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2014年 1月



 1月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句
 彗星集作品抄   彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 
  星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男・俳句を読む  銀漢の絵はがき
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△2014年1月号・表紙が一新致しました。



伊藤伊那男作品












主宰新年の一句

 
楪や山国の日の遍満に        伊藤伊那男

  主宰の八句
   
初手水        伊藤伊那男

間延びして神去月の祝詞かな
音階をひとつ上げたる虎落笛
請け出せし指輪はまらぬ一葉忌
焼芋の一途の熱さ持て余す
大根焚来世の話など聞きて
双六の酒手をはづむ大井川
楪のゆづりたがはず庄屋門
初手水とて湯を足せる齢かな

    





   
  
 

            


今月の目次






銀漢俳句会/1月号













   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

長野県の歌

 伊那谷吟行会の宴席で高遠句会の方々を中心に「信濃の国」を歌った。指揮をする大野田好記君にあらかじめ「何番までやるの?」と聞くと、「もちろん全部。六番までやります!」と絶対譲らない顔付きの返事が戻ってきた。信州人である証として、踏絵のようなものがこの歌である。信州に関係する人は少なくともこの歌の一番は暗記している筈である。何かにつけて集まれば最後はこの歌で締めるのであるから、他県人から見ると不思議な光景に映るようだ。  
信濃の国は十州に境連ぬる国にして聳ゆる山はいや高く流るる川はいや遠し松本伊那佐久善光寺四つの平は肥沃の地海こそなけれ物さわに万ず足らわぬ事ぞなき以上が一番で、このあとも延々と郷里褒めが続き、4番に入るとメロディ―とテンポが変り、5番から元へ戻る。その変化も味わいだが、これもまた自分褒めとなろうか。
そもそもこの曲は長野県師範学校で作られ、歌われ、ここで学んだ学生が教師となって全県に赴任して広まっていったものである。明治維新直後、一つの県に統合していく過程の中で、その結束のためにも歌で心を統一する必要があったのであろう。戦後になってからも長野県を二つに分割する案が議会に提出されたことがあった。その時に傍聴席のどこからともなく「信濃の国」を歌い出す人がいて、ついに議会全員の合唱となって、分割案は立ち消えとなったというエピソードを残している。
長野県のその他の歌としては、安曇野に歌碑の建つ『早春賦』が出色であろう。

 春は名のみの風の寒さや谷の鶯歌は思えど時にあらずと声も立てず時にあらずと声も立てず  

 この歌は森繁久弥が歌って大ヒット曲となった『知床旅情』とメロディ―が酷似していると言われる。もちろん『早春賦』が先で、吉丸一昌作詞、中田章作曲の唱歌で大正2年の作品である。
 島崎藤村の詩も曲を付けられて残っている。『初恋』も私の愛唱歌である。何とも初々しい詩である。
 まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり

 藤村は木曾谷の一番南の端、中仙道の馬籠宿の生れである。本陣跡がその生地で、今は藤村記念館となっている。門の横の白壁にこの詩が彫られていたように思う。これは余談であるが、馬籠はかつて長野県木曾郡山口村に属していた。ただし生活圏としては中津川市に近かったので、私が高校生の頃訪ねたときも、中津川市に入りたい家、長野県のままでいたい家、と各々の家に貼紙があって不思議に思ったものだが、ついに平成17年、長野県を離れて岐阜県中津川市に越境編入されたのである。ああ……。 









 



  

盤水俳句・月の一句


伊藤伊那男
   

桑畑の秩父の空の淑気かな      皆川 盤水


正月の3日は先生を囲んで秩父へ初吟行するのが決まりであった。秩父神社へ初詣をしたあと桑畑の道を辿って十一番札所常楽寺を訪ねる。途中獅子舞と遭遇したりもした。日頃人気のない寺も、この日ばかりは華やかで薬缶に満たした甘酒の接待があり、笹に結んだお札が配られた。その笹を靡かせると、「ああ、新年を迎えたのだ」と実感したものだ。この句は上五、中七を「の」で繫いで「淑気」へ集約させていく技法である。
                                  (昭和61年作『寒靄』所収)

 

  
                   
 



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選
     
初日記無病息災とだけ記す        松田  茂
身に入むや父の時計の手に重き      塚本 一夫
書割のやうな月出る赤城山        飯田 康酔
破る子のゐるのが嬉し障子貼る      杉阪 大和
ときどきは尻尾出す身の文化の日     桂  信子
蒲の穂に突込んでゐる舳先かな      久重 凜子
秋澄むや高盛りにする御饌の米      三代川次郎
やんはりと人を拒める秋簾        池田 華風
わが庭を歩みてわれは秋遍路       武田 千津
ピスタチオ割つて歪な夜長かな      宮内 孝子
鵙鳴きて空のどこかが擦り傷       武井まゆみ
威銃フォッサマグナを響かせり      我部 敬子
落花生むきて瓦礫のやうな殻       中村 孝哲
庭下駄や秋明菊のところまで       武田 千津
六道の杜の高さに臀呫かな        渡辺 花穂
露葎踏まねば行けぬ井月碑        五十嵐京子
秋茜夥しくも寂しくも          片山 一行
紅葉且つ散る見返りの弥陀の寺      飯田眞理子
鍵先でさぐる鍵穴虫の秋         長谷川千何子
子の丈を計りし柱秋出水         山田 康教






        







