HOME 句会案内 バックナンバー   
  2012 1月 2月  3月 4月  5月 6月  7月 8月 9月 10月 11月 12月 

1月号 2012年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  平成23年優秀作品集銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 銀漢俳句会2012年予定 









伊藤伊那男作品

 
      
 初芝居                         伊藤伊那男

有難く泣かせてもらふ初芝居
しみじみと華甲の顔ぞ初鏡
松過ぎの結び目固き靴の紐
掌中の珠と転がし冬苺
冬霞この山もまた歌枕
寒禽のひとつは八咫の烏かと
歳晩の茶粥に舌を焦がす旅
分け合うて朮火の地を照らしけり
 













今月の目次



 
銀漢俳句会・1月号









   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 



新年明けましてお目出度うございます。


 「銀漢」を創刊して丁度一年が経過しました。創刊時は130人の同人会員でスタートしましたが、この一年間運営の結果、出句を前提とする同人会員が230名(12月号出句者は170名)、別に購読会員として支えて下さっている方が93名と増加して参りました。嬉しいことです。
 当初、月刊誌として出発すること、発行所を賃貸することなど悩む点が多くありましたが、発起人メンバーの強い後押しをいただいて踏み切り、幸い良い結果を得ることができました。
 俳句は自分一人で作れるものではありません。良い仲間と良い発表の場が必要です。絶えず刺激を受ける句会、結社誌があってこそ、切磋琢磨の気持ちが高まるものです。そうした意味で各自が「火事場の馬鹿力」を発揮できる結社の礎を築いた一年であったと思います。
 「銀漢」誌の特長の一つは全員参加型の結社誌であることです。彗星集は同人会員の区別なく、誰でも参加でき、競い合う場所です。また十句選欄は複数の同人が交替で選句します。良い句を作れば句歴も年齢も関係なく、誰にでもスポットライトが当たる仕組みです。良い句を見逃さず、多角的な視点で顕彰し合う精神を大事にしています。
 また「銀漢」の特徴の一つに故村田脩先生の「萩」誌終刊に当り、50名近い方に参加していただいていることです。鍛練会、座談会などを通じて交流が進み、融和が計られつつあります。お互いに刺激し合い、句の幅も広がり、これが活力源の一つになっているようです。
 句会の数は現在18。各々特色のある内容で、句会同士の交流も始まっているようです。発行所でも10名程度の句会が開けるように机と椅子を用意してあり、現在超結社を含む七つの句会が利用しています。
 また、吟行会、鍛練会など適時、様々な企画を用意しており、各自の都合に合わせて遠慮なく参加していただけるようになっております。
 このようにまづは順調に、中味の濃い一年を過ごすことができたのは、各担当部門の熱意と緊密な連携、また会員の皆様の協力のお陰と感謝しております。しかしこれで満足するわけにはいきません。今年も「俳句をやっていてよかった!」と言える結社作りに励みむ覚悟です。皆様のご助力をお願い致します




 



  




盤水俳句・今月の一句



 

   獅子舞がすたすたゆけり最短路    皆川盤水



  正月の稼ぎ時、獅子舞が次の家へと急ぎ、最短路を取る。「すたすた」という俗語が効果的である。俳句用語としては違和感のある「最短路」という音読表現を使ったのは先生の句としては珍しい。当時盛んであった社会性俳句の表現方法などの影響があったのかもしれない。音読の句ではもう一つ〈月山に速力のある雲の峰〉の「速力」があるが……。句からは正月行事の舞台裏のおかしさが伝わってくる。同時に一抹の寂寥感も伴う。
                         (昭和36年作『積荷』所収)
                                                伊藤伊那男










