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 12月号  2022年

伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  
銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句





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今月の目次










銀漢俳句会/2022/12月号

   






      
    






 









銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎伊那谷の食べ物
 今年は井上井月誕生二百年という。伊那市で「一茶と井月」の題で講演をした。が、今回は俳句の話ではない。終わったあと、飯田線でトコトコと四十分ほど走って、密かに目的の一つとしていた、辰野町の鯉料理専門店を訪ねた。天竜川のほとりのこの店には大きな生簀がある。鯉の洗い・鯉のうま煮・鯉濃(こく)(味噌汁)を頼んだ。酒はこの町の銘酒「夜明け前」。折しも仲秋の名月の当日であり、何とも至福のひとときであった。伊那市に戻って、とある酒場に寄ると、突き出しに小鮒の甘露煮が出てきたのには、思わず感涙するところであった。伊那谷の秋祭の頃には欠かせないもので、田圃の水で育て、落とし水と共に収獲したものである。せいぜい二㎝位の小鮒で、はらわたのかすかな苦味が旨いのである。伊那谷には、ざざ虫・蝗・蚕のさなぎなどの甘露煮もあるが、昆虫食の話をすると偏見を持たれそうなので今回は省くこととする(もっとも過去に何回か書いてしまっているが……)。
 伊那市には「ローメン」、駒ヶ根市には「ソースかつ丼」がある。ローメンは昭和三十年頃、満洲帰りの人が、羊毛を刈り取ったあとの羊肉の利用を考えたのが由来だという。焼きそばと汁そばの二種類がある。当初は炒め麺(チャーメン)と肉(ロー)を併せて、チャーローメンと呼んだようだが、いつしか「ローメン」と省略された。
「ソースかつ丼」は昭和初期に誕生したと伝わる。丼のご飯の上に千切りのキャベツを敷き詰め、独自のウスター風ソースに浸した豚カツ乗せたもの。我々はカツ丼とはそういうものだと信じ込んでいて、上京してカツ丼を食べたとき、その違いに驚いたものだ。伊那谷では今も一般的なカツ丼のことを「煮カツ」と呼んで区別しているのである。
 塩烏賊というものがある。するめ烏賊を茹でて塩を詰めたもので富山県などから運び込んだ保存食である。塩抜きをして胡瓜などと合わせる。銀漢亭を開いた頃、製造元の一つに注文をした。支払い方法を問うと「伊那出身の人なら心配しません。いつでもいいです」と送ってくれた。
 五平餅というものがある。平たい串に半殺しにしたご飯を聖徳太子が持っているような(へい)の形に固めて焼くのである。これに季節によって山椒の芽・胡桃・胡麻などと合わせた甘味噌を塗って更に焼く。ハレの食べ物である。
 その他、塩鰤の酒粕煮、辛味大根と焼き味噌の汁で食す高遠蕎麦、馬刺、様々な漬物、茸……ときりがない。
 久々の帰省でついつい懐かしい食べ物の話になってしまった。












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 


空也忌のいつか殖えゐる星の数        皆川 盤水
 
京都の六波羅蜜寺の空也念仏踊を見ることができるというので、先年の年末訪ねた。住職と数人の僧が踊りながら本堂に輪を描いて巡る。単調な踊だが、千年にわたって伝承していることに奥床しさを感じたものである。空也は常に市井にいて、貴賤を問わず口称念仏の布教を展開した。句の「いつか殖えゐる」には救われた信者の数にも重なってくるようだ。空也忌の旧暦十一月十三日はこの寺から奥州布教に旅立った日である。(平成五年作『曉紅』所収)
    







 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

新涼や森のやうなる書肆に居て         本庄 康代
蔓曳けば網曳くごとく真葛原          伊東  岬
闘はぬ海賊船の生ビール            日山 典子
数式がページを跨ぐ夜長かな          堀切 克洋
龍淵に潜む釣人糸を垂る            中村 孝哲
筆勢の強さ弱さも大文字            山田  茜
巫女舞ふや色なき風に色となり         高橋 透水
精霊舟俗世三日を後にして           笠原 祐子
黍嵐鶏舎の中の雀どち             小野寺清人
蕎麦の花咲く井月のお墓かな          大野田井蛙
出番待つ星や羊や聖夜劇            宮本起代子
戦争を知らぬ子老ゆる敗戦忌          三代川次郎
貼り替へし障子に遠き波の音          伊東  岬
赤ん坊にくびれのいくつ豊の秋         坂口 晴子
帰省子の足音二階歩くたび           三代川次郎
秋晴や高く積まるる下駄の木地         中野 智子
獅子吼して野分を送る越の海          上野 三歩
阿保なれど由緒正しき阿波踊          大田 勝行
独り言つけふも幾度火の恋し          半田けい子
背伸びしてとれば零余子のまた零る       森崎 森平







     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選


新涼や森のやうなる書肆に居て        本庄 康代
 「森のやうなる」の比喩が実にいい。思えば本というものは紙でできており、紙は木材から作られているのであるから書店は濃密な森林である、と言ってもよいことになる。新刊本の積み上げられた書店であればまさに「新涼」の気分である。前述の、本は木でできているという理屈はさておいても、新刊本の色彩の瑞々しさや爽やかな匂いを想起するだけで十分である。新鮮な感覚の句であった。
 
蔓曳けば網曳くごとく真葛原         伊東  岬
 葛は可憐な花を咲かせるけれど、生命力が強く、あっという間に山野を覆う。電柱にも這い上るので鉄道輸送にも障害が出ることがある。緑の怪獣とも言われている。ただし根からは葛粉が取れるので功罪半ばするところである。この句は葛の蔓を曳くとざわざわと葉擦れがして、まるで漁の網を引くようだという。蔓が絡まっているので木々を騒がせることになる。これを「網曳くごとく」とたとえたのが手柄である。

