HOME 句会案内 バックナンバー  

 2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号  7月号  8月号  9月号  10月号   11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号 3月号  4 月号   5月号  6月号   7月号 8月号  9月号  10月号    11月号 12月号 
 2019年 1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号   7月号 8月号   9月号 10 月号   11月号  12月号
 2020年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号 6月号  7月号   8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 
 2021年  1月号 2月号  3月号  4月号  5月号 6月号   7月号  8月号 9月号  10月号  11月号   12月号
 2022年  1月号 2月号  3月号  4月号  5月号  6月号 7月号   8月号  9月号 10月号   11月号 12月号
 2023年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号              

7月号  2023年



伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  
銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句










        
             

                        

    

今月の目次










銀漢俳句会/2023/7月号
















   


 











銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎長浜曳山祭

「長浜曳山祭」の名は聞いていたが、実見したのは今年が初めてであった。豊臣秀吉が長浜城主となって城下町を開いてから四百五十年になるという。町には曳山が十三基あり、長刀山を先頭に毎年四基が交代で巡行するのが決まりだが、今年は記念の年だということで十三基全部がお披露目をするという。同人のこしだまほさんから「先生これを見逃してはなりませんよ!」ときっぱりと言われ、その気迫に押されて行くことにしたのである。
もっとも私は随分前から長浜とは縁がある。妻の従妹の河村悦子さんがこの町の出身で、遊びに行ったし、両親の葬儀にも行った。彼女は京都の妻の実家に下宿して美大に通い、画家となり京都芸術大学教授でもある。妻とは本当の姉妹のように仲が良く、妻が死んだ後も私が京都に行くと思い出話をする。私は若い頃から滋賀県が好きでよく歩いた。近時益々その思いが昂じてきた。年末は長浜の鴨料理店を訪ねるのがここ七、八年の恒例となっている。
 さて長浜祭のことである。秀吉が男子誕生の祝いに町民に配った砂金をもとに各町内が曳山を造り、長浜八幡宮の祭礼で巡行したのが祭の始まりであるという。曳山は黒・朱塗りの楼閣造で、宝形・入母屋・千鳥破風(ちどりはふ)・八棟造などの屋根や、鉄砲の一大産地であった近郊の国友の金工の手になる飾り金具、ゴブラン織の見返り幕など、伝統工芸を結集した、さながら動く美術館である。当時長浜は琵琶湖の交通の要衝であり、また織物業で町は大いに栄えていたのである。曳山を舞台にした子供歌舞伎が特長だが、歌舞伎狂言は江戸中期に盛んになり、その頃から曳山で演じられるようになっていったという。曳山は祇園祭の山鉾と較べると半分位の大きさで、子供歌舞伎の背丈とうまく釣り合っているようだ。演目は沢山あるというが、今年は常磐山(ときわざん)の「鬼一法眼三略(きいちぼうげん)巻 今出川菊畑(いまでがわきくばたけ)の場」、萬歳樓(ばんざいろう)の「御所桜堀川夜討(ごしょざくらほりかわようち) 弁慶上使(べんけいじょうし)の場」、孔雀山(じゃくざん)の「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし) 頓兵衛住家(とんべえすみか)の場」、翁山(おきなざん)の「信州川中島(しんしゅうかわなかじま) 一幕 輝虎配膳(てるとらはいぜん)」が演じられた。役者は十歳前後の男児に限られる。鬘は毎年その子供の鉢に合わせて新調するというし、衣装も豪華である。初々しい少年なので化粧の乗りもいい。三十分程の舞台を実に健気にこなすのである。これだけの質の高い祭を維持できているのは先祖代々が築いてきた財力と文化の高さと町衆の気概の高さゆえであろう。新緑の木々の間から一際大きな伊吹山が姿を見せていた。
  
囀も囃子のひとつ伊吹晴れ  伊那男
燕来る曳山祭過ぎたれば    同
















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

雪渓が天際までの月の山          皆川 盤水

黄泉の国を逃れた伊邪那岐命が禊をして左目から天照大神、右目から月読命、鼻から須佐之男命と三貴子(みはしらのうずのみこ)が生まれたという。月山は月読命を祀る。羽黒山が現世、月山が黄泉、湯殿山が再生の山という思想構成になっている。月山の標高は二千米に少し欠けるが、緯度が高いこともあり、夏にもたっぷり雪渓を残す。句は「天際までの」が上手いところで、霊山の神々しさが強調される。空と雪山の色彩の対比も鮮烈である。(昭和五十七年作『山晴』所収)




  


 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 龍天に淡海は大き水鏡           中島 凌雲
 北へ行く雲と語らむ啄木忌         福原  紅
 燻りのやがて霞に二月堂          中島 凌雲
 桑解くや上毛三山弾くやに         萩原 陽里
 花菜摘む花菜明りのともるまで       戸矢 一斗
 ふらここを降りて両手の錆臭し       谷口いづみ
 五人囃視線交へず息合はす         橋野 幸彦
 絵日記の歪む太陽春の風邪         竹内 洋平
 百度石鎮めゐるかに花の散る        我部 敬子
 幸せの過去へ漕ぎ出す半仙戯        高橋 透水
 新緑や樹木葬てふ幟立つ          谷岡 健彦
 月読みの光に来ませ白木蓮         矢野 安美
 良き風を受けて良き色風車         宮本起代子
 積分の記号傾く目借時           谷岡 健彦
 母が吹き子が追ひかけるしやぼん玉     北川 京子
 花の雨までも明るき吉野かな        今井  麦
 雉子啼くや嬬恋村のたそがれに       中野 智子
 荒らぶる神連れて来さうな比良八荒     三井 康有
 補陀落へ向ふ海へと花筏          山田  茜
 蛍烏賊の脆き光を手に掬ふ         唐沢 静男










