HOME 句会案内 バックナンバー  

2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号
   7月号  8月号  9月号  10月号  11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号
   7 月号  8月号  9月号  10月号  11月号  12月号
 2019年  1月号  2月号  3月号  4月号 5月号   

 6月号  2019年



伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
  彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄
  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  
星雲集・今月の秀句    伊那男俳句   銀漢の絵はがき 掲示板  
 銀漢日録  今月の写真 俳人協会賞受賞式 俳人協会四賞受賞式


伊藤伊那男作品

主宰の8句






        
             

 
          

今月の目次






銀漢俳句会/6月号














  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎俳句には「作者の名前」という前書きがある

 俳句は作者を離れて一人歩きをする文芸だという人がいる。短い詩型だけに、一句に作者の思想、心情を盛り込むことが難しいので、読者の想像が入り易いという面があることを私も認めないわけではない。だが私は、俳句は作者の名前という「前書き」のある文芸だと思っている。
 例えば松尾芭蕉に〈さまざまの事思ひ出す桜哉〉がある。何も知らないでこの句が句会に出句されたとしたら果たして点数を集める句になるであろうか。平凡な句としての評価に終わるのではないだろうか。そんなことを言うと、芭蕉ファンに叱られるかもしれないが、これが芭蕉の句であるということ、芭蕉の生涯を知っているからこそ感動を呼び、名句として残っているのである。
 その背景をかいつまんで言うと、芭蕉は伊賀上野の藤堂新七郎家の後継ぎ、蟬吟に仕え、共に俳句を学んだが、二十代半ばで蟬吟が逝去し、それを機に致仕し江戸に出た。それから二十数年を経て蟬吟の遺児が藩主となり、芭蕉は桜の宴に招かれた。亡くなった蟬吟と同じ年頃に成長した若君を見て昔日の日々のことが芭蕉の胸に甦る。そのような背景があるからこそ、この句が深い味わいを持ち続けて今日も人口に膾炙しているのである。
 以上は極端な例かもしれないが、俳句は作者の名前が前書きとしてある、ということを言いたかったのである。
 さて、最近の句集を見ると、作者の略歴欄に句歴しか載らなくなった。俳人協会の出版する『俳人協会会員名鑑』には平成六年版には学歴、職歴が載っていたのだが、以降の改訂版には句歴しか載っていない。それにはプライバシー保護の事情もあるのだが、本当に俳句を理解しようと思うなら、その作者がどの土地に生まれ育ち、どのような教育を受け、どんな仕事で生計を立てていたのかを知りたくなるものである。
 実際に作家論を書こうとしたら、そのような知識を頭に入れた上で、この句はこのような作者の境遇の中から生まれた句だ、というような論評をするのである。
 以上のような意味から、本当に自分の俳句を理解して貰いたかったら、句集の略歴欄には許容範囲でよいから、自分史を加えて貰いたいものだと思っているのである。私はそのような考えから『銀漢亭こぼれ噺──そして京都』を出版し、全部ではないが、自分の人生を人目に晒した。俳句という文芸は作者の名前──すなわちその作者の人生が前書きなのである














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

緑雨いま法悦として句碑開き       皆川 盤水

 先生の第五句碑〈月山に速力のある雲の峰〉の句碑開きには直前に仕事が入り欠席した。沛然とした雨の中で挙行されたと聞く。晴れ男の先生にしては珍事であるが「法悦として」と躱してしまうのであるから只者ではない。四十代から幾度も訪ねた出羽三山神社から南谷別院跡への参道に建立を許されたのは特別な感慨である。法悦は仏教用語だが、出羽三山は明治までは寺院であり、今も神仏混合の雰囲気を持つことからも納得できる措辞。
                (昭和六十三年作『随處』所収)
















彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

つうといふ名を殿に鶴帰る         中村 孝哲
変はる御代幾度その目に享保雛       末永理恵子
観潮の海より低き渦の芯          畔柳 海村
山鳥の啼き継ぐこれも卒業歌        堀切 克洋
ひらがなのうたをうたひぬひなまつり    有澤 志峯
箒目をここで終ひに落椿          山田  茜
校庭にいま背番号陽炎へり         矢野 安美
印度象の耳がとらへる涅槃西風       松代 展枝
山笑ふ靴の弾みをそこここに        萩原 空木
婚の子のピアノに残る春の塵        萩原 空木
電柱の無くなりし街初燕          坪井 研治
忘れじの黒き潮の震災忌          田中 敬子
蘆花の世に米磨きし川水温む        小池 天牛
巣燕のごとく父母呼ばひたし        中島 凌雲
座布団に糊の匂ひや彼岸寺         中野 智子
青空のあをに透けたる石鹸玉        山田  茜
鞄より砂の零るる啄木忌          杉阪 大和
蛇笏植ゑ龍太育てし木瓜の花        朽木  直
囀りや詠めよ詠めよと投句箱        中村 孝哲
初つばめ駅より長き列車着く        小山 蓮子












彗星集 選評 伊藤伊那男


伊藤伊那男

つうといふ名を殿に鶴帰る          中村 孝哲
「鶴の恩返し」のおつうの話を俳句に持ち込んだ秀作。もちろん全ては作者の頭の中での創作で、実景の中につうという鶴がいるわけではない。最後に帰る鶴をつうということにしたのである。この「殿に」(しんがり)が句の決め手。最後にというところに人間界への未練のようなものが読後に残る仕組みである。一編の物語を完成させた。 


  

変はる御代幾度その目に享保雛        末永理恵子
平成から令和へ変わるということをテーマにした句を沢山目にしているが、いい句は無かった。が、この句は残しておきたい句として目に止った。何と言っても「享保雛」の季語の斡旋が手柄。試しに年表で数えてみると、享保以降令和まで元号は二十五を数える。享保雛はそれだけの改元を見てきたのである。それがこの句の眼目。 


