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 3月号  2022年


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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句


 





        
             

                        

    

今月の目次









銀漢俳句会/2022/3月号



            






 











銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎禪次さんとオリーブの木

 武田禪次編集長の先祖の地は愛媛県今治市の奥、朝倉で350年ほど前からの過去帳が残っているという。東京で育ったのだが大三島出身の池田孝子(武田花果)さんと結婚した。そのような縁から愛媛県への思いは深く、今、花果さんの生家、(さかり)地区の畑にオリーブの木を植え始めている。東京に居を構えながら遠隔の地で農業を営むのは容易ではない。たまたま時間をみつけて島に来ても、雨で何もできないことがあるだろうし、今回のコロナ禍の中では雑草が生えようが、乾燥しようが世話をしに帰ることも許されなかったようである。
 昨年十月末、オリーブの収穫期だというので、私よりも四歳年上の氏が、今から何をしようと考えているのかを知りたくて手伝いがてら訪ねてみた。池田家(花果さん生家)を訪問するのは3回目である。1回目は皆川盤水先生と数名の仲間で訪ねた。盛港を眼下にする名家で、吉井勇も逗留している。母上の都々女さんはホトトギスの俳人で共に句座を囲んだ貴重な思い出となった。2回目は俳人水内慶太氏一行と松山へ来た折、たまたま禪次さんが来ているというので、2人で訪ねた。夏だというのに心地良い風が座敷に入り、私は歓談の最中にうたた寝をしてしまった。
 さて今、禪次さん管理の畑には80本ほどのオリーブの木が植えられている。苗を植えてから実を付けるのに5年かかるという。今回一緒に訪ねた仲間と朝から五、六時間かけて70㎏収穫した。夜不良な実や蔕の除去など一粒一粒を選別する。結局六人がかかりで12時近くまでかかって綺麗にしたが、50㎏ほどに減少した。何せ収穫後24時間以内に絞るのが本当のエキストラバージンオイルというもので、時間との勝負でもあるのだ。今我々が使っている市販のエキストラバージンオイルというのは眉唾物と言わざるを得ない。ちなみにおおよその目安を言うと70㎏の収穫が選別して50㎏になる。これを搾油すると7%の油が採れる。つまり3.5ℓとなる。搾油、沈殿物の除去、壜詰などの費用代わりに半量の油を工場に渡すので生産者に残るのは二リットルに届かない。オリーブは1本育てるために10坪の土地が必要である。以上のことを考えれば本物のエキストラバージンオイルを100㏄入手するとすれば実は3、4千円かかるものなのである。氏はまだ畑を増やすという。結実するには80歳過ぎになる……。商社マンとして世界中を駆け廻り、資本主義の最先端にいた人が、今農業に回帰するところに感慨を覚えた。
   
潮目光るオリーブの花満開に    禪次
太陽に近づく梯子オリーブ摘む   花果













 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  

堂押祭深雪を踏んで声絞る          皆川 盤水
    
堂押(どうし)祭は新潟県浦佐の普光寺毘沙門堂で三月三日に行われる奇祭で国の重要無形文化財。斎戒沐浴した男女が、男は褌一つ、女は単衣に細帯で堂に入り、掛け声と共に押し合い、熱気のこもる中で本尊が開帳される。「深雪を踏んで」と具体的表現で土俗的な祭を捉えている。先生には昭和四十七年に〈堂押祭声をしぼれば揃ふなり〉があり、この句を原型に推敲して掲句になったようだ。句は座右に置く中央公論社版地名俳句歳時記にも掲載されている。(昭和五十九年作『寒靄』所収)


 



 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

数へ日の脚立の段をまた踏めり          萩原 空木
胸ぬちの校歌の山も眠りけり           長井  哲
凭るるもまた冬菊の咲きやうと          谷口いづみ
抜きし本戻せぬ書棚漱石忌            白井 飛露
白息を両手で覆ふかくれんぼ           池田 桐人
温めるだけのカレーも年用意           森 羽久衣
出くはせし熊に尾鰭の武勇伝           中野 堯司
蓮池の底ひにもあり枯浄土            武井まゆみ
夜廻りの声のかさなる町境            多田 美記
年忘ゆふべと同じ顔もゐて            今井  麦
ぼろ市の買手のをらぬ観世音           谷岡 健彦
水鳥の見えぬ縄張り保ちつつ           山田  茜
それからのマドンナ知れず漱石忌         坂下  昭
酉の市青天井におかめ笑む            多田 美記
縄電車先頭の子の息白し             渡辺 志水
祖母が縫ひ母繕ひし褞袍かな           武井まゆみ
みちのくは判官贔屓冬温し            齊藤 克之
子規堂の火鉢の灰はそのままに          清水佳壽美
鰤捌く鱗をとばし声とばし            坂口 晴子
加はるも去るも一会の焚火の輪          伊藤 庄平

 



















    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

数へ日の脚立の段をまた踏めり        萩原 空木
 だんだん簡略化が進んでいるとはいえ、歳晩ともなれば掃除やら正月の用意やら忙しない日々となる。日頃は手の届かない棚の上やら照明器具の清掃やら、正月に使う食器を取り出すやら脚立の出番となる。「数へ日」という季語をどう詠むか、心の中の気忙しさを詠むか、具体的な行動を詠むのか……。この句は具体的な行動を詠んでおり、脚立という「物」を提示している。そこが句の強さである。「また踏めり」に年末の慌しさが如実である。

胸ぬちの校歌の山も眠りけり         長井  哲
 故郷の風景というものは年を経ても消えないもので、いやいや心の中で年と共にむしろ増幅してくるものである。この句は故郷を離れた地からの望郷の詩とみてもいいし、たまたま帰郷をしての実景とみてもいい。自然に校歌が口をついて出てくる。私でいうと「高きを我に学べよと天そそり立つ駒ヶ岳」という校歌であった。

