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9月号 2023年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 主宰日録 今月の写真 俳人協会四賞受賞式 銀漢季語別俳句集 |
伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2023/9月号
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先日思い立って皆川家の父祖の地である福島県伊達の |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選断捨離の最後に残る蝮酒 坂下 昭
泰山木後退りして仰ぐ花 箕浦甫佐子
輪郭をまだ持たぬ恋桐の花 白井 飛露
浜昼顔乾き切つたる雑魚光り 小野寺清人
軽鳬の子の出ては戻りぬ母の水脈 西田 鏡子
船遊び誰にともなく手を振りて 小泉 良子
青春の蹉跌も黴の書となりぬ 坂下 昭
ぶつかつて代る担ぎ手三社祭 辻󠄀本 理恵
田の神に足をあづける田植かな こしだまほ
夏霧の奥は黒潮岬馬 久保園和美
湖に沈む宿の灯梅雨に入る 山元 正規
奪衣婆の誰何する辻五月闇 大田 勝行
丸揚げの恐る恐るに鬼虎魚 中村 藍人
標識の傾き直し山開 森崎 森平
李朝の白高麗の青新茶汲む 荻野ゆ佑子
水飯や町の喧騒冷めやらず 宇志やまと
八月や焼き尽くされて聞くラヂオ 伊藤 政
憐憫がつなぐ夫婦や傘雨の忌 池田 桐人
香水の残り香とゐる終電車 笠原 祐子
巴旦杏袖で拭へばみな昔 深津 博
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伊藤伊那男・選
出羽三山の湯殿は温泉の岩が御神体である。この句「湯気踏みて」と地勢の特徴を把握した巧みな表現。 |
泰山木という花をよく観察した句である。天上を向く大柄な花だけに「ひとつづつ暮れ」が実感を伴うのである。 |
気持のいい把握である。木綿や麻などの肌触りのいい素材だけに、風と共に畳むという表現が爽快なのである。 |
富士吉田辺りの宿坊であろうか。登山前夜の夕食の膳での嘱目。茶柱が立ったという幸先のいい出立である。 |
ロダンの名作「考える人」は日本にも複数が存在する。「裸で考へる」とは何とも愉快な表現であった。 |
子供の頃病弱な子に肝油が配られた記憶がある。鱈や鮫の肝臓で製する。「夏来る」の勢いがいい。 |
ジャンボ機であればどれほどの窓があることか。「窓いくつ」に夏の旅行シーズン到来の高揚した心が感じられる。 |
春の蚊と夏の蚊の違いを見事に捉えた。どこか弱々しさがある感じを「けむりのやうに」と詠んだのが的確。 |
釣堀という特殊な場所の特徴をうまく捉えている句だ。釣果よりも「黙の長さを競ひ」とした観点がいい。 |
長良川から岐阜城を見上げると戦国時代の英雄に思いが及ぶものだ。斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉……? |
確かに朝顔と較べると、昼顔はどこか凛々しさに欠ける。だがその田舎臭さを「親し」と見た優しさがいい。 |
何が一番湿気に弱いかといえば、かねがね味付け海苔だろうと思っていたのだ。先を越された思いである。 |
