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 12月号  2018年


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伊藤伊那男作品

主宰の16句










        
             


今月の目次







銀漢俳句会/12月号











  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎木曾義仲と芭蕉

 伊那の井月俳句大会の前日、木曾谷を吟行した。今回は木曾義仲挙兵の地、木曾町日義(ひよし)を巡った。義仲は武州嵐山に生まれたが、2歳の時、父 義賢が甥の悪源太義平に殺され、義仲の身を案じた斎藤別当実盛が、木曾の中原兼遠に預けた。日義村の名は朝日将軍義仲の日と義を取った命名だという。中原屋敷跡、義仲旗挙げの八幡社、巴御前縁の巴淵、義仲や今井兼平兄弟などの供養塔のある徳音寺などが点在する。徳音寺の前に確か20年ほど前にできた観光客向けの「義仲館」という資料館がある。義仲主従のマネキンや古地図、絵巻の拡大パネルが展示されている。ただしそれらを除いたら何も残らないという、悲しくも面白い資料館である。吟行中「芭蕉は義仲を何故好きだったのか」という質問を受けた。『おくのほそ道』の中の佐藤庄司旧跡では「袂をぬらしぬ」とあり、高館では義経主従の最期を回顧して「時のうつるまで泪を落し侍りぬ」とあるところからみて「ひたむきに生きて敗者となったものへの哀惜があり、義仲にも同様の気持ちであったのではないか」と答えた。義仲については福井燧が城址で詠んだ〈義仲の寝覚めの山か月悲し〉、他に〈木曾の情雪や生えぬく春の草〉などがある。もちろん芭蕉の遺言に「さて骸は義仲墳に送るべし」とあり、大津市膳所の義仲寺に眠っているのは周知のことである。そのようなことを話しながら、一つ腑に落ちないことがある。それは『更科紀行』で木曾谷を通りながら、義仲について一言も触れていないことである。『更科紀行』は姥捨の月見を目的に、元禄元年8月11日に美濃を出ておよそ60里を5日間ほどで歩いた旅である。寝覚の床で〈かけはしや命をからむつたかづら〉の句を残した。当然ながらそのあと日義村を通過している。中仙道を辿る木曾谷は極めて狭く、先述の義仲の史跡などはほとんど街道沿いか、街道とは目と鼻の先にあり、寄り道という距離ではない。歩きながらでも目に入ったはずだ。いくら姥捨の月を見たくて急いだとはいえ、関心さえあればどれか一つに寄ってもいいのではないか、一句残してくれたっていいではないか、いやいや百歩譲って、寄らなくてもいい、片手拝みでもいい、義仲への感慨を述べてくれてもいいのではないか……というのが木曾人の思いであろう。何か書き残してくれたら、一句詠んでいてくれたら、あの「義仲館」ももう少し内容のある展示ができたのではないか、と思う。私も信州人である。木曾人を代弁して「芭蕉さんちょっとつれないよ」と言いたいのである。

















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

蟹を売る能登朝市の雨急なり       皆川 盤水
 
「風」北陸俳句大会のあと、沢木欣一・加倉井秋を等と能登を吟行した折の句。欣一が「能登塩田」の連作で世に出た土地であり、盤水先生はこの吟行にかなりの覚悟で臨んだものと推察する。その証拠として第一句集『積荷』にはこの旅の連作を三十二句残している。掲出句の「雨急なり」などに意欲の高揚が感じられる。社会性俳句の洗礼を受けたあと、風土性俳句に移行する先触れの句ともいえよう。同時作に〈朝市に海女がひきずる雨合羽〉がある。
                              (昭和三十七年作『積荷』所収)
 













  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男

簾納むたつきの匂ひ巻き込みて       久重 凛子
原つぱに入り口多しゑのこ草        唐沢 静男
ふる里はもはやこの町秋刀魚食ぶ      福永 新祇
切りかぬる敬老の日の長電話        今井  麦
橋立へ几帳のごとき霧襖          武田 花果
生き方の角は削れぬ厄日かな        福原 紀子
研ぎ汁をこぼす白さも今年米        戸矢 一斗
新米とことわるまでもなき香り       中野 智子
秋夕焼ふと口遊む童歌           辻本 芙紗
山辺の道のはじまり歌女鳴く        末永理恵子
野に遣賢あるかに坐せる大南瓜       橋野 幸彦
銀漢へ架くる柱や槍ヶ岳          池田 桐人
極を指す磁針の震へ颱風圏         中村 湖童
傷心を夏痩せとして躱しけり        宮本起代子
二学期へ大きな声のかけ出せり       坂口 晴子
盆踊てのひらは陽甲は陰          鈴木てる緒
激励のメモが夜食の盆の上         谷岡 健彦
輝きがナイフを伝ふ梨の汁         小林 美樹
神泉の鯉の貫禄水澄めり          大澤 静子
冬瓜のころがつてゐる通し土間       渡辺 花穂

















彗星集 選評 伊藤伊那男

  
簾納むたつきの匂ひ巻き込みて       久重 凛子
夏、家に入る日差しを遮った簾も、秋に入ると共に役割を終える。これが「秋簾」「簾納む」「簾名残」などの季語である。この句は簾を掛けていた夏の数ヶ月の間の暮しの匂いーー料理、香水、蚊取線香、樟脳、汗……などなどーーを巻き込んで仕舞う、という。過ぎ去った夏の日々の様々な思い出ごと巻き込む。慈しみの心がいい。現代住宅のブラインドでは決して湧かない感慨である。 

  
原つぱに入り口多しゑのこ草        唐沢 静男
漫画『三丁目の夕日』などを見るとその頃の東京にもあちこちに原っぱがあった。誰かの所有地である筈だが、今のように囲い込む訳ではなく、子供達の遊び場になっていたものだ。この句は「入り口多し」が眼目。形だけの囲いがあったとしても子供達が潜ったり壊したりして、どこからでも入れる。所有者も手に負えないので勝手に遊ばせる。そんなことが実写されているのだ。「狗尾草・猫じやらし」の季語の斡旋がいい。