凭るるもまた冬菊の咲きやうと        谷口いづみ
冬菊というとついつい水原秋桜子の〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉を思い出して、毅然、孤高をイメージしてしまうのだが、掲出句を見て、これもまた冬菊の一つの姿なのだな、と納得した。思えば秋の旬の時期にはこのような描写は似合わないのであるから。 

抜きし本戻せぬ書棚漱石忌          白井 飛露
 信州の実家には箱入りの百科事典や世界・日本文学全集などが書棚にぎっしりと入っていた。多分セールスマンに押し切られて買ったのであろう。たまに抜き出して眺めたものだが重く、また厚い箱に入っているので戻すのが厄介であった。確かにあの頃、日本文学といえば夏目漱石の名が真先に挙がったものだ。当時は『坊ちゃん』しか読んでいなかったけれど……。

白息を両手で覆ふかくれんぼ         池田 桐人
昔を懐しく思い出した句だ。その頃はそんな遊びしかなくて、でも楽しかったものだ。句は白息が漏れて見付かってはいけないので両手で覆う。その仕種が過去の自分を見ているようである。東京でこんな風景は皆無である。 

温めるだけのカレーも年用意         森 羽久衣
 「年用意」というと古い概念で考えてしまうが、この句には肩透かしを喰らった感じである。二日目か三日目の昼くらいにはレトルトのカレーでも……という年用意なのであろう。食生活の変化も句に反映しているのだ。

出くはせし熊に尾鰭の武勇伝         中野 堯司
 熊が倍の大きさになったり、撃退したりと話は膨らむ。

蓮池の底ひにもあり枯浄土          武井まゆみ
蓮の台という言葉があるが、水底の枯浄土は発見。

夜廻りの声のかさなる町境          多田 美記
 地区毎の夜廻りが鉢合せする場面。重なる、がいい。

年忘ゆふべと同じ顔もゐて          今井  麦
確かにこんなことがある。「またあいつがいるよ」と。 

ぼろ市の買手のをらぬ観世音         谷岡 健彦
 何でも売りに出る「ぼろ市」の一景。神も仏も。 

水鳥の見えぬ縄張り保ちつつ         山田  茜
同じ湖の中の種類の違う鳥同士の距離感。 

それからのマドンナ知れず漱石忌       坂下  昭
漱石の『坊ちゃん』のヒロイン。不思議な存在であった。

酉の市青天井におかめ笑む          多田 美記
 昼間の酉の市。東京の乾燥した青空を「青天井」と。

縄電車先頭の子の息白し           渡辺 志水
 まるで蒸気機関車のような先頭の白息がいい。
 
祖母が縫ひ母繕ひし褞袍かな         武井まゆみ
 こんな風に家に伝わってきた。私の家もそうであった。

みちのくは判官贔屓冬温し          齊藤 克之
平泉に縁のある義経。冬温しに東北人の人情の良さが。

子規堂の火鉢の灰はそのままに        清水佳壽美
松山か。当時の火鉢がそのままという床しさ。

鰤捌く鱗をとばし声とばし          坂口 晴子
日本海側の鰤への思いは格別。嬉しさが溢れている。 

加はるも去るも一会の焚火の輪        伊藤 庄平
 行きずりの人が少し当たって去る。確かに「一会の焚火」。











 






銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

船番所跡へ差し潮都鳥         東京  飯田眞理子
風除をつくる間も鳴る砂つぶて     静岡  唐沢 静男
野施行の庭の四隅の牛脂かな      群馬  柴山つぐ子
花疲れといふこともなき冬桜      東京  杉阪 大和
本間家の煤け具合も冬館        東京  武田 花果
夕映えは枡目の数に牡蠣筏       東京  武田 禪次
人声を少しはなれて帰り花       埼玉  多田 美記
冬の草踏めば立つ香のまだ青し     東京  谷岡 健彦
しぐれ忌のそば殻枕夜鳴きせり     神奈川 谷口いづみ
星冴ゆる岳の灯も一つとし       長野  萩原 空木
明王の憤怒の煤を払ひけり       パリ  堀切 克洋
一束は酒亭への苞生姜市        東京  松川 洋酔
そぞろ寒通るたび鳴る箪笥の環     東京  三代川次郎


















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

伊勢佐木は溜息の街銀杏散る       神奈川 大野 里詩
下車駅のつぶやき凍る諏訪郡       東京  竹内 洋平
飲むべきを飲み干しし貌暮の葬      群馬  鈴木踏青子
都鳥に聞け声風のことならば       東京  渡辺 花穂
この切身なればどれほど大き鰤      千葉  白井 飛露
群れ落つるまでのさわだち百合鷗     埼玉  中村 宗男
大根引く大振りの葉を掻い込みて     東京  岡城ひとみ
おのが身でまづ温むる蒲団かな      東京  梶山かおり
帰り花手入れの鋏入れ惑ふ        東京  村田 郁子
二柱在す筑波へ大根干す         東京  橋野 幸彦
電話室てふ小部屋ある冬館        東京  生田   武
村々に掟のありて神の留守        東京  小山 蓮子
セーターのじつにかさばる紙袋      東京  辻本 芙紗
中年や湯ざめするほど温もらず      大阪  中島 凌雲
ボロ市や仏様にも値がついて       東京  半田けい子
人混みを搔つこむやうに大熊手      東京  山下 美佐