食べ物俳句は旨そうに詠めるかどうかが鍵。この句を見たらほとんどの人が冷し中華を食べたくなる筈だ。 |
二十代の終りから病臥にあった子規だが、明るさを保った人生であった。十薬の季語の斡旋は卓抜である。 |
富士見坂の名は数多いが、もはや都心では富士山の見える富士見坂は皆無だという。葉桜の取合せも鮮明だ。 |
「神奈川沖浪裏」に浮かんでいるのは鰹を江戸に運ぶ舟だという。危険を冒しても一番で河岸に急ぐ舟。 |
糊の効いた浴衣を剝がすといった句は既に沢山ある。だが「糊を着る」とまで詠んだ句は知らない。機知の句。 |
ウクライナ侵略に絡む句は数多あるが、俳句はこのように詠むのがいい。いかに冷静で、普遍性を保つかが肝。 |
丑の日の鰻屋であろうか。活気ある厨の様子を捉えて見事である。一物仕立てで無駄な言葉が全く無い名作である。 |
筑紫次郎とは筑後川のこと。阿蘇を発して九州四県を流れる大河。「急がざる」がこの川の特徴を捉えている。 |
近頃はどこの祭でも若者の数が減って、運営に支障が出るほど深刻な状態だという。いきおい年寄りが昔取った杵柄で頑張るしかないようだ。この句ではおかしくも悲しい現代の祭の実態を捉えている。同時出句の〈大方は綱に引かれる祭かな〉も同様で、祭の予行演習が行き渡らずぎくしゃくしている感じである。現代の一景を捉えて面白い。 |
三尺寝をしている男を「かわいい」という。野外で仕事をして疲れ果てて寝ている男は確かに尊いなと思う。三尺寝で、直接作者の感情を入れた珍しい表現の句となった。同時出句の〈六月や風は明日の雨含む〉は六月という微妙な季節を上手く捉えている。 |
青葉の風が薫る、旅をするのに実にいい季節である。戻ったらすぐ次の旅を計画するというところに、梅雨に入る前の貴重な期間の心の動きがよく出ているようだ。「旅を練る」という措辞に思案の様子が想像されて楽しい句となった。同時出句の〈万緑や青さに重みある如し〉も色の濃淡に「重み」を感じるという視点がいい。 |
薄暑を迎える直前の頃か、夏の衣類に着替える。簞笥の中も入れ替えるのだが、その抽斗が「なめらか」な滑りであった、というのが上手い。その頃の季感をよく捉えているのである。更衣の明るい気分が溢れているようだ。同時出句の〈ハンモック空の傾く日和かな〉〈昼寝子の神童めきぬ眉間かな〉も各々いいところを把握している。 |
どくだみは独特の匂を持つ。この句では山峡の宿に泊まるとどくだみの匂に包まれていて、夜具にまで染み付いていたという。作者にとっては決して嫌な匂では無かったのであろう。そんなところがこの句のいいところだ。 |
私もそうであった。衣類は自分で買ったことが無く、妻任せであった。ごく稀に自分で買っても不評であった。まさに「妻の見立てに逆らへず」なのだ。でも私もこの句の作者もそれで満足しているのである。 |
日本の最も古い神はその土地に降臨した依代である磐座である。奈良の |
掛けたばかりの簗なのであろう。青竹も瑞々しく緻密で水量も豊かである。夏の簗の勢いのよさが「一尾だに逃さぬ」の措辞で明瞭である。活気を確と掴んでいる。 |
石炭産業は過去のものとなった。戦後の花形産業も、昭和三十年代初めまでが最盛期で急速に衰退産業に変わった。夕張市などは財政破綻をしたのであるから苛酷な歴史である。その廃鉱山は今、人も減り蝙蝠が飛ぶばかりである。 |
紫陽花とはまさにこんな感じである。印象深い紫であり青である。立ち止まればその色に染まってしまいそうだというのは感性の鋭さである。違う花では入れ替えが効かない取合せであった。 |