     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

龍天に淡海は大き水鏡            中島 凌雲
「竜は……春分にして天に登り、秋分にして淵に潜む」とある。雷などが起り易い気象条件から生じた空想である。古人は稲光を見て竜の姿を想像したのではなかろうか。この句は琵琶湖を巨大な鏡と見立てて、竜を写し出したというのである。ここまで空想を広げたのは手柄と言っていい。近江好きの小生の記憶に刻まれる句になると思う。なお「竜」と「龍」の字については議論があるが、どちらが正字かというと「竜」の方である。

北へ行く雲と語らむ啄木忌          福原  紅
石川啄木は享年二十六歳であったから早熟の天才というしかない。十九歳で詩集を出し、二十四歳で歌集『一握の砂』を出版し名声を得た。ただし退学や失業、貧困、家族の不幸など火宅の人生であった。金田一京助などにも随分迷惑を掛けたが、その短歌は今も読み継がれている。俳人ではないが「啄木忌」として多くの俳人が親しんでいる。句は、四月十三日、空を仰ぐと北へ流れる雲がある。その先に渋民村があり盛岡がある。雲を見ながら啄木の歌を幾つか呟いてみたのであろう。

燻りのやがて霞に二月堂           中島 凌雲
二月堂とあるので、「燻り」とあるのは修二会(お水取)の松明の煙を指すのであろう。「お水取が終ると春が来る」と言われている。「やがて霞に」は奈良の春の到来を指すのであろう。煙と霞という似ているが異なるもので二月堂を包んだ、発想の面白い句であった。

桑解くや上毛三山弾くやに          萩原 陽里
上毛三山とは赤城山・榛名山・妙義山を言う。群馬県は養蚕業が盛んであった。私の祖父も桐生の織物関係の学校に行ったと聞いた。信州も養蚕が盛んで私の子供の頃は至る所桑畑であったが、六十年程を経た今、桑の木を捜すことの方が難しい。群馬県も同様の状況ではあろうが、「桑解くや」の季語を生かした楽しい句である。春、芽吹きの前に括っていた桑の枝を解くと、鞭のように撓って三山を弾くようである、という。何とも洒落た発想で上毛三山という固有名詞も揺るがないのである。

花菜摘む花菜明りのともるまで        戸矢 一斗
私の好きな句に〈家々や菜の花いろの燈をともし 木下夕爾〉がある。難しいことを言うと「菜の花いろの燈」という比喩の菜の花を季語としてもよいのか、という疑問の余地を残す句ではある。一方掲句は「花菜摘む」と明快であり、下五にかけて心地良い抒情を紡いでいるのである。

ふらここを降りて両手の錆臭し        谷口いづみ
若干類想感があることは否めないが「両手の錆臭し」まで持ってきたところがいい。我々の子供の頃の時代のブランコはこんな風であった。鎖の鉄錆が顕であり、手に赤錆が付着したものである。余談だが私は迂闊な子供で、二つを組んだブランコの間を擦り抜けるという危険な遊びをしていて、一つは潜り抜けたものの、次のブランコが戻ってきて額を打った。額に縫い跡を残したし失禁もした。実は一度ではなく二度過ちを繰り返しているのであった。

五人囃視線交へず息合はす          橋野 幸彦
確かに雛段の五人囃はそうだ。「息合はす」が独自の目。

絵日記の歪む太陽春の風邪          竹内 洋平
子供の風邪は思いの外ぐったりする。「歪む」が具体的。

百度石鎮めゐるかに花の散る         我部 敬子
様々な願いで踏まれる百度石。「鎮めゐる」がいい発想。

幸せの過去へ漕ぎ出す半仙戯         高橋 透水
ブランコはそんな気にさせる。但し行ったり来たり……。

新緑や樹木葬てふ幟立つ           谷岡 健彦
家の存在が希薄になったこの時代、樹木葬は象徴的だ。

  
月読みの光に来ませ白木蓮          矢野 安美
月読命を呼び込もうとする程の白木蓮の気品の高さ。

  
良き風を受けて良き色風車          宮本起代子
「良き風」「良き色」の対比、良きの重複表現がいい。

積分の記号傾く目借時            谷岡 健彦
数学が極端に弱かった私には身に入みる。

  
母が吹き子が追ひかけるしやぼん玉      北川 京子
類想はありそうだが、親子の動きがうまく出ている。

  
花の雨までも明るき吉野かな         今井  麦
花の吉野は何もかも明るい。「までも」がいい。

  
雉子啼くや嬬恋村のたそがれに        中野 智子
「嬬恋村」という地名をそれとなく雉子に付けた面白さ。

  
荒らぶる神連れて来さうな比良八荒      三井 康有
比良八荒から神の多様な一面を見た想像力の良さ。

  
補陀落へ向ふ海へと花筏           山田  茜
あのおびただしい花筏は結局補陀落を目指すのか……。

  
蛍烏賊の脆き光を手に掬ふ          唐沢 静男
富山湾の不思議な光。「脆き」にかそけき命を思う。
















 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

蘇民将来掲ぐる戸口つばめの巣     東京  飯田眞理子
剪定や迷ひ鋏の空打ちも        静岡  唐沢 静男
石楠花の花女王の風格も        群馬  柴山つぐ子
八瀬過ぎてより花冷の一段と      東京  杉阪 大和
ふところに呉の軍港峰桜        東京  武田 花果
瀬戸を守る清盛塚の若緑        東京  武田 禪次
竜天に沼の五色を変へ昇る       埼玉  多田 美記
絵踏する足に聖母のぬくみかな     東京  谷岡 健彦
過去帳に謎もすこしく入彼岸      神奈川 谷口いづみ
繫がれて山羊のコンパス草萌ゆる    長野  萩原 空木
武蔵野の風の中へと入学す       東京  堀切 克洋
龍天に登る山河を曇らせて       東京  松川 洋酔
元寇の土塁の跡や鳥雲に        東京  三代川次郎












