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 10月号  2019年


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伊藤伊那男作品

主宰の8句








        
             

 
          

今月の目次






銀漢俳句会/2019/10月号












  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎再び伊勢吟行を前に

 俳句は訪ねた土地のことを様々な角度から観察し、体感することが大切である。五感でその土地を知る──歴史・地理・気候・風習・気風・特産物──ということで、今回は伊勢の食物について私の知っていることを紹介する。
 伊勢うどん──くたくたに茹でてあるので全く歯応えが無く、讃岐うどんに馴れた人は、うっちゃりを喰らったような失望感を味わうことになる。だが伊勢の人が歯が弱いわけではなく、然るべき理由があるという。腹を空かせて伊勢に辿り着いた人々を待たせないですぐ提供できるように茹でっぱなしにしているのだと。また旅で疲れた胃にもやさしいように、という思いやりの産物だという。
 鮑──伊勢から車で一時間ほど下った国崎(くざき)に鮑捕りの海女おべんを祀った、浄土潜女(あまかづきめ)神社がある。おべんが倭姫に美事な鮑を差し出し、以後神宮への神饌となった。海岸に熨斗(のし)鮑に調理する作業場や干場があり、神域である。鮑ステーキは志摩観光ホテルが有名だが、市内にも名店がある。土産用の煮鮑なら外宮(げくう)の「せきや」。お金は用意のこと。
 地ビール──神都ビールがある。何度か飲んでいるが、5月に訪問の折、河合真如先生に招待された席で三種類の味があることを知った。明治版・大正版・昭和版と各々の風味を持ち、ビール好きには堪らない布陣である。
 牛肉──松阪牛、伊賀牛のお膝元である。外宮近くに「豚捨(ぶたすて」という肉の小売店がある。豚売りの捨吉が始めた店だ。その料理部門が隣接する「若柳」で、内宮(ないくう)近くのお陰横丁にも支店がある。箸で千切れるような網焼きにはまさに骨抜きになること間違い無しである。
 その他──鯛や牡蠣を始めとして魚類の豊富なことと味の良いことは言うまでも無い。菓子も御存知「赤福」を筆頭に銘菓が溢れている。何といっても外宮に祀られている豊受大神(とようけおおかみ)は食を司る女神であり、伊勢は御食(みけ)つ国なのである。
 伊勢詣にも様々な形態があり、江戸時代、富裕層が一族を率いて伊勢詣をすると、今の金で一千万円位かかったと推測されるそうだ。ざっと一人五、六十万円の豪華な旅である。もちろん柄杓一本を持ってお恵みを受けながらの参詣ができたのも伊勢の懐の深さである。
「伊勢参」は春の季語である。副季語として「伊勢参宮」「お陰参(かげまい)」「抜参(ぬけまいり)」「坂迎(さかむか)へ」「伊勢講」「大々講(だいだいこう)」などがある。補足すると「坂迎へ」は村人の積み立てた金で代参した者が帰村するのを酒肴を揃えて迎えること。「抜参」は若者が親に無断で飛び出して参詣すること。「お陰参」は神恩の意で、干支の一巡する年に大群衆が押し寄せた。















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

黒葡萄いよよ漆黒農一忌          皆川 盤水

 
井本農一は芭蕉研究者。お茶の水女子大学教授、実践女子大学学長などを務められた。俳人でもあり、第5回現代俳句協会大賞を受賞している。先生とは交友が深く、春耕の記念行事などにも度々出席していただいた。盤水句碑を建てた山梨県竜王町の端良寺に農一句碑を建立したのも尊敬の証である。農一忌は10月10日。亡くなって4年後の句であるが、季語に黒葡萄を配したのは前述の甲州の野寺のことなどを回想し、偲んでいるのだ。
                            (平成14年作『山海抄』所収)











  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

捕虫網白く少年老易し           上田  裕
山脈の懐に入る帰省かな          唐沢 静男
物干の簡単服や母の家           曽谷 晴子
風鈴のひとつ買はれて音減らず       堀切 克洋
船鉾や頭上にきしむ渡し板         武田 花果
三番の歌詞はあやふやキャンプの火     多田 悦子
七夕や昔とちがう願いごと         手嶋 惠子
女の神の手鏡ほどに泉湧く         谷口いづみ
ひと筆で八ヶ岳(やつ)を描き足す夏見舞      福永 新祇
白日傘すこし顔みせすこし笑み       島谷 高水
三代の膝のふれあふ庭花火         中野 堯司
「陽のあたる坂道」曝書してをりぬ     宇志やまと
箱庭の方丈の庵風そよぐ          塚本 一夫
父母ありてこその故郷遠花火        半田けい子
掬はるる金魚これより小家族        伊藤 庄平
紫陽花や藍の怒濤におぼれさう       久重 凛子
万緑の底を歩みて鎌倉へ          森濱 直之
噴水の止むや天辺置き去りに        戸矢 一斗
京の景閉ぢ込めてゐる団扇かな       末永理恵子



















彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

捕虫網白く少年老易し          上田  裕
「捕虫網白(・)く」とは、あまり使われることもなかった、ということであろう。つまり、あまり子供らしい遊びをすることもなく歳月が過ぎた、ということであろうか。少年期というものはそれほど短いものなのだ、だからこそ、もっともっともっと遊びに集中しておきたいものである、ということであろう。孔子の言葉を捕虫網で絡め取った面白さである。誰もが、あっと言う間に過ぎていく少年期を捕虫網という具体的な「物」を提示し、「白」で象徴している、ということであろう。 

  
山脈の懐に入る帰省かな         唐沢 静男
私は信州伊那谷の出身だが、帰省とはまさにこのような感じであった。中央線の辰野駅から飯田線に入ると、丁度ビール瓶の口の辺りのように狭隘な風景に入る。次第に両側に三千メートル級の連山が見えてくる。そのような帰省であった。「懐に入る」がそうした実景であるとともに、自分を育んでくれた父母や係累の懐へ入る、とも読み取れるのである。 

