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8月号 2023年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2023/8月号
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自註に「八甲田の麓の篠竹の藪から出てきた人がテントの中で重労働だとこぼしてお灸のあとをみせてくれた」とある。この時の句に〈篠の子採り声かけつづけ霧の中〉〈篠の子採り両肩に泥つけてくる〉〈篠の子採り着茣蓙といふをまとひをり〉がある。山麓の人々の貴重な収入源であり、熊と遭遇する恐怖も伴う。掲出句はそうした人々の生活に深入りした詠み方で、観光俳句とは一線を画した臨場感を伴っているのである。(昭和六十一年作『寒靄』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選衣紋竹夕べの記憶吊したり 園部あづき
犠牲者のこゑをまた聞くお風入れ 戸矢 一斗
しなの路の雨を聴きゐる洗ひ鯉 谷口いづみ
残る鴨広げる水尾の交はらず 三代川次郎
ソーダ水半分づつの減らぬまま 島谷 高水
軽トラに曳かれ末社の御柱 坂下 昭
武具飾る座敷童のゐる湯宿 清水 史恵
銭湯のタイルの金魚夕薄暑 塚本 一夫
健さんの笑はぬ映画昭和の日 大山かげもと
はふりたる重さうれしき早苗束 池田 桐人
花は葉となりて光の吉野山 末永理恵子
衣紋竹に突つ張つてゐる一張羅 飛鳥 蘭
山羊の子に乳の匂へる立夏かな 笠原 祐子
傘雨忌の川面にもるる習ひ笛 中村 湖童
筍を脱がさむ鍋のおほきさに 多田 悦子
入鉄砲に出女の関栃咲けり 多田 美記
明王の玉眼光る五月闇 末永理恵子
練供養来迎橋を花道に 西田 鏡子
餅背負ひまづは一歩よ鯉のぼり 中込 精二
八百屋とはよろづやのこと花火売る 小池 天牛
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突出しの青饅を前に人を待っているのであろうか。外は小雨の中。状況設定がうまく、句の調べもいい。「こぬか雨」の中に「来ぬか」と抒情を絡ませた言葉遊びも技倆である。同時出句の〈アネモネに秘かな神の血筋かな〉もこの花の持つ凄みのようなものを詠み取っているようだ。 |
西東三鬼という奇妙な人生を歩んだ俳人の姿を象徴的に捉えているようだ。「靴」に仮託させているが、この傷は人生の傷、時代の傷なのであろう。暗喩が効いている。 |
「物」をよく見ているな、と思う。柏餅の葉を開くと白い餅の肌に葉脈の痕が残っている。この実態を写し取るのが俳句の要諦である。感情は何も入れていない。その分だけ読み手が自由に想像をして感動を深めるのである。同時出句の〈筍の掘り手を廻る籠担ぎ〉も淡々と事実を詠んでいる。掘り手と集める役割の分業があるということは、一刻を争う出荷作業なのであろう。京都辺りの銘品か? |
私の友人を見てもお寺の子は跡継ぎを運命付けられていることが多かった。門前の小僧習わぬ経を読む、ではないが、小さい頃から寺の手伝いが始まっているのだ。花祭なので子供が大勢来ているのだが、寺の子だけは動きが違う。そんな様子をうまく詠み取っているのである。 |
子供の活動力はしみじみ凄いと思う。絶えず飛び跳ねているのだ。それを「撥条」と見たのは卓見である。春の到来と合わせた「風光る」の季語の斡旋もいい。同時出句の〈子の拳ほどの唐揚げこどもの日〉も唐揚げを詩に昇華したうまさ。〈母の日の木漏れ日にゐて母のこと〉の切ない抒情もいい。 |
