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 2月号  2020年


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伊藤伊那男作品


主宰の8句







        
             

 
          
    

今月の目次





銀漢俳句会/2020/2月号






    



  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎赤穂浪士をめぐって
 義士討入の日は12月14日。高輪泉岳寺は毎年大賑わいで、四十七士の墓はかれこれ三百年位香煙に燻され続けている。ほとんどの日本人が好きな赤穂浪士だが、故鳥居三朗氏に招かれた句会で〈吉良邸の屋敷窺ふ暮の秋〉というような句を出したところ、氏は凄く怯えて、それは真剣な表情であった。聞けば氏は三河国吉良の出身で、吉良上野介は名君として慕われており、その地の人々は赤穂浪士関係の映画やテレビドラマを一切見ないとのことであった。
 確かに仮にいじめがあったとしても、殿中でいきなり刃傷沙汰に及んだのは御法度。切腹、改易は当然の処置である。その後の赤穂浪士の行動も逆恨みである。当時から義挙として称える世論があったようだが、荻生徂徠が切腹の断を進言したのは冷静な判断であった。そうでなければ世の秩序は果てしなく乱れていくこととなる。打首ではなく、切腹という武士の尊厳ある死を命じたのも賢明であったと思う。
 大石内蔵助は京都に出て豪遊を繰り返し、仲間からも仇討の存念を問われたという。芝居では幕府を欺く為に仲間も騙したというのだが、私は疑っている。大石は本気で遊んだのではなかろうか。男とはそういうものである。その舞台は歌舞伎では今の祇園「一力茶屋」を想定しているが、歴史的に見ると、当時の祇園はまだ花街として発展しておらず、隠棲中の山科からみると伏見撞木町であったと思われる。
 さて赤穂浪士の一人で老骨に鞭打って参戦した者に原惣右衛門がいる。その一子道善が京都に出て薬種商を始め、なんと今、「一力茶屋」の四条通りの斜め向かい側に「原了郭」という店を構えている。薬種商の流れから発案した香辛料『黒七味』の発売元として著名である。歌舞伎の忠臣蔵の舞台と斜向かいに浪士の子孫の店が現存しているとは何とも面白いことである。
 討入の前日、俳諧師宝井其角と浪士の一人大高源吾が両国橋でばったり出会った、という逸話がある。煤竹売りに変装した源吾と其角はかねてから俳諧を通じた知り合いであったという。其角が〈年の瀬や水の流れも人の身は〉と投げ掛けると〈あしたまたるるその宝船〉と返したというのだが、どうやら後世の作り話のようである。
 私の句に〈義士祭耳掻き買うて帰りけり〉がある。「義士祭」は切腹をした春の季語。討入の方は「義士会」「義士討入の日」である。









 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

田遊の星空仰ぎ茶碗酒          皆川 盤水

 旧暦の正月、その年の豊作を祈って田遊の神事が行われる。東京板橋区に二つ残っているのは奇蹟的である。徳丸北野神社が二月十一日、赤塚諏訪神社が十三日。境内の仮設舞台に据えた太鼓を田に見立てて、板に書いた牛の顔の面を着けた演者の荒鋤き、子供を苗に見たてた田植えなどを演じる。子孫繁栄も併せて場面は展開していく。振舞酒も出る。句は戴いた酒を呷るとき、上を仰ぐと澄み切った関東の新年の空が樹間に拡がっていた、という。
(昭和六十年作『寒靄』所収)
                          








  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

干大根富士にまはせる注連のごと      大溝 妙子
一葉忌下駄通学の日々をふと        今村 昌史
型抜きの三角むすび文化の日        上田  裕
一炊の夢を小春の縁側で          金井 硯児
風音の序破急やがて凩へ          橋野 幸彦
残る蚊の待ち伏せにあふ平家谷       笠原 祐子
屋島からかはらけ投げし霧の海       田中 敬子
寒菊の花弁の数の光かな          こしだまほ
諏訪口の結界めきたる冬霞         森濱 直之
自転車の籠にバケット冬うらら       山室 樹一
座布団の臍に小春を乗せて置く       萩原 陽里
深眠り始まつてゐる浅間山         柴山つぐ子
山の日の淡し通草の口開き         三代川次郎
結び目の遊びごころや菰巻かれ       田中  道
一口の水硬きこと冬に入る         清水美保子
密談の鴉の睨む神の留守          萩原 空木
茸汁諏訪湖は巨き鍋の底          森崎 森平












    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選


干大根富士にまはせる注連のごと     大溝妙子
遠近感のある広大な句である。場所は富士山を一望にする旧家の日当たりの良い庭先のような所。大根が簾干しになっている。その向こうに富士山があり、大根干しの簾はまるで霊峰富士山に注連を廻したように見えたというのである。遠くの富士山と眼前の大根簾を合体させた視点は見事であった。 


一葉忌下駄通学の日々をふと       今村 昌史
 樋口一葉の小説に出てくる子供達は下駄履きが普通であった筈だ。一葉が死んだ年と私が中高生だった頃と較べると七十年ほどの開きがあるのだが、信州伊那谷では高校生は下駄履きが普通であった。卒業写真を見ると、前列の履物が写っているが、下駄かゴム長であった。写真を撮る時期が雪解けの頃なのでゴム長が交じるのだが、日常的には下駄。そのような思い出からこの句は懐かしい。一葉忌で決まるかというと、やや疑問符は付くが、この時期の忌日の三島忌、波郷忌、一茶忌、漱石忌などと較べると、一葉忌が相対的に見て合っているようだ。


型抜きの三角むすび文化の日       上田  裕
文化の日は明治天皇誕生日の明治節であった。戦後文化の日として全く意味の異なる祝日になった事情があり、戸惑いが隠せないのである。だからこそ、手作りではない「型抜きの三角むすび」が生きてくるのである。 