作者は勤勉な人なのであろう。一度始めたからには最後まで手を抜くことができないのだ。炎天下に腰をかがめての重労働であるが、やるしかない。そんな性格がよく出ているようである。 |
一読気持ちのいい句である。蔵の扉を開いて空気を入れ換える。蔵壁に素早い影を引きながら燕が飛び交う。白い漆喰の壁と光のような燕の動きを捉えて鮮やかである。 |
「小満」は五月の中旬。活発に万物も動く頃で、畑仕事も忙しい時期である。句は「畝盛り上ぐる」が具体的で、景が新鮮である。 |
伊那男俳句 自句自解(92) みすずかる信濃は大き蛍籠
伊那谷での子供時代、蛍は身近なものであった。十分も歩けば野川に蛍が飛んでおり、箒や団扇で蛍狩りをした。家の庭に迷い込んでくるものもあった。そんな長閑な時代も高度経済成長期に突入すると壊滅してしまった、そんな中、伊那谷では飯田線の始発駅の辰野町では町を挙げて蛍の繁殖を図り、見事に復活させて今や全国に知られる名所となった。おびただしい蛍が湧き上がり乱舞する。何千匹、何万匹いるのであろうか、緑滴る山を背景に幻想的な光景を現出する。この群舞をどう表現したらいいのであろうか……思案の末、信濃国全部を「蛍籠」に見立ててしまえばいいのだと思い付いた。「信濃は大き蛍籠」となる。では上五は? 他に言いたいことは無い。では信濃の枕詞を置くだけにしよう。ということでこの句が成立したのである。第一句集『銀漢』に〈初蛍信濃は夜もあをあをと〉がある。瑞々しさでは前者、後者は技あり、となろうか。俳句は年齢によって変わるものである。 階段に永久の暗さや夏館
「夏館」は歳時記を開くと和洋を問わないとあるけれど、私の頭の中ではどうしたって洋館である。私の育った環境には洋館などは無く『怪人二十面相』などの絵入りの小説などで想像を膨らませるばかりであった。その後、横浜や神戸の洋館も見学しているが、江戸川乱歩の世界を脱出することはできないでいる。一番印象深かったのは若い頃ドイツに留学している兄を訪ねてロマンチック街道を巡った時である。様々な洋館を訪ねた。中でも旅の終点ノイシュヴァンシュタイン城は圧巻であった。破滅的な浪費を繰り返し、ワーグナーを愛し四十歳で謎の死を遂げたバイエルン国王ルートヴィヒ二世の館である。妖しい歴史があるだけに隅々に暗い影を感じたのである。グリム童話の『赤ずきん』『白雪姫』『ハーメルンの笛吹男』……などドイツは童話の中にも禍々しい話が多い。私の中では「夏館」も「冬館」も洋館で、涼しいとか寒いという皮膚感覚よりも「怖さ」が先に立つのである。 |
6月 6月9日(金) 7時過のはやぶさにて一ノ関。清人さんの出迎えを受け、7名、中世からの形態を保つ「骨寺村荘園遺跡」へ。激しい雨の中ながら、資料館、散策を楽しむ。あと気仙沼へ。大島の「桜田」にて小野寺一砂、かっちゃんと合流。10句出し、親睦会。海鞘、刺身などふんだん。戻ってスナック「バレンタイン」に入り、二次会。歌う。途中で抜けて「大鍋屋」に泊まり。 6月10日(土) かつて銭湯「亀の湯」を経営していた齊藤克之さんを訪ね津波の話など聞く。裏の旧歓楽街跡などを散策。11時、大島の小野寺一砂さん宅。菊田志尚さんと、小田浜の菊田さんの漁場へ。舟で、牡蠣、帆立、海鞘の養殖場を廻り説明を受ける。その場で引き揚げた海鞘を割いてもらい海水で洗ってかぶりつく。絶句! 