藜はどこにでも生える一年草で若葉は食用にもするが、夏には背丈ほどになり、堅い茎は杖に加工される。三田きえ子さんに〈ふるさとの藜も杖になる頃か〉という望郷の句があった。この句は「予約せん」にユーモアが籠る。 |
ペリー祭は「黒船祭」のこと。寛永七年ペリー来航を記念して昭和七年に下田市で始まった祭。思えば約百七十年間、戦争があったものの日本と米国の特別な関係が続いている。この句「風向きをみる」が句の胆で、歴史の中の、いや今も右往左往する人間模様を潜ませているようである。 |
一読楽しい句である。『おくのほそ道』の旅で芭蕉は松島を詠まなかったけれど「松島やああ松島や松島や」と感嘆して句は詠めなかったという巷説がある。この句はこの巷説の句を本歌取りしているのである。貞門・談林などの時代はこのような句が主流で、芭蕉がそれを文学に高めたのだが、この句は芭蕉の故事を使って談林風にひっくり返したような巧妙な面白さがある。 |
私が就職した頃からメーデーはすでに衰退していったように思う。経済成長と共に変化していったのである。「腕いとし」に仲間と共闘した時代を懐かしむ気持が滲み出す。ちなみに戦後の社会性俳句の時代も、高度経済成長期に入ると共に衰退していったのであり、俳句も経済の影響下にあることを実感する。 |
孟宗竹が日本に普及したのは江戸中期であるから芭蕉が食したのは真竹か淡竹であり、まさに五月から六月に食すものであった。筍は掘るものではなく、切るか折るものであった。以上は余談だが、この句は地上にだいぶ顔を出した孟宗竹なのであろう。こうなるともう食すには堅すぎるのである。「手に負へず」を「歯に負へず」と持ってきたところが手柄で、楽しい句になった。 |
鹿児島の知覧を舞台にした降旗康男監督、高倉健主演の「ホタル」という映画があった。知覧には特攻基地があり、今は滑走路は畑に変わり、面影は無い。そんな時代の変遷を詠んで、悲しい句である。胸を打つ句である。 |
伊藤伊那男・選
東京にも様々な祭がある。神田祭、三社祭、山王祭など都心の祭を詠むときにどのようにその特徴を出したらいいのか、といったことにいつも頭を悩ませるものである。この句を見ると、三社祭でしか無いぞ、と思う。決め手は「仏具屋」。浅草は仏具屋が多い。作者は友人である仏具屋の主人か従業員とばったり行き会ったのであろう。そういう生活感や親近感がこの句から滲み出てくるのである。神田祭でも山王祭でもない固有の雰囲気が匂い立ってくるのである。同時出句の〈二度三度浸かる谷の湯若葉寒〉は「若葉寒」の季語が的確。何度も浸かりたくなる気分がよく出ている取合せであった。 |
一昔も二昔も前だが、「君の名は」という映画があった。何度待ち合わせても行き会えない物語である。私の若い頃でも携帯電話がない時代なので、よく行き違いが生じたものである。駅の黒板にチョークで伝言を書いたことなどを思い出す。携帯電話が出始めたのは昭和の終りであった。バッテリーを肩から担いだ時代があり、その後軽量化したとはいえ、一㎏位の重さがあったものだ。往時茫々の昭和時代である。同時出句の〈道迷ひなんじやもんじややの花に問ふ〉は「なんじゃもんじゃ」が季語であると共に話し言葉のようにも思われるおかしさを伴う。 |
柿若葉の美しさは一瞬といっていいほど短い。緑が濃くなる前の自ら光を発するような瑞々しさをよく捉えた句である。「内より光る」の表現がいい。なおこの頃の柿の葉を掻揚げにすると何とも風雅である。 |