  

観潮の海より低き渦の芯           畔柳 海村
言われてみて、なるほど、と感心した句。渦巻きで、海面が海中に引き込まれるのであるから、物理現象としてはその通りなのである。〈滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半〉と同じ法則である。だが夜半の句もそうだが、この句もその当り前のことが、それまで詠まれてこなかった、というところがミソ。即ち発見なのである。 


  

山鳥の啼き継ぐこれも卒業歌         堀切 克洋
生徒の少ない山村の小学校の趣き。学校を取り巻く森から山鳥の声が聞こえてくる。卒業式を終えたあとも山鳥が啼きつぐ。いつもとは違うようにも聞こえるのか。人の生活と鳥獣の生活が近くにある懐しい句であった。 


  

ひらがなのうたをうたひぬひなまつり     有澤 志峯
全部の文字が平仮名で書かれ、内容も平仮名を主題にした面白い句だ。「ひらがなのうた」とは子供達が童謡を歌っているところを言うようだ。まだ漢字の読めない子供のために、平仮名で歌詞が書いてあるということでもあるかもしれない。雛祭にふさわしい句となった。 


  

箒目をここで終ひに落椿           山田  茜
枯山水の庭であろうか。波模様などの箒目をつけていくのだが、散った椿の風情はそのままにしておきたいので、途中で止める。季節の風姿を大事にする気持ちが籠められた作務であり、そこを詠み取った作者の気持も奥床しいのである。 


  

校庭にいま背番号陽炎へり          矢野 安美
陽炎の中の校庭。背番号と具体的に置いて印象深い。 


  

印度象の耳がとらへる涅槃西風        松代 展枝
印度象であることと涅槃の風との取合せのよさ。 


  

山笑ふ靴の弾みをそこここに         萩原 空木
春たけなわの季語に人間の心の弾みを合わせた。 


  

婚の子のピアノに残る春の塵         萩原 空木
子の残したピアノの蓋にうっすらと春の塵が……。 


  

電柱の無くなりし街初燕           坪井 研治
急速な都会の変貌には燕も驚く。どこに羽を休めるか。 


  

忘れじの黒き潮の震災忌           田中 敬子
目に焼き付いている黒い波。東日本大震災をも連想したか。 


  

蘆花の世に米磨きし川水温む         小池 天牛
当時の世田谷の生活がこのようであったか。季語がいい。 


  

巣燕のごとく父母呼ばひたし         中島 凌雲
幾つになっても父母は。燕に触発されて思いを新たに。 


  

座布団に糊の匂ひや彼岸寺          中野 智子
参拝客へのそこはかといない寺の配慮。感覚がいい。


  

青空のあをに透けたる石鹸玉         山田  茜
石鹸玉を一物仕立てで美しく描いた。青のリフレイン。 


  

鞄より砂の零るる啄木忌           杉阪 大和
『一握の砂』からの連想か。作者の鞄からも旅の砂が。 


  

蛇笏植ゑ龍太育てし木瓜の花         朽木  直
山廬の一景か。家の継承とその歳月を詠み止めた。 


  

囀りや詠めよ詠めよと投句箱         中村 孝哲
囀りに勧められる投句。上五は「が」「の」の方がいいか。 


  

初つばめ駅より長き列車着く         小山 蓮子
忘れられたような駅。それでも初燕が飛来した。 











     








銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

定年てふ歳にとまどふ鳥雲に      東京   飯田眞理子
母の髪知りたる針を祀りけり      静岡   唐沢 静男
鎌倉の鬼門の谷戸の紅椿        群馬   柴山つぐ子
田楽や串も豆腐も嵯峨づくし      東京   杉阪 大和
隣家と沈丁の香を分かち合ふ      東京   武田 花果
捨て雪の嵩も半ばに雨水かな      東京   武田 禪次
雪込めの子のこはしては積む積木    埼玉   多田 美記
身を引くといふこと知らぬ猫の恋    東京   谷岡 健彦
埋火の尽きたる灰や夕霧忌       神奈川  谷口いづみ
海鳴りを曇り硝子に牡蠣を食ふ     愛知   萩原 空木
浅春やふたたび渡る葛西橋       東京   久重 凜子
栄螺焼く遠くの海を噴きこぼし     東京   堀切 克洋
身離れのよき焼き具合蒸鰈       東京   松川 洋酔













         





綺羅星集作品抄

           伊藤伊那男・選

北窓開く百号ほどの八ヶ岳       埼玉  志村  昌
土手焼くや煙ほどには火の立たず    東京  小山 蓮子
世阿弥はも此処より佐渡へ蒸鰈     東京  朽木  直
青春はくすみし記憶啄木忌       神奈川 久坂依里子
出でし子の穴そのままに春炬燵     東京  川島秋葉男
どの嶺と酌みかはさうか井月忌     東京  我部 敬子
あいまいなところすばやく初点前    宮城  小田島 渚
春泥の光微塵や鳥の嘴         埼玉  池田 桐人
蕗の薹いつもの場所にある安堵     神奈川 有賀  理
蒼穹はわたつみに似て鳥帰る      東京  武井まゆみ
望遠鏡百円分の昼霞          神奈川 中野 堯司
人あまた乗せて若草山笑ふ       東京  堀内 清瀬
竹林を木管のごと初音かな       埼玉  渡辺 志水
釘抜きで開く北窓くぎ太し       千葉  森崎 森平
父母なくば帰らぬ故郷鳥雲に      東京  半田けい子
その中に亡き猫の毛も冬の塵      広島  長谷川明子
湯浴みして出でたるやうに春の月    茨城  中村 湖童

