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11月号 2023年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 主宰日録 今月の写真 俳人協会四賞受賞式 銀漢季語別俳句集 |
伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2023/11月号
盤水俳句・今月の一句伊藤伊那男白河の関の番所の種瓢 皆川 盤水
彗星集作品抄伊藤伊那男・選 千羽鶴八月の風折り畳む 竹花美代惠
能管めく秋篠寺の青嵐 川島 紬 警笛をしづかに広島忌の電車 長谷川明子 鯖雲や北へ行きたき旅鞄 中村 孝哲 門口の遺影に見せる宮神輿 白濱 武子 葛の花こぼして歩荷すれ違ふ 萩原 陽里 鳴りやまぬ跳人の鈴を夢に聞く 中村 藍人 移ろへる風のまち針糸蜻蛉 有賀 理 原爆忌ひとつおぼえの鶴を折り 小野寺一砂 近江町市場を焦がす鰻の日 上野 三歩 考へる葦とはなれぬ暑さかな 池田 桐人 暗がりを都会に捜し手花火す 白井 飛露 神さびて一指一趾を踊りけり 本庄 康代 数珠玉を採るや百八まで半ば 島 織布 かき氷崩しつつ聴く胸の傷 有賀 稲香 サーカスの跡地小さし夏の果 山元 正規 クレーンの鉤から降りてくる炎暑 福原 紅 取り逃し貰ふおまけの金魚かな 中村 湖童 直角とは厄介なもの鉾すすむ 西田 鏡子 とつぷりと暮れて暮れざる鬼灯市 半田けい子
銀河集作品抄伊藤伊那男・選峨眉山は普賢の聖地カンナ燃ゆ 東京 飯田眞理子
見得を切る十二神将堂涼し 静岡 唐沢 静男 大南瓜産む力もて切れといふ 群馬 柴山つぐ子 太陽族の端くれとして日焼せり 東京 杉阪 大和 母の影及ぶところの草むしり 東京 武田 花果 大夕焼南都焼討かくやとも 東京 武田 禪次 酒蔵にある三伏の昼の闇 埼玉 多田 美記 天井まで狐の跳べり夏芝居 東京 谷岡 健彦 塔の影ほのと透かして奈良団扇 神奈川 谷口いづみ 三つ指を廊下について夏座敷 長野 萩原 空木 初秋の風ふと大路半ばなる 東京 堀切 克洋 余花を抱く過疎一村の静寂かな 東京 松川 洋酔 月涼し郡上に水の濃き匂 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
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「三面鏡の奥の奥」が面白いところで、永遠に奥処へ映り込んでいるのである。また「蠅舐むる」の取合せが凄みのあるところで、三面鏡の奥の奥まで舐めるという、あたかも三次元の世界に引き摺り込むような不思議な力を持つ。 |
吾々の若い頃の歌だ。〈いつかある日山で死んだら古い山の友よ伝えてくれ……〉。ダークダックスが歌ったことは覚えているが、今回調べたらあの『日本百名山』の深田久弥の訳詞であった!「ケルン積む」がいい。若い頃の登山を思い出す郷愁の俳句である。 |
熱帯夜のあのやり切れない闇をどう譬えるのか。それが「羊羹のやうな闇」であるという。ありきたりの比喩では無く、大胆で独自の発想である。分厚さと緊密さがよく解る。比喩を使うならこのように頭を巡らせたいものだ |
神話の世界と童話の世界を混ぜ合わせたような楽しい句である。この自由奔放な発想は羨ましいほどである。星の川の水場……改めて天の川を眺めてみたいものである。 |