  
物干の簡単服や母の家          曽谷 晴子
我部敬子さんの近著『衣の歳時記』によると、簡単服はアッパッパとも言い、関東大震災あとの物資欠乏時代の産物で、大阪から発生したものだ、という。身体を締め付けることもなく、夏には自由で気楽な衣類である。母の家を訪ねると、物干台に見馴れた簡単服が干されているのが見える。まだまだ元気で常と変わらぬ生活が続いているのである。作者の安堵の気持と、母上の姿が目に浮かぶ。 

  
風鈴のひとつ買はれて音減らず      堀切 克洋
大量の風鈴が吊るされた市であろうか、一つや二つ減ったところで、全体の音が減るわけではない。そういう圧倒的な音量を詠んだ句である。これはこれでいい。私は俳句を作る時、いつも考えることは、この句と反対のことを言ってみて、どちらがいいか確認する作業である。この句は「減らず」と否定形にしたのだが、反対に「減らす」と肯定形の句も作ってみる。すると、あんなに沢山の風鈴があるのに、たった一つ減った位で音が減ってしまった、となる。こちらも実は面白いのである。参考に。 

  
船鉾や頭上にきしむ渡し板        武田 花果
祇園祭の句である。何年か前から祇園祭が二回行われるようになった。最初、京都人が二度の稼ぎを狙ったか、と思ったが、そうではなく、もともと二回行われていた祭であり、元に戻った、ということのようだ。「後祭」という。その目玉が新装なった船鉾。宵山の風景であろう。「頭上にきしむ」が眼目で、本当の船ならば「足下にきしむ」となる、のだが、鉾であるから「頭上」となる。仰ぐ所に渡し板があるという視覚の面白さ。 

  
三番の歌詞はあやふやキャンプの火    多田 悦子
どんな歌でも三番までとなると、さすがに覚えることは難しい。途中から皆の歌詞が途切れていく。キャンプの火が照らす皆の表情が楽しい。

  
七夕や昔とちがう願いごと        手嶋 惠子
昔は恋の成就、今は健康と生活保障……苦笑である。

  
女の神の手鏡ほどに泉湧く        谷口いづみ
女の神――何とも幻想的な泉。但し手鏡にやや既視感が。 
  

ひと筆で八ヶ岳(やつ)描き足す夏見舞      福永 新祇
一筆で書く八ヶ岳が爽やかである。避暑地からの便り。

  
白日傘すこし顔みせすこし笑み      島谷 高水
白日傘――往時の夏目雅子を彷彿させるような……。 

  
三代の膝のふれあふ庭花火        中野 堯司
大家族の夏の夜のひととき。昔の良き家族関係を思う。 

 
陽のあたる坂道」曝書してをりぬ     宇志やまと
曝書している本が『陽のあたる……』である面白さ。
 
  
箱庭の方丈の庵風そよぐ         塚本 一夫
 こんな庵に住んでみたいものだ。箱庭は理想郷。

  
父母ありてこその故郷遠花火       半田けい子
  実景でもあるが、「遠」に遠くなっていく故郷が重なる。

  
掬はるる金魚これより小家族       伊藤 庄平
確かに、群れから数匹の生活に変る。 

  
紫陽花や藍の怒濤におぼれさう      久重 凛子
「藍の怒濤」に紫陽花園の凄味が言い尽くされている。

  
万緑の底を歩みて鎌倉へ         森濱 直之
いかにも鎌倉。谷戸の風景が目に浮かぶ。

  
噴水の止むや天辺置き去りに        戸矢 一斗
噴水の止まった一瞬。スローモーションの映像。 
 
  
京の景閉ぢ込めてゐる団扇かな       末永理恵子
団扇に描かれた風景か。扇子にした方が味が出そうだ。 
















銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

三世なるうちの現し世蓮の花      東京  飯田眞理子
破損仏の忿怒の構へ青嵐        静岡  唐沢 静男
雄叫びのごと三山の水滝となる     群馬  柴山つぐ子
氷菓食ぶ匙のひかりを顔に受け     東京  杉阪 大和
茣蓙の砂海へ叩いて土用明       東京  武田 花果
青梅雨に冥府の口を覗く道       東京  武田 禪次
五月雨や一木として立木仏       埼玉  多田 美記
木下闇より濃き闇に虚子の墓      東京  谷岡 健彦
木菟のこゑ源家の裔を捜すかに     神奈川 谷口いづみ
孑孑や古道に傾ぐ墓碑の碗       愛知  萩原 空木
何やかや省くこの頃冷奴        東京  久重 凜子
噴水にある不整脈らしきもの      パリ  堀切 克洋
眼光にまだある威厳羽抜鶏       東京  松川 洋酔
花南天光の粒となり傾ぐ        東京  三代川次郎


















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

父の日の遺影は祖父とならぬまま    神奈川 宮本起代子
雪解富士日毎男の貌になり       埼玉  志村  昌
二柱めく雲海の二人かな        埼玉  戸矢 一斗
百合一片欠けて隙間の大きくて     長野  三溝 恵子
金魚田といふ臆病な水面かな      大阪  中島 凌雲
文豪の筆を旅せし紙魚の跡       東京  大住 光汪
振れば鳴る外へ出たがるラムネ玉    長野  高橋 初風
橋掛りめいて四条の川床灯り      東京  橋野 幸彦
日盛りのポストの口も乾びたり     東京  中村 孝哲
蜘蛛の囲をはみ出してゐる大阪城    大阪  末永理恵子
化粧坂ほたる袋はいつ灯る       東京  武井まゆみ
歳月か日にか汚れて白日傘       東京  大溝 妙子
殺し場のゆつくり廻る夏芝居      東京  小山 蓮子
手花火の背中をよぎる荒川線      千葉  森崎 森平

