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8月号 2012年

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伊藤伊那男作品



滴り    伊藤伊那男

読みさしを風が捲れる目借時
待つといふ一世ありけり鳥雲に
ふらここの別れ話の行き違ふ
三面鏡遺されてゐる朧かな
その丈のおほかたは貌鮴掬ふ
雀隠れ踏みつつ聞けり落城史
この山の脈拍として滴れり
鯉幟たたみ静かに息吐かす















今月の目次







 銀漢俳句会・8月号







   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

    詩歌の疑問 ~勉強会に触発されて~

 現在十七ほどある銀漢俳句会の月例句会の中に唯一、作句会ではない、勉強会「かさゝぎ会」がある。毎回一人の俳人について読み込み、調べ、共鳴句や疑問句について合評する。武田編集長の発案で始まり、次第に参加者が増えて十五名ほどになっている。発行所での会のあと銀漢亭で親睦会となり、そのままの熱気で議論が続くので、私も聞き耳を立てる。
 先般、中村草田男を取り上げていたので、かねて疑問に思っていたことを質問した。それは〈貝寄風に乗りて帰郷の船迅し〉という句についてである。「貝寄風」とは「大阪四天王寺聖霊会の花筒を難波の浜に吹き寄せる貝殻で作ったので、その頃吹く風を言う」とある。何が疑問かというと、草田男はおおむね松山で育ったし、特にこの句は父の墓を整えるための帰郷の旅の句である。となると大阪へ吹く風とは逆方向へ向うという矛盾が生じるのではないかということである。その場では、草田男の場合、実景で捉えるのではなく心象世界の句として読めばいいのではないか、という意見もあったが、もう一つ得心がいかなかった。
 すると後日、朽木直さんが会報の中で概略次のように伝えてきた。「草田男が傾倒したニーチェの『ツァラトストラ』に帰郷の部があるので、この句はニーチェへのオマージュが籠められているかもしれない。それはそれとして当時の交通網で考えると、山陽本線を使って山口県の柳井港へ出て、航路で松山の三津浜港へ渡ったのではないか」というのだ。それであれば、ちょっと大阪から離れるが、風は順風である――なるほど、ほぼ納得である。
 その次の会のときであったか、俳句ではなく、和歌であるが、雑談の中で次の疑問を問うた。それは万葉集の有馬皇子の〈家なれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る〉の歌。謀反の嫌疑をかけられた皇子が紀伊へ流される途次、岩代で詠んだ二首の内の一つ。私の疑問は、椎の葉という極めて面積の小さな葉にどうやって飯を盛るのだ?というもの。すぐに中村孝哲さんが調べてくれたのは、もう一首の〈岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む〉の歌にあるように、無事を祈ったもので、そのお供えの飯であり、自分の食事ではないとの見解である――なるほど、納得である。
 さて最後に質問を一つ。石田波郷に〈霜の墓抱き起こされしとき見たり〉がある。波郷が抱き起こされたのか?墓が抱き起こされたのか?

 







 



  




盤水俳句・今月の一句

   


  羽黒山涼し木綿しめかけてより      皆川盤水
  
「木綿しめ」は「木綿注連」といい、出羽三山参拝の折、首に掛ける輪袈裟のこと。今は和紙を撚って作る。出羽三山は、月山、湯殿山、羽黒山を指し、そもそもは崇峻天皇の皇子、蜂子皇子が開いたといわれる。のち、真言宗、天台宗などの興亡のなか、即身仏思想なども生まれたが、明治維新以降は神社庁に統一されている。先生はこの地をことの外愛された。木綿注連を掛け、きりりと身を引締め神域へ入る。心身に沁みる「涼し」だ。
(平成元年作『随處』所収)















