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2月号 2012年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄 銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 第1回銀漢賞・銀漢新人賞 星雲集・作品抄星雲集・今月の秀句

 






伊藤伊那男作品

   
鱈汁                   伊藤伊那男

一位の実こぼれおびただしき火種
芋虫のその嵩ほどの糞こぼす
影あれば影のきはだつ酉の市
お捻りにまじる木の葉も村芝居
持たされてゐる舐めかけの千歳飴
北塞ぎ母聞か猿といふ構へ
鱈汁や風にちぎれる津軽の灯
編みかけのセーターまたも編みかけに















今月の目次



 
銀漢俳句会・2月号







   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

  句作の上で今念頭にあること

写生の訓練を常に積むこと
 33歳のときに皆川盤水の「春耕」に入会した。そこで徹底的な写生の訓練を受けた。最初は写生俳句が只事に思えた。写生の何が面白いのだろう。もっともっと自我を表出すればいいのに、と思い、そうした句を出すと、ことごとく黙殺された。だが句会を続けてだんだん解ってきたことは、作者の人生観や主観などを17音に載せて伝えるということは実に至難なことだということ。俳句は短歌と較べて、14音少ない分、感情を入れる隙間などはない。結局のところ「物」や「季語」に作者の心を託すしかないということである。つまり徹底的に「物」を凝視し、物を描くしかないことが解ってきた。また俳句を読み取る能力も当然訓練が必要であること、読む訓練を積めば作者の思いが伝わってくることも解ってきた。端的に言えば、写生の訓練は実は作者の心情を伝達する技術を磨くことだということだ。伝達能力を身に付ければ自ずから思いを季語や物に忍ばせることができるということだ。ただし常に写生の原点に戻らなくてはならない。ちょっと油断すると独りよがりの句になってしまうものである。繰り返し写生の訓練をすることだ。
座標軸を持っていること
 俳句には様々な作り方がある。そこが数学と違うところで、極端に言えば俳人の数だけ正解があるということだ。ただし日本人という同一文化の国であるから自ずからストライクゾーンというものがある。外角、内角、高め、低めという違いがあるが、ともかくその枠の中に入っていなければ「座の文芸」の意味がない。外角でも、低めでも位置はどこでもよいけれど、作者の厳然たる座標軸があるかどうかが肝要である。器用な俳人は全角度に投げることができ、変化球も繰り出すが、座標軸が定まっていなければ所詮根無し草である。尽きるところその作者の生きざまが句に滲み出てくるかどうかである。そうでなくては面白くない。俳句は作者の手を離れて一人歩きをするというけれど、それは解釈の仕方であって、作者名という前書きが付いていることも確かである。自己を確と維持していなくてはならない。
年輪を刻めること
 若い頃つまらないと思っていた句に芭蕉の〈さまざまな事思ひ出す桜かな〉がある。年齢を重ねるに従ってこの句の味わいが深まってきたように思う。去年見た桜と今年見る桜――同じ桜でも違うのだ。つまり見る側の置かれた境遇や人生観の変化によって、桜を見る感慨が違ってくるのである。だから同じ桜を見ても毎年違う句ができる。俳句は年季もの、よい年輪を刻まねば。
                  (「ウエップ俳句通信 Vol.65」より転載)







 



  




盤水俳句・今月の一句


   盆梅が満開となり酒買ひに      皆川盤水


 
きっと先生ご自身が好きな句だったのだと思う。よく色紙や短冊に書いておられた。この句、野に咲く梅ではなく、部屋で眺める盆梅というところがよいのだろう。日々丹精をこめて手入れしただけに喜びも格別。日々花が開いてついに満開に。その心祝にいつもよりよい酒を買いに出たのだ。何かにつけて酒席の好きだった先生である。満面の喜びを表す先生の遊び心がよい。「俳句は素直にね」という先生の声がきこえてくるようだ。(昭和四十七年作『銀山』所収)                                                     伊藤伊那男
  
















彗星集作品抄

伊藤伊那男選

  
胸ぬちの風穴鳴らし虎落笛       大河内史  
冬ざくら彼の世の人の花見かと     柴山つぐ子
泣きさうなときは目深に冬帽子     小滝 肇
寄り合ひのいつも真ん中ちゃんちゃんこ 松崎逍遊
籠城の一手のごとく北塞ぐ       中村孝哲        
母恋ひの佐渡向き鳴ける冬かもめ    武田花果
竹箒丈使ひきり落葉掃く        大溝妙子
浮寝鳥吹き寄せられて相寄らず     山元正規
冬晴れや父をめがけて一輪車      住山春人
胎内に古墳の眠る蜜柑山        脇 行雲
玻璃窓の冬夕焼けを拭ひけり      谷口いづみ
松手入れ沖の船音聞きながら      藤田孝俊
農小屋に目籠の飾事納         飯田子貢
野老掘る人見え隠れ神の山       鈴木てる緒
組み替へてより真直に雁の棹      杉阪大和
むささびの手を取れば飛べさうな夜   飯田子貢
めつむりて旅の打たせ湯秋収め     山田 礁
門々に藁の散りゐる亥の子槌      屋内松山
団栗やみんな年寄る同級生       中村寿祥
鯛焼を踊らせてゐる掌         池田華風 















  

彗星集 選評 伊藤伊那男

  
  