一炊の夢を小春の縁側で         金井 硯児
私事だが東京に出て十ヶ所ほど転居しているが縁側というものには巡り合っていない。それだけに懐かしいのである。奈良の寺など歩くと、ついつい濡縁に上って柱に凭れたりする。小春日であればついうとうとと……。「一炊の夢」とは粟を煮る僅かな間を眠っていたところ、人生一生の夢を見終えたというもので、栄華の儚さを言う。それでもそんな夢でも見たいものだという。それもまた良し。 


風音の序破急やがて凩へ         橋野 幸彦
序破急は楽曲の速度の三区分で、序はゆっくり、破は中間、急は早い拍子となる。これを風の速度に援用した句で、序破急のあとはもっと激しい風、つまり、「凩」になるというのである。「やがて」と繋いだのがうまいところだ。 


残る蚊の待ち伏せにあふ平家谷      笠原 祐子
 ちょっと前までは、「落人部落」「平家部落」などという句が見られたが、「部落」が放送禁止用語になって以来徐々に見掛けなくなり、この「平家谷」などが定着してきたようだ。この句は「待ち伏せ」がややツキ過ぎ感があるが、夏の蚊でなく「残る蚊」の斡旋がいい。平家の残兵の雰囲気を醸し出すのである。


屋島からかはらけ投げし霧の海      田中 敬子
屋島の地名がいい、霧の海の中に義経や平氏がいるか。 


寒菊の花弁の数の光かな         こしだまほ
 澄んで凜然とした冬日が菊を磨き上げているようだ。


諏訪口の結界めきたる冬霞        森濱 直之
謎の多い諏訪の神々。容易に受け入れてくれない神話の世界。 


自転車の籠にバケット冬うらら      山室 樹一
フランスパンが籠から食み出している。まだ焼立て。 


座布団の臍に小春を乗せて置く      萩原 陽里
 座布団の表には臍のような房がある。座布団の温みを強調。
 

深眠り始まつてゐる浅間山        柴山つぐ子
「山眠る」の季語を解体しているが、これも技法の一つ。 


山の日の淡し通草の口開き        三代川次郎
懐かしく、優しい気持ちにさせてくれる句柄。口開きがいい。 


結び目の遊びごころや菰巻かれ      田中  道
 結び目は芸術。男結び、女結び…まさに遊び心。


一口の水硬きこと冬に入る        清水美保子
一口の水に冬の到来を感じる。「硬き」の感覚がいい。


密談の鴉の睨む神の留守         萩原 空木
神留守の間に鴉は悪事の相談をしているかのようだと。 


茸汁諏訪湖は巨き鍋の底         森崎 森平
茸の鍋と諏訪湖の対比。確かに諏訪湖は鍋底のようだ。 



















銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

色変へぬ松も依代かもしれぬ      東京  飯田眞理子
鶏頭の逆さに吊られ種こぼす      静岡  唐沢 静男
噴煙は寝息か浅間山眠り初む      群馬  柴山つぐ子
さりながら素通りもできず神の留守   東京  杉阪 大和
しばらくは交はらぬ陣鴨来る      東京  武田 花果
朝露のオリーブの実を磨きをり     東京  武田 禪次
退屈といふしあはせの日向ぼこ     埼玉  多田 美記
秋出水千曲川(ちくま)の曲を曲がれずに     東京  谷岡 健彦
風吹けば記憶の底の遠鳴子       神奈川 谷口いづみ
晩秋の濁ごゑ太る鴉かな        愛知  萩原 空木
一葉舞ひ匂玉池の幽深む        東京  久重 凜子
煩悩のかたちにへこむ菊枕       パリ  堀切 克洋
蛤となりても雀飛びたがる       東京  松川 洋酔
蔓引けば遠くの揺るる烏瓜       東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

  

伊藤伊那男・選

五十鈴川しがらみかけて水澄めり    東京  大溝 妙子
しがらみは濁世に残し水澄めり     東京  山下 美佐
大き手も農具のひとつ麦を蒔く     東京  大住 光汪
仙薬まだか徐福の宮へ小鳥来る     東京  白濱 武子
蒟蒻掘る忠治の山のふところに     東京  川島秋葉男
防犯灯ひとつの鎮守神の留守      長野  守屋  明
どれ程の命のせしか踏絵古る      東京  松浦 宗克
木の実落つ今は風無き風の宮      東京  今井  麦
百代の畑を猪に明け渡す        神奈川 伊東  岬
秋うらら如来薬壺を開け給へ      和歌山 笠原 裕子
伊吹嶺を包む雨脚刈田にも       東京  辻  隆夫
もう風を映すばかりに水澄める     埼玉  戸矢 一斗
お手玉を二つ三つ四つ小鳥来る     埼玉  中村 宗男
絵本より飛び出すやうに小鳥来る    埼玉  森濱 直之
神ゐます杜を色なき風と訪ふ      愛知  山口 輝久
神在すことに色無き風なれば      大阪  中島 凌雲
御裳裾を引きて流るる秋の水      東京  小林 美樹
行く秋や荼毘に付すごち手記を焼く   愛媛  脇  行雲