彗星集 選評 伊藤伊那男


  
初日記無病息災とだけ記す       松田  茂

普通「初日記」というと、今年一年の展望や決意などを自らに表明するものなのだが、この句は「無病息災」のみを願ったという。年令によって祈りは違ってくるものだなと思う。私もそうした年代に突入したなと思う。「記す」は「きす」と読めば五音だか、字余りでも「しるす」と読み取った方がよかろう。 

  
身に入むや父の時計の手に重き     塚本 一夫

遺品の時計なのであろうか、時折眺めて父上を回想しておられるのであろう。父の生涯や恩を思えばその時計も「重み」を増してくるのである。どんな思い出があるのか解らぬが「重さ」だけで、あとは読者の胸に預けたのがいい。

   
書割のやうな月出る赤城山       飯田 康酔

先日、伊香保の展望台からしげしげと赤城山を見た。思いの外裾野の広い山であった。この山の名を聞けば国定忠治を思わずにはいられない。「赤城の山も今宵限り------」の場面が有名だが、その舞台の書割のような月を見たという。ともかく「赤城山」の地名が動かしようもない句。
 
  
破る子のゐるのが嬉し障子貼る     杉阪 大和

伊那谷で育った頃、「衛生」と呼んだ大掃除と障子貼りはセットで初冬の行事であった。丁度空気が乾燥してきて障子紙の張りがよい季節なのである。その頃の私の町は人口二万五千人位のなか、小中学生が四千人位というベビーブームの最中。どこの家も障子はぼろぼろであった。が、今の時代に転じると破る子がいることが嬉しいという。ここにも半世紀を経た時代の変化が読み取れるのである。 
 
  
ときどきは尻尾出す身の文化の日    桂  信子

「文化の日」とは何の日か?明治天皇の誕生日、と答えられる人は少ない。戦後その由来を曖昧にしてしまった記念日なのである。「文化」という言葉も何だか嘘臭くないか------と思ってしまう。どこで目にした誰の句か忘れたが〈パチンコの玉がじやらじやら文化の日〉を面白いと思った。掲出句もこれに通底するアイロニー。「不倫は文化」と言った俳優の顔なども浮かんでくる面白い句だ。

   
蒲の穂に突込んでゐる舳先かな     久重 凜子

水辺の集落の一景であろう。小舟が戻ってくるのだが、蒲の穂に突込むようにして止ったという。垂直に向く蒲の穂の叢に直角に突入する舟という、線の動きを重視した鮮烈な構図である。写生に徹して眼力の良さを見せた。 
 
  
秋澄むや高盛りにする御饌の米     三代川次郎

爽やかで品位の高い句。収穫の喜び。「高盛り」がいい。 
 
  
やんはりと人を拒める秋簾       池田 華風

秋簾の本意の一つを摑んだ。京の町屋を思い出す。 

   
わが庭を歩みてわれは秋遍路      武田 千津

心持ち一つで狭庭といえども四国一周の観音霊場に。
 
  
ピスタチオ割つて歪な夜長かな     宮内 孝子

あの歪んだ果実を食べて所在のない夜長。異色の句。 

   
鵙鳴きて空のどこかが擦り傷      武井まゆみ

鵙の炸裂するような鋭声を独自の感性で捉えた。

  
威銃フォッサマグナを響かせり     我部 敬子

中央構造線の露頭であろうか。私の郷里伊那の山々か。 

  
落花生むきて瓦礫のやうな殻      中村 孝哲

あの散乱した殻を「瓦礫」と見た想像力は鋭い。 

  
庭下駄や秋明菊のところまで      武田 千津

別名「貴船菊」――終命に通底するとは深読みか。 
 
  
六道の杜の高さに臀呫かな       渡辺 花穂

「臀呫(となめ)」は蜻蛉の交尾。六道という迷界との取合せの妙。
 
  
露葎踏まねば行けぬ井月碑       五十嵐京子

井上井月の人物像もほのかに浮かび上がってくるようだ。
 
 
秋茜夥しくも寂しくも         片山 一行

群れている秋茜も一夜の寒さでいなくなる。その寂しさ。 
 
  
紅葉且つ散る見返りの弥陀の寺     飯田眞理子

京都永観堂。観音の見返る先は紅葉且つ散る庭。 

  
鍵先でさぐる鍵穴虫の秋        長谷川千何子

虫時雨の中の帰宅。しみじみとした情感が漂う。 

  
子の丈を計りし柱秋出水        山田 康教

子の丈の印とは別に「出水」の跡もありありと。 

 
  
 
 

            
          
        








銀河集品抄

伊藤伊那男選

頸木跡消えて輓馬の肥えにけり     飯田眞理子
組み立てる献立表や秋灯        池田 華風
手を挙げて待たす電車や秋うらら    唐沢 静男
一位の実心に点る小さき幸       柴山つぐ子
日によりも灯に親しめる秋簾      杉阪 大和
蜥蜴の子身のおほかたは尾に生まる   武田 花果
明けの星追ひたててゐる威銃      武田 禪次
鉤裂きの二百十日の野良着縫ふ     萩原 空木
たたなづく山気の棲めり稲架ぶすま   久重 凜子
豊秋の山河の縁を飯田線        松川 洋酔
塗り直す百葉箱や小鳥来る       三代川次郎
色鳥がオペラグラスに色こぼす     屋内 松山











   
   





