HOME 句会案内 バックナンバー  
2012年 1月 2月
 3月 4月  5月 6月  7月  8月 9月 10月 11月 12月
2013年  1月  2月 3月  4月  5月  6月  7月 8月  9月 10月  11月 12月



12月号 2013年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句
 彗星集作品抄   彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 
  星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男・俳句を読む  銀漢の絵はがき
 掲示板   銀漢日録 今月の写真


フラッシュを使用しました。更新ボタンで再度動画になります。

伊藤伊那男作品


穴惑ひ          伊藤伊那男

叩くともなく胡麻の鞘弾けをり
零余子喰ふまちまちといふ炒り具合

  深草欣浄寺
少将の通い路ここに露葎
少将の九十九夜の露の袖
釣瓶落してふはこのこと木曾泊り
あぎとに手当つれば秋思おのづから

  久々生家を訪ふ
故郷棄て穴惑ひとも見ゆるがに
出郷に追討ちをかけ威銃





   


  
 




            


今月の目次







 銀漢俳句会・12月号












   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

井上井月俳句大会の件

 第22回目を迎えた「信州伊那井月俳句大会」が9月21日、長野県伊那市で開催された。私は昨年からその選者になっていたが、今回が初めての出席であった。
 井上井月については二年程前に映画になることを伝えたが、その時銀漢の仲間の何人がこの俳人の名前を知っていたであろうか。その秋『ほかいびと――伊那の井月』(北村皆雄監督)が公開された。特殊な映画でありながら各地で再上映もされて多くの人にその名を知ってもらうことができた。加えて今年、東海大学名誉教授の復本一郎編纂の『井上井月句集』が岩波文庫として出版され、伊那谷から発信された井月が全国区の俳人として再評価されたのであった。
 下島空谷・五山の兄弟、芥川龍之介、高津才次郎、そして宮脇昌三、春日愚良子、竹入弘元先生などの地道な発掘や解読の成果が日の目を見ることができたのである。
 さて今年の井月俳句大会では、先述の復本一郎先生の「井月の内なる芭蕉」と題する講演があった。その要点は以下である。
 井月が芭蕉を慕った証の句として、
〈我道の神とも拝め翁の日〉〈明日知らぬ小春日和や翁の忌〉など直接芭蕉を詠んだ句がある。
 また芭蕉句の本歌取りの句として、
  芭蕉  旅人と我名よばれん初時雨
  井月  旅人の我も数なり花ざかり
  芭蕉  うき我をさびしがらせよかんこどりなくか                  
  井月  我にきけとばかり啼の歟閑子鳥 
  芭蕉  象潟や雨に西施がねぶの花
  井月  象潟の雨なはらしそ合歓の花
  芭蕉  花咲て七日鶴見る麓哉
  井月  何処やらに鶴の声聞く霞かな
などがある。「閑子鳥(かんこどり)」の句は芭蕉の淋しさの境地にもっと分け入りたいという句。「鶴」の句は芭蕉の視覚から井月の聴覚への転換であるとの解説であった。
 講演会のあと復本先生、北村監督、伊那男で鼎談の時間を持った。私は復本先生に、一茶は井月の生まれる少し前に死んだが、北信濃を放浪した井月が一茶の句を知らない筈がないのに、句にも文章にも残っていないのは何故か、問うてみた。復本先生は「同じ漂泊の俳人だが、一茶の目は常に江戸を向いていたからです」と。つまり一茶は名利を求めていた。それに比べて井月はそうしたことに一切の執着を持たなかった所が、両者の決定的な生き方の違いではなかったか、ということである。
 なお井上井月顕彰会主宰の「第一回井月忌の集い」が平成26年3月9日に東京のアルカディア市ヶ谷で開催の運びとなった 










 



  

盤水俳句・月の一句


伊藤伊那男
   
大鱈を秤る背筋を伸ばしけり   皆川盤水

 先生の郷里いわき、小名浜港の嘱目。「たらふく(鱈腹)」という言葉があるが、冬場の鱈は子持ちのせいもあって貪欲で大きな腹を抱えている。この句、大きな獲物に市場が湧きたっているようだ。漁協の人が背伸びして量っているのであろう。「背筋を伸ばす」に豊漁への感謝の念が籠められているように思われる。小名浜は福島原発の事故の影響を受けて操業停止に追い込まれている。先生が生きておられたらどれほど悲しまれたことか……。
                                    (昭和56年『山晴』所収)

 

  




                   
 



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選
   
追分を淋しき方へ道をしへ        谷岡 健彦
ひらかなの町になりけり運動会      南藤 和義
鮎落ちて一村さらに老いにけり      杉阪 大和
いやしさもどこかにありて夜食かな    杉阪 大和
色鳥や神話の国に来てあそぶ       堀切 克洋
子規庵の机の穴の秋思かな        小野寺清人
宵待たず雨となりけり鱧の皮       塚本 一夫
虫すだく五百羅漢の千の耳        本庄 康代
放浪の足どりとなる花野みち       影山 風子
独り居の母を色なき風と訪ふ       山口 輝久
まくら辺に歳時記大事夜の長き      武田 千津
旅先の八月大名茶碗酒          飯田 康酔
くれなゐの芯に熱ある葉鶏頭       杉本アツ子
埴輪の目吹き抜けてゆく秋の風      山元 正規       
月に()き月に()かれる家路かな      松川 洋酔
迷路めく谷戸の寺領や括り萩       唐沢 静男
筑波嶺の厄日の雲に畏まる        堀江 美州
芋煮会鍋よりたかく焔の上がる      坂口 晴子