彗星集作品抄

伊藤伊那男選

鹿島路の旅のつれづれ木の実独楽   山元正規

ふるさとへ切符一枚秋祭       武田花

自然薯の杖と並びて売られをり    畔柳海村

交番はいつも空っぽ威し銃      山田康教

髪を梳く節目に入る爽やかさ     田中敬子

放屁虫静止してよりおそろしき    唐沢静男

稲刈を見つつ荷を解く帰郷かな    脇行雲

釣り舟を湖上に散らし秋高し     長谷川千何子

かなかなの声の透きゆく夕べかな   三代川次

落ちてなほ座の定まらぬ虚栗     大野田好記

一年の泣きどころかな村歌舞伎    武田禅次

励まねば釣瓶落しが来てしまふ    大野里詩

飛ぶことに飽き蛤となる雀      飯田眞理子

きちきちのひと飛びほどのほまち畑  伊藤庄平

実石榴や升よ痛いと言うてお見    島谷高水 

 ひよんの笛皆を集めて音の出ず    島織布  

夜を刻むかにお会式の太鼓かな    谷岡健彦

吸殻に残るルージュや近松忌     塚本一夫

赤福の篦に指さるる鷹柱       小野寺清人

竹生島うしろ姿の秋思かな      大溝妙子





  

彗星集 選評 伊藤伊那男

  伊藤伊那男•選

鹿島路の旅のつれづれ木の実独楽   山元正規

 鹿島香取は天児屋根命を祀り、中臣(藤原氏)の崇敬を受けた。鎌足の出自の説もある。芭蕉に『鹿島紀行』もあり、俳人にも縁が深い。山口青邨に「香取より鹿島はさびし木の実落つ」があり、掲出句はこの句を踏まえてのことと思う。一種の本歌取りともいえる作句方法でこれもまたよし。鹿島神宮の森は深い。木の実も沢山降ることだろう。

 

  ふるさとへ切符一枚秋祭       武田花果

 農家の多かった地方では何といっても祭は「秋」。収穫の喜びと一年の仕事を終えた安堵からか熱気が違うのだ。この句は都市生活者が、ふと思い立って、取るものも取り敢えず、ふるさとへいそいだのであろう。その逸る気持ちが「切符一枚」に出ているようだ。感情の通りに作るなら「逸る気持ちや秋祭」なのだが、作句はその気持を「物」に託すことが勘所である。形容詞も動詞もなくても伝達可能。

 

  自然薯の杖と並びて売られをり    畔柳海村

 ああ、そうだそうだ、と手を打った。例えば山形の山寺など、参道の店先に貸出用の杖が沢山並んでいる。その横に自然薯が。遠目には同じように見えたりするのであろう。風土色もあり、そこはかとないユーモアが漂う。

 

  交番はいつも空っぽ威し銃      山田康教

 豊の秋、巡査は自転車で担当地域を巡回しているのであろう。事件や事故などはめったに起きない雰囲気だ。おまわりさんも親しく村人と話し込んだりしているのであろう。交番は空っぽ、時折威し銃が届く。交番といえば拳銃が連想されるのだが、誰もいない交番にも聞こえる鳥威し。読後にうっちゃりを喰らったようなほのかなおかしみも残るようだ。日本の懐しい風景。

  

  髪を梳く節目に入る爽やかさ     田中敬子

 漢字の「爽」には、①さっぱりして気持ちのよいさま。②あきらか。暗やみがさっぱりと割切れて除かれたさま。とある。両方共秋の大気の特色にふさわしいので季語となったようだ。「秋爽」「爽涼」などとも使う。この句、髪に櫛を入れると、その細かな櫛目ごとに爽やかさが頭皮にしみ込むという、非常に細かな感触を詠んでいるのである。鋭敏な感覚の句といえよう。季語の本意を摑んだ。

 
 

  放屁虫静止してよりおそろしき    唐沢静男  

 一読、おかしい句だ。放屁虫とは何ともなさけない名前を付けられてしまったものだ。危難に会うと臭気を発して敵を撃退するのだ。その臭気を発する時に、「静止」するのかどうか?疑問として残るのだが、こう言われると諾うしかあるまい。何だか人間界の寓意も感じられてくるようだ。

 

  稲刈を見つつ荷を解く帰郷かな    脇行雲

 郷里の縁側から稲刈が見えるのだ。匂いまで伝わる。

 

  釣り舟を湖上に散らし秋高し     長谷川千何子

 一幅の絵のようだ。澄み切った空気。「散らし」がいい。


  かなかなの声の透きゆく夕べかな   三代川次郎

 秋の深まりが「透きゆく」の表現で具体的になった。


  落ちてなほ座の定まらぬ虚栗     大野田好記

 井月の「落葉の座を定めるや窪溜り」の本香取り。可。

 

