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 9月号  2022年

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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句




 





        
             

                        

    

今月の目次









銀漢俳句会/2022/9月号



        






   



 









銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎細川幽斎と言霊の力

  
枳殻はやがてそのまま枳殻かな  細川幽斎

 戦国武将でのちに肥後熊本藩五十四万石の大名、細川家の礎を築いた細川幽斎(藤孝)の句である。
 幽斎は足利将軍家十三代将軍義輝に仕えていたが、義輝は三好三人衆による永禄の乱で討たれた。その後難を逃れて漂泊中の義輝の弟義昭を擁立しようと奔走していた。その渦中で、当時擡頭してきた織田信長の側近、明智光秀と肝胆相照らす仲となり、信長の援助を得て義昭は入洛を果たし、十五代将軍となった。但し、その基盤は脆弱で、すぐに義昭と信長の利害は齟齬をきたす。結局幽斎は義昭に見切りをつけて織田の家臣となった。天正六年、信長の仲立ちで幽斎の息子忠興と光秀の息女玉(ガラシヤ)の婚儀が成立する。盟友の関係に加えて親戚になったのである。
ところがその四年後の天正十年、光秀は手薄の兵で上洛した信長の宿所を急襲し討ち果たした。世に言う本能寺の変である。当時丹後宮津にいた幽斎は当然ながら光秀からの援軍要請の矢の催促を受ける。だが幽斎は剃髪して家督を忠興に譲り光秀に与することはなかった。こうして難局を乗り越えて豊臣秀吉の世に生き残ったのである。
 随分前置きが長くなったが、冒頭の句は、「枳殻(からたち)」はやがてそのまま枳殻(きこく)」と読み、秀吉の朝鮮出兵に際して贈った(はなむけ)の句である。枳殻は「からたち」とも「きこく」とも読むことから
  (から)(韓)()ちはやがてそのまま帰国(きこく)かな
となり「朝鮮征伐は勝利してすみやかな帰国になりましょう」と、巧みな言葉の斡旋で秀吉を喜ばせたのである。
 その後幽斎はもっと厳しい局面に立つ。関ヶ原の合戦前夜のことである。忠興は徳川家康に従って関東に出兵しており、幽斎は丹後田辺城の留守を兵五百ほどで守っていた。石田三成は大坂屋敷の細川ガラシヤを人質に要求したが自害。幽斎は一万五千の兵に囲まれて、圧倒的な兵力の差の中で籠城する。ここで幽斎を救ったのが和歌である。幽斎は二条流の和歌「古今伝授」の継承者であった。幽斎の死による伝授の断絶を憂慮した後陽成天皇が勅令を下し和睦開城となり、幽斎の命は救われたのであった。
 当時の幽斎の歌に
  (いにしえ)(いま)もかはらぬよの中に心のたねをのこすことの葉がある。
血腥い戦国の世にあっても日本人の詩歌を尊ぶ心は脈々と繋がっており、人の命運にも言霊(ことだま)の力が少なからず関与していたことの一つの例証である。










 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

蟷螂のとびつきざまに枯れてをり       皆川 盤水

蟷螂は雌の方が大きく、冬に入る前に交尾を済ませると、雌は雄を食べてしまう。産卵が終わると雌も結局は死ぬのだが、だんだん機能が衰えて身体全体が枯色になっていく。動かないので、死んでいるのかと突いてみると、まだ生きていて、いきなり跳び上がったり斧を振り上げたりする。句はそこを詠んでいるが、もともと枯れているので「とびつきざまに枯れ」は事実というよりも俳句的興趣による修飾である。そこがこの句の勘所である。
                                 (平成三年作『隨處』所収)






 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 男らの上を下への鰹基地            多田 美記
 一皿に昭和の仕上げパセリかな         本庄 康代
 口々に母似と言はれ絽の喪服          三溝 恵子
 片足を補陀落に置く紀伊の虹          川島  紬
 篝火に染まる金襴薪能             西田 鏡子
 氷菓舐め海辺まで後もう少し          梶山かおり
 石鹼に絡みし髪や梅雨に入る          中山  中
 巻きはなの糸のほつれし葭簀かな        武井まゆみ
 庭若葉それぞれの持つ石の貌          有賀 稲香
 年番の開くる扉や神輿庫            須﨑 武雄
 食べ頃は夫命日とメロン選る          中野 智子
 七島の沈みさうなる梅雨曇           小泉 良子
 びんづるのつむりを磨く南風かな        谷口いづみ
 病室の同病四人明易し             市川 蘆舟
 実梅もぐ色づくもののよく見えて        岡城ひとみ
 青海波寄せては返す団扇かな          三井 康有
 長良川鵜飼楽しや鵜は如何に          井川  敏
 荒南風や神の島はも揺るぎ無し         川島  紬
 軍馬の名祀る観音柿若葉            小野寺一砂
 青春は泡の勢ひソーダ水            山田  茜
 














    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

男らの上を下への鰹基地         多田 美記
鮮度を競う鰹であれば陸揚げの基地はてんてこ舞いである。船底から鰹の尾を摑んでベルトコンベアーに乗せる。魚体の選別をする。氷詰めにする。船を洗う。次の漁の準備をする。次々と急ぎの力仕事が待っているようだ。全部男の仕事である。私はそんな風景の一端を気仙沼漁港で見たことがある。句は「男らの」の打ち出しがいい。鰹基地の下五の置き方もいい。動詞を一つも使っていないけれど、様々な動きが察せられ、臨場感のある句となった。 

一皿に昭和の仕上げパセリかな      本庄 康代
確かに私が東京へ出てきた頃、サンドイッチにもスパゲッテイにも必ずパセリの一片が添えられていたものである。そして言い合わせたように客は食べることなく残したものである。鷹羽狩行の名作〈摩天楼より新緑がパセリほど〉は、サンドイッチの皿と摩天楼を重ね合わせたもので、あの時代を反映しているのである。句に昭和が生きている。 

