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5月号 2013年

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伊藤伊那男作品

 雛荒し         伊藤伊那男

 牡丹雪桜田門のあたりより
 鶴翼のやがて魚鱗に山焼く火
 本丸を出て二の丸へあたたかし
 吾ならば車夫であるらむ雛飾る
 雛荒しとぞ丸刈りの子が二人
   鶴川七畳小屋跡
 桂郎の亀鳴くころを鶴川へ
   武相荘
 遺言の二行といふもあたたかし
 下萌の頃の近江や仏見に



 
  
   









今月の目次











 銀漢俳句会・5月号










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

 「俳句&あるふぁ」に「俳句が生まれる現場」というカラー版7頁の企画があり、その6・7月号(隔月発行)に私の番が廻ってきた。好きな吟行地を歩き、作句しながら俳句観などを語るというもので、やはり私のホームグラウンドの一つ、鎌倉を選んだ。折角行くのであるから、まだ私が歩いていないところをと思い、朝夷奈切通しを歩くこととした。鎌倉という三方を山に囲まれた竈のような地形に入るために、七口と呼ばれる切通しが造られた。文字通り山を掘削した人口の道である。その中で最も往古の雰囲気を残しているのがこの朝夷奈切通しと言われているのである。
 当日、担当記者の赤田女史、カメラマンの野澤さんと鎌倉駅に待合せ、タクシーで鎌倉霊園の横を通り、一旦横浜市側の金沢区六浦口へ廻り、そこから改めて徒歩で鎌倉へ入り直す行程をとった。切通しの道はぬかるんでおり、磨崖仏などのある切り立った側壁は20メートルほどもあるかと思われる高さで、見上げる空は狭い。歩くにつれて歴史を遡っていくような感覚を持ったものである。結局、得心のいく俳句はできなかったけれど……。
 鎌倉時代は約140年間あったが、その内源家三代が生きていたのは僅か30年ほどで、あとは北条執権時代である。この時代の不可解さは、例えば教科書にも出てくる征夷大将軍源頼朝も、頼家も、実朝も、実はその墓がどこにあるのかさえ不明なことである。墓と言われるものがあることはあるが、いずれも伝頼朝、伝実朝……、頼家に至っては死に様も明確にされていないが、修善寺という限定的地域で考えると、その墓には信憑性があるかもしれない。そんなことを思いつつ鎌倉の道を辿った。
 さて吟行の心構えのことである。何度も書いているが、私はその土地について、できる限り歴史や文学、民俗行事などを調べ、親しんでおいた方がいいと思っている。一方で作句上固定観念に捕らわれてしまう弊害がある、という人もいるが……。
 この3月末に結社の金沢文庫吟行会がある。幹事から、清記作業をしている幕間つなぎに私に何か喋れと言われている。それで改めて源家三代の系図を抜き書きして、各々の末路を辿ってみた。詳細不明者もいるが、私の知る限り、頼朝の兄弟から、その孫までの男子の係累、20名弱の中で、天寿を全うしたと思われるのは、何と唯一人であった。その人物は、浮気性の頼朝の庶子で、嫉妬深い北条政子に殺害されることを恐れて京都で僧になり、後に高野山に入った貞暁享年46六歳。吟行の前にこんなことを調べて頭の体操をし、意識を高めるのも、私の作句法である



  


 



  




盤水俳句・今月の一句


伊藤伊那男

 
柏餅おのづと皿に葉を開く     皆川盤水

端午の節句に供される柏餅。空気が乾燥しているためか、皿に置いた柏の葉が剝がれてこわばっていく。こんな風景は誰もが目にしていることだ。先生は書き物をしていたのか句を作っていたのか、目を皿に戻して、おや、まだ手をつけていなかった筈なのだが……と首を捻る。そんな様子が偲ばれる。桜餅や椿餅では葉がひらくことはなく、柏餅ならではの表現である。さて先生は小豆餡と味噌餡と、どちらが好きであったのか……。
                               (平成13年作『山海抄』所収)
 


 




  



 

彗星集作品抄


伊藤伊那男選

 引き出しに明日は明日はと花の種    影山 風子
 竿に浮く日の出が合図若布刈      小野寺清人
 千手もて春をあやつる観世音      谷口いづみ
 道わたる人みな春の歩幅にて      戸矢 一斗
 伎芸天の深まなざしへ春の雪      大溝 妙子
 自づから瞬く力犬ふぐり        屋内 松山
 春炬燵図鑑に照らす鳥の影       我部 敬子
 鷹鳩と化し神鶏の餌つつく       飯田眞理子
 起き上り小法師つつき春を待つ     多田 美記
 てのひらに載せて傾くこけし雛     坂口 晴子
 城絵図に地震覚書底冷えす       五十嵐京子
 球蹴る子塾に通ふ子日脚伸ぶ      中野 智子
 俳諧寺雪解しづくの楽なせり      唐沢 静男
 沈み行く銅貨の揺れや水温む      飯田 子貢
 せせらぎを出てせせらぎへ雛の列    南藤 和義
 綿入を二人羽織のやうに着る      川島秋葉男
 絵踏帳めくれば風の音したる      坂口 晴子
 一渦に菠薐草の茹であがる       堀切 克洋
 あんぱんの臍がももいろ春隣      笠原 裕子
 悴みし手を手でつつむ園帰り      鏡山千恵子

