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11月号  2023年




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伊藤伊那男作品


主宰の8句














        
             

                        

    

今月の目次








銀漢俳句会/2023/11月号


       












   


 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎北村皆雄監督映画『旅するカジの木 倭文(しずり)

「ほかい人 伊那の井月」の映画監督、北村皆雄氏は私の高校(伊那北高校)の先輩である。八十歳になる筈だが(株)ヴィジュアルフォークロアという映像製作会社を経営して国内外を駆け回っており、その情熱には驚嘆するばかりである。井上井月顕彰会の二代目会長でもあり、伊那と東京での俳句大会の運営で時々お目に掛かって、その度に活力を貰っている。
「銀漢」の令和二年新年号の特別寄稿で「木丈(しずり)という衣」を執筆していただいた。日本における「衣」の始まり、その呪術性などについての考察であった。天皇が即位する大嘗祭(だいじょうさい)の時に身に着ける衣服の素材は何であるか、『日本書紀』『万葉集』の中に「倭文(しづり)」という謎の織物があるが、それは何であり、どんな意味を持つのか……北村氏はその後も調査を続けてこの度映画「旅するカジの木 倭文(しづり)」を完成させ、来春の上映を予定しているという。
『万葉集』の持統天皇の歌に
  
春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山

がある。この白妙の衣とは何か。広辞苑をみると「(その色が白いからという)(かじ)の木の皮の繊維で織った布」とある。また後に(こうぞ)から作る繊維も含めて「木綿(ゆう)」と呼ぶのである。つまり「白妙の衣」は榖(梶)の樹皮を剝ぎ取って叩いて伸ばし、糸にして織るか、紙衣(かみこ)状にしたものであったというのだ。霊力という面でみると諏訪大社の紋章が梶の葉であり、神長官守矢家のミシャクジ総社にも梶の木が植えられてあるのも象徴的である。単に衣服という機能だけではなく、その白い色が尊ばれ、悪霊を封じ込める霊力を持っていたようである。それで気が付いたのだが、出羽三山の月山を登拝する際、講宿では首から掛ける「木綿注連(ゆうめし)」を用意してくれることである。今は紙縒(よりこ)で作ってあるが、その言葉からみて原初の素材は「梶」ではなかったか、ということである。
 先の持統天皇の歌に戻ると、春から夏に移るについて、「更衣(ころもがえ)」をしてカジの着物を洗濯して干した、ということなのであろう。北村氏は、カジはヒマラヤ山脈東部からパトカイ山脈にかけてのモンスーン地帯が原産地であり、台湾を基点として日本へ、また南の島々へ渡り、今もパプアニューギニアでは普通に使われているという。北村氏はそれらのカジを入手して、DNA鑑定にかけてその伝搬経路を分析している。神代からの神話と歴史、先端科学を混交させた映画のようである。
 北村氏の着想が文章となったのは「銀漢」への寄稿が最初であったというから縁がある。上映が尚更楽しみである。












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

白河の関の番所の種瓢          皆川  盤水

 
白河関は念珠関(ねずがせき)勿来関(なこそのせき)と並ぶ奥州三関の一つ。能因法師の〈都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関〉で知られ、また『おくのほそ道』で芭蕉は「心許なき日数重るままに白河の関にかかりて旅心定まりぬ」と記す。奈良時代から平安時代までの関なので、その後廃れていたが、白河藩主松平定信が白河神社のある現在地に比定した。一帯は乾瓢の産地として知られており、収穫後の種瓢が土間や縁側に転がっていたのであろう。
(平成二十一年作『凌雲』所収)

  





 






彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 千羽鶴八月の風折り畳む           竹花美代惠
 能管めく秋篠寺の青嵐            川島  紬
 警笛をしづかに広島忌の電車         長谷川明子
 鯖雲や北へ行きたき旅鞄           中村 孝哲
 門口の遺影に見せる宮神輿          白濱 武子
 葛の花こぼして歩荷すれ違ふ         萩原 陽里
 鳴りやまぬ跳人の鈴を夢に聞く        中村 藍人
 移ろへる風のまち針糸蜻蛉          有賀  理
 原爆忌ひとつおぼえの鶴を折り        小野寺一砂
 近江町市場を焦がす鰻の日          上野 三歩
 考へる葦とはなれぬ暑さかな         池田 桐人
 暗がりを都会に捜し手花火す         白井 飛露
 神さびて一指一趾を踊りけり         本庄 康代
 数珠玉を採るや百八まで半ば         島  織布
 かき氷崩しつつ聴く胸の傷          有賀 稲香
 サーカスの跡地小さし夏の果         山元 正規
 クレーンの鉤から降りてくる炎暑       福原  紅
 取り逃し貰ふおまけの金魚かな        中村 湖童
 直角とは厄介なもの鉾すすむ         西田 鏡子
 とつぷりと暮れて暮れざる鬼灯市       半田けい子








     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

千羽鶴八月の風折り畳む          竹花美代惠
 もともとの始まりは知らないが、千羽鶴は慰霊の場や、見舞などに用いられるようになったようだ。祈りを籠めて紙を折るということが願いや鎮魂に繋がるのであろう。この句、八月というからには、敗戦日や原爆忌に絡むものである。人間は戦いを繰り返す生き物である。日本人が一番酷い戦をしたのは太平洋戦争。三百十万人の死者を出している。「八月の風折り畳む」には一つ一つ丁寧に折る作者の心が投影しているようである。句の作り方から静かに抑えた良質な抒情を窺うことができ、秀逸である。


