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 4月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
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 銀漢日録 今月の写真

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伊藤伊那男作品

主宰の八句
 
冬 霞        伊藤伊那男

淡海に津の数いくつ冬霞
大津京跡このあたり蕪引く
空耳の三井の晩鐘初諸子
初諸子近江訛で運ばれぬ
薄氷のとぎれとぎれに比良映す
縄飛の縄が夕日を絡め捕る
鱈割きて貪婪の腹さらけ出す
出不精の言訳めきし春の風邪







        
             


今月の目次






銀漢俳句会/4月号










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

「銀漢」の俳句    伊藤伊那男

   近江の国のこと
 私が33歳の頃、初めての句会に出した句が〈比良山の勇姿映して田植かな〉で、これを皆川盤水先生が〈比良山の姿映して田植かな〉と添削して取ってくれたことは前にもどこかに書いている。その添削の意味については、改めて書くが、最初の句がそうであったように、私は滋賀県──いや、近江国と呼びたい──が好きである。
 俳句を始めてからは森澄雄の近江恋の句にひかれた。森澄雄は加藤楸邨とのシルクロードの旅の途次、全く句が浮かばず、芭蕉の近江の句、〈行春を近江の人とをしみける〉などが脳裏に去来したという。そしてある夜砂漠の眠られぬ床の中で〈秋の淡海かすみ誰にもたよりせず〉の句のみが浮かんだという。帰国してから森澄雄の近江行脚が始まる。
 さて私は俳句に入るよりも前、30代の中頃から近江を歩くようになった。たいがいは正月休み、夏休みなどに妻の実家の京都に帰省した折、早朝から日帰りで訪ねたものである。司馬遼太郎の『街道を行く』シリーズや、金達寿の、日本に残る朝鮮文化の本などに触発されての歴史の旅であった。
 俳句を始めてから、そうした体験がどれほど役に立っていることか。例えば席題が出て悩んだときなどに「よし、今から比叡山に登って木の間から琵琶湖を鳥瞰してみよう」などと決めて風景を辿る。あるいは近江八幡のあたりで朝鮮通信使と遭遇したことなどを想像してみる。つまり空間と時間をワープするのである。もちろん近江と同じように親しんでいる奈良にもワープするが……。そんな夢想ができるのも現場を何度も踏んできたからである。俳句は頭で作るものではなく、身体で作るものだと思っている。
 水原秋桜子が「自然の真、文芸上の真」ということを述べている。私は「見てきたような嘘」はいけないと思っている。必ず見抜かれてしまうし、そうでなくても後ろめたさが残るからである。一方、良いと思うのは「見てきた上で嘘を言う」ということである。例えば伊吹山に登ったのが春であったとしても、歳月を経て出てきた句が秋の景物であってもよい。要は現場を踏んだ上でないと臨場感が出ないのである。それが「文芸上の真」ということなのだと思っている。
 ともかく近江からは多くのことを学んでいる。先日の句会で「薄氷」の題が出た。湖西の田園風景を回想してみた。刈田のあとの田の凹みに水が溜り、所々が氷っている。
   
薄氷のとぎれとぎれに比良映す     伊藤伊那男

 思えば、31年前の初めての句会の近江の田植に呼応する比良山麓の一景であった。

 







 



  

盤水俳句・月の一句

伊藤伊那男
   
  
巣鴉に暮色海より五合庵      皆川盤水

 
先生が鳥の句を好んで作ったことは何度も述べた。中でも鴉の句に秀句が目立ち「鴉の盤水」の異名もあった。掲句は晩年の秀逸句。「五合庵」は越後の国、国上山にある良寛隠栖の庵。ここを先生は何度か訪ねており、私も同行したことがある。句意は子育ての鴉に日暮れは海から寄せてくる、というもの。そう! 海の向こうは佐渡。良寛の母は佐渡の人だといわれているのだ。良寛に託しているが、先生にも我々にも通底する母恋の情である。
                              (平成15年作『花遊集』所収)
                                  

 

  
                   
 



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選

起きがけに問はれし雑煮餅の数     中野 智子
雪吊りの引き締めてゐる加賀の空    堀内 清瀬
冬銀河あまたの墳と暮らす村      末永理恵子
ふらここの向ふにちらと過去の日を   松浦 宗克
縄跳びの弾めば白き山脈も       萩原 空木
うろうろと近江辺りを絵雙六      武井まゆみ
方丈の掌中の珠寒牡丹         杉本アツ子
萩刈るや佐保の家持屋敷跡       山下 美佐
軍港に鋼光の寒波の来         三代川次郎
探梅行いちいち墓の裏を見る      小野寺清人
念入りにびんづる撫づる初詣      島  織布
仙人を落とす太もも小春風       中村 湖童
探梅行秩父の風に会ひたくて      渡辺 花穂
美しき者を問ひたる初鏡        松川 洋酔
休診の札掛け父は煤逃げへ       多田 悦子
突きたる火箸を襲ふ炭火かな      高橋 透水
返礼は微笑とラッパ社会鍋       中野 智子
福引に当てし鏡台今もなほ       多田 悦子
輪の中に陵を入れ冬の鳶        笠原 祐子



  







        








彗星集 選評 伊藤伊那男


起きがけに問はれし雑煮餅の数     中野 智子
 子供だった頃の正月の家の様子を思い出して懐かしさに浸った。大晦日は夜更かしをしているので元旦は母に起こされる。「みんな揃ってね!お餅はいくつづつ食べるの?」そんな風にして正月の朝が始まったのである。時を経て妻にそして今は娘に「お餅はいくつ?」と問われる。そういう普遍性を持った句だ。その昔、路通に<雑煮ぞと引き起こされし添寝かな>があり、やや似た気分か。