昼下り梅雨の匂ひの手紙書く      東京  相田 惠子
老鶯に老鶯応ふ二上山         神奈川 秋元 孝之
黒百合を見にそれだけの山男      神奈川 有賀  理
尺蠖や己が影をも屈伸す        東京  有澤 志峯
川床へ速き鞍馬の山気かな       東京  飯田 子貢
風紋へ届く海鳴り白日傘        埼玉  池田 桐人
雑学の徒の身もさらす曝書かな     埼玉  伊藤 庄平
人々をやさしく見せる夜店の灯     東京  伊藤 政三
蓮浮葉水面の空を奪ひ合ふ       神奈川 伊東  岬
神住むてふ山に始まる鮎の川      東京  今井  麦
麦秋の風痒さうに筑波山        東京  上田  裕
たたまれて森の匂ひのテントかな    東京  宇志やまと
やぶ甘草裏庭あたりで立ち上る     埼玉  梅沢 フミ
青空に曲り角あり鬼やんま       埼玉  大澤 静子
遠き野に遠き日の吾子夏帽子      東京  大沼まり子
逢ふための舟を貸すべし天の川     神奈川 大野 里詩
藍浴衣にコルク撥ね来る射的場     埼玉  大野田井蛙
褪せてなほ斯く柔らかに七変化     東京  大山かげもと
白鷺の朝の光となりて立つ       東京  小川 夏葉
いただきへ万緑の海泳ぎきる      宮城  小田島 渚
夏終る江の島越しに夕日見て      埼玉  小野寺清人
鍔広の夏帽で行く空の旅        神奈川 鏡山千恵子
十界の中程にゐて冷し麦        和歌山 笠原 祐子
網かけて蜘蛛の捕ふる雨の珠      東京  梶山かおり
里山を抱きかかへたる植田かな     愛媛  片山 一行
あつてないやうな重心浮いてこい    東京  桂  信子
滴りを太古の水のごとく受く      東京  我部 敬子
翡翠に風なく音なく光のみ       高知  神村むつ代
太閤の晩年のごと羽抜鳥        東京  川島秋葉男
紫蘇の葉に静脈流れゐはせぬか     長野  北澤 一伯
淡白に生き淡白な枇杷ふふむ      東京  柊原 洋征
マンホールの蓋に広重日の盛      神奈川 久坂依里子
職退いて日のあるうちの冷奴      東京  朽木  直
南座にまだ日を残す川床仕度      東京  畔柳 海村
走り根の入り組んでゐる木下闇     東京  小泉 良子
朝涼や窓一面に海を見て        神奈川 こしだまほ
夏料理鯉の心臓まだ動く        東京  小林 雅子
大仏へ角をまつすぐ蝸牛        長崎  坂口 晴子
茶柱のごとく孑孑浮いて来る      東京  島  織布
羽抜鶏八幡様の鳩もまた        東京  島谷 高水
箱鮓にもう一押しの木の香り      兵庫  清水佳壽美
君ふいに鬣もてり大夕焼        千葉  白井 飛露
唸り合ふ町工場の扇風機        東京  白濱 武子
旧街道甘酒茶屋迄木下闇        東京  新谷 房子
鳴る神の空を均して過ぎゆけり     静岡  杉本アツ子
真白なシーツ焼けつく日の盛り     東京  鈴木 淳子
あぢさゐの雨にうなづくやうに揺れ   東京  鈴木てる緒
夏燕今年の駅は無人駅         東京  角 佐穂子
木天蓼の花に逢ふ日の旅ごころ     東京  瀬戸 紀恵
あぢさゐや日捲り剥がすやうに褪す   神奈川 曽谷 晴子
故郷のはだし喜ぶ畳かな        東京  高橋 透水
箱庭に枯山水の屛風岩         東京  竹内 洋平
起上り小法師にも似てさくらんぼ    東京  多田 悦子
五箇山の田舎豆腐の冷奴        東京  田中 敬子
山肌の歳月あらは雪解富士       東京  塚本 一夫
誰もゐぬ午後日盛りといふ魔物     東京  辻  隆夫
母の日の母連れて行く美容院      愛知  津田  卓
絵硝子に棲むニコライの黒蜥蜴     東京  坪井 研治
独り言つ晩夏の浜で膝抱へ       神奈川 中野 堯司
葛桜会ふだけで足る友の居て      東京  中野 智子
真つ直ぐに飛ばぬ夜店の射的かな    茨城  中村 湖童
浮くに間を持たせぼうふら沈みけり   埼玉  中村 宗男
翡翠の色打ち立てる水面かな      東京  西原  舞
末つ子の吾のみ残り蚯蚓鳴く      東京  沼田 有希
玉解きし芭蕉に風の八つ当り      広島  長谷川明子
大山詣で渡る川瀬に河鹿鳴く      神奈川 原田さがみ
探知犬に嗅がれて夏至を帰国せり    兵庫  播广 義春
奪衣婆の剝ぎ足らぬ貌梅雨寒し     東京  半田けい子
藤の実の縦に青空区切りけり      東京  福永 新祇
まづ勧む上がり框の古団扇       東京  星野 淑子
鰹釣り土佐の男の子の茶碗酒      東京  保谷 政孝
真贋の怪しき父の軸曝す        東京  堀内 清瀬
膝に吾子乗り梅雨寒を分かち合ふ    岐阜  堀江 美州
美人画にお国柄ありダリア咲く     埼玉  夲庄 康代
蓑虫や殻の破れぬ我に似て       東京  松浦 宗克
茅の輪出てみな肩幅を広くせり     東京  松代 展枝
さつきまで二十歳のわたし昼寝覚    東京  宮内 孝子
あめんぼに跳ねる脚ありさみしくば   千葉  無聞  齋
水響く足場を探り蛍狩         東京  村上 文惠
幼子の星祭る文字濃く太く       東京  村田 郁子
昼顔や流離の愁ひなしとせず      東京  村田 重子
割箸に刺して夜店のもの売られ     東京  森 羽久衣
父の夢肴に父の日の盃を        埼玉  森濱 直之
異次元に踏み入る心地して茅の輪    長野  守屋  明
縄文の光を蕊に古代蓮         愛知  山口 輝久
悪人もいづれ仏へ蓮咲く        東京  山下 美佐
兄逝きて骨揚の間を遠郭公       群馬  山田  礁
万緑を沈めてダムの碧深む       東京  山元 正規
梅雨の蝶己が重さに沈みけり      愛媛  脇  行雲
描きたき街角ばかり巴里祭       東京  渡辺 花穂
埋もれゆく仏足石や竹落葉       埼玉  渡辺 志水

