         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

ぎつしりと詰まる燐寸やお中日     東京  武井まゆみ
マネキンののつぺらぼうや春の塵    東京  田家 正好
福助の広き月代春の塵         東京  塚本 一夫
明るさの中に暗さも春の雨       ムンバイ辻本 芙紗
地玉子の殻のざらつきよなぐもり    埼玉  大澤 静子
妻といふこれも職歴鳥雲に       愛知  荻野ゆ佑子
院御陵まうでも加へ島四国       東京  柊原 洋征
卒業証書以下同文を丸めけり      東京  朽木  直
咲き揃ふ春分の日の花時計       神奈川 田嶋 壺中
春愁マトリョーシカに手足無く     東京  村田 重子
浅草に目当ての靴屋初燕        東京  飛鳥  蘭
悟りとは目をあけぬこと飛花落花    東京  福永 新祇
風抜くるドーナツの穴春愉し      岐阜  堀江 美州
発心のごとく芽吹けり寺の木々     東京  大住 光汪
鷹鳩と化し香煙にまみれをり      和歌山 笠原 祐子
リンスからシャンプーが出る四月馬鹿  群馬  佐藤かずえ
霾や対馬に帰化の渡来仏        東京  鈴木てる緒

蓬摘む恙なき日を幸として       宮城  有賀 稲香
手囲ひに彼岸参りの燐寸の火      東京  有澤 志峯
亀鳴くや卯年と聞けばなほさらに    神奈川 有賀  理
花冷や中千本を越えてより       東京  飯田 子貢
飼ひ猫がおはやうと言ふ四月馬鹿    東京  生田  武
鳥ことばあらば希望ぞ初燕       埼玉  池田 桐人
吾が骨を我は拾へず桜散る       東京  市川 蘆舟
土筆摘む勿来の関を破りもし      埼玉  伊藤 庄平
青春の蹉跌かくやも青葉風       東京  伊藤  政
三陸の風癖つけし干若布        神奈川 伊東  岬
石あらばみな裏返し磯遊        東京  今井  麦
其の殻が鍋と知るかや大栄螺      埼玉  今村 昌史
花は葉に風のかたちを際立たせ     東京  上田  裕
天竜川(てんりゅう)の瀬音途切れず種浸し      東京  宇志やまと
花の旅吉野の山に溺れけり       神奈川 大田 勝行
亡き母もその中に居り花の雲      東京  大沼まり子
神の山仏の山も笑ふなり        神奈川 大野 里詩

寝転びて雲の流れを啄木忌       埼玉  大野田井蛙
石棺はもぬけのからよ春落葉      東京  大溝 妙子
気高さや白山吹に師を重ね       東京  大山かげもと
ゆく雲の果てはみちのく山笑ふ     東京  岡城ひとみ
青き空蕗のしゆうとめそよぎをり    東京  小川 夏葉
パンを切るあはひ雪崩の音を聞く    宮城  小田島 渚
鹿尾菜刈る五度に一度の高き浪     宮城  小野寺一砂
ひとひらは桜の一語こぼれ初む     埼玉  小野寺清人
それぞれの食器の丸み水温む      東京  梶山かおり
散るときは銀色の影夕桜        愛媛  片山 一行
浴仏会釈迦は甘党なりぬべし      静岡  金井 硯児
湿りおぶ落城跡の春落葉        東京  我部 敬子
五山には高き鳶の輪入彼岸       東京  川島秋葉男
霾るや父の語らぬ征野かな       千葉  川島  紬
春雷の一撃に消ゆ町の音        神奈川 河村  啓
春潮の音静かなる磯辺かな       愛知  北浦 正弘
かき寄せて藁の憩ひの雀の巣      長野  北澤 一伯
味消えし風船ガムの日永かな      東京  絹田  稜
つばくらや茂吉に我に偲ぶ母      神奈川 久坂衣里子
雪代のやがて千曲の奔流に       東京  畔柳 海村
蕗の薹遠き山々まだ覚めず       東京  小泉 良子
満開はすでに香らぬ梅の花       神奈川 こしだまほ
大風に噴き出してゆく花吹雪      東京  小林 美樹
膝入れぬままの話や春炬燵       東京  小山 蓮子
春寒し脳裏離れぬ修羅の海       宮城  齊藤 克之
燦然と屋台のルビー四月馬鹿      青森  榊 せい子
涅槃図の箱の歳月黝ずめり       長崎  坂口 晴子
浦島のその後は知れず亀鳴けり     長野  坂下  昭
小諸虚子庵
俳小屋の玻璃の歪みや花の昼      群馬  佐藤 栄子
窮すれば爪嚙む癖や四月馬鹿      長野  三溝 恵子
日を弾くほどの子の声朝桜       広島  塩田佐喜子
春暁や妣との電話夢と知る       東京  島  織布
半乾きの足袋にも馴れて遍路かな    東京  島谷 高水
桜湯や互ひの苦労話など        兵庫  清水佳壽美
友逝くや今生の花間に合はず      東京  清水 史恵
手作りのジャムに日付や夏蜜柑     東京  清水美保子
外に桜手術室には麻酔の香       埼玉  志村  昌
磯遊潮吹岩の近くまで         千葉  白井 飛露
行く春や憂ひは深し阿修羅像      神奈川 白井八十八
花散るや赤穂藩主のいまはふと     東京  白濱 武子
上水の暗渠に芽吹く仏の座       東京  新谷 房子
母の歩の足元照らすたんぽぽ黄     大阪  末永理恵子
傾かぬ位置に置きたし焼栄螺      東京  鈴木 淳子
雪消えし榛名に曾良の跡訪はむ     群馬  鈴木踏青子
夕まぐれとけゆくごとき初桜      東京  角 佐穂子
咲く花の数に等しく落椿        東京  瀬戸 紀恵
触れさうで触れぬあめんぼ数多なり   神奈川 曽谷 晴子
菜の花へ紙飛行機のみな着地      長野  髙橋 初風
我が影の羽搏いてゐる大春野      東京  高橋 透水
耕して秩父は秩父のままにあり     東京  竹内 洋平
山葵漬大糸線へ乗り継いで       東京  多田 悦子
春の鳶野辺の昼餉へ急降下       東京  立崎ひかり
桜見に行けない母に一枝を       東京  田中 敬子
童心の顔映り込む磯遊び        東京  田中  道
日記書きそびれて十日花疲れ      東京  辻  隆夫
山門の上の囀極楽寺          東京  辻本 理恵
子の歩みおぼつかなくも水温む     愛知  津田  卓
かはらけを投げ交ふ高雄山笑ふ     東京  坪井 研治
蟭螟や図鑑にかざす虫めがね      埼玉  戸矢 一斗
永き日をなもしなもしと道後の湯    千葉  長井  哲
耕すや影に疲れの滲むまで       大阪  中島 凌雲
春暁の庭下駄にあるうす湿り      神奈川 中野 堯司
地球儀の世界一周春炬燵        東京  中野 智子
囀の百花のごとく地に降り来      東京  中村 孝哲
永き日やたびたび覗く郵便受け     茨城  中村 湖童
風船を突けど続かぬ数へ唄       埼玉  中村 宗男
杉の花旧街道に猿田彦         東京  中村 藍人
浦島の寝覚めし木曾や亀の鳴く     長野  中山  中
春愁のレコード盤の傷の音       千葉  中山 桐里
老松の傾きながら緑立つ        大阪  西田 鏡子
明日着る喪服かけおく夜の秋      東京  沼田 有希
春暁の野に歌垣の山目覚む       埼玉  萩原 陽里
ゴッホ忌の蟭螟耳を離れざる      東京  橋野 幸彦
椿落つ落ち尽くしたるはずなれど    広島  長谷川鹿の子
夜も更けて桜の精をみたやうな     東京  長谷川千何子
波消しに若布刈鎌持つ媼かな      兵庫  播广 義春
翻る燕に上がる潮けぶり        埼玉  半田けい子
幼子に十歩の旅の犬ふぐり       埼玉  深津  博
ふらここや漕ぐでもなくて並び掛け   東京  福原  紅
飛石に雨の匂や庭朧          東京  星野 淑子
行く春やわが道一歩老いの足      東京  保谷 政孝
しやぼん玉寄り目の先に生まれけり   埼玉  本庄 康代
齎せる人も寂とし一人静        東京  松浦 宗克
うごめきて声なき声や蝌蚪の国     東京  松代 展枝
耕すや古墳めがけて鍬振るふ      神奈川 三井 康有
裾上げの巾は伸び代入学す       東京  宮内 孝子
笑ひをり校歌の歌詞のあの山も     神奈川 宮本起代子
思ひ出の近くて遠し春の月       東京  村田 郁子
春灯のひとつでありぬ観覧車      東京  森 羽久衣
蜜蜂の花粉まみれの貌写す       千葉  森崎 森平
雁風呂や遺骨の如き木も拾ひ      埼玉  森濱 直之
大小の筍同じ値に積まる        長野  守屋  明
春障子開けて潮騒つつがなし      東京  矢野 安美
少年の午後の頰杖鳥雲に        愛知  山口 輝久
茹であがる涅槃団子を扇ぎをり     群馬  山﨑ちづ子
草木に仏性のあり柳絮飛ぶ       東京  山下 美佐
亀石の明日香遠しと亀鳴けり      東京  山田  茜
啓蟄や用はなくとも用作り       東京  山元 正規
朝桜牛舎の匂漂ひ来          愛媛  脇  行雲
絶え間なくみなわみづわの花の雨    東京  渡辺 花穂
ふらここの揺れに来し方止め処無く   埼玉  渡辺 志水

















