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7月号 2023年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2023/7月号
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黄泉の国を逃れた伊邪那岐命が禊をして左目から天照大神、右目から月読命、鼻から須佐之男命と |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選龍天に淡海は大き水鏡 中島 凌雲
北へ行く雲と語らむ啄木忌 福原 紅
燻りのやがて霞に二月堂 中島 凌雲
桑解くや上毛三山弾くやに 萩原 陽里
花菜摘む花菜明りのともるまで 戸矢 一斗
ふらここを降りて両手の錆臭し 谷口いづみ
五人囃視線交へず息合はす 橋野 幸彦
絵日記の歪む太陽春の風邪 竹内 洋平
百度石鎮めゐるかに花の散る 我部 敬子
幸せの過去へ漕ぎ出す半仙戯 高橋 透水
新緑や樹木葬てふ幟立つ 谷岡 健彦
月読みの光に来ませ白木蓮 矢野 安美
良き風を受けて良き色風車 宮本起代子
積分の記号傾く目借時 谷岡 健彦
母が吹き子が追ひかけるしやぼん玉 北川 京子
花の雨までも明るき吉野かな 今井 麦
雉子啼くや嬬恋村のたそがれに 中野 智子
荒らぶる神連れて来さうな比良八荒 三井 康有
補陀落へ向ふ海へと花筏 山田 茜
蛍烏賊の脆き光を手に掬ふ 唐沢 静男
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伊藤伊那男・選
彼岸詣に来た寺の一角であろうか。大きなマッチ箱が置かれている。この描写だけで読者夫々の胸に思い出の寺の境内の様子が浮かび上がることであろう。「ぎつしりと詰まる」も気持のいい措辞である。焦点の当て方、絞り方がいい。物だけを詠んで無駄が無い。 |
嘱目の面白さである。昔のマネキンは髪の毛もあり顔も描かれていたが、今はこの句のようにのっぺらぼうなものが多い。顧客に固定したイメージを与えない配慮であろうか。この句の「春の塵」は決して汚れたものではなく、都会の明るさと活気が感じられるのである。 |
この句の春の塵も明るい。福助は幕末頃から流行した人形で、実在のモデルもいて、召し抱えたところその家が随分繁盛したのが始まりという説もある。「広き月(さか)代(やき)」に焦点を当てたところがよく、この春の塵も生活感がある。 |
春の雨は普通明るいもの、暖かいものとして詠まれるものだが、この句では「暗さ」を詠んだところが異色である。春の季語として「春陰」「春愁」があるが、どちらかというと心の中の陰翳である。この句も心象の機微か。 |
木曾谷の名勝、寝覚ノ床(とこ)にも浦島伝説がある。竜宮から戻った浦島太郎がここで玉手箱を開いたというのだが……。花崗岩の柱状列石で構成された不思議な風景だけに「亀鳴く」の措辞が生きているように思う。 |
よなぐもり(霾ぐもり・黄砂)は、最近は関東地方の空も覆うことがしばしばあるようだ。卵のいつもとは違う手ざわりに空を見上げる。よなぐもりを手の感触で捉えて類例の無い句になった。 |
主婦の仕事は大変である。炊事、洗濯、掃除、子育て……まさに職歴と呼ぶべき重労働である。これを理解しないと夫婦関係は躓く。「鳥雲に」の季語の斡旋を見ると、それも過去のこと、という感慨なのであろうか。 |
