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伊藤伊那男作品


主宰の8句














        
             

                        

    

今月の目次








銀漢俳句会/2023/8月号


       








   

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎日本武尊命と連歌

 私が卒業した長野県駒ヶ根市立赤穂(あかほ)小・中学校の校歌の二番に「小碓(おうす)の皇子の木の下に/憩い給いし神杉の/神さびませる美女ヶ森……」というくだりがある。「小碓皇子(おうすのみこ)」とは日本武尊命(やまとたけるのみこと)のこと、「美女ヶ森」とはその後の通称で、正式には大御食(おおみけ)神社で、私の生家から徒歩十分位の所にある。まだ東海道が開墾される前の時代、伊那谷を通る東山道が近畿と関東を結ぶ幹線道路であり、日本武尊命は我が町で里長の赤須彦(あかずひこ)の接待を受け、三夜を過ごしたという伝承が伝わっている。
 命は景行天皇の子で、兄の大碓命(おおうすのみこと)を捻り殺すなどの乱暴があり、父に厭われて辺境の地の平定に追いやられた。九州の平定から戻ると、休む間もなく東国遠征を命じられた。その帰路、甲斐の国酒折宮に到った時〈新墾筑波(にいはりつくば)を過ぎて幾夜か寝つる〉と問うと、部下は誰一人として答えられなかった。するとそこにいた御火焚(みひたき)の老人が〈かがなべて夜には九夜(ここのよ)日には十日を〉と答える。その当意即妙な答えに命は大いに感銘してその老人を甲斐の国造(くにのみやつこ)に任命したという。
『古事記』に載るこの逸話は一つの歌を二人で歌い合う「短連歌」の発祥の歌である。これを以て連歌のことを「筑波の道」と呼ぶこととなる。今の歌謡曲のデュエットの先駆けと思えばいい。御火焚の老人が地位を得たのは言葉に潜む霊感──「言霊」の力である。
 さて命は私の故郷を経て尾張に到り、そのあと伊吹山の荒ぶる神の退治に向かう。ただし草薙剣を宮簀媛(みやずひめ)の元に置いてきた心の隙もあり、山の神が発生させた雹に打たれて体力を消耗し、大和へ向かう途中の能褒野(のぼの)で亡くなったという。〈倭は国のまほろばたたなづく青垣山ごもれる倭しうるはし〉の絶唱を残している。能褒野は今の三重県亀山市の郊外にある。その前方後円墳が能褒野陵として明治十八年、宮内省により治定された。丁度日本が天皇を神格化し、大日本帝国としての体制を固めていく時期であった。ここに葬られた命は白鳥となって大和へ飛び去ったという。
褒野陵はJR関西本線亀山駅から車で二十分ほどの田園の中にある。訪ねる人はほとんど無く、駐車場から御陵に入る小径を歩くと蛇が目の前を横切り驚かされた。日本は不思議な国である。神話の地が各地に残っていて、今も大事にされている。神話の登場人物も親戚の叔父さんのような近しい存在で、神話時代の歌がまるで昨日の出来事のように詠み継がれ愛唱されているのである。「言霊」が今も生きている国であり、このことは忘れずにいたいものである。
















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

 
篠の子採り灸のあとを見せてをり      皆川 盤水

自註に「八甲田の麓の篠竹の藪から出てきた人がテントの中で重労働だとこぼしてお灸のあとをみせてくれた」とある。この時の句に〈篠の子採り声かけつづけ霧の中〉〈篠の子採り両肩に泥つけてくる〉〈篠の子採り着茣蓙といふをまとひをり〉がある。山麓の人々の貴重な収入源であり、熊と遭遇する恐怖も伴う。掲出句はそうした人々の生活に深入りした詠み方で、観光俳句とは一線を画した臨場感を伴っているのである。(昭和六十一年作『寒靄』所収)





彗星集作品抄

  伊藤伊那男・選


 衣紋竹夕べの記憶吊したり         園部あづき
 犠牲者のこゑをまた聞くお風入れ      戸矢 一斗
 しなの路の雨を聴きゐる洗ひ鯉       谷口いづみ
 残る鴨広げる水尾の交はらず        三代川次郎
 ソーダ水半分づつの減らぬまま       島谷 高水
 軽トラに曳かれ末社の御柱         坂下  昭
 武具飾る座敷童のゐる湯宿         清水 史恵
 銭湯のタイルの金魚夕薄暑         塚本 一夫
 健さんの笑はぬ映画昭和の日        大山かげもと
 はふりたる重さうれしき早苗束       池田 桐人
 花は葉となりて光の吉野山         末永理恵子
 衣紋竹に突つ張つてゐる一張羅       飛鳥  蘭
 山羊の子に乳の匂へる立夏かな       笠原 祐子
 傘雨忌の川面にもるる習ひ笛        中村 湖童
 筍を脱がさむ鍋のおほきさに        多田 悦子
 入鉄砲に出女の関栃咲けり         多田 美記
 明王の玉眼光る五月闇           末永理恵子
 練供養来迎橋を花道に           西田 鏡子
 餅背負ひまづは一歩よ鯉のぼり       中込 精二
 八百屋とはよろづやのこと花火売る     小池 天牛









 


     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

衣紋竹夕べの記憶吊したり          園部あづき
衣紋竹は衣桁と同類のもので、和服を掛けておくものであり、特に夏は脱いだものが汗ばんでいるので、風を通すために重宝することから夏の季語となっている。ではハンガーは季語かというと季語ではない。この句「夕べ」は昨日と解釈すべきであろう。大事な出来事があったのであろうが、その記憶ごと着物が吊ってあるとしたのが巧みである。王朝趣味的な艶冶な雰囲気を醸し出している。

犠牲者のこゑをまた聞くお風入れ       戸矢 一斗
害虫や黴の発生を防ぐため衣服や書物を夏日に曝すのが「虫干」「曝書」「風入れ」。掲出句からは被爆者名簿とか、津波、氾濫の犠牲者名簿などが想像される。「こゑをまた聞く」が句の眼目で、歴史の記憶を残そうとする真摯な行為の尊さが滲み出ている。人類の歴史は戦争と災害の記録でもある。 