口々に母似と言はれ絽の喪服       三溝 恵子
物語性のある句だ。母の葬儀に、母が生前に使っていた絽の喪服を着たところ、母を知る人たちが口を揃えて「お母さんがここに居るようだ」と感嘆の声を挙げる。悲しいけれども嬉しくもある場面である。そのようにして血筋は繫がっていくのである。 

片足を補陀落に置く紀伊の虹       川島  紬
紀伊の国、それも熊野地方は今も神々の存在を感じさせる場所である。その熊野には補陀落渡海の歴史が残っている。虹の片足は南の海の中。そこは補陀落かも知れない。紀伊の国だからこそ生きた句なのだと思う。 

篝火に染まる金襴薪能          西田 鏡子
薪能の起源は興福寺南大門前の芝の上で行われたもので、二月に行われた春の季語であった。その後観光政策から五月の催行となり、季語としても夏に移ったのである。私は学生時代、鎌倉に住む酒屋の息子である友人の家に行き、父上が薪能の開かれる直前の鎌倉宮へ配達方々私を埒の中へ入れてくれて、ちゃっかり観たのであった。炎が焙り出す衣装に魅せられたことを思い出す。 

氷菓舐め海辺まで後もう少し         梶山かおり
 アイスキャンデーの最も旨い食べ方はこんな状況の中であるように思う。駅を出て、氷菓を買い、歩きながら舐める。少し位は滴り落ちても構わない。強い日差しの中で海へ向う。そうした昂りの気分が似合うようである.

石鹼に絡みし髪や梅雨に入る         中山  中
梅雨入の蒸し暑さ、鬱陶しさが具体的である。

巻きはなの糸のほつれし葭簀かな       武井まゆみ
昨年使った葭簀を出し、少々のほつれを見付ける。 

庭若葉それぞれの持つ石の貌         有賀 稲香
 長年馴染んだ庭石なのであろう。若葉時には若葉の貌。

年番の開くる扉や神輿庫           須﨑 武雄
いよいよ祭準備の始まりという場面。「年番」がいい。 

食べ頃は夫命日とメロン選る         中野 智子
夫の好物であったのか、細やかな手配である。 

七島の沈みさうなる梅雨曇          小泉 良子
 日々見馴れている伊豆七島はもう梅雨雲の中。

びんづるのつむりを磨く南風かな       谷口いづみ
 いよいよ梅雨明けか、びんずる尊者も出番である。 

病室の同病四人明易し            市川 蘆舟
同質の相部屋とあれば連帯感もあろう。不安感も……。

実梅もぐ色づくもののよく見えて       岡城ひとみ
梅干し用には色付いたものがいい。こんな感じである。 

青海波寄せては返す団扇かな         三井 康有
 団扇の絵をそのまま実物と思わせる仕掛け。

長良川鵜飼楽しや鵜は如何に         井川  敏
 確かに鵜の気持ちは? 淡々と職務に精励か。

荒南風や神の島はも揺るぎ無し        川島  紬
 神の在す島なれば荒南風にも盤石。

軍馬の名祀る観音柿若葉           小野寺一砂
 名のある馬を出した馬頭観音。柿若葉に親しみがある。

青春は泡の勢ひソーダ水           山田  茜
 「泡の勢ひ」がいい。私が今飲めるのはホッピー位か。













         





銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

いまの世も都落ちあり業平忌      東京  飯田眞理子
菖蒲湯や古稀の痩身ふかぶかと     静岡  唐沢 静男
塵取に死に真似多きかなぶんぶん    群馬  柴山つぐ子
捩花のねぢれの順に咲いてをり     東京  杉坂 大和
新茶の香本家分家と幟立て       東京  武田 花果
津軽富士いつも孤高で桜桃忌      東京  武田 禪次
薔薇の香を昼のサンドにはさみ食む   埼玉  多田 美記
下千本まで下り来て葛桜        東京  谷岡 健彦
懐古とはほの暗きもの傘雨の忌     神奈川 谷口いづみ
桜蕊降る高跳びのためらひに      長野  萩原 空木
神棚の高さに置かれ蝮酒        パリ  堀切 克洋
落し文拾へば直ぐに開けたがる     東京  松川 洋酔
牡丹の渦や夕べの色深め        東京  三代川次郎


















綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

新茶の香この世かの世に汲み分けて    東京  飛鳥  蘭
箱庭の川のあの世にながるるや      長野  北澤 一伯
父の日や父は聞き役逝きてなほ      長野  坂下  昭
南朝の玉座は寂し花は葉に        大阪  西田 鏡子
いつの間に錆びし缶切り桜桃忌      広島  長谷川明子
万緑の落差貫く発電所          長野  守屋  明
粽の緒ほどけば渦の巻き戻る       東京  今井  麦
仏足石の壺を知るかに蟻の道       埼玉  渡辺 志水
捌かれて反りに力の洗鯉         東京  絹田  稜
左右の手を秤としたる更衣        東京  朽木  直
出典を辿れば紙魚も辿りをり       東京  竹内 洋平
青梅に億カラットの氷砂糖        千葉  白井 飛露
源平のどちらも滅ぶ沙羅の花       大阪  末永理恵子
盛塩に勢ひのある夕薄暑         東京  高橋 透水
聞こえざる歌を白夜の人魚像       埼玉  戸矢 一斗
卯波立つ砂に嚙まする大錨        埼玉  中村 宗男
富士山に夕暮長きバルコニー       東京  村田 重子

