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 10月号  2022年

伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
  銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  
銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句







        
             

                        

    

今月の目次








銀漢俳句会/2022/10月号











 









銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎久保田万太郎と浅草

 久保田万太郎のことを調べていたら、贔屓にしていた店の一つに「まるたか」があった。ああ 、これだ、と思い出したことがある。
 私は30代の後半、日本橋室町で仕事をしていたが、同じ町内にその店はあった。御亭主は既に亡く、70歳絡みの女将が切り盛りをする小体な店で、炒り豆腐は毎日でも飽きなかったし、締め鯖なども細やかな手が掛かっていた。壁には万太郎の色紙や短冊があり、まだあるよ、と短冊の束を見せてくれたこともあった。万太郎の生前、正月は久保田家の年賀客に出す料理を作りに行っていたという話も聞いた。当時私は俳句を始めていたが、個別の作家への興味があったわけではなく、もっと熱心であったら短冊のいくつかは譲り受けていたかもしれない。
 万太郎は明治22年(1889)11月7日、浅草区田原町で生まれた。生家は煙草入れなどの袋物の製造販売業であった。今、生家跡を含めた敷地は店舗付集合住宅になっているが、大きな石の顕彰碑があるのですぐ解る。雷門前の広小路を国際通りに向かって歩いた向かい側の路地の角である。万太郎はここから小学校に通い、府立三中(現・両国高校)に通ったが、数学が苦手で、三年生を落第し、慶應大付属中学に転校した。慶應文科を卒業した25歳の時、浅草区駒形「駒形どぜう」の近くに一家は転居した。この家は大正7年(1918)、29歳の時、隣家の出火により類焼、浅草区北三筋町に転居する。この家も五年後の関東大震災で罹災、日暮里に移り、浅草での生活を34歳で切り上げたのである。
 中学の頃から樋口一葉の小説に目を開かれ、また俳句にも馴染んで、浅草という下町特有の風土の中で生活をしていたので、万太郎の書く庶民生活の中の義理人情の世界は、他の影響を受けることなく、純粋に自然発酵していったのだと思われる。
 芥川龍之介が、万太郎の第一句集『道芝』の序文で、①(浅草という)地方的色彩の強い作家である。 ②人事の句が多い。 ③下五が「けり」の句が多く、余人よりも抒情的である。──と挙げているが、やはり浅草という「東京の中の地方」が骨身の中に棲み付いている作家であったということであろう。浅草に行ったら万太郎の句碑を訪ねるといい。〈竹馬やいろはにほへとちりぢりに〉は浅草寺の横、浅草神社(三社)の境内に。〈神輿待つ間をどぜう汁すすりけり〉は「駒形どぜう」前にある。
万太郎は昭和三十八年(一九六三)五月六日、画家の梅原龍三郎邸の集まりに招かれ、赤貝の寿司を気管に詰まらせて逝去した。享年七十三。今の私と同じ歳である。












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 


豊熟の稲田や関の翁道            皆川 盤水

奥州三関の一つ、白河の関は五世紀頃設けられたとされ、平安時代末期には所在不明となっていた。江戸時代中期、白河藩主松平定信が調査し、今の位置に比定された。ということは芭蕉の『おくのほそ道』の頃は今の形ではなく、おおよそこの辺りという感じではなかったかと思う。私ごとだが、先日初めて訪ねた。今もこの句と同じく山奥の農村地帯であった。芭蕉が杖を曳いたのはこの句とは季節が違って早苗時である。(平成六年作『曉紅』所収)
      






 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

胃の腑までつづく素麵流しかな          深津  博
曝す書にされど我らが日々もあり         坂下  昭
峰雲を背負うて歩荷尾根下る           伊藤 庄平
河童忌の天の揃はぬ洋書かな           谷岡 健彦
馬の目の山河は濡れて晩夏なる          堀切 克洋
山開き冨士塚になき三角点            星野 淑子
梅雨晴間とて七島は見えぬまま          山下 美佐
長椅子を外に床屋の夕涼み            朽木  直
押寄せる荒磯の香り夕端居            伊東  岬
得度せし貌のやうにも羽抜鶏           山元 正規
人毎に挨拶交はす帰省かな            中野 智子
大の字のいづれも崩れ夏座敷           宇志やまと
野晒しの石屋の石や夏蓬             清水 史恵
滝びらき滝音たかくなりにけり          坂口 晴子
子は親を凌ぐ高さに雲の峰            中島 凌雲
走り根は男の歩幅夏木立             西田 鏡子
手花火の終はりはいつも唐突に          多田 悦子
恐山ひとつ重ねて旱石              白井八十八
竿売りの声は空耳昼寝覚             岡城ひとみ
利根川の水源として雲の峰            山下 美佐








     














    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

胃の腑までつづく素麵流しかな        深津  博
 素麵流しというものは、構えていた箸の先で終るのではなく、口から食道を経て胃の腑までを言うのだという新説である。俳句の俳は、人に()らず、と書く。人非人ではなく、人とは違うことを詠む、という意味である。人が今まで詠めずにいたことを詠む、独自性を持った句を作る、ということである。この句はそういう意味で、今までの素麵流しのイメージを胃の腑まで延長させた、柔軟な発想句なのである。

曝す書にされど我らが日々もあり       坂下  昭
団塊の世代から上位の人にしか解らない句かもしれない。『されど我らが日々』は昭和三十九年出版の青春小説で、作者は柴田翔。六十年安保闘争の学生運動が舞台で芥川賞を受賞している。私にも愛着のある小説だ。私はとうの昔に紛失しているが、作者は今も持っているのであろう。多分自分の青春時代の象徴なのであろう。単に本の題を掲げただけの句ではなく、「されど……」と掛けたところに深い愛惜が籠っているようだ。 