水中花という人工の花であるから始めから終りまで咲いたままである。作者は「もう凋みたいと思う時もあるのではないか…」と思う。この想像力が作者の個性。 |
江の島の鳥居などの寄進者を見ると、江戸の魚問屋の名前がある。芭蕉に〈鎌倉を生きて出でけむ初鰹〉の句がある如く、江戸に近い漁港は大いに賑わったのである。葛飾北斎の富嶽三十六景の中の特に有名な「神奈川沖浪裏」を見ると大波に揉まれる舟がある。あれこそ鰹舟、江戸の市場へ荒波を突いて直進する舟である。そんなことを偲ばせる句であった。 |
勢いのある句だ。白波を蹴立てて舟が過ぎたあとの海は群青色を深めている。夏の到来を鮮明に描いている。同時出句に〈多羅葉に妻の思ひ出若葉風〉があった。多羅葉は傷を付けた部分が黒褐色になるので写経などに使った。「葉書」という言葉の元になった植物であり、これを頭に置くと様々な想像を呼ぶのである。 |
信州育ちの私には実感の湧く句である。保存食として、山のような蕗の筋を取り、茹でて塩漬けにする風景をよく目にしたものだ。山国の生活の一端であり、懐かしく読んだ。 |
歌人与謝野晶子の忌日は五月二十九日。あの当時、「君死にたもうことなかれ」と出征する弟を歌った時勢への反骨、鉄幹との恋愛を貫いたこと、十二人の子供を生んだこと、女性として桁違いの人生を歩んだ人である。句の「猫背を正す」が晶子の人生に呼応するところである。最後の「ヨガ」のまとめは、自分にはできないけれど…という滑稽味なのであろう。 |
人生到る処青山有り」は幕末の僧月性の漢詩の一節。ここでいう青山は「志を持って故郷を出たからには、どこで死のうと墓地(・・)となる森はある」という決意である。この句もそのように見る方が味わいがありそうだ。「朴の花」に凜然とした孤高の雰囲気が感じられるのである。 |
蛇苺は決して毒を持っているわけではないが、その名前からであろうか、触りたくないものだ。前を歩く人も雑草を踏んで歩くが、蛇苺だけは踏まずに跨いでいったという。蛇苺というものの感じをよく捉えていて類例が無い。 |
奈良公園の鹿は古来神の使いとして保護されてきたもの。仏生会に「膝を折る」というところに、奈良であれば、と納得するのである。鹿にも神仏を崇める血筋があるかと。 |
伊那男俳句 自句自解(91) 洛中図畳みしあとの花の塵
洛中洛外図は当時の庶民生活を垣間見ることができて楽しいものだ。たいがい桜の季節が入っており、花見に浮かれている場面がある。この句は屏風から花吹雪が溢れ出てきた、と詠みたかったのである。別の句に〈洛中図より一陣の花吹雪〉という句があり、また〈梅林を余白に洛中洛外図〉がある。写生俳句という枠の中で育った私は、絵の中から花吹雪が出てきてもいいのか?とか、絵の中の梅林や桜は季語として認識してもいいのであろうか?という問題をどうしても抱え込んでしまうのである。その意味でいうと、揚出句はどこからか紛れ込んだ現実の落花が花の塵として、洛中洛外図を片付けたあとに残っていたという体裁を取り、だがもしかしたらその塵は洛中洛外図からこぼれ落ちたものかもしれないという含みを持たせたものである。私は俳句に定型と季語と写生を守るという制約を課している。不自由である。だがこの不自由の中で工夫をするのが俳句の楽しみなのだとも思っている。
一歩とはすなはち百歩百足虫這ふ