ひとり言聞く人もゐぬ春炬燵      東京  相田 惠子
早春の風をまとひて入院す       神奈川 秋元 孝之
物差しに残る名前や針供養       東京  有澤 志峯
蘆牙や切つ先かはす渡舟の櫓      東京  飯田 子貢
聖書読む島の春風繰るままに      埼玉  伊藤 庄平
春の日に炙り出されてゐる記憶     東京  伊藤 政三
鍬の刃を梳かす信濃の雪解風      神奈川 伊東  岬
護摩の火の千切れて空へ比良八荒    東京  今井  麦
剪定の木口するどく暮れにけり     東京  上田  裕
風突くと見えて蘆牙揺れゐたる     東京  宇志やまと
桃活けて百歳生きて元気なり      埼玉  梅沢 フミ
参道のぬかるんでゐる農具市      埼玉  大澤 静子
背筋より老いる微睡み春炬燵      東京  大住 光汪
剪定を要すこころの枝々も       東京  大沼まり子
佐保姫の表舞台へ急く気配       神奈川 大野 里詩
焔立つ甲斐一国の野焼かな       埼玉  大野田井蛙
春興やまづ機音のする方へ       東京  大溝 妙子
雛あられ灯に晴れやかな老の家     東京  大山かげもと
佐保姫の裾のかろやか野辺の風     東京  小川 夏葉
実朝忌波は烏帽子に似た岩へ      埼玉  小野寺清人
庭無くも心引かるる苗木市       神奈川 鏡山千恵子
雛の日の船場ことばの耳に安し     和歌山 笠原 祐子
ポルトにて
丘に立つ教会の塔初雀         東京  梶山かおり
おそらくは今朝の海馬の冴え返る    愛媛  片山 一行
蹴り入れる庫裡の杉戸や夕雉子     東京  桂  信子
風光るパントマイムで窓を拭く     高知  神村むつ代
諳んじて経読鳥の甲斐身延       長野  北澤 一伯
泳ぎゆく鴨の足蹴の葦の角       東京  柊原 洋征
七日かけ福豆やつと歳の数       東京  畔柳 海村
見えてゐる対岸遠し蘆の角       東京  小泉 良子
ありがたく豆に当たるや鬼やらひ    神奈川 こしだまほ
ふる里に失せて淋しきうこぎ垣     東京  小林 雅子
恋猫の声に火のつく大本山       長崎  坂口 晴子
波音に剪定の音からみけり       千葉  佐々木節子
代々の縁側の反り春の塵        長野  三溝 恵子
涅槃西風むずがゆさうに象の耳     東京  島  織布
恋猫の間合ひの半歩浮きしまま     東京  島谷 高水
五百羅漢人に紛るる梅の寺       兵庫  清水佳壽美
斜陽館の北窓開くごく細く       千葉  白井 飛露
壺焼の七厘は今灰神楽         東京  白濱 武子
下りて見て又上りては剪定す      東京  新谷 房子
東風吹かばいよよ華やぐ上七軒     大阪  末永理恵子
鳥雲に城に一豊立志伝         静岡  杉本アツ子
開帳の埃の匂ふ堂に入る        東京  鈴木 淳子
料峭や和毛吹かるる枝の先       東京  鈴木てる緒
踏青や胸張つて風に向はんと      東京  角 佐穂子
鳴かぬまま鳴かせぬままに鶯笛     東京  瀬戸 紀恵
春寒し置物めきし黒電話        神奈川 曽谷 晴子
空よりも空色らしき犬ふぐり      長野  高橋 初風
卒業生一人つきりの渡し舟       東京  高橋 透水
春雷や古書に真紅のしをり紐      東京  竹内 洋平
まつ先に雪解始まる大鳥居       東京  多田 悦子
いぬふぐり空のしづくがたどりつき   東京  田中 敬子
春寒やたたみ鰯の焦げ淡し       東京  塚本 一夫
口遊むさてもときかと蘆の角      東京  辻  隆夫
きりもなや雪解雫の一拍子       東京  坪井 研治
蛤の開きて上下定まりぬ        埼玉  戸矢 一斗
春の夢揺り起こさるる間にも      大阪  中島 凌雲
流氷に乗り来るものの羽撃けり     東京  中野 智子
一の橋二の橋つなぐ花筏        東京  中村 孝哲
だま出しの糸の端握り凧を揚ぐ     埼玉  中村 宗男
うららかや寝る子の睫透けるごと    東京  西原  舞
灯籠の辺にとどまりて孕鹿       東京  沼田 有希
津の国のはじめは水門葦の角      東京  橋野 幸彦
東京を恋ひ虚子を恋ふ久女の忌     神奈川 原田さがみ
音荒く僧の行ずる修二会かな      兵庫  播广 義春
いにしへも風音かくや菜飯食ぶ     東京  福永 新祇
風鐸の音にほぐるる牡丹の芽      東京  星野 淑子
梅二月水方円に随ひて         東京  保谷 政孝
蕗味噌の湿りや山河潤み初む      岐阜  堀江 美州
枝ぶりは怒髪のごとし臥龍梅      埼玉  夲庄 康代
主なき蜜柑の畑に花香る        東京  松浦 宗克
酒蔵に残る煙突鳥帰る         東京  松代 展枝
遠きほど確かな記憶おぼろ月      東京  宮内 孝子
霾や開拓団のいしぶみに        神奈川 宮本起代子
春星となりぬ日本のドナルド・キーン  千葉  無聞  齋
仰ぎ来し春や高野の大曼荼羅      東京  村上 文惠
主宰受賞を亡夫と共に
慶びを共に分かちし雨水の日      東京  村田 郁子
岬鼻に日は移り行く松の芯       東京  村田 重子
テーブルがピンポン台に春たのし    東京  森 羽久衣
鳥帰る日輪に影溶かしつつ       埼玉  森濱 直之
豆を撒く内弁慶の掛け声で       長野  守屋  明
東塔を点景として春夕焼        愛知  山口 輝久
水占の待ち人遅し春遅々と       東京  山下 美佐
地蔵の辺の草を払うて野を焼きぬ    群馬  山田  礁
砂嘴長き潮入川や蘆の角        東京  山元 正規
のどけしや母校のチャイム聞こえくる  愛媛  脇  行雲
卒業式故郷の山河ひかり満つ      東京  渡辺 花穂