 
















彗星集 選評 伊藤伊那男


引き出しに明日は明日はと花の種   影山 風子

普通の作り方であれば、「明日蒔くための花の種」とかのように作者を主人公にして詠むのであろう。ところがこの句「明日は明日は」と言う主人公は、どうやら花の種のようである。種袋を振ると「早く蒔いてください、春ですよ。」と催促しているように思えたのだ。「明日は明日は」というリフレインが効いている。自在の発想。 
  
竿に浮く日の出が合図若布刈     小野寺清人
普通の作り方であれば、「明日蒔くための花の種」とかのように作者を主人公にして詠むのであろう。ところがこの句「明日は明日は」と言う主人公は、どうやら花の種のようである。種袋を振ると「早く蒔いてください、春ですよ。」と催促しているように思えたのだ。「明日は明日は」というリフレインが効いている。自在の発想。
  
千手もて春をあやつる観世音     谷口いづみ
千手観音とは千の慈手、慈眼を備えてあまねく衆生を救済するという。仏像の手には様々な道具類が載せられている。この句では、この瞬間は、千本の手全部が「春」をあやつるために使われている、というのである。豊かな想像力である。千手・観音を「もて」で割った面白さ。
  
道わたる人みな春の歩幅にて     戸矢 一斗
春の喜びが身体一杯に表現されている句である。寒い時期は俯き加減に小走りに歩いているものだ。春は、といえば街路樹の芽吹きや、綿雲などを見上げ、胸を張って悠然と信号を渡る。そういう、季節による人の行動を具体的に捉えているのである。「春の歩幅」という表現は発見だ。

  
伎芸天の深まなざしへ春の雪     大溝 妙子
奈良、秋篠寺の伎芸天であろう。細見綾子が〈女身仏春剝落のつづきをり〉と詠んだあの伎芸天か。同時期の綾子に〈秋篠へ夕畦焼の火に追はれ〉〈雪止んで日ざしを給ふ伎芸天〉がある。その折も春の雪があったようだ。さて掲出句、「深まなざし」に抒情が濃い。壁面のやや高い位置にいるこの仏像の特徴をよく捉えているようだ。雪明りが窓から差し込んでいるのであろう。

  
自づから瞬く力犬ふぐり       屋内 松山
何やらかわいそうな名前が付いてしまったこの花だが、よく見れば実に美しい。群落になっている風景は星空が地に降りたようでもある。そんな様子を「瞬く」と見たのである。星は自力では光を発しないが、犬ふぐりは自ずから光を発していると見たのである。雑草の生命力を捉えて出色。


  
春炬燵図鑑に照らす鳥の影      我部 敬子
肌寒いとはいえ鳥の動きは俊敏に。微妙な季感を捉えた。

  
鷹鳩と化し神鶏の餌つつく      飯田眞理子
空想的な季語を「餌つつく」と具体化した巧みさ。

  
起き上り小法師つつき春を待つ    多田 美記
待春の情がよく出ている。そこはかとないユーモアも。

  
てのひらに載せて傾くこけし雛    坂口 晴子
 腰高な雛なのであろう。その不安定さを詠み取った。
  
城絵図に地震覚書底冷えす      五十嵐京子
地震、火災、戦禍----。一つの城にも底冷する歴史が。

  
球蹴る子塾に通ふ子日脚伸ぶ     中野 智子
今日的な子供の生活を詠み取った。季節の動きは不変。


  
俳諧寺雪解しづくの楽なせり     唐沢 静男
信州柏原の俳諧寺。雪解雫は一茶への鎮魂の音楽か。

  
沈み行く銅貨の揺れや水温む     飯田 子貢
池に沈める賽銭か。沈み具合に春到来を感じ取った。


  
せせらぎを出てせせらぎへ雛の列   南藤 和義
流し雛が次のせせらぎに乗る。まだ列を崩していない。


  
綿入を二人羽織のやうに着る     川島秋葉男
綿入とは確かにこんな感じ。ユーモア精神がいい。

  
絵踏帳めくれば風の音したる     坂口晴子
絵踏の記録帳なのであろうか。「風の音」に悲話が----。

  
一渦に菠薐草の茹であがる      堀切克洋
最近の菠薐草は柔かい。「一渦」の把握が的確だ。
 
  
あんぱんの臍がももいろ春隣     笠原裕子
この「ももいろ」は塩漬の桜の花か。春は間近に。

  
悴みし手を手でつつむ園帰り     鏡山千恵子
幼子の悴んだ手を母の手が包む。温かな句だ
  






        







銀河集品抄

伊藤伊那男選

雲に隙きざす越後に春を待つ       飯田眞理子
潮風の吹き抜けて行く梅見かな      池田 華風
春めくや一と雨ごとの藪のいろ      唐沢 静男
点さずに暮れ切るまでを春の夕      柴山つぐ子
一茶の目もて親しめる寒雀        杉阪 大和
海宮へ満ち来る波や初明り        武田 花果
たちまちのふるさと言葉彼岸寺      武田 禪次
水音は小鈴振るごと草氷柱        萩原 空木
又臥せの夢に目覚めり女正月       久重 凛子
待つ人の窓に灯のある寒夜かな      松川 洋酔
仲見世に春の雪掃く竹箒         三代川次郎
どんどの火一番星を焙り出す       屋内 松山









綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

伊豆に来て山焼の香をもらひけり     相田 惠子
護摩焚へ膝つめてゆく厄落し       有澤 志峯
寒鮒釣当りを一つ得て帰る        飯田 子貢
矢を放つ双手の張りに淑気満つ      五十嵐京子
磔像の緑青冴ゆることに釘        伊藤 庄平
郵便受気になり覗きゐて寒し       梅沢 フミ
寒燈のそれぞれにある温かさ       伊藤 政三
立春や傘の要らざる雨に遭ふ       大野 里詩
春愁を手放すやうに髪を切る       大溝 妙子
握手して中学受験の孫無言        大山かげもと
豆撒きや口重くなる年の数        小川 夏葉
もろもろの幸ひ祈り春の道        尾崎 尚子
このやうな雪があの日も気仙沼      小野寺清人
まづ一羽わがものの空燕来る       片山 一行
いつの世の山城跡か木の芽張る      加藤 恵介
節分の豆とぶ空の青さかな        我部 敬子
みてぐらの揺れの内なる初手水      川島秋葉男
母の炒る豆を嚙む夜よ福は内       北澤 一伯
一人居の恙なきやう七日粥        柊原 洋征
かまくらの出前の先を間違へる      朽木  直
天平の甍のあはひ野火走る        畔柳 海村
あたらしき手袋にある尖りかな      こしだまほ
海苔あぶる露地を夕日の通せんぼ     小滝  肇
すぐそこの灯台遠し水仙花        權守 勝一
くつつきしところ破れて鶯餅       阪口 晴子
今朝の雨梅の蕾も滴ほど         佐々木節子
罌粟咲けど午後はねむたき瞼かな     笹園 春雀
ぬつと出で雉の一歩の大きかり      島  織布
啓蟄の窓辺の鉢の中からも        島谷 高水
言ふことを聞かず出てゆく恋の猫     白濱 武子
初馬祭果て藁馬の屋根にあり       新谷 房子
寒晴や遠くとも富士確かにす       末永理恵子
かきあげのからりと揚がる寒の内     杉本アツ子
指折らば出づる七草すらすらと      鈴木てる緒
林道を来て真つ直ぐな初日受く      瀬戸 紀恵
寒餅を搗く賑やかな軒端かな       高橋アケミ
匂ひをも形見と思ふ冬帽子        高橋 透水
鳥のこゑ囲みてゐたる涅槃寺       武井まゆみ
訪れて水仙にほふひと間かな       武田 千津
綿入を借り信玄の隠し湯へ        多田 悦子
諸子煮る火の辻曲がり浮御堂       多田 美記
反古紙をも一度紙へ寒の水        田中 敬子
まだ父は強がりを言ふ初電話       谷岡 健彦
春の婚一点くもりなき空に        谷川佐和子
みちのくの百夜を寝ねず雪女郎      谷口いづみ
芽柳の風に遅れてたをやげり       塚本 一夫
梅ふふむ枝のたかみの御籤札       坪井 研治
春浅し床の間にあるランドセル      中野 智子
築地署に失せ物届く多喜二の忌      中村 孝哲
鬼やらひ闇を深むる父の声        中村 湖童
桜田門かの日のごとき雪残る       藤井 綋一
糸張れば百の手応へ百足凧        堀内 清瀬
下萌の土手を笑顔の転がりぬ       堀江 美州
風の道初風炉の間を開放つ        松浦 宗克
焼野はや交差してゐる獣道        松崎  正
大寒の風の匂ひの男来る         松代 展枝
立春や溺るるごとき浚渫船        宮内 孝子
踏絵あり主の沈黙と共にあり       無聞  齋
朝火事におどろきの耳そば立てる     村上 文惠
花咲くを待ちてこの寺また訪はな     村田 郁子
細枝の先の先まで日脚伸ぶ        村田 重子
放たれて一気に狩の犬となる       矢作 滄岳
その音を聞きたくて踏む霜柱       山田 康教
白魚の水の重さを掬ひけり        山元 正規
湯豆腐や浮沈の多き暮し向き       吉沢美佐枝
切岸に映る我が影日脚伸ぶ        脇  行雲















銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
   

春めくや一と雨ごとの藪のいろ     唐沢 静男
伊豆半島に定住した作者。農作業に励んでいるという。それだけに季節の変化には特に敏感なのであろう。枯れ藪の蕾が一雨ごとに育ち微妙な違いを見せるのである。地味な作風だが、まさに地に足の着いた、安定感のある句だ。最近流行の人事句とは一線を画した、覚悟を感じさせる。子規の〈あたゝかな雨がふるなり枯葎〉を想起する。

    

一茶の目もて親しめる寒雀       杉阪 大和
〈雀の子そこのけそこのけ御馬がとおる 一茶〉を踏まえた本歌取りの句である。俳句にはこうした作り方をする楽しみもある。雀の子ではあまりにも近すぎるので、季節を違えて「寒雀」にしたところがミソ。「一茶の目もて」の導入も技のあるところだ。  

  

