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 3月号  2019年



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 銀漢日録  今月の写真 俳人協会賞受賞


伊藤伊那男作品

主宰の8句







        
             

 
          

今月の目次





銀漢俳句会/2019/3月号












  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎句会はオーケストラ
「今日はいい句会だったな」と思う日があるが、どのような句会であるかというと、①自分の句に沢山点が入ったとき ②他者の佳句を選べたとき の他に ③いい運びの句会であったときである。この③について述べてみたい。
 主に披講からのことになるのだが、私は、句会はオーケストラだと思っている。披講者は即ち指揮者である。指揮者であるためには楽譜が読めなければ駄目なように、選ばれた句を正確に澱みなく読まなくてはならない。そのためには披講者は清記用紙が廻ってきたときから、もしこの句が選ばれたら何と読めばいいか、どこで切ったらいいのか、などということに留意しながら選句をしていかなくてはならない。一昔前に聞いたが、某結社では披講の勉強会をしていたという。それほど披講者の役割は重いのである。明確な発音、調べ、切れ、そして大切なことはその句会の状況に合わせたテンポである。世代などによって早くした方がいい句会もあれば、ゆっくり進めた方がいい句会がある。そのあたりが披講者(指揮者)の器量である。
 一方各会員はどうかというと、これはオーケストラの各楽器である。だがこの意識をなかなか持てない人がいて混乱が生じることになる。要は自分の句にしか関心を持っていない人達である。では会員は披講に際してどういう行動をすればいいのか? ①自分の担当する清記番号をしっかりと覚えて、そこにはどんな句が並んでいるのか目を通しておく ②披講者が「○番」と自分の手持ちの番号を言ったらペンを構えて清記用紙を睨む ③名乗りを聞いたら大きな声で「いただき」と明確に応じ、作者の名前を記入する ④自分の句が披講されたら遠慮せず大きな声で「○○!」と名乗ることだ。小さな声で名乗って「えっ、誰?」などと聞き返されたら失格である。オーケストラの流れを止めてしまう失態である。「有難う、こんなに沢山の句がある中でよくぞ私の句を選んでくれて!」と感謝の気持ちを籠めて大きな声できちんと名乗ることが句会の礼儀である。
 よく自分の句を忘れてしまって名乗れない人がいるが、これが一番困る事態である。その心配のある方は出句した句を紙に書いて机上に置いたらどうであろうか。それでも忘れてしまう人は、仲の良い友人に隣に座ってもらって合図してもらう……くらいしか対策は無い。
 以上、それほど難しいことではなく、句会を盛り上げる(オーケストラを完成させる)という共同意識さえ持っていれば、次第に馴れてきて円滑に進むはずだ。句会が自分一人のものではなく「座の文芸」であることを自覚して臨んでいただきたい。














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

 
彼岸会や声よく澄める朝鴉        皆川 盤水
 

東京都日野市の高幡不動尊の属目。当時先生はフジテレビの早朝の番組「おめざめ天気予報」にレギュラー出演されていて、彼岸会にはこの境内で住持の川澄祐勝氏と共に生中継があった。鴉の声さえ澄み切って、彼岸会の清々しさが漲っている句である。その後、盤水先生は墓所をこの寺に定められ、今眠っておられる。川澄祐勝大僧正は昨年ご逝去された。「春耕」の新年大会は毎年この寺で開催され、先生からの縁は続いているのである。
               (平成4年作『曉紅』所収)

















  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

百軒の島の教会畳替            小野 無道
皇の煤逃げめける遷都かな         伊藤 政三
冬の田をチャック閉づやう行く列車     白濱 武子
城紅葉これも彦根の赤備へ         中村 湖童
ばあちやんと共になくなる炬燵かな     こしだまほ
岩戸の段までを我慢の隙間風        杉阪 大和
日溜りに凍蝶の影張り付きぬ        森濱 直之
時雨るるや山の影負ふ塔ふたつ       上田  裕
蕪村忌や山河いづこも絵画めき       宇志やまと
袴着や踵の余る草履はき          谷岡 健彦
学校の兎小屋へと大根の葉         有賀  理
一枚の奉書のさまに鶴下降         武田 花果
人日のドアの把手の回覧板         谷口いづみ
両国に汐さす夕べ山鯨           塚本 一夫
亜浪忌のその浅間への畷道         山田  礁
年木積む松脂の手をそのままに       小野寺清人
また同じ石に来てをり黄鶺鴒        福原 紀子
あぎとてふ吃水線や柚子湯して       中村 孝哲


















彗星集 選評 伊藤伊那男


百軒の島の教会畳替            小野 無道
さて、どこの教会であろうか、五島列島あたりにあるのだろうか。小さな村落の教会の畳替という珍しい光景である。西洋から渡来した宗教と、日本の生活習慣の融合をうまく五七五に納めているのである。この素材を見つけたことは僥倖。百軒と打ち出したところが技倆。 

  
皇の煤逃げめける遷都かな         伊藤 政三
 皇は「すめらぎ」と読むのであろう。多分これは私が案内した聖武天皇の恭仁京の嘱目であろう。聖武帝は理由は不明だが、難波宮、信楽宮、この恭仁宮と中途半端に都を移し、結局平城京に落ち付いて東大寺を建立した。この遷都の忙しさを「煤逃げめける」と詠んだのは卓越した発想だ。もちろん我々の旅が「煤逃吟行会」であったからそこに糸口があったのだが、見事である。さて一つ問題として残るは「煤逃げめける」の「めける」の措辞。つまり、煤逃げみたいな、という比喩であり、季語にはならない、という意見が出るからだ。たとえば、「南瓜のような顔」といったときの南瓜は季語になるか?という問題である。どんな使い方であろうが「南瓜」が入っているのだから「可」とする意見ももちろん多い。優柔不断だと言われそうだが、私は「南瓜のような顔」は取らないが「煤逃げめける遷都」は取る。詩的レベルが段違いだからである。

