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 8月号  2019年



伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  
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伊藤伊那男作品

主宰の8句










        
             

 
          

今月の目次








銀漢俳句会/2019/8月号










  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎俳人が世に出るまで

 幕末から明治20年までの約30年間、伊那谷を放浪した俳人、井上井月(1822〜87年)は、没後30年を経て芥川龍之介によって奇跡的に発見されたと言っていい。東京・田端の文士仲間で、芥川の主治医、下島空谷(くうこく)が伊那谷の生家に出入りしていた井月を思い出し、その書を芥川に見せたとところ、「入神と称するをも防げない」と感嘆した。句品の高さも認め、空谷に句集出版を勧めた。空谷は郷里に住む弟の助けを借りて井月の巡った家々から句を収集し、大正10年『井月の句集』を出版した。跋文(ばつぶん)を芥川が、扉への賛句を高浜虚子、内藤鳴雪ほかが飾った。地方の一俳人として忘れ去られても不思議ではなかった井月が、豪華な布陣で世に出たのであった。但しその句集には井月の弟子の句が多数混入していることが判明した。またこの句集に刺激されて井月の新発見句もあり、奇跡的に日記の一部も見つかった。そこで空谷と、伊那高等女学校に赴任した高津才次郎が再編集し、昭和5年に『漂泊俳人 井月全集』が出版された。その後も改訂が加えられ、近時、新発見の句も入れて新編(責任編集・竹入弘元)が出版された。地元の熱意の成果である。また、この10年ので間で決定打となったのは、北村皆雄監督の映画『ほかいびと 伊那の井月』の上映、そして復本一郎編『井月句集』が岩波文庫に収録されたことであった。
 小林一茶(1763〜1827年)は、今では知らない人を探す方が難しいくらいの俳人だが、没後70年ほどの間は北信濃の一部の俳人が知っているだけの存在であった。世に出たのは信濃毎日新聞の記者であった束松露香によってであった。「俳諧寺一茶」の題で明治33年から121回にわたって連載され、これをきっかけに一茶顕彰、研究が進んでいくのである。
 信州を代表する二人の俳人が新聞や映画が決め手となって世に名を広めたことを思うと、マスコミの役割は大きい。
 信州のことではないが、与謝蕪村(1716〜83年)も画家としては知られていたが、俳句については、新聞「日本」の記者だった正岡子規がその句品の高さに気付き、紙面に紹介してからブーム化するのである。ここにも慧眼(けいがん)の記者がいたのである。
 以上、三俳人の私の好きな句を次に。
  
降るとまで人には見せて花曇   井月
是がまあつひの栖家か雪五尺   一茶
牡丹散つてうちかさなりぬ二三片 蕪村

(「信濃毎日新聞」令和元年6月6日掲載に加筆)













 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

八月尽往き交ふ人の貌あたらし       皆川 盤水

 
この句の頃の盤水先生は三十代後半。日新海陸運輸㈱、日栄運輸倉庫㈱など、船舶運用、倉庫業などを経営していた。そのかたわら、新宿の酒亭「ぼるが」で石川桂郎、滝春一などと交流し、沢木欣一にもここで出会った。沢木欣一が「あれだけ実業の世界で多忙な男が、いつの間にか句座にいることが不思議だった」と語っていたのを思い出す。初秋、さて仕事に俳句に褌を引きしめて、という活気。
                    (昭和三十年作『積荷』所収)















  
彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

潮満つる如く神輿の集ひけり        渡辺 誠子
蝌蚪の紐ほどけぬ程に寄り合ひぬ      新谷 房子
千年の藤の重さを風に見る         多田 美記
アルプスの白き旋律花林檎         有賀  理
夕闇の隠しきれざる白牡丹         山元 正規
父の日の父らしく顔ほころばす       中島 凌雲
骨壺の熱のほのかや余花の雨        池田 桐人
磯畑の安房を象る花菜かな         山田  礁
厚塗りの都踊の内蔵助           谷岡 健彦
とまり木のみな蕗味噌の一杯目       こしだまほ
みんみんの真只中へ走りだす        北原美枝子
三世代どころではなき鯉のぼり       星野かづよ
一湾の沖に島あり椿咲く          齋藤 克之
青空を程良く混ぜて鯉のぼり        森 羽久衣
短夜の夢のつづきのつながらず       大野 里詩
令月に色和ませし菜種梅雨         山口 一滴
香水の空になつても香水瓶         田中 敬子
滝音にことばを返す隙間なし        渡辺 誠子
総立ちの数たのもしき松の芯        大沼まり子
大川に撥ぬる日眩し三社祭         塚本 一夫
















彗星集 選評 伊藤伊那男


潮満つる如く神輿の集ひけり        渡辺 誠子
たとえば神田祭とか三社祭とかの大きな祭なのであろう。数え切れないほどの神輿が境内に結集する。それぞれの町内が大事にしている神輿である。まさに「潮満つる如く」が的を射た表現である。神輿を守る人々の喚声は潮騒のようにも聞こえてくるようだ。朝の神社からの出発時の様子と見てもいいし、夕方神社へ戻る熱気の最中の景とみてもいい。「潮満つる」に自然との共生といったことにも思いが拡がるようだ。 

  
蝌蚪の紐ほどけぬ程に寄り合ひぬ      新谷 房子
 お玉杓子は見ていても蝌蚪の紐を見た人は少ないかもしれない。信州で子供の頃はよく見掛けたものである。密集していると、まさにこんがらがった紐のようでもある。そうした実態をありのままに一物仕立で詠み取った句である。俳句は天然の妙を、自分の考えなど加えずに描写するだけで十分感動を覚えるものなのである。

  
千年の藤の重さを風に見る         多田 美記
 最近見た藤棚で驚いたのは、五月の連休に訪れた松阪城内の藤。十メートル四方位のその棚からは薄紫のかなり丈の長い房がびっしりと垂れて周囲を芳香で包んでいた。この句「千年」は京都であるかもしれない。千年は象徴的に用いているだけで、長い歳月、途方もない歳月を咲き続けていると詠み取ればよかろう。「重さ」はその歳月の重さである。人間の生命など取るに足りないと思わせる、樹木の持つ風韻である。