しなの路の雨を聴きゐる洗ひ鯉        谷口いづみ
綺麗な仕上がりの句である。私の故郷信州は山国のせいもあって最も珍重する魚は鯉であった。私の若い頃は結婚披露宴の主菜は鯉の煮物であった。夏は身を削ぎ切りにして冷水に晒した「洗い」。卵をまぶしたりもしたものだ。涼しさを呼ぶ清めの雨音を聞きながらとは何とも羨ましい。 

残る鴨広げる水尾の交はらず         三代川次郎
北国へ帰りそびれた鴨であるからどことなく淋しいものだ。数羽が残っているのであろうが、水脈を広げても交わることが無いという。残っているもの同士だが、睦んでいるわけではない、というところに孤独感が描かれている。こういう一物仕立ての句は人間世界にも通じる寓意を持っているようだ。

ソーダ水半分づつの減らぬまま        島谷 高水
 ソーダ水などというのは私たちの若かった頃の遺物である。アイスクリームを浮かべたクリームソーダもあったな、真赤なさくらんぼのシロップ漬が乗せてあったりしたものだ。話に熱中して円錐形のグラスに残ったまま。甘酸っぱい青春の思い出であろうか。それもまた味わい。

軽トラに曳かれ末社の御柱          坂下  昭
 「御柱祭」というと、諏訪の上社、下社四社だけだと思っている人が多いが、旧神領地の小さな神社でも数年掛けて行われている。軽トラに四本乗ってしまうような細い御柱を建てるところもあり、こんな風景を見るのもいいものだ。いかにも「末社の御柱」でいとおしい。

武具飾る座敷童のゐる湯宿          清水 史恵
座敷童の為の節句飾りと思うと味わいも一入である.。

銭湯のタイルの金魚夕薄暑          塚本 一夫
まだ明るいうちの銭湯。タイルの金魚が印象深い。

健さんの笑はぬ映画昭和の日         大山かげもと
 高倉健はそういう役者。昭和の男の代表であった。

はふりたる重さうれしき早苗束        池田 桐人
 田植の始まりの場面。豊作の期待が籠る一瞬である。

花は葉となりて光の吉野山          末永理恵子
「葉桜」と呼ぶ時期は数日。まさに「光」が本意。 

衣紋竹に突つ張つてゐる一張羅        飛鳥  蘭
着ている人物像が想像される面白さのある句となった。 

山羊の子に乳の匂へる立夏かな        笠原 祐子
高原の牧場であろうか。山の涼気が感じられる。 

傘雨忌の川面にもるる習ひ笛         中村 湖童
万太郎の世界。舞台の書割まで目に浮かぶようである。 

筍を脱がさむ鍋のおほきさに         多田 悦子
 逆転の発想である。鍋に合わせる筍の丈。

入鉄砲に出女の関栃咲けり          多田 美記
 「栃咲けり」が眼目。標高のある山間の関所跡。

明王の玉眼光る五月闇            末永理恵子
人は憤怒仏に救いを求める。人間の心の闇の深さか……。 

練供養来迎橋を花道に            西田 鏡子
仏教行事に芝居の「花道」を持ち込んだ面白さ。 

餅背負ひまづは一歩よ鯉のぼり        中込 精二
節句に一升餅を背負う風習がある。「一歩よ」が決め手。

八百屋とはよろづやのこと花火売る      小池 天牛
何でも扱う店。八百屋の語源を知りたくなる。












 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

がり版の同人誌あり啄木忌       東京  飯田眞理子
春陰をめぐる湯の町迷路めく      静岡  唐沢 静男
浅草は万太郎の街夕薄暑        群馬  柴山つぐ子
夜桜に被さる重さありにけり      東京  杉阪 大和
粽食ぶ解きたる紐は渦巻に       東京  武田 花果
高みより将門覗く天下祭        東京  武田 禪次
太閤の城が遊び場雀の子        埼玉  多田 美記
駈け出せば風の見つかる風車      東京  谷岡 健彦
青饅や待ち人いまだこぬか雨      神奈川 谷口いづみ
遅き日やきりなく拾ふ畑の石      長野  萩原 空木
靴墨で消せぬ傷あり三鬼の忌      東京  堀切 克洋
蕗味噌は苦し余命はまだあるか     東京  松川 洋酔
人間に尻尾の跡や四月馬鹿       東京  三代川次郎







     






         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

葉脈の太き喰ひ込み柏餅        東京   島谷 高水
寺の子の駆けづり回る花祭       東京   清水美保子
子供らの中にある撥条風光る      東京   戸矢 一斗
米寿には藜の杖を予約せん       東京   中村 孝哲
指立てて風向きをみるペリー祭     埼玉   本庄 康代
栄螺焼くあゝ松島の潮こぼし      神奈川  大野 里詩
メーデーや標語掲げし腕いとし     東京   大山かげもと
けつまづく筍すでに歯に負へず     愛知   北浦 正弘
特攻の世話せし人も茶摘唄       東京   朽木  直
祭笛高音となれば眉もまた       東京   川島秋葉男
古茶すする近しき人の忌日増ゆ     東京   柊原 洋征
目刺食ぶ叙勲の名前眺めつつ      青森   榊 せい子
古都といふ安寧に棲み袋角       長野   坂下  昭
観音の往時の色の麦の秋        大阪   末永理恵子
ラケットで打ち返されて新樹光     東京   森 羽久衣
新茶汲みいざ鬼平の再放送       千葉   白井 飛露