  
冬の田をチャック閉づやう行く列車     白濱 武子
 これも発想がユニークである。冬の田を縫っていく鉄道であるからこその設定の良さである。身近の衣類のファスナーを見るとよい。確かに閉じたあとは枕木のようでもあり、引っ張り上げる部分は電車の箱のようにも見える。この比喩には驚嘆するばかりである。この柔軟な発想を持ち続けてほしい。

  
城紅葉これも彦根の赤備へ         中村 湖童
知的構成の句で、やや知が勝る句であるかもしれない。井伊家は最強の軍団を持っていたことで知られるが、甲州武田家の遺臣を集めた集団である。
                         あかぞなえ
甲冑を赤で統一したことから「井伊の赤備」と呼ばれた。その居城彦根城が今紅葉の最中である。これも「赤備」という構成である。 

  
ばあちやんと共になくなる炬燵かな     こしだ まほ
私の育った頃は掘炬燵で、炭を継いでいた。昭和三十年台中頃から電気炬燵に変わっていったのではなかったか。電気炬燵なら持ち運びが自由だし火事の心配も少ない。しかし今気付くとその電気炬燵さえ使っている家は減っているのではなかろうか。現に私の家にも無い。それを象徴的に「ばあちやんと共になくなる」と言ったのである。 

  
岩戸の段までを我慢の隙間風        杉阪 大和
緩慢に続く神楽に退屈し、そうなると隙間風が気になるのだが、クライマックスの天岩戸の場面になると俄然観客席にも熱気が出て、隙間風が気にならなくなった、というのである。舞台の展開をうまく捉えた句であった。

  
日溜りに凍蝶の影張り付きぬ        森濱 直之
「張り付く」に対象の特徴を的確に捉えている。

  
時雨るるや山の影負ふ塔ふたつ       上田  裕
二上山と当麻寺であろうか。綺麗な仕立てになった。 

 
 蕪村忌や山河いづこも絵画めき      宇志やまと
作者の目には蕪村の柔かなタッチの山河に変っていく。 

  
袴着や踵の余る草履はき          谷岡 健彦
大きさの違う草履。成長過程が読み取れる。

  
学校の兎小屋へと大根の葉         有賀  理
家では塵になってしまう葉を兎に持っていく子供。 

  
一枚の奉書のさまに鶴下降         武田 花果
鶴が羽を畳みつつ着地する場面。「奉書」が高貴。 

  
人日のドアの把手の回覧板         谷口いづみ
いよいよ日常生活に戻る「七日」をうまく捉えた。 

  
両国に汐さす夕べ山鯨           塚本 一夫
ももんじ屋の開店時間。隅田川にはやや潮の香も……。 

  
亜浪忌のその浅間への畷道         山田  礁
小諸生まれの臼田亜浪。その人柄が投影している。 

  
年木積む松脂の手をそのままに       小野寺清人
山村の正月用意の様子がリアルに表現されている。 

  
また同じ石に来てをり黄鶺鴒        福原 紀子
 鶺鴒にも好きな石があるのか。石叩の異名もあり、面白い。

  
あぎとてふ吃水線や柚子湯して       中村 孝哲
顎まで深々と沈めた柚子湯。吃水線が効いている。 











銀河集作品抄


伊藤伊那男・選


煤逃の果て船底の機関室         東京  飯田眞理子
草へ跳び草に溺れて冬蝗         静岡  唐沢 静男
毛の国の風に育ちし葱甘し        群馬  柴山つぐ子
いくつかの罠を掛けられ山眠る      東京  杉阪 大和
白鳥の空を重たくして来たる       東京  武田 花果
あめだきの匂ふ堅田の片しぐれ      東京  武田 禪次
コヨーテの近く鳴く夜の暖炉の火     カナダ 多田 美記
裏口は悪所に通ず酉の市         東京  谷岡 健彦
枯野星ひとつ頼りにバス待てり      神奈川 谷口いづみ
角取れぬままの明治の茎の石       愛知  萩原 空木
厚着して軸足まごふ齢かな        東京  久重 凜子
はとバスの黄の並びゐて冬ぬくし     東京  堀切 克洋
都鳥職退くあとも通ふ町         東京  松川 洋酔
冷泉家守る玄武や初時雨         東京  三代川次郎

















         





綺羅星集作品抄

            

伊藤伊那男・選

千枚田いま一枚の雪の下        埼玉  伊藤 庄平
おほらかな家風でありぬ隙間風     東京  森 羽久衣
また一つ神も歳とる里神楽       東京  山元 正規
南無南無のあとふうふうと大根焚    和歌山 笠原 祐子
新海苔の光と闇を畳みけり       愛知  山口 輝久
年々に詫状めける賀状書く       神奈川 久坂依里子
冬日浴ぶ庚申塔の丈の順        長野  守屋  明
おのづから四角に動く炬燵の間     東京  我部 敬子
一台は五箇山門徒親鸞忌        東京  桂  信子
街の音さまざまポインセチア揺れ    東京  福永 新祇
絨毯や積木の城の王となり       東京  角 佐穂子
着膨れて悪化一途の肩の凝り      東京  山下 美佐
をりからの雨の禊か七五三       群馬  山田  礁
屋上に小さき鳥居や神の旅       東京  今井  麦
富士塚に冠雪の不二拝みけり      埼玉  大澤 静子
息災のすこし退屈花びら餅       長崎  坂口 晴子