  
アルプスの白き旋律花林檎         有賀  理
一読、私の育った信州伊那谷を思い出す。何度か書いているけれど、四月末位から梅、桜、林檎、梨、桃などの花が一斉に咲くのである。林檎の花は蕾のときは薄紅色で、咲くと白勝ちとなる。美しい花である。目を上げると中央アルプス(木曽山脈)が山頂に雪を残して連なっている。その高低のある山嶺を「白き旋律」と詩的表現で捉えたのが手柄である。 

  
夕闇の隠しきれざる白牡丹         山元 正規  
白牡丹の美しさが際立つ。紅牡丹は闇に溶け込んでしまうかもしれないが、白牡丹は相当暗くなってもその色を闇に残しているのである。白牡丹の「白」が動かない。 
 
父の日の父らしく顔ほころばす       中島 凌雲
 「父の日」というのは母の日と比べてマイナーである。まあ、仕方無いから並べてやった、という感じである。もともと控え目で照れ屋の父なのであろう。喜びを前面に表わせず、ぎこちない笑顔を見せる。そんな様子が如実だ。

  
骨壺の熱のほのかや余花の雨        池田 桐人
 「余花の雨」に読後の余情が残る。取合せがいい。

  
磯畑の安房を象る花菜かな         山田  礁
安房は食用菜の花の一大産地。「象(かたど)る」の把握が壮大だ。

  
厚塗りの都踊の内蔵助           谷岡 健彦
芸妓さんが演じる内蔵助。勢い男っぽい化粧となる。 

  
とまり木のみな蕗味噌の一杯目       こしだまほ
 この日のお通しは有無を言わさず蕗味噌。季節である。

  
みんみんの真只中へ走りだす        北原美枝子
蟬取りの子であろうか。捕虫網ごと走り出すのだ。 

  
三世代どころではなき鯉のぼり       星野かづよ
最近見る風景。川幅一杯の鯉幟は一村丸ごとの趣き。 

  
一湾の沖に島あり椿咲く          齋藤 克之
伊豆七島か、気仙沼大島のような所か。海の色との対比。 

  
青空を程良く混ぜて鯉のぼり        森 羽久衣
鯉幟がコーヒー茶碗の砂糖を混ぜる匙の役割のよう。 

  
短夜の夢のつづきのつながらず       大野 里詩
 「短夜」の眠りの浅さ、醒め易さが出ているようだ。

  
令月に色和ませし菜種梅雨         山口 一滴
 菜種梅雨の頃のおぼろ月であろうか。令和への挨拶か。

  
香水の空になつても香水瓶         田中 敬子
空になっても厳然とした厚手の容器。香りも抜けない。

  
滝音にことばを返す隙間なし        渡辺 誠子
圧倒的な滝の大きさが解る。「隙間なし」がうまい!

  
総立ちの数たのもしき松の芯        大沼まり子
松の新芽が「松の芯」。総てがぞくぞくと天を指す。 

  
大川に撥ぬる日眩し三社祭         塚本 一夫
 夏祭を迎えた浅草界隈の様子が活写されている。













銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

やませ来る勿来の関を越えてより    東京  飯田眞理子
声の主にしては小さき蛙かな      静岡  唐沢 静男
遅ざくら七日遅れといふ便り      群馬  柴山つぐ子
新茶届く平等院の包み紙        東京  杉阪 大和
麦の秋首のあたりの早や痒き      東京  武田 花果
海神へ寄する藤波佃島         東京  武田 禪次
チンドン屋町に花種くばりゆく       埼玉   多田 美記
臨終の額より温き墓の石        東京  谷岡 健彦
りんご咲く童唄から恋歌へ       神奈川 谷口いづみ
蜆汁底に開かずの黙ひとつ       愛知  萩原 空木
そこら中灯して二人豆御飯       東京  久重 凜子
藤揺らす地球一周したる風       東京  堀切 克洋
呼べば来る雀愛しき穀雨かな      東京  松川 洋酔
花うぐひ国栖も奥なる淵の色      東京  三代川次郎


















         





綺羅星集作品抄

       

伊藤伊那男・選


草に樹に染み入る一打鐘供養      東京  半田けい子
承久の銀杏令和にひこばゆる      東京  橋野 幸彦
起こさるることなき朝寝まだ此の世   神奈川 原田さがみ
はこべらは長けて波郷の住みし町    東京  武井まゆみ
丈長きものは折り曲げ菖蒲風呂     東京  小山 蓮子
香水の香の塊といふほどに       東京  梶山かおり
啄木の噓をかぞへて目刺食ふ      愛媛  片山 一行
その昔土佐は遠狭とも青葉山      高知  神村むつ代
蘖の身丈に合はぬ広葉かな       東京  山元 正規
枳殻の蘖早も棘だらけ         東京  朽木  直
シャツを干す五月の空に貼るやうに   東京  大住 光汪
地球儀をたびたび滑る春の蠅      神奈川 鏡山千恵子
鳥声を容れて巣箱の出来上がる     埼玉  夲庄 康代
国引の御世より今に和布刈       東京  山下 美佐
蘭学の泉はこゝと囀れり        埼玉  渡辺 志水
給食に女子校だつて柏餅        東京  畔柳 海村
竹皮の脱ぎしばかりも丸まれり     東京  小泉 良子

