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9月号 2022年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2022/9月号
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蟷螂は雌の方が大きく、冬に入る前に交尾を済ませると、雌は雄を食べてしまう。産卵が終わると雌も結局は死ぬのだが、だんだん機能が衰えて身体全体が枯色になっていく。動かないので、死んでいるのかと突いてみると、まだ生きていて、いきなり跳び上がったり斧を振り上げたりする。句はそこを詠んでいるが、もともと枯れているので「とびつきざまに枯れ」は事実というよりも俳句的興趣による修飾である。そこがこの句の勘所である。 (平成三年作『隨處』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選男らの上を下への鰹基地 多田 美記
一皿に昭和の仕上げパセリかな 本庄 康代
口々に母似と言はれ絽の喪服 三溝 恵子
片足を補陀落に置く紀伊の虹 川島 紬
篝火に染まる金襴薪能 西田 鏡子
氷菓舐め海辺まで後もう少し 梶山かおり
石鹼に絡みし髪や梅雨に入る 中山 中
巻きはなの糸のほつれし葭簀かな 武井まゆみ
庭若葉それぞれの持つ石の貌 有賀 稲香
年番の開くる扉や神輿庫 須﨑 武雄
食べ頃は夫命日とメロン選る 中野 智子
七島の沈みさうなる梅雨曇 小泉 良子
びんづるのつむりを磨く南風かな 谷口いづみ
病室の同病四人明易し 市川 蘆舟
実梅もぐ色づくもののよく見えて 岡城ひとみ
青海波寄せては返す団扇かな 三井 康有
長良川鵜飼楽しや鵜は如何に 井川 敏
荒南風や神の島はも揺るぎ無し 川島 紬
軍馬の名祀る観音柿若葉 小野寺一砂
青春は泡の勢ひソーダ水 山田 茜
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伊藤伊那男・選
もはや位牌になっている人と茶を汲み分けているのである。単に仏壇に新茶を供えている行為なのだが、実に巧みな表現である。「新茶の香(・)」としたことで、毎日の茶とは違うことを明確にしている。自分も飲むのであるから「この世かの世」である。茶の分量も香も均等であることも判る。思いの深さがひしひしと伝わるのである。 |
箱庭の川はどこへ流れていくのであろうか。もちろん箱庭そのものが架空の世界であるのだが……。箱庭を作る人の発想を思うに、故郷の原風景であったり、あるいは理想郷であったりするものだ。この作者の箱庭は、父母、父祖の住む彼の世なのであろうか。 |
寡黙な父上だったのだろう。家族の会話の外にいて、しかし参加しないわけではなく、和顔で頷いている。仏壇に入った今も穏やかな遺影は家族の話を聞いているかのようだ。そういう父上の姿が彷彿する佳品である。 |
吉野吉水院の嘱目であろうか。後醍醐天皇の玉座と伝わる座敷があり、下は懸崖造りの谷底である。思えば都を落ちて吉野で暮らすのはどれほど心細いことであったことか。桜の時期こそ一瞬の栄華だが、すぐに葉桜となる。そんな南朝の哀れを止めた秀作である。 |
この頃気付いたことだが、缶切りの不要な時代である。ついこの前まではプルトップ物と混在していたように思っていたのだが、ここ数年缶切りを使った記憶がない。台所で捜してみたのだが、缶切りが見当たらない。世の移り変りは早いものだ。桜桃忌ももう何回目になるのか。大学入学で東京に出てきた年の六月、三鷹の禅林寺を訪ねたものだが、もう五十五年前のこととなる。 |
壮大な風景である。山上のダム湖に湛えた水が落下する。万緑の中を貫いて落ちるのである。万緑という緑にも様々な緑色がある。まるで映像の齣落しのような動きで万緑を写し取っているのである。 |
笹粽は藺草の紐で縛ってある。これをくるくると解いて開くのだが、その解いた紐が、緩い渦を描いて残るという。そこを見逃さなかったところが手柄である。皆が見ていたのに詠めずにいたものを見逃さなかったのである。 |
