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9月号  2023年


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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句












        
             

                        

    

今月の目次








銀漢俳句会/2023/9月号




















   


 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎祇園祭のこと
 コロナ禍で中止になった時期を跨いで、ここ五、六回ほど祇園祭の見物に京都を訪ねている。あの沸騰するような暑さと雑踏の中へ何を好き好んで訪ねるのか、と思われるだろうが、七月に入ると胸が騒ついてくるのが自分でも不思議である。
 祇園祭は清和天皇の貞観十一年(869)に起源を持つというから、ざっと千百年の歴史を有している。ただし戦乱、天変地異の坩堝のような京都のことである。幾度かの中止や延期があった。ざっとそれを辿ってみる。まず平安時代の保元平治の乱の折に一時中止となった。戦国時代突入の端緒となった応仁の乱では京都が焼け野原になったため、前後三十二年間中止となった。その後は太平洋戦争の前後五年間中止されるまで継続されているが、別に延期された記録はある。織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変は六月二日のこと、祭の開催日と接近していたため延期の上開催されたという。また江戸時代には天皇、上皇、将軍の死去の時期が祭に近い場合はやはり延期になったという。幕末の禁門の変(蛤御門の変)では戦火が山鉾町にも及び、甚大な被害を蒙り祭の存続の危機に直面したが町衆の熱意で立ち直っている。
   
祭笛吹くとき男佳かりける  橋本多佳子

の句がある。前述のように太平洋戦争の前後五年間、祇園祭は中止となった。多佳子は復活した祇園祭を訪ねてこの句を詠んだのである。その状況を推察すると、悲惨な結果ではあったがともかく戦争が終わり、生き残った男達が復員し、日本に、家庭に日常生活が戻ってきた。男達は銃や剣を持つのではなく、祭笛や鉦に持ち替えて祭を楽しんでいる。「男佳かりける」には祭の再開を見た多佳子の安堵と感慨が籠められているのではないだろうか。
 さてコロナ禍は日本中の祭を中止に追い込んだが、祇園祭も免れることができず、令和二年・三年の二年間中止となった。もともとこの祭は京都に蔓延していた疫病を封じ込めるための御霊会がその起源であるから、コロナ禍で中止になったのは実に皮肉な結果であった。私は証券会社に就職して最初の勤務先が京都であった。支店は四条通りに面していて、祇園祭では市長が山鉾巡行の順番を確認する「くじ改め」をする重要な関所であり、祭の見せ場の一つであった。その一日のためだけにビルをセットバックして建ててある。当日は大口顧客や粋筋のお姐さんが招かれていたが、私達営業マンはその日のノルマに追われて祭見物などは許されなかった。思えば今、その分を取り戻そうとして京都へ行くのかもしれない。
















 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

山葡萄いま朝日満つ伊達郡          皆川 盤水


先日思い立って皆川家の父祖の地である福島県伊達の桑折(こおり)を訪ねた。多分江戸時代から半田銀山に係わる仕事をしていた一族である。明治期に五代友厚の経営に替わったあと、相次ぐ地滑りにより、盤水先生の祖父の代にこの地を離れ、いわきに移った。旧本籍地は今草叢の中にあり、近くの墓地の墓は昭和の終りの頃いわきに移された。日本三大銀山と呼ばれた半田山は今も地滑りの痕跡を山肌に残していた。(昭和四十六年作『銀山』所収)

  





 






彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 断捨離の最後に残る蝮酒           坂下  昭
 泰山木後退りして仰ぐ花           箕浦甫佐子
 輪郭をまだ持たぬ恋桐の花          白井 飛露
 浜昼顔乾き切つたる雑魚光り         小野寺清人
 軽鳬の子の出ては戻りぬ母の水脈       西田 鏡子
 船遊び誰にともなく手を振りて        小泉 良子
 青春の蹉跌も黴の書となりぬ         坂下  昭
 ぶつかつて代る担ぎ手三社祭         辻本 理恵
 田の神に足をあづける田植かな        こしだまほ
 夏霧の奥は黒潮岬馬             久保園和美
 湖に沈む宿の灯梅雨に入る          山元 正規
 奪衣婆の誰何する辻五月闇          大田 勝行
 丸揚げの恐る恐るに鬼虎魚          中村 藍人
 標識の傾き直し山開             森崎 森平
 李朝の白高麗の青新茶汲む          荻野ゆ佑子
 水飯や町の喧騒冷めやらず          宇志やまと
 八月や焼き尽くされて聞くラヂオ       伊藤  政
 憐憫がつなぐ夫婦や傘雨の忌         池田 桐人
 香水の残り香とゐる終電車          笠原 祐子
 巴旦杏袖で拭へばみな昔           深津  博














     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

断捨離の最後に残る蝮酒           坂下  昭
「断・捨・離」はヨガ行法の用語に「煩悩を断ずる」「ものを喜捨する」「執着を離れる」があり、これが一九七六年、沖正弘著『ヨガの考え方と修行法上巻』で使用されたのが流行語となった端緒だという。ヨガ行法は釈迦もヨガ行者の一人であったので、仏教思想より古い。今はすっかり日常用語になった感がある。この句はそのような言葉を無理なく使った手柄もあるが「蝮酒」の季語の取合せが見事なことである。瓶の底にとぐろを巻く蝮を見たら捨てるわけにもいかず、また飲むのもためらわれるという複雑な心理が仏教用語に託されて、やや大仰に詠み取られているのである。 

  
泰山木後退りして仰ぐ花           箕浦甫佐子
泰山木は北アメリカ原産のモクレン科の常緑高木。「泰山」とは中国山東省の霊山。堂々たる名前はあの大輪の花に相応しい。高木であるだけに真下にいてもその花に気付かない。この句のように「後退りして仰ぐ花」であり、表現に発見があった句である。私の好みでいうと「泰山木ははを強調)」と上五を字余りにしてみると感動の大きさが更に増すように思われる。 