更衣行李の底に母の笑み        東京  相田 惠子
走り梅雨墨絵に見ゆる魚付林      神奈川 秋元 孝之
母の日の朝から回る洗濯機       神奈川 有賀  理
自転車を踏み込んで行く花吹雪     東京  有澤 志峯
湯治場の瓦斯の火細し余花の雨     東京  飯田 子貢
アルバムを積めば子の丈こどもの日   埼玉  池田 桐人
峰雲や指もてなぞる間も育ち      埼玉  伊藤 庄平
屠られしみちのくの神やませ来る    東京  伊藤 政三
少しづつ母は遠くへ余花の里      神奈川 伊東  岬
赤城嶺を望む鉄橋麦の秋        東京  今井  麦
春障子座敷童子は三尺と        東京  上田  裕
あずさ号定刻通り夏に入る       東京  宇志やまと
母の日に捧ぐる薔薇を選びゐし     埼玉  梅沢 フミ
子の膝の大きな画板緑さす       埼玉  大澤 静子
銀の糸引くかに発てり春の鳥      東京  大沼まり子
嘘ひとつ加へハンカチ汚しけり     神奈川 大野 里詩
百の手で曳く大凧の反り具合      埼玉  大野田井蛙
客用のスリッパ替へて夏に入る     東京  大溝 妙子
ひと日延べし摘採新茶の滋味深む    東京  大山かげもと
行く春や稲佐の浜の波やはし      東京  小川 夏葉
麗かに腕時計ごと過去が消ゆ      宮城  小田島 渚
楤の芽や母の生家へ峠越え       埼玉  小野寺清人
丹生都比売の袖振る度の落花とも    和歌山 笠原 祐子
水無月の闇の重力平家琵琶       東京  桂  信子
ギヤマンの底の明るさ夏兆す      東京  我部 敬子
一撞のお布施を納め余花の寺      東京  川島秋葉男
粽とは葉の痕残す草団子        長野  北澤 一伯
残党は木曾山系に散つて余花      東京  柊原 洋征
夏めくや喪の大事も瑣事も過ぎ     神奈川 久坂依里子
花うぐひ川をユーカラ織にして     神奈川 こしだまほ
神田祭
陣取つて御輿待つ間の長きこと     東京  小林 雅子
だんだんに提げて片寄る箱の枇杷    長崎  坂口 晴子
をさな児の睫毛はながし緑さす     千葉  佐々木節子
母の日の把手の失せし箪笥かな     長野  三溝 恵子
鷺草や風来る前の飛ぶ構へ       東京  島  織布
指先にどうしても付く柏餅       東京  島谷 高水
眼球の上下運動初蝶来         兵庫  清水佳壽美
粽食ぶ汨羅の淵に魚影なく       埼玉  志村  昌
口寄せは小言となりて山背風      千葉  白井 飛露
ニコライの敬意の鐘や神田祭      東京  白濱 武子
母在るも無くもカーネーション赤が佳し 東京  新谷 房子
骨董の高価に見ゆる木下闇       大阪  末永理恵子
薫風や鯉に跨る金太郎         静岡  杉本アツ子
袋より酒いろいろと花の宴       東京  鈴木 淳子
靴下を靴に脱ぎ入れ磯あそび      東京  鈴木てる緒
まだ淡き若葉をためす雨しとど     東京  角佐 穂子
菅公の宮居匂やか樟若葉        東京  瀬戸 紀恵
パレットに白を足したる新樹光     神奈川 曽谷 晴子
木曾川に沿ひ遠足の列長き       長野  高橋 初風
漱石の癪を鎮める子猫かな       東京  高橋 透水
山霞危ふきに佇つ投入堂        東京  竹内 洋平
校章の型の文鎮桜冷          東京  多田 悦子
空豆のおはぐろ熟るるしるしなる    東京  田中 敬子
カップ麵蓋の重しの柏餅        東京  塚本 一夫
ゆく春に富士も去りゆく車窓かな    東京  辻  隆夫
吹く児等を褒めて大きく石鹼玉     愛知  津田  卓
やたら伸ぶ眉の白髪や春眠し      東京  坪井 研治
葉の縁の強張りがちに柏餅       埼玉  戸矢 一斗
乙訓やかくひろびろと竹の秋      大阪  中島 凌雲
信長を恐れ畏るる時鳥         神奈川 中野 堯司
花冷のひとしほしむる吉野建      東京  中野 智子
片雲に触れなんと咲く橡の花      東京  中村 孝哲
粽解く過剰包装とも思ふ        茨城  中村 湖童
蘖や筑波嶺の風学び舎へ        埼玉  中村 宗男
旅三日富士を見ずして虎が雨      東京  沼田 有希
鳴かむとて陸に上がりし亀ならむ    広島  長谷川明子
札所より望む葛城山うらら       兵庫  播广 義春
戦後てふ時代長々薄暑かな       東京  福永 新祇
八倍の視野へ翡翠飛び込み来      東京  星野 淑子
不恰好詫びて神饌春キャベツ      東京  保谷 政孝
町・橋に浮名の残り業平忌       東京  堀内 清瀬
家系図に書き足す裔名燕来る      岐阜  堀江 美州
夕立の大川わたる白さかな       東京  松浦 宗克
夏めくや風呂屋の富士も塗り替へて   東京  松代 展枝
杵搗きの草の片寄る蓬餅        東京  宮内 孝子
青き踏む子らを追ひかけ母も踏む    神奈川 宮本起代子
踏青や千里といへど一歩から      千葉  無聞  齋
薔薇の門ま昼のひかり登りつめ     東京  村上 文惠
夏近し浜踏む音も波音も        東京  村田 郁子
小石川後楽園
ことのほか深き駅出て新樹光      東京  村田 重子
薬狩の果て辿り着く吉野かな      東京  森 羽久衣
菜種梅雨蛇笏旧居は谷の奥       千葉  森崎 森平
知らぬ間に独りとなれり潮干狩     埼玉  森濱 直之
余り苗ひしめき合ひて育ちをり     長野  守屋  明
雀の子そこのけ通る車椅子       愛知  山口 輝久
杉花粉関八州を統べむとす       群馬  山田  礁
黒漆の香取奥宮花梓          神奈川 𠮷田千絵子
石鎚の裾野は広し麦の秋        愛媛  脇  行雲
太刀洗川濁さぬやうに芹を摘む     東京  渡辺 花穂



