峰雲を背負うて歩荷尾根下る         伊藤 庄平
壮大な句である。大きな荷物を担ぎ上げた歩荷が、今度は雲の峰を担ぐようにして尾根を下ってくるという。この句では「背負うて」の断定が効いているようである。あの峰雲を担ぐ歩荷とは何とも逞しく壮大な情景である。十七文字という短い俳句がこれほどまでに大きな景色を詠み取ることができたことは嬉しい。 

河童忌の天の揃はぬ洋書かな         谷岡  健彦
芥川龍之介が自ら命を絶ったのは昭和二年七月二十四日、享年三十五であった。芥川にはこんな逸話がある。京都に遊びに行く折、徒々に読もうと三冊の洋書を持参したという。ところが汽車の中で暇になったのでその洋書を読み始め、結局京都に着く前に全部読み切ってしまった、というのである。やはり天才的な速読力であり、読解力である。この句は「天の揃はぬ」がうまい所で、様々な洋書に芥川の人物像が浮かび上るのである。

馬の目の山河は濡れて晩夏なる        堀切  克洋
 一読、堀辰雄の高原小説や詩などを思い出させる。夏も終りの高原での休暇も、そろそろ終りという頃か。牧場の馬の目に秋めいた山河が映る。空気も澄み始めているのであろう。心地良い抒情が滲んでいる。

山開き冨士塚になき三角点          星野 淑子
江戸時代、富士山に登れない人の為に町の中に富士塚を築いた。今も幾つか残っている。富士山の山開きに合わせて、富士塚でも山開きをするのだ。測量の基準となる三角点は国土地理院が山頂などに設置するものだが、もちろん町中の富士塚には無い。おかしみを伴った山開きである。 

梅雨晴間とて七島は見えぬまま        山下 美佐
 束の間の梅雨最中の晴れ間。まだまだ湿潤である。

長椅子を外に床屋の夕涼み          朽木  直
床屋は町内の溜り場でもあった。懐しい風景。 

押寄せる荒磯の香り夕端居          伊東  岬
 海辺の端居はこんな感じか。味わってみたいものだ。

得度せし貌のやうにも羽抜鶏         山元 正規
 何やら欲得も無い感じの羽抜鶏。面白い比喩。

人毎に挨拶交はす帰省かな          中野 智子
駅から家までことごとく知り合い。帰省の通過儀礼だ。 

大の字のいづれも崩れ夏座敷         宇志やまと
家族が昼寝の真最中なのであろう。広い夏座敷。 

野晒しの石屋の石や夏蓬           清水 史恵
 成長の早い夏蓬が石置場を覆う。盛夏の一景を捉えた。

滝びらき滝音たかくなりにけり        坂口 晴子
 滝開きの儀式で滝も活気付いたという擬人法的面白さ。

子は親を凌ぐ高さに雲の峰          中島 凌雲
雲の峰の取合わせは凄過ぎるが、意外な発想。 

走り根は男の歩幅夏木立           西田 鏡子
 鞍馬山の義経の修行の地を思う。「男の歩幅」がいい。

手花火の終はりはいつも唐突に        多田 悦子
 確かに手花火とはこんな感じの終り方。

恐山ひとつ重ねて旱石            白井八十八
恐山の灼熱の景をよく捉えている。「旱石」がうまい。 

竿売りの声は空耳昼寝覚           岡城ひとみ
今や聞こえない売声。夢に錯覚して目が覚めるのだ。

利根川の水源として雲の峰          山下 美佐
 坂東太郎の名を持つ川だけに、大いに納得する句だ。







          


 






銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

気忙しき客が隣に泥鰌鍋        東京  飯田眞理子
朝もぎの疵より匂ふ杏子かな      静岡  唐沢 静男
大鍋で煮出す麦茶の平凡さ       群馬  柴山つぐ子
渦巻の灰に疵なき蚊遣香        東京  杉坂 大和
青簾湯上りの身を模糊と置く      東京  武田 花果
来し方を垢離する泉三嶋郷       東京  武田 禪次
清滝のしぶきを敷きて川床料理     埼玉  多田 美記
父の日を生前はよく忘れしが      東京  谷岡 健彦
燭の火や前立もまた黴仏        神奈川 谷口いづみ
所在なく靴を揃へて梅雨長し      長野  萩原 空木
帰国してたちまち梅雨の戻りけり    パリ  堀切 克洋
羽搏きをしてゐるつもり羽抜鶏     東京  松川 洋酔
誰ねらふともなき草矢打ちにけり    東京  三代川次郎