神楽殿に鶏飛び跳ぬる神の留守      埼玉  秋津   結
縁側の端まで日向みかん剝く       東京  飛鳥   蘭
過ぎし日の足音確と暦果つ        宮城  有賀 稲香
茶の花や葉陰の包む金のしべ       東京  有澤 志峯
炭納屋の研ぎ細りたる手鋸かな      神奈川 有賀   理
蜜柑摘高き鋏の音立てて         東京  飯田 子貢
交はりのうすき時世や返り花       埼玉  池田 桐人
日は早も背山にかかり冬桜        東京  市川 蘆舟
白息のはみだしてゐるかくれんぼ     埼玉  伊藤 庄平
すぐ熾きる消炭ゆゑにすぐ消ゆる     東京  伊藤 政三
小鳥来るビルの谷間の社にも       神奈川 伊東   岬
檻にゐてもつとも高き枝に鷹       東京  今井   麦
根に似たるホース抱へて蓮根掘る     埼玉  今村 昌史
裸木の影は日向を削ぐやうに       東京  上田  裕
薄れゆくもののかがやき枯葎       東京  宇志やまと
朝霧やメモにひと言しあはせと      埼玉   梅沢 フミ
山茶花や鉤の手にゆく城下町       埼玉  大澤 静子
摑む物もう無き空や松手入        東京  大住 光汪
凧糸や菩薩に繋がる糸めきぬ       神奈川 太田 勝行
瘤を成し洞を抱ふる大枯木        東京  大沼まり子
冬夕焼浅間は大き寝観音         埼玉  大野田井蛙
枯蓮の枯れきらぬ葉の風を呼ぶ      東京  大溝 妙子
風強うなる雨音よ玉子酒         東京  大山かげもと
今日よりは拠点となれる炬燵かな     東京  小川 夏葉
悴みてそして交換日記果つ        宮城  小田島 渚
蜜柑供ふ金の目玉の御本尊        宮城  小野寺一砂
冬日没りたれば浅間の寝観音       埼玉  小野寺清人
新雪を羽織りてをりぬ雪だるま      和歌山 笠原 祐子
にはとりの毛が土色に冬ざるる      愛媛  片山 一行
追儺会の赤鬼にとぶ僧の下知       東京  桂   信子
地に影を張り巡らせる枯木立       静岡  金井 硯児
天金の書にパラフィン紙冬館       東京  我部 敬子
抜きし根の先まで紅や枯鶏頭       高知  神村むつ代
格子戸に千鳥の影の舟屋かな       東京  川島秋葉男
すぐ止みし洛北の雨酸茎買ふ       千葉  川島   紬
鯛焼の鱗にあるや裏表          長野  北澤 一伯
風邪の床近くて遠き町の音        東京  絹田   綾
その後の平家を知らず冬夕焼       東京  柊原 洋征
剃髪のやうな円墳冬日受く        神奈川 久坂衣里子
吾が影の折るる石段神の留守       東京  朽木  直
木枯の路地に入り来て勢ひけり      東京  畔柳 海村
団栗を待ちゐるごとき窪みかな      東京  小泉 良子 
幕切れに夕日のあたる村芝居       神奈川 こしだまほ
これよりは蜜柑途切れぬ卓の上      東京  小林 美樹
伊逹の地は焼き鯊出しの雑煮かな     宮城  齊藤 克之
身の上の話などして焼芋屋        青森  榊  せい子
焼ベたしてみどりの焔牡丹榾       長崎  坂口 晴子
数へ日やひと日は永し隠居部屋      長野  坂下   昭
長靴の常の暮しや六花          群馬  佐藤 栄子
母の顔見たくて冬至南瓜煮る       群馬  佐藤かずえ
立ち話聞きたさうなる雪婆        長野  三溝 恵子
見張鴨あとは浮寝と羽繕ひ        東京  島   織布
得意札子に取らせやる歌がるた      東京  島谷 高水
風吹けば色削がれさう冬桜        兵庫  清水佳壽美
すぐき菜の飴色となる風のころ      埼玉  志村   昌
気の急いて顔が先行く街師走       神奈川 白井 八十八
ぬれぎぬを叫ぶ流人か虎落笛       東京  白濱 武子
牡蠣御飯二人の夕餉も豊かなり      東京  新谷 房子
今さらに父へ勤労感謝の日        大阪  末永理恵子
すぐき漬間口の広き門跡寺        静岡  杉本アツ子
乾鮭の鈍き音立て風通る         東京  鈴木 淳子
冬帽や海にほのかな夕明り        東京  角 佐穂子
白鳳仏守る武蔵野の冬木立        東京  瀬戸 紀恵
何もなき水面見てゐる日向ぼこ      神奈川 曽谷 晴子
熱燗の座へ猫舌の仲間入り        長野  髙橋 初風
鴛鴦の水面ゆがめど波立てず       東京  高橋 透水
明王の胸の厚みも冬に入る        東京  武井まゆみ
届けらる仄かに温き亥の子餅       神奈川 田嶋 壺中
秋刀魚焼く谷中の坂を烟らせて      東京  多田 悦子
風花や帰郷ホームに母の待つ       東京  立崎ひかり
静けさの浸みこむ音か小夜時雨      東京  田中 敬子
七輪の河豚の焦げ目や能登の朝      東京  田中  道
乾し物の小春の温み抱き入るる      東京  田家 正好
常連に留守を頼みて三の酉        東京  塚本 一夫
借景の比叡けぶらせ初しぐれ       東京  辻  隆夫
叱られて祖父の火鉢の膝に逃ぐ      東京  辻本 理恵
遷宮の造営材に冬の蝶          愛知  津田  卓
外套のままに捧ぐる深夜弥撒       東京  坪井 研治
屈む背の後ろを通る年忘         埼玉  戸矢 一斗
落葉踏む少年の日の影を踏む       千葉  長井  哲
猫足の椅子に陽を抱く冬館        神奈川 中野 堯司
雪吊の張りに矜持のあるごとし      東京  中野 智子
冬の海中也の海の波ばかり        東京  中村 孝哲
北風のあと押しもらふ逆上がり      茨城  中村 湖童
始発駅指呼のかたちに息白く       東京  中村 藍人
都鳥人の往き来をよそに見て       千葉  中山 桐里
クリスマス梯子をかけて星を吊る     大阪  西田 鏡子
ひるがへるときの大きさ群千鳥      東京  西原   舞
ものの芽の秘めたる色を解く日かな    東京  沼田 有希
凩や人の死を以て吹き荒ぶ        埼玉  萩原 陽里
魚釣りとも日向ぼこともつかず      広島  長谷川明子
来る年を待つばかりなり大鐘楼      東京  長谷川千何子
有明の海のぼり来る牡蠣の船       神奈川 原田さがみ
仕舞湯を抜いて湯船を洗ふ除夜      兵庫  播广 義春
山眠る寝息鼾も山なりに         東京  福永 新祇
望郷や小鍋で足りる鰯煮る        東京  福原   紅
歩に合はぬ段段坂や冬木立        東京  星野 淑子
酸橘の香吾に小さき幸ありて       東京  保谷 政孝
ぢつと日を溜めてこの世に冬の蠅     岐阜  堀江 美州
湯湯婆の明け方にまだある余力      埼玉  夲庄 康代
春の雪雪止め瓦に残るほど        東京  松浦 宗克
子の正座父の胡座や鮟鱇鍋        東京  松代 展枝
雪女郎姥捨山を越えて来ぬ        京都  三井 康有
ひかり号眠れる山の土手つ腹       東京  宮内 孝子
中村吉右衛門
弁慶の去りゆく彼方寒昴         神奈川 宮本 起代
マスクして声も心も守りけり       東京  村田 重子
横浜の海を見てきて暮早し        東京  森 羽久衣
謙信の越え来し峠鷹渡る         千葉  森崎 森平
河豚食ふや維新の香り残る街       埼玉  森濱 直之
熱燗を故郷捨つる友と酌む        長野  守屋  明
己が陰に寄り添ふ如し冬の蝶       愛知  山口 輝久
牧場の寒肥の匂ひ限りなし        群馬  山﨑ちづ子
山眠るときに寝言のあるやうな      東京  山田   茜
落葉して木々放心の佇まひ        群馬  山田   礁
その昔渡しありけり都鳥         東京  山元 正規
大団円泣かせて笑ふ村芝居        埼玉  渡辺 志水


















銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

伊勢佐木は溜息の街銀杏散る         大野 里詩
横浜伊勢佐木町と言えば、我々の世代なら誰もが知る青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」。あの嗄れた声と歌詞に大人の世界を垣間見たものだ。句の「溜息の街」が何とも上手いところだ。「銀杏散る」も十分過ぎるほどの舞台設定である。「散る」に別れも暗示されているのだ。 

下車駅のつぶやき凍る諏訪郡         竹内 洋平
諏訪地方は寒冷地帯。凍豆腐、寒天、凍餅などの生産地として知られている。盆地の底の諏訪湖が結氷するのであるから天然の冷蔵庫のようなものである。もし温泉が無かったらと思えば怖いほどである。そんな土地であるからこそこの句が際立つのだ。呟きまでが凍るとは。

飲むべきを飲み干しし貌暮の葬        鈴木踏青子
追悼句は悲しみに溢れた作り方が多いが、冷静に相手の人生を見極めて、心を偽らずに作る、こういう句が上質だと思う。〈たとふれば独楽のはじける如くなり 虚子〉や〈生涯にまはり燈籠の句一つ 素十〉などがそれに当たる。掲出句は作者と相当親しかった方なのであろう。「飲むべきを飲み干しし貌」に互いの信頼関係が明瞭である。ぽつりと「暮の葬」と抑えたところもいい。

都鳥に聞け声風のことならば         渡辺 花穂
この句の「声風」とは俳人新井声風。もっぱら富田木歩を顕彰したことで知られている。関東大震災の当日、足なえの木歩を向島の土堤まで避難させたが、大川と背後の火炎に退路を絶たれて別れた。声風は大川を泳いで生き残った。もし声風がいなければ、木歩という俳人の名が世に残ることは無かったであろう。都鳥に替わって私がその後の声風のことを言うと、松竹キネマに勤め、結社誌「あかね」を主宰した。享年七十五歳であった。 

この切身なればどれほど大き鰤        白井 飛露
鰤クラスの魚ともなれば、家庭では切身で買うしかない。その切身の一片から全体の大きさを想像するのである。このように、小片の魚から辿る発想の句は珍しいのではなかろうか。ちなみに鰤は成長に従って名前の替わる出世魚で、鰤と呼ばれるのはおよそ六㎏を越えた位からである。

群れ落つるまでのさわだち百合鷗       中村 宗男
百合鷗は『伊勢物語』などに詠まれた都鳥であろうと言われている。小型の鷗で川べりを群れて飛ぶ。句はこの鳥の生態をよく摑んでいるようだ。飛翔しながら賑やかに鳴き交わし、あと一羽ずつが静かに杭に羽を休める。そんな様子をきっちり詠み取っている。 

大根引く大振りの葉を搔い込みて       岡城ひとみ
 大根を収穫するときの様子が克明である。ずい分葉が多く強張っていて若干の刺々しさもある。その葉を脇に抱え込むようにして抜く。その一部始終の写実である。俳句の基本はここにあるのだと思う。
 
おのが身でまづ温むる蒲団かな        梶山かおり
学生時代の下宿ではこんな風だったな、と思い出す。暖房などもほとんど無く、敷きっぱなしの蒲団に手足を縮めて潜り込むだけ。まずは最小限の範囲を自力で暖めて、徐々に拡げていく。そんなことを懐かしく思い出した。 

帰り花手入れの鋏入れ惑ふ          村田 郁子
庭木の手入れをしようとすると、思いがけなく季節外れの花が咲いている。帰り花である。折角咲いたのであるから切るわけにもいかず、どうしようかと戸惑う。日常生活の些細なことへの逡巡がこうした呟きに似た句になるところがいい。天然自然に対する慎ましい思いやりである。 