     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

ぎつしりと詰まる燐寸やお中日        武井まゆみ
彼岸詣に来た寺の一角であろうか。大きなマッチ箱が置かれている。この描写だけで読者夫々の胸に思い出の寺の境内の様子が浮かび上がることであろう。「ぎつしりと詰まる」も気持のいい措辞である。焦点の当て方、絞り方がいい。物だけを詠んで無駄が無い。


マネキンののつぺらぼうや春の塵       田家 正好
嘱目の面白さである。昔のマネキンは髪の毛もあり顔も描かれていたが、今はこの句のようにのっぺらぼうなものが多い。顧客に固定したイメージを与えない配慮であろうか。この句の「春の塵」は決して汚れたものではなく、都会の明るさと活気が感じられるのである。


福助の広き月代春の塵            塚本 一夫
この句の春の塵も明るい。福助は幕末頃から流行した人形で、実在のモデルもいて、召し抱えたところその家が随分繁盛したのが始まりという説もある。「広き月(さか)代(やき)」に焦点を当てたところがよく、この春の塵も生活感がある。


明るさの中に暗さも春の雨          辻本 芙紗
春の雨は普通明るいもの、暖かいものとして詠まれるものだが、この句では「暗さ」を詠んだところが異色である。春の季語として「春陰」「春愁」があるが、どちらかというと心の中の陰翳である。この句も心象の機微か。


浦島の寝覚めし木曾や亀の鳴く        中山  中
木曾谷の名勝、寝覚ノ床(とこ)にも浦島伝説がある。竜宮から戻った浦島太郎がここで玉手箱を開いたというのだが……。花崗岩の柱状列石で構成された不思議な風景だけに「亀鳴く」の措辞が生きているように思う。


地玉子の殻のざらつきよなぐもり       大澤  静子
よなぐもり(霾ぐもり・黄砂)は、最近は関東地方の空も覆うことがしばしばあるようだ。卵のいつもとは違う手ざわりに空を見上げる。よなぐもりを手の感触で捉えて類例の無い句になった。


妻といふこれも職歴鳥雲に          荻野ゆ佑子
主婦の仕事は大変である。炊事、洗濯、掃除、子育て……まさに職歴と呼ぶべき重労働である。これを理解しないと夫婦関係は躓く。「鳥雲に」の季語の斡旋を見ると、それも過去のこと、という感慨なのであろうか。


院御陵まうでも加へ島四国          柊原 洋征
ここで言う「院御陵」とは、香川県坂出市にある四国観音霊場八十一番白峯寺にある崇徳上皇陵のことである。崇徳上皇は保元の乱で後白河天皇に破れ讃岐に配流。その後怨霊となり京の町の動乱を呼んだので白峯陵に神として祀られた。京都の白峰神宮は明治元年に奉迎鎮座したもの。句は観音霊場だけではなく、崇徳上皇の鎮魂にも詣でたというもの。「島四国」は「遍路」の副季語だが、実にうまい使い方で、句の味わいを深めている。