枯菊の括られながら香を散らす     東京  相田 惠子
猟犬の武者震ひして山に入る      神奈川 秋元  孝
木の実独楽弾き弾かれ廻りけり     宮城  有賀 稲香
日溜りの後山を登る冬の蝶       神奈川 有賀  理
望郷の思ひを手繰る烏瓜        東京  有澤 志峯
椿の実割れて吸ひ込む島の闇      東京  飯田 子貢
神留守や神馬は四肢をゆるめをり    埼玉  池田 桐人
秋うらら神をあなたと呼ぶ祈り     埼玉  伊藤 庄平
日に月を継ぎて二見の夫婦岩      東京  伊藤 政三
種吐きし後の銃眼枯蓮         東京  上田  裕
縁側の日うら日おもて干菜かな     東京  宇志やまと
姿より声が先なり小鳥来る       埼玉  梅沢 フミ
巫女募る張り紙しかと神の留守     埼玉  大澤 静子
椋鳥(むく)の群れひるがへりつつ数増やす   東京  大沼まり子
俳諧の神も御立ちか選に漏る      神奈川 大野 里詩
蛇笏より続く母屋の松手入       埼玉  大野田井蛙
立冬やしみじみ客が茶を褒むる     東京  大山かげもと
文机にもたるる子規や照紅葉      東京  小川 夏葉
あられもなく影のますます乱れ萩    宮城  小田島 渚
行く秋を膝に流して呉服売       埼玉  小野寺清人
うそ寒の口に張り付く粉薬       神奈川 鏡山智恵子
息継ぎのやうな間合ひや残る虫     東京  梶山かおり
鴉あつまりゐて二百十日かな      愛媛  片山 一行
凩の夜に読むなら山月記        東京  桂  信子
高張の文字黒々と一の酉        東京  我部 敬子
岸の鴨流れの鴨を見てをりぬ      高知  神村むつ代
北窓を塞ぎ越後の空塞ぐ        長野  北澤 一伯
永遠の一瞬伊勢に冬桜         東京  柊原 洋征
北国の日々も来し方鰤大根       神奈川 久坂衣里子
秋興の射的もおかげ参りかな      東京  朽木  直
金風を謝して拝む風の宮        東京  畔柳 海村
服薬に始まるひと日小鳥来る      東京  小泉 良子
中村座大いにゆらす寒九かな      神奈川 こしだまほ
遠き日のままごと遊び一位の実     東京  小林 雅子
漁火のときに濃くなる無月かな     神奈川 小林 好子
舌切りの話などして障子貼る      東京  小山 蓮子
飛石の歩巾露けき蓑虫庵        長崎  坂口 晴子
走り根の走り出したり穴惑       長野  坂下  昭
四五本のかまつか入日集めけり     千葉  佐々木節子
鳳仙花触るれば種の地雷めく      群馬  佐藤 栄子
父座しし机に龍太冬うらら       長野  三溝 恵子
金風や神御座す地へ橋渡る       東京  島  織布
淡交の友の訃報や霜の夜        東京  島谷 高水
どれとても母の思ひ出煤払       兵庫  清水佳壽美
二拍手の音の乾びも冬はじめ      埼玉  志村  昌
街に夜を出迎へに行くジャケツかな   千葉  白井 飛露
秋霖や郵便受けの物湿り        東京  新谷 房子
冬座敷遺影と母と川の字に       大阪  末永理恵子
菊の香や膝をそろへて脇侍仏      静岡  杉本アツ子
愛でるでも匂ふでもなく帰り花     東京  鈴木 淳子
大利根に竿を解きたる渡り鳥      東京  鈴木てる緒
鳥渡るなほ奥の川奥の山        東京  角 佐穂子
渓谷へかはらけを投げ紅葉狩      東京  瀬戸 紀恵
大根の熱き円柱ほほばりぬ       神奈川 曽谷 晴子
擂鉢の底の一村柿たわわ        長野  高橋 初風
湖の空まで淋し帰雁かな        東京  高橋 透水
水を拝し風を拝み伊勢の秋       東京  武井まゆみ
一笑の塚揺るがせし雪起し       東京  竹内 洋平
鋤焼にもはや座つてをれぬ母      東京  多田 悦子
色かへぬ松やとくとく御神水      東京  立崎ひかり
玉砂利に混ざる団栗月読社       東京  田中 敬子
大欠伸しきりに今日の小春かな     東京  田家 正好
掃苔の家紋薄るる月日かな       東京  塚本 一夫
本を閉づ釣瓶落しに急かされて     東京  辻本 芙紗
火襷のぐい吞みに注ぐ新走り      愛知  津田  卓
波の花荒磯に咲かす夫婦岩       東京  坪井 研治
瘦せ枝の折れんばかりの熟柿かな    東京  豊田 知子
炊飯器湯気太らせて冬に入る      神奈川 中野 堯司
窯出しの皿の歪や実南天        東京  中野 智子
台風来ハザードマップにわが母校    東京  中村 孝哲
更くるほど丸くなりたる夜業の背    茨城  中村 湖童
日時計の影明らかに二月かな      東京  沼田 有希
菊摘みて指に冷たき香の移る      埼玉  萩原 陽里
鈴の音は木履の歩幅七五三       東京  橋野 幸彦
朱に染まる西空子規の忌なりけり    広島  長谷川明子
主なき庭色鳥の枝移り         神奈川 原田さがみ
あしらひは自生の菜てふ薬喰      兵庫  播广 義春
菊の香や格天井に天女舞ふ       東京  半田けい子
穭田へ風神雷神遊び来る        東京  福永 新祇
柚子熟れて夕餉の卓を引き締むる    東京  福原  紅
在まつり庚申塚へ五目飯        東京  星野 淑子
山彦はきつと老人冬紅葉        東京  保谷 政孝
影も又うつらうつらと日向ぼこ     東京  堀内 清瀬
温め酒妣の手に成る志野織部      岐阜  堀江 美州
くさめして写経の文字のあばれけり   埼玉  夲庄 康代
心音を神音と聴く秋思かな       東京  松代 展枝
肩を刺す今朝の俄な窓の冬       東京  宮内 孝子
寝返りを躊躇ふ軽さ菊枕        神奈川 宮本起代子
身にしむぞ()()なき句帳真つ白に    千葉  無聞 齋
蜜柑剝く家郷といふも山河のみ     東京  村上 文惠
庭柿とお猪口も添へて供へけり     東京  村田 郁子
大根煮て一日読みたる歎異抄      東京  村田 重子
福々し外宮の木の実なればこそ     東京  森 羽久衣
水源は石ころばかり神の留守      千葉  森崎 森平
凩やより密となるさざれ石       東京  保田 貴子
身の内にまだ夢ひとつ帰り花      東京  山田  茜
結び松誰が結びしや神の留守      群馬  山田  礁
石三つ重ねたる田の神も留守      東京  山元 正規
十六夜や文箱開けば母のこゑ      東京  渡辺 花穂
身に入むや人に寿命のある話      埼玉  渡辺 志水














