HOME 句会案内 バックナンバー  

2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号
   7月号  8月号  9月号  10月号  11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号
   7 月号  8月号  9月号  10月号  11月号  12月号
 2019年  1月号  2月号        

 2月号  2019年


伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句    伊那男俳句   銀漢の絵はがき 掲示板  
 銀漢日録  今月の写真


伊藤伊那男作品

主宰の8句









        
                                  
          

今月の目次





銀漢俳句会/2019/2月号


  







  




   

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎芭蕉の武士観─兵共(つわものども)─のこと

 2回ほど木曾義仲と芭蕉についてのエッセイを書いた。そこで思い出したのは、矢島渚男氏の著作『新釈版 おくのほそ道 隠されていた芭蕉のこころ』(平成29年 角川文化振興財団)である。気になったまま読めずにいたもので、漸く今回目を通した。本書は氏の主宰誌「梟」に42回連載されたものが初出で、その後幾度もの改訂を経て完成した労作である。一字一句まで丁寧に検証、考察を加えて冷静な解釈をしておられるが、その中で先の私のエッセイに絡む部分に焦点を当ててみる。それは誰もが知っている

夏艸(なつくさ)兵共(つわものども)が夢の跡  

の句の解釈である。今までの一般的な解釈は「ここ高館は、かつてあの義経の一党や藤原氏の一族たちが、功名を夢見、あるいは栄華の夢に耽ったところの跡なのである。だが、そうした功名栄華もむなしく一場の夢と過ぎ去って、今はただ夏草が茫々と茂っているばかりである」といったものである。これに対して矢島氏は「ほとんどムード的に仏教的な無常観の見方で受容されてきた」ものだ、と異を唱える。それは氏が厳密に字句を検証した上のことで、「兵共」の「(ども)」に注目したことである。氏の説明によると、『岩波古語辞典』によれば──「ども」接尾語。「人間の複数を示すのが古い用法。敬意をもって遇しない対象について使う──。『日本国語大辞典』によれば──人を表す場合は〝たち〟に比べて敬意が低く、目下、または軽蔑すべき者たちの意を含めて用いる──が正しい意味だという。それに基づくと矢島氏の解釈は「夏草が生い繁るこここそが、かの武士どもが野望を追いつづけて亡びていった(屋敷)跡なのだ」となる。氏の文章を引くと「発句は文章から独立したものであり、むしろ、時によっては対立したりもする。文章と句意が同じならば、文章の後に句を配する意味はほとんどない。発句は独立して解釈するのが正しい。ましてや、この句は「細道」の執筆以前に完成していて『猿蓑』に収められた独立した句なのである。私は一字一句によって、この句を普遍的な場に置きたい」と言う。更に「江戸時代も武者の世であったし、明治以後も軍人達が力を振るい(中略)このことは芭蕉の句文を読み解釈する場合にも微妙な影響を及ぼし(中略)「兵共」(武士・軍人層)は肯定的、好意的に解釈され軽蔑を含む「ども」は無視されるのが当然だったのである」と言う。
 芭蕉は奥が深い。一筋縄ではいかないのである……。
















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男
 
濡れ靴に新聞を詰め茂吉の忌        皆川 盤水

 
東北人としての共感もあったのであろうが、先生は斎藤茂吉を尊敬しておられた。『芭蕉と茂吉の山河』(東京新聞出版局)の著書もある。私達が大石田に行くというと即座に「板垣家を訪ねなさい」と紹介して下さった。疎開中の茂吉の世話をした弟子の家であり、既に先生は訪ねておられた。茂吉の忌日は昭和28年2月25日、享年70歳であった。濡れ靴に新聞といったところに茂吉の不器用な人生が重なっているように思われる。(昭和44年作『銀山』所収)                              














  
彗星集作品抄
伊藤伊那男

木の実独楽それほど勝をあらそはず     坂口 晴子
かたぶきて走る背鰭や池普請        萩原 空木
人の死に淡くなりけり竜の玉        半田けい子
お白洲の科人も着て菊人形         神村むつ代
娶るてふこともあるいは冬用意       戸矢 一斗
枯れてなほその威を保つ御神木       川島秋葉男
渾身の尾鰭の力鮭果てる          齋藤 克之
狛犬の巻毛くるりと冬に入る        杉本アツ子
マフラーにくぐもる伝へたき言葉      小林 美樹
合掌の十指透きゆく空つ風         保谷 政孝
芭蕉庵の過客の一人日向ぼこ        清水佳壽美
炉ばなしですまぬ次第となりし黙      桂  信子
竹馬やいつでも少し前のめり        森崎 森平
裄上げの針目重ぬる七五三         多田 悦子
アイドルに囲まれてゐる暦売        こしだまほ
竃番も燗番も居て芋煮会          堀  英一
朴落葉閉ぢて久しき峠茶屋         山元 正規
いくつかは夢の叶ひしおでん酒       中村 湖童
枯蓮は梵語のごとし京は雨         宇志やまと
釣銭に葱の混じれる夜鳴蕎麦        橋野 幸彦















彗星集 選評 伊藤伊那男


木の実独楽それほど勝をあらそはず     坂口 晴子    
私の子供の頃の信州は木の実が身近にあった。団栗の中心に楊枝を刺せば木の実独楽のできあがりである。一方独楽といえば鉄でできたものがあり、紐の巻き方や投げ方などは技術が必要で、勝ち負けを競うものであった。近所の子供達が集まり、それはそれは真剣勝負となったものだ。木の実独楽の方は、もちろん勝てば勝ったで嬉しいが、負けたところでプライドが傷つくわけではない。そんなところをよく捉えているようだ。「それほど」の緩さがいい。 