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5月 5月18日(木) 18時、ひまわり館にて「銀漢句会」。銀漢発祥の句会。本郷三丁目の居酒屋「浦川」で唐沢静男、坪井研治さんと始めて20数年。私は20年ぶりの参加。出席22人、欠席投句11人、計33人出句。終わって水道橋の近くの居酒屋で15人程の親睦会。 5月19日(金) 午後、調布の俳句講話。終わって今日は飲まずに帰るつもりで仙川「きくや」にて小酌。 5月20日(土) 昼、岐阜「都ホテル岐阜長良川」にて辻恵美子主宰の「栴檀」第22回総会で講演のあと祝賀会。参加者百26名と。夕方から鵜匠の家を訪ね、船頭さんから色々と話を聞く。あと舟に乗る。19時45分、花火を合図に六隻の鵜舟が出る。快晴で夜空美しく、川風がいい。綺麗な木星を見る。河鹿の声が聞こえる。21時頃、宿に戻る。至れり尽くせりの接待。 5月21日(日) 5時過起。快晴。窓から稲葉山城と長良川が大映し。至福の時。ゆっくり朝食。10時、名古屋駅に井蛙さんと待合せ、関西本線にて亀山へ。レンタカーで日本武尊の能褒野御墓。亀山城跡、関宿散策。鈴鹿峠を越えて「道の駅 あいの土山」向かいの田村神社。亀山駅に戻り、関西本線で柘植へ。なんと一輛のディーゼル車! 草津線に繋ぎ、南草津。東海道本線で大阪へ。「ハートンホテル西梅田」に投宿。近くの店で乾杯。どて焼、おばけ、刺身などもいい。桜橋の「焼賣太樓」の胡麻そば焼売! これは優れもの。 5月22日(月) 20時半発。大阪城址公園へ。何10年振りか。井上井月に黄金の井戸の句あり。明治後に訪ねているのである。軍司令部の建物の屋上で薫風の中、ビール。奈良の山、神戸の山が見える。13時過、相生橋筋商店街入口の居酒屋「正宗屋」にて中島凌雲君と会う。魚卵を固めて蟹味噌を塗ったカステラ、土手焼、魚もいい。「はばたき」という鴨の羽の付根焼! 黒門市場、国立文楽劇場などを通って西鶴矢数俳諧の生國魂神社。移動して飛田、ジャンジャン横丁などを歩き、あと大正区の居酒屋「くわ焼き クラスノ」。出し巻卵や揚物。ここで凌雲君と別れる。さて久々、鶴橋へ。「三松」焼肉でマッコリ。キムチ屋で冷麺など。更に串焼き屋と3軒歩く。梅田に戻って昨夜寄った「焼賣太樓」で締める。それにしても7軒の飲み歩き……。連泊。 5月23日(火) 曇天。9時発。水無瀬神宮。離宮の水を飲む。西国街道を歩き、荏胡麻油で知られる離宮八幡宮、山崎宗鑑住居跡。大山崎町歴史資料館。山崎合戦古戦場を経て、細川幽斎縁の勝竜寺城跡。2万歩は歩いたか。京都に入り、「京都糸屋ホテル」に投宿。錦市場を覗くと「屋台村 錦」というのができていて、八、九割は外人客。なんと日本酒が一杯百円。海老の天婦羅、生牡蠣。17時、「しん」で和田ちゃんと待合せ。ぐじ、皮剥の薄造り、粕汁など。あと先斗町の「すずめ」。 5月24日(水) 快晴。10時半発。大谷祖廟墓参。「平野家本家」のいもぼう。実に久々。建仁寺見学。すると金澤翔子展をしていると。翔子さんと母上がいて、今度映画が公開になりますとパンフレットを下さる。「実はその映画監督の義父です」と挨拶。こんな偶然もあるのだなと。映画は「共に生きる 書家金澤翔子」6月2日全国公開。15時、「たつみ」海老天、牡蠣酢、貝柱の天婦羅、どぼつ。あと「京極スタンド」に行くと混んでいて、一つだけ空いた席に案内されたらなんと! 松ちゃんがいる。で、漬物店の高倉屋にある立飲み、昨日行った錦市場の屋台村と巡り、19時半の新幹線で東京へ。 5月25日(木) 郵便物山積み。各句会の選句、校正他。今度の旅で帽子、眼鏡、土産物を紛失。土産物は東京駅に取りに行く。酒が入るといけない。 5月27日(土) 11時、日本橋「吉」にて纏句会9人。