彗星集作品抄


伊藤伊那男選


飛ぶときは声を弾みの雀の子      萩原 空木
さざなみの留まるところ浮巣あり    森濱 直之
サイダーやコップに注ぐ海の音     高橋 透水
新茶の香齢重ねることも良し      藤井 綋一
麦笛の鳴らぬがゆゑの青臭さ      大野田好記
折紙や記憶を畳む子供の日       榎本 陽子
粒ほどのいのちが動くでんでん虫    田中 敬子
竹皮を脱ぐころギブス外すころ     大野 里詩
伊予人となりしか遍路に道問はる    脇  行雲
磨崖仏裾に枝垂るる夕桜        笠原 祐子
薔薇垣の都電行く間も薔薇開く     宮内 孝子
母の日の延命拒否を子に伝ふ      原田さがみ
母に会ふ夢のつづきの朝寝かな     吉沢美佐枝
薫風や父の温みを残す椅子       山元 正規
片恋のままに草笛鳴らしけり      川島秋葉男
牡丹のくづるるときにある静寂     飯田眞理子
有明山を弧峰と見せて夏がすみ     唐沢 静男
白鷺の首より一歩踏み出せり      杉阪 大和
二階建バスの二階の窓若葉       坪井 研二
竹皮を脱ぐ乙訓の小糠雨        中野 智子








 






彗星集 選評 伊藤伊那男


 
 飛ぶときは声を弾みの雀の子    萩原 空木

雀は成長が早くよくよく見ないと、親子の違いが解らない。句は観察が効いているのだ。「声を弾みの」――は生命力を切り取って巧みだ。読後、対象の子雀だけではない、人を含めた生命力への普遍性を思った。作者名を聞けばなんと空木さん。昨年来の入院生活で声を失い、胃ろうの身となったが強靭な意志で生還した。私はこの句に、写生の奥に潜む作者の気力のようなものを感じてトップに据ゑたのだが、言霊(ことだま)に触れた選句ができたことが嬉しい。

 

  
 さざなみの留まるところ浮巣あり  森濱 直之
鳰の浮巣は葦などに絡めるのだが結び方は緩いので波の上下や干満に伴って浮沈をする仕組みである。それでも波の直撃を避けるために繁みの奥などに作る。そうした様子をよく見据えた句である。遊舟などでその波の行方を目で追っていくと、その波が収まるあたりに浮巣があったという。「留まるところ」の把握に確かな観察眼がある。


 

 
 サイダーやコップに注ぐ海の音   高橋 透水

洒落た句である。サイダーのあとシュワーと泡立つ音が「海の音」であるという。そこだけがこの句の取柄なのであるが、それでよい。読み手を爽やかな気分にさせてくれる。一本のサイダーが海へ連れていってくれるのだから。



  
 新茶の香齢重ねることも良し   藤井 綋一

年を取ることを嘆く句は多いが、こうした加齢を楽しむ句をみるのは嬉しい。そう、人は必ず年を取るのだから、その年齢をいかに楽しむかだ。新茶の香にも喜ぶ作者。様々な苦労があった筈だが、それを乗り越えて、総じて良い人生であった……という感慨が「ことも」の「も」にある。淡い新茶を配した季語の斡旋がいい。
  

 
 
 麦笛の鳴らぬがゆゑの青臭さ   大野田好記


「青臭さ」がいい。故郷へ帰って麦笛を吹いてみたか。当然、青春の日々を懐古していく。淡かった恋のこと、友達と遊んだ日々のこと、将来への夢・・・・。鳴らない麦笛が青臭い。それは舌に感じる青臭さだけではなく、胸に残る青春時代への追憶である。

 
  
 折紙や記憶を畳む子供の日    榎本 陽子

句としては上五を「や」で切らずに「折紙に」と繋ぐ方がよい。子供と折紙遊びをしているのであろう。教えながら自分の教わった頃を思い出す。同じように母が教えてくれたな……。「記憶を畳む」の表現を評価したい。

 
 
 粒ほどのいのちが動くでんでん虫  田中 敬子
生まれたての蝸牛、「いのちが動く」が卓抜の把握。



  
 竹皮を脱ぐころギブス外すころ   大野 里詩
別の物事を並列したうまさ。微妙な接点を発見している。

 
  
 伊予人となりしか遍路に道問はる  脇  行雲
脇さんもいよいよ伊予に馴んだか。生活の歌だ。

 

  
 磨崖仏裾に枝垂るる夕桜      笠原 裕子
枝垂桜が磨崖仏に色を添える。「裾」に焦点を絞った。

 
  
 薔薇垣の都電行く間も薔薇開く   宮内 孝子
次々に咲く薔薇の様子を強調した。情景も具体的だ。


  
 母の日の延命拒否を子に伝ふ    原田さがみ
「母の日」に子供に伝えるところに現実感がある。 



  
 母に会ふ夢のつづきの朝寝かな   吉沢美佐枝
下五まで読んで笑った。母も許してくれるであろう。

 

  
 薫風や父の温みを残す椅子     山元正規
とっくに亡くなった父かも知れぬが、温みは生涯残る。


  
 片恋のままに草笛鳴らしけり    川島秋葉男
ああ、この人にもこんな純真な青春時代があったか……。


 

  
 牡丹のくづるるときにある静寂   飯田眞理子
さすがに「花の王」ともいわれる牡丹の崩れよう。

 

  
 有明山を弧峰と見せて夏がすみ   唐沢 静男
日本アルプスの門衛の山の特徴を捉えて見事!