 胸ぬちの風穴鳴らし虎落笛      大河内史

風穴は「山腹•渓間•崖脚などにあって、夏期、冷たい風を吹き出す洞穴」とあり、富士山麓が有名である。その風穴が人体にもあるという心象の深い句である。虎落笛に呼応して、その風穴が鳴るという。主観と個性の強い句だが、虎落笛の本意を突いている秀逸。詩の世界を構築した。
  
  
 冬ざくら彼の世の人の花見かと   柴山つぐ子

以前、群馬県鬼石の冬桜を見たことがあるが、満開といっても、春と冬でこんなにも違うかと思う寂しさであった。それだけに「彼の世の人の花見」の措辞が生きているのである。鬼石には彼の世の人が大勢集まっていたのかもしれぬ、とふと思った。それほどの時間を置かずに皆、冬桜の花見客になるのか••••••とも。 
 
  
 泣きさうな時は目深に冬帽子     小滝肇

父の時代、男達の多くは冬帽子——中折帽を被っていたものだ。あれからだんだん廃れてきて今は毛糸の帽子や野球帽が多いが、それも冬帽子の範疇と容認されているようだ。人には泣きたい時がある。「目深に」に世間の風に当りながら生きる者の哀愁が籠る。

  
 寄り合ひのいつも真ん中ちやんちやんこ 松崎逍遊

村の長老なのであろうか。冬の寄り合いには必ずちゃんちゃんこを羽織ってくる。いつも話の中心にいて皆の相談相手なのであろう。そういう人物像が、ちゃんちゃんこの季語で想像される。『ちやんちやんこなどは一生着るものか 山田弘子』などという句もある服装だけに、「いつも真ん中」の措辞が生きてくるのだ。
  
  
 籠城の一手のごとく北塞ぐ      中村孝哲

密閉された今の住宅であるから、この季語も徐々に死語化しており、想像力で作句する季語になっていくのであろう。そういう意味で、比喩として使ったこの句は説得力があるようだ。まさに冬籠りという籠城。「一手」が効いた。 
 
  
 母恋ひの佐渡向き鳴ける冬かもめ   武田花果

良寛さんが念頭にあるのだろう。確か良寛の母は佐渡の人という説があることを聞いたことがある。たまたま海を向いて鳴いていた冬鴎●から連想が及んだのであろう。歴史を踏まえている分、余情が深いのである。 
 
  
 竹箒丈使ひきり落葉掃く       大溝妙子

主観句を取ったあとだけに、写生の清々しさを思う。 
 
  
 浮寝鳥吹き寄せられて相寄らず    山元正規

浮寝鳥の生態をよく捉えた。「相寄らず」が的確。 
 
  
 冬晴れや父をめがけて一輪車     住山春人

父子関係の温かさ。「めがけて」の信頼感がいい。

 
 胎内に古墳の眠る密柑山       脇 行雲

密柑山が何とも良い。現代と古代との風景の重層。 

  
 玻璃窓の冬夕焼を拭ひけり      谷口いづみ

硝子窓を拭いても冬夕焼は消えないのだが。錯覚の妙。 
 
  
 松手入れ沖の船音聞きながら     藤田孝俊

穏やかな風景。こんな松手入に立ち合ってみたいものだ。 
 
  
 農小屋に目籠の飾り事納       飯田子貢

農作業の終了の日。目籠の飾りが発見。観察の目がいい。 
    
  
 野老掘る人見え隠れ神の山      鈴木てる緒
  
 野老は山の海老で正月の飾り。「見え隠れ」が味わい。
   
 
 組み替へてより真直に雁の棹     杉阪大和

実見したというより「文芸上の真」を突いた句か。うまい! 

  
 むささびの手を取れば飛べさうな夜  飯田子貢

楽しい句だ。こんな想像のできる柔らかな頭を褒めたい。 
 
  
 めつむりて旅の打たせ湯秋収め    山田礁

 しみじみとした句柄。めつむりてに万感の思いがある。 

  
 門々に藁の散りゐる亥の子槌     屋内松山

中七の措辞はありそうだが、ポイントは「槌」の一字。 
 
  
 団栗やみんな年寄る同級生     中村寿祥

団栗の背競べの諺を生かした。皆同じように年を取った。 

  
 鯛焼を踊らせてゐる掌       池田華風

 熱いが手離すわけにはいかぬ!手に踊らせて冷す。

 









銀河集品抄

伊藤伊那男選

モネの色かも睡蓮のもみづれり         飯田眞理子
秋ゆくや一夜の雨を名残りとし         池田 華風
パソコンにはたきを掛ける文化の日       唐沢 静男
遠山も手前の山も冬日向            柴山つぐ子
柿干すや一連づつの影ふやし          杉阪 大和
地下鉄を出て八方へ散るコート         武田 花果
切符切る鋏の音に秋行けり           武田 禪次
手のひらで切りたる母の新豆腐         萩原 一夫
たましひを吐き出すやうな大くさめ       松川 洋酔
菊日和ただよふ虫のみなひかり         久重 凛子
道灌の物見塚より秋の声            三代川次郎
実石榴や武者先生の好日来           屋内 松山















綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

茸採り記憶の道を辿り得ず           有澤 志峯
大菊の息を吐き切るごと開く          飯田 子貢
幔幕に笛方の影月の宴             五十嵐京子
夕晴に北窓塞ぎかねゐたる           伊藤 庄平
十戒の如く進みし大熊手            伊藤 政三
今朝冬と風が耳打ちして行けり         梅沢 フミ
鳥来ては日に透くばかり木守柿         大河 内史
遠山へ注連張るやうに柿を干す         大溝 妙子
杖頼む背を正しけり菊日和           大山かげもと
池の面を明るくしたる茨の実          小川 夏葉
花束に秋草ありて野の誘ひ           尾﨑 尚子
軍服の遺影が見えて柿すだれ          小野寺清人
待ち人の未だ来たらず萩の雨          片山 一行
朴訥は話さずわかる頰かむり          加藤 恵介
鈴音ごと髪置きの子を抱き上ぐる        我部 敬子
電球を替へる踏台冬に入る           神村 睦代
天高しキリンの為の空といふ          川島秋葉男
骨壺が納められたる山眠る           北澤 一伯
松手入梯子の中に近江富士           朽木 直
懐手江ノ電通り過ぐを待つ           畔柳 海村
肉付きは咲くにまかせて菊人形         こしだまほ
鳰潜ぐをちこち音のなき波紋          小滝 肇
龍淵に潜む伝への薬師池            權守 勝一
十月や言葉ゆたかにしてひとり         佐々木節子
遠くより目敏き友の冬帽子           笹園 春雀
歩を弱めたしかめ行けり落葉の香        筱田 文
熱燗を酌むや出稼てふ人と           島谷 高水
針の目の通らぬ糸や秋深し           新谷 房子
湯豆腐の揺れの大きく同窓会          末永理恵子
低きよりひとつづつ減り庭の柚子        鈴木てる緒
着ぶくれて麒麟の眼さがしけり         瀬戸 紀恵
花石蕗に少し疲れや雨後の宮          高橋アケミ
錦木や瞳のごとき山の沼            高橋 透水
沸きしこと告ぐるポットや初時雨        武井まゆみ
吾の影に影ぼんやりと冬桜           竹内 松音
鳥わたるわが生涯のこの窓に          武田 千津
焼栗を剝けば無口な父のこと          多田 悦子
恵林寺の鐘のあけくれ柿を干す         多田 美記
暇乞ひなかなかできず秋暑し          田中 敬子
寺町を叩きつくして日蓮忌           谷岡 健彦
表参道裏参道も柿日和             谷川佐和子
酉の市出でて大きな影となる          谷口いづみ
雨激し鶏頭怯むそぶりなし           塚本 一夫
吾亦紅点と線との鬩ぎ合ひ           中野 智子
信長の首盆にのせ菊師来る           中村 孝哲
花八手押しの一手を貰ひたし          藤井 綋一
見るからに一徹さうな冬帽子          堀内 清瀬
水涸るる水路へ子等の探検隊          堀江 美州
呼吸さえ止るか雪の枯山水           松浦 宗克
ふるさとに大き空あり雑煮食ふ         松崎 逍遊
目覚めればこの世の端の日向ぼこ        松崎 正
秋祭子供に配る湯屋の券            松代 展枝
蒼穹や呵呵大笑のざくろどち          無聞 齋
すだれなす雨を聴きゐて夜半の冬        村上 文惠
十月や氏神の森子らの森            村田 郁子
十月の顔限りなく鏡の間            村田 重子
モノクロのビュッフェの線画冬立てり      山田 康教
胡桃割る山河の声を聞かむとて         山元 正規
末枯や瀬音のひびきやすくして         吉沢美佐枝
秋茄子や晴天の碧はね返す           吉田千絵子
どの窓も舌出すごとく蒲団干す         脇 行雲

















銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

  
 柿干すや一連づつの影増やし     杉阪大和
まさに干柿作りの最中の様子を切り取っている。一連干せば一連の影が増える。こんな作業の細部までを詠み切った観察眼はただごとではない。さっきより今、そのあとと縁側の風景の変化を丁寧に捉えた、写生俳句の見本ともいえる句。その上でほのかな抒情も醸し出しているのだ。
  
 
 たましひを吐き出すやうな大くさめ  松川洋酔 
  
これは何とも楽しい句だ。大きなくしゃみによって魂が飛び出してしまうようだという。生理現象の中に「たましい」という精神世界を混在させたところが眼目。くしゃみのあともぬけの殻の洋酔さんである。 

  
 幔幕に笛方の影月の宴        五十嵐京子

私ごとだが昨年の中秋の名月の日に伊勢神宮内宮の観月会に参加した。神宮の森に月がかかる頃、雅楽、舞楽があり、その幻想的な舞台に堪能した。その後神宮司庁機関誌「瑞垣」へ俳句寄稿の依頼を受けた。さてこの句笛方の影が幕に映ったという、その事実だけを詠んだのだが、深い抒情がある。抑制された表現だが、逆に、遍満する月光が鮮やかである。「物」だけを詠んだ写生句の強さである。 
 
 
  夕晴に北窓塞ぎかねゐたる      伊藤庄平

「北窓塞ぐ」の季語を逆手にとった意外性のある句。北窓を塞ぐ準備をしたのだが、あまりの夕晴れの美しさに見とれて、塞ぎかねているのである。季語を発展させたこのような句を見ると、俳句表現にはまだまだ無限の可能性があるのだと思う。