     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

父の日の遺影は祖父とならぬまま     宮本紀代子
 父の日を詠んで類例の無い作品。父上が死んで随分月日が経過しているのである。その間、子供達は、結婚をしたのかしなかったのか、ともかく孫はいない状態が続いている。遺影の表情は死後一貫して変わらないわけだが、残された子供達の心に写る表情は各々に違っているかもしれない。人生の機微、そこはかとない心の動きなどが投影している句ということになろう。


雪解富士日毎男の貌になり        志村  昌
白妙の富士は女性ということになろうか。雪が溶けるに従って山麓も顕になり、どこか男の風貌に変化してくるのだという。作者は甲州の出身、日頃富士山に親しんできたからこそ、富士山の変化する風貌を読み取ることができるのであろう。富士山の季語には「初冨士」「夏の富士」「赤富士」「富士講」「富士登山」……などなど豊富。やはり日本一の山である。 


二柱めく雲海の二人かな         戸矢 一斗
山頂から雲海に鎮まる山嶺を見ているのであろう。日本誕生の神話にあるように、大地はまだ混沌とした状態にあるーーそんなことに連想が及んだのである。そうであれば登山仲間の二人は伊弉諾尊と伊弉冉命。これから建国する二柱の神ということになる。雲海から導いた美事な発想。 


百合一片欠けて隙間の大きくて      三溝 恵子
 大輪の百合であるだけに一片が欠ければ、まるで前歯が欠けたような雰囲気になるものだ。百合を詠もうとすると、その美しい完璧な状態を句にするのが普通だが、俳句はこの句のように少し外したところに味が出るものだ。


金魚田といふ臆病な水面かな       中島 凌雲
奈良の大和郡山などに行くと、至る所に金魚田がある。無数の金魚が棲息しているのだが、水面は静かである。跳ね上がったりすることはほとんど無い。その様子を「臆病な水面」と表現したのは卓見である。水面下の金魚と言う生き物の生態まで、その一語で表現し切っている。金魚田の上に鳥の襲来を防ぐために網を張っていたりもするが、金魚を育てる人々の気持まで、この措辞で表現し得ているのだ。同時出句の〈雨垂れは黴の産声かと思ふ〉は「黴の産声」が卓抜した発想。〈赤富士や日の本は火の本かとも〉も若干の社会風刺を加えて言葉の斡旋が巧み。 


文豪の筆を旅せし紙魚の跡        大住 光汪
 「文豪」などという言葉の出てくる句はあまり好きではないが、この句は違う。「筆を旅せし」の中七には感嘆するしかない。漱石とか鷗外とか荷風とか特定しないで「文豪」と言ったことで、一冊だけではなく、書棚に並んだ文学全集すべてにわたって、という状態が読み手の胸に広がるのである。同時出句の〈空の青足して飲み干すソーダ水〉〈シーサーの嚙みつきさうな島灼くる〉も感性の鋭さが突出している。


振れば鳴る外へ出たがるラムネ玉     高橋 初風
 我々の世代にはラムネは郷愁の飲み物だ。そのぶ厚くてものものしい瓶、中の玉。今だに不思議な瓶である。何とかあのビー玉を取り出せないものか、と思ったものだ。そういう句は数々あるが、この句は逆に、ラムネ玉が外に出たがっている、と類型を免れた発想である。これが俳句の要諦。


 

橋掛りめいて四条の川床灯り       橋野 幸彦
「橋掛り」を思い付いたことを褒めたい。「橋掛り」とは能舞台の一部で、舞台への通路として斜めにかけわたし、欄干を設けた道。これを上五に持ってきたことで、四条の川床はまさに能の舞台に変身するのである。客は舞台の上の役者。いかにも京都である。同時出句の〈羅生門ありしあたりへ大夕立〉も、小説の『羅生門』の導入部のようである。また〈かがなべて日には七日の夏の風邪〉は日本武尊と甲州の御火焚の翁の連歌を持ち出して「夏の風邪」と落とす。この技法には舌を巻くしかない。 


日盛りのポストの口も乾びたり      中村 孝哲
炎天に人間の口も乾くのだが、街中に立つ郵便ポストの口だって乾くだろう、と言うのである、これには啞然とするしか無い。人間の口とポストの口を同様に扱う。奇想といってよかろう。


蜘蛛の囲をはみ出してゐる大阪城     末永理恵子
大阪城の固有名詞が効いている。豊臣秀吉という人は途方もない土木好き。大阪城はその極致ともいえる巨大な城であった。蜘蛛の囲からはみ出すという発想が豊かである。目に浮かべてみよう、この構図の美事さを! 

 その他印象深かった句を次に

化粧坂ほたる袋はいつ灯る        武井まゆみ
歳月か日にか汚れて白日傘        大溝 妙子
殺し場のゆつくり廻る夏芝居       小山 蓮子
手花火の背中をよぎる荒川線       森崎 森平


















                




 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
月山へ角突き出せり蝸牛        群馬  佐藤 栄子
閻王へ百の階灼けにけり        東京  立崎ひかり
動き出しさうな夜店の飴細工      東京  保田 貴子
京うちは風編み込んでゐるやうに    東京  辻本 芙紗
全身にさざ波立てて毛虫這ふ      東京  小林 美樹
をちこちの金魚田ひかる城下町     埼玉  秋津  結
紙魚溺れゆく北斎の波しぶき      東京  田中  道
雲海やがれ場をぐんと踏む歩荷     埼玉  今村 昌史
ひまはりや大人の恋の映画見て     長野  坂下  昭
ががんぼのつくりものめく脚運び    東京  島谷  操
龍宮を照らすか海の大花火       東京  絹田  稜
書を曝し吾の来し方を曝しけり     東京  田家 正好
雪解富士担いでジェットコースター   千葉  長井  哲
お日さまが色を配りて菖蒲園      東京  福原 紀子
西瓜切る赤道辺り真二つに       神奈川 河村  啓

朝顔の蒼の深まる鬼子母神       東京  上村健太郎
正座からあぐらに変へて冷奴      神奈川 大田 勝行
黒潮は母の乳のごと鰹跳ね       宮城  齊藤 克之
釣堀に火宅の人の背中かな       東京  田岡美也子
雲海やいななき遠き草千里       千葉  中山 桐里 
ほととぎす(くらがり)越の昔あり       大阪  西田 鏡子