     






         



銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

北窓開く百号ほどの八ヶ岳          志村  昌
蓼科あたりの別荘地であろうか。その窓一杯の八ヶ岳。閉じていた別荘を春の到来とともに訪ねる。閉め切っていた北窓を開けると八ヶ岳の雄姿がドン、と出現したのである。その大きさは窓の大きさであり、絵画にすれば百号ほどか……そこがこの句の俳諧味。 


土手焼くや煙ほどには火の立たず       小山 蓮子
よく「物」を見ている句だ。土手や畦は地に近く、水分を多く含んでいるので、くすぶって、煙ばかりが湧き上がる。燃えてはいるのだが煙しか見えない。そこを的確に捉えた写生の目が効いているので胸にすとんと落ちるのだ。 


世阿弥はも此処より佐渡へ蒸鰈        朽木  直
観阿弥の長男世阿弥は、足利義満の庇護を受けたが、義満没後は不遇となり晩年は佐渡に流された。新潟の小さな港での嘱目か、ここからあの大海を渡ったのか、と作者は感慨に耽る。蒸鰈は港で目にしたのか、宿の食卓に供されたものか、この季語で地霊を呼び込んで実感を深めるのだ。 


青春はくすみし記憶啄木忌          久坂衣里子
「くすみし記憶」は、時を経ておぼろな記憶になった、ということと、若さゆえの挫折や悩み――そのようなことがごちゃ混ぜになった措辞なのであろう。言われてみれば私にとっても「くすみし記憶」である。啄木という掟破りの人生のまま早逝した人の忌日の取合せがうまい。 


出でし子の穴そのままに春炬燵        川島秋葉男
子供の頃炬燵の掛布団を開いたまま抜けでて、熱が逃げるから、と叱られたものだ。この句もそうした折の句だが、春炬燵だからこそ、まあいいかな……という事になる。無くてもいいかな、という春炬燵の頃の微妙な季感である。 


どの嶺と酌みかはさうか井月忌        我部 敬子
伊那谷出身の私には嬉しい句である。井月忌は三月十日、まだ伊那谷を囲む山々は雪を残している。中央アルプスの木曾駒ケ岳、空木岳、南アルプスの仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、いずれも日本百名山。それらの山を井月は三十年間見ていたのである。 


あいまいなところすばやく初点前       小田島 渚
学生の頃四年間、茶道を嗜んだので、この感じはよく解る。左利きでもあった私はどうも作法がぎこちない。本番の茶席ではロボットのようになってしまうのだ。危ない箇所は素早く済ませる。そのような感じがよく解る。 


春泥の光微塵や鳥の嘴            池田 桐人
目の行き届いた句である。鳥が何かを捉えようとしたとき春泥が光り、嘴の動きによってその光が微塵に砕けたように思える。その瞬間を捉えて見事である。 


蕗の薹いつもの場所にある安堵        有賀  理
私も子供の頃蕗の薹の出る土手を知っていて、残雪の中を時折見に行っていたものだ。最初に作った句が<ふきのとう取りたるうれしさ春はまじかに>という句。刻んで味噌汁に浮かべて喜んでいる小学生であった。懐かしい。 


蒼穹はわたつみに似て鳥帰る         武井まゆみ
美しい句である。青い海と青い空、その中を鳥が帰っていく。般若心経に「色即是空」という言葉がある。有るものは無い、無いものは有る――という真理だが、空のようでいて海、海のようでいて空というその真中を鳥の一群が舞う。不思議な風景である。 


望遠鏡百円分の昼霞             中野 堯司
観光地などに据えられた有料望遠鏡。覗いてみたが、どこへ向けてもみても霞ばかり。そうこうしている内にガチャンと視界は落ちてしまう。結局百円分の霞を見ただけ。 


人あまた乗せて若草山笑ふ          堀内 清瀬
奈良の若草山は入場ができる山。山焼きをするのでほとんど木は生えておらず、芝草の山である。春の一日、観光客を大勢入れて、芽吹きを急ぐ。この山の特徴をよく捉えた句だ。私の句に<山笑ふ若草山もそれなりに>がある。 


竹林を木管のごと初音かな          渡辺 志水
竹林を木管に見たのは大きな手柄。その中から鶯の初音が聞こえる。あたかも竹林そのものが奏でているように。竹林が壮大な楽器であるという。見事!  
            その他印象深かった句を次に

釘抜きで開く北窓くぎ太し          森崎 森平
父母なくば帰らぬ故郷鳥雲に         半田けい子
その中に亡き猫の毛も冬の塵         長谷川明子
湯浴みして出でたるやうに春の月       中村 湖童












             


 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
離れ住む母の温みの春炬燵        東京  立崎ひかり
剣山のごと富士を生け蘆の角       東京  保田 貴子
蕗の薹家族の数にまだ足らず       長野  坂下  昭
青空にこつんと響く寒卵         埼玉  大木 邦絵
初午の途切れ勝ちなる翁笛        群馬  佐藤 栄子
空映す水貫きて葦の角          東京  小林 美樹
東京をすり抜け凧のあがりけり      東京  北原美枝子
蛤の砂吐く吐息とも思ふ         東京  渡辺 誠子
払暁の湖面の綺羅や蜆舟         東京  山田  茜
飛梅にあやかる絵馬の撓ひをり      岐阜  鈴木 春水
陽炎の羽衣纏ひバス来る         神奈川 白井八十八
長寿眉床屋で切られ山笑ふ        東京  市川 半裂
暮れがての鞦韆一つ揺り戻し       東京  尼崎 沙羅
のどけしや時報まちまち時計店      埼玉  秋津  結
墓石にも香のあるごとし沈丁花      東京  伊藤 真紀