闘はぬ海賊船の生ビール           日山 典子
愉快な句である。箱根の湖などに浮かぶ海賊船の一景であろう。この船で生ビールを飲む。本来は戦うための船が観光に擬せられているのだが、飲む方も少しく錯覚を覚えたのであろう。この喰い違いが面白いのだ。 

数式がページを跨ぐ夜長かな         堀切 克洋
 数学というか算数は、植木算だったか鶴亀算あたりで理解不能となった私としては想像が難しい句である。数式が隣のページにまで伸びるというのであるから難解である。しかも夜長の時期であるというから、延々と続くのであろう。百円からのお釣りにも戸惑う私としては困った句ということになる。
 
龍淵に潜む釣人糸を垂る           中村 孝哲
中国の故事に「竜は春分にして天に昇り、秋分にして淵に潜む」とある。秋の澄んだ水には竜が潜んでいるように思えるというのだ。その川に釣人が糸を垂れている。釣人は何も知らないけれど、何かが起こりそうな、静けさゆえに胸騒ぎのするような情景である。なお「竜」が正字で「龍」は国字であることを知っておくといい。 

筆勢の強さ弱さも大文字           山田  茜
 何度も京都の大文字を見ている。私は筆順と違う火勢、というような句を詠んだことがあるが、この句は火勢の強弱を「筆圧」にたとえたもので、いい発見である。

巫女舞ふや色なき風に色となり        高橋 透水
 秋風裡に舞う巫女の緋衣を美しく描き出した。

精霊舟俗世三日を後にして          笠原 祐子
 祖霊がお盆に戻る三日間。濁世も捨て難いもの。

黍嵐鶏舎の中の雀どち            小野寺清人
  黍嵐の音の激しさに雀が鶏舎に避難。珍しい景。

蕎麦の花咲く井月のお墓かな         大野田井蛙
 井月の日記には蕎麦がよく出る。墓の周囲も蕎麦畑。

出番待つ星や羊や聖夜劇           宮本起代子
端役であっても真剣な緊張感で臨む出番待ちである。 

戦争を知らぬ子老ゆる敗戦忌         三代川次郎
  まさに私の世代。戦争の無い七十年の奇蹟に感謝。

貼り替へし障子に遠き波の音         伊東  岬
 新しい障子の貼り具合が太鼓の皮のようだ。

赤ん坊にくびれのいくつ豊の秋        坂口 晴子
乳の足りている赤ちゃん。充足した豊の秋である。

帰省子の足音二階歩くたび          三代川次郎
逞しい帰省子の様子を二階の足音で知る。

秋晴や高く積まるる下駄の木地        中野 智子
 何とも爽やかな一景。「秋晴」の季語の斡旋の良さ。

獅子吼して野分を送る越の海         上野 三歩
 日本海へ押し出された台風。十分な臨場感。

阿保なれど由緒正しき阿波踊         大田 勝行
あの踊の自由自在さは厳しい訓練の結果。 

独り言つけふも幾度火の恋し         半田けい子
 「火の恋し」というけれど本当は「人恋し」であろう。

背伸びしてとれば零余子のまた零る      森崎 森平
むかごとはまさにこんな感じ。「背伸びして」がいい。











          


 






銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

岬馬見ゆる高きに登りけり       東京  飯田眞理子
山雨なか張りづめにして破れ傘     静岡  唐沢 静男
俳諧の裾野巡りて子規忌かな      群馬  柴山つぐ子
目立つほど不揃ひもなき棗の実     東京  杉阪 大和
秋爽の子規の部屋より素読声      東京  武田 花果
去ぬ燕二上山の残照に         東京  武田 禪次
秋日濃し名著もまじるぞつき本     埼玉  多田 美記
鬼やんま進まぬために翅つかふ     東京  谷岡 健彦
阿夫利嶺の水に鎮もる新豆腐      神奈川 谷口いづみ
流星や父と寝ころぶ物干し場      長野  萩原 空木
よく飛ぶや二百十日の爪切れば     東京  堀切 克洋
羽搏きをしてゐるつもり羽抜鶏     東京  松川 洋酔
しんがりは点呼の声の夏帽子      東京  三代川次郎















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

朝霧の落し蓋めく諏訪の(うみ)         長野  坂下  昭
手のひらの影を被せて蝗取る      東京  上田  裕
霧を来て霧汲むやうに水を汲む     東京  松代 展枝
影を踏み影を踏まれて踊るなり     東京  渡辺 花穂
卓袱台は簞笥のすき間夜の秋      埼玉  渡辺 志水
身にしむや遺品に褪せし吾の葉書    神奈川 久坂衣里子
吾が故山衝立として三尺寝       宮城  齋藤 克之
引込線ゆけば夕焼の中へ入る      埼玉  秋津  結
来世こそ妹欲しき獺祭忌        埼玉  池田 桐人
光悦寺山二つ結ふ時雨虹        東京  沼田 有希
よき音のまま風鈴を仕舞ひけり     神奈川 大野 里詩
塩の道途切れ途切れて葛の雨      東京  田中  道
門火焚く暫し二人の膝を折り      東京  辻  隆夫