枯るるとは広くなること蓮の池     東京  相田 惠子
マスクかけ眼は大胆に人を射る     神奈川 秋元 孝之
葉牡丹の襞の深きに入るひかり     神奈川 有賀  理
底冷えの湖面に画く芙蓉峰       東京  有澤 志峯
玄関の木口の揃ふ年木かな       東京  飯田 子貢
実南天未完の色はなかりけり      埼玉  池田 桐人
池普請蓬莱島と地続きに        東京  伊藤 政三
下仁田の風を追肥に葱太る       神奈川 伊東  岬
七五三三は片脚づつ登る        東京  上田  裕
天といふ文字に人あり降誕祭      東京  宇志やまと
ペンダント一つのおしやれ敬老日    埼玉  梅沢 フミ
意外なる人の一芸年忘れ        東京  大住 光汪
にぎやかにがさがさ枯れて柏かな    東京  大沼まり子
信玄の空を陣取る吊し柿        神奈川 大野 里詩
野沢菜漬食めば故郷近づきぬ      埼玉  大野田井蛙
着ぶくれて和顔施受くる蟹満寺     東京  大溝 妙子
知覧よりぎつしり届く茶の蕾      東京  大山かげもと
何もかも見透かされさう冬の星     東京  小川 夏葉
鉄錆の匂ふ手のひら秋夕焼       宮城  小田島 渚
返り花日を得て色を定めけり      埼玉  小野寺清人
水底に絶景となる紅葉山        神奈川 鏡山千恵子
釈迦像の耳朶の長さや冬あたたか    東京  梶山かおり
猫の声ほそく伸びけり寒昴       愛媛  片山 一行
冬日向母恋ふ針を持つあひだ      高知  神村むつ代
むささびの四肢震はせて飛ぶ構へ    東京  川島秋葉男
払ひたる天井おもふ長煤湯       長野  北澤 一伯
大船観音
観音の胎内にゐて冬ぬくし       東京  柊原 洋征
此処が彼の佐々抜けしか霧氷林     東京  朽木  直
小舟みな舫つてありぬ神渡       東京  畔柳 海村
冬めける日差しを踏みて女坂      東京  小泉 良子
鰤起し畦のおどろく千枚田       神奈川 こしだまほ
重ね着のこれも供養と姉の服      東京  小林 雅子
板切れの小鳥の墓や花八手       東京  小山 蓮子
木洩れ日を呼び込むごとし冬木の芽   千葉  佐々木節子
茎の石もひとつ重ね黄昏るる      長野  三溝 恵子
丁寧なむしり跡なり古暦        東京  島  織布
縄文てふ瞬きの間や冬銀河       東京  島谷 高水
神木と言はれ幾年冬芽立つ       兵庫  清水佳壽美
知らぬ間に神帰り来てゐるらしき    埼玉  志村  昌
ボロ市の店主とびきり襤褸を着て    千葉  白井 飛露
冬怒濤越の大地を揺らすかに      東京  白濱 武子
絵手紙の熊手に描く願ひかな      東京  新谷 房子
父方は特に長命実万両         大阪  末永理恵子
生後ひと月猫の目に聖夜の灯      静岡  杉本アツ子
着ぶくれて通路の狭き氷川丸      東京  鈴木 淳子
花時計の花の入替へ冬日向       東京  鈴木てる緒
冬夕焼わが住む町を影として      東京  瀬戸 紀恵
つつがなき一日の夜や林檎むく     神奈川 曽谷 晴子
その中に白髪の混じる木の葉髪     長野  高橋 初風
故郷の呼んでゐるよな虎落笛      東京  高橋 透水
大船観音
冬麗かくも大きな御尊顔        東京  武井まゆみ
冬の日を輪切りにしたるフラフープ   東京  竹内 洋平
戊辰までおよぶ炉語り越の国      東京  多田 悦子
ネパールの摑めさうなる冬の星     東京  田中 敬子
神鶏に野生の猛り神の留守       東京  塚本 一夫
一枚は父の形見を重ね着す       東京  辻  隆夫
窓枠をよき構図とし冬紅葉       愛知  津田  卓
高張へ締むる手打や大熊手       東京  坪井 研治
切干の一茣蓙分の一袋         埼玉  戸矢 一斗
叡山の水の勢ひ鹿威し         大阪  中島 凌雲
泥葱を包む新聞テロの記事       神奈川 中野 堯司
縁側に祖母居るやうな小春かな     東京  中野 智子
ひととせのあとがきに似て師走かな   東京  中村 孝哲
襟巻や別れし数の歳重ね        茨城  中村 湖童
文鳥の嘴に透きゐる冬日かな      埼玉  中村 宗男
少年の真直ぐな喉の聖歌かな      東京  西原  舞
国生みの島を泛べて春の潮       東京  沼田 有希
甲羅干す亀の九族池普請        東京  橋野 幸彦
鯉跳ねて驚く七五三の三        広島  長谷川明子
転がして冬至を待てる南瓜かな     神奈川 原田さがみ
輪郭を黒く二上山眠る         兵庫  播广 義春
ふるさとに待つは棍棒鮭のぼる     東京  半田けい子
薬喰友は故郷の地べた持ち       東京  星野 淑子
血を抜かれまた戻されて日短      東京  保谷 政孝
間歇泉かかへて山の眠られず      東京  堀内 清瀬
京都
極月やゑんまにお目こぼしされて    岐阜  堀江 美州
アメリカのバスタブ浅し柚子の風呂   埼玉  夲庄 康代
茎立を引くや黒土香の豊か       東京  松浦 宗克
風花や色うすめたる向う岸       東京  松代 展枝
大川の放つ白光ゆりかもめ       東京  宮内 孝子
丹精の指先を刺す冬薔薇        神奈川 宮本起代子
凩やわが肺は笛鳴りどほし       千葉  無聞  齋
冬菊剪るこよなく夫に薫れよと     東京  村上 文惠
冬桜先づは詣でし大原陵        東京  村田 郁子
湯たんぽや何時しか母の忌も近く    東京  村田 重子
摺り足で探る廊下や神迎へ       千葉  森崎 森平
漁火を加へて冬の銀河かな       埼玉  森濱 直之
闇を切る種火の一打御滅灯       神奈川 𠮷田千絵子
源平の海を真つ赤に冬夕焼       愛媛  脇  行雲
献饌として奥宮に冬日かな       東京  渡辺 花穂
三国志の智略謀略夜長かな       埼玉  渡辺 志水

