誰も旅人海胆飯をほほばれば       東京  岡城ひとみ
まだ欲しき火に手をのせる涅槃寺     神奈川 松尾 守人
飛花のごと桜田門に春の雪        神奈川 渡邊 憲二
トラックに牛乗せられて涅槃西風     群馬  山﨑ちづ子
蝌蚪泳ぐ数多の影と連れ立ちて      東京  矢野 安美
雛飾る母を正座で見てをりぬ       千葉  平山 凛語
家に無き雛壇を見に隣へと        埼玉  武井 康弘
春の霜庭の草の葉とがらせて       群馬  佐藤かずえ
卒業の教への庭にチャイム鳴る      長野  桜井美津江






星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


桜湯の客間にかほる結納日        東京  秋田 正美
野を焼くや祈りにも似て粛々と      東京  朝戸 る津
桜の実児童の居ない児童館        東京  浅見 雅江
若き日の話は尽きず雛の間        愛媛  安藤 向山
高まりし水車の音や春早し        東京  井川  敏
あの辺り筑波ある筈春きざす       東京  生田  武
諏訪湖から遠江まで雪解水        長野  池内とほる
姉弟かも母子かもしれず桜土手      東京  石倉 俊紀
階下まで時計響くも春眠し        高知  市原 黄梅
死に様は生き様なりき涅槃西風      神奈川 伊藤やすを
水鳥の浮けるそばなる離陸かな      広島  井上 幸三
はね太鼓に押さるる肩へ春の雪      埼玉  今村 昌史
春眠や竿竹売りの声遠く         高知  岩原 里秋
冴返る箱下駄の音雁木道         東京  上村健太郎
銀の肌の曇りや鮎上る          愛媛  内田 釣月
夕暮や騒然とする烏の巣         長野  浦野 洋一
鉄橋の音に目覚むる土筆かな       神奈川 大田 勝行
とんび舞ふ鎌倉の空立子の忌       東京  岡田 久男
立子忌の青空の中鳶の舞ふ        群馬  岡村妃呂子
春きざす救世観音の指先に        神奈川 小坂 誠子
鶯の一声につききりでゐる        京都  小沢 銈三
山畑の小石浮出る雨水かな        埼玉  小野 岩雄
長閑さの塗りの剥げたるつなぎ竿     静岡  小野 無道
みちのくや風吹ききつて二月尽      宮城  小野寺一砂
鷹化して鳩に粗目は綿菓子に       東京  折原あきの
リラの花北の港の正教会         静岡  金井 硯児
モニターに呂号の艦首夏の潮       福井  加茂 和己
浅春の炭酸湯てふ泡の中         長野  唐沢 冬朱
鍬洗ふ水の温みや晴二日         神奈川 河村  啓
日の明けて瀬渡り急ぐ水鶏かな      愛知  北浦 正弘
古池に亀鳴くとかや芭蕉庵        神奈川 北爪 鳥閑
出番待つサッカーボール春遠し      東京  北出 靖彦
北窓を開く力の強さかな         東京  絹田  稜
溶け込みて富士は霞となりにけり     東京  久保園和美
五つ目の元号迎ふ雛人形         東京  倉橋  茂
ふらここや母のまなざし前後して     群馬  黒岩伊知朗
非日常が日常となる四月かな       群馬  黒岩 清子
枝先の木の芽を伸ばす朝の風       愛知  黒岩 宏行
人波に亡き姉の影おぼろなる       東京  黒田イツ子
真帆片帆はたまた満帆風光る       神奈川 小池 天牛
我もまた駒返る草畑に出づ        群馬  小林 尊子
置くすり越中訛春連れて         宮城  齊藤 克之
春愉し妻の料理を褒めたれば       神奈川 阪井 忠太
落椿形のままや武家屋敷         東京  佐々木終吉
春の霜庭の草の葉とがらせて       群馬  佐藤かずえ
砂浜に続く足跡風光る          群馬  佐藤さゆり
昨日より笑み多き日や日脚のぶ      東京  島谷  操
髪を梳く鏡に過ぐる春の雪        東京  清水美保子
いつ仕舞ふピアノの上の内裏様      東京  上巳  浩
啓蟄や鯉も顎を浮かしをり        東京  須﨑 武雄
樹皮割りて春子小さき顔出しぬ      群馬  鈴木踏青子
下萌や梅小路の汽車の下         愛知  住山 春人
湯畑の花となるらむ忘れ雪        千葉  園部あづき
崩れゆく轍の輪郭雪解道         埼玉  園部 恵夏
去年も来し軒見上げては燕待つ      東京  田岡美也子
春の森小学唱歌口ずさむ         東京  髙城 愉楽
春浅し吾妻小富士はまだ真白       福島  髙橋 双葉
和太鼓の桴は空へと万の梅        東京  竹花美代惠
二度寝して眠気に勝てぬ春の風邪     三重  竹本 吉弘
網絞るほど青さ増す蛍烏賊        東京  田中  道
春眠や笑顔の母と夢に逢ふ        神奈川 多丸 朝子
秩父路へ降り立つ駅ののどかさよ     東京  田家 正好
葦牙の渚に寄せる波閑か         愛知  塚田 寛子
クレヨンの散らばつてゐる春炬燵     東京  辻本 芙紗
雛の声聞くやうゆるゆる紙を解く     大阪  辻本 理恵
口笛を吹き庭先に春を呼ぶ        東京  手嶋 惠子
水面よりこの世眺むる昼蛙        東京  豊田 知子
春の日やひねもすけぶる富士の山     神奈川 長濱 泰子
北窓を開けば故山近く在り        千葉  中山 桐里
春愁ふ青き畳の跡見つめ         東京  永山 憂仔
亡き人に足のある夢春眠し        埼玉  萩原 陽里
春の風邪呆けし空の広さかな       東京  橋本  泰
夜も更けて桜の精を見たやうな      東京  長谷川千何子
涙眼に飛び込んで来る蕗の薹       神奈川 花上 佐都
受験子にこつそり母の茶断ちかな     長野  馬場みち子
抱き合ひて別れのホーム名残雪      千葉  深澤 淡悠
入彼岸日毎膨らむ木々の影        東京  福原 紀子
手のひらをするりとかはす石鹸玉     神奈川 星野かづよ
菜の花やなべてなだらか里の山      神奈川 堀  英一
お玉杓子群るるも棚田濁らざり      東京  牧野 睦子
畝違へ子も後ろ手に麦を踏む       京都  三井 康有
芭蕉庵
にごり池蛙の声の嗄れをり        東京  八木 八龍
ふるさとは青葉の底に沈みけり      東京  家治 祥夫
墨東に油の匂風光る           神奈川 山田 丹晴
三月や日いちにちと縮む影        静岡  山室 樹一
春興やただ歩みても靴の鳴り       高知  山本 吉兆
陽炎や浅間の嶺もぼんやりと       群馬  横沢 宇内
啓蟄や埋め戻したる古墳にも       神奈川 横地 三旦
三椏の三つづつの灯夕散歩        神奈川 横山 渓泉
春の雪雨に変はりて橋濡らす       千葉  吉田 正克
まぼろしか鏡の中に寒桜         山形  我妻 一男
花万朶樹齢百年納得す          東京  渡辺 文子