卒業証書以下同文を丸めけり         朽木  直
卒業式にはクラスの代表が全文を読んだ卒業証書を授与され、あとは名前だけの呼出しで「以下同文」という言葉で手渡される。その「以下同文」を生かして巧みである。配ってくれた筒に丸めて納める。感情を入れないで淡々と詠んだところが面白いのである。同時出句の〈道々に道を聞くのも遍路かな〉は実感のある句である。間違い易い道が多いこともあるが、多少の人恋しさも混じっているか。


咲き揃ふ春分の日の花時計          田嶋 壺中
春分の日に花時計の花が咲き揃った、とはなかなか気分のいい仕上がりの句である。この日から夜よりも昼間の時間が長くなるのであり、華やぎを添える句となった。


春愁マトリョーシカに手足無く        村田 重子
春愁の気分がよく出ている句だ。あのあまりにも屈託のない顔付きに、作者には逆に愁いが募ったのであろう。人の心理の面白さである。マトリョーシカはロシアの人形だが、一説には箱根細工の入れ子人形を見たロシア正教の修道士が持ち帰ったのが始まりとも言う。


浅草に目当ての靴屋初燕           飛鳥  蘭
日常生活の中の小さな楽しみの出ている味わい深い句だ。銀座や原宿ではなく、浅草という庶民の町であるところがいい。燕が飛び交う商店街である。読み手を暖かい気持にさせてくれる。


 その他印象深かった句を次に

悟りとは目をあけぬこと飛花落花       福永 新祇
風抜くるドーナツの穴春愉し         堀江 美州
発心のごとく芽吹けり寺の木々        大住 光汪
鷹鳩と化し香煙にまみれをり         笠原 祐子
リンスからシャンプーが出る四月馬鹿     佐藤かずえ
霾や対馬に帰化の渡来仏           鈴木てる緒












                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
約束は約束のまま鳥雲に        東京  中込 精二
武蔵野陵
陵に称へる万世松の芯         埼玉  園部 恵夏
言ふ前に吹出してゐる四月馬鹿     長野  池内とほる
雪しろや富山湾てふ藍の甕       愛知  住山 春人
沼尻へ野火を追ひ込む夕疾風       栃木  たなかまさこ
蛍烏賊ひかりの名残見つからず     東京  島谷  操
成就せし恋ひとつきりヒヤシンス    群馬  北川 京子
黴の香の二代目のゐる書店かな     大阪  杉島 久江
失せる前色のざわめく石鹼玉      東京  丸山真理子
ロボットが炒飯運ぶ四月馬鹿      福島  髙橋 双葉
勿忘草指でなぞりし汽車の窓      東京  髙城 愉楽
暖かや池の杭みな鳥のもの       千葉  園部あづき
醤油樽並ぶ蔵元竹の秋         東京  上村健太郎
ひと山を陵墓となして山桜       千葉  小森みゆき
ボート漕ぐ上野の池の水温む      東京  倉橋  茂 

水音は読経のやうに座禅草       東京  竹花美代惠









星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

古里の囀り聞けり荷を解けば      東京  尼崎 沙羅
桃咲くや素足といふも心地よく     愛媛  安藤 向山
鉢にさへある啓蟄の息遣ひ       東京  井川  敏
荒川の蚊も加はりて飛蚊症       東京  石倉 俊紀
永き日のハチ公前の待合せ       東京  一政 輪太
鬱々と来しが辛夷の花明かり      広島  井上 幸三
法皇の峰はふ如き山桜         愛媛  岩本 青山
花びらの白に通へる赤き脈       長野  上野 三歩
行く春や妻と語らふティータイム    長野  浦野 洋一
白鳥引く傷の癒えしも加はりて     群馬  小野田静江
飾りたや満天星の花汝の耳に      静岡  小野 無道
種浸し人肌ほどの水を汲み       東京  桂  説子
点ける人叩く人ゐて野焼かな      埼玉  加藤 且之
温厚な雨を連れ来る春の雷       長野  唐沢 冬朱
冴返る急に鳴り出す目覚ましに     愛知  河畑 達雄
長閑さや製薬鉢の遺る寺        神奈川 北爪 鳥閑
待ち人は来ぬやも知れぬ春灯下     東京  北原美枝子
戸惑ひぬ踏跡のなき春の泥       東京  久保園和美
胡沙荒るる街中にゐて孤独かな     東京  熊木 光代
東風吹くや火山の裾の開拓碑      群馬  黒岩伊知朗
桜しべはるか修験の山望む       群馬  黒岩 清子
詰将棋やうやく解けて遅日かな     愛知  黒岩 宏行
盃に浮く花弁を六腑にも        東京  黒田イツ子
日々眺む稜線著き春の富士       神奈川 小池 天牛
黒鯛を抱へる形ゑびすのゑ       東京  髙坂小太郎
畏くも造幣局の桜かな         東京  小寺 一凡
田水張り我が影長く伸ばしけり     神奈川 阪井 忠太
蒲公英の絮毛の行方天使めく      東京  佐々木終吉
春日や目頭熱く再会す         群馬  佐藤さゆり
雪柳揺るれば風のあるを知る      千葉  清水 礼子
老木の枝垂桜に力湧く         群馬  白石 欽二
行く春の光と風や海鼠壁        東京  須﨑 武雄
貸農園家族ひと日を耕人に       岐阜  鈴木 春水
門柱に片足かけて剪定す        東京  関根 正義
風に咲き風が連れゆくアネモネよ    東京  田岡美也子
鯛ノ浦買物籠に桜鯛          埼玉  武井 康弘
木蓮の蕾おほかた天を指す       広島  藤堂 暢子
雪囲解くつくばひに雀来る       長野  戸田 円三
春暁や鴎引き連れ漁終へる       埼玉  内藤  明
ふらここや故郷見たしと高くこぐ    群馬  中島みつる
色見本ともチューリップ並び咲き    神奈川 長濱 泰子
山辺の道不揃ひの土筆かな       京都  仁井田麻利子
花冷や旅のリュックに常備薬      東京  西  照雄
咲くほどに透明になる桜かな      宮城  西岡 博子
若狭よりお水送りの手松明       東京  西田有希子
入学児軽々と越すにはたづみ      神奈川 西本  萌
蒲公英や日の明るさを地に移し     静岡  橋本 光子
仏壇の閼伽の三勺水温む        東京  橋本  泰
取込みし洗濯物に虻唸る        神奈川 花上 佐都
下野の歌枕の地麦青む         千葉  針田 達行
鞦韆や母確かなる拳もて        神奈川 日山 典子
春時雨一茶の土蔵に窓ひとつ      千葉  平野 梗華
らうらうと羽衣謡ふ日永かな      千葉  平山 凛語
侘助や花心に昨夜の雨溜むる      長野  藤井 法子
また殖えし一旒に名や鯉幟       福岡  藤田 雅規
花冷えや何買ふでなく街に出て     東京  牧野 睦子
花木蓮散りて円座を組むがごと     東京  幕内美智子
父祖の地は湖底の村よ鳥雲に      愛知  箕浦甫佐子
ひと雨の度ごとふふむ木の芽かな    東京  棟田 楽人
仏壇の舅出でませ花盛り        宮城  村上セイ子
渡船場に見送る人や夏帽子       東京  家治 祥夫
出航の長き汽笛の日永かな       東京  山口 一滴
残雪や噴煙高く浅間山         群馬  山﨑 伸次
見えざりし糸に手繰られ鳥雲に     神奈川 山田 丹晴
芽柳や風の意のまま伊豆暮らし     静岡  山室 樹一
清明や見渡す限りの空青し       群馬  横沢 宇内
寂寥と至福のはざま花を浴ぶ      神奈川 横地 三旦
花瓶へと移り牡丹の静かなる      神奈川 横山 渓泉
松の芯流るる雲を刺すほどに      千葉  吉田 正克
山一つへだてて見ゆる春の虹      山形  我妻 一男
目黒川色変へるほど花筏        東京  若林 若干
春雷や寝返りうつてそれつきり     東京  渡辺 誠子






