小野寺家に戻って小野寺信一さんご夫婦、清人さんの友人、清水医師、志村さん、森平、紬さん、政、まほさん、私の兄夫婦も参加してパーティー。海鞘、牡蠣、帆立、つぶ貝。信一さんからの仙台の牛舌、栄螺他。一砂さんの鮪……。記憶は飛んでいる。酒あまた。19時過までいたのであろうか。「大鍋屋」で茶碗酒を飲んでお開き。 6月11日(日) 「大鍋屋」の朝食佳し。あいにくの雨。クーポン券戴いたので、魚市場で乾物類購入。9時半、「森は海の恋人植樹祭」の会場へ。五日市征和さんと合流。畠山重篤さんと挨拶。今回は500人位参加しているとか。3キロくらい歩いて植樹。正午前、皆と別れ、五日市、兄夫婦と釜石経由で遠野へ。河童淵、伝承館など。夕方、「夏油温泉観光ホテル」着。透明ながら力のある湯。夕食は山菜中心。佳し。21時には寝る。 6月12日(月) 5時過に起きて温泉。結局、昨日から四つの湯に浸る。9時半発。橅林など良い。平泉の達谷窟毘沙門堂。「世嬉の一」の酒蔵。餅御膳にあるレストラン、「果報もち膳」で旅のしめくくり。 6月13日(火) 雑用数多。「銀漢本部句会」「奈良吟行」の選句他。夜、発行所にて「火の会」9人。あと、銀漢亭と同じ頃開店した「明治屋」に初めて寄ってみる。 6月15(木) 午後神保町、辻隆夫さんと句集出版についての打ち合わせ。18時半、ひまわり館にて「銀漢句会」。終って近くの中華屋で親睦会。 6月16日(金) 岩野歯科定期検診。午後、調布で俳句講話。松尾芭蕉について。2時間ほど。あと洋平さん他と茶話会。仙川で降りてやはり「きくや」……小酌。 6月17日(土) 数句会選句。「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」のエッセイ一本送る。久々、家族揃う。韮の黄身和え。和布の茎の煮物、胡瓜とセロリの胡麻油漬、ピーマン肉詰など。 6月18日(日) 終日家。「銀漢」8月号の選句。数句会の選句。昨日の残りの挽肉に海老、エリンギなどを刻み込んだハンバーグ。父の日とて桃子より帽子を貰う。 6月19日(月) 久々、農家。甘唐辛子炒め、鰹節絡め。終日選句。 6月20日(火) 14時半、ひまわり館。「萩句会」選句。久々、お会いする方々。後、「新世界飯店」にて親睦会に呼んでくださる。別れて「魚勝」で一杯だけ。 6月21日(水) 絹田さんの紹介でイタリアの発泡酒、大割引で入手。送金。「銀漢」8月号の選句稿各担当に投函。海鞘胡瓜、鰹の叩きと玉葱。人参千切りのサラダ。 6月22日(木) 農家。胡瓜、いんげん、じゃが芋、ズッキーニなど入手。「銀漢」8月号の同人、会員選評書く。夜中に起きて彗星集選評を書き終了。 6月23日(金) 午後、国立天文台(三鷹)。行方克巳先生の紹介で見学会に参加。武田編集長も。案内は、日江井先生(国立天文台名誉教授、元明星大学学長)92歳と。実にお元気で驚嘆。ドームシアターで立体眼鏡で解説を聞く。帰路、吉祥寺「伊勢屋」他2軒ほど梯子。 6月24日(土) 11時、日本橋「吉」にて「纏句会」。9人。14時過の高速バスにて河口湖。高部務さんの別荘に入る。夜、「富士急ハイランドホテル」にてしゃぶしゃぶを馳走になる。いつもの別棟を借りて23時、就寝。 6月25日(日) 7時半までゆっくり寝る。テラスで朝食。高部氏はゴルフへ。私は山椒の実の摘み取り。蕗の収穫。午後は部屋で勉強。18時半、「リチェッタ」料理佳し。特にピザ! 戻って歓談。22時。 6月26日(月) 5時起き、芭蕉の本など。7時半、テラスで朝食。