更衣ひと日の日差し使ひきり      東京   飛鳥  蘭
なまぬるき風の行方や五月憂し     宮城   有賀 稲香
小説を読むやうに聞く春の波      東京   有澤 志峯
水音を跳び越えてゆく袋角       神奈川  有賀  理
段畑にこだましてゐる茶摘唄      東京   飯田 子貢
風巻きて一家絡まる鯉のぼり      東京   生田  武
弾き終へし手にあふれたる薔薇の束   埼玉   池田 桐人
遺影にもにらまれてゐる朝寝かな    東京   市川 蘆舟
潮風に乗せつ消されつ茶摘唄      埼玉   伊藤 庄平
田水張りふるさとの山引き入れる    東京   伊藤  政
釣糸も混じる湊の雀の巣        神奈川  伊東  岬
黄砂降る西川口に中華街        東京   今井  麦
浅草が地鳴りしてゐる三社祭      埼玉   今村 昌史
しづけさや鏡の中の青嵐        東京   上田  裕
葉桜や洗ひ晒しのシャツは風      東京   宇志やまと
逃水やたたみ皺ある旅の地図      埼玉   大澤 静子
春風に押され浮力の一万歩       東京   大住 光汪
鳴き竜の堂百畳の涼しさよ       神奈川  大田 勝行
春愁の行方は雲に預けたり       東京   大沼まり子
花は葉に雲は綿菓子畝傍山       埼玉   大野田井蛙
たんぽぽやここに斃れし兵ほどの    東京   大溝 妙子
植田水に顔をのぞかせ帰りゆく     東京   岡城ひとみ
鶯の初音に目覚む良き日かな      東京   小川 夏葉
炭酸が髭に飛びつく夏隣        愛知   荻野ゆ佑子
物置のいまも錆びゆく日永かな     宮城   小田島 渚
仏壇に告げて新茶を供へけり      宮城   小野寺一砂
霾や床屋の語る父のこと        埼玉   小野寺清人
陵を折り返しては耕せり        和歌山  笠原 祐子
引き金を引けば数多のしやぼん玉    東京   梶山かおり
よく笑ふ人の翼に春ショール      愛媛   片山 一行
浴仏会釈迦は甘党なりぬべし      静岡   金井 硯児
風入れの被爆者名簿に潜む声      東京   我部 敬子
時の日の砂で計りしゆで卵       千葉   川島  紬
恋の詩に置く栞ひも啄木忌       神奈川  河村  啓
大南風吹くや旧道つひに果て      長野   北澤 一伯
競馬場四コーナーに夏来る       東京   絹田  稜
石鹸玉映す濁世の歪みかな       東京   畔柳 海村
子どもらに帰る家あり夕雲雀      東京   小泉 良子
母の日の母は未だにハイヒール     神奈川  こしだまほ
母の日やたづきを紡ぐミシンの音    東京   小林 美樹
古書店の踏台軋む花の冷え       東京   小山 蓮子
隣組死語となりたり郭公鳴く      宮城   齊藤 克之
お遍路に島のふくらむ鳶の笛      長崎   坂口 晴子
車座に頰張るむすび五月晴       群馬   佐藤 栄子
また雨の激しくなりぬ桷の花      群馬   佐藤かずえ
牡丹に酔うて昇れば観世音       広島   塩田佐喜子
鷭の子の親の水輪に浮いて来し     東京   島  織布
のどけしや朝な夕なに富士拝み     兵庫   清水佳壽美
どくだみやもう母の手に余る庭     東京   清水 史恵
髭剃りし跡青々と夏に入る       埼玉   志村  昌
水盗人ひと鍬入れる星明り       神奈川  白井八十八
園丁は傷だらけてふ薔薇の園      東京   白濱 武子
鶯の良き声宿の目覚めかな       東京   新谷 房子
朧夜の東京タワーは膨らみて      東京   鈴木 淳子
遠足は楽し支度はなほ楽し       東京   鈴木てる緒
癌癒えし友と若葉の露天風呂      群馬   鈴木踏青子
雀の子一歩に誤算のなきことを     東京   角 佐穂子
惜春の足を伸ばして天守まで      東京   瀬戸 紀恵
羽繕ひにしばし離れて春の鴨      神奈川  曽谷 晴子
春風や孔雀いつぱい羽ひろげ      長野   髙橋 初風
サーファーの魚群めきたる由比ヶ浜   東京   高橋 透水
佐保姫のきぬずれかとも今朝の雨    東京   武井まゆみ
草笛の鳴らぬ一葉の捨て難し      東京   竹内 洋平
遅くまで囃子響きて夏近し       神奈川  田嶋 壺中
捨て畑に花芽ふくらむ穀雨かな     東京   多田 悦子
独活刻む産土の香を刻むかに      東京   立崎ひかり
子の列に混ざりてそそぐ甘茶仏     東京   田中 敬子
登山靴残る靴箱明易し         東京   田中  道
品書のをどる太文字初がつを      東京   田家 正好
万華鏡その奥底の春愁ひ        東京   塚本 一夫
いつの間に頰杖春の夕ごころ      東京   辻  隆夫
しなやかに結ばれてゐる三葉芹     ムンバイ 辻本 芙紗
粽解く皿にあふるる笹の山       東京   辻本 理恵
勿忘草母の遺影は若すぎて       愛知   津田  卓
いねかての春あけぼのの鳩時計     東京   坪井 研治
春惜しむ消える母校の名を惜しみ    千葉   長井  哲
大浪のごとくに盛られ白子干      大阪   中島 凌雲
三山の恋路取り持つ鯉幟        神奈川  中野 堯司
はるかとは父ありし頃桐の花      東京   中野 智子
春愁や回れば戻る山手線        茨城   中村 湖童
立ち騒ぐ風の色とも竹の秋       埼玉   中村 宗男
ままならぬうつつありけりしやぼん玉  東京   中村 藍人
千枚田田毎田毎の代田かな       長野   中山  中
勝鬨のごと手を挙げて鮑海女      千葉   中山 桐里
丸洗ひしたき大空霾ぐもり       大阪   西田 鏡子
ポツダムはどこにある街敗戦忌     東京   沼田 有希
トランプの兵潜むやも薔薇の園     埼玉   萩原 陽里
待ち時間長き眼下の目借時       東京   橋野 幸彦
落椿木の椿より濃かりけり       広島   長谷川鹿の子
春雨や木場深川にふさはしく      東京   長谷川千何子
傘広げ海月残れる潮溜り        兵庫   播广 義春
遺影にも仰がす万朶のさくらかな    埼玉   半田けい子
緊急入院
死は親し救急車より春の空       埼玉   深津  博
啄木忌ことさら澄める忘れ潮      東京   福永 新祇
あと何度八十路の夫と花の土手     東京   福原  紅
雑草と生きて憲法記念の日       東京   星野 淑子
春雪やあと三年もと医の言葉      東京   保谷 政孝
惜春の凹み戻らぬソファーの座     岐阜   堀江 美州
青嵐過去吹き飛ばすものとして     東京   松浦 宗克
バラ色の人生と言ふ薔薇に棘      東京   松代 展枝
青空を分け合ふやうに松の芯      神奈川  三井 康有
ささくれし母の花茣蓙広げ干す     東京   宮内 孝子
冷奴手抜きを叱る人もなし       神奈川  宮本起代子
二人静峰雲遠く湧き継げる       東京   村田 郁子
父母の時代の記憶つちふれり      東京   村田 重子
ゆく春の作務衣干しある平林寺     千葉   森崎 森平
蜷の道思案のほどに曲がりをり     埼玉   森濱 直之
しばらくは空を濁して代田搔く     長野   守屋  明
逆光も優しき色に春日傘        東京   矢野 安美
短夜や金烏玉兎のせめぎ合ひ      愛知   山口 輝久
あめんぼう身より大きな輪をえがく   群馬   山﨑ちづ子
桜蝦総身のほどの長きひげ       東京   山下 美佐
風神に神頼みして鯉幟         東京   山田  茜
行春や通し土間より日本海       東京   山元 正規
湧き水が川の源流風光る        愛媛   脇  行雲
向ひ風を金剛力に五月鯉        東京   渡辺 花穂
水一杯飲んで始まる野焼かな      埼玉   渡辺 志水