     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

秋出水千曲川の曲を曲がれずに      谷岡 健彦
 昨年秋の台風の被害は甚大であった。信州もまた。この台風を詠んだ出句が沢山あったが、中でもこの句が一番の出来であろう。読めば誰もが理解できる。千曲川の固有名詞を生かした上で「曲」の字を一句に三つちりばめているのは高度な技である。


五十鈴川しがらみかけて水澄めり     大溝 妙子
しがらみは濁世に残し水澄めり      山下 美佐
伊勢神宮の宇治橋のすぐの上流に「柵(しがらみ)」がある。流木が直接宇治橋の橋脚に当たらぬようにするための柵である。転じて「浮世の柵」の言葉がある。大溝句は現実だけを正確に詠み取った写生句で「水澄めり」で神域の清浄感を際立たせている。山下句は「濁世に残し」に主観を投入して「浮世の柵」の慣用句に結び付けた面白さ。どちらもよい。


大き手も農具のひとつ麦を蒔く      大住 光汪
  「農具のひとつ」の見立てがうまいところだ。ちょっと前まで麦蒔きも麦踏みも全て人力であった。「大き手」に農事で鍛えあげた農夫の姿が浮かび上がる。


仙薬まだか徐福の宮へ小鳥来る      白濱 武子
徐福は秦の始皇帝から「不老の仙薬」を探す命を受けて日本に来たという。各地にその伝説が残るが、この句は熊野の徐福神社であろうか。「仙薬まだか」の問い掛けが「小鳥来る」の季語に呼応して気持の良い句となった。なかなか帰って来ない徐福に始皇帝が、どうなっているんだ、と小鳥を遣わせたという巧みな手法である。 


蒟蒻掘る忠治の山のふところに      川島秋葉男
「忠治の山」がいい。赤城山を指すのであろう。「赤城の山も今宵かぎりか……」の有名な台詞を思い出す。そこに「蒟蒻掘る」を配したのは実感である。蒟蒻玉が名も知れぬ子分達にも思えてくる。 


防犯灯ひとつの鎮守神の留守       守屋  明
名も知れない小さな神社の神様も出雲へ旅立つ。「防犯灯ひとつ」の表現で、その規模、いやいや集落の規模や氏子の数までが想像できるのである。俳句はどれだけ効率的な言葉を使って実態を伝えるか――が課題だが、この「防犯灯」の斡旋は見事である。「物」に語らせているのである。 


どれ程の命のせしか踏絵古る       松浦 宗克
踏絵眼前に我とてはからるる         同
キリスト教徒でないことを証明するため、マリア像などを踏ませる。江戸期、春に行ったので季語として残っている。現代でも「踏絵をさせられた」などという言葉で使われている。その踏絵板を見た感慨である。どれだけの人が踏まされたことか……それを「命のせしか」と「命」を使ったことで詩に昇華させたのである。また今の自分とてそのことを問われているようだ、と転じる。現代の我に引き付けた前述した広義の意味での「絵踏」に持ち込んだのである。 


木の実落つ今は風無き風の宮       今井  麦
伊勢神宮には水の神、風の神、土の神……と様々な神が祀られている。風は暴れたら害となるが、無ければ農業は成立しない。風に祈りを捧げ、風を宥める、これが風の宮である。折しも無風の風の宮、木の実だけが重力で落ちる。風の無い風の宮を詠んだところが眼目。 


百代の畑を猪に明け渡す         伊東  岬
農業は自然との戦いである。宥めたりすかしたり、時には地勢を変えたり。また人間以外の生き物との戦いでもある。急激な人口減少に入った日本は地方の過疎化が進み、耕作放棄された畑が増えている。「百代」は先祖代々のと読み替えてよい。猪のほしいままである。それを「明け渡す」と読み替えて今日的題材を綺麗にまとめあげた。 


秋うらら如来薬壺を開け給へ       笠原 祐子
つい近代に到るまで病気平癒は神仏に祈るしか無かった。私は四十代で大腸癌の開腹手術を受けたが、西洋医学が入る前なら死んでいたであろう。二年前に盲腸が破裂した時、手術前に執刀医が質問があるか、というので「江戸時代ならどうなっていたでしょうか」と問うと、「死んでしまうでしょうね」という答であった。この句からそのようなことを思い出した。「開け給へ」がいい。 

 その他印象深かった句を次に

伊吹嶺を包む雨脚刈田にも        辻  隆夫
もう風を映すばかりに水澄める      戸矢 一斗
お手玉を二つ三つ四つ小鳥来る      中村 宗男
絵本より飛び出すやうに小鳥来る     森濱 直之
神ゐます杜を色なき風と訪ふ       山口 輝久
桑名人の指せば雀も蛤に         中島 凌雲
御裳裾を引きて流るる秋の水       小林 美樹
行く秋や荼毘に付すごと手記を焼く    脇  行雲