残る暑さに扇を使う。だが傍から見ればむしろそこだけが暑そうに見えるという。その、使う者と見る者の感じ方の違いを合わせて詠み込んだところが眼目である。 |
垂涎の句である。塗箱のご飯の上に鰻、その上にご飯、そして鰻、と二段重ねであるからもう堪らない。今まで見た鰻の句の中で一番旨そうな句であった。 |
八月の二つの季とは八月八日頃の立秋を境にして「夏」と「秋」。二つの忌とは八月六日の「広島忌」、九日の「長崎忌」である。季と忌という「き」の音を生かしたのも機知である。 |
子供の頃信州の田舎でもロバのパン屋を目撃した。ロバではなく馬だったように思うが、一、二回見ただけで、何だか幻のように消えてしまっている。まさに「何処へと」である。「虹二重」の季語の斡旋で幻想的な句となった。 |
地蔵盆は八月二十三、二十四日の地蔵菩薩の縁日に行う行事。子供達の無事を願い、町内の地蔵の祠の前に茣蓙を敷いて遊ばせる。気の弱い子もいるはずで、このような光景が京都の各町内で今も繰り広げられているのである。 |
朝顔は一日花で昼には萎む。次の朝には又違う花が開くのであり、これが取合せの「予定表」と響き合うようだ。子供達には毎日それぞれの予定がある。それは朝顔が次々に開くように繰り返されるのである。 |
遊び疲れた子があちこちに擦り傷を作って膝小僧に赤チンを塗っている。背中に夕焼を浴びて。赤チンはマーキュロクロムのことで、水銀を含んでいることもあり、今ではほとんど見掛けない。いかにも昭和の子供の姿である。 |
寄木造りの仏像であろう。中は空洞である。そう聞くだけで、蟬時雨の中、あたかも仏像そのものが共鳴器のように響き合うのである。 |
子供の身体は柔らかいけれど芯は張りがあり、力強いものだ。だがこの句のように昼寝子は魂が抜けたように「ふにやふにや」である。子育ての経験から私にも実感がある。 |
小泉八雲の怪談に「耳無し芳一」がある。鬼との約束を破った芳一の身を守るため身体中に経を書くのだが、耳に書くのを忘れたため両耳を取られてしまう、という話だ。句は「風知草」なら知っているかもしれない、という。「風知草」の字面を生かした知的処理の句。それもいい。 |
その他印象深かった句を次に
以前、角川賞を取った市堀玉宗さんを訪ねて能登輪島の總持寺祖院を訪ねたことがある。落葉を焚いて迎えてくれたことを思い出す。曹洞宗のこの寺は明治三十一年に火災で消失し、四十四年に横浜市鶴見区に移転したのである。一度訪ねたことがあるが、都会の中で静寂と荘厳さを保っていた。「總持」の意味をこの句で知った。「解夏」は禅宗の行事の夏(なつ)安居(あんご)が終ることを言う。禅問答のような言葉を俳句に詠み込んで、一ヶ月にわたる雨期の修行の終了で収めた作り方が気持ちのいいところだ。 |
人は必ず死ぬのであるが、少しでも長く健康に過ごせるように薬を飲み、健康食品を摂取する。これを「良く死ぬために」と捉えたところが面白い。確かに寝たきりや意識不明の状態は悲しい。「白南風」の明るい予兆の季語の斡旋が効いて、あくまでも前向きである作り方がいい。 |
はとバスの日帰りツアーなのであろう。老舗の鰻店に入り、限られた時間内でお決りの鰻重を食べ、ガイドに促されて慌ただしくバスに戻る。そんな感じが実によく解る。ほのかな滑稽味が読後に残っている。 |
まだ時間の流れが緩やかな時代であったせいであろうか。昭和時代は懐かしい。おおかたは似たような貧しい生活であったから助け合うことが普通であった。ラムネという飲料水はそうした生活を象徴する飲み物であった。 |