たちまちのふるさと言葉彼岸寺     武田 禪次
作者は東京で育ったと聞くが、ルーツは愛媛県。三百年ほど続く過去帖があるという父祖の地が、この頃気になるという。彼岸に帰郷し、墓や屋敷の手入れをし、縁戚と話せば、たちまちに伊予の訛になっている自分に気付くのだ。故里を離れてしまった私には胸に響く句だ。

  

絵踏あり主の沈黙と共にあり      無聞  齋
主に長崎などで行われた「絵踏」。春の行事であったという。踏まれて摩滅した絵踏板なども残っている。この句は遠藤周作の小説『沈黙』の題材を交えているのかもしれないが、それは忘れてもいい。キリストもマリアも踏まれても踏まれても無言。一歩深く季語に踏み込んだ句。


  

寒鮒釣当りを一つ得て帰る       飯田 子貢
動きの鈍い季節であるだけに寒鮒釣は難しいという。寒い中じっと水面と指先に精神を集中しているのであるから大変。私はやりたくないな。この句終日座り続けて、釣果は、というと、当りが一つだけだったという。しかし句からは、その当りを得ただけで満足の感があり、そこがいい。 

 

握手して中学受験の孫無言       大山かげもと
私も孫の小学校受験の結果発表を見に行ったことがあるが、気持ちは千々乱れるものだ。この句、受験に赴く孫を送る作者がもう何も言う事はなく、握手に万感の思いを籠めるのである。孫も無言で握り返す。家族の機微と絆。

 

このやうな雪があの日も気仙沼     小野寺清人
どんな句を作っても勝手なのだが、私はこのような句は誰が作ってもいい、とは思わない。気仙沼の生家を失った人の句であるだけに得心がいくのだ。俳句は一人歩きしていくものというが、本当にそうだろうか。作者の名前が前書きだと私は思う。「いのちのうた」であるからには------。


 

天平の甍のあはひ野火走る       畔柳 海村
何とも構図の美しい句である。若草山の山焼を背景にしているのかもしれないし、薬師寺あたりの畦焼かもしれない。甍の間から野を走る炎がちらつく。古色の伽藍の間に覗く野火とは何とも壮麗である。「あはひ」は「間」なのだが、この措辞の使い方が実に的確である。品格の高さ。


  

くつつきしところ破れて鶯餅      坂口 晴子
さんざん詠まれてきた季語だが、まだまだ詠まれていない発見があるのだなと思う。いくつか買ってきた鶯餅、途中で傾いたのかもしれない。そっと剝がすのだが破れて餡が覗いてしまう。一物仕立で、鶯餅のやわらかさや重量感をしっかりと    捉えているのである。



  

啓蟄の窓辺の鉢の中からも       島谷 高水
 家の中に置いた植木鉢の中も啓蟄を迎えたという。「啓蟄」ひらの季語は「仲春の月、蟄虫みな動き、戸を啓きて始めて出づ」からきている。現実に虫が出てくると詠んでもいいし、その頃の季感として詠んでもよい。この句も両方に読み取れるところが味わいだ。植木鉢の啓蟄は類例がない。


  

放たれて一気に狩の犬となる      矢作 滄岳
くつろいでいた犬が、網を解かれた途端に猟犬としての顔と動きに変貌したという。「一気に」の措辞で、一匹の犬の挙動の激変を摑んだところが見事である。

  その他印象深かった句を次に
  

みてぐらの揺れの内なる初手水     川島秋葉男
ぬつと出て雉の一歩の大きかり     島  織布
寒餅を搗く賑やかな軒端かな      高橋アケミ
糸張れば百の手応へ百足凧       堀内 清瀬
下萌の土手を笑顔の転がりぬ      堀江 美州
湯豆腐や浮沈の多き暮し向き      吉沢美佐枝


 






 




星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

言の葉のかたちに動くマスクかな     森濱 直之
ままごとの客人となり春を待つ      榎本 陽子
会釈され会釈大きく四温晴        笠原 祐子
本棚が床の間となり福寿草        影山 風子
ポップコーンてんでに弾け春を待つ    本庄 康代
別れ住む子の部屋にまづ豆を撒く     鏡山千恵子
河豚食ふや官官接待ありし街       堀切 克洋
大空の端をつかみてスケートす      福田  泉
水仙の日の片縒りか葉の捩れ       山田 鯉公
歳月の地を這ふごとき梅古木       大住 光汪
夫の髪切つて七日の日向かな       原田さがみ
春立つや光まみれの鍛冶の土間      中村 紘子
地球儀の海あたたかに日脚伸ぶ      中島 凌雲
障子戸の合はせきれない隙間かな     清水佳壽美
春来たる郵便受を開けてより       武田真理子
裾分けの熊肉に毛の残りけり       飯田 康酔
雪解野や田窪に風の吹き溜まる      大野田好記
味噌にしてやらうか蕗のしゆうとめを   桂  信子
ためらひの跡とも見えし御神渡り     島谷  操
鶯の声のまぎれし三面鏡         湯川 漁太