  
輪郭をまだ持たぬ恋桐の花          白井 飛露
桐の花は高い所に密集して咲く花であり、今どんな形状であったのか思い出せずにいる。ただ淡い紫色が目に浮かぶばかりである。という印象を持っていたのでこの句の「輪郭をまだ持たぬ恋」がまるで花言葉のように思われたのである。桐の花を見たらこの句を思い出すだろう。

  
浜昼顔乾き切つたる雑魚光り         小野寺清人
浜昼顔の咲く場所が目に浮かぶようである。小さな漁港の船着場のすぐ横のあたり、魚を揚げたときに零れた雑魚がすぐに乾びて鱗が陽の光に反射している。写生に徹して鮮明な景を切り取っている。

  
軽鳬の子の出ては戻りぬ母の水脈       西田 鏡子
軽鴨(鳬)の子を「かるのこ」と詠む歴史は古い。今も都心の池に生まれた軽鳬の子が親に引率されて横断歩道を渡る風景がテレビのニュース番組に映ったりするが、昔から愛すべき鳥であったのである。この句では池の中では母の水脈の中にいて、時にその水脈からはみ出してもすぐに列に戻るという、ほほえましい生態を詠み取っているのである。

  
船遊び誰にともなく手を振りて        小泉 良子
自分にも覚えがある。遊船で橋の下を潜り抜けるときなどに橋上の人に思わず手を振ってみたりする。そのたわい無い仕種も、船遊びのちょっとした開放感と高揚感の表れなのであろう。

  
青春の蹉跌も黴の書となりぬ         坂下  昭
 生々しい事件を元にしたこの小説も黴の書という感慨。

  
ぶつかつて代る担ぎ手三社祭         辻󠄀本 理恵
この祭の激しさを捉えた。三社祭が動かない。

  
田の神に足をあづける田植かな        こしだまほ
 水口に祀った神への敬意か、田植の神聖さが出ている。

  
夏霧の奥は黒潮岬馬             久保園和美
美しい光景。夏霧の季語で岬馬に躍動感が出た

  
湖に沈む宿の灯梅雨に入る          山元 正規
 「湖に沈む」に入梅の予兆を見た。しみじみとした情感。

  
奪衣婆の誰何する辻五月闇          大田 勝行
 五月闇が彼の世の入口に。奪衣婆の取合せが異色。

  
丸揚げの恐る恐るに鬼虎魚          中村 藍人
丸揚げの虎魚は生よりも恐そうだ。だが実に美味。 

  
標識の傾き直し山開             森崎 森平
 山開の折の作業を淡々と詠み取ったのがいい。

  
李朝の白高麗の青新茶汲む          荻野ゆ佑子
朝鮮半島の二大陶磁器をうまく詠み込んだ。新茶がいい。

  
水飯や町の喧騒冷めやらず          宇志やまと
都市の真夏の一景を自分の処作と組み合わせて佳品。

  
八月や焼き尽くされて聞くラヂオ       伊藤  政
終戦時の記憶か。「ラヂオ」が象徴的である。

  
憐憫がつなぐ夫婦や傘雨の忌         池田 桐人
 夫婦関係も様々。人情の機微を描いた万太郎の世界。

  
香水の残り香とゐる終電車          笠原 祐子
 都会からの帰路の余韻。人生模様が混じる。

  
巴旦杏袖で拭へばみな昔           深津  博
巴旦杏の甘酸っぱさが決め手。不思議な味わいの句。 












 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

石上神宮
伴の緒の武器の宮とや青葉光      東京  飯田眞理子
一樹一樹灯を点すごと袋掛       静岡  唐沢 静男
控へ目で目立ち嫌ひの山あぢさゐ    群馬  柴山つぐ子
富士塚も遠富士山も梅雨の入      東京  杉阪 大和
形代を流す湯殿山(ゆどの)の湯気踏みて     東京  武田 花果
雨脚の島から島へ梅雨入かな      東京  武田 禪次
ひとつづつ暮れゆく泰山木の花     埼玉  多田 美記
起し絵のまさに斬らるる吉良の首    東京  谷岡 健彦
島路地のくまぐまを縫ひ白南風来    神奈川 谷口いづみ
握りたる丈まちまちの初蕨       長野  萩原 空木
黴の宿なれば麻雀牌もまた       東京  堀切 克洋
幸ひに長生きをしてまた夏を      東京  松川 洋酔
八十八夜狭山に畳焚く煙        東京  三代川次郎














         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

けふの風ともにたたみし単衣かな    東京   我部 敬子
富士詣茶柱の立つ坊の膳        静岡   金井 硯児
「考える人」は裸で考へる       埼玉   小野寺清人
抽斗の缶入り肝油夏来る        宮城   小野寺一砂
飛行機にある窓いくつ夏きざす     宮城   小田島 渚
春の蚊のけむりのやうにまつはり来   埼玉   大澤 静子
釣堀や黙の長さを競ひ合ひ       東京   宇志やまと
三傑の逸話も美濃の鵜舟かな      神奈川  有賀  理
昼顔の田舎臭さを親しとも       東京   飛鳥  蘭
梅雨兆す味付け海苔の瓶のなか     長野   守屋  明
紅生姜冷し中華の山頂に        東京   森 羽久衣
十薬や子規のあかるき伊予訛      東京   松代 展枝
葉桜や富士うしなひし富士見坂     東京   橋野 幸彦
北斎の浪の運びし初鰹         東京   多田 悦子
旅衣ぬぎて浴衣の糊を着る       長野   髙橋 初風
薄紙のごとき平和や街薄暑       大阪   末永理恵子
鰻裂く次の鰻を摑みては        東京   島  織布
麦の秋筑紫次郎は急がざる       長崎   坂口 晴子

紫が好きで老いけり茄子の花      宮城   有賀 稲香
新茶摘む富士へ向けたる背負籠     東京   有澤 志峯
夫婦喧嘩長引く梅雨の始まる日     東京   飯田 子貢
筍の浸かる深さの鍋を買ふ       東京   生田  武