卯波立つかつて鰊に沸きし海       埼玉  秋津  結
蕗採るやあとさき光る沢の水       宮城  有賀 稲香
泣き相撲泣きの決まり手子供の日     東京  有澤 志峯
供養塔叩く雨粒虎が雨          神奈川 有賀  理
息継ぎの身の縮みたるかたつぶり     東京  飯田 子貢
卯波割く大統領の名の空母        東京  生田  武
亡き人の心残りか通夜の雹        埼玉  池田 桐人
さくらんぼ打てば響くといふ人と     東京  市川 蘆舟
見送る手やがて手びさし麦の秋      埼玉  伊藤 庄平
青梅の雪崩るるごとく実りけり      東京  伊藤 政三
母看取るこれが最後の更衣        神奈川 伊東  岬
ただ川面見るだけの今日山女釣り     埼玉  今村 昌史
キューポラの熱冷めぬまま夏の月     東京  上田  裕
ワイパーのひと齣ごとの梅雨の街     東京  宇志やまと
毛虫焼く耳たぶ熱くなりにけり      埼玉  大澤 静子
川風をすくうて被る夏帽子        東京  大住 光汪
訃の沙汰に喪服の黴を拭ひ取る      神奈川 太田 勝行
山鳩の声を遥かに昼寝覚         東京  大沼まり子
青梅の青きまばたき草に落つ       神奈川 大野 里詩
潮騒に消ゆる足跡はだしの子       埼玉  大野田井蛙
六地蔵の背中はさびし麦嵐        東京  大溝 妙子
村田脩先生
巡りくる師に惜別の酷暑の日       東京  大山かげもと
浅草に今も板の間泥鰌鍋         東京  岡城ひとみ
芍薬の雨を嫌ひて俯けり         東京  小川 夏葉
村ひとつ覆ひつくせり巨大蕗       宮城  小田島 渚
あをき背は沖のいろなり初鰹       宮城  小野寺一砂
麦埃父の一番風呂に浮く         埼玉  小野寺清人
来し方は昨日のごとし夕端居       和歌山 笠原 祐子
湯上りの祖父の煙草と蚊遣香       東京  梶山かおり
さざ波の海につながり植田村       愛媛  片山 一行
たひらかに持たす盆供の一括り      東京  桂  信子
駅裏の場末の花街梅雨湿り        静岡  金井 硯児
夏至の街空の半分暮れ残る        東京  我部 敬子
到来の新茶正座の母をふと        東京  川島秋葉男
どの家も納屋に舟あり出水村       千葉  川島  紬
五月雨や嬥歌の二峰相見えず       東京  柊原 洋征
やうやうに亡き人が夢半夏雨       神奈川 久坂衣里子
早乙女に遅速のありて昼となる      東京  畔柳 海村
サングラス外して風の見えにけり     東京  小泉 良子
横須賀は紺から白へ更衣         神奈川 こしだまほ
色褪せのなきまま散りし牡丹かな     東京  小山 蓮子
海霧の中水夫は無口に獣の目       宮城  齊藤 克之
折鶴に山と谷あり青山河         青森  榊 せい子
葉桜や独りの午後をもて余す       長崎  坂口 晴子
梅雨寒や丸太の椅子の傾きて       群馬  佐藤 栄子
触れてすぐ弾けるやうに水馬       群馬  佐藤かずえ
庭に歌生まるるやうに桜草        長野  三溝 恵子
竜宮を覗きて戻る金魚かな        東京  島  織布
香水の力を借りて言ひ切れり       東京  島谷 高水
鑑真の涙消えしや若葉風         兵庫  清水佳壽美
無職なる気の安らぎや更衣        埼玉  志村  昌
うづ高き古書肆に重き梅雨湿り      神奈川 白井八十八
山内のをちこちを閉め薪能        東京  白濱 武子
高崎を過ぎ一面に麦熟るる        東京  新谷 房子
新緑の一山に立つ観世音         静岡  杉本アツ子
筍を地獄風呂めく大釜へ         東京  鈴木 淳子
空へ向く枇杷へ空から袋掛        東京  鈴木てる緒
北の地や蕗虎杖の巨大なる        群馬  鈴木踏青子
ただ消ゆるための噴水空へ又       東京  角 佐穂子
羽ばたきて風に負けじと羽抜鶏      東京  瀬戸 紀恵
帰省子に問ひたきことをのみ込みぬ    神奈川 曽谷 晴子
香水の混ざりて電車混んで来し      長野  髙橋 初風
殉教の島より島へ卯波寄す        東京  武井まゆみ
遠き日や薬缶の麦茶回し飲む       神奈川 田嶋 壺中
更衣してまた常の白衣かな        東京  多田 悦子
見世蔵の軒先忙し夏つばめ        東京  立崎ひかり
風青き讃岐の空や麦の秋         東京  田中 敬子
夏の川かしぐ車輛の飯田線        東京  田中  道
下闇の腹切やぐら闇深む         東京  田家 正好
煉獄の炎のかくや牡丹闌く        東京  塚本 一夫
ラムネ飲む我が少年の日々の音      東京  辻  隆夫
まだ青になりきらぬ海卯波立つ      東京  辻本 芙紗
百合の花活けて花粉に染まりけり     東京  辻本 理恵
熊笹の青さ匂ひて粽かな         愛知  津田  卓
ご先祖の墓が真中や代田搔き       東京  坪井 研治
水芭蕉あした真白の鳥となれ       千葉  長井  哲
仏道を説く扁平の跣足かな        大阪  中島 凌雲
黒南風来英霊帰還切々と         神奈川 中野 堯司
籠もり居の秀眉をひらく新茶かな     東京  中野 智子
時の日の夕暮告ぐる鳩時計        東京  中村 孝哲
床の間に河童の掛絵走り梅雨       茨城  中村 湖童
学帽に白きカバーや更衣         東京  中村 藍人
陶枕や長押に並ぶ父祖の顔        千葉  中山 桐里
落城の史へ赤すぎる彼岸花        東京  沼田 有希
降雹の逃れやうなき大地かな       埼玉  萩原 陽里
新茶汲みまたひととせを新たにす     東京  橋野 幸彦
出渋れば日ねもす梅雨の鬱まとふ     東京  長谷川千何子
言ひ残すことのあれこれ梅雨寒し     神奈川 原田さがみ
深吉野のでんがら届く菖蒲の日      兵庫  播广 義春
きのふより大きな歩巾涼あらた      東京  半田けい子
匂ひ立つ八十八夜の地の湿り       東京  福原  紅
十薬を日がな抜きたる身の匂       東京  星野 淑子
読みつづく一書のありて夏蒲団      東京  保谷 政孝
蟇鳴けり闇の奥行探るかに        岐阜  堀江 美州
鈴蘭をコロボックルの帽子とし      埼玉  本庄 康代
薫風や近江湖北に古寺あまた       東京  松浦 宗克
滝壺に滝の押し出す風のあり       東京  松代 展枝
茂り葉の蔭の野仏半跏思惟        神奈川 三井 康有
父の日の夫の日となる厨かな       東京  宮内 孝子
これしきで本音は言はぬビールかな    神奈川 宮本起代子
ダービー果つ人馬一体芝蹴りて      東京  村田 郁子
溝浚ふこんなところにうちの亀      東京  森 羽久衣
木道の果ては湧水水芭蕉         千葉  森崎 森平
鎌倉の五月闇には何かゐる        埼玉  森濱 直之
蝙蝠の闇押し広ぐ奥の院         東京  保田 貴子
余生はも解く粽の長き紐         愛知  山口 輝久
丁寧に輪を一つづつ水澄し        群馬  山﨑ちづ子
竹皮の重き羊羹古茶淹るる        東京  山下 美佐
口寄せを聞き逃さずにやませ風      東京  山田  茜
草刈機操る人の黒子めく         群馬  山田  礁
徒然の地図を旅する梅雨の入り      東京  山元 正規
岩清水集めて土佐の大河へと       愛媛  脇  行雲
瑠璃とかげ磐座の日を満身に       東京  渡辺 花穂

















銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

新茶の香この世かの世に汲み分けて     飛鳥  蘭
もはや位牌になっている人と茶を汲み分けているのである。単に仏壇に新茶を供えている行為なのだが、実に巧みな表現である。「新茶の香(・)」としたことで、毎日の茶とは違うことを明確にしている。自分も飲むのであるから「この世かの世」である。茶の分量も香も均等であることも判る。思いの深さがひしひしと伝わるのである。 

箱庭の川のあの世にながるるや        北澤 一伯
箱庭の川はどこへ流れていくのであろうか。もちろん箱庭そのものが架空の世界であるのだが……。箱庭を作る人の発想を思うに、故郷の原風景であったり、あるいは理想郷であったりするものだ。この作者の箱庭は、父母、父祖の住む彼の世なのであろうか。 

父の日や父は聞き役逝きてなほ        坂下  昭
 寡黙な父上だったのだろう。家族の会話の外にいて、しかし参加しないわけではなく、和顔で頷いている。仏壇に入った今も穏やかな遺影は家族の話を聞いているかのようだ。そういう父上の姿が彷彿する佳品である。

南朝の玉座は寂し花は葉に          西田 鏡子
 吉野吉水院の嘱目であろうか。後醍醐天皇の玉座と伝わる座敷があり、下は懸崖造りの谷底である。思えば都を落ちて吉野で暮らすのはどれほど心細いことであったことか。桜の時期こそ一瞬の栄華だが、すぐに葉桜となる。そんな南朝の哀れを止めた秀作である。

いつの間に錆びし缶切り桜桃忌        長谷川明子
 この頃気付いたことだが、缶切りの不要な時代である。ついこの前まではプルトップ物と混在していたように思っていたのだが、ここ数年缶切りを使った記憶がない。台所で捜してみたのだが、缶切りが見当たらない。世の移り変りは早いものだ。桜桃忌ももう何回目になるのか。大学入学で東京に出てきた年の六月、三鷹の禅林寺を訪ねたものだが、もう五十五年前のこととなる。

万緑の落差貫く発電所            守屋  明
壮大な風景である。山上のダム湖に湛えた水が落下する。万緑の中を貫いて落ちるのである。万緑という緑にも様々な緑色がある。まるで映像の齣落しのような動きで万緑を写し取っているのである。 
 
粽の緒ほどけば渦の巻き戻る         今井  麦
 笹粽は藺草の紐で縛ってある。これをくるくると解いて開くのだが、その解いた紐が、緩い渦を描いて残るという。そこを見逃さなかったところが手柄である。皆が見ていたのに詠めずにいたものを見逃さなかったのである。

仏足石の壺を知るかに蟻の道         渡辺 志水
面白い句である。仏足石の上の蟻を見て、このような発想が浮かぶことの俳味の柔軟さを褒めたい。釈尊の足跡を礼拝する神聖な風習であり、このように詠んだ例は知らない。だが決して仏足石を貶める作り方ではなく、むしろ釈尊への親しみや敬意が感じられるのである。俳句には作者の人柄が投影するものだな、と思う一句。

捌かれて反りに力の洗鯉           絹田  稜
私は信州の育ちなので、この句の良さが解る。洗い鯉の本質を突いた句なのである。削ぎ身にした鯉をすぐに冷水に晒し、脂を落とし引き締める。「反りに力」の把握が的確で、これは間違いなく垂涎の洗い鯉の一皿である。〈どこ見るといふものでなく氷菓舐む〉も、アイスキャンディーを舐めるときの人の目の動きをよく見ているのである。

