伊藤伊那男作品
土用蜆 伊藤伊那男
雲の峰立志捨てたるにはあらず
飲み干してラムネの瓶の重きまま
舌出して土用蜆の売れ残る
昼寝して梲上がらぬ一世過ぐ
花火果て胸に熾火のやうなもの
長刀鉾組み東山切る高さ
蟬生るるいなや余生といふ日数
地蔵盆果て寺町に風の筋
今月の目次
銀漢俳句会・11月号
銀漢の俳句
伊藤伊那男
二十四節気見直し問題
昨年五月に一般財団法人日本気象協会(気象庁ではない)が、従来の二十四節気を見直して「日本版二十四節気」を提案すると発表したことで議論が起こっている。
気象協会は、元は古代中国で成立した暦で、日本の気象現象の実感と乖離したものであるので、親しみと実感の伴う言葉を月毎に選ぼうというのである。それで季節への関心を促し、防災意識を高めたいとの意図である。
それでは現在の暦は誰が決定、管理をしているかというと、独立行政法人国立天文台とのことである。民間(?)機関である気象協会は法律を触るわけではなく、例えば一般企業が今日はハムの日とかお茶の日とか名付けるのと同じ範疇と考えているようである。
私も参加した今夏の「こもろ日盛り俳句祭」では、シンポジウムに気象協会の課長を招き議論を行った。俳人たちの言い分は、NHKテレビの天気予報などで気象協会の予報士が新しい季節の言葉を全国放送で流すことになり、影響は甚大である。過去の文学作品が解らなくなり、文化の断絶が起こりかねない。日本の季節とずれがあると言っても、日本列島の中でさえ、もともと地域差があり、新しい言葉を作ったところで解決はつかない。そもそも季感のずれについていえば、例えば立秋など、暑い最中に秋の気配を感知するところに日本人の繊細な感覚が培われてきたのであり、日本文化の厚みはその「ずれ」からきているのである――というものである。
結局日本気象協会が委嘱した「日本版二十四節気見直し専門委員会」も協会の思惑に反して、二十四節気には手を付けず、その季節にふさわしい新しい言葉を募集しようという提言にとどめたようである。俳人の多くはそれさえ危険だという意見が多かったようだが……。
さて、一件落着したかに見えた二十四節気見直し問題だが、現在気象協会は「季節の言葉」の募集を開始、12月まで募集し、決定の上、その作品についての「著作権等一切」は気象協会に帰属すると発表したのである。今度は、思想感情を表現する著作物ではない「季節の言葉」に著作権が成り立つかどうかという議論が浮上してきたのである。
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盤水俳句・今月の一句
山晴れに魚板の音や懸大根 皆川盤水
八月は先生の三回忌であった。朝妻力さんであったか先生の忌日を「山晴忌」と呼び始め、定着してきたようだ。というのも生前から「春耕」の大きな行事があるときはたいがい快晴になるので「盤水晴れ」という言葉が普通に使われていた位、晴れ男であったのだ。さて、句は奥信濃吟行の嘱目。戸隠中社の宿坊集落の風景である。信濃の抜けるような秋天が目に浮かぶようだ。それにしても何とも悠揚せまらぬ詠みぶりである。
(昭和57年作『山晴』所収)
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彗星集作品抄
伊藤伊那男選
(この彗星集は同人、会員の別なく無記名にて投句する真剣勝負の競詠欄である。結社の実力を問われるとともに、選者たる私の真剣勝負なのである。天体に出現する一段と輝く彗星のような句に挑戦してほしい。伊藤伊那男)
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繃帯のやうな白雲終戦忌 中村 孝哲