  一年の泣きどころかな村歌舞伎    武田禅次

村歌舞伎であるところがよい。泣かせてもらうのだ。 

 

  励まねば釣瓶落しが来てしまふ    大野里詩

 話し言葉がそのまま句になったか。「励まねば」がいい。


  飛ぶことに飽き蛤となる雀      飯田眞理子

 俳諧味のある錬磨された句。「飽き」が決め手。

     

  きちきちのひと飛びほどのほまち畑  伊藤庄平

 ほまちは「へそくり」のこと。小さな隠し畑が具体的。

 
  

  実石榴や升よ痛いと言うてお見    島谷高水

升は子規のこと。石榴に痛々しさを感じたか。手練! 

 

  ひよんの笛皆を集めて音の出ず    島織布

 あるある、こういう事。困惑の様子がおかしい。

 

  夜を刻むかにお会式の太鼓かな   谷岡健彦

太鼓の音が「夜を刻む」——出色の表現である。


  赤福の篦に指さるる鷹柱      小野寺清人

 伊勢に立つ鷹柱。赤福餅を食べる篦に漂うユーモア。


  竹生島うしろ姿の秋思かな     大溝妙子

 菅浦から見た竹生島の裏側か。「秋思」の見立てに納得。

(追)この菅浦の国民宿舎に鮒鮓作りの名人がいて、絶品!しかも安い。六人で大物を二本食べてしまった思い出がある。
 
  
 木の実独楽









平成23年・優秀作品集

彗星集巻頭・星雲集巻頭






■彗星集

 
  1月号
  追伸のごとく鳴きけり秋の蝉  大溝妙子
  

  2月号

その爪の恋猫ならばこそ尖る   北澤一伯

  3月号

銀座丸ごとリボン結びに聖夜かな  我部敬子

  4月号

雪形の駒へ朝の校歌かな     萩原一夫

  5月号

水脈を引く光となりし春の鴨      我部敬子

  6月号

種袋振ればせつつく音したる     杉阪大和

  7月号

道ゆづり合へばよき風初桜      村上文恵

 8月号

更衣風をつかんで袖通す       長谷川千何子

 9月号

金魚動くたびに光の万華鏡      末永理恵子

 10月号

晩年の明け暮れ長し百日紅   多田悦子

 11月号

たましひのかたちに撓ふハンモック  こしだまほ

 12月号

鉄棒にぶらさがり見る鰯雲      中野智子



 星雲集
1月号

紀の国の海の遠鳴り青蜜柑   松崎逍遙

2月号

顔見世を見て来し頬の火照りかな   谷岡健彦


3月号

売り声の掻き寄せてゐる熊手市  有澤志峯


4月号

たましひのはづれかけたる日向ぼこ こしだまほ


5月号

三椏咲く大和は山も恋せりと    大河内 史


6月号

防風を掻き分けてまた砂の風    西原舞


7月号

地下鉄の下へ下へと春ショール   島織布

8月号

あやとりの指借りに来る春炬燵 滝沢咲秀


9月号

児の手より発ち風船に未知の空   内山寿子


10月号

捕虫網まづ家中を駆け巡る 柊原洋征


11月号

面差しを父に重ねるパナマ帽    中野智子


12月号

水筒の底の乾きやひろしま忌    大野里詩














銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

香久山に点描のごと色鳥来           飯田眞理子

落鮎もまばらとなりぬ峡の雨          池田 華風

天城嶺の丹田あたり水の秋           唐沢 静男

将来はとつくにむかし残る虫          久保 一岩

紅葉浄土それぞれの色それぞれに        柴山つぐ子

その影を次々倒し葦を刈る           杉阪 大和

燈火親し平家のあはれまだ半ば         武田 花果

大津絵の鬼の発する秋の声           武田 禪次

長薯を掘りて一日を土の中           萩原 一夫

商館の坂すれ違ふ秋日傘            久重 凛子

葦刈つて雲をのびのび遊ばせる         松川 洋酔

食堂の傾く椅子や秋刀魚食ぶ          三代川次郎

体育の日一茶の寺に来て遊ぶ          屋内 松山






 







綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選


相席となりし縁や秋扇            有澤 志峯

露の世の牛引かれつつ声立つる        飯田 子貢

大花野一水に沿ひ風に添ひ          五十嵐京子

秋思めく顔を四隅にエレベーター       伊藤 庄平

叱責の上司の胸に赤い羽根          伊藤 政三

粧ひて手鏡に見る小さき秋          梅沢 フミ

母逝きし野辺の送りも雁の頃         大河内 史

硝子戸にゆがむ糸瓜を見てをりぬ       大溝 妙子

蛇苺ひと粒紅し朝の冷え           大山かげもと

踏切の音のなつかし碇星           小川 夏葉

この先を迷ふことなく敬老日         尾﨑 尚子

玄関に敬老の日の市長以下          小野寺清人

はつたいや少し曲りし母の膝         片山 一行

満ちてゐて満たされてゐず秋思ふと      加藤 恵介

傾ぐまま蘂全開に曼珠沙華          我部 敬子

馬肥ゆる朝の浜辺を脚高く          神村 睦代

阿波木偶の目の閉ぢきらず紅芙蓉       川島秋葉男

虫時雨穂にしみいりてゆらすらし       北澤 一伯

蝗跳ぶ讃岐の山を弧に入れて         朽木 直

三の酉手締めの声の嗄れてをり        畔柳 海村

敬老の日に聞く母の恋のこと         こしだまほ

浮標ばかり見て敬老の日の漁師        小滝 肇

秋夕焼呼べば近寄る牧の牛          權守 勝一

台風過髪の痩せたる思ひあり         佐々木節子

ためらひの蕾のままに冬薔薇         笹園 春雀

木の実落ち帽子の鍔をひと巡り        筱田 文

秋麗なだれ落ちたる組体操          島谷 高水

髪型は昔と同じ赤のまま           末永理恵子

秋刀魚焼く映画のような夕餉かな       新谷 房子

雨の日は雨しか知らで芙蓉閉づ        鈴木てる緒

姫祀る丘の伝説昼の虫            高橋アケミ

流星を拾ひに向かふ小海線          高橋 透水

古本の匂ひごと買ふ残暑かな         武井まゆみ

移り来てここに老いゆく秋祭         武田 千津

秋草を丸めてゐたる象の鼻          多田 悦子

竹の春島をはみ出すとんびの輪        多田 美記

来てみれば彼岸花待つ父母の墓        田中 敬子

運動会昼をまつすぐ走り切る         谷岡 健彦

火男が先頭に立つ神輿渡御          谷川佐和子

少々が合はぬ家計簿茶立虫          谷口いづみ

鶏頭に鉄筋工の水やりぬ           塚本 一夫

言問を岡持のゆく水の秋           中村 孝哲

秋茄子の色も供物に若冲忌          中野 智子

度忘れの度重なりてそぞろ寒         藤井 綋一

水掻きは眠りてをらず浮寝鳥         堀内 清瀬

ブーケ投げ上げし頂点秋の空         堀江 美州

初鏡形見まとへばひとしほに         松浦 宗克

銭湯の初湯に富士を賜はりぬ         松崎 逍遊

親の肩もんで勤労感謝の日          松崎 正

鶏頭の影にも厚みありにけり         松代 展枝

啄木鳥の木裏に廻りまた敲く         無聞 齋

寺の秋日なた日かげを際立たせ        村上 文惠

色かへぬ松に在りにし母を恋ふ        村田 郁子

谷戸毎に日暮のちがふ葛の花         村田 重子

鮎落ちてにはかに山河寂びにけり       山元 正規

列島はいまだ震へり彼岸花          山田 康教

潮の目に供物漂ふ送り盆           吉沢美佐枝

万華鏡まはす指先夜の秋           吉田千絵子

帰りなんいざ雁渡し吹く朝に         脇 行雲











銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男


天城嶺の丹田あたり水の秋      唐沢静男

 丹田というのは下腹部の臍の下にあたるところ。ここに力をいれると健康と勇気を得るという。この句では山裾、二、三合目あたりということになろうか、澄み切った水の秋であるという。丹田という擬人化した見立ては出色である。天城山は伊豆半島の背骨を構成している。花が豊富で水が豊かな山で、その固有名詞で決まった。作者は伊豆在住。かつて一緒に天城山(万二郎岳•万三郎岳)に登った。

