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2014年 1月  2月



 2月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句
 彗星集作品抄   彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 
 銀漢賞・銀漢新人賞   星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男・俳句を読む 
 銀漢の絵はがき 掲示板 皆川盤水俳句の旅 鳥の歳時記  銀漢日録 今月の写真

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伊藤伊那男作品


主宰の八句
 
 歳晩           伊藤伊那男

   横須賀二句

冬凪に潜水艦の甲羅干し
銃眼で見る横須賀の冬鷗
餅搗きの影を大きく海鼠塀
鍼打ちて歳晩の身を立て直す
夜神楽の前座ながなが寝てしまふ
夜神楽の山の神より餅つぶて
湯たんぽの慈母のごときを足蹴にす
煤掃といふも位牌を磨くのみ


 




     
  
             


今月の目次








銀漢俳句会/2月号











   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

   横須賀を歩く

 年末、30人ほどで横須賀を吟行した。この時期、飯田眞理子さんが幹事で横浜地区での吟行が恒例であるが「少し足を伸ばしてみましょうか」ということで、横須賀行きを企画してくれたのである。私は鎌倉まではよく行くのだが、実は横須賀は初めてのことで、あれこれと想像し期待が膨らんだ。
 私の学生時代のことだが横浜に親戚があり、私より一つ年上の従姉妹が防衛大生と交際していて、数回デートのお伴に呼ばれた。防衛大生はきっちりと制服に身を固めていて、雨が降っても傘をささず、演奏会の途中で「門限がありますからあとはお願いします」などと言って敬礼して先に帰り、私が従姉妹を家に送ったりもした。
 JR横須賀線は、鎌倉では円覚寺の境内を突切っており、敷設当時の国策優先の気運が偲ばれる。横須賀駅構内は言われてみて知ったが物資輸送の利便から全く段差のない珍しい駅であるという。駅を出ると目の前が軍港で潜水艦や軍艦が停泊しているのであるから、たちまちにして異界へ突き出された心地である。
 汐入り桟橋から軍港巡りの船に乗った。45分間のクルーズだが、きめ細かな、そしてユーモアのある説明が付いて充実した時間であった。自衛隊の潜水艦が二隻、米軍のイージス艦が二隻停泊していた。イージスとはゼウスが着ていた甲冑のことで「楯」の意味。同時多数攻撃に対処する能力を持ち、一隻1.500億円するそうだ。奥の方に原子力空母ジョージ・ワシントンを見ることができた。全長300メートル余、高さ60メートル、乗員5.000人とかで、圧倒的な大きさに唖然とするばかりであった。
 昼食のあと記念艦「三笠」を訪ねた。明治37年に始まった日露戦争の時の連合艦隊の旗艦である。様々の変遷を経て、第二次世界大戦後は米軍の娯楽施設となり、その甲板にダンスホールや水族館が設置されたというが、今は復元してその容姿を保っている。日本海海戦のことは『坂の上の雲』などで知ってはいるつもりであったが、模型を使っての日本海海戦の説明などを見ると、やはり深い感慨を憶えた。およそ三倍の軍艦で編成されたバルチック艦隊を、ほぼ無傷で殲滅したのであるから、いわば信長の桶狭間の戦いのような奇跡的な勝利であった。もしあの海戦で負けていたら、今日の日本はなかったかもしれないとも思った。
 戦艦三笠の時代は人間の眼力と手腕、いわば習練を重ねた人力の精度が勝敗を決定したが、現在はレーダーとコンピューターの精度が勝敗を決定する時代。百年を隔てた、「横須賀」から「ヨコスカ」への変遷をまざまざと知る旅であった。
 









 



  

盤水俳句・月の一句


伊藤伊那男
   
  
針供養時なしに鳴る寺の鐘      皆川 盤水

 針供養は関西では12月8日、関東では2月8日。浅草寺境内の淡島堂が有名で、折れた針を豆腐にさして供養する。裁縫などほとんどしなくなった今日では失われていく季語ということになろうか。この句は「時なしに鳴る」が眼目で、ひねもす供養に訪れる着物姿の女人の様子や早春の陽気が偲ばれる。私は〈山門に男を待たせ針供養〉などと作ったことがあるが、先生には見せなかった。きっと叱られるから……。
                              (平成9年作『高幡』所収)



 

  
                   
 



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選

毬栗を割るや憶良の子沢山        山元 正規
猪垣へ念押しに貼る魔除札        唐沢 静男
藁塚のくつろいでゐる日和かな      笠原 祐子
手に受くる葡萄の重み日の温み      松原八重子
ハロウィンの魔女乗り合はす昇降機    我部 敬子
待ち針の頭欠けたる夜なべかな      曽谷 晴子
何を釣るでもなく磯の小春かな      片山 一行 
錦秋や信濃は空に近き国         武田 禪次
啄木鳥のひたに仏を刻むごと       大溝 妙子
洗ひ晒しのやうな夫婦の小春かな     宮内 孝子
浮かぶより沈むに力雪蛍         武田 花果
次つぎに日向ぼこより取り出す子     こしだまほ
一葉の駒下駄駆けし一の酉        塚本 一夫
高張へ荒ぶる火の粉一の酉        唐沢 静男 
一山の傾くままに黄落す         土井 弘道
爺の敵熊喰うてよりなかりけり      桂  信子
木枯の連れ来し喪中はがきかな      和歌山要子
ジーンズに枯野の匂ひ持ち帰る      坂口 晴子
枯菊のなみなみならぬ枯れつぷり     大野 里詩
靴ひもを結びし間にも散る銀杏      相田 惠子
     






        








彗星集 選評 伊藤伊那男


毬栗を割るや憶良の子沢山       山元 正規           
 山上憶良は万葉集の中でも異色の歌人。貧窮問答歌が有名だが、この句は〈銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも〉〈瓜食めば子どもおもほゆ栗食めばましてしのばゆいづくより来たりしものぞまなかひにもとなかかりて安眠し寝さぬ〉が念頭にある。そんな憶良の子供思いの歌を「子沢山」と端的に纏めたのが手柄で、毬の中の栗を子供の数に見立てたのである。
   
  
猪垣へ念押しに貼る魔除札       唐沢 静男
 猟師が少なくなった今、猪や鹿が随分増えているようだ。年末に奈良を歩いたが近郊は猪垣だらけであった。句は垣根だけでは心配で魔除札まで貼ったという。果して札に効果があるのかは不明だが、そうまでしなければ安心できないというところに切実な思いが感じられるのである。着眼点がいい。
   