鞦韆を揺らして富士を眺めたり      秋元 孝之
竜の玉昭和の夢の夢のまま        穴田ひろし
程々に家事を捌きて女正月        荒木 万寿
山峡の村の静けさ雪解光         有賀 稲香
竹筒を伝ふ寒九の水の音         市毛 唯朗
声の皆違ふ夜明の寒鴉          伊藤 菅乃
千代紙の綺羅に触れゐる春隣       上田  裕
押し出せし湯たんぽまたも引き寄する   大木 邦絵
対岸と火柱競ふ浜とんど         大西 真一
裏庭のわづかに覗く雪間かな       岡村妃呂子
梅開花待たずに母は旅立てり       小坂 誠子
金比羅の石段昇る春一番         尾崎  幹
節分や濡るるばかりの夜の闇       小沢 銈三
みどりごの深き睡りや冬木の芽      小田島 渚
椿餅ちいさき幸を感じつつ        桂  説子
赤き根のところに甘味はうれん草     金井 硯児
はうれん草蒲柳の質も永らへり      上條 雅代
寒晴の富士眺むるを日課とす       亀田 正則
白味噌も澄ましも作り雑煮汁       鴨脚 恵美
紅梅の盆栽のままを生きてをり      唐沢 冬朱
肱つけば匂ふ菫の山路かな        北浦 正弘
白魚の折り重なりてなほ白し       熊取美智子
年の豆三度に食べてまだ余る       来嶋 清子
ピアノ弾く指の先にも春近し       黒岩 清女
陶の雛なつかしみ手に温めゐる      小林 雅子
カーテンに鳥影動く寒の明け       阪井 忠太
搔き寄せし雪のあをさや朝の庭      桜井美津江
遠浅間雲割つて差す春日かな       佐々木終吉
税申告久に会ふ人覚えをり        佐藤かずえ
冬花火浅間山に響き吸はれけり      佐藤さゆり
永き日のショーウィンドーに我の顔    三溝 恵子
氏神のちぎれし紙垂や冴返る       志村 昌也
放り込む度に荒ぶる磯どんど       鈴木 淳子
ふるさとや真珠のやうな春の星      鈴木 照明
音絶えて障子明るき雪の朝        鈴木踏青子
縄跳のきざむ音聞く昼下り        角 佐穂子
水洟のあとそのままの子の笑顔      住山 春人
鶯餅そろりそろりとつかみける      曽谷 晴子
山笑ふ母住む町の見えて来し       髙橋 双葉
泣き声も写つてゐるよ初写真       滝沢 咲秀
紙風船想ひ出の中ふくらまし       竹本 治美
のど飴のゆつくり溶ける余寒かな     田中沙波子
人々の思ひの数や初詣          田中 寿徳
鳥の巣の顕になりて冬木立        多丸 朝子
落葉掃く修行の僧に又落葉        民永 君子
部屋に置く運動器具や春近し       近松 光栄
水仙の葛城古道香と歩む         津田  卓
風運ぶ香りがたより松露搔き       徳永 和美
節分は近所に負けぬ声で撒き       富岡 霧中
ちくわぶののそりと寝たり春隣      戸矢 一斗
草の芽に覚えのありぬ花の色       中村 貞代
北帰行瓢湖の春は未だ浅き        南藤 和義
凍解や足跡多き滑り台          西原  舞
動かねば石とまがひし残り鴨       沼田 有希
白魚の黒目忙しく桶の底         萩野 清司
外に出よ千の素振りの寒稽古       橋本  泰
立春や日射しの歩み座敷まで       長谷川千何子
重ね着の数言ひ合ひて稽古場へ      花上 佐都
方方に伸ぶるすはえや梅早し       播广 義春
鳶の輪の高く小さく春浅し        福永 新祇
飛び石は女の歩幅落椿          保谷 政孝
何げなき言葉が棘となる冬野       松下美代子
鞦韆の振子となりて風を受く       松田  茂
うらうらと凡なることのいとほしく    松村 郁子
天神へ二礼二拍手鳥交る         村上 敏和
歯刷子の毛先伝ふる余寒かな       森 羽久衣
ここかしこ肩を寄せ合ふ福寿草      家治 祥夫
掛け声の絡まりあひて寒稽古       山口 輝久
旅の宿殻まじりたる牡蠣の飯       山﨑ちづ子
蟇目矢の響きて病鬼やらひかな      山下 美佐
よもすがら氷柱を磨く風の声       山田  礁
香煙の包む祈る手針供養         結城  爽
食卓に春のいろどりあざやかに      吉田みどり
仲良しの孫と私の春の風邪        吉田 葉子
寂しき日母の手編のセータ着る      和歌山要子
また増ゆる芭蕉生家の目貼かな      渡辺 花穂
ひこばえに力もらひて又歩む       渡辺 文子

















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

 
言の葉のかたちに動くマスクかな    森濱 直之
マスクという季語をよく観察した一物仕立の句である。喋っている唇の動きに合わせてマスクももぞもぞと動くのだが、それを「言の葉のかたち」と詩に昇華したのである。同時出す句の〈いつぱいに蜜柑の薫定期船〉〈くつきりと山のかたちに山を焼く〉なども、難しい言葉を一切使わず瑣末にこだわらず、伸び伸びと詠んでいるところがいい。


ままごとの客人となり春を待つ     榎本 陽子
子育て中の作者であるだけに実感の籠った句だ。だんだん知恵の付いてきた子供は、いつもと違って母親を客人扱いして、ままごとの席に呼ぶ。母も「お邪魔します」などと言って加わるのだ。「春を待つ」の季語の斡旋が的確で、親子の明るさ、子育ての喜びが溢れている。おおらかな作風で、読み手をも幸せな気持にさせてくれる句だ。