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

時雨来て雨の匂ひの子の戻る       相田 惠子
望郷のレールを照らす月夜かな      有澤 志峯
胡麻殻といふ空間を高く積む       飯田 子貢
どの山も親しき呼び名ねこじやらし    五十嵐京子
威銃忘れしころにまた鳴りぬ       伊藤 庄平
菊人形端役は端役なりの色        伊藤 政三
梅雨茸隙を突かれたやうに生ふ      梅沢 フミ
一錠として一粒の葡萄食む        大野 里詩
色鳥の色を自在に置く水面        大溝 妙子
顔剃るや木犀の香の鼻掠め        大山かげもと
海藻のからむ綱引く秋麗         小川 夏葉
城山へ枯葉降灰踏みながら        尾崎 尚子
蟷螂の畳み忘れし翅の裾         小野寺清人
どんぐりを拾ふ子を待ち踏までおこ    鏡山千恵子
色鳥を見し日の夢や色のあり       影山 風子
流星や胸に畳みしことひとつ       笠原 裕子
小鳥来るどの木で鳴くか決めぬまま    片山 一行
氷見越えて降り見降らずみ能登時雨    桂  信子
見渡せば四方に山ある秋思かな      我部 敬子
ゆで卵ごとごと野分くるらしき      神村 睦代
終ひには逃げる振りだけ稲雀       川島秋葉男
椋の群郷の「信濃の国」唱ふ       北澤 一伯
ほろほろと力尽きたる零余子かな     柊原 洋征
群れてこそみづほの国の稲雀       朽木  直
山の端のつぶさに見ゆる野分あと     畔柳 海村
色鳥を聞くにぎはひの御遷宮       こしだまほ
山よりも高き師の恩萩の花        權守 勝一
潮うごき出す不知火の消えてより     坂口 晴子
一塊の雲に厚みや秋闌くる        佐々木節子
賑やかに雀神楽の初景色         笹園 春雀

落人の棲むてふ山の紅葉せり       三溝 恵子
勝ち独楽の木の実はなさず弟は      島  織布
色鳥の啼き声に色々な色         島谷 高水
色鳥を見つけ小声で知らせあふ      白濱 武子
四囲の山日本の屋根や稲架襖       新谷 房子
宇治十帖へ続く因果やみむらさき     末永理恵子
鉄橋をきしませてゆく雁渡し       杉本アツ子
大阿蘇を褥の牛や流れ星         鈴木てる緒
菊師来て佳人のドレス繕へり       瀬戸 紀恵
妖しくも闇引き立てて女王花       高橋アケミ
銀漢の佐渡に梯子を掛けてをり      高橋 透水
コスモスに風の迷路の生れにけり     武井まゆみ
この部屋の我と我が音秋灯        武田 千津
芋嵐盆地の底を搔き回す         多田 悦子
暮れかたへ前のめりして晩稲刈      多田 美記
秋出水等高線の泥の跡          田中 敬子
影ちぎるやうに捥がるる黒葡萄      谷岡 健彦
地蔵盆軒の十団子新しく         谷川佐和子
十六夜の兎てんでにゐる絵皿       谷口いづみ
金木犀町の空気の重くなり        塚本 一夫
その影を稲架に届かせ飯田線       坪井 研治
暮がての雨のしのつく子持鮎       中川冬紫子
奈良豆比古神社の翁舞          中島 凌雲
井月の見し月を見に伊那谷へ       中野 智子
運動会流るる雲も駈足に         中村 孝哲
コスモスに近づくほどに疎らなる     中村 湖童
秋の日を汲み上げてゆく観覧車      中村 紘子
老いの身へ少し早まる冬支度       藤井 綋一
ぶらり行く都電の早稲田秋刀魚の香    保谷 政孝
嘶きの天に筒抜け馬肥ゆる        堀内 清瀬
けふを閉づ厨の虫の闇閉ぢて       堀江 美州
蛇口みな運動会の空を向く        堀切 克洋
黒葡萄父の手擦れの英和辞書       本庄 康代
初夢は伊勢の旅籠の高枕         松浦 宗克
稲架棒を廻ればそこは少年期       松崎  正
霧に開く折目破れし山の地図       松代 展枝
蛇穴に入りて石垣やや膨る        宮内 孝子
蓮の実飛ぶ水輪ばかりの浮御堂      無聞  齋
一匹が付きまとひけり秋の蠅       村上文 惠
夜の驟雨去りて色増す葉鶏頭       村田 郁子
百舌鳥一声防空壕のありし角       村田 重子

御下がりの行き着く先の案山子翁     森濱 直之
大南瓜ダッシュボードに定まらず     山口 輝久
浅間の位装ふ山山はべらせて       山田  礁
美濃和紙の墨の滲みや水の秋       山田 康教
草紅葉火山灰の染みたる堂の屋根     山田 鯉公
唐辛子束ねて風の軽さかな        山元 正規
古九谷の絵島の香炉身にぞ入む      吉沢 美佐枝
裁ち枝の箆のくぼみや色鳥来       吉田千絵子
裏門も開かれてゐる良夜かな       脇  行雲
夕顔汁ふるさとの空透き通る       渡辺 花穂





   

     









銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
  
 
   