星雲集作品抄

           伊藤伊那男・選    

深碧の糺の杜は梅雨最中       東京  秋田 正美
裏山の草丈伸びし半夏生       京都  秋保 櫻子
灼くる午後砂場にシャベルひとつきり 東京  朝戸 る津
信玄の山ふところの桃を食ぶ     東京  浅見 雅江
早苗饗や妻乗せ戻る耕運機      東京  尼崎 沙羅
久方に出店四五軒夏越祭       愛媛  安藤 向山
夏祓人に十色の穢れかな       東京  井川  敏
川床や川瀬の音を先付に       東京  生田  武
裾払ひめきて金魚の掬はるる     長野  池内とほる
古都にゐて炎昼翳る時を待つ     東京  石倉 俊紀
蟻地獄空海像の足元に        東京  市川 半裂
夏祓くぐりくぐりて帰りけり     高知  市原 黄梅
乙姫の土産なりしや水中花      東京  伊藤 真紀
江ノ電に汐の香のせて夏来る     神奈川 伊藤やすを
寄り来る牛のまつげや梅雨に入る   広島  井上 幸三
雨空を吹き飛ばすごとへちまの黄   愛媛  岩本 青山
霧雨や明日香女人の塚濡らす     愛媛  内田 釣月
遠雷に雨の匂ひを身に纏ふ      長野  浦野 洋一
蛇の髭の花それなりに賑はしき    埼玉  大木 邦絵
酒好きの家系途切れず冷奴      東京  岡城ひとみ
尺取の最後の一歩空さぐる      東京  岡田 久男
蜘蛛の巣の糸投げかけて網を張る   群馬  岡村妃呂子
廃線は港を指しぬ雲の峰       東京  岡本 同世
この奥は鎌倉古道木下闇       神奈川 小坂 誠子
埠頭駅降りれば海辺夏来る      埼玉  小野 岩雄
噴き上ぐる砂の輪廻や湧く泉     静岡  小野 無道
しぶきかかる辺りが上座滝見茶屋   東京  折原あきの
手土産は木箱に詰めし青林檎     静岡  金井 硯児
活々と和紙の呼吸や障子貼る      福井  加茂 和己
岳麓の村抱くやに松落葉        長野  唐沢 冬朱
どうするや飛び来たものの巣立鳥    愛知  北浦 正弘
何処より如何に木の葉の蝸牛      神奈川 北爪 鳥閑
蛸並ぶこの日ばかりと半夏生      長野  北出 靖彦
サイダーの弾けて空は遥かなり     東京  北原美枝子
泥水をその糧として花菖蒲       東京  久保園和美
暗転の空抜け落ちて大夕立       東京  倉橋 茂
出羽三山雲海首に巻いて居り      群馬  黒岩伊知朗
手振りまね身振りもまねて盆踊     群馬  黒岩 清子
手をつけば蟻に這はれて砂の上     愛知  黒岩 宏行
産土の生家は果てて夏の草       東京  黒田イツ子
見る人も摘む人もなし浜豌豆      神奈川 小池 天牛
短夜を一気呵成に読了す        東京  小寺 一凡
形代に身の刺うつし梵字川       群馬  小林 尊子
広重の夕立を今に橋の上        神奈川 阪井 忠太
燃え具合律儀に残す蚊遣香       長野  桜井美津江
夏草に気球の影の賑はへり       東京  佐々木終吉
空蟬の舞ひ立ちさうな軽さかな     群馬  佐藤かずえ
梅雨晴の歴史を語る五重塔       群馬  佐藤さゆり
青梅に留まつてゐる雨の粒       東京  清水美保子
一振りの箒に零す草蛍         神奈川 白井八十八
紫陽花や枯山水の波に浮く       東京  須﨑 武雄
掌に冷たき鼓動雨蛙          岐阜  鈴木 春水
桶狭間かの日かくやの朝曇       群馬  鈴木踏青子
著莪群れて日陰に色を加へをり     愛知  住山 春人
  護国寺
梅雨雲を払へ大寺の五色幕       埼玉  園部 恵夏
田に映る連山の影秋近し        東京  髙城 愉楽
明易し道に迷ひし夢をみて       福島  髙橋 双葉
青空をヘリが叩けり山ざくら      長野  宝 絵馬定
虫干の着物に母を思ひ出す       埼玉  武井 康弘
押しのけて水押しのけて溝浚へ     三重  竹本 吉弘
夏萩や遺影の笑みのおだやかに     神奈川 多丸 朝子
板敷の黒光りして泥鰌鍋        愛知  塚田 寛子
蛍火の一つに倣ひまた一つ       大阪  辻本 理恵
雨つづき香水一吹き衿元に       東京  手嶋 惠子
瞼には川のせせらぎ夏の宿       東京  豊田 知子
逝く人を偲べり四葩色づけば      神奈川 長濱 泰子
あれこれも雲海のした八合目      東京  永山 憂仔
西日窓逃れやうなき四畳半       埼玉  萩原 陽里
現世とも思へぬ闇の蛍狩        静岡  橋本 光子
水源は神住む山や溝浚へ        東京  橋本  泰
黒南風や墨東にある過去の色      東京  長谷川千何子
直線も曲線もある青田かな       神奈川 花上 佐都
金魚鉢越しの目玉や通り雨       長野  馬場みち子
灼熱の大地を分ける鉄路かな      千葉  深澤 淡悠
夏暁のまだほの熱き子の寝息      神奈川 星野かづよ
黒鯛(ちぬ)釣や堰堤遠く鉱炉の火    神奈川 堀  備中
今さらに気取りもならず薯の花     東京  牧野 睦子
クロールの腕から覗く雲の峰      神奈川 松尾 守人
血族の匂ひ我にも梅雨湿り       愛知  松下美代子
鮒鮓や湖に波立て帰り舟        京都  三井 康有
春日詣手水の柄杓氷柱せり       奈良  三村  一
輪唱を間遠に尾瀬の水芭蕉       東京  三好 恵子
プレーボール今か今かと大団扇     東京  八木 八龍
いなつるび弥生の土器に籾の跡     東京  家治 祥夫
子蟷螂その手あをあを空を搔く     東京  矢野 安美
風死すや煉瓦造りの弾薬庫       東京  山口 一滴
花南天ふれて崩るる手の平へ      群馬  山﨑ちづ子
草笛の遠のいてゆく川曲かな      東京  山田 茜
縁切寺急坂に沿ふ四葩かな       神奈川 山田 丹晴
長梅雨やソファの窪み戻らざり     静岡  山室 樹一
引越しの初手の荷物の梅酒かな     高知  山本 吉兆
潜り方読みては潜る茅の輪かな     群馬  横沢 宇内
滝見なる茶屋のコーヒー滝の水     神奈川 横地 三旦
大瑠璃の色を残して枝の揺れ      神奈川 横山 渓泉
オカリナの奏でる夜や星祭       山形  我妻 一男
はまなすや国後はそこ直ぐ其処に    神奈川 渡邊 憲二
みちのくの秋保に残る田植歌      東京  渡辺 誠子
