  
ふる里はもはやこの町秋刀魚食ぶ      福永 新祇
どこの町が舞台でもいい。仕事か結婚かーーともかく縁あって未知の町に住み着き、もはやその町がふるさととなる。それはよくあることであり、俳句にも既に詠まれていることと思う。この句がよいのは「秋刀魚食ぶ」の季語の配合である。平凡な庶民の生活、地味であっても地に足の付いた家庭があることが想像されるのである。 

 
 切りかぬる敬老の日の長電話       今井  麦
年老いた父や母との間では、それほど重要な話は無い。今日何を食べたとか、どこが痛いとか、まあそういった、たわいもない話だ。だが父母にはその話が重要事項である。いつもなら聞き流して適当なところで話を打ち切るのだが、敬老の日となれば……というところか。 

  
橋立へ几帳のごとき霧襖          武田 花果
句の「橋立」は京都府宮津市宮津湾の砂洲。日本三景の一つ「天橋立」である。山の上から見ると折しも霧の中。天橋立は伊邪那岐・伊邪那美が天に架けた架橋が倒れてできたとの伝説がある。その雅な説話があるからこそ、「几帳のごとき」の形容が生きるのである。 

  
生き方の角は削れぬ厄日かな        福原 紀子
年を取ると人は丸くなるか、というと、なかなか……。むしろ頑固、我儘、自分勝手になる人の方が多いのではないか、と思う。晩年の生き方というのも難しいのである。この句、「厄日」を配して可笑しさで柔らげている。 

  
研ぎ汁をこぼす白さも今年米        戸矢 一斗
今年米なら研ぎ汁も常とは違うか?強調の効果。 

  
新米とことわるまでもなき香り       中野 智子
これも新米であることの強調。俳句は断定も大事。 

  
秋夕焼ふと口遊む童歌           辻本 芙紗
秋夕焼には何故か郷愁や内省を誘うものがあるようだ。

  
山辺の道のはじまり歌女鳴く        末永理恵子
何故文字足らずの歌女(かじょ)にしたのか?蚯蚓ならもっと上位。 

  
野に遣賢あるかに坐せる大南瓜       橋野 幸彦
南瓜というものに遣賢の風貌を見たか。存在感である。 

  
銀漢へ架くる柱や槍ヶ岳          池田 桐人
 槍ヶ岳を天空へ架ける柱と見た壮大な発想。

  
極を指す磁針の震へ颱風圏         中村 湖童
颱風が磁力に影響されるかは不明だが、実感がある。 

  
傷心を夏痩せとして躱しけり        宮本起代子
精神的な原因を夏痩せに摩り替えるーー心象句。 

  
二学期へ大きな声のかけ出せり       坂口 晴子
子供はこうであってほしい。健全な二学期の始まり。

 
 
盆踊てのひらは陽甲は陰          鈴木てる緒
手の仕種にはそのような深い意味が籠められているのか。

  
激励のメモが夜食の盆の上         谷岡 健彦
共働きが普通の時代、日常的にこんな風景がありそうだ。

  
輝きがナイフを伝ふ梨の汁         小林 美樹
水分の多い梨だからの嘱目。林檎ではこうはならない。

  
神泉の鯉の貫禄水澄めり          大澤 静子
神泉であればこその鯉のゆとり。「貫禄」が生きた。 

  
冬瓜のころがつてゐる通し土間       渡辺 花穂
皮が堅く日持ちのする冬瓜の無造作な扱い。 







   









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選
天高し西に果てなき地平線       東京  飯田眞理子
鳩吹くやひとり遊びの木へ登り     静岡  唐沢 静男
零余子採る採るといへども触るるほど  群馬  柴山つぐ子
いとど跳ぶ町屋の土間の火伏札     東京  杉阪 大和
木曾谷の日の飛び付ける葉鶏頭     東京  武田 花果
湯の神のぬくさに寝ねぬ穴まどひ    東京  武田 禪次
眼をいためさうな白さの夏灯台     カナダ 多田 美記
エレベーターから数間の盆の道     東京  谷岡 健彦
あふぎゐてはや秋扇と思ひけり     神奈川 谷口いづみ
幾千の寝息あるらむ蟻の国       愛知  萩原 空木
初雁やいまし一島夕日中        東京  久重 凜子
稲妻の千に割れたる千枚田       東京  堀切 克洋
サングラス外し再会喜べり       東京  松川 洋酔
南瓜食ふ母の戦後の話聞き       東京  三代川次郎














         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選 

生きねばや新米の水加減聞かれては   埼玉  梅沢 フミ
夕方の音はこまごま胡麻を煎る     東京  小山 蓮子
西瓜食ぶ禊のやうに塩を振り      東京  新谷 房子
なほ皺を深めたまへよ敬老日      東京  中西 恒雄
熱き湯へなんのなんのと生身魂     千葉  森崎 森平
三十年父待つ母の盆用意        愛知  津田  卓
秋澄むや百一名水かもしれぬ      東京  飯田 子貢
蛍光灯替へる役目の帰省かな      神奈川 こしだまほ
傭兵の国の穂絮の行方かな       長崎  坂口 晴子
懐郷の一つは縁の南瓜かな       東京  朽木  直
からくりの寄木細工や長き夜      神奈川 𠮷田千絵子
爽やかや身の丈の墓建てたりと     神奈川 宮本起代子
煮南瓜や遺影へかくる国言葉      埼玉  中村 宗男
おかはりの声の揃ひて今年米      茨城  中村 湖童
古書店につもる時間や秋灯       埼玉  池田 桐人
名月や気象予報士外に出よと      東京  白濱 武子
当り前に目覚むる安堵虫の声      千葉  佐々木節子
秋草のなびくといふもこきざみに    東京  小泉 良子