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

草に樹に染み入る一打鐘供養       半田けい子
「鐘供養」は梵鐘の供養で、多くは晩春から初夏の行事。和歌山県の道成寺は四月二十七日。東京の品川寺では海外に流出した鐘が戻った五月五日に行われる。この句「草に樹に染み入る一打」がいい。草木国土悉皆浄仏の言葉があるが、生きとし生きるもの全てを平等とみる仏教の教えが出ているようだ。またそのような理屈を離れても、しみじみとした抒情の世界に誘うのである。


承久の銀杏令和にひこばゆる       橋野 幸彦
 承久は鎌倉時代の初期。後鳥羽上皇が鎌倉幕府の打倒を図ったが敗れた「承久の変」で知られる。この事変によってかえって幕府が政権を固めることになったのである。その頃に植えられていた鶴岡八幡宮の銀杏が、先だって台風禍で倒れ、今その切株から蘖が伸びている、というのである。この十七音で鶴岡八幡宮の八百年の歴史を詠み切った見事な作品である。


起こさるることなき朝寝まだ此の世    原田さがみ  
夫を見送って何年かを経た作者である。一人暮しとなり、特に家事に追われることもなく、起こされることもない。いつもより遅く起床して「さて、まだ生きているな」と思う。人生のしみじみとした感慨で、こういう句は人生も俳句もたっぷり味わった人でなければ作れない秀逸だ。「まだ此の世」の措辞には、逆らえない宿命だけではなく、そこはかとないユーモアが漂っていて、そこが上質な抒情。 

 

はこべらは長けて波郷の住みし町     武井まゆみ
石田波郷の<はこべらや焦土の色の雀ども>が根底にある句だ。波郷は南砂町に長く住んでいた。敗戦から七十年を経て、波郷の町を訪ねた作者は、波郷の詠んだはこべを見て感慨を覚える。樹木とは違うので成長するわけではなく毎年生え変わるのだが「長けて」に年月を感じさせるのである。日本の詩歌特有の本歌取りの手法を生かした技倆のある句。


丈長きものは折り曲げ菖蒲風呂      小山 蓮子
家庭の風呂の様子が面白く詠まれている。それじゃあ子供の成長が……などというおかしさもこみ上げてくる。俳句だから表現できる庶民性である。同時出句の〈木馬にもたてがみのあり夏きざす〉の作り物のたてがみを堂々と句にする独自の感性、〈綱二本路地に伸ばして山車止まる〉のきっちりした写生、と各々楽しませて貰った。 


香水の香の塊といふほどに        梶山かおり
飯田龍太の〈涼風の一塊として男来る〉を思い出した。こちらは女版。「塊といふほどに」が重量感があって凄味を出している。同時出句の〈湯に入りて菖蒲に倣ふ身体かな〉も素直に伸ばした身体を並列にさせた類例の無い発想。⦅河骨に雨の水輪の増ゆるかな〉の日本画の一幅を見るような静かな読後感、と充実していた。
 


啄木の嘘をかぞへて目刺食ふ       片山 一行
啄木の友人であった金田一京助が、どれだけ苦労をしたことか。好きだけれど親類や友人であったら困るだろうな、と私が思うのは、野口英世、石川啄木、太宰治、尾崎放哉、種田山頭火……あたりか。啄木も無茶苦茶な人生。天才であることの引き替えに性格の歪みが出るのであろう。啄木の場合は貧困も原因の一つか。「目刺食ふ」にそこはかとなく残像がある。 


その昔土佐は遠狭とも青葉山       神村むつ代
 あーなるほど、と納得した。地元の人が言うだけに説得力がある。司馬遼太郎の本で知ったのだが、土佐は峻険な山々に囲まれて、四国の中でも隔絶した土地であったという。外に出るには船で海上に出るしかなく、四国の他県を通ることが少なく、江戸時代に入る頃まで、魚の鯉がいなかった――それほど孤立していた、という。「青葉山」がいい。同時出句の〈袋掛褪せきし色に期するもの〉も中は見えないけれど豊熟を期待する心がうまく表現されている。


蘖の身丈に合はぬ広葉かな        山元 正規
枳殻の蘖早も棘だらけ          朽木  直
蘖を詠んだ二句を取り上げてみる。いずれも観察が効いていて、一物仕立てで対象物だけを詠み切った労作である。また各々に発見がある。正規句は、こんなに茎が細く背が低いのに立派な葉を持って!という驚き。直句はやはり細くて柔らかい茎なのに成木と同じようにびっしりと棘を持って!という驚き。天然、自然の妙を詠み止めるという俳句の基本を忠実に実践した爽快な仕上がりである。こういう詠法を忘れてはいけない、と私も教えられた。 

その他印象深かった句を次に。

シャツを干す五月の空に貼るやうに   大住 光汪
地球儀をたびたび滑る春の蠅      鏡山千恵子
鳥声を容れて巣箱の出来上がる     夲庄 康代
国引の御世より今に和布刈       山下 美佐
蘭学の泉はこゝと囀れり        渡辺 志水
給食に女子校だつて柏餅        畔柳 海村
竹皮の脱ぎしばかりも丸まれり     小泉 良子


















               

 



 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

クレヨンの青で塗る空こどもの日   東京  山田  茜
口寄せの口のくぐもるやませ風    東京  保田 貴子
落城の悲話も伝へて桜守       長野  坂下  昭
年輪の楕円の歪みひこばゆる     静岡  金井 硯児
朱の橋を渡り佃の春惜しむ      東京  田家 正好
五月病積木のビルの丸の内      神奈川 白井八十八
聖五月まだ温かき卵受く       埼玉  萩原 陽里
少年の吹くしやぼん玉にじいろに   東京  矢野 安美
長生きの秘訣を問へば亀鳴けり    東京  尼崎 沙羅
春日傘時に物指す物として      大阪  辻本 理恵
セミナリオ跡形も無く春深し     埼玉  渡辺 番茶
富士塚を駆け上がる子等夏きざす   東京  小林 美樹
今年竹触るることさへ躊躇へり    東京  立崎ひかり
ふらここの揺れに解かるるわだかまり 東京  辻本 芙紗
逃ぐる子はおむつ一丁夏盛ん     神奈川 星野かづよ