星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

離れ住む母の温みの春炬燵         立崎ひかり
春先のそこはかとない寒さは、どこか愁いも感じさせるものである。名残の寒さ、心の寒さというものもある。「春炬燵」の季語にはそのような感覚も含まれているようだ。遠く離れて住む母の体温のような春炬燵である。真冬の炬燵とは違う心象を捉えて味わい深い。同時出句の〈恪勤の春マフラーをなびかせて〉〈絵馬千枚掛かる大樹の芽吹き初む〉〈舞殿のいらかに跳ねて雀の子〉と各々に力が籠っていた。 


剣山のごと富士を生け蘆の角         保田 貴子
絵画的な見立ての効いた句。前面の蘆の角を剣山。その剣山の上に大きく富士が乗っているのだが、そこを「富士を生け」と活花に仕立てたのは見事。同時出句の〈春寒を雨戸へ重ね戸袋へ〉も何枚かの雨戸と春寒も数えるもののように扱っているのが独創的。 


青空にこつんと響く寒卵           大木 邦絵
俳句の短い詩型を生かして思い切り単純化させたところを称えたい。「こつんと響く」は実際に割る場面でなくてもよい。寒卵というものはこつんと響くものなのである。「青空に」に真冬の研ぎ澄まされた空気を感じるのだ。 


空映す水貫きて葦の角            小林 美樹
水面を真中に置いて空と水中に分かれるのだが、その空へ葦の角が突き出す。通常のバランスを崩したところを詠み取ったのである。早送りの映像のような作り方。同時出句の〈雉鳴くや緩む空気の間を縫うて〉〈春雨に黒塗り籠むる松本城〉〈山あひに梅咲くざらめ散るごとく〉も各々佳品。 


東京をすり抜け凧のあがりけり        北原美枝子
高層ビルが林立する東京であるからこそ生きた句である。もちろん公園も河川敷もあり凧を揚げる場所はあるが、このように象徴的に詠んだところが決め手。「すり抜け」の措辞の斡旋を褒めたい。同時出句の〈石鹸玉連ね言霊かたちなす〉〈青き踏む道草しては叱られて〉もいい。特に石鹸玉の「言霊かたちなす」は出色。六波羅蜜寺の空也上人像が南無阿弥陀仏の六仏を唱え出しているが、その発想を思い出し、はたと膝を打った。 


払暁の湖面の綺羅や蜆舟           山田  茜
美しい句だ。宍道湖か琵琶湖か静寂な朝である。同時出句の〈魞を挿す夕日に影の二つかな〉も湖の風景で、そろそろ仕事を切り上げる頃か‥‥やはり静寂な一齣。


飛梅にあやかる絵馬の撓ひをり        鈴木 春水
才能がありすぎた為か藤原氏に妬まれて失脚した菅原道真は怨霊となって京を脅かした。その霊を鎮める為に天満宮の神として祀り、学問の神となる。梅の咲く頃受験生の絵馬が撓うほど。「飛梅」の斡旋が巧みで、天満宮であること、受験期であること、その全てが解る仕組みである。 


陽炎の羽衣纏ひバス来る           白井八十八
たまにしか来ないバスなのであろう。いつもと違う感じのバスが来る。それは陽炎のせいで、あたかも羽衣を纏っているかのようだと‥‥。感性のよろしさ。 


長寿眉床屋で切られ山笑ふ          市川 半裂
一読楽しい句だ。うとうとしている間に自慢の眉を切られてしまったようである。何か大事な物を失ったような気分だが、たいした事ではない。「山笑ふ」にその感じが。 


墓石にも香のあるごとし沈丁花        伊藤 真紀
墓地に咲く沈丁花か、その香りは墓石にも染み込んでいるかのようだと。そう、ここが独自性。墓石という無機質なものにまで香を感じると詠んだところが発見である。 


誰も旅人海胆飯をほほばれば         岡城ひとみ
どこで食べても旨いのだが、潮風の届く海辺の食堂であれば尚更であろう。旅を実感するのである。ああ、旨そうだな‥‥こんな旅をしてみたい、と思わせる句だ。 


まだ欲しき火に手をのせる涅槃寺       松尾 守人
お涅槃の頃の寒さをよく捉えている。境内の焚火に時折寄って温まる。それも「手をのせる」がうまいところで、手を温める程度で済む寒さということ。この季感がいい。

            その他印象深かった句を次に

 