二柱在す筑波へ大根干す           橋野 幸彦
古代から親しまれた神の山と「大根干す」の取合せが不思議といい照応をしている句だ。大根は里の農家に干してあるのだが、その先に秀麗な筑波がある。神の山と里人の生活が支え合っている古き良き時代の懐かしい風景である。

 その他印象深かった句を次に

電話室てふ小部屋ある冬館          生田  武
村々に掟のありて神の留守          小山 蓮子
セーターのじつにかさばる紙袋        辻本 芙紗
中年や湯ざめするほど温もらず        中島 凌雲
ボロ市や仏様にも値がついて         半田けい子
人混みを搔つこむやうに大熊手        山下 美佐














                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸

初鴨か残りゐし鴨か羽ばたける     埼玉  深津  博
ロボットも休む勤労感謝の日      岐阜  鈴木 春水
戸の外に胴長干され牡蠣打場      広島  塩田佐喜子
都鳥北斎の名の残る街         東京  清水 史恵
昨日より富士の近くて今朝の冬     千葉  園部あづき
入れ替はり擂粉木握るとろろ汁     東京  清水美保子
煤逃と云ふもあてなき家居かな     神奈川 河村  啓
炬燵板裏は緑の雀卓に         東京  倉橋  茂
白鳥の首総立ちに祈りかな       東京  竹花美代惠
手の届くまでにて終へる煤払      千葉  針田 達行
酸茎買ふこたびの旅は片泊り      埼玉  渡辺 番茶
虎落笛今宵は冥府近くあり       埼玉  園部 恵夏
数へ日に未だ片目の達磨かな      長野  中山  中
蓮根掘る一節ごとの力みあと      栃木  たなかまさこ
葉の向きを交互に樽へ冬菜漬      千葉  小森みゆき

この世情手も足も出ず燗熱し      神奈川 花上 佐都
遠き日と同じ匂の枯野かな       東京  山口 一滴
煤逃やいつもの湯屋に例の顔      静岡  山室 樹一
義士会もなんだかんだと蕎麦が好き   宮城  西岡 博子
一人居の苦楽の楽に浮寝鳥       長野  唐沢 冬朱
怨念の四十七士や畳替         静岡  小野 無道
七転び五起きくらゐや日記買ふ     広島  井上 幸三







星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

寒鴉畑終ひをながめをり        京都  秋保 櫻子
解きては形をなさず毛糸玉       東京  尼崎 沙羅
ふと見れば庭の片すみ返り花      愛媛  安藤 向山
菊坂へ差し掛かるころ初時雨      東京  井川  敏
眼に熱の滲みる心地や炭火鉢      長野  池内とほる
ふと見れば無我の境地に似た枯野    東京  石倉 俊紀
吹く風も墨色となる火事の跡      東京  伊藤 真紀
山暮れてみかんの山が浮かびけり    愛媛  岩本 青山
外套のポケット探る記憶かな      長野  上野 三歩
刈田焼く匂ひ各駅車中まで       東京  上村健太郎
メモにして済めば斜線を年用意     長野  浦野 洋一
そこ迄が遠きポストや北風吹きて    埼玉  大木 邦絵
遠富士てふほど良き隔て冬夕焼     東京  岡田 久男
スポンジがクリームを着て聖菓とぞ   東京  荻野ゆ佑子
夾竹桃戦死者の墓囲み咲く       神奈川 小坂 誠子
裸木の励ましのあり勤め終ふ      埼玉  小野 岩雄
父母のもとへ行くのか妹よ冬の虹    埼玉  加藤 且之
月冴ゆるしじまを抜けてゆく機影    愛知  河畑達 雄
谷川に袖差すやうな紅葉かな      愛知  北浦 正弘
首通す母のセーター母の匂       東京  北川 京子
城堀の安眠の鴨見張る鴨        神奈川 北爪 鳥閑
この星の煌めきの増す師走かな     東京  北原美枝子
目を凝らせ冬の靄から富士を分く    東京  久保園和美
冬晴や三成布陣せし古墳        東京  熊木 光代
老いて尚昨日も今日も雪囲       群馬  黒岩伊知朗
山門の十六羅漢帰り花         群馬  黒岩 清子
寒靄を鬣として川曲る         三重  黒岩 宏行
凩の洗ふ夕星一日終ふ         東京  黒田イツ子
名にし負ふ三浦の大根届きけり     神奈川 小池 天牛
師走にはあへて走らぬ膝がしら     東京  髙坂小太郎
吉原の名残探して酉の市        東京  小寺 一凡
大晦日名残の道を歩きたく       神奈川 阪井 忠太
箒目に添ひし落葉の絡みかな      長野  桜井美津江
寒卵割れば艶めく今朝の空       東京  佐々木終吉
目を凝らし富士確かむる冬うらら    群馬  佐藤さゆり
やうやくに足るを知りたる木の葉髪   東京  島谷  操
十年目あの日も同じ余寒あり      東京  清水 旭峰
降る雪や新聞配る午前二時       群馬  白石 欽二
鳶の猟楕円の舞や冬ぬくし       東京  須﨑 武雄
スケートの吾子の離れぬ手すりかな   愛知  住山 春人
乾鮭の同じ目をして吊られをり     東京  田岡美也子
日時計の針影に入り日短        東京  髙城 愉楽
冬木立故郷遠き旅鞄          福島  髙橋 双葉
湯豆腐に咲いてからまる花かつを    埼玉  武井 康弘
くじ引きの鐘甲高く年の暮       東京  田中 真美
枯芝やもぐらの盛土其処此処に     神奈川 多丸 朝子
山眠る鳥々の声途絶えがち       愛知  塚田 寛子
極月や今は昔の忙しき日        広島  藤堂 暢子
忘年会終へ去り難き路上かな      埼玉  内藤  明
風邪声の赴任地遠き子の電話      東京  中込 精二
初冠雪富士一段と聳えたり       神奈川 長濱 泰子
顔見世のまねき見たさに途中下車    京都  仁井田麻利子
山間の正丸といふ駅霙る        東京  西  照雄
メモ書きに家事のあれこれ師走かな   静岡  橋本 光子
初冬や待合室の椅子凹み        東京  橋本  泰
残照や焚火の匂持ち帰る        長野  馬場みち子
ここだけは休戦地帯炬燵猫       長野  樋本 霧帆
手に包むための珈琲冬の朝       神奈川 日山 典子
掃除機の音に追はれて日向ぼこ     千葉  深澤 淡悠
朝刊の紙面に小鳥影おとす       長野  藤井 法子
住職の檀家回りや毛糸帽        福岡  藤田 雅規
秋日和の都電一日乗車券        東京  牧野 睦子
霜柱陽当たればただ土くれに      東京  幕内美智子
福引の鈴の高鳴る年の暮        神奈川 松尾 守人
冴ゆる夜や一言多き身を嘆く      愛知  松下美代子
幾重にも聞き耳立つる猿茸       東京  丸山真理子
冬木立味噌買ひ走る日暮かな      東京  水野 正章
東雲や神在月の駅に下る        東京  棟田 楽人
南天の実の撓なり裏鬼門        東京  家治 祥夫
カンバスに素描の弧線銀杏散る     東京  矢野 安美
探し物この頃多し年の暮        群馬  山﨑 伸次
熊手にて心の掃除酉の市        神奈川 山田 丹晴
木枯が最後の一葉飛ばしをり      群馬  横沢 宇内
終弘法包丁研ぎの賑はへり       神奈川 横地 三旦
枯蓮や家元いかに江戸千家       神奈川 横山 渓泉
空に点頭上滑空鶴来る         千葉  吉田 正克
白鳥を雪の固まりかと見たる      山形  我妻 一男
裸木に孤独の力ありにけり       東京  渡辺 誠子