 

  
 白鷺の首より一歩踏み出せり    杉阪 大和
この鳥の特徴をよく観察した。やや類想の不安はあるが。



  
 二階建バスの二階の窓若葉     坪井 研二
天井全部が窓のバスもある。若葉のトンネル。爽快だ。

 

  
 竹皮を脱ぐ乙訓の小糠雨      中野 智子
京、乙訓(おとくに)の地名を効かせた。季語の斡旋が的確。

 
 
  


        











銀河集品抄


伊藤伊那男選

朧月湖北に小さき渡来仏        飯田眞理子
足跡の深く真つ直ぐ植田中       池田 華風
打ち上げし藻屑の匂ふ薄暑かな     唐沢 静男
もてなしの夏蕨漬け虚子旧居      柴山つぐ子
ぶらんこを降りたるあとを風が漕ぐ   杉阪 大和
潮干狩いつしか母の影を掘る      武田 花果
春の鳶同心円に鳴き合へり       武田 禪次
座すのみの鞦韆われに午後の刻     萩原 空木
傾山は雲の通ひ路梅は実に       久重 凛子
田鼠の鶉と化すも飛び立てず      松川 洋酔
涅槃図に父の背中に似る人を      三代川次郎
相続の話を少し豆の飯         屋内 松山















綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

風船を大きく膨らます怖さ       有澤 志峯
賀茂祭蹄の音を先触れに        飯田 子貢
振り出しに戻る茶話目借時       五十嵐京子
草笛の鳴る子鳴らぬ子畦暮るる     伊藤 庄平
満ちてゆく金環食と若葉かな      伊藤 政三
裏庭には裏庭の風母子草        梅沢 フミ
鐘の音に太さありけり花曇       大河内 史
四十雀波郷の墓へ先廻り        大溝 妙子
憲法の日や来し方に迷ひあり      大山かげもと
武骨なる春を残すやさつま藩      尾﨑 尚子
のたうてばうつほど蚯蚓砂まとふ    小野寺清人
その日にはかならず逢ひにゆく桜    片山 一行
双眼鏡探してはみる愛鳥日       加藤 恵介
遠足に行けぬ幼の枕辺に        我部 敬子
青葉闇遺せざるものなぞ多し      神村 睦代
種俵息継ぐやうに泡立てり       川島秋葉男
たんぽぽや天へ受け口おちよぼ口    北澤 一伯
草笛やつひに子分のまま終る      朽木  直
漕ぎゆけば佐倉囃子の遠き笛      畔柳 海村
蛤をはめばしたたる浜の雨       こしだまほ
海酸漿波のひた寄す流刑島       小滝  肇
箒目の残りし宮居樟若葉        佐々木節子
風鈴の音の一つも夏座敷        笹園 春雀
切つさきのしるき菖蒲を葺きにけり   筱田  文