飛花のごと桜田門に春の雪          渡邊 憲二
トラックに牛乗せられて涅槃西風       山崎ちづ子
蝌蚪泳ぐ数多の影と連れ立ちて        矢野 安美
雛飾る母を正座で見てをりぬ         平山 凛語
家に無き雛壇を見に隣へと          武井 康弘
春の霜庭の草の葉とがらせて         佐藤かずえ
卒業の教への庭にチャイム鳴る        桜井美津江



















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(41)
           
藤の花揺れてだんだん眠くなる

 前回書いた超結社での安曇野吟行会の帰路の特急あずさ号の車内での作。二日にわたって他結社の方々の俳句に対する考え方や俳句からの刺激は大きかったし、おおいに酒を飲み親睦を深めたので、心地良い疲労があった。ぼんやりと車窓に流れる風景を眺めながら、それでも頭は俳句のことをずっと考え続けていた。甲府盆地を抜けた頃、藤棚のある駅を通過した。その残像が頭の隅に残っていて、八王子駅に停車する頃、ふとこの句が浮かんだ。藤の花の揺れ具合は眠りを誘うものだ。そのような花だということだけで、それ以上の意味は持たない。だがこの句を作って二十年以上経つが、無意識のうちに浮かんだそのままの句として今も愛着が深い。この旅は若手俳人の一人として俳句総合誌から声が掛ったということも嬉しく、緊張した時間を過したあとの充足感もあり、肩の力が抜けた気分が懐かしく思い出されるのである。以来藤の花は私にとって眠気を誘う花となった・
    
森敦執筆の間の黴匂ふ

 出羽三山湯殿(ゆどの)注連寺(ちゅうれんじ)が宿泊も受け付けていると聞いて、仲間と語らって泊ってみることにした。即身仏で知られ、また森敦が一冬籠って執筆し、芥川賞を受賞した『月山』の舞台の寺である。何度も電話をしてようやく予約をしたものの、直前に確認の電話をしても呼び出し音が鳴るばかりで、幹事の私としては困惑した。訪ねると、どうやら住職は臥っており、近隣の檀家の方々が入れ替り立ち替り寺務を手伝っていたようで、電話が繋がらない理由も理解できた。仕出し料理中心であったが山菜なども出た。森敦が寝泊りした二回の広間で一夜を過した。翌朝宿泊費を問うと、酒代が全く入っていない。私たちはビールも日本酒も盛大に飲んだのである。押し問答しても受け取らないのでお布施として無理やり置いてきたのであった。先年訪ねると集落全体が大規模な地滑りで壊滅状態にあり、注連寺だけがかろうじて残っている状態に暗澹たる思いであった。自然は過酷である。
 








      


 

俳人協会四賞・受賞式










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新










伊藤伊那男  俳人協会賞受賞・祝賀会









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
拡大します。




linkします。



拡大します。



拡大します。


受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 


haishi etc
↑link



















銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    







      









掲示板























               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

3月

3月14日(木)
 島谷操さん来てくれて祝賀会最終打ち合わせ。極句会あと11人。

 3月15日(金)
 発行所「蔦句会」。あと9人店。日曜日の祝賀会、二次会の準備。

3月16日(土)
 来週の食材を買って店へ納入。15時半、浅草雷門に三笠書房押鐘会長、森崎森平、小野寺清人さんと待ち合わせ。「三浦屋」の河豚へ。年1回の恒例(いつもは四ッ谷)、あと「浅草サンボア」でハイボール一杯にとどめ帰宅。祝賀会の謝辞の準備など。

 3月17日(日)
 正午より学士会館にて、俳人協会賞、新人賞受賞祝賀会。銀漢会員、客人、計220人というパーティーとなる。あと銀漢亭を開放し、二次会。ここにも、7、80人はみえたか。前面、道路に溢れかえる。あと20人ほどで「大金星」で3次会。

3月18日(月)
 「演劇人句会」6人。藤沢市俳句協会の神谷さん。山田真砂年さんの取材でNHK出版「俳句」の長坂編集長、神谷さん。

3月19日(火)
 竹内洋平さんと「炎環」の仲間6名。私の受賞祝いに銘酒、持って来て下さる。私、堀切君の滑稽句を抽出して下さり、このあと勉強会をして下さると。あと俳人協会若手の句会の面々。池田瑠那、上野犀行、笠原小百合、倉持梨恵、白井飛露、寺澤澤子、中村ひろ子、平野三斗士、曲風彦、吉田哲二、吉田林檎さん。

3月20日(水)
 「閏句会」(藤森荘吉さん)八人。伊那北高校同期「三水会」6人。成城駅前の辛夷満開。

3月21日(木)
 5月号のエッセイ他。15時、東京芸大奏楽堂での「りいの」主宰で、檜山哲彦東京芸術大学教授の退任記念レクチャー&コンサートへ。上野は強風の中、桜開花か。時間を読み違えて祝賀会には出席できず、亀戸の「すし屋の弥助」へ。水内慶太、鈴木忍夫妻と食事会。

3月22日(金)
 「金星句会」あと6人。橋野幸彦さん2人。

3月23日(土)
 昼、日本橋スタバにて作句。14時、「鮨の与志喜」にて「纏句会」。あと、アボカドとチーズ、蟹の和物、筍と若布、菜の花の煮物椀、鰆の桜焼、酒は神亀。あと握り(題の鰔も)。