業務用の黒くていかつい自転車で積み上げたせいろの蕎麦を運ぶ風景は昭和時代の街角でよく見掛けたものである。大暑といってもあの頃は気温が三十度を越えたら大騒ぎの時代であった。 |
細かなところに着目して、人が見逃していたものを捉えているのがいい。墓参のあと家に戻ると、まだ線香の匂がする。どうやら袖に残った香りである。一つの発見である。 |
栃木・群馬は雷雨の激しい所である。作者は栃木の人であるから男体山の風の動きに、そろそろ雷雨が始まることを予感するのである。日常生活の実感であるから信憑性を感じるのである。 |
「かなかな」とも呼ばれる蜩は秋の到来を知らせる蟬である。作者は特に蜩の鳴く一樹に凭れ掛かる。行く夏を惜しんでいる気持ちがよく出ているのである。 |
木陰のハンモックで過ごすひと時は至福である。子供時代からその後まで、楽しかった記憶が甦るのである。「記憶を揺らす」がいい。こんな時間を過ごしたいものだ。 |
トンカツに生キャベツを添えるのは日本の洋食店の発想であった。トンカツソースで食すか、醤油で食すか、いつも悩むところだ。この句は学生街の活気が漲っている。 |
「八月大名」は珍しい季語。旧暦八月は稲の稔りを待つだけの農閑期にてそこから名付けられた季語。「城巡り」をしたというのが、付き過ぎのような、でも面白いところ。 |
「僧都(そうず)」は「添水」と同義。「ばったんこ」、「鹿威し」とも言う。「初夜(そや)」は今の午後七時から九時頃を言い、その時刻の勤行のことを指す。洛北のどこかの寺の様子が端正に描かれている。 |
子規庵のある根岸と芋坂は指呼の間である。芋坂には今も羽二重団子の老舗があり、甘い物好きな子規であるからきっと食べたことであろう。「団子を三つ」とあるが、子規ならば三つで済むはずがない。楽しい句だ。 |
伊那男俳句 自句自解(94) 秋風や他郷めきたる常の路地
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行〉季節の微妙な変化を捉えた名作である。秋風が吹くと一気に別の世界にも連れていってくれるような気分になるものだ。もう半世紀以上前のことであるから今とは違ってしまったと思うが、京都に暮らしていた頃、五山の送火が終ると何となく秋の気配を感じたものである。送火が八月十六日で地蔵盆が八月二十三・四日だが、その一週間くらいで秋の風に変るのである。炎暑の中では景色を見るのも上の空であるが、秋風の中では自然と周囲に目配りができるようになる。店の看板や売っている食料品、雑貨店……町の様子が克明に目に入ってくる。見馴れた風景なのに新鮮に映る。気温が下ったことに加え、風に透明感が出てきているのである。掲出句は「他郷めきたる」に意外性があるのではないかと思っている。見馴れた路地で一瞬、あれここは何処だったのかと戸惑うことがあるが、それは秋風のせいなのである。 鱈割いて貪婪の腹さらけ出す
信州で育った頃鱈をよく食べた、というと不思議に思う人もいるだろうが、それは大鱈を割いて平らに拡げて干した塩鱈である。焼くと真白な塩が浮き出るのだが、これが実に旨い。そういう食生活だったので信州人は脳溢血が多かったのである。塩をしないで棒状に干したものが京都人の好む棒鱈で「いも棒」の材料である。生鱈では山形に「どんがら汁」がある。内臓ごとぶつ切りにして根菜類と合わせた味噌汁だが何とも豪快である。品の良い料理では軽く塩を打った昆布締めがある。手軽なものでは一塩の鱈を入れた湯豆腐もいい。鱈は古来このように日本の食生活を支えている勝れた魚である。鱈の字は見ての通り「雪」と縁がある。雪の降る日本海が漁場であること、その身が雪のように白いことから当てられた字である。それに反して実は貪欲な魚で幾らでも食べるので胴ははち切れんばかりに膨らんでいる。「鱈腹」である。まさに貪婪の腹をさらけ出しているのである。 |