夏燕船のテープをくぐりけり      島谷 高水
波音を秘めて栄螺の蓋を閉づ      新谷 房子
万緑の中にはためく国旗美し      末永理恵子
乗れさうな千鳥ヶ渕の花筏       鈴木てる緒
殉教の丘のしじまに紅椿        瀬戸 紀恵
惜春のこころに訪ひし山の湖      高橋アケミ
春光を丸めて口へ象の鼻        高橋 透水
遠足子小鳥のやうにやつて来し     武井まゆみ
校章を葉桜ごしに高高と        竹内 松音
萠えそめし草に詫びつつ草をぬく    武田 千津
しやぼん玉弾けあをぞら改まる     多田 悦子
門川に早苗饗の灯のうすうすと     多田 美記
籠一杯蚕豆の実の椀一杯        田中 敬子
その丈を持て余すほど蘖ゆる      谷岡 健彦
親の丈一寸越えて草芳し        谷川佐和子
空檻のまへにもひとり遠足子      谷口いづみ
梅雨寒や足踏みミシン残る部屋     塚本 一夫
山門を出て鞍馬や木の芽和       中野 智子
東京は山の手川の手穴子丼       中村 孝哲
ミレーにも描かせてみたき麦の秋    藤井 綋一
新緑の色をたがへて木曾五木      堀内 清瀬
遠足の子等に一輛明け渡す       堀江 美州
山の井の冷奴もて坊泊         松浦 宗克
花衣けふ母でなく妻でなく       松代 展枝
息詰めて抜く壷焼の全き身       無聞  齋
薫風を書架の小窓へ通しけり      村上 文惠
地鎮祭万緑の風寄せ来たる       村田 郁子
すみずみに落花のおよぶ城下かな    村田 重子
子の丈を計りし柱春惜しむ       山田 康教
そこまでと素足にかける女下駄     山元 正規
光り合ふ鴨明日帰るかも知れず     吉沢美佐枝
飾られし化学天秤北里忌        吉田千絵子
天守閣を持ち上ぐるごと樟若葉     脇  行雲


















銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

  
春の鳶同心円に鳴き合へり      武田 禪次

同心円の把握が発見である。例えば江ノ島を真中に置いて鳶が舞う。するともう一羽も少し距離を置いて旋回する。本当はそんな場面は極めて少ないのだと思うが、こう力強く断定されると諾うしかあるまい。文芸上の真実ということか。何やら太陽系の星座図を見るような興趣もある。

 
  
相続の話を少し豆の飯        屋内 松山

相続と豆飯とは何の関係もない。だがこの句を見た時に妙に得心がいくのだ。想像されるのは、それほど財産のある家ではないこと。テーブルではなく小さな卓袱台を囲んでいるだろうこと。老父がついでのように相続の話をするが話はすぐに終ってしまうだろうこと。「豆飯」という日常的な食物がここまで想像させるのである。季語の力ということを思う。取合せの妙である。


  
賀茂祭蹄の音を先触れに       飯田 貢一

京都の上賀茂、下賀茂神社の例祭。葵祭である。牛車を中央に古式豊かな服装で京都の町中を練り歩く。見物をめぐっての争いが『源氏物語』にも描かれている。様々な祭があるが、その祭の特徴を把握できているかどうかがポイント。そうした点で「蹄の音を先触れに」は見事な眼力といえよう。

 

  
種俵息継ぐやうに泡立てり      川島秋葉男

「種浸し」は苗代に蒔く籾種を袋に入れて種井や種池に二、三週間浸けてふやけさせ、発芽をうながすこと。しばらくして泡立ってきた様子を、「息継ぐやうに」と捉えた。いのちの誕生の様子、生命の息吹を一物仕立による独自の表現で捉えた。

 
  
草笛やついに子分のまま終る     朽木  直

 
子供の頃、腕力や知力の差で仲間はおのずから序列が付いて、自然に大将と子分に分かれたものだ。作者は草笛に誘発されてそんなことを回想したのであろう。そして、そういえばその後の人生も子分のままで今に至ったなあ……と思う。郷愁と若干の自虐が入り混じってペーソスの滲む句となった。

 

  
遠足児小鳥のやうにやつて来し    武井まゆみ

比喩の勝利といえよう。子供達は少しの間もじっとしていない。動く、喋る。その様子を小鳥の動きに譬えたのである。遠足であるから前日から気分が高まっていて尚更である。小鳥来る、を季語としてではなく、丸ごと比喩として取り込んだところがうまいのだ。同時出句の∧そよ風に一目惚れされスイートピー∨にも、やさしさと自在な感性を思う。

 

  
空檻のまへにもひとり遠足児     谷口いづみ

動物園見学を組み込んだ遠足なのであろう。普通なら象や猿の檻に群がるのだが、この句は空の檻の前に一人の子がいるという。そこが視点の違う詠み方で、皆が見逃していた場面に目配りが行った、ということだ。その子供の心象に少し踏み込んだ感じが、句に深みを持たせた。

 
 