 
 

  燈火親し平家のあはれまだ半ば    武田花果  

 平家の栄華と没落を主題とした叙事文学。清盛の隆盛から始まり壇ノ浦での滅亡までが流麗な文章で綴られている。作者はこの長編を読み進むのだが、夜長をもってしてもまだまだ半ば。そこを「あはれまだ半ば」という。物語が半ばなのだが、散りばめられた哀話が半ばだと詠み替えたところが勘所である。平家物語だけに尚更の味わい。

  長薯を掘りて一日を土の中      萩原一夫

 長芋は地中深く育つので特殊な鍬で掘り下げて収穫する。一メートルに達するものもあるので、掘り手も土の中である。そこを「一日を土の中」と捉えて長芋掘りの本意に迫っている。読む側に土の匂いまで感じられてくるではないか。余談だが山芋掘りに誘われたことがある。これは山野に自生しているので周囲は縦横に木の根が絡んでおり、これを切断しつつ掘る重労働。三十分で試合放棄となった。

  

  体育の日一茶の寺に来て遊ぶ     屋内松山

「ひぐらしの里俳句大会」で私が特選に取った句。日暮里本行寺は別名一茶寺。体育の日に運動ではなく俳句の会に来て遊んだという俳諧味。「遊ぶ」の措辞も[我と来てあそべや親のない雀」からきたのであろう。当意即妙。極上の挨拶句となった。 


 

  玄関に敬老の日の市長以下      小野寺清人  

奇跡的な長寿社会となり、百歳の老人もそれほど珍しくない時代となった。が、そこまで生き抜いたのは偉業である。金盃などの記念品を抱えて市長が長老を顕彰に訪ねる。その訪問の場面をうまく切り取った。「市長以下」の把握が実にいい。同時出句の「横柄な糸瓜育ててしまひけり」も滑稽感を絡めて上質な笑いを誘う。

 

  蝗飛ぶ讃岐の山を弧に入れて     朽木直

金毘羅宮から讃岐平野を見ると、讃岐富士をはじめとしていくつもの丸い山が見える。どれもこれもなだらかで、ふくよかな山なのである。そういう背景があるので、この句が生きるのである。蝗の飛躍の弧に讃岐の山の弧が重なる。遠近法を用いて小さな蝗の弧の方を大きく見せたところがうまいのである。 


 

  秋刀魚焼く映画のやうな夕餉かな   新谷房子

我々の世代には、秋刀魚というと、路地裏の七輪から上る煙と匂いが連想される。白黒フィルムの映画でも度々目にした懐しい風景である。私は信州だったので、生の秋刀魚はほとんどなくて、一塩ものを一人半身づつ食べたものだ。頭を取るか、尾の方を取るか悩んだな。この句はそんな時代を思い出させてくれた。「映画のやうな夕餉」の表現が見事である。ああ、折り畳みのできる丸い卓袱台––––。 


 
 

  雨の日は雨しか知らで芙蓉閉づ    鈴木てる緒

芙蓉は朝開いて一日で萎む、たった一日だけの花である。雨催いの朝であったのか、芙蓉が開いたもののそのあとはずっと雨。雨のまま夕方花が萎む。この芙蓉は「雨しか知らず」閉じたのである。その雨の一日に着目したところが独自の視点。「雨の日は雨しか知らず」––––調べもよい。 


 
 

  鶏頭の影にも厚味ありにけり     松代展枝

鶏頭の名は鶏の鶏冠(とさか)に似ているところからついたという。それだけに何となく動物的な花である。その形状はさまざまに詠まれている。掲出句は影を持ってきたところがおもしろく、しかもその「影にも厚味」があるという。影に厚味?うまいなあ。確かに影は濃いかもしれないが、「厚味」とは今まで誰も言えなかったように思う。
 その他印象深かった句を次に

