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 9月号  2015年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
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伊藤伊那男作品

主宰の八句


缶ビール        伊藤伊那男

ひと跨ぎほどの山頂富士詣
縄解きて茅の輪の歪み正しけり
缶ビールのぬるさ加減も那覇の街
摩天楼の谷底にゐて夕涼み
海鞘喰うて津波の前の陸奥のこと
陶枕に乗せて臥薪といふ思ひ
すててことなりてにはかに老い兆す
大津京跡であるらし瓜の花







        
             


今月の目次









銀漢俳句会/9月号

      










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎ 出羽三山④ 月山から湯殿へ

 盤水先生の月山登山は、1回目は台風のため途中で断念。そのあと実に4回登頂を果たしている。私は1回少ないが、3回登頂した。その経験から言うと、芭蕉の月山登山は実に過酷である。今は八合目の弥陀ヶ原まで車で行けるので二合分を登ればいい。一方芭蕉の頃は多分手向(とうげ)の集落から五合目までは馬、そこから徒歩となる。7月とはいえ、月山は今も夏スキーのできる雪の多い山である。当然ながら登山の装備も今とは格段に違う。山小屋も雲泥の差である。登りにも九合目に行者返しというやや厳しい岩場があるが、最大の難所は湯殿山への下山道である。幾度も雪渓を横切り最後には今も鎖や鉄梯子などを使って急降下する。俳句仲間で登った折、その鉄梯子のあたりで一人の女性が竦んで動けなくなった。「私を置いていって下さい」と言う。姨捨山ではあるまいし、そんな訳にはいかない。皆で一足ずつ支えて降ろしたことがある。
 話は転じるが、武将で一番高い山を登ったのは木曾義仲である。木曾谷に挙兵して木曽山脈(中央アルプス)空木岳の鞍部を越え、平家の拠点であった菅冠者の守る大田切城を攻めている。標高2,900m位の所に木曾谷越えがあり、義仲の力水も湧いている。では俳人で一番高い山に登ったのは誰かというと、その当時、いや江戸時代を通じて芭蕉のこの月山登山(1,980M)ということになろう。芭蕉は義仲を偲ぶことが厚く、最後は近江の義仲寺に墓石を並べたが、こうした共通点があることを誰も指摘していないようだ。
 月山は天照大神の弟、月読命を祀っている。月読は、夜─冥界を司る神である。木綿注連(ゆうしめ)を着け白衣の修験の姿で登り、死の世界に入る。湯殿は「総じて此の山中の微細、他言することを禁ず」と記されるが、一口に言えば熱湯を湧出する巨岩で女陰を思わせる形状であり、胎蔵界大日如来として信仰されている。月山は冥界─死の山であり、湯殿山に下りて新たに誕生を果たす。再生の巡礼地である。
 さてこれほどの苦労をして芭蕉は三山に何を求めたのであろうか。文中に「氷雪を踏んでのぼる事八里……日没して月顕る」「三尺ばかりなる桜の、つぼみひらけるあり」とある。つまり雪・月・花全部を揃えたのがこの月山登拝である。この旅を終えた芭蕉が、不易流行を説き、軽みを唱えるのだが、その最大のきっかけは三山登拝による心境の深化だというのが大方の研究者の見解である。
  
涼しさやほの三日月の羽黒山     芭蕉
語られぬ湯殿にぬらす袂かな     同
雲の峰幾つ崩れて月の山       同

なお「湯殿詣」「湯殿行」「湯殿垢離」は夏の季語で、芭蕉、曽良の句が初出ということになるであろう。


 











           


 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

秋の蟬二度の日照雨(そばえ)の羽黒山     皆川盤水

先生は40代の半ばに出羽三山の霊気に打たれて生涯に20回以上訪問した。その姿勢が神社にも理解されて、2基目の句碑は南谷の参道、3基目は湯殿山の参道と、神域への建立を許されたのである。「羽黒に来ると気持ちが安らぐんだよ」と何度もお聞きした。庄内平野が隆起する辺りに羽黒の宿坊街があるので気象の変化が激しい。日に二度の雨に羽黒の空は洗われて、秋蟬の声も澄み渡り、一抹の淋しさを醸し出すのである。   

                (平成16年作『花遊集』所収)




 






  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男・選
曝涼の系譜ひととこ疑はし         桂  信子
四阿に残る蚊遣の跡ふたつ         播广 義春
扇ぐ手の同時に止まる夏芝居        畔柳 海村
かはほりや子は風呂敷のマントして     鈴木てる緒
くりや隅一夜の伸びの泥らつきよう     鈴木てる緒
姫路城一番乗りの夏帽子          上村健太郎
線香花火に指のふるへの伝わりぬ      飯田 康酔
夢語り合ひしかの夜は蚊帳の中       伊藤 庄平
峰雲の肩より湧きぬ龍馬像         池田 桐人
帰省子の嵐のごとく去りにけり       中野 智子
滝音のそこに聞えてゐて遠し        杉阪 大和
噴水の伏すも起立も鮮やかに        笠原 祐子
さくらんぼ一粒づつが笑みを生む      田中 敬子
水打つ手やがて客呼ぶ手となりぬ      高橋 透水
鞆の津の夕焼潜り帰港かな         清水佳壽美
額の花触れなば零る雨後の綺羅       小林 雅子
蛍火や恋のうらみを宇治川に        武田 禪次
入りて世を眺めてみたし金魚玉       山口 輝久
溝浚ひ終へて井戸端会議へと        脇  行雲







         
           








彗星集 選評 伊藤伊那男

 
曝涼の系譜ひととこ疑はし       桂  信子
 私などは父が信州も更に山奥の農家の出自なので、泥から生まれ出たようなもので、三代前の先祖のことも知らない。先日隠岐島で、後鳥羽上皇の御火葬塚を守り続けて四八代という村上助九郎氏にお目に懸ったが、連綿と家系を守り続けた凄味を感じたものだ。この句は系図に疑念があるという。直系を続けるのは極めて難しいことで、天皇家にも疑念が無いとは言えないという。掲句の主語は作者であるとすると、曝涼のたびに、この部分なんだよな……と首を捻っている様子などが浮かぶ興趣がある。