  
遠足の子等に一輛明け渡す      堀江 美州
遠足の句が続く。この句は遠足の目的地へ行くまでの間の電車の中の様子。これも皆とは視点を外して詠んだ一つの発見である。貸切の電車ではなく、一般車輌に乗り込んできた子供達。その騒がしさに、これはたまらん、と違う車輌に移動する。そこを「明け渡す」と詠んだところが手柄である。ほのかな笑いを誘う。


 
  
息詰めて抜く壺焼の全き身      無聞  齋

楽しい句だ。栄螺の壺焼の身を抜き出す動作を句にしてしまうとは。竹串で曲りに添って捻りながら抜く。下の方は内臓なので身が弱いのである。するりと抜けた時のうれしさ!大真面目な「息詰めて」には笑う。俳味だ。

 

  
すみずみに落花のおよぶ城下町    村田 重子
桜の名所弘前辺りの嘱目か。句の眼目は単に城跡だけではなく町全体に落花が及ぶと捉えたことだ。「すみずみに」で決まった。城下町全部が城の落花の中という華麗な風景。
  その他印象深かった句を次に

 
 振り出しに戻る茶話目借時       五十嵐京子
 鐘の音に太さありけり花曇       大河内 史
 四十雀波郷の墓へ先廻り        大溝 妙子
 憲法の日や来し方に迷ひあり      大山かげもと
 子の丈を計りし柱春惜しむ       山田 康教
 花衣けふ母でなく妻でなく       松代 展枝
 門川に早苗饗の灯のうすうすと     多田 美記
 のたうてばうつほど蚯蚓砂まとふ    小野寺清人
 梅雨寒や足踏みミシン残る部屋     塚本 一夫

 














星雲集作品抄

伊藤伊那男・選



三社祭銭湯もまたへし合へる      宮内 孝子
田植機の一機静かにして迅し      大木 邦絵
春愁をポストの口へ投げ入れる     滝沢 咲秀
酢海雲を食むきしきしと海の音     柊原 洋征
窓若葉商談前のひと呼吸        福田  泉
授乳の母ねむし受粉の蜂忙し      大野 里詩
渦待の観潮舟のはやりやう       隈本はるこ
泡盛や三線ひけば踊りだす       島  織布
ふらここの錆に匂ふ手母の手へ     鈴木 淳子
殻破るここぞの息に雛孵る       武田真理子
遠足の列ペンギンの列のやう      坪井 研治
満開の桜にすこし疲れけり       保谷 政孝
蘖のあはひに小さき風生まる      堀切 克洋
鯖喰ふや町に馴染みの定食屋      本庄 康代
菖蒲湯や盥に足りる嬰の丈       西原  舞
田に映る富士に向かひて早苗投ぐ    秋元 孝之
植樹祭鍬一振りに起つ未来       荒木 万寿
棟上の男を置ける五月空        上田  裕
鎌倉の大き御仏霾ぐもり        尾崎  幹
二の腕のやや頼りなき薄暑かな     影山 風子
物置の隅に銀杯昭和の日        笠原 祐子
汐干狩途切れて海の始まりぬ      中島 凌雲
ひと揺れにこでまりの白こぼれ落つ   長谷川千何子
忠敬の測りし崎を磯遊         山田 鯉公