  
藁塚のくつろいでいる日和かな     笠原 祐子
藁塚を擬人化して詠んで成功した句だ。何やら人が胡坐をかいていたり、蹲っているように見えるものもある。天気の良い日なのであろう。何やら藁塚が寛いでいるように思えたというのだ。比喩にしないで「くつろいでゐる」と断定したのもここでは味わいになっているようだ。結局皆が共有できている藁塚のありようを捉えたのである。
   
  
手に受くる葡萄の重み日の温み     松原八重子
林檎ではいけないか、蜜柑ではいけないか、といわれると、それも悪くはない。だが葡萄の方がいい。あの圧倒的な豊穫たる重量感が一番合うのだ。ぎっちりと鬩ぎ合うように密集した大粒には温かみも感じられるのである。「重み」と「温み」を並列に置いたところがうまい。
   
  
ハロウィンの魔女乗り合はす昇降機   我部敬子
「ハロウィン」が季語として載っている歳時記は少ないが、急速に普及してきた今、立項する他はなかろう。その日、魔女装束がエレベーターに乗り込んで来たというのである。その瞬間は驚いたであろうが、そうか今日はハロウインと納得するのである。クリスマスの意味も本当は理解していない日本人、ハロウィンも意味を知らないままに取り込んでしまうのである。
  
  
待ち針の頭欠けたる夜なべかな     曽谷 晴子
今、というよりも私達の母の時代がこんな風であった。待ち針のセルロイドの玉が欠けても捨てないで使っていた。針山にそんな針がいくつもあったことを思い出す。珍しい物に焦点を当てたものだ。夜なべの光景が如実。 
  
  
何を釣るでもなく磯の小春かな     片山 一行
 のんびりと竿を垂れる小春の風景。駘蕩たる一日である。
   
  
錦秋や信濃は空に近き国        武田 禪次
 もともと標高の高い信濃だが、これを詩に昇華した。
  
  
啄木鳥のひたに仏を刻むごと      大溝 妙子
実際は虫を狙っているのだが、仏師のように見た面白さ。
   
  
洗ひ晒しのやうな夫婦の小春かな    宮内 孝子
歳月を経た夫婦はこんな風か。「洗ひ晒し」は斬新だ
  
  
浮かぶより沈むに力雪蛍        武田 花果
 この断定が正しいかは解らぬが、丁寧な観察を評価する。
   
  
次つぎに日向ぼこより取り出す子    こしだまほ
日差しに酔ってしまう前に取り込んだ?幼稚園か。 
   
  
一葉の駒下駄駆けし一の酉       塚本 一夫
 きっとこんな光景があった事だろう。「一葉」が生きた。
   
  
高張へ荒ぶる火の粉一の酉       唐沢 静男
寒くなり始める一の酉の頃の季感をよく捉えた句だ。
   
  
一山の傾くままに黄落す        土井 弘道
 傾いた山は傾いたままに黄落、と真実のおかしさ。
   
  
爺の敵熊喰うてよりなかりけり     桂  信子
 熊を喰って最強の爺。一読破顔である。
   
  
木枯の連れ来し喪中はがきかな     和歌山要子
 悲しい知らせが木枯に乗って届く。詩情を深めた。
   
 
ジーンズに枯野の匂ひ持ち帰る     坂口 晴子
 ジーンズと枯野の配合を「匂ひ」に集約させた手腕。
   
 
枯菊のなみなみならぬ枯れつぷり    大野 里詩
菊ゆえか、枯れようも半端ではない。視点の良さ。
    
  
靴ひもを結びし間にも散る銀杏     相田 惠子
都会の一景をうまく捉えた。銀杏一色の街が鮮やか。
    
  

  




                    
        






銀河集品抄

伊藤伊那男選
松手入して風筋のあきらかに      飯田眞理子
母に溶く少し甘めの葛湯かな      池田 華風
鵙高音焦げつくやうな峡日和      唐沢 静男
目で縋る母の魂かと雪ぼたる      柴山つぐ子
洛北の時雨宿りを二度三度       杉阪 大和
八雲たつ浜より晴れて神集ふ      武田 花果
隠し湯の谿へ色鳥いろ散らす      武田 禪次
すいと鳴く障子にあをき影透かせ    萩原 空木
水音にみがかれてゐる柚子の艶     久重 凜子
椋鳥の地に降り立ちしあとも群る    松川 洋酔
勝ち海籯や床の真中に廻り継ぐ     三代川次郎
倒立の全身真つ赤唐辛子        屋内 松山

        





   
   