         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選


ここいらは将門領地出水川        東京  武井まゆみ
恙無く仏事も終へて鱧の膳        東京  辻  隆夫
八艘を跳ぶとも見えず菊人形       東京  沼田 有希
山頂は既になだらか宇治金時       東京  森 羽久衣
この噓は何いろならむ桜桃忌       神奈川 宮本起代子
ふるさとの蛍となりて光りたき      東京  宮内 孝子
流山に来れば双樹よ夏木立        東京  渡辺 花穂
夕刊の席あるバスや夏の旅        東京  大溝 妙子
照りかヘすグラビア雑誌海の家      東京  宇志やまと
遠泳へ届かぬ声を飛ばしけり       和歌山 笠原 祐子
等高線狭きあたりの滴れる        千葉  白井 飛露
人からも水抜けてゆく旱かな       東京  辻本 芙紗
喜雨の中泳ぎごころに畦をゆく      埼玉  伊藤 庄平
梅雨明の熱海海岸下駄の跡        東京  川島秋葉男
下戸なれど上戸に与す一夜酒       神奈川 田嶋 壺中
餃子にも羽の生えたる薄暑かな      埼玉  戸矢 一斗
殻に負ふ海の記憶やかたつむり      東京  橋野 幸彦
緑陰を取り合ふやうに坐りたり      埼玉  秋津  結
母へ風いつとう美しき京団扇       東京  飛鳥  蘭
海の日や白砂靑松目裏に         宮城  有賀 稲香
父の日や父を知らぬも文字は似て     東京  有澤 志峯
水飯や五臓六腑を鎮めたる        神奈川 有賀  理
小酌に日暮を待たず鱧の皮        東京  飯田 子貢
甘酒や峠の茶屋に荷を下ろし       東京  生田  武
青蘆の葉づれ梅若塚いづこ        埼玉  池田 桐人
夏祭祝儀袋を買ひ足して         東京  市川 蘆舟
異界より聞こゆる二階囃子かな      東京  伊藤 政三
干網に一夜の湿り月見草         神奈川 伊東  岬
大部屋で啜る冷麦御師の宿        東京  今井  麦
晒鯨今日安房沖の波高し         埼玉  今村 昌史
陵に勾玉色のやんまの眼         東京  上田  裕
帰省子の少しく敬語つかひけり      埼玉  大澤 静子
岬の灯涙のやうに梅雨に入る       東京  大住 光汪
遠足の子らに囲まれ象孤独        神奈川 太田 勝行
晩学の道遠けれど灯涼し         東京  大沼まり子
別れ来て吹く草笛の湿りがち       神奈川 大野 里詩
討つ者も討たれし者もみな蛍       埼玉  大野田井蛙
生きて会ふこと儘ならず星祭       東京  大山かげもと
灯の入りて簾にもるる暮しぶり      東京  岡城ひとみ
校庭を横切る日傘選挙の日        東京  小川 夏葉
羽抜鶏抜け放題の胸を張る        宮城  小田島 渚
海開き子よしがみつけ吾は父ぞ      宮城  小野寺一砂
民宿の流しに汐の髪洗ふ         埼玉  小野寺清人
玉砂利の芯までからぶ旱かな       東京  梶山かおり
虹の端うみに生まれてをりにけり     愛媛  片山 一行
今生を跳ね八十の跳人跳ぬ        東京  桂  信子
磯の香を噎せ返らせて南吹く       静岡  金井 硯児
乾ききらぬビニールプール膨らます    東京  我部 敬子
神主と背広の並ぶ海開き         千葉  川島  紬
睡蓮の咲く音くらくかすかなり      長野  北澤 一伯
籐椅子のいづこより鳴る軋み音      東京  絹田  稜
あだ花も花の賑はひ花南瓜        東京  柊原 洋征
足踏みのミシンの行方盆の家       神奈川 久坂衣里子
溝浚へして霊山の水迎ふ         東京  朽木  直
往還を蹴散らしてゆく白雨かな      東京  畔柳 海村
菖蒲田や人を通さぬ橋かけて       東京  小泉 良子
どの路地も朝顔市の水浸し        神奈川 こしだまほ
落し文古道といふは道細し        東京  小山 蓮子
初蛍川向かひより声揚がる        宮城  齊藤 克之
山小屋の海恋しがる貝風鈴        青森  榊 せい子
肘たかく願の糸を結びけり        長崎  坂口 晴子
饐飯や厨に探す風の径          長野  坂下  昭
早苗饗や遠野の河童いまいづこ      群馬  佐藤 栄子
葉隠れの緋鯉の灯す昼の池        群馬  佐藤かずえ
夏霧に吸ひ込まれゆく家路かな      長野  三溝 恵子
覗き見る四角の世界箱眼鏡        東京  島  織布
豆つまむ指の塩舐めビール干す      東京  島谷 高水
大原の寺の晩鐘紫蘇畑          兵庫  清水佳壽美
青梅にほのかに紅の兆し見ゆ       埼玉  志村  昌
蟻地獄読経かすかな縁の下        神奈川 白井八十八
藺座布団の跡がしばらく消えぬ脛     東京  白濱 武子
梅の木の根元に埋める金魚かな      東京  新谷 房子
茅の輪潜りなほ濁世の直中に       大阪  末永理恵子
雹降つて騒然となる鶏舎かな       静岡  杉本アツ子
溝浚へ日時書かれし回覧板        東京  鈴木 淳子
乗り継ぎに間のある駅や夏の雲      東京  鈴木てる緒
何故に蚯蚓這ひ出る炎天下        群馬  鈴木踏青子
それぞれの暮しの一画時計草       東京  角 佐穂子
観音に纏はりつくや梅雨の蝶       東京  瀬戸 紀恵
蚊遣火の側にはいつも祖母がゐて     神奈川 曽谷 晴子
鍬形の金剛力に嚙まれゐし        長野  髙橋 初風
舌を抜く鋏の灼けし閻魔堂        東京  高橋 透水
巨石嚙む山毛欅の一樹や夏鶯       東京  竹内 洋平
十薬や付合ひうすき裏隣         東京  多田 悦子
置き場所の決まらぬままの扇風機     東京  立崎ひかり
七変化三変すれば描きたし        東京  田中 敬子
油照鍾馗の顔も歪むかに         東京  田中  道
席譲りそこね眼を閉づ西日中       東京  田家 正好
齢ますほど鍔広く夏帽子         東京  塚本 一夫
八橋の見えては隠れ菖蒲園        東京  辻本 理恵
火の匂ひ水の匂ひの鵜飼かな       愛知  津田  卓
信号は点滅のまま街出水         東京  坪井 研治
浜ごとに駅ある安房の海ひらく      千葉  長井  哲
錆びてなほ一化けのある七変化      大阪  中島 凌雲
妻の家長居気になる夏座敷        神奈川 中野 堯司
父の日や話題は母へまた戻り       東京  中野 智子
猫と住み市中隠棲金魚玉         東京  中村 孝哲
奪衣婆の透けたるあばら梅雨の闇     茨城  中村 湖童
梅雨寒やほのと羽織れる簞笥の香     埼玉  中村 宗男
展翅板の虫ピンひかる揚羽蝶       東京  中村 藍人
涼しさを語るとき人目を細め       千葉  中山 桐里
鞍馬
竹伐会気合ほどには伐れぬらし      大阪  西田 鏡子
炎天に拍車をかける室外機        埼玉  萩原 陽里
父の日や父を知る兄知らぬ我       広島  長谷川明子
端居して夕べの風をまのあたり      東京  長谷川千何子
越しゆきし人のその後や桐咲けり     神奈川 原田さがみ
濁世の句載する扇で煽ぎけり       兵庫  播广 義春
盆がくる家路を急ぐ夫ならむ       東京  半田けい子
滴りは大師の語り高野山         東京  福永 新祇
朝顔市鬼子母神への道せばむ       東京  福原  紅
富士塚に下草刈りの跡見ゆる       東京  星野 淑子
蟬時雨特攻跡に鳴き止まず        東京  保谷 政孝
係留の舟の狼狽出水川          岐阜  堀江 美州
扁額の「我鬼」にこゑあり夏の雨     埼玉  本庄 康代
黒衣裳なるも鮮やか揚羽蝶        東京  松浦 宗克
折につけ昭和に未練麦こがし       東京  松代 展枝
蛇よりも蛇つかむ子を恐れけり      神奈川 三井 康有
緑陰に寄れば親しき顔と顔        東京  村田 郁子
風の声森の声聞くハンモック       東京  村田 重子
流木は祈るかたちに海開き        千葉  森崎 森平
峡の空峡の幅なる虹掛かる        埼玉  森濱 直之
母不在男子三人飯饐える         長野  守屋  明
夏雲を洗濯ばさみのつまみ上ぐ      東京  保田 貴子
豪速球雲の峰より投げ下ろす       愛知  山口 輝久
朝夕と何はともあれ胡瓜揉み       群馬  山﨑ちづ子
一茶庵蠅の和んでゐるやうに       東京  山下 美佐
晩鐘を待つてゐるかに蚊喰鳥       東京  山田  茜
白南風や海軍カレー匂ふ街        東京  山元 正規
土佐日記鞄に入れて夏の旅        愛媛  脇  行雲
虫干や巻き癖つきし表彰状        埼玉  渡辺 志水





















銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

父の日を生前はよく忘れしが         谷岡 健彦
 母の日に取って付けたような父の日はついつい忘れられるものだ。そういう句は沢山ある。だがこの句のように一歩踏み込むと、新しい味わいが出るものだ。死んでから父の日が特別なものになる。「よく忘れしが」が抒情の余韻を深く残している。


ここいらは将門領地出水川          武井まゆみ
 将門は一代の風雲児。当初は一族間の領地争いを繰り返していたが、最後は朝廷への反逆者となった。死後怨霊となり、今は神田明神に祀られている。その後の鎌倉武士団の先駆け的存在として崇敬されている。句は常陸の国であろうか。暴れ川の取合せが将門の生涯と重なるのである。


恙無く仏事を終へて鱧の膳          辻  隆夫
 京の夏の料理を代表する鱧は、もっぱら祭鱧とも呼ばれて祇園祭とセットで詠まれることが多い。一方この句は法事の直会の席。確かに祭の時ばかりに出されるわけではなく、このような席にも出るし、精進料理とも違和感が無い。京都を熟知した人の鱧の句だな、と思う。


八艘を跳ぶとも見えず菊人形         沼田 有希
壇ノ浦の戦いの場面の菊人形なのであろう。義経の八艘跳びは有名だが、沢山の菊の花を豪華に纏った義経は、とても跳べそうには見えないという。不思議に思うこの感覚、興味の持ち方が俳句の発想の原動力である。 


山頂は既になだらか宇治金時         森 羽久衣
かき氷の代表格が宇治金時。抹茶を振り掛けてあるので緑の山のように見える。上の方から匙を入れて食べ、七合目位までに減った状態なのであろう。かき氷を実際の山と見立てて少し減った状態を楽しく詠み止めている。 


この噓は何いろならむ桜桃忌         宮本起代子
「真っ赤な噓」という言葉がある。噓にもいくつかの色があるのだろうか。太宰治であれば様々な色の噓をつけそうに思う。だが結局自分の噓に自分が傷付くというのが太宰治である。 


ふるさとの蛍となりて光りたき        宮内 孝子
自分の思いを一物仕立てで一気に詠み切った気持のいい句だ。故郷を離れた者の多くが共感できる句だと思う。私もこの句を見て信州の山河やはらからを思い出した。 


流山に来れば双樹よ夏木立          渡辺 花穂
 千葉県流山には一茶が何十回も訪ねている。当時盛業であった味醂の醸造元、秋山双樹が門弟で、一茶の為の部屋も用意して歓待したのである。この句のうまさは、双樹という固有名詞である俳号と、夏木立を合わせたところである。夏木立の頼もしさとの重ね方は美事という他はない。


夕刊の席あるバスや夏の旅          大溝 妙子
バスに乗せて遠くの集落へ夕刊を運ぶ。夕刊が座席の一つを占めているのである。同じバスに乗って自分たちもその集落の宿に入る。このささいな発見が楽しい。


照り返すグラビア雑誌海の家         宇志やまと
海の家の一景を鮮やかに切り取っている。客が持ち込んだグラビア雑誌は良質な紙を使っているので、日差しを撥ね返す。海の家という光に満ちた中のグラビア雑誌の表紙は更に光彩を放つ。光の饗宴である。 