かたぶきて走る背鰭や池普請        萩原 空木
 昔前の歴史のある家ではたいがい池を持っていて鯉などを飼っていたものだ。信州へ帰ってみると、それらの家も生活習慣が変化したこともあるが、池の維持が大変で水を抜いて枯山水のようになってしまったのを散見する。それはさておき、この句は池普請の水を抜いている最中のこと、鯉などは背鰭を見せて斜めに泳ぐ。写生を効かせて季語の本意を突いた名品である。

人の死に淡くなりけり竜の玉        半田けい子
先日、高校卒業五十年の同期会があった。亡くなった友人の名が読み上げられ冥福を祈ったが、死というものが間近にあることを実感した。それは抗っても詮無きことである。人の世のそれぞれの定めである。そんなことを思ったが「淡くなりけり」は実感である。それでは「竜の玉」の取合せはどうかというと、草叢に秘めた宝石のようなこの植物は生きてきた意味の象徴であるかのように思われる。生きている間は励まねば、磨かねば……と私は解釈した。 
 
お白洲の科人も着て菊人形         神村むつ代
よいところへ目配りをしたものである。主役にばかり目が行くものであるが、人が見逃したものの中から「美」を見出すのが目利きである。こうした目を養いたいものだ。

娶るてふこともあるいは冬用意       戸矢 一斗
冬用意といえば室内の調度や衣服、家の設えなどを替えることだが、「娶るてふことも」とは予想外であった。だが言われてみれば、それもそうかと思う。私も独身寮暮しの頃、家で待っていてくれる人がいたらいいと思うことが一週間の内四日あれば結婚するんだろうな、と思ったが、「冬用意」と言われると諾うばかりである。 
 
枯れてなほその威を保つ御神木       川島秋葉男
「枯れてなほ」がいい。葉を落してもなおかつ品格を保つ。日本に神社が無かったら古木はほとんど消失していただろうな、と思う。古木に教わることは多い。人もこうありたい、という寓意も籠められているのであろう。 

渾身の尾鰭の力鮭果てる          齋藤 克之
 鮭の生態を「尾鰭の力」に絞り込んだのがよい。

狛犬の巻毛くるりと冬に入る        杉本アツ子
軽いタッチの句だが「冬に入る」で決まった。 

マフラーにくぐもる伝へたき言葉      小林 美樹
マフラーという小道具をうまく使った! 

合掌の十指透きゆく空つ風         保谷 政孝
 合掌の合わせ目から通る「空つ風」の凄さ。

芭蕉庵の過客の一人日向ぼこ        清水佳壽美
日向ぼこの主が、芭蕉その人であるような面白さ。 

炉ばなしですまぬ次第となりし黙      桂  信子
 四方山話では済まなくなった場面展開が楽しい。 

竹馬やいつでも少し前のめり        森崎 森平

 確かに前のめり。中七の「いつでも少し」が効いた。

裄上げの針目重ぬる七五三         多田 悦子

「裄上げ」の措辞によって世代、年代の継続が解る。

アイドルに囲まれてゐる暦売        こしだまほ
楽しい句だ。この好奇心のある観察眼が大切。 

竈番も燗番も居て芋煮会          堀  英一
自ずから決まる役割。芋煮会の活気が伝わる。 

朴落葉閉ぢて久しき峠茶屋         山元 正規
峠茶屋を隠すような朴の大きさがいい。 

いくつかは夢の叶ひしおでん酒       中村 湖童
おでん酒だからこそ「いくつか」位が合うのだろう。 

枯蓮は梵語のごとし京は雨         宇志やまと
「梵語のごとし」が発見である。下五の抑えもいい。 

釣銭に葱の混じれる夜鳴蕎麦        橋野 幸彦
いかにも屋台の蕎麦屋のざっかけない様子が如実。 

 


   












銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

紅葉かつ散る歌枕なる関に        東京  飯田眞理子
つぎはぎの納屋を継ぎ接ぎ冬支度     静岡  唐沢 静男
転勤の子の街に来て在祭         群馬  柴山つぐ子
音になる前に遠のく初時雨        東京  杉阪 大和
神還る
しぐるるや鬼門の猿を濡らすほど     東京  武田 花果
鷹柱仕付抜くごと解けゆく        東京  武田 禪次
橋ひとつ渡るに釣瓶落しかな       カナダ 多田 美記
お会式の太鼓にしるき撥の跡       東京  谷岡 健彦
月影をもて詠みつらむ防人歌       神奈川 谷口いづみ
薪積む音の続きをけらつつき       愛知  萩原 空木   
武蔵野の天低くせり千の椋鳥(むく)       東京  久重 凜子
守衛所に夜寒の鍵を返しけり       東京  堀切 克洋
煌煌とネオン無月の中華街        東京  松川 洋酔
大声で夜業の出前届きたる        東京  三代川次郎












         





綺羅星集作品抄

             伊藤伊那男・選 
 
奪衣婆のそこにゐさうな夜寒かな    埼玉  渡辺 志水
通夜客もまた病む人や枇杷の花     神奈川 宮本起代子
雨男ひとりもをらぬ秋祭        長野  高橋 初風
木枯とわが肺に鳴る笛競ふ       千葉  無聞  齋
ロボットに問へば答が文化の日     神奈川 中野 堯司
全身をまなことなして鵙猛る      東京  島谷 高水
やや傾ぐ藁塚は夕日を支へけり     千葉  佐々木節子
蓮根掘る地球の栓を抜くやうに     東京  川島秋葉男
啄木鳥やカムイに森を返すころ     東京  朽木  直
上賀茂の神馬も肥ゆるころならむ    東京  鈴木てる緒
神の留守亡夫に頼む捜し物       東京  小川 夏葉
星座よりこぼるる神話冬めきぬ     東京  宇志やまと
冬めくや玄関先の富士小さき      東京  大溝 妙子
魚籠の魚一ㇳ跳ね釣瓶落しかな     和歌山 笠原 祐子
玄界灘茜浸しに九州場所        長崎  坂口 晴子
木守柿夕べに畳む脚立かな       長野  三溝 恵子
天守閣いま木枯の四面楚歌       東京  堀内 清瀬
寒菊のひかり溢さぬやうに剪る     東京  渡辺 花穂