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

月山へ角突き出せり蝸牛        佐藤 栄子
 同時出句に〈山頂は神の領域虹二重〉〈梵字川神の育む岩魚かな〉〈三山を詣でる旅や一夜酒〉があり、出羽三山詣の成果を称えたい。冒頭句は月山という大きな風景と蝸牛という極小の生物とを、あたかも同格のような大きさで描いており、広重や北斎の浮世絵にある極端な遠近法と同じ手法を用いた、巧みな構成である。同時出句の句も各々その地の特徴を捉えていて、出羽三山の神霊に呼吸を合わせて、観光俳句から一歩も二歩も抜け出している趣きである。吟行はその土地の地霊と交信できるかどうか、が肝心要だと思っている。私ごとだが、三十代の後半、初めて出羽三山吟行に参加した折、夜、宿坊の三光院を抜け出して散策し、〈月山の胎内に入る茸採り〉の句を得た。この土地の霊に触れた思いを持ち、一歩前進できたかな、という実感を持ったが、そのようなことを思い出させて貰った句群である。


閻王へ百の階灼けにけり        立崎ひかり
閻魔様はいつ見ても怖いものだ。人は誰しも横しまな心を持っているもので、閻魔様に対面すると、それを見透かされている思いを持つのである。その閻魔堂へ参詣する階(きざはし)は炎天の中で灼けている。まさに灼熱地獄への入口のような舞台設定である。「百の」に百の罪、百の懺悔‥‥という心地が含まれているようである。同時出句の〈奪衣婆の胸をはだける暑さかな〉〈跳ねまはる三尺帯や夜店の灯〉も各々秀逸であった。 

 

動き出しさうな夜店の飴細工      保田 貴子
やわらかな飴を伸ばしたり切ったりして動物や昆虫などを作っていく。夜店の灯の中で見ると驚きの連続で、見飽きることが無い。「動き出しさうな」と、八音で中七に入っていく表現に、まさに童心の驚きが出ているのだ。「俳諧は三歳の童に習え」と芭蕉が言ったが、この句にはそのような「無心」「素直さ」が出ているようだ。 


京うちは風編み込んでゐるやうに    辻本 芙紗
同じ団扇でも京都のものは、やはりどこか繊細である。千年に渡る審美眼がすみずみまで行き渡っていて、日用品にも手抜きが無いのである。その京団扇であるからこそ「風編み込んでゐるやうに」の措辞が生まれてくるのであろう。団扇で生まれる人工の風をうまく表現している。同時出句の〈織姫の泣いてゐるかに雨細し〉は生憎の雨の七夕に想像を膨ませた楽しい句である。「雨細し」の抑えがうまいところだ。 


全身にさざ波立てて毛虫這ふ      小林 美樹
を凝視し、そのものだけを一直線に詠み切る方法である。それはなかなか難しい作業だが、観察眼を養い、表現力をつけるには最も有効な訓練である。この句は「さざ波立てて」が観察の成果である。同時出句の〈箸入れて均衡を欠く冷奴〉も「冷奴」だけを詠み切って成功している。「均衡を欠く」はまさにその通りで、期せずして滑稽感をも醸し出しているようだ。私は俳句の上達方法の一つは、一物仕立ての句に挑戦することだと思っている。一つの「物」だけ 


紙魚溺れゆく北斎の波しぶき      田中  道
 
技のある句だ。北斎のあの富士山の裾の大きな波濤の版画なら、紙魚も溺れてしまうだろう、というのである。この発想には心から称賛の拍手を送りたい。同時出句の〈せめぎ合ふ川中島の葎かな〉は歴史を題材にして「せめぎ合ふ」を導き出した手柄。〈アルプスに染込んでゆく大夕焼〉の「染込んでゆく」は臨場感のある新鮮な措辞であった。 


龍宮を照らすか海の大花火       絹田  稜
 海上の花火を見て、海底にまで想像が及んだことを称えたい。「龍宮を照らすか」は伸びやかな発想である。同時出句の〈影踏みの影薄まりし夕立前〉は前句とは違って、実景を克明に観察した句である。「影」というものにも状況によって差異があることを平明に表現しているのである。影だけを見詰めて「あっもうすぐ夕立が来る」と察知したところがうまい。「物」を凝視した成果である。


書を曝し吾の来し方を曝しけり     田家 正好
日記や作文などを曝書しているのである。私にも覚えがあるが、棄て切れないでいる小説や詩の習作などを見ると、あたかも自分の裸を晒しているような気分になるものである。この句の最初の「曝す」は「曝書」だが、後の方の「曝す」は「身を曝す」と、二つの意味を詠み分けているのだ。 
その他印象深かった句を次に
 釣堀に火宅の人の背中かな      田岡美也子
 雪解富士担いでジェットコースター  長井  哲
 雲海やいななき遠き草千里      中山 桐里
 ほととぎす暗越の昔あり       西田 鏡子
 朝顔の蒼の深まる鬼子母神      上村健太郎
 正座からあぐらに変へて冷奴     大田 勝行
 西瓜切る赤道辺り真二つに      河村  啓
 黒潮は母の乳のごと鰹跳ね      齊藤 克之



















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(45)