 
四阿に残る蚊遣の跡ふたつ       播广 義春
 俳句に数字を入れて詠むのは難しいのだが、この句の「ふたつ」はいい。四方が開いた場所なのでどこからも蚊が入ってくる。二つ置くというところで、四、五人が集まって涼んでいた様子が想像される。「蚊遣の跡」に一夜の歓談のあとの一抹の寂しさが滲み、読後の余韻がいい。


扇ぐ手の同時に止まる夏芝居      畔柳 海村
 夏芝居は怪談物などが多く演じられてきたという。昔は冷房設備もないので団扇や扇子で煽ぎっぱなしである。いよいよ修羅場となればその恐怖に全員の煽ぐ手が止まる。「同時に止まる」との措辞で、夏芝居の一場面を的確に捉えた。
 

かはほりや子は風呂敷のマントして   鈴木てる緒
 私の子供の頃は『月光仮面』が流行っていて、皆その真似をした。今のように変装の道具などないので、マントといっても風呂敷を首に巻く程度で、それでも主人公になったような気分になり、塀の上から飛び降りたりしたものである。夕方には蝙蝠が舞っていた時代のことだ。


くりや隅一夜の伸びの泥らつきよう   鈴木てる緒
 「葷酒山門に入るを許さず」の慣用句がある。葱、韮、大蒜などをいうが、この句の辣韮も同類である。修行の妨げになる精力の強い植物である。明日処理をしようと台所に置いたのだが一夜の成長の速さに驚くのである。
   

姫路城一番乗りの夏帽子        上村健太郎
新装なった姫路城の白さと夏帽子の取り合わせがいい。 


線香花火に指のふるへの伝わりぬ    飯田 康酔
線香花火の繊細さ、はかなさに作者の感情も交叉する。


夢語り合ひしかの夜は蚊帳の中     伊藤 庄平
 一家や兄弟が一つ蚊帳に寝た時代が懐かしい。


峰雲の肩より湧きぬ龍馬像       池田 桐人
桂浜であろうか。龍馬のスケールの大きな大志が伝わる。


帰省子の嵐のごとく去りにけり     中野 智子
そうそう、孫まで加わったらもう戦場の様相。


滝音のそこに聞えてゐて遠し      杉阪 大和
 まだ見えない滝だが、相当な大きさであることが・・・


噴水の伏すも起立も鮮やかに      笠原 祐子
コンピュータで管理されているのか噴水の切れのよさ。 


さくらんぼ一粒づつが笑みを生む    田中 敬子
きれいに詰められたさくらんぼの一箱は笑窪の集合だ。 


水打つ手やがて客呼ぶ手となりぬ    高橋 透水
「手」のリフレインだが、目的の違いを出したのがいい。 


鞆の津の夕焼潜り帰港かな       清水佳壽美
 固有名詞の斡旋がいい。何とも美しい風景。
 

額の花触れなば零る雨後の綺羅     小林 雅子
花に溜る雨も美しいが、零れる雨もまた。 


蛍火や恋のうらみを宇治川に      武田 禪次
 源氏物語宇治十帖の本歌取りか。過剰に艶冶ではあるが。


入りて世を眺めてみたし金魚玉     山口 輝久
 金魚玉の中に入ってしまうという逆転の発想。


溝浚ひ終へて井戸端会議へと      脇  行雲
 いかにもこんな風か。溝から井戸へという運びがいい。








     




      
     
        







銀河集品抄

伊藤伊那男・選

扇子の香残し見舞の客去りぬ      東京   飯田眞理子
揉み洗ふ蛸に正体なかりけり      静岡   唐沢 静男
幻のうしろ姿の夏羽織         群馬   柴山つぐ子
万年のその一時の子亀飼ふ       東京   杉阪 大和
殉難のロザリオ梅雨の重みとも     東京   武田 花果
蛇踊の龍の抜け殻五月闇        東京   武田 禪次
時刻表のみの駅舎に灯蛾の嵩      愛知   萩原 空木
蟇鳴くや阿夫利嶺は雲被くまま     東京   久重 凜子
椋鳥哀し群を解かざる空に地に     東京   松川 洋酔
糠味噌を天地に返す清和かな      東京   三代川次郎
破れ魞は湖族の墓標夏霞        埼玉   屋内 松山









    
   













綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

短夜の一塊として輸送船       静岡   杉本アツ子
蜘蛛の囲を被せられたる鞍馬かな   兵庫   清水佳壽美
牛若の山かけめぐる青嵐       神奈川  吉田千絵子
竹婦人その後行方の知れずとよ    長崎   坂口 晴子
更衣せぬ子も交じる更衣       長野   加藤 恵介
背もたれを倒せば五月晴となる    愛媛   片山 一行
ハンカチに皺懸命にけふを生き    和歌山  笠原 祐子
一山を上へ上へと七変化       愛媛   脇  行雲
香水をカクテルにして欧州便     東京   坪井 研治
籐寝椅子謄本にゐる父と母      東京   松代 展枝
籐椅子に推理小説二人死ぬ      東京   中村 貞代
尺蠖のとる釈尊の足の尺       埼玉   多田 美記
網戸越しの会話牧師と信者めく    東京   中村 孝哲
身の重さ吐息で減らす薄暑かな    東京   宮内 孝子
葭切や雲の流るる水漬き舟      群馬   山田 鯉公
泰山木地熱にとほく離れ咲く     千葉   無聞  齋
隣る世は存外近き蛍闇        東京   桂  信子
十薬の海に溺るる観世音       東京   多田 悦子
頼朝の旗揚げの地に食ふ鰻      神奈川  中川冬紫子