左右の手を秤としたる更衣          朽木  直
衣の新調のシャツなどを見立てて貰っている場面であろうか。両手を水平に上げて身巾を測って貰う。身体が支点となった天秤のような姿勢である。衣類売場などで、たまに見かける面白い場面である。同時出句の〈緑蔭の社伝へに業平と〉は、こんなところにあの艶福家の業平の……という意外な思いが出ている。業平も緑蔭で一服中か、というおかしさも籠められているようだ。

出典を辿れば紙魚も辿りをり         竹内 洋平
 久々に百科事典などを開き、調べ物をしていると、紙魚の跡がある。あれ、もしかしたら紙魚も自分と同じように出典を探っていたのでないか、と思う。有る筈の無いことなのだが、もしかしたら、という発想が俳句的である。

 その他印象深かった句を次に

盛塩に勢ひのある夕薄暑           高橋 透水
聞こえざる歌を白夜の人魚像         戸矢 一斗
富士山に夕暮長きバルコニー         村田 重子
青梅に億カラットの氷砂糖          白井 飛露
源平のどちらも滅ぶ沙羅の花         末永理恵子
卯波立つ砂に嚙まする大錨          中村 宗男











                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

神輿過ぎ大路小路の風ふたたび      東京  矢野 安美
物置はかつて馬小屋柿若葉        東京  清水 史恵
赤提灯白磁肌めく冷奴          神奈川 河村  啓
紫陽花の四角を集め球となす       東京  清水美保子
針山に針は垂直更衣           千葉  園部あづき
夫婦茶碗一つを欠いて亀鳴けり      東京  尼崎 沙羅
蛍火の光跡まさに恋の文         東京  黒田イツ子
いざ食まむ茄子漬の藍褪せぬ間に     広島  藤堂 暢子
梅雨寒し先の出てこぬセロテープ     東京  中込 精二
蝙蝠や京浜運河の夕暮に         東京  上村健太郎
溝浚ふ跡見て知れる人の癖        千葉  小森みゆき
蝙蝠の校庭に闇連れて来し        神奈川 日山 典子
青葉なる幾山越えて山廬まで       千葉  針田 達行
篝火に手縄操る鵜匠かな         東京  西  照雄

眠らずの工場の空遠花火         愛知  北浦 正弘
水芭蕉ひと花ごとの立ち仏        千葉  平山 凛語
父の日や予科練のこと少しだけ      長野  中山  中
祭獅子被りてまづは歯を鳴らす      広島  塩田佐喜子
麗しや触れるなしばし夏料理       神奈川 阪井 忠太
出水来るな渡河の畑に母をれば      東京  髙坂小太郎
巡礼を終へて囲むや鰻飯         東京  桂  説子







星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

羽抜鶏三歩歩いてあと駆くる      京都  秋保 櫻子
種蒔きて釣鐘草を幾つ吊る       愛媛  安藤 向山
葉桜を持てば葉脈くつきりと      東京  井川  敏
暗闇が息をしてゐる蛍沢        長野  池内とほる
天命も天与もありて薪能        東京  石倉 俊紀
花茨近くて遠き伯母の家        東京  伊藤 真紀
夏掛を足で搔き寄す未明かな      広島  井上 幸三
銀色の腹返しつつ鮎太る        愛媛  岩本 青山
子蟷螂草の毛ほどの命かな       長野  上野 三歩
常念に感謝感謝の田植かな       長野  浦野 洋一
出不精に訳などなくて梅雨茸      東京  岡田 久男
棕櫚の花今朝の日差しの強きこと    群馬  岡村妃呂子
肌着の子あつといふ間に水着の子    愛知  荻野ゆ佑子
敗戦忌残されし者皆老いぬ       神奈川 小坂 誠子
掘り出せる十薬の根も白かりし     静岡  小野 無道
古にあまたの戦青比叡         埼玉  加藤 且之
階の一歩にひるむ梅雨入かな      長野  唐沢 冬朱
万緑の海に溺るる五重塔        愛知  河畑 達雄
送る側送られる側梅雨の駅       群馬  北川 京子
黒南風や錆つきさうなシャッター街   神奈川 北爪 鳥閑
蝙蝠の残像透かす日暮かな       東京  北原美枝子
急ぎ足されど夕立の足速し       東京  久保園和美
しばらくは開かぬ踏切夕薄暑      東京  熊木 光代
抜く前にビールの王冠叩く父      東京  倉橋  茂
キャンプ村日暮は早しカレーの香    群馬  黒岩伊知朗
蛇嫌ひテレビの蛇も大きらひ      群馬  黒岩 清子
釣針を外す口先鱚の声         愛知  黒岩 宏行
海芋咲く海を見たげに茎伸ばし     神奈川 小池 天牛
しやぼん玉天まで届け友の霊      東京  小寺 一凡
髪の毛の決まらぬ一日梅雨湿り     長野  桜井美津江
瞬きて海の光や夏の駅         東京  佐々木終吉
草もちの耳たぶほどの硬さかな     群馬  佐藤さゆり
初夏の風へ我が身をときはなつ     東京  島谷  操
夏めくも廃炉作業は牛歩なみ      東京  清水 旭峰
若楓木洩れ日の降る木椅子かな     千葉  清水 礼子
四方より朝昼晩に時鳥         群馬  白石 欽二
御仏は露座に御坐せり盆の月      大阪  杉島 久江
今年竹孤高を持する皮の嵩       東京  須﨑 武雄
藺草引く舞ふが如くに粽解く      岐阜  鈴木 春水
羽繕ひする間も鳴けり四十雀      愛知  住山 春人
結城散策
五月雨や狐狸の句多き蕪村の碑     埼玉  園部 恵夏
懐に小さき墓抱く青嶺かな       東京  田岡美也子
今生のひと夜の宿や蛍籠        東京  髙城 愉楽
法螺貝の鳴りて羽黒の山開き      福島  髙橋 双葉
谷ゆけば雨に解け込む花卯木      埼玉  武井 康弘
をづをづと食みし桑の実疎開先     東京  竹花美代惠
薫風やころと寝返る蒙古斑       栃木  たなかまさこ
鹿の子鳴き母鹿足の速きこと      東京  田中 真美
稚の素足十指それぞれよく動き     神奈川 多丸 朝子
近況を伝へる前のビールかな      埼玉  内藤  明
種蒔きて十日ひまはり四つ葉出す    神奈川 長濱 泰子
ドヤ街のいづこ口笛修司の忌      東京  永山 憂仔
纏まらぬ想ひ纏めて髪洗ふ       京都  仁井田麻利子
新緑の森が入口絵画展         宮城  西岡 博子
群れ下がる蝙蝠は鍾乳石か       東京  西田有希子
薔薇の夜鎖骨を見せて装ひぬ      神奈川 西本  萌
山姥のごと山を吞む夏の霧       静岡  橋本 光子
円錐の体積いかに粽解く        東京  橋本  泰
朝の虹潜つてバスの到着す       神奈川 花上 佐都
しんしんと夏の音する故郷は      長野  馬場みち子
七夕や遠く遠くへゆきし人       長野  樋本 霧帆
麦の秋ここら辺りは開拓地       千葉  平野 梗華
小鹿跳ね一瞬宙に浮く如く       千葉  深澤 淡悠
大事を成したる気分辣韮漬け      埼玉  深津  博
雉子鳴くや二輛電車の通る村      長野  藤井 法子
香具師と客皆夏服の十日市       福岡  藤田 雅規
かんかん帽永井荷風の墓の辺に     東京  牧野 睦子
短夜に億光年の星届く         東京  幕内美智子
早乙女のさざめき恋し休耕田      神奈川 松尾 守人
干瓢を干して見上ぐる白根山      東京  丸山真理子
あぢさゐや世もうつろひし平泉     東京  水野 正章
杉玉の軒に出入りす夏燕        東京  棟田 楽人
根の国の兄の声聞く明易し       宮城  村上セイ子
真夜中に軒打つ音や走り梅雨      東京  家治 祥夫
筍や噓のつけない子に育ち       東京  山口 一滴
夕焼や言葉少なに転校生        群馬  山﨑 伸次
水番の小屋に見付けし俳句帳      神奈川 山田 丹晴
戯れにうづめし種や杏子成る      静岡  山室 樹一
草笛の音色わたるや懐古園       群馬  横沢 宇内
土佐ならばどでかい皿に夏料理     神奈川 横地 三旦
四阿を抜け菖蒲田へ風の道       神奈川 横山 渓泉
白球の転がり消ゆる夏木立       千葉  吉田 正克
苗木市声透き通る後ろより       山形  我妻 一男
白シャツが空一杯に踊りづめ      東京  若林 泰吉
父の日や記憶の中の父愛す       東京  渡辺 誠子