黒揚羽寝覚の窓に魂かとも       埼玉   池田 桐人
紫陽花や己の色を何と問ふ       東京   市川 蘆舟
すててこや風に聡きも世に疎く     埼玉   伊藤 庄平
動かさぬものより兆す黴ならむ     東京   伊藤  政
浦風を巻く半島の春キャベツ      神奈川  伊東  岬
明易し国境渡る鉄橋は         東京   今井  麦
海霧が濡らすたてがみ岬馬       埼玉   今村 昌史
別れあふやうに飛び交ふ蛍かな     東京   上田  裕
天へ地へ息揉み上ぐる荒神輿      東京   大住 光汪
黴臭き曼荼羅なれど崇め立て      神奈川  大田 勝行
まくなぎを払ひながらの別れかな    東京   大沼まり子
叱られに来ました父の日の墓前     神奈川  大野 里詩
青嵐いくど曲がるか鈴鹿越       埼玉   大野田井蛙
列島の梅雨前線背骨めく        東京   大溝 妙子
還暦の息子と啜る心太         東京   大山かげもと
代搔くや大きな雲をくづしては     東京   岡城ひとみ
露座仏を包み籠みたる若葉風      東京   小川 夏葉
鳥除けの網は天網麦の秋        愛知   荻野ゆ佑子
わが短慮諭す声とも青葉木菟      和歌山  笠原 祐子
腹だけを慰めてゐる夏蒲団       東京   梶山かおり
風に乗るとき夏蝶の尖りけり      愛媛   片山 一行
釣堀に考へる人をちこちに       東京   川島秋葉男
垂直に箸を進めて鰻食ぶ        千葉   川島  紬
神棚の御神酒と並ぶ蛇の衣       神奈川  河村  啓
木耳や足元くづる朽木林        愛知   北浦 正弘
田の苗と丈一緒なり余り苗       長野   北澤 一伯
房総へ日帰りの旅大西日        東京   絹田  稜
木曾谷の底にかけはし男梅雨      東京   柊原 洋征
駐在所に煮炊きの音や麦の秋      神奈川  久坂衣里子
焙じ茶の匂ふ街角夏めきぬ       東京   朽木  直
横書きか外人墓地に落し文       東京   畔柳 海村
葉柳や川灯台の残る町         東京   小泉 良子
母の日の母は未だにハイヒール     神奈川  こしだまほ
花アカシア旅の車窓に溢れけり     東京   小林 美樹
街角に馬の匂や祭果つ         東京   小山 蓮子
諸々の顔神妙や夏越の輪        宮城   齊藤 克之
玫瑰を愛でつつ雨意の外ヶ浜      青森   榊 せい子
天竜川(てんりゅう)の龍はきまぐれ梅雨出水     長野   坂下  昭
いそぐことなきくらしなり時計草    千葉   佐々木節子
父に受くる末子の恩や桐の花      群馬   佐藤 栄子
まつ直ぐな猫の目に会ふ網戸かな    群馬   佐藤かずえ
曾良の謎解けぬ薄暑の墓前かな     長野   三溝 恵子
糊はがしまづは浴衣に風通す      広島   塩田佐喜子
荻外荘開けてもみたり落し文      東京   島谷 高水
祇王寺に恩讐遥か緑さす        兵庫   清水佳壽美
拾はれしその後は知らず落し文     東京   清水 史恵
製糸場跡に吹かるる桑若葉       東京   清水美保子
足裏に凸凹感じ行く夏野        埼玉   志村  昌
喜雨と呼ぶ千葉県民の日に降れば    千葉   白井 飛露
十六の羽化の眩しき更衣        神奈川  白井八十八
黒文字の切りづらきこと柏餅      東京   白濱 武子
若楓ロープウェイは芦ノ湖へ      東京   新谷 房子
釣堀の快速送る日がなかな       東京   鈴木 淳子
かはほりに空明け渡す夕べかな     東京   鈴木てる緒
息子の岳父は癌
梅雨の雨やゝ静まりて訃報受く     群馬   鈴木踏青子
青嵐曲がれるままの松も古り      東京   角 佐穂子
大仏の胎内若葉風入れて        東京   瀬戸 紀恵
だんだんに我に寄り添ふ盆の月     神奈川  曽谷 晴子
新宿の一瞬黙す驟雨かな        東京   高橋 透水
牧野記念庭園
黴の香もやさし博士の書斎かな     東京   武井まゆみ
鞄に書青水無月の旅切符        東京   竹内 洋平
またひとつ廃校となり子供の日     神奈川  田嶋 壺中
跳ぬるかに白磁に並ぶさくらんぼ    東京   立崎ひかり
今もなほ三鈷の松の新芽ふく      東京   田中 敬子
涼風に足を投げ出す畳かな       東京   田中  道
玉子焼少し甘めに子どもの日      東京   田家 正好
咲きみちて影てふ色を白牡丹      東京   塚本 一夫
下戸は下戸なりに箸もつ初鰹      東京   辻  隆夫
一面のむら無く乾き麦の秋       ムンバイ 辻本 芙紗
腕の子起こさぬやうに花茣蓙へ     東京   辻本 理恵
明易き世はもう母の亡き世界      愛知   津田  卓
岩清水指にルルドの十字きる      東京   坪井 研治
母の日の泣き出しさうな朝の空     東京   戸矢 一斗
ふる里を囲ひ込みたる牛蛙       千葉   長井  哲
台詞より黙おそろしき夏芝居      大阪   中島 凌雲
浴衣着て薬見せ合ふ同窓会       神奈川  中野 堯司
十薬のはびこる男所帯かな       東京   中野 智子
蜘蛛の囲をバス路線図に張らずとも   東京   中村 孝哲
夏帽子県都に古き百貨店        茨城   中村 湖童
たゆたへる桶の傾ぎや鮑取       埼玉   中村 宗男
建前の鯛の折詰風薫る         東京   中村 藍人
首結ひの鵜匠の情と非情かな      長野   中山  中
帰省して天井板の顔に会ふ       千葉   中山 桐里
厨房に藁積んであり初鰹        大阪   西田 鏡子
ポツダム大尉と言はれし兄の敗戦忌   東京   沼田 有希
少女らは羽化のごとくに更衣      埼玉   萩原 陽里
父の忌のやや長けし蕗折りにけり    広島   長谷川鹿の子
重みだけ枝撓らせて青蛙        東京   長谷川千何子
神能の舞台の松も梅雨に入る      兵庫   播广 義春
舟渡御や氏子となりぬ都鳥       埼玉   半田けい子
今さらに気付く大きさ枇杷の種     埼玉   深津  博
万太郎忌祭の前の川澄めり       東京   福永 新祇
吾子遠く飾り兜の緒は褪せし      東京   福原  紅
辣韮漬け朝まで回す換気扇       東京   星野 淑子
雪柳妻をたよりのわがままで      東京   保谷 政孝
茹で上がるそら豆稚のゑくぼめく    岐阜   堀江 美州
村上護先生忌三句
五月晴墓石に大き日のぬくみ      埼玉   本庄 康代
五月雨の激しき音は行に似て      東京   松浦 宗克
鱚釣りや本州めがけ竿投ぐる      神奈川  三井 康有
紫陽花の今年の色を土に聞く      神奈川  宮本起代子
ダービーや蹴上ぐる芝の怒濤寄す    東京   村田 郁子
朴の花の錆尽くしたる船着場      東京   村田 重子
木道の果ては湧水大夏野        千葉   森崎 森平
無くなりし町名のある団扇の柄     埼玉   森濱 直之
鯉降りて矢車星と語り初む       東京   矢野 安美
蛍袋に悔いの幾許閉ぢ込むる      愛知   山口 輝久
花の名を言ひ合うてゐる夏帽子     群馬   山﨑ちづ子
幕臣の拓きし台地より新茶       東京   山下 美佐
まくなぎを払ひて抜けてうつし世に   東京   山田  茜
鯉のぼり潮風の揉む漁師町       東京   山元 正規
竹皮を脱ぐ予兆とも震へをり      東京   渡辺 花穂
二枚買ふ新樹の箱根周遊券       埼玉   渡辺 志水
