能管めく秋篠寺の青嵐           川島  紬
私ごとだが六月に秋篠寺を久々訪ねて伎芸天に再会した。伎芸天はその名の通り、容貌端正で福徳・技芸を守護するという。奈良の中心部を少し外れた静かな佇まいの小さな清潔な寺である。宝亀年間の創建で光仁・桓武天皇の勅願所であるから千数百年間の祈りが籠められているのである。この句、寺の木々を揺する青嵐を配して気品が高い。しかも「能管めく」と音楽を配したのが出色である。能管は能楽に用いる横笛で、音は強く透徹する。こうなると秋篠寺という固有名詞が動きようが無いのである。 


警笛をしづかに広島忌の電車        長谷川明子
先年、初めて広島市に降り立ったが、市電網が縦横に発達していることに驚いた。この句はその市電を詠んだもので、原爆忌のその日は警笛も「しづかに」という。本当にそうなのか、あるいは作者の耳にそのように聞こえたのか不明であるが、街全体の喪心が伝わってくる。たった一つの原爆で無辜の民が十四万人死んだのである。 


鯖雲や北へ行きたき旅鞄          中村 孝哲
 だいたいにおいて演歌のヒット曲では「津軽海峡冬景色」とか「北国の春」とか、帰る所も望郷も東北地方や北海道が舞台である。南国へ帰る曲はほとんど売れないのだという。藤圭子の「京都から博多まで」位しか南へ向かう曲を私は知らない。さて掲出句「鯖雲」がいい。鰯雲ではなく鯖雲が北国に相応しい。また、北に行きたいのが「旅鞄」である、と擬人化したところに技倆の高さを感じるのである。


門口の遺影に見せる宮神輿         白濱 武子
祭好きか、あるいは神社関係者が少し前に亡くなったのであろう。神輿の通る門前に遺影を置いたのであろう。遺影に「見せる」の表現がいい。祭を愛していた故人であることがしみじみと伝わるのである。また、その人を大事にしていた家族や仲間の温かな心持も伝わってくる。 


葛の花こぼして歩荷すれ違ふ        萩原 陽里
 登山道の様子がよく解る句である。頭の高さよりも更に上まで積み上げた荷物を担いでいる歩荷だからこそ、葛の花をこぼす、という表現が生きているのだ。「歩荷すれ違ふ」からは歩荷同士がすれ違う感じが出ていて、そこもいい。


鳴りやまぬ跳人の鈴を夢に聞く       中村 藍人
 青森のねぶたの一景。「夢に」まで持ち込んだのが手柄。


移ろへる風のまち針糸蜻蛉         有賀  理
糸蜻蛉の姿態を「風のまち針」とは!いい感性である。 


原爆忌ひとつおぼえの鶴を折り       小野寺一砂
鶴しか折れない作者だが、七十八年間折っているのだ。 


近江町市場を焦がす鰻の日         上野 三歩
 「近江町市場」は金沢の台所。何故か地名が印象的だ。


考へる葦とはなれぬ暑さかな        池田 桐人
 パスカルの名言を俳諧的にうまく転用した。技有り。


暗がりを都会に捜し手花火す        白井 飛露
 確かに暗がりを捜すことが難しい今日的風景。


神さびて一指一趾を踊りけり        本庄 康代
 盆踊というよりも神楽であろうか。厳粛さが籠る。


数珠玉を採るや百八まで半ば        島織  布
 数珠の玉は百八の煩悩の数。「まで半ば」が洒落ている。


かき氷崩しつつ聴く胸の傷         有賀 稲香
恋愛とは限らず様々な胸の傷。季語の斡旋がうまい。


サーカスの跡地小さし夏の果        山元 正規
 子供心に壮大に見えたサーカスだが終れば小さな跡地。


クレーンの鉤から降りてくる炎暑      福原  紅
 巨大なクレーンの鉄の鉤が炎暑をもたらす。いい発想だ。


取り逃し貰ふおまけの金魚かな       中村 湖童
 金魚掬いはこんなもの。「おまけの金魚」が面白い。


直角とは厄介なもの鉾すすむ        西田 鏡子
辻廻しは一番の見せ場だが「厄介な」の冷めた目。


とつぷりと暮れて暮れざる鬼灯市      半田けい子
 日は暮れても市の灯は増々煌々と地を照らす










           







 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

峨眉山は普賢の聖地カンナ燃ゆ     東京  飯田眞理子
見得を切る十二神将堂涼し       静岡  唐沢 静男
大南瓜産む力もて切れといふ      群馬  柴山つぐ子
太陽族の端くれとして日焼せり     東京  杉阪 大和
母の影及ぶところの草むしり      東京  武田 花果
大夕焼南都焼討かくやとも       東京  武田 禪次
酒蔵にある三伏の昼の闇        埼玉  多田 美記
天井まで狐の跳べり夏芝居       東京  谷岡 健彦
塔の影ほのと透かして奈良団扇     神奈川 谷口いづみ
三つ指を廊下について夏座敷      長野  萩原 空木
初秋の風ふと大路半ばなる       東京  堀切 克洋
余花を抱く過疎一村の静寂かな     東京  松川 洋酔
月涼し郡上に水の濃き匂        東京  三代川次郎













         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

蠅舐むる三面鏡の奥の奥        東京   橋野 幸彦
山で死ぬ歌うたひつつケルン積む    千葉   中山 桐里
熱帯夜とふ羊羹のやうな闇       大阪   中島 凌雲
彦星の牛の水場は星の川        千葉   白井 飛露
秋扇の忙しそこだけ暑さうな      東京   島  織布
重箱の鰻めくれば又鰻         東京   大溝 妙子
八月に二つの季と忌ありにけり     東京   伊藤  政
虹二重ロバのパン屋は何処へと     愛知   山口 輝久
怖づる子を輪に迎へ入れ地蔵盆     神奈川  中野 堯司
朝顔や子にそれぞれの予定表      兵庫   清水佳壽美
夕焼を背に赤チンの膝小僧       東京   塚本 一夫
仏像の中の空洞蟬時雨         東京   小林 美樹
昼寝子のいまふにやふにやの充電中   愛知   荻野ゆ佑子
芳一の耳の行方や風知草        埼玉   本庄 康代
応援のチューバに映す日焼かな     東京   朽木  直
滝壺に逆まく水の焰あり        東京   上田  裕
水中花ひと日の水を減らしけり     東京   清水 史恵
屈まりて鉾の高さを確かむる      大阪   西田 鏡子