8月 8月12日(土) 午後、「夕焼け酒場」にて、「第7回 銀漢亭の日」40数名来てくださる。三輪初子、村上鞆彦・礼奈一家、加茂一行さん……。清人さんが鰹、海鞘、つぶ貝などの気仙沼物を。私は4品ほど。るぴちゃんの「森伊蔵」一升瓶は圧巻。3句出し句会。 8月13日(日) 2日前から扁桃腺が腫れており、昨日から抗生物質服用。今日は少し気怠く、休養の1日。 8月14日(月)、15日(火) 「銀漢」10月号の選句に入る。終日家。 8月16日(水) 午後、宮澤と下高井戸を散策。東急世田谷線は久々。「皇庭餃子房」で昼飲み。その下の「鮮魚三友」はいい魚屋。鮎11匹(あるだけ)、かますの干物5枚。岩牡蠣3箇などを買う。帰宅してそのまま酒盛りに。とっておきのイタリアの泡物2本空ける。 8月17日(木) 「あ・ん・ど・うクリニック」、薬局。18時、神保町ひまわり館にて「銀漢句会」。あと近くの中華店にて親睦会。 8月18日(金)、19日(土) 10月号の選句稿、朽木直、大溝妙子、有賀理さんに送る。数句会の選句。 8月月20日(日) 「彗星集」の選句選評を理恵さんに送り、10月号終了。「三丁目の夕日」の「昭和の歳時記」のエッセイ、政さんへ送る。到来の茗荷山盛りの薄切りを卵とじ。鯛の兜と牛蒡の炊き合せ。 8月21日(月) 伶輔君、桃子の2人、インフルエンザ。隔離。俳人協会の「新鋭俳句賞」の選考に入る84編あり。 8月22日(火) 11時、下北沢の喫茶店にて「NHK俳句」の浦川聡子さんと来年2月号の「復活銀漢亭」の企画打ち合わせ。積もる話もあり。14時、神保町ひまわり館。「萩句会」の選句。四方山話など。あと武田編集長と餃子屋で小酌。松山、奈良の旅の打合わせなど。 8月23日(水) 鯛の兜煮の煮汁で卯の花。焼きそばも作っておく。甲子園大会、慶応高校優勝! 8月24日(木) 到来の玉蜀黍15本、ラップしてレンジに。11時発行所。9月号の発送を手伝う。日本橋に出て「三菱倉庫・江戸橋歴史展示ギャラリー」を訪ねる。あとスタバで作句、読書。銀座へ歩く。途中、鈴木真砂女の「卯波」跡を探してみる。ビルの一角に「幸稲荷」が祀られてあり、多分、その辺り。17時、「銀座ライオンビル」の「かこいや」。気仙沼の畠山重篤先生上京とて、清人さんの提唱で囲む会。10数名。大島の一砂さんも来られる。あと清水旭峰先生の馴染みの店「花組」に8人ほどで二次会。 8月25日(金) 終日家。調べ物など。作句も。 8月26日(土) 11時、日本橋「日本料理 吉」、「纏句会」9人。あと5人で小酌。喫茶店で読書あと、16時過、杏一家が高円寺の阿波踊を毎年、見物しており、席を取ってあるからと誘ってくれる。17時から20時迄、次々に練り歩く。新宿で小酌して帰る。 8月27日(日)、28日(月) T氏、M氏の句集稿点検、返却。調布の俳句講話の下調べ。江戸時代の俳人達について。家族出払っている。 8月29日(火) 10時、北村皆雄監督の新宿の事務所にて伊那の「千両千両井月さんまつり」の打合せ。盤水先生の命日。14四時、高幡不動の墓前に清人さんと待ち合わせて墓参。あといつものうどん屋(昔は蕎麦屋だったが経営者が替わった)でおでん、肉豆腐で酒盛り。親父さんが俳句に興味ありとて16時過ぎ迄歓談。 