 

雪吊の引き締めてゐる加賀の空     堀内 清瀬
  類想があるかもしれないが、それだけうまい句だ。加賀とあれば兼六園のあの雪吊であろう。木々の枝や幹に張って引き締めるのだが、この句ではそのことによって「加賀の空」を引き締めているとーー飛躍しているのだ。そこが技倆。たまさか晴れた北陸の空であったのであろう。

 

冬銀河あまたの墳と暮らす村      末永理恵子
  年末、三輪山周辺の山辺の道を歩いた。ここにもあそこにも古墳がある。恐らく千五、六百年眠り続けている古墳群である。様々な歴史の局面をくぐり抜けて残っている事を思うといとおしいものである。現代の家と、古代の墳墓が悠久の冬銀河の下に共存している。壮大な風景を切り取った。

 

ふらここの向かふにちらと過去の日を  松浦 宗克
  「ぶらんこ」をふらここと言うこと、鞦韆とも言う事など俳句をやらなかったら知る術もなかったと思う。何故春の季語であるかは中国の風習から来ているというのだが・・・・・・。鞦の中に「秋」が入っているのにね、などというのは屁理屈か。この句ふらここの持つ郷愁のようなもの良く捉えているように思われる。母か父に押してもらった幼児の頃、兄と競って蹴り上げたこと、失恋して夜の公園で揺れに任せていたこと・・・・・・。などなど誰もが何がしかの想い出を持っている存在である。鎖に囲まれた空間の向こう側にちらと覗いた過去の日々。良い抒情句となった。

 

縄跳びの弾めば白き山脈も       萩原 空木
  大きく漕げば向こう側の山脈も弾むという。「白き」とあるからまだ山並は深い雪の中。揺らぐことのある筈のない山が、自分が動くことによって「弾む」としたところが詩に昇華した要因である。

 

うろうろと近江辺りを絵双六      武井まゆみ
  擬人化が面白いところだ。道中双六であるだけに弥次さん喜多さんに重なる。双六の上りが京都なのだがその手前で行きつ戻りつ足踏みをしている様子が面白い。

 

方丈の掌中の珠寒牡丹         杉本アツ子
  住職が丹精込めたという意か。格調をもって浮き上がる。

 

萩刈るや佐保の家持屋敷跡       山下 美佐
  大伴家持は佐保に萩刈るに詩情が。


 
軍港に鋼光の寒波の来         三代川次郎
  研ぎ澄まされたものだけの二物衝撃の効果が絶大だ。

 

探梅行いちいち墓の裏を見る      小野寺清人
 探梅行で違う動作をするおかしさ。いる!こういう人。

 

念入りにびんづる撫づる初詣      島  織布
  「念入りに」に初詣という特別の日の気持が籠る。



仙人を落とす太もも小春風       中村 湖童
  久米の仙人の故事か。「小春風」の斡旋が効く。

 

探梅行秩父の風に会ひたくて      渡辺 花穂
  あの冷たい風に「会いたい」と、地名を生かした。



美しき者を問ひたる初鏡        松川 洋酔
  グリム童話の白雪姫と「初鏡」を合わせた機知。

 

休診の札掛け父は煤逃げへ       多田 悦子
  私の父も医者だったので、この句の感じ、よく解る。

 

突きたる火箸を襲ふ炭火かな      高橋 透水
  丁寧で大げさな表現。そこが独自の味わいだ。

 

返礼は微笑とラッパ社会鍋       中野 智子
  救世軍は師走の風景。喜捨の返礼を面白く表現した。

 

福引に当てし鏡台今もなほ       多田 悦子
  昔はこんな景品もあったのか。座る度に思い出すのも愉快。

 

輪の中に陵を入れ冬の鳶        笠原 祐子
  奈良あたりの風景か。視覚が確かで格調が高い。

 
 


      
                      
        






銀河集品抄

伊藤伊那男選
発掘の縄締め御用納かな        飯田眞理子
美しく肩すべり落つコートかな     池田 華風
熊笹の白きはやかに寒波来る寒波来る  唐沢 静男
初灯浄土いかがと母に問ふ初灯     柴山つぐ子
糸引の通ひし道や大枯野        杉阪 大和
手鞠つく大地の声に応へつつ      武田 花果
初富士の正気あまねく日の本へ     武田 禪次
根に打ちし鉈をそのまま去年今年    萩原 空木
初鏡皺に勲功ありぬべし        久重 凜子
着ぶくれて米軍空母に遭遇す      松川 洋酔
人混みの中の安堵や年の暮       三代川次郎
福寿草古稀の居場所の文机       屋内 松山







         
   