                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

剝く皮の三尺あまり百匁柿      埼玉  今村 昌史
火の国を駈けたる猪の鍋食らふ    千葉  長井  哲
陽をよぎる鳥影捷し神の旅      長野  池内とほる
遺言の下書に倦みとろろ汁      東京  市川 半裂
懸大根干して間のなき照り返し    東京  岡城ひとみ
掛大根くぐりて安否確かめる     東京  浅見 雅江
杖の音辿れば父のゐる小春      群馬  佐藤かずえ
色もつも色なきも良し秋の鳥     東京  長谷川千何子
古本街いつも通りの文化の日     東京  倉橋  茂
並びゐて子と白き息分かち合ふ    東京  北原美枝子
粛々と三種の薬今朝の冬       神奈川 北爪 鳥閑
逝く秋を追ふ上野発夜行便      静岡  金井 硯児
長靴を履いて東北冬に入る      宮城  小野寺一砂
秋夕焼山向かうにもありぬべし    広島  井上 幸三
酒蔵の家紋乱して雪ぼたる      埼玉  秋津  結
猪の気配と共に生きる里       東京  朝戸 る津
小鳥来てをり通されし法事の間    埼玉  大木 邦絵
妙義とは怒り鎮めて眠る山      神奈川 大田 勝行
風の息音で応ふる枯葉かな      岐阜  鈴木 春水
父母の手の投げ交ひて大根干す    愛知  塚田 寛子
天に向く角度それぞれ鷹の爪     東京  中村  弘
行く秋を掃き出してゐる竹箒     京都  三井 康有





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

遺品選る想ひ一入釣瓶落し      東京  秋田 正美
仏具屋の石蕗咲かせ客をまつ     京都  秋保 櫻子
尾を立てて猫の気位文化の日     東京  尼崎 沙羅
三駅乗り幼馴染を訪ひし秋      愛媛  安藤 向山
嗜まぬ我にもわかる新走り      東京  井川  敏
初霜や髭剃り頰を滑らざり      東京  生田  武
夜の川灯しを散らす水馬       東京  石倉 俊紀
浅草やおかめ下がり目酉の市     高知  市原 黄梅
帰り花ひとつ間を置く誉め言葉    東京  伊藤 真紀
寄り添うて共に流るる浮寝鳥     神奈川 伊藤やすを
秋雨や釣竿二本軒下に        高知  岩原 里秋
小春日のはるか彼方の剣山(つるぎ)かな    愛媛  岩本 青山
鳥渡る窓辺に古き衣紋掛       東京  上村健太郎
雁渡る天界遠く美しく        愛媛  内田 釣月
一葉忌我が青春も遠離る       長野  浦野 洋一
手水舎に漱げば百舌鳥の甲高し    東京  岡田 久男
夫の眼で買ふ甘柿が渋だとは     群馬  岡村妃呂子
木枯一号あと一枚のカレンダー    神奈川 小坂 誠子
十二月どこ曲りても寺の門      京都  小沢 銈三
小鳥来る木の実の皿の三代目     埼玉  小野 岩雄
比叡より引きし水とふ鹿威し     東京  折原あきの(ご逝去)
街道は日のさしながら空つ風     東京  桂  説子
残る草刈りゆく先の穴惑       長野  唐沢 冬朱
鬼女の酔ふ戸隠山の紅葉狩      神奈川 河村  啓
潜みゐる虫を起こすか石叩      愛知  北浦 正弘
座布団の房の影伸ぶ小春かな     東京  絹田  稜
ままならぬ恋もたづきも一葉忌    東京  久保園和美
一茶忌や友に誘はれ信濃路へ     群馬  黒岩伊知朗
角砂糖のほどける速さ冬夕焼     群馬  黒岩 清子
宇治橋の先の冬菊茶祖迎ふ      三重  黒岩 宏行
残り香のかすかな客間後の月     東京  黒田イツ子
水鳥は浮寝の夢の続きかな      神奈川 小池 天牛
白息で牛の番号耳に打つ       東京  高坂小太郎
木の実独楽思ひと思ひぶつかれり   東京  小寺 一凡
雲厚き向かひの白根初時雨      群馬  小林 尊子
北溟に鮭湧き民の歓喜あり      宮城  齊藤 克之
蒲団中何は無くとも平和かな     神奈川 阪井 忠太
職退いてよりの暇なし石蕗の花    青森  榊 せい子
月冴ゆる見透かされ居る心地して   長野  桜井美津江
九品仏てふそれぞれの秋の声     東京  佐々木終吉
天皇のお言葉胸に豊の秋       群馬  佐藤さゆり
夕暮の足首摑む秋の風        東京  島谷  操
はなし声聴いてゐるやう石蕗の花   東京  清水美保子
蘊蓄に男は黙し温め酒        東京  上巳  浩
日向ぼこ問はず語りの国自慢     神奈川 白井八十八
奔流の岩根掠める鷦鷯        東京  須﨑 武雄
トラックより首出す牛や秋の雨    群馬  鈴木踏青子
団栗の尻に楊枝の刺しどころ     愛知  住山 春人
紅葉且つ散りぬ昭和の硝子越し    千葉  園部あづき
野も山もけふは香し神集ひ      埼玉  園部 恵夏
パソコンに振り回されし文化の日   東京  田岡美也子
踏石を辿ればそこに冬木立      東京  髙城 愉楽
磨崖仏まであと少し紅葉山      福島  髙橋 双葉
笑ひ茸いづれ試してみるつもり    長野  宝 絵馬定
朴落葉足を滑らす高尾山       埼玉  武井 康弘
大根の青せりあぐる力かな      東京  竹花美代惠
暮早し馬籠へ続く石畳        東京  田中  道
落葉掃く風の力を味方にし      神奈川 多丸 朝子
永遠の明るさ持ちて小鳥来る     大阪  辻本 理恵
咳をして話途だえて繰り言に     東京  手嶋 惠子
曙光浴び極彩色に葉鶏頭       神奈川 長濱 泰子
母の忌まで耐へてな散りそ帰り花   千葉  中山 桐里 
湯たんぽの居場所ころころ夢に入る  東京  永山 憂仔
現はれし源氏絵巻や式部の実     宮城  西岡 博子
草を出て草色脱げぬ飛蝗かな     大阪  西田 鏡子
行く末の家長となる子七五三     静岡  橋本 光子
隕石は遥か彼方や木の実落つ     東京  橋本  泰
秋麗画鋲の穴を数へもし       長野  蜂谷  敦
大根まく指先に気を集中し      神奈川 花上 佐都
いしやきいも夕闇の中待ちぼうけ   長野  馬場みち子
干大根縁側に良く日の当り      千葉  深澤 淡悠
花石蕗のかをりに屈む躙口      長野  藤井 法子
凩や赤壁の段更ける夜を       神奈川 堀  備中
炉開きの朱鷺の羽根舞ふ炉縁かな   東京  牧野 睦子
裸木に見えなきものを日々見つむ   神奈川 松尾 守人
棗嚙む遠き記憶の祖母と我      愛知  松下美代子
あの頃やおでんの鍋に鯨ゐた     東京  三好 恵子
阿吽拭く宮司の背中神の留守     東京  八木 八龍
縁側で爪切る小春日和かな      東京  家治 祥夫
青年の頤清し冬来たる        東京  矢野 安美
畝の間の濡れ色深く冬立てり     群馬  山﨑ちづ子
提灯に目あり口ありハロウィン    神奈川 山田 丹晴
暮易し大室山の影に住み       静岡  山室 樹一
もみぢ葉やもみぢ葉乗せて川下る   高知  山本 吉兆
木枯が猫の額に吹き荒れる      群馬  横沢 宇内
目に見えぬものの動きて神無月    神奈川 横地 三旦
きりもなし今日三度目の落葉掃き   神奈川 横山 渓泉
灯る窓五軒となりし冬囲       千葉  吉田 正克
大杉のまほらを曝し稲妻す      山形  我妻 一男
千年の如来の眠り冬うらら      神奈川 渡邊 憲二
日向ぼこ雲あちこちにほゝゑみて   東京  渡辺 誠子
