     




     





銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男・選

青饅や待ち人いまだこぬか雨         谷口いづみ
突出しの青饅を前に人を待っているのであろうか。外は小雨の中。状況設定がうまく、句の調べもいい。「こぬか雨」の中に「来ぬか」と抒情を絡ませた言葉遊びも技倆である。同時出句の〈アネモネに秘かな神の血筋かな〉もこの花の持つ凄みのようなものを詠み取っているようだ。


靴墨で消せぬ傷あり三鬼の忌         堀切 克洋
西東三鬼という奇妙な人生を歩んだ俳人の姿を象徴的に捉えているようだ。「靴」に仮託させているが、この傷は人生の傷、時代の傷なのであろう。暗喩が効いている。


葉脈の太き喰ひ込み柏餅           島谷 高水
「物」をよく見ているな、と思う。柏餅の葉を開くと白い餅の肌に葉脈の痕が残っている。この実態を写し取るのが俳句の要諦である。感情は何も入れていない。その分だけ読み手が自由に想像をして感動を深めるのである。同時出句の〈筍の掘り手を廻る籠担ぎ〉も淡々と事実を詠んでいる。掘り手と集める役割の分業があるということは、一刻を争う出荷作業なのであろう。京都辺りの銘品か?


寺の子の駆けづり回る花祭          清水美保子
私の友人を見てもお寺の子は跡継ぎを運命付けられていることが多かった。門前の小僧習わぬ経を読む、ではないが、小さい頃から寺の手伝いが始まっているのだ。花祭なので子供が大勢来ているのだが、寺の子だけは動きが違う。そんな様子をうまく詠み取っているのである。


子供らの中にある撥条風光る         戸矢 一斗
子供の活動力はしみじみ凄いと思う。絶えず飛び跳ねているのだ。それを「撥条」と見たのは卓見である。春の到来と合わせた「風光る」の季語の斡旋もいい。同時出句の〈子の拳ほどの唐揚げこどもの日〉も唐揚げを詩に昇華したうまさ。〈母の日の木漏れ日にゐて母のこと〉の切ない抒情もいい。


米寿には藜の杖を予約せん          中村 孝哲
藜はどこにでも生える一年草で若葉は食用にもするが、夏には背丈ほどになり、堅い茎は杖に加工される。三田きえ子さんに〈ふるさとの藜も杖になる頃か〉という望郷の句があった。この句は「予約せん」にユーモアが籠る。


指立てて風向きをみるペリー祭        本庄  康代
ペリー祭は「黒船祭」のこと。寛永七年ペリー来航を記念して昭和七年に下田市で始まった祭。思えば約百七十年間、戦争があったものの日本と米国の特別な関係が続いている。この句「風向きをみる」が句の胆で、歴史の中の、いや今も右往左往する人間模様を潜ませているようである。


栄螺焼くあゝ松島の潮こぼし         大野 里詩
一読楽しい句である。『おくのほそ道』の旅で芭蕉は松島を詠まなかったけれど「松島やああ松島や松島や」と感嘆して句は詠めなかったという巷説がある。この句はこの巷説の句を本歌取りしているのである。貞門・談林などの時代はこのような句が主流で、芭蕉がそれを文学に高めたのだが、この句は芭蕉の故事を使って談林風にひっくり返したような巧妙な面白さがある。


メーデーや標語掲げし腕いとし        大山かげもと
私が就職した頃からメーデーはすでに衰退していったように思う。経済成長と共に変化していったのである。「腕いとし」に仲間と共闘した時代を懐かしむ気持が滲み出す。ちなみに戦後の社会性俳句の時代も、高度経済成長期に入ると共に衰退していったのであり、俳句も経済の影響下にあることを実感する。