     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選


形代を流す湯殿山(ゆどの)の湯気踏みて        武田 花果
出羽三山の湯殿は温泉の岩が御神体である。この句「湯気踏みて」と地勢の特徴を把握した巧みな表現。


ひとつづつ暮れゆく泰山木の花        多田 美記
泰山木という花をよく観察した句である。天上を向く大柄な花だけに「ひとつづつ暮れ」が実感を伴うのである。 


けふの風ともにたたみし単衣かな       我部 敬子
 気持のいい把握である。木綿や麻などの肌触りのいい素材だけに、風と共に畳むという表現が爽快なのである。

 

富士詣茶柱の立つ坊の膳           金井 硯児
富士吉田辺りの宿坊であろうか。登山前夜の夕食の膳での嘱目。茶柱が立ったという幸先のいい出立である。


「考える人」は裸で考へる          小野寺清人
ロダンの名作「考える人」は日本にも複数が存在する。「裸で考へる」とは何とも愉快な表現であった。


抽斗の缶入り肝油夏来る           小野寺一砂
子供の頃病弱な子に肝油が配られた記憶がある。鱈や鮫の肝臓で製する。「夏来る」の勢いがいい。


飛行機にある窓いくつ夏きざす        小田島 渚
 ジャンボ機であればどれほどの窓があることか。「窓いくつ」に夏の旅行シーズン到来の高揚した心が感じられる。


春の蚊のけむりのやうにまつはり来      大澤 静子
春の蚊と夏の蚊の違いを見事に捉えた。どこか弱々しさがある感じを「けむりのやうに」と詠んだのが的確。 


釣堀や黙の長さを競ひ合ひ          宇志やまと
釣堀という特殊な場所の特徴をうまく捉えている句だ。釣果よりも「黙の長さを競ひ」とした観点がいい。


三傑の逸話も美濃の鵜舟かな         有賀  理
長良川から岐阜城を見上げると戦国時代の英雄に思いが及ぶものだ。斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉……? 


昼顔の田舎臭さを親しとも          飛鳥  蘭
 確かに朝顔と較べると、昼顔はどこか凛々しさに欠ける。だがその田舎臭さを「親し」と見た優しさがいい。


梅雨兆す味付け海苔の瓶のなか        守屋  明
 何が一番湿気に弱いかといえば、かねがね味付け海苔だろうと思っていたのだ。先を越された思いである。


紅生姜冷し中華の山頂に           森 羽久衣
 食べ物俳句は旨そうに詠めるかどうかが鍵。この句を見たらほとんどの人が冷し中華を食べたくなる筈だ。


十薬や子規のあかるき伊予訛         松代 展枝
二十代の終りから病臥にあった子規だが、明るさを保った人生であった。十薬の季語の斡旋は卓抜である。 


葉桜や富士うしなひし富士見坂        橋野 幸彦
 富士見坂の名は数多いが、もはや都心では富士山の見える富士見坂は皆無だという。葉桜の取合せも鮮明だ。


北斎の浪の運びし初鰹            多田 悦子
「神奈川沖浪裏」に浮かんでいるのは鰹を江戸に運ぶ舟だという。危険を冒しても一番で河岸に急ぐ舟。


旅衣ぬぎて浴衣の糊を着る          髙橋 初風
糊の効いた浴衣を剝がすといった句は既に沢山ある。だが「糊を着る」とまで詠んだ句は知らない。機知の句。


薄紙のごとき平和や街薄暑          末永理恵子
ウクライナ侵略に絡む句は数多あるが、俳句はこのように詠むのがいい。いかに冷静で、普遍性を保つかが肝。 


鰻裂く次の鰻を摑みては           島  織布
 丑の日の鰻屋であろうか。活気ある厨の様子を捉えて見事である。一物仕立てで無駄な言葉が全く無い名作である。