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

煤逃の果て船底の機関室         飯田 眞理子
 恒例の横浜吟行会での高得点句。港に繫留してある氷川丸での嘱目である。煤逃で横浜に遊びに来て、最後の最後に氷川丸に乗船しあちこち見た上で船底の機関室に入る。位置からすれば水面下になるわけで、煤逃もここまで来たか……という、煤逃の概念をはるかに越えた発想の句であった。もう十年ほど年末の横浜を歩いているが、このような句を見ると、まだまだ続けられるな、と思う。


千枚田いま一枚の雪の下         伊藤 庄平
千枚田も冬ともなればすっぽりと雪の下となる。雪が深くなれば畦の形も不明瞭となり、まさに一枚の雪の下となる。「千」と「一」の数字を配したのが手柄である。 


おほらかな家風でありぬ隙間風      森 羽久衣
 「おほらかな」の打出しが何ともうまい。多少の隙間風など当り前のこととして気にしない。それが「家風である」とまさにおおらかな詠みぶりである。いい家族が揃っている家なのだろうな、と想像が付く。隙間風の「風」、家風の「風」と全く意味が違うけれど、「風」が入っているところも面白い。同時出句の〈どこまでも行ける切符や冬銀河〉も目的地を決めない豊かな冬の旅、宇宙まで行けてしまうかもしれない……などという思いにも広がる。


  

また一つ神も歳とる里神楽        山元 正規
日本神話の神々は恋もすれば裏切りもする人間と変わらない存在だ。そういう神だから人と同じように年を取るであろうという。それと共に、里神楽の演者も、これも必ず年を取っていく。そのように神と人の両方を詠んでいるのが面白いところだ。 


南無南無のあとふうふうと大根焚     笠原 祐子
南無は仏法僧の三宝への帰依を表す言葉。「南無南無」と繰り返し、そのあと、「ふうふう」と繰り返すところがうまい。大根焚きは京都鳴滝の了徳寺が知られているが、千本釈迦堂でも行われる。同時出句の〈着ぶくれて閻魔の沙汰を案じをり〉は千本釈迦堂近くの千本閻魔堂の嘱目であろう。この地域は昔葬送の地蓮台野の入口でもあったので閻魔様にもとりわけ迫力がある。「沙汰」の措辞がいい。 


新海苔の光と闇を畳みけり        山口 輝久
「光と闇」を持ってきた発想がいい。新海苔の艶やかな黒、光に当たったときの照り返しという二面、光と影をうまく捉えている。その二面を畳む、と納めて見事な構成。


年々に詫状めける賀状書く        久坂衣里子
これも多くの納得を得る句であろう。年を取れば当然だが、ご無沙汰ばかりで、とか出不精で、とか言訳やらお詫びやらが増えていく。「詫状めける賀状」とは言い得て妙である。 


冬日浴ぶ庚申塔の丈の順         守屋  明
 地方の町や村で今も見かけることがある庚申塚。辻などに石塔が並んでいる。冬日はその庚申塔の高さの順に差していくという。斜めに差す冬日の様子が如実である。


おのづから四角に動く炬燵の間      我部 敬子  
楽しい句だ。部屋の真ん中に炬燵のあるのだから、動きはおのずから炬燵を避けて直線と直角の動きとなる。そんな冬場の生活をユーモラスに描いている。「四角に動く」が実に端的に要を得た表現である。 

 

一台は五箇山門徒親鸞忌         桂  信子
 五箇山門徒という言葉を初めて耳にした。富山県であるから浄土真宗の熱狂的信者が多い土地柄なのであろう。親鸞忌は報恩講、御正忌、御講ともいい十一月二十八日。本山へ各地からバスが到着するのだが、そのうちの一台は五箇山から、という。五箇山門徒とは不思議な響き。


  

街の音さまざまポインセチア揺れ     福永 新祇
 ポインセチアはいかにも冬の都会に似合う花。ショーウインドーなど雑踏の中に咲く。人声、車の音、暖房の音、など様々な音を纏っている、そうした花の特徴が出ている句だ。

 
その他印象深かった句を次に

絨毯や積木の城の王となり        角 佐穂子
着膨れて悪化一途の肩の凝り       山下 美佐
をりからの雨の禊か七五三        山田  礁
屋上に小さき鳥居や神の旅        今井  麦
富士塚に冠雪の不二拝みけり       大澤 静子
息災のすこし退屈花びら餅        坂口 晴子


















               

 



 
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
擦りすぎの墨を薄めて蕪村の忌    大阪  辻本 理恵
かはらけに冬日を溜めて一投す    東京  保田 貴子
一樹より声のはみ出る鵙日和     埼玉  萩原 陽里
深更に及ぶ晩学膝毛布        長野  坂下  昭
大根も人も崩れて宴果つ       東京  辻本 芙紗
三峰妙法ヶ岳
石積めば石も神なり冬木山      東京  田家 正好
百枝の百の癖持つ冬木立       東京  山田  茜
蜜柑ある居間懐かしく蜜柑買ふ    東京  北原美枝子
吊るされて鮭の眼のなほ猛る     東京  立崎ひかり
重ね着のされど縮みし老母かな    東京  小林 美樹
咲くほどに針の山めく花八手     東京  絹田  稜
牛の眼に星降り牧の聖夜過ぐ     静岡  小野 無道
甘藷蔓この堂々の複雑さ       埼玉  小野 岩雄
寒雀鳥獣戯画の寺に跳ぬ       東京  牧野 睦子
どの道も奥義は遠く寒昴       東京  福原 紀子