鶏頭の紅の濃くなる夕間暮       東京  相田 惠子
花茗荷主婦の木椅子の月日かな     宮城  有賀 稲香
生身魂眼鏡の上にまた眼鏡       東京  有澤 志峯
遠案山子と思ひをりしが歩き出す    埼玉  伊藤 庄平
主張するほどでなけれど吾亦紅     東京  伊藤 政三
大仏の螺髪を梳かす初嵐        神奈川 伊東  岬
鶏頭の襞の内なる緋の暗さ       東京  今井  麦
いとどとぶ昔のままの阿多古祀符    東京  上田  裕
木曾殿へ秋七草のみな吹かる      東京  宇志やまと
鶏頭の種こぼしつつ抜かれけり     埼玉  大澤 静子
子別れの鴉や無事を鳴き交はす     東京  大沼まり子
抱くやうにいたはるやうに墓洗ふ    神奈川 大野 里詩
学び舎はかの日と同じ鰯雲       埼玉  大野田井蛙
庇深き奈良井の宿の秋灯        東京  大溝 妙子
見送りし知り人あまた曼珠沙華     東京  大山かげもと
居眠りの子を浮きたたす稲光      東京  小川 夏葉
のけぞりにしびれきていまきゆる虹   宮城  小田島 渚
墨壷のつぼに大鋸屑初あらし      埼玉  小野寺清人
蜻蛉の片恋らしき水叩く        神奈川 鏡山千恵子
残る虫異郷いつしかわが故郷      和歌山 笠原 祐子
鼻の先少し濡らして西瓜食ぶ      東京  梶山かおり
霧うごき島のひとつを消し忘る     愛媛  片山 一行
継梯子常世へかけて松手入       東京  桂  信子
旅鞄振ればころがる秋扇        東京  我部 敬子
猫撫でるやう鶏頭に触れにけり     高知  神村むつ代
蛸壺積む富士の形に駿河湾       東京  川島秋葉男
十六夜の姨捨山に沈みけり       長野  北澤 一伯
空狭き他郷暮しや鰯雲         東京  柊原 洋征
ゆき合ひの空より日照雨虫の声     神奈川 久坂依里子
都府楼のいしずゑ幾つ石たたき     東京  畔柳 海村
火照りなほ捲る夕の秋簾        東京  小林 雅子
二の腕の風変はりたる野分あと     長野  三溝 恵子
今宵また同じ虫鳴く狭庭かな      東京  島  織布
登高や橋立一望とはゆかず       東京  島谷 高水
 目の手術を受ける
両眼を守る心眼秋の宵         兵庫  清水佳壽美
初鴨の水面へ低く飛び出しぬ      大阪  末永理恵子
友の住む深山は雨か木の実降る     静岡  杉本アツ子
藪枯らし木曾谷隠すかの様に      東京  鈴木 淳子
読みかけの本を羽伏せに天の川     東京  鈴木てる緒
今朝もまた残暑会釈を交すのみ     東京  角 佐穂子
松原に潮騒ひびく牧水忌        東京  瀬戸 紀恵
一人居の月日ひもとく虫の声      神奈川 曽谷 晴子
銭湯は此処だけとなり秋の暮      長野  高橋 初風
故里は稲刈るころか群雀        東京  高橋 透水
色鳥来やつの奥なる来迎寺       東京  武井まゆみ
眼差しにことばありけり長き夜     東京  竹内 洋平
据ゑられて根の生えさうな大南瓜    東京  多田 悦子
穴まどひ石垣つづく通学路       東京  田中 敬子
 村田先生忌日
この先もまた果てしなき花野かな    東京  谷川佐和子
スタンドの夕刊に石初嵐        東京  塚本 一夫
新米にけふは五穀を入れず炊く     東京  辻  隆夫
暮れなずむ稜線の黙稲つるび      東京  坪井 研治
火をともすごとき始まり鶏頭花     埼玉  戸矢 一斗
山陽本線なりに延々大西日       大阪  中島 凌雲
間引菜や身の丈近き根を持ちて     東京  中野 智子
義賊の墓欲に拝まれ螻蛄鳴く      東京  中村 孝哲
秋の蚊の人追ふままによろめける    東京  西原  舞
帰りにはもう見失ふ帰り花       東京  沼田 有希
身をほどく縁切寺の穴惑ひ       東京  橋野 幸彦
野仏は石に還りて草の花        神奈川 原田さがみ
振舞の地酒酌みつつ佞武多待つ     兵庫  播广 義春
玄室に消えてゆきたる秋蛍       東京  半田けい子
我が影を焦がしてゐたる残暑かな    東京  保谷 政孝
もの書けば机辺に立ちぬ秋の風     東京  堀内 清瀬
秋蛍明日納骨といふ夜を        岐阜  堀江 美州
運針のひと畝ごとに秋の夜       埼玉  本庄 康代
近松忌講師の板書草書体        東京  松浦 宗克
わたなかにのびゆく月の柱かな     東京  松代 展枝
荒川線雨月の鉄路照らし行く      東京  宮内 孝子
引越荷僅かとすべき秋の暮       千葉  無聞  齋
この波を越えれば蝦夷地秋の蝶     東京  村上 文惠
とき刻むごと弁を閉づ月見草      東京  村田 郁子
あさがほの蕾布巾の固しぼり      東京  村田 重子
糠床に新米の糠足しにけり       東京  森 羽久衣
秋簾下ろしきらざる浜の宿       埼玉  森濱 直之
青空の丸く転がる芋の露        長野  守屋  明
逆縁の一つ加はり盆支度        愛知  山口 輝久
 丹後一の宮
御饌津神此処より伊勢へ豊の秋     東京  山下 美佐
火の浅間拓きし畑の星月夜       群馬  山田  礁
閼伽桶の水のかな気や秋暑し      東京  山元 正規
雨後の朝一気に伸びし曼珠沙華     愛媛  脇  行雲
牛の目に隠岐の荒波牧閉ざす      東京  渡辺 花穂
風の道探し風鈴吊るしけり       埼玉  渡辺 志水