遠泳へ届かぬ声を飛ばしけり         笠原 祐子
絶対に本人に届くことはないのだが、岸壁から声援を送る。届かないと解っていても声を振り絞る。作者はそうした矛盾を見逃さない。祈りの声なのである。 

 

等高線狭きあたりの滴れる          白井 飛露
 確かに地図に見る等高線の狭い所は急峻である。実際に登山をしているとそんなことには思いは至らないのだが、地図との組合せを俳句に持ち込んだのが手柄である。言われてみれば当り前だが、今まで詠まれなかった発見がある。


人からも水抜けてゆく旱かな         辻本 芙紗
鳥獣草木一切、生きとし生きるものは水に支えられている。人も例外ではない。それをわざわざ言ってみせたところが面白いのである。人の驕りは許されないということを思う。同時出句の〈白といふ色にも数多七変化〉もよくよく観察の効いた句。対象物に目を凝らしているのだ。 


 その他印象深かった句を次に

喜雨の中泳ぎごころに畦をゆく        伊藤 庄平
梅雨明の熱海海岸下駄の跡          川島秋葉男
下戸なれど上戸に与す一夜酒         田嶋 壺中
餃子にも羽の生えたる薄暑かな        戸矢 一斗
殻に負ふ海の記憶やかたつむり        橋野 幸彦
















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

三伏の溶けかけてゐる昼の月      埼玉  深津  博
饐飯も雨漏りの音も昔かな       長野  中山  中
通夜の座へ折々とどく祭笛       栃木  たなかまさこ
妖怪と隣合せの夜店かな        岐阜  鈴木 春水
風鈴やおほかた妻へ来る電話      東京  清水 史恵
神官の浅沓傾ぐ海開          埼玉  加藤 且之
饐飯や単身寮の夜勤明け        長野  池内とほる
妻遺す香水瓶の蓋の錆         広島  井上 幸三
ところてん喉過ぐるとき波の音     広島  塩田佐喜子
糸瓜水身ぬちの水の涸渇して      東京  尼崎 沙羅
便箋に梅雨のしみゐて訃報かな     東京  竹花美代惠
鵜舟寄る横一列の総がらみ       東京  西  照雄
この齢を乗り切る汗でありにけり    東京  渡辺 誠子
海風に応へて揺るる貝風鈴       千葉  針田 達行
青芒人に問はれて気付く傷       千葉  小森みゆき

上京を待つ水槽の祭鱧         福岡  藤田 雅規
東京の大河となれぬ天の川       東京  北原美枝子
草笛の音無く苦み濃かりけり      東京  棟田 楽人
毛虫焼く日曜弥撒に行く前に      東京  熊木 光代
消防の分団灯や蚊食鳥         東京  須﨑 武雄
鳩小屋に次々帰る夕焼空        福島  髙橋 双葉
将門が神に加はり夏木立        神奈川 山田 丹晴






星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


うたた寝の遠くに聞けり蟬時雨      京都  秋保 櫻子
寡黙なる弟笑ふ鰻飯           愛媛  安藤 向山
水芭蕉子を抱くマリア像のやう      東京  井川  敏
不定形寄せ集めたる青田かな       東京  石倉 俊紀
肩の上に買はれてゆきし青簾       東京  伊藤 真紀
万緑に峡はひときは息苦し        愛媛  岩本 青山
空の色深めてゐたる茄子の花       長野  上野 三歩
冷麦や黙してすする講の膳        東京  上村健太郎
寝入り端耳を離れぬ蟬時雨        長野  浦野 洋一
日盛に名知らぬ鳥も水を浴ぶ       長野  岡村妃呂子
つるつるでありぎざぎざの兜虫      愛知  荻野ゆ佑子
故郷の寺より盆の知らせかな       神奈川 小坂 誠子
突き出せば酢にも色あり心太       静岡  小野 無道
漁火と星の涼しき能登の海        東京  釜萢 達夫
大書かな枝に小鳥の声消えて       長野  唐沢 冬朱
りんご飴怪しく光る夜店かな       愛知  河畑 達雄
草刈るや霊峰富士は遥かなり       神奈川 河村  啓
浦風にサーフィンの色散らばれり     愛知  北浦 正弘
釣忍この世を冷めて眺めけり       群馬  北川 京子
風死すや尼将軍の化粧井戸        神奈川 北爪 鳥閑
昼寝から目覚め昼寝の人起こす      東京  久保園和美
お祭の寄付の一覧掲げらる        東京  倉橋  茂
宿坊の一汁一菜胡瓜もみ         群馬  黒岩伊知朗
駒草やサラブレッドの面をして      群馬  黒岩 清子
夕立の度に馴染の映画館         愛知  黒岩 宏行
観世音の天蓋なりし合歓の花       東京  黒田イツ子
難聴やはたた神とも縁遠く        神奈川 小池 天牛
避暑の宿敷かれし熊の目が光り      東京  髙坂小太郎
孔子廟至る所に木下闇          東京  小寺 一凡
水に浮き帆掛け高まる水芭蕉       神奈川 阪井 忠太
遅く着く母の食卓洗ひ飯         長野  桜井美津江
校庭の白線煙る蟬時雨          東京  佐々木終吉
風強し頭押さへる登山帽         群馬  佐藤さゆり
洗ひ髪風のすきゆく夕まぐれ       東京  島谷  操
油照坐して信玄動かざる         東京  清水 旭峰
水面を出て睡蓮の風を受く        東京  清水美保子
捨畑の雀隠れとなりにけり        千葉  清水 礼子
桑の実や食べて叱られ幼少期       群馬  白石 欽二
曼珠沙華あらはに石舞台古墳       大阪  杉島 久江
夏料理切子の綺羅に絡まれり       愛知  住山 春人
豆腐屋の長靴忙し夏至の暮        千葉  園部あづき
金魚売の声真似姉と買ひしあと      東京  田岡美也子
工房の轆轤軋むや日の盛         東京  髙城 愉楽
ふるさとは大屋根垂るる暑さかな     埼玉  武井 康弘
砂浜の子の輪の中で西瓜切る       東京  田中 真美
ふだん着の僧と会ひたり夜店の灯     神奈川 多丸 朝子
快き眠りにつきぬ喜雨の夜        広島  藤堂 暢子
一枚毎濃淡ありて植田かな        埼玉  内藤  明
打水を扉開きに縄のれん         東京  中込 精二
ギヤマンの鉢に煌めくさくらんぼ     神奈川 長濱 泰子
粽結ふ笹の香を包み込み         京都  仁井田麻利子
ため息を冷蔵庫にも押し込みて      宮城  西岡 博子
雨音や土間の暗闇飯饐える        東京  西田有希子
花蜜柑漁師耕す島の畑          神奈川 西本  萌
鉄の重さ纏ひて兜虫           静岡  橋本 光子
走り根の先も走り根夏木立        東京  橋本  泰
みみず乾涸び救急車頻繁に        神奈川 花上 佐都
作柄を探る頃合ひ田水わく        長野  馬場みち子
八月の背ナに張りつく喪服かな      長野  樋本 霧帆
関山に昼の蛍を逃したる         神奈川 日山 典子
大津絵の鬼の行水月杲杲(こうこう)         千葉  平野 梗華
海水浴夕日に海が染まるまで       千葉  深澤 淡悠
万緑に吸ひ込まれゆく悩み事       長野  藤井 法子
彩雲や吉呼ぶ日和さくらんぼ       東京  牧野 睦子
我の顔揺らし横切る金魚かな       東京  幕内美智子
冷酒の温くなるなり人生論        神奈川 松尾 守人
遠泳や雲脱ぐ地平線のあり        東京  丸山真理子
御旅所へ無言詣の抜衣紋         東京  水野 正章
大輪の蓮の浄土や姉偲ぶ         宮城  村上セイ子
かにかくに願の糸の切れもせで      東京  家治 祥夫
白玉や拠りどころてふ母のこと      東京  矢野 安美
あだし野の西院(さい)の河原の蓮の花      東京  山口 一滴
あれこれを出せと言はれて蝸牛      静岡  山室 樹一
本殿を正面に据ゑ茅の輪かな       群馬  横沢 宇内
川遊びいつも真つ裸で終はる       神奈川 横地 三旦
冷蔵庫製氷早く願ひます         神奈川 横山 渓泉
足跡を波に攫はる夏の果         千葉  吉田 正克
空色は青春のいろ小あぢさゐ       山形  我妻 一男
東海の砂を食む蟹啄木忌         東京  若林 泰吉





















