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8月号 2013年

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伊藤伊那男作品

         
梅雨入        伊藤伊那男

公園の端を濡らして梅雨に入る
苗売のとどまるたびに水零す
蜘蛛の子のやみくもといふ散りざまに
黒潮の作る縦縞初鰹
磯宮に鰹ひとふり奉納す
夏のれんたつきの音の筒抜けに
黒南風や影絵のやうな漁師町
大外を来てダービーのごばう抜き





   

      









今月の目次






 銀漢俳句会・8月号










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

 
出雲の旅・2
 平成25年5月10日金曜日午後七時に出雲大社の本殿遷座祭が行われた。当夜は神域には入れないので、私達は午後、安来の足立美術館をゆっくりと見て、ホテルで句会をして、あとは有志で酒場に繰り出したりして過した。昼間はどしゃぶりの雨であったが、遷座の時間には上がっていたので、参加している訳ではないが、胸を撫で下ろした。
 翌11日土曜日は皇室から勅使を迎えて、本殿遷座奉幣祭である。我々は松江始発の一畑電鉄で向い、まず、大国主神が天孫族に国譲りしたという稲佐の浜を散策した。ここは神無月(出雲では神有月)に八百万神をお迎えする場所でもある。遠くには国引きの杭の役割をした三瓶山も望むことができ、突如として神話の世界に遡った。
 9時から大社の荒垣に待機して遷座祭を待った。千家国造、勅使の高円宮妃が本殿に入られたあと、花果さんが「あっ雲が!」と言う。仰ぐと大社の裏山を扇の要にするように、鮮明な雲の筋が広がっているのである。まさに「八雲立つ」という不思議な現象で息を呑む思いであった。その雲はしばらくすると不鮮明になり、曇天に溶け込んでしまった。これは私一人が目撃したのではなく、少なくとも参加した全員が目に焼き付けている。そのあと私は祭事を写す特設スクリーンを見ていたが、後から武田編集長に訊くと、しばらくしたあと、雲がすっと本殿に降りたという。これは武田さんからしか聞いていないけれど、真顔の報告であったので一応信じることとしたい。午後は素戔鳴尊が上陸したとされる日御碕神社を訪ねた。
 翌日はバスをチャーターして雲南市方面へ行き、菅谷たたら場跡、銅鐸が39個出土した加茂岩倉遺跡、大量の銅剣が出土した荒神谷遺跡、四隅突出型古墳の西谷墳墓群を廻り、最後は黄泉比良坂(本当にあるのだ)を訪ねた。参加者の内、私と洋征さんがやもめである。故事の伊邪那岐命が亡き妻、伊邪那美命を訪ねたように「黄泉の国へ入れ」と皆が言う。木下闇の中の隙間を通る二歩ほどの距離なんだが私はすくんでしまって入ることができなかった。
武田さんの先導により毎日10数キロメートル、それも駆け足で歩いたためか戻った翌日は太股がが痛んだ。神話の国を覗き込んだ濃密な旅の収穫の一部を次に紹介する。

 
つばくろの出入りしきりや国造家     禪次
会へずして黄泉比良坂若葉騒       花果
神の座す山を映して田水張る       眞理子
奉幣祭済みたる午後の田植かな      美佐
高殿へ余花の明りの村下坂    海村(菅谷たたら)
金屋子の淵から鉄漿とんぼ出づ      高水(同)










  


 



  




盤水俳句・今月の一句


伊藤伊那男

 

西瓜売り厚き筵をひろげけり       皆川盤水

一昔前のことだが、北京の街の至るところで西瓜を積み上げて売っている風景を見た。夜は防犯対策を兼ねて筵の端で仮眠をとるようであった……。そんな風景はこの頃すっかり見なくなった。さてこの句の眼目は何といっても「厚き」の把握。この措辞一つによって西瓜売りの風景が我然現実味を帯びて読み手の前に広がるのである。試しに「厚き」を除いて読んでみるといい。この言葉がどれほどの威力を持っているかが解るはずだ。
                                 (昭和54年『山晴』所収) 



 

  

                       
 





  



 

彗星集作品抄


伊藤伊那男選
二の腕にすこし風ある更衣        鏡山千恵子
跳ね止まぬトランポリンの端午の日    市毛 唯朗 
ふるさとの青葉の中に寝落ちけり     武田 花果
黴臭き蔵にお仕置されしこと       堀内 清瀬
雨粒の色づきさうなみどりの日      谷岡 健彦 
白南風来サーカスの子になりたき日    谷口いづみ    
お隣へはみ出さぬやう鯉のぼり      福田  泉
浜町に潮さし暮るる傘雨の忌       塚本 一夫
滝となる前の静けき流れかな       杉阪 大和 
青葉木菟うすき寢嵩の旅をはる      久重 凜子 
一滴を仕上げとしたる新茶かな      朽木  直 
国引きの杭に夏雲かかりたる       島谷 高水  
銅鐸の舌のゆくへや若葉風        畔柳 海村
富士山にひとひらの雲一番茶       村上 敏和
へこたれしさまに落ちたり紙風船     萩原 空木
苜蓿花輪にされて捨てられて       住山 春人
平家納経朧夜の波の音          五十嵐京子
坂東の風丸のみに鯉のぼり        多田 美記
宙に振るハンカチの花四月尽       和歌山要子