秋の雲今日は戦後か戦前か       東京   飛鳥  蘭
軽々と卒寿越えたり雲の峰       宮城   有賀 稲香
幾重にも風をむすびて夏越かな     東京   有澤 志峯
魂棚を話し相手の胡座かな       神奈川  有賀  理
鷹の鳥屋音の激しき羽遣ひ       東京   飯田 子貢
触るなと桃の売り場の注意書      山形   生田  武
河童忌の夕雨ほそき文士村       埼玉   池田 桐人
全山をしぼりしぼりて滴りぬ      東京   市川 蘆舟
湯屋に聞く瀬音まじりの河鹿笛     埼玉   伊藤 庄平
睡蓮の系図千年泥の中         神奈川  伊東  岬
子規庵の空より下がる大糸瓜      東京   今井  麦
子別れの鴉の木々へ仇の風       埼玉   今村 昌史
便箋の余白うつくし星の恋       東京   宇志やまと
説法の座の真ん中に扇風機       埼玉   大澤 静子
海神を酒もて浄め海開         東京   大住 光汪
荒れ狂ふ波のやうなる佞武多来る    神奈川  大田 勝行
生身魂何を問うても諾へる       東京   大沼まり子
勤労に充ちし日焼を力とす       神奈川  大野 里詩
花火師の背ナの法被の火の粉痕      埼玉   大野田井蛙
意気地無く夢に謝る昼寝覚       東京   大山かげもと
墓参り墓のうら側見てまはる      東京   岡城ひとみ
開演のベルに駆け込むサングラス    東京   小川 夏葉
南国の地に擦りさうなハンモック    宮城   小田島 渚
三年の後の世知らず梅酒漬く      宮城   小野寺一砂
開口は行かねばならぬ海霧の中     埼玉   小野寺清人
打水や路地にたづきの佇まひ      和歌山  笠原 祐子
山門をくぐれば何もかも涼し      東京   梶山かおり
真新し聖書の中に星月夜        愛媛   片山 一行
地蔵盆三々五々に子ら集ふ       静岡   金井 硯児
鶏頭の縁側寄りに子規の庭       東京   我部 敬子
オルガンに出ぬ音のあり終戦日     東京   川島秋葉男
作り出す日傘の影に囚はれて      千葉   川島  紬
深海へ沈む心地や蚊帳に寝る      神奈川  河村  啓
落鮎のひかる背と腹浅瀬川       愛知   北浦 正弘
追ひつけぬ塩辛とんぼ追ひにけり    長野   北澤 一伯
草伸びる舗道の割れ目夏深し      東京   絹田  稜
睡蓮や入水の姫の話など        東京   柊原 洋征
通院が我の遠出か炎暑なほ       神奈川  久坂衣里子
炎天へまう捨鉢と言ふ構へ       東京   畔柳 海村
漱石も鷗外も紙魚あきらかに      東京   小泉 良子
氏子衆へ禊がごとき夕立かな      神奈川  こしだまほ
送行や硯の瘦せし写経堂        東京   小山 蓮子
山滴る故山もれなく名のありて     宮城   齊藤 克之
空蟬の魂といふ重さかな        青森   榊 せい子
西瓜割一打に割れてつまらなし     長崎   坂口 晴子
懐郷は小鮒の川の箱眼鏡        長野   坂下  昭
村長の背負ふ地酒や山開        群馬   佐藤 栄子
語気荒き上州弁も秋に入る       群馬   佐藤かずえ
流木の立ち上がりたる夏旱       長野   三溝 恵子
蟬の声かぶさりパンの焦げにけり    広島   塩田佐喜子
大夕立大仏様を冷やすごと       東京   島谷 高水
二人の間行つて戻つて扇風機      東京   清水美保子
長々と青大将の残り衣         埼玉   志村  昌
たこ焼きも廻し躍らす盆踊       神奈川  白井八十八
夏怒濤洗濯岩をなほ洗ふ        東京   白濱 武子
朝顔や今日も良き日であるやうに    東京   新谷 房子
夜の秋ほどなく母の寝息かな      大阪   末永理恵子
夜店の灯ソースの匂ふ道に出る     東京   鈴木 淳子
またひとり来ては茅の輪を潜りをり   東京   鈴木てる緒
端渓の硯研ぎをり蟬しぐれ       群馬   鈴木踏青子
「考える人」影も無言の大暑かな    東京   角 佐穂子
水替へて金魚大きく尾鰭ふる      東京   瀬戸 紀恵
今度いつ来るとは聞かず月見酒     神奈川  曽谷 晴子
お疲れさま今宵よく鳴る風鈴に     長野   髙橋 初風
フクシマの福一杯の桃を食ぶ      東京   高橋 透水
ハンカチの四隅だんだんずれてきし   東京   武井まゆみ
店の灯の暗きへ入るや菊膾       東京   竹内 洋平
遠回りしても行きたく片蔭へ      神奈川  田嶋 壺中
梅肉を花心に見立て祭鱧        東京   多田 悦子
工作の金槌重し夏休み         東京   立崎ひかり
抱きあげし赤子に泣かれサングラス   東京   田中 敬子
白樺の皮の軽さの門火かな       東京   田中  道
吾をもつて絶える血縁墓参り      東京   田家 正好
手にとりし「されどわれらが日々」の紙魚 東京  辻  隆夫
漣の輝きまとふ蜻蛉かな        ムンバイ 辻本 芙紗
まつさきに蘂の消えゆく遠花火     東京   辻本 理恵
富嶽より暑中見舞の届きけり      愛知   津田  卓
見え隠る真夜の初島はたた神      東京   坪井 研治
銀河濃し賢治の眠る北の町       埼玉   戸矢 一斗
絵日記の雲の奔放夏休み        千葉   長井  哲
暗闇に古井戸泛ぶ夏芝居        東京   中野 智子
秋旱多産のあとのわが詩嚢       東京   中村 孝哲
飴色のランプに更くる登山宿      茨城   中村 湖童
青田風入り組んでなほ峡の形      埼玉   中村 宗男
紙魚はしる万巻の書の大海に      東京   中村 藍人
天竜川(てんりゅう)を奈落に据ゑて天の川      長野   中山  中
東京を捨てし友より今年米       東京   沼田 有希
木下闇梃子でも退かぬ力石       埼玉   萩原 陽里
西瓜食む昭和の子らは胸濡らし     広島   長谷川明子
地獄絵を前に炎暑の法話聞く      東京   長谷川千何子
妻と子の会話に寝入る夜の秋      兵庫   播广 義春
かなかなの鳴くころ仏飯下げる頃    埼玉   半田けい子
雲の峰老の闘士のありどころ      埼玉   深津  博
睡蓮や見えぬ仏の座し給ふ       東京   福永 新祇
朝に採れ夕べ又採る胡瓜かな      東京   福原  紅
朝涼を濁さぬ鳥の枝移り        東京   星野 淑子
老いてなほ心たのしき昼寝かな     東京   保谷 政孝
沈思なほ灼くるロダンの像の背ナ     岐阜   堀江 美州
草ひくや路地の日陰を今日半分     東京   松浦 宗克
母の手のたしかな記憶遠花火      東京   松代 展枝
背筋伸ぶ我が晩学の夏期講座      神奈川  三井 康有
曝書して表紙ばかりを見覚ゆる     神奈川  宮本起代子
秋の句の墨痕さやか忌を修す      東京   村田 郁子
父と子の指の長短とんぼの眼      東京   村田 重子
体重が尻に集中して大暑        東京   森 羽久衣
狛犬の怒れる目玉青嵐         千葉   森崎 森平
下町の香を掻き混ぜて扇風機      埼玉   森濱 直之
天の川光で測る河の丈         長野   守屋  明
夜の秋母と並べて敷く布団       東京   保田 貴子
尖る事なくて一日や冷奴        東京   矢野 安美
男手に切つてもらひぬ栗南瓜      群馬   山﨑ちづ子
かき氷姉三六角下りきて        東京   山下 美佐
梶の葉に水茎しかと願ひごと      東京   山田  茜
頁繰るやうな一にち日日草       東京   山元 正規
三伏や軍鶏は蹴爪を砂に埋め      東京   渡辺 花穂
来し方を包みこむかに古簾       埼玉   渡辺 志水