面白い句である。仏足石の上の蟻を見て、このような発想が浮かぶことの俳味の柔軟さを褒めたい。釈尊の足跡を礼拝する神聖な風習であり、このように詠んだ例は知らない。だが決して仏足石を貶める作り方ではなく、むしろ釈尊への親しみや敬意が感じられるのである。俳句には作者の人柄が投影するものだな、と思う一句。 |
私は信州の育ちなので、この句の良さが解る。洗い鯉の本質を突いた句なのである。削ぎ身にした鯉をすぐに冷水に晒し、脂を落とし引き締める。「反りに力」の把握が的確で、これは間違いなく垂涎の洗い鯉の一皿である。〈どこ見るといふものでなく氷菓舐む〉も、アイスキャンディーを舐めるときの人の目の動きをよく見ているのである。 |
衣の新調のシャツなどを見立てて貰っている場面であろうか。両手を水平に上げて身巾を測って貰う。身体が支点となった天秤のような姿勢である。衣類売場などで、たまに見かける面白い場面である。同時出句の〈緑蔭の社伝へに業平と〉は、こんなところにあの艶福家の業平の……という意外な思いが出ている。業平も緑蔭で一服中か、というおかしさも籠められているようだ。 |
久々に百科事典などを開き、調べ物をしていると、紙魚の跡がある。あれ、もしかしたら紙魚も自分と同じように出典を探っていたのでないか、と思う。有る筈の無いことなのだが、もしかしたら、という発想が俳句的である。 |
「大路小路」とあるから、京都もしくは小京都と呼ばれる町の祭なのであろう。「神輿過ぎ」というのは単に神輿が通った後でもいいが、祭が終って、と読み取る方が興趣が深まるというものである。祭の熱気が去ったあと常の町の風が通る。碁盤の目のような道筋に大路には大路の、小路には小路の風が吹く。下五の字余りは、気にならないばかりか、読後に余韻を持たせる効果もあるようだ。 |
一昔前の農村では一つ屋根の下、または隣接する小屋に馬が住んだものである。今はそこが物置となっている。そんな時代の変遷を詠んだものであるが、取合せの柿若葉がいい。実の成る果樹であることも農家の一景である。同時出句の〈足す水に身を寄せ合うてゐる金魚〉〈夏のれん道より低き貴船茶屋〉も好感の持てる句であった。 |
句は額紫陽花のことであろう。四葩の名があるように、四枚の花びらのような萼片が小花をぐるりと取り囲んでいるのだが、その四角の集合体が結局丸く見えるわけで、そこをうまく詠み取ったのである。自然の造形を解剖しながら決して説明に終わっておらず、余情があるところがいい。 |
俳句は「物」に焦点を当てる、「物」に語らせることが勘所である。この句は「物」だけを詠んでいるところがいい。針山があり、その上に数本の針が刺さっているのだが、それが皆垂直であるという。そこに作者の気分や性格が出ているのだし、更衣の時期であれば何かを繕ったことなども推察されるのである。名詞だけの構成もいい、 |
「茄子紺」という色がある位、茄子は美しい。特に塩漬けにした時の色が最も美しいと思う。子供の頃、郷里の家では糠漬けとは別に茄子の塩漬けも作っていて、明礬の手助けもあったとは思うが、それはもう溜息の出るほどの艶やかさであった。「いざ食まむ」が大袈裟ではなく実感だ。 |
価格差によることが多いのだが、セロテープの取り出し口が見つからず困惑することがある。年を取って指先が鈍感になっているせいかもしれないが、重なっているところの一枚分の段差がなかなか見つからないのである。この作者は梅雨寒のせいにしているが、確かに梅雨寒という微妙な季感の取合せが効いているようだ。余談だがサランラップ(これは特定商品名であろうが)系の食品包装紙を取り損じた時の修復は絶望的である。 |
溝浚いの句はいくつも見てきたが、その仕事の後の様子を見て各々の癖があることに気付いた、という観点の句は初見であった。仕事は早いけれど雑な人、丁寧だけれど進まない人‥‥そんなところを見分けた視点が独自でいい。 |
「山廬」は飯田蛇笏、龍太父子の原点ともいえる旧家。私は二度ほど訪ねたが、家の裏が谷になっていて川が貫いている。川の向う側の斜面も敷地内であり、後山と呼んでいる。確かに甲府盆地を見下ろす山の奥である。句にはようやく訪問を果たすことのできた喜びが詠み込まれているようだ。同時出句の〈狐川乱鶯のなか渡りけり〉も、乱鶯の季語の斡旋がいい。 |