島々に鐘の遍し長崎忌 川島秋葉男
子を連れて島の床屋へ盆支度 小野寺清人
鎌返すひかりに蝗乱れけり 杉阪 大和
寝たふりの園児もゐたる昼寝時 渡辺 花穂
慎ましくけふを閉ぢたる木槿かな 武井まゆみ
歓声のわりには小さき村花火 中村 湖童
磯鴫や潮の満ち来る夕干潟 山元 正規
父の背の広さ懐かし遠花火 池田 華風
蜩や糺の森の奥の奥 末永理恵子
分去れに露の気配のきのふけふ 谷口いづみ
胡瓜刻む音に鎮もる夕ごころ 武田 花果
休暇果つ手に馴染みたる肥後の守 塚本 一夫
門火焚く薄くなりたる母の膝 西原 舞
捨てられぬ「暮しの手帖」冷奴 多田 悦子
松山や棚経僧と子規のこと 屋内 松山
敬礼にかへす敬礼生身魂 小滝 肇
盂蘭盆や母の声する古鏡 吉沢美佐枝
水打ちてひと日のけじめとする夕 小林 雅子
気を抜けば彼岸に渡る暑さかな 飯田 康酔
彗星集 選評 伊藤伊那男
繃帯のやうな白雲終戦忌 中村 孝哲
忌日俳句は難しいものだ。我々の世代は戦後の匂いを若干感じた位で、戦争は知らない。想像を交えて作句をするのだが、それでも戦争の悲劇が風化しないように詠み続けていかなくてはならないと思う。この句「繃帯のやうな白雲」の発想に凄味がある。象徴としての傷痍軍人の姿などが彷彿するのだ。戦争の痛ましさを具体的に繃帯の比喩で描いた柔軟な創意を称えたい。 |
島々に鐘の遍し長崎忌 川島秋葉男
これも戦争に絡む忌日句。広島の原爆は8月6日、長崎は8月9日。その間に立秋が入るので厳密に言うと原爆忌には夏と秋の二つがあることとなる。長崎は江戸期キリシタンが弾圧を受け、明治期に漸く陽の目を見るのだが、その象徴としての浦上天主堂が今度は原爆で壊滅したのだ。長崎の島々には教会が多い。原爆忌の弔鐘が一斉に島々に響き渡ったのであろう。「遍し」に67年間にわたる不変の弔意が籠る。 |
子を連れて島の床屋へ盆支度 小野寺清人
この句の作者は想像がついた。あとから聞いてやはり気仙沼大島が郷里の小野寺さんであった。数年前に私も訪ねた氏の実家は津波で壊滅している。今年の盆休みに帰島して床屋に寄ったという。津波を免れたのか、復活したのか、多分幼少時から通った馴みの床屋だ。「盆支度」の取り合せがよく「子を連れて」に味わいが深い。 |
鎌返すひかりに蝗乱れけり 杉阪 大和
私も田舎の出身で、手拭を縫った袋を持って蝗取りをしたものだ。甘辛く煮て食べたのだが、それはさておき、この句は蝗の生態をよく摑んでいるようだ。稲刈の鎌の刃の照り返しに危険を察知した蝗が散りはじめたのである。先々に逃げるが、また鎌に追われる。写生句のよろしさ。
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寝たふりの園児もゐたる昼寝時 渡辺 花穂
保育園の昼寝の時間。確かに私にも憶えがあるが、先生がうるさいので寝たふりをしたものだ。薄目を開いたりしながら結局は寝付くのだが。いい場面を切り取った。 |
「槿花一日の栄」とか「槿花一朝の夢」という言葉があるように、木槿は一日だけで咲き終る儚い花である。中七•下五はその木槿の説明であるが、説明に終らないで踏みとどまったのは「慎ましく」と作者の主観を加えたことだ。 |
歓声のわりには小さき村花火 中村 湖童
歓声と花火のギャップで過疎化した村の様子が偲ばれる。
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磯鴫や潮の満ち来る夕干潟 山元 正規
磯鴫を配して美しい風景を切り取った。句形も美しい。 |