   
     














彗星集 選評 伊藤伊那男


 
二の腕にすこし風ある更衣        鏡山千恵子

 更衣(ころもがへ)は昔は旧暦四月一日の行事。今は厳密ではなく気温に合わせる。動詞として使うときは「衣更ふ」とひっくり返る。さてこの句、半袖シャツにでも着替えたのであろう。二の腕あたりがすかすかするのだ。まだ本格的な暑さになる前の微妙な季感が捉えられている。
  
  
跳ね止まぬトランポリンの端午の日    市毛 唯朗
  
 子供の日のイベントのある遊園地か運動場であるか。トランポリンで子供たちが遊んでいる。順番待ちの行列もできているのであろう。次から次に跳ねるのでトランポリンも休む暇がない。下五の「の」が面白いところで、この「の」によって、トランポリンが主語になるのである。擬人化したような作り方がユニークな点である。
  
  
ふるさとの青葉の中に寝落ちけり     武田 花果

 ああ、こんな時間を持てたらなあと思う。信濃の国の育ちだけになおさらである。子供の頃を思い出すと家の庭に蛍が迷い込んできたりもしたものだ。東京のように刺す蚊もほとんどいなかったので大きく窓を開けて寝たのだ。単純な作りの句だけれど読後の味わいが深い。
  
  
黴臭き蔵にお仕置されしこと       堀内 清瀬

この句にも私の思い出が重なる。同じ町の母の実家は大きな商家であったが、戦後には没落していて、土地の切り売りなどしていたが、敷地に蔵が四っつか五つか残っていた。いたずらをしてはよく閉じこめられたものである。確かにどこからともなく黴の匂いがしたものだ。
  
 雨粒の色づきさうなみどりの日      谷岡 健彦
 昭和天皇が崩御されたあと天皇誕生日の四月二十九日が「みどりの日」となった。「緑の週間」の最終日で、新緑の美しい時期である。折しも雨が降ったというのだが、その雨も新緑に染まりそうだというのである。「みどりの日」の季語があるので「色づきさうな」だけで、新緑の色が溢れていて、それが雨粒にも及んでいることが解るのだ。 
  
 
白南風来サーカスの子になりたき日    谷口いづみ

 これも思い出が絡む。信州の田舎にもサーカスがやってきたことがある。広場にテントを組んで様々な催しがあったが、丸い網の籠の中をオートバイがぐるぐる回っていたことを憶えている。ちょっと怖いけれど、その団員になって旅をしてみたい------という感じがよく解る。「白南風来」とあったが「白南風や」で良いと思う。
  
       
お隣へはみ出さぬやう鯉のぼり      福田  泉

都市近郊の新興住宅地の雰囲気だ。鯉の丈を計ったか。
  
 
  
浜町に潮さし暮るる傘雨の忌       塚本 一夫

出来過ぎの感じもあるが、万太郎のいそうな感じがする。
  
   
滝となる前の静けき流れかな       杉阪 大和

 確かに滝の直前迄は何の予兆もない平隠な流れだ。
  
   
青葉木菟うすき寢嵩の旅をはる      久重 凜子

作者は蒲柳の質?あるいは薄い布団に寝ていたか。
  
   
一滴を仕上げとしたる新茶かな      朽木  直

類型句がありそうな気もするが------良くできている。 
  
   
国引きの杭に夏雲かかりたる       島谷 高水

 出雲三瓶山の故事。入道雲がその故事と合うようだ。
  
   
銅鐸の舌のゆくへや若葉風        畔柳 海村

 さて、銅鐸に風鈴のような舌があったのか?謎が深まる。
  
   
富士山にひとひらの雲一番茶       村上 敏和

 爽やかな風景である。やや絵葉書的ではあるが------。
  
  
へこたれしさまに落ちたり紙風船     萩原 空木

  徐々に空気が抜けていく様を「へこたれ」と見た面白さ。
  
  
苜蓿花輪にされて捨てられて       住山 春人

 確かにこんな風であった。それにしても冷徹に詠んだ------。
  
   
平家納経朧夜の波の音          五十嵐京子

 全ての素材が美しいが、句跨りで調べを変えた所がよい。
  
   
坂東の風丸のみに鯉のぼり        多田 美記

 坂東武者を根底に置いたので固有名詞が生きた。
  
   
宙に振るハンカチの花四月尽       和歌山要子

 最近街路樹などでも見かける花。「振る」の措辞がいい。
  
 
 ☆今月の彗星集の投句は全体に新鮮さに欠けていたように思う。ここを挑戦の場
として更に励んでいただきたい。


   

    

        







銀河集品抄

伊藤伊那男選

風はらむ命婦の袖や賀茂祭        飯田眞理子
鎌洗ふ水に映るや五月雲         池田 華風
枝のつゑ山へ返して登山果つ       唐沢 静男
街騒を遠くに羅漢桜の実         柴山つぐ子
買はれたる跡の地の照り植木市      杉阪 大和
夕茜蝲蛄釣の竿残る           武田 花果
裏富士の渺と八十八夜寒         武田 禪次
歩の合はぬ初瀬の回廊風青し       萩原 空木
瀬音へと去りたるつばなながしかな    久重 凜子
重箱の隅を突つつき亀鳴かす       松川 洋酔
蛙鳴く水田の闇を膨らませ        三代川次郎
幼帝の海やめばるの目のつぶら      屋内 松山