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

三伏の溶けかけてゐる昼の月      深津  博
三伏とは夏至のあとの庚(かのえ)の日を言い、初伏・中伏・末伏の三つの総称。庚は金気を表し、金気が火に伏せるというところから出ていて、酷暑の激しさと捉えている。中国では伏日は万鬼が行くとして物事を慎む風習があったという。俳句では、大暑、酷暑、溽暑、炎暑と並んで、暑さを表す象徴的な季語である。掲出句では、この時ばかりは昼の月が溶けかけているようにも思えるという。類形のない、実感のある比喩である。


饐飯も雨漏りの音も昔かな       中山  中
 冷蔵庫が発達する前は飯櫃を冷暗所に置いても、飯が饐えてしまうことが度々あった。食糧不足の時代でもあり、また米を無駄にすると罰が当たると言う時代であり、我慢して食べたり、洗って食べたりもしたものである。句にあるように雨漏りも日常的なものであった。そんな時は盥や洗面器で受けたものである。昭和三十年代、経済成長と共にこれらは解消していくのである。句はこの二つを重ねたところで実感を深めたようである。同時出句の〈饐飯や木曾のわつぱと須(す)可(てつ)捨(ちま)焉(おう)乎(か)〉も面白い作品。饐飯の匂いの付いた容器ごと捨ててしまおう、というのだが、曲木製のわっぱと童(わっぱ)が音で重なるところも面白く、竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉を換骨奪胎した軽妙さ。


通夜の座へ折々とどく祭笛       たなかまさこ
通夜と祭という相反するものの取合せだが、人の世とはそうしたものである。通夜の悲しみの席にも祭笛、囃子は届く。悲喜こもごもなのが人間の世界である。変った取合せだが、妙に実感も深く抒情もある。同時出句の〈涼風や二つ重ねの宿枕〉も「二つ重ね」が上手いところで、情感を深めている。 


妖怪と隣合せの夜店かな        鈴木 春水
 子供心に夜店というものは別世界であった。楽しくもあったが、夜の神社の参道などでは怖くもあり、親の手を握って離さなかったものだ。「隣合せ」がうまい。


神官の浅沓傾ぐ海開き         加藤 且之
安全を願う祝詞を称える神官の沓が砂に傾ぐ、と実に細かな目配りができている句である。観察の正しさである。同時出句の〈カルデラの底に集落青芒〉〈時計屋の何れも正しく油照〉も「物」をきちんと見ている人の句だ。 


饐飯や単身寮の夜勤明け        池内とほる
 これは今日でもありそうな光景である。単身赴任の寮で一人の御飯を炊いたのであろうか。夜勤明けで小腹が減って、残りの御飯を見ると少々饐えた匂。捨てるのも口惜しいし、洗って食べるか‥‥というところである。


妻遺す香水瓶の蓋の錆         井上 幸三
 亡妻の残した香水瓶は、使うこともないのに、捨てるわけにもいかず置いたままである。蓋に錆が出てきたというのだから、ずい分時を経たのであろう。見る度にその歳月を思うのである。私の部屋にも妻の残した香水瓶がある。多分減ることもなく、十七年が過ぎようとしている。