  落鮎もまばらとなりぬ峡の雨     池田華風

  その影を次々倒し葦を刈る      杉阪大和

  大津絵の鬼の発する秋の声      武田禅次

  秋思めく顔を四隅にエレベーター   伊藤庄平

  台風過髪の痩せたる思ひあり     佐々木節子

  秋麗なだれ落ちたる組体操      島谷高水

  谷戸毎に日暮のちがふ葛の花     村田重子

  運動会昼をまつすぐ走り切る     谷岡健彦

  親の肩もんで勤労感謝の日      松崎正



天城山

  


  


       











 


星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

読まさるる絵本は同じ夜長かな     住山 春人

豊の秋丸太のやうな鯉跳ねる      大野 里詩

グローブにグリス塗り込み春を待つ   松田 茂

石榴の実鈴生りに爆ぜ零れざる     坪井 研治

笑み栗を見つけ良きことあるやうな   中村 寿祥

からくりの宙舞ふ飛驒の秋祭      小林 雅子

裸子に紛れし吾子を見失ふ       柊原 洋征

玉入れの最後を秋の空高く       島 織布

野仏の肩より枯野ひろがりぬ      滝沢 咲秀

愚痴一つ遺影に一つ庭の柿       角 佐穂子

クレヨンの赤重ねたる鶏頭花      本庄 康代

蓑虫の蓑脱がしたき日和かな      飯田 康酔

運動会声のかたまり遠ざかる      長谷川千何子

黄落や墓誌に列なる受洗名       ゆいともこ

甲虫負ふ太陽の重さかな        中島 雄一




大根干しあげたる父の紫煙かな     相田 惠子

いつまでも首にまつはる残暑かな    秋元 孝之

立待の家並も人も影絵なす       穴田ひろし

朝露も運ぶ担ぎ女競りの声       荒木 万寿

朝露や二人暮しの献立表        有賀 稲香

大山の久久に見え赤とんぼ       石垣 辰生

高層の谷間をのぼる今日の月      市毛 唯朗

補聴器の耳にこもれる残暑かな     今村八十吉

草叢の種芳しき野分あと        上田 裕

長き夜やまた付け替へるアップリケ   榎本 陽子

実むらさき友を偲べばこぼれけり    大木 邦絵

敬老の日に母訪うて笑み貰ふ      大西 真一

秋祭的射る弓矢音高し         大野田好記

温泉(ゆ)の街に川音ひびく寒路かな   岡村妃呂子

人恋うてつかず離れず赤とんぼ     小坂 誠子

我が家に辿りつけない残暑かな     尾崎 幹

幼名で呼びあふ仲間芋煮会       鏡山千恵子

豊の秋賽銭箱の上に米         笠原 祐子

大仏の背山まどかな秋日和       桂 説子

とろろ汁親ゆづりなる医者嫌ひ     加藤 修

忽然と土手に炎の曼珠沙華       亀田 正則

長き夜やめぐる思ひに果てのなく    唐沢 冬朱

石榴の木父母亡きあとの実の少な    木部 玲子

冷まじや勇魚捕り絵図みな裸      隈本はるこ

塩飴を一粒残し秋の風         来嶋 清子

点滴の命の雫秋の雨          黒岩 清女

秋深し友の便りを読み返す       黒河内文江

山門に朝日を返し大垂氷        小池 百人

新海苔の畳むたび舞ふ欠片かな     小林 沙織

行く秋に景を授けり相模湾       阪井 忠太

金木犀地を染めぬきて金の粒      佐々木終吉

用すみて淋しく立ちし案山子かな    佐々木美智子

仰ぎ見る芒の上の四阿山        佐藤かずえ

代継ぎていよよ身に添ふ籐寝椅子    佐藤 幸子

運動会走つている子の靴が飛ぶ     佐藤さゆり

藤の実やふいに現はる峡のバス     三溝 恵子

げんこつのごつごつ加減石榴の実    島谷 操

六階へ木犀の香の届けもの       清水佳壽美

山茶花や日暮に浮かぶ首里城址     白鳥はくとう

再会の叶はぬままに十三夜       白濱 武子

星月夜湖(うみ)の真中に竹生島     杉本アツ子

温め酒父の恋しくなる夜かな      鈴木 淳子

昼の月荒野の油井ポンプ群       鈴木 照明

手術後は亡父(ちち)の貌なり秋の朝   鈴木踏青子