贅沢は敵だ素敵だ終戦日        東京  飛鳥  蘭
鰯雲余生なほある志          宮城  有賀 稲香
一斉に原色走るヨットの帆       東京  有澤 志峯
青棗ひと粒毎の日のひかり       神奈川 有賀  理
吃水の浅き不漁の厄日かな       東京  飯田 子貢
朝露や昨夜の夢を早忘る        東京  生田  武
瀬の奥に深き淵あり下り鮎       東京  市川 蘆舟
早稲の穂の波をかき分け生家へと    埼玉  伊藤 庄平
迷惑と言はれながらも秋刀魚焼く    東京  伊藤 政三
嶋の道なべて浜路に盆の月       神奈川 伊東  岬
パイプ椅子並べ足したる施餓鬼堂    東京  今井  麦
刺子継ぐ手筒花火の焦げ跡を      埼玉  今村 昌史
身に沁むやマリアは胸にマリアの子   東京  宇志やまと
吾亦紅風に音階ありにけり       埼玉  大澤 静子
跨いでは又飛び越えし三尺寝      東京  大住 光汪
過失なき雨戸を責むる野分かな     神奈川 太田 勝行
花の名を子に教へつつ花野行く     東京  大沼まり子
鯉濃を啜る小上り菊日和        埼玉  大野田井蛙
神楽殿ときをり舞へり夏落葉      東京  大溝 妙子
偉丈夫の踊り手やさし風の盆      東京  大山かげもと
はじめからそんな色して吾亦紅     東京  岡城ひとみ
雨上り静寂を破る秋の蟬        東京  小川 夏葉
流星や鞄に闇を持ち歩く        宮城  小田島 渚
敬老の日の赤飯の甘納豆        宮城  小野寺一砂
水筒を逆さに干して八月尽       埼玉  小野寺清人
八月が去ぬ重きもの置き去りに     和歌山 笠原 祐子
苦瓜のそれぞれにある曲がりやう    東京  梶山かおり
裏庭に帰省の靴の裏がへる       愛媛  片山 一行
冷まじや蕭白の描く奇と悪意      東京  桂  信子
夕月夜摩耶にたなびく雲一朶      静岡  金井 硯児
虫の音に応へるやうに子の寝息     東京  我部 敬子
風見鶏ぎこぎこ狂ふ厄日かな      東京  川島秋葉男
熊楠の護りし森に蚯蚓鳴く       千葉  川島  紬
溜めてだす木犀の香よ胸に吸ふ     長野  北澤 一伯
国中に東京ばなな盆休         東京  絹田  稜
次の日の空の寂しき帰燕かな      東京  柊原 洋征
銀漢の尾へ水汲みの坂下る       東京  朽木  直
太刀魚の並びて刀狩の体        東京  畔柳 海村
山霧のけものの速さもて迫る      東京  小泉 良子
虚子庵の畳に残る暑さかな       神奈川 こしだまほ
鍬洗ふほどの流れや赤のまま      東京  小山 蓮子
秋燈を低く灯せり荒物屋        青森  榊 せい子
天の川家のくらきに置き薬       長崎  坂口 晴子
吾妻線行き止まりたる葛の花      群馬  佐藤 栄子
夕顔の実のすさまじき太り方      群馬  佐藤かずえ
城守る山の放ちし月今宵        長野  三溝 恵子
薄暗き葡萄棚出て甲斐の風       東京  島  織布
旅終へて直後その地の秋出水      東京  島谷 高水
どの音も鎮魂の音に原爆忌       兵庫  清水佳壽美
良夜かな歩が金と成る盤の音      埼玉  志村  昌
敬老の日のややぬるき朝湯かな     千葉  白井 飛露
金継ぎの李朝白磁に秋の声       神奈川 白井八十八
底紅や小唄の弟子は旦那衆       東京  白濱 武子
明易や病臥の一日又長し        東京  新谷 房子
語り部の言葉を繋ぐ終戦日       大阪  末永理恵子
鈴虫やあかりを落す母の部屋      静岡  杉本アツ子
閉ぢ癖の直らぬままに秋扇       東京  鈴木 淳子
大阿蘇の煙夜目にも天の川       東京  鈴木てる緒
礼服は専ら喪服老の秋         群馬  鈴木踏青子
絵葉書の一枚にある秋思かな      東京  角 佐穂子
秋の蝶オランダ坂に見失ふ       東京  瀬戸 紀恵
月光に明日着る服を揃へたる      神奈川 曽谷 晴子
東雲をぶつた切つたる稲光       長野  髙橋 初風
秋扇瘦せぬ体を扇ぎけり        東京  高橋 透水
つくづくと戒名を褒め盆の客      東京  武井まゆみ
敵に塩よくぞ霧濃き千国超え      東京  竹内 洋平
大山に夕闇せまり新豆腐        神奈川 田嶋 壺中
鉢の向き変ふ秋の芽を数へつつ     東京  多田 悦子
つばめ帰る私も帰る母の家       東京  立崎ひかり
珈琲のうまさ戻れり涼新た       東京  田中 敬子
石ひとつ遊女の墓標草の花       東京  田家 正好
楼蘭を埋めし砂塵星月夜        東京  塚本 一夫
長き夜に切り上げ時を見失ふ      東京  辻本 芙紗
小鳥来る記念切手の発売日       東京  辻本 理恵
つれづれに一人遊行の処暑の暮     愛知  津田  卓
炎天やじんわり縮む己が影       東京  坪井 研治
煙草のむ夜学教師に火を借りて     埼玉  戸矢 一斗
桃熟るる龍太の谷を越えゆけば     千葉  長井  哲
背泳の雲の流れを折り返す       大阪  中島 凌雲
葦叢に帰心寄せ合ふ秋燕        神奈  中野 堯司
蜩にまたせかさるる老い支度      東京  中野 智子
知盛のごと見飽きたと蛇穴に      東京  中村 孝哲
折鶴へ吹き込む息や原爆忌       茨城  中村 湖童
八方の風巻き入るる芭蕉かな      埼玉  中村 宗男
中秋節大き月餅分けて食ぶ       東京  中村 藍人
秋晴や静脈太き馬の頸         千葉  中山 桐里
陵は孤島のごとし鰯雲         大阪  西田 鏡子
人差指深爪をして厄日かな       埼玉  萩原 陽里
草に置く露ひとつづつ星宿す      東京  橋野 幸彦
すぐに泣く生御魂とはなられけり    広島  長谷川明子
夜の秋一つ覚えの一首かな       東京  長谷川千何子
満天に星飛ぶ故郷信濃かな       神奈川 原田さがみ
湿原の色なき風に身を置きぬ      兵庫  播广 義春
故郷へつづく空なり秋燕        東京  半田けい子
千社札の一隅はがす秋の風       東京  福永 新祇
はらからの星も混じらむ天の川     東京  福原  紅
戸毎の灯戸毎の闇に虫時雨       東京  星野 淑子
沖縄の修羅浴びて降る蟬しぐれ     東京  保谷 政孝
水澄みて母が生家の今は無く      神奈川 堀  備中
銀漢の尾を傾けり飛驒の峡       岐阜  堀江 美州
ひねもすを釣果は問はぬ鯊日和     埼玉  本庄 康代
風鈴や安曇野の風存分に        東京  松浦 宗克
川施餓鬼読経は風に途切れがち     神奈川 三井 康有
人生や花野に辿り着く途中       東京  宮内 孝子
太陽の塔稲妻を睨みをり        神奈川 宮本起代子
送火の点火に爆ずる京五山       東京  村田 郁子
蹲踞の水に影ある白露かな       東京  村田 重子
敬老の日の盃はなみなみと       東京  森 羽久衣
湧き水の音無き音や秋遍路       千葉  森崎 森平
島風の秋風鈴に音宿す         埼玉  森濱 直之
朝霧のなかに村里動きだす       長野  守屋  明
鳴らざれば指もて弾く鉄風鈴      愛知  山口 輝久
蟋蟀や荒れし社の力石         群馬  山﨑ちづ子
初鴨のまだ警戒の解けぬ距離      東京  山下 美佐
負けん気の赤にあらはる鶏頭花     東京  山田  茜
ゆつくりと舳先めぐらせ沖膾      東京  山元 正規

















銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

俳諧の裾野巡りて子規忌かな         柴山つぐ子
思えば正岡子規が火種を育てた近代の俳句は、虚子が大きな山脈に育てた、という事になろう。我々はその系譜の裾野に居る。子規は業病を抱えた半生の中で、まさに火吹竹で火を煽った感がある。私は丁度子規の倍の年齢を生きている。この作者はもう少し多く……。この句の「俳諧」には、「徘徊」へ通じるおかし味も伴う。折しも作者の句集『つまこい』が出版されたことを祝福する。


羽搏きをしてゐるつもり羽抜鶏        松川 洋酔
「羽抜鶏」は夏の季語。冬の羽から夏の羽に抜け代わるのだが、生え揃うまでの間、みすぼらしい姿を見せるのである。句は「羽搏きをしてゐるつもり」が何とも面白い。風切羽まで抜け落ちるのであるから一層哀れである。 


朝霧の落し蓋めく諏訪の湖(うみ)       坂下  昭
 信州でも諏訪地方はとりわけ寒い。町の底にある諏訪湖が結氷するのであるから一口に言えば、冬は冷凍庫の中で暮らしているようなものである。この句はまだ秋の景であるが、鍋のような盆地の下にこずんだ朝霧が、まるで鍋蓋のように見えたというのだ。諏訪の地形を的確に詠み取っている秀逸。なお「湖」の字は実は「うみ」とは読めないのだが、私は歴史的に見て、琵琶湖と諏訪湖については「うみ」と詠んでもいいのではないか、と思っている。気になる場合は「あはうみ」とか「諏訪のうみ」とすればいい。


手のひらの影を被せて蝗取る         上田  裕
無駄な修飾が一切無く、極めて上質な写生句である。見たままを詠んでいるのだが、読後に深い印象を残す。気持の良い抒情も残る。「影を被せて」に控え目に、しかししっかりと作者の個性、心情が入っているのである。 


霧を来て霧汲むやうに水を汲む        松代 展枝
 前出の上田裕句が写生句の典型とすると、この句は写生の基本を守っているけれど、より抒情の要素の多い句ということになる。「霧汲むやうに」の比喩表現がそれである。前者が高野素十的、後者は水原秋櫻子的と言えようか。


影を踏み影を踏まれて踊るなり        渡辺 花穂
 リフレインの効いた「畳句」。「影」「踏」が繰り返されているのだが、決してくどさが無く、むしろ心地良い余韻が生じているようだ。読者が確かにそうだ、自分では詠めなかったところを詠んだ句だ、と思える句なのである。同時出句の〈源流は男女川とも天の川〉もうまい。「みなのがわ」という筑波山に発する歌枕を生かした名作。


卓袱台は簞笥のすき間夜の秋         渡辺 志水
昭和の時代の茶の間である。折畳みのできる卓袱台。畳んで片付けたら寝間になる。その卓袱台を簞笥のすき間に入れた、というところが泣かせ所である。ここが俳諧味、大事な所である。「夜の秋」は秋の季語ではなく、晩夏の季語。どことなく秋の気配が出てきたという微妙な季感で、絶妙な取合せであった。


身にしむや遺品に褪せし吾の葉書       久坂衣里子
 しみじみと心に響く句である。母か父か、あるいは夫であるか、遠い昔に出した自分の葉書を大事に仕舞っていて、遺品の中から出てきたというのである。親族の心の優しさ、そして作者の深い感謝の思いが混然とした名作。


吾が故山衝立として三尺寝          齊藤 克之
郷里に帰って転た寝をしたのである。故山はふるさとの山である。その山々が衝立のように自分を守ってくれるという百万の味方を得たような比喩なのである。こんなに安心、安全な三尺寝はなかろう。 


引込線ゆけば夕焼の中へ入る         秋津  結
 引込線とは本線から工場や港などに引き込んだ線路で、無機質なものである。それがこの句では美しく詩に昇華している。「夕焼の中へ入る」が豊かな感性である。