ここで言う「院御陵」とは、香川県坂出市にある四国観音霊場八十一番白峯寺にある崇徳上皇陵のことである。崇徳上皇は保元の乱で後白河天皇に破れ讃岐に配流。その後怨霊となり京の町の動乱を呼んだので白峯陵に神として祀られた。京都の白峰神宮は明治元年に奉迎鎮座したもの。句は観音霊場だけではなく、崇徳上皇の鎮魂にも詣でたというもの。「島四国」は「遍路」の副季語だが、実にうまい使い方で、句の味わいを深めている。 |
卒業式にはクラスの代表が全文を読んだ卒業証書を授与され、あとは名前だけの呼出しで「以下同文」という言葉で手渡される。その「以下同文」を生かして巧みである。配ってくれた筒に丸めて納める。感情を入れないで淡々と詠んだところが面白いのである。同時出句の〈道々に道を聞くのも遍路かな〉は実感のある句である。間違い易い道が多いこともあるが、多少の人恋しさも混じっているか。 |
春分の日に花時計の花が咲き揃った、とはなかなか気分のいい仕上がりの句である。この日から夜よりも昼間の時間が長くなるのであり、華やぎを添える句となった。 |
春愁の気分がよく出ている句だ。あのあまりにも屈託のない顔付きに、作者には逆に愁いが募ったのであろう。人の心理の面白さである。マトリョーシカはロシアの人形だが、一説には箱根細工の入れ子人形を見たロシア正教の修道士が持ち帰ったのが始まりとも言う。 |
日常生活の中の小さな楽しみの出ている味わい深い句だ。銀座や原宿ではなく、浅草という庶民の町であるところがいい。燕が飛び交う商店街である。読み手を暖かい気持にさせてくれる。 |
その他印象深かった句を次に
春になると渡り鳥は北へ帰って行く。「鳥雲に」は「鳥雲に入る」の省略形で「ああ雲の中に消えていく・・・」という詠嘆の感慨が強まる。「鳥曇」は天文の項に入り、渡り鳥が帰る頃の曇り空をいう。さて、この句の「約束は約束のまま」は鳥のことではなく、人間界のことである。春は人間にとっても別れの季節である。卒業、就職、転勤、転校・・・。いろいろな約束が成就しないまま終ってしまうことも多い。人間同士の別れ、鳥との別れが交叉しているのである。 |
日本はほぼ単一民族で構成され、継続してきた珍しい国家である。神話時代の須佐之男(すさのおの)命(みこと)や倭(やまと)建(たけるの)命(みこと)の歌などを昨日のことのように口遊むことができるのも世界史的に見れば稀有なことである。松は日本の風景には欠かせない樹木で陵墓や日本庭園には必ず植えられている。「松の芯」は「若緑」「緑立つ」ともいい、晩春に軸のように抜きん出る新芽である。鮮烈な緑が永久の平和を祈念し称えているようだという。同時出句の〈山吹の雨に俯く七重八重〉は太田道灌の故事にある〈七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき〉の古歌を踏まえているのであろう。「雨に俯く」から故事の全容が浮かび上がる。 |
四月一日は嘘が許されるというヨーロッパの風習が大正時代に日本に入り、エイプリル・フールを「万愚節」「四月馬鹿」と訳した。この句、成功するかどうか解らぬ嘘を思い付いて、言う前に自分が笑い出してしまったという面白い句。根が真面目な人なのであろう。同時出句の〈象亀の欠伸せるとも鳴けるとも〉も図体の大きな象亀だけにその仕種のおかしさが出ている。 |
北アルプス(飛驒山脈)が一気に崩れ込む富山湾は底が深く、魚類の宝庫だという。この句は「雪しろや」の打ち出しが臨場感を持つ。短い距離を走る奔放な雪解水が如実である。そして富山湾を藍甕に見立てたのも卓見である。構図としては富山湾が巨大で深い滝壺である。 |