          











     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

生きねばや新米の水加減聞かれては    梅沢 フミ 
銀漢俳句会最年長、百歳を超えられた作者である。新米は水分が多いので、米の研ぎ方や水加減も微妙な違いがあるそうだ。これを聞かれたからには正確に答えなくてはならない。そのためには生きていなければ……。頼られるのは面倒だが、人の役に立つことは生きがいでもある。そんな様子が実感できる句だ。フミさん! 来年も水加減を教えなくては! 


  

夕方の音はこまごま胡麻を煎る      小山 蓮子
厨の音……朝の方が慌しい分、音が大きそうである。一方夕方は丁寧な仕事をするためか「こまごま」が合うようだ。「胡麻を煎る」で象徴しているが、野菜を切る、大根や生姜を摺る、練る、まるめる……細かな作業全部が「こまごま」の措辞で浮き上がってくるのである。 


  

西瓜食ぶ禊のやうに塩を振り       新谷 房子
昔の西瓜は甘さが足りなかったせいだろうか、必ず塩を振ったものだ。飴に少し塩を加えるように不思議にも甘さが増すのである。今はその必要も無いのだが習慣とは恐いもので、作者は形だけ塩をふるのである。「禊のやうに」が傑出した措辞だ。ちなみに信州ではトマトには塩ではなく、砂糖をまぶす人が多かった。 


なほ皺を深めたまへよ敬老日       中西 恒雄
老人を無理に若返らそうとする昨今だが、この句は大いに皺を深めてください、というところが異色である。あるがままに生きてほしいと言うことであろう。皺は人の年輪である。人生の起伏の数である。「深めたまへよ」の措辞は深い慈しみの心である。


  

熱き湯へなんのなんのと生身魂      森崎 森平
銭湯の湯を薄めて常連の老人に叱り飛ばされた経験を持つ人は多いと思う。年寄りは何故か熱い湯が好きだ。もしかしたら感覚が鈍っていくのであろうか。ともかくこの句「なんのなんの」の話し言葉が堪らなく可笑しいのである。こういう老人が確かにいる。 


三十年父待つ母の盆用意         津田  卓
母を継ぎ同じく妻の盆支度          同
二句並べると足し算ではなく掛け算のような味わいがでてくるようだ。母は父を見送ってから三十年、お盆の用意をする。「父を待つ」の「待つ」がいい。あたかも生きている人を迎えるようだ。その母の意思を継いで妻が全く同じように盆用意をする。連綿と続く日本人の精神の継承である。 


秋澄むや百一名水かもしれぬ       飯田 子貢       
確か二十年ほど前に環境庁が日本百名水を選定した記憶がある。この句はその百名水ではない。違うのだけれど決して負けない名水である、と作者は思うのである。「百一名水かもしれぬ」の俳諧味を称えたい。 


蛍光灯替へる役目の帰省かな       こしだまほ
「蛍光灯」に象徴させているが、たいしたことでもないことにかこつけて年老いた親の様子を見に行くのである。「蛍光灯」が実に効果的なのである。さて昔の電球や蛍光灯はよく切れたが、LEDが普及しつつある今、そう簡単には帰省できなくなってしまうかな……。


傭兵の国の穂絮の行方かな        坂口 晴子
今月の作者は海外詠が並ぶ。日本には存在しないが、他国の戦闘員になるという職業がある。そうした国へ行ったのか、通過したのであろう。傭兵を穂絮にたとえたのであろう。空港に飛ぶ穂絮のようにどこへ飛んでいくのか解らない。現代の世相の深淵を覗いたような深みのある句だ。 


  

懐郷の一つは縁の南瓜かな        朽木  直
 
縁側のある家を知っている世代ももはや少なくなった。遊び場でもあり、近隣の人とお茶を飲む場でもあり、日向ぼっこをする場であり、雑穀や茸を干す場所であった。「南瓜」という野菜も好悪鬩ぎ合う存在である。もう食べたくないという思い出もあれば懐しさもある。この縁側と南瓜の取合せが様々のことを甦らせるのである。


その他印象深かった句を次に

からくりの寄木細工や長き夜        吉田千絵子
爽やかや身の丈の墓建てたりと       宮本起代子
煮南瓜や遺影へかくる国言葉        中村 宗男
おかはりの声の揃ひて今年米        中村 湖童
古書店につもる時間や秋灯         池田 桐人
色鳥来やつの奥なる来迎寺         武井まゆみ
名月や気象予報士外に出よと        白濱 武子
当り前に目覚むる安堵虫の声        佐々木節子
秋草のなびくといふもこきざみに      小泉 良子



















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

鰡跳んで広島の朝始まれり       広島  長谷川明子
マネキンの向き変へ秋の顔つくる    東京  大住 光汪 
あやとりの橋や鼓や西鶴忌       東京  長谷川千何子
秋雨や鉄路の音に沿ふ木曾路      神奈川 有賀  理
品川の百歩の登高海見えず       東京  福永 新祇
面影を追ふかに光る秋蛍        東京  豊田 知子
綻びのままに揺るるや秋簾       東京  山田  茜
此の峠越えれば信濃赤とんぼ      群馬  佐藤 栄子
裏方の炊き出しの香も秋祭       東京  星野 淑子
筆先のすべりの悪き残暑かな      東京  福原 紀子
風鈴を外して釘の錆の黙        埼玉  萩原 陽里
散るものも盛りのものも花野かな    群馬  佐藤かずえ
会議終へ始まつてをり長き夜      東京  辻本 芙紗
郷愁の心にかなふちちろかな      東京  上村健太郎
秋寂ぶや吉良邸跡のビルの翳      東京  田家 正好
鶏頭花毛羽立つ紅の厚みかな      東京  絹田  稜 
単身も既に五年の夜食かな       千葉  吉田 正克
爽やかや筆の運びも人柄も       神奈川 多丸 朝子
諍ひの果てのくすぶり草毟る      長野  桜井美津江
踏み漬けの大根とぐろ永平寺      福井  加茂 和己