   






綺羅星集作品抄


伊藤伊那男選 

尖塔につがひの鳩や聖五月        相田 惠子
裏おもて島にもありて遅日かな      有澤 志峯
かたつむり舞ひめぐりたる阿国の碑    飯田 子貢
行く春の環の錆びつく船簞笥       五十嵐京子
夕薄暑シャツにひと日の旅の皺      伊藤 庄平
名画座のありし地下街出て薄暑      伊藤 政三
水やりやきつと出て来る青蛙       梅沢 フミ
黒髪のしづく大粒虎が雨         大野 里詩
大試験白紙の夢を今もなほ        大溝 妙子
合宿を解かれし孫と菖蒲の湯       大山かげもと
制服は少し大きめ入学す         小川 夏葉
礼拝堂涼し幼の祈りの手         尾崎 尚子
花祭この世の色をあふれさせ       小野寺清人
春眠の覚めて枕の窪みかな        片山 一行
母の日を知らぬ母ゐる夕御飯       加藤 恵介
夏帽子高く積まるる露店かな       我部 敬子
傾きの其々違ふ茶摘笠          川島秋葉男
早苗田のひかる此岸を出棺す       北澤 一伯
代田より代田に移る山の影        柊原 洋征
細々と続く発掘姫女苑          朽木  直
高殿へ余花の明りの村下(むらげ)坂        畔柳 海村
鶯の近づくほどに尖りけり        こしだまほ
苗売の苗のくづれてゐる夕暮       小滝  肇
天城嶺の水迸る山葵沢          權守 勝一
闘牛の勝抜表を船着き場         阪口 晴子
山藤のゆれとどまりしとき匂ふ      佐々木節子
吊り橋に立往生の夏帽子         笹園 春雀
老鶯の語尾は啼いたりとばしたり     島  織布
庭の椅子二つ並べて春惜しむ       島谷 高水
鐶おほき母の簞笥や更衣         白濱 武子
ぼうふりの明日飛び発つ縞模様      新谷 房子
躑躅満つ影を重ねてなほ白し       末永理恵子
牡丹一輪一期一会のえにしかな      杉本アツ子
啄木忌あへて直さぬ国訛         鈴木てる緒
藤の花揺れて浄土に誘はるる       瀬戸 紀恵
一人てふ贅沢な刻藤棚に         高橋アケミ
鰐のごと稲佐の海にサーファー来     高橋 透水
地下鉄はやがて地上へみどりの日     武井まゆみ
靖国を洗ひ上げたる花の雨        多田 悦子
新樹光なひまぜにして陶土練る      多田 美記
羊山巨人の画布の芝桜          田中 敬子
二十四の瞳の島の眼張煮る        谷岡 健彦
子供の日子を次々と乗すポニー      谷川佐和子
遊ぶ子のみなかぎろひとなる木橋     谷口いづみ
住吉の小橋に跳ぬる祭髪         塚本 一夫
朝寝して箍の外れし五臓かな       坪井 研治
四十路なる子らの集へるこどもの日    中野 智子
満開の余熱をもてる残花かな       中村 孝哲
青空を清流として鯉幟          中村 湖童
母の日や姉・妻守る決意なほ       藤井 綋一
涅槃絵図解けば嘆きのこぼれ落つ     堀内 清瀬
雪柳乱れしままを床に活く        堀江 美州
亡き父を見上ぐるごとく墓洗ふ      松浦 宗克
箸とまる郭公の声教室に         松崎  正
昭和の日蔵の中から通信簿        松代 展枝
紙風船突く手に残る軽さかな       宮内 孝子
すいとんの祖母なつかしや昭和の日    無聞  齋
この旅も富士に出合はず若葉冷      村上 文惠
白ばらや心安らぐ町に住み        村田 郁子
モジリアーニの描線硬し鉄線花      村田 重子
牛叱るやうに叱られ耕耘機        矢作 滄岳
宿坊に着くや遅日をもて余す       山田 康教
甲斐の空縦に割りたる武者幟       山元 正規
残生は加速の兆し花は葉に        吉沢美佐枝
ドロップの舌にからまる日永かな     吉田千絵子
ぼうたんの散るや己の影の中       脇  行雲



         










銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
   
  

枝のつゑ山へ返して登山果つ       唐沢 静男


 てごろな枝を拾って杖のかわりにし、下山したところで登山口に戻したという。只事のようにも見えるが「山に返して」が味のあるところ。杖というモノに焦点を当てて登山の一部始終を詠み切ったのだ。一昔前のことになるが、氏とは常念岳、燕岳、白馬岳、天城山などに登った。

  
   

幼帝の海やめばるの目のつぶら      屋内 松山


 『平家物語』のクライマックス、壇の浦に入水した安徳天皇であろう。千年を経たその海に揚る眼張を見て、その大きな目に幼帝を偲んだのである。短歌なら深刻に詠むのであろうが、俳句ではこのように「おかしみ」が残る。丁度落語が笑わせながら泣かせるように。思いは深い。