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

頰杖の高さで愛でむ福寿草       相田 惠子
峡の日をむさぼるやうに懸大根     五十嵐京子
本読む声なないろに日脚伸ぶ      桂 信子
山辺の道の猪垣二重三重        朽木 直
集めたる日を色として福寿草      畔柳 海村
曼荼羅の末席にゐて日向ぼこ      こしだまほ
逃げ易き谷戸の日差しや冬至梅     權守 勝一
四月馬鹿その気にさする骨董屋     笹園 春雀
年賀状一言づつの百通り        島谷 高水
取る歌留多恋に破れし歌ばかり     末永理恵子
幸せは足元にあり福寿草        高橋 透水
西に生まれ東に老いて晦日そば     武田 千津
餅焼いて思はぬところふくれ初む    多田 悦子
今は昔鶴の里より来し子守       谷川佐和子
おでん屋の誰とも知れぬ色紙かな    松代 展枝
子にうしろまだ見せられぬお年玉    宮内 孝子
幸せの背丈のほどや福寿草       森濱 直之
熱燗のひとのかたちに沁みゆけり    有澤 志峯
ふくら雀嘴小さく見えにけり      飯田 子貢
山よりも山影尖る寒の入り       伊藤 庄平
凩の東西南北平城宮          伊藤 政三
祝箸父が着けたるわが名あり      梅沢 フミ
ひとりとははぐれざる数枯野人     大野 里詩
ジャンパーの背の刺繡の虎吼ゆる    大溝 妙子
老商人手締めもて終ゆ大晦日      大山かげもと
洞奇岩刻みあげたる冬怒濤       小川 夏葉
京・江戸と誘ひのうれし賀状来る    尾崎 尚子
引き出さるる臼に冬至の日の斜め    小野寺清人
若水として嗽ぐ水道水         鏡山千恵子
釣り糸の一条の影冬の水        影山 風子
一羽来て二羽来てわつと初雀      笠原 祐子
飛び立たぬまま詩となりぬ冬の雁    片山 一行
凧揚げの糸食ひ込みて我慢の子     加藤 恵介
太き眉乗せてゐるかに大マスク     我部 敬子
七草の三種まかなふ縁の先       神村 睦代
鳶の輪を崩しつ凧の初御空       川島秋葉男
火をとめておでんも寝かせつけにけり  北澤 一伯
小流れの落葉拾ふも年用意       柊原 洋征
息継ぎてより声高に手毬唄       坂口 晴子
蠟梅に天神の風流れゆく        佐々木節子
曇り日の蠟梅にあるかをりかな     三溝 恵子
鈴の音の幽けき手毬つきにけり     島 織布
独り居はみなしごのやう冬座敷     白濱 武子
飴切のリズムのかろし初詣       新谷 房子
枯芒杭一本の船着場          杉本アツ子
一茶忌や雀に顔を覚えられ       鈴木てる緒
浮寝鳥夕山風に身じろがず       瀬戸 紀恵
あたりみな濡れているかに寒月夜    高橋アケミ
まきむくといふまほろばに年惜しむ   武井まゆみ
初夢の前後を二度寝してつなぐ     多田 美記
ねがひごと重箱につめ正月膳      田中 敬子
秩父祭へ関八州の機動隊        谷岡 健彦
差すゆびが消してしまひぬ冬の虹    谷口いづみ
魂の溶けゆく心地日向ぼこ       塚本 一夫
戦艦の艫も舳も冬至凪         坪井 研治
湯たんぽのへこみ懐かし母遠し     中川冬紫子
ポケットの中に数へ日してをりぬ    中島 凌雲
父母となり祖父母となりて三が日    中野 智子
霜焼に昭和の痒さ手に頰に       中村 孝哲
旅にゐてここに寺あり除夜の鐘     中村 湖童
正月の凧に切らるる空の青       中村 紘子
海峡に街の向き合ふ初御空       藤井 綋一
愛猫の老い行く顔も年の暮       保谷 政孝
追分の何処を取るも枯野道       堀内 清瀬
底冷えを引き摺る寺の廊下かな     堀江 美州
この風より寒に入りたるかもしれず   堀切 克洋
源氏より平家読む夜の虎落笛      夲庄 康代
藤かかる山路を越えて大和へと     松浦宗 克
七草粥子が問うてくる一つづつ     松崎 正
追ひ焚きが湯舟にひびく霜夜かな    無聞 齋
日表へふくら雀の転がり来       村上 文惠
霜柱触れて脆きをいとしみぬ      村田 郁子
先づ母のメモを探せる年用意      村田 重子
切支丹潜みし渓や虎落笛        山口 輝久
雪晴の雪を覗けばのぞき色       山田 礁
焼藷屋軍手十指に稼ぎの香       山田 鯉公
一病を余生に加へ去年今年       山元 正規
ポインセチア負けず嫌ひの色かとも   吉沢美佐枝
狛犬のどつかと座り去年今年      吉田千絵子
庭隅のはこべも入れて七日粥      脇 行雲
手套脱ぐ握手の形残せしまま      渡辺 花穂








      

     









銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男     

   

福寿草古稀の居場所の文机       屋内 松山
頰杖の高さで愛でむ福寿草       相田 惠子
集めたる日を色として福寿草      畔柳 海村
幸せは足元にあり福寿草        高橋 透水
幸せの背丈のほどや福寿草       森濱 直之

  この号は福寿草の句に秀句があった。松山句は「古稀の居場所」に控え目な充足感がある。惠子句は机上の鉢を同じ高さの頰杖で愛でるという洒落た構成である。海村句は太陽の光がそのまま福寿草の黄色になったとやや抽象的ながら鋭い感性を発揮した。透水句は格言めいた台詞を臆面もなく使って、意外にも成功している。直之句は、その花の背丈ほどの幸せ、と、例え低くても背伸びをしないという日常生活の充足感を詠んだ。各々の新しい年を迎えての感慨が滲み出ているようで楽しい。私の今年の福寿草の句は〈福寿草てふ睦まじき混み具合〉であった。意識せずに作ったのだが、その少し後に一人暮しから七人家族の生活に変ったことを思うと、意図せざる何かが働いた句であったのかもしれないと思う。