この齢を乗り切る汗でありにけり    渡辺 誠子
面白い発想の句である。一日生きるために汗をかく。一年を乗り切るために汗をかく。人はそのように暮らしているのである。「この齢を」の齢が眼目で、老齢の身をなだめなだめて暑い季節をやりすごしているのである。 


上京を待つ水槽の祭鱧         藤田 雅規
鱧を最も好むのは京都。水揚げの多いのは兵庫県、徳島県、大分県など。生命力が強いので生きたまま京都へ送られる。それを「上京を待つ」と擬人化したのがこの句のおかしみである。これは最近京都の料理店で耳にした話だが「韓国産が一番旨いんです。内緒だけど‥‥」と。 


東京の大河となれぬ天の川       北原美枝子
残念ながら東京で天の川を見る機会はほとんど無い。その見えない銀河を俳句にしたのがこの句で、なかなかの味わいである。ほんの少し見えるときもあるが、大きな帯として眺めることはできない、というのを「大河となれぬ」と短い言葉に纏めたのは無駄なく要点を突いた表現である。「東京の」の打出しもよく、地名が動かない。 


草笛の音無く苦み濃かりけり      棟田 楽人
 私も子供の頃何度もやってみたが、たいがいこんな結果であった。草の苦みが残るばかり。このようなありのままの、はからいの無い詠み方もいいものだ。


その他印象深かった句を次に

毛虫焼く日曜弥撒に行く前に      熊木 光代
消防の分団灯や蚊食鳥         須﨑 武雄
鳩小屋に次々帰る夕焼空        髙橋 双葉
将門が神に加はり夏木立        山田 丹晴



















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(81)
           
英霊の席空けておく花筵

 学生時代は法学部政治学科にいたこともあり、政治への関心が無かったわけではない。当時各大学で頻発していた学園闘争やベ平連の活動には同調できず、茶道会とは別に国防研究会にも入っていて、どちらかといえば三島由紀夫の思想に共鳴する方であった。靖国神社にも参拝した。その件はさておき、神社周辺は桜の名所でもある。ただ、靖国神社も境内で酒を飲むことには私には躊躇いがある。飲んでいいのは親族を戦争で失った方々や、戦争で生き残った方々が戦友を偲んで酌み交す場合であってほしいと思っている。そういう方々に境内を使ってほしいと思っている。そんな思いがあったので、席題で「花見」が出たときに思い付いた句である。現実に席を空けておかなくてもいいのである。国のために死んでいった人々に献杯をする思いを持っていたいものだと思う。私の叔父も東京商船大学を卒業した最初の航海で浅間丸に機関士として乗船し、フィリピン沖に沈んだ。

年賀状書きかけのまま父逝けり

 父は苦学して医学専門学校を出て、郷里信州で開業し、我々3人の子供を育ててくれた。数年前に帰郷した折、私の小学校時代の同級生だったという人が訪ねてきてくれて「伊藤先生(父)に命を救ってもらって自分の今日がある。先生の替りに君にお礼を言いたくて……」という。氏は瀕死の状態で父のところに担ぎ込まれ、父がペニシリンの注射を打ったという。「それで助かったが結局治療費は払っていないままだ」と言う。父は貧農の出身でったこともあり、その頃生活に追われている患者さんには治療費の催促はしなかったようだ。その父は82歳の時、夜中に来た急患を診療中に脳梗塞で倒れた。半身不随のまま信州で暮らしていたが、介護していた母に認知症が出たため、八王子の兄の家の近くの施設に移り、平成18年、91歳で死んだ。多摩の墓地を求め、49日の法要と納骨をする前日、私の妻が死んだ。何とも厳しい年末年始であったことか……






     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        











銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



 

        








掲示板











               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。














主宰日録  

  

7月

7月10日(日)
久保田万太郎を調べる。夜、杏一家来て、私の誕生日をしてくれる。犬のバニラが丁度この日が誕生日にて合同誕生会。家族の関心はバニラに。

7月11日(月)
4時45分、中央道深大寺バス停に北原泰明君の車を待つ。松本から安房峠を抜けて飛騨高山白川郷を横に見て「白山白川郷ホワイトロード」に入る。白山を見る。残雪を見る。「ふくべの大滝」を見る。昼、勝山へ。手打ちそばの「どうせき」にて越後蕎麦。白山平泉寺跡へ。泰明君は車の中。1時間ほど発掘復元地など巡る。苔が美しい。汗だく。勝山城跡をちょっと見て、朝倉氏の一乗谷城跡へ。復元の町並み、朝倉館跡など巡る。泰明君は車の中。17時過、福井市の「ホテル東横イン福井駅前」に入る。福井城跡を巡る。本丸だけ残り、県庁に。泰明君はホテルの中。ホテル近くの「はやし」に入り、泰明君を呼ぶ。刺身盛合わせ、へしこ、げんげ干などで日本酒「黒龍」を。泰明君は酒を飲まないので焼きおにぎりなどを食べている。別れて少し町を歩き「つるき」本店でおろし蕎麦と酒。22時就寝。

7月12(火)
7時出発。三国、東尋坊経由で吉崎御坊跡、参拝。資料館で説明を受ける。北陸道で金沢、富山を抜け上越。上杉謙信の春日山城跡へ。3度目の正直。本丸跡に辿り着いたところで雨。掲示板の細い庇の下に身体を入れて雨宿りするが止まず、濡れながら下山にかかるが「桑取道」という標の道へ入ったところ、迷路となり、結局、4、5キロにわたり山中をさまよう。隣の山に迷い込むなどして、また電波が届かず、泰明君に心配をかける。ようやく春日山神社に出て一安心。17時過、新発田の「月岡温泉 湯あそび宿 曙」に投宿。温泉にゆっくり浸る。夕食では蓴菜の澄ましが可。21時頃に寝てしまう。

