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12月号 2022年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 [ 今月の目次銀漢俳句会/2022/12月号
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京都の六波羅蜜寺の空也念仏踊を見ることができるというので、先年の年末訪ねた。住職と数人の僧が踊りながら本堂に輪を描いて巡る。単調な踊だが、千年にわたって伝承していることに奥床しさを感じたものである。空也は常に市井にいて、貴賤を問わず口称念仏の布教を展開した。句の「いつか殖えゐる」には救われた信者の数にも重なってくるようだ。空也忌の旧暦十一月十三日はこの寺から奥州布教に旅立った日である。(平成五年作『曉紅』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選新涼や森のやうなる書肆に居て 本庄 康代
蔓曳けば網曳くごとく真葛原 伊東 岬
闘はぬ海賊船の生ビール 日山 典子
数式がページを跨ぐ夜長かな 堀切 克洋
龍淵に潜む釣人糸を垂る 中村 孝哲
筆勢の強さ弱さも大文字 山田 茜
巫女舞ふや色なき風に色となり 高橋 透水
精霊舟俗世三日を後にして 笠原 祐子
黍嵐鶏舎の中の雀どち 小野寺清人
蕎麦の花咲く井月のお墓かな 大野田井蛙
出番待つ星や羊や聖夜劇 宮本起代子
戦争を知らぬ子老ゆる敗戦忌 三代川次郎
貼り替へし障子に遠き波の音 伊東 岬
赤ん坊にくびれのいくつ豊の秋 坂口 晴子
帰省子の足音二階歩くたび 三代川次郎
秋晴や高く積まるる下駄の木地 中野 智子
獅子吼して野分を送る越の海 上野 三歩
阿保なれど由緒正しき阿波踊 大田 勝行
独り言つけふも幾度火の恋し 半田けい子
背伸びしてとれば零余子のまた零る 森崎 森平
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伊藤伊那男・選
思えば正岡子規が火種を育てた近代の俳句は、虚子が大きな山脈に育てた、という事になろう。我々はその系譜の裾野に居る。子規は業病を抱えた半生の中で、まさに火吹竹で火を煽った感がある。私は丁度子規の倍の年齢を生きている。この作者はもう少し多く……。この句の「俳諧」には、「徘徊」へ通じるおかし味も伴う。折しも作者の句集『つまこい』が出版されたことを祝福する。 |
「羽抜鶏」は夏の季語。冬の羽から夏の羽に抜け代わるのだが、生え揃うまでの間、みすぼらしい姿を見せるのである。句は「羽搏きをしてゐるつもり」が何とも面白い。風切羽まで抜け落ちるのであるから一層哀れである。 |
信州でも諏訪地方はとりわけ寒い。町の底にある諏訪湖が結氷するのであるから一口に言えば、冬は冷凍庫の中で暮らしているようなものである。この句はまだ秋の景であるが、鍋のような盆地の下にこずんだ朝霧が、まるで鍋蓋のように見えたというのだ。諏訪の地形を的確に詠み取っている秀逸。なお「湖」の字は実は「うみ」とは読めないのだが、私は歴史的に見て、琵琶湖と諏訪湖については「うみ」と詠んでもいいのではないか、と思っている。気になる場合は「あはうみ」とか「諏訪のうみ」とすればいい。 |
無駄な修飾が一切無く、極めて上質な写生句である。見たままを詠んでいるのだが、読後に深い印象を残す。気持の良い抒情も残る。「影を被せて」に控え目に、しかししっかりと作者の個性、心情が入っているのである。 |
前出の上田裕句が写生句の典型とすると、この句は写生の基本を守っているけれど、より抒情の要素の多い句ということになる。「霧汲むやうに」の比喩表現がそれである。前者が高野素十的、後者は水原秋櫻子的と言えようか。 |
リフレインの効いた「畳句」。「影」「踏」が繰り返されているのだが、決してくどさが無く、むしろ心地良い余韻が生じているようだ。読者が確かにそうだ、自分では詠めなかったところを詠んだ句だ、と思える句なのである。同時出句の〈源流は男女川とも天の川〉もうまい。「みなのがわ」という筑波山に発する歌枕を生かした名作。 |