  
  

発掘の縄締め御用納めかな       飯田眞理子
  年末の奈良煤逃吟行の折の注目句。平城宮跡であったか、纏向の嘱目であったか、当然といえば当然のことながら発掘現場も正月休みに入る。国か地方自治体の管理下にあるので「御用納め」ということになる。さすがに、発掘にも参加したことのある歴史好きの作者だけに、人と違う視点で見ており、また現実感を伴っている。

 

  

手鞠つく大地の声に応へつつ      武田 花果
  「大地の声に応へつつ」――何とも正月にふさわしい盤石な言葉の斡旋である。句からは大地、自然の恵みに対する感謝の心が伝わってくるようだ。祈りの心が籠められているところに句の強さと芯があるということであろう。

 

  

峡の日をむさぼるやうに懸大根     五十嵐京子
  「峡の日」と「懸大根」の取り合わせはどこにでもありそうだ。しかしながら「むさぼるやうに」の措辞は斬新である。この言葉は動物の行動に使われるものであるが、植物である大根に比喩として用いたところが独自の視点である。すぐに翳になってしまう山峡の日差しを何としても吸収しようという懸大根、それは大根を干している人間の願いに重なるのである。この眼力を称えたい!

  
 
  

絵本読む声なないろに日脚伸ぶ     桂 信子
 「なないろ」がうまい!子供に読み聞かせる本のこととて様々な声色を使う。お婆さんの声、鬼の声、動物の声、擬音――それらの音声を全部ひっくるめて「なないろ」
の措辞にまとめたのである。しかも「なないろ」からは絵本のカラフルな彩色までが読み手に伝わってくるのである。季語の「日脚伸ぶ」の配合もよく、春の到来の喜びの中でのこと。昔、縁側で父母や姉に読んで貰ったことなども思い出される作品である。


 
  

山辺の道の猪垣二重三重        朽木 直
  奈良煤逃吟行会の嘱目である。先日その折の句会報が手渡されたが、何と四十二頁!二泊三日で昼間は登山や散策で六万歩を歩いたと記されている。句会は七回開かれ、しかも旅のあと宿題十句が加わっていた。さて掲句はそうした習練の中から生れた秀句の一つと言ってよかろう。ここでいう「山辺の道」は固有名詞の古道の名。猪垣が「二重三重」というところに、行った人でなくては詠めない臨場感がある。これはすごいな!という作者の感想を、一切の主観表現を排して、動詞も形容詞も使わずに「二重三重」と客観視したところが手柄である。

 

  

曼荼羅の末席にゐて日向ぼこ      こしだまほ
  そこはかとない俳味を漂わせた句である。曼荼羅図を拝観したのであろうが、隅の方、廊下にでもはみ出して座ったのであろう。ところがそこは丁度日が差していて心地のいいこと。曼荼羅図の中に入っている一員とも思わせる、錯覚を呼ぶ構図になっている面白さである。



  

取る歌留多恋に破れし歌ばかり     末永理恵子
  歌留多取りの中に作者自身の感懐を色濃く投影した句。主観が強い抒情句だが、多くの読み手は、自分にも覚えがある、と納得するのである。同時出句の〈初鏡昔の母がそこにをり〉も味わいの深い句であった。

  その他印象深かった句を次に
 

おでん屋の誰とも知れぬ色紙かな    松代 展枝 
今は昔鶴の里より来し子守       谷川佐和子
餅焼いて思はぬところふくれ初む    多田 悦子
逃げ易き谷戸の日差しや冬至梅     權守 勝一
四月馬鹿その気にさせる骨董屋     笹園 春雀
年賀状一言づつの百通り        島谷 高水
西に生まれ東に老いて晦日そば     武田 千津
子にうしろまだ見せられぬお年玉    宮内 孝子







 

      



 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

逝きし夢見しと初泣きしてくれぬ    中村 貞代
掛け声を追ひ越してゐる年の豆     曽谷 晴子
丹田に背筋をのせて初硯        金井 硯児
褒められて買ふ二つ目の冬帽子     大野田好記
漱石忌毘沙門界隈風抜けて       久坂衣里子
就中小町傷みし歌がるた        澤入 夏帆
そこかしこ錆びて開くや寒椿      守屋 明
焼藷を弾まする手の熱さかな      中村 宗男
寒波急早口のなほ早口に        武田真理子
朴訥に年を重ねて冬帽子        沼田 有希
片付かぬことはままよと年の湯へ    大西 酔馬
食ひしばる歯がもうなくて冴返る    滝沢 咲秀
獅子舞の夕べ(あぎと)の緩むまま       清水佳壽美
街道のやつちや場跡に葱を買ふ     山下 美佐
耳たぶに香り一滴初鏡         小林 雅子
虎落笛二つと同じ音色なく       穴田ひろし
鰭酒にまづは指先馴れさする      飯田 康酔
元朝の光の束に一礼す         大住 光汪
数へ日のちり紙増ゆる抽選会      小田島 渚
まんさくや花のねぢれはたよりなく   北浦 正弘
横綱のごとく構ふる鏡餅        豊田 知子
回覧板回り道して梅探す        花上 佐都
かくれんぼ声の遠のく一葉忌      宮本 起代子
騒がしきアメ横もまた聖夜かな     渡邊 勲