麦の秋筑紫次郎は急がざる          坂口 晴子
筑紫次郎とは筑後川のこと。阿蘇を発して九州四県を流れる大河。「急がざる」がこの川の特徴を捉えている。 















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
長老の息絶え絶えの祭笛        岐阜  鈴木 春水
六尺の男かはゆし三尺寝        群馬  北川 京子
薫風や旅終へてまた旅を練る      埼玉  内藤  明
なめらかに閉づる抽斗更衣       千葉  園部あづき
夜具にまでどくだみ匂ふ山の宿     千葉  小森みゆき
更衣妻の見立てに逆らへず       東京  中込 精二
石段は神への道よ山青葉        千葉  針田 達行
一尾だに逃さぬ簗の轟轟と       千葉  平山 凛語
蝙蝠の出て炭鉱の町暮るる       埼玉  加藤 且之
紫陽花に染まつてしまふ立ち話     東京  渡辺 誠子
ほどほどで止むこと出来ぬ草むしり   長野  藤井 法子
蔵開く光なぞへに飛燕かな       東京  尼崎 沙羅
小満や畝盛り上ぐる鍬の音       東京  関根 正義
ソーダ水本屋が好きで本嫌ひ      神奈川 日山 典子
梅雨曇丹念に拭く眼鏡かな       東京  北原美枝子
姿見の吾に呟く更衣          東京  倉橋  茂






星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


母の日や老いても母を偲ぶ子に     東京  井川   敏
公園に鶴の噴水官庁街         長野  池内とほる
空梅雨や毎夜眺むるアンタレス     東京  石倉 俊紀
跨線橋続く鉄路の夏野かな       東京  一政 輪太
空の色に染めるも嬉し単衣物      東京  伊藤 真紀
いつもある車の中の団扇かな      広島  井上 幸三
この里に老いを定めて鮎守る      愛媛  岩本 青山
長男と生まれし庭の木下闇       長野  上野 三歩
明滅のやや翳りある恋蛍        東京  上村健太郎
炎天の熱田詣でやひつまぶし      長野  浦野 洋一
五月野に見え隠れする帽子かな     群馬  小野田静江
望郷や浜昼顔のひとりごと       静岡  小野 無道
単衣着て軽き会釈や木挽町       東京  桂  説子
捩ぢるやうに出て噴水の飛散せず    長野  唐沢 冬朱
つちのこを捕れば一億山若葉      愛知  河畑 達雄
新樹光頼りに覗く観音堂        神奈川 北爪 鳥閑
通勤の車窓明るき新樹かな       神奈川 北出 靖彦
鶏鳴の方を見遣れば羽抜鶏       東京  久保園和美
凄烈に地球の底へ滝落つる       東京  熊木 光代
異常なしの医師の一声五月晴れ     群馬  黒岩伊知朗
帰省子の少し染まりし京訛       群馬  黒岩 清子
蓮池の膨らみ未だガラス越し      愛知  黒岩 宏行
慈悲心鳥鳴いて木魂をゆりおこす    東京  黒田イツ子
草笛のなべて短調千曲川        東京  髙坂小太郎
葉桜や落ち着き戻る飛鳥山       東京  小寺 一凡
蚯蚓這ふ我が人生の如く這ふ      神奈川 阪井 忠太
鵜匠の目時に鋭くやはらかく      長野  桜井美津江
小満や天狗風呼ぶ薬王院        東京  佐々木終吉
懐かしき駄菓子手に取る梅雨晴間    群馬  佐藤さゆり
大風へ逆立つごとき栗の花       東京  島谷  操
油照坐して信玄動かざる        東京  清水 旭峰
建前の木の香芳し夏始め        千葉  清水 礼子
稲妻の瞬時を泛ぶ軒庇         大阪  杉島 久江
狛犬の苔むす神社蟬しぐれ       東京  須﨑 武雄
焼酎の南の国の香りかな        愛知  住山 春人
清亮寺
蔦茂る医学はじめの腑分け塚      埼玉  園部 恵夏
傘は杖銀座の地下も梅雨の入り     東京  田岡美也子
梅雨出水まちのはづれの供養塔     東京  髙城 愉楽
新宿に地下芝居あり修司の忌      福島  髙橋 双葉
黒南風や鳴く海猫も旅の果て      埼玉  武井 康弘
来し方の我が道たしか蝸牛       東京  竹花美代惠
門前町といへども五戸ほど青葉寒    栃木  たなかまさこ
子等と見る乗り物図鑑夏の旅      東京  田中 真美
花茣蓙や座敷に大き花の園       広島  藤堂 暢子
梅雨の灯を練り込み朱肉甦る      長野  戸田 円三
黒南風やガス灯うるむ港町       群馬  中島みつる
富士塚の背後に青葉御神木       神奈川 長濱 泰子
緑さす車窓に故郷近づけり       京都  仁井田麻利子
悠久の葵祭に走馬の儀         東京  西  照雄
母の日に花の精まで届きたる      宮城  西岡 博子
篝火の残像も燃ゆ鵜飼かな       東京  西田有希子
日盛りを影踏みの子の逃げ惑ふ     神奈川 西本 萌
移り気を色に出しけり七変化      静岡  橋本 光子
明易し瞼の外に感じつつ        東京  橋本  泰
老鶯の一声夕餉の箸止まる       神奈川 花上 佐都
噴水を背に各々の昼休み        長野  馬場みち子
青蛙如雨露の水をくれてやろ      千葉  平野 梗華
人去りし斎場の空黒揚羽        千葉  深澤 淡悠
駆くやまた地面ほじくる羽抜鶏     福岡  藤田 雅規
林火句の書きある団扇枕辺に      東京  牧野 睦子
産土へ参る晴れ着や梅雨晴間      東京  幕内美智子
鮎の香や薄くなりにし故郷も      神奈川 松尾 守人
ソーダ水思ひの丈は飲み込まむ     愛知  箕浦甫佐子
掌のさかな零れて簗しぶき       東京  棟田 楽人
亡き父の数珠を握りて遍路かな     東京  無聞  益
海霧深し魚の美味い街に住み      宮城  村上セイ子
ひとつ家に無言の夫婦火取虫      東京  家治 祥夫
梅雨空や今日も降るかと鍬を持つ    群馬  山﨑 伸次
東西の皇女の競ふ薔薇の苑       神奈川 山田 丹晴
道標と斑猫違ふ分かれ道        静岡  山室 樹一
青葉木菟煩悩数へ男坂         群馬  横沢 宇内
万緑に明け万緑に暮れて山       神奈川 横地 三旦
青芝に羽広げゐて鳩静か        神奈川 横山 渓泉
極楽寺改札出でて虎が雨        千葉  吉田 正克
風さわぐ川のほとりの行々子      山形  我妻 一男
兎鳴く亀が鳴くとは我識らず      東京  若林 若干





