父の背の広さ懐かし遠花火 池田 華風
皆が心に宿している感慨。遠花火の「遠」に籠る抒情。 |
蜩や糺の森の奥の奥 末永理恵子
京、下鴨神社の森のことを言う。古社の森の懐の深さ。 |
分去れに露の気配のきのふけふ 谷口いづみ
信濃追分の中仙道と北国街道の分岐か。感性の鋭い句。 |
胡瓜刻む音に鎮もる夕ごころ 武田 花果
休暇果つ手に馴染みたる肥後の守 塚本 一夫
門火焚く薄くなりたる母の膝 西原 舞
自然の節理だが親の老いは悲しい。門火が余韻を深めた。 |
捨てられぬ「暮しの手帖」冷奴 多田 悦子
冷奴が動くかもしれないが------いい感慨の句だ。 |
松山や棚経僧と子規のこと 屋内 松山
やはり松山に縁のある方の句だった。子規が身近にいる。
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敬礼にかへす敬礼生身魂 小滝 肇
盂蘭盆や母の声する古鏡 吉沢美佐枝
母の遺した鏡から母の声が聞えた----折しも盆の季節。 |
水打ちてひと日のけじめとする夕 小林 雅子
気を抜けば彼岸に渡る暑さかな 飯田 康酔
今年の夏は確かにそんな暑さ。この大仰な表現がいい。 |
銀河集品抄
伊藤伊那男選
ラムネ瓶振れば昭和の音したる 飯田眞理子
庭下駄に種の貼りつく西瓜かな 池田 華風
蛇の衣脱ぎ散らかしの段畑 唐沢 静男
賑はひのはち切れさうや盆の家 柴山つぐ子
入れ替り墓石に映る夏帽子 杉阪 大和
差し上ぐる腕百本に神輿浮く 武田 花果
ふるさとの固さなつかし新豆腐 武田 禪次
押入の匂ひのままの蚊帳を吊る 萩原 空木
秋蝶や終の日まとふ石の上 久重 凛子
その口は宇宙へつづく金魚玉 松川 洋酔
生涯を野球少年朝曇 屋内 松山
綺羅星集作品抄
伊藤伊那男選
微風に鳴らし仕上ぐる江戸風鈴 有澤 志峯
落蟬の嗚咽に羽音加へけり 飯田 子貢
波音も設へのうち夏座敷 五十嵐京子
滴りの滴るきはのひと震へ 伊藤 庄平
新盆や会ひたき人の亡き家へ 伊藤 政三
古里は思ふのみなり瓜を揉む 梅沢 フミ
夏痩せて力瘤などつくりみる 大河内 史
蟬の殻弊履のごとくけふを捨つ 大溝 妙子
友の訃に杖取り落す大暑かな 大山かげもと
盂蘭盆の四代集ふ散らし鮨 小川 夏葉
夕暮れを早める火山灰や夏の街 尾﨑 尚子
木炭で描く川船原爆忌 小野寺清人
霊山をなほ高くする雲の峰 片山 一行
送り火の消えても温き地べたかな 加藤 恵介
踊太鼓聞けば手足の動き出す 我部 敬子
腕組みを頰杖に変へ秋を待つ 神村 睦代
ポスターの絵具どろりと夏芝居 川島秋葉男
ふるさとのこども部屋へと帰省かな 北澤 一伯
また一つ名画座消ゆる夏の果 朽木 直
四万十の田植の頃の濁りかな 畔柳 海村
一湾をバックミラーに夏惜しむ こしだまほ
汁碗に砂の混じれる夏の家 小滝 肇
それからの三国志読む夜半の秋 權守 勝一
滴りのときに早打ち山暮るる 佐々木節子
蝙蝠の数のふくらむ日暮どき 笹園 春雀
水虫を昭和の頃より飼うてをり 島谷 高水
手花火に道通る子も誘ひ入れ 新谷 房子
さりげなく団扇の風をもらひけり 末永理恵子
そつぽ向く百合活けがたく活けにけり 鈴木てる緒
星飛んで沖の漁火ふやしけり 瀬戸 紀恵
清貧の日々涼やかに生きられし 高橋アケミ
まづ足が阿呆になりゆく阿波踊 高橋 透水
躓ける石に重さや夏の果 武井まゆみ
盆踊たつきの手足風に乗せ 竹内 松音
郷愁の蚊取線香にほひをり 武田 千津
乗り継ぎの白夜の搭乗ゲートかな 多田 悦子
走馬灯思ひ出の数もてあます 多田 美記
熟れ時を網目で隠すメロンかな 田中 敬子
輪唱の焚きつけてゆくキャンプの火 谷岡 健彦