壬生屯所冴ゆる鴨居の刀傷       秋田 正美
全身を貫く熱き初日かな        秋元 孝之
仏壇に水仙一輪母思ふ         浅見 雅江
子等の衣に想ひ重ねて針供養      荒木 万寿
葉牡丹の渦巻く中の月日かな      有賀 稲香
玲瓏と土佐街道に冬の月        安藤 政隆
濡縁の陽射し編みゆく手毬唄      池田 桐人
回転に捻りを加へ散る落葉       市毛 唯朗
間のびせし鴉の声や寒の入り      伊藤 菅乃
藁の隙埋め大輪の寒牡丹        今井 麦
朝市のたき火の温し人温し       岩本 昭三
目玉より達磨の焚かれ元三忌      上田 裕
故郷のまづ仏壇へ初明かり       上村健太郎
去年今年ひと日の手順変はらずに    大木 邦絵
風花の畑に触るるやいなや溶け     岡村妃呂子
寒菊の暮れても灯しある如く      小坂 誠子
合ひの手に上手く載せられ餅を搗く   尾崎 幹
冬木とは鋼の匂ひ日の匂ひ       小沢 銈三
隠れ耶蘇守り続けし野水仙       小野 無道
粗砂に光零して福寿草         梶山かおり
最果ての岬に仰ぐ冬銀河        桂 説子
霜焼の抜けて加はるかごめの輪     上條 雅代
降る星の煌き増して寒波来ぬ      亀田 正則
乳飲子の乳ふふむ音初御空       唐沢 冬朱
水鳥の海の碧さを呑むごとし      河村 啓
七五三レンズをよぎる鳩の群      熊取美智子
点滴の落つる音聞く寒暮かな      来嶋 清子
古枝にふくら雀が鎮座せり       黒岩 章
寿ぐや家族揃ひし正月膳        黒岩 清女
着ぶくれて手にも届かぬ背の痒み    阪井 忠太
山畑に縞模様あり土と雪        桜井美津江
風花や駒の鈴音遠のきて        佐々木終吉
虹色の乱反射かな雪の原        佐藤かずえ
病室のいつもとちがう雪景色      佐藤さゆり
春寒の外れてゆるる蝶番        島谷 操
日も音も尖つて返す冬の水       志村 昌也
やかんごと熱燗にする上棟式      鈴木 淳子
北颪こんな所に猟銃店         鈴木踏青子
飛ばさるる雲の早さや年用意      角 佐穂子
クリスマス子らの眠りの浅きこと    住山 春人
粕汁や湯気越しに聞く母の声      田岡美也子
煤逃げの来てゐる昼の映画館      髙橋 双葉
初日記十年日記の十年目        竹本 治美
着ぶくれて一つ見送る電車かな     竹本 吉弘
初春やシャンパンの泡まつすぐに    田中 沙波子
変る世の変らぬ心初詣         田中 寿徳
凍鯉のひとかたまりにしづもれる    多丸 朝子
初富士を伊勢の海から遥拝す      津田 卓
ネオンしぐれ纏ひて帰る歌舞伎町    手嶋 惠子
箒目の土間に残るや松の内       土井 弘道
鴨のこゑ瀬音にかさね嵐山       徳永 和美
ひと刷けの雲にひと日の冬茜      戸矢 一斗
去年今年時の余白にゐるごとし     中西 恒雄
冬晴れや北斎の富士目の前に      長濱 泰子
福引のはづれの飴の色まぶし      西原 舞
初空を素手で摑むや大欅        萩野 清司
全容を湖面に晒し山眠る        橋本 泰
一筋の小筆の先や初硯         長谷川千何子
まゆ玉の揺るる帳場の立居かな     原田さがみ
尻上げて水に逆立つ尾長鴨       播广 義春
昼の陽にほどくる刹那軒氷柱      福田 泉
鱈汁のやさしさ椀のひびまでも     福永 新祇
冬雲の覆ふ沖合日矢差せり       藤田 孝俊
耳に残る囃詞に薺打つ         牧野 睦子
猫抱きて温み分け合ふ冬の暮      松下美代子
表札は昔のままや花八手        松原八重子
ささやかに置けば華やぐ鏡餅      松村 郁子
書初に向かふ心の安まらず       村上 敏和
風邪引きにいまだ手書きの処方箋    森 羽久衣
餅花や父のそろばん五つ玉       森崎 森平
引く波にやどかりひとつ残りをり    家治 祥夫
お手玉の数へ唄なりお正月       山﨑ちづ子
女正月妻の月日の扱き帯        結城 爽
骨の生る如き古墳の霜柱        湯川 漁太
切山椒母の俤泛び来る         和歌山要子
初鏡一息つきて眉をひく        渡辺 文子








     





星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

 
逝きし夢見たと初泣きしてくれぬ    中村 貞代
  正月の句としては珍しい嘱目である。子供が悪い初夢を見て作者に電話をかけてきたのであろう。「お母さんが死んだ夢を見ちゃって・・」と泣いてくれる。詠まれてはいないが、その愛情に作者も泣初めをしたことであろう。深刻な題材ながら泣く方も泣かれる方もいい年であるから読後に可笑しささえ感じられてくる。同時出句の〈それぞれの座にそれぞれの日向ぼこ〉も人生の機微を交えており、人事句の楽しさを満喫させてもらった。


掛け声を追ひ越してゐる年の豆     曽谷 晴子
  物理的にこういう事があるのかどうか解らない。音速より早く豆が飛ぶのであろうか?しかしそうかもしれないと思わせるのが言葉の力。豆撒の豆の動きを集中して見ているとこういう句に結実してくるのかもしれない。同時出句の〈途切れては始めに戻る手毬唄〉〈セーターの歳月ほどく今宵かな〉も程良い抒情を滲ませている佳句。