腹の子へふはりと乗せし夏蒲団    東京   相田 惠子
筆圧の強き手紙と新茶かな      東京   有澤 志峯
声合はぬまま椋鳥の寝入りけり    東京   飯田 子貢
薄暑はや箱階段のうす埃       静岡   五十嵐京子
畳みおく母の単衣のどれも無地    埼玉   伊藤 庄平
明け易し殊に夜汽車に揺るる時    東京   伊藤 政三
食べてくれさうもなけれど零余子飯  埼玉   梅沢 フミ
揉みに揉む神田神輿や電気街     東京   大西 酔馬
麦茶飲むちからいつぱい生きてをり  神奈川  大野 里詩
カピタンのあらはれさうな坂薄暑   東京   大溝 妙子
両の手に収まる頭蓋梅雨深む     東京   大山かげもと
羊羹を少し厚めに新茶かな      東京   小川 夏葉
名も知らぬ星に惹かれて初夏の宿   鹿児島  尾崎 尚子
容易には解けぬ柳生の落し文     埼玉   小野寺清人
緑蔭や放牧の牛かたまり来      神奈川  鏡山千恵子
照る坊主はりきり過ぎの旱梅雨    東京   影山 風子
夏蜜柑潮の香もして届きけり     東京   我部 敬子
青柿や書に親しめば人遠く      高知   神村むつ代
宰相の憂ひのパイプ虎が雨      東京   川島秋葉男
草刈りの鎌のかすめし蟹鋏      長野   北澤 一伯
汗ばんできて長崎は坂多し      東京   柊原 洋征
城垣と同じ石組み溝浚ふ       東京   朽木  直
亀の子の折り重なつて売られけり   東京   畔柳 海村
七夕や常の酒場につねの顔      神奈川  こしだまほ
蛍火も幽けき平家の性愛し      東京   小林 雅子
一語をも話さぬ一日かたつむり    千葉   佐々木節子
子かまきりまだ軟らかき斧かざす   山口   笹園 春雀
麦秋やゆつたり暮るる峡の空     長野   三溝 恵子
其所此所にうどんげ咲くも憂き世かな 静岡   澤入 夏帆
プログラム繰るや夏手袋のまま    東京   島  織布
そろばんの背に鳴る家路蚊喰鳥    東京   島谷 高水
担ぎ手を募集してゐる大神輿     東京   白濱 武子
挨拶の声の増え来て溝浚へ      東京   新谷 房子
夏あざみ晶子鉄幹出会ひし地     大阪   末永理恵子
浦風に伸ばしに伸ばし蛸干され    東京   鈴木てる緒
花アカシア白秋の道いま盛り     東京   瀬戸 紀恵
幾重にも鳶の輪生れ夏初め      神奈川  曽谷 晴子
ハンカチの皺のごとくに旅疲れ    東京   高橋 透水
日照草ペテロの墓は西を向く     東京   武井まゆみ
鷹山のなせばなる声芒種かな     東京   田中 敬子
母はまだ父の分まで小鰺買ふ     東京   谷岡 健彦
里の子を案内にたて蛍狩       東京   谷川佐和子
聖五月オルガン高く転調す      神奈川  谷口いづみ
蝙蝠やまだ灯りたる鉄工所      東京   塚本 一夫
梅雨の雷なべて遠くに聞こえけり   大阪   中島 凌雲
怨念の絵馬のあまたや青葉闇     東京   中野 智子
かはほりや日暮れの早き九段下    茨城   中村 湖童
鵜飼の火流れて街の火とまじる    愛知   中村 紘子
泰山木の花が目じるし母の家     東京   沼田 有希
終点のバス待つ大樹蟬時雨      福岡   藤井 綋一
飛魚のとぶ平家一門果てし海     東京   保谷 政孝
蝙蝠や運河の匂ふ港町        東京   堀内 清瀬
千枚の植田潮風吹き上ぐる      岐阜   堀江 美州
夏草やイーゼルの立てられしまま   パリ   堀切 克洋
短夜や読書で正す旅の時差      埼玉   本庄 康代
秋風や父客死せし町を訪ふ      東京   松浦 宗克
停まるたび郭公の声木曾の谷     長野   松崎  正
立て掛くる逆さ箒や黒揚羽      東京   村上 文惠
ダービーや蹄怒濤の如く聴く     東京   村田 郁子
半夏生舞子の帯のみづあさぎ     東京   村田 重子
夏シャツの糊の効きたる退院日    東京   森 羽久衣
蝙蝠の羽音の急かすけんけんぱ    埼玉   森濱 直之
姿なき雷鳥を聞く火打山       愛知   山口 輝久
溝浚へ禹王の碑へと石を添へ     東京   山下 美佐
池の面に影ぶらさがるあめんばう   群馬   山田  礁
金箔の黒ずむ屏風旱梅雨       東京   山元 正規
吉原の拾ひ歩きや荷風の忌      千葉   吉沢美佐枝
籐椅子のくぼみの底に父のこゑ    東京   渡辺 花穂






 








     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

万年のその一時の子亀飼ふ       杉阪 大和
「鶴は千年亀は万年」という諺を巧みに用いた機知の効いた句である。夜店で子供が買った子亀であろうか。万年を生きるこの生物のほんの一時だけ、この家で飼うことになるのだな------と。この機知の見事なこと! 


殉難のロザリオ梅雨の重みとも     武田 花果
五島、長崎の嘱目という。展示室などで見た殉教者のロザリオを見て「梅雨の重み」と見た感性の鋭さ。西洋にはない、日本の梅雨という鬱々たる季節を配したのが出色。 

  

破れ(えり)は湖族の墓標夏霞         屋内 松山   

近江独得の漁法である魞。崩れかけた魞を湖族の「墓標」と見た独自表現には唸るしかない。漁に生き、時として略奪もし、湖に生き、死んだ湖族を象徴した格調の高さ。 

   

短夜の一塊として輸送船        杉本アツ子 

 例えば海辺の宿で浅い眠りのままの暁闇。凪いだ海上を数隻の輸送船が過る。「一塊として」の把握に凄味があり、目を閉じてこの句を呟くと底知れぬ悲しみのようなもの、例えば自分の前半生を輸送船が連れ去るような錯覚を持つ。


蜘蛛の囲を被せられたる鞍馬かな    清水佳壽美
若の山かけめぐる青嵐         吉田千絵子
 鞍馬山を詠んだ出色の句が二句あった。清水句は鞍馬山全部に一枚の蜘蛛の網が被さったような壮大な景である。吉田句は中七の「山かけめぐる」が上五の牛若丸を受けると同時に下五の「青嵐」に掛る仕組みが鮮やかである。いずれも鞍馬という歴史と物語のある山だからこその効果。