昭和の時代の茶の間である。折畳みのできる卓袱台。畳んで片付けたら寝間になる。その卓袱台を簞笥のすき間に入れた、というところが泣かせ所である。ここが俳諧味、大事な所である。「夜の秋」は秋の季語ではなく、晩夏の季語。どことなく秋の気配が出てきたという微妙な季感で、絶妙な取合せであった。 |
しみじみと心に響く句である。母か父か、あるいは夫であるか、遠い昔に出した自分の葉書を大事に仕舞っていて、遺品の中から出てきたというのである。親族の心の優しさ、そして作者の深い感謝の思いが混然とした名作。 |
郷里に帰って転た寝をしたのである。故山はふるさとの山である。その山々が衝立のように自分を守ってくれるという百万の味方を得たような比喩なのである。こんなに安心、安全な三尺寝はなかろう。 |
引込線とは本線から工場や港などに引き込んだ線路で、無機質なものである。それがこの句では美しく詩に昇華している。「夕焼の中へ入る」が豊かな感性である。 |
正岡子規の妹、律は実に気丈に兄を支えたのである。時に病床の子規の怒声を浴びながら。そんな律のことを知って作者はこんな妹がいたらな、と思う。とても叶わぬことであったが、来世こそ、と。こんな句が詠まれて、子規も律も幸せである。 |
京都鷹ヶ峰の光悦寺を美しく詠んだ。ここに本阿弥光悦が一族で芸術村を構えた。この天才の地だけに「時雨虹」が的確な斡旋。「山二つ」も地形を確と捉えている。 |
その他印象深かった句を次に。
シンデレラ嬢を宮殿の舞踏会に運んだのは南瓜の馬車。その童話を基に展開した楽しい句である。収穫した南瓜がとても馬車には向かない歪なもの、これはもう食べてしまうしかあるまい、と包丁を入れる。柔軟な発想がいい。同時出句の〈鶏頭を三本持てば松明に〉も松明の比喩がいい。 |
秋の蚊は残り蚊とも別れ蚊とも、蚊の名残ともいう。又溢れ蚊とも哀れ蚊ともいう。そんな蚊であるからついつい油断をし、また手加減をしてしまう。実は思いの外したたかなのであるが‥‥。そんな心理の出ている句だ。 |
鮎が落ちる頃であるから、空気も水も澄んでくる。その透明感を美しく詠みとめている。「家郷いよいよ」などというところも泣かせどころである。読者各々の故郷を思い出させるのである。 |
芋の葉に溜まった露の様子などをよく見ている句だ。葉の表面が滑らかなので徐々に集積して露が太っていく。そして風に吹かれて落ちる。その一部始終である。 |
これも芋の露。風が葉を揺らせて凹みの方へ露を寄せていくのだが、それを「風を手玉に」と捉えたところに独自性がある。 |
稲光が闇を照らすのだが、降っている雨脚までも明瞭に映し出す。そういう微細なところを観察しているところがいい。俳句は写生―、見たものを丁寧に詠み、人に伝達する能力を身に付けるのが基本。この姿勢がいい。 |
蜜柑の無い信州で育った私には羨望の果物であった。もったいなくてすぐに食べはしない。何度も握ったり香りを楽しんでから剝いたものである。この句は「文鎮として」がいい。机上で香りとその色を愛でているのだ。 |
この句の場合、どんな果物でもいいか、というとそうではない。肌理の細かい白桃だからこそ成立するのである。「吸ひこまれゆく」に白桃の特徴が捉えられている。同時出句の〈看板に一桁局番鰯雲〉も古い町の老舗の商家の様子が出ていて懐かしい。 |
思えば大人になってから口笛を吹くことはほとんど無くなってしまった。作者は虫時雨を聞いて、そう言えば、と吹いてみたのであろう。なかなか鳴らないものである。この句をみて私も吹いてみたが、鳴らない。 |
秋の野の草々はまさにこんな感じである。咲き始めたり終ったり‥‥。句にはどこか淋しさが漂っており「秋野かな」の詠嘆の締め方に味わいが深まる。 |
自分にしか解らない家の匂というものがあるものだ。帰省して居間に大の字になって寝ると「ああ吾が家だ」と嗅覚から実感するのである。いいところを詠んだ。 |
伊香保という温泉のその地形を誰もが解っているのだが、このようには詠めなかったように思う。抑えの「処暑」という、新涼も間近という季感もいい。同時出句の〈蓮の葉や不忍池を持ち上げて〉は大胆な断定だが、なるほどと納得できるいい発想である。 |
「剪定」は春の季語だが、「松手入」は秋の季語。実見すると松葉の一つ一つまでに手を入れ、摘み取っていたりと繊細な作業である。名のある松ならばこの句のようにたっぷりと時間がかかるのであろう。 |