丹田に背筋をのせて初硯        金井 硯児
  折も折、この作者から筆の持ち方を教わったところだ。「指先で書いては駄目、腕と肘を大きく使って書くこと」と。俳号にあるように小学生の頃から書道に馴染んでいる方である。丹田という医学でいう臓器ではないものの上に背筋を乗せるというところが面白いところだ。多分に精神力がものを言う「道」の世界の一端を的確に捉えている。


褒められて買ふ二つ目の冬帽子     大野田好記
  私もそうだが、この年ともなると毛髪も細くなり、顱頂のあたりが淋しい。この作者は私の高校時代の同期生だが私よりももっと厳しい状況にある。最近帽子姿を見かけるようになった。この句「褒められて」が眼目。店員のお世辞にうまうまと乗ってしまうところが何とも楽しい。おのずから作者の人物像などが浮かび上るのである。


就中小町傷みし歌がるた        澤入 夏帆
  就中は「なかんずく」と読む。ナカニツクの音便で、漢文の訓読に由来する独得の文字だ。さてさすがに人気者の小野小町の札、皆が取ろうとするのでとりわけ痛みが激しいという。一切無駄の無い、弛みのない仕立ての一句。


そこかしこ錆びて開くや寒椿      守屋 明
  「寒椿」というものをよく観察して、その本意、特徴を摑み取ってきた句だ。まだ句歴の浅い筈の作者だが、その対象物だけを詠み切る「一物仕立」で詠み切ったことを称えたい。厳寒の中の花だけに蕾の時から痛みが始まっていて開花と同時に「錆」を持っていたという。確かな眼力!
 

虎落笛二つと同じ音色なく       穴田ひろし
  「虎落笛」――これも俳句をやらなければ一生読めなかった漢字であろう。柵や竹垣に寒風が当って発する音という説と、方言の「もがる」――だだをこねる、悩むという意味を寒風の音に当てはめたという説があるという。その音が全部違うと聞き分けたのがこの句の眼目である。俳句は「見る」ことが大事だが、「聞く」ことも大事だと実感させる句である。般若心経に言う「眼耳鼻舌身意」が写生の極意ということであろうか。


回覧板回り道して梅探す        花上 佐都
  隣へ持っていく回覧板なのだが、外に出るとふと梅の香がする。あっあの梅が咲いたのかな、と町内を捜し歩く。そんな忙中閑ありの様子を詠み止めて上質の詩となった。日常生活の中の小さな喜びを発見し、言葉にするのが俳句である。句の素材は身辺至る所に転がっているのだということを教えてくれる句である。


かくれんぼ声の遠のく一葉忌      宮本起代子
  一葉忌は11月23日。享年24歳であったのだから、改めてその文才に驚嘆せざるを得ない。『にごりえ』『たけくらべ』『十三夜』――ああどれもみな悲しいな。この句は『たけくらべ』が素材であろうか。万太郎の〈竹馬やいろはにほへとちりぢりに〉などを想起させる句だ。「声の遠のく」の措辞が重要で、子供達の声だけではなく、一葉の声も交っているような余韻が残るのである。
  その他印象深かった句を次に

鰭酒にまづは指先馴れさせる      飯田 康酔
元朝の光の束に一礼す         大住 光汪
数へ日のちり紙増ゆる抽選会      小田島 渚
まんさくや花のねぢれはたよりなく   北浦 正弘
漱石忌毘沙門界隈風抜けて       久坂衣里子
横綱のごとく構へる鏡餅        豊田 知子
焼藷を弾まする手の熱さかな      中村 宗男
騒がしきアメ横もまた聖夜かな     渡邊 勲

    
 




 




 


新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む⑰      伊藤伊那男
  
  
句集『銀漢』の時代(17)    伊藤伊那男

 『銀漢』の初期に次の句がある。

  通夜の間に飛び込んできし秋の蟬   伊那男

 〈日航機御巣鷹山墜落により社友2名失う〉という前書きがある。以前に勤めていた会社の住宅事業部課長時代の句だ。日航機が墜落した8月13日に大阪担当課長のHさんが、私のいる新宿本部に出張で来ていた。私の席にも寄ったので「飲みましょうよ。歌舞伎町の面白い店へ案内しますから」と誘ったが「用事があるから……」と帰った。その夜帰宅してテレビをつけると大阪行の日航機が消息を絶ったという。私はH課長が乗っているのではないかと直観した。次第にそのことに確信を持って、テロップに流れる搭乗者の名前を見続けた。するとS・Kという名前が流れた。あっこれは住宅事業部設立時の担当常務ではないか、確かご家族は大阪。身体が震えた。更にそのしばらくあとに何時間か前に別れたばかりのH課長の名前も流れたのである。H課長の葬儀は恵比寿の寺で行われた。出棺に手を添えたが柩はドライアイスで冷え切っており、何よりも驚いたのは空かと思うほど軽いことであった。ズボンのベルトから下だけの遺体であったのだ。
 話はそれで終ったわけではない。葬儀のあとしばらくして人事部長が私を訪ねてきた。「H課長は惜しいことをした。実はW君の不正事件を調べて貰っていたのだ。真相は伊藤君が知っている筈だ。教えて欲しい」と。確かにその件は私が知っているのだ。一年ほど前まで私の部下であったWは才知に長けた男で、私の課の発展に大きな貢献があった。ただし住宅ローン貸付という小口の仕事に飽き足らず、大口不動産融資の部署を希望して転部していた。事故の1月ほど前に以前Wに担当させていた取引先の部長が私を訪ねてきた。彼の会社の絡む不動産取引をWが仲介したが、その手数料千数百万円を着服したという。嫌な話を聞いてしまったのである。思案の末、最も信頼していた鑑定課長のIさんに極秘を前提に相談し、時期をみてWに自主的に退社するように勧告しようという意見で一致したのであった。ところがI課長が、こともあろうに大阪のH課長に洩らし、H課長が人事部長に耳打ちしたのである。それで調べるということになったのがこの出張の目的の一つだったようである。ともかく私と別れたあと本社で人事部長を訪ね、そのあと日航機に乗ったのである。言いようのない憤りに私は「何も知らない」と突っ撥ねた。そのことがあり、いまでも御巣鷹山で亡くなった社友を思うとやり切れないのである。その後Wは自主退社し、不動産会社も設立したが、倒産し行方不明となった。5,6年前Wがひょっこりと銀漢亭に来たのには驚いた。その後、持病の糖尿病が悪化し、風の噂で死んだことを知った。