        








彗星集 選評 伊藤伊那男


追分を淋しき方へ道をしへ       谷岡 健彦  
私が知っている追分は軽井沢の先の信濃追分。堀辰雄の旧家があり、油屋という元本陣であった宿があった。その先、中仙道と北国街道の分岐が「分去れ」。ここに当てはめれば、道をしへは北国街道へ誘ったということであろうか。安易に使ったら失敗する「淋しき」という感情の強く出た言葉が、ここでは生きている。ちなみに信濃追分は寂れに寂れ、先年訪ねると油屋も廃屋となっていた。 


  
ひらかなの町になりけり運動会      南藤 和義  
 小学校か幼稚園の運動会があったのであろう。子供達の手造りのポスターが町内の掲示板に貼られているのだ。当然平仮名の多いポスターである。そうした運動会直前の風景を「ひらかなの町」と把握した発想が独創的である。子供達の意気込みや参加する親達の暖かなまなざしをひっくるめて、見事に掴み取った表現。

 
  
鮎落ちて一村さらに老いにけり      杉阪 大和  
 老齢化現象はとどまるところをしらない。団塊の世代の我々も老人になってしまったのであるから------。過疎化の進んだ村も鮎が落ちて木々も枯れ始めて更に寂しさを深めていったというのである。故郷への哀惜であろうか。

  
  
いやしさもどこかにありて夜食かな    杉阪 大和  
「夜食」は収穫期の農家が夜遅くに有り合せの材料で雑炊など食べたことから発したが、現代ではサラリーマンの残業や受験生の追込みなどに取る食事の句が多く詠まれるようになった。さてこの句は更にもう一歩進んで現代風景を詠んだ句、飽食の時代が背景にある句ということになろうか。食べなくともよい夜食を欲張って食べてしまったという後ろめたさのようなものが詠まれているのである。時代と共に変化する「夜食」である。

 
  
色鳥や神話の国に来てあそぶ       堀切 克洋
本来私は鳥や魚や風が「遊ぶ」という、作者が勝手に解釈する句は採らないのだが、この句は例外。「神話の国」というところで現代と古代が重なり合う非現実的世界を詠んでいるのでこの言葉がすんなり受容できるのである。

   
  
子規庵の机の穴の秋思かな        小野寺清人
一部が削ってある子規の机。子規の病に馳せる思い。

   
  
宵待たず雨となりけり鱧の皮       塚本 一夫
 何だか鱧の皮がうまくなりそうな設定である。大阪か。
 
 
  
虫すだく五百羅漢の千の耳        本庄 康代
数字を巧みに使って機知を効かせた。確かに千の耳。
 
  
  
放浪の足どりとなる花野みち       影山 風子
「花野」という日常を離れた風景を独自の感性で捉えた。


  
独り居の母を色なき風と訪ふ       山口 輝久
「風と訪ふ」の措辞が秀逸。物語的な仕上りの句。
 

  
まくら辺に歳時記大事夜の長き      武田 千津
私など寝たらそれっきりだが、これが俳人の正しい姿。

 
  
旅先の八月大名茶碗酒          飯田 康酔
 農閑期の珍しい季語。茶碗酒で実感が出たようだ。
 
 
  
くれなゐの芯に熱ある葉鶏頭       杉本アツ子
 葉鶏頭をよく見て、目に見えない本意にまで進んだ句。
 
 
  
埴輪の目吹き抜けてゆく秋の風      山元 正規
 葬送に使われた埴輪が掘り出され現世の秋風の中に。

   
  
月に蹤き月に蹤かれる家路かな      松川 洋酔
 地動説か月動説か?今日の月の明るさを俳味で捉えた。
 
 
  
迷路めく谷戸の寺領や括り萩       唐沢 静男
 鎌倉の風景か。萩のこんがらがった様子が明瞭。
 
 
  
筑波嶺の厄日の雲に畏まる        堀江 美州 
厄日であるだけに「畏まる」に敬虔な気持ちが籠る。

 
  
芋煮会鍋よりたかく焔の上がる      坂口 晴子
河原での芋煮会か。「たかく」に臨場感が。

 

  






          



    
         
     
      
          
        







銀河集品抄

伊藤伊那男選

秋扇しきり幕間の立ち話         飯田眞理子
照りぐせの降り癖となる九月かな     池田 華風
雁渡し波間またたく漁りの火       唐沢 静男
両の手に包む母の手敬老日        柴山つぐ子
機音のひと日止まりて地蔵盆       杉阪 大和
これやこの逢坂山の露葎         武田 花果
猪おどしより起さるる島の朝       武田 禪次
トーストの音の弾みも処暑の卓      萩原 空木
日のにほひ湿り今朝より秋簾       久重 凜子
人はみなふるさとを持ち栗ごはん     松川 洋酔
大和への旅や白露を一日過ぎ       三代川次郎
二百句が不器男の一世流れ星       屋内 松山










   
   