   



      







     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

蠅舐むる三面鏡の奥の奥          橋野 幸彦
 「三面鏡の奥の奥」が面白いところで、永遠に奥処へ映り込んでいるのである。また「蠅舐むる」の取合せが凄みのあるところで、三面鏡の奥の奥まで舐めるという、あたかも三次元の世界に引き摺り込むような不思議な力を持つ。


山で死ぬ歌うたひつつケルン積む      中山 桐里
 吾々の若い頃の歌だ。〈いつかある日山で死んだら古い山の友よ伝えてくれ……〉。ダークダックスが歌ったことは覚えているが、今回調べたらあの『日本百名山』の深田久弥の訳詞であった!「ケルン積む」がいい。若い頃の登山を思い出す郷愁の俳句である。


熱帯夜とふ羊羹のやうな闇         中島 凌雲
熱帯夜のあのやり切れない闇をどう譬えるのか。それが「羊羹のやうな闇」であるという。ありきたりの比喩では無く、大胆で独自の発想である。分厚さと緊密さがよく解る。比喩を使うならこのように頭を巡らせたいものだ 


彦星の牛の水場は星の川           白井 飛露
神話の世界と童話の世界を混ぜ合わせたような楽しい句である。この自由奔放な発想は羨ましいほどである。星の川の水場……改めて天の川を眺めてみたいものである。 


秋扇の忙しそこだけ暑さうな         島  織布
 残る暑さに扇を使う。だが傍から見ればむしろそこだけが暑そうに見えるという。その、使う者と見る者の感じ方の違いを合わせて詠み込んだところが眼目である。


重箱の鰻めくれば又鰻            大溝 妙子
垂涎の句である。塗箱のご飯の上に鰻、その上にご飯、そして鰻、と二段重ねであるからもう堪らない。今まで見た鰻の句の中で一番旨そうな句であった。


八月に二つの季と忌ありにけり        伊藤  政
 八月の二つの季とは八月八日頃の立秋を境にして「夏」と「秋」。二つの忌とは八月六日の「広島忌」、九日の「長崎忌」である。季と忌という「き」の音を生かしたのも機知である。


虹二重ロバのパン屋は何処へと        山口 輝久
 子供の頃信州の田舎でもロバのパン屋を目撃した。ロバではなく馬だったように思うが、一、二回見ただけで、何だか幻のように消えてしまっている。まさに「何処へと」である。「虹二重」の季語の斡旋で幻想的な句となった。


怖づる子を輪に迎へ入れ地蔵盆        中野 堯司
 地蔵盆は八月二十三、二十四日の地蔵菩薩の縁日に行う行事。子供達の無事を願い、町内の地蔵の祠の前に茣蓙を敷いて遊ばせる。気の弱い子もいるはずで、このような光景が京都の各町内で今も繰り広げられているのである。