  
母の家の切貼障子小鳥来る


 母は、伊那谷、駒ヶ根市(当時は赤穂町)に大正十年に生まれた。実家は市内の街道に面した商家で、私の記憶にあるその家は、戦後急激に没落していったが、庭木の美しい中庭を囲むように海鼠壁の蔵が五棟ほど有った。敷地の一番奥には屋敷神として「祝(いわい)殿(でん)様(さま)」と呼ぶ、赤い鳥居を持った稲荷社も建っていた。母が育った頃は奉公人の男衆が七、八人、女中さんも四、五人はいたようで、小学校の送り迎えに女中さんが付き添っていたという。当時、町から数人しか進学しなかったと思われる伊那高等女学校へ通っていたのであるから、乳母日傘のお嬢さん育ちということになる。近郊の貧農の子として苦学して医者になった父と見合い結婚して、この町の親戚から土地を分けて貰い、耳鼻咽喉科医院を開業して、そこで私達兄弟は育ったのである。母の母は気位の高い人で、私達は「おばあ様」と呼んで恐れていた。句はその「おばあ様」の住む奥の間の風景を思い出して詠んだ句である。
  

  
霧吸つて霧吐いてゐる岬馬


 下北半島の突端に尻屋崎灯台がある。周辺の草地に、厳冬の気候にも耐えられる遺伝子を持った田名部馬、尻屋馬などが、周年放牧されている。総称して近年は「寒(かん)立(だち)馬(め)」と呼ぶようになった。季語ではない。私が行った時は馬たちは海峡の生む霧の中にいた。そのあとは想像の世界に入る。俳句は、そこまでをしっかり見た上で、あとは自分の感性を投入していくものである。「見てきたうえで嘘を言う」ということである。霧は肺腑に入って吐き出されるものであるから、霧のまま吐き出されるわけではない。冷気との差で、白息として出てくるのだが、私には馬も霧を生み出しているように見えてきたのである。先般、句集『宵山』を出版した飯田子貢さんが「あとがき」の中で、初学の頃、この句に感銘を受けたと書いてくれた。自分の句を覚えてくれている人が一人でもいてくれたら幸せなことである。まして触発されたと言ってくれたら俳人冥利に尽きるというものだ。











      


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新













俳人協会四賞・受賞式









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は
5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
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linkします。



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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 


haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    






   








掲示板






























               

銀漢亭日録

伊藤伊那男

7月

7月25日(木)
朝6時前、金沢駅着。駅で蕎麦。身支度を整え、8時、レンタカーで白山山麓、別当出合へ。10時過ぎ、出発し、「甚之助避難小屋」、クロボコ岩などを経て17時くらいか、「白山室堂ビジターセンター」という九100人収容の山小屋に入る。夕食後、20時の消灯で寝る。17年振りの登山。標高差千二百米余はきつい、きつい。登山ガイドブックの倍近い時間をかけた7時間登山。夜中、大雨が降った様子。

7月26日(金)

夜中、3時59分、鐘が鳴り、御来光が見られるとの会図。身支度をして暗がりの中を登山。5時前の御来光に間に合う。神官の合図で万歳三唱。あと噴火口跡の池などを巡る。小梅蕙草の当り年で圧巻。チングルマ、ハクサンフウロ、ゴゼンタチバナ、キンバイ、……と、高山植物の宝庫。翠ヶ池のほとりでブロッケン現象(御来迎)に合う。10秒ほどの出来事だが過去の登山でも遭遇しなかった至福の現象! 朝食後、8時過、下山へ。5時間半ほどかけて別当出合へ。歩いた歩いた。高齢者がことの外元気。旧白峰村の林西寺へ。ここに明治の廃仏毀釈になる迄に白山に祀られていた阿弥陀仏を始めとした仏像が安置されている。御住職の説明が明快。白峰村は越前と加賀の領地争いの地で、江戸期は折衷案で天領となり、明治から石川県に編入。住職はこれが不満。「私の顔は越前顔である!」 と。高齢者を温泉宿に送り、日帰温泉で慌しく汗を流す。井蛙さんとレンタカーで金沢へ。駅中のおでんの「黒百合」に。おでん、かんどうの刺身、ハチメ(さより)の塩焼、魴鮄のトロトロ昆布巻、泥鰌の蒲焼など。あと近江町市場に行き「口福」という店で白海老、いしる鍋など。井蛙さん、最終の新幹線で別れる。駅上のホテル「ヴィアイン金沢」に投宿。

7月27日(土)
6時過までたっぷり睡眠。8時23分の「はくたか」にて佐久平経由で小諸へ。快晴。富山からの立山連峰が美しい。11時半、小諸の蕎麦「刻」へ。うまい。「こもろ・日盛俳句祭」。今日は「北国街道ほんまち町屋館」の担当で「岳」編集長の小林貴子さんとスタッフ。17人で句会。あとシンポジウムを聞いて親睦会。途中で抜けて「刻」。貸し切りで宴会をお願いしたもの。銀漢グループ、行方克己先生グループ。「円座」主宰の武藤紀子さん。土肥あき子さんなど15人。料理よし。あと和音さんの部屋でワインパーティー。

7月28日(日)
二日酔。とろろ芋などの朝食は食べたものの不調。チェックアウトの12時ギリギリまで部屋で愚図愚図。作句も。町のいつもの店で珈琲飲んで「ベルウィンこもろ」の会場へ。13時半からの句会は山田真砂年、土肥あき子さんのスタッフで24人。15時半まで。北軽句会から横沢、武井、佐々木さんが迎えに来てくれて銀漢勢8名ほどで嬬恋村柴山つぐ子山荘へ。中軽から別ルートでも仲間が来て数10名。北軽句会、15五名程の句会の面々が迎えてくれる。歓迎の横断幕二つ! 庭にテントを張ってガーデンパーティースタート。ジャガイモ掘り、スイカ割りなども。5句出し句会もフルスピードで行い、20時半、色々なお土産をいただいて軽井沢駅へ送っていただく。滞在時間3時間半ながら濃密な交流会24時帰宅。無事、良い旅終える。

7月29日(月)
店、予約なく、休み開けで心配していたが、常連さんがカウンターを埋めてくれる。水内慶太先生も見えて、私の誕生祝などの名目でヴーヴクリコ2本空ける。