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

蓑虫の身丈の風を纏ひをり        相田 惠子
昂るをなほも残して踊果つ        有澤 志峯
秋夕焼谷戸の深みを離れけり       飯田 子貢
写真機の蛇腹褪せたる終戦日       五十嵐京子
鳴子引く遠き鳴子に音重ね        伊藤 庄平
夜食もて進み具合を尋ねらる       伊藤 政三
食べてくれさうもなけれど零余子飯    梅沢 フミ
為し遂げる生業ひとついわし雲      大野 里詩
迎火を心に焚きてひもすがら       大溝 妙子
秋蟬の地に蹲る胴震へ          大山かげもと
秋袷写真の母の若々し          小川 夏葉
台風の報聞く夕べ薩摩へと        尾崎 尚子
大西瓜手押ポンプによく回る       小野寺清人
ゆゑあつてこの街に住み女郎花      片山 一行
手花火の消えても闇に蹲る        加藤 恵介
ふる里の星飛ぶ夜の話など        我部 敬子
秋澄むや次の一筆まで長き        神村 睦代
慎ましく辛口ひとつ生身魂        川島秋葉男
かまつかの緞帳を身に纏ひしか      北澤 一伯
秋鯖や我が老いやうに遅速なし      柊原 洋征
盆僧の返事待たずに上がりくる      朽木  直
持つ傘の雨にも日にも生姜市       畔柳 海村
燃えつきるまでを見てゐる万燈会     こしだまほ
秋暑し締めてもゆるむ鋼の捻子      權守 勝一
秋簾ながなが下げてころびの(すゑ)      阪口 晴子
座せばすぐ白露の机影をもつ       佐々木節子
病む人の見舞ためらふ枇杷の花      笹園 春雀
二人して同じ願ひや星流る        島  織布
生姜市束ねし紐のゆるびをり       島谷 高水
花火船打ち上ぐたびに揺らぎをり     白濱 武子
神鹿といへど箒で払はるる        新谷 房子
横顔の影秋寂びの阿修羅像        末永理恵子
献納の秋の花火の間合かな        杉本アツ子
武甲嶺を屏風の町や天の川        鈴木てる緒
秋の蟬掃き寄せられて反撃す       瀬戸 紀恵
遷宮の一期一会や旅涼し         高橋アケミ
秋風を扇ぎ酢飯を雑ぜ返す        高橋 透水
始まりは水湧くごとくつくつくし     武井まゆみ
門火かな今年までかと思ひつつ      武田 千津
折鶴の尾の先尖る涼新た         多田 悦子
美しき詩ありし世や藤村忌        多田 美記
機音のあひだをとほる秋の風       田中 敬子
栗飯や卓袱台ありし頃をふと       谷岡 健彦
松籟をなつかしと聞く秋彼岸       谷川佐和子
藁塚崩るおのおのものがたりめきて    谷口いづみ
吾亦紅陰れば出づる紅の色        塚本 一夫
大空の隅を引つ搔き流れ星        坪井 研治
蟬の殻拾ひ夕日に透かしみる       中川冬紫子
子に伝ふことのあれこれ明易し      中野 智子
剃刀の刃に殺気厄日過ぐ         中村 孝哲
梨の実の秘めたる水の重さかな      中村 湖童
達筆の父なほ越せず鰯雲         藤井 綋一
命のみ持ちて引き揚げ敗戦日       堀内 清瀬
秋風や美濃に奉じし年の数        堀江 美州
金星の夕べの冷えに光増す        松浦 宗克
来し方の悔み指折る夜長し        松崎  正
沖合へ伸びし空港いわし雲        松代 展枝
潮銹の画鋲ころがり夏終る        宮内 孝子
訥々とわがちちははへわが棚経      無聞  齋
綿飴に顔がかくれて祭笛         村上 文惠
秩父嶺に迫る黄昏走り蕎麦        村田 郁子
走り蕎麦木曾馬の牧近くして       村田 重子
漁火を斜めに走る流れ星         山田 康教
たたなはる山また山や雁渡し       山元 正規
秋初めインクの匂ふ新刊書        吉沢美佐枝
おわら果て靄と消えゆく胡弓かな     吉田千絵子
貰ひ手のまだ見つからぬゴーヤか     脇  行雲





   

     









銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
      

両の手に包む母の手敬老日        柴山つぐ子
 一読、説明など一切必要としない句だ。心が洗われたと思えばもうそれだけでいい。「両の手に」に万感の思いが籠る。その選句を終えて暫くした後、別件で電話をすると前夜その母上が亡くなったと言う。別離は誰もが経験せざるを得ない理ながら----。
こういう句を贈ることができたら最後の親孝行を果たせたと言ってよかろう。

 
 
 

これやこの逢坂山の露葎         武田 花果
 歴史や古典文学に因む地名に敏感な小生のこと、ついつい目に焼き付いてしまう句だ。逢坂山は京と近江の境に位置し、平安時代には鈴鹿、不破とともに天下三関といわれた関所が設けられていた。〈これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蟬丸〉〈夜をこめて鳥の空音をはかるともよに逢坂の関は許さじ 清少納言〉で知られる。掲出句は蟬丸の歌の本歌取り。手柄は「露葎」の季語の斡旋である。高速道路網やバイパスの発達ですっかり忘れられたこの関所の寂しさを一語で詠み留めた。

 
 

二百句が不器男の一世流れ星       屋内 松山 
 芝不器男は愛媛県の生まれ。四年ほどの句歴で、二十七歳で病死した。つまり残った句はたかだか二百句。しかしながら虚子の激賞を受けた〈あなたなる夜雨の葛のあなたかな〉をはじめ、〈白藤の揺りやみしかばうすみどり〉〈永き日のにはとり柵を越えにけり〉などの格調の高い抒情句を残した。掲出句は同郷の夭折俳人への哀切の一句。