伊那男俳句 自句自解(83) 神田川見ゆる下宿のなめくぢり
作詞喜多條忠、作曲南こうせつの、かぐや姫の歌う「神田川」は、カラオケでの私の数少ない持ち歌の一つである。学生時代のヒット曲だと思い込んでいたのだが、今回調べたところ、昭和四十八年のリリースだという。ということは、私が就職して二年目、京都時代のことである。当時はまだカラオケの機械は無く、歌うときの伴奏は酒場を巡回してピアノやギターを弾く、アルバイトの「先生」達であった。私は残念ながら、あの歌詞にあるような女性との思い出は持っていない。ただし三畳一間の下宿とか銭湯の思い出はある。当時の東京の下宿代は一畳千円が相場で、四畳半で四千五百円。だいたい木造平家か二階建てで、真中に廊下が通っていた。台所と便所は共有である。電話は大家さんのところにあり、緊急な場合に取り次いでくれる。そんなことを思い出させてくれる歌である。句は「蛞蝓」の題詠だったのだと思う。「神田川」の歌がもたらせてくれた句である。 妻今宵月の兎と遊ぶならむ
妻が死んでから、かれこれ十七年の歳月が流れた。月日というものは悲しみを和らげてくれるもので、妻には申し訳ないが、あの前後の痛切な気持は遠のいて、淡々とした思い出の一つになっている。人の世はそうしたものなのだという諦念なのであろうか。さて、この句は妻が死んだ年の仲秋の名月の嘱目。『竹取物語』の頃から日本人が思いを託してきた月に、ふとこんな幻想を抱いたのであった。同じ頃の句に〈盆用意妻の残せし犬洗ひ〉がある。妻が可愛がっていたヨークシャーテリアの「バニラ」と暮らしていた。私は居酒屋稼業で昼頃には出て夜中に戻る生活なので、バニラは淋しく暮らしていたはずである。なかなか細やかな世話はできず、せめてもと盆前に丁寧に洗ったのであった。この年のもう少しあと〈戒名の妻呼び露の世とおもふ〉と偲んだが、だんだん妻を詠むことは無くなっていった。決しておろそかにしているわけではないのだが……。 |
9月 9月14日(水) 9時半、亀有駅。伊那北会。歩いて青戸にある葛西城跡。中川の洲の浮城で、環七の工事中に発見されたもの。高砂橋を渡り、柴又。矢切りの渡しを越えて国府台合戦の地。また里見公園になっている国府台城跡を巡り、弘法寺、真間の手児奈の故事を巡って終了。市川の「朝日屋」という食堂で乾杯。肴佳。あと昔ながらのカラオケスナック。帰路、新宿思い出横丁に……。 9月15日(木) 昼、神保町の郵便局にて「銀漢」の資金移動。13時、発行所にて柴山つぐ子句集の校正、構成についての打合せ。武田禪次、花果、我部敬子さんと。14時近くまで。伊那で入手の茸(じこぼう)と里芋炊き合わせ。茗荷の卵とじなど。明日の俳句講話のまとめ。 9月16日(金) 調布市の俳句講座、14時から16時。杉田久女。今日で5回目。聴講生30人くらいに増えていると。宝田氏より来年も継続の要請あり。竹内洋平夫妻などと小酌。あと居酒屋を梯子。帰宅して孫用にビーフシチューを仕込む(昨日、すね肉を買ってある)。 9月17日(土) 「大倉句会」「十六夜句会」合同吟行会で、13時、青物横丁駅集合。14名。山内容堂の墓。立会川の龍馬像、鈴ヶ森など、旧東海道に沿って大森海岸まで。品川に戻って居酒屋にて5句出し句会と親睦会。あともう一軒。 9月18日(日) ほぼ終日雨。大型台風接近中。明日の「夕焼け酒場」の買物と一部仕込み。柴山つぐ子句集の序文3,000字位の荒書きをする。 9月19日(月) 14時から、谷中「夕焼け酒場」にて「銀漢亭の日・鮪祭」、17名か。事前出句3句の句会。清人さんと調整。19時半位までか?記憶不確か。酩酊。 9月20日(火) 2日酔い。終日台風の余波。「俳句てふてふ」へ「俳人の風景」3枚送る。 9月22日(木) 「銀漢」11月号の選句続く。久々、祖師ヶ谷大蔵駅前の海苔の「高橋茶舗」。何軒かに送る。自宅用も。伶ちゃんコンサートで京都。夕食は孫2人にてステーキとサラダ用意。 9月23日(金) 午後、手がすいたので新宿の書店。あと、「思い出横丁」の鰻の串焼きの「カブト」、あと、餃子屋、あと寿司屋と梯子。ちょっと飲み過ぎたか……。 9月25日(日) 午前10時25五分、本駒込の「東洋文庫ミュージアム」。「十六夜句会」の面々。