朝顔や子にそれぞれの予定表         清水佳壽美 
朝顔は一日花で昼には萎む。次の朝には又違う花が開くのであり、これが取合せの「予定表」と響き合うようだ。子供達には毎日それぞれの予定がある。それは朝顔が次々に開くように繰り返されるのである。


夕焼を背に赤チンの膝小僧          塚本 一夫
 遊び疲れた子があちこちに擦り傷を作って膝小僧に赤チンを塗っている。背中に夕焼を浴びて。赤チンはマーキュロクロムのことで、水銀を含んでいることもあり、今ではほとんど見掛けない。いかにも昭和の子供の姿である。


仏像の中の空洞蟬時雨            小林 美樹
寄木造りの仏像であろう。中は空洞である。そう聞くだけで、蟬時雨の中、あたかも仏像そのものが共鳴器のように響き合うのである。 


昼寝子のいまふにやふにやの充電中      荻野ゆ佑子
子供の身体は柔らかいけれど芯は張りがあり、力強いものだ。だがこの句のように昼寝子は魂が抜けたように「ふにやふにや」である。子育ての経験から私にも実感がある。 


芳一の耳の行方や風知草           本庄 康代
小泉八雲の怪談に「耳無し芳一」がある。鬼との約束を破った芳一の身を守るため身体中に経を書くのだが、耳に書くのを忘れたため両耳を取られてしまう、という話だ。句は「風知草」なら知っているかもしれない、という。「風知草」の字面を生かした知的処理の句。それもいい。


 その他印象深かった句を次に

応援のチューバに映す日焼かな        朽木  直
滝壺に逆まく水の焔あり           上田  裕
水中花ひと日の水を減らしけり        清水 史恵
屈まりて鉾の高さを確かむる         西田 鏡子













                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

總持寺
持たざるこそ總て持つこと解夏の寺   埼玉  園部 恵夏
白南風や良く死ぬために飲む薬     神奈川 日山 典子
ぞろぞろと鰻を喰うてはとバスへ    神奈川 山田 丹晴
貧しさを分け合ふ昭和ラムネ玉     静岡  山室 樹一
山積みにせいろの出前大暑かな     東京  棟田 楽人
袖に着く線香の名残墓参        神奈川 松尾 守人
男体山(なんたい)の風の先ぶれはたた神      栃木  たなかまさこ
その中の蜩の樹に凭れをり       千葉  針田 達行
遠き日の記憶を揺らすハンモック    東京  桂  説子
せん切りのキャベツ大盛学生街     群馬  北川 京子
定年の八月大名城巡る         東京  髙坂小太郎
洛北の僧都ことりと初夜を鳴る     大阪  杉島 久江
芋坂の団子を三つ獺祭忌        東京  松井はつ子
烏賊墨の未だ濡れてをり防波堤     埼玉  内藤  明
心地よき一眠り弱冷房車        神奈川 北爪 鳥閑
微笑みの半跏思惟像涼立てり      東京  橋本  泰
琉金や重き衣装は天命と        千葉  平山 凛語
妹と来て父母の事盆の墓        静岡  橋本 光子










星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

貓舌の猫にためしの日向水       東京  尼埼 沙羅
水海月見つけてはまた見失ふ      東京  井川  敏
へうたんの一つ生りたり板庇      長野  池内とほる
篝火に他人の空似里神楽        東京  石倉 俊紀
甲斐駒を車窓に映し缶ビール      東京  一政 輪太
七夕笹のちくりと痛き逢瀬かな     東京  伊藤 真紀
まどろみを揺り起こされて御来光    広島  井上 幸三
墓参祖父の出さうな蟬の穴       愛媛  岩本 青山
広島に一分停車原爆忌         長野  上野 三歩
乗換への一番ホーム夜の秋       東京  上村健太郎
盆踊河内音頭で締めくくる       長野  浦野 洋一
聚光院床に所縁の白木槿        群馬  小野田静江
晩夏光錆の浮きゐる引込線       静岡  小野 無道
錠剤のこぼれころがる避暑の宿     埼玉  加藤 且之
開き戸を押す瞬間の秋暑し       長野  唐沢 冬朱
噴水は横に限るとマーライオン     愛知  河畑 達雄
鬼やんま居間より入り玄関へ      神奈川 北出 靖彦
雲の峰空に王国ある如く        東京  北原美枝子
盆東風や息子はきつと次のバス     東京  久保園和美
八月やからから乾ぶ銀杏の木      東京  熊木 光代
片蔭の尽きて進退窮まりぬ       東京  倉橋  茂
山暮れて一家総出の迎へ盆       群馬  黒岩伊知朗
生身魂古希の漢をしかりをり      群馬  黒岩 清子
扉灼け四川料理の香ばしき       愛知  黒岩 宏行
郷愁の募る夕べの祭笛         東京  黒田イツ子
庇ひ合ふ白寿卒寿の茅の輪かな     東京  小寺 一凡
盆踊丸く削れる下駄の先        千葉  小森みゆき
等伯の秋風沁みる松林         神奈川 阪井 忠太
吾妻線窓全開に蟬時雨         東京  佐々木終吉
雪渓につく一息や水うまし       群馬  佐藤さゆり
怪獣の足のつぶつぶめくゴーヤ     東京  島谷  操
鰡眺め俎板橋で友を待つ        東京  清水 旭峰
遠き日のちちの土産や夏帽子      千葉  清水 礼子
食扶持の田んぼ守りて蝗捕る      東京  須﨑 武雄
ハンモック絡め取られて仕舞ひさう   岐阜  鈴木 春水
青簾低き鴨居の祖母の家        愛知  住山 春人
深海の魚になりたき大暑かな      東京  関根 正義
蛾の翅の目玉二つに睨まるる      千葉  園部あづき
夕端居話半ばで逝きし人        東京  田岡美也子
掃苔や頭によぎる墓じまひ       東京  髙城 愉楽
阿武隈の薄き浮雲晩夏光        長野  髙橋 双葉
鳳仙花触れずに弾け種とばす      埼玉  武井 康弘
響き合ふことなく消ゆる秋の蟬     東京  竹花美代惠
日盛をしづかに頁繰りにけり      広島  藤堂 暢子
地球儀に戦火は見えず昼寝覚      長野  戸田 円三
健脚もいつかは杖に雲の峰       東京  中込 精二
どこ迄も嬬恋どこ迄もキャベツ     群馬  中島みつる
逆光に大輪の蓮透けて見え       神奈川 長濱 泰子
異国船泊まる港や夢二の忌       京都  仁井田麻利子
日の本の誤算八月十五日        東京  西  照雄
灼熱や太陽族も恐れなす        宮城  西岡 博子
帰郷後の身に東京の残暑かな      東京  西田有希子
線香花火終ひの時を燃えたたす     神奈川 西本  萌
雨を待つ里芋は葉をよぢらせて     神奈川 花上 佐都
翁眉の上下してをり涼新た       千葉  平野 梗華
迎火の跡を跨ぎて帰宅せり       千葉  深澤 淡悠
謝つても又すぐ喧嘩夏休み       長野  藤井 法子
炎熱や鉄の手摺の男坂         福岡  藤田 雅規
西瓜切れば辺りの空気一転す      東京  牧野 睦子
遠雷や剣山に挿す天地人        東京  幕内美智子
此処にまた老眼鏡や盆支度       茨城  丸山真理子
晴れ三日続く予報や梅を干す      愛知  箕浦甫佐子
野分去る空に大きな筆づかひ      東京  無聞  益
雲の峰太郎に二郎三郎と        宮城  村上セイ子
行く当ても来る人もなし盆休み     東京  家治 祥夫
桂林の山河の如きかき氷        東京  山口 一滴
草刈ればこんな所に土手南瓜      群馬  山﨑 伸次
大粒の喜雨に打たれて浅間山      群馬  横沢 宇内
エーゲ海暮れて神話の星月夜      神奈川 横地 三旦
団十郎てふ朝顔の種爆ぜて       神奈川 横山 渓泉
同級の僧の説法新盆会         千葉  吉田 正克
花笠の紅艶やかな祭かな        山形  我妻 一男
かたつむりマイセン皿に畏まる     東京  若林 若干
太陽の恐さを秘めて朝曇        東京  渡辺 誠子
