手を挙げて待たす電車や秋うらら    唐沢 静男
伊那谷吟行会での最高得点句。私の生地、駒ヶ根駅から飯田線で南下し、途中の駅で北上する電車に乗り替えて戻るという企画で伊那谷を車窓から楽しんで貰ったのだが、向いの電車にあわや乗り遅れる事態であったという。一時間に一本ほどしか走らない単線電車なので慌てたと聞く。そんな場面を軽妙に切り取って秀逸。作者は伊那谷出身。


  

日によりも灯に親しめる秋簾      杉阪 大和
夏の季語の「簾」と「秋簾」の違いをどう詠み取るかという点で、まさに教科書といってもいい句だ。陽光を遮る機能から、逆に家の中の様子を隠す機能に移行する様子を「日」と「灯」という同音の一文字で季感を転換している、高度な技倆の句である。他にも〈色鳥来絵本の仲間呼ぶやうに〉の豊かな抒情、〈老いて読むお伽話や火の恋し〉のやや悲しい諧謔など読み応えがあった。


  

蜥蜴の子身のおほかたは尾に生まる   武田 花果
俳句は対象物の特徴を摑み取ってくることが要諦である。そのためには時に極端な強調をする技法もあるが、この句はそうした作句方法の典型。写楽の浮世絵や夢二の絵などに人物の目や鼻や手などを異常に大きく描いて印象を強めているものがあるが、この句も蜥蜴の子のほとんどが尾であるとデフォルメして成功した例。

 

  

群れてこそみづほの国の稲雀      朽木  直
稲雀の生態を詠んでいるのだが、その裏に日本民族というものの生態をも併せて詠み込まれているように思われてくる句だ。農耕の集団作業が身についた日本人の行動様式もこんな感じである。「群れてこそ」の強調に、ほのかな自謔のようなものも詠み込まれているようだ。 

 

  

色鳥の啼き声に色々な色        島谷 高水
リフレインを効かせた面白い句だ。数えてみると「色」「いろいろ」「色」------何と四回、一七音の内八音を使っているのである。またこの句のもう一つの面白さは「色」
といいながら実は「声音」を詠んでいることだ。

   

宇治十帖へ続く因果やみむらさき    末永理恵子
『源氏物語』の宇治十帖の段を題材にした抒情句。この句の眼目は「――続く因果」の措辞。因果こそこの長編小説の底に流れるテーマ。最後は宇治の地へ集約されていくのだが「みむらさき」の一粒一粒がそこに到る四十四帖の物語のようにも思えてくる。紫式部の名前と重なるが嫌味はない。 


  

コスモスに風の迷路の生れにけり    武井まゆみ
コスモス畑の中に迷路を作って出口を探し当てる公園などがある。この句にはそれが根底にあることが楽しいのだが、そこから、人の迷路ではなく、風の迷路に転換したところが発想のよさである。風に揺れるコスモスだが、コスモスの迷路に風が入っていくという錯覚が眼目。 

 
  

暮れかたへ前のめりして晩稲刈     多田 美記
同じ稲刈でももう風も冷たい晩秋の稲刈の侘しさをよく捉えている。「前のめり」の措辞が的確で、日暮に追われるように刈り急ぐ様子が如実である。同時出句の〈鶏頭の支へ木傾ぐ盛りかな〉も冷静に物を見る眼力がある。何やら獣じみた肉厚な植物の生態が描き出されている。 

 
  

井月の見し月を見に伊那谷へ      中野 智子
伊那谷吟行会で井月の墓を訪ねたこともあって、井上井月を詠んだ句が沢山投句されていたが、その中での秀逸句である。百数十年前に井月が見た月を見ようと伊那谷へやっときました――という挨拶句。「月」の字が二つ、「見」の字が二つ入って軽妙なリズムである。 

 
  

コスモスの近づくほどに疎らなる    中村 湖童
言われてみれば、なるほど!と意表を突かれた句である。一と塊のコスモスも近づいてみれば、意外にも疎らであったという。確かに確かに、私もそう思いながら詠めなかった場面だ。コスモスを凝視して「発見」した句である。 

   

稲架棒を廻ればそこは少年期      松崎  正
ああ、何とも、鼻の奥がつんとする句だ。いきなり少年期の映像が甦る稲架。場面転換の凄味!同時出句の〈仏壇へ良き報告と今年米〉〈若き日のあやまちいくつ鵙の贄〉も力作であった。 

  その他印象深かった句を次に  

 威銃忘れしころにまた鳴りぬ     伊藤 庄平
 ほろほろと力尽きたる零余子かな   柊原 洋征
 芋嵐盆地の底を搔き回す       多田 悦子
 十六夜の兎てんでにゐる絵皿     谷口いづみ

 

 

    


    
  

 








星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

道ゆづる日傘の影を重ね合ひ      松原八重子
妖精が駄々こねてゐるハロウィーン   髙橋 双葉
躓くも迷ふも余生冴返る        滝沢 咲秀
縄文の顔とも見えて鬼胡桃       大住 光汪
ペンキ屋の軒に色鳥来て群るる     大西 酔馬
少年の夢に機関士空高し        小田島 渚
雨だれの間合ひ軽快西鶴忌       唐沢 冬朱
鳥渡る小さき点が拡ごりて       尾崎  幹
返信の封切る鋏冷やかに        戸矢 一斗
幾度も吾子の寝顔を秋灯下       住山 春人
謹厳な父とはなれじとろろ飯      結城  爽
色鳥の夢の如くに来て去りぬ      土井 弘道
糸瓜水母の鏡台のぞきし日       曽谷 晴子
銃眼の三角四角葛の風         澤入 夏帆
咲き初めは匂ひ微かな金木犀      金井 硯児
すり硝子のやうな白さの梨食めり    今井  麦
挨拶のつもりが長居秋の暮       梶山かおり
ちちろ鳴く身の上話するやうに     桜井美津江
緞帳を下ろすがごとく山粧ふ      角 佐穂子