桂説子さんのつてで、専務理事の杉浦康之氏から、東洋文庫の歴史や収蔵品、今回の展示内容など一時間ほど講義を受ける。あと見学。昼は文庫内のレストランでパスタ。あと久々、六義園。「江戸川橋地蔵通り商店街」を散策。「陀羅尼助丸」入手。中華店で歓談。あともう一軒。 9月27日(火) 今日も快晴。ここ4、5日は選句続き、星雲集は大溝さん、銀河・綺羅星集は花果さん、直さんに分けて送る。午後、選後評書く。17時、谷中の「スナック雪月花」。小石さんがママさんの日で、その誕生祝いをするというので、井蛙、文子、ルピちゃんなど集まる。昼間連絡を取り合っていた読売新聞の歌壇俳壇欄担当記者・松本由圭さんともここで落ち合い、「俳句あれこれ」4回執筆の依頼受ける。 9月28日(水) 終日、机に張り付く。「彗星集」の選句、選評を書いて、11月号の執筆を終える。と、大溝さんから12月号の投句届く。 9月29日(木) 13時より、田町の専売ホールにて「三田俳句会」。出席37人。欠席投句42人。終了後、行方、禪次氏ほかと「駒八」で酒盛り。 9月30日(金) 「あ・ん・ど・うクリニック」。俳人協会岡山支部へ講演会のレジメを送る。「三丁目の夕日」十二月号へエッセイ。「ここ滋賀」句会のミニ講話の資料作成。ベビー帆立と生姜を煮る。 10月 10月1日(土) 新年号用エッセイ一本。11時より上野「東天紅」にて佐怒賀正美主宰「秋」60周年記念祝賀会。あと寺澤和雄・太田うさぎさんと上野「英鮨」で昼酒。行きも帰りもうたた寝で乗り越し。 10月2日(日) 15時から日本橋の「ここ滋賀」にて「俳句てふてふ」の句会、11人。あと有志で一献。 10月3日(月) 富士急ハイランドバス停に昼着。高部務氏の迎えを受ける。「彩花」という吉田うどんの店で昼食。沿道で雑茸数種入手。高部山荘に入る。夜、茸のすき焼きで歓談。第六四回「奥の細道 羽黒山全国俳句大会」の選句(応募句650句ほど)。 10月4日(火) 山の空気は爽快。高部氏はゴルフ。私はウッドデッキで羽黒山俳句大会子供の部(応募1,700句弱)の選句など。唐松が散る。調布の講座の水原秋桜子について調べに入る。夜、富士急ハイランドホテルで和食。戻って歓談。22時、別棟へ戻る。 10月5日(水) 8時近くまでゆっくり眠る。ウッドデッキで朝食。10時過ぎ、忍野八海へ送ってもらい別れる。雨となる。1時間ばかり散策してバスで富士山駅に出て、今回は高速バスに乗って新宿へ戻る。「思い出横丁」で1人の打上げ。 10月6日(木) 羽黒山に選句稿FAX。「銀漢」11月号の校正作業。数句会の選句。終日家。夜、旅で入手のほうとう鍋。南瓜、じゃが芋などふんだんに。孫に好評。 10月7日(金) 10時半、前橋駅集合。伊那北会。前橋城跡へ。といっても群馬県庁などの官庁街で僅かに本丸の土塁などを残すのみ。臨江閣、東照宮。群馬県庁の展望ホールから利根川を見る。前橋ハリストス正教会、酒井家の墓所の龍海院など半日、雨の中を巡る。15時、酒場が無く、「天然温泉ゆ〜ゆ」という日帰り温泉のレストランに潜り込み打ち上げ。帰路、大宮で下車し駅前の「いづみや」で飲み直してお開き。新宿でちょっと飲み、また乗越し……。 10月8日(土) 「銀漢」11月号の校正稿を武田編集長に送る。数句会の選句。 10日9(日) 初等部運動会とて、家族出払う。読売新聞の歌壇俳壇のコラム「俳句あれこれ」に1本送る。4回連載。15時頃、家族戻り、酒盛りとなる。酔って早々に寝る。 10月10日(月) 調布の次の講話。水原秋桜子の調査。岡山の講演会の準備。作句。 10月11日(火) 快晴。久々、農家の野菜買いに。処理が大変。白菜のつまみ菜は油揚げと炊く。獅子唐はジャコ炒め。インゲン・モロヘイヤは茹でてストック。結局昼まで台所。午後、神保町の郵便局「銀漢」の振込用紙の印刷依頼。喫茶店で作句など。夜、発行所にて「火の会」11人。あと「魚勝」で小酌。 10月12日(水) 読売のコラム、趣旨合わずとて、書き直す。「銀漢」12月号の自句自解他執筆 |
△ポインセチア 「ポインセチア」という名前は、アメリカ初代駐メキシコ大使であるポインセット氏の名前にちなんで名付けられました。日本には明治時代に伝わり、「猩々木(しょうじょうぼく)」という和名で呼ばれていましたが、現在ではこの和名はほとんど使われていません。 |