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

牡鹿のまだ暗がりにある斑       相田 惠子
朝寒や影といふ影尖りたる       有澤 志峯
神迎ふ湖上の鳥居塗り替へて      飯田 子貢
ゑのころの毛羽立つてゐる堤風     五十嵐京子
黄落の窓辺にローマ盛衰史       伊藤 庄平
伝へ聞く秩父事件や神の留守      伊藤 政三
土間の米拾ふひとつぶ尊徳忌      大野 里詩
瀬音まで華やかにしてもみぢせり    大溝 妙子
草紅葉八十路の血潮斯くのごと     山かげもと
榧の実や足裏にふるる瘤力       小川 夏葉
椿道往き来に数ふ花の数        尾崎 尚子
白河の関に日のある冬紅葉       小野寺清人
膝頭寂しくなりぬ今朝の冬       鏡山千恵子
青雲の夢は夢なれ馬肥ゆる       影山 風子
城訪へば水脈をひろげて濠の鴨     笠原 裕子
穭伸ぶ時計の針の鋭角に        片山 一行
夜神楽の大蛇八岐をもてあまし     桂  信子
高原の色のはじめの草紅葉       加藤 恵介
終曲のごとし銀杏の散る様は      我部 敬子
石蕗の花来てもう帰る息子かな     神村 睦代
漁火が波の高さを伝へけり       川島秋葉男
はかどらぬ冬耕腰をまた伸ばす     北澤 一伯
伸ぶるほど揺れを大きく実紫      柊原 洋征
稲架組んで山のかたちのうねりかな   朽木  直
茶の花の蕊の重さや義士の墓      畔柳 海村
秋の日を団扇太鼓の跳ね返す      こしだまほ
黄落やいざ鎌倉のいくさ道       權守 勝一
旅鞄逆さにはたく神の留守       坂口 晴子
山茶花や何かせかるる頃となり     佐々木節子
青鬼に手招きさるる節分会       笹園 春雀
セーターにやうやうと出す子の頭    三溝 恵子
特攻の前夜の写真秋灯         島  織布
茶の花や医方を継ぎし長屋門      島谷 高水
撓るだけ枝撓らせて朱欒熟る      白濱 武子
息白き神馬の瞳清らなる        新谷 房子
紀の川の流れ豊かに木守柿       末永理恵子
霜月の炉火うつくしき山盧かな     杉本アツ子
校庭をまあるく使ひ運動会       鈴木てる緒
横穴の古墳のぞけば秋の声       瀬戸 紀恵
薄幸の姫の伝説十三夜         高橋アケミ
色鳥の色をこぼして枝渡り       高橋 透水
朝霧の湧き継ぐ八葉蓮華峰       武井まゆみ
見馴れたる縁の木目や吊し柿      武田 千津
運動会手負ひの一騎も列につく     多田 悦子
よく笑ふ伯母の来てゐる石蕗日和    多田 美記
大仏の螺髪に止まる冬の鳥       田中 敬子
お会式の太鼓を夜気へ叩き込む     谷岡 健彦
子の墓の冬草を抜く日和かな      谷川佐和子
此処もまた小町墓とや色鳥来      谷口いづみ
家の灯の漏るる路地裏海籯廻し     塚本 一夫
やや寒と上がり框の独り言       坪井 研治
坂なせる三輪の古みち女郎花      中川冬紫子
母の手をあたためむとてふかし藷    中島 凌雲
一人居に一人居なりの冬支度      中野 智子
八つ手咲き近所あらかた代替る     中村 孝哲
逆さまに廻してひとり木の実独楽    中村 湖童
新蕎麦の水に艶めく奥信濃       中村 紘子
露けしや夢に六つの妹のこゑ      藤井 綋一
お敷地の石段新た実万両        保谷 政孝
葉をこぼし音をこぼして松手入     堀内 清瀬
定年の先こそ長しとろろ汁       堀江 美州
教会の鐘にはじまる葡萄狩       堀切 克洋
啄木鳥や厨仕事はきりも無く      夲庄 康代
夜をこめて虎落笛鳴る阿蘇泊      松浦 宗克
実を揉んで蕎麦刈り時を見極むる    松崎  正
発車ベル鳴り始めたり神の旅      松代 展枝
銀杏を踏みて夕日を汚しけり      宮内 孝子
躬に副ふは木犀の香や鹿島立ち     無聞  齋
荒壁の大和は柿の熟す頃        村上 文惠
夜陰深く浮かぶ江の島秋灯       村田郁 子
金管の音の手触り冬近し        村田 重子
刻まるる髭題目や秋深し        森濱 直之
臥する身に少し薄めのとろろ汁     山口 輝久
出来秋の小耳に挟む反八俵       山田  礁
そこかしこ三輪の地名や柿の里     山田 康教
この風を待つていたかに木の葉散る   山田 鯉公
江戸絵図に入りたるごとく酉の市    山元 正規
いわし雲迷路のつづく窯場径      吉沢美佐枝
栽板の箆のくぼみや色鳥来       吉田千絵子
ふるさとの先哲たたふ文化の日     脇  行雲
口に当て鳴らぬひよんの実風に鳴る   渡辺 花穂


   



   

     









銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男
        

草紅葉八十路の血潮斯くのごと     大山かげもと
紅葉の中でも草紅葉は地味なものだ。様々な種類が混在するために彩りも必ずしも華麗とはいえない。それを「八十路の血潮」と見たところが凄味である。霜や雨を受けるたびに艶を増す。俳句も一筋縄ではいかない。年輪も重ねてこそ発せられる句というものがある。人生に対しても俳句に対しても不屈の性根というものを感じさせる句だ。

    
 

漁火が波の高さを伝へけり       川島秋葉男
 私が一番美しいと思った漁火は二十年ほど前のことだが、下北半島の下風呂温泉の宿から見た光景だ。漁火の動きで地球の丸さが解るようであった。さてこの句、同じく漁火の動きで波の高低を知ったというのである。窓から見れば暗黒の海なのだが、波の動きが解るという幻想的風景。

   
  

校庭をまあるく使ひ運動会       鈴木てる緒
 言われてみれが、なーるほど!こういう風には詠めなかったな------と思う。運動会のほとんどの競技は確かに校庭を丸く使っているのだ。この着眼点を褒めたい。屋上から俯瞰した視点である。

   
 

家の灯の濡るる路地裏海蠃廻(ばいまわ)し     塚本 一夫
「海蠃廻し」という季語、最近まで独楽と同じく正月の季語だと思い込んでいた。九月九日重陽の日に遊んだ秋の季語だという。こんな遊びも見掛けなくなったものだが------。郷愁を誘う舞台設定の句で「灯の濡るる」が味わい。 

   
  

母の手をあたためむとてふかし藷    中島 凌雲
 母の手をあたためるのが手袋や懐炉ではなく「ふかし藷」であるのが俳諧味である。もちろん母の好物なのであろう。母を喜ばせるためにふかしたのであろうが、幾分の照れを持った表現であるところが隠し味である。

   
  

八つ手咲き近所あらかた代替る     中村 孝哲
 ご近所も代替り、引越しなどで変化していく。家の建て替えなどもある。そんな変遷を経ながらも八つ手の花は今年も咲いているという。有っても無くてもいいようなこの植物。花を見て、あっ八つ手があったなと思い出す。その取合せが見事だ。各々の家にも各々の短編小説が-----。

   
  

露けしや夢に六つの妹のこゑ      藤井 綋一
「露」という季語には自然現象としての露と、「露の世」に代表される人の世のはかなさ、の二つが絡み合う。一茶に〈露の世は露の世ながらさりながら〉があるが、掲出句もその系譜の句であろう。夢に見る六歳のままの妹、声を聞いたという。何とも切ない露の頃である。

   
  