  
会釈され会釈大きく四温晴       笠原 祐子
寒さが三日続くと次の四日は暖かいという気象現象で、冬の季語。一歩下って二歩進むという感じの待春の心である。句は会釈を受けて、それよりも大きな会釈を返したという。これも三寒四温に合わせて強弱のコントラストを組み合わせて、さりげない技を見せた句である。同時出句の〈勾玉を預け古墳の山眠る〉も「預け」の措辞が見事。

  
本棚が床の間となり福寿草       影山 風子
都会生活の一断面が詠み取られた句だ。床の間のない部屋なので、本棚の一部を片つけて福寿草の鉢を飾る。こうした日常生活の中の小さな喜びを詠み取るのが俳句の一方法。同時出句の〈歳時記に具足餅とて供へけり〉は歳時記
を甲冑に見立てた、俳句に対する作者の思い。〈秒針の刻刻刻と雪の宿〉も音と文字の組合せの妙。


  
ポップコーンてんでに弾け春を待つ   本庄 康代
天真爛漫な句である。私など、さんざん俳句を作ってきたが、そもそもポップコーンを題材に句を作ろうと思ったことがない。私からみたら無味乾燥とも思える素材でこういう奔放な句になるところが面白い。「てんでに弾け」に人間世界の暗喩のようなものが感じられるのだ。


  
別れ住む子の部屋にまづ豆を撒く    鏡山千恵子
最近ますます涙もろくなった私は、こういう句を見るともう涙腺が緩んでしまうのである。親子の絆はこういうところにあるのだなと思う。無償の愛ということであろうか、母の愛は永遠です。「まづ」がいいのだ。


  
大空の端をつかみてスケートす     福田  泉
「スケートす」と動詞化した句は初めて目にしたように思う。そこもユニークだが、「大空の端をつかみて」の措辞がスケートとぴったり合っているのである。初心者のスケートはおおむね腰が定まらず、摑むもののないまま転倒する。その様子が如実。「大空の端」の把握がいい。

  
障子戸の合はせきれない隙間かな    清水佳壽美
 うーん、よく物を見ている句だなと思う。古くなったためか、雪の重みか、障子戸に歪みが出て、隙間ができる。そこから冷たい風が入るので、さんざん動かしてみるが、どうしても駄目。そんな作者の苦闘振りが、読み手側から見ると面白いのである。一所懸命な動作の呼ぶ笑い。

  
春来たる郵便受を開けてより      武田真理子
瑞々しい若さの発露のある句だ。郵便受けには何が入っていたのか?合格通知か、恋人から、あるいは父母からの手紙か……読み手の体験から様々な想像を呼ぶ句である。
「春来たる」に季節の春と、幸せの時という二重の意味が籠っているのだ。「冬来たる」という天邪鬼もいそうだ。


  
裾分けの熊肉に毛の残りけり        飯田康酔
以前信州の友人が鹿肉を送ってきたときのことを思い出した。まさにこのようであった。肉屋から送ってきたのではなく猟友会のメンバーの素人仕事であるのか、その粗雑さに熊撃ちの臨場感が伝わってくるのである。
    その他印象深かった句を次に

河豚食ふや官官接待ありし街       堀切 克洋
水仙の日の片縒りか葉の捩れ       山田 鯉公
味噌にしてやらうか蕗のしゆうとめを   桂  信子
雪解野や田窪に風の吹き溜まる      大野田好記
ためらひの跡とも見えし御神渡り     島谷  操
掛け声の絡まりあひて寒稽古       山田 輝久
鶯の声のまぎれし三面鏡         湯川 漁太
春立つや光まみれの鍛冶の土間      中村 紘子


 










新連載 【伊那男俳句を読む】


    『銀漢の時代⑤』       伊藤伊那男

 銀漢の時代⑥       

 新しく始めた会社の大株主である不動産会社は、社長以下運動好きが多く、社長はトライアスロンもやるし、スキーの名手でもあった。そんなわけで転職直後から山梨県白根町の桃源郷マラソンやスキーツアーに誘われた。私は生来運動というものが大嫌いであったが、親会社との融和を計ることも必要かと思い参加した。桃源郷マラソンは十キロメートルを選んだが、それでも心臓が飛び出るかと思うほどであった。スキーは富良野、奥志賀、安比などに行ったが、祇園、柳橋のお姐さんも連れていくという豪華な旅であった。或る時は新日鉄釜石のラグビーで活躍した森さんも来て一緒に遊んだ。森さんは座談の名手で、寝惚けてトイレと間違えて冷蔵庫の下の野菜収納庫を引き出して坐り込み、翌朝夫人に叱りとばされたなどという話は抱腹絶倒であった。
 その後親しくなった親会社の先輩から登山に誘われ、次第に嵌っていった。その会の登山は月に二回あり、金曜日の夜十二時頃新宿駅西口に集まり、乗用車を交替で運転して山麓へ行く。早く着けば仮眠ができるが、夜明けと共に登攀し、下山後近くの温泉に浸り、その日の内に帰宅し、日曜日はごく普通に過ごす。日程上、山頂にタッチしてすぐ下山というようなハードな登山もあり、何も思い出せないような山もある。
 夏は南アルプスや東北の山々を何日かかけて縦走もした。東京近郊の丹沢などは脚力をつけるために一人でもよく登った。銀漢亭を開くまでの十数年間で、数えてみると百七十回位の登山記録が残っている。深田久弥の『日本百名山』も七十位を踏破している筈である。ただし体育会系のような登山グループだったので道々俳句などを作っている余裕はない。山岳俳人の岡田日郎先生(「山火」主宰)からは「伊那男さん、俳句が残っていなかったら、その山には登ったことにはならないのだよ」と諭されたものだ。
或る時「春耕」の先輩で、登山誌「岳人」の編集長も経験している山岳俳人の山田春生さんに誘われて、二人で北アルプスの唐松岳、五竜岳を目指したことがある。唐松山荘で暴風雨となり、丸一日停滞することとなった。暇を持て余した春生さんが、「では句会をしよう」と言う。「えっ、句会?だって二人しかいないじゃないですか」と言ってみたが、氏はもう句帳を開いているのである。標高三千メートルに近い、逃げ場のない山小屋で、十句出しの句会を結局三回やったのである。作者は瞬時に解ってしまうのだが……。
『銀漢』を繙いてみると、登山絡みの俳句は十句にも満たない。あれだけ登ったのに……。  
(平成二年)
  