 
  

迎へ火を心に焚きてひもすがら      大溝 妙子
 東京で生活をしていると迎火を焚くといってもさて-------。迂闊なことをすると消防車が来るかもしれない。そんなわけでもはや心の中で焚くしかないというのがこの句。この句の良さは「ひもすがら」の措辞。その通り、ひねもす、終日迎火を焚き続けて待っていると。そこが眼目。



  

かまつかの緞帳を身に纏ひしか      北澤 一伯 
 「かまつか」は葉鶏頭の別名。インド原産というだけに鮮やかな原色の葉を拡げる。その様子を一物仕立ての比喩で詠み取ったのがこの句である。緞帳は刺繡などをほどこした厚手の織物。そのあたりの見立ての良さは造形作家である、この作者の突出した感性というところであろう。

 
 
  

生姜市束ねし紐のゆるびをり       島谷 高水
 生姜市は芝大神宮の祭礼で、十日ほど続くので「だらだら祭」の異名を持つ。近隣の農家の生姜を供え、参拝者に頒布した。その生姜も長い祭のせいで萎んできて束ねた紐もゆるんできたのであろう。皆が見逃していた祭の細部に目が届いていて、一つの新鮮な発見を果たしたのである。

 
 
  

武甲嶺を屏風の町や天の川        鈴木てる緒 
 西武鉄道で秩父に近づくと左手にそそり立っているのが武甲山。セメント原料の採掘で山容が変わりつつあるのが残念だ。ただし夜はその肩幅の広い稜線が町に被さるかのように圧倒的である。そこを「屏風の町」と捉えた感性は良質。秩父の地貌を的確に捉えて美しい仕上りの句。


 
  

始まりは水湧くごとしつくつくし     武井まゆみ
 「つくつくし」はつくつく法師、法師蟬のこと。秋の気配が感じられる頃から鳴き始める。その「つくつく」という出だしを「水湧くごとし」と見たところが出色である。泉の水面が湧水により少し盛り上がるが、そうした全く異質なものを比喩に持ってきて納得させるところがこの句の力である。


 
  

秋風や美濃に奉ぜし年の数        堀江 美州
 作者は岐阜県に生まれ、岐阜県庁に勤めている。東京事務所長として赴任の折、新聞で銀漢句会を知り、仲間となった。句は秋風に融発されて奉職の日々を回想しているのである。「俳句は作者名が前書き」――と私は思っている。つまり作者の人生が抽出されているかを問われるのである。


 
  

綿飴に顔がかくれて祭笛         村上 文恵
 子供の頃、祭の綿飴は嬉しいものであった。あの頼りない大きさ、果無さ、鼻にくっつく感触------。この句は綿飴に子供の顔がすっぽり隠れてしまったと。可愛い風景。

 その他印象深かった句を次に
 

機音のあひだをとほる秋の風       田中 敬子
写真機の蛇腹褪せたる終戦日       五十嵐京子
鳴子引く遠き鳴子に音重ね        伊藤 庄平
食べてくれさうもなけれど零余子飯    梅沢 フミ
手花火の消えても闇に蹲る        加藤 恵介
持つ傘の雨にも日にも生姜市       畔柳 海村
藁塚崩るおのおのものがたりめきて    谷口いづみ
来し方の悔み指折る夜長し        松崎  正







    
  

 








星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

いつまでも交はす握手や敬老日      本庄 康代
衣被つるりとむけぬひとところ      渡辺 花穂
色鳥や御室のみ寺開くをと        桂  信子
望郷の果てに広ごる鰯雲         大住 光汪
子を寝かす母の寝息やちちろ虫      三溝 恵子
虫籠にぎゆうぎゆう詰の油蟬       笠原 祐子
思ひ出の褪せて色なき風の街       大西 真一
団栗も回してゐたる洗濯機        曽谷 晴子
もどかしき釦の穴や休暇明        上田 裕
梨剝くやさながら水を剝くごとく     中島 凌雲
妻の居て日々安らけし秋茄子       保谷 政孝
青春の友みな遠き晩夏かな        沼田 有希
流星の飛び込んで来る峡の空       山下 美佐
前略と書きてしばしを虫の秋       小林 雅子
拳骨のやうなおにぎり芋の風       上條 雅代
すぐそこに母ゐるやうな秋日和      有賀 稲香
立山の御神酒の映す夏の雲        池田 桐人
眠かりしラジオ体操百日紅        小田島 渚
絵本繰る幼子なりの夜長かな       田中沙波子
鈍色となりし台風圏の町         戸矢 一斗
もう誰のものとも知れず流灯会      結城  爽
この辺りほぼ蟷螂の眼の中へ       湯川 漁太