星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

持たざるこそ總て持つこと解夏の寺    園部 恵夏
以前、角川賞を取った市堀玉宗さんを訪ねて能登輪島の總持寺祖院を訪ねたことがある。落葉を焚いて迎えてくれたことを思い出す。曹洞宗のこの寺は明治三十一年に火災で消失し、四十四年に横浜市鶴見区に移転したのである。一度訪ねたことがあるが、都会の中で静寂と荘厳さを保っていた。「總持」の意味をこの句で知った。「解夏」は禅宗の行事の夏(なつ)安居(あんご)が終ることを言う。禅問答のような言葉を俳句に詠み込んで、一ヶ月にわたる雨期の修行の終了で収めた作り方が気持ちのいいところだ。 


白南風や良く死ぬために飲む薬      日山 典子
 人は必ず死ぬのであるが、少しでも長く健康に過ごせるように薬を飲み、健康食品を摂取する。これを「良く死ぬために」と捉えたところが面白い。確かに寝たきりや意識不明の状態は悲しい。「白南風」の明るい予兆の季語の斡旋が効いて、あくまでも前向きである作り方がいい。


ぞろぞろと鰻を喰うてはとバスへ      山田 丹晴
 はとバスの日帰りツアーなのであろう。老舗の鰻店に入り、限られた時間内でお決りの鰻重を食べ、ガイドに促されて慌ただしくバスに戻る。そんな感じが実によく解る。ほのかな滑稽味が読後に残っている。


貧しさを分け合ふ昭和ラムネ玉      山室 樹一
 まだ時間の流れが緩やかな時代であったせいであろうか。昭和時代は懐かしい。おおかたは似たような貧しい生活であったから助け合うことが普通であった。ラムネという飲料水はそうした生活を象徴する飲み物であった。


山積みにせいろの出前大暑かな      棟田 楽人
業務用の黒くていかつい自転車で積み上げたせいろの蕎麦を運ぶ風景は昭和時代の街角でよく見掛けたものである。大暑といってもあの頃は気温が三十度を越えたら大騒ぎの時代であった。 


袖に着く線香の名残墓参         松尾 守人
  細かなところに着目して、人が見逃していたものを捉えているのがいい。墓参のあと家に戻ると、まだ線香の匂がする。どうやら袖に残った香りである。一つの発見である。


男体山(なんたい)の風の先ぶれはたた神       たなかまさこ
 栃木・群馬は雷雨の激しい所である。作者は栃木の人であるから男体山の風の動きに、そろそろ雷雨が始まることを予感するのである。日常生活の実感であるから信憑性を感じるのである。


その中の蜩の樹に凭れをり        針田 達行
 「かなかな」とも呼ばれる蜩は秋の到来を知らせる蟬である。作者は特に蜩の鳴く一樹に凭れ掛かる。行く夏を惜しんでいる気持ちがよく出ているのである。


遠き日の記憶を揺らすハンモック     桂  説子
 木陰のハンモックで過ごすひと時は至福である。子供時代からその後まで、楽しかった記憶が甦るのである。「記憶を揺らす」がいい。こんな時間を過ごしたいものだ。


せん切りのキャベツ大盛学生街      北川 京子
トンカツに生キャベツを添えるのは日本の洋食店の発想であった。トンカツソースで食すか、醤油で食すか、いつも悩むところだ。この句は学生街の活気が漲っている。 