  雷鳥の雛呼ぶこゑの風に飛ぶ
  雷鳥の雛列なして崖下りる
  河童忌の雨をあつしと思ひけり
  兜虫ひと足づつを剝がし捕る
  朱印所のときをり唸る扇風機
  鯉跳ねる二百十日の札所寺
  曲屋の上がり框の冬蝗
(平成三年)
 
  大仏の背山に出たる探梅行
  田遊の詰所に匂ふ醬油飯
  苗札の父の字の上なぞりけり
  剪定夫葡萄棚より顔を出す
  初蝶の観音堂に入りしまま
  桑解くや火を荒焚きの秩父人
  狛犬が一枚嚙めり竹落葉
  量り売るたびに実梅の零れけり
  止るとき片羽びらきの蛍かな
  人去つて影の濃くなる砂日傘
  夏スキー止る薄雪草の前
  月山の蟻の出てきし旅鞄
  地蔵盆路地より路地へ猫の影














 







銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円






吟行への旅へ出かけませんか・・・!














掲示板































第3回「銀漢賞」作品集













銀漢亭日録

伊藤伊那男

1月




1月19日(土)
青山梅窓院、妻の墓参り。十四時、「纏句会」。今回は太田うさぎ、天野小石さんの女性二名をゲスト。蕪と蟹のあんかけ、寒鰤の飴煮(兼題)、くえの野菜煮、握り。酒は「開運」。あとゲストを囲み「イタリア」でワイン、ピザなど。


1月20日(日)
昼から成城、桃子の家。妻、光代の八回忌(明日が忌日)を気楽な食事会で。義妹の五日市夫妻を呼ぶ。愛媛より河豚取寄せる。孫達があっという間に河豚刺二皿を平らげるのに驚き。一皿は隠す。


1月22日(火)
ひまわり館「萩句会」に選句。店、対馬さんはじめ「天為」の方々。麒麟君、明日入籍にて今日が独身最後の夜と。終って、対馬,小石、敦子さんと近所の店。


1月23日(水)
「銀漢」三月号の選句続く。店「月の匣」の水内慶太主宰一派。赤羽良剛さん四人。真砂年さん。志峯さんシャンパン。有史さんシャンパン。あと洋酔、展枝、敦子、堀切さん……餃子屋。



1月25日(金)
「金星句会」。杉阪大和さんの古稀祝いの会をしたいとて谷岡、堀切が杉阪さんと親しい俳人から祝いの句を集めてアルバムを作り贈る。何と70句。〈こきと首回せば飛騨の凍てゆるぶ〉ケーキ、シャンパン。他結社の方も駆けつけてくれる。


1月26日(土)
十三時より、全国家電会館にて「銀漢年次総会」。90人。15時、湯島天神にてお祓いを受けて新年会。賑やか。終って30人程が「銀漢亭」に来て歓談。22時過まで。


1月28日(月)
夜の内に雪が降る。2月号発行日。店「湯島句会」。出句百数人、出席36人。ニューヨークの中川手鞠、奈良の和田桃さん参加。


1月30日(水)
3月号原稿執筆終了。「春耕新年俳句大会」募集句の選句。選評。約千句あり。洋酔さんに送る。店「雛句会」7人。この会もだんだん賑やかに。


1月31日(木)
日本郵船より問合せの回答あり。叔父、やはり浅間丸に三等運転士として乗船し沈没と。「天為俳句会」の方々、発行所句会のあと七人。池田のりをさん朽木さん海外勤務の話……宗教の話など。閑散。

2月

2月1日(金)
福住家政婦紹介所、今日から中根さん。店、塩釜から照井翠さん。三カ月に一度の「白熱句会」。水内慶太、藤田直子、檜山哲彦さん。今回より「秋」主宰佐怒賀正美さん参加。(井上弘美、小暮陶句郎、小山徳夫さん休み)、居合わせた山田真砂年、照井翠さんにも選句に加わってもらう。