三方が空く単身の炬燵かな      東京  北出 靖彦
落葉焚くすぶりゐるをじつと待つ   長野  馬場みち子
籤引けば運は人並み冬うらら     静岡  山室 樹一
鳶鳴けば吾が子隠さむ冬田道     東京  久保園和美
落葉焚我に帰れば我ひとり      東京  倉橋  茂
銭湯消え更地となりて寒に入る    宮城  齊藤 克之
農機具の納屋に揃ひて霜の声     群馬  佐藤 栄子
雑踏をひらいてゆきぬ大熊手     東京  島谷  操
大根焚く香り千本通りまで      愛知  住山 春人
おでん鍋亡き人々がゆらぎ揺れ    東京  手嶋 惠子





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

干菜汁ひと菜ひと菜の陽の匂ひ    東京  秋田 正美
大掃除かけ声かけるだけのひと    埼玉  秋津  結
近頃は着たり脱いだり秋に入る    東京  浅見 雅江
着膨れて話しふくらむ旅の宿     東京  尼崎 沙羅
坪庭の散紅葉掃く苔の上       愛媛  安藤 向山
なんとなく浮子を眺むる冬日かな   東京  井川  敏
ロボットに任す程度の煤払      東京  生田  武
命日を墓碑に刻めば帰り花      長野  池内とほる
粉雪を行きて深雪を帰りけり     東京  石倉 俊紀
足早にわたる大川年の市       東京  伊藤 真紀
降りしきる唐松の雨山眠る      神奈川 伊藤やすを
冬ざれや龍馬も越えし脱藩道     高知  市原 黄梅
初日の出我が故郷の山の(なり)      埼玉  今村 昌史
冬ざれやお堂の裏のもういいかい   高知  岩原 里秋
深山に入りて落葉を十籠かな     愛媛  岩本 青山
朱雀門くぐりて仰ぐ冬紅葉      東京  上村健太郎
まだ暗き雨戸引く父冬至かな     長野  浦野 洋一
木枯しの故郷に父一人置き      神奈川 大田 勝行
結局はいつもの日記買ひにけり    東京  岡城ひとみ
熱燗やけふのしくじり吞み下す    東京  岡田 久男
冬銀河嬬恋へとの里心        群馬  岡村妃呂子
朝寒や犬は元気に先を行く      神奈川 小坂 誠子
わが命励ますごとく紅葉濃し     京都  小沢 銈三
北国の空は鈍色鮭を打つ       東京  折原あきの
噴煙が郷里のしるべ神迎       静岡  金井 硯児
なみだ目の鮟鱇吊す浜の市      東京  釜萢 達夫
水軍の裔をたどるや栄螺めし     福井  加茂 和己
スキップは破調おさなの小六月    長野  唐沢 冬朱
箒目の風紋のやう月冴ゆる      神奈川 河村  啓
冬日暮れ晩学の燈の早灯す      長野  神林三喜雄
疎林縫ふ旋風のごとき寒鴉      愛知  北浦 正弘
城跡の発掘半ば冬ぬくし       神奈川 北爪 鳥閑
冠雪の便りしたためをりしかな    群馬  黒岩伊知朗
枯葉踏む官庁街に言葉無く      愛知  黒岩 宏行
谷戸奥に鳶笛しきり小六月      東京  黒田イツ子
今日釣れし魚の顔見て葱買ひに    神奈川 小池 天牛  
凩や息子を夫に見間違ふ       群馬  小林 尊子
重ね着を武器のひとつに街歩く    神奈川 阪井 忠太
寒鴉藁飛ばしつつ啄めり       長野  桜井美津江
嬬恋に尖る川波虎落笛        東京  佐々木終吉
勢ひのままの炎に榾を足す      群馬  佐藤かずえ
枯蓮の水面日輪目に痛し       東京  清水美保子
熊野灘那智黒磨く冬怒濤       神奈川 白井八十八
琅玕に磨きをかける寒夕焼      東京  須﨑 武雄
凩や路地の裏々駆け抜けて      岐阜  鈴木 春水
秋日和腕の太き自転車屋       群馬  鈴木踏青子
夫と居る無言に隙間風の入る     千葉  園部あづき
冬凪や島影絶えぬ瀬戸の海      埼玉  園部 恵夏
空青し命の限り冬の蝶        東京  髙城 愉楽
牡丹焚く青き炎に変はるまで     福島  髙橋 双葉
宝くじ神棚に夢十二月        埼玉  武井 康弘
鏡池鏡くもらす枯葉かな       三重  竹本 吉弘
山間を繫ぐ吊橋冬日降る       神奈川 田嶋 壺中
手を繫ぐ母の歩幅の師走かな     東京  田中  道
日短を口ぐせにして何もせず     神奈川 多丸 朝子
窓ガラス拭きて冬晴れますますに   東京  豊田 知子
日向ぼこ摑まり立ちの笑顔かな    神奈川 長濱 泰子
散髪の鋏せはしき師走かな      千葉  中山 桐里 
むかしむかしあるところに隙間風   大阪  永山 憂仔
摺足で潜る枯葉の重さかな      東京  橋本  泰
遮断機が下りて師走が吹き溜る    東京  長谷川千何子
初霜や地軸へ背骨傾ける       長野  蜂谷  敦
少林忌達磨予約の案内状       神奈川 花上 佐都
冬の月背に従へて信玄像       千葉  深澤 淡悠
また一度上ぐる給湯十二月      神奈川 星野かづよ
毛糸編む灯火の母に夜の更くる    神奈川 堀  英一
包丁の軽き音させ葱刻む       神奈川 松尾 守人
枯葉掃く己が心を鎮めつつ      愛知  松下美代子
賑ひを一筋それて冬紅葉       京都  三井 康有
極月や二つ三つと物を捨て      東京  八木 八龍
ながらへて気づけば春の彼岸かな   東京  家治 祥夫
白菜を食ぶればしかと水の音     東京  矢野 安美
同じ事言ふ母のゐて膝毛布      群馬  山﨑ちづ子
遠くなる明治の肖像冬館       神奈川 山田 丹晴
無一物冬ざれに似て豊かなり     高知  山本 吉兆
湯たんぽの火傷の跡を懐かしむ    群馬  横沢 宇内
残業を終へおでん屋の客となる    神奈川 横地 三旦
石蕗明り暮れはじめたる御苑かな   神奈川 横山 渓泉
寄鍋や余韻の結露窓伝ふ       千葉  吉田 正克
黄落や相席となるカフェテラス    山形  我妻 一男
柚子湯沁む今年一年永らへて     神奈川 渡邊 憲二
里芋の親芋子芋孫のこゑ       東京  渡辺 誠子
初鏡背後に母の気配して       東京  渡辺 文子