雲集作品集抄

            伊藤伊那男・選

     

野仏に残菊飾る分去れ路       東京   秋田 正美
珠算塾の古りし看板秋ともし     埼玉   秋津  結
傘寿迎へ秋の嵐に立ち向かふ     神奈川  秋元 孝之
鳩吹くや甲斐の山々今日も在り    東京   朝戸 る津
紫陽花や都電にこもる昭和の香    東京   浅見 雅江
首筋に刷毛むら二本祭稚児      東京   尼崎 沙羅
鐘の音に踊始まる神の庭       愛媛   安藤 向山
秋風や昼はカレーを食ふことに    東京   井川  敏
立読みの古書より葉書雁渡し     東京   生田  武
慣れし頃またも転勤鰯雲       長野   池内とほる
海月にも動かぬ意思と動く意思    東京   石倉 俊紀
ヘリコプターいよよ高みへ鰯雲    東京   伊藤 真紀
列島ののたうちまはり夏果つる    神奈川  伊藤やすを
泡飛沫二百二十日の室戸崎      高知   市原 黄梅
鰡釣りの魚籠皆覗く橋の上      埼玉   今村 昌史
乗るほどに淋しき町へ夏暮るる    愛媛   岩本 青山
遠岬浜木綿の白乱れ咲く       愛媛   内田 釣月
早稲の穂の垂れを見守る道祖神    長野   浦野 洋一
針穴に糸纏はりて秋暑し       神奈川  大田 勝行
小鳥来る好みの窓辺あるらしく    東京   岡城より子
濁り酒出て正論のしばし止む     東京   岡田 久男
夕食が日に日に遅れ夜長かな     群馬   岡村妃呂子
秋茄子や嫁と呼ばれし日懐し     神奈川  小坂 誠子
祇王寺へ差しかかる坂爽やかに    京都   小沢 銈三
臨港線の錆付く線路草の花      埼玉   小野 岩雄
いつの間にここも背高泡立草     静岡   小野 無道
赤蜻蛉秘湯の宿へ道標        静岡   金井 硯児
蕎麦の花見つつ詣でる深大寺     東京   亀田 正則
ワンテンポ遅れも愉快運動会     長野   唐沢 冬朱
風涼し銭湯帰りの立話        神奈川  河村  啓
生徒らの歌声ひびく藤村忌      長野   神林三喜雄
バスガイド下りを急かす紅葉山    愛知   北浦 正弘
定食の飯残すまじ震災忌       神奈川  北爪 鳥閑
鬼灯や膨れつ面は横向きて      東京   北原美枝子
虫集く角を曲がれば我が家なり    東京   久保園和美
不義理かな墓石さがす秋彼岸     東京   倉橋  茂
鰍取り今は昔の自慢かな       群馬   黒岩伊知朗
瀟々と宛名の滲み秋の雨       愛知   黒岩 宏行
灯明に添へる鬼灯慰霊堂       東京   黒田イツ子
新涼や海山たづき分くる町      神奈川  小池 天牛
秋彼岸夫の位牌に朝日伸ぶ      群馬   小林 尊子
蟋蟀やおとがひ冷ゆる夕べなり    東京   小林 美樹
白檀の香る扇子の風もらふ      宮城   齊藤 克之
秋気澄む長谷の灯りを目に残し    神奈川  阪井 忠太
新涼の灯や晩学の文机に       長野   坂下  昭
文庫本栞進まぬ良夜かな       東京   佐々木終吉
やや冷や手の先狂ふ農作業      群馬   佐藤さゆり
頤を上へ上へと揚花火        東京   島谷  操
階段のペンキの剝がれ秋の風     東京   清水美保子
みちのくの酸ヶ湯は熱し初嵐     埼玉   志村  昌
鶏頭は花壇のなかの哲学者      千葉   白井 飛露
切通し抜けて広がる秋の海      神奈川  白井八十八
山栗の笑みを促す瀬音かな      東京   須﨑 武雄
宿坊の賑ひ戻る秋遍路        岐阜   鈴木 春水
老いのキャンプ火起しなどに一家言  群馬   鈴木踏青子
赤とんぼ子に追はれても子にとまる  愛知   住山 春人
雲と吾間にはただ秋の風       千葉   園部あづき
   