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

長老の息絶え絶えの祭笛          鈴木 春水
近頃はどこの祭でも若者の数が減って、運営に支障が出るほど深刻な状態だという。いきおい年寄りが昔取った杵柄で頑張るしかないようだ。この句ではおかしくも悲しい現代の祭の実態を捉えている。同時出句の〈大方は綱に引かれる祭かな〉も同様で、祭の予行演習が行き渡らずぎくしゃくしている感じである。現代の一景を捉えて面白い。 


六尺の男かはゆし三尺寝          北川 京子
三尺寝をしている男を「かわいい」という。野外で仕事をして疲れ果てて寝ている男は確かに尊いなと思う。三尺寝で、直接作者の感情を入れた珍しい表現の句となった。同時出句の〈六月や風は明日の雨含む〉は六月という微妙な季節を上手く捉えている。


薫風や旅終へてまた旅を練る        内藤  明
青葉の風が薫る、旅をするのに実にいい季節である。戻ったらすぐ次の旅を計画するというところに、梅雨に入る前の貴重な期間の心の動きがよく出ているようだ。「旅を練る」という措辞に思案の様子が想像されて楽しい句となった。同時出句の〈万緑や青さに重みある如し〉も色の濃淡に「重み」を感じるという視点がいい。


なめらかに閉づる抽斗更衣         園部あづき
 薄暑を迎える直前の頃か、夏の衣類に着替える。簞笥の中も入れ替えるのだが、その抽斗が「なめらか」な滑りであった、というのが上手い。その頃の季感をよく捉えているのである。更衣の明るい気分が溢れているようだ。同時出句の〈ハンモック空の傾く日和かな〉〈昼寝子の神童めきぬ眉間かな〉も各々いいところを把握している。


夜具にまでどくだみ匂ふ山の宿       小森みゆき
どくだみは独特の匂を持つ。この句では山峡の宿に泊まるとどくだみの匂に包まれていて、夜具にまで染み付いていたという。作者にとっては決して嫌な匂では無かったのであろう。そんなところがこの句のいいところだ。 


更衣妻の見立てに逆らへず         中込 精二
 私もそうであった。衣類は自分で買ったことが無く、妻任せであった。ごく稀に自分で買っても不評であった。まさに「妻の見立てに逆らへず」なのだ。でも私もこの句の作者もそれで満足しているのである。


石段は神への道よ山青葉          針田 達行
日本の最も古い神はその土地に降臨した依代である磐座である。奈良の大神(おおみわ)神社も建物はあくまでも拝殿であり、神は三輪山上の岩々である。そうしたことを捉えた句で、山青葉の季語の斡旋が瑞々しいのである。


一尾だに逃さぬ簗の轟轟と         平山 凛語
掛けたばかりの簗なのであろう。青竹も瑞々しく緻密で水量も豊かである。夏の簗の勢いのよさが「一尾だに逃さぬ」の措辞で明瞭である。活気を確と掴んでいる。


蝙蝠の出て炭鉱の町暮るる         加藤 且之
 石炭産業は過去のものとなった。戦後の花形産業も、昭和三十年代初めまでが最盛期で急速に衰退産業に変わった。夕張市などは財政破綻をしたのであるから苛酷な歴史である。その廃鉱山は今、人も減り蝙蝠が飛ぶばかりである。


紫陽花に染まつてしまふ立ち話       渡辺 誠子
 紫陽花とはまさにこんな感じである。印象深い紫であり青である。立ち止まればその色に染まってしまいそうだというのは感性の鋭さである。違う花では入れ替えが効かない取合せであった。


ほどほどで止むこと出来ぬ草むしり     藤井 法子
 作者は勤勉な人なのであろう。一度始めたからには最後まで手を抜くことができないのだ。炎天下に腰をかがめての重労働であるが、やるしかない。そんな性格がよく出ているようである。


蔵開く光なぞへに飛燕かな         尼崎 沙羅
一読気持ちのいい句である。蔵の扉を開いて空気を入れ換える。蔵壁に素早い影を引きながら燕が飛び交う。白い漆喰の壁と光のような燕の動きを捉えて鮮やかである。 


小満や畝盛り上ぐる鍬の音         関根 正義
 「小満」は五月の中旬。活発に万物も動く頃で、畑仕事も忙しい時期である。句は「畝盛り上ぐる」が具体的で、景が新鮮である。
その他印象深かった句を次に

ソーダ水本屋が好きで本嫌ひ        日山 典子
梅雨曇丹念に拭く眼鏡かな         北原美枝子
姿見の吾に呟く更衣            倉橋  茂



















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(92)
  