星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

擦りすぎの墨を薄めて蕪村の忌      辻本 理恵
素人ながら蕪村の絵のタッチのやさしさが好きである。墨の濃淡にこれほどの多様性と深みがあることに驚嘆するばかりだ。この句、生活の中の実感と蕪村忌の取合せが軽妙である。句の濃淡が面白い。以前京都島原の角屋の蕪村忌俳句会に招かれたことがある。その会では「蕪村の(●)忌」は駄目で「蕪村忌」と詠まなくてはならないというルールであったことを紹介しておく。同時出句の〈睨む目に冬麗映す閻魔堂〉〈大根焚染み入る色を崩し食ぶ〉は、千本閻魔堂と千本釈迦堂の嘱目であろうか、各々きっちりと対象を詠み取った秀逸。 

 

かはらけに冬日を溜めて一投す      保田 貴子
京都の神護寺でかわらけ投げをしたことがある。なかなか難しいのだが三投目位でようやく三尾の山襞に消えていった。さてこの句、もし「春日」「夏日」「秋日」であったらどうか?「溜めて」があるところが決め手で、やはり冬日が一番合うようだ。かわらけに残るほのかな温みなどが感じられるようだ。同時出句の〈重ね着に見えないやうに重ね着す〉は「重ね着」のリフレインを使って独得のユーモアを醸し出している。〈冬めくや一歩近づく富士の山〉は一歩の距離で富士山の大きさが違うという錯覚だが、澄み始めた冬の空気を捉えた感覚のいい句だ。 


一樹より声のはみ出る鵙日和       萩原 陽里
いかにも鵙日和である。高々と突き抜ける鵙の鋭声。あたりを統べるように高い木の上にいるが、その一樹から声がはみ出るようだという。この中七の把握が出色。 


深更に及ぶ晩学膝毛布          坂下  昭
真摯な句である。晩学はいい、私も一口に言えば晩学中である。人は死ぬまで何かを学ぶ、熱中できる何かがあることが大切だと思う。この句は「膝毛布」が眼目。晩学というものを象徴する季語の斡旋である。〈降り立ちてなほ相寄らず寒鴉〉も寒鴉の孤高性を捉えて出色。 


百枝の百の癖持つ冬木立         山田  茜
確かにそうだな‥‥と思う。全ての葉を落した冬木立に枝々が顕である。それまで見えなかった木々の癖がよく見える。この句でいう「百」は「ことごとく」の意味。そのリフレインが心地よいリズムとなって身に入る。同時出句の〈新宿の改札抜くる大熊手〉も気持のよい詠みぶり。 


重ね着のされど縮みし老母かな      小林 美樹
重ね着をしていれば少し大きく見えるのが普通なのだが、「されど縮みし」という。強かった母も年と共に衰えていく。人の世の節理とはいえ淋しいことだ。だが表現として最後まで深刻でないのが俳句の妙味である。「されど縮みし」の中七に少しおかし味が混入しているのがよい。


咲くほどに針の山めく花八手       絹田  稜
対象物をよく見た一物仕立の句。茫洋として地味な花の特徴をよく捉えている。「針の山」の見立ては納得できる比喩である。「咲くほどに」の打ち出しもいい。同時出句の〈恙なき今年と同じ日記買ふ〉も験担ぎが面白い。 


牛の眼に星降り牧の聖夜過ぐ       小野 無道
美しい句だ。牧場の牛の眼に映る星々とは!そのようにして聖夜が過ぎていく。あたかもキリスト誕生のその場面と錯覚させるような仕上り。


寒雀鳥獣戯画の寺に跳ぬ         牧野 睦子
鳥獣戯画の寺とは京都高山寺。鳥羽僧正覚猷の筆という。絵の中でも動物が跳ね回っているが、寺の境内にも寒雀が跳ねている。絵画と庭の実景を組み合わせて楽しい句となった。同時出句の〈仕舞屋の続きに灯る三の酉〉は下町の風情をよく詠みとめている。 


三方が空く単身の炬燵かな        北出 靖彦
単身赴任者の生活の一齣であろう。炬燵には決った位置があり、違う位置に座ることはほとんど無いものだ。三方は空きっぱなし。微妙な淋しさがこの句の詩因である。 
その他印象深かった句を次に

 