来世こそ妹欲しき獺祭忌           池田 桐人
 正岡子規の妹、律は実に気丈に兄を支えたのである。時に病床の子規の怒声を浴びながら。そんな律のことを知って作者はこんな妹がいたらな、と思う。とても叶わぬことであったが、来世こそ、と。こんな句が詠まれて、子規も律も幸せである。


光悦寺山二つ結ふ時雨虹           沼田 有希
京都鷹ヶ峰の光悦寺を美しく詠んだ。ここに本阿弥光悦が一族で芸術村を構えた。この天才の地だけに「時雨虹」が的確な斡旋。「山二つ」も地形を確と捉えている。 


 その他印象深かった句を次に。

塩の道途切れ途切れて葛の雨         田中  道
門火焚く暫し二人の膝を折り         辻  隆夫
よき音のまま風鈴を仕舞ひけり        大野 里詩



















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

馬車になれぬ歪な南瓜切りにけり    広島  塩田佐喜子
手加減をして残り蚊を打ち損ず     東京  清水 史恵
鮎落ちて家郷いよいよ透きとほる    埼玉  深津  博
白露の身を膨らませつつ落つる     東京  北原美枝子
山よりの風を手玉に芋の露       栃木  たなかまさこ
稲光太き雨脚泛び出る         千葉  清水 礼子
香り立つ文鎮として青蜜柑       愛知  荻野ゆ佑子
白桃に吸ひこまれゆく刃先かな     埼玉  加藤 且之
むかしほど口笛鳴らず虫時雨      長野  中山  中
終はる花始まる花も秋野かな      群馬  北川 京子
寝転びて家の香を嗅ぐ盆休み      千葉  小森みゆき
どの店も坂の途中や伊香保処暑     埼玉  内藤  明
ひともとをひねもす二日松手入     福岡  藤田 雅規
目印は島の酒屋の大芭蕉        東京  山口 一滴
秋彼岸参りついでの揚饅頭       東京  桂  説子

波の音のさねさし相模秋澄めり     神奈川 横山 渓泉
酔眼に月二つある良夜かな       静岡  山室 樹一
会ひたくて眠る仏間や盆休み      千葉  園部あづき
広島の六日を胸に赤まんま       東京  小寺 一凡
還暦が米寿を祝ふ敬老日        東京  倉橋  茂
秋爽の白衣の波や大観音        東京  伊藤 真紀










星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

道端に光ころがる栗の毬        京都  秋保 櫻子
往き往けど木道沈め大花野       東京  尼崎 沙羅
震災忌語りし叔母も今はなく      愛媛  安藤 向山
太陽の塔の八方残暑なり        東京  井川  敏
電柵の囲ひの中に案山子かな      長野  池内とほる
木と蟬の腹との隙間空光る       東京  石倉 俊紀
高尾山天狗と猿が栗喰らふ       東京  一政 輪太
八月や亡き妻に来る誕生日       広島  井上 幸三
底紅の底なる紅の色深む        長野  上野 三歩
稔田や雲の溶けゆく熊野山       東京  上村健太郎
放屁虫鼻で覚えしこの季節       長野  浦野 洋一
木洩日に翅すきとほる秋の蟬      埼玉  大木 邦絵
夫入院眠れぬ夜の月明り        長野  岡村妃呂子
宗祇水流れる町の踊の輪        神奈川 小坂 誠子
初潮の満ち来たりけり大八洲      静岡  小野 無道
無造作に切りて抱ふる今日の菊     長野  唐沢 冬朱
秋扇あの汗搔きのわすれもの      愛知  河畑 達雄
ままならぬ日々旅心秋海棠       神奈川 河村  啓
吾の服今年案山子が皺伸ばす      愛知  北浦 正弘
報はれぬ努力もよろし石榴啜る     神奈川 北爪 鳥閑
頭ごと南無阿弥陀仏鰯食ぶ       東京  久保園和美
特急の過ぎて濃くなる草いきれ     東京  熊木 光代
雲厚き浅間晴るるや吾亦紅       群馬  黒岩伊知朗
上州の産は濃き味とろろ汁       群馬  黒岩 清子
流れ星落ちてきさうなネオン街     愛知  黒岩 宏行
かはほりの見せる威嚇のさかさまに   東京  黒田イツ子
鰺鯖のいづれに擬せむ秋の雲      神奈川 小池 天牛
飛び慣れて風を読み切る秋の蝶     東京  髙坂小太郎
聴き惚るる弦の昂る良夜かな      神奈川 阪井 忠太
在りし日の逸話を添へて盆見舞     長野  桜井美津江
とろろ汁故郷の訛ゆき交へり      東京  佐々木終吉
木道の濃き竜胆に足延ばす       群馬  佐藤さゆり
一人居へ水ももらさぬ良夜かな     東京  島谷  操
渡し舟速みつつ夏果てにけり      東京  清水 旭峰
人形の髪の乱れも残暑かな       東京  清水美保子
半眼の御仏を辞す小春かな       大阪  杉島 久江
寂寥や上枝の風の虚栗         東京  須﨑 武雄
秋扇微香の風となりにけり       岐阜  鈴木 春水