  
  軍服の遺影が見えて柿すだれ    小野寺清人
  
 
物語生のある句だ。柿すだれの奥の居間の鴨居に戦地で散ったこの家の若者の遺影がかかげられている。悲しい歴史の残る部屋と、一歩出た外の、豊の秋の柿すだれの鮮烈な色彩の対比が見事である。加えて、その色彩感に悲喜を交えた二重の構造がこの句の勘所である。 
  
  
 朴訥は話さずわかる頰かむり     加藤恵介

人物像の描き方が出色である。頰かむりの人と会うのだが、その眼差や仕草だけで、瞬時に朴訥な人であることが解ったというのである。頰かむりという、もうほとんど見かけることのなくなった防寒具がうまく使われるようである。だいぶ前のことだが遠野に旅したとき、頰かぶりの方を多く目にして懐しかったことを思い出した。

  
 懐手江の電通り過ぐを待つ      畔柳海村

こちらは懐手。これも冬の季語だが、本来は着物姿の場合の動作である。今はオーバーのポケットに手を入れた姿なども含まれているかもしれない。江の電の固有名詞を見ると、つい高浜虚子その他、一時代前の鎌倉文士のことなどが彷彿としてくるのである。地名の効果抜群の句。
 
  
 肉付は咲くにまかせて菊人形    こしだまほ

 菊人形の句は自分でもよく作り、また沢山見てきたが、この句は特異な視点である。蕾の状態での菊人形は時間の経過とともに開花するが、その分着物はぶ厚くなる。それを「肉付き」と捉えたのは出色、そして「咲くにまかせて」は独自の眼力である。同時出色の『ヘッドホンにうながされてゐる秋思かな』も現代人の生活感を捉えて見事。

  
 吾亦紅点と線との鬩ぎ合ひ      中野智子

吾亦紅という草花の特徴をよく捉えているようである。あの、花とも思えない植物を、花を点と見て、茎を線とした見立ては、かつて無かったものである。しかもその点と線がせめぎ合っているのである。発見!だ。 

 信長の首盆にのせ菊師来る      中村孝哲

銀漢亭での句会の一つ超結社句会「湯島句会」があるが、約百人参加するその句会で、過去に例を見ない最高得点を取った句である。信長であるところに血が粟立つような凄味がある。「盆にのせ」の表現はなまなかではない。    
その他印象深かった句を次に
   
パソコンにはたきを掛ける文化の日  唐沢静男
遠山も手前の山も冬日向       柴山つぐ子
地下鉄を出て八方へ散るコート    武田花果
秋祭子供に配る湯屋の券       松代展枝
胡桃割る山河の声を聞かむとて    山元征規
今朝冬と風が耳打ちして行けり    梅沢フミ
低きよりひとつづつ減り庭の柚子   鈴木てる緒
鳥渡るわが生涯のこの窓に      武田千津
遠山へ注連張るやうに柿を干す    大溝妙子
花束に秋草ありて野の誘ひ      尾崎尚子
          

















第1回銀漢賞・銀漢新人賞



 第一回「銀漢賞」並びに「銀漢新人賞」発表

  「銀漢賞」    ――  「記憶の匣」 谷口いづみ

「銀漢賞」準賞  ――  「田舎暮し」 唐沢静男

「銀漢賞」佳作  ――  「夜長」   松代展枝

 同  佳作  ――  「秋野点描」 多田美記

 同  佳作  ――  「菊日和」  鈴木てる緒

「銀漢新人賞」  ――  「望の月」  五十嵐京子

  同  佳作  ――  「旅の秋」  谷岡健彦




 第1回「銀漢賞」「銀漢新人賞」選考経過報告

第1回「銀漢賞」は平成23年6月号に募集案内が出され、同年9月末日締切で募集が行われた結果、同人三十三編・会員三十四編の計六十七編の作品が寄せられた。10月6日付けで無記名の句稿67編が「銀漢賞」担当の川島秋葉男氏より、選者の伊藤伊那男主宰、武田禪次、杉坂大和の3名に送付された。二か月の選考期間を経て12月10日、各選者が「銀漢賞」「銀漢新人賞」に相応しいと思う作品の予選会を開催、2名以上の選に入った14編を予選通過作品とした。14編を各選者が改めて検討し、14点から1点まで順位付け、同月18日最終選考会を開催した。得点数の多い順に一覧表を作成し、それを基に総合的に検討した結果、順位通りの受賞となった。栄えある第1回「銀漢賞」は、予選でもベストスリーに入った谷口いづみの「記憶の匣」が、「銀漢新人賞」は予選通過14編に残った会員2名の中から、総合でも四位となった五十嵐京子の「望の月」が決まった。  
 尚、最後まで競い合った唐沢静男の「田舎暮し」を「銀漢賞」の準賞に、三、四、五位作品を佳作として表彰することとした。また「銀漢新人賞」候補として十四編に残った谷岡健彦の「旅の秋」も佳作として表彰の対象とした。以上は全て無記名での選考であった。
 第一回にして六十七編の応募があったことは、新生「銀漢」の勢いを示すものであり、悦ばしいことである。巻末に予選通過作品並びに応募作品の一覧表を載せ、会員諸氏の意欲に敬意を表するとともに、さらなる活躍を期待したい。(杉阪大和記)