俳句上達の秘訣は何か、と聞かれたら「写生」と答えている。先ずは見たものを正確に詠んで、他者にも解って貰える伝達能力を身に付けることである。その技術を身に付けた上で、個人の感情を少しずつ入れていったらいい。そういう意味でこの作り方でいい。〈篝火を落し鵜舟は闇に消ゆ〉も、これでいい。 |
二十四時間操業の工場の先の空に揚がる花火。工場の灯を前に置いた花火の句は珍しい。だが無機質かというと、決してそうではなく、現代風景の中の詩情が醸し出されているようだ。いい構成の句となった。 |
伊那男俳句 自句自解(80) 虎落笛座敷童の消えてより
遠野には二回行った。一回目のとき、河童淵も馬の糶場跡も、囲炉裏に火の燻っている曲屋や奥の間のおしら様などを見て廻ったが、一人で行ったのか、誰といったのか、どこに泊ったのかの記憶は飛んでしまっている。二回目は登山仲間と早池峰に登った帰りに少し寄った程度である。だがとにかく、見てきた、ということが重要で、何かの折にその光景が蘇るものである。この句は随分あとになって作ったものであるが、柳田国男の『遠野物語』の助けも受けているように思う。『遠野物語』は幽明界が混在した不思議な話が詰っている。雪深い山峡の里だからこそ醸し出された説話なのであろう。そうなると作句もこの物語の中に入り込んでしまう方がいい。座敷童を実際に見たつもりで作るのである。冬期であればすっぽりと雪に包まれている。座敷童も寝についたのであろうか、時折虎落笛が聞こえてくるようである。同時作に〈炭はぜて遠野物語は佳境〉がある。 銛錆びて捕鯨の昔語りかな
子供の頃のこと、生の海産物はほとんど来ない信州であったが、時折冷凍の鯨肉の塊が届いた覚えがある。銀漢亭ではたまに鯨肉が手に入るとステーキにして出していた。粗挽胡椒をたっぷりと少々の塩を打ち、ニンニク油で両面を強火で焼く。しかし真中に赤い色を残すくらいにとどめる。仕上げに溜り醤油を垂らして焦がす。盛り付けに揚げたニンニクのチップを散らす。実に旨いものである。房総半島千倉に「鯨のたれ」という干物があるが、これも酒の肴にいい。さて国際的な捕鯨禁止運動の中で、最近は食べる機会が減ってしまった。だが現実には鯨は増えてきており、鰯なども食い荒らすので、適度に捕獲する方がいい筈だが、食肉生産国の思惑の絡んだ動物保護運動に押し切られているようである。鯨油だけを採ってあと棄ててしまう欧米と違い、日本は全てを使い切る有効活用をしているのだから、適度な捕獲はよいのだと私は思うのだが、これも昔語り、ということになろうか…… |
6月 6月8日(水) 農家の野菜買う。「銀漢」7月号の校正に注力。武田さんへ送る。数句会の選句。あちこち連絡。夕方、中川さん来て、髪を切って貰う。 6月9日(木) 「あ・ん・ど・うクリニック」。原稿あれこれ。「第16回角川全国俳句大賞」の選者、石川編集長より打診あり。 6月10日(金) 「馬酔木」へ同人評送る。数句会の選句。8月号のエッセイを書く。蛇笏、龍太についての復習。17時、杉阪さんと成城学園前駅に待ち合わせ。「藤」鮎塩焼き、北寄貝佳。「さんたろう」と二軒。 6月11日(土) 11時頃、京急三崎口駅。伊那北会で油壺の荒井城跡。あと市役所一帯の三崎城跡を巡る。三浦一族の本拠地。油壺近くの魚屋で、とこ節、蛸、栄螺を買う。本瑞寺の松本たかしの墓は久々。下へ降りると「くろば亭」があり、それなら、と入店。この店も久々。鮪の頭部の刺身、カマ焼、その他ですっかり酒盛りとなる。帰路、青物横丁に降りて居酒屋2軒巡る。 6月13日(月) 山下美佐さんより、栃木の友人からの真竹が「夕焼け酒場」に届いているので良ければ寄ってくれと。6本戴く。17時半、日本橋「近江牛 毛利志満」。「俳句てふてふ」(毎日新聞)今井さんの誘い。篠崎央子、飯田冬眞夫妻と会食。近江牛のステーキ佳。 6月14日(火) 農家の野菜買い出し。夜、発行所、「火の会」11人。 6月15日(水) 「第61回全国俳句大会」(俳人協会)本選。予選通過1,250句ほどあり。夜、「夕焼け酒場」で高校同期「三水会」7人。 6月16日(木) マイナンバーカード受領。運転免許証返納手続。紫蘇を揉み、梅漬と合わせる。俳人協会に選句稿送る。「伊東温泉つつじ祭り全国俳句大会」の講演レジメ送る。大根と烏賊煮。 6月17日(金) 14時から調布の俳句講義。