定年の先こそ長しとろろ汁       堀江 美州
 真面目に詠んでいるのであろうが、なんだか読後におかし味が残る句だ。定年が六十歳として、平均寿命から見ればまだまだ四半世紀以上の人生が残っている。何を目標に生きるのか、金繰りは大丈夫か、などと思案を巡らせながらとろろ汁を啜る。「先こそ長し」に長芋の形状や、箸に伸びるとろろ汁の様子などが浮かんでくる。実感のある句。

  
  

実を揉んで蕎麦刈り時を見極むる    松崎  正
 信州育ちだが蕎麦を刈ったことはない。このように刈り時をみるのであろうか。「実を揉んで」に大きく頷かされた。写生句の良さであろう。同時出句の〈水張りて茎漬け桶のたが締まる〉も地に足のついた句で、しっかりと信州の風土を詠み取っている。  

   
  

荒壁の大和は柿の熟す頃        村上 文惠
 奈良好きの私には何とも嬉しい句だ。秋に訪ねたら誰もが納得する筈だが、奈良の風景に柿は映えるのである。作者はそのことを熟知しているのであろう。「荒壁の」は古寺の築地塀の崩れや農家の壁なのであろう。「熟す頃」の終り方に、旅の支度を始めるような気分が――。

   
  

口に当て鳴らぬひよんの実風(いすのき)に鳴る   渡辺 花穂
 瓢の実は蚊母樹の葉についた虫の巣。その空洞が笛になるのだ。作者は吹いてみたが鳴らない。ところが風には鳴ったというのである。そんなところがひよんの実のおかしさ。俳句をしていなかったら私も一生知らずにいた季語。

    その他印象深かった句を次に  

稲架組んで山のかたちのうねりかな   朽木  直
黄落やいざ鎌倉のいくさ道       權守 勝一
特攻の前夜の写真秋灯         島  織布
霜月の炉火うつくしき山盧かな     杉本アツ子
江戸絵図に入りたるごとく酉の市    山元 正規

  

      




 
 





第3回銀漢賞・銀漢新人賞

  
  第3回「銀漢賞」
 
  
銀漢賞  「吉田の火祭」 唐沢静男


富士越えて群れを二手に鰯雲
水澄むや裾に力の忍野富士
秋思かな太古くぐりし水に触れ
溶岩うがつ治水の絵図や稲の花
湖へどこも繋がる野路の秋
露けしや鳥居のうちに富士を入れ
なだらかな長き町筋雁渡し
一位の実奥の奥なる御師の家
秋風に松脂かをる山日和
伝令の駆ける鈴の音秋澄めり
火の色の神輿へ秋の夕日かな
吉田火祭暗がりに水匂ふ
大松明十尺百基火伏祭
火祭や富士の山小屋合ひ点す
火の柱甲斐秋天を焦がしけり
大松明火の粉をこぼす夜長かな
火祭の果てし裾野を通り雨
秋の夜を鎮め木花開耶姫命
花すすき畦に溶岩つむ御師の里
富士山の全容晴るる帰燕かな

 (からさわ しずお)平成11年「春耕」入会。23年「銀漢」同人入会。俳人協会会員。伊豆在住。





佳作  「采女祭」 谷岡健彦

秋麗の古都に笙の音鼓の音
管絃の音を遠巻きに小鳥来る
八千草をおのおの髪に稚児の列
水煙の綾きはやかに秋夕焼
池の面に魂鎮めとて秋灯
身に入むや采女を偲ぶ大御歌
行列の先触れとして鉦叩
月の出を女御更衣とともに待つ
花扇沈めて月を波うたす
望の夜の采女の御霊鎮もりぬ

 (たにおか たけひこ)昭和40年大阪府生まれ。東京工業大学教員。平成21年、銀漢亭に立ち寄ったのを機に作句を始める。23年銀漢俳句会設立時に入会24年、銀漢俳句会同人。






佳作  「雲州紀行」 大溝妙子

大社へと一畑電車植田中
清和かな国引の綱大注連に
大千木を昇る四柏手皐月空
遷座して神見そなはす卯月波
薫風を入れ神官の大袂
奉幣祭の正装を解き田植笠
足型を深く残して植田かな
夏蝶の舞ひ舞ひ出づる阿国の碑
須佐之男命の妻問ひ今も海猫鳴けり
おほでまり黄泉比良坂への標

(おおみぞ たえこ)平成15年勤務先の俳句クラブに入部。10年5月「春耕」に入会。24年同人。22年「銀漢」創刊時に同人入会。



佳作  「小鳥来る」  鈴木てる緒

指貫の馴染みて歪み針供養
霾るや温めて匂ふ山羊の乳
制服に伸び代大き入学児
子の婚の近し鴨居の衣紋竹
旧道はいざ鎌倉へ落し文
鴇色を花に刷きたる藪からし
筆無精の母に文書く良夜かな
実生の木児の丈ほどに小鳥来る
水切の石に秋思を託しけり
茶の花や手に乗るほどの富士晴るる

(鈴木てる緒)平成13年2月俳句を始める。15年「春耕」に入会。22年「銀漢」創刊に当り同人参加。



新人賞  「尾道」 清水佳壽美

山寺の許に一湾春霞
のどけしや譲り合ひつつ船の行く
散る花は海風の中帰り舟
放浪記諳んじながら入学す
渡船待つ子の背にかかる夕焼かな
どの路地も霧笛漂ふしじまかな
錨打つ音も滑らか冬ぬくし
坂道を落葉転がる果ては海
冴ゆる夜や二階井戸より桶放つ
文机の下は断崖春を待つ