「銀漢賞」選評

伊藤伊那男

 創刊して一年にも満たない時期に「銀漢賞」を応募するにはためらいがあったが、六七編の応募を得たことは予想外で、銀漢俳句会の活力の証として嬉しかった。会員の応募が半数あったことも良い。選考経過報告で触れていると思うが、上位二編は選者三名が第一次選考の時から一致して推薦していた。受賞作「記憶の匣」は無駄な句が少なく一番多く丸が付いた。他に較べて歴然と個性があるが、その主観は抑制されていて、読み手に理解できる主観ということであろうか。一歩抜け出ていたと思う。「田舎暮し」はきっちりとした写生句で安定していた。が、若干緊張感を欠く句もあったな、と感じた。いっそのこと、もっと厳しく写生に徹するか、報告に終った句の替りに、詩情のある句を交えるというような構成もあるかなと思った。「新人賞」の「望の月」は対象を丁寧に詠んでいて好感をもった。瑞々しい目がある。
 ともかく新作二十句に挑戦したことによって、必ず何かを学び取り、一歩前進している筈である。私ごとだが四十歳の頃、「春耕」創刊二五周年記念賞に応募したことがある。金曜日の夜行バスで奈良に行き、2日間俳句のことだけを考えて歩いた。その一歩一歩が俳句を自得する切っ掛けであった。

杉阪大和

 予選での基準は写生の眼が効いていることが基本であるが、多少の欠点があっても、荒削りの魅力や意欲作も視野に入れた。最終選考では写生を第一に、抒情、骨法、季語の斡旋等を目安とした。一位に唐沢静男の「田舎暮し」を推した。季語の本意を摑み、写生に裏打ちされた句に、軽みも加わり安定感があった。新人賞に五十嵐京子の「望の月」を推した。句材にやや古めかしさはあるが、それを上回る写生眼、俳句の要諦を得た骨法に揺るぎがなく、二十句全体が高いレベルであった。一位の谷口いづみの「記憶の匣」は、心象に陥り易いところを「物」に託して、抑え気味に詠んで成功している。銀漢の新しい句風として評価したい。


武田禪次

 十四編の作品を選ぶ基準は、俳句の骨法と観察の眼は勿論であるが、そこに二十句が創り出す世界があるかどうかとした。その意味で「無題」作品が四編あったことは折角の機会を失っていて残念であった。逆に題にこだわり過ぎて、無理に言葉を掻き集めているものも散見された。二十句は作者の個性が創り出す世界であり、読者を詩の世界へ誘う芸術性が求められる。一句としては出来ていても、それが二十句並べられると別物である。従って句の配列や漢字、ひらがなの使い方、音だけで理解出来る調べといった観点から最終選考の作品を選んだ。唐沢静男「田舎暮し」、五十嵐京子「望の月」、鈴木てる緒「菊日和」、松代展枝「夜長」はいずれも該当作品であった。が、谷口いづみ「記憶の匣」は題の語る世界が息づいており、これを一位として推した。




銀漢賞        谷口いづみ


記憶の匣

鳥帰る通夜に知りたる洗礼名
ふるさとを語るしじまに亀鳴けり
運命線かくもかそけく花万朶
ひらかなの多き文読む春満月
柳絮飛ぶお歯黒溝のあとなれば
春の蚊のでてゆくまでを観てゐたり
うららけしつむり大きな盧舎那仏
パレットを青塗れにし夏立ちぬ
開きたる十指昂ぶる南風
今生の香水おしみなくつかふ
西日濃し父の蔵書に原爆図
夜濯のやはらかきものやはらかく
送火も入れて記憶の匣を閉づ
片頬に涙置く子の葛ざくら
祇園囃子西へ一筋逸れゆけり
水薬の残り捨てられぬまま秋
箸止めて邯鄲の音をおしへらる
雨月とてもののけのこと恋のこと
地虫鳴く母の念珠を借りし夜の
秋雲へ向かふ電車を降りられず

9月某日、電車で二子玉川と中央林間の間を三往復ほどしました。走るものに乗ってい
ると、なぜか句が生まれます。銀漢賞締切を間近にして窮余の策でした。その時いい雲に
出会いました。「秋雲に向かふ電車を降りられず」……私にとって、句を作ることはささの積み重ね。自信作ではありませんが、気持ちよく生まれた句たちでした。
いま、私を俳句に出会わせてくれた天の配剤に感謝しつつ、銀漢という素晴らしい環境を与えてくださった佳き師、佳き先輩、佳き句友達に心より感謝をしております。本当に、本当に有難うございました。

(たにぐち いづみ)
國學院大学史学科卒業。劇団「空間演技」に在籍。その後デザイン企画会社勤務。現在フリー。平成16年より「銀漢句会」参加、伊藤伊那男に師事。17年「春耕」入会。22年「銀漢」同人参加。
 



「銀漢賞」準賞         唐沢静男

 
 田舎暮し

山窪に二百十日の風籠る
白露かな昨日の野良着塩を吹く
ぶらさがりかたもごつつき茘枝かな
穴まどひ籔から棒でありにけり
秋暑し鴉の散らす虫の翅
秋耕す田舎暮しの胼胝ふやし
道すがら貝のきら浮く良夜かな
半時に湿る野良着や野分雲
秋の茄子あばたも淡く漬かりけり
立待の波打ち際に雑魚騒ぐ
燈火親し色分け記す農日記
本を選る妻の立ちゐや寝待月
頭から濡れて籔出る竹の春
厠戸へ更待の月廻りくる
またひとつおもはぬところ土手南瓜
宵闇や猪罠ごんと落ちる音
畦草を膝で分けゆく寒露かな
太刀魚を引つ提げ蜑の朝帰り
蛤となれぬ雀か群れを追ふ
霜降や荒鋤の畝乾き初む