ガス灯を透かし運河へ時雨かな     東京  相田 惠子
湯豆腐や癌と共存二十年        東京  秋元 孝之
綱引で決める県境草紅葉        神奈川 有賀  理
城跡の石垣鳴らす鬼胡桃        東京  有澤 志峯
初客に総勢の締め一の酉        東京  飯田 子貢
歌垣の山を背負うて蓮根掘       埼玉  池田 桐人
木犀のまだ一塵もなき香り       埼玉  伊藤 庄平
落ちてより艶の加はる柿落葉      東京  伊藤 政三
切り落とし闇に隙間を松手入      神奈川 伊東  岬
秋思いま電話鳴りだしさうな予感    東京  今井  麦
夕闇に檜葉焚く匂ひ神無月       東京  上田  裕
手さぐりのわが人生につは咲けり    埼玉  梅沢 フミ
荒壁をさらせし土蔵一茶の忌      埼玉  大澤 静子
過ぎし日を裏返しつつ秋刀魚焼く    東京  大住 光汪
この村の訛りも混ざりとろろ汁     神奈川 大野 里詩
嬰児に近づくなかれ冬の蠅       埼玉  大野田井蛙
葛吹かるあをあをとまたしらじらと   東京  大沼まり子
取り出せし朝刊小春日の匂ひ      東京  大山かげもと
ゲーム機のクレーン掴みたる秋思    宮城  小田島 渚
弾かるるごとくに別れ秋の蝶      埼玉  小野寺清人
箒目の正しき社神の留守        神奈川 鏡山千恵子
ハンガーの夫の上着にある夜寒     東京  梶山かおり
その端は海に沈みて鰯雲        愛媛  片山 一行
蘇格蘭西(すこつち)の色ふかぶかと憂国忌     東京  桂  信子
鯉の背紫めくも秋澄めり        東京  我部 敬子
コスモスや低気圧午後高気圧      高知  神村むつ代
熊手市の冷たき飾り物の福       長野  北澤 一伯
蓮根掘る遠目に二峯相寄れる      東京  柊原 洋征
冬めくや手をかへて揉む己が肩     神奈川 久坂依里子
鵙高音はぐれし子らを呼びゐるか    東京  畔柳 海村
そこにある胡桃を握りそこに置く    東京  小泉 良子
柿すだれ影を総身に眠る猫       神奈川 こしだまほ
冬めくや昏るるに早き灯を点す     東京  小林 雅子
穭穂に疎ら実の入り遠筑波       東京  小山 蓮子
足跡に余る大きさ朴落葉        東京  島  織布
恵林寺は甲斐のふるさと柿簾      埼玉  志村 昌
竹林に入り片時雨かと思ふ       兵庫  清水佳壽美
柿好きでおばあちやん子と見透かされ  千葉  白井 飛露
雪蛍久女の墓に触るるかに       東京  白濱 武子
高円宮家の姫
秋天に千木の光や姫の婚        東京  新谷 房子
電話番号貼り付けてある神の留守    大阪  末永理恵子
冬蝗大きく跳んでそれつきり      静岡  杉本アツ子
千枚田海より上がる刈田風       東京  鈴木 淳子
静けさや雨音もまた秋の声       東京  角 佐穂子
秋惜しむ勿来関に海を見て       東京  瀬戸 紀恵
稚いつも何かを掴み冬日和       神奈川 曽谷 晴子
秋深し甍の上に時の鐘         東京  高橋 透水
椎の実食ぶ縄文の音聴きたくて     東京  武井まゆみ
昼深しひかりの底の秋の蝶       東京  竹内 洋平
風がうがうイーハトーヴの穭田に    東京  多田 悦子
木の実踏む足裏(あうら)確かな丸みかな     東京  田中 敬子
曳き売りの豆腐屋を呼ぶしぐれかな   東京  谷川佐和子
夕刊をたつぷり濡らし桃啜る      東京  塚本 一夫
にほ並ぶなかに傾く二つ三つ      東京  辻  隆夫
花野からもどり普段にもどりけり    愛知  津田  卓
木の実降る音のこだまの羽黒かな    東京  坪井 研治
啄木鳥のときをり木霊聴く仕草     東京  戸矢 一斗
長女・都誕生
秋うらゝ住めばいづくも都なれ     大阪  中島 凌雲
湯の宿の効能書や鳥渡る        東京  中野 智子
「考える人」裸形なり冬めく背     東京  中村 孝哲
全山の種火とも見ゆ櫨紅葉       茨城  中村 湖童
けら打てば寺一山の木霊かな      埼玉  中村 宗男
ひよつとこの口よく上がる秋祭     東京  西原  舞
橙や床柱なき家に住み         東京  沼田 有希
賽銭の弾みて気づく神は旅       東京  橋野 幸彦
青空と闘ふごとし柿を捥ぐ       広島  長谷川明子
送り来し林檎包める南信版       神奈川 原田さがみ
懸樋より落つる水澄む冷泉家      兵庫  播广 義春
二礼二拍手一礼色なき風の中      東京  半田けい子
苦しみの根つこは無明蓮根掘る     東京  福永 新祇
眼裏の記憶の糸へ柿吊す        東京  星野 淑子
夕暮の逆光に渦寒雀          東京  保谷 政孝
目薬を注す秋天の色足して       岐阜  堀江 美州
言の葉を集めるやうに落葉搔く     埼玉  夲庄 康代
寒餅を供へ給へと持ち呉るる      東京  松浦 宗克
黙といふ諾もありけり温め酒      東京  松代 展枝
笑ふと負けよ残る通草も笑ひ出す    東京  宮内 孝子
小咄のラジオに笑ひ日向ぼこ      東京  村上 文惠
赤とんぼ人恋ふかにも低く添ひ     東京  村田 郁子
逆さ富士へ流され行けり鴨の陣     東京  村田 重子
ステーキは石の器に文化の日      東京  森 羽久衣
地を這ひて地に戻りゆく秋の蜂     千葉  森崎 森平
桃切りて多面体なる種残る       埼玉  森濱 直之
短日を刻みて浅き母の夢        長野  守屋  明
身に入むや死屍累累の駄句凡句     愛知  山口 輝久
皇統の歴代辿る夜長かな        東京  山下 美佐
陰膳やゐぬ犬小屋に今年米       群馬  山田  礁
三歳の続かぬ機嫌千歳飴        東京  山元 正規
長谷寺の回廊長き初紅葉        神奈川 𠮷田千絵子
源平の海の夕映え秋惜しむ       愛媛  脇  行雲