十六夜の窓にピエロのオルゴール    鈴木 廣美

だんまりを決めこんでゐる胡桃かな   曽谷 晴子

音読の子のまた黙る流れ星       武田真理子

招き猫洗ゐ清めて年用意        竹本 治美

明月の吾を逃がさず照らしけり     田中 寿徳

鴨の声きく裏木戸のあけてあり     田中丸真智子

幼な子の行く先々をばつた跳ぶ     多丸 朝子

長き夜や自分を磨く本が好き      近松 光栄

何回もまはしそこねし木の実独楽    津田 卓

下駄の音しだいに増えて初明り     徳永 和美

長き夜を独りの旅路たどるのみ     戸田 礼子

お地蔵の手に一輪の草の花       富岡 霧中

湖も富士も一つに霧の中        中村 貞代

独り居の板間に月を招きけり      中村 紘子

大根を干したる軒も昏れにけり     南藤 和義

拝むごと手のひらで研ぐ今年米     西原 舞

職引きて秋茄子漬ける役回り      萩野 清司

鐘を打ち合はす両手に秋時雨      橋本 行雄

運動会終りポプラに風たちぬ      原田 英美

宍道湖の小舟傾く霧の朝        播广 義春

潮の香が重たくなりて台風来      福田 泉

宮杜に漏れる明りや小望月       藤田 孝俊

玉砂利の踏み音尖る神の留守      藤森 英雄

鶸渡り色残し行く青き空        保谷 政孝

糸瓜やや言ひ訳のごと曲りけり     堀切 克洋

十月や乾きの早き接着剤        松村 郁子

蕭条と枯野浮かばせ駅舎の灯      宮内 孝子

迷ひつつ手にする聖書夜長の灯     宮本 龍子

道草の伴は片手の猫じゃらし      森濱 直之

大川に羽の褪せたる都鳥        家治 祥夫

剝く皮の長さ競ひし柿日和       安田 芳雄

秋扇閉ぢつあふぎつ句座の中      矢野春行士

武蔵野の生木の香り野分あと      山下 美佐

掌に暫し転がし木の実愛づ       山田 礁

ほぐされつ均されつゆく秋の雲     山田 鯉公

奮戦の孫に胸鳴る運動会        吉田 葉子

思ひ出も共に購ふはつたい粉      和歌山要子













星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男


   読まさるる絵本は同じ夜長かな   住山春人

 私にも同じような経験がある。もう暗記する位目にしているのに、またまた読めという。またこれか・・と思いながらも膝の上に乗ったあどけない顔を見ると読むほかはない。夜長のことである。果てしなく続くのである。「読まさるる」の困惑の表現には苦笑してしまうが、同時に父親
の愛情も滲む。〈すりむきし膝そのままに秋の暮〉も子供の姿なのであろう。父親の詠む子育て俳句。

    
 


   豊の秋丸太のやうな鯉跳ねる    大野里詩

 豊の秋である。馬肥ゆる秋というが、鯉も丸太のように太っているという。その鯉が跳ねるというのであるから何とも躍動感のある情景である。私の育った信州伊那谷ではことの外鯉を珍重した。秋祭には鯉を筒切りにして、うま煮に、また味噌汁(鯉こく)にしたものだ。はちきれんば
かりに内臓もむっちりと膨らむのだ。


 
 

   笑み栗を見つけ良きことあるやうな 中村寿祥

笑み栗は毬が自然に割れて実を覗かせたもの。笑っているように見える。豊かな秋である。これを見た作者も豊かな気持になったのであろう。「良きことあるやうな」の表現にあたたかさと、生きる喜びが感じられる。



   からくりの宙舞ふ飛驒の秋祭    小林雅子

高山祭である。「高山祭」というと春祭を指すので「飛驒の秋祭」と表現したのであろう。絢爛豪華な山車に、飛驒の匠の精巧な技のからくり人形などが並ぶ。そのからくりが宙を舞う。飛驒の山々が大きく展けるような大景を切り取っており臨場感に溢れている。一読爽快である。



   裸子に紛れし吾子を見失ふ      柊原洋征

 11月号に〈裸子を錦江湾に放ちをり〉があり秀逸に取り上げた。この句も一連のシリーズということになろうか。また違う角度から裸子を詠んで出色である。裸子の中の吾子。誰もが感じていたけれど詠めなかったところだ。