 銀漢創刊の年に受賞できたことを素直に喜んでいる。本来なら近くにいて、主宰を助ける一人にならなければならないのだが優れた取り巻き衆もおり、自分はもっぱら句を磨くことでお返
しするしかないと思っている。
伊豆へ移り住んで五年、近くに150坪ほどの畑を借り、近所の農家との付き合いにも慣れ、ようやく田舎暮らしが板についてきた。句会へは近県まで通っているが、新しい仲間も増え、
むしろ息抜きにもなり、こんな暮らしに納得している。
最後に伊藤伊那男主宰はじめ武田禅次、杉阪大和の両選者、先輩、句友に心から感謝申しあげる。

(からさわ しずお)
昭和24年8月伊那市に生まれる。平成11年「春耕」入会。13年同人。20年度「春耕新人賞」受賞。23年「銀漢」創刊同人。




銀漢新人賞」     五十嵐京子


  望の月

一山の総樹鎮もる望の月
大花野生絹の雲の広ごれり
入り組んで続く突堤雁渡し
柿紅葉仔山羊の角の透きとほる
身に入むや沢に崩るる行者道
蜑小屋に運ぶ七輪七日粥
大寒の東塔の影鋼色
料峭や蛇籠に絡む鳥の羽根
春めくや厨子の扉の彩雲図
地虫出づ勘助井戸に風の音
小流れの橋ゆづり合ふ名草の芽
草屋根のほほけて桜大樹かな
堂守の一汁一菜種を蒔く
聖五月ワインボトルの肩の張り
家系図の裔は父の名虫払
海の風山にぶつかる浦祭
三伏の息つめて見る箔移し
一湾の夏日巻き上ぐ大錨
サーカスの小屋組みを解く秋暑かな
遍照の湖が一枚鳥渡る

この度は記念すべき第一回銀漢新人賞を賜わり、ありがとうございました。ふとしたご縁で「銀漢」創刊時に入会させて頂きましたが、「アラ古希」の私にとっては、若い方々の勢いのある句柄がとても刺激的です。
俳句は「詠み手一心読み手十心」と思っています。作者の感じた想いが一句に仕立てられ、読者は十人十色それぞれの感受性で受けとめ共感する。作者の一瞬の想いが読者の記憶の一瞬に重なり一句の中にさまざまな物語を展開してくれる。そんな客観写生に徹した詠み方をこの先も続けていけたらと思っています。望外な賞に浅学の身が引き締まる思いです。

(いがらし きょうこ)
平成12年「野紺菊」入会。13年「白露」入会。15年「野紺菊」同人。23年「銀漢」入会。平成24四年「銀漢」同人。


   「銀漢賞」佳作

  
 「夜長」   松代展枝

一葉の淡き恋読む夜長かな
露草の青流すほど雨しとど
虫すだく村は大きな耳になる
野紺菊供へて父と語りけり
憂きことのあり秋雨を夜半に聞く
枯萩のこぼるる刻を夕あかり
ゆるやかに波裏返る良夜かな
旅終る車窓に白き月を見て
墨すつて平らな心鶏頭花
秋風や瘤の目立ちし御柱




 「秋野点描」  多田美記

草の名を野にそらんずる賢治の忌
姉が手のぬくみの記憶夕花野
人影につきやすきかな秋の蝶
日輪の小さきをのせ秋の草
触れられることなく燃ゆる曼珠沙華
吸ひさしを種火に籾の山を焼く
雁瘡の子が母に摘む野辺の花
父と子の鳩笛高く低くかな
野に復習ふ喇叭に釣瓶落しかな
鰯雲ひろがつてゆく思郷かな



 「菊日和」    鈴木てる緒

参拝へ踏む玉砂利の淑気満つ
二上山の影のかぶさる牡丹寺
人呼びて人寄せ付けぬ白牡丹
翡翠を待つ三脚を立ててより
心太に噎せて話の腰を折る
道すべて川に尽きたる広島忌
夜学子の本に栞の耳あまた
菊日和華甲祝ひて貰ひけり
城垣の隙の奥より秋の声
雲となる噴煙阿蘇の大枯野

 

「銀漢新人賞」佳作

  
 「旅の秋」    谷岡健彦

旅立たむ色なき風の来る方へ
雲を切る翼の先に盆の月
初秋の風を震わすバグパイプ
黒衣ゆく古都の露けき石畳
黒死病見し聖像の眼の冷ゆる
黙々と馬鈴薯を食ふ牧師かな
竪琴の音の秋空を弾くごと
泥炭を削り琥珀の秋出水
道化師の泣顔を打つ秋の雨
極東の残暑の国に戻りけり


 