落日の砕け散る波秋思かな        秋田 正美
雁渡し燈台孤高持するなり        秋元 孝之
草の海波頭のごとく男郎花        穴田ひろし
夜もすがら郡上踊りの下駄どよむ     荒木 万寿
生簀より魚移しをり野分前        安藤 政隆
枕木に油浮きたる残暑かな        飯田 康酔
初蟬の声整はぬ力かな          市毛 唯朗
野菊咲く夕日の中に地蔵尊        伊藤 菅乃
ぶら下がる糸瓜いくつか枯れ始む     今井  麦
泥の田に足取られつつ稲を刈る      岩本 昭三
魂が帰る故郷の踊りかな         上村健太郎
手のひらに水ごと受くる新豆腐      榎本 陽子
空蟬掃く乾ききつたるその音も      大木 邦絵
旅鞄片手に仰ぐ秋の雲          大野田好記
狗尾草小猫かまひし日暮かな       岡村妃呂子
盆踊田下駄のひびく水の町        小坂 誠子
案山子着る昔のブランド懐かしき     尾崎  幹
城壁を攻むるいきほひ曼珠沙華      小沢 銈三
酒饅頭喰らふ茶店や山笑ふ        小野 無道
包帯の白のまぶしさ今朝の秋       鏡山千恵子
黄落やつくづく仰ぐ古樹の丈       影山 風子
人波に逆らひ通ふ夜学校         梶山かおり
名月へ別誂へのお膳かな         桂  説子
大雨の跡なまなまと既望かな       金井 硯児
深大寺森をひたすら蟬しぐれ       亀田 正則
鶏頭の紅に怯みて風惑ふ         唐沢 冬朱
今朝の雪カメラ出す間のはかなさよ    北浦 正弘
廻り道日ごと花増す木槿垣        熊取美智子
暑いですね一呼吸おき本題に       来嶋 清子
姿見の中に女の秋太り          黒岩 清女
飛び石が千鳥に打たれ秋の庭       阪井 忠太
風鈴や浅間の嶺に聞かすかに       佐々木終吉
焼岳の色に染まりて蜻蛉かな       佐藤かずえ
秋暑し川瀬歩いてかつぱ橋        佐藤さゆり
梳き櫛の千の櫛目を秋の風        澤入 夏帆
雨戸繰る腕へかそけき秋の風       島谷  操
秋風鈴路地に漂ふ風集め         清水佳壽美
霧晴れてカメラ出す間にまた霧が     志村 昌也
猫といふ先客ありし月の宴        鈴木 淳子
磐梯山を遠くをろがむ蕎麦の花      鈴木 照明
古稀過ぎも宿題急かす法師蟬       鈴木踏青子
人と人影重なりて秋めける        角 佐穂子
左右見て上見てもなほ蜻蛉かな      住山 春人
あつけなく二百十日の雨上がる      髙橋 双葉
干菜汁すすれば昔還り来る        滝沢 咲秀
ひと雨に秋冷の日となりにけり      竹本 治美
庖丁の刃を二度三度大西瓜        竹本 吉弘
蟬の穴あちこちに見え声聞かず      田中 寿徳
アルバムの思ひ出あらた夜長かな     多丸 朝子
振り返り明日は良夜の月を見る      民永 君子
ふと目覚め離れ住む子や虫時雨      近松 光栄
水遣りて朝顔の数今朝いくつ       津田  卓
鰯雲洗ひ晒しの木綿シャツ        手嶋 惠子
玄関に小さき靴や赤まんま        土井 弘道
欄干の温もりほのか赤とんぼ       徳永 和美
秋夕焼穂高の空を薄く染め        富岡 霧中
梨むきて光の筋の輝けり         豊田 知子
蟬時雨木々煌めかせ降り注ぐ       長濱 泰子
善し悪しを襞にたたみて秋扇       中村 貞代
棟梁の腕を顕に天高し          中村 紘子
不器用に柿剝く父の背の円き       永山 憂仔
ネクタイの氏子総代秋祭         南藤 和義
もろこしの光の粒の並び立つ       西原  舞
流れ星縄文遺跡の闇を切る        萩野 清司
雨上がり息継ぎ惜しむ蟬の声       橋本  泰
幾度も霧が隠せり野辺の花        長谷川千何子
一群が瞬間移動稲すずめ         花上 佐都
白樺の木肌白増す九月かな        原田さがみ
直登も楽しき秋の山遊          播广 義春
百日紅燃え尽きかけていよよ濃し     福田  泉
秋夕焼眺むる子らのこけし顔       福永 新祇
洋梨と洋梨どうし凭れあふ        堀切 克洋
電柱が串刺しにする遠花火        松下美代子
笹鳴きや茶飲み話の間に聞こゆ      松田  茂
夕星を称へ涼みの座に交じる       松原八重子
那須岳の竜胆といふ輝きに        松村 郁子
三弦の余韻が甘き風の盆         村上 敏和
赤蜻蛉止まる岬のゆきどまり       森 羽久衣
夜会服広げ蟷螂とびたてり        森崎 森平
郷愁の思ひは秋の風の中         森濱 直之
腕白と言はれし丈夫逝く野分       守屋  明
霙るるや両手に包むティーカップ     家治 祥夫
母住むは色なき風の果ての町       山口 輝久
見覚えのありし服着る案山子かな     山﨑ちづ子
秋風や樺の樹相際立てて         山田  礁
枝豆を枝ごと茹でる走りかな       山田 鯉公
映り込むフロントガラス秋の雲      吉田 葉子
長き夜父の碁盤で一人打ち        渡邊  勲
良き事のあるやもしれず小鳥来る     渡辺 文子













     







星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

    

いつまでも交はす握手や敬老日     本庄 康代
 敬老の日は9月15日。昭和26年から始まった行事で、41年から国民の祝日となった。この句、高齢者の様子がよく捉えられている。年を取れば、これが見納めかという思いが募るもので、握手する手を離さない。何度も握りかえすのである。季語になってから短い期間のせいもあり歳時記の例句を見ても秀句は少ない。詠み難い季語でもあるのだ。そうした中でこの句はその日の様子やお年寄の行動といったものを的確に摑んだ秀逸である。