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

約束は約束のまま鳥雲に          中込 精二
春になると渡り鳥は北へ帰って行く。「鳥雲に」は「鳥雲に入る」の省略形で「ああ雲の中に消えていく・・・」という詠嘆の感慨が強まる。「鳥曇」は天文の項に入り、渡り鳥が帰る頃の曇り空をいう。さて、この句の「約束は約束のまま」は鳥のことではなく、人間界のことである。春は人間にとっても別れの季節である。卒業、就職、転勤、転校・・・。いろいろな約束が成就しないまま終ってしまうことも多い。人間同士の別れ、鳥との別れが交叉しているのである。


 

陵に称へる万世松の芯           園部 恵夏
日本はほぼ単一民族で構成され、継続してきた珍しい国家である。神話時代の須佐之男(すさのおの)命(みこと)や倭(やまと)建(たけるの)命(みこと)の歌などを昨日のことのように口遊むことができるのも世界史的に見れば稀有なことである。松は日本の風景には欠かせない樹木で陵墓や日本庭園には必ず植えられている。「松の芯」は「若緑」「緑立つ」ともいい、晩春に軸のように抜きん出る新芽である。鮮烈な緑が永久の平和を祈念し称えているようだという。同時出句の〈山吹の雨に俯く七重八重〉は太田道灌の故事にある〈七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき〉の古歌を踏まえているのであろう。「雨に俯く」から故事の全容が浮かび上がる。


 

言ふ前に吹出してゐる四月馬鹿       池内とほる
四月一日は嘘が許されるというヨーロッパの風習が大正時代に日本に入り、エイプリル・フールを「万愚節」「四月馬鹿」と訳した。この句、成功するかどうか解らぬ嘘を思い付いて、言う前に自分が笑い出してしまったという面白い句。根が真面目な人なのであろう。同時出句の〈象亀の欠伸せるとも鳴けるとも〉も図体の大きな象亀だけにその仕種のおかしさが出ている。


 

雪しろや富山湾てふ藍の甕         住山 春人
北アルプス(飛驒山脈)が一気に崩れ込む富山湾は底が深く、魚類の宝庫だという。この句は「雪しろや」の打ち出しが臨場感を持つ。短い距離を走る奔放な雪解水が如実である。そして富山湾を藍甕に見立てたのも卓見である。構図としては富山湾が巨大で深い滝壺である。


  

黴の香の二代目のゐる書店かな       杉島 久江
古書店なのであろう。独特の匂がある。本を持ち込んだ人達の人生の匂の混じった黴の香である。その本に囲まれて二代目の主がいるのだが、二代目の主も既に黴臭くなっているのである。「黴の香の二代目」の「の」が眼目。


 

失せる前色のざわめく石鹼玉        丸山真理子
対象物をよく観察している句だ。結局俳句は情緒ではなく「物」の把握である。石鹼玉が消えるときは、その内と外の空気の力関係やら何やら様々な物理的な反応によって、虹色が混然として潰れる。これを「色のざわめく」と独自の目で捉えたのだ。


 

ロボットが炒飯運ぶ四月馬鹿        髙橋 双葉
漫画で見た「鉄腕アトム」が現実になりつつある昨今である。コロナ禍と人手不足が重なって料理をロボットが運んでくる。注文も画面からである。年寄は啞然とするばかりである。この句は「炒飯」という庶民的な食物であるところに現実感がある。「四月馬鹿」の取合せも面白い。


 