星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

神輿過ぎ大路小路の風ふたたび        矢野 安美
 「大路小路」とあるから、京都もしくは小京都と呼ばれる町の祭なのであろう。「神輿過ぎ」というのは単に神輿が通った後でもいいが、祭が終って、と読み取る方が興趣が深まるというものである。祭の熱気が去ったあと常の町の風が通る。碁盤の目のような道筋に大路には大路の、小路には小路の風が吹く。下五の字余りは、気にならないばかりか、読後に余韻を持たせる効果もあるようだ。


物置はかつて馬小屋柿若葉          清水 史恵
 一昔前の農村では一つ屋根の下、または隣接する小屋に馬が住んだものである。今はそこが物置となっている。そんな時代の変遷を詠んだものであるが、取合せの柿若葉がいい。実の成る果樹であることも農家の一景である。同時出句の〈足す水に身を寄せ合うてゐる金魚〉〈夏のれん道より低き貴船茶屋〉も好感の持てる句であった。


紫陽花の四角を集め球となす         清水美保子
句は額紫陽花のことであろう。四葩の名があるように、四枚の花びらのような萼片が小花をぐるりと取り囲んでいるのだが、その四角の集合体が結局丸く見えるわけで、そこをうまく詠み取ったのである。自然の造形を解剖しながら決して説明に終わっておらず、余情があるところがいい。 


針山に針は垂直更衣             園部あづき
俳句は「物」に焦点を当てる、「物」に語らせることが勘所である。この句は「物」だけを詠んでいるところがいい。針山があり、その上に数本の針が刺さっているのだが、それが皆垂直であるという。そこに作者の気分や性格が出ているのだし、更衣の時期であれば何かを繕ったことなども推察されるのである。名詞だけの構成もいい、 


いざ食まむ茄子漬の藍褪せぬ間に       藤堂 暢子
 「茄子紺」という色がある位、茄子は美しい。特に塩漬けにした時の色が最も美しいと思う。子供の頃、郷里の家では糠漬けとは別に茄子の塩漬けも作っていて、明礬の手助けもあったとは思うが、それはもう溜息の出るほどの艶やかさであった。「いざ食まむ」が大袈裟ではなく実感だ。 


梅雨寒し先の出てこぬセロテープ       中込 精二
価格差によることが多いのだが、セロテープの取り出し口が見つからず困惑することがある。年を取って指先が鈍感になっているせいかもしれないが、重なっているところの一枚分の段差がなかなか見つからないのである。この作者は梅雨寒のせいにしているが、確かに梅雨寒という微妙な季感の取合せが効いているようだ。余談だがサランラップ(これは特定商品名であろうが)系の食品包装紙を取り損じた時の修復は絶望的である。


溝浚ふ跡見て知れる人の癖          小森みゆき
溝浚いの句はいくつも見てきたが、その仕事の後の様子を見て各々の癖があることに気付いた、という観点の句は初見であった。仕事は早いけれど雑な人、丁寧だけれど進まない人‥‥そんなところを見分けた視点が独自でいい。 