 

竹婦人その後行方の知れずとよ     坂口 晴子
まさに擬人化の成功した句である。竹婦人という竹籠のその後の行方ということと、
思い人のその後の行方とが重なるのである。「知れずとよ」の風聞を聞くような素っ気なさもいい。同時出句の〈かはほりや灯のとろとろと思案橋〉は思案橋にかかる「灯のとろとろと」に長崎の風情が色濃い。そのように見ると先の竹婦人も「蝶々夫人」へ連想が及ぶのである。 

  

更衣せぬ子も交じる更衣        加藤 恵介
戦後の貧しさの残っていた私の子供の頃、服装などに構ってはいられない時代で、まさにこの句のようであった。もちろん服装の多様化した今日の一景と見てもよかろう。「更衣」を二回使って成功した例をかつて知らない。 


背もたれを倒せば五月晴れとなる    片山 一行
机に向って一心に作業をし、さて背もたれを倒すと、窓の外は五月晴れであることを知る。この句の面白さは、倒したら五月晴れになった、と、もっぱらその因果を自分中心に置いたところ。そこが詩因を生んだポイント。 

  
ハンカチに皺懸命にけふを生き     笠原 祐子
気持ちのいい句だ。「懸命に生き」と言い切ったところがいい。だからこそハンカチも皺だらけになり汚れるのだが、その皺の何と尊いことか! 
 一山を上へ上へと七変化       脇  行雲
紫陽花はその花の色の変化から「七変化」ともよばれる。が、「七変化」で詠んで成功した例は少ない。この句は成功例。微妙な高さの違いで色が異なるのである。


香水をカクテルにして欧州便      坪井 研治
洒落た句である。「欧州便」というのがミソで、香水を多用する女性が多く搭乗していること、様々な香りが混ざっている機内の様子が如実。「カクテル」の措辞に乾杯! 

籐寝椅子謄本にゐる父と母       松代 展枝  

籐椅子に推理小説二人死ぬ       中村 貞代
   籐椅子の秀句が二つあった。松代句はもういない父母を戸籍謄本の除籍欄にだけ存在しているという異色の発想。中村句は「二人死ぬ」と収めたセンスの良さ。

               その他印象深かった句を次に
蛇踊の龍の抜け殻五月闇        武田 禪次
尺蠖のとる釈尊の足の尺        多田 美記
網戸越しの会話牧師と信者めく     中村 孝哲
身の重さ吐息で減らす薄暑かな     宮内 孝子
葭切や雲の流るる水漬き舟       山田 鯉公
泰山木地熱にとほく離れ咲く      無聞  齋
隣る世は存外近き蛍闇         桂  信子
十薬の海に溺るる観世音        多田 悦子
頼朝の旗揚げの地に食ふ鰻       中川冬紫子





    

      
      


 
 



 



星雲集作品抄


            伊藤伊那男・選

麦秋や草莽の皆知られざる       神奈川  水木 浩生
貝の砂嚙みて太宰の忌と思ふ      神奈川  久坂 衣里子
ハンカチに異国の夕陽をうつしけり   東京   角 佐穂子
短夜の水の匂ひの近江かな       愛知   津田  卓
雷鳥のこゑ雲表の縦走路        東京   中西 恒雄
円虹の中の機影に沸く機内       埼玉   志村 昌也
連山の向かうは母郷草矢飛べ      埼玉   池田 桐人
焼け跡の昔のぞけるラムネ玉      東京   福永 新祇
高原の時の過ぎゆく桷の花       京都   小沢 銈三
縁側に転がる西瓜里日和        宮城   有賀 稲香
諸手もて引けぬ夏草また引きぬ     埼玉   戸矢 一斗
緑陰や家路の遠く思はるる       東京   豊田 知子
終ひには弟泣かす水鉄砲        埼玉   萩原 陽里
旱梅雨空欄続く農暦          埼玉   大野田好記
伊那谷や嶺々つなぎ夏つばめ      東京   佐々木終吉
老鶯や嫁の手本になれもせず      広島   竹本 治美
帰還せる鳩を両手に抱きて夏      埼玉   中村 宗男
水馬のひと蹴り雲を渡りたる      神奈川  有賀  理
脱藩の山道暗し落し文         千葉   森崎 森平
陽に透ける殻の薄さよ蝸牛       長野   池内とほる
蝙蝠や子取りが来るといふ時刻     東 京   梶山かおり
縫ふ糸の絡まりやすく梅雨兆す     東京   小泉 良子
孑孑の可憐に人を脅しけり       神奈川  松村 郁子