     





銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

奪衣婆のそこにゐさうな夜寒かな     渡辺 志水
上五中七までが下五の「夜寒」へ掛かる比喩という珍しい句である。奪衣婆は三途の川のほとりにいて亡者の着物を剝ぎ取る鬼婆。地獄の入口にいるような「夜寒」であるという。「夜寒」は秋の寒さで感覚的な季語。そういう寒さが比喩の奪衣婆に合うようだ。同時出句の〈冨士塚を高きに登るこころもて〉も僅かな高さの富士塚に対する大げさな覚悟が楽しいところである。 


通夜客もまた病む人や枇杷の花      宮本起代子
 何ともしみじみとした句である。どちらが先に死ぬか……などと話していた仲間が先に逝く。焼香をしながら、自分の方が先だと思っていたのに、などと呟く。目立たない枇杷の花との取合わせが味わい。人の世の儚さ。


雨男ひとりもをらぬ秋祭         高橋 初風
短い俳句形式では断定が大事なこともある。この句では「ひとりもをらぬ」の断定である。本当は一人や二人は居る筈だろうが、居ない、と言い切る。そこが俳句である。滑稽味を醸し出しながら、一点の曇りの無い空や、豊穣の喜びを詠み切っているのである。同時出句の〈長長の祝辞へ釣瓶落しかな〉も痛快である。


木枯とわが肺に鳴る笛競ふ        無聞  齋
病気を宥めながら暮らしておられる作者である。木枯の音と病む肺の不協和音とが競い合うという悲しい俳句である。だがそういう自分を観察する冷静な目を見逃すわけにはいかない。「笛競ふ」の「競ふ」に客観の目がある。 


ロボットに問へば答が文化の日      中野 堯司
現代の光景である。ロボットが人間の召使にもなり、友人にもなってきている。相当複雑な問いかけにも応答する。これから加速度的に進化していくのであろう。それが文化ということであろうか。十一月三日は明治天皇の誕生日だが戦後「文化の日」と名称を変えた。自由と平和を愛し、文化をすすめるために国民がこぞって祝い、感謝し、記念する日――がその趣旨である。明治節を全く違う趣旨に変更した。どことなくうさん臭い文化の日の取合せが面白く、ほのかな皮肉が含まれているようでもある。 


全身をまなことなして鵙猛る       島谷 高水
木の高みで鋭い声を発する鵙は縄張を主張しているのだという。「全身をまなことなして」は実にリアルな把握である。実際そのような姿態であるのか、実見したのか、は不明だが、ここまでの実感を読み手に伝達できれば大成功である。猛禽ともいえる鵙の特長をよく摑んだ。 


やや傾ぐ藁塚は夕日を支へけり      佐々木節子  
 日が経つにつれて藁塚(にお)は傾いてゆく。この藁塚は西に傾いたのであろう。それが夕日を支えているようにみえるという。何とも詩的構成の整った美しくまた懐かしい句となった。


蓮根掘る地球の栓を抜くやうに      川島秋葉男
泥の中から蓮根を抜き取る。その様子を「地球の栓を抜くやうに」と言う。実にうまい、いやうますぎるほどの表現である。太古の日本列島にも思いが及ぶようである。 


  

啄木鳥やカムイに森を返すころ      朽木  直
北海道の啄木鳥なので大型の熊げらであろうか。あちこちに音を響かせているのであろう。北海道の冬の到来は早い。降りしきる落葉を見ながら一気に季節が変わるのだなと思う。それはアイヌの神に森を返す季節なのだと思う。人を寄せつけない峻烈な自然に戻るのである。 


上賀茂の神馬も肥ゆるころならむ     鈴木てる緒
上賀茂神社は五月五日の「競べ馬」で知られている。その馬も太る頃だろう、という。神馬も太る、というのが意外性である。上賀茂の地名が効果を発した句である。 


神の留守亡夫に頼む捜し物        小川 夏葉
 常日頃は神に頼むのだか、今は神の留守。仕方無く仏壇の夫に頼む。夫とは言え、神様よりも後……。そんな面白さも滲むのである。


その他印象深かった句を次に


星座よりこぼるる神話冬めきぬ      宇志やまと
冬めくや玄関先の富士小さき       大溝 妙子
魚籠の魚一ト跳ね釣瓶落しかな      笠原 祐子
玄界灘茜浸しに九州場所         坂口 晴子
木守柿夕べに畳む脚立かな        三溝 恵子
けら打てば寺一山の木霊かな       中村 宗男
天守閣いま木枯の四面楚歌        堀内 清瀬
寒菊のひかり溢さぬやうに剪る      渡辺 花穂




