みすずかる信濃は大き蛍籠

 伊那谷での子供時代、蛍は身近なものであった。十分も歩けば野川に蛍が飛んでおり、箒や団扇で蛍狩りをした。家の庭に迷い込んでくるものもあった。そんな長閑な時代も高度経済成長期に突入すると壊滅してしまった、そんな中、伊那谷では飯田線の始発駅の辰野町では町を挙げて蛍の繁殖を図り、見事に復活させて今や全国に知られる名所となった。おびただしい蛍が湧き上がり乱舞する。何千匹、何万匹いるのであろうか、緑滴る山を背景に幻想的な光景を現出する。この群舞をどう表現したらいいのであろうか……思案の末、信濃国全部を「蛍籠」に見立ててしまえばいいのだと思い付いた。「信濃は大き蛍籠」となる。では上五は? 他に言いたいことは無い。では信濃の枕詞を置くだけにしよう。ということでこの句が成立したのである。第一句集『銀漢』に〈初蛍信濃は夜もあをあをと〉がある。瑞々しさでは前者、後者は技あり、となろうか。俳句は年齢によって変わるものである。
  
階段に永久の暗さや夏館

 「夏館」は歳時記を開くと和洋を問わないとあるけれど、私の頭の中ではどうしたって洋館である。私の育った環境には洋館などは無く『怪人二十面相』などの絵入りの小説などで想像を膨らませるばかりであった。その後、横浜や神戸の洋館も見学しているが、江戸川乱歩の世界を脱出することはできないでいる。一番印象深かったのは若い頃ドイツに留学している兄を訪ねてロマンチック街道を巡った時である。様々な洋館を訪ねた。中でも旅の終点ノイシュヴァンシュタイン城は圧巻であった。破滅的な浪費を繰り返し、ワーグナーを愛し四十歳で謎の死を遂げたバイエルン国王ルートヴィヒ二世の館である。妖しい歴史があるだけに隅々に暗い影を感じたのである。グリム童話の『赤ずきん』『白雪姫』『ハーメルンの笛吹男』……などドイツは童話の中にも禍々しい話が多い。私の中では「夏館」も「冬館」も洋館で、涼しいとか寒いという皮膚感覚よりも「怖さ」が先に立つのである。






     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        












銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。








        










掲示板

















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。

















主宰日録  

  

6月

6月9日(金)
7時過のはやぶさにて一ノ関。清人さんの出迎えを受け、7名、中世からの形態を保つ「骨寺村荘園遺跡」へ。激しい雨の中ながら、資料館、散策を楽しむ。あと気仙沼へ。大島の「桜田」にて小野寺一砂、かっちゃんと合流。10句出し、親睦会。海鞘、刺身などふんだん。戻ってスナック「バレンタイン」に入り、二次会。歌う。途中で抜けて「大鍋屋」に泊まり。

6月10日(土)
かつて銭湯「亀の湯」を経営していた齊藤克之さんを訪ね津波の話など聞く。裏の旧歓楽街跡などを散策。11時、大島の小野寺一砂さん宅。菊田志尚さんと、小田浜の菊田さんの漁場へ。舟で、牡蠣、帆立、海鞘の養殖場を廻り説明を受ける。その場で引き揚げた海鞘を割いてもらい海水で洗ってかぶりつく。絶句! 小野寺家に戻って小野寺信一さんご夫婦、清人さんの友人、清水医師、志村さん、森平、紬さん、政、まほさん、私の兄夫婦も参加してパーティー。海鞘、牡蠣、帆立、つぶ貝。信一さんからの仙台の牛舌、栄螺他。一砂さんの鮪……。記憶は飛んでいる。酒あまた。19時過までいたのであろうか。「大鍋屋」で茶碗酒を飲んでお開き。

6月11日(日)
「大鍋屋」の朝食佳し。あいにくの雨。クーポン券戴いたので、魚市場で乾物類購入。9時半、「森は海の恋人植樹祭」の会場へ。五日市征和さんと合流。畠山重篤さんと挨拶。今回は500人位参加しているとか。3キロくらい歩いて植樹。正午前、皆と別れ、五日市、兄夫婦と釜石経由で遠野へ。河童淵、伝承館など。夕方、「夏油温泉観光ホテル」着。透明ながら力のある湯。夕食は山菜中心。佳し。21時には寝る。

6月12日(月)
5時過に起きて温泉。結局、昨日から四つの湯に浸る。9時半発。橅林など良い。平泉の達谷窟毘沙門堂。「世嬉の一」の酒蔵。餅御膳にあるレストラン、「果報もち膳」で旅のしめくくり。

6月13日(火)
雑用数多。「銀漢本部句会」「奈良吟行」の選句他。夜、発行所にて「火の会」9人。あと、銀漢亭と同じ頃開店した「明治屋」に初めて寄ってみる。

6月15(木)
午後神保町、辻隆夫さんと句集出版についての打ち合わせ。18時半、ひまわり館にて「銀漢句会」。終って近くの中華屋で親睦会。

6月16日(金)
岩野歯科定期検診。午後、調布で俳句講話。松尾芭蕉について。2時間ほど。あと洋平さん他と茶話会。仙川で降りてやはり「きくや」……小酌。

6月17日(土)
数句会選句。「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」のエッセイ一本送る。久々、家族揃う。韮の黄身和え。和布の茎の煮物、胡瓜とセロリの胡麻油漬、ピーマン肉詰など。