枝先に柿の実ひとつ陽を残す      秋田 正美
色鳥の行くところ色撒き散らす     秋元 孝之
草木のみな静まりぬ十三夜       穴田ひろし
月の座や杖置くベンチ一人占め     荒木 万寿
ふる里は父母棲むところ木の実降る   有賀 稲香
御神灯幟はためく秋の宮        安藤 政隆
芋の葉の大きく揺れて雨来る      飯田 康酔
山の湯の肌に匂へる良夜かな      池田 桐人
糸瓜忌のあの畳間を充たす影      市毛 唯朗
一人のみ取残されて女郎花       伊藤 菅乃
秋暮れて東寺の塔の黒きかな      岩本 昭三
うろこ雲夜の高きにふれあはず     上田  裕
鎌倉の石の仏や秋の雨         上村健太郎
一匙ほど欠けて出でたる居待月     大木 邦絵
秋天へ操り人形見得を切る       大野田好記
名月を仰ぎてゐたる木の間越し     岡村妃呂子
北の地に北の哀しみ月今宵       小坂 誠子
美しき空となりけり冬に入る      小沢 銈三
山裾に灯りもありて星月夜       小野 無道
新走りなみなみ注ぐ江戸切子      桂  説子
母の顔さがす足ぶみ運動会       上條 雅代
散歩の途帽子に摘みし零余子かな    亀田 正則
日陰路指でまさぐる懐炉かな      北浦 正弘
高きより見送る別れ烏の子       熊取美智子
大根蒔く一途な夫の独り言       来嶋 清子
色鳥を待ちて色づく木々のうれ     小林 雅子
石一つ替へて音の差秋の庭       阪井 忠太
すべりくる遊覧船や山紅葉       佐々木終吉
足元のひと際目立つ朴落葉       佐藤かずえ
ピザ窯に残る火照りや小鳥来る     佐藤さゆり
車窓より広ごる大地秋の駒       島谷  操
息継ぎの間合ひのありてちちろ虫    清水佳壽美
軽トラで頭運ばれ菊人形        志村 昌也
いつになく犬の擦り寄る野分かな    鈴木 淳子
アステカの城への想ひ秋桜       鈴木踏青子
アメリカに流るる月日菊日和      武田 真理
不器用は親ゆづりなり障子貼る     竹本 治美
くづわらを拾ふ傍らひつじ伸ぶ     竹本 吉弘
菊植うる猫の墓前の淋しさよ      田中沙波子
葡萄含み一時の幸かみしめぬ      田中 寿徳
ぽつくりと逝きたき話九月尽      多丸 朝子
爽やかややさしき痛み胸に秘め     民永 君子
思案して休み休みに秋扇        近松 光栄
色鳥の来て教会の鐘の音        津田  卓
つぎつぎに貝の口開く秋暑し      手嶋 惠子
秋風や葉擦れの音のあればこそ     徳永 和美
稲雀つむじとなりて次の田に      富岡 霧中
木漏れ日に声かけあひて茸狩      豊田 知子
門口を掃く手止めたる金木犀      長濱 泰子
禅寺の屋根をゆるされ鰯雲       中村 貞代
積み終へて稲架の撓りや宵の風     中村 宗男
メビウスを描くとんびや鰯雲      永山 憂仔
回覧板銀杏黄葉と届きけり       南藤 和義
一箸に尾までほぐるる秋刀魚かな    西原  舞
さゆれつつ風受け流す芒原       沼田 有希
大きな目深々澄みて馬肥ゆる      萩野 清司
俎板を新しくして秋の水        橋本  泰
良夜かななほ威をとかぬ鬼瓦      長谷川千何子
木犀香健診結果は年相応        花上 佐都
使ひ川使はぬままに水引草       原田さがみ
南大門開きて始まる観月会       播广 義春
歯ごたへは粒の断面梨を食む      福田  泉
井月の墓の後ろは豊の秋        福永 新祇
眼帯をとるつかの間の秋の空      藤田 孝俊
秋の川魚静かに止めおきぬ       松下美代子
父の着しセーター似合ふ我がゐる    松田  茂
丸窓の校舎しづもり蔦紅葉       松村 郁子
姉に見る母のおもかげ秋彼岸      村上 敏和
礼状に色よきもみぢ入れて封      森 羽久衣
色鳥の色を深めて今朝の雨       森崎 森平
欠伸して滲むまなこに秋の雲      守屋  明
去年今年妻に従ふ身や楽し       家治 祥夫
孫生まるいともさやけき知らせかな   矢野春行士
ごつごつの切株残す刈田かな      山﨑ちづ子
白風や伊吹嶺の神降り来る       山下 美佐
色鳥を数へるうちに借りる指      湯川 漁太
絵島にも鳥訪ねしや秋あはれ      渡邊  勲
秋麗ダックスフンドに歩を合せ     渡辺 文子









     