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


著莪の花八瀬のほとりの道しるべ   東京  秋田 正美
早苗田の九十九島の芭蕉像      埼玉  秋津  結
白牡丹草間に沈み尚しろく      京都  秋保 櫻子
褒められて背のびする児や夏来る   東京  浅見 雅江
出合ひたる幼なじみや夏祭      愛媛  安藤 向山
夏めくや海と空との切れ目なく    東京  井川  敏
豆御飯母の繰り言など聞きて     東京  生田  武
山里に水平面や田植待つ       長野  池内とほる
せせらぎの暗きところに蛇の衣    東京  石倉 俊紀
初鰹包丁三本使ひ分け        東京  市川 半裂
砂を這ふひとかたまりや浜昼顔    高知  市原 黄梅
年記なき鳥居くぐりて薬狩      東京  伊藤 真紀
鯉幟刻の流れを泳ぎをり       神奈川 伊藤やすを
母の日の母叱らるるままなりき    広島  井上 幸三
若葉して包む大船観音像       埼玉  今村 昌史
お大師のうつむく先に白牡丹     高知  岩原 里秋
遍路道ただ一軒の鯉のぼり      愛媛  岩本 青山
菩提寺へ日帰りの旅梅雨に入る    東京  上村健太郎
酒ほがひ朋に幸あれ初かつを     愛媛  内田 釣月
常念に坊主現れ夏来る        長野  浦野 洋一
若葉時ともあれ玻璃をみがきけり   埼玉  大木 邦絵
新茶汲む急須の蓋が見当たらず    神奈川 大田 勝行
咲き初めはまだ上向きの藤の花    東京  岡城ひとみ
どの顔も善男善女山笑ふ       東京  岡田 久男
懐古園石垣の間に都草        群馬  岡村妃呂子
生き急ぐかに満開の花あはれ     神奈川 小坂 誠子
雨霧らふ落葉松大樹夏に入る     京都  小沢 銈三
アイロンを四角四面に汗拭ひ     埼玉  小野 岩雄
花烏賊に戦ありしか耳の裂け     静岡  小野 無道
明日はあの稜線をゆく橡の花     宮城  小野寺一砂
母の亡き歳月カーネーションを束に  東京  折原あきの
無花果の熟し具合や照り返し     福井  加茂 和己
母の日や一人畝立て畑にゐる     長野  唐沢 冬朱
雲の峰鳶一羽の大舞台        神奈川 河村  啓
駒鳥(こま)の声川辺の歯朶をふるはせり   愛知  北浦 正弘
青空は微動だにせず青嵐       神奈川 北爪 鳥閑
新天地桜の蕾まだ固し        長野  北出 靖彦
絵幟の天をも睨む鍾馗かな      東京  北原美枝子
打止めのはねて薄暮の五月場所    東京  絹田  稜
下駄箱の湿気の匂ひ夏来る      東京  久保園和美
馬の耳立てて遠野のやませかな    東京  倉橋  茂
老鶯の声高かりき山上湖       群馬  黒岩伊知朗
節くれの母の手作り柏餅       群馬  黒岩 清子
愛知・知立まつり
花車祝令和てふ幟立つ        愛知  黒岩 宏行
水の隙間ぬけて餌運ぶ岩燕      東京  黒田イツ子
我が町にゆかりの奉祝五月かな    神奈川 小池 天牛  
花の闇金峯山寺の蔵王堂       群馬  小林 尊子
コンビーフ二缶買ふ贅昭和の日    宮城  齊藤 克之
路地に住む神田囃子の音に酔ひ    神奈川 阪井 忠太
母の日のどこか余所事母亡くて    長野  桜井美津江
山並を引き寄す風や夏に入る     東京  佐々木終吉
難解の方程式や亀鳴けり       群馬  佐藤 栄子
母の日を忘れていたと子の便り    群馬  佐藤かずえ
筍に舵のとれない猫車        群馬  佐藤さゆり
春眠や夜来の記憶糸のごと      東京  島谷  操
牡丹の何れも覇気を持て開く     東京  清水美保子
葉脈の醸す旨みや柏餅        東京  須﨑 武雄
うららかや矢切の渡し二百円     岐阜  鈴木 春水
桐生彦部家の竹が徳川勢軍旗の竿
筍は東軍軍旗の竹の末        群馬  鈴木踏青子
自転車のさび落としたる薄暑かな   愛知  住山 春人
熊手筋直ぐ消ゆるまで汐干狩     千葉  園部あづき
茅花流し歩いて越ゆる県境      埼玉  園部 恵夏
毎日が薬漬けなり薬の日       東京  田岡美也子
夏めくやでつかい空に雲ひとつ    東京  髙城 愉楽
春三日月ジャングルジムの天辺に   福島  髙橋 双葉
母の日や形見の時計じつと見る    埼玉  武井 康弘
初蝶の幻のごと失せにけり      三重  竹本 吉弘
山葵の葉揺らす信濃の雨蛙      東京  田中  道
地下鉄の時には地上桐の花      神奈川 多丸 朝子
行く春の少し緩びて琴の糸      愛知  塚田 寛子
湯をそそぐだけのポタージュ春寒し  東京  手嶋 惠子
蘖のはや墓守の体をなす       東京  豊田 知子
上海
プラタナス全市緑に染め上げる    神奈川 長濱 泰子
父母にそれぞれの生桐の花      千葉  中山 桐里 
身を眩ます微熱もありて修司の忌   東京  永山 憂仔
子は巣立ち産毛の残る子供部屋    東京  橋本  泰
木曾谷の檜の棹の鯉のぼり      東京  長谷川千何子
夏近し還暦の日の朱のネイル     神奈川 花上 佐都
母の日の重さに知らぬふりしたる   長野  馬場みち子
闘病を言はぬ美のあり白薔薇     千葉  平山 凛語
床下に川の音聞き夏料理       千葉  深澤 淡悠
卯波立つ真砂女の去りし銀座ゆく   東京  福原 紀子
阿夫利嶺はやうやく下社余花の谷   神奈川 堀  英一 
トランペット落花うながす飛鳥山   東京  牧野 睦子
鈴生りの予感今年の柿若葉      神奈川 松尾 守人
嘴の小さくなりて巣立ちけり     京都  三井 康有
みじか夜や長じし吾子と飲み明かし  東京  八木 八龍
流灯や時は戻らぬ暗き海       東京  家治 祥夫
草餅を乗せたる盆の重さかな     東京  山口 一滴
隠れんぼ見上げし空を初燕      群馬  山崎ちづ子
浜売の若布干したる布ばさみ     神奈川 山田 丹晴
気に入りのシャツ古びたり更衣    静岡  山室 樹一
絵師金蔵殿落成
祝詞上ぐ宮司の袖に風薫る      高知  山本 吉兆
妻見舞ふ目頭熱く朧月        群馬  横沢 宇内
立ち話の間に田植機次の田に     神奈川 横地 三旦
退位礼緑雨の中の御声かな      神奈川 横山 渓泉
葉桜に思ひを馳せる御代替はり    千葉  吉田 正克
旅人の優しくなれりつばくらめ    山形  我妻 一男
目も鼻もほつこりするよ豆の飯    神奈川 渡邊 憲二
母の日に母を誘へば父も来る     東京  渡辺 誠子
風薫る放牧の牛見ゆる丘       東京  渡辺 文子