(しみず かずみ)昭和33年広島県生れ。平成23年「銀漢」に入会。兵庫県宝塚市在住。




    第3回「銀漢賞」「銀漢新人賞」選考経過報告    杉阪大和

 第3回「銀漢賞」は平成25年6月号に募集案内が出され、同年10月1日締切で募集が行われた。その結果、同人より40編、会員より16編、合計56編の応募作品が寄せられた。
 10月15日付けで無記名の句稿56編が「銀漢賞」事務局の川島秋葉男氏より、選者の伊伊藤伊那男主宰、武田禪次、杉阪大和の3名に送付された。約1ヶ月半の選考期間を経て、12月9日、各選者が「銀漢賞」「銀漢新人賞」に相応しいと思う作品の予選会を開催した。各選者は予め作品を選び出して予選会に提出し、その中から2名以上の選に入った八編を予選通過作品とした。各選者が8編を改めて検討し、8点から1点までの順位を付け、12月14日に最終選考会を開催した。得点数の多い順に一覧表を作成し、それを基に総合的に検討した結果、順位通りの受賞となった。
 第3回「銀漢賞」は、選者3人が1位に推した唐沢静男氏の「吉田の火祭」に決まった。
総合2位の谷岡健彦氏の「采女祭」、3位大溝妙子氏の「雲州紀行」、4位鈴木てる緒氏の「子鳥来る」の3作品を「佳作」とした。
 「銀漢新人賞」は、予選通過作品8編の内、唯一会員であり総合7位の清水佳壽美氏の「尾道」に決まった。
 今回56編の応募があったが、昨年同様選者の選が分散し、2名以上の選に入ったのが8編と少なかった。作品の内容の向上による結果とみたいが、選考過程で各作品の問題点、課題の指摘が多く出たのも事実である。例えば二十句をただ羅列したとしか思えないような作品が目に付いた。推敲のあとが見えないのである。具体的に言えば「季節の順に統一性がない」「仮名遣いの間違い、誤字、脱字」「季語、切れ字の一句に一つの原則」「固有名詞の多用」などである。
 「銀漢賞」は現在の結社「銀漢俳句会」全体の俳句の力を象徴するものであり、俳壇の厳しい目に曝されていると思って欲しい。
 以上のことを踏まえて次回の意欲ある作品を期待したい。
 
 巻末に応募作品全編のそれぞれの20句の中から、主宰選の一句を掲載し、会員諸氏の力作に敬意を表したい。

 第3回「銀漢賞」の選考を終えて

伊藤伊那男

 「銀漢賞」受賞の唐沢静男氏に拍手を送りたい。第1回目は「準賞」、第2回目は「佳作」であった。ベテランの氏にすれば不本意な結果であったかもしれない。だが氏は今回も応募し、見事に的を射た。
 氏は私の高校時代からの友人である。40代後半から私の句会に参加した。私が平井照敏編『現代の俳句』(講談社学術文庫)という、明治から現代までの百余名の俳人の代表句を纏めた選集を勧めたことがある。そんなことはすっかり忘れていたのだが、あとから聞くと100回ではきかない位熟読したという。気に入った俳人のページはもっと読んだという。そのようにして名句を頭の中に叩き込んでしまったのである。こうした積み重ねが氏の基礎にあり、一朝一夕の小手先の技ではない。受賞作は吉田の火祭の一部始終を、主観を抑えて堅牢な構成で破綻なく詠み切った。
 佳作の谷岡健彦氏「采女祭」一夜限りの奈良の祭に肉薄して詠んだ。大溝妙子さん「雲州紀行」は出雲大社の遷宮を絡めて掘り下げた。鈴木てる緒さん「小鳥来る」は特にテーマを持たず身ほとりの嘱目であった。
 「銀漢新人賞」は会員の中から清水佳壽美さんの「尾道」が受賞した。句歴の短い中での挑戦を称えたい。林芙美子とこの町をテーマに抒情豊かに詠んだ。
 応募して下さった各位の努力を労いたい。必ずやこの挑戦が力になっている筈だ。次回の更なる奮励を期待するものである。



武田禪次

 予選段階での選考基準の最重要項目を20句の作品集から立ち上って来る「詩情」とした。一句ずつが完成されていることは勿論であるが、従来のように佳句の数で20句作品を判断すると、そこに作者の個性と思想が見えなくなると思ったからである。結果としては、主宰、杉阪大和氏とはかなり乖離したものとなった。しかし予選通過8作品への絞り込みに於いては、上記の基準に加え、俳句の骨法、品格、安定度から唐沢静男氏の「吉田の火祭」を推薦した。
 20句を1つの作品に仕上げることは並大抵の力では出来ない。大山かげもと氏の「戦よあるな」、上田裕氏の「人類学教室」、島谷高水氏の「山椒魚」のように新鮮な視点での挑戦が幾つか見られたが、このような努力こそが結社の持つエネルギーであり、未来へ繫がるものと信じている。課題はどうすればこのような芽を摘まないで、伸ばしてゆくことが出来るかである。選考の方法や選者の数など検討の余地があるように思える。今後会員の皆さまとご一緒に考えてゆきたい。


杉阪大和
私は選に当り、写生眼、詩情性、季語の本意・本情、「銀漢」の理念を念頭に置いた。もっとも予選では句材の新鮮さや意欲作にも目を向けて選を行った。全体として感じたことは、推敲不足ということ。しかも初歩的なことが多く、残念である。20句をただ羅列するのではなく、推敲の結果の20句全体が作品となるのである。
 「銀漢賞」は唐沢静男氏の「吉田の火祭」を推した。火祭の情景を過不足なく描いていて安定感が際立っていた。派手さはないが火祭を丹念に見た証が随所に出ていた。過去2回の作品はどこかに力みも見えたが、今回は全体に抑えた叙法がかえって良かったように思う。
 谷岡健彦氏の「采女祭」は奈良の珍しい祭の一部始終を抒情豊かに詠いあげている。題の「采女祭」の言葉を一度も使わずに祭の特色を出したところに確かな技量を感じる。
 大溝妙子さんの「雲州紀行」は「奉幣祭」を中心に旅した体験者としての目が出雲の風土を臨場感を持って表現されていた。ただ句材に欲張り過ぎた感は否めなかった。
 鈴木てる緒さんの「小鳥来る」は作者の日常を力みなく詠み、好感の持てる句が多かった。この作品は地域が分散し過ぎた点が悔やまれる。














星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

富士のまた近づいてゐる今朝の冬    山下 美佐
凩の屈み走りの勢かな         大住 光汪
秋冷のじわり二の腕あたりまで     大西 酔馬
ふるさとへ文の間遠や草の絮      結城  爽
業平の越えし宇津ノ谷蔦紅葉      澤入 夏帆
抜歯後の吾やや小さく冬隣       小田島 渚
篝火のごとく野にある葉鶏頭      髙橋 双葉
木洩れ日の木椅子のぬくみ小鳥来る   松原八重子
節々の伸び競ひたる木賊刈る      西原  舞
木の匂ひ薪にそれぞれ冬支度      清水佳壽美
あまたなる寝息をしづめ六花      島谷  操
文化の日子に読み聞かす宇宙の本    武田真理子
胸中にあり埋火のごときもの      沼田 有希
残照にうろこ眩しき鰯雲        松下美代子
日に二便だけの空港能登しぐれ     森 羽久衣
目薬の一滴秋思を停めたり       池田 桐人
残照の一湾を飛ぶ鰡の影        市毛 唯朗
セーターに昨夜の空気まだ残る     今井  麦
白シャツの少女のごとく茶が咲けり   梶山かおり
駅ひとつ乗越しはたと秋思止む     金井 硯児
運動会校歌となれり終るらし      熊取美智子
セーターを着ても両腕捲る癖      竹本 治美
花のごと父に抱かれて七五三      多丸 朝子
思ひ出をなひまぜにして葛湯とく    中村 貞代
くつろぎは肘の抜けたるこのセーター  守屋  明