  
   

闘牛の勝抜表を船着き場         坂口 晴子


 銀漢亭で開催していた「湯島句会」で確か私が特選に採った句である。「闘牛」の題であった。闘牛が盛んな島の船着き場に対戦表、番付などが貼ってあるのである。島人にしか解らないものが貼ってあるのが何とも面白く、闘牛を詠んだ珍しい句だ。同時出句の〈レガッタへ畳のやうな校旗ふる〉も比喩が出色であった。

  
   

山藤のゆれとどまりしとき匂ふ      佐々木節子


 ローカル線に乗ると沿線の至る処で木々に絡み付いて咲く藤を見かける。藤原氏の藤は皇室という大樹に巻き付く藤のイメージだという説があるが、さて?この句、風が止んで山藤の揺れが収まったとき、ふいに匂い立ったという。藤の季語の本意を突いて、その瞬時を捉えた。

  
   

庭の椅子二つ並べて春惜しむ       島谷 高水


「二つ並べて」がほほえましい。わざわざ二つと言ったのは、少し前までは子供達の分の椅子もあったのだろうと想像が及ぶ。二人だけの暮しに戻って庭で紅茶でも飲んだのであろうか。「春惜しむに」季語を超えた趣を思う。

  
 

ぼうふりの明日飛び発つ縞模様      新谷 房子


 ぼうふり、ぼうふらは「孑孑」と書く。こんなことは俳句をやらなかったら知らないことだ。蚊の幼虫であるが、和歌の世界であれば決して詠まない素材で、俳句という庶民の文芸であったからこそ詠まれるようになったものだ。水面を飛び出す直前の様子をよく観察した成果である。

  
   

鰐のごと稲佐の海にサーファー来     高橋 透水


大国主神と天孫族に国譲りを談合したのが稲佐浜。旧暦十月十日に八百万の神が集まるのもこの浜辺である。その海にサーファーが遊泳する。「鰐のごと」には因幡の白兎の故事も絡ませており、神話と現代風景を詠んだ高度な遊びの句である。 

  
   

地下鉄はやがて地上へみどりの日     武井まゆみ


「みどりの日」は、そう、昭和天皇の誕生日であった。平成元年に改称された。当然のことながら植物のない地下鉄が、地上に出ると周囲は満目の新緑。「みどりの日」という新しい季語で現代の大都市の風景を詠んで類例がない。

  
   

子供の日子を次々に乗すポニー      谷川佐和子


ポニーは小形の馬。子供の日の動物園か観光牧場か、ポニーの乗馬風景である。ポニーは子供の日であることを知らないが、今日は随分働かされるな、と思っているかもしれない。こんな角度で子供の日を詠んだ句は知らない。 

  
   

遊ぶ子のみなかぎろひとなる木橋     谷口いづみ


 何だかハーメルンの笛吹き男を連想させていささかの怖さがある。木橋に村境のような雰囲気があるからであろうか。幻想的な仕上りである。同時出句の〈海市ふと見知らぬ貝を食みてより〉も不思議な世界へ誘われる趣き。

  
   

四十路なる子らの集へるこどもの日    中野 智子


 「母の日」でないところが面白い。子供の日に四十歳もとうに過ぎた子供達が集まる。母はぶつぶつ言いながらも子供達が好きだった食物を作って待つのであろう。そんなあたたかな家庭の一場面を垣間見せてくれた句だ。

   
 その他印象深かった句を次に
 

夕薄暑シャツにひと日の旅の皺      伊藤 庄平
春眠の覚めて枕の窪みかな        片山 一行
傾きの其々違ふ茶摘笠          川島秋葉男
鐶おほき母の簞笥や更衣         白濵 武子
住吉の木橋に跳ぬる祭髪         塚本 一夫
亡き父を見上ぐるごとく墓洗ふ      松浦 宗克
宿坊に着くや遅日をもて余す       山田 康教
残生は加速の兆し花は葉に        吉沢美佐枝










   

 






 




星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

春眠の乳を吸ひたるつもりの子      榎本 陽子
折り皺に腰の砕けしこひのぼり      鈴木 淳子
散り易く集ひも易き蝌蚪の群       森濱 直之
春眠の伸し掛かりくる重さかな      本庄 康代
初夏を生みだしてゐる金物屋       堀切 克洋
木葉不莵よもつひらさかよもや此処    桂  信子
春眠を邪険にあやし村のバス       影山 風子
はためきて帆となるシャツや夏来る    大住 光汪
オルガンに天上のこゑ聖五月       渡辺 花穂
吾子の手の蝌蚪の命のゆらめけり     住山 春人
天守より高きに泳ぎ鯉のぼり       笠原 祐子
ふはふはの伊勢の饂飩や春惜しむ     山下 美佐
引き出しに手紙のやうに種袋       小田島 渚
音につれ草笛吹きも震へをる       曽谷 晴子
滴りの力あつめし神の山         結城  爽
母の日を待ちきれぬ子よりの手紙     武田真理子
囀は夢の終楽章の中           田中 寿徳
遠き友新茶に寄せて一往信        長谷川千何子
夏鶯声を深めて結願寺          原田さがみ
癒えし友癒えぬ友あり春惜しむ      福永 新祇