けつまづく筍すでに歯に負へず        北浦 正弘
孟宗竹が日本に普及したのは江戸中期であるから芭蕉が食したのは真竹か淡竹であり、まさに五月から六月に食すものであった。筍は掘るものではなく、切るか折るものであった。以上は余談だが、この句は地上にだいぶ顔を出した孟宗竹なのであろう。こうなるともう食すには堅すぎるのである。「手に負へず」を「歯に負へず」と持ってきたところが手柄で、楽しい句になった。


特攻の世話せし人も茶摘唄          朽木  直
鹿児島の知覧を舞台にした降旗康男監督、高倉健主演の「ホタル」という映画があった。知覧には特攻基地があり、今は滑走路は畑に変わり、面影は無い。そんな時代の変遷を詠んで、悲しい句である。胸を打つ句である。


 

その他印象深かった句を次に


祭笛高音となれば眉もまた          川島秋葉男
古茶すする近しき人の忌日増ゆ        柊原 洋征
目刺食ぶ叙勲の名前眺めつつ         榊せい子
古都といふ安寧に棲み袋角          坂下  昭
観音の往時の色の麦の秋           末永理恵子
ラケットで打ち返されて新樹光        森 羽久衣
新茶汲みいざ鬼平の再放送          白井 飛露



            








                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

仏具屋の旧友と会ふ三社祭       福岡  藤田 雅規
昭和の日伝言板で待つ駅舎       東京  熊木 光代
陽を溜めて内より光る柿若葉      長野  池内とほる
凋みたき時もあらんや水中花      広島  藤堂 暢子
江戸魚商寄進の手水初鰹        神奈川 小池天牛
航跡の後の群青夏来る         千葉  針田 達行
蕗むくや筋山となり夕日落つ      東京  丸山真理子
花びらの重みに揺られ牡丹咲く     東京  北原美枝子
晶子忌や猫背を正すためのヨガ     東京  久保園和美
いづこにも青山のあり朴の花      東京  竹花美代惠
歯応へは命の密度活鮑         千葉  園部あづき
壜詰の帆船ふくらむ若葉風       東京  尼崎 沙羅
足跡のそこだけ跨ぐ蛇苺        千葉  小森みゆき
仏生会鹿も膝折る東大寺        東京  小寺 一凡
男なら上げたき梲鯉幟         神奈川 松尾 守人
母の日の母にモノクロームの母     神奈川 日山 典子

               


星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

春暁の水平線のさだまらず       東京  井川  敏
吉報も禍事もなし春火鉢        東京  石倉 俊紀
浅草にまたぎ提灯夏近し        東京  一政 輪太
新緑を跨ぎてかかる太鼓橋       東京  伊藤 真紀
独り居に籠る目刺の匂かな       広島  井上 幸三
椎若葉峡の谷間を照らしけり      愛媛  岩本 青山
草原の山羊の瞳に立夏かな       長野  上野 三歩
母の日や菜切包丁懐かしき       東京  上村健太郎    
代掻きて常念坊主現れり        長野  浦野 洋一    
揚雲雀ランドセル往く昼下がり     群馬  小野田静江
炊飯器たけのこ飯の香を吹けり     静岡  小野 無道
神輿待つ嘗て紺屋の物干台       東京  桂  説子
活き活きと竿軋ませて五月鯉      埼玉  加藤 且之
幸あると思ふ今年も柳の芽       長野  唐沢 冬朱
自転車を起こしまた乗る夕永し     愛知  河畑 達雄
嬬恋の空の広さやキャベツ畑      群馬  北川 京子
石棺の主に諸説春落葉         神奈川 北爪 鳥閑 
葉桜や宴のあとの葉の戦ぎ       東京  倉橋  茂
香水の忘れてありし洗面所       群馬  黒岩伊知朗
石楠花やおくれ毛ゆらす高嶺風     群馬  黒岩 清子
短夜や愚痴聞くに耳傾けて       愛知  黒岩 宏行
水遣りに丈を伸ばして草若葉      東京  黒田イツ子
隅田川上りの舟の缶ビール       東京  髙坂小太郎
最後まで地震知らぬまま昼寝かな    神奈川 阪井 忠太
アルプスを烏の歩く代田かな      長野  桜井美津江
青田行く風の呟きふくらませ      東京  佐々木終吉
筍の母直伝の味加減          群馬  佐藤さゆり
亀鳴くを聞くは盲亀の浮木なり     東京  島谷  操
粽食ぶ孫の背丈が吾を抜き       東京  清水 旭峰
ぼうたんの紙はぐやうに吹かれけり   千葉  清水 礼子
在五忌や女人高野の塔涼し       大阪  杉島 久江
昼と夜との同居の時刻蚊喰鳥      東京  須﨑 武雄
無垢といふ緑もありて柿若葉      岐阜  鈴木 春水
踏切のなかなか開かぬ遅日かな     愛知  住山 春人
本復の祝の膳に桜鯛          東京  関根 正義
田に放つ水の奔放夏近し        埼玉  園部 恵夏
花辛夷どの顔も似て違ふ顔       東京  田岡美也子
高窓はステンドグラス夏館       東京  髙城 愉楽
この更地もとは駄菓子屋鳥雲に     福島  髙橋 双葉
落葉松の新緑染むる吾妻線       埼玉  武井 康弘
土間奥の干し梅匂ふ通夜座敷       栃木  たなかまさこ
行く春や腰に巻きたるカーディガン   東京  田中 真美
雪吊を解き松風を解き放つ       長野  戸田 円三
薫風や遠き昔の膝枕          埼玉  内藤 明
一日を通院で終へ春深し        東京  中込 精二