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
野外劇釣瓶落しを結末に       東京  辻本 芙紗
死とは影見失ふこと冬の蝶      埼玉  萩原 陽里
紀国の名残の木の実飛鳥山      東京  保田 貴子
駅名の変はる故郷初しぐれ      東京  山田  茜
帰り花咲きて明日は良き日にと    群馬  山﨑ちづ子
時無しに鶏鳴響く秋日和       東京  牧野 睦子
アイロンの蒸気嬉しき暮の秋     神奈川 星野かづよ
鉛筆の先の重たき初時雨       東京  豊田 知子
顔を寄すれば香る残る菊       大阪  辻本 理恵
木の実落つ心の疼く音のする     東京  田家 正好
田の神の仮宿らしき藁ぼつち     群馬  佐藤 栄子
広重の絵の如暮れて瀬田の秋     長野  坂下  昭
古墳にも二号三号冬麗        神奈川 北爪 鳥閑
夜祭を待つや武甲山(ぶこう)の眠らずに    埼玉  小野 岩雄
外套に仕舞ふル・モンド巴里の街   東京  小林 美樹





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

しんがりに時代祭の暴れ馬      東京  秋田 正美
鷹据ゑて大極殿の屋根高し      埼玉  秋津  結
父の墓囲む山々粧ひて        東京  朝戸 る津
橋の名を次々問うて船あそび     東京  浅見 雅江
木の実拾ふ結んで開いてどつちの手  東京  尼崎 沙羅
山茶花や道を挟みて紅と白      愛媛  安藤 向山
座敷まで柔らかき日や松手入     東京  井川  敏
らふそくに脂のにほひ冬めける    東京  生田  武
自販機にコーンポタージュ冬近し   長野  池内とほる
雪のせて呆れるほどに富士近し    東京  石倉 俊紀
どぶろくの香の染み込みし三和土かな 東京  伊藤 真紀
見返れば紅葉かつ散る永観堂     神奈川 伊藤やすを
冬波の砕け灯台動かざる       高知  市原 黄梅
いつもより鈴緒を強く神の留守    埼玉  今村 昌史
紅白の山茶花友の留守を守る     愛媛  岩本 青山
掃き寄せし落葉の匂ふ絵画館     東京  上村健太郎
小春日や広縁にゐる母の椅子     長野  浦野 洋一
なにもせず心ばかりが冬支度     神奈川 大田 勝行
二三日座敷に置きぬ今年米      東京  岡城ひとみ
幼児に泣かれピエロの秋思かな    東京  岡田 久男
菊人形にじつと見られてゐるやうな  群馬  岡村妃呂子
菊咲いて又一人訃を告げられる    神奈川 小坂 誠子
朗々と十一月に入りにけり      京都  小沢 銈三
腰下ろす縁に温もり小六月      静岡  小野 無道
水澄むや畑桶の中雲流れ       静岡  金井 硯児
地方紙に巻きし新巻抱き帰る     東京  釜萢 達夫
独り飲む夜の熱燗人恋し       東京  亀田 正則
へんてつもなき沖の石春の海     福井  加茂 和己
手間ひまの渋皮残し栗の味      長野  唐沢 冬朱
曇り空切り絵のやうに山眠る     神奈川 河村  啓
心音に不整脈あり冬の雨       長野  神林三喜雄
初鶏や目覚めますます早まりぬ    愛知  北浦 正弘
ビニールを被りしままのコート出す  東京  北出 靖彦
謎を解くやうに毛糸のもつれ解く   東京  北原美枝子
職辞して妻より先の冬支度      東京  絹田  稜
朴落葉ひろきみそらを残しけり    東京  久保園和美
縄跳びの勝負をつける二重跳び    東京  倉橋  茂
手土産に母の秘伝の栗強飯      群馬  黒岩伊知朗
放たれて枯野の犬が飛びまはる    愛知  黒岩 宏行
青空に螺髪のまぶし小六月      東京  黒田イツ子
潮騒の背戸に根付きし釣船草     神奈川 小池 天牛
一輪が多輪に挑む菊花展       東京  小寺 一凡
啄木鳥や普請するかに家を打つ    群馬  小林 尊子
海山の深みゆく黙冬隣        宮城  齊藤 克之
風呂吹や喰ひて心底目に涙      神奈川 阪井 忠太
秋冷や畳縁無き絵島の間       長野  桜井美津江
葱畑や畝尖らせて裾野まで      東京  佐々木終吉
罌粟蒔くや小さき袋に万の粒     群馬  佐藤かずえ
天国へ召されさうなる小六月     群馬  佐藤さゆり
体積のふくらむ心地小六月      東京  島谷  操
ランドセルそれぞれの色小鳥来る   東京  清水美保子
海峡の牙剝く浪や冬立ちぬ      神奈川 白井八十八
しぐるるや濾されて垂るる鎖樋    東京  須﨑 武雄
馬の足千鳥の如き村芝居       岐阜  鈴木 春水
立冬の山(いただき)の尖りをり       群馬  鈴木踏青子
初冬の子らの寝息の澄みにけり    愛知  住山 春人
鋏の音清く正しく松手入       千葉  園部あづき
レモン買ふシチリアの陽の色を買ふ  埼玉  園部 恵夏
電球の色やはらかき酉の市      東京  髙城 愉楽
返り花ほのかに花の香りして     福島  髙橋 双葉
軒下の端からはしへ干大根      埼玉  武井 康弘
掘り上げて箕に一杯の落花生     三重  竹本 吉弘
やじろべゑ台座に止まり秋思尽く   神奈川 田嶋 壺中
自転車のミシン油匂ふ冬の入     東京  立崎ひかり
松手入二日がかりの男振り      東京  田中  道
落葉ひとひら消息不明の友ありて   神奈川 多丸 朝子
短日やもくもく洗ふ陳ね生姜     東京  手嶋 惠子
你好(にいはお)と番人笑顔枇杷の花       神奈川 長濱 泰子
母ははや寝ね給ひしか小夜時雨    千葉  中山  斉 
おとうとの骨ををさめしレノンの忌  大阪  永山 憂仔
挿す一瞬息を止めをり赤い羽根    東京  橋本  泰
燈明の及ばぬ闇や神の留守      東京  長谷川千何子
ピンポンが卓球となり秋灯下     長野  蜂谷  敦
挨拶の時から匂ふ苞の桃       神奈川 花上 佐都
店出でて一番星や暮早し       長野  馬場みち子
禅寺の門開け放ち松手入       千葉  深澤 淡悠
生き方の角は削れずとろろ汁     東京  福原 紀子
椎の実拾ふかそけき森の声を聴き   神奈川 堀  英一
灯油売り馴染の歌や冬来たる     神奈川 松尾 守人
魚はねて秋思打ち消す水の音     愛知  松下美代子
両の手で掬ふ湧き水山粧ふ      京都  三井 康有
月渡る静かなるかな英虞の海     東京  八木 八龍
寒明の空雄鶏の鶏冠かな       東京  家治 祥夫
蚯蚓鳴く闇から星を呼ぶやうに    東京  矢野 安美
浜風の梳きゆくままの松手入     東京  山口 一滴
秋の渓こはごは渡るかづら橋     神奈川 山田 丹晴
珈琲の豆挽く音や秋の雨       静岡  山室 樹一
菊の香や今日を一番いい日とす    高知  山本 吉兆
集めても集めても降る落葉かな    群馬  横沢 宇内
秋鯖を押して皿鉢の総仕上げ     神奈川 横地 三旦
立枯れのたうきび畑冬まぢか     神奈川 横山 渓泉
墨の香の仄かに残る秋扇       山形  我妻 一男
モナリザに微笑み返す帰り花     神奈川 渡邊 憲二
冬めきて両手に包む湯吞かな     東京  渡辺 誠子
着ぶくれてただ黙然と始発待つ    東京  渡辺 文子