蚕豆の鞘よりいでしおかめ顔      東京   秋田 正美
夏の川雲溶かしつつ流れ行く      神奈川  秋元 孝之
母の手に小さき手重ね採る蛍      東京   浅見 雅江
もつれ飛ぶ夏蝶みれば友の霊      愛媛   安藤 政隆
その色を雨に移せし濃紫陽花      東京   飯田 康酔
瓜の花母の手を引き畑めぐる      東京   井川 敏夫
雲割れて鳥影落つる代田かな      東京   生田  武
行く春を惜しむ烏の高き声       群馬   伊藤 菅乃
柴又の昭和の空に蚊食鳥        神奈川  伊東  岬
教室が眩しき朝や夏来る        東京   今井  麦
ほうたるに魅かれ今宵も橋の上     愛媛   岩本 昭三
大粒の雨たたきゆく茄子の畝      千葉   植竹 節子
水の面をはがれて空へぎんやんま    東京   上田  裕
日輪の幾重に揺れし青田波       神奈川  上村健太郎
筑波嶺に傾いてゐる釣鐘草       埼玉   大木 邦絵
捩花のねぢれる性にしたがひぬ     東京   大沼まり子
蜥蜴の子尾を切られたか悲しい目    群馬   岡村妃呂子
睡蓮のささやき聞こゆ三時前      神奈川  小坂 誠子
吊革のひとつ頼みの午睡かな      宮城   小田島 渚
風頼り葉影を頼り糸蜻蛉        静岡   小野 無道
息災や朝から辣韭くだく音       静岡   金井 硯児
七色の計画表の夏休み         神奈川  上條 雅代
何よりも雨滴が似合ふ額の花      東京   亀田 正則
一山をうねりうねりて夏嵐       長野   唐沢 冬朱
空梅雨の恵みのひと日シーツ干す    神奈川  河村  啓
葦五位の喉元拡ぐ魚得て        愛知   北浦 正弘
夏草や丹生明神の百葉箱        和歌山  熊取美智子
新茶一服母子の会話無くてよし     愛媛   来嶋 清子
谷の風心静かに山法師         愛知   黒岩 宏行
雷鳥の声後にして下山急く       東京   黒田イツ子
夏落葉張りついてゐる井月碑      群馬   小林 尊子
雷鳥の岩にかくれて雨待てり      東京   斉藤 君子
起きてみて良き日なれかし夏の朝    神奈川  阪井 忠太
脱げさうな裾に纏はる竹の皮      東京   佐藤 栄子
草虱置いて来ようか井月碑       群馬   佐藤かずえ
梅雨晴間木曾の大橋渡りきる      群馬   佐藤さゆり
明易し通夜の朝の風の色        東京   島谷 操
紫陽花に飛沫を配る水車かな      東京   須﨑 武雄
しやくなげを裾に広げて浅間山     東京   鈴木 淳子
椎の花匂ひ理由なき鬱湧きぬ      群馬   鈴木踏青子
寝返りの子のまた逃ぐる夏の夜半    愛知   住山 春人
井伊家跡ここだく散りし桜蘂      神奈川  関口 昌代
いさぎよく撃たれてやりぬ水鉄砲    長野   髙橋 初風
子鴉のはづみをつけて枝先へ      東京   髙橋 華子
白百合を夫への供華として給ふ     福島   髙橋 双葉
実桜に手を汚したり光前寺       埼玉   武井 康弘
短夜やあるだけ迷ふ選択肢    ニューヨーク  武田真理子
山法師白き頭巾の見え隠れ       三重   竹本 吉弘
祭場を離れ隅田の風の中        東京   田中 寿徳
地下鉄の時には地上桐の花       神奈川  多丸 朝子
新茶くむああ語りたき人ら逝き     東京   手嶋 惠子
四分音符八分音符と滴れり       千葉   土井 弘道
其所此所の声に目凝らす蛍狩      神奈川  長濱 泰子
蛍火の記憶や父の手のあつき      長崎   永山 憂仔
夏帽子子の前髪の不揃ひに       東京   西原 舞  
侮れぬ冷たさもあり夏の川       東京   萩野 清司
水の香の残れる鮎を焼きにけり     東京   長谷川千何子
御堂への最後の一段青嵐        神奈川  花上 佐都
七変化今生涯のどのあたり       神奈川  原田さがみ
百合の花咲ける軍艦島の崖       兵庫   播广 義春
潮騒や鰺きらきらと捌かれて      神奈川  福田  泉
紅を引く鏡に写る額あぢさゐ      東京   福原 紀子
お供への豆飯部屋に香りけり      愛媛   藤田 孝俊
捥ぎたての音を鳴らして胡瓜食ぶ    大阪   星野かづよ
御利益はたのまぬ梛の夏落葉      東京   星野 淑子
引き出しの父のハンカチ白ばかり    東京   牧野 睦子
不細工な餃子が並ぶ母の日や      愛知   松下美代子
配達の牛乳瓶に朝の露         東京   松田  茂
水馬のひとつ動かば三つ散る      東京   宮﨑晋之介
夏の海月のしづくの白き砂       東京   宮田 絹枝
買ひ置きの薬をさがす戻り梅雨     神奈川  宮本起代子
固まりて雨降るを待つ蝸牛       長野   守屋 明
畑売るこの山里の秋深し        東京   家治 祥夫
井月の墓碑にふふみし冷し酒      群馬   山﨑ちづ子
夏来る畳の青き神楽殿         静岡   山室 樹一
口ずさむ賢治の歌や青胡桃       東京   結城  爽
書き切れぬ恨み辛みの絵馬灼くる    埼玉   渡辺 志水
制服の頃の思ひ出更衣         東京   渡辺 誠子




       






     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

麦秋や草莽の皆知られざる       水木 浩生

草莽(そうもう)の臣、草莽の徒という言葉がある。「在野の人」の意であり、幕末の頃、江戸や京の地を駆け巡って死んだ名もなき志士などを指す場合が多い。あの坂本龍馬でさえ、維新後はすっかり忘れ去られていたが、或る夜皇后陛下の夢に現れてから見直しが始まったといわれる。句は麦の稔りの頃を配したところが味わいである。同時出句の〈かはほりや見世物小屋の嗄れごゑ〉は、ふと江戸か明治の世に戻ったような一景。〈ここからは越後と告ぐる桐の花〉も作者が新潟の出身と知ればおのずから抒情も深まる。 

 

貝の砂嚙みて太宰の忌と思ふ      久坂衣里子

今でも人気の高い太宰治。私も高校生の頃から傾倒し、三鷹の墓所も何度か訪ねたものだ。俳句と無縁の作家なのにその忌日が堂々と歳時記に載るのであるから不思議な存在である。好きな作家だが、こんな男が親戚にいたら困るだろうなとも思う。破滅型なのである。句にはそんな感じが込められているようである。 

 

ハンカチに異国の夕陽をうつしけり   角 佐穂子

洒落た句である。薄くて白いハンカチであろう。異国の浜辺か丘の上で開くと夕日に染まったという。ハンカチーフは歳時記では「汗拭い」の副季語の位置付けである。汗拭いの句は江戸時代からあるが、ハンカチの句は昭和になってからである。異国の夕日との取合せは何とも美しく、感性の鋭さがある。同時出句の〈初蛍人の恋しきいまさらに〉〈病葉の穴より暗き空のぞく〉なども印象深い佳句。 

 

短夜の水の匂ひの近江かな       津田  卓

短夜の季語のよく効いた句である。「水の匂ひの近江」にも大きく頷いた。私の好きな近江の夏の夜明けを見事に把握しており、「かな」の詠嘆もいい。無駄な言葉は一つもなく完成度の高い句である。 

 

雷鳥のこゑ雲表の縦走路        中西 恒雄

私も一昔前に登山をしていたので、白馬岳などで雷鳥を目撃している。雲表というのは雲の上という意味で、雲海などを下に見ながら縦走するのである。何とも清々しい一景だ。同時出句の〈浮世絵の槍のごとくに梅雨滂沱〉〈桑の実の世捨人めく風味かな〉なども個性を発揮して味わい深い作品であった。

円虹の中の機影に沸く機内       志村 昌也

円虹は御来迎のことを言い、登山などの折、太陽を背にして立つと前面の霧や雲に自分の姿が投影されその回りに仏像の光背のような光の輪が現れる現象を指す。これを飛行機の中に持ち込んだのがこの句である。機体が丸ごと円虹の中に入り、乗客達が沸き立つ。場面設定の勝利! 