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

初鴨か残りゐし鴨か羽ばたける        深津  博
季語は初鴨ということになろう。おおっもう鴨の来る季節になったのか、と思いつつ、いやいや通し鴨だったのかなとも思う。都会の公園などでは時々そんな錯覚に陥ることがある。少し深読みすると、その疑問を「初鴨か?」とぶつけると「そうだ」と羽ばたいてみせた、という面白さも生じる。同時出句の〈手も足も擦るを忘れて冬の蠅〉は小林一茶の〈やれ打つな蝿が手をすり足をする〉を冬の蠅に転じたパロディーだが、こういう作り方も楽しい。〈沈黙の苦手な人と日向ぼこ〉はいかにもありそうな一景。何も言っていないが迷惑なのである。 


ロボットも休む勤労感謝の日         鈴木 春水
 ロボットを使う時代からロボットに使われる時代になるかもしれないという不安がある。鉄腕アトムや鉄人28号がそうであった。この句も「ロボットも休め(●)」ではなく「ロボットも休む(●)」であるところが少々怖い。同時出句の〈大縄飛縄廻す子は疲れをり〉は廻す側の子に焦点を当てた視点がいい。人が見逃しているものを見ているのだ。


戸の外に胴長干され牡蠣打場         塩田佐喜子
漁港の一角の牡蠣打場の一景。胴長という「物」を前面に出して印象を深めている。危険な作業であり、寒くて水まみれの仕事場であることを象徴している。同時出句の〈生臭き牡蠣殻の山かもめ飛ぶ〉も具体的でいい。


都鳥北斎の名の残る街            清水 史恵
 北斎は引越の多い人だったようだが、両国駅の近くに旧居跡の碑がある。隅田川の近くである。都鳥の季語の斡旋が効いており「名の残る街」のおおらかな表現もいい。


昨日より富士の近くて今朝の冬        園部あづき
 東京に住んでいると冬場などに時々富士山の見える日があり、その日は幸福になる。この作者もそうなのであろう。日々見ているのである。だからこそ微妙な変化にも気が付くのであろう。立冬の朝は一段とくっきりして、まるで一歩近づいたように見えたのである。空気の澄み方と作者の気分がそうさせたのである。


入れ替はり擂粉木握るとろろ汁        清水美保子
 思えば擂鉢を使う習慣が無くなってしまった。新しい調理器具が便利だからである。だが以前、信州の友人の家で擂鉢で擂った山芋を食べたところ、滑らかさが全く違うのであった。それにしても擂るのは労力がいる。この句の「入れ替はり」はまさに実感である。本当に旨いものはやはりこのように手を掛けないと得られないのだが……。


炬燵板裏は緑の雀卓に            倉橋  茂
 あっありましたね。緑の布張りの炬燵板。あれは麻雀用であったのか!麻雀をやらない私はそうとは知らずに今日に到った。麻雀全盛期の遺物であったのか。「裏は」と運んだところは技倆である。四人が集まったらおもむろに板を裏返す。目の付けどころもよく面白い句となった


白鳥の首総立ちに祈りかな          竹花美代惠
同時出句に〈白鳥の声は光に(うみ)の面〉〈(うみ)といふ敷物に座す大白鳥〉があった。三句とも白鳥の生態をよく捉えた丁寧な作りである。「首総立ちに」は白鳥に相応しい措辞であり「祈り」に繫げたところが上手い。また湖を「敷物」と見なしたのは出色。対象物の連作が出来るのは力を付けている証拠。 


手の届くまでにて終へる煤払         針田 達行
こういう感じを詠めるのが俳句形式の楽しさである。まっ今年はこの辺まででいいにしておくか、という大方の人の気持ちを代弁している。お姑さんがいるとそうはいかないが、今日的な核家族の時代の句ということになろうか。


酸茎買ふこたびの旅は片泊り         渡辺 番茶
京都の旅である。それも年末か年明け早々か。それは酸茎漬の句であるし、片泊りに多少の慌しさも感じられるようである。「こたび」とあるから度々来ていることも解る。無駄な言葉を使わず、軽いタッチの楽しそうな旅だ。 