星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

野外劇釣瓶落しを結末に         辻本 芙紗
秋も終りの頃の野外劇、その終盤に合わせるように釣瓶落しの日は沈んでいく。まさに舞台装置の整った句である。予定調和とも見えるが、ここまで出来ていれば付け入る隙は無い。私の記憶で言えばインドネシアのバリ島にケチャダンスがあり、海を見下ろす岬の霊場の野外劇で見たことがある。劇が終盤になる頃は日も傾き、松明の灯が目立ってくる――もちろん釣瓶落しではないのだが、そんな情景にも通じる詩情を感じたのである。「結末に」の下五の措辞が決め手である。同時出句の〈しつらへの一つのやうに初時雨〉も舞台の一つのような構成で、京都の町屋の瓦を叩いたと思ったらもう移っていく時雨の様子をよく捉えている。 


死とは影見失ふこと冬の蝶        萩原 陽里
 留まりがちの冬の蝶といえども羽を開いたり、立てたりしている限り、命があるということである。羽を閉じて横たわった時が死を迎えたことで、それを「影見失ふこと」と詩的昇華させた表現が見事である。一物仕立の技法の中に自らの心象もしっかり投影させているが、決して過剰感はない。人間界にも通じる寓意も含んでいるようでもある。同時出句の〈悟るにはまだ葉の多き冬木立〉も同様の味わいを持つ。


紀国の名残の木の実飛鳥山        保田 貴子
  同時出句に〈義仲の木曾黄落は散華めく〉〈戸隠の黙の戸開くけらつつき〉がある。いずれも「地名」を用いてその地名の発する響きと余韻をよく生かしているようである。徳川吉宗が桜を植えて開放した飛鳥山にその出身地である紀国の木の実が降る。「紀」と「木」の響き合いも良く、一句の中に二つの地名を入れながら違和感が無い。あとの「木曾」「戸隠」の句も各々の歴史や地勢、人物像などを浮き上がらせる仕立てが見事である。


田の神の仮宿らしき藁ぼつち       佐藤 栄子
 「仮宿」が発見といえよう。田の仕事が終ると翌年の春まで田の神は山へ還るという。句ではその直前、まだ藁塚(藁ぼっち・にほ)がある間は神が居残っていて、その「仮宿」になっている、という。その見立てが出色であった。同時出句の〈箒先風も絡めて落葉掃き〉は「風も」の「も」が効果的であった。


広重の絵の如暮れて瀬田の秋       坂下  昭
安藤(歌川)広重に近江八景があり、絵の中の色紙に〈露しくれ守やまとほく過来つつ夕日のわたる勢田の長はし〉とある。そのような近江の晩秋の景を現代の景と重ねて味わいを深めている。同時出句の〈短日のひと日は長し隠居部屋〉は短日といえども隠居の身には一日が長い、という俳諧味。〈灯火親し付箋だらけの入門書〉はその隠居の晩学の様子で各々に作者の日常が投影されているようだ。 


古墳にも二号三号冬麗          北爪 鳥閑
一読破顔の句であった。一昔前は「二号」「三号」などという会話が普通にあった。お妾さんのことで、まあこれも男の甲斐性、ということであったが、今は顰蹙を買うばかりである。そのことを転じて、実務的に付ける古墳の通し番号に持ち込んだところが何とも愉快である。「冬麗」の季語の斡旋がおおらかである。 


夜祭を待つや()(こう)の眠らずに       小野 岩雄
十二月三日の秩父夜祭を待つ秩父人とその山河の様子をうまく捉えているようだ。「夜祭」だけだと微妙な季語の使い方になるが、「武甲山の眠らずに」と、これもまた季語と言ってよいのかどうか微妙な表現を添えて、総合すると「秩父夜祭」以外には考えられない、というところへ持ち込んだ面白い句であった、同時出句の〈冬物を迷ひの末に戻しけり〉〈黄落の急がぬ旅の頭上にも〉も、身に添った風物、風景を詠んで、実感を深めている。 