星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

       
道ゆづる日傘の影を重ね合ひ      松原八重子
「影を重ね合ひ」に日傘のありようがよく出ている句だと思う。濃淡の影のコントラストが鮮烈である。「道ゆづる」という慎ましい仕草と合わせて清楚にして艶冶な光景である。同時出句の〈手花火の闇分ち合ふ膝小僧〉の「分ち合う」、〈呼び交はす声を繋ぎて茸狩〉の「声を繋ぎて」など言葉の斡旋の巧みさを思う。

   
妖精が駄々こねてゐるハロウィーン   髙橋 双葉
広辞苑によると「諸聖人の祝日の前夜10月31日)に行われる祭。スコットランド・アイルランドに起源を持つアメリカの祝い」とある。何だか解ったような解らないような。日本のお盆のようなものだ、という人もいるが、さて?最近の歳時記を見たが、まだ季語として立項していない。しかし日本でも盛んになってしまったのだから認知は時間の問題であろう。このようにして季語が確定していくのだ。

  
躓くも迷ふも余生冴返る        滝沢 咲秀
年を取ると悟ってきたり、穏やかになるものとばかり思っていたのだが、自分も年を取り、周囲を見ても、どうやら悟ることも丸くなることもなさそうだ。この句はそうした様子を的確に詠んでいるようだ。「冴返る」とは暖かくなったと思うとまた寒さがぶり返すことで、この季語を心象句に持ち込んだ取合せが見事だ。〈極楽へ行く顔ばかり日向ぼこ〉〈手袋の片方だけが知る別れ〉なども上質。 

  
ペンキ屋の軒に色鳥来て群るる     大西 酔馬

 一読、溢れる色彩に瞠目した。ペンキ屋であるから様々な色の缶があちこちに置かれて、作業道具にもペンキが飛び散っているのだ。その軒へ色鳥が来たというのだからたまらない。これほどに色彩の散乱した句は知らない。

  
少年の夢に機関士空高し        小田島 渚

男の子は動くものが好きだ。飛行機、電車、バス・・確かに私もそういう職業に憧れたものである。動力を扱う機関士というと、少し専門的だが、この少年は確たる志望を持っているのであろうか。「天高し」ではなく「空高し」としたところが面白いところで、膨らむ夢を象徴しているように思われてくる。 

  
鳥渡る小さき点が拡がりて       尾崎  幹

以前、伊良湖岬へ鷹渡りを見に行ったことがある。そこで鷹以外の、鵯なども渡りを待って松林などに潜んでいることを知った。鷹はリーダーが風を読んで鷹柱を作って渡るが、小さな鳥達はこの句のように渡るのであろう。散弾銃の玉が拡散するように捉えたところがいい。 

  
返信の封切る鋏冷やかに        戸矢 一斗

何か緊迫したやりとりのある便りだったのであろう。封を切る鋏が冷たい。
季語の「冷やか」という秋冷に、心の中の冷たさを加えて短編小説のような仕立である。 

  
謹厳な父とはなれじとろろ飯      結城  爽

ああ、私も軟弱な父であった。こういう仕立の句の場合、類型化は宿命なので、いかに取合せの季語を選択するかが鍵。「とろろ飯」はいい!滋養はあるけれど、歯応えと掴みどころのないところが何とも適合しているのである。 

  
色鳥の夢の如くに来て去りぬ      土井 弘道

俳句を始めるまでは秋に小鳥が来るなどという意識は皆無であった。俳句を始めて知った自然の中の美の一つである。俳句をやってどれだけ人生が豊かになったことか。この句もそういう人の句だと思う。そうでなければ「夢の如くに」などという措辞は浮かんでこない。人はこうした日常の中の些細な喜びに支えられて生きているのだと思う。

  
すり硝子のやうな白さの梨食めり    今井  麦

比喩を使って対象物を誇張して印象付ける方法がある。ただしありきたりの比喩では駄目で、今まで誰も言わなかった表現が必要となる。この句梨の断面の濁ったような白さを、「すり硝子」とみたのは出色の感性である。

  
挨拶のつもりが長居秋の暮       梶山かおり

誰もが経験する生活の中の一齣である。気付くとあたりはとっぷりと暮れている。釣瓶落しの季感をよく出しており訪問先の居心地のよさなどが窺われるのである。
  その他印象深かった句を次に
糸瓜水母の鏡台のぞきし日       曽谷 晴子
緞帳を下ろすがごとく山粧ふ      角 佐穂子
礼状に色よきもみぢ入れて封      森羽 久衣
ちちろ鳴く身の上話するやうに     桜井美津江



 



 