 

連山の向かうは母郷草矢飛べ      池田 桐人

郷里を離れて暮す私などには胸に沁みる句だ。中七までは類形があるかもしれないが「草矢飛べ」の命令形で句が一本立ちしたのである。この命令形で万感の思いを吐露する絶唱となったのだ。 

 

焼け跡の昔のぞけるラムネ玉      福永 新祇

ラムネはやはり昭和の飲みものということになろうか。今はもっとうまい飲料が一杯あるが、ラムネに対する郷愁のようなものは特別である。作者はラムネ玉に戦後の焼け跡の時代を思い出すという。ラムネ玉の中に悲喜こもごもの歴史が顔を出すのである。 
老鶯や嫁の手本になれもせず      竹本 治美

 面白い句である。完璧に鳴く鶯を見て、ああ私はずい分人生を重ねてきたが、まだ嫁の手本になるようなことはできていないなあ、と述懐するのである。取合せの妙。同時出句の〈バナナ買ふ明日は健康診断日〉も急に健康に留意する滑稽さがあり、これも取合せの妙。


 

帰還せる鳩を両手に抱きて夏      中村 宗男

私の子供時代、鳩を飼うことが流行した。私も兄と十羽位の鳩の世話をしたものだ。句は一羽だけ戻らぬ鳩がようやく戻り、ほっとした様子を詠んでいるが、感情を入れず、両手で抱くという動作だけで詠み切ったところがいい。「夏」だけの季語で止めたが、この句では効果が大きい。
              その他印象深かった句を次に
 
高原の時の過ぎゆく桷の花       小沢 銈三
縫ふ糸の絡まりやすく梅雨兆す     小泉 良子
水馬のひと蹴り雲を渡りたる      有賀 理
脱藩の山道暗し落し文         森崎 森平
陽に透ける殻の薄さよ蝸牛       池内とほる
蝙蝠や子取りが来るといふ時刻     梶山かおり
孑孑の可憐に人を脅しけり       松村 郁子


















新連載 【伊那男俳句を読む】

 
  
  

回想 句集『知命なほ』の時代(16)    伊藤伊那男

 「知命なほの時代」もそろそろ終盤に入った。妻は55歳になったばかりの平成18年、杉田久女忌と同じ1月21日に死んだが、その1月前の平成17年12月に父が死んだ。父は伊那谷の天竜川東岸、伊那市東春近田原の養蚕農家に生まれた。既に医者になっていた腹違いの兄の影響を受けてであろうか、医者の道に進んだ。旧制伊那中学を卒業したが、何分にも貧農の子であったので旧制高校へは進むことができず、医学専門学校、今の東京医科大学に入った。苦学生で数え切れないほどのアルバイトをしたという。卒業後しばらくは東京警察病院に勤めたが、戦時中は軍医として徴用され、終戦後は母の郷里、駒ケ根市の親戚の土地を割譲して貰い、耳鼻咽喉科を開業した。当時は子供の数も多かったし、また町医者であるから、何の病気であっても患者が駆け込んできた。朝6時には診察の順番札を取りに来る患者さんで溢れた。夏休みなどには300人位の患者があり、押し合って廊下の窓硝子が割れたなどということもあった。当時はコンピューターもないので膨大な数の請求書(レセプト)を手書きで作成せねばならず、月の半分以上をその作業に追われていた。深夜に呼鈴を鳴らす患者もあり、往診も多く、子供の私からみても実に過酷な仕事であった。そのため夕食に酒を飲むという習慣はなく、一段落ついた12時頃茶碗酒を飲んで寝るという日々であった。その反動であろうか、医師会の集まりなどで一旦酒が入ると、止まることを知らず、自転車に乗った姿勢のままで道に倒れていたり、飯田線の電車の前に立ちふさがったりもした。兄とは、酒についてだけは、父を反面教師にしようと頷き合ったものだ。父は80歳を過ぎても現役であったが、82歳の時、夜、急患の来院があり、その診察の最中に脳梗塞で倒れた。車椅子の生活となり、しばらくの間、母の介護で暮らしていたが、母の力も限界に達したため、兄の近くの日野市の介護施設に母と共に入居した。父が死んだ時、私の妻は港区の古川橋病院で末期の状態であった。父の49日の納骨の日の前日に妻が死んだ。納骨は多摩動物公園の近くの墓地である。そこに向かう京王線に乗っていたら、「春耕」の仲間から声を掛けられた。当日、高幡不動尊にて新年俳句大会があり、当然私もその会に向かうと思われていたのだ。事情を打ち明けて皆を驚かせてしまった。もうすぐ父、妻が死んで10年ということになる。

  平成19年
白子飯腰越の空との曇り
笑ふ山のひとつに父の骨埋む
卒業の日も鉄棒にぶらさがる

  次女杏子 結婚
花杏このごろ父は泣き易し
ピーマンのなかの虚ろや万愚節
万愚節噓つきたくて人と会ふ
滝壺の底は根の国さくら散る
心中の芝居はねたる夕桜
ぶらんこを漕ぎアルプスを間近にす
牛の眼に阿蘇の噴煙牧開き

  長女 第三子誕生
男の子得し知らせ折しも桜どき
奥は雲中千本は葉桜に
吐息さながら女王の薔薇崩る
衣更へていよよ羅漢のごとくあり
母の日のもう叱つてはくれぬ母
母の日をこのごろ妻の日とも思ふ
振つてみる妻の残せし古茶の筒
かの日より香水減らず妻の部屋
蟬生れてもう晩年の面構へ
露の世に生きて三ノ輪の浄閑寺