地蔵盆子らに微笑の地蔵かな      愛知  住山 春人
身を割りて命溢るる柘榴かな      埼玉  園部 恵夏
枝豆やひとりで摘む最後まで      東京  田岡美也子
湾にある山の勇姿や南洲忌       東京  髙城 愉楽
野分前飛びさうなもの皆仕舞ふ     福島  髙橋 双葉
切り傷に母のまじなひ吾亦紅      埼玉  武井 康弘
鰍突く見えざる影の危ふさへ      東京  竹花美代惠
吾子隠す答案用紙いわし雲       東京  田中 真美
天高し飛行機雲は空を分け       神奈川 多丸 朝子
当て処なき旅に誘ふ秋の声       広島  藤堂 暢子
仏壇のぶだうに残る日の温み      東京  中込 精二
駅中の花屋忙し敬老日         神奈川 長濱 泰子
駅出づる一歩の先に秋思かな      東京  永山 憂仔
壬生寺の地蔵を借りて地蔵盆      京都  仁井田麻利子
十六夜や金継の茶器蘇る        東京  西  照雄
応援に応へし打者や爽やかに      宮城  西岡 博子
横たはる御嶽山や虫の秋        東京  西田有希子
望の月琴の包みを解きけり       神奈川 西本  萌
白壁に物の影置く晩夏光        静岡  橋本 光子
たてがみに触れてみたしと芭蕉の葉   東京  橋本  泰
秋蒔きの種買ひ揃へ晴れを待つ     神奈川 花上 佐都
尾根ごとに藍深まりぬ秋の山      長野  馬場みち子
藪枯らし手繰りて藪の雨浴びる     千葉  針田 達行
芭蕉葉に流人の島の風激し       神奈川 日山 典子
走り蕎麦戸隠山は暮れ色に       千葉  平野 梗華
こほろぎや臥して一つの闇に居る    千葉  深澤 淡悠
大皿に故郷の葡萄子等を待つ      長野  藤井 法子
軒に干す佐渡の恋しき吊し柿      東京  牧野 睦子
一坪ほどなれど立派な芋嵐       東京  幕内美智子
水切りの石吹つ切れてさやかなり    東京  丸山真理子
西陣の機無き土間の螽斯        東京  水野 正章
俎板の紫紺の筋目秋茄子        愛知  箕浦甫佐子
仏壇の写真に似たる生身魂       東京  棟田 楽人
秋うらら世界遺産の切手貼る      宮城  村上セイ子
菊酒を酌み交はしたき夢の中      東京  家治 祥夫
通り雨仕立て下ろしの竹の春      東京  矢野 安美
お祭の湯気は炊立て栗おこは      群馬  山﨑 伸次
蠟燭が自動で点る盂蘭盆会       神奈川 山田 丹晴
名月の期待高まる夕日かな       群馬  横沢 宇内
爽やかや島の泡盛直売所        神奈川 横地 三旦
直売所大小混ざる衣被         千葉  吉田 正克
せみ塚の濃くなる蔭や秋の暮      山形  我妻 一男
脱け殻に微かに残る蟬の声       東京  若林 泰吉
立秋の風が歩けと背中押す       東京  渡辺 誠子






















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

馬車になれぬ歪な南瓜切りにけり       塩田佐喜子
 シンデレラ嬢を宮殿の舞踏会に運んだのは南瓜の馬車。その童話を基に展開した楽しい句である。収穫した南瓜がとても馬車には向かない歪なもの、これはもう食べてしまうしかあるまい、と包丁を入れる。柔軟な発想がいい。同時出句の〈鶏頭を三本持てば松明に〉も松明の比喩がいい。


手加減をして残り蚊を打ち損ず        清水 史恵
秋の蚊は残り蚊とも別れ蚊とも、蚊の名残ともいう。又溢れ蚊とも哀れ蚊ともいう。そんな蚊であるからついつい油断をし、また手加減をしてしまう。実は思いの外したたかなのであるが‥‥。そんな心理の出ている句だ。


  

鮎落ちて家郷いよいよ透きとほる       深津  博
鮎が落ちる頃であるから、空気も水も澄んでくる。その透明感を美しく詠みとめている。「家郷いよいよ」などというところも泣かせどころである。読者各々の故郷を思い出させるのである。 


白露の身を膨らませつつ落つる        北原美枝子
 芋の葉に溜まった露の様子などをよく見ている句だ。葉の表面が滑らかなので徐々に集積して露が太っていく。そして風に吹かれて落ちる。その一部始終である。


山よりの風を手玉に芋の露          たなかまさこ
 これも芋の露。風が葉を揺らせて凹みの方へ露を寄せていくのだが、それを「風を手玉に」と捉えたところに独自性がある。


稲光太き雨脚泛び出る            清水 礼子
 稲光が闇を照らすのだが、降っている雨脚までも明瞭に映し出す。そういう微細なところを観察しているところがいい。俳句は写生―、見たものを丁寧に詠み、人に伝達する能力を身に付けるのが基本。この姿勢がいい。


香り立つ文鎮として青蜜柑          荻野ゆ佑子
蜜柑の無い信州で育った私には羨望の果物であった。もったいなくてすぐに食べはしない。何度も握ったり香りを楽しんでから剝いたものである。この句は「文鎮として」がいい。机上で香りとその色を愛でているのだ。

 

白桃に吸ひこまれゆく刃先かな        加藤 且之
この句の場合、どんな果物でもいいか、というとそうではない。肌理の細かい白桃だからこそ成立するのである。「吸ひこまれゆく」に白桃の特徴が捉えられている。同時出句の〈看板に一桁局番鰯雲〉も古い町の老舗の商家の様子が出ていて懐かしい。 


むかしほど口笛鳴らず虫時雨         中山  中
思えば大人になってから口笛を吹くことはほとんど無くなってしまった。作者は虫時雨を聞いて、そう言えば、と吹いてみたのであろう。なかなか鳴らないものである。この句をみて私も吹いてみたが、鳴らない。 


終はる花始まる花も秋野かな         北川 京子
 秋の野の草々はまさにこんな感じである。咲き始めたり終ったり‥‥。句にはどこか淋しさが漂っており「秋野かな」の詠嘆の締め方に味わいが深まる。


寝転びて家の香を嗅ぐ盆休み         小森みゆき
自分にしか解らない家の匂というものがあるものだ。帰省して居間に大の字になって寝ると「ああ吾が家だ」と嗅覚から実感するのである。いいところを詠んだ。