 
  
衣被つるりとむけぬひとところ      渡辺 花穂
衣被をよく見ているな、やられたな!という句。綺麗に剝けるのが普通の衣被なのに、おやっ引掛るところがある、というのである。こんなところをよく詠み取ったな、と思う。俳句はやはり観察が大切。対象物を凝視して小さくてもいいから自分なりの発見をすることである。作者の感情は入れなくてもいい。天然の真実があればいいのだ。だから「つるり」などという常套語も生きてくるのだ。

 
  
子を寝かす母の寝息やちちろ虫      三溝 恵子
子供を寝かしつけている母親が自分もすとんと寝落ちたという。そう、子育ての母親はいつも疲れているのだ。子の寝顔に安心して自分もふとまどろむ。それは秋の心地よさもあってのことである。ちちろ虫は蟋蟀(こおろぎ)のこと。ひと時の静寂と安堵の様子をしみじみと捉えた。

 
  
思ひ出の褪せて色なき風の街       大西 真一
往時茫々という言葉がある。過去のことを克明に憶えている人がいて、これは小説家タイプ。私は忘れっぽいタイプなのでこの句がよく解る。先日久々信州伊那谷の郷里に寄り、小学校などを訪ねてみたが、ああ往時茫々・・。秋風の中、山襞まで明瞭に望見できたのであるが。目で見える風景と心の中の風景を取り合わせた面白さ。

 
  
団栗も回してゐたる洗濯機        曽谷 晴子
 何の計らいもなく日常の一景を詠んでいて気持のよい仕上がりである。ポケットに入れたままの子供のズボンを洗ってしまったので浮き上った団栗も一緒に廻っている。子育て時代を思い出す楽しい句だ。同時出句の〈夕花野彼の世の歌を聴くやうな〉は一転して抒情の濃い句だが、花野という或る種、異界のような場を心象で捉えている。

 
  
もどかしき釦の穴や休暇明        上田  裕
夏休みはTシャツなどでくつろいでいたのであろう。さて休暇も終り出勤の日、何故かワイシャツのボタンがうまく嵌められない。単にボタンのことだけではなく、日常生活にすぐには戻れない作者の心も投影されているのであろう。そうした感覚を「物」に語らせているところがいい。

 
  
妻の居て日々安らけし秋茄子       保谷 政孝
 こんなに妻恋いの句をぬけぬけと作る人がいるのか、と羨ましかったが、病気を繰り返してきたこの作者なら、まっいいか。不思議なもので衒いではなく真実の声が聞こえるのである。この句のよさは「秋茄子」の季語の取合せ。万に一つの無駄もないという茄子も秋茄子に。そこに夫婦の歴史が投影されているのである。

 
  
前略と書きてしばしを虫の秋       小林 雅子
 前略と書いた上で文案に頭を巡らせているのである。庭からは虫の声が聞こえてくる。しばらくの間筆記用具を手にしたまま虫声に耳を傾ける。手紙を書いている相手との思い出なども虫声と重なって思いが深まるのであろう。秋という人恋しくなる季感を淡い水彩画で描いたような句だ。
 
 
  
絵本繰る幼子なりの夜長かな       田中沙波子
 科学的に言えば夜の長いのはもちろん冬。ところが秋の季語として「夜長」があるのは短夜の夏からの変化を捉えたところにある。いわば大人の季感なのである。それを子供に持ってきたところが手柄の句で、類例を知らない。「幼子なり」の把握には脱帽である。
 
 
  
立山の御神酒の映す夏の雲        池田 桐人
 立山は白山などと並ぶ北陸の修験道の山。山開きの風景であろうが、注がれたかわらけに夏雲が映ったというのである。盃の中に大景を映し取った鮮烈な視覚である。
 その他印象深かった句を次に

もう誰のものとも知れず流灯会      結城  爽
梨剝くやさながら水を剝くごとく     中島 凌雲
鈍色となりし台風圏の町         戸矢 一斗
拳骨のやうなおにぎり芋の風       上條 雅代
眠かりしラジオ体操百日紅        小田 島渚
望郷の果てに広ごる鰯雲         大住 光汪
すぐそこに母ゐるやうな秋日和      有賀 稲香
この辺りほぼ蟷螂の眼の中へ       湯川 漁太











  



 

 







新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む⑫     伊藤伊那男
  
  
    