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

剝く皮の三尺あまり百匁柿        今村 昌史
秋に甲州塩山の恵林寺周辺を歩くと、大きな柿を干している風景に出くわす。甲州百(ひゃく)匁(め)柿(百目柿とも)と呼ぶようだ。一匁(もんめ)は三・七五gであるから一個四百g近く、ということになる。この皮を剝くとなれば三尺、つまり一尺は三十三㎝であるから一m位か‥‥そんな日本の昔の度量衡を用いて面白い構成の句となった。白髪三千丈のような誇張的面白さがいい。「剝く皮の」の上五の打出しもいい。同時出句の〈白壁に甲州百目柿すだれ〉はそのあとの風景でこちらは色彩のコントラストの良さである。 


火の国を駈けたる猪の鍋食らふ      長井  哲
「火の国」を持ってきたところが面白い。「火宅」などという言葉も思い浮かぶし、阿蘇山の山麓の風景も思い浮かぶ。その猪鍋を喰らうのであるから剛気である。私も年に一度秩父に猪鍋を食べに行くが荒々しさの中に何とも言えない滋味がある。煮詰めても柔らかい。同時出句の〈月白や不幸を探す占ひ師〉も面白い。占い師は「不幸を探す」とは実にシニカルな視点で、でも確かにそうだな‥‥と思う表現だ。「月白」というぼんやりとした光を当てたところもうまい配合である.
 


陽をよぎる鳥影捷し神の旅        池内とほる
「神無月」の呼称は新古今集にあるという。出雲信仰から発生したようだ。全国の神が出雲に集まるという伝承は俳人好みである。想像上の季語だけに、具象的表現と取り合わせるのが成功の秘訣である。「陽をよぎる鳥影捷し」の細やかな措辞があるからこそ「神の旅」が生きるのである。その頃の澄んだ空気と光が句を支えているのだ。 


遺言の下書に倦みとろろ汁        市川 半裂
団塊の世代と呼ばれる私には、この句のような心境がよく解るようになってきている。この句の良さは「とろろ汁」の季語の斡旋ということになろう。わざわざ摺り卸した形の無いものであることや、実は長寿の健康食であることなど、こもごもに味わいを深めているようだ。同時出句の〈色鳥や柾の浮き立つ神楽殿〉は背景の板目を際立たせて鮮明。 


懸大根干して間のなき照り返し      岡城ひとみ
掛大根くぐりて安否確かめる       浅見 雅江
岡城句は懸けた直後のまだ瑞々しい大根。「照り返し」がいい。きちんと詠み取った写生の精神がいい。一物仕立てで対象物だけに焦点を当てる。この技法を背骨に置いた人が上達する。浅見句は取合せの句。小さな集落の慈しみ合いながら暮らす人間関係をよく詠み取っている。一物仕立ての技法、取合せの技法の各々の良さが出た二句である。


色もつも色なきも良し秋の鳥       長谷川千何子
  「秋の鳥」という季語は無い。だが「色もつも」「色なきも」の措辞で、併せて「色鳥」の季語になる構成である。秋に日本に飛来する鳥は色彩の美しいものばかりでは無い。地味な鳥も沢山いるのだ。それも良いという目配り。


古本街いつも通りの文化の日       倉橋  茂
文化の日は戦後に制定された祝日で、戦前は明治節、つまり明治天皇の誕生日であった。意味の異なる祝日となったことで、文化の日という名称にはどことなく違和感がある。この句はそういう事情があるせいか「いつも通りの」が効いている。日常と非日常の組合せの面白さだ。 


粛々と三種の薬今朝の冬         北爪 鳥閑
季節の変化はあっても、服薬の習慣は全く変らない。そのような些事に対して「粛々」の表現が何やら厳かすぎてユーモアを醸し出すのである。


長靴を履いて東北冬に入る        小野寺一砂
 切れが無いままの報告調の句だが、ありのままに正直で、逆に実感がある。「長靴を履いて」に実生活の裏付けがある。「みちのく」などと言わずに「東北」という言葉を使ったのも実感を際立たせているようだ。今まで「東北」という言葉を使って成功した句は〈人体冷えて東北白い花盛り 金子兜太〉だけであったが、この句も成功例。


酒蔵の家紋乱して雪ぼたる        秋津  結
蔵壁の家紋が乱れるほどの雪蛍だという。そんな酒蔵なら訪ねてみたい気がする。良い酒を醸す土地柄なのであろう。良い風景を切り取った。同時出句の〈金襴の即身仏の冷まじく〉〈川底の石透きとほり暮の秋〉も佳品。