魂一つ加はり精霊棚狭し 谷川佐和子
虚子庵の虚実のあはひ夏の蝶 谷口いづみ
昼顔や濡れて膨らむグラビア誌 塚本 一夫
踏み入れば残る暑さの懺悔室 中野 智子
慣はしのきのふの道も秋に入る 中村 孝哲
独り居の姉に甘ゆる墓参かな 藤井 綋一
さりげなく先代を誉め棚経僧 堀内 清瀬
葉を三つも打てばたちまち大夕立 堀江 美州
岩倉は京もはづれの山紅葉 松浦 宗克
眠る子を団扇の風で包みけり 松代 展枝
脩忌を秋蟬忌とぞ謂はざるや 無聞 齋
箱根路へ関所より入り霧襖 村上 文惠
会ひ得たる師の面影や花野行く 村田 郁子
夕端居半眼の師も居るつもり 村田 重子
鬼灯市業平橋に鉢さげて 山田 康教
木の幹に残る温みや夜の秋 山元 正規
大鳥居色無き風をくぐりけり 吉沢美佐枝
改札の切符吸込む風涼し 吉田千絵子
水打つて働いた気になりにけり 脇 行雲
銀河集・綺羅星今月の秀句
伊藤伊那男
蛇の衣脱ぎ散らかしの段畑 唐沢 静男
「蛇皮を脱ぐ」という季語を変形させた技のある句である。ただしその技を目立たたせないで写生句として貫いたところがまた巧みなところである。「脱ぎ散らかし」・・・・・・確かにその通りだが、この表現は今まで目にしていないように思う。「段畑」の斡旋に現実感がある。 |
賑はひのはち切れさうや盆の家 柴山つぐ子
盆休みに久々家族が集まったのであろう。子供が妻、婿、孫達を連れて来た。日頃静かな家が足音や笑い声で溢れている。その様子を「賑はひのはちきれそうや」と言う。普通なら「賑はひにはちきれさうな」とするところであろう。
文法的にみてぎりぎりの危うさを持っているのだが、それがまた俳句的には味わいになるという例か。 |
腕組みを頰杖に変へ秋を待つ 神村 睦代
「秋を待つ」という表現は異色だ。「待春」はあるが「待秋」は無い。しかしながらこの句には納得する。腕組みから頰杖に変るというところに酷烈な夏から、思索の秋への季節の移行の微妙な季感が捉えられているようだ。 |
まづ足が阿呆になりゆく阿波踊 高橋 透水
「踊る阿呆に見る阿呆」―ー阿波踊といえば誰もがこの言葉を思い浮かべる筈だ。それを臆面もなく句に取り込むのであるからなかなかしたたかである。この「阿呆」には二つの意味がありそうだ。一つは足から踊に取りつかれていくということ、一つは疲れて足が言うことをきかなくなってきたということであろう。笑わせて貰った。 |
乗り継ぎの白夜の搭乗ゲートかな 多田 悦子
珍しい景を捉えた句だ。通常俳句という文芸の持っている湿度のようなものを全く感じさせない、カラッと乾いた句である。ただただ事実だけを伝えているのだが、異国で作者が感じた旅愁が読み手の胸に沁みる。海外詠ではあまり使われることのない「かな」の詠嘆が効いているようだ。
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走馬灯思ひ出の数もてあます 多田 美記
走馬灯は蝋燭の熱で回転させる仕掛けで、その影絵を愛でる風物。「思い出が走馬灯のように浮かぶ」という慣用語があるが、この句はそこをヒントに思考を拡張した句である。「数もてあます」に滋味のあるユーモアが滲む。 |
輪唱の焚きつけてゆくキャンプの火 谷岡 健彦
キャンプーー懐しいな!若い時代の特権。私の年でやったらホームレスの趣きになりそう。さてこの句、キャンプファイアを囲み自ずから湧き上がる合唱が火勢を煽っていくというのだ。「輪唱の」がうまいところで「焚きつけていく」の措辞を生かしている。そうそうこの作者もキャンプに参加するにはギリギリの年令か。 |
慣はしのきのふの道も秋に入る 中村 孝哲