鮎釣の濡らしてゆけり寺の縁
叡山の僧下りてくる木下闇

 湯殿山注連寺は小説『月山』の舞台

森敦執筆の間の黴匂ふ
蜻蛉生る祈るかたちに草摑み

 信州諏訪は「アララギ」の故地

竹煮草赤彦旧居へ坂懸り
𥱋組みて岸辺に幣をたてまつる
城山に雨雲せまる鮎膾
注連張つて天満宮の梅筵
飾る間も七夕竹のしづく浴ぶ
箱庭の水車を廻す息かけて
林間学校真中に据ゑし大薬缶
雲の峰信玄の寺梁太し
夏旺ん武田軍旗の金の文字
恵林寺の山門くぐるとき涼し
稲の花一茶にありし貧と貪
仏壇に茶を濃く入れて大暑の日
銀漢の尾を山の端に母の国
大数珠につながる子らや地蔵盆
吹かれ来し秋蝶のすぐゐなくなる
菊坂をゆるゆると来る月の客

  
  
   





 


銀漢の絵はがき


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8枚一組 1,000円

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【句会指導部】 
* 投句で句会参加
遠隔地或いは句会に出席できない方々へ毎月の句会へ投句の機会を設けております。詳しくは杉阪大和同人(TEL.03―3305―8940)へお問い合わせ下さい。現在は、「梶の葉句会」「銀漢萩句会」「早蕨句会」の三カ所で行っております。
* 句会への参加
句会への参加が俳句上達の王道です。「俳句会一覧表」の最寄りの句会へ、ご友人、お知り合いとお誘い合わせの上、是非ご参加下さい。  
* 添削教室
俳句を始めて間もない方、また、初心に戻るべく学びたい方、主要同人による「添削教室」を開設しております。主要同人による丁寧な添削です。添削依頼の送付先は銀漢発行所です。表書きに「添削希望」とお書き下さい。

【事業部】
* いわき1泊2日吟行
 申込みの締切が3月28日となっております。参加ご希望の方は、先月号掲載の吟行案内をご参照のうえ、至急お申込みください。
* 秋の1泊2日鍛練句会
 10月18・19日に文京区本郷の鳳明館で開催いたします。ご予定ください。
【お詫びと訂正】
* 3月号「綺羅星集」の末永理恵子さんの句に誤植がありました。ここに訂正するとともにお詫び申し上げます。
(誤)構内の波穏やかに鴨の群
(正)港内の波穏やかに鴨の群

 












鳥の歳時記


       














雲雀








      


                



  
             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男

 1月

1月24日(金)
店、「雛句会」8人。発行所「金星句会」あと4人。星野高士、中西夕紀さん(「都市」主宰)、「星野立子賞」選考会のあとと、寄って下さる。

1月25日(土)
「銀漢俳句会年次総会」。湯島の白梅五分咲き。宴会で馬鹿殿のかつらを被ってはしゃいでしまう。最後「銀漢亭」に32人集まり二次会。

1月26日(日
杏子、桃子、義妹来て家の整理。業者呼び、着物、絵画などの処分。リフォーム業者も。夜、3月号の選句。酒飲まず。

1月27日(月)
発行所、2月号の発送。店、昔の仕事仲間・神村君。取引先だった旧長銀のKさん、旧興銀のKさんと。坪井さん旧東海銀行の部下と4人。

1月28日(火)
「田」の池田のりをさん、明日から渡仏と。堀切君へ2月号3冊、今週出た「角川季寄せ」を託す。閑散。

1月30日(木)
近所の守屋さん、餞別とてセーラーの筆記具下さる。杏子に車で来てもらいバニラを鈴木てる緒さん宅へ。二ヶ月ほど預かっていただくことになる。店、カルチャーセンターで私の句を知ったという岩佐さん母子がインターネットで『知命なほ』を入手した、とて、会いに来てくれる。今日も閑散。太田うさぎさん誕生日。シャンパンで祝う。今月は、私の知人、凌雲夫人の後輩と20代、30代の女性が入会。「北軽井沢句会」から2人、「雛句会」から1人と入会あり、幸先のよいスタート。

1月31日(金)
旧暦では今日が元旦。今週はホント客少なし。オリックス時代、女性総合職第一号の原山美香さん夫君と。2人とも不動産鑑定士。ああ、あの頃は彼女らを引き連れて旨い店を巡り歩いたものだ。

2月

2月3日(月
「かさ〻ぎ俳句勉強会」皆川盤水句について、あと11人。政三さんの輪島土産の濁酒佳し。帰路、地元のイタリアンレストランに寄る。マスターに転居の挨拶。2人でついつい2時くらいまでワインを傾けるということに。

2月4日(火)
「火の会」10人。京都の友人より到来の鮒鮓、湯豆腐を供す。配達の酒問屋が1月は売り上げ最低記録で冷えきっていると。景気は一体?