新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む⑭      伊藤伊那男
  
  
 銀漢の時代――浅草――

 私が最初に浅草に行ったのは大学二年生の頃であったと思う。以来はまった。浅草やその周辺を詠んだ句も多い。
 『銀漢』から拾ってみると〈飯茶碗二つ買ひたる夏初め〉〈浅草寺背にしてゐたる飾売〉〈泥鰌鍋橋のひとつが暮れのこる〉〈泥鰌屋に燠がかんかん震災忌〉〈下町の銭湯熱し獺祭忌〉など。
 浅草は山手線施工の折、その計画駅に入っていたという。ところが浅草の人々がその文明の利器を拒否したため、駅から外れた不便な町となってしまった。そのため長い間廃れた時期を経験し、その代価は高くついたようだ。だが、だからこそ下町情緒が残ったともいえるのだから、何が幸いするものか解らないものだ。
 さて当時浅草を訪ねて私が驚いたのは並木藪へ入ったときである。私の郷里伊那谷は蕎麦を頼むと、せいろが二枚重ねて出てくるのが普通で、それだけで腹一杯になる量であった。(残念ながら今は変わったが)ところが藪蕎麦はざるをひっくり返した上に、数えたら本数が解るほどの量が乗っているだけで、3回ほどたぐれば終ってしまう。それでいて伊那の蕎麦より高いのであるから唖然としたものだ。もちろん粉は極上品、技も一流……さりながら……。
 神谷バ―のデンキブランという酒も不思議である。その昔、高価であったブランデーを真似て色々な酒を調合してその味に近づけたのがデンキブランだという。唇に触れると電流が通ったようにピリピリするので、その名が付いたようである。とっくにブランデーが普及した今、もはや過去の遺物ともいえるのだが、そんなまがいものの酒を飲むためにわざわざ訪ねていき、連日昼から満員になる。もちろん私も浅草に行けば必ず寄る。ちなみにボトルで販売しているこの酒を家に持ち帰って飲んでみるといい。全部飲み切った人がいたら教えて欲しい。浅草のあの店で飲むからこそうまいのだが……。それが浅草の魔力である。
 駒形の泥鰌鍋にもよく通ったものだ。旧仮名で書けば「どぢやう」が正しいのだが、四文字を嫌ったこの店が「どぜう」と表記したために、俳人の半分はこれを旧仮名と錯覚して使ってしまっている。これも浅草の磁力である。駒形は銀座線でつないだ、たかだか30分もかからない渋谷に支店がある。浅草の本店はいつも満員で夏場などは店の外に幾重かに床几を並べて順番待ちとなるのだが、渋谷店では待たされた記憶がない。この落差も浅草という舞台装置のなせる磁力ということであろうか。
  (平成8年)
紙雛の手足略して立ちにけり
山独活を掘るやたしかに土の声
札所寺三和土に据ゑし春火鉢
神の鹿斑雪山より降りてきし
蜥蜴出て刃物のひかり放ちけり
代搔きの一鋤きごとの照り返し
鯉を売るくらき生簀や朝桜
花篝薪の切口泡噴けり
巣燕や夜も明け放つ御師の家
しやぼん玉日陰に入りて見失ふ
一湾を海猫のよこぎる卯月波
切口のほのかに赤し蕗の束
雨雲に角伸ばしたる蝸牛
門柱の昨日の位置に蝸牛
実朝の墓なれば白牡丹かな
蛍の夜言葉すくなく過しけり
形代を流し昨日が遠くなる
梅筵鳥居の影の伸びてきし
下町を紙魚に喰はれし江戸古地図
白玉の芯まで白く冷えにけり


  





  





      


 





銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    












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銀漢亭日録

伊藤伊那男

 9月

9月26日(木)古市枯声さんより秋刀魚25本到来。北村皆雄監督、井月顕彰会・平澤事務局長見えて、井月忌の集いを東京で挙行したいと。武田編集長に入ってもらい、案を出し合うことに。津田卓さん、仕事を終えて名古屋へ戻るとて壮行会。武田編集長が幹事。何と45名集合。


9月27日(金
ついに「あまちゃん」最終回。店、「白熱句会」。水内慶太、小山徳夫、井上弘美、藤田直子、佐怒賀正美、桧山哲彦氏。

9月28日(土)
10時、編集会議。馬場龍吉さん(デザイン担当)にも入っていただき、運営委員会メンバーも加わり、来年の編集方針について。14時、発行所にて「纏句会」。あと咸亨酒店にて親睦会。紹興酒、うまくてうまくて……。あと渋谷「福ちゃん」に寄り、鮪、北寄貝でまた……。


9月30日(月)
「天為」編集長・天野小石さん誕生祝の会。25名ほど集まる。貸し切り状態となる。甥の俊輔君、近くに来たと。

10月

10月2日(水)
台風接近で雨。伊勢は大丈夫か?今夜、内宮御遷宮。発行所「きさらぎ句会」あと7人、ひまわり館「宙句会」あと6人、「読む会」5人、など。「春耕」の池内さん、柚口さんと寄って下さる。


10月5日(土)
昼、日本橋「与志喜」に銀河同人7名集合し、今後の「銀漢」の運営についての意見交換。その前に、当季雑詠5句の句会。あとカウンターで寿司をいただく。

10月6日(日)
15時半、坪井研治さんと天現寺。妻の葬儀の寺、久々。住職を訪ね、再来年からの井月忌の集いの会場提供のお願い。ほぼ了解いただく。渋谷に出て「鳥竹」で鰻串他で酒。……最後の店でうどんを食べたが、途中の店思い出せず。


 10月7日(月)
ああ、昨日、「鳥竹」のあと「駒形どぜう渋谷店」で泥鰌鍋と泥鰌汁で酒を飲んだのだ……。いやはや。そこで浅草についてのエッセイを書きなぐったメモが出て来て思い出した……。

10月9日(水)
藤田ひろむさんより、土肥あき子さん執筆の愛媛新聞「季のうた」に、小生の〈ぐづる子をとんぼの空へ肩車〉が掲載されたと、記事送ってくださる。

10月11日(金)
店、近恵さん、現代俳句協会新人賞受賞祝賀会。石寒太「炎環」主宰をはじめ、48名程が参集し祝う。

 10月14日(月)
青柳志解樹さんの「山暦」から依頼の同人評など。午後、成城の桃子の家。引っ越しのあと初めての訪問。私が住むことになる部屋はまだ荷物の山。杏子一家も来て食事会。秋刀魚の味噌漬、松茸のスキヤキ、からすみ大根など。