帰宅して選句。 5月28日(日) 10時半、小田急線鶴川駅。「宙句会」吟行会に呼んで戴く。田園を散策。午後、武相荘。15時から和光ポプリホール鶴川」会議室にて5句出し句会14人。あと近くの中華料理店にて親睦会。朝日俳壇に阪西敦子さんが『神保町に銀漢亭があったころ』の書評を書いて下さる。 5月30日(火) 彗星集選評を送って7月号の執筆終了。夜、日暮里「雪月花」鈴木忍、栞ちゃん、文子、うさぎ、和雄、清人、肖子、松本由佳さん他。一つ隣の店に加茂住職、鳥居真里子さんなど。真里子さんに「ベサメムーチョ」を歌って貰う。 5月31日(水) 10時、つくば駅。伊那北会。バスで小田城跡へ。小田氏350年の平城。筑波鉄道が真ん中を横切っていたが廃線後整備。資料館、ビデオなど見学。歩いて平沢官衙遺跡、古墳など。バスで土浦に出る。駅前の居酒屋で蓮根の土手焼などで一休み。北千住に出て「千住の永見」で飲み直し。21時半には帰宅。健全である。 6月 6月1日(木) 10時、三田の専売ビル、「三田俳句丘の会」幹事会。地下でヅケ丼の昼食。13時から句会。あと「そば処 朝日屋」で禪次、研治、綾、和音、洋征さんらと酒盛り。 6月2日(金) 台風のような雨の1日。エッセイの下調べ。俳人協会の「第62回 全国俳句大会」の選句。予選通過2,000余句。鶏と麩(車麩、近江麩)の鍋。 6月3日(土) 10時半、二子玉川のシネコンで、宮澤の監督作品「共に生きる」を見る。いいドキュメンタリー作品! 6月4日(日) 15時半から東京宝塚劇場、小池修一郎演出の「カジノ・ロワイヤル」を見る。小池作品としてはいまいちか? 夜、セロリと豚肉の豆豉炒め、鮎の塩焼き。 6月5日(月) 9時過の新幹線で京都に向かう。車中で銀漢のエッセイなどなぐり書き。「ホテルイビススタイル京都四条」に荷を解き、書店など散策。京都には面白い本がある。15時、「たつみ」。二週間前にも来た。海老天、酢牡蠣、鰯煮。17時、聖護院の「河道屋養老」にて養老鍋。杉阪大和さん、和田ちゃんと50年前の野村證券京都支店時代の思い出話など。あと木屋町の「すずめ」。2週間前にも来た。宿近くの「萬福」のラーメンを食べてしまう。 6月6日(火) 昼、奈良新大宮の「桃谷樓ヘルシーガーデン店」にて、深川知子第2句集『緑の夜』出版祝賀会。蟇目良雨、角川書店の石井隆司氏。深川さんの弟の入沢仁氏他、20数名の会。全員が話をする楽しい会。あと「桃谷樓」などを経営されている畑中利久氏と久々、1時間ほど歓談。偶然だが、氏は野村證券の同期入社。先月初孫誕生と。二次会は「蔵」。10数名。遅れて合流する。「蔵」は貸切にしてくれる。大将、女将が「奈良ロイヤルホテル」まで車で送ってくださる。 6月7日(水) 朝食、茶粥他。8時半、バス20人にて奈良観光。秋篠寺、新薬師寺、石上神宮、聖林寺。十一面観音堂修復成る。大和八木で解散。深川姉弟より、実に厚いもてなしの旅。感謝! |
△ ヘクソカズラ 和名の「屁糞葛(ヘクソカズラ)」も葉や茎をもむと悪臭があることにちなみます。 別名の「灸花(ヤイトバナ)」は、花の中心にある紅紫色の部分がお灸のあとに似ていることに、「早乙女花(サオトメバナ)」は、花を水に浮かべた姿が早乙女(田植えをする娘)のかぶる笠に似ていることにちなみます。 その臭いからあまり好かれないヘクソカズラでも、愛らしい花を咲かせる時期があるように、不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力があるということ。 |