信濃路の空の青さや花りんご      群馬  中島みつる
よもすがら黒南風雨戸鳴らしたり    神奈川 長濱 泰子
開き閉ぢ明日も満開チューリップ    京都  仁井田麻利子
木下闇太極拳のぶれぬ軸        東京  西  照雄
鶯と唱和しながら山登る        宮城  西岡 博子
母の日やものは不用と言はれをり    東京  西田有希子
サーファーの横一列に沖めざす     神奈川 西本  萌
新樹光つかまり立ちの稚児かな     東京  野口 光枝
巻き戻す青春の日や春愁ふ       静岡  橋本 光子
缶詰の大和煮食らふ昭和の日      東京  橋本  泰
種袋苗札にして胡瓜蒔く        神奈川 花上 佐都
瀬音かな岩魚焼けたるころ合ひか    千葉  平野 梗華
風に和す腹の太さや鯉幟        千葉  平山 凛語
傷口の治りはじむや芽立時       長野  藤井 法子
ひとしきり賑やか母の日の写真     東京  牧野 睦子
ベランダにそれでも泳ぐ鯉のぼり    東京  幕内美智子
始まりはさみどりの粒七変化      愛知  箕浦甫佐子
つちふるや大仏の組む掌に       東京  棟田 楽人
牡丹園互ひに色をきそふかに      宮城  村上セイ子
颯爽と浴衣が通る跳ね太鼓       東京  家治 祥夫
上野(こうずけ)は見渡す限り麦の秋        群馬  山﨑 伸次
有難く生き存へて仏生会        神奈川 山田 丹晴
初鰹江戸の名残の富士見坂       静岡  山室 樹一
浅間嶺や雨に煙りて夏に入る      群馬  横沢 宇内
神宮の森の百年雨蛙          神奈川 横地 三旦
風薫る手旗信号てふ便り        神奈川 横山 渓泉
さらし巻き腹二叩き三社祭       千葉  吉田 正克
ほしいまま空に伸び行く藤の房     山形  我妻 一男
軒風鈴縁台将棋続きをり        東京  若林 若干
食べ終へし葉の大きさよ柏餅      東京  渡辺 誠子 

  




     









星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

仏具屋の旧友と会ふ三社祭         藤田 雅規
 東京にも様々な祭がある。神田祭、三社祭、山王祭など都心の祭を詠むときにどのようにその特徴を出したらいいのか、といったことにいつも頭を悩ませるものである。この句を見ると、三社祭でしか無いぞ、と思う。決め手は「仏具屋」。浅草は仏具屋が多い。作者は友人である仏具屋の主人か従業員とばったり行き会ったのであろう。そういう生活感や親近感がこの句から滲み出てくるのである。神田祭でも山王祭でもない固有の雰囲気が匂い立ってくるのである。同時出句の〈二度三度浸かる谷の湯若葉寒〉は「若葉寒」の季語が的確。何度も浸かりたくなる気分がよく出ている取合せであった。


昭和の日伝言板で待つ駅舎         熊木 光代
一昔も二昔も前だが、「君の名は」という映画があった。何度待ち合わせても行き会えない物語である。私の若い頃でも携帯電話がない時代なので、よく行き違いが生じたものである。駅の黒板にチョークで伝言を書いたことなどを思い出す。携帯電話が出始めたのは昭和の終りであった。バッテリーを肩から担いだ時代があり、その後軽量化したとはいえ、一㎏位の重さがあったものだ。往時茫々の昭和時代である。同時出句の〈道迷ひなんじやもんじややの花に問ふ〉は「なんじゃもんじゃ」が季語であると共に話し言葉のようにも思われるおかしさを伴う。 


陽を溜めて内より光る柿若葉        池内とほる
 柿若葉の美しさは一瞬といっていいほど短い。緑が濃くなる前の自ら光を発するような瑞々しさをよく捉えた句である。「内より光る」の表現がいい。なおこの頃の柿の葉を掻揚げにすると何とも風雅である。


凋みたき時もあらんや水中花        藤堂 暢子
 水中花という人工の花であるから始めから終りまで咲いたままである。作者は「もう凋みたいと思う時もあるのではないか…」と思う。この想像力が作者の個性。


江戸魚商寄進の手水初鰹          小池 天牛
 江の島の鳥居などの寄進者を見ると、江戸の魚問屋の名前がある。芭蕉に〈鎌倉を生きて出でけむ初鰹〉の句がある如く、江戸に近い漁港は大いに賑わったのである。葛飾北斎の富嶽三十六景の中の特に有名な「神奈川沖浪裏」を見ると大波に揉まれる舟がある。あれこそ鰹舟、江戸の市場へ荒波を突いて直進する舟である。そんなことを偲ばせる句であった。


航跡の後の群青夏来る           針田 達行
 勢いのある句だ。白波を蹴立てて舟が過ぎたあとの海は群青色を深めている。夏の到来を鮮明に描いている。同時出句に〈多羅葉に妻の思ひ出若葉風〉があった。多羅葉は傷を付けた部分が黒褐色になるので写経などに使った。「葉書」という言葉の元になった植物であり、これを頭に置くと様々な想像を呼ぶのである。


蕗むくや筋山となり夕日落つ        丸山真理子
信州育ちの私には実感の湧く句である。保存食として、山のような蕗の筋を取り、茹でて塩漬けにする風景をよく目にしたものだ。山国の生活の一端であり、懐かしく読んだ。


晶子忌や猫背を正すためのヨガ       久保園和美
歌人与謝野晶子の忌日は五月二十九日。あの当時、「君死にたもうことなかれ」と出征する弟を歌った時勢への反骨、鉄幹との恋愛を貫いたこと、十二人の子供を生んだこと、女性として桁違いの人生を歩んだ人である。句の「猫背を正す」が晶子の人生に呼応するところである。最後の「ヨガ」のまとめは、自分にはできないけれど…という滑稽味なのであろう。


いづこにも青山のあり朴の花        竹花美代惠
人生到る処青山有り」は幕末の僧月性の漢詩の一節。ここでいう青山は「志を持って故郷を出たからには、どこで死のうと墓地(・・)となる森はある」という決意である。この句もそのように見る方が味わいがありそうだ。「朴の花」に凜然とした孤高の雰囲気が感じられるのである。