しみじみとした味わいのある句だ。古来秋の到来をいち早く感じ取ることを喜んだもので「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる 藤原敏行」が知られている。この句も同様の趣で、同じ風景ながら今日は違うと感じ取った鋭敏な感覚。「慣はしの」がうまい。 |
水打つて働いた気になりにけり 脇 行雲
一読楽しい気分になった。細君から言いつけられたのであろうか、渋々打水をするのだが、何だか働いたような気分になったというのだ。たいした作業でもないところがおかし味を醸しだすのだ。「打水」の季語が動かない。 |
その他印象深かった句を次に
ラムネ瓶振れば昭和の音したる 飯田眞理子
庭下駄に種の貼りつく西瓜かな 池田 華風
入れ替り墓石に映る夏帽子 杉阪 大和
差し上ぐる腕百本に神輿浮く 武田 花果
ふるさとの固さなつかし新豆腐 武田 禪次
押入の匂ひのままの蚊帳を吊る 萩原 空木
微風に鳴らして仕上ぐ江戸風鈴 有澤 志峯
落蟬の嗚咽に羽音加へけり 飯田 子貢
波音も設へのうち夏座敷 五十嵐京子
故里は思ふのみなり瓜を揉む 梅沢 フミ
送り火の消えても温き地べたかな 加藤 恵介
ふるさとのこども部屋へと帰省かな 北澤 一伯
水虫を昭和の頃より飼うてをり 島谷 高水
星飛んで沖の漁火ふやしけり 瀬戸 紀恵
虚子庵の虚実のあはひ夏の蝶 谷口いづみ
大鳥居色なき風とくぐりけり 吉沢美佐枝
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
折鶴のくびのをりやま夜の秋 杉本アツ子
流灯を波に託すも去り難く 清水佳壽美
河童忌や小寺に覗く地獄絵図 有賀 稲香
盆踊谷戸の賑はひ一夜きり 笠原 祐子
滝落つる時真つ白なコマ送り 本庄 康代
浦上忌枝にささりし一つ星 隈本はるこ
護摩焚きの鳴物おほき大暑の日 白濱 武子
蜘蛛の囲の綾取り始む朝日かな 上田 裕
盆踊果てて寄付金まだ半ば 徳永 和美
天界へますぐな護摩火層の汗 渡辺 花穂
田舟持つ潮来の暮し水の秋 山田 礁
滑りゆくインクの真青避暑の宿 堀切 克洋
打水に追はれしぶしぶ路地の猫 中村 湖童
逃げてゆく時間の中にゐて晩夏 滝沢 咲秀
炎天へ棒高跳びの棒撓ふ 大野 里詩
褒め言葉集めて孫の髪洗ふ 荒木 万寿
ヒーローになれる駄菓子屋サングラス 飯田 康酔
帰省子の頬骨高くあらはるる 上條 雅代
古本の源氏の君も虫払ひ 黒岩 清女
窓際の金魚に愚痴を言うてみる 曽谷 晴子
天井に寝息ほぐるる夜の秋 武田真理子
夜の色あらためて知るキャンプかな 福田 泉
朝顔の紺が飛び出す破れ垣 相田 惠子
街道に人影を見ず秋暑し 秋元 孝之
立秋のきのふと違ふ景色かな 穴田ひろし
鬼灯に落暉留まる神楽坂 市毛 唯朗
切先に夕映えの朱の雲の峰 伊藤 菅乃
秋爽の温度差十度山住まひ 今村八十吉
手短に済ます乾杯夏の夜 榎本 陽子
鎌倉の夏分断す切通し 大池美木子
秋の蚊にかすかに風のありにけり 大木 邦絵
色は濃く色とりどりの百日草 大西けい子
大皿鉢囲んで風の夏座敷 大西 真一
漆黒の空に一筋稲つるび 大野田好記
両の手を広げ抱へる星月夜 岡村妃呂子
夾竹桃戦終りし日に咲けり 小坂 誠子
夕間暮れ一声高く河鹿鳴く 尾崎 幹
門川の迅きながれも今朝の秋 小沢 銈三
朝摘みの産毛眩しき月見豆 鏡山千恵子
手鏡に魔女映りたる朝曇り 影山 風子
遺されて遺して巡る風の盆 桂 信子
初孫にてんやわんやの帰省かな 金井 茂芳
黙祷に鐘ひびきをり原爆忌 亀田 正則
炎天に木洩れ日の影揺れもせず 唐沢 冬朱