数へ日に未だ片目の達磨かな         中山  中
片目の入った達磨を飾って、願いが成就した時に残りの目を入れるのだが、今年は良いことが無いままに年末になってしまった、というのだ。コロナ禍の陰鬱な世相が背景にあるのかもしれない。 
その他印象深かった句を次に

 

この世情手も足も出ず燗熱し         花上 佐都
遠き日と同じ匂の枯野かな          山口 一滴
煤逃やいつもの湯屋に例の顔         山室 樹一
義士会もなんだかんだと蕎麦が好き      西岡 博子
一人居の苦楽の楽に浮寝鳥          唐沢 冬朱
怨念の四十七士や畳替            小野 無道
七転び五起きくらゐや日記買ふ        井上 幸三





















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(74)          
  
咲き満ちて脈打つごとし夜の桜

 杉並区の井の頭線の高井戸、そのあと富士見ヶ丘に住んでいた。桜の季節になると通勤の帰路、手前の永福町駅で降りて、三井のグラウンド沿いの桜並木や上水沿いの桜を眺めて歩いたものである。月明りで仰ぐ桜、外灯に照らされた桜など、都会の中とはいえ、昼間と違ってじんわりと心に沁みるものがあった。桜の根は髑髏を抱いているという説があるが、鈍感な私でも時に霊気を感じることがある。満開になったばかりの桜は強い風が吹いても散らないものだ。その光景を「脈打つごとし」としてみたのだが、我ながらいい発見であったなと思った。桜は古来あらゆる角度から詠み継がれており、新しい表現で詠むことは難しい。毎年挑戦しているのだが、満足な句はなかなかできないものである。この句は漸く手応えのある句ができたなと思った。後日、「港」主宰の大牧広先生が記憶してくれていて『いのちうれしき』という本で取り上げて下さり思い出の句となった。

冷さうめん三輪の高さに箸あげて

 六、七年前であったか、年末の奈良煤逃吟行会で大神(おおみわ)神社を訪ね、御神体である三輪山に登った。社の拝殿の左手に狭井神社があり、こちらでお祓いを受けたあと門を潜って登山道に入る。信仰の篤い人は素足で登るというが、雪のある季節であり、俄か信者でもあり、登山靴で許して貰った。登山の間は飲食はもちろん私語も慎まなくてはならない。山頂に磐座が鎮座する。登拝の道は神社の方が絶えず掃除し、溝川の落葉なども拾っており、これほど清浄な登山道を他に知らない。大神神社は何度も訪ねているが登拝はこの一度きりである。さて三輪の地は索麺発祥の地であるという。中国から伝わった製法であろうが、日本の小麦はグルテンが少なかったので、現代我々が食す極細の形状になったのはそれほど古いことではないようだ。この地には製造元直営の店もあり、三輪山を正面にして戴くこともできる。位置や角度にもよるが、手繰った箸の高さが山の頂きと重なった。







     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        










銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。






        


 

        








掲示板











               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。



2021/3/25   更新












主宰日録  

  


11月

11月29日(月)
11時、「The Okura Tokyo」平安の間にて、「有馬朗人先生を偲ぶ会」(「天為」主催)。白菊の祭壇に献花。鈴木節子、上田日差子、戸恒東人氏と同席。13時、お開き。八戸でお世話になった吉田千嘉子さん(「たかんな」主宰)を浅草に案内。「八戸えんぶり」に同行した井蛙さん駆けつける。「神谷バー」で歓談。

12月

12月1日1(水)
小学館「三丁目の夕日」のエッセイ一本。「銀漢2月号」の自句自解。19時、ひまわり館。「宙句会」が久々の対面句会とて、呼んで下さり、参加。直さん以下、皆さん元気。あと「ねこのしっぽ」にて歓談。

 12月2日(木)
14時の新幹線で上毛高原へ向かう。杉阪、武田氏と3人。群馬の同人、鈴木踏青子さんが待っていてくださり、上牧温泉の「旅籠 庄屋」へ入る。藤岡の庄屋を移築した1日3組だけの宿。滑らかで透明な品の良い湯。夕食には踏青子さんが釣って自ら素焼きしてから煮たという岩魚の甘露煮が加わり豪華。

 12月4日(土)
快晴。温泉にゆっくり。朝食後、もう1回湯に浸る。三国街道の須川宿。あと名胡桃城趾。秀吉による小田原攻めのきっかけになった山城。近くの「うどん屋 やまご」の肉汁うどんの昼食、うまい! 踏青子さんの手厚いもてなしに感謝。16時、日暮里の本行寺にて水内慶太氏の「月の匣」10周年の祝賀会へ。池田澄子さんと親しく話す。あと伊藤政三さんの店「夕焼け酒場」に10人ほどで。開店前で誰もいないが、勝手に入り、冷蔵庫にあったウインナソーセージを焼いたり、葱の焼きそばなどを作ったりして二次会とする。

12月7日(火)
ボラの卵巣五腹入手。塩漬けに。夜、発行所にて「火の会」12人と復活者が増える。このまま、世の中が好転すれば良いが……。

12月8日(水)
「春耕」同人、乾佐知子さんの労作「曾良を尋ねて」を何とか世に出したく、戸矢一斗さんに出版社に当たってもらい、S社が引き受けてくれることに。実に嬉しい!