足跡のそこだけ跨ぐ蛇苺          小森みゆき
蛇苺は決して毒を持っているわけではないが、その名前からであろうか、触りたくないものだ。前を歩く人も雑草を踏んで歩くが、蛇苺だけは踏まずに跨いでいったという。蛇苺というものの感じをよく捉えていて類例が無い。 


仏生会鹿も膝折る東大寺          小寺 一凡
奈良公園の鹿は古来神の使いとして保護されてきたもの。仏生会に「膝を折る」というところに、奈良であれば、と納得するのである。鹿にも神仏を崇める血筋があるかと。


その他印象深かった句を次に

歯応へは命の密度活鮑           園部あづき
男なら上げたき梲鯉幟           松尾 守人
母の日の母にモノクロームの母       日山 典子



     














伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(91)

洛中図畳みしあとの花の塵

 洛中洛外図は当時の庶民生活を垣間見ることができて楽しいものだ。たいがい桜の季節が入っており、花見に浮かれている場面がある。この句は屏風から花吹雪が溢れ出てきた、と詠みたかったのである。別の句に〈洛中図より一陣の花吹雪〉という句があり、また〈梅林を余白に洛中洛外図〉がある。写生俳句という枠の中で育った私は、絵の中から花吹雪が出てきてもいいのか?とか、絵の中の梅林や桜は季語として認識してもいいのであろうか?という問題をどうしても抱え込んでしまうのである。その意味でいうと、揚出句はどこからか紛れ込んだ現実の落花が花の塵として、洛中洛外図を片付けたあとに残っていたという体裁を取り、だがもしかしたらその塵は洛中洛外図からこぼれ落ちたものかもしれないという含みを持たせたものである。私は俳句に定型と季語と写生を守るという制約を課している。不自由である。だがこの不自由の中で工夫をするのが俳句の楽しみなのだとも思っている。

一歩とはすなはち百歩百足虫這ふ

 百足虫(むかで))を詠んでみたいと思った。取り合わせよりも一物仕立でその生態をとことん詠み切る方が作り易いのではないかと思った。運動会に二人三脚という競技がある。走者二人の片足を結んで同時に踏み出すのだが、要はその連想で「一歩とは即ち百歩」としたのである。「一」と「百」という数字を組み込んだことも自分としては面白いと思っている。さてこの原稿を書きながら、一体百足虫には何本の足があるのだろうか、という疑問が浮かんだ。調べてみると百足虫には二十一対、三十三対、四十七対、珍しいものには一七〇対などというものも存在するという。つまり「百」は沢山という意味である。俳句の面白さは七十歳を過ぎた私が百足虫の足の数を知りたいと調べる意欲を湧かせるところにある。俳句を詠もうとすると様々な辞典、辞書で確認する必要が生じる。詠む対象物の本意を知る必要が生じるのである。私は知的興味を持っている間は生きている意味があると思っている。




   




     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        











銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






        












掲示板
















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。




         











主宰日録  

  

5月

5月18日(木)
 18時、ひまわり館にて「銀漢句会」。銀漢発祥の句会。本郷三丁目の居酒屋「浦川」で唐沢静男、坪井研治さんと始めて20数年。私は20年ぶりの参加。出席22人、欠席投句11人、計33人出句。終わって水道橋の近くの居酒屋で15人程の親睦会。

5月19日(金)
 午後、調布の俳句講話。終わって今日は飲まずに帰るつもりで仙川「きくや」にて小酌。

5月20日(土)
 昼、岐阜「都ホテル岐阜長良川」にて辻恵美子主宰の「栴檀」第22回総会で講演のあと祝賀会。参加者百26名と。夕方から鵜匠の家を訪ね、船頭さんから色々と話を聞く。あと舟に乗る。19時45分、花火を合図に六隻の鵜舟が出る。快晴で夜空美しく、川風がいい。綺麗な木星を見る。河鹿の声が聞こえる。21時頃、宿に戻る。至れり尽くせりの接待。

5月21日(日)
 5時過起。快晴。窓から稲葉山城と長良川が大映し。至福の時。ゆっくり朝食。10時、名古屋駅に井蛙さんと待合せ、関西本線にて亀山へ。レンタカーで日本武尊の能褒野御墓。亀山城跡、関宿散策。鈴鹿峠を越えて「道の駅 あいの土山」向かいの田村神社。亀山駅に戻り、関西本線で柘植へ。なんと一輛のディーゼル車! 草津線に繋ぎ、南草津。東海道本線で大阪へ。「ハートンホテル西梅田」に投宿。近くの店で乾杯。どて焼、おばけ、刺身などもいい。桜橋の「焼賣太樓」の胡麻そば焼売! これは優れもの。

5月22日(月)
 20時半発。大阪城址公園へ。何10年振りか。井上井月に黄金の井戸の句あり。明治後に訪ねているのである。軍司令部の建物の屋上で薫風の中、ビール。奈良の山、神戸の山が見える。13時過、相生橋筋商店街入口の居酒屋「正宗屋」にて中島凌雲君と会う。魚卵を固めて蟹味噌を塗ったカステラ、土手焼、魚もいい。「はばたき」という鴨の羽の付根焼! 黒門市場、国立文楽劇場などを通って西鶴矢数俳諧の生國魂神社。移動して飛田、ジャンジャン横丁などを歩き、あと大正区の居酒屋「くわ焼き クラスノ」。出し巻卵や揚物。ここで凌雲君と別れる。さて久々、鶴橋へ。「三松」焼肉でマッコリ。キムチ屋で冷麺など。更に串焼き屋と3軒歩く。梅田に戻って昨夜寄った「焼賣太樓」で締める。それにしても7軒の飲み歩き……。連泊。

