。その時の真砂女は90歳位であったか。車椅子を降りて独力で登壇したが、演台までの途中で少しふらついた。真砂女は「昔は男によろめいたけれど、今は……」と口火を切って笑わせた。蛇笏賞受賞の知らせのあと着物屋が「依頼主の名は言えないが、着物をプレゼントしたいという方がいるので生地を選んでほしい」と訪ねてきたという。真砂女は「あら、どの男かしら」と思ったが、「実は寂聴さんからのもで、今日着てきました」と語った。丁度その少し前、寂聴が日本経済新聞に、真砂女をモデルにした小説『いよよ華やぐ』を執筆した縁である。ともかく2人とも見事に人生の修羅を生き抜いたのである。 
 









 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

新涼や鯉手捕りしと佐久の(ひと)      皆川 盤水


 
私事だが、鯉は特別思い入れのある魚だ。私の育った当時の伊那谷では、結婚式その他の宴席のメインディッシュは必ずといってよいほど筒切りの鯉の旨煮であり、最高のご馳走であった。このところ毎年小諸に行くが、佐久鯉を食べるのが楽しみの一つだ。先生には〈初霜やむらさきがちの佐久の鯉〉の名作がある。掲出句も「新涼や」の季語の斡旋がいい。さて先生は鯉を食べるのが好きだったかというと、違うように思う。
                             (平成14年作『山海抄』所収)
                         
  














  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男

担ぎゆく櫂の雫や雲の峰          中野 智子
夏痩の父逞しくなりし母          星野かづよ
信号に庇のありて炎暑かな         萩原 陽里
葉桜のさやぎを谿へ吉野建         渡辺 花穂
陶枕の中に津波の泥の跡          小野寺清人
光秀に不断の鉦や夏椿           清水佳壽美
丈合はぬ簾を吊るし仮住居         笠原 祐子
冷房をつけたら負けのやうな気が      星野かづよ
かはたれやほたるぶくろの灯るころ     鈴木てる緒
大山へ脇道あまた夏蓬           瀬戸 紀恵
鹿の子の怯えながらも近づき来       杉阪 大和
陶枕の穴より何か出て来さう        武井まゆみ
東京と我を隔てる網戸かな         北原美枝子
蟬の字にあまたの口のひしめきぬ      夲庄 康代
富士塚の頂目指す蟻の列          渡辺 志水
枇杷熟るる磨り硝子戸に医院の名      朽木  直
くろぐろと山濡れてゐる栗の花       杉本アツ子
雨安居や奪衣婆ひとり立膝に        谷口いづみ
















彗星集 選評 伊藤伊那男

  
担ぎゆく櫂の雫や雲の峰         中野 智子
「櫂の雫」という言葉は「隅田川」の歌詞にもあったと思う。こちらはボート部の風景であろう。担いだオールから滴り落ちる雫。川の向うには雲の峰が聳えている。この句の眼目は構図の良さであろう。オールを担ぐ選手が前面におり、雫までが克明である。その後ろに競技の舞台である川があり何艇かが浮いている。その画面全部を被うように雲の峰がある。見事な構成である。

  
夏痩の父逞しくなりし母         星野かづよ
現今の男女の力関係が出ている諧謔味を含んだ句だ。父は夏痩せをする。反対に母は強くなっていく。平均寿命の明らかな違いなどからも、もはや女性上位の時代に入っているのであろう。特に共働きが当たり前になった世代であれば金銭的な立場も同格であり、発言力は更に強まる。

  
信号に庇のありて炎暑かな        萩原 陽里
俳句はまだまだ詠める嘱目が尽きないのだな、と思う。信号の庇にも目が行くのであるから驚かざるを得ない。そもそも季節を問わず信号には庇がある。その庇を炎暑に取り合わせたところが眼目で、機械に擬人化を持ち込んだのである。

  
葉桜のさやぎを谿へ吉野建        渡辺 花穂
「吉野建」とは峻剣な地形の吉野では尾根に沿った道路に面して、崖を利用して家を建てるのだが、三階建であれば道路に面した部分が三階、階段を下りると二階、一番下が一階という具合になる。崖に建てる柱で支える構造である。窓の下は谷であるところを、この句はうまく捉えているようだ。

  
陶枕の中に津波の泥の跡         小野寺清人
悲しい句だ。東日本大震災から月日が経ち、復興の工事に入っているが、まだまだ手付かずの所も多い。そうした中から陶枕が出てきたのであろう。あちこち穴の空いている陶枕に泥が入っている。洗ってもなかなか落ちないのであろう。使っていた人の行方については何も言っていないが、あの爪跡は今もって深いままである。

  
光秀に不断の鉦や夏椿          清水佳壽美
少し説明のいる句である。光秀は明智光秀のこと。場所は近江国湖西。堅田の西教寺である。山門に入ると鉦の音が聞こえるが、五百年間にわたって今も鉦を叩き続けている寺である。ここに光秀一族の墓所がある。「夏椿」の季語の斡旋が効いており、私には光秀の人柄が象徴されているように思われる。