定年の八月大名城巡る          髙坂小太郎
 「八月大名」は珍しい季語。旧暦八月は稲の稔りを待つだけの農閑期にてそこから名付けられた季語。「城巡り」をしたというのが、付き過ぎのような、でも面白いところ。


洛北の僧都ことりと初夜を鳴る      杉島 久江
 「僧都(そうず)」は「添水」と同義。「ばったんこ」、「鹿威し」とも言う。「初夜(そや)」は今の午後七時から九時頃を言い、その時刻の勤行のことを指す。洛北のどこかの寺の様子が端正に描かれている。


芋坂の団子を三つ獺祭忌         松井はつ子
子規庵のある根岸と芋坂は指呼の間である。芋坂には今も羽二重団子の老舗があり、甘い物好きな子規であるからきっと食べたことであろう。「団子を三つ」とあるが、子規ならば三つで済むはずがない。楽しい句だ。

その他印象深かった句を次に


 

烏賊墨の未だ濡れてをり防波堤      内藤  明
心地よき一眠り弱冷房車         北爪 鳥閑
微笑みの半跏思惟像涼立てり       橋本  泰
琉金や重き衣装は天命と         平山 凛語
妹と来て父母の事盆の墓         橋本 光子
猫舌の猫にためしの日向水        尼崎 沙羅
























伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(94)
            
秋風や他郷めきたる常の路地

 〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行〉季節の微妙な変化を捉えた名作である。秋風が吹くと一気に別の世界にも連れていってくれるような気分になるものだ。もう半世紀以上前のことであるから今とは違ってしまったと思うが、京都に暮らしていた頃、五山の送火が終ると何となく秋の気配を感じたものである。送火が八月十六日で地蔵盆が八月二十三・四日だが、その一週間くらいで秋の風に変るのである。炎暑の中では景色を見るのも上の空であるが、秋風の中では自然と周囲に目配りができるようになる。店の看板や売っている食料品、雑貨店……町の様子が克明に目に入ってくる。見馴れた風景なのに新鮮に映る。気温が下ったことに加え、風に透明感が出てきているのである。掲出句は「他郷めきたる」に意外性があるのではないかと思っている。見馴れた路地で一瞬、あれここは何処だったのかと戸惑うことがあるが、それは秋風のせいなのである。

鱈割いて貪婪の腹さらけ出す

 信州で育った頃鱈をよく食べた、というと不思議に思う人もいるだろうが、それは大鱈を割いて平らに拡げて干した塩鱈である。焼くと真白な塩が浮き出るのだが、これが実に旨い。そういう食生活だったので信州人は脳溢血が多かったのである。塩をしないで棒状に干したものが京都人の好む棒鱈で「いも棒」の材料である。生鱈では山形に「どんがら汁」がある。内臓ごとぶつ切りにして根菜類と合わせた味噌汁だが何とも豪快である。品の良い料理では軽く塩を打った昆布締めがある。手軽なものでは一塩の鱈を入れた湯豆腐もいい。鱈は古来このように日本の食生活を支えている勝れた魚である。鱈の字は見ての通り「雪」と縁がある。雪の降る日本海が漁場であること、その身が雪のように白いことから当てられた字である。それに反して実は貪欲な魚で幾らでも食べるので胴ははち切れんばかりに膨らんでいる。「鱈腹」である。まさに貪婪の腹をさらけ出しているのである。









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        













銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。







       










掲示板















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。

















主宰日録  

  

8月
 
 8月12日(土)
午後、「夕焼け酒場」にて、「第7回 銀漢亭の日」40数名来てくださる。三輪初子、村上鞆彦・礼奈一家、加茂一行さん……。清人さんが鰹、海鞘、つぶ貝などの気仙沼物を。私は4品ほど。るぴちゃんの「森伊蔵」一升瓶は圧巻。3句出し句会。

8月13日(日)
2日前から扁桃腺が腫れており、昨日から抗生物質服用。今日は少し気怠く、休養の1日。

 8月14日(月)、15日(火)
「銀漢」10月号の選句に入る。終日家。

  8月16日(水)
午後、宮澤と下高井戸を散策。東急世田谷線は久々。「皇庭餃子房」で昼飲み。その下の「鮮魚三友」はいい魚屋。鮎11匹(あるだけ)、かますの干物5枚。岩牡蠣3箇などを買う。帰宅してそのまま酒盛りに。とっておきのイタリアの泡物2本空ける。

8月17日(木)
「あ・ん・ど・うクリニック」、薬局。18時、神保町ひまわり館にて「銀漢句会」。あと近くの中華店にて親睦会。

  8月18日(金)、19日(土)
10月号の選句稿、朽木直、大溝妙子、有賀理さんに送る。数句会の選句。

8月月20日(日)
「彗星集」の選句選評を理恵さんに送り、10月号終了。「三丁目の夕日」の「昭和の歳時記」のエッセイ、政さんへ送る。到来の茗荷山盛りの薄切りを卵とじ。鯛の兜と牛蒡の炊き合せ。

8月21日(月)
伶輔君、桃子の2人、インフルエンザ。隔離。俳人協会の「新鋭俳句賞」の選考に入る84編あり。

  8月22日(火)
11時、下北沢の喫茶店にて「NHK俳句」の浦川聡子さんと来年2月号の「復活銀漢亭」の企画打ち合わせ。積もる話もあり。14時、神保町ひまわり館。「萩句会」の選句。四方山話など。あと武田編集長と餃子屋で小酌。松山、奈良の旅の打合わせなど。

 8月23日(水)
鯛の兜煮の煮汁で卯の花。焼きそばも作っておく。甲子園大会、慶応高校優勝!