鉄棒に片足かくる薄暑かな       相田 惠子
柿若葉光も風も滑りをり        穴田ひろし
花菜咲く村に一軒なんでも屋      有賀 稲香
横丁は棟割長屋昭和の日        飯田 康酔
浜茄子や破船の底の砂に生く      市毛 唯朗
遠囃子聞きつねむりし夏祭       伊藤 菅乃
万緑に口すぼめ息吐ききりぬ      今村八十吉
遠足の声に消されし沢の音       上村健太郎
新樹光瞳涼しききりんの仔       植村 友子
また一つ言葉を覚え子供の日      榎本 陽子
鯉幟の歌そのままに農の家       大西けい子
海鳴のやう百千鳥来る朝        大西 真一
麦笛の一本調子風誘ふ         大野田好記
たかんなの土をもたげて頭出す     岡村妃呂子
八重桜重し殊更雨の日は        小坂 誠子
湧水に砂金躍るや遠野春        鏡山千恵子
茎太き白アスパラの茹で加減      桂  説子
好きと問ひ好きと答へる麦の笛     上條 雅代
花桐の空に染りて咲きにけり      亀田 正則
花桃の音なき雨の中に咲く       唐沢 冬朱
鯉幟仁淀の川に三百匹         来嶋 清子
煙吐く浅間背にして芋植うる      黒岩 清女
母の日の母居ることに感謝かな     黒河内文江
天地のみな細やかに秋となる      小池 百人
母の香のこもる結城の夏絣       小林 雅子
静かなる睡蓮偲ぶモネの庭       阪井 忠太
路線バス影曳きつれて夏に入る     佐々木終吉
虚子庵の飛び石囲む紫苑の芽      佐藤かずえ
新緑やかけ声高く人力車        佐藤さゆり
葉桜の障子に葉影学問所        三溝 恵子
あつまりてやがてちりぢりくづ金魚   島谷  操
全山の花の吹雪に迷ひ込む       清水佳壽美
がやがやと朝顔を蒔く一年生      白濱 武子
イーゼルの位置の定まる白牡丹     杉本 アツ子
野馬追の神旗高々杜の上        鈴木 照明
ものの芽や津波運びし舟の辺に     鈴木踏青子
小綬鶏の声すみわたる立夏かな     鈴木 廣美
鳥雲に父への問ひを託したき      角 佐穂子
木登りの吾子のまなこや風薫る     住山 春人
若葉雨ふと思ひ出す過去の恋      曽谷 晴子
花衣脱ぎて戻れる常の主婦       竹本 治美
花見して心の区切りつきにけり     田中 寿徳
教会の弔鐘連打暮の春         多丸 朝子
夏めくと思へば戻る肌の冷え      近松 光栄
若葉光ラケットガット張り直す     津田  卓
音も無く稲妻はるか水平線       徳永 和美
隣席に香りの届く新茶かな       富岡 霧中
長生きはちよつと太目ぞ山笑ふ     中村 湖童
帽子屋へちよつと立ち寄る夏隣     中村 貞代
新聞の兜見せ合ふ端午の子       中村 紘子
雨蛙大きな田より鳴き始む       南藤 和義
羽根広げ鵜飼開きの肩慣らし      萩野 清司
カフェラテの似合ふときめき巴里祭   橋本 行雄
鯉のぼり色褪せて子は五年生      花上 佐都
生き生きと雨を弾きて葱坊主      原田 さがみ
艶やかな都をどりの四季の景      播广 義春
一八を活け掛軸の落着きぬ       藤田 孝俊
友が皆逞しく見え休暇明        松田  茂
サイダーの向かうに岬灯台も      松村 郁子
寄居虫のバケツの底の大軍       森濱 直之
煩悩に委ねし心五月雨るる       家治 祥夫
母の日の振り向けば母参観日      安田 芳雄
母の日の夢に出る母若き母       矢野春行士
滴りに忽として聞く父祖の声      山口 輝久
釜めしの匂ふ峠の遅ざくら       山﨑ちづ子
白山吹去年の実残し咲きにけり     山下 美佐
気色立ち湾に汲まるる蛍烏賊      山田  礁
葉桜の下にランチの輪が出来て     吉田 葉子
朧夜のラジオいつしか子守歌      和歌山要子 
夕薄暑男厨に計量器          渡辺 花穂














星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

三社祭銭湯もまたへし合へる    宮内 孝子

神田祭と較べてみると瞭然だが、三社祭は勇壮だ。青刺者が神輿に飛び乗ったりするのは閉口だが、ともかく熱気が充満している。その祭を正面から捉えたのではなく、銭湯の混み具合で詠んだのがうまいところだ。「・・もまたへし合へる」と、「も」「また」と畳みかけて街中がどこもかしこも押し合いへし合う熱気の渦中であることを伝えた。同時出句の〈夕の雨花小でまりをつきはじむ〉も技倆ある佳句。

 


田植機の一機静かにして迅し    大木 邦絵

あちこちの田で田植機が動いているのであろう。見ていると、その内の一機の動きが目立つ。迅速なのである。新鋭機種なのであるか、作動する農人の腕がいいのか。ちょ
っと前なら、田植人の巧拙を詠んだのであろうが、当節、機械の違いを詠むところが時代の変遷である。「静かに」などの措辞も機械を擬人化した面白さである。 

 


春愁をポストの口へ投げ入れる   滝沢 咲秀

何とも感性豊かな抒情句である。春愁とは、これといった原因もないのに何となく心の憂いがあることを言う主観的な季語。とりとめもない手紙を書いてポストに投函したのである。春愁ごと郵便箱に放り込んだ・・と、形のない春愁を「物」のように扱ったところが手柄である。