  

その他印象深かった句を次に
猪の気配と共に生きる里         朝戸 る津
小鳥来てをり通されし法事の間      大木 邦絵
妙義とは怒り鎮めて眠る山        大田 勝行
風の息音で応ふる枯葉かな        鈴木 春水
父母の手の投げ交ひて大根干す      塚田 寛子
天に向く角度それぞれ鷹の爪       中村  弘
行く秋を掃き出してゐる竹箒       三井 康有

















伊那男俳句  


  伊那男俳句 自句自解(49)
  
神保町のあぶな絵のやや黴くさし

 神保町の古書店街は、太平洋戦争でも空襲を免れている。アメリカは勝利を確信していたので占領後の統治を考えて、必要なものは残したのだ、という説がある。きっとそうだったのだろうと思う。京都が燃えなかったことと併せて、日本文化にとっては不幸中の幸いであった。詳しいことは知らないが日本最大の文書、書籍の集積地であることは間違いない。司馬遼太郎が大作を執筆する折には神保町から資料を満載したトラックが出たという逸話がある。私などは店頭の格安本を冷かして歩く程度である。浮世絵が沢山積み上げてあったりもする。あの量を見ると江戸の昔は無数の浮世絵が刷られていたことが解る。娯楽だけでなく、情報の伝達手段でもあったようだ。中には人目を憚るものもある。それらを含めて何やら古書店には独特の匂いがある。鼻孔で感じる古本の持つ加齢臭、黴臭さ、目で感じる厳格さや、若干のいかがわしさなどのようなものを表現してみたのである。
  
大津絵の鬼の大きな跣足かな

 今になって気付いたことだが、この句の鬼の「跣足」は季語であるかどうか、という問題がある。句集には入れなかったが〈梅林を余白に洛外洛中図〉という句も、絵の中に描かれた梅林が季語になるのか。また第三句集に入れたが、〈洛中図より一陣の花吹雪〉という句もある。洛中洛外図の中の満開の桜から零れた花吹雪という発想だが、果して季語であるのか、ということが、写生派で育った私には、わだかまりとして残ってしまうのだ。
 高浜虚子に〈映画出て火事のポスター見て立てる〉という句がある。歳時記にも載っている句である。消防署のポスターであろうか、火事の写真か絵が描かれているのだが、それを季語としていいのか? ホトトギスの友人に問うと「絵の中であろうが、実景であろうが、火事という言葉があれば季語という認識である」と言う。写生派の器具など小さい小さいということになりそうだ。句の全体から季感が滲み出るかどうかが決め手となりそうだ。









     


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新

















俳人協会四賞・受賞式









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は
5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
拡大します。




linkします。



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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 




haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。







  









掲示板


















               
 
     

銀漢亭日録

 
11月

11月17日(日)
二日酔い。寝たり起きたりエッセイ書いたり……。夕方、杏一家来て久々の夕食会。Hさんから戴いた猪肉で鍋、取り寄せた蟹も鍋。結局、私が料理番。

11月18日(月)
店「演劇人句会」9人。大住光汪君久々。元気。梅田津さん他の勉強会。敦子さんなど。羽黒山三光院より庄内柿沢山。

11月19日(火)
店、客無し。19時半閉める。

11月20日(水)
店、高校同期の例会「三水会」5人。20時45分、閉める。帰宅してボジョレーヌーボーで乾杯。

11月21日(木)
週末、講演の最終確認など。14時、発行所にて銀漢賞、星雲賞の選考。唐沢静男君、伊豆から参加。2時間ほど討議の上、決定。唐沢君、酔って鞄を忘れて帰る。大溝妙子さん旧会社の友人と4人。「銀漢句会」あと15人。三省堂の飛鳥さん(週末の諏訪講演の紹介者)。

11月22日(金)
「戻り鰹を食べる会」。清人さん、気仙沼より鰹、牡蠣、帆立貝、粒貝、秋刀魚など取り寄せ。秋刀魚は一昨日から味噌漬。生牡蠣、蒸牡蠣。帆立はニンニクバター焼。粒貝は刺身、茹。15人程。そこへ仙台の俳人、浅川芳直さん2人来店にて参加。「金星句会」あと杉阪、谷岡さん他六人合流し、計25人ほどとなる。

11月23日(土)
9時発、あずさ7号にて茅野へ。諏訪市教育委員会、諏訪市立信州風樹文庫の迎えを受ける。「田毎庵」にて昼食いただく。蕎麦佳し。14時半より諏訪市立中洲小学校にて講演。『河合曾良の謎 井上井月の謎』で約2時間。「高遠句会」の方々も来て下さる。地元ラジオの取材も受ける。文庫所蔵のダ・ビンチの絵図の本など拝見。何と、頒布価格150万! であったと。関係者10名程の方々と「割烹仙岳」という料亭にて打上げ。「真澄」の今日解禁というあらばしりをいただく。博識な方々の集まりで諏訪の歴史文化の話をお聞きするのは実に楽しい。20時過ぎ、ホテルへ入る。駅近くを散策し、居酒屋で小酌。信州サーモンと「本金太一」。