  
丈合はぬ簾を吊るし仮住居        笠原 祐子
建替か災害のためか、その仮住いの様子が如実である。

 
冷房をつけたら負けのやうな気が     星野かづよ
吾々の世代はよく理解できる……が、きっと倒れる。

  
かはたれやほたるぶくろの灯るころ    鈴木てる緒
童話のような風景だ。「灯るころ」がいい。

  
大山へ脇道あまた夏蓬          瀬戸 紀恵
大山詣の住還には沢山の道があった。栄華の跡である。

  
鹿の子の怯えながらも近づき来      杉阪 大和
奈良公園辺りの一景か。まだ親鹿の図々しさはない。

  
陶枕の穴より何か出て来さう       武井まゆみ
 陶枕の形をよく見た。夢の数々が出てくるのであろうか。

  
東京と我を隔てる網戸かな        北原美枝子
隔てるというのも大袈裟な網戸。「東京」との意外性。

  
蟬の字にあまたの口のひしめきぬ     夲庄 康代
面白い事を言い出したものだ。私も数えてみたら八。

  
富士塚の頂目指す蟻の列         渡辺 志水
富士山のミニチュア、蟻は丁度人間位の大きさであるか。

  
枇杷熟るる磨り硝子戸に医院の名     朽木  直
一昔前の町医者の入口は確かにこんな風であった。
 
  
くろぐろと山濡れてゐる栗の花      杉本アツ子
この花の咲く頃の鬱陶しさがよく出ているようだ。
 
  
雨安居や奪衣婆ひとり立膝に       谷口いづみ
すぐ衣類を剝がす姿勢の奪衣婆。安居の寺の取合せがいい。
 





   











銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

一隅に十薬のあり法の山        東京  飯田眞理子
着古しに馴染む肌や更衣        静岡  唐沢 静男
遺されて夫の化身か揚羽追ふ      群馬  柴山つぐ子
直線といふ勢ひの初鰹         東京  杉阪 大和
グラバー邸の隠れ部屋まで薔薇の香に  東京  武田 花果
土偶みな口開けしまま山瀬吹く     東京  武田 禪次
茉莉花の香に向き背きひと夜かな    カナダ 多田 美記
高音吹くために息つぎ祭笛       東京  谷岡 健彦
鱗粉はひかりの粒子夏の蝶       神奈川 谷口いづみ
クレヨンの赤に力やチューリップ    愛知  萩原 空木
梅雨寒や鎧ふものなき齢かな      東京  久重 凜子
ナイターのブルペンに熱残りをり    東京  堀切 克洋
目覚むるも五体の無力明易し      東京  松川 洋酔
短夜や子を宿したる子の寝息      東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

父の日を知らざるままの父に供花    埼玉  伊藤 庄平
五箇山の通年の炉も梅雨に入る     東京  桂  信子
子供の日子が子育ててゐた昔      東京  鈴木てる緒
夏富士の何合目まで里ならむ      大阪  中島 凌雲
香水の香の抜け切りて妻となる     長野  守屋  明
ふらここに座すだけの子もその中に   東京  渡辺 花穂
緑蔭の濃きに怯ゆる齢かな       神奈川 原田さがみ
雪解富士ひかり五湖へと分ちをり    東京  塚本 一夫
消えぬ間に自転車飛ばし虹の根へ    茨城  中村 湖童
外野からアルプスへ這ふ蔦青し     兵庫  播广 義春
上向くに頃合ひのありラムネ飲む    埼玉  戸矢 一斗
姿消し気配消さざるごきかぶり     東京  橋野 幸彦
父の日や息子に譲る父の本       東京  村田 重子
夏蝶の超ゆる三十八度線        神奈川 宮本起代子
父の日のやつぱり母は忙しい      東京  宮内 孝子
発心の汗が目に入る遍路坂       東京  田中 敬子
鎮守社に土俵の名残り青嵐       長野  三溝 恵子
蝸牛まなこ伸ばせば透きとほる     東京  飯田 子貢
海鳴りも箪笥に島の更衣        神奈川 伊東  岬