啄木鳥や普請するかに家を打つ      小林 尊子
『おくのほそ道』の芭蕉の句に〈啄木も庵は破らず夏木立〉があるが、この句は逆に家を打つといい、芭蕉句の一種のパロディということになろうか。破るという替りに「普請する」と逆手を取ったところも面白い。

その他印象深かった句を次に


 顔を寄すれば香る残る菊        辻本 理恵
 鉛筆の先の重たき初時雨        豊田 知子
 アイロンの蒸気嬉しき暮の秋      星野かづよ
 時無しに鶏鳴響く秋日和        牧野 睦子
 外套に仕舞ふル・モンド巴里の街    小林 美樹
 木の実落つ心の疼く音のする      田家 正好
 帰り花咲きて明日は良き日にと     山﨑ちづ子
 駅名の変はる故郷初しぐれ       山田  茜
 体積のふくらむ心地小六月       島谷  操
 鋏の音清く正しく松手入        園部あづき
 挨拶の時から匂ふ苞の桃        花上 佐都
 なにもせず心ばかりが冬支度      大田 勝行
 謎を解くやうに毛糸のもつれ解く    北原美枝子
 二三日座敷に置きぬ今年米       岡城ひとみ

















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(38)
           
裏白の飾ればすぐに乾びけり


 盤水先生から「写生ですよ、写生が大切ですよ」と繰り返し言われた。何故必要なのかはほとんど仰らない。だんだん私が理解したのは、主観句はいつでもできる、先ずは「物」をしっかりと観察して、その実態と感動した内容を正確に自分以外の人に伝達する、その技術を磨け、ということだったように思っている。天然自然の偉大さに較べたら人間の知恵や感情など些細なものであり、それはいつでも出せる。先ずは自然から学べ、ということだったと勝手に解釈しているのである。思えばどんなに写生に徹しても、その作者の目と心を通過して言葉になった以上、嫌でもその人の思いが加わり個性が出るものである。だから、馬鹿になって写生に務め、伝達能力を養ってから、自分の思い(主観)を投影すればいい、と私は確信を持っているのである。掲出句はそうした時代の習作の一つだが、三十年経った今も、迷った時はこの原点に戻らなくてはならぬ、と肝に銘じている。

  
旧正や爆竹に獅子躍り出る


 作句のため鎌倉によく通ったが、その帰路、横浜中華街に寄ったことがある。幸運にも丁度旧正月の当日であった。いつも賑やかな街であるが、この日は特に華やいでいるように思われた。路地の向こうから銅鑼や太鼓の音が近づいてくる。着ぐるみの獅子の動きが俊敏で、跳ね回る。爆竹も鳴り硫黄の香りが漂う。偶然にもいい場面に出合ったのである。暖かな日差しの中、まさに正真正銘の春が到来したのだな、と思った。旧暦と新暦の違いについては、俳句を始めるまで全く関心を持たなかった。金融機関の仕事には何の支障もなかったからである。ところが俳句を始めてみると、年賀状に「新春のお慶びを申し上げます」とか「迎春」などと書くのに、その直後に寒の入・小寒・大寒が巡ってくることの不自然さなどに漸く気付いてきたのであった。この旧正の中華街の風景に接して、なるほど、これが本当の正月なのだ、と実感したのだった。
 











      


 



銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。

Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


    
















掲示板






















               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

11月

11月22日(木)
広渡敬雄氏の九大時代の仲間4人。小島健さん、私の作るちりめん山椒、奥様好みと。

11月23日(金)
勤労感謝の日。あまりの好天に昼から机に向かうのをやめて散歩に。18時から、吉祥寺で杏一家と食事することになっており、それまで小さな旅。銀杏並木を通って成城学園キャンパス。孫龍正君のサッカーの練習を少し見る。新宿で来月の京都行き切符購入。ブックオフで日本地図他買う。吉祥寺に出て街を歩く。大学3、4年生の頃、南町に住んでいたが、その建物まだ現役。5階建てマンションで、当時は珍しい高さであった。4階の部屋の前に立ってみる。懐旧にふけるのは年のせいか。富士見ヶ丘時代も家族でよく食事した街にて、思い出を捜して歩く。公園前の「いせや」は建物は新しくなったがほぼ同じ形をとどめ、もうもうと焼き鳥の煙をあげている。かつらのおばちゃんが今もいて、何10年も前から変わらない。杏一家(5人)と「李朝園」の焼き肉の食事。昔、家族でよく来た店。あと「和民」でもう少し飲む。

11月24日(土)
「あ・ん・ど・うクリニック」、あと薬局。買い出しして店に納める。日本橋の喫茶店にて作句。14時、「鮨の与志喜」にて「纏句会」。9人と少ない。題の鮃の刺身が絶品。蕪蒸し、鰤の照り焼き、握り。酒は「浦霞」。アメ横から信州の従兄弟に数の子、するめなど送る。「吉池」にて店のもの大量に買い店に納める。渋谷で小酌。

11月25日(日)
 選句など。16時半、亀戸「すし屋の弥助」、水内慶太氏の招待。鈴木忍一家、甲士三郎、天野小石、太田うさぎ、小野寺清人。蟹をはじめとして、河豚鍋まで盛りだくさんの馳走。あと錦糸町の昭和の匂いぷんぷんたる「パブいい友」で歌。

11月27日(火)
ひまわり館の「萩句会」選句。戻ると、「北軽井沢句会」の佐々木終吉さんが見えていて、「銀漢」ホームページ作成のため、銀漢亭の写真撮影。今年も見事な手作りのクリスマスリースを戴く。店、「ひまわり句会」あと8人。