星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

天よりの使者風花の名を貰ふ          滝沢 咲秀
袈裟の綺羅尽しあまたの十夜僧         白濱 武子
吊り革の丸と三角なる秋思           大野 里詩
五平餅母在りし日の囲炉裏端          小林 雅子
草紅葉いつしか子等にはげまされ        角 佐穂子
木枯しや鬼の泣きだす鬼ごつこ         住山 春人
水飴の糸からめ取る神の留守          鈴木 廣美
つかのまの山の夕映崩れ𥱋           杉本 アツ子
身に入むや脚細すぎるパイプ椅子        加藤 修
もてなしは窓にあふるる冬日かな        長谷川千何子
風の音聞きたる夜の温め酒           飯田 康酔
大胆に巫女のあくびや神の留守         鈴木 淳子
風邪の床ふるさと偲ぶ窓明り          武田 真理子
幸せの数だけ拾ふ木の実かな          森濱 直之
交番の手配写真や冬に入る           矢野春行士


吾が影の長きに見入る暮秋かな         相田 惠子
友の墓またねと立てば帰り花          秋元 孝之
群鳩の天に溶け込む小春かな          穴田ひろし
秋の陽のテープに光る船出かな         荒木 万寿
分校のチャイム越え来る稲架襖         有賀 稲香
温かき雨も降らせて冬に入る          石垣 辰生
破れ蓮の山堆し池の端             市毛 唯朗
冬服の襟に失せもの隠れ居り          今村八十吉
しりとりに寝落ちる吾子や夜の長し       上田 裕
眩しげに冬の日を見る新生児          榎本 陽子
昼餉一人おむすび一つ柿一つ          大木 邦絵
残照に取り忘れたる柿ひとつ          大西 真一
日脚伸ぶ茶飲話のあがりはな          大野田好記
山の日をしみじみ見たりだいこ引く       岡村妃呂子
御家相と思はば思へ石蕗の花          小坂 誠子
胡桃割る地震があつたやうな朝         尾崎 幹
寝ころびて龍を見てゐる秋うらら        鏡山千恵子
陵に刈田の匂ふ佐渡ヶ島            笠原 祐子
店先に猫の座布団小春かな           上條 雅代
熱燗をこよなく愛し半世紀           亀田 正則
喉元で止める言葉や日向ぼこ          唐沢 冬朱
夜毎来る梟父の声かとも            木部 玲子
祖母の手の下に切干渦を巻く          柊原 洋征
鳶の笛枯れを急げる千枚田           隈本はるこ
岩窟に投入堂や蔦紅葉             来嶋 清子
豊作をもぐらも祝ふ十日夜           黒岩 清女
招くよに柊の花香りけり            黒河内文江
さぶらひの志もて初句会            小池 百人
柚風呂や胸に纏はる二つ三つ          小林 沙織
抜かれても気にせぬ歳や冬の道         阪井 忠太
ポトフ煮る音のことこと柿落葉         佐々木終吉
足元に冬の空気がからみつく          佐藤かずえ
母の味恋うて大根の酢漬けかな         佐藤さゆり
裁ち板の疵のあまたや一葉忌          三溝 恵子
身に入むやマニキュア落とす夜の静寂      島 織布
いちばんに父さんの繰る年賀状         島谷 操
枯蟷螂構へる足の揺らぎなし          清水佳壽美
日向ぼこばあちやんの手にむしめがね      白鳥はくとう
人混みを熊手掲げる肩車            鈴木 照明
美しく女将老いたり紅葉宿           鈴木踏青子
そら豆を選りすぐりたる指の先         曽谷 晴子
水鳥や思ひ思ひの向きに浮く          竹本 治美
どの道も遠くまで見え冬隣           田中 寿徳
神の留守バルーンの百個空に浮き        田中丸真智子
身に入むや病自慢のクラス会          多丸 朝子
十月の雪なき富士の青さかな          民永 君子
エプロンは私の制服落葉掃く          近松 光栄
小さき手で小さく回す木の実独楽        津田 卓
大浅間冬晴れのけふ座を定む          土屋 佳子
その色は小鳥呼ぶ色木の実熟る         坪井 研治
我歩む枯葉の音に振り返る           徳永 和美
買ふことの無くともやはり酉の市        富岡 霧中
新盆や消されぬままの電話帳          中島 雄一
さり気なく安否を問ふも冬はじめ        中村 貞代
山茶花のほどけて散りぬ夜半の雨        中村 寿祥
片羽の光引きずる冬の蠅            中村 紘子
大蕪作り手の顔描きつつ            南藤 和義
蓮枯れて水一面の静止かな           西原 舞
出窓には何も置かずに後の月          萩野 清司
携へる柿の葉寿司と周遊券           橋本 行雄
灯火親し父の形見の大事典           花上 佐都
錦秋の信濃遥けし疎開の日           原田さがみ
清滝の紅葉且つ散る水面かな          播广 義春
少年の息吹きの綺羅や神楽笛          福田 泉
霧流る天守いつしか見失ふ           藤田 孝俊
忘年会いづこに帽子忘れたる          藤森 英雄
一病やいのちつながる冬の草          保谷 政孝
つくばひや罅ひとつなき秋の水         堀切 克洋
側溝は都会の奈落木の実落つ          本庄 康代
手枕の父の寝息や春炬燵            松田 茂
綿虫や光るもやはき青瓦            松村 郁子
豆腐食ふ丹沢山系冬近し            みずたにまさる
冬夕焼飛行機雲に引火せり           宮内 孝子
落葉在り土に還れぬ落葉あり          宮本 龍子
風花や父母の形見の国訛            武藤 風花
雲低くくらやみ峠冬木立            家治 祥夫
柿切れば種も二つに切れにけり         安田 芳雄
枯尾花掻き分けて来る単線車          山下 美佐
みちのくや旅の魚の目翁の忌          山田 礁
持て余す南瓜を切るに馬鹿力          山田 鯉公
山茶花を夫の指さす花盛り           吉田 葉子
身に入むや平凡といふ有難さ          和歌山要子
熱燗やたちまちこころ膨張す          渡辺 花穂