化野の熟柿たわわの戻り坂       秋田 正美
風呂と似る安らぎ覚ゆ葛湯かな     秋元 孝之
天竜は水より暮れてとろろ汁      穴田ひろし
ちやんちやんこ余命大事と念じけり   有賀 稲香
種々の神饌ゆかし村祭         安藤 政隆
免罪符のごとく付けたる赤い羽根    飯田 康酔
沈下橋夫婦が渡る秋の暮        岩本 昭三
茶の花のさゆれに声の友雀       上田  裕
谷川岳の暮れゆく空や花すすき     上村健太郎
石蕗咲いてその気になりぬ冬支度    大木 邦絵
胸元に凩一号突き刺さる        大野田好記
冠雪の四阿山早くも冬はじめ      岡村妃呂子
湖(うみ)暮るるあかり漏れくる冬囲   小坂 誠子
茶の花や井戸端会議垣根越し      尾崎  幹
落葉降る堂塔伽藍高うして       小沢 銈三
駆くる子のくるぶし煽る夕時雨     上條 雅代
つかの間の雲を彩る冬茜        亀田 正則
柿の実の採れぬ高さの撓みかな     唐沢 冬朱
大潮の波の荒さや鯔潜む        河村  啓
枝々の鳥も動かじ森凍る        北浦 正弘
手を汚し口を汚して熟柿食ふ      来嶋 清子
木の実降る神籬の杜とこしなへ     小林 雅子
袴着の急に静かなお辞儀をし      阪井 忠太
凩や寄せては返す広場の葉       桜井美津江
観覧車錆色乗せて天高し        佐々木終吉
初雪の昼には消ゆる靴の跡       佐藤さゆり
勝頼の自刃の地なり帰り花       志村 昌也
不意打ちの匂ひの先にべつたら市    鈴木 淳子
散紅葉重なるままに掃かず置く     鈴木踏青子
幼木の幼木らしき紅葉かな       角 佐穂子
着膨れて亀のやうなる娘かな      住山 春人
みかん喰ふよしなし事を話しつつ    曽谷 晴子
道草を今宵はしたし秋の風       田岡美也子
父よりも母よりも生き初山河      滝沢 咲秀

自然薯の添木当てられ並びをり     竹本 吉弘
ハロウィンの子ら一斉の呪文かな    田中沙波子
鈴虫の音にしづごころ戻りけり     田中 寿徳
落栗のするどき刺や落ちてなほ     津田  卓
梨むけば古里の水滴れり        手嶋 惠子
新米の影を帯びたる光かな       土井 弘道
太陽を月と見紛ふ芦火かな       富岡 霧中
おもむろに木の実を拾ひ決断す     戸矢 一斗
艶のある木の実納むる宝箱       豊田 知子
美容師とおしやれ談議や日短かし    長濱 泰子
水澄めば川砂を踏む鷺の足       中村 宗男
曖昧な約束の在り帰り花        永山 憂仔
薄野の風懐に帰宅かな         萩野 清司
毬栗の少し頭の覗きけり        橋本  泰
キャンパスになに散り急ぐ落葉かな   長谷川千何子
降るほどの棗をわきに冠木門      原田さがみ
野の宮へ辿る小道や竹の春       播广 義春
絨毯へ遊牧民の夢模様         福田  泉
亡き父の高き声かに虎落笛       福永 新祇
笙の音の流るる神田稲穂刈る      藤田 孝俊
絶えしかと見せて老梅今年また     松田  茂
初時雨の予感にはかにバス待つ間    松村 郁子
板に打つ釘の太さや冬構        森崎 森平
憂き事を忘ればやとて初湯浴み     家治 祥夫
さしのべし手よりこぼるる雪蛍     山﨑ちづ子
色鳥を数ふるうちに借りる指      湯川 漁太
豆腐屋の笛に呼ばるる夕時雨      和歌山要子
色鳥や声かけたくも名を知らず     渡邊 勲
初時雨連山墨絵の域に入る       渡辺 文子






     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

     
富士のまた近づいてゐる今朝の冬    山下 美佐
 感覚の鋭い句である。立冬は十一月七、八の頃。その日に富士山が近づいてくるわけではない。徐々に空気が澄んで富士山が鮮明に見えてきたということであろう。それをこのように掴み取ったところが感覚のよさである。冠雪が始まっているのである。読者の目にも山襞が克明に・・。同時出句の〈要塞に隣る僧院黒葡萄〉は黒一色という色彩を強調してヨーロッパ中世の雰囲気を醸し出した。
  
  
凩の屈み走りの勢かな         大住 光汪
 目に見えない凩というものをどう捉えるか。この句では「屈み走り」の「勢(きおい)」と見た。木の葉を落としていく初冬の風だが、寒風、空っ風などの本格的な真冬の風とは違う雰囲気がよく捉えられているように思う。やや姿勢を低くして木の葉を巻き込みながら。類型のない表現。
  
  
秋冷のじわり二の腕あたりまで     大西 酔馬
 同時出句に〈通勤の指の先より冬来る〉があった。二句とも皮膚感覚で季節の変化を捉えている。「二の腕あたりまで」はまだ半袖シャツ姿であったかもしれない。秋冷の捉え方として出色である。また冬の到来の句も「指の先より」と丁寧に物に託して詠んだところがいい。
  
  
抜歯後の吾やや小さく冬隣       小田 島渚
歯の治療が俳句になるところが面白い。一本か二本抜いただけなのに自分が小さくなってしまったようだ、と感じたのである。体重が減るわけでもないし、常識的にはあり得ないことなのだが、そのように感じた「心理」が句になったのである。冬隣の配合もよい。独自の感性。
  