香水の瓶だけが知る恋の数       東京  相田 惠子
思ひ出の旅はいくつや更衣       宮城  有賀 稲香
竹の子や力蓄へ覗く顔         東京  有澤 志峯
麦藁帽伏せて夢見る故国かな      埼玉  池田 桐人
草取を在家出家の修行とす       東京  伊藤 政三
掛川に遠き縁者や新茶の香       東京  今井  麦
麦笛の髄にのぞきし月日かな      東京  上田  裕
目つむりて野風を思ふ端居かな     東京  宇志やまと
夕風がどつと沸かせし小判草      埼玉  梅沢 フミ
ゆつくりと刻の流るる蝸牛       埼玉  大澤 静子
夏木立雲のあてどはなほ遠く      東京  大沼まり子
老鶯に聴き惚れ墓標去り難し      神奈川 大野 里詩
走り梅雨届く封書にある湿り      埼玉  大野田井蛙
雪解富士三保の松原総立ちに      東京  大溝 妙子
商ひの忙事に果てし五月かな      東京  大山かげもと
薔薇の香のつつみ込みたる女神像    東京  小川 夏葉
袋角雨に微熱をさましをり       宮城  小田島 渚
杉落葉幣のちぎれをその中に      埼玉  小野寺清人
子燕の飛び立つ日待つランドセル    神奈川 鏡山千恵子
足踏に逸りおさへて競馬        和歌山 笠原 祐子
急いでは軽くぶつかる蟻の国      東京  梶山かおり
修司忌や一本残る親不知        愛媛  片山 一行
縄文のヴィーナス笑ふ麦の秋      長野  加藤 恵介
夏の雲咥へたままの観覧車       東京  我部 敬子
死に顔は微笑かくあれ白薔薇      高知  神村むつ代
川止めの宿より眺む雪解富士      東京  川島秋葉男
母呼べば雉の鋭く鳴きにけり      長野  北澤 一伯
縄文の風吹けば散る針槐        東京  柊原 洋征
家小さく人なほ小さく五月富士     神奈川 久坂依里子
涼風のしばし山廬の式台に       東京  朽木  直
西郷像のその影にゐて風涼し      東京  畔柳 海村
たたずまひ変らぬ母校麦の秋      東京  小泉 良子
風といふかぜ従へて春ショール     神奈川 こしだまほ
てるてる坊主軒に泣かせて梅雨の朝   東京  小林 雅子
倒木に流れの変はり水芭蕉       東京  小山 蓮子
ジョッキーの勝利の拳炎帝へ      長崎  坂口 晴子
門涼み忌を修したるやすらぎに     千葉  佐々木節子
雪解富士湯の効能に美肌とも      東京  島  織布
梅雨寒や少し早めの夕仕度       東京  島谷 高水
義仲に集ふ墓石や露涼し        兵庫  清水佳壽美
白靴に潮の香の砂付け帰る       東京  白濱 武子
あわただしき宿の夕餉や蛍狩      東京  新谷 房子
夏燕ほどよき人の近さかな       大阪  末永理恵子
鶏冠赤しこつと一声羽抜鶏       静岡  杉本アツ子
夜の朧万華鏡めく観覧車        東京  鈴木 淳子
父の日や答合はせのなき日々に     東京  角 佐穂子
燕の子遊覧船の駅育ち         東京  瀬戸 紀恵
あの頃のコインは底に泉湧く      神奈川 曽谷 晴子
黒猫の目は金色に五月闇        長野  高橋 初風
紫陽花の青さの優る日照雨       東京  高橋 透水
青山椒捥ぎつつこぼれ話など      東京  武井まゆみ
実桜や十七音に託す遺書        東京  竹内 洋平
蛸を嚙む日のまだ落ちぬカタルーニャ  東京  多田 悦子
川の蛇しばらく眺め登校す       東京  谷川佐和子
葉桜やけふは急がぬ旅仕度       東京  辻  隆夫
地下街の茶舗から今日は新茶の香    愛知  津田  卓
夏立つや樹液吹きでる白樺       東京  坪井 研治
木苺を親しき鳥に残しおく       東京  中西 恒雄
信ずればどれも真実七変化       東京  中野 智子
鈴蘭を百鈴鳴らしひとりかな      東京  中村 孝哲
いささかの自負のありけり羽抜鳥    東京  中村 貞代
ぼうたんや石に偃かるる箒の目     埼玉  中村 宗男
お田植の笠屈むたび日を返す      東京  西原  舞
秋風を残して庭師帰りけり       東京  沼田 有希
ダービーの空に弾けるファンファーレ  東京  半田けい子
透析あと急須ふるへる新茶かな     東京  保谷 政孝
鈴懸の広葉を叩き男梅雨        東京  堀内 清瀬
弾け散る水車のしぶき夏来る      岐阜  堀江 美州
籐椅子の少し窪みて馴染み初む     埼玉  本庄 康代
風わたる尾瀬湿原や登山帽       東京  松浦 宗克
梅雨に入る紙飛行機の翼より      東京  松代 展枝
非核化の決着つくか百日紅       千葉  無聞  齋
浴衣着てひとり暮しの肩はらず     東京  村上 文惠
ダービーや国歌の余韻空にとぶ     東京  村田 郁子
水芭蕉のひとつひとつに受くる風    東京  森 羽久衣
反骨の叔父の太箸豆ごはん       千葉  森崎 森平
やはらかな木漏れ日触るる袋角     埼玉  森濱 直之
乱調に美ありとすれば夏木立      愛知  山口 輝久
なほ昏き極楽寺坂梅雨に入る      東京  山下 美佐
農日誌違へて昨日の別れ霜       群馬  山田  礁
八橋の影を正しく燕子花        東京  山元 正規
影法師かさなり合ひし濃紫陽花     神奈川 𠮷田千絵子
樹々の葉も静かに伏せて梅雨に入る   愛媛  脇  行雲
短夜の夢の続きはまた明日       埼玉  渡辺 志水




           










     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

父の日を知らざるままの父に供花    伊藤 庄平            
「父の日」は一九二〇年頃から米国で定着したが、日本ではまだ定着しつつある状態だと言えようか。私でも父の日と知らないまま過ぎてしまう年もある。この句の父は、もちろん「父の日」の存在すら知らなかった世代であろう。父の日にふと思い出して花を捧げる。時代の経過をうまく詠んだ句だ。同時出句の〈きのふ槍けふは穂高へ草矢の子〉は大景を詠んだ。〈忘れたき世過ぎの数のケルン積む〉は人生の感慨を読んで出色。 


五箇山の通年の炉も梅雨に入る      桂  信子
「夏炉」という季語はあるが、「通年の炉」とはなんとも絶妙である。五箇山ならではの夏炉である。焚き続けているその炉も「梅雨」に入ったという。梅雨入りによって夏炉に変る、その変化がいい。固有名詞はこのように使うものだ、ということを教えてくれる句であった。 