8月30日(水) 講演の下調べなど。一昨日から桃子夫婦、伶ちゃん白山登山。石川県の広告の映画撮影。 8月31日(木) 9時のバスにて伊香保温泉。3回目か。石段を上まで登り、露天風呂に浸る。15時、「ホテル天坊」へ。「第28回夢二忌俳句大会」の選者。前夜祭の5句出し句会。「銀漢」から5人活躍! 宴会での陶句郎さんの女装は凄みあり。あと部屋で小酌。 9月 9月1日(金) 「ホテル天坊」の湯は透明。石段街は茶色の違いあり。今日も快晴。「銀漢」3人がこちらへ向かっていると。9時、バスにて榛名湖畔の夢二のアトリエ、花野吟行、松虫草、女郎花などふんだん。戻って3句出し句会。パネルディスカッションなど。16時終了後、清人車にて一斗、政、井蛙、麦で嬬恋村へ。「野びろう」にて柴山つぐ子さん句集『つまこひ』の祝いの会。北軽井沢句会から9人来て下さる。宇内さん経営のロッジ「梟」泊。 9月2日(土) 9時半、柴山つぐ子家へ。朝食を準備して下さる。山﨑ちづ子、佐藤栄子さんの心尽くしの料理沢山。また、野菜、菓子などの土産を持ちきれない程用意して下さる。昼、出発。麦さん希望の妙義神社を参拝。北朝霞駅にて解散。雑用多数。 9月3日(日) 来週の伊那の「千両千両井月さんまつり」の小講演の準備。レジメ一枚作る。「銀漢」10月号の校正作業。 9月4日(月)、5日(火)、6日(水) ずっと家。松山の講演会の準備、調布の俳句講話の準備など。終日机にへばり付いている。3日間酒抜く。 9月7日(木) 少々、気になる事あり、「あ・ん・ど・うクリニック」。血液検査など。 9月8日(金) 昼前の中央高速バスにて伊那へ。伊那部宿などを散策。17時過、「門・やません」。伊那の守屋明、坂下昭、中山中さん、有賀理、谷口いづみ、伊藤政、堀切克洋、北村監督、平沢、宮下、今泉さんぱらぱらと集い歓談。高校同期で「湯島句会」の生みの親、「銀漢」発足時に支援してくれた松崎逍遊(文和)君逝去の報受く。「伊那パークホテル」泊。 9月9日(土) 9時、「いなっせ」の楽屋で同人で伊那中央病院副院長の中山中さんが携帯用の超音波検査機で検査してくれる。胆管に異常あり。シンポジウムなど終えてバスにて帰京。途中、会員の清水旭峰医師と連絡を取ると、順天堂医院の夜間緊急外来へ直行されたしと。21時過ぎに入り、夜中2時位まで検査。清水先生、最後まで付き添って下さる。 9月10日(日) 日曜日にて病院は静か。桃子が着替えなど持ってきてくれるが、面会は不可。数句会の選句や来週の予定キャンセルの連絡など。 9月11日(月) 担当医師団三先生と挨拶。採血他。超音波検査。11月号の原稿を、まほ、理恵、飛露さんに送る。 9月12日(火) 絶食。MRI、内視鏡検査。 9月13日(水) 昨日の内視鏡検査で胆汁を通してくれたと。レントゲン検査。昼ごはん有難くいただく。 9月14日(木) 肺活量の検査。身体の黄色味が落ちてきている。 〈豊年や吾は老残の黄金仏〉 9月15日(金) 採血。負荷心電図検査。ORIX時代の部下から電話あり。皆が1度、私を囲んで同窓会をしたいが都合はどうか? と。こんな時に不思議である。35年前の部下達。27人の大部隊であった。(その後検査入院は無事に退院)。 |
△姫蔓蕎麦 ヒマラヤ原産。日本にはロックガーデン用として明治時代に導入された多年草。花はピンク色で、小さい花が球状に集まった金平糖のような形をしている。近縁に白い花のツルソバ(蔓蕎麦)がある。花も葉もソバ(蕎麦)に似ていることからの命名。Wikipedia |