   銀漢の時代  伊那谷民俗芸能② ――遠山郷の霜月祭――

 「霜月祭」は奇祭と呼んでもよかろう。陰暦11月、三河、遠江に隣接する下伊那郡遠山郷の山峡の神社各所で行われる。伊勢神楽や諏訪神楽が伝播し、平安末期から形を変えながら続いているという。何の変哲もない小さな神社に、その日のために捏ねた土で二つの竈が築かれる。そこへ大鍋を据えて白湯を滾らせるのである。収穫祭と湯立神事が複合した祭である。神事は夜12時位からおもむろに始まるのだが、まず神主が全国の神々を招集する。神の名を一柱ずつ読みあげるのだが、これが八百万の神であるだけに長いこと、長いこと。その神々に白湯を召し上がっていただき、その神々の加護により、命の更新と疫病の退散を願うのである。竈は火を焚きっぱなしなので、もうもうたる煙が閉め切った神社に充満している。時々高い炎が上がって、天井の幣を燃やしたりする。
 そのあと神々を称えて御神楽が始まる。途中からこの地方の領主で、江戸初期にお家騒動が原因で取り潰しになった遠山一族の御霊鎮めの神事も交えて、延々と緩慢な動作の舞が続くのである。遠山一族は全員が無表情の仮面を被った怨霊であるだけに不気味である。最後に天狗の面が登場して煮え滾る湯に素手を差し入れて裂帛の気合で、あたりに湯を撒き散らすのが見せ場である。私が行った時は、丁度隣に新築なった小学校兼村の集会場が夜通し休憩場として開放され、暖房があったので行ったり来たりした。少し眠って神社に戻っても、まだ先程の舞の続きが演じられているのである。
 私が車を出してくれるように頼んだ幼友達の丸山明君は、警戒しながら「寒い、眠い、煙いっていう疲れる祭だよ、本当に行くの?」と言いながらも案内してくれた。丸山君はその名の通り、小さい頃から丸々と太っていて美食家であった。時々東京へ来て「明日空いてる?マキシム・ド・パリ取ってあるんだけど……」「四谷のオテル・ド・ミヤケ予約してあるんだけど……」「神田の藪へ行かない?」などと電話が来る。太っている上に田舎の生活はすべて車なので、歩くことをしない。一度神田から日本橋までたかだか500メートル位を歩かせたら、途中で息切れがして動けなくなった。市会議員をしていて、次の市長選は本命と言われていた中、心臓病で死んだ。五十三歳であった。葬儀では私が弔辞を読んだ。そんな丸山君が渋々案内してくれたのである。
 祭は翌朝白々と夜の明ける6時位まで続く。着ているものは煤だらけで焦げ臭く、眠くて寒い。祭のあとの竈の残り火で村人が味噌雑炊を作っていた。最後まで残って物欲し気に見ている私を憐れんで「食べていけ」と煤臭いお椀を渡してくれた。素朴ながら何とも! 空腹の胃にしみた。
 この祭は季語にもなっており、隣接する愛知県北設楽郡の「三河の花祭」も同類の湯立神事である。

  平成七年
秋風の吹き抜けてゐる軍鶏の籠
地鳴りしてお会式太鼓近づけり
丹沢の暮色に干され猪の皮
父が食むのみの棗の熟れにけり
どぶろくがあると耳打ち杣の宿
冬蝗日の射す方へ跳びにけり
褞袍着てさて何もなき日曜日
ひてはけの靄のごとくに冬桜
落葉焚くはじめの煙濃いかりけり

  平成八年
霜の降る音と言ひたるしづけさよ
風花や鳥獣戯画の寺を出て
寒卵生み鶏鳴のひとしきり
足焦がすほどの炬燵のなつかしき
冬籠りなれど立つたり座つたり
猟犬に身を嗅がれたる峠道
公魚を売る軒先に比良の雪
薄氷に乗りえあやふき雀かな
川原まで追ひ落したる野焼の火
島や今鳶の輪の中栄螺焼く
金輪際口閉ざしたる大栄螺


  

  
   


 





銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円


ごあいさつにご利用下さい。



    














掲示板






















       
        お・や・す・みです。



                       



  
             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男

 8月

8月14日(火)〜18日(日)
寝たり起きたり選句したり文章を書いたり……ぐずぐず過ごす。桃子一家は沖縄へ行ったきり。杏一家は山口から九州と。五日間の内、3日間は酒飲まず。

8月20日(火)
今日も客少なし。新潟日報の文化部記者、大日方英樹氏、北村皆雄監督の紹介とて来店。長野県出身。松山さん交えて話。そこへ長生子さん、句友の市川さん(伊那北高校先輩、興銀OB)と。松山さんは仕事で伊那谷に7年関わり、長生子さんは京都生まれながら信州大学農学部。全員が長野関連のカウンターとなる。だが、そのあと客は「天為」編集部3人他……と淋しい。

8月21日(水)
発行所「梶の葉句会」選句に。13人。店、「三水会」6人。発行所「はてな句会」、あと四人店。中島凌雲君とフィアンセ、夏休み終えて今日帰阪と。


8月22日(木)
清人さん主催「気仙沼大島シーフードの会」。兄上、信一さんが送ってきた蒸し鮑を中心に蛸、烏賊刺、その他。12人。「銀漢句会」あと16人。国会議員のT氏。……久々盛況。

8月23日(金)
区の健康診断の結果、ややメタボ。あとはほぼクリアー。

8月24日(土)
午後、よみうりホール「三輪山セミナー・イン・東京」。武田さん他「煤逃吟行句会」メンバーで。寺沢薫、和田萃氏の講演を聞く。あと一人、渋谷「福ちゃん」で鮪、海鞘、牡蠣。あと焼鳥屋……あと讃岐うどん屋……ああ、また。

8月26日(月)
堀切克洋君渡仏壮行会。結社を超えて何と68名が参集す。前面道路まで人が溢れる。〈婚約てふ堀ひとつ埋め秋の航〉広渡詩乃さん黒羽の土産とて鮎の甘露煮、母上、加瀬美代子様からとて銘酒「千駒」(福島)届けてくれる。

8月28日(火)
盤水先生の命日。事業部に大野田好記君加わり伊那谷吟行の打合せ。




8月29日(水)
店「雛句会」10人。西村和子、阪西敦子さん、林望さんの「謹訳 源氏物語」出版パーティーあと寄ってくれる。池内けい吾さんより葡萄。

8月30日(金)
原稿書きなどの手がすいたので礼状など。店、池田のりをさん誕生会とて十人程集まる。大西君幹事。全体閑散……ああ月末。

8月31日(土)
日本橋「与志喜」にて「纏句会」。フルメンバー。兼題の鯖の味噌煮、鱧の土瓶蒸など。あと握り。終って渋谷「福ちゃん」に寄り、海肝豆腐、蛸でビール。さすがに疲れあり、これだけで止める。