星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

クレヨンの青で塗る空こどもの日    山田  茜 
 ほのぼのとした、多分、子育て時代を回想した句であろう。幼児の絵を見ると、空なども全部塗り込めるのではなく空白が沢山残っているのである。それでも一所懸命。そんな様子をよく捉えている。折しも五月の明るい空である。同時出句の〈折皺も日ごと薄らぐ鯉幟〉も子供の日の頃。しばらく泳がせた鯉は畳み皺も風に鞣されて目立たなくなる。微細なところまで観察の目が行き届いている。


口寄せの口のくぐもるやませ風     保田 貴子
「口寄せ」というので、下北半島の恐山が舞台であろう。先祖の霊を呼び出すいたこの声も「山背風」にくぐもり勝ちだという。東北の人々が最も恐れる、稲を枯らせてしまう冷たい風。いたこも口籠るというところに、その恐れられる寒冷の風の様子がよく出ているようだ。同時出句の〈やませ吹く南部津軽を分くる塚〉も地名を二つ使っているが、煩雑ではなく、その地形にありありと想像が及ぶのである。〈花鯎風土記に遺る川ひかる〉は、どこかは解らないが、歴史的興趣を呼び起こされる。 


落城の悲話も伝へて桜守        坂下  昭
作者は信州伊那に在住。高遠城の嘱目であろう。武田信玄と諏訪御寮人の子、仁科五郎信盛が城主で、織田軍を迎え撃って全滅する。高遠桜が赤がちなのは信盛が切腹して腸を投げたその血の色だ、という伝説がある。もちろんそれは違って、高遠城に桜が植えられたのは明治の廃城の後である。桜守がそのような落城史を語る。味わい深く詠んだ。同時出句の〈村挙げて南朝贔屓樟若葉〉は大鹿村の嘱目であろう。後醍醐天皇の御子の一人宗長(むねながともむねよしとも読む)親王が逗留して勝機を窺ったという。親王を祀る神社も村の高台にある。いずれも歴史的題材を生かした佳句。


年輪の楕円の歪みひこばゆる      金井 硯児
観察の効いた句だ。切株の年輪の歪みまで捉えた眼力を褒めたい。たとえばアメリカ大陸などの樹木の年輪は雨の量の影響が大きいが、日本の場合は寒暖の差が反映するので時代考証ができると聞いたことがある。それはさておき、蘖とその横の楕円の切口の年輪の構図がいい。 


五月病積木のビルの丸の内       白井八十八
丸の内のビル群を積木とみたのが面白い。それは「五月病」があるからだ。というのは少し前に『積木の家』という物語がベストセラーになり、テレビドラマでも大ヒットしたことを思い出すからだ。ドラマは家庭の中の事件がテーマだが、この句は丸の内の企業の中の事件がテーマ。『積木の家』のリメイク版の趣であるところが面白い。同時出句の〈隧道を出でて歓喜の新樹光〉も「歓喜」の措辞が生きた。


少年の吹くしやぼん玉にじいろに    矢野 安美
 若々しく健康的な句である。「少年」だからいいのであって、残念ながら年寄りだと句は成立しない。「虹」は希望の色だ。「虹色の未来」などという。「七色の虹が消えてしまったのしゃぼん玉のような私の泪」という歌もあった。そのような虹で若者の夢を詠んで気持のいい句になった。同時出句の〈燕来る海図に折目無きものと〉は机の上に拡げた海図には折目があるが、燕の飛来する実際の海には皺などは無い――という面白い対比。


長生きの秘訣を問へば亀鳴けり     尼崎 沙羅
 長生きの秘訣について話していたら、どこかから亀が鳴く声が聞こえたという想像句。何といっても亀は万年生きるという。下五を滑稽味でまとめた面白い仕立てである。


セミナリオ跡形も無く春深し      渡辺 番茶
近江安土の城下町は今、田畑の中にある。一角に「セミナリオ跡」の碑が立つている。その昔、教会が建ち宣教師がいてオルガンの讃美歌が流れていたのである。森澄雄に〈白瓜やここにし安土セミナリヲ〉がある。同時出句の〈古戦場たどる湖北の遅桜〉は姉川の戦いの跡であろうか。各々、足で詠んだ誠実な句柄である。 

 