子供の日子が子育ててゐた昔       鈴木てる緒
 私は団塊の世代。三人兄弟などは当り前で、七人八人いる家庭も珍しくはなかった。その頃は兄姉が下の子の世話をすることが普通で、おんぶして遊んでいたものだ。この句は子供の日に触発された回顧の句。「子が子育ててゐた昔」とはうまい表現。往時茫々である。


夏富士の何合目まで里ならむ       中島 凌雲
スケールの大きな発想である。富士山の偉容を仰ぎ、裾の方へ視点を落としていくのだが、さて富士の裾とはどこまでであるのか、その裾の何合目まで人が住んでいるのであろうか、と首を傾げる。言われてみると私も答えることができない。裾野市という町もあるし、別荘地も多いし、さて……こんな金にもならない事にこだわるのが俳諧味。 

  

香水の香の抜け切りて妻となる      守屋  明
なるほど、これも一つの真実である。出合いの最初はよそゆきの関係だが、次第に普段着の付き合いになっていく。結婚する頃には香水をつけることも無くなっていく。そんな真理を十七音に収めたのが手柄。同時出句の〈バナナ剝く一口分の長さづつ〉〈越境の筍掘れば藪騒ぐ〉はそこはかとないユーモアを滲ませた佳品。 

 

ふらここに座すだけの子もその中に    渡辺 花穂
子供といっても各々がすでに歴然と個性を持っている。この句はそうしたことを端的に詠み取った。一回りする位の勢いで漕ぐ子もいれば、勢いを付けて飛び出す子などもいる。この句は座っているだけの子を詠んでいるが「座すだけの子も(・)」の「も」が重要で、子の百態を表現しているのである。同時出句の〈金魚田行く平均台を渡るごと〉も金魚田の様子が如実。大和郡山辺りの風景を思い出す。 


緑陰の濃きに怯ゆる齢かな        原田さがみ
都会生活を送っていると、真の闇というものを体験することが無い。自然との間に距離をもってしまっているので、緑陰にも驚くという都会生活者の実感がよく表現されているようである。樹木の放つ香りや霊気に「怯ゆ」――それは半ば自然に対する「畏怖」「敬意」なのであろう。 

  

雪解富士ひかり五湖へと分かちをり    塚本 一夫
「五湖」の使い方がうまい。上五に「雪解富士」を置いたので「富士五湖」であることは明瞭である。雪解富士が五湖各々に光を放つ。あたかも上空から一度に五湖を俯瞰した構図のスケールの大きな句である。「分かちをり」の把握が見事だ。


消えぬ間に自転車飛ばし虹の根へ     中村 湖童
童心に帰ったような、郷愁を誘われた句である。私も子供の頃、近づけば虹の実態が解るのではないか、とその思いに駆られたことがある。このような童心を持ち続けることが俳句には大切なことだな、と思う。 


  

外野からアルプスへ這ふ蔦青し      播广 義春
甲子園球場であろうか。このようなところへ目が届いたことに驚く。意外な風景を詠む人がいるものである。球場の中には当然選手たちの動きがあるが、場外でも蔦が動いている。アルプス(スタンド)へ、という措辞がうまい!


その他印象深かった句を次に

上向くに頃合ひのありラムネ飲む     戸矢 一斗
姿消し気配消さざるごきかぶり      橋野 幸彦
父の日や息子に譲る父の本        村田 重子
夏蝶の超ゆる三十八度線         宮本起代子
父の日のやつぱり母は忙しい       宮内 孝子
発心の汗が目に入る遍路坂        田中 敬子
鎮守社に土俵の名残り青嵐        三溝 恵子
蝸牛まなこ伸ばせば透きとほる      飯田 子貢
海鳴りも箪笥に島の更衣         伊東  岬















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸     

翡翠の羽根に移りし森の色      東京   豊田 知子
上からははつきり見ゆる蟻地獄    東京   辻本 芙紗
竹の秋夕べ還りしかぐや姫      埼玉   萩原 陽里
黒南風や唸る重機の鉄の爪      神奈川  中野 堯司
紫陽花にまだ執着の次の色      東京   大住 光汪 
駆ける子に香を攫はれし薔薇の園   大阪   辻本 理恵
判官の首途の杜の花菖蒲       京都   三井 康有
連れ子のやうどこか控へめ夏の菊   東京   手嶋 惠子
法隆寺ここより里は柿若葉      東京   山田  茜
夏シャツに透けし二の腕反抗期    愛知   松下美代子
十薬や群れゐるやうで個の強さ    神奈川  星野かづよ
ぶちまけるやうに蟷螂生れたる    東京   星野 淑子
友の通夜同期会めき夕薄暑      東京   福原 紀子
新橋に芝居仕立ての夏の月      東京   福永 新祇
蝸牛意外に早き身の熟し       神奈川  秋元 孝之