雲海の底に原始の樹海あり        秋元 孝之
夏立つや母の電話のよく響く       穴田ひろし
朝掘りと渡す筍土の香も         荒木 万寿
葉桜や旅のかばんのハーモニカ      有賀 稲香
はひはひの子の見上げたる武者人形    飯田 康酔
薫風を捉へて上がる竹とんぼ       市毛 唯朗
沈丁花記念樹植ゑし子は亡くて      伊藤 菅乃
夕風や傾げて帰る藻刈舟         上田  裕
清流の淵蒼くなる卯月かな        上村健太郎
最古てふ藤の花房地にふるる       大木 邦絵
うつし世は回転木馬風光る        大西 真一
焼そばの仕上げのソース落花なか     大野田好記
風呂に浮く菖蒲のかほり長湯する     岡村妃呂子
千鳥ヶ淵の英霊を乗せ花筏        小坂 誠子
卯浪立つ藍より青き阿波の海       尾崎  幹
近づけばまざと大きなヨットの帆     小沢 銈三
亀鳴くや夫と予約の月旅行        鏡山千恵子
ワグナーの響きに応へ驟雨かな      桂  説子
登り来て囀り清し天城山         金井 硯児
あぢさゐに傘さしかけてすれちがふ    上條 雅代
針程の花弁びつしり姫女苑        亀田 正則
雪形は島田娘の帯祝ひ          唐沢 冬朱
夜の雨蕊に溜めつつ合歓の花       北浦 正弘
したたかに濡れて青梅捥ぎにけり     熊取美智子
貫之を祀る社の木下闇          来嶋 清子
大浅間キャベツ畑の果てに立つ      黒岩 清女
河鹿の音流すラヂオに目醒めゐて     小林 雅子
母の日や母のせし事そのままに      阪井 忠太
新緑や過去へ誘ふ妻籠宿         桜井美津江
残照の映ゆる川面や麦の秋        佐々木終吉
参道に微動だにせずがまがへる      佐藤かずえ
噴水の風の向き向きしぶき上ぐ      佐藤さゆり
もう一度ふらここ揺らし子の家路     三溝 恵子
子雀の身を立てなほし高みへと      島谷  操
春祭眠気の足の稚児の列         清水佳壽美
甲斐駒や老の麦笛狂ひなし        志村 昌也
天までの棚田の光る五月晴        鈴木 照明
コーランの唱和一斉朝の月        鈴木踏青子
忘れさることも幸せすみれ草       角 佐穂子
ラムネ玉青き迷宮逆さまに        高橋 小花
押し合ひて我が家七人福寿草       髙橋 双葉
鯉幟家族の数で泳ぎけり         竹本 治美
長閑さや孫の寝息に耳すます       竹本 吉弘
花終へて豆粒程の青蜜柑         田中沙波子
夏めくや水に映れる木々の色       多丸 朝子
行きつ戻りつまさに満開花の道      民永 君子
名を好み生ゆるにまかす母子草      近松 光栄
的を射る弓のしなりや風光る       津田  卓
たをやかに若竹しなる男坂        手島 惠子
一身の麦藁帽子に隠れたり        土井 弘道
岩に伏し木立に潜み山女釣り       徳永 和美
寄せ返す卯浪を眺む飽きもせず      富岡 霧中
連山の暮れ残りたる花林檎        戸矢 一斗
藤咲きて雨も優しくなりにけり      豊田 知子
遠足の列車続くよどこまでも       中島 凌雲
ふつふつと八十八夜の旅心        中村 貞代
夕靄に崩るるけはひ白牡丹        中村 紘子
島中を支へし鍛冶屋夏に入る       南藤 和義
鯉幟暮れて鱗の爛々と          西原  舞
青嵐糶の終りし魚市場          沼田 有希
卯の花や音楽室の歌漏れて        萩野 清司
葉桜やジグソーパズルのワンピース    橋本  泰
洗濯物叩く音にも夏兆す         播广 義春
薄き葉に葉影透けゆく四月尽       福田  泉
海風を深々と呑み五月鯉         藤田 孝俊
葉桜やふたたびもとの過疎の村      保谷 政孝
百千鳥少し伸びして目覚めたり      松下美代子
もどかしき各駅停車帰省かな       松田  茂
見分け得ぬまま夏帽の目深にて      松村 郁子
渓谷の涼全身に陸蒸気          村上 敏和
夏近し街にカレーの匂ひけり       森 羽久衣
その音色思はぬ低さ麦の笛        森崎 森平
空バスのとぼとぼ走る昭和の日      守屋  明
忽然と去る人のあり彼岸花        家治 祥夫
寿の満ち満ちてゐる立夏かな       矢野春行士
煩悩を春の怒濤が弄ぶ          山口 輝久
石仏巨きな耳に春落葉          山﨑ちづ子
蛙鳴く棚田は天の階なしぬ        山田  礁
朝蜘蛛の放生諭す母なりし        山田 鯉公
帯ほどの光乗せたる卯波かな       湯川 漁太
麦秋の旧街道の車窓かな         吉田 葉子
松林ゆかば幽し春の蟬          和歌山要子
遠さうで意外と近し夏隣         渡邊  勲
花筏意志あるごとし右左         渡辺 文子