  
木の匂ひ薪にそれぞれ冬支度      清水佳壽美
 言われてみて、ああそうなのか、と小さな驚きがあった。薪というひと括りでしか思っていなかったが、様々な木が混在しているのだ。薪を割ったり積み上げるとき、各々が違う匂いを発散させるのであろう。これまで詠まれていない観点であるように思う。嗅覚を生かした秀逸。
     
  
胸中にあり埋火のごときもの      沼田 有希
俳人によっては異論が出る句かもしれない。というのは「埋火のごとき」という比喩を季語として認めていいかどうかという問題である。私の育った結社は認めない派であった。ホトトギスの方に問うと「埋火」という言葉が入っていれば季語として認めていいという判定のようである。私もその方向に傾いているところだ。この句、季感がある。
   
  
日に二便だけの空港能登しぐれ     森羽 久衣
時雨は近畿地方特有のものだが、何故か能登でも詠まれる。代表的なのが〈美しきあぎととあへり能登時雨 飴山實〉。この句で「能登時雨」が定着したようである。無理矢理造った、客の少ない能登空港、「日に二便」が悲しい。能登の固有名詞を生かした。作者の故郷への挨拶句。同時出句の〈木の実落ちこども銀行開店す〉には破顔。
  
  
セーターに昨夜の空気まだ残る     今井  麦
 昨夜脱ぎ捨てたセーターに手を掛けると、おやっセーターの中には昨日の空気がまだ淀んでいるような、と感じたという。これは多くの人が感じていながら、句にはできなかった感覚を詠み取っていて、手柄!である。
  
  
白シャツの少女のごとく茶が咲けり   梶山かおり
下五の「茶が咲けり」以外は全部比喩という面白い構成の句である。茶の花とはどんな花なのか?「白シャツの少女のごとく」――なかなか的確な比喩である。
   
  
運動会校歌となれり終るらし      熊取美智子
 学校の近くに住む人であろうか。一日中歓声が沸いていた校庭から校歌らしき序奏が聞こえてきた。ああ終るんだな、と呟く。運動会の会場には全く足を運ばないで運動会の一部始終を感じ取っているのだ。その設定が新鮮。
   その他印象深かった句を次に
目薬の一滴秋思を停めたり       池田 桐人
残照の一湾を飛ぶ鰡の影        市毛 唯朗
駅ひとつ乗越しはたと秋思止む     金井 硯児
業平の越えし宇津ノ谷蔦紅葉      澤入 夏帆
幼木の幼木らしき紅葉かな       角 佐穂子
セーターを着ても両腕捲る癖      竹本 治美
花のごと父に抱かれて七五三      多丸 朝子
思ひ出をなひまぜにして葛湯とく    中村 貞代
節々の伸び競ひたる木賊刈る      西原  舞
木洩れ日の木椅子のぬくみ小鳥来る   松原八重子
くつろぎは肘の抜けたるこのセーター  守屋  明
ふるさとへ文の間遠や草の絮      結城  爽
 



 




 







新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む⑮      伊藤伊那男
  
  
   
   銀漢の時代
句集『銀漢』の時代(15)       伊藤伊那男

 2月に世田谷区成城に転居することとなった。18歳で東京に出て、途中2年ほど京都にいた他はかれこれ45年間東京で暮していることになる。大学に入った当初は練馬区江古田の兄の下宿に転がり込んだ。医学部を目指していた兄は三浪目に入っていた。その部屋は西日の当る四畳半で、その半畳分が押し入れに取られていたので実質四畳。そこに机を二つ並べたのだが、それはそれで楽しいものであった。ただし予備校に通う兄と学園生活を謳歌する私ではギャップが大きすぎて次第に兄に申し訳なくなり、数か月で東急東横線の学芸大学前に移った。
住所は目黒区鷹番。商家造りの木造建物の一階の部屋であった。昔、岡谷の製糸工場で働いていたという女主人は、時々朝コップ酒を持ってきて飲めと勧めてくれたが、これには困惑した。一年近くいたあと田園調布の賄い付きの下宿に移った。ここの老姉妹は音を立てることを極端に嫌い、隣室の人と夜中に話などしていると翌朝注意書きがドアに貼られた。キャンパスが日吉から三田に移る頃、医大生になっていた兄と同居することとし、丁度卒業する先輩の住居を家具を残したまま引き継ぐこととなった。吉祥寺の五階建てマンションの3階の2DKで学生には贅沢なものであった。
卒業して2年半は京都。戻って半年ほど井の頭公園の独身寮にいたあと結婚した。結婚の日取りが決まって、会社の厚生部に相談に行くと、丁度いい家があるという。企業同士の借家交換でアラスカへ転勤する日本航空の社員の家が空くという。広尾一丁目にあり、一階は開業医の両親の医院と住居、借りるのはその二階で十数畳の洋間、食堂、和室、寝室があり、全部の家具を使っていいという。二つ返事で住むことになり2年ほど過した。そこで長女が生まれ、オリックスへも転職した。
27歳の時であったか、井の頭線高井戸駅前の新築マンションを購入した。建築中に広尾の主がアラスカから戻るというので、数か月間広尾の隣のマンションを借りた。場所柄家賃は高かったがやむを得ない。水商売のお姉さんなどが住んでいて、妻は隣のクラブのママから店で働かないかとしきりに誘われたという。高井戸のマンションには10年ほど住んだ。次女はここで生まれた。俳句を始めたのもここである。手狭になったのでそのあと井の頭線の隣の駅、富士見丘の今の家に買い替えた。住所は同じく杉並区高井戸西である。結局この家に35年間ほど住み、2人の娘はここから嫁ぎ、妻はこの家で位牌となった。金融会社設立への参加、倒産してその清算をし、現在の酒場の親父になったのも高井戸時代である。この度この家を次女一家に譲り、私は長女一家と暮すことになったのである。

  (平成8年)
ちんぐるま月山行者霧に跳ぶ
霧に消ゆ大日坊の行者かな
   斉藤茂吉旧居
遠雷や聴禽書屋の玻璃鳴らす
青いちじく茂吉の墓に影つくる
ポマードを日がな匂はせ生身魂
阿波踊り腰の印籠地を擦れり
風つかむ仕草も阿波の踊かな
稲の花日暮れの畦に父の声
長城の裾にはじまる草紅葉
馬の顔ほどの冬瓜売られけり
膝叩くばかりの秋の扇かな
折りとりし芒の丈を持てあます
紫蘇の実の匂へば遠き母のこと
馬追の鳴ききつて闇深かりし
種茄子尻より焦げのはじまれり
菊人形雑兵は葉の目立ちけり
残菊のあまたの色を括りけり
味噌玉の肝のごときを吊るしけり
酢海鼠や一日海の荒れてをり
虎河豚の糶札付けて鳴きにけり
  
  



        


 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



    
早春の吟行へ出かけませんか・・!