雲集作品集抄

            伊藤伊那男・選
富士を背に一芯二葉新茶摘む     東京   秋田 正美
老い母の眠りは深し梅雨の入     埼玉   秋津  結
風鈴や祖父なき部屋に祖父の声    東京   浅見 雅江
時の日やテンポの合はぬ合奏部    東京   尼崎 沙羅
不揃ひの歯型バナナに繰り返す    神奈川  有賀  理
卯の花に道教へられ銅山跡      愛媛   安藤 向山
新しき風を生み出す若葉かな     東京   井川  敏
匙曲りアイスクリーム抵抗す     東京   生田  武
曾て此処に開拓の村青嵐       長野   池内とほる
蛍追ふ川音よりも声ひそめ      東京   伊藤 真紀
懐郷の桑の実ひとつまだ渋き     神奈川  伊藤やすを
走馬燈絵柄は昔遊びかな       高知   市原 黄梅
溶岩もある富士塚山頂夏蝶来     埼玉   今村 昌史
しばらくは山田の友ぞ時鳥      愛媛   岩本 青山
借景はどこも飯豊の梅雨晴間     東京   上村健太郎
足摺に星満天の遍路宿        愛媛   内田 釣月
常念の岩肌見えて田植かな      長野   浦野 洋一
若鮎の無念の口へ竹の串       静岡   大西 老林
夏大根下ろして辛き涙かな      群馬   岡村妃呂子
青岬キリストの像すくと立ち     神奈川  小坂 誠子
五月晴比叡の嶮を街の上       京都   小沢 銈三
母の()の紋様も食ぶ柏餅       埼玉   小野 岩雄
駅の名の耳に届きて見るカンナ    静岡   小野 無道
走り茶や壺に閉ぢ込む日の香り    静岡   金井 硯児
平成の父の日最後はや暮れぬ     東京   釜萢 達夫
雨戸開け先づ挨拶を額の花      東京   亀田 正則
青臭きバナナを房で購へり      長野   唐沢 冬朱
十薬の匂ひ踏みしめ六浦道(むつらみち)      神奈川  河村  啓
郭公の鳴き初むる日や父遠く     長野   神林三喜雄
捩花のらせん階段蝶の路       愛知   北浦 正弘
グラスより溢れてこその冷酒かな   神奈川  北爪 鳥閑
足元に十薬絡む校舎裏        東京   北原美枝子
仏壇の線香まとふ柏餅        東京   絹田  稜
魚屋の蠅取紙と小銭笊        東京   倉橋  茂
祈願祭祝詞にあはす雨蛙       群馬   黒岩伊知朗
若竹や風の谺にあをあをと      愛知   黒岩 宏行
海紅豆三線の音に佇みて       東京   黒田イツ子
余念なき網繕ひや大南風       神奈川  小池 天牛
明易し出荷の前のにぎりめし     群馬   小林 尊子
故郷や震災前の梅酒飲む       東京   小林 美樹
不揃ひのかしは手涼し童の手     宮城   齊藤 克之
奥入瀬の思ひ出深き夏の波      神奈川  阪井 忠太
南方を語らぬ父とバナナ喰ふ     長野   坂下  昭
葉脈の軽き歯触り桜餅        長野   桜井美津江
時鳥一声のみの潔さ         東京   佐々木終吉
山荘の目覚め誘ふ遠郭公       群馬   佐藤 栄子
枇杷の実をしづくとともにいただきぬ 群馬   佐藤かずえ
さくらんぼ父の植樹に思ひ馳せ    群馬   佐藤さゆり
たつぷりと泰山木の開きをり     東京   島谷  操
老鶯や内なる声に従へと       東京   清水美保子
魚籠に敷く笹青々と山女釣      埼玉   志村  昌
夭折の画家のアトリエ西日入る    千葉   白井 飛露
河鹿鳴く瀬音ゆかしき御師の宿    神奈川  白井八十八
豆飯と判る隣の日曜日        東京   須﨑 武雄
泣き声も歩く四月のランドセル    岐阜   鈴木 春水
新茶入れひと日ゆつくり始まりぬ   群馬   鈴木踏青子
薫風や稚のこぶしのひらきゆく    愛知   住山 春人
遮断機の高鳴る毎の暑さかな     千葉   園部あづき
筑波嶺は仲睦まじや夏燕       埼玉   園部 恵夏
梅雨の月明日はフレアースカートに  東京   田岡美也子
わが町の銀座通りに夏帽子      東京   髙城 愉楽
大地震のあと七年や植田風      福島   髙橋 双葉
短夜の夢の続きに追はれをり     埼玉   武井 康弘
風止みて疲れ癒すか鯉幟       三重   竹本 吉弘
白樺の木霊が揺らすハンモック    神奈川  田嶋 壺中
日本ダービー血の滾りたる拳かな   東京   立崎ひかり
吉兆を推し測るかな朝の蜘蛛     東京   田中  道
平凡に過ぎ行く日々や七変化     神奈川  多丸 朝子
白神の森の鼓動や山毛欅若葉     東京   田家 正好
バナナ食み神殿見上ぐ旅の人     神奈川  長濱 泰子
旱星見果てぬ夢にザイルかけ     大阪   永山 憂仔
一皿のミートコロッケ昭和の日    広島   長谷川明子
裏木戸にひと跳ねしつつ柿の花    東京   長谷川千何子
カヤックのオールは雲を払ふかに   長野   蜂谷  敦
暮れ残る光を集め柿若葉       神奈川  花上 佐都
勢ひで求めしバナナ熟るる頃     長野   馬場みち子
確信に満ち麦秋の黄金色       千葉   平山 凜語
何もなく一日が過ぎ豆の飯      千葉   深澤 淡悠
行々子大河たうたう海に入れ     神奈川  堀  英一
薔薇園のベンチに母の読み聞かせ   東京   牧野 睦子
切通し武者の影めく木下闇      神奈川  松尾 守人
篝火に般若怪しき薪能        奈良   三村  一
七回忌遺影の叱咤冷し酒       東京   八木 八龍
蓑虫のしがみつきたるみくじ掛    東京   家治 祥夫
短夜を忙しく刻む柱時計       東京   保田 貴子
萼片のことに雅や濃紫陽花      東京   矢野 安美
桑の実や人の恋しき日となりぬ    群馬   山﨑ちづ子
若葉冷膝の重たき女坂        神奈川  山田 丹晴
花蜜柑昼は讃岐のざるうどん     静岡   山室 樹一
雨兆す歩き遍路の急ぎ足       高知   山本 吉兆
僧良寛眺めし佐渡や卯波立つ     群馬   横沢 宇内
人間万事塞翁が馬冷奴        神奈川  横地 三旦
落ちさうな羽ばたきをして燕の子   神奈川  横山 渓泉
ねこ欠伸釣られ欠伸の昼のどか    千葉   吉田 正克
薇の斜めに走る沢の水        山形   我妻 一男
旧軽をいつも決まりのパナマ帽    神奈川  渡邊 憲二
ラムネ飲むガラスの瓶を懐かしみ   東京   渡辺 誠子
捩れ花渡り行く世もかくあらん    東京   渡辺 文子