12月9日(木)
「三丁目の夕日」のエッセイ一本。1時、渋谷のNHK出版。月刊「NHK俳句」の「復活開店! 『銀漢亭』一句旬菜」が評判良かったので来年も2回掲載したいと。読者の葉書など拝見し、励みになる。久々の渋谷にて、「鳥竹」で小酌。十八時、成城の料理店「成城 きた山」。杉阪大和さんが招待して下さる。久々の歓談。あと駅前の「街かど酒場さんたろう」と、結局、3軒飲み歩き……いけない。

12月10日(金)
酒残る。通信、礼状、1月号校正の残りなど。「NHK俳句」へエッセイの企画送る。祖師谷商店街の歳末セールの福引で5,000円当たる。信州の従兄に数の子とスルメ送る。

12月14日(火)
あちこちの句会選句。15時、両国の「吉良上野介屋敷跡」。折しも赤穂浪士討入りの日。17時、「ぼうず志ゃも」。志村昌、森崎森平、小野寺清人さんに招かれる。池波正太郎の好んだ店。旨い! 女将の話がいい! あと清人さんと「夕焼け酒場」へ寄り、19日の「銀漢亭の日」の打ち合わせ。

 12月15日(水)
あちこちの句会の選句。角川「俳句」2月号の、21句の仕上げに入る。到来の玄界灘一本釣りというヒラマサを捌き、刺身。カマは一塩に、アラはあら汁に。

12月16日(木)
からすみ用ボラの卵巣、7日間塩漬け、1日塩抜き、1日日本酒漬け終えて水抜きに。「俳句」に21句送る。今日もヒラマサを刺身とカルパッチョ。

12月17日(金)
今年最後の「伊那北会」。城巡りを離れて忘年吟行とする。東大島駅集合。「中川船番所資料館」を見学。水害の歴史なども見る。小名木川沿いの遊歩道を歩き、砂町銀座商店街の「石田波郷記念館」。商店街の「銀座ホール」で乾杯。牡蠣フライ、レバー炒め、煮込みその他。すっかり宴会になってしまう。「石田波郷居宅跡」へ。隣が墓地で〈霜の暮抱き起されしとき見たり〉を実感する。バスで門前仲町。深川不動尊に参拝し、2軒ほど飲み歩く。

12月19日(日)
昼、日暮里の「夕焼け酒場」で「第3回 銀漢亭の日」。三十数名集合。清人さんの気仙沼の牡蠣、つぶ貝など豪華な食材。3句出し句会。良い年忘れとなる。

 12月21日(火)
2月号の選句選評など集中する。夜、近所のユウタ君一家来る。蛸焼きを作ってくれる。これが実に旨い! 腕を上げている。

12月23日(木)
「銀漢新年俳句大会」の選句。旅の準備。金沢からずわい蟹、こうばこも沢山届いたので蟹パーティー。

 12月24日(金)
年末関西の旅。八時の新幹線。井蛙さんと。富士山は5合目から上は雪。「シウマイ弁当」を食べて一眠り。伊吹山も雪。大阪から和歌山へ。紀三井寺、湯浅の醬油屋を巡り、紀伊田辺に着いたのが17時過。親不幸通りの居酒屋「かんてき」に入る。ウツボの叩き、鰹、太刀魚塩焼、突き出しのウツボの煮凝りが面白い。あと「むそう」へ。甘鯛の一夜干、鯖の刺身、赤っぽというクエ系の魚の煮付、蓮根団子とどれも上々。御主人が隣に座り込んで話。一代記を聞く。「東急ハーヴェストクラブ南紀田辺」泊。全面が一望の海。

12月25日(土)
温泉、朝食佳し。10時の「くろしお」号で熊野に向かう。枯木灘を車窓に見て新宮。徐福の墓。秋刀魚鮨買ってバスにて熊野市駅。「煤逃吟行」の武田禪次一派と合流、13人。小型バスにて花の窟、熊野速玉大社、神倉神社のゴトビキ岩へ登る。夕暮れの、湯の峰温泉「民宿あづまや荘」に投宿。温泉佳し。3回入る。夕食後、5句出しの句会。

12月26日(日)
起床して風呂。朝食後、風呂。まほさん他はつぼ湯に入ったと……。熊野は初雪。つぼ湯、力石など散策。熊野本宮大社、大斎原。那智の滝、青岸渡寺。補陀洛山寺を巡り、「ホテル浦島」泊。巨大リゾート。食後、10句出し句会。

12月27日(月)
朝も「忘帰洞」の風呂。9時前の特急に乗る。松阪から近鉄。大和郡山の郡山城跡、唐招提寺を巡り、京都へ。18時、御所南の「かまた」に和田ちゃん、悦子さんと待ち合わせ。兵庫、浜坂の松葉蟹中心の料理を頼んであった。只事ならず! あと会員仁井田さんの祇園の店。唄う。

12月28日(火)
「高木珈琲」のモーニングセット。今日は行き当たりばったりの市中散策。松原橋を渡り、六波羅蜜寺、珍皇寺。松原京極商店街で白味噌など買う。大谷祖廟にお参り。今日は亡妻の誕生日。17回忌が近い。13時過ぎながら、酒の時間に切り替える。新京極の「スタンド」、寺町の「たつみ」。2軒とも粕汁佳し。錦市場の「京つけも処 錦・高倉屋」ですぐき、日の菜など買う。17時、「味どころしん」。今日のグジは少し塩が効きすぎ。鰆の刺身はいい。あと仁井田さんの店再訪。

















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2022/3/25撮影    ヒマラヤ雪の下  HACHIOJI 




花言葉  「順応」「忍耐」「深い愛情」「情愛」「秘めた感情」

△ヒマラヤユキノシタ
​冬の終わりから春に、地を這うように広げた楕円形の大きくつややかな葉のわきから長く伸びた花茎の先に、淡いピンクの五弁花がかたまって咲きます。
ヒマラヤユキノシタ(ヒマラヤ雪ノ下)は、ヒマラヤ地方に自生し、大きく厚いつやのある葉を冬でも雪の下からのぞかせていることからつけられています。


ミモザ ヒヤシンス クロッカス サンシュユ 福寿草
節分草 小貝母 雪割草 アズマイチゲ
白木蓮 辛夷








写真は4~5日間隔で掲載しています。 
20221/3/28







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