泉岳寺
若き僧の拝礼深く秋澄めり      埼玉   園部 恵夏
裏通りの小さなパン屋小鳥来る    東京   髙城 愉楽
迎火として灯しけり絵らふそく    福島   髙橋 双葉
聞き耳を立てれば虫の二輪唱     埼玉   武井 康弘
いくつもの手を伸ばし来る藪枯らし  三重   竹本 吉弘
夏の雨天城の山はいつも雲      神奈川  田嶋 壺中
山荘の大き錠前夏の果て       東京   立崎ひかり
迷ひたくなる信濃路や吾亦紅     東京   田中  道
今日のこと今日の内にと花茗荷    東京   手嶋 惠子
二歩行けば振り返る子の盆踊     大阪   辻本 理恵
機窓より視る新米の出来具合     神奈川  中野 堯司
鎌倉や行く先々に百日紅       神奈川  長濱 泰子
台風を待つ誰か待つ胸騒ぎ      大阪   永山 憂仔
口ほどに勝手分からず盆支度     東京   橋本  泰
里山に秋といふ名の絵の具置く    長野   蜂谷  敦
灯火親し百円ショップの老眼鏡    神奈川  花上 佐都
栗むきつ遠くの人に思ひ馳す     長野   馬場みち子
枝豆や今日の上司は泣き上戸     神奈川  星野かづよ
硯洗ふ父祖が思ひ出流すかに     神奈川  堀  英一
三石に秋潮踊る真鶴浜        東京   牧野 睦子
鳥居越え轟く太鼓涼新た       神奈川  松尾 守人
秋めくや旅の計画二つ三つ      愛知   松下美代子
丹沢の瀬音枕に星月夜        京都   三井 康有
義士の寺色なき風に鬨の声      東京   八木 八龍
冬夕焼一刷毛の朱を残しをり     東京   家治 祥夫
踊下駄三日と持たぬ郡上の夜     東京   保田 貴子
角張つて膨るる蕾桔梗かな      東京   矢野 安美
気後れの一日となりしそぞろ寒    群馬   山﨑ちづ子
手を真似て足が縺るる踊かな     神奈川  山田 丹晴
山の宿秋七草を部屋ごとに      静岡   山室 樹一
景品は飴玉袋宮相撲         高知   山本 吉兆
夕方に妖艶増すや酔芙蓉       群馬   横沢 宇内
朝供へ夕に頂く新酒かな       神奈川  横地 三旦
信濃路やここにいますと鳥兜     神奈川  横山 渓泉
花野にて人それぞれの思ひかな    山形   我妻 一男
芋の葉の露転ぶほど太りけり     東京   渡辺 誠子
永らへて娘ともども敬老日      東京   渡辺 文子



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

鰡跳んで広島の朝始まれり        長谷川明子
 
同時出句に〈川面より明くる八月六日かな〉〈赤とんぼ原爆ドームに来ては去る〉〈ペン灼くる核廃絶の署名かな〉があった。作者は広島在住の方。原爆投下から七十年を経てもその傷痕は消えることが無い。いや語り継がなくてはならない。冒頭句には一見平和な風景でありながら、いつ破れるかもしれないという不穏さも含む。八月六日の広島の朝である。同時出句の各句にも被爆体験が今も残り続ける広島に住む俳人の責務のような気持が感じられるのである。 

 

あやとりの橋や鼓や西鶴忌        長谷川千何子
西鶴忌に配した「あやとりの橋や鼓や」が何ともうまいところだ。大阪の「八百八橋」の橋を持ってきたところに西鶴物の道行きなどを連想させ、また鼓に人形浄瑠璃の舞台を連想させる。いずれも「あやとり」が紡ぎ出すところが人形の操作にも通じるのである。「綾取」も季語だという人がいるかもしれないが、なんのなんの、何の問題も無い。歳時記に載せてもいい名作だと信じる。 


秋雨や鉄路の音に沿ふ木曾路       有賀  理
「木曾路」の地名の効いた句だ。今年も木曾谷を訪ねたが、木曾路はしみじみ狭い。北からの入口である洗馬あたりなど、中央西線と国道と川で全てが取られて人家や畑すら確保の余地が無いほどだ。だからこそ「鉄路の音」が際立つのである。鉄路と街道の横糸に蕭条たる秋雨の縦糸の配合も見事な構図を生んでいるようだ。 


品川の百歩の登高海見えず        福永 新祇
品川神社の嘱目であろう。国道一号線からいきなり石段が始まり、鳥居を潜るとその左手に富士塚が聳える。その距離を「百歩の登高」としたところが勘所である。その登高の果て、高い建物に遮られてもはや海は見えない、と悲しい感慨で閉じる。このあたりが句の起伏の面白さである。同時出句の〈新米や誉め言葉出ずおかはりす〉も誉め言葉を知らない無骨な男の様子。言葉の替りにおかわりの茶碗を差し出すのである。 


面影を追ふかに光る秋蛍         豊田 知子
古来日本人は蛍を亡き人の霊魂と見る。数が少なくなった秋蛍となれば尚更である。〈たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏〉などがその典型であろう。掲出句はその蛍が更に何かの面影――それも魂であろうが――を追うように光る。つまりこの句には魂の連続、連鎖があるところが、類型を免れた要点である。蛍を追う作者、その蛍が更に追う霊魂という構図である。同時出句の〈夕立を聞きて沸かせる風呂熱め〉は夕立の激しさと「風呂熱め」の取合せに勢いがある。江戸っ子の台詞のような気持の良さ。 


綻びのままに揺るるや秋簾        山田  茜
過酷な夏の日を浴びて傷み始めた簾だが、まだ綻びつつも働いている。一物仕立てで秋簾という「物」だけを詠んだ観察眼がいい。一物仕立てで的確に物を捉えると、たとえば、ああそんな生き方の人もいるな、というような寓意も生まれるのである。


此の峠越えれば信濃赤とんぼ       佐藤 栄子
碓氷峠あたりの風景であろうか。秋も深まると山の上の赤とんぼが流れるように山を下りていく。そのような風景の中の峠だったのであろう。この先は更に標高の高い信濃。私が信濃生まれのせいかもしれないが、しきりに郷愁を誘われる句であった。同時出句の〈拡ぐれば般若心経秋扇〉も夏には煽ぐばかりであった扇だが、秋にしみじみと般若心経の文字を見る、という季節の変化を「物」に託して詠み止めているのである。 


裏方の炊き出しの香も秋祭        星野 淑子
この句の季語が「春祭」であったらどうか?やはりどうあっても「秋祭」である。春祭は豊作の予祝。秋祭は収穫への感謝であり、炊き出しの材料も豊富で、熱気も違う。そのような使い分けができている句なのである。 