星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

  天よりの使者風花の名を貰ふ    滝沢咲秀

  
 中七の「使者」のところで切れる破調の句であるが、調べに違和感がない。風花は直接降る雪ではなく、遠くの山の雪が風に乗ってきたもので晴天の里に届く。美しい言葉である。この句はその風花を天からの使者とみた。「風花の名を貰ふ」などとはなかなか言えない措辞である。古人への挨拶といえよう。同時出句の〈銀杏を拾ひ木洩日拾ふごと〉〈連れ添うて木綿のやうな冬日和〉〈着ぶくれて記憶の糸をたぐる母〉――いづれも出色の出来であった。


  袈裟の綺羅尽しあまたの十夜僧   白濱武子

 
浄土宗の念仏法要である。十夜婆の生態などが詠まれることが多いが、この句は僧に着目している。袈裟を「綺羅尽し」などと表現したのはうまいところだ。そして「あまたの」によって俄然、大寺の荘厳な法要の様子に臨場感がでる。同時出句の〈切干や祖母の馴初め話など〉も佳品。
 
  吊り革の丸と三角なる秋思     大野里詩

電車の中などという、およそ無機質な空間がこのような俳句になることを嬉しく思った。確かに吊り革には丸と三角があるが、そんなことを俳句にするなどとは考えたこともなかった。「秋思」という季語を使う場合、つい奥深いことを詠みたくなるものだが、ここでは丸と三角にという、
たわいもないことに「秋思」するのである。ほのかな俳味。 

  五平餅母在りし日の囲炉裏端    小林雅子

作者は私と同郷の方。私の時代でも父の実家は茅葺屋根で、囲炉裏が生活の場であった。水道はまだなくて山水を引いていた。五平餅は伊那谷の馳走。餅米ではなく普通の米を半殺しにつぶし御幣のような薄板に平たくまるめる。胡桃や木の芽の味噌を塗って焼くのである。ああ、何とも懐しい光景。「母在りし日」に望郷の思いが籠る。
 
  草紅葉いつしか子等にはげまされ   角佐穂子
   
私のところは娘二人で既に嫁いでいるが、妻が亡くなってからは、家の総領は長女だなと思っている。家のこと、墓のこと、慶弔のこと、ほぼ長女の意見に委ねている。跳ね返りの娘だったのになあ・・。この句、身に入みる。「いつしかはげまされ」に家族のありようが鮮明で温かだ。
 

  木枯しや鬼の泣きだす鬼ごつこ    住山春人

子供の頃を思い出した。団塊の世代なので町中に子供が溢れていて、遊び場は道路か野原などであった。隠れんぼでなかなか見つからない。日暮れが迫り、木枯が募る。誰もが経験した光景に心が和む。「木枯」の斡旋が効いた。 

  水飴の糸からめ取る神の留守     鈴木廣美

「神の留守」は実態のない空想的な季語。色々な想像ができて俳人好みだが、それだけに実感を伴わない句も多い。こうした季語には明確な「物」や「事柄」を配合すると臨場感が出てくるものだ。この句の取合せには何の脈絡もないが「からめ取る」の具体性が句を引締めて印象深い。 

  つかのまの山の夕映崩れ𥱋      杉本アツ子

秋も深まった寂々とした川の様子が鮮明である。「つかのまの」の表現で、一気に暮れていく感じがよく出ているようだ。夕映とあるからいささかの茜色の空なのである。調べも美しく、句に品位がある。読後の余情も好ましい。

 胆に巫女のあくびや神の留守     鈴木淳子

 以前、正月に生駒にお参りした時、巫女に「ここはお寺?神社?」と問うと目を丸くして「知らない」と言った。確かに生駒は神仏習合の地なので難しいのだが、正月のアルバイトの俄仕立の巫女であったようだ。この句、神様がいないんだからいいや、という今日的風景。「大胆」がいい。
 
 日向ぼこばあちやんの手にむしめがね 白鳥はくとう

おばあちゃんは縁側で虫眼鏡を使って新聞を読んでいるのであろう。きっと大きな虫眼鏡なのだろう。事実だけを詠んだのだが、作者の愛情の裏打ちがある。平仮名の効果。その他印象深かった句を次に

 
少年の息吹きの綺羅や神楽笛    福田泉
祖母の手の下に切干渦を巻く    柊原洋征
日脚伸ぶ茶飲話のあがりはな    大野田好記
冬夕焼飛行機雲に引火せり     宮内孝子
幸せの数だけ拾ふ木の実かな    森濱直之
側溝は都会の奈落木の実落つ    本庄康代
みちのくや旅の魚の目翁の忌    山田礁
身に入むや脚細すぎるパイプ椅子  加藤修
裁ち板の疵のあまたや一葉忌    三溝恵子
風花や父母の形見の国訛      武藤風花

  


神保町・銀漢亭・2012/1/26





  


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