    









     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

翡翠の羽根に移りし森の色        豊田 知子
そうであったか、あの翡翠の色は森の持つ様々な色の中から選りすぐった色の結晶であったか!と納得した一句。青とも見え、緑とも見え、金色とも銀色とも見える翡翠の羽根は森の色彩の象徴である。同時出句の〈鋼より産まれたやうな瑠璃蜥蜴〉は比喩の的確さ、〈初夏や鐘の音にも芯ありき〉の、「芯」の発見、〈軽鴨の子の産毛に光る水飛沫〉の観察眼、と各々に力を見せてくれた。


上からははつきり見ゆる蟻地獄      辻本 芙紗
無垢な目がある句だな、と思う。ついつい見逃してしまう蟻地獄だが、真上から見れば、あの火口のような巣の様子が克明に解るというのだ。蟻の落ちる様子や、察知して跳びかかる蟻地獄などが一目瞭然である。俳句を詠むときは、ぼんやり見ていては駄目で、人とは違う角度、視点で観察することが肝要だが、そうした事を教えてくれる句だ。


竹の秋夕べ還りしかぐや姫        萩原 陽里
『竹取物語』という日本最古の創作物語を思うとき、しみじみと発想の凄さに感嘆する。今から千年以上前の平安初期にあれだけ大胆な空想小説ができたことは不思議であり、日本の誇りである。句はその本歌取りのような発想の句である。かぐや姫が月の国へ戻ってしまったあとは、竹の秋だけが残ったのである。同時出句の〈髪洗ふメドゥーサのごと振りかぶり〉はギリシャ神話の蛇の頭髪を持った女性を比喩に用いた少し怖い作品だ。いずれも古典を題材にして独自の世界を構築している個性豊かな作品。


駆ける子に香を攫はれし薔薇の園     辻本 理恵
薔薇園を被う薔薇の香気を駆け廻る子供達が搔き廻し、攫っていくという。目に見えない香りの移動に着目したのが新鮮な感覚である。


連れ子のやうどこか控へめ夏の菊     手嶋 惠子
 「夏の菊」がこのように詠まれたことに驚いた。「菊」は秋を象徴する花。「冬菊」の季語もあり。こちらは哀れさや孤高性を感じさせる。「夏菊」は花舗その他でよく見掛けるのだが、何となく主役の感じが無く、印象が薄いのである。それを「連れ子のやうに控へめ」と比喩したのが的確である。「どこか控えめ」の「どこか」がうまい。


法隆寺ここより里は柿若葉        山田  茜
正岡子規の〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉の句は、法隆寺を訪ねたあと、東大寺門前の宿に泊り、丼一杯の柿を食べたあとにできた句である。二つの大寺が混然として子規の創作を刺激した、ということになろう。さてこちらの句は子規の句を十分意識した上で、明日香村の様子を詠みとめたのである。今も明日香は柿の里である。


夏シャツに透けし二の腕反抗期      松下美代子
正岡子規の〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉の句は、法隆寺を訪ねたあと、東大寺門前の宿に泊り、丼一杯の柿を食べたあとにできた句である。二つの大寺が混然として子規の創作を刺激した、ということになろう。さてこちらの句は子規の句を十分意識した上で、明日香村の様子を詠みとめたのである。今も明日香は柿の里である。


十薬や群れゐるやうで個の強さ      星野かづよ
十薬の本意を捉えている。群落になっているけれど、各々が強い茎と深い根を持っているこの花の様子を「個の強さ」と纏めて、端的に本質を詠み取ったのである。


ぶちまけるやうに蟷螂生れたる      星野 淑子
蟷螂は一度に数百が孵化する。親と全く同じ姿の子蟷螂が溢れ返るのであるから壮観である。家の中に持ち込んだ卵が孵化して大慌てだったという友達の話を聞いたことがある。「ぶちまけるやうに」の素直な措辞で生きた句だ。


友の通夜同期会めき夕薄暑        福原 紀子
誰もが体験する微妙な通夜である。悲しいけれど、久し振りの友と再会してついつい笑いそうになったりして慌てて口を閉じる。そんな哀歓の交錯が詠まれている。