 
    



       

  
   


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    



        














掲示板



















 




鳥の歳時記


     


























  


             
 
  







井上井月/漂白の俳人


『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

 伊藤伊那男主宰の近著『漂白の俳人・井上井月』が平成26年12月25日に(株)KADOKAWAから刊行されました。近年俳人としての井上井月に対する位置づけの見直しが進む中で、伊藤主宰は井月の俳句を通して謎の多い実像に迫る試みをされます。井月の人となりを知る一書として、また井月俳句への入門書として高い評価を得ております。著名な文人、俳人の方々が、いろいろな機会にこの著書を取り上げて紹介されております。是非、読んで頂ければ存じます。

 読売新聞夕刊版・井上井月の記事(2015/4/4)
そのまま忘れられておかしくない男が今、なぜか熱い。北村皆雄さん(72)の映画『ほかいびと伊那の井月』(2011年)の公開後、復本一郎編『井月句集』(岩波文庫)が出版され、作品を味わいやすくなった。伊藤伊邦男『漂泊の俳人井上井月』(角川学芸出版)、北村さんの『俳人井月』(岩波現代全書)など初学者向きの本も相次ぐ。記事から抜粋。
△PDFへリンクします。



記事全体画像。拡大画像に。


△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著

画像上で拡大します。



 帯の紹介文から・・・
ひたすら芭蕉を慕い、山頭火に影響を与え芥川龍之介を唸らせた明治初期の俳人・井上井月。だがその正体は長い謎だった。酒好きで、家も財産も持たず、伊那を約30年放浪した男の知られざる素顔を、近年発見された日記、資料、俳句から探る。唯一の入門書。


画像上出拡大します。
 ひたすら芭蕉を慕い,山頭火に影響を与え、芥川龍之介を瞠目させた。その謎多き生涯を俳句と資料でたどる。井月の素顔が分かる唯一の入門書。135句の名句鑑賞付き。
              KADOKAWA HAIKU 『俳句』4月号から・・。








△KADOKAWA
「俳句」
2015年5月号 新刊サロン・コーナー. 242ページ
『漂白の俳人・井上井月』
「深い理解への第一歩」
相馬智様の紹介文です。


画像上で拡大します。




△KADOKAWA HAIKU
2015年3月号/俳人の時間から

画像上で拡大します。2015/6/5
巻頭3ページに写真が掲載されています。
新作5句
「奈良晩冬」が紹介されています。




△KADOKAWA HAIKU
2015年4月号/俳句の好きの集う居酒屋。P.140~145。

画像上出拡大に。
△俳句好きの集う居酒屋
銀漢亭で句会/火の会










銀漢亭日録

伊藤伊那男

6月

6月12日(金)
発行所「大倉句会」。新入会員4人。終わって店に17人。清人さん。鮪刺身など。伊東岬さん、三浦の枝豆沢山。肖子、文子さん。松山さんなど。

6月13日(土)
菅原 庄山子さんより、山形のさくらんぼ沢山到来。10時、運営委員会。14時より、「銀漢本部句会」。何と59人出席。あと「和民」にて親睦会。

6月14日(日)
終日家。礼状、その他、雑用。時々、うたた寝。夜、娘夫婦と食事。たまたま宮澤の伯父、伯母の葬儀が続いた後にて、私が死んだ時の葬式の考え方など。

6月15日(月
発行所、校正作業。店、「演劇人句会」11人。酔馬さん、家庭菜園の野菜など。カウンターもそこそこの賑わい。

6月16日(火)
新谷房子さんからの見舞状、蛙が畏まった姿勢の絵手紙に〈先生のかへるを待ちて句会かな〉に笑ってしまう。〈腹に傷ひとつ増やして蛙老ゆ〉を返す。店、超結社句会「火の会」8人。東大俳句会3人、など。伊那北高校先輩「秋麗」の市川さん鯛焼きを土産に来て下さる。帰路、激しい雨。

6月17日(水)
午前中、激しい雨。このごろ昼寝の習慣。店、「三水会」4人と少なし。作家の加藤廣先生来店。『信長の柩』以来のファン。実は盲腸手術の静養中、自分の時間ができたので俳句以外の本を読もうと買って読んだのが氏の近著『利休の闇』にて、この偶然に驚く。先生、私の井月の本、買って下さる。

6月18日(木)
今日も昼寝。店、今井聖さんを囲んで加藤楸邨についての勉強会。うさぎ、麒麟さん幹事で六人。「銀漢句会」あと14人。鈴木琢磨さん、池田のりをさん、真砂年さん。ORIX時代の取引先の河田さんなど。

6月19日(金)
発行所「蔦句会」あと6人店。あと閑散。10時半、閉めて6人ほどで「ふくの鳥」。帰宅すると2家族遊びに来ていて、ついつい一緒に1時くらいまで歓談。

6月20日(土)
「纏句会」。今泉礼奈さんゲスト。あと題に出た海鞘、鱧の天ぷら、鰯の煮付、握り。酒は「雨後の月」。あと、高水、庄平さん句集出版を祝う会の打合せでイタリアンレストラン。皆から伊那男さん食欲戻ってしまったね、と言われる……。いやいや控え目です。

6月21日(日)
正午、護国寺駅。真砂年、肖子、敦子、文子、角の介氏と落ち合う。土肥あき子さん年内転居と聞き、近隣を案内していただく会。印度カレーの昼食あと、吹上神社で鍵を借りて儒者捨場を訪ねる。護国寺の富士塚なども。土肥家の離れで10句出しの句会と酒盛り。土肥さんの手料理嬉しく。21時過ぎまで。

6月22日(月)
13時、「草樹」役員会に発行所貸し出し。16時半より、店にてその懇親会13人。入れ替わり19時より、ニューヨークの月野ぽぽなさんを歓迎する句会。25人程が集まり、「伊」「那」「谷」の読み込み3句出し句会。〈摩天楼の谷底にゐて夕涼み〉伊那男、がトップ!ワーイワーイ。