どの店も坂の途中や伊香保処暑        内藤  明
 伊香保という温泉のその地形を誰もが解っているのだが、このようには詠めなかったように思う。抑えの「処暑」という、新涼も間近という季感もいい。同時出句の〈蓮の葉や不忍池を持ち上げて〉は大胆な断定だが、なるほどと納得できるいい発想である。


ひともとをひねもす二日松手入        藤田 雅規
「剪定」は春の季語だが、「松手入」は秋の季語。実見すると松葉の一つ一つまでに手を入れ、摘み取っていたりと繊細な作業である。名のある松ならばこの句のようにたっぷりと時間がかかるのであろう。

その他印象深かった句を次に

目印は島の酒屋の大芭蕉           山口 一滴
秋彼岸参りついでの揚饅頭          桂  説子
波の音のさねさし相模秋澄めり        横山 渓泉
酔眼に月二つある良夜かな          山室 樹一
会ひたくて眠る仏間や盆休み         園部あづき
広島の六日を胸に赤まんま          小寺 一凡
還暦が米寿を祝ふ敬老日           倉橋  茂
秋爽の白衣の波や大観音           伊藤 真紀






















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(83)         
  
神田川見ゆる下宿のなめくぢり

 作詞喜多條忠、作曲南こうせつの、かぐや姫の歌う「神田川」は、カラオケでの私の数少ない持ち歌の一つである。学生時代のヒット曲だと思い込んでいたのだが、今回調べたところ、昭和四十八年のリリースだという。ということは、私が就職して二年目、京都時代のことである。当時はまだカラオケの機械は無く、歌うときの伴奏は酒場を巡回してピアノやギターを弾く、アルバイトの「先生」達であった。私は残念ながら、あの歌詞にあるような女性との思い出は持っていない。ただし三畳一間の下宿とか銭湯の思い出はある。当時の東京の下宿代は一畳千円が相場で、四畳半で四千五百円。だいたい木造平家か二階建てで、真中に廊下が通っていた。台所と便所は共有である。電話は大家さんのところにあり、緊急な場合に取り次いでくれる。そんなことを思い出させてくれる歌である。句は「蛞蝓」の題詠だったのだと思う。「神田川」の歌がもたらせてくれた句である。

妻今宵月の兎と遊ぶならむ

 妻が死んでから、かれこれ十七年の歳月が流れた。月日というものは悲しみを和らげてくれるもので、妻には申し訳ないが、あの前後の痛切な気持は遠のいて、淡々とした思い出の一つになっている。人の世はそうしたものなのだという諦念なのであろうか。さて、この句は妻が死んだ年の仲秋の名月の嘱目。『竹取物語』の頃から日本人が思いを託してきた月に、ふとこんな幻想を抱いたのであった。同じ頃の句に〈盆用意妻の残せし犬洗ひ〉がある。妻が可愛がっていたヨークシャーテリアの「バニラ」と暮らしていた。私は居酒屋稼業で昼頃には出て夜中に戻る生活なので、バニラは淋しく暮らしていたはずである。なかなか細やかな世話はできず、せめてもと盆前に丁寧に洗ったのであった。この年のもう少しあと〈戒名の妻呼び露の世とおもふ〉と偲んだが、だんだん妻を詠むことは無くなっていった。決しておろそかにしているわけではないのだが……。






     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        











銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



 

        








掲示板












               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。















主宰日録  

  

9月

9月14日(水)
9時半、亀有駅。伊那北会。歩いて青戸にある葛西城跡。中川の洲の浮城で、環七の工事中に発見されたもの。高砂橋を渡り、柴又。矢切りの渡しを越えて国府台合戦の地。また里見公園になっている国府台城跡を巡り、弘法寺、真間の手児奈の故事を巡って終了。市川の「朝日屋」という食堂で乾杯。肴佳。あと昔ながらのカラオケスナック。帰路、新宿思い出横丁に……。

9月15日(木)
昼、神保町の郵便局にて「銀漢」の資金移動。13時、発行所にて柴山つぐ子句集の校正、構成についての打合せ。武田禪次、花果、我部敬子さんと。14時近くまで。伊那で入手の茸(じこぼう)と里芋炊き合わせ。茗荷の卵とじなど。明日の俳句講話のまとめ。

9月16日(金)
調布市の俳句講座、14時から16時。杉田久女。今日で5回目。聴講生30人くらいに増えていると。宝田氏より来年も継続の要請あり。竹内洋平夫妻などと小酌。あと居酒屋を梯子。帰宅して孫用にビーフシチューを仕込む(昨日、すね肉を買ってある)。

9月17日(土)
「大倉句会」「十六夜句会」合同吟行会で、13時、青物横丁駅集合。14名。山内容堂の墓。立会川の龍馬像、鈴ヶ森など、旧東海道に沿って大森海岸まで。品川に戻って居酒屋にて5句出し句会と親睦会。あともう一軒。

 9月18日(日
ほぼ終日雨。大型台風接近中。明日の「夕焼け酒場」の買物と一部仕込み。柴山つぐ子句集の序文3,000字位の荒書きをする。

 9月19日(月)
14時から、谷中「夕焼け酒場」にて「銀漢亭の日・鮪祭」、17名か。事前出句3句の句会。清人さんと調整。19時半位までか?記憶不確か。酩酊。

 9月20日(火)
2日酔い。終日台風の余波。「俳句てふてふ」へ「俳人の風景」3枚送る。

 9月22日(木)
「銀漢」11月号の選句続く。久々、祖師ヶ谷大蔵駅前の海苔の「高橋茶舗」。何軒かに送る。自宅用も。伶ちゃんコンサートで京都。夕食は孫2人にてステーキとサラダ用意。