2月2日(土)
九時、整体。骨が軋むほど効く!散髪、買物。隣駅、高井戸「美しの湯」に半日身体をほぐす。




2月4日(月)
発行所「かささぎ」勉強会。日野草城と。あと12人店。皆川丈人さん盤水先生の句集10数冊届けて下さる。

2月5日(火)
「雲の峰」の岡田万壽美さんより実家で作っているという苺到来。元気な声を聞かせてくれる。発行所にて事業部、新年会の反省会。客少なし。松山、坪井、谷岡さんなど仲間内だけ。そこへ櫂未知子、高柳克弘、神野沙希さん来て賑やかに。


2月6日(水)
天気予報通り雪。久々カーテン開けて午前中雪を見て過す。発行所「きさらぎ」句会あと6人。「宙」句会あと七人。岐阜から出張で来京の堀江美州さんも参加。店の一つ隣に昨年1月中旬開店の飲食店、数日前からもう閉店。この町の商売は厳しい!


2月7日(木)
発行所「十六夜句会」あと六人店。蔵さん、宗一郎さん。「月の匣」水内、加茂、小山、水香さんなど。


2月8日(金)
午前中3月号の校正。発行所最終校正、編集会議。あと「大倉句会」終って11人店。K建設の米沢氏、久々来店。ついつい私も加わって3人で「白州」ほぼ一本空ける。本阿弥書店新年パーティーのあと、鳥居真里子、広渡敬雄、初子、松尾隆信、玲奈、清隆さんなどなど寄ってくれる。久々繁忙。


2月9日(土)
10時、運営委員会。2日酔。13時、「銀漢本部句会」50人。あと水道橋近くの中華料理店20人。2日酔のまま。


2月11日(月)
平成俳壇選句稿送る。桃子、杏子と多摩の兄の家へ。昼食、鰻丼、刺身など馳走になる。自作のからすみ喜んでくれる。夕方、堀ノ内駅近くの蕎麦屋「一澤」でも馳走になる。


2月12日(火)
買出しの荷が重い。選句をしていてついつい6駅程乗り過し戻る。「火の会」7人。今回から冬眞さん参加。「天為」編集部。一平、清人さんの気仙沼大島出身の方々。夜、雪となる。


2月13日(水)
11時半、「咸享酒家」。「梶の葉句会」の多田美記さん第2回銀漢賞受賞のお祝いの昼食会に招いていただく。仕込みのあと発行所。「梶の葉句会」の選句へ。店「ほかい人ー井月」の映画監督北村皆雄氏。氏は伊那北高校の先輩。その同期の井ノ口氏、NHKOBの某氏、後輩の馬場氏(岩波書店)、相子智恵、西村麒麟、三重子さんなど。井月つながりの方々の会。別に伊那北同期の加藤、大野田君(高遠句会)。阪西敦子さんパリから戻ったその足で。


2月14日(木)
麻里伊さん。小島健さん久々。福永新祇、伊藤庄平さん。屋内松山さんは以前の部下と。あと松山さん等と餃子屋。伊勢神宮の機関誌「瑞垣」に桜の七句送る。宮澤の写真と二頁のコラボ。


2月15日(金)
「野村句会」あと四人。橋本有史、芥ゆかり(天為)、阪西敦子(ホトトギス)の誕生会。小川洋(天為)さんが秋田のきりたんぽ鍋十五人分手配。小野寺清人さんが大量の馬刀貝、例のイカ焼で皆大喜び。シャンパンもポンポン!ざっと二十数名か。そこへ久々、居酒屋放浪記の吉田類さん、歌人の俵万智さんが(今、石垣島在住)。鳥居真里子(門)、川柳のやすみりえさんなど……。賑やか!


2月16日(土)
「纏句会」私の句10句開く。会として久々と。ただ…残る句があったかというと……?題の青柳とあさつきのぬた。鰆の照焼。ヤリイカ煮。酒は「東光」。あと握り。有便堂にて色紙、たとうなど買って渋谷。「福ちゃん」に寄り、まぐろ刺、うに、ふぐのつみれ汁で浅酌。どうしても一軒で終わらない私……。


2月17日(日)
高幡不動尊にて「春耕新年俳句大会」。快晴。盤水先生のお墓参り。参加者百三十名程の盛会。下北の畑中とほる、佐渡の山城やえ、佐野の島田ヤスさんなど久々。会えて嬉しい。ヤスさんから手製のしもつかれなどの土産いただく。あと増田屋の二階て二次会。「雲の峰」の朝妻力さん一派……。


2月18日(月)
山崎祐子さん仕事仲間と。高校同期の大住光汪、浜君。「天為」の編集部。あと 


















今月の季節の写真



201年5月18日撮影    アマリリス   TOKYO




花言葉   「誇り、内気、すばらしく美しい」




△血汐紅葉

2013/4/8撮影  鮮紅色に。


2013/4/8撮影


      2013年5月10日撮影  血汐紅葉 上部から若緑に。      
上部が随分青くなりました。





血汐紅葉は春の新芽時期と秋の紅葉時期は鮮紅色。
夏のシーズンは青葉に変わります。
色は上から下へと移り変わります。



花言葉    『節制』 『自制』 『大切な思い出』



3日~4日毎』に入れ替えていきす。

2013/5/4  更新
 
 


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