10月19日(土)
10時半、池上駅。16夜句会」と「金星句会」の合同吟行会。15名位。本門寺から洗足池。東工大教室にて7句出し句会。あと駅前の店にて親睦会。更に有志で2次会。

10月20日(日)
午前中、整体。中島凌雲君、結婚式の2次会用に、扇子に〈通天閣凌ぐ高さに色鳥来〉と書いて贈る。夕方、鷹羽狩行主宰の「狩」創刊35周年記念祝賀会、横浜ベイホテル東急。来賓130名程。対馬康子、奥坂まやさんと隣席。朝妻力さんも大阪から。脇屋シェフの中華料理の宴。

10月22日(火)
鈴木踏青子さん、スーダンで医療活動している川原尚行医師一行と来店。川原医師はひと月前、NHKテレビの特集で見たばかり。外務省の医師だったが、スーダンの貧困層の救護活動に専念されている。迫力ある医師。「塔の会」あとの小島健、山田真砂年、佐怒賀直美さん、兄の佐怒賀正美さんも。

10月25日(金
「慶應茶道会」の2年後輩9人が集う。ほとんどが42年ぶりの再会。懐かしく、懐かしく。思いを寄せていた女性も……。またまた台風接近中。

 10月26日(土)
「纏句会」(日本橋「与志喜」)。あと大和、禪次、松山さんと新同人昇格についての意見交換。あと大和さんと渋谷に出て「福ちゃん」(生牡蠣、鯨刺、秋刀魚)。焼鳥屋(このあたりから記憶不鮮明)……。

10月27日(日)
10時、小田急線鶴川。「早蕨句会」の「三輪の里吟行会」に招かれる。国分寺建立に伴い移住した人達が奈良の地名をつけた里。素晴しい吟行地。台風一過の快晴。20人。句会あと町田の「れん」にて親睦会。あと、凛子、大和、冬紫子、敬子さんともう一軒。

10月28日(月)
「俳句」編集部・鈴木忍編集長以下4人で。松尾清隆君の角川移籍のお祝いの会。

10月30日(水)
杏子、幼稚園探しで来る。宮澤正明の写真展「伊勢神宮への旅」で六本木ヒルズ。河合真如宮司とお会いする。店、閑散。

11月

11月1日(金)
発行所「大倉句会」。あと清人さんの鮪パーティーとなる。11人。北村監督、井月顕彰会・平澤事務局長、井ノ口さん、井月忌の集いの件で打ち合わせに

11月2日(土)
10時、運営委員会。午後、「本部句会」44人。そのあと、編集部の慰労会で蓼科へ。馬場龍吉さんゲストで13人。「三駒」で山女の塩焼き、馬刺、ほうとう鍋の夕食。濁酒うまし。武田山荘で2次会。暖炉の前で寝てしまう。坪井山荘へ分かれて泊まる。復活して2時まで飲み直し。

11月3日(日)
9時、武田山荘にて5句出し句会。渋温泉の明治温泉旅館にドライブし入浴。戻って、茸のスキヤキパーティー。先月、坪井さんに雑茸を入手してもらい冷凍していたもの。途中、3句出し句会。16時半発。中央道大渋滞にて帰宅22時前。

11月4日(月)
10時半よりよみうりホールにてフォーラム「纒向出現 卑弥呼は九州にいたか?」に。九州説と大和説の卑弥呼論争。16時まで。武田夫妻と六本木ヒルズの宮澤の伊勢神宮写真展。最終日にて桃子、孫も来ている。

11月7日(木)
清人さん鮪の会、14人。「十六夜句会」7人。坂口晴子さん、長崎から友人と。常連客も多く、実に賑やか。

11月9日(土)
大阪新阪急ホテルにて「雲の峰」創刊25周年記念祝賀会。200人近い大パーティー。同ホテルのバーにて2次会。あと昔の仲間Y君と通天閣に落ち合いジャンジャン横町など。新幹線最終便に飛び乗る。

 11月11日(月)
店、今日から「写真とコトノハ展」。幹事、倉田有希さんらが展示。関係者入れ替わり立ち代わり……。洋酔、望月周夫妻、芥ゆかりさんはじめ、元「月刊ヘップバーン」の方々。櫂未知子さん。奥は谷岡健彦さん幹事で「俳句をつくる演劇人の会」第1回がスタート。発行所は最終校正のあと「かさゝぎ俳句勉強会」13人。北村監督、相子智恵さん、井月忌の集いの打ち合わせで。

11月13日(水)
発行所「梶の葉」の選句。店、「写真とコトノハ展」の面々10数名の集い。鳥居真里子さん。



    



     銀漢亭・壁の写真をモチーフに・・・。
    








今月の季節の写真



画像上クリックで拡大します。 
新年会場の湯島天満宮、宴会場に飾られた銀河を染め抜かれたタペストリー。
星の数は500位とか・・。未来の銀漢の会員数を目指して
耀く星の数へと会員の方が制作されたそうです・・。2014/1/25撮影。





2014年1月27日  寒桜が咲いていました  TOKYO/HATIOJI





花言葉   【清純・内気】



写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2014/1/28更新


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