青葉なる幾山越えて山廬まで         針田 達行
「山廬」は飯田蛇笏、龍太父子の原点ともいえる旧家。私は二度ほど訪ねたが、家の裏が谷になっていて川が貫いている。川の向う側の斜面も敷地内であり、後山と呼んでいる。確かに甲府盆地を見下ろす山の奥である。句にはようやく訪問を果たすことのできた喜びが詠み込まれているようだ。同時出句の〈狐川乱鶯のなか渡りけり〉も、乱鶯の季語の斡旋がいい。
 


篝火に手縄操る鵜匠かな           西  照雄
 俳句上達の秘訣は何か、と聞かれたら「写生」と答えている。先ずは見たものを正確に詠んで、他者にも解って貰える伝達能力を身に付けることである。その技術を身に付けた上で、個人の感情を少しずつ入れていったらいい。そういう意味でこの作り方でいい。〈篝火を落し鵜舟は闇に消ゆ〉も、これでいい。


眠らずの工場の空遠花火           北浦 正弘
  二十四時間操業の工場の先の空に揚がる花火。工場の灯を前に置いた花火の句は珍しい。だが無機質かというと、決してそうではなく、現代風景の中の詩情が醸し出されているようだ。いい構成の句となった。


その他印象深かった句を次に


水芭蕉ひと花ごとの立ち仏          平山 凛語
父の日や予科練のこと少しだけ        中山  中
祭獅子被りてまづは歯を鳴らす        塩田佐喜子
麗しや触れるなしばし夏料理         阪井 忠太
出水来るな渡河の畑に母をれば        髙坂小太郎
巡礼を終へて囲むや鰻飯           桂  説子
蝙蝠の校庭に闇連れて来し          日山 典子




















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(80)
            
虎落笛座敷童の消えてより

 遠野には二回行った。一回目のとき、河童淵も馬の糶場跡も、囲炉裏に火の燻っている曲屋や奥の間のおしら様などを見て廻ったが、一人で行ったのか、誰といったのか、どこに泊ったのかの記憶は飛んでしまっている。二回目は登山仲間と早池峰に登った帰りに少し寄った程度である。だがとにかく、見てきた、ということが重要で、何かの折にその光景が蘇るものである。この句は随分あとになって作ったものであるが、柳田国男の『遠野物語』の助けも受けているように思う。『遠野物語』は幽明界が混在した不思議な話が詰っている。雪深い山峡の里だからこそ醸し出された説話なのであろう。そうなると作句もこの物語の中に入り込んでしまう方がいい。座敷童を実際に見たつもりで作るのである。冬期であればすっぽりと雪に包まれている。座敷童も寝についたのであろうか、時折虎落笛が聞こえてくるようである。同時作に〈炭はぜて遠野物語は佳境〉がある。

銛錆びて捕鯨の昔語りかな

 子供の頃のこと、生の海産物はほとんど来ない信州であったが、時折冷凍の鯨肉の塊が届いた覚えがある。銀漢亭ではたまに鯨肉が手に入るとステーキにして出していた。粗挽胡椒をたっぷりと少々の塩を打ち、ニンニク油で両面を強火で焼く。しかし真中に赤い色を残すくらいにとどめる。仕上げに溜り醤油を垂らして焦がす。盛り付けに揚げたニンニクのチップを散らす。実に旨いものである。房総半島千倉に「鯨のたれ」という干物があるが、これも酒の肴にいい。さて国際的な捕鯨禁止運動の中で、最近は食べる機会が減ってしまった。だが現実には鯨は増えてきており、鰯なども食い荒らすので、適度に捕獲する方がいい筈だが、食肉生産国の思惑の絡んだ動物保護運動に押し切られているようである。鯨油だけを採ってあと棄ててしまう欧米と違い、日本は全てを使い切る有効活用をしているのだから、適度な捕獲はよいのだと私は思うのだが、これも昔語り、ということになろうか……









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        













銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






      


待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。






 

        








掲示板













               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集







主宰日録  

  

6月

6月8日(水)
農家の野菜買う。「銀漢」7月号の校正に注力。武田さんへ送る。数句会の選句。あちこち連絡。夕方、中川さん来て、髪を切って貰う。

6月9日(木)
「あ・ん・ど・うクリニック」。原稿あれこれ。「第16回角川全国俳句大賞」の選者、石川編集長より打診あり。

6月10日(金)
「馬酔木」へ同人評送る。数句会の選句。8月号のエッセイを書く。蛇笏、龍太についての復習。17時、杉阪さんと成城学園前駅に待ち合わせ。「藤」鮎塩焼き、北寄貝佳。「さんたろう」と二軒。

6月11日(土)
11時頃、京急三崎口駅。伊那北会で油壺の荒井城跡。あと市役所一帯の三崎城跡を巡る。三浦一族の本拠地。油壺近くの魚屋で、とこ節、蛸、栄螺を買う。本瑞寺の松本たかしの墓は久々。下へ降りると「くろば亭」があり、それなら、と入店。この店も久々。鮪の頭部の刺身、カマ焼、その他ですっかり酒盛りとなる。帰路、青物横丁に降りて居酒屋2軒巡る。

6月13日(月)
山下美佐さんより、栃木の友人からの真竹が「夕焼け酒場」に届いているので良ければ寄ってくれと。6本戴く。17時半、日本橋「近江牛 毛利志満」。「俳句てふてふ」(毎日新聞)今井さんの誘い。篠崎央子、飯田冬眞夫妻と会食。近江牛のステーキ佳。

6月14日(火)
農家の野菜買い出し。夜、発行所、「火の会」11人。

6月15日(水)
「第61回全国俳句大会」(俳人協会)本選。予選通過1,250句ほどあり。夜、「夕焼け酒場」で高校同期「三水会」7人。

6月16日(木)
マイナンバーカード受領。運転免許証返納手続。紫蘇を揉み、梅漬と合わせる。俳人協会に選句稿送る。「伊東温泉つつじ祭り全国俳句大会」の講演レジメ送る。大根と烏賊煮。