古書店なのであろう。独特の匂がある。本を持ち込んだ人達の人生の匂の混じった黴の香である。その本に囲まれて二代目の主がいるのだが、二代目の主も既に黴臭くなっているのである。「黴の香の二代目」の「の」が眼目。 |
対象物をよく観察している句だ。結局俳句は情緒ではなく「物」の把握である。石鹼玉が消えるときは、その内と外の空気の力関係やら何やら様々な物理的な反応によって、虹色が混然として潰れる。これを「色のざわめく」と独自の目で捉えたのだ。 |
漫画で見た「鉄腕アトム」が現実になりつつある昨今である。コロナ禍と人手不足が重なって料理をロボットが運んでくる。注文も画面からである。年寄は啞然とするばかりである。この句は「炒飯」という庶民的な食物であるところに現実感がある。「四月馬鹿」の取合せも面白い。 |
勿忘(わすれな)草(ぐさ)の名はドイツの伝説で恋人の為に花を摘もうとして誤って水中に落ち「我な忘れそ」と言って死んだ悲恋物語に由来するという。この句は出郷時の淡い思い出の句であろうか。だがこんな思い出があることも幸せだ。菅原洋一の名曲「忘れな草をあなたに」も思い出した。同時出句の〈今日ひと日宗派不問の仏生会〉は老若男女が気楽に甘茶を受ける様子がよく出ている。 |
春は鳥にとっても好ましいものなのであろう。杭に止まっている様子にもどことなく安らぎがあるものだ。確かに鳥以外には止まりようが無いのだけれど、それだけに「鳥のもの」の駄目押しのような措辞が可笑しく感じられるのである。同時出句の〈白木蓮に白の深さを知らさるる〉は白という色にも様々な違いがあることを知らされる。 |
伊那男俳句 自句自解(90) 比良八講束ごと燃ゆる泥線香
「比良八講」とは旧暦二月二十四日、近江比良大明神で比叡山の衆徒が法華八講を修する行事を言う。もう一つ同じ読みの季語に「比良八荒(・)」があり、それは「比良の八荒荒れじまい」と言って比良山と琵琶湖の気温差によって吹く強風を指す。冬の終りを告げる嵐である。比良八講は四百年前に途絶えた行事だが今も季語として生きているのは面白い。掲出句は当然ながら想像の句だが、私は比叡山麓を随分歩き回っている。千日回峰の道を辿ってみたこともあるし、山懐の近江朝時代の崇福廃寺跡などにも足を運んでいる。「見てきたような嘘をつく」という言葉があり、これは実感を伴わないので見破られてしまうものだ。私は俳句を作る上のことだが「見てきた上で嘘をつく」のはいいと思っている。土地勘があることと、その頃の気象状況も身体が覚えており、この季語に、強風に煽られて束ごと燃え上がる線香を取り合わせることができたのであった。 居眠りの衆生もよかれ涅槃絵図
涅槃図・涅槃像という季語が好きである。摩耶夫人、弟子、衆生、鳥獣虫魚の嘆き悲しむ姿に様々な想像が沸き上がるのである。この句はもしかすると泣き疲れ、いやいや中にはもともと居眠りをしている不届き者もいるのではないかと遊び心で想像したものである。これまでに作った涅槃の句を思い出してみると〈みちのくの布団の厚き寝釈迦かな〉は山形の寺で見た、何枚もの厚い蒲団の上の寝釈迦であった。この蒲団の厚さは東北地方だからこそだな、と思った。〈えいえいと担ぎ出したる涅槃絵図〉は京都泉涌寺の巨大涅槃図からの連想である。実際には目撃していないが、きっと何人もの僧が担ぎ出すのだろうと思ったのである。〈涅槃図に入りきれざる鳥のこゑ〉は鍛練合宿の席題で作った。囀りは図の中には入りようがなく弔問はできないだろうな、というもの。この季語は季節が巡ってくるたびにこれからも作り続けていくことになるのだろうな、と思う。 |