11時、富士山駅まで送って貰う。電車で帰宅、14時。鶏ももの山椒煮、蕗の昆布、山椒の葉の炊き合わせ。 6月27日(火) 「俳句界」9月号の「秋の食べ物」8句とエッセイ送る。17時半、日暮里の蕎麦店「狩野川」、清人、るぴちゃんと待ち合わせ。刺身で近江の「喜楽長」。19時、「雪月花」へ。 6月28日(水) 13時、町田、「早蕨句会」の対面句会再開とて呼んで下さる。大野里詩さん他、懐かしい面々。あと中華料理店の親睦会で馳走を受ける。あと成城学園前の「呑みくい処 城下」で大和さんと小酌。 6月29日(木) 16時15分より、日暮里本行寺にて、故、村上護先生の没後10年の法要、偲ぶ会。40名ほど。発起人は越村蔵、水内慶太、森忠彦氏。久々、加古宗也、池田澄子さんなどにお目に懸かる。あと「夕焼け酒場」で2次会。20名ほど。献句〈俳諧の護り人とぞ墓涼し〉 俳諧の護り人とぞ墓涼し
6月30日(金) 「丘の風」33号へ、鈴木貞雄『花鳥雑記』書評2,000字ほど送る。 7月 7月1日(土) 二子玉川にて対コロナワクチン、モデルナ、6回目接種。午後、若干の気怠さあり。久々、豚汁作る。海鞘胡瓜。 7月2日(日) 気怠さ残る。「第32回信州伊那井月俳句大会」の選句(応募1364句)伊那市へ送る。夜、ステーキ、ニンニクチップ沢山、サラダ。 7月3日(月) 「銀漢」8月号の校正。今回は多田悦子さんに返送。ヘアメイクの中川さん来て短く整髪してもらう。久々。夜、冷凍庫に眠っていたローストビーフ、焼豚、河豚一夜干など。どれも銘品。 7月4日(火) 7時前、西船橋駅前に高校同期、北原泰明君の車と待ち合わせ。福島へ向かう。半日、銀山跡の皆川盤水先生の先祖の地を訪ねる。明治の地滑りで崩落、いわきに出るが、それまでの家の跡地。墓地跡、菩提寺、長泉寺などを巡る。飯坂温泉旧堀切邸、義経家臣佐藤兄弟を弔う医王寺、旧伊達郡役所、献上桃選果場も。ホテルメッツ福島に投宿。夜、皆川文弘さん、友人M氏来てくれて、酒場「ビバフレンド」で会食。 7月5日(水) 6時起。9時発。三春。三春城跡。「三春町歴史民俗資料館」。福聚寺訪問。泰明君いきなりご住職にお会いしたいと。本堂に案内される。住職とは芥川賞作家の玄侑宗久氏。持参の本にサインを貰う。快く受けて下さり、別に著書2冊のプレゼントも受ける。少々お話を伺う。泰明君の行動には驚かされる。水戸へ向かう途中、棚倉城跡を見付けて寄る。袋田の滝は30年振りか。茶店で鮎の塩焼と蒟蒻田楽で酒一合の昼食。夕方、「ホテルメッツ水戸」に投宿。行き当たりばったりの店で夕食。泰明君と別れて2軒梯子。2軒目の「ろばた焼 満月城」は可。湯葉豆腐、鰹刺、酒は「一品」。 7月6日(木) 7時半から小雨の中散策。東照宮三の丸、二の丸、本丸(水戸一高)など、9時まで。巨大な城郭、さすが水戸藩!那珂湊漁港の市場に寄り、白洲釜揚、鰹二本、鰺の干物、あこう鯛の粕漬など買う。2時半西船橋で別れる。夜、鰹を焙って叩きに。いい旅を終える。 |
△ウンナンヒャクヤク(雲南百薬) オカワカメは南アメリカの熱帯地域が原産とされるツルムラサキ科のつる性植物の葉で、正式な和名は「アカザカズラ」と呼ばれているものです。別名「雲南百薬(ウンナンヒャクヤク)」とも呼ばれ、非常に栄養成分に富んだ食材で知られています。 ツル性植物なので、カズラ(蔓)と付く。別名としてマデイラカズラとかツルアカザとかあるが、流通名はウンナンヒャクヤク(雲南百薬)とのこと。 |