落葉焚くすぶりゐるをじつと待つ     馬場みち子
賑ひを一筋それて冬紅葉         三井 康有
籤引けば運は人並み冬うらら       山室 樹一
蜜柑ある居間懐かしく蜜柑買ふ      北原美枝子
鳶鳴けば吾が子隠さむ冬田道       久保園和美
落葉焚我に帰れば我ひとり        倉橋  茂
銭湯消え更地となりて寒に入る      齊藤 克之
農機具の納屋に揃ひて霜の声       佐藤 栄子
雑踏をひらいてゆきぬ大熊手       島谷  操
大根焚く香り千本通りまで        住山 春人
おでん鍋亡き人々がゆらぎ揺れ      手嶋 惠子



















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(39)
           
縺れたる糸そのままに針供養

 針供養は関東では2月8日、浅草寺の境内、淡島堂で、関西では12月8日に淡島神社で行われるものが知られている。私の句は浅草寺が頭にあっての句である。というのは実際の針供養の日に訪ねたことはないが、浅草寺にお参りし、浅草六区へ抜ける折によく通り、また何度か手を合わせてもいるからである。そのお堂と、テレビで何回か見ている行事の映像などを組み合わせて詠んだものである。針供養には裁縫を生業としている人や洋裁学校の生徒などが参加すると聞く。若い女性達が多いという想定から「赤い糸」の話を句の中に組み込み、目に見えない赤い糸で結ばれていると信じていても、縺れることもある……という物語仕立てにしてみたものである。勿論写生仕立てではあるが。実は〈山門に男を待たせ針供養〉という句も作ったが、これはいかにも品位に欠けるといわれそうなので、句集に入れるのは止めたのである。
    
みちのくの蒲団の厚き寝釈迦かな

 山形県の内陸、最上川のほとりの大石田を訪ねる、と盤水先生に相談したら、「板垣家子夫さんを訪ねなさい」と仰った。私達は菓子折を持って訪問した。もちろん家子夫氏の代ではなかったが、温かな対応をして下さった。茂吉が疎開した家は聴禽書屋と呼ばれ資料館として残っている。また乗船寺という寺には茂吉の分骨墓所があり、〈最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも〉の歌碑がある。その寺に入った右側に寝釈迦を祀るお堂があった。いつの頃か知らないが、酒田から最上川を船で遡ってきたのだという。その敷布団が随分厚いな、と思った。みちのくの豪雪地帯だから、信仰する人々の気持ちが自然にそうさせたのであろうか……。印度のお釈迦様が雪国で厚い布団に寝ているのを面白く感じたのであった。大石田は芭蕉が訪ねた頃から最上川の内陸部を差配する拠点であり、紅花の積出し港として隆盛を極めたのであった






      


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞







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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 予定
会場 学士会館 東京神田 


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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

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銀漢亭日録

伊藤伊那男

12月


 12月18日(火)
快晴。成城の銀杏並木はほぼ裸に。山茶花垣根が美しい。ひまわり館にて「萩句会」選句。あと16人、店にて忘年会。会員の林さんと検事のさくらさん。21時半閉める。

12月19日(水)
若井新一さんより「若狭」主宰・遠藤若狭男さん逝去と。昭和22年生まれ。その昔「塔の会」入会の同期。結婚される折、柏のマンションの売却と今のマンションの購入の世話をした縁あり。衝撃を受ける。店「雛句会」11人。「三水会」6人。「江戸城天守を再建する会」の方々4人など。あと大塚凱君、大野田さんと餃子屋。

12月20日(木)
店、天野小石さん骨折につき、太田うさぎさん登板。山田真砂年さん、寺澤一雄さん。22時、閉めてまた昨日に続き餃子屋四人。

12月21日(金)
午前中で2月号の選句全て終了。いやいや彗星集はまだ。発行所「蔦句会」選句へ。あと10人店へ。水内慶太さん「すし屋の弥助」の鯖寿司土産に来て下さる。慶太さん25日に京都にいるとのことにて、祇園の「米」にて落ち合うことに。

 12月22日(土)
6時起。8時40分の品川発新幹線に乗車。近鉄を乗り継いで飛鳥。タクシーでキトラ古墳へ。徒歩の先陣を追う。雨上がりの曇天。歩いて高松塚古墳。これも初めての訪問。飛鳥駅に戻り、バスにて石舞台古墳。宿泊は「飛鳥の宿 祝戸荘」。18時、夕食。飛鳥鍋が実にうまい。白菜、菊菜が何とも。あとおじや。20時から5句出し句会。雑木越しに見る月が美しい。

12月23日(日)
5時、暗闇の中、懐中電灯を灯して飛鳥川沿いの稲淵へ。雄綱、南淵請安碑などを暗い中で見る。戻って朝食。8時半、徒歩にて飛鳥散策へ。先ず橘寺。酒船石、飛鳥寺。甘樫の丘にて吉村征子さん差し入れの柿の葉寿司。酒井多加子さんの干芋で昼食。三山はもとより、二上山、葛城、金剛が美しい眺望。14時過ぎ、近鉄奈良。興福寺の再建なった中金堂を拝観。結局20キロ位歩いたか。「ホテルフジタ奈良」に入り休憩。作句。17時、「蔵」へ.朝妻力さん等も加わり30人位。茨木和生先生から鮒ずし、焼酎、力さんからうぐいのすしの差し入れあり。5句出し句会。あと3句出し句会。料理いずれも佳し。特に最後の鯖寿司は極上!