9月23日(金)
午後、手がすいたので新宿の書店。あと、「思い出横丁」の鰻の串焼きの「カブト」、あと、餃子屋、あと寿司屋と梯子。ちょっと飲み過ぎたか……。

 9月25日(日)
午前10時25五分、本駒込の「東洋文庫ミュージアム」。「十六夜句会」の面々。桂説子さんのつてで、専務理事の杉浦康之氏から、東洋文庫の歴史や収蔵品、今回の展示内容など一時間ほど講義を受ける。あと見学。昼は文庫内のレストランでパスタ。あと久々、六義園。「江戸川橋地蔵通り商店街」を散策。「陀羅尼助丸」入手。中華店で歓談。あともう一軒。

9月27日(火)
今日も快晴。ここ4、5日は選句続き、星雲集は大溝さん、銀河・綺羅星集は花果さん、直さんに分けて送る。午後、選後評書く。17時、谷中の「スナック雪月花」。小石さんがママさんの日で、その誕生祝いをするというので、井蛙、文子、ルピちゃんなど集まる。昼間連絡を取り合っていた読売新聞の歌壇俳壇欄担当記者・松本由圭さんともここで落ち合い、「俳句あれこれ」4回執筆の依頼受ける。

 9月28日(水)
終日、机に張り付く。「彗星集」の選句、選評を書いて、11月号の執筆を終える。と、大溝さんから12月号の投句届く。

9月29日(木)
13時より、田町の専売ホールにて「三田俳句会」。出席37人。欠席投句42人。終了後、行方、禪次氏ほかと「駒八」で酒盛り。

 9月30日(金)
「あ・ん・ど・うクリニック」。俳人協会岡山支部へ講演会のレジメを送る。「三丁目の夕日」十二月号へエッセイ。「ここ滋賀」句会のミニ講話の資料作成。ベビー帆立と生姜を煮る。

10月

10月1日(土)
新年号用エッセイ一本。11時より上野「東天紅」にて佐怒賀正美主宰「秋」60周年記念祝賀会。あと寺澤和雄・太田うさぎさんと上野「英鮨」で昼酒。行きも帰りもうたた寝で乗り越し。

 10月2日(日)
15時から日本橋の「ここ滋賀」にて「俳句てふてふ」の句会、11人。あと有志で一献。

10月3日(月)
富士急ハイランドバス停に昼着。高部務氏の迎えを受ける。「彩花」という吉田うどんの店で昼食。沿道で雑茸数種入手。高部山荘に入る。夜、茸のすき焼きで歓談。第六四回「奥の細道 羽黒山全国俳句大会」の選句(応募句650句ほど)。

10月4日(火)
山の空気は爽快。高部氏はゴルフ。私はウッドデッキで羽黒山俳句大会子供の部(応募1,700句弱)の選句など。唐松が散る。調布の講座の水原秋桜子について調べに入る。夜、富士急ハイランドホテルで和食。戻って歓談。22時、別棟へ戻る。

 10月5日(水)
8時近くまでゆっくり眠る。ウッドデッキで朝食。10時過ぎ、忍野八海へ送ってもらい別れる。雨となる。1時間ばかり散策してバスで富士山駅に出て、今回は高速バスに乗って新宿へ戻る。「思い出横丁」で1人の打上げ。

 10月6日(木)
羽黒山に選句稿FAX。「銀漢」11月号の校正作業。数句会の選句。終日家。夜、旅で入手のほうとう鍋。南瓜、じゃが芋などふんだんに。孫に好評。

 10月7日(金)
10時半、前橋駅集合。伊那北会。前橋城跡へ。といっても群馬県庁などの官庁街で僅かに本丸の土塁などを残すのみ。臨江閣、東照宮。群馬県庁の展望ホールから利根川を見る。前橋ハリストス正教会、酒井家の墓所の龍海院など半日、雨の中を巡る。15時、酒場が無く、「天然温泉ゆ〜ゆ」という日帰り温泉のレストランに潜り込み打ち上げ。帰路、大宮で下車し駅前の「いづみや」で飲み直してお開き。新宿でちょっと飲み、また乗越し……。

 10月8日(土)
「銀漢」11月号の校正稿を武田編集長に送る。数句会の選句。

10日9(日)
初等部運動会とて、家族出払う。読売新聞の歌壇俳壇のコラム「俳句あれこれ」に1本送る。4回連載。15時頃、家族戻り、酒盛りとなる。酔って早々に寝る。

10月10日(月)
調布の次の講話。水原秋桜子の調査。岡山の講演会の準備。作句。

 10月11日(火)
快晴。久々、農家の野菜買いに。処理が大変。白菜のつまみ菜は油揚げと炊く。獅子唐はジャコ炒め。インゲン・モロヘイヤは茹でてストック。結局昼まで台所。午後、神保町の郵便局「銀漢」の振込用紙の印刷依頼。喫茶店で作句など。夜、発行所にて「火の会」11人。あと「魚勝」で小酌。

10月12日(水)
読売のコラム、趣旨合わずとて、書き直す。「銀漢」12月号の自句自解他執筆











         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2022/12/23撮影  ポインセチア  HACHIOJI 






花言葉     私の心は燃えている

△ポインセチア
「ポインセチア」という名前は、アメリカ初代駐メキシコ大使であるポインセット氏の名前にちなんで名付けられました。日本には明治時代に伝わり、「猩々木(しょうじょうぼく)」という和名で呼ばれていましたが、現在ではこの和名はほとんど使われていません。

ミゾソバ 茶の木 旗竿桔梗 カンナ 真弓
皇帝ダリア 冬薔薇 琵琶の花 梅擬 霜柱
背高泡立草 霜柱 ポインセチア









写真は4~5日間隔で掲載しています。 
20222/12/24







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