 6月18日(日)
終日家。「銀漢」8月号の選句。数句会の選句。昨日の残りの挽肉に海老、エリンギなどを刻み込んだハンバーグ。父の日とて桃子より帽子を貰う。

6月19日(月)
久々、農家。甘唐辛子炒め、鰹節絡め。終日選句。

6月20日(火)
14時半、ひまわり館。「萩句会」選句。久々、お会いする方々。後、「新世界飯店」にて親睦会に呼んでくださる。別れて「魚勝」で一杯だけ。

 6月21日(水)
絹田さんの紹介でイタリアの発泡酒、大割引で入手。送金。「銀漢」8月号の選句稿各担当に投函。海鞘胡瓜、鰹の叩きと玉葱。人参千切りのサラダ。

 6月22日(木)
農家。胡瓜、いんげん、じゃが芋、ズッキーニなど入手。「銀漢」8月号の同人、会員選評書く。夜中に起きて彗星集選評を書き終了。

6月23日(金)
午後、国立天文台(三鷹)。行方克巳先生の紹介で見学会に参加。武田編集長も。案内は、日江井先生(国立天文台名誉教授、元明星大学学長)92歳と。実にお元気で驚嘆。ドームシアターで立体眼鏡で解説を聞く。帰路、吉祥寺「伊勢屋」他2軒ほど梯子。

 6月24日(土)
11時、日本橋「吉」にて「纏句会」。9人。14時過の高速バスにて河口湖。高部務さんの別荘に入る。夜、「富士急ハイランドホテル」にてしゃぶしゃぶを馳走になる。いつもの別棟を借りて23時、就寝。

6月25日(日)
7時半までゆっくり寝る。テラスで朝食。高部氏はゴルフへ。私は山椒の実の摘み取り。蕗の収穫。午後は部屋で勉強。18時半、「リチェッタ」料理佳し。特にピザ! 戻って歓談。22時。

6月26日(月)
5時起き、芭蕉の本など。7時半、テラスで朝食。11時、富士山駅まで送って貰う。電車で帰宅、14時。鶏ももの山椒煮、蕗の昆布、山椒の葉の炊き合わせ。

6月27日(火)
「俳句界」9月号の「秋の食べ物」8句とエッセイ送る。17時半、日暮里の蕎麦店「狩野川」、清人、るぴちゃんと待ち合わせ。刺身で近江の「喜楽長」。19時、「雪月花」へ。

6月28日(水)
13時、町田、「早蕨句会」の対面句会再開とて呼んで下さる。大野里詩さん他、懐かしい面々。あと中華料理店の親睦会で馳走を受ける。あと成城学園前の「呑みくい処 城下」で大和さんと小酌。

6月29日(木)
16時15分より、日暮里本行寺にて、故、村上護先生の没後10年の法要、偲ぶ会。40名ほど。発起人は越村蔵、水内慶太、森忠彦氏。久々、加古宗也、池田澄子さんなどにお目に懸かる。あと「夕焼け酒場」で2次会。20名ほど。献句〈俳諧の護り人とぞ墓涼し〉
俳諧の護り人とぞ墓涼し

 6月30日(金)
「丘の風」33号へ、鈴木貞雄『花鳥雑記』書評2,000字ほど送る。

7月

7月1日(土)
二子玉川にて対コロナワクチン、モデルナ、6回目接種。午後、若干の気怠さあり。久々、豚汁作る。海鞘胡瓜。

7月2日(日)
気怠さ残る。「第32回信州伊那井月俳句大会」の選句(応募1364句)伊那市へ送る。夜、ステーキ、ニンニクチップ沢山、サラダ。

 7月3日(月)
「銀漢」8月号の校正。今回は多田悦子さんに返送。ヘアメイクの中川さん来て短く整髪してもらう。久々。夜、冷凍庫に眠っていたローストビーフ、焼豚、河豚一夜干など。どれも銘品。

 7月4日(火)
7時前、西船橋駅前に高校同期、北原泰明君の車と待ち合わせ。福島へ向かう。半日、銀山跡の皆川盤水先生の先祖の地を訪ねる。明治の地滑りで崩落、いわきに出るが、それまでの家の跡地。墓地跡、菩提寺、長泉寺などを巡る。飯坂温泉旧堀切邸、義経家臣佐藤兄弟を弔う医王寺、旧伊達郡役所、献上桃選果場も。ホテルメッツ福島に投宿。夜、皆川文弘さん、友人M氏来てくれて、酒場「ビバフレンド」で会食。

 7月5日(水)
6時起。9時発。三春。三春城跡。「三春町歴史民俗資料館」。福聚寺訪問。泰明君いきなりご住職にお会いしたいと。本堂に案内される。住職とは芥川賞作家の玄侑宗久氏。持参の本にサインを貰う。快く受けて下さり、別に著書2冊のプレゼントも受ける。少々お話を伺う。泰明君の行動には驚かされる。水戸へ向かう途中、棚倉城跡を見付けて寄る。袋田の滝は30年振りか。茶店で鮎の塩焼と蒟蒻田楽で酒一合の昼食。夕方、「ホテルメッツ水戸」に投宿。行き当たりばったりの店で夕食。泰明君と別れて2軒梯子。2軒目の「ろばた焼 満月城」は可。湯葉豆腐、鰹刺、酒は「一品」。

 7月6日(木)
7時半から小雨の中散策。東照宮三の丸、二の丸、本丸(水戸一高)など、9時まで。巨大な城郭、さすが水戸藩!那珂湊漁港の市場に寄り、白洲釜揚、鰹二本、鰺の干物、あこう鯛の粕漬など買う。2時半西船橋で別れる。夜、鰹を焙って叩きに。いい旅を終える。














         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2023/9/20撮影   アカザカズラ(オカワカメ)   HACHIOJ




    


花言葉     「永遠の愛」


ウンナンヒャクヤク(雲南百薬)
オカワカメは南アメリカの熱帯地域が原産とされるツルムラサキ科のつる性植物の葉で、正式な和名は「アカザカズラ」と呼ばれているものです。別名「雲南百薬(ウンナンヒャクヤク)」とも呼ばれ、非常に栄養成分に富んだ食材で知られています。
ツル性植物なので、カズラ(蔓)と付く。別名としてマデイラカズラとかツルアカザとかあるが、流通名はウンナンヒャクヤク(雲南百薬)とのこと。



アメリカデイゴ 酔芙蓉 酔芙蓉 ジャカランダ
シュウメイギク ルリマツリ 紫苑 アカザカズラ






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20223/9/21








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