11月28日(水) 
雛句会」12人。「麦」会長の対馬康子さん、「櫟」の種谷さん、大塚凱君。

  11月30日(金)
16時半、竹内洋平同人(元々「炎環」同人だが、伊那谷の縁で「銀漢」にも参加して下さっている)五人。その内3人の方が『銀漢亭こぼれ噺』を買って下さる。19時から、「アルパカゴロゴロ会」(太田うさぎ、天野小石さん56歳の誕生日を祝う会)、25名ほどが参加し、3句出し句会、あとは飲み会。結局、酒飲みがただ集まった感じ。「俳句αあるふぁ」の中島三紀編集長来店。私の料理のグラビアページ「一句一菜」を来年も継続したいと。嬉しいこと。21時から、「金星句会」あとの6名。


12月

12月1日(土)
11時、鎌倉。快晴。比企谷妙本寺見て、駅にて「鎌倉句会」の堀英一、中野堯司さんと待ち合わせ。かまぼこ店2階にて昼食をいただく。13時、鎌倉生涯学習センターにて句会。12人。あと俳話1時間ほど。あと全員で鎌倉駅二階の和食店にて親睦会。伊藤やすをさんの案内で駅近くの丸七商店街中の立ち飲み店。駅近くにこんな時代錯誤のような飲食街があったとは! 24時前帰宅。鈴木てる緒さんより連絡あり、ヨークシャーテリアのバニラ(私の妻の愛犬。成城に引っ越すにあたり、てる緒さんに養子入り。17歳)が午後2時半、息を引き取ったと。てる緒さんに可愛がられて幸せであった。感謝!

12月2日(日)
「春耕同人句会」。三ヶ月振り。あと忘年会。そのあと、12人ほどでもう一軒。21時に戻ってNHKの山一証券倒産劇のテレビ見る。

12月3日(月)
11月の月次表作成など。店、皆川文弘さん久々。櫂未知子さん。「かさゝぎ俳句勉強会」あと12人。

12月4日(火)
坂口晴子同人、福岡の岩渕さん、明日、新潟県村上市へ吟行するため上京と、寄って下さる。

12月5日(水)
ヘアメイクの中川さん来宅。短めにカットしてもらう。店、半年振り位か、国会議員のT先生。「きさらぎ句会」あと5人。「宙句会」あと16人で忘年会。オリックス金融会社時代共に一緒だった山田雄嗣さん、大阪から。

12月6日(木)
「十六夜句会」あと11人。「三田俳句丘」の会総会あとの武田編集長、福神規子(若葉)、遠藤由樹子(未来図)、飛鳥蘭、池田のりを、坪井研治さん他。屋内松山さん、山田真砂年さん。

12月7日(金)
店、春耕同人会長・池内けい吾、事務局長・柚口満さん来店。皆川家に年末のご挨拶あとと。「大倉句会」あと20数名。賑やか。

12月8日(土)
10時、発行所にて運営委員会。午後、湯島の「全国家電会館」にて「銀漢本部句会」55名位か。あと、「はなの舞」にて忘年会。35五名ほど。疲れあり早々に帰る。

12月9日(日)
6時起き、エッセイなどいくつかこなす。12時前、みなとみらい駅構内のドトールでエッセイなど。13時半前、なかなか仲間が来ないので連絡取ると待ち合わせ場所は隣の馬車道駅と。あわてて一駅。恒例の横浜忘年句会。25名ほど。赤レンガ倉庫のクリスマスマーケット、象の鼻パーク、山下公園、氷川丸見学のあと中華街「梅蘭酒家」にて三句出し句会と宴会。

12月10日(月)
藤森壮吉さん「閏句会」7人。オリックス時代の部下、堀尾君他5人。梅田津さん勉強会4人など。「高遠句会」の坂下昭さん、会社のOB会で上京とて、訪ねてきて下さる。迷って45分ほど神保町を歩いた様子。有難いこと……。

12月11日(火)
「火の会」11人。発行所2月号編集会議。あと編集部忘年会。秋葉男さんが鮪持参で鮨を握る。上手!

12月12日(水
「梶の葉句会」選句(昼食の忘年会にお誘いいただいたが多忙で参加できず。店、川畑さんと鹿児島の中学同期生5人。鈴木忍さん、山本潔さん(時事通信社。「花暦」)と。阪西敦子さん他句会あとの方々。

12月13日(木)
「極句会」あと12人。秋葉男さんが鮪持ち込み鮨握ってくれる。見事! 光汪、井蛙、幸彦さんがヴーヴクリコ次々に開けてくれる。

12月14日(金)
「金星句会」あと7人。

12月15日(土)
「銀漢亭Oh! つごもり句会」。超結社で34人。5句出し、あと3句、2句、計10句の句会。皆さん色々な料理、酒など持ち寄って下さる。幹事の朽木直さんの綿密な呼びかけと手順の良さに感謝。あと1人ほどで「ふくの鳥」。

12月16日(日)
やや二日酔い。礼状、年末の旅行の準備など雑用。16時、成城仲間二家族来宅。私が料理番。来宅の一家族が水産業社長にて車海老、蟹、いくらなど大量の持ち込みあり。海老の豆鼓炒め、天麩羅。蟹鍋あとおじや。いくらとろろ芋。春雨のうま煮など作る。













         
    




今月の季節の写真/花の歳時記



2019年2月26日撮影  マンサク   HACHIOJI


 

花言葉    「呪文」「魔力」「霊感」「ひらめき」

△マンサク
和名の「満作、万作(マンサク)」は、山で一番早く咲くことから「まず咲く」が転訛したという説や豊年満作の祈願から命名されたという説などがあります。

紅梅 イヌフグリ 沈丁花 雪の華 雪の馬酔木
蕗の薹 馬酔木 蠟梅 マンサク

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2019/2/27  更新
HOME

漢館亭日録