富士塚を駆け上がる子等夏きざす    小林 美樹
江戸時代には富士登山は女人禁制。その代りに富士山の石を加えて各地に富士塚を作り、足弱の人々もお参りができるようにしたのである。今も品川神社や護国寺の境内などに残っている。今は子供達の遊び場。「夏きざす」の季語の斡旋がよく、これも一種の山開きか。 
その他印象深かった句を次に


 熊手筋直ぐ消ゆるまで汐干狩     園部あづき
 柏餅吾が男系に太き指        長井  哲
 闘病を言はぬ美のあり白薔薇     平山 凛語
 阿夫利嶺はやうやく下社余花の谷   堀  英一
 嘴の小さくなりて巣立ちけり     三井 康有
 隠れんぼ見上げし空を初燕      山崎ちづ子
 馬の耳立てて遠野のやませかな    倉橋  茂
 母の日のどこか余所事母亡くて    桜井美津江


















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(43)          
  
稲の花の一茶にありし貧と貪

 小林一茶は今では知らない人を捜す方が難しい位の俳人だが、没後七十年ほどの間は北信濃の一部の俳人が知っているだけであった。世に出たのは信濃毎日新聞の記者、束松露香によってである。束松は「俳諧寺一茶」の題で明治三十三年から一二一回にわたって連載した。これに触発されて本格的な一茶研究が始まり、また愛好者が全国に拡がっていったのである。一茶は継母とうまくいかず郷里を出て江戸で丁稚奉公をしていたようだ。俳句で名前を知られるようになってからも、たとえば句友の札差、夏目成美の向島別宅の空巣事件では、泥棒の嫌疑をかけられて拘禁されるという屈辱を味わっている。また、遺産を巡って義弟との間で骨肉の争いを演じたりと、泥沼の人世であった。終生纏わりついたのが「貧乏」の「貧(ひん)」であり、そのために持たざるを得なかった「貪欲」の「貪(どん)」である。「稲の花」の季語を配したが、もっと相応しい季語があるのかもしれない、とたまに考えている。  
銀漢の尾を山の端に母の国

 私は七月七日が誕生日。俳句を始めてから本来の七夕は旧暦の七月七日なので、歴史的にみると違うということが解ってきたが、今は新暦で七夕飾りをするところが多いので、七夕生まれと言ってもいいかな、と思っている。雨の日が多いのが困るけれど……。だが俳句では「銀漢・天の川・銀河」は秋の季語。東京に住んでいると星空を見ることが少ないが、郷里信州の星空は美しかった。今は星空見物の観光客が来るという。子供の頃、あまりにも美しい眺めなので、家の物干台に布団を敷いて満目の星を見ながら寝たことがある。夜露に布団が濡れてしまい、母に叱られたことを思い出す。大学生になった最初の頃、東急東横線の学芸大学駅近くの下宿に数ヶ月住んだ。古い木造の家で、物干台があったので、時々信州の方角を眺めていた。山が懐かしかったのだ。伊那谷は赤石山脈、木曾山脈という三千米級の山に囲まれているので天の川が遮られるのだが、それがまた美しいのである。
          










      


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新













俳人協会四賞・受賞式









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は
5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
拡大します。




linkします。



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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 


haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    









   








掲示板
























               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

5月

 5月24日(金)
店、「や」の麻里伊、中村十朗さん来店。超閑散にて、元「俳句」編集長の秋山実さんや鳥居三太さんのことなど思い出話を楽しく聞く。21時、「金星句会」6人。

8月25日(土)
13時、日本橋。スタバで作句。14時、「鮨の与志喜」にて「纏句会」。今日はNYから戻った月野ぽぽな(伊那北後輩)、来月からパリに住む堀切克洋さんがゲスト。5人ほど欠席があったので11人。あと題の蝦蛄(牡・牝)、卵豆腐の汁碗、かますの塩焼、茄子の揚出し、握り。そのあと松代展枝さんの巣鴨の家へ。ぽぽな歓迎会。超結社で20人ほどの宴会となる。

5月27日(月)
「閏句会」(ホトトギス藤森荘吉さん)8人。敦子、ぽぽな……あとうさぎ、敦子、小石さんと餃子屋。

5月28日(火)
13時、俳人協会。能村研三理事長、染谷事務局長、今井聖理事と挨拶。14時から師系以外の俳人の第一句集を読むシリーズで私が阿波野青畝の『萬両』を読むの講座。90分喋る。店「ひまわり句会」あと8人。洋酔さん誕生祝いとてヴーヴクリコで乾杯。

5月29日(水)
選句。店、月野ぽぽなさんと伊那北高校同期の3人。内2人は慶大の後輩にあたり、嬉しいこと。一平さん、早稲田時代の同級生と3人。我部敬子さん『衣の歳時記』刷り上がる。

5月30日(木)
選句。店、皆川文弘さん久々。閑散。「港」の小太郎さん。宝物シリーズの手拭を受賞祝いに。

5月31日(金)
超閑散、21時半閉める。

6月

6月1日(土)
終日家。7月号の選評。時々昼寝、時々テレビ、時々料理。夕飯は家族揃って鯛の兜煮、牛蒡、厚揚添。スペアリブ、岬さんのニンニク素揚、新玉葱のサラダ、新じゃがのベーコン炒めなど。赤白のワイン。

6月2日(日)
14時、中野サンプラザにて「春耕同人句会」50人程。あと「炙谷」にて親睦会。あと窪田先生他六名程でもう一軒。

6月3日(月)
彗星集選評書いて7月号の執筆終了。堀切克洋君と夫人、演劇仲間+琴ちゃんの会。「つの会」5人。「かさゝぎ俳句勉強会」あと11人。三笠書房押鐘会長他、日本酒の会のあと。

6月4日(火)
堀切克洋君のパリ転居送別句会。超結社で40名程が集まる。「堀」「切」「克」「洋」の詠み込み。小野寺清人さんが鮪の半身持ち込み。気仙沼の牡蠣養殖の畠山重篤先生が来店。新著『牡蠣の森と生きる』をいただく。