5月23日(火)
 曇天。9時発。水無瀬神宮。離宮の水を飲む。西国街道を歩き、荏胡麻油で知られる離宮八幡宮、山崎宗鑑住居跡。大山崎町歴史資料館。山崎合戦古戦場を経て、細川幽斎縁の勝竜寺城跡。2万歩は歩いたか。京都に入り、「京都糸屋ホテル」に投宿。錦市場を覗くと「屋台村 錦」というのができていて、八、九割は外人客。なんと日本酒が一杯百円。海老の天婦羅、生牡蠣。17時、「しん」で和田ちゃんと待合せ。ぐじ、皮剥の薄造り、粕汁など。あと先斗町の「すずめ」。

 5月24日(水)
 快晴。10時半発。大谷祖廟墓参。「平野家本家」のいもぼう。実に久々。建仁寺見学。すると金澤翔子展をしていると。翔子さんと母上がいて、今度映画が公開になりますとパンフレットを下さる。「実はその映画監督の義父です」と挨拶。こんな偶然もあるのだなと。映画は「共に生きる 書家金澤翔子」6月2日全国公開。15時、「たつみ」海老天、牡蠣酢、貝柱の天婦羅、どぼつ。あと「京極スタンド」に行くと混んでいて、一つだけ空いた席に案内されたらなんと! 松ちゃんがいる。で、漬物店の高倉屋にある立飲み、昨日行った錦市場の屋台村と巡り、19時半の新幹線で東京へ。

5月25日(木)
 郵便物山積み。各句会の選句、校正他。今度の旅で帽子、眼鏡、土産物を紛失。土産物は東京駅に取りに行く。酒が入るといけない。

5月27日(土)
 11時、日本橋「吉」にて纏句会9人。帰宅して選句。

  5月28日(日)
 10時半、小田急線鶴川駅。「宙句会」吟行会に呼んで戴く。田園を散策。午後、武相荘。15時から和光ポプリホール鶴川」会議室にて5句出し句会14人。あと近くの中華料理店にて親睦会。朝日俳壇に阪西敦子さんが『神保町に銀漢亭があったころ』の書評を書いて下さる。

 5月30日(火)
 彗星集選評を送って7月号の執筆終了。夜、日暮里「雪月花」鈴木忍、栞ちゃん、文子、うさぎ、和雄、清人、肖子、松本由佳さん他。一つ隣の店に加茂住職、鳥居真里子さんなど。真里子さんに「ベサメムーチョ」を歌って貰う。

 5月31日(水)
 10時、つくば駅。伊那北会。バスで小田城跡へ。小田氏350年の平城。筑波鉄道が真ん中を横切っていたが廃線後整備。資料館、ビデオなど見学。歩いて平沢官衙遺跡、古墳など。バスで土浦に出る。駅前の居酒屋で蓮根の土手焼などで一休み。北千住に出て「千住の永見」で飲み直し。21時半には帰宅。健全である。

6月

 6月1日(木)
 10時、三田の専売ビル、「三田俳句丘の会」幹事会。地下でヅケ丼の昼食。13時から句会。あと「そば処 朝日屋」で禪次、研治、綾、和音、洋征さんらと酒盛り。

6月2日(金)
 台風のような雨の1日。エッセイの下調べ。俳人協会の「第62回 全国俳句大会」の選句。予選通過2,000余句。鶏と麩(車麩、近江麩)の鍋。

 6月3日(土)
 10時半、二子玉川のシネコンで、宮澤の監督作品「共に生きる」を見る。いいドキュメンタリー作品!

 6月4日(日)
 15時半から東京宝塚劇場、小池修一郎演出の「カジノ・ロワイヤル」を見る。小池作品としてはいまいちか? 夜、セロリと豚肉の豆豉炒め、鮎の塩焼き。

 6月5日(月)
 9時過の新幹線で京都に向かう。車中で銀漢のエッセイなどなぐり書き。「ホテルイビススタイル京都四条」に荷を解き、書店など散策。京都には面白い本がある。15時、「たつみ」。二週間前にも来た。海老天、酢牡蠣、鰯煮。17時、聖護院の「河道屋養老」にて養老鍋。杉阪大和さん、和田ちゃんと50年前の野村證券京都支店時代の思い出話など。あと木屋町の「すずめ」。2週間前にも来た。宿近くの「萬福」のラーメンを食べてしまう。

6月6日(火)
 昼、奈良新大宮の「桃谷樓ヘルシーガーデン店」にて、深川知子第2句集『緑の夜』出版祝賀会。蟇目良雨、角川書店の石井隆司氏。深川さんの弟の入沢仁氏他、20数名の会。全員が話をする楽しい会。あと「桃谷樓」などを経営されている畑中利久氏と久々、1時間ほど歓談。偶然だが、氏は野村證券の同期入社。先月初孫誕生と。二次会は「蔵」。10数名。遅れて合流する。「蔵」は貸切にしてくれる。大将、女将が「奈良ロイヤルホテル」まで車で送ってくださる。

 6月7日(水)
 朝食、茶粥他。8時半、バス20人にて奈良観光。秋篠寺、新薬師寺、石上神宮、聖林寺。十一面観音堂修復成る。大和八木で解散。深川姉弟より、実に厚いもてなしの旅。感謝!


          











         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



023/8/22撮影  ヘクソカズラ   HACHIOJ






花言葉  「人嫌い」「誤解を解きたい」「意外性のある」


△ ヘクソカズラ
和名の「屁糞葛(ヘクソカズラ)」も葉や茎をもむと悪臭があることにちなみます。
別名の「灸花(ヤイトバナ)」は、花の中心にある紅紫色の部分がお灸のあとに似ていることに、「早乙女花(サオトメバナ)」は、花を水に浮かべた姿が早乙女(田植えをする娘)のかぶる笠に似ていることにちなみます。
その臭いからあまり好かれないヘクソカズラでも、愛らしい花を咲かせる時期があるように、不器量な娘でも年頃になればそれなりに魅力があるということ。


カラスウリ コエビソウ モミジアオイ 百日紅 オミナエシ
アピオス ハゼラン 仏桑華 河骨 アメリカデイゴ
ヘクソカズラ






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20223/8/18








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