新橋に芝居仕立ての夏の月        福永 新祇
新橋演舞場や近隣の有楽町界隈の劇場街を視野に入れての句である。「芝居仕立て」の措辞で「新橋」の固有名詞が生きているのである。明治時代に霞ヶ関が官庁街になったあと、近くに盛り場を、という需要から生まれたのが新橋。柳橋の花街に対する「新しい柳橋」という意味から「新橋」の名になった、と聞いたことがある。


蝸牛意外に早き身の熟し          秋元 孝之
「蝸牛」についての固定観念を破った意外性のある発想の句であった。身の熟(こな)しが意外にも早いのだ、と観察したことを評価したい。俳句は粘り強い観察と写生が肝要だ。




















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(33)
          
 
丹沢の暮色に干され猪の皮

 40代の頃しきりに登山をしたが、一番多く登った山は丹沢山系である。小田急線とバスを乗り継げば短時間で山麓に着き、無理なく日帰りできること、標高差が千メートルはあり、十分な訓練ができること、冬季でも雪が降ることは稀で安全なこと、など東京に住む身には有難い山である。この句は足柄を拠点に矢倉岳や金時山を歩いた時の嘱目である。足柄地区は茶の栽培が盛んで、坂田金時の出身地としても知られていて、棚田の中に金時の遊び石と呼ばれる巨石などがある。その集落の道路のガードレールに猪の皮が何枚も無造作に干してあった。猟師の家の前なのであろうか。きっと肉は丹沢集落の温泉宿に卸すのであろう。そんなことを思いながら金時山を往復して集落に戻ると、冬の日暮は早く、猪の皮も暮色の中にあった。坂田金時は熊に跨っていたが、さすがにもう熊はいない。逆に猪は増えており、登山道のいたる所に蚯蚓などを掘ったあとが無数に残っていた。

  
褞袍着てさて何もなき日曜日


 20代から30代前半の生活を回想した句である。27歳でリース会社に転職し、仕事で一生懸命で、自分で言うのもおこがましいが営業のトップクラスを走っていた。緊張感もあり、休日などは何もしたくないほど疲れていたように思う。予定のない休日は昼過ぎまで寝ていたり、1日中褞袍――実はちゃんちゃんこなのだが、信州では褞袍と呼んでいた――姿であったりしたものだ。当時は読書以外の趣味はほとんど無く、通勤鞄の中には常に2冊の本が入っていた。何故2冊かというと、外出の途中で読み終わったあとの無聊が恐かったからである。月に10冊以上読んでいたように思う。30歳を過ぎてから、仕事以外に自分を表現できるものはないだろうか、と模索した中で、33歳から俳句の世界に入った。休日は句会や1人での吟行なども入り、思えばその頃以来「何もなき日曜日」はほとんど無くなって、今の生活に続くのである。そういう性(さが)ということであろうか。











  
   


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    

















掲示板























 
             

銀漢亭日録

伊藤伊那男


6月

6月25日(月)
店、藤森荘吉さんの「閏句会」8人。池田のりをさん(昨夜の京都の店は池田のりをさんの紹介)。

6月26日(火)
「萩句会」の選句、そのあと7名が店で食事。「ひまわり句会」あと12人。皆川丈人さん、部屋の整理をしていたら出てきたという昭和30年代と思われる俳人達署名の色紙をプレゼントして下さる。中島凌雲君出張でと。黒岩徳将、根木夏実さん。阪西敦子さん。

6月27日(水)
「雛句会」11人。「海程」会員という石倉さん。対馬康子さん久々。

6月28日(木)
13時、志村坂上駅に禪次編集長、馬場龍吉さんと待ち合わせ。旭印刷へ。私の句集の装幀、表紙、帯などを決定。あとは出来上がりを待つのみ。7月17日頃の予定。ORIX時代の部下、佐原君、大阪から戻り、調布自動車学校社長へ転出と。

6月29日(金)
梅雨明けと。17時、ホテルメトロポリタンエドモントにて、「第52回蛇笏賞・迢空賞」授賞式。有馬朗人、友岡子郷氏。あと祝宴に一時間ほどいて店に戻る。祝賀会あとの天為の方々。小島健さん来店。「金星句会」あと7人。

6月30日(土)
日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」。帰国中の月野ぽぽなさんをゲストに。あと、題のイサキの焼き物。摺りおろした冬瓜汁、茄子の鳥そぼろ、握り。17時過、纏メンバー9人ほどで松代展枝さんの家。既に酒盛りが始まっており、30名ほどで月野ぽぽなさんを囲む歓迎会。22時近くまで。

7月

7月1日(日)
午後、「春耕同人句会」あと、「炙谷」で親睦会。疲れあり二次会は遠慮し早々に帰宅し寝る。

 7月2日(月)
全体閑散。「かさゝぎ俳句勉強会」あと9人。8月号の選句稿、大溝さん、花果さんに渡す。9月号の投句用紙受け取る。サッカー、対ベルギー戦あるとて電車の客も少ない。

7月3日(火)
同人評。会員評を書く。店、超々閑散。8時半、閉める。

 7月4日(水)
「信州伊那井月俳句大会」の選句。応募句1,600句ほどあり。30句選。店「きさらぎ句会」あと6人。「宙句会」あと13人。私の誕生日祝いとてヴーヴクリコで乾杯してくれる。酒の持ち込みも何本か。