祭果つ凪の戻りし佃島 柊原 洋征
福島の山河いかにや老鶯鳴く 来嶋 清子
天竜の流れに沿ひて竹の春 黒河内文江
冬霧の影より艀現れる 小池 百人
遠き日の吾子の影たつ捕虫網 小林 雅子
夜の秋かすかに聞こゆ漁夫の唄 阪井 忠太
豊穣へ風を紡ぎて青田波 佐々木終吉
淋しくも悲しくもなき盆の月 佐藤かずえ
草原の風に揺れゐる柳蘭 佐藤さゆり
蟬の穴踏み出す足の置きどころ 三溝 恵子
舟渡御の神輿追ひかけ笛太鼓 島 織布
愁嘆場頭遣ひの汗の玉 島谷 操
黒々と富士聳えたり星月夜 志村 昌也
山男銀河の中に溶け込めり 鈴木 淳子
路地陰に秋の風鈴聴いてをり 鈴木 照明
天井に黒揚羽舞ふ山の駅 鈴木踏青子
地蔵会の樟の木陰に熟寝の子 鈴木 廣美
夏菊の白さに父の忌日かな 角 佐穂子
妻の声すきとほるかに貴船川床 住山 春人
果しなき夢追ひかけて夏帽子 竹本 治美
片蔭の途切れて重き一歩かな 竹本 吉弘
麓より雲を湧かせて夏の山 田中 寿徳
願ひごと浮かばぬままに流れ星 多丸 朝子
梅雨明けやポンポン蒸気の隅田川 民永 君子
夕日受け色濃くとぢる紅芙蓉 近松 光栄
熱残る日傘やうやく仕舞ひけり 津田 卓
絵日傘の千々に交はる数寄屋橋 坪井 研治
一枚の葉にもかすかに夜の秋 富岡 霧中
一人には大きすぎたる夏野かな 中島 凌雲
ステーキが好きと宣ふ生身魂 中村 貞代
それぞれに佳き音のあり風鈴市 中村 紘子
新しき声少しづつ秋の鹿 南藤 和義
一枝が風をとらふる夏の萩 西原 舞
地球儀に万古のシミや原爆忌 萩野 清司
落日のうれひ伝へる草の花 橋本 行雄
サングラスいつもとちがふのつぽビル 長谷川千何子
ビル街の鉢のひまはり陽を探す 花上 佐都
裏川に塵少し捨て盆用意 原田さがみ
間引かれし青柿粉を吹いてをり 播广 義春
どの部屋へ行くにも手ばなせぬ団扇 藤田 孝俊
白日傘一途に母もその母も 保谷 政孝
逃げ水の行きつく果てや父の墓 松下美代子
蓮根掘るゴムの合羽の重さかな 松田 茂
ともかくも残る暑さを口にせず 松村 郁子
一見もなじみの客も川床の茣蓙 宮内 孝子
黙禱の影の貼付く原爆忌 森濱 直之
焼跡に阿修羅と菩薩原爆忌 家治 祥夫
朝顔のほどけぬほどの蔓からむ 安田 芳雄
まぎれなく炎天となる明けの空 矢野春行士
片陰に矢絣消ゆる城の町 山口 輝久
釣鐘草挿してあふるる花瓶かな 山﨑ちづ子
昼顔の色濃く閉づる夕間暮れ 山下 美佐
市松に織られし藺草よく匂ふ 山田 鯉公
いんげんの丹精こめた長さかな 吉田 葉子
穀象に手をやきし日も遥かなり 和歌山要子
星雲集 今月の秀句
伊藤伊那男
折鶴のくびのをりやま夜の秋 杉本アツ子
「夜の秋」は秋が入っているが夏の季語。原石鼎の吉野山時代の〈粥すする杣の胃の腑や夜の秋〉が初出で、高浜虚子がこの季語を夏と定めたという。気象学的には無理だという意見が強いようだが、虚子は詩人の感性を貫いた。さてこの句、折鶴の「首のをりやま」の鋭角に秋の気配を感じ取ったのである。俳句は「物」に心を託して語らせるのが要諦だが、まさにその見本のような句。動詞を使わずに物だけに絞り込んだのも句形をすっきりさせた事由。 |
流灯を波に託すも去り難く 清水佳壽美
前句とは違って抒情の濃い句である。「流灯」は盆に現世に戻った先祖の魂を彼の世に送り返す精霊流しである。波に乗せて・・・それを「託す」とした措辞は秀逸・・・送り出したのだが、なかなかその場を離れ難いというのである。幽明界の狭間に心を漂わせているところに味わいが深い。 |
河童忌や小寺に覗く地獄絵図 有賀 稲香