6月5日(水)
信濃毎日新聞文化欄へのエッセイの校正。担当記者とのやりとりなど。郷里駒ヶ根で市会議員をしている従兄弟と久々電話。店、17時、吟行あとの「きさらぎ句会」6人。「宙句会」あと13人。10周年記念号打ち合わせあとの編集部9人。秋葉男さんが見事な鮪の冊を持ち込み。ちらし鮨用意。

6月6日(木)
「白熱句会」、欠席多く4人と淋しいので、来店した山田真砂年さんを急遽誘い込む。阪西敦子さんも来たので選句頼む。「十六夜句会」のあとの11人。俳人協会の私の講演会を聞いたという埼玉の方4名訪ねて来て下さる。「山暦」の前澤宏光さん(伊那北高校先輩)。「山暦」は終刊。

6月7日(金)
池田のりをさん、安藤さん(伊那北先輩)と。一平さんと鈴木忍さん打ち合わせと。「大倉句会」あと20人。今週は久々忙しく嬉しいこと。

6月8日(土)
10時、運営委員会。午後「銀漢本部句会」54人。あと「上海庭」にて親睦会。

6月9日(日)
終日雨。中村孝哲句集『幻化』の序文、9枚程。夜、笹身と胡瓜の辛子和、鯛の兜煮、鮪刺身、蕪のサラダなど作り家族で食事。

6月10日(月)
「あ・ん・ど・うクリニック」血糖値、基準をオーバー。夜中の飲食をたしなめられる。心当たりは十分あり。店、閑散。雨。

6月11日(火)
栗田やすし先生(「伊吹嶺」顧問)句集『半寿』の句評、角川「俳句」(8月号)へ。店、「雛句会」の山本先生。駒ヶ根市長杉本君と秘書の中嶋さん。そこへ信濃毎日新聞の峯村健司さん、東京へ転勤と。神戸の小野さん、東京の友人と。『然々と』を持参して来られ、サイン求められる。奥は「火の会」11人。ほとんど参加できず。

6月12日(水)
超閑散。仕込みをして20時頃閉める。帰宅すると家族がこれから食事だというので参加。

6月13日(木)
ヘアメイクの中川さん来宅。カットして貰う。店「極句会」あと10人。早い時間に島谷操さん寄ってくれる。

6月14日(金)
杉阪大和句集『思郷』につき「銀漢」8月号へ句集評二頁分執筆。店、堀切克洋君、琴葉ちゃん、いよいよ数日後パリへ移住と。堀切君は1月に一度戻る予定と。3年後、琴葉ちゃんどう成長していることか。更に可愛く、賢くなっているんだろうな……。

6月16日(土)
「薫風」創刊35周年記念会の講演資料作成。風土性俳句の変遷について。十五時、溝ノ口の高津市民館大ホールでミュージカル「オズの魔法使い」鑑賞。孫の伶輔君が子役で出演。

6月17日(月)
「演劇人句会」7人。堀切克洋君、夫人、夫人の父上夫妻、琴葉ちゃん。パリ行き最後の挨拶に来てくれる。

6月18日(火)
梅雨晴間。「銀漢」8月号の原稿書く。店、皆川丈人さん。お嬢様と娘婿の梅田高史さん(朝日新聞勤務)、皆川文弘さん。藤森荘吉さんの「閏句会」9人。「週刊金曜日」の伊達さん他。

6月19日(水)
伊那北同期の「三水会」今日は4人。16期下の御子柴君(慶應後輩でもあり、弁護士)。私の本を7月の総会で賞品に出したいとて来店合流。『銀漢亭こぼれ噺』3冊渡す。銀漢会員で茅野在住の蜂谷さん出張で来たと寄ってくれる。あとは閑散にて22時閉めて、展枝、井蛙さんと餃子屋。

6月20日(木)
伊那の井月俳句大会で講演していただいたことのある今泉恂之介氏(日経OB)とその仲間「三四郎句会」の面々5人来店。「銀漢句会」あと10人と少ない。うさぎさん句会あと麒麟さん他と6、7人。

6月21日(金)
羽田発11時15分にて旭川。「月の匣」年次総会にゲストとして呼んでいただく。真砂年、陶句郎、大島さんと。和風旅館「扇松園」に入る。総会冒頭に挨拶したあと、4人で街に出て「蜂屋」の旭川ラーメン。並びの「ぎんねこ」という焼鳥屋で昼から酒。戻って18時から宴会。津軽三味線の菅野優斗さんの演奏あり。

6月22日(土)
8時半発。大雪山系の麓、羽衣の滝へ。地元の会員斉藤信義さんの案内で地元の「雪華」主宰の橋本喜夫さん合流。桂の古木が見事。蕗、独活の葉が大きい。旭川市博物館にて昼食。資料館見学。アイヌの聖地「神居古譚」。駅舎跡がいい。雨の中、戻って句会。食事のあと、20時過ぎから街に出る。「独酌三四郎」という店で地酒「男山」を飲む。小皿料理の数々。

  6月23日(日)
9時発。ようやくの快晴。旭川市旭山動物園を3時間程。美瑛町へ。麦、ビート、ジャガイモなどの畑の綾が見事。残雪の十勝連山が美しい。あちこちのスポットに寄り、十勝岳山麓の望岳台へ。手の届くほどの近さに富良野岳、十勝岳の噴煙。美瑛岳、美瑛富士などが拡がる。青い池などを見て旭川空港へ。21時、羽田着。水内慶太主宰の「月の匣」の皆様にすっかりお世話になる。感謝!











         
    






今月の季節の写真/花の歳時記


2019年8月23日撮影  狐の剃刀  from HACHIOJI




花言葉   妖艶。
△狐の剃刀
花の名は、細長い葉の形がカミソリに似ていることから、山の中でキツネが使うカミソリに連想して名づけられました。花色がキツネの色に似ていることからという説もあるそうです。
オリーブ カサブランカ 時計草 迎火
送り火 禊萩 玉簾 狐の剃刀

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2019/8/24更新





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