9月
9月1日(日)
昼、杏一家来て、家の改装の件。四時、成城。久々、家族の食事会。持参した蟹。博多モツ鍋。シャンドン二本空ける。半沢直樹を見てから帰宅。少々夏の疲れあり。
9月2日(月)
店、橋本有史さん六人。発行所「かさゝぎ俳句勉強会」9人。今日は石原八束と。

9月4日(水)
「宙句会」あと8人。堀切君渡仏前最後の句会か。秋葉男、洋酔、志峯、大野田、真一……など別れを惜しみつつ来店。坪井さんからシャンパン……。

9月5日(木)
朝方、激しい雨。ゴミ出しもできない程。京王線落雷でストップと。発行所「十六夜句会」武田編集長ゲスト。あと8店。オリックスの元部下堀尾君3人。

9月7日(土)
9時、整体!制裁と思うほど効く。散髪、日用品の買物など。礼状他。「銀漢」9月号校正。17時、日本橋公会堂にて「ジャパトラ特別記念公演」。味わいのある演目。技術の高さ。本庄康代奮闘!「銀漢」の仲間大勢。10数名で近くの中華店で親睦会となる。あと洋酔、大和、展枝、恵子と新宿ゴールデン街。歌う。

9月8日(日)
終日家。「俳壇」11月号、若手トップランナー相沢文子論。「俳句」11月号特集「一句を際立たせる!『禁じ手』の効果」の「切字の重なり」について。「俳句」11月号のエッセー。「銀漢」10月号校正。などなど仕上げる。酒飲まず。

9月9日(月)
「平成俳壇」仕上げ発送。店閑散。最悪状況かという21時過、「天為」橋本有史さん句会メンバー7人来店。最低記録を免れる。少し早めに閉めたので地元で浅酌す。

9月10日(火
俳人協会主催の全国俳句大会あと「雲の峰」朝妻、三代川、多加子さんら11人寄ってくれる。池谷さんが鷹羽狩行特選と。「火の会」8人。長崎の坂口晴子さんが岩本、古木、藪原さんと。賑やか。

9月11日(水
昼、発行所「梶の葉句会」選句に。夜「きさらぎ句会」終って8人店。藤井滝雄公認会計士、久々。太って半ズボン姿。


9月12日(木)
亡妻の弟、博吉君より彦根の伯母、雅子さん逝去と。妻を母親がわりに育ててくれた方。葬儀、日程上、訪問できず……。店閑散。


 9月14日(土)
10時、運営委員会、13時より、「銀漢本部句会」53人。あと「さくら水産」にて親睦会20人程。鈴木踏青子さん、伊香保吟行案内のため、わざわざ高崎から参加してくださる。

9月16日(月
いよいよ台風16号直撃の模様。雨戸閉める。終日家。11月号の選句。法政大学人間環境セミナーの講演の構想を練る。2日間酒飲まず。

9月18日(水)
店、高校同期「三水会」。「高遠句会」の加藤恵介君も顔を出してくれる。発行所「はてな句会」。店「銀漢亭Oh! 月見句会」。今日は待宵。15人程集まる。
持寄3句、席題2句。清人さん焼きそば。展枝さん、団子その他供物。淳子さん、芒他の供花。折しも待宵の綺麗な月があがる。

9月19日(木)
店、早い時間から賑わう。「銀漢句会」あと24人。中秋の名月、見事!小島正さん久々。郷里の今井先輩。

9月20日(金)
「野村句会」あと店へ5人。10月号発送。禪次さん三菱商事時代の部下2人と。鷲巣さん東北大学楽焼クラブの同窓会7人。

9月21日(土)
「あずさ一号」にて茅野。大野田君迎えに来てくれる。「井月俳句大会」へ。途中、母校、伊那北高校に寄ってもらう。

9月22日(日)
高遠にて皆と分かれたあと、黒河内文江さんに火山峠経由で駒ヶ根に送ってもらう。従兄弟(母の実家)を訪ね、酒盛。同期の佐々木君という方が訪ねて来てくれる。2歳の時、重病になったが、赤貧の家にて金なく、私の父を頼ったら、当時高価だったペニシリンを使ってくれて生き返った。私の父が命の恩人であると。結局、治療費は払わず仕舞と。

9月23日(月)
折しも秋祭。夜中、3時半、五十鈴神社の「神迎」を見学。見物人は私1人。午前中、お練りを見る。同期の杉本市長が笛方にいて握手。小中学校を訪ねてみる。天野貞祐の「正しく働いて正しく生きる」の碑……うーむ。再び従兄弟の家で酒を飲み、「あずさ」で帰宅。

9月24日(火)
高校先輩の井ノ口氏、新橋芸妓のみえ子さんと。東京で井上井月忌の集いを開きたいとの相談あり。










     

      








今月の季節の写真


2013年12月22日撮影  柊黐 (ひいらぎもち)   TOKYO/HATIOJI




  

花言葉   【先見】【用心】【将来の見通し】



写真は4~5日間隔で掲載しています。 
013/12/25更新


HOME
漢亭日録