3月24日(日)
 終日家。選句。夜、家族にステーキ、鮎塩焼、若布サラダなど作る。

3月25日(月)
 俳人協会の夏季俳句指導講座打ち合わせあとの、佐怒賀直美、前北かおる氏、未来図の女性3人など。池田のりを、野澤雄さんなど。

3月26日(火)
 環順子さん、「パティオ」最新号を持って。「ひまわり句会」あと7人。水内慶太さん、祐森水香さん。皆川文弘さん。屋内松山さん。

3月27日(水)
 5月号の選句終了。このあと、選評と。彗星集選はこれから。
「雛句会」9人。

3月28日(木)
 「銀漢句会」あと13人。三代川次郎さん、久々に顔見せてくれる。

3月29日(金)
 13時、「俳壇」7月号用「私のメイン・テーマ」のインタビューを発行所で受ける。担当、山崎春蘭さん。2時間ほど。

3月30日(土)
 銀漢亭にて「Oh! 花見句会」。超結社で33人集まる。料理8品ほど作る。持ち寄りの料理、酒も沢山いただき、賑やか。5句出し句会あと、席題で3句、あと2句……。19時、おひらき。幹事の朽木直さんを囲み「大金星」で二次会。12人ほど。

3月31日(日)
 あちこち礼状など。3月の店の月次表。5月号の原稿最終。17時、溝ノ口の「すくらむ21」、孫の伶輔のダンス教室「アイビィーアートスクエア」の公演。

4月

4月1日(月)
 杉阪大和句集の栞。「鷹」7月号へ「平成俳句をふりかえる」特集の平成15年の私、千字ほど書く。新元号「令和」と。店「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人。「つの会」4人。今日は堀切君の句集の勉強会。

4月2日(火)
 店、能村研三、佐怒賀正美、井越芳子、福島茂、大西朋さんの俳人協会の面々。

4月3日(水)
 「きさらぎ句会」あと6人。「宙句会」あと11人。鈴木忍さん他、超結社句会あと七人。青柳飛さん、ロサンゼルスより帰国の足で来店。私と堀切君へ祝いのワインいただき乾杯! 新潟日報より『新編 漂泊俳人井月全集』の書評依頼あり、千字ほど書き上げて送る。

4月4日(木)
 清人、昌、金井さんなど。「十六夜句会」あと12人。光汪君ひょっこり。受賞祝いとてヴーヴクリコ2本空ける。

4月5日(金)
 13時半、発行所にて「信濃毎日新聞」文化部記者上野さん、私の俳句についてのインタビュー。長野市から来て下さる。店、オリックス時代の部下4人。内二人は元夫婦で30年振りの再会と。人生色々あったな……。早稲田大学の俳句会の学生2名訪ねて来てくれる。

4月6日(土)
 予定入れてない日にて、界隈のお花見散歩。快晴。さくら祭とて並木の下は古着市、苗木市、飲食の屋台など。成城学園前の豪邸竣工間近。垣間みると、パーティーの準備中。Hルーペの社長邸との噂。成城学園学生ホールで2時間ほど校正やエッセイ。学食でカツカレー470円! 津田卓さんより電話あり、声に力あり、生還! 

4月7日(日)
 今日も桜並木を散策して駅へ。中野サンプラザにて「春耕同人句会」。あと「炙谷」にて親睦会。杉阪さんと打ち合わせを兼ねてもう一軒。

4月9日(火)
 三井康有さん京都から。「火の会」、青柳飛さん、飛び入り参加で12人。毎日新聞の今井竜、逸見義行さん。経理学校に通っていた頃来ていた山野井純一さん、税理士になったと。

4月10(水)
 「梶の葉句会」選句。多田美記さんカナダから帰国。店、超閑散。冷たい雨。20時半、閉めて隣の蕎麦店。展枝、るぴさんと。

4月11日(木)
 環順子、笑子さん。「極句会」あと12人。

4月12日(金)
 店、「大倉句会」あと19人。永山優仔さん東京へ転居。私に祝いの花を下さる。

4月13日(土)
 10時、運営委員会。13時、「ひまわり館」にて「銀漢本部句会」53人。あと「上海庭」にて親睦会。

4月14日(日)
 終日家。自句自解、銀漢の俳句、鎌倉吟行案内などの原稿書く。阿波野青畝の第一句集『万両』を語る、の講演会の下調べ。

4月15日(月)
 仕込み中に慶應茶道会の先輩赤羽さん。店、「演劇人句会」7人。飛さん明日ロサンゼルスへ戻ると。敦子。

4月17日(水)
 「三水会」5人。あと閑散。20時半、閉めて光汪さんと2軒ほど。

4月18日(木)
 成城の銀杏並木の芽吹きが美しい。店、「銀漢句会」あと13人。

4月19日(金)
 発行所、「蔦句会」あと8人店。三輪初子さんの毎日俳句大賞受賞のお祝いの会。「炎環」の方中心に、47、8人集合して溢れ返る。『然々と』千部刷ったが在庫僅少。印刷屋に表紙カバー130ほど残っているとのことにてその分、第二版として増刷へ。

4月20日(土)
 14時、日本橋「鮨の与志喜」にて「纏句会」13人。食事せずに出て浅草公会堂の「鼓和core–japanesque~祭り~」へ。孫の伶輔がダンスで出演。あと佐藤一家ともんじゃ焼。

4月21日(日)
14時より「下北沢ザ・スズナリ」にて会員の田岡美也子さん出演の「脚光を浴びない女」。その前に同人の大山かげもと氏の茶舗訪ねる。観劇あと、田岡、展枝、いづみさんと居酒屋2軒

4月22日(月)
 発行所「一八句会」あと8名店。阪西敦子明日入院と。水内慶太氏久々。





     








         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2019年6月22日撮影  麦秋   from  HACHIOJI



花言葉  富・希望・繁栄・豊作

麦秋
初夏、眩い陽光に麦畑がきらめき、爽やかな風に金色の穂が揺らぎます。麦の収穫時期を迎え、米と麦の二毛作を行う農家では、刈入れにおわれ大わらわですね。小津安二郎監督の映画を思い起こす方も多いですね。

忍冬 早苗 ブラシの木 田植え 朴の花
スモークツリー 未央柳 麦秋
写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2019/6/23  更新




HOME

漢亭日録