    













星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

     
春眠の乳を吸ひたるつもりの子      榎本 陽子

子育て中の母親の句である。ぐっすりと眠っている子供を見つめると、おっぱいを吸っているような仕種をする。「つもり」というところが面白く、ああ、実際に育てている母親でなくては作れない句だなと思う。幼児には「春眠」という意識はなかろうが、いかにも幸せそうに熟睡している様子を母は春眠と見たのだ。「朝寝」では困るが・・。
  

  
折り皺に腰の砕けしこひのぼり      鈴木 淳子

 一年間畳んでおいた鯉幟なので、くっきりと折り皺がついている。泳がせてみると折り目のところがネックとなってどうも不自然な泳ぎである。少々の風でも腰砕けになってしまうのである。鯉幟をよく観察して発見があった。
  
 
  
春眠の伸し掛かりくる重さかな      本庄 康代

 先述榎本陽子さんは幼児の春眠であったが、こちらは大人の春眠。やや屈曲があるところが面白い。本来「春眠」とは曙の心地良い眠りのことなのだが、この句では「重さが伸し掛ってくる」という。有無を言わせない強制的な眠りで、そこが春眠の句としては異色。
  
 
  
初夏を生みだしてゐる金物屋       堀切 克洋

新鮮な感覚の句である。さまざまな金物が日を浴びて乱反射をしている。その反射光は春とは少し違うのだ。鋭い感性で夏の到来を実感したのである。「生みだしてゐる」の表現は出色。同時出句の〈飲みてより気づく新茶でありしかな〉もとぼけた風韻の楽しい句である。
  
 
  
春眠を邪険にあやし村のバス       影山 風子

またまた春眠の句である。「村のバス」であるから曲りくねり、また傾斜もあることが想像される。少々乱暴な運転手であったかもしれない。度々春眠を妨げるのである。その様子を「邪険にあやし」という。「あやす」は、幼児が機嫌をよくするようになだめることをいうのだが、「邪険」を配して暗転させたのだ。見事! 
  
 
  
ふはふはの伊勢の饂飩や春惜しむ     山下 美佐

伊勢のうどんは、腹を空かせた参拝客の注文にすぐ出せるように、茹でっぱなしにしているので柔いのだと聞いたが本当かどうか?とにかく頼りない位歯応えがないのだ。讃岐うどん派は怒るかもしれない。この句「春惜しむ」の季語の配合が決っており、伊勢参りの実感が深い。
  
 
  
引き出しに手紙のやうに種袋       小田島 渚

「手紙のやうに」の把握はうまい!種を蒔く時期が来ているのだ。そろそろ蒔いてください、と引き出しの中の種袋が訴えているのだ。それを督促状のように見たてたところが独自の視点である。
  

  
母の日を待ちきれぬ子よりの手紙     武田真理子

これも子育て中の母親の句。母の日が近づいた子供が感謝の手紙を書いたのだが、それを母に早く見てもらいたくてもぞもぞしている。ついに待ち切れずに母に手渡したのである。何ともほほえましい光景だ。この子が大人になった時に見せてやりたい句だ。 

 
  
癒えし友癒えぬ友あり春惜しむ      福永 新祇

この年になると同窓会が楽しみになる。おのずから持病の話や健康法の話になるのだが、一人、二人と欠けていったりもする。確かに「癒えし友癒えぬ友」は実感である。「春惜しむ」の季語に青春の残像も二重写しになる。
  
 
  
夏鶯声を深めて結願寺          原田さがみ

もう十年程前から武田編集長と四国遍路をしよう、と言いながらお互いに多忙の身で今もって果せずにいる。四国遍路確か千四百㎞位あり、一月半程かかる筈。結願寺で味わう感慨はいかほどであろうか。春に始まった遍路も夏に移っているのだ。「声を深めて」に思いが深い。
  
 
  
囀は夢の終楽章の中           田中 寿徳

そろそろ眠りから覚める時刻である。目蓋にも明るい光が差してきたのであろう。夢も最終段階か、囀の声も混って、徐々に覚醒の直前となる。「終楽章」がいい。
  
 その他印象深かった句を次に

散り易く集ひも易き蝌蚪の群       森濱 直之
オルガンに天上のこゑ聖五月       渡辺 花穂
木葉不莵よもつひらさかよもや此処    桂  信子
はためきて帆となるシャツや夏来る    大住 光汪
滴りの力あつめし神の山         結城  爽
遠き友新茶に寄せて一往信        長谷川千何子

 





 