11月24日(日)
8時間ほど寝たか。朝の温泉ゆっくり。朝食付きのホテルにて、この内容が実に見事。茸などもふんだんに使っていて、一つ一つが丁寧。心が籠っている。上諏訪ステーションホテルおすすめ! 10時過ぎ、チェックアウト。タクシーで正願寺。河合曾良の墓を訪ねる。住職に挨拶。隣の貞松院は徳川忠輝公の菩提寺。詣づ。周辺の山々の黄葉美しく、冬麗の1日を賜る。八剣神社はみかん祭の準備の最中。近くの理髪店に入り散髪。丁寧な仕事で心地好く、少し寝る。諏訪五蔵の酒蔵のあたりを歩き、手長神社の百磴ほどを登り参拝。あと縄手通りをたどって高島城公園へ。昭和45年再建の天守閣資料館を1時間ほどじっくり見学。隣の南の丸は市役所になっているが、元は徳川忠輝公の配所跡。天守閣からは北アルプスが。反対側の山間には見事に富士山が据えられている。凄い夕焼色の中を椋鳥の群れがねぐらへ。17時過ぎ、昨夜と同じ駅近くの「歩」へ。馬モツ煮込、信州サーモン、栃尾油揚などでのんびり過ごす。19時のあずさにて東京へ。

11月25日(月)
あ・ん・ど・うクリニック。選句など。店、池田のりを、宗一郎さんなど。まあ……閑散。

11月26日(火)
雨天、曇天続きカラスミ天日干しが心配。今年は八腹製作中。ひまわり館「萩句会」選句。店「ひまわり句会」あと10人。石川さんと紅書房の菊池洋子さんペンクラブ総会のあとと。伊那北高校後輩の代田さん友人と月野ぽぽなさんの同期生。

11月27日(水)
発行所「軸」の島さんの句会に貸し出し。あと6人店。「雛句会」14人。皆川文弘さん、盤水先生の大連汽船入社の合格辞令出て来たとコピー下さる。昭和16年、給与70円。

11月28日(木)
11時半、千葉市の三井ガーデンホテル朝日カルチャーセンター。開講30年の記念講演の講師。「私の俳句工房――考える葦」の題で。事前投句の講評も。14時、終了して店に戻る。法政大学の高柳先生5人。事業部、伊勢吟行の反省会あと6人程。佐々木終吉さんが届けて下さったクリスマスリースを飾る。

11月29日(金)
久々の快晴。ようやくカラスミに陽が当たる。店、太田うさぎ、天野小石さん57歳の会。15人程が集い祝う。毎日新聞の鈴木琢磨さん久々。

11月30日(土)
昼、アメ横「三幸商店」にて伊那谷の従兄弟に数の子、するめを送る。エイヒレ、塩鮭などを店用に仕入。日本橋の喫茶店にて作句。14時、「鮨の与志喜」にて「纏句会」。12人。句会だけで退席し、アルカディア市ヶ谷へ。藤田直子さんの「秋麗」創刊10周年記念祝賀会。60人ほどのゲスト。奥坂まや、坊城俊樹さんが隣席。渡辺誠一郎さんとは初めてお会いする。二次会は「土風炉」。角川の「俳句」編集長の立木さんと話。来年秋の出羽三山俳句大会選者の依頼あり。三次会はカラオケというが、さすがに限界にて失礼する。「成城コルティ」が開いていたので鯛の兜と牛蒡を買い、兜煮を作りながら試験前の華子から政治経済の質問を受ける。

12月

12月1日(日)
選句。「春耕同人句会」は休みとし、そのあとの春耕賞選考会へ出席。「炙り谷」にて忘年会。二次会にも少し。

12月2日(月)
店、「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人。

12月3日(火)
オリックス時代の堀尾君他3名。角川「俳句」立木編集長、北田さん他。あと閑散。

12月4日(水)
「銀漢賞」の選評。応募者各人の1句抽出など。店、「宙句会」あと15人。「きさらぎ句会」あと7人など。

12月5日(木)
仕込みして18時半、三田慶大キャンパスのパーティールーム。「丘の風」年次総会。俳人協会賞受賞の祝いの花束を用意して下さるとて伺う。ほとんど句会に出ていないのに温かい思いやりに感激す。20時、店に戻る。屋内松山、山田真砂年、阪西敦子、小太郎さん他。「十六夜句会」あとの10人。

12月6日(金)
店「俳句」編集長の立木さん、対島康子さん。武井まゆみさん友人と3人。「大倉句会」あと23人。

12月7日(土)
12時過、茅ヶ崎駅。鎌倉句会の堀備中、中野堯司さんの出迎えを受け、駅ビル「そじ坊」にて蕎麦の昼食をいただく。隣の茅ヶ崎市民ギャラリーの教室にて句会。講話などもして17時迄。「天々」という中華料理店にて親睦会。温かなもてなしを受ける。10数名。

12月8日(日)
「Oh! つごもり句会」30人。5句持ち寄りあと3句、2句の席題句会。19時位までか。あと大金星で、幹事の朽木さん他、10人位で打ち上げ。

12月9日(月)
清人さん、気仙沼の鮑漁解禁(開口という)とて、弟の一砂さんからの鮑、また牡蠣、刺身、その他持ち込みあり。志村昌さんがブティック社の相談役退任とてそのご苦労様会。10数人。梅田津さんの勉強会。5名程……などなど。雨。

12月10 日(火)
「火の会」13人。気仙沼の牡蠣の大先生、畠山重篤氏来店。来年、6月の植樹祭にはお訪ねすることになっている。小野寺清人さん肝煎り。

12月11日(水)
発行所、「梶の葉俳句」選句。店、親戚の五日市さん会社仲間と。一緒に飲む。日鉄建材(株)武藤常務、NS建材販売の川田社長。「春燈」久米さん3人(久米さんは伊那出身)。22時閉めて、井蛙、展枝さんと「幹」で少酌。















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記


2020年2月25日撮影   山茱萸      from hachioji





花言葉   「持続」「耐久」「強健」「成熟した精神」「気丈な愛」
△山茱萸
サンシュユ(山茱萸)は、高さ10mほどにも育つ落葉樹で、漢方薬としても使用されています。秋にはグミの実に似た真っ赤な実をつけ、その実が珊瑚のようなので「アキサンゴ」という別名もあります。
紅梅 春野芥子 セルリア 姫踊り子草 節分草
冬咲きのクレマチス ルクリア 馬酔木 蕗の薹 山茱萸

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2020/2/26更新







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