6月17日(金)
14時から調布の俳句講義。3回目は飯田蛇笏・龍太父子について。あと12階のレストランで歓談。あと駅近くの居酒屋。

6月19日(日)
昨日からずっと「銀漢」の選句。父の日とて桃子、杏子からマグネットの首輪を貰う。指の骨折をしていた伶輔、3週間振りか、劇団四季の「ライオンキング」出演再開。

6月20日(月)
昼、高速バスにて富士急ハイランド駅。高部務氏の迎えを受け、「ハイランドリゾートホテル」で昼食。氏の別荘の別棟へ投宿。夕食は「しゃぶしゃぶ はやし」。氏の未発表小説など拝読。暖炉で歓談。

6月21日(火)
テラスで朝食。庭の山椒の実、蕗など採る。冷凍庫に岩魚があったので山椒で煮る。午後雨。読書その他。夜、古くからあるという焼鳥屋。

6月22日(水)
テラスで朝食。時鳥を聞く。11時半、北口本宮冨士浅間神社に送って貰い、別れる。吉田の町を散策して富士山駅から富士急に乗り帰宅。

6月24日(金)
11時過ぎ、熱海駅。唐沢静男、金井硯児さんの出迎えを受け、レンタカーで函南の「かんなみ仏の里美術館」。実慶の阿弥陀如来像など拝観。韮山の願成就院の運慶の国宝五仏を拝観。伊東の「ホテルラヴィエ川良」へ荷を解く。18時、伊東市俳句連盟の宮澤次男会長、高橋まさる事務局長他と会食。ホテルに戻り、金井さん持参の「磯自慢」の吟醸酒1升を3人で空ける。

 6月25日(土)
2日酔。11時半、観光会館にて「第41回伊東温泉つつじ祭り全国俳句大会」。主選者。あと講演。16時、お開き。仲間で熱海に出て「すし処和楽」にて親睦会。壺中、光汪、麦、老林、光子さん加わり9人。2日酔治らず、控え目に。

 6月26日(日)
快晴。梅を干す。気仙沼の漁師・菊田さんに頼んでいた海鞘と牡蠣が届く。

6月27日(月)
梅雨明けと! 電力もひっ迫と。塩出しした山菜煮、鶏肉の山椒煮など。終日選句。

6月28日(火)
今日も暑いがクーラーを使わずに過ごしてみる。梅干し2日間だけで終えて梅酢に戻す。鰤カマ塩焼きなど。

 6月29日(水)
今日も酷暑ながらまだ部屋のクーラーは使わず。「銀漢」8月号の原稿全部終了。

7月
 
 7月1日(金)
13時より大野田井蛙第1句集『思源』出版祝賀会。オリエンラルランド「ディズニーホテル」の「シンデレラドリーム」の間。70名ほどの久しぶりの顔。料理佳し。各々の祝辞も楽しい。あと八丁堀のカラオケ30人近く。あと居酒屋10人ほど。

7月2日(土)
17時、雑司ヶ谷の「割烹大倉」にて「大倉句会」の10周年祝賀会。屋内修一、杉阪大和、阪西敦子さんなどゲスト。気仙沼から和人さんも参加。30名ほどか。恐ろしいほどの酒瓶が並ぶ。あと池袋のカラオケルームにほぼ全員移る。熱気充満。

7月3日(日)
NHK俳句10月号用「一句旬菜」魚介編(2)の執筆。午後、エッセイ一本。終日家。

7月4日(月)
伊那北会。金沢八景からバスで朝比奈。朝比奈の切り通しを通って鎌倉へ。熊野神社で杣道に迷い込み、切り通しを歩きなおす。私は10年振りか。光触寺、浄妙寺(今回、足利直義の墓があることに気づく)、杉本寺、永福寺跡など。義時の法華堂跡、頼朝の墓。八幡宮は七夕飾り。あと焼鳥の屋台。「津久井」のお好み焼き。何とそのあとカラオケ…。2万歩は歩いたか。

7月5日(火)
「三丁目の夕日 昭和歳時記」に「月」のエッセイ。「第31回信州伊那井月俳句大会」の選。1,400百句ほどあり。鎌倉の魚屋で入手のマグロのカマ照り焼き。烏賊げそのバターソテーなど。
7月6日(水)
総選挙期日前投票、警察署免許証返納の証明書受け取り、食材購入など走り回る。午後、明日用の仕込み。Sさん句集稿第2次選句。

 7月7日(木)
73歳の誕生日。この日に晴れたのは久々。「銀漢」8月号の校正。16時、日暮里の「スナック雪月花」。誕生日1日店長。10数名来てくれる。ヴーヴクリコの差し入れ3本あり。感謝! 新宿で終電無し。久々タクシーで帰宅。

7月9日(土)
アルカディア市ヶ谷にて伊那北高等学校関東同窓会。初めて出席す。懐かしい顔ある。帰路西口思い出横丁。
















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2022/9/22撮影  吾亦紅    HACHIOJI 







花言葉     「変化」「愛慕」。

△吾亦紅
花名「ワレモコウ」の由来は諸説あります。この花の色を議論しているときに、花自身が「我もまた紅なり」といったので「吾亦紅(ワレモコウ)」と名づけられたという説、茎や葉に香りがあることから「吾木香(ワレモコウ)」になったという説などがあります。


葉鶏頭 稲穂 花ニラ 千日紅 センニンソウ
葛の花 鶏頭 酔芙蓉/八重 酔芙蓉/八重 秋明菊
アニソドンテア 酔芙蓉 酔芙蓉 曼珠沙華
吾亦紅








写真は4~5日間隔で掲載しています。 
20222/9/22





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