新連載 【伊那男俳句を読む】

  伊那男俳句を読む⑨

20代の頃から寺巡りが好きであった。日本史も好きであったから「仏教」は避けて通れない。四十歳になった頃であったか、家の近くの天台宗の寺に日曜日の読経の会の貼紙を見て通うようになった。九時から小一時間、般若心経、観音経、不動経を唱和し、住職の短い講和を聞いてお開きというさっぱりした会で、五、六年は通ったであろうか。般若心経も40歳の初めであったか、極端に記憶力の無い私には苦行で、随分時間がかかったが暗記した。
 その頃、不動産融資の取引で知り合った某社の営業部長で、私とほぼ同年代の榎本さんから高野山詣に誘われた。彼はヨガも実践しており、身体で仏教を身につけるという観点から空海上人を最も尊敬しているようであった。高野山では阿字観を体験したり、高野山大学の教授の家を訪問して炬燵を囲んで法話を聞いたりもした。残念ながら私は炬燵の暖かさに負けて眠ってしまったのだが……。
 若い僧侶の木下さんとも知り合った。彼はごく普通のサラリーマンの家庭に育ったが、高校生の時に仏教に目覚め、高野山大学に学んだ。寺の跡継ぎでいやいや僧になった人とは違って、清廉で真摯であった。その後、郷里の津山の奥の小さな無住寺を任された。彼にはお釈迦様、観音様の木造を手配して貰い、今も私の家の仏壇にあり毎日拝んでいる。
 そのようにして四十歳の頃から仏教に親しんでいた。

 この句集よりまだあとのことになるが、53歳の頃、失業した。社長として倒産情報にも名前が載っていたし、年齢も年齢なので、同じ業界への就職は難しかろうと思った。もう金融関係の仕事にも懲りていた。
 そうした躊躇の中で、前述した榎本さんが、永福町の浄土宗の寺を紹介してくれて、毎朝六時からの勤行に顔を出すようになった。住職はサラリーマンから転じて縁戚のその寺を継いだ方で、進取の精神と気骨に溢れる実践家であった。ここには家庭から逃れてきた人や生活に行き詰った人、僧侶を目指す人などが共同生活をする設備があり、まさに道場の雰囲気であった。毎朝一時間ほどたっぷりと勤行したあと、寺の清掃や墓地の草毟りなどをして朝食をいただき、時にはお経の勉強会やヨガの会などもあった。
 その頃妻は乳癌が再発していた。加えて私の失業があり、それなのに仕事を探すこともなく毎日寺に行く私に腹だたしい思いをしていたようだ。「知らないお墓の草毟りをするよりも、自分の家の庭の草を抜く方が先でしょうに……」と嘆かれもしたものだ。この寺にはかれこれ半年ほど通ったであろうか。 

 

  平成4年


村中の婆が集まる大根焚

  平成5年

初旅は杉の香の濃き秩父かな
達磨市背山の杉の匂ひけり
襟立てしまま外套の吊るさるる
父の世の外套はみな重かりし
良寛の墓訪へば春あられかな
花曇大きな靴を子に買へり
鶯餅つまみてどこもやはらかし
春鰯焼く金色の炎を散らし
一刷毛の紅のさびしき山女かな
古書店のくらがりを出て祭笛
鎌倉の海のけぶれる男梅雨
紺青の海の切手や夏見舞
甚平の胸板厚き父なりし
鵜篝の大きく爆ぜて鵜の見えず
舌先に小骨当てたる洗鯉
降りたつて地の揺れてをり船遊び
まだ逃げるつもりの土用鰻かな
登山宿ポストは鳥の巣箱ほど
日焼けせし女盆唄絞り出す


 
  

     
 






 







銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円
























掲示板


















    
      △今月号の掲載はございません・・・・。
   
 
  










第3回「銀漢賞」作品集












銀漢亭日録

伊藤伊那男
 4月

4月12日(金)
中根さん、家の清掃に入る。天気良し。買物など。店、閑散。「秋」佐怒賀正美さん等、青柳フェイさんと。谷口摩耶さんより「門」主宰、鈴木鷹夫氏逝去の知らせ。洋酔さん、島らっきょ持って。


4月13日(土)
十時、発行所。運営委員会。早めに終る。久々、「いもや」の海老天定食を食べたら満腹で眠い、眠い。十三時、「銀漢本部句会」五十人。あと「上海美食酔仙酒店」にて親睦会。

4月15日(月)
店、「展枝さん誕生日、小石さん編集長就任をこそこそ祝う会」とて二十人程が集まる。酒、肴などの差入れ数多。


4月16日(火)
十一時、綾瀬の千代田城北ホール。「門」主宰・鈴木鷹夫氏告別式。「銀漢亭」に来られた時に、「伊那男さん、選句は楽しいね、楽しいね」とおっしゃっていたことを思い出す。あと、「山暦」の前澤宏光(高校先輩と「対岸」の福井隆子さんと茶。店、閑散。


4月17日(水)
「三水会」六人。久々、大住光汪君。加藤恵介君は高遠から。広渡敬雄さん会社仲間と六人。発行所「はてな句会」あと三人……賑やか!中島凌雲君より送別句会のお礼とて銘酒三本到来。柴山つぐ子さんから嬬恋村のクレソンなど。

4月18日(木)
洋酔、宗一郎、鷲巣さんなど。「銀漢句会」あと十六人。まずまずの賑わい。


4月20日(土)
十一時半、神保町「咸亨酒店」。皆川丈人、皆川文弘さんとの会食。当方、禪次、洋酔。十四時、日本橋「与志喜」で「纏句会」。昼の紹興酒が効いてうとうと。十七時半、水内慶太主宰「月の匣」三周年記念会、日暮里の本行寺に招かれる。宴席のあと本堂にて、金原亭伯楽師匠の落語「文七元結」を聞き泣く。あとカラオケスナックで二次会。昼からずっと飲みっぱなしの一日。