 7月5日(木)
彗星集の選句、選評をして8月号の原稿終了。「俳壇」9月号へ10句(京都の句)投函。駅前の理髪店へ久々。「あ・ん・ど・うクリニック」、薬局、銀行など雨の中。成城仲間のマコさん、新島のくさや来たが何とかしてくれと持ち込みあり、店で焼く。飛魚と室鯵の極上品! 「十六夜句会」あと16人。女性だけの句会。活気あり。

 7月6日(金)
松崎逍遊さん(伊那北高校同期、「銀漢」創刊時の恩人)、私の句集出版を聞きつけて10冊購入の予約。「雲の峰」朝妻力さん30冊の予約と有り難し。店、「大倉句会夏祭」とて清人さん、気仙沼の帆立貝、海鞘、その他。ほかに差し入れ数多あり。26人。

7月7日(土)
「Oh!納涼句会」。13時半、5 句出句。39名と盛況。料理や酒の持ち込み多く有り難い。あと席題の3句出し句会。最後にケーキとシャンパンを用意していただいており、私の69歳の誕生日を祝って下さる。後片付けのあと、9人ほどで餃子屋。たまたま句会と誕生日が重なったのだが、これほど大勢の方に祝っていただき感激の1日! 

7月8日(日)
久々、家にいる1日。礼状その他雑用をこなす。エッセイ書く。昼寝する。午後、家族は近所に家を建てたタレントの恵さんの新築祝いへ。私は「西郷どん」などを見ながら晩酌。骨休めの1日。有り難し。

7月9日(月)
閑散であったが、「大倉句会」の医師、清水旭峰先生が気仙沼の牡蠣養殖で有名な畠山重篤氏他を案内。畠山氏は2回目。娘婿の映画「うみやまあひだ」にも出演されている縁。清水先生もこの映画の学校での上映に一役買っていて、私の娘婿が監督であることを知って驚いている。畠山氏の梓の木についての話が印象深い。日本の梓は固くて梓弓などに使う。中国の梓はやわらかく版木にしたので「上梓」の言葉が今も残ると。

7月10日(火)
「火の会」13人と盛況。然し私の成績は不調。

7月11日(水)
暑い。ラジオは東京34度と。「梶の葉句会」選句。店、法政大学高柳先生、伊那谷の方々と7人で来店。

7月12日(木)
店、小島健さん。17時から環順子さんグループ6人の暑気払いの会。入れ替わりに「極句会」あとの12人。パリ在住の林さん、昨年堀切君の紹介で来店して楽しかったと、仏のソーセージ類など土産に来て下さる。

7月13日(金)
閑散。

7月14日(土)
10時過ぎ、運営委員会。13時、ひまわり館にて「銀漢本部句会」いつもより少なく50人程か。喜怒哀楽書房の木戸敦子さん取材で参加。久々、久重凛子さん。あと「テング酒場」にて親睦会。あと渋谷「島竹」で小酌して帰宅。宮澤が沖縄から戻っていて小酌。

7月15日(日)
8時40分、品川駅発の新幹線にて京都へ。車中、崎陽軒の焼売弁当。一睡。近鉄京都駅にて大野田井蛙、今井麦、森羽久衣さんと合流。奈良へ。40度ほどの猛暑。東大寺近くの「そば処 喜多原」で少し待つ間、井蛙さんと戒壇院を拝観。蕎麦佳品。柿の奈良漬、「春鹿」辛口もよし。あまりの暑さに早々「奈良ホテル」にチェックイン。少し涼んで東大寺大仏殿。麦、羽久衣、柱の穴くぐりできず。二月堂に廻り、茶店でかき氷など。三月堂を拝観して早々にホテルに戻りシャワー。18時、「蔵」。おでん、刺身、鶏もつ焼き、ポテトサラダなど。酒は「風の森」。19時、友人で奈良の実業家畑中利久君を呼び、近況や奈良の話など。22時お開き。私はホテルへ戻るが他の3人は和田桃さんの店へ。

7月16日(月)
海の日。快眠。6時起床。ゆっくり風呂。8時、茶粥の朝食。興福寺の五重塔が見える。9時から館内ツアーあり。奈良ホテルの歴史、絵画、ピアノ、食器類の説明など。案内役の辻さん名解説。11時10分の特急にて京都。12時半、八坂神社境内にて、いづみ、展枝、凌雲、芙紗と合流。円山公園の「祇園円山 かがり火」にて豆腐料理など。4句出し句会。猛暑の中、烏丸高辻の「ダイワロイネットホテル京都」に入る。一休みして17時半、「味どころ しん」に入る。鱧、ぐじ、のどくろ、万願寺、白海老、鯖鮨。20時前、切り上げて宵山へ。綾傘鉾、伯牙山、四条傘鉾、蟷螂山、放下鉾、途中一休みして函谷鉾の提灯落としに間に合わず。長刀鉾を見て22時過ぎにホテルに戻る










         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2018年9月23日撮影  紫苑    HACHIOJI





花言葉 「追憶」「君を忘れない」「遠方にある人を思う」

        
紫苑
「紫苑」という色名の語源となった花。中秋の高い空へ爽やかな色彩を向ける紫苑は、平安時代から鑑賞用や薬用として親しまれきた、秋の代表花ひとつ。清少納言も紫苑色を「あでやかなるもの」として『枕草子』にも登場させています。

郁子 屁糞葛 アニソドンテア 芙蓉粋  芙蓉粋
 
紅葉葵 玉すだれ 曼珠沙華 紫苑  
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/9/24   更新


HOME

漢亭日録