8月24日(木)
到来の玉蜀黍15本、ラップしてレンジに。11時発行所。9月号の発送を手伝う。日本橋に出て「三菱倉庫・江戸橋歴史展示ギャラリー」を訪ねる。あとスタバで作句、読書。銀座へ歩く。途中、鈴木真砂女の「卯波」跡を探してみる。ビルの一角に「幸稲荷」が祀られてあり、多分、その辺り。17時、「銀座ライオンビル」の「かこいや」。気仙沼の畠山重篤先生上京とて、清人さんの提唱で囲む会。10数名。大島の一砂さんも来られる。あと清水旭峰先生の馴染みの店「花組」に8人ほどで二次会。

8月25日(金)
終日家。調べ物など。作句も。

 8月26日(土)
11時、日本橋「日本料理 吉」、「纏句会」9人。あと5人で小酌。喫茶店で読書あと、16時過、杏一家が高円寺の阿波踊を毎年、見物しており、席を取ってあるからと誘ってくれる。17時から20時迄、次々に練り歩く。新宿で小酌して帰る。

8月27日(日)、28日(月)
T氏、M氏の句集稿点検、返却。調布の俳句講話の下調べ。江戸時代の俳人達について。家族出払っている。

 8月29日(火)
10時、北村皆雄監督の新宿の事務所にて伊那の「千両千両井月さんまつり」の打合せ。盤水先生の命日。14四時、高幡不動の墓前に清人さんと待ち合わせて墓参。あといつものうどん屋(昔は蕎麦屋だったが経営者が替わった)でおでん、肉豆腐で酒盛り。親父さんが俳句に興味ありとて16時過ぎ迄歓談。

8月30日(水)
講演の下調べなど。一昨日から桃子夫婦、伶ちゃん白山登山。石川県の広告の映画撮影。

 8月31日(木)
9時のバスにて伊香保温泉。3回目か。石段を上まで登り、露天風呂に浸る。15時、「ホテル天坊」へ。「第28回夢二忌俳句大会」の選者。前夜祭の5句出し句会。「銀漢」から5人活躍! 宴会での陶句郎さんの女装は凄みあり。あと部屋で小酌。

9月

 9月1日(金)
「ホテル天坊」の湯は透明。石段街は茶色の違いあり。今日も快晴。「銀漢」3人がこちらへ向かっていると。9時、バスにて榛名湖畔の夢二のアトリエ、花野吟行、松虫草、女郎花などふんだん。戻って3句出し句会。パネルディスカッションなど。16時終了後、清人車にて一斗、政、井蛙、麦で嬬恋村へ。「野びろう」にて柴山つぐ子さん句集『つまこひ』の祝いの会。北軽井沢句会から9人来て下さる。宇内さん経営のロッジ「梟」泊。

 9月2日(土)
9時半、柴山つぐ子家へ。朝食を準備して下さる。山﨑ちづ子、佐藤栄子さんの心尽くしの料理沢山。また、野菜、菓子などの土産を持ちきれない程用意して下さる。昼、出発。麦さん希望の妙義神社を参拝。北朝霞駅にて解散。雑用多数。

 9月3日(日)
来週の伊那の「千両千両井月さんまつり」の小講演の準備。レジメ一枚作る。「銀漢」10月号の校正作業。

9月4日(月)、5日(火)、6日(水)
ずっと家。松山の講演会の準備、調布の俳句講話の準備など。終日机にへばり付いている。3日間酒抜く。

9月7日(木)
少々、気になる事あり、「あ・ん・ど・うクリニック」。血液検査など。

 9月8日(金)
昼前の中央高速バスにて伊那へ。伊那部宿などを散策。17時過、「門・やません」。伊那の守屋明、坂下昭、中山中さん、有賀理、谷口いづみ、伊藤政、堀切克洋、北村監督、平沢、宮下、今泉さんぱらぱらと集い歓談。高校同期で「湯島句会」の生みの親、「銀漢」発足時に支援してくれた松崎逍遊(文和)君逝去の報受く。「伊那パークホテル」泊。

9月9日(土)
9時、「いなっせ」の楽屋で同人で伊那中央病院副院長の中山中さんが携帯用の超音波検査機で検査してくれる。胆管に異常あり。シンポジウムなど終えてバスにて帰京。途中、会員の清水旭峰医師と連絡を取ると、順天堂医院の夜間緊急外来へ直行されたしと。21時過ぎに入り、夜中2時位まで検査。清水先生、最後まで付き添って下さる。

9月10日(日)
日曜日にて病院は静か。桃子が着替えなど持ってきてくれるが、面会は不可。数句会の選句や来週の予定キャンセルの連絡など。

9月11日(月)
担当医師団三先生と挨拶。採血他。超音波検査。11月号の原稿を、まほ、理恵、飛露さんに送る。

9月12日(火)
絶食。MRI、内視鏡検査。

9月13日(水)
昨日の内視鏡検査で胆汁を通してくれたと。レントゲン検査。昼ごはん有難くいただく。

9月14日(木)
肺活量の検査。身体の黄色味が落ちてきている。
〈豊年や吾は老残の黄金仏〉

9月15日(金)
採血。負荷心電図検査。ORIX時代の部下から電話あり。皆が1度、私を囲んで同窓会をしたいが都合はどうか? と。こんな時に不思議である。35年前の部下達。27人の大部隊であった。(その後検査入院は無事に退院)。















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2023/11/21撮影  姫蔓蕎麦     HACHIOJ





花言葉    「愛らしい」「気が利く」「思いがけない出会い」



△姫蔓蕎麦
ヒマラヤ原産。日本にはロックガーデン用として明治時代に導入された多年草。花はピンク色で、小さい花が球状に集まった金平糖のような形をしている。近縁に白い花のツルソバ(蔓蕎麦)がある。花も葉もソバ(蕎麦)に似ていることからの命名。Wikipedia


オオモクゲンジ 楓の翼果 冬桜 茶の花 溝蕎麦
ネナシカズラ ムラサキゴテン ヤクシソウ ツワブキ 姫蔓蕎麦






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20223/11/23








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