秋寂ぶや吉良邸跡のビルの翳       田家 正好
亡くなったが鳥居三郎という俳人がいて博報堂の社内句会に私は何回か招かれた。ある時〈吉良邸を窺つてゐる年の暮〉というような句を出したら、ギョッとしていた。話では吉良の出身で「赤穂浪士」の映画など絶対見ない、という。それはさておき、公園仕立ての小さな吉良邸跡の様子をよく捉えた句だ。「ビルの翳」の措辞、季語の「秋寂ぶや」の斡旋共に良い。 
その他印象深かった句を次に

筆先のすべりの悪き残暑かな       福原 紀子
 散るものも盛りのものも花野かな    佐藤かずえ
 鶏頭花毛羽立つ紅の厚みかな      絹田  稜
 単身も既に五年の夜食かな       吉田 正克
 爽やかや筆の運びも人柄も       多丸 朝子
 諍ひの果てのくすぶり草毟る      桜井美津江
 踏み漬けの大根とぐろ永平寺      加茂 和己






       

















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(36)
          
 
形代を流し昨日が遠くなる


 盤水先生が出羽三山周辺を第二の故郷のように愛された影響を受けて、私も度々庄内地方を訪ねた。月山には三回登頂した。月山は天照大神の弟、月読命が統べる山。天照大神を太陽とすると、月読命は月。陰――すなわち冥界を司る神である。芭蕉は「おくの細道」の旅で凍えながら登頂し、翌日湯殿山へ降りているが、冥界の山に登り、湯殿山で再生しているのである。湯殿山についてはその仔細について「語るべからず」と言い伝えられているので、私も多くは語らないが、入山前に裸足になり、お祓を受け、人の形をとった白紙の形代を受ける。これで身を拭い、息を吹きかけて小流れに流す。句はそのことを詠んだのだが、「昨日が遠くなる」に、月山で死に、湯殿山で甦るという出羽三山の思想を少し盛り込んだつもりである。月山に登ったからこそ賜った句だと思っている。この登山の句には〈ちんぐるま月山行者霧に跳ぶ〉〈霧に消ゆ大日坊の行者かな〉などがある。
  
  
下町を紙魚に喰はれし江戸古地図

 20代から30代は実に沢山の本を読んだ。通勤途中で読み終るのを恐れて、次に読む本を鞄に入れているほどだった。中でも時代物が好きで、一番気楽に読んだのは池波正太郎であった。江戸の地理や食物などの描写がふんだんにあり、そうなるとその名残を確かめたくなるもので、暇を見ては歩いたりもした。現在の地形に江戸時代の絵図を当てはめてみると、戦火や火災を様々受けてきたにもかかわらず、それほどには変わっていないものである。寺の移動はあるが、神社というものはあまり動いていないことも解る。ひとわたり散策して、古い蕎麦屋などで盃を傾ける。満足な時間である。手にして歩いた江戸絵図は、もちろん現代の印刷物であるが、もし古いものであったら紙魚にやられている箇所もあるだろう、と酔いに任せて想像が膨らむ。度々の火災で下町が焼けたように、古地図は紙魚に喰われていく。掲句は吟行をしたからこその発想の句ということになる。
 












      


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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銀漢亭日録

伊藤伊那男

9月

 9月20日(木)
「銀漢句会」、今日は麹町会館にて、てる緒さん句稿受け渡しで往き来してくれる。須賀川の高橋双葉さんと宮内孝子さん来店。宮内さん久々、お元気! 双葉さん、出羽以来か。妹さんも一緒。武田禪次さん、三菱商事時代の仲間と。面白い方々。

9月21日(金)
発行所「蔦句会」選句。あと8人店。パリ在住の銀漢会員、伊藤惠子さん来店。

 9月22日(土)
彗星集書き上げる。12月号のエッセイ書く。14時、日本橋「鮨の与志喜」で「纏句会」。月野ぽぽなさんゲストで13人。あと、題に出た秋刀魚の塩焼き。蕎麦の実と根菜の椀。鯛と椎茸のあんかけ、握りひととおり。酒は日高見。今日は10句全部開き、特選も6。嬉しい! 帰宅してロールキャベツ、秋刀魚の酢締めなどの夕食用意。家族揃う。というか私がいれば揃う

9月23日(日)
14時、南千住駅。井蛙、光汪さんとの伊那北会。誕生日の芙紗、展枝、いづみ、小石さん。回向院、首切地蔵、素盞鳴尊神社、芭蕉矢立て始めの千住大橋。円通寺。吉原大門前の馬肉料理の中江にて刺身、鍋、煮込み、汁かけごはん。吉原を抜けて浅草へ。ニュー浅草にて3句出し句会。そしてカラオケと……。

 9月24日(月)
振替休日。昨日の昼からの酒が残る。誰も使わなかったロデオの健康器具が家にあり、4ヶ月前から私の部屋に引き取ってほぼ毎日乗っているのだが、全く体重が減ることもなく、むしろお腹が出て来ている。それでもいつの日か効果が出るのではないかと「ロシナンテ」と名付けて乗っている。家族皆、出払っており、孫の龍正君を桜新町のサッカー教室へバスで送る。終わるまでをジョリーパスタにて待つ。海胆のパスタがうまい! ワイン。帰宅して改めて夕食。いただきものの柿の葉寿司。

  9月25日(火)
「萩句会」選句。あと、清瀬さん階段を踏み外し、救急車で病院に入ったと。店「閏句会」7人。あと「ひまわり句会」九人。

 9月26日(水)
店「雛句会」12人。菊田一平さん久々。大西朋子さん他と。高橋小花さん。

9月27日(木)
予約無く閑散。大塚凱君。事業部「御岳山鍛練句会」の案内発送など。

 9月28日(金)
大型台風接近というが、今日の東京は秋晴れ。隣家からせり出している金木犀の大樹。窓を開けると甘い香りが充満。店、親戚の五日市さん会社仲間六人。あと「金星句会」あと7人。水内慶太さん「すし屋の弥助」の鯖寿司土産に。清水先生(会員)気仙沼の牡蠣の大先生、畠山重篤さんと。編集者の小鮒由起子さんも。