3回目は飯田蛇笏・龍太父子について。あと12階のレストランで歓談。あと駅近くの居酒屋。 6月19日(日) 昨日からずっと「銀漢」の選句。父の日とて桃子、杏子からマグネットの首輪を貰う。指の骨折をしていた伶輔、3週間振りか、劇団四季の「ライオンキング」出演再開。 6月20日(月) 昼、高速バスにて富士急ハイランド駅。高部務氏の迎えを受け、「ハイランドリゾートホテル」で昼食。氏の別荘の別棟へ投宿。夕食は「しゃぶしゃぶ はやし」。氏の未発表小説など拝読。暖炉で歓談。 6月21日(火) テラスで朝食。庭の山椒の実、蕗など採る。冷凍庫に岩魚があったので山椒で煮る。午後雨。読書その他。夜、古くからあるという焼鳥屋。 6月22日(水) テラスで朝食。時鳥を聞く。11時半、北口本宮冨士浅間神社に送って貰い、別れる。吉田の町を散策して富士山駅から富士急に乗り帰宅。 6月24日(金) 11時過ぎ、熱海駅。唐沢静男、金井硯児さんの出迎えを受け、レンタカーで函南の「かんなみ仏の里美術館」。実慶の阿弥陀如来像など拝観。韮山の願成就院の運慶の国宝五仏を拝観。伊東の「ホテルラヴィエ川良」へ荷を解く。18時、伊東市俳句連盟の宮澤次男会長、高橋まさる事務局長他と会食。ホテルに戻り、金井さん持参の「磯自慢」の吟醸酒1升を3人で空ける。 6月25日(土) 2日酔。11時半、観光会館にて「第41回伊東温泉つつじ祭り全国俳句大会」。主選者。あと講演。16時、お開き。仲間で熱海に出て「すし処和楽」にて親睦会。壺中、光汪、麦、老林、光子さん加わり9人。2日酔治らず、控え目に。 6月26日(日) 快晴。梅を干す。気仙沼の漁師・菊田さんに頼んでいた海鞘と牡蠣が届く。 6月27日(月) 梅雨明けと! 電力もひっ迫と。塩出しした山菜煮、鶏肉の山椒煮など。終日選句。 6月28日(火) 今日も暑いがクーラーを使わずに過ごしてみる。梅干し2日間だけで終えて梅酢に戻す。鰤カマ塩焼きなど。 6月29日(水) 今日も酷暑ながらまだ部屋のクーラーは使わず。「銀漢」8月号の原稿全部終了。 7月 7月1日(金) 13時より大野田井蛙第1句集『思源』出版祝賀会。オリエンラルランド「ディズニーホテル」の「シンデレラドリーム」の間。70名ほどの久しぶりの顔。料理佳し。各々の祝辞も楽しい。あと八丁堀のカラオケ30人近く。あと居酒屋10人ほど。 7月2日(土) 17時、雑司ヶ谷の「割烹大倉」にて「大倉句会」の10周年祝賀会。屋内修一、杉阪大和、阪西敦子さんなどゲスト。気仙沼から和人さんも参加。30名ほどか。恐ろしいほどの酒瓶が並ぶ。あと池袋のカラオケルームにほぼ全員移る。熱気充満。 7月3日(日) NHK俳句10月号用「一句旬菜」魚介編(2)の執筆。午後、エッセイ一本。終日家。 7月4日(月) 伊那北会。金沢八景からバスで朝比奈。朝比奈の切り通しを通って鎌倉へ。熊野神社で杣道に迷い込み、切り通しを歩きなおす。私は10年振りか。光触寺、浄妙寺(今回、足利直義の墓があることに気づく)、杉本寺、永福寺跡など。義時の法華堂跡、頼朝の墓。八幡宮は七夕飾り。あと焼鳥の屋台。「津久井」のお好み焼き。何とそのあとカラオケ…。2万歩は歩いたか。 7月5日(火) 「三丁目の夕日 昭和歳時記」に「月」のエッセイ。「第31回信州伊那井月俳句大会」の選。1,400百句ほどあり。鎌倉の魚屋で入手のマグロのカマ照り焼き。烏賊げそのバターソテーなど。 7月6日(水) 総選挙期日前投票、警察署免許証返納の証明書受け取り、食材購入など走り回る。午後、明日用の仕込み。Sさん句集稿第2次選句。 7月7日(木) 73歳の誕生日。この日に晴れたのは久々。「銀漢」8月号の校正。16時、日暮里の「スナック雪月花」。誕生日1日店長。10数名来てくれる。ヴーヴクリコの差し入れ3本あり。感謝! 新宿で終電無し。久々タクシーで帰宅。 7月9日(土) アルカディア市ヶ谷にて伊那北高等学校関東同窓会。初めて出席す。懐かしい顔ある。帰路西口思い出横丁。 |
△吾亦紅 花名「ワレモコウ」の由来は諸説あります。この花の色を議論しているときに、花自身が「我もまた紅なり」といったので「吾亦紅(ワレモコウ)」と名づけられたという説、茎や葉に香りがあることから「吾木香(ワレモコウ)」になったという説などがあります。 |