7月30日(火)
閑散。20時閉める。

7月31日(水)
猛暑。エッセイ、礼状など。店、閑散。21時、閉める。㐂道庵で小酌。

8月

8月1日(木)
7月の店の月次収支表作成。彗星集選評を書き、9月号の執筆終了。猛暑。店、「十六夜句会」句会あと八人。水内慶太氏、「すし屋の弥助」のすし差し入れ。毎日「俳句αあるふぁあ」中島三紀編集長他3人。

8月2日(金)
「大倉句会」あと18人。大塚製薬の原田さん3人と次女、杏子、麻美さん。2人共、大塚に勤めていた。10数年振りの再会と。麻美さんは「銀漢亭」のアルバイトをしてくれたこともある。

8月3(土)
10時、運営委員会。昼食、「大戸屋」の四元豚のトンカツ。麹町会館にて「銀漢本部句会」54人。あと中華店で暑気払い。30人ほど。

8月4日(日)
13時、中野サンプラザにて「春耕同人句会」。波朗主宰、柚口満さん欠席。あと「炙谷」にて納涼会30人ほど。あと窪田さん他ともう一軒。

8月5日(月)
洋、近恵さん、水内慶太さん、鈴木忍さん。三省堂の飛鳥勝幸さん。「諏訪市立信州風樹文庫」の講師の件で。日程合えば行くことに。「かさゝぎ勉強会」あと9人。気仙沼の一砂さん。皆川文弘さん。

 8月6日(火)
「俳句αあるふぁ」秋号のグラビアへ料理3品のレシピとエッセイ送る。あ・ん・ど・うクリニックで降血圧剤貰う。暑い。店、「栴檀」の方々5人。「火の会」は七人と少ない。

8月7日(水)
伊那谷の後輩、田中昇君夫妻。「きさらぎ句会」あと4人。「宙句会」あと9人。

8月8日(木)
三輪初子さん、らくださんと仲間。毎日新聞の今井竜さん他。「極句会」あと9人。久々、光汪さん。環さんと「パティオ」の仲間六人など繁忙。

 8月9日(金)
巨人軍高橋由伸氏の義父小野寺さんの駒場東邦同期の会。清人さんが牡蠣、帆立、海鞘、鰹、鮪など持ち込みあり。15人ほど。

8月10日(土)
「Oh! 納涼句会」。朽木直さんの采配。5句持ち寄り、あと3句、2句と計10句の句会。酒、肴、沢山持ち込みあり。あと水内慶太さん等で「大金星」。明日から夏期休業。

 8月11日(日)
終日家。角川「俳句」の10月号「や」「かな」「けり」以外の切れについての名句という依頼原稿、約10枚に悩む。夜、家族揃い夕食。鮪の山かけ、刺身、牛舌焼き、蒸鮑など。21時に寝てしまう。

 8月13日(火)
角川に原稿送る。行方克己先生の句集『晩緑』評を三田俳句丘の会機関誌「丘の風」へ寄稿の準備。

8月14日(水)
孫の怜輔君「おかあさんといっしょ」の夏休み版公演の子役でさいたまスーパーアリーナへ。3日間出演と。孫、莉子の友人来ていたので夕食供す。ステーキ、ピーマンとソーセージ炒めなど。

 8月16日(金)
13時半、京都着。白沙山荘へ。大文字の準備を遠望す。近くの蕎麦屋で昼酒。三条堀川のホテルに荷を解き、空也堂・本能寺跡など歩く。19九時半、京都御苑に蛤御門から入り、20時の大文字の送り火の点火を待つ。ほぼ30分位、消えるまで送る。21時過ぎ、宿近くの居酒屋「卯今」にて酒盛り。井蛙、いづみ、麦、羽久衣に、凌雲、辻本芙紗等が加わる。満月が美しい。

 8月17日(土)
二日酔い。11時、米原。レンタカーにて、滋賀県長浜市の葛籠尾崎へ向かう。菅浦集落は20年振りか。須賀神社に参拝。禊場から上は裸足(スリッパの用意あり)。淳仁天皇を祀る不思議な集落。竹生島を裏から見る位置。「道の駅 塩津海道 あぢかまの里」にて昼食。鮒寿司、小鮎の塩焼きなど買う。巨大なニンニクも。己高閣を訪ね、鶏足寺の十一面観音、魚藍観音などを拝す。近くの石道寺の十一面観音も。ここで16時になってしまい、見学はここまで。長浜の「ホテルYes長浜駅前館」へ。18時「割烹 能登」に入る。鮒寿司、小鮎の山椒煮、鱧のおとし、手長エビのかき揚げ、琵琶鱒の塩焼き、魦鍋、瀬多の蜆汁、梅雑炊。酒は「七本槍」で通す。湖の幸を堪能する。名店! 部屋に戻り、買い置きの鮒寿司、小鮎などで二次会。京都では3句出し句会。長浜では四句出し句会であった。

8月18日(日)
今日も快晴。21時過、長浜城跡へ。鉄筋の天守閣が歴史博物館で、天守閣からの眺望がいい。10時半、北国街道に面した「翼果楼(よかろう)」。江州の郷土食鯖そうめんの店。焼鯖ずしや鯉子まぶしの洗い。買物をして米原から新幹線。昏睡。東京駅で小酌。解散。

 8月19日(月)
9日間の夏期休暇終えて店。俳人協会の夏期講座スタッフ、佐怒賀直美さん他5名の反省会。八戸の「たかんな」主宰吉田千嘉子さんを囲む会。井蛙、展枝、小石さんで5句出し句会。「演劇人句会」あと七名。
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2019年10月24日    茶の花  from HACHIOJI



 

花言葉      「追憶」「純愛」


△茶の花
お茶畑ではお茶の花ははわずかしか咲かず、見かける機会は大変少ないです。なぜなら、農家さんが育てるお茶畑では、茶葉の新芽への養分を多くするために、お茶の花が咲く前のつぼみの時期に摘み取り作業をしまうからです。

洋種山牛蒡 カンナベンガルタイガー 茶の花 アスクレピアスツベロサ コマツナギ
薮茗荷 秋海棠 紫御殿 藤袴 ブッドレア

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2019/10/22   更新





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