 


   玉入れの最後を秋の空高く      島織布

運動会の属目。紅白の玉がひっきりなしに宙を舞う。終って玉を数える。どちらかの籠が空になって、残った籠だけの勘定が続き、最後の玉が思い切り空高く投げられて、歓声が湧く。「秋の空高く」の措辞が何とも爽やかである。 


 


   愚痴一つ遺影に一つ庭の柿      角佐穂子

句の構造としては、「愚痴一つ」が「遺影」にかかり、「一つ庭の柿」も遡って「遺影」にかかる。愚痴を聞いてもらいたくて庭の柿を供えたのである。何となく深刻な愚痴ではなさそうなところがよい。一のリフレインが効いた。
 


 

   クレヨンの赤重ねたる鶏頭花     本庄康代

 鶏頭のあの独特の赤い色を出すために赤系統のクレヨンを何色も重ねて描いたという。あるいは鶏頭の花はクレヨンを何色も重ねたようだ、という比喩の句として捉えてもよいかもしれない。「赤重ね」がうまいところだ。


 


   糸瓜やや言ひ訳のごと曲りけり     堀切克洋

 沖縄では糸瓜を食べるが、本土ではさて、垢すりや化粧水にするが、一般家庭では鑑賞用。様々な形を成す糸瓜の一つの曲り方を見て「言い訳」をしているようだ、と見て、独自の表現を得た。「やや」の措辞がまたいい。


 
   

  運動会声のかたまり遠ざかる     長谷川千何子

声という目に見えないものを「かたまり」と捉えたところが手柄だ。競技の結果ごとに、赤組か白組かの歓声が一斉に上る。「ワー」という声が校庭を一巡りして遠ざかる。しばらくして次の歓声のかたまりが・・。 


 


   げんこつのごつごつ加減石榴の実  島谷操

 石榴の実をよく観察した写生俳句である。動詞を入れないで対象物だけを詠み切った姿勢がよい。ふしくれだったげんこつのようだという比喩だが、普通は「如く」「やうな」「似たる」などを使うが、「加減」は珍しい。
  
その他印象深かった句を次に

 グローブにグリス塗り込み春を待つ 松田茂

 石榴の実鈴生りに爆ぜ零れざる   坪井研治

 招き猫洗ゐ清めて年用意      竹本治美

 新海苔の畳むたび舞ふ欠片かな   小林沙織

 とろろ汁親ゆづりなる医者嫌ひ   加藤修

 甲虫負ふ太陽の重さかな      中島雄一

 敬老の日に母訪うて笑み貰ふ    大西真一
  












銀漢俳句会2012年予定


201112月1日 事業部作成

1月7日(土)

銀漢本部句会運営委員会

7月19日(木)

銀漢本部句会

119日(木)

銀漢句会

7月27日(金)から7月29日(日)

こもろ日盛句会

1月21日(土)

年次総会新年会

8月11日(土)

銀漢本部句会運営委員会

2月11日(土)

銀漢本部句会運営委員会

8月23日(木)

銀漢句会

2月16日(木)

銀漢句会

9月1日(土)

9月2日(日)

一泊鍛練句会

3月3日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

9月8日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

3月15日(木)

銀漢句会

9月20日(木)

銀漢句会

3月24日(土)

本部吟行

10月8日(月)

本行寺月見句会

4月14日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

1013日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

4月19日(木)

銀漢句会

1018日(木)

銀漢句会

5月12日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

11月3日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

5月17日(木)

銀漢句会

1115日(木)

銀漢句会

6月9日(土)

銀漢本部句会運営委員会

1123日(金)

本部吟行

6月16日(土)

6月17日(日)

鵜飼一泊吟行

12月8日(土)

銀漢本部句会

運営委員会

6月21日(木)

銀漢句会

1220日(木)

銀漢句会

7月7日(土)

銀漢本部句会運営委員会

1222日(土)

横浜吟行

上記日程は変更になることがありますので、ご注意ください。   









  


ご挨拶  入会案内 句会案内  銀漢亭日録 行事案内(2012)