4月22日(月)
「湯島句会」出句百五人、出席三十六人。スムースな句会運びで二十時過ぎには酒宴に入る。

4月23日(火)
「銀漢萩句会」に選句。入沢さん、春行子さん。ドイツ人客四人。春行子さんが通訳してくださる。池田のりをさん友人と。「未来図」守屋編集長。帰路、地元のイタリアンレストランに久々。ワイン、パスタ……ああ、また。

4月24日(水)
「雛句会」六人。「りいの」山崎祐子さん教え子五人。……「月の匣」水内主宰一派など。そこそこの賑わい。

4月25日(木)
十三時半、日刊ゲンダイの記者、吉田慎治さん「吉田類 大衆酒場100選」の連載記事の取材に。五月中旬に「銀漢亭」掲載の予定(居酒屋としてもそこそこの評価があるのです)。発行所「金星句会」終って七人。日原傳さん他「天為俳句会」発行所句会の面々。「ホトトギス」今井肖子、相沢文子、阪西敦子さん等、千四百号記念会の打合せのあとと。

4月27日(土)、28日(日)、29日「(月)
三連休。思い切りぐずぐず過す。最終日はオリックス時代の友人と上司(故人)宅。奥様の歓待を受ける。


4月30日(火)
連休の谷間。「俳句界」パーティーのあとの対馬康子さん。石地まゆみさんが鈴木節子さんと。鷹夫氏逝去あと初めて。お元気でほっとする。


5月

5月2日(木)
発行所「十六夜句会」。終って十人。眞理子、いづみさんの誕生月とてバースデーケーキ二つ。新会員三人。カウンターも賑わう。

5月4日(金)
十時、運営委員会。昼、「ろしあ亭」のランチセット。十三時、「銀漢本部句会」、四十七人。あとすずらん通りの四川料理「川府」。「俳句」七月号へ朝妻力句集『伊吹嶺』の一句鑑賞。


5月5日(日)
昼から成城、桃子の家。全員集合。カラスミ、蒸鮑など持参。シャンパンで乾杯!

5月7日(火)
昨日今日で出雲国造千家の『出雲大社』読む。店、国会議員のT氏久々。発行所「かさゝぎ」勉強会(沢木欣一と)、終って十二人。閉店前に中島凌雲駆けつける。禪次さんが「銀漢亭」十周年とて「マキシム・ド・パリ」のケーキ二基用意してくれる。

5月8日(水)
発行所、昼、「梶の葉句会」選句。夜、事業部、「御嶽山鍛練句会」の打合せ。店の奥「きさらぎ句会」七人。毎日新聞の鈴木琢磨氏。伊那北高校先輩の前三井住友海上火災社長井ノ口氏、後輩NHK「坂の上の雲」のチーフディレクター西村与志木氏、三浦氏。大林組役員岸田誠氏など。西村麒麟夫妻久々。賑やか。

5月9日(木)
店、鳥居真里子さん、敦子さんと。どこかの対談のあとと。閑散。二十三時閉める。

5月10日(金)
店休みとする。四時起、品川六時半頃の新幹線。名古屋まで眠りこける。岡山からやくも七号で安来。十六名集合。足立美術館。庭にも収蔵品にも圧倒される。十七時過、松江駅前のホテル。夕食前に一人、近くの「根っこ」という居酒屋。カメの手煮、刺身などでビール。戻って食事と句会。あと有志で再び「根っこ」に繰り出し、のどくろの刺身など。酒は「王禄」。

5月11日(土
五時半集合となっていたが五時半に電話で起こされる。失態。一畑電鉄の始発で出雲大社へ向かう。稲佐浜に直行し大社へ。本殿遷座奉幣祭。その時空に八雲の筋が顕われる。本当です!出雲そば。古代出雲歴史博物館を見て大社参拝。バスにて日御碕へ。日御碕神社、海猫の経島、素戔嗚尊の墳。十八時、宍道湖畔「すいてんかく」にて夕食と句会。あとまたまた「根っこ」。

5月12日(日)
七時、チャーターしたバスにて菅谷たたら場。朝日光男館長の丁寧な説明を受ける。田部屋敷、加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡を巡る。出雲そばの昼食。四隅突出型古墳群を見て黄泉比良坂。十五時のやくも号にて帰路へ。

5月13日(月)
発行所「湯島句会」運営委員会。現行の方法での運営は限界にて六月の会をもって終会とし、新たな句会発足を模索することとする。終って十二人店。客少なし。

5月14日(火)
「火の会」十人。「天為」編集部、最終校正のあとと。「俳句αあるふぁ」俳句が生まれる現場、掲載七ベージ、発売
   
俳句αあるふぁ」6―7月号
△俳句αあるふぁ」6―7月号 「俳句が生まれる現場」


 
浄妙寺の境内の
福寿草。
   
     三郎滝、磨崖仏、熊野神社へ・・・・。




















今月の季節の写真


2013年8月27日撮影   向日葵    神奈川県.座間市





花言葉  「私はあなただけを見つめる」「敬慕」「情熱」

 

3日~4日毎』に入れ替えていきす。

2013/8/27 更新


 

 


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