4月 4月15日(土) 午前9時過、長浜八幡宮。常磐山「鬼一法眼三略巻 今出川菊畑の場」、萬歳樓「御所桜堀川夜討 弁慶上使の場」を小雨の中見学。「翼果楼」で鯖そうめん、赤こんにゃくの田楽、海老豆、焼鯖寿司などで温かい酒。町へ出て翁山の「信州川中島 一幕 輝虎配膳」、孔雀山「神霊矢口渡 頓兵衛住家の場」と四つ全ての子供歌舞伎を見る。御旅所の曳山勢揃いを見て、長浜を後にする。彦根の「彦根酒場 半三」という居酒屋。生牡蠣、韮の黄味和え(生ニラ玉)、牛刺身他。いづみさん、有賀君と。ホテル2泊目。 4月16日(日) 今日はゆっくり。9時半発、彦根城、博物館、玄宮園も。あと近江鉄道で多賀大社参拝。門前で糸切餅、多賀うどん、豆腐などで小酌し旅の終りとする。 4月17日(月) 雑用多し。数句会の選句。野村證券京都支店時代の一年後輩の曽我正博さんが4月10日逝去と。思えばわいわい遊んでいたのはもう半世紀前のこと。 4月18日(火) 数句会の選句。「銀漢」6月号の選評。終日家。彦根で覚えた茹韮の黄味和え。筍山椒煮など。 4月19日(水) 彗星集の選句選評を書き、6月号ほぼ終了。『神保町に銀漢亭があったころ』のクラウドファンディング謝礼の色紙他染筆。夜、谷中「夕焼け酒場」で「三水会」5人。あと「雪月花」。堀切君の日で、三輪初子さん、米国から青柳飛さんが来ている。森羽久衣、読売新聞の松本由佳さん。 4月20日(木) 段落付いたので、城巡りの記録などまとめ。俳人協会の今井聖さんより、今年の新鋭俳句賞の選者の依頼受ける。海老とセロリの豆鼓炒め、韮の黄味和えをまた。 4月21日(金) 14時から調布で俳句講話。新年度は日本詩歌の歴史から。あと宝田、竹内夫妻他と喫茶店で歓談。あと仙川の「魚酒場 汐○」で作句。蒸牡蠣、菜の花おひたしなど。酒は「田酒」「雪の茅舎」「ぶんぶく」。 4月22日(土) 11時、日本橋「吉」。「纏句会」10人。あと9人で近くの酒場。ワインで歓談。この時間で始まる句会は困る。一旦、酒が入るとその日はもう駄目。結局、新宿で降りて「思い出横丁」「岐阜屋」で餃子とホッピー。野菜炒め。次は「埼玉屋」でまたホッピー、鮪のブツ。 4月23日(日) 数句会の選句。終日、関東の城についての覚書き。 4月24日(月) 10時、俳人協会地下会議室。俳人協会全国大会の予選。8人ほどで手分け。昼、能村研三理事長、寺島ただし、菊田一平さん他と近くの「レストランはやしや」でハンバーグ。16時 までで選句全て終了し、次はもう来なくていいことに。大久保の商店街で乾物など買う。新宿に出て「珈穂音」ロールキャベツ、うるいのおひたし、皮剥、串カツ……日本酒数種。あと「思い出横丁」の「岐阜屋」でホッピー。結局、乗り越して新百合ヶ丘。トホホ。 4月25日(火) 夜、元部下の公認会計士藤井滝雄さんの誘いで恵比寿の佐賀料理の「わさび」で馳走になる。思い出話など。酒は「鍋島」で通す。 4月26日(水) 酒続いたせいか何年ぶりかの体調不調。終日横臥。絶食。 4月27日(木) 多分回復。お粥と茄子の味噌汁。「栴檀」の講演会用のレジメ作成に入る。農家で野菜買う。 4月28日(金) 雑用いろいろ。午後、神保町の郵便局で銀漢の資金移動。 4月29日(土) 10時、三島駅集合。伊那北会。伊豆箱根鉄道で伊豆長岡。天気良し。願成就院の運慶仏五体を拝す。北条時政の墓、守山八幡、伝堀越御所跡、北条氏邸跡などを散策。あと蛭ケ小島、北条早雲の韮山城跡、江川太郎左衛門屋敷跡などへ廻る。