12月24日(月)
5時起、恒例の春日大社参詣は休み、ゆっくり風呂。朝食はホテルのレストラン。茶粥など。8時、バスにて恭仁京跡、海住山寺。恭仁京跡ではボランティアの方に誘われ近くの会館でビデオを見せていただく。蟹満寺、酬恩庵一休寺は、22、3歳の頃訪問以来。15時過ぎ、京都駅にて解散。大野田井蛙さんと烏丸四条のホテルへ。17時、「味どころしん」和田ちゃん、悦子(京都造形芸術大教授、画家)と落ち合う。ぐじ、のどくろ、刺身、万願寺、雲子……あと鴨川沿いのバー。更に三条の「京都サンボア」、ラーメンと……。

 12月25日(火)
8時半、「タカギコーヒー烏丸店」にてリッチモーニングセット。9時半、銀閣寺横から大文字火床へ登る。京の町を眺望する。そこで知り合った毎週のように登っているという地元の方の案内で山頂へ。更に俊寛僧都の鹿ヶ谷の密談の山荘跡へ案内してもらう。山の中腹にて本当にこんな所で? と思うが碑も建っている。山全体、台風の被害で倒木だらけ。南禅寺横に降りて「奥丹 南禅寺店」で湯豆腐の昼食。あと琵琶湖疏水とインクライン跡を歩く。日向大神宮で外宮、内宮を参拝し、遥拝所へ。ここに伊勢神宮と京都御所を一直線に結ぶ鳥居あり。17時、千本中立売の居酒屋「神馬」へ。和田ちゃんと落ち合う。よこわ、ふぐ皮、雲子、車海老、諸子……。ともかくどれも見事! あと西陣京極の「鳥どり」に行くと、何と二週間前に女将さん逝去と。焼香させてもらう。20時半、祇園「米」。水内慶太、麻里伊、十朗さんと落ち合う。先週、京都に行くと聞き、会う約束をしたもの。舞子あがりの米さん90歳。

12月26日(水)
二日酔い。8時半、ホテルのレストランで朝食。9時半、慶太さん一派と真如堂の去来の墓。会津藩士の墓、金戒光明寺を散策。正午、聖護院の「河道屋養老」にて養老鍋。15時半の新幹線に乗り、4泊5日の旅を終える。

12月27日(木)
家族はスキー旅行へ。店、伊那北高校後輩、講談社学芸クリエイト社長の林辺さん。岩波書店部長の馬場さん来店。全体閑散。

 12月28日(金)
本年営業最終日。武田編集長の声掛けで「銀漢」の仲間20人ほどが集合。食べ物なども持ち寄って下さる。最終日賑やかに終わる。有志は二階で〆の句会。

12月29日(土)、30日(日)
2月号の原稿執筆。庭でからすみ干し始める。十一腹。夜中、家族戻った様子。
 
 12月31日(月)
彗星集書いて、2月号の原稿終了。3月号のエッセイ。本に埋もれた部屋の清掃。18時過ぎ、家族揃いお年取りの宴。愛媛から取り寄せた河豚刺、河豚鍋、鰭酒。宮澤の知人からおせちの重が二カ所から到来とて大晦日ながら一つ開く。紅白歌合戦など。

1月

 1月1日(火)
買い物に出て成城駅南口あたりから初富士を拝す。昼に新年の挨拶、屠蘇、ヴーヴクリコ、おせち料理、雑煮、からすみなど。1日、部屋の清掃。おびただしい書物。夜すきやき。年賀状沢山戴くが多忙と気力の点で年賀状の作成怠ったため返信できず。さて、どうするか……。

 1月2日(水)
飯田子貢さん句集第二稿確認し返送。昼から酒盛り。喜多見の氷川神社に初詣。17時、杏さん一家来宅。新年会。大人5人、孫7人揃う。店の客の高部さんから届いた玄界灘の一本釣りの鰤捌き、刺身、鰤しゃぶ、てり焼、カマ焼、鰤大根、最後雑炊と全部食べ尽くす。

1月3日(木)
早朝から家族はスキー旅行に旅立。誘われたが私はもうスキーは卒業。7時頃家を出て茨城県の古河へ。鎌倉から移った古河公方の地にて、一度訪ねてみたかったもの。古河公方館跡、永井路子旧宅などを散策。長谷寺は正月の祈祷客で溢れんばかり。甘酒をいただく。かれこれ3時間以上散策。駅の喫茶店で一休み、昼食。名物の鮒の甘露煮を少々買う。帰路の車中で大野田さんにメールを入れると沿線に住んでいるので大宮で会おうと。大宮駅前の酒場「いづみや」で新年の乾杯。もう一軒。

 1月4日(金)
「俳句αあるふぁ」、一句一菜の連載、今年の料理12品目を編集部に送る。「新年俳句大会」用の色紙、短冊など沢山書く。書初め。終日家。テレビなど見て過ごす。

 1月5日(土)
昼、八王 子市別所の兄の家。開業医を引退し、日本蜜蜂を飼ったり、野菜を作ったり、烏骨鶏を飼ったりしている。養蜂の教えを乞いたいと頼まれていた野村證券OBの川畑保さんと落ち合う。手製の料理の数々、鴨鍋などで宴会となる。15時過ぎ、辞し、17時、太田うさぎさんの家へ。「銀漢亭」つながりの面々17、8名で新年会。既に酔っぱらっている人も。各々料理持ち寄りでテーブルは溢れんばかり。森羽久衣さんの能登のかぶら寿しが私には絶品! 最後の芹うどんを作る。酩酊の1日。















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2019年3月21日撮影    ミモザカシア        from HACHIOJI





花言葉    「秘密の恋」「友情」

△ミモザカシア
ミモザはアカシア属の花木です。アカシア属は、世界中に600種類ほど自生しています。多くは、黄色や淡黄色の細長いおしべが放射状に広がった、ポンポンのような球形の花が咲きます。
山茱萸 節分草 小貝母 クロッカス
白木蓮 姫踊り子草 ミモザアカシア
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2018/3/24 更新


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