2月5日(水)
「読む会」4人。「きさらぎ句会」あと8人。「宙句会」あと8人。村上敏和氏久々。志峯さん手作りの塩辛持参、秀逸。てる緒さん、ばら寿司持参、秀逸。


2月7日(金)
何としても平成俳壇4月号の選を引っ越し前にと、仕上げて発送する。「大倉句会」あと12人。伊那北高一年後輩の宮下君、上京したとて、友人と3人で。以前、贈呈した『知命なほ』に泣いたと。叔父さんに貸したらやはり泣いたのであげてしまった、一冊欲しいと。俳句をやらない人がそう言ってくれるのは、何とも俳句冥利!明日は大雪情報。


2月8日(土)
7時、武田編集長より電話あり。雪、ますます酷くなる模様とて「銀漢本部句会」中止の触れを出すことになる。運営委員会も中止。たまさかの休日に選句したり、エッセイを書いたり、寝たり。


2月9日(日)
朝、雪掻き。20分やるがヘトヘト。都知事選投票。午後、杏子来て最後の荷物整理。17時、引っ越し屋さん2名、2トントラック。結局乗り切れず、宮澤の車来る。それでも積み残し。新居の部屋に桃子がシモンズのベッド用意してくれる。安眠。

2月10日(月)
仕事休み。学校、幼稚園、プレ幼稚園と出発時間の違う子供達の朝の風景を見る。部屋の片付け。「銀漢」3月号の校正。一歩も家を出ず。桃子、孫とハンバーグ他夕食の支度。夜遅く、宮澤、本門寺撮影などから戻り、引っ越しの祝杯。

2月11日(火)
建国記念日。家族は寒川神社神主の写真納品を兼ねて参拝に。留守番、校正その他。午後、宮澤に車出して貰い積み残しの荷物段ボール10個ほど取りに行く。夜、ステーキ、大根サラダ、茹海老、牡蠣など。

 2月12日(水)
10時まで、下の子の面倒みて、お手伝いさんのレジィーとバトンタッチ。成城でスーパーマーケットの八百屋など捜してみる。11時半、「咸亨酒店」。梶の葉句会の、大溝さんの銀漢賞佳作受賞を祝う昼食会に招かれる。後、発行所へ選句に。店、超閑散。谷岡、大野田さんが「井月忌の集い」の俳句大会運営についての打ち合わせ。22時に閉める。転居一日目から早々に帰るのは癪なので馴染みの店に寄り、板さん、大将と話。新宿からの小田急線、意外に空いていることに驚く。座ったら読売ランド前まで乗り越し。ああ……。

2月13日(木)
昨夜、セコムのセット忘れる。次に間違えるときっと娘に怒られる!隣駅、祖師ケ谷大蔵に降りて、店舗など調べる。高井戸で使っていた同じ「オオゼキ」発見。発行所、最終校正。てる緒さん、バニラ連れて見せにきてくれる。細やかに世話をしてもらって私と暮らしているよりも幸せそうである。店、そこそこ。最後、洋酔、酔馬、展枝、淳子さんと「大金星」に寄る。

2月14(金)
またまた雪。今日は「俳壇」パーティーでその後「青垣」御一行が祝賀会という段取りながら、さて。幹事の広渡敬雄さんと連絡取り合う。家族は今日から軽井沢へ。買い物して店に出るが、雪激しく、休むこととする。近所で飲んで20時には帰宅。桃子より、軽井沢へは行き着かれず、熊谷に1泊と。

2月15日(土)
雪、27センチと。羽生金メダル。選句、ゆっくり風呂など。木田千女さん、鳥居真里子さんから電話。御徒町「吉池」にて買い物。理容店。18時半、湯島「鮨いづ」にて「天為」同人・橋本有史さんの還暦の祝い。20名ほど。夫人は「慶應茶道会」の後輩。乾杯の音頭をとる。橋本さん取り寄せの松葉蟹、かわはぎの薄造り、肝付き、筍焼、刺身は魴鮄、金目、のどくろ、はた、縞鯵など見事!〈ちゃんちゃんこ着せて還暦らしくなる〉終わって8人ほどでカラオケ。零時半帰宅。

2月16日(日)
10時半より、高幡不動尊にて「春耕新年俳句大会」。川澄大僧正御回復にて安堵。盤水先生の墓参り。宴席、乾杯の音頭とる。朝から胃が重く薬など飲んでいたがどうやら回復。清人さん二日酔いで酒に手を付けず。昨日一緒であった。そうだ、私も二日酔いであったのか……。島田ヤスさんのしもつかれ旨し!子息・島田文男さん作のお茶碗をいただく。あと参道の蕎麦店にて恒例の2次会。朝妻力、空木、静男、紘子など。帰宅すると3家族集まってパーティーの最中。疲れが溜まっていて参加せず、そのまま就寝。20時頃か。


 


   
    






今月の季節の写真


 2014年4月30日   花水木   HATIOJI





写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2014/4/30更新


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