6月23日(火)
選句しながらうたた寝。店、鈴木てる緒さん選句稿受け取りがてら、バニラを連れて来てくれる。引っ越し前まで杉並の家で私と暮らしていたヨークシャテリア。元気! 「萩句会」選句へ。店、超閑散。雨。

6月24日(水)
「雛句会」12人。活気あり。「天為」編集部など。「春耕」の窪田明氏より、今年も極上のさくらんぼ到来。生のルビーと呼ぶべし。

6月25日(木)
午後、兄より、母逝去の報。店は島谷高水、伊藤庄平さんの句集出版合同祝賀会。56、7名集合。祝句一句づつの披露など味わい深い会。〈労働者ヨセフに詩作てふ夏行〉〈島々に水位を高く青葉潮〉兄と葬儀につきメールでやりとり。

6月26日(金)
葬儀のスケジュール調整など。明日、御嶽山鍛練句会は予定どおり行くことに。鳥居真里子さん句会に発行所貸し出しを約していながら失念! これ、2回目。何とも情けないこと。店「白熱句会」。「金星句会」あと5人。中島凌雲くん、鍛錬句会出席を兼ねて大阪から参加。

6月27日(土)
御岳山鍛錬句会。41名参加。御嶽山荘終日霧中。ただし、次第に晴れ、夕焼け絶佳。宿の方もこんな夕焼けは珍しいと。10句出し句会2回で23時30分。倒れ込んだように眠る。

6月28日(日)
武田さん達は5時から奥の院へ。誘われたが起床不可。朝風呂よし。鶯の声の中。7時、御嶽神社にて祈禱をお願いする。8時、欠席投句10句預けて一足先に退出。幾つか乗り継いで南多摩斎場の母の葬儀へ。兄・妹夫妻、母の弟・織田さんの家族葬。杏子と孫。桃子は昨日弔問。火葬・骨揚げのあと、堀ノ内の「一澤」にて蕎麦会席の直会。帰宅してこんこんと眠る。
〈母送る紫陽花の青際む頃〉

6月29日(月)
朝から、8月号の原稿。店、神村君4人。広渡敬雄さん2人。武井まゆみさんから御嶽山、3回目の句会選句清記受領。

6月30日(火)
店、超閑散。国会議員のT先生。「銀漢」先月号の私のエッセイを読んで、今後の生き方について話をしようと。たまたま超閑散にて3時間程話。礼奈、シシドガイ。今井さん、桂先生。

7月

7月1(水)
店、ORIX時代の部下、奥和田、尾頭君。「宙」句会あと9人。3周年と私の早めの誕生日をヴーヴクリコで祝ってくれる。

7月2日(木)
店、「十六夜句会」あと11人。先月店に訪ねて来てくれた二27歳の辻本さん初参加。洋酔、好記さんがゲスト。肖子、対馬さんなど……。梶山かおりさん、影山風子さんと。梶山さん友人の女性を俳句へ勧誘中。

7月3日(金)
「銀漢」8月号原稿終了。店、「大倉句会」あと15人。気仙沼から清人さんの弟・和人さん参加。

7月4日(土)
13時半より、「Oh!納涼句会」超結社30名程。兼題五句、あと3句、2句の席題で合計10句。大西酔馬さんに料理を手伝ってもらう。19時位まで。あと10人程で「大金星」に寄る。

7月5日(日)
11時、保谷の斎場にて母の葬儀。従兄弟の高雄君と久々。三菱重工の要職。大学後輩。あと谷保天満宮を参拝す。昼からの酒でぐずぐず。帰宅して桃子と酒盛り。宮澤は日帰りで博多。明朝からマドリッド行きと。

7月6日(月)
店、次女の婿、友人と。「かささぎ俳句勉強会」あと武田禪次編集長の古希の祝の会。本人にはサプライズ‼ 40人参加。70人が祝句を寄せる。
〈端居して在家遍路といふもよし〉伊那男

7月7日(火)
66歳の誕生日。
〈牽牛のもたもた渡る吾も丑年〉ヘアメイクの中川さん来宅。カットしてもらう。雨。店、誕生日祝って下さる方々……。たまたま来店の国会議員のT先生、ヴーヴクリコあけて下さる。松川洋酔さんジョニーウォーカーの青ラベルという凄いウイスキー持参。禪次さん寿司、展枝さん赤飯……など。バースデーケーキも。北澤一伯さん韓国に行ったとて成田からキムチなど送ってくれる。

7月8日(水)
秋の井月俳句大会の選句稿送る。1,600句程の応募あり。発行所「梶の葉句会」選句へ。夜。「きさらぎ句会」あと10人。

7月9日(木)
全国俳誌協会の「現代俳句色紙短冊墨書展」用の色紙2枚、短冊1枚書く。大牧広先生の詩歌文学館受賞祝に一筆。〈年寄がドンと花火を揚げたるよ〉「天為」7月号で『漂白の俳人井上井月』の書評いただいた山本順子さんに礼状。店、閑散!

7月11日(土)
10時、運営委員会、11時、北辰社株主総会。13時より「銀漢本部句会」58名出席。16時、中座、帝国ホテルの「天為」創刊25周年祝賀会へ。久々、大屋達治氏とお会いする。恩田侑布子さん小島健さんが隣席。2次会も出て帰宅するとママ仲間が2人来ていて酒盛りに加わる。












           
△『漂白の俳人・井上井月』伊藤伊那男著
          
  
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2015年9月12日撮影  紫苑  TOKYO/HACHIOJI

 人々に更に紫苑に名残あり

△ 紫苑

属名の「Aster(アスター)」(日本語ではシオン属)は、ギリシア語の「aster(星)」を語源とし、星のように放射状に伸びる花びらの姿に由来します。なお、「紫苑」はこの花の薄紫色を指す色名としても使われています。
△花言葉の由来・・・
花言葉の「追憶」「君を忘れない」は、『今昔物語集』にある母の死をいたむ兄弟の物語(下記参照)に由来するといわれます。

  こもろ・虚子庵に紫苑が咲いていますね。










花言葉    「追憶」「君を忘れない」

写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2015/9/22
 更新


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