勿忘草指でなぞりし汽車の窓        髙城 愉楽
勿忘(わすれな)草(ぐさ)の名はドイツの伝説で恋人の為に花を摘もうとして誤って水中に落ち「我な忘れそ」と言って死んだ悲恋物語に由来するという。この句は出郷時の淡い思い出の句であろうか。だがこんな思い出があることも幸せだ。菅原洋一の名曲「忘れな草をあなたに」も思い出した。同時出句の〈今日ひと日宗派不問の仏生会〉は老若男女が気楽に甘茶を受ける様子がよく出ている。


暖かや池の杭みな鳥のもの         園部あづき
春は鳥にとっても好ましいものなのであろう。杭に止まっている様子にもどことなく安らぎがあるものだ。確かに鳥以外には止まりようが無いのだけれど、それだけに「鳥のもの」の駄目押しのような措辞が可笑しく感じられるのである。同時出句の〈白木蓮に白の深さを知らさるる〉は白という色にも様々な違いがあることを知らされる。
その他印象深かった句を次に

 

成就せし恋ひとつきりヒヤシンス      北川 京子
水音は読経のやうに座禅草         竹花美代惠
蛍烏賊ひかりの名残見つからず       島谷  操
ひと山を陵墓となして山桜         小森みゆき
醤油樽並ぶ蔵元竹の秋           上村健太郎
















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(90)
            
比良八講束ごと燃ゆる泥線香

 「比良八講」とは旧暦二月二十四日、近江比良大明神で比叡山の衆徒が法華八講を修する行事を言う。もう一つ同じ読みの季語に「比良八荒(・)」があり、それは「比良の八荒荒れじまい」と言って比良山と琵琶湖の気温差によって吹く強風を指す。冬の終りを告げる嵐である。比良八講は四百年前に途絶えた行事だが今も季語として生きているのは面白い。掲出句は当然ながら想像の句だが、私は比叡山麓を随分歩き回っている。千日回峰の道を辿ってみたこともあるし、山懐の近江朝時代の崇福廃寺跡などにも足を運んでいる。「見てきたような嘘をつく」という言葉があり、これは実感を伴わないので見破られてしまうものだ。私は俳句を作る上のことだが「見てきた上で嘘をつく」のはいいと思っている。土地勘があることと、その頃の気象状況も身体が覚えており、この季語に、強風に煽られて束ごと燃え上がる線香を取り合わせることができたのであった。

居眠りの衆生もよかれ涅槃絵図

 涅槃図・涅槃像という季語が好きである。摩耶夫人、弟子、衆生、鳥獣虫魚の嘆き悲しむ姿に様々な想像が沸き上がるのである。この句はもしかすると泣き疲れ、いやいや中にはもともと居眠りをしている不届き者もいるのではないかと遊び心で想像したものである。これまでに作った涅槃の句を思い出してみると〈みちのくの布団の厚き寝釈迦かな〉は山形の寺で見た、何枚もの厚い蒲団の上の寝釈迦であった。この蒲団の厚さは東北地方だからこそだな、と思った。〈えいえいと担ぎ出したる涅槃絵図〉は京都泉涌寺の巨大涅槃図からの連想である。実際には目撃していないが、きっと何人もの僧が担ぎ出すのだろうと思ったのである。〈涅槃図に入りきれざる鳥のこゑ〉は鍛練合宿の席題で作った。囀りは図の中には入りようがなく弔問はできないだろうな、というもの。この季語は季節が巡ってくるたびにこれからも作り続けていくことになるのだろうな、と思う。







     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        













銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。





        












掲示板
















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。

















主宰日録  

  

4月
 
 4月15日(土)
午前9時過、長浜八幡宮。常磐山「鬼一法眼三略巻 今出川菊畑の場」、萬歳樓「御所桜堀川夜討 弁慶上使の場」を小雨の中見学。「翼果楼」で鯖そうめん、赤こんにゃくの田楽、海老豆、焼鯖寿司などで温かい酒。町へ出て翁山の「信州川中島 一幕 輝虎配膳」、孔雀山「神霊矢口渡 頓兵衛住家の場」と四つ全ての子供歌舞伎を見る。御旅所の曳山勢揃いを見て、長浜を後にする。彦根の「彦根酒場 半三」という居酒屋。生牡蠣、韮の黄味和え(生ニラ玉)、牛刺身他。いづみさん、有賀君と。ホテル2泊目。

 4月16日(日)
今日はゆっくり。9時半発、彦根城、博物館、玄宮園も。あと近江鉄道で多賀大社参拝。門前で糸切餅、多賀うどん、豆腐などで小酌し旅の終りとする。

4月17日(月)
雑用多し。数句会の選句。野村證券京都支店時代の一年後輩の曽我正博さんが4月10日逝去と。思えばわいわい遊んでいたのはもう半世紀前のこと。

 4月18日(火)
数句会の選句。「銀漢」6月号の選評。終日家。彦根で覚えた茹韮の黄味和え。筍山椒煮など。

  4月19日(水)
彗星集の選句選評を書き、6月号ほぼ終了。『神保町に銀漢亭があったころ』のクラウドファンディング謝礼の色紙他染筆。夜、谷中「夕焼け酒場」で「三水会」5人。あと「雪月花」。堀切君の日で、三輪初子さん、米国から青柳飛さんが来ている。森羽久衣、読売新聞の松本由佳さん。 

4月20日(木)
段落付いたので、城巡りの記録などまとめ。俳人協会の今井聖さんより、今年の新鋭俳句賞の選者の依頼受ける。海老とセロリの豆鼓炒め、韮の黄味和えをまた。

4月21日(金)
14時から調布で俳句講話。新年度は日本詩歌の歴史から。あと宝田、竹内夫妻他と喫茶店で歓談。あと仙川の「魚酒場 汐○」で作句。蒸牡蠣、菜の花おひたしなど。酒は「田酒」「雪の茅舎」「ぶんぶく」。

4月22日(土)
11時、日本橋「吉」。「纏句会」10人。あと9人で近くの酒場。ワインで歓談。この時間で始まる句会は困る。一旦、酒が入るとその日はもう駄目。結局、新宿で降りて「思い出横丁」「岐阜屋」で餃子とホッピー。野菜炒め。次は「埼玉屋」でまたホッピー、鮪のブツ。