掲示板






















皆川盤水/俳句の旅 その①



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鳥の歳時記


    


都鳥
    















                    
             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男

11月14日(木)
2日程前から風邪の兆しあり。大事をとって医者へ。薬で眠い眠い。「読む会」4人の他は予約なかったものの何とか賑わう。「街」の編集長以下5人。

11月15日(金)
中根さん家の清掃。発行所「蔦句会」あと店へ5人。広渡敬雄さん友人と5人。市毛唯朗さん4人。水内慶太さん。

11月16日(土)
13時半より法政大学人間環境学部のセミナーにて「俳句のある生活」の題で90分授業。あと成城・桃子の家。龍正が小学校、伶輔は幼稚園に合格。佐賀から取り寄せの温泉水で煮る湯豆腐絶妙。あす2家族招いているというので春雨のうま煮を沢山作り置きす。風邪もう一つ治らず。

11月17日(日)
整体。伊勢神宮・河合真如宮司より近著『常若の思想 伊勢神宮と日本人』(祥伝社)いただく。

11月18日(月)
店、「ミステリー句会」超結社で20名集まる。席題句会を3回(各3句)……久々、「湯島句会」の延長のような。発行所は編集会議、遅くまで。

11月19日(火)
からすみ、かなり干し上がったのでプレスして形を整える。店、市毛唯朗さんのフジテレビ時代の仲間の同窓会。他は閑散。

11月21日(木)
唯朗さん4人。「銀漢句会」あと17人。ボジョレーヌーヴォー解禁日。柚口さんから来年の手帖貰う。10年以上前からこのフジテレビの手帖である。

11月22日(金)
「写真とコトノハ展」最終日。思えばこの企画で新しい人達と沢山知り合った。倉田有希さんに感謝。「金星句会」あと7人。美佐さんより鷲神社の火伏札いただく。「りいの」主宰・檜山哲彦氏、澤木欣一先生の染筆を焼き付けた益子皿2枚届けてくださる。澤木家、いよいよ解体と。

11月23日(土)
9時発のバスにて伊香保へ。12時半、石段下に32人集合。温泉街散策。紅葉橋近くに鮎を焼く店があり武田さんと酒となる。あと全員で「徳冨蘆花記念文学館」へ。夕方、旅館「如心の里 ひびき野」。私には何と三間続き、温泉付きの特別室を用意してくださる。鈴木踏青子さんのご配慮。一時間ほど入浴。宴会では羽久衣、麦の完全装備の「あまちゃん」。踏青子夫人のフラダンスなど……役者揃い。二次会は私の部屋で。句会も。

11月24日(日)
結局昨日から出たり入ったり10回近く入浴したか!木暮陶句郎さんの窯に寄り挨拶だけする。ロープウエイにて見晴らし台へ。眺望絶佳。また昨日の鮎の店へ。玉蒟蒻、茹玉子も。「船尾瀧」という酒。群馬大学伊香保研修所(元御用邸)にて5句出し句会の披講。2時半のバスにて新宿へ。いづみ、展枝さんと「串八珍」へ寄る。妻の彦根の伯父・川村鉄夫氏逝去の報。94歳。

12月
12月1日(日)
「春耕同人句会」あと「炙谷」にて忘年会。有志でもう一軒。吉祥寺でうどん屋。ああ、また……。

12月2日(月)
野木桃花「あすか」主宰、大竹多可志「かびれ」主宰と訪ねてくれる。毎日新聞・鈴木琢磨記者、日韓問題、力道山のことなど興味深く聞く。「爽樹」環さん四人。「かさ〻ぎ俳句勉強会」杉田久女について、と。終わって15人店。

12月6日(金)
作家・伊集院静さんより正岡子規についての新刊『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』の恵贈あり。有り難し。実は先週、新聞広告が出た日に購入して読み始めていた本。面白い!武藤紀子さんの連載「俳句へようこそ」(新潟日報・三陽新聞など)に小生と「銀漢亭」の記事(12月3日付)。

12月7日(土)
午後、恒例の「銀漢亭OH!つごもり句会」。22人集合。兼題五句のあと3句出し2回と、計4回、13句の句会。あと「大金星」に寄る。

12月15日(日)
9時、整体。顔が歪むほど強烈。13時、「咸亨酒店」、皆川丈人、皆川文弘さん、当方、武田編集長で忘年会。来年の「いわき吟行」の相談及び、盤水特集への寄稿の依頼なども。あと、成城・桃子の家で家族の忘年会。佐賀武雄の温泉豆腐。持参の鮑酒蒸しなど。

12月17日(火)
「萩句会」あと11人来店にて忘年会。

12月18日(水)
「雛句会」8人。「三水会」6人。「はてな句会」4人。雪になるか……という冷たい雨。

12月20日(金)
発行所「蔦句会」、終って6人店。「白熱句会」。佐怒賀正美、檜山哲彦、小山徳夫さん。井上弘美、水内慶太さん失念、藤田直子さんは体調崩し欠席。袋廻し10句。「金星句会」あと六人。「春燈」の久米さん(伊那出身)4人など。

12月21日(土)
11時、JR横須賀駅20名集合。銀漢年末吟行会。飯田眞理子さん幹事。冬凪。ヴェルニー公園を散策し12時の軍艦クルーズ。潜水艦、イージス艦、ジョージ・ワシントン号など。圧倒される。昼食あと記念艦三笠を見学。日本海海戦の凄さを改めて知る。降船時に3句出句。庄屋にて句会、宴会。8時横浜にて1年ぶりに従兄信康さんと会う




           

   
    









今月の季節の写真



2014年2月21日撮影     紅梅が満開です    TOKYO/HATIOJI
15日の大雪から1週間。まだまだ、雪が残っています。




花言葉  「隠れた恋心」「上品」「忍耐」「高潔」


写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2014/2/21更新


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