酢海雲を食むきしきしと海の音   柊原 洋征

海雲(もずく)は日本全国で取れるが、産地で違いがある。北陸のものなどは肌理が細かいし、沖縄のものは太くて柔らかである。この句の海雲は身の緊ったものなのであろう。その歯応えから波音が連想されたというのだ。卓上の一皿の海雲から大きく景が広がっていく。

 


窓若葉商談前のひと呼吸      福田  泉

現在の俳句人口は高齢化しており、俳句は老人の文学などと言われるが、こういう句を見ると、まだまだ若い人達も十分参加できる魅力を失っていない、と思う。商談を決める覚悟で深呼吸する窓の外は若葉が輝いていた、という。新鮮な感覚である。よくぞ俳句に切り取った、と拍手したい。同時出句の〈薪能光と闇を分かつ笛〉もいい。



授乳の母ねむし受粉の蜂忙し    大野 里詩

人間の動きと昆虫の動き、それも授乳と授粉という言葉も似た動作を対比させた、機知の効いた句といえよう。そして母は眠く、蜂は忙しい、と各々の特徴も巧みに詠み分けて、西洋画のような仕立てである。技倆の高さだ。

 

渦待の観潮舟のはやりやう     隈本はる子

渦潮は鳴門海峡が有名で、三、四月は観潮船が出るという。彼岸の頃が一年で一番潮の干満の差が大きいので季語となったものだ。渦そのものではなく、渦を待つ舟の逸りようを詠んだところがうまいのだ。皆の死角を突いたのだ。



遠足の列ペンギンの列のやう    坪井 研治

幼稚園児か、小学校の低学年の遠足であろう。その不確かな足取りがペンギンの歩行に似ているという。立ち止ったり、蛇行したり、お喋りをしたり、手足の動きがばらばらの子がいたり・・ほほえましい比喩。



菖蒲湯や盥に足りる嬰の丈     西原  舞

赤ん坊の入浴は盥。子供の日なので菖蒲を浮かべたのであろう。まだまだ小さいな・・としみじみ思う。でもその小ささがまた嬉しいのであろう。盥を菖蒲湯にするところに母親の情が溢れる。なお「嬰」を「やや」と使う俳人が多いが「えい」である。「やや」なら「稚」。




物置の隅に銀杯昭和の日      笠原 祐子

どうした折に手に入った銀杯であるのかは解らない。読者は昭和の日をヒントに想像を働かせるのだ。昭和は様々な動乱があり、また戦後の平和があり、科学の飛躍的発展があった。「昭和の日」とポンと投げ出してあとは読者に任せるところもまた一興。歳月に曇った物置の銀杯・・。
その他印象深かった句を次に

ひと揺れにこでまりの白こぼれ落つ   長谷川千何子
田に映る富士に向かひて早苗投ぐ    秋元 孝之
植樹祭鍬一振りに起つ未来       荒木 万寿
棟上の男を置ける五月空        上田  裕
鎌倉の大き御仏霾ぐもり        尾崎  幹
二の腕のやや頼りなき薄暑かな     影山 風子
忠敬の測りし崎を磯遊         山田 鯉公
汐干狩途切れて海の始まりぬ      中島 凌雲

 



 














銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円



△ 銀漢絵はがきで暑中お見舞い・残暑お見舞いにどうぞ・・・!













第2回 銀漢賞作品募集















掲示板
















今月の季節の写真


残暑お見舞い申し上げます。






2012年8月21日撮影  神奈川県・座間市・ひまわりまつり  


2度目の撮影・展望台より・・・気温33度・AM10時。猛暑。



座間市・首都圏屈指の約55万本が順次満開を迎える座間市のひまわり畑です。


18年前から遊休農地の荒廃化対策として市の花「ひまわり」の植栽が地域の農家の皆さんにより行われてきました。現在では、5.5ha 55万本の規模を誇るひまわり畑です。開催期間  8月17/~22まで・・・・・・丁度この日、読売新聞で紹介。
8/22(水)フジTV・スーパーニュースでも紹介されました。
座間市観光協会によると、今週いっぱいは楽しめる様です・・。 
                  
                    2012/8/22  更新



花言葉   「いつもあなたを見つめている」



       
 
 


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