4月23日(日)
数句会の選句。終日、関東の城についての覚書き。

 4月24日(月)
10時、俳人協会地下会議室。俳人協会全国大会の予選。8人ほどで手分け。昼、能村研三理事長、寺島ただし、菊田一平さん他と近くの「レストランはやしや」でハンバーグ。16時
までで選句全て終了し、次はもう来なくていいことに。大久保の商店街で乾物など買う。新宿に出て「珈穂音」ロールキャベツ、うるいのおひたし、皮剥、串カツ……日本酒数種。あと「思い出横丁」の「岐阜屋」でホッピー。結局、乗り越して新百合ヶ丘。トホホ。

4月25日(火)
夜、元部下の公認会計士藤井滝雄さんの誘いで恵比寿の佐賀料理の「わさび」で馳走になる。思い出話など。酒は「鍋島」で通す。

4月26日(水)
酒続いたせいか何年ぶりかの体調不調。終日横臥。絶食。

4月27日(木)
多分回復。お粥と茄子の味噌汁。「栴檀」の講演会用のレジメ作成に入る。農家で野菜買う。

4月28日(金)
雑用いろいろ。午後、神保町の郵便局で銀漢の資金移動。

4月29日(土)
10時、三島駅集合。伊那北会。伊豆箱根鉄道で伊豆長岡。天気良し。願成就院の運慶仏五体を拝す。北条時政の墓、守山八幡、伝堀越御所跡、北条氏邸跡などを散策。あと蛭ケ小島、北条早雲の韮山城跡、江川太郎左衛門屋敷跡などへ廻る。2万歩ほど歩いたか。三島へ出て、居酒屋(これは駄目!)駅前の「源氏」で鰻の白焼・蒲焼で飲み直し。23時帰宅。

 4月30日(日)
午後、成城仲間の佐藤家、吉田家が来てガーデンパーティー。焼肉。私は惣菜4品など作る。20時前に部屋に引き揚げる。

5月

 5月1日(月)
サンフランシスコの青柳飛さん(「天為」同人)を赤羽の飲み屋街へ案内する。井蛙、光汪、今井麦、小石さん。16時から3軒ほど梯子して結局最後はカラオケという流れ。

5月2日(火)
調布俳句講話の平安朝から室町時代までの和歌の歴史について調べる。酒抜く。

 5月3日(水)
家族は軽井沢へ。「銀漢」6月号の校正。NHK俳句9月号の「わたしの第一句集」構想を練る。

5月4日(木)
実に久々部屋の清掃。「わたしの第一句集」の原稿にとりかかる。

5月5日(金)
気分転換に森鴎外記念館「鴎外の食」特別展を見る。上野まで歩いて「上野藪そば」で小酌。あと居酒屋2軒。

5月6日(土)
朽木直さんから「宙句会十周年記念誌」到来。仕上がり美しく内容も充実! 作句。仙台「牛タン専門店 司」の牛舌焼。

5月7日(日)
「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」へエッセイ一本。午後、時間ができたので上野毛の五島美術館「古今和歌集を愛でる」の最終日。国宝の源氏物語絵巻の展示もあり。二子玉川で寿司をつまんで帰る。雨。

5月8日(月)
農家の野菜買う。「あ・ん・ど・うクリニック」他雑用。「銀漢」7月号のエッセイ、自句自解その他。作句。

5月9日(火)
夜、発行所で「火の会」11人。

  5月10日(水)
11時半、茅ヶ崎駅。「鎌倉句会」の中野堯司さんの迎えを受ける。昼食馳走になる。13時、茅ヶ崎市立図書館の一室にて私を入れて6人の句会。年を取られたり、病気をされたりで今日が最後の句会。夕方、中華料理の「天天」にて名残を惜しむ。

 5月11日(木)
農家の野菜買う。若い玉葱の茎のぬた。調布の講話のレジメ。

5月12日(金)
思い立って神田明神へ。神田祭前日の準備の様子など見ようと。資料館は劣悪。街の様子を散策して「神田まつや本店」で蕎麦掻、焼鳥などで小酌。「樽平」で鰹、蛍烏賊。霊入れの御旅所などを見て、何10年振りかの「みますや」で泥鰌。

5月13日(土)
雨。角川「俳句」7月号へ21句送る。数句会の選句。次女一家来て食事会。三浦から到来の蚕豆。明太子と白滝。韮の黄味和え、サラダなど私が。

5月14日(日)
昼、流山おおたかの森駅。白井飛露さんの祖父櫻田精一展へ。「大倉句会」清人さん一派13人が同行してくれる。「森の美術館」。母上桜田菁子様が案内して下さる。あと利根運河、理科大キャンパス内理窓会記念
自然公園3万坪の沼と緑陰を歩く。「カフェ オニワ」で作句。雨模様。17時、運河縁の食事処「松まる」にて5句出し句会と親睦会。久々の面々もいて楽しい1時間。あと運河駅近くのカラオケ店。ほとんど全員で。帰宅。24時過。
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2023/7/24撮影 ハリエンジュ(ニセアカシア))  HACHIOJ






花言葉  『慕情』『親睦』『友情』『優雅』『頼られる人』『死に勝る愛情』
   

△ハリエンジュ(ニセアカシア)
初夏に新緑の木々が夏の装いを始める頃、ハリエンジュ(ニセアカシア)の花が咲き始めます。小枝いっぱいに房状に垂れ下がって咲く花の姿は、見事です。それまで緑の葉が勝っていても、この時期だけは雪をかぶったように白色が緑に映える様子がひときわ美しく見えます。
明治になってから津田仙(現津田塾大学の創始者である津田梅子の親)によって日本に紹介されました。1873年にウィーンで開かれた万国博覧会に派遣された時、ハリエンジュの種子を持ち帰ったとされています。


オトシブミ 半夏生 スモークツリー 野萓草 クチナシ
ムラサキゴテン ヒオウギズイセン スイートピー ハマゴウ ハリエンジュ






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20223/7/25








HOME

漢亭日録