 9月29日(土)
あ・ん・ど・うクリニック、銀行、本屋、スーパーマーケット。喫茶店で選句や連絡。莉子、華子にステーキ焼く。

9月30日(日)
終日家。午後、杏さん一家来て食事会。宮澤は能登。ロールキャベツ、秋刀魚味噌漬、焼茄子など作る。火鍋など。台風接近にて杏一家早々に帰る。夜中、恐ろしいほどの風雨。

10月

  10月1日(月)
台風一過。店、久々、対馬康子さん私の句集出版祝いにヴーヴクリコで乾杯して下さる。梅田津さんの勉強会。水内慶太さんがゲストで5人。「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人。白井飛露さん本日誕生日と来店。清人さん、慶太さんから各々ヴーヴクリコの乾杯。

  10月2日(火)
店、超閑散。

10月3日(水)
「きさらぎ句会」あと六人。「宙句会」あと10十人。隣家に庭師が入り、恐るべき勢いで切りまり金木犀は丸裸。

10月4日(木)
「十六夜句会」あと9人。村上(今泉)礼奈、会社仲間と久々、3月に出産の運びと! お目出度う。村上鞆彦さんは幸せ者である。皆川丈弘さん、富山のチューリップの球根持ってきて下さる。

  10月5日(金)
春耕賞選句。50編あり。月初の暇な時に済ませておくことに。店、法政大学の高柳先生5人。「大倉句会」あと20人。

10月6日(土)
新宿発の奥多摩号で御嶽駅。バス、ケーブルカーで山頂のビジターセンター集合11時半。参加者33名。ガイドの馬場さんの案内で、宿の御岳山荘まで動物や植物の話を聞く。持参の駅弁の昼食。13時より10句出し句会。休憩時間に参道の店。閉まるところだったが、私の顔を覚えていて入れてくれる。蒟蒻刺、田楽などで酒。5人ほどで。18時夕食。いつもながら実に実に心の籠った料理の数々。20時半より第2回の10句出し句会。23時位で終了であったが、あと私の部屋に7、8人集まり軽く飲む。熟睡。

 10月7日(日)
昨日も今日も快晴。5時半に起きて作句、作句。7時、武蔵御嶽神社に集合し、朝の祈禱を受ける。気さくな御神職。8時朝食。9九時より第3回目の10句出し句会。NHKのど自慢大会の会場が私の郷里駒ヶ根市とて、冒頭の会場紹介を見る。昼食後、解散。下山して、20人ほどが玉川屋へ。澤乃井の酒、酒! あと蕎麦。そのあと20分程歩いて澤乃井園清流ガーデンへ。酒! 澤乃井の酒。日没まで。くたくたで帰宅。

 10月8日(月)
体育の日。11月号の校正。雑用などこなす。作句。夜、能登のぼうが来ていたので、豚肉、豆腐などで味噌鍋に。秋刀魚の鮓〆、御岳山の蒟蒻の刺身など。

10月9日(火)
伊那谷の友人、田中昇さん寄ってくれる。伊那の松茸の土産。「火の会」9人。御岳山土産の刺身蒟蒻、秋刀魚の味噌漬など喜んで下さる。成績良し。

10月10日(水)
鈴木てる緒さん、バニラと。久々に会う。予約なし。屋内松山さん。「軸」の島さん二人。水内慶太、加茂一行、祐森水香さん。帰宅して桃子と少し話。

  10月11日(木)
「極句会」あと12人。9日から店の壁面での「写真とコトノハ展」(倉田有希さん代表)開催中。影山風子さんを偲ぶ冊子に寄稿、献句〈佳き風の吹き月影は山の端に〉。毎日新聞「俳句αあるふぁ」増刊号特集に短文。土日の「雲の峰総会」に小講演をする資料作成。酒井多加子さんに送る。

 10月12日(金)
店、コトノハ写真展の親睦会10人。(広渡敬雄・松野苑子・望月周と思えば、角川賞受賞者が3人いる)。「櫟」の種谷さん、その他賑わう。

10月13日(土)
10時、運営委員会。午後、麹町会館にて「銀漢本部句会」。50人とやや少ない。若手の活躍に皆刺激を受ける。あと中華店にて親睦会16人。

 10月 14日(日)
11時発、あずさ号にて信州へ。岡谷駅にて、大住光汪、堀部泰憲、清水実君と合流し、飯田線にて伊那市駅。大野田井蛙さんの出迎えを受け、天台宗の名刹羽広観音。住職夫人が小学校同期生にて挨拶。松の手入れをしている方がいて、三方に張った綱で梯子を立て、驚くほどの高さに登っているので感心し、歳を聞くと87歳と。絶句する。ところが、1年前、脚立から落ちて脊椎損傷し、リハビリ中と。この松手入れがリハビリと言うので更に驚く。信州大学農学部のキャンパス、伊那北高校などを散策し、本日の会場、大芝荘へ。約100人の集い。スケートの小平奈緒を育てた新谷純夫君の講演を聞き、宴会、2次会……と続く。










         
    






今月の季節の写真/花の歳時記


2018年12月24日撮影 クリスマスホーリー   HACHIOJI
 



花言葉   「神を信じます」
△クリスマスホーリー
日本でクリスマスホーリーの商品名で売られているヒイラギの多くは、実はセイヨウヒイラギではなく、和名「ヒイラギモチ」と呼ばれる、モチノキ属の近種です。
クロガネモチ コトネアスター ホンアマリリス ネリネ ファイヤーワークス
茶の花 冬紅葉 クリスマスホーリー 
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/12/25  更新


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