芥川龍之介は昭和2年7月24日自殺。前年に小説『河童』を執筆したことや、河童の絵を好んで描いたことら忌日を「河童忌」というようになった。この句「地獄絵図」の配合に芥川の人生が重なるようだ。『蜘蛛の糸』『
地獄変』などの作品の世界が彷彿、句と融合するのだ。 |
盆踊谷戸の賑はひ一夜きり 笠原祐子
「谷戸(やと)」というのは関東特有の地形を指す言葉で、アイヌ語が発祥といい、低湿地を指す。本来は「谷」と書いて「やと・やち」と読むが、「たに」と紛らわしいので俳句では「谷戸」と記すことが多い。鎌倉の「扇ヶ谷」「比企が谷」などが知られる。そうした極めて狭い谷間で一夜限りの盆踊があったというのだ。幻想的な景を捉えた。 |
滝落つる時真つ白なコマ送り 本庄康代
「コマ」は「齣」。もともとは映画業界用語で、フィルムが一秒間に十六とか二四齣とか回転するのだが、その一場面を指す。滝の流れを上から下へ見送る様子を「コマ送り」と表現したところが出色である。作者自身がカメラのレンズになっているのだ。見えるのはただ真白な世界。 |
護摩焚きの鳴物おほき大暑の日 白濱武子
いかにも暑そうな句である。大暑の日の堂内での護摩焚きであるから暑さの極致である。それに加えて太鼓やら鐘やら銅鑼やらが総動員されるのであるから堪らない。そうした祈禱寺の様子が活写された句である。活気溢れる佳品。 |
ヒーローになれる駄菓子屋サングラス 飯田康酔
幼少の頃を思い出させてくれる句だ。昭和30年代前半であったか、テレビの「月光仮面」などに熱中し、風呂敷のマントを翻して駆け回ったものだ。後から思えばどうでもいいものであったが駄菓子屋の景品などは眩しいものであった。安物のサングラスで月光仮面に変身を果した作者。一時のヒーローである。「三丁目の夕日」の世界だ。
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褒め言葉集めて孫の髪洗ふ 荒木万寿
うまい孫俳句である。孫俳句はたいがい溺愛の情が入るので失敗するのだが、この句は客観性を保っているので残った。洗髪を嫌がる孫を「可愛いね。お姉ちゃんになったね。よく出来たね・・」などなど様々に褒め上げる。「集めて」の措辞に期せずして醸されたユーモアがある。 |
帰省子の頬骨高くあらはるる 上條 雅代
ちょっと見ない間に子供は変貌していく。馴れない生活で痩せたのかもしれない。「頬骨高く」が具体的で帰省子の句では異色だ。やや大袈裟な「あらはるる」の表現もいい。 |
古本の源氏の君も虫払ひ 黒岩清女
光源氏に虫が付いてしまったような詠み方が面白いところである。『源氏物語』をこんな風に俳句にしたのは珍しいのではないか。単なる取合せではなく、源氏物語の中に深入りしているのである。 |
その他印象深かった句を次に
蜘蛛の囲の綾取り始む朝日かな 上田 裕
浦上忌枝にささりし一つ星 隈本はるこ
窓際の金魚に愚痴を言うてみる 曽谷 晴子
逃げてゆく時間の中にゐて晩夏 滝沢 咲秀
天井に寝息ほぐるる夜の秋 武田真理子
盆踊果てて寄付金まだ半ば 徳永 和美
打水に追はれしぶしぶ路地の猫 中村 湖童
夜の色あらためて知るキャンプかな 福田 泉
田舟持つ潮来の暮し水の秋 山田 礁
天界へますぐな護摩火僧の汗 渡辺 花穂
挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円
今月の季節の写真
2012/11/25 撮影 小編制・鴨の陣 TOKYO
2012/11/25 更新
ご挨拶 入会案内 句会案内 銀漢亭日録 行事案内(2012)
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