2万歩ほど歩いたか。三島へ出て、居酒屋(これは駄目!)駅前の「源氏」で鰻の白焼・蒲焼で飲み直し。23時帰宅。 4月30日(日) 午後、成城仲間の佐藤家、吉田家が来てガーデンパーティー。焼肉。私は惣菜4品など作る。20時前に部屋に引き揚げる。 5月 5月1日(月) サンフランシスコの青柳飛さん(「天為」同人)を赤羽の飲み屋街へ案内する。井蛙、光汪、今井麦、小石さん。16時から3軒ほど梯子して結局最後はカラオケという流れ。 5月2日(火) 調布俳句講話の平安朝から室町時代までの和歌の歴史について調べる。酒抜く。 5月3日(水) 家族は軽井沢へ。「銀漢」6月号の校正。NHK俳句9月号の「わたしの第一句集」構想を練る。 5月4日(木) 実に久々部屋の清掃。「わたしの第一句集」の原稿にとりかかる。 5月5日(金) 気分転換に森鴎外記念館「鴎外の食」特別展を見る。上野まで歩いて「上野藪そば」で小酌。あと居酒屋2軒。 5月6日(土) 朽木直さんから「宙句会十周年記念誌」到来。仕上がり美しく内容も充実! 作句。仙台「牛タン専門店 司」の牛舌焼。 5月7日(日) 「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」へエッセイ一本。午後、時間ができたので上野毛の五島美術館「古今和歌集を愛でる」の最終日。国宝の源氏物語絵巻の展示もあり。二子玉川で寿司をつまんで帰る。雨。 5月8日(月) 農家の野菜買う。「あ・ん・ど・うクリニック」他雑用。「銀漢」7月号のエッセイ、自句自解その他。作句。 5月9日(火) 夜、発行所で「火の会」11人。 5月10日(水) 11時半、茅ヶ崎駅。「鎌倉句会」の中野堯司さんの迎えを受ける。昼食馳走になる。13時、茅ヶ崎市立図書館の一室にて私を入れて6人の句会。年を取られたり、病気をされたりで今日が最後の句会。夕方、中華料理の「天天」にて名残を惜しむ。 5月11日(木) 農家の野菜買う。若い玉葱の茎のぬた。調布の講話のレジメ。 5月12日(金) 思い立って神田明神へ。神田祭前日の準備の様子など見ようと。資料館は劣悪。街の様子を散策して「神田まつや本店」で蕎麦掻、焼鳥などで小酌。「樽平」で鰹、蛍烏賊。霊入れの御旅所などを見て、何10年振りかの「みますや」で泥鰌。 5月13日(土) 雨。角川「俳句」7月号へ21句送る。数句会の選句。次女一家来て食事会。三浦から到来の蚕豆。明太子と白滝。韮の黄味和え、サラダなど私が。 5月14日(日) 昼、流山おおたかの森駅。白井飛露さんの祖父櫻田精一展へ。「大倉句会」清人さん一派13人が同行してくれる。「森の美術館」。母上桜田菁子様が案内して下さる。あと利根運河、理科大キャンパス内理窓会記念 自然公園3万坪の沼と緑陰を歩く。「カフェ オニワ」で作句。雨模様。17時、運河縁の食事処「松まる」にて5句出し句会と親睦会。久々の面々もいて楽しい1時間。あと運河駅近くのカラオケ店。ほとんど全員で。帰宅。24時過。 |
△ハリエンジュ(ニセアカシア) 初夏に新緑の木々が夏の装いを始める頃、ハリエンジュ(ニセアカシア)の花が咲き始めます。小枝いっぱいに房状に垂れ下がって咲く花の姿は、見事です。それまで緑の葉が勝っていても、この時期だけは雪をかぶったように白色が緑に映える様子がひときわ美しく見えます。 明治になってから津田仙(現津田塾大学の創始者である津田梅子の親)によって日本に紹介されました。1873年にウィーンで開かれた万国博覧会に派遣された時、ハリエンジュの種子を持ち帰ったとされています。 |