7月13日(水)
6時起、湯。8時過出発。会津で東北道を降りて「白河の関跡」に向かう。関跡の空堀を巡っていて蛇と会う。鳥肌。「白河小峰城跡」見学。両方共、泰明君車の中。17時、西船橋で別れる。2泊3日、1,500キロの長駆。

7月14日(木)
郵便物の整理、返信。数句会の選。久保田万太郎についてのレジメ作りなど。到来のきんき五尾を煮る。

7月15日(金)
調布市「アカデミー 愛とぴあ」にて久保田万太郎についての講話2時間。全力投球。

7月16日(土)
「俳句てふてふ」の「俳人の風景」1本。片山一行句集『凍蝶の石』到来。落ち着いた装丁の良い句集。私が序文。NHKBSで祇園祭宵山の実況中継。

7月17日(日)
祇園祭中継を見る。キャベツと豚肉の味噌炒め。トマトと卵炒め、アスパラとハムのバターソテー。俳人協会第33回東北大会宮城大会の選句。応募約二千句。

7月18日(月)
桃子の車で有明。喫茶店で2時間ほどエッセイの構想や作句。13時、「ライオンキング」伶ちゃん出演日。大野田さん一家5人、大住さん来てくれる。あと小酌。あと新宿「思い出横丁」にちょっと寄る。

7月19日(火)
昼、神保町「新世界菜館」にて毎日新聞・今井氏と打ち合わせ。五目冷やし中華旨い。発行所にて選句その他、18時まで。「天為」発行所にて「火の会」11人。

7月20日(水)
「銀漢 夏の全国俳句大会」の選句。今日、初めて部屋のクーラーを入れる。

7月22日(金)
8時過の新幹線で米原。近江八幡で車を借りて永源寺、百済寺、太郎坊宮(阿賀神社)、新八日市駅舎など巡る。恒例の祇園祭メンバー。「ホテルルートイン東近江八日市駅前」泊。「くいもの屋阿♂(カオス)」という店。近江牛のステーキ佳味。あともう一軒。部屋で鮒鮓でまた。

7月23日(土)
9時出。万葉集の標野だろうという船岡山。「紫」の花を初めて見る。近江八幡へ出て日牟礼八幡宮、八幡堀を散策。車を返して京都へ。「イビススタイルズ京都四条」泊。中島凌雲君合流。宵山へ。11の山鉾全部巡る。祭衆との話、為になる。17時、「味どころ しん」で鱧、ぐじ、よこわの刺身など佳。再び宵山へ。桂説子さんと遭う。ホテルで小酌のあと南観音山の暴れ観音を見に再び宵山へ。23時半、実見す。今日、明日は半ズボンと下駄。

7月24日(日)
9時半発。四条河原町あたりで巡行十一基を全部見る。あと八坂神社に参拝し「京料理 志ぐれ」にて昼食と句会(3日間の九出し)。あと「京極スタンド」で小酌。凌雲君今日も参加。ここで解散。私は「からすま四条ホテル」へ移る。昔の職場周辺を散策。「錦湯」は6月15日で閉店と。鮎の塩焼2本買って部屋で夕食とし、大河ドラマを見ながら寝てしまう。

7月25日(月)
6時起。熟睡。「高木珈琲」。今日はどこということでもなしに町を散策することに。大谷祖廟の牧野家の墓、妻分骨の廟を詣ず。東山の裾を歩くこととして知恩院。あと吉田山、京大キャンパスを抜けて「進々堂 京大北門前」で一服。ずいぶん歩いた。バスで河原町へ戻り、14時前に「居酒屋 たつみ」。鱧のおとし、鱧皮、蜆汁、海老フライ他。更に「京極スタンド」。18時過の新幹線で帰宅。

7月26日(火)
4日分の郵便物の整理。数句会の選句などで午後となる。19時、谷中「スナック雪月花」。天野小石さんの日。清人、井蛙、文子、敦子さんなど。政三さんと8月の集いの打ち合わせ。

7月27日(水)
終日選句。山田真砂年さんから連絡あり、コロナ感染者増加により「こもろ日盛俳句祭」は中止と。到来の賀茂なすを肉味噌で。

7月28日(木)
13時、三田「丘の会句会」あと仲通りの「駒八」で行方克己、禅次、坪井、中西由紀、菊田わいんさんと小酌。

7月30日(土)
選句稿。花果、直、妙子さんへ送る。生雲丹到来。海鞘と合わせる。賀茂なす。

8月

8月2日(火)
彗星集選終えて9月号終了。午前中、「岩野歯科クリニック」で定期検診。「あ・ん・ど・うクリニック」。ここ2ヶ月で五キロくらい減量したのが効いて血糖値は正常範囲に。降圧剤も少し量を減らすことに。午後、二子玉川のワクチン接種会場にて4回目接種。若井新一さんの茄子到来。

8月3日(水)
若井さんの茄子、15個ほど焼茄子に(綱の上で黒こげに焼く)。糠味噌にも。「第57回子規顕彰全国俳句大会の選句。応募8,000句ほど有り。










         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2022/10/22撮影影   姫蔓蕎麦   HACHIOJI 





花言葉    「気が利く」、「愛らしい」、「思いがけない出会い」


△姫蔓蕎麦
ヒメツルソバは小さく金平糖のような愛らしい花をさかせます。その様子から、「ヒメ」とつけられたと考えられます。花の名前には「ヒメ」が付くものが多いです。植物界では、「小さい」という意味となります。


彼岸花 紫苑 草花火 ブラシの木 金木犀
彼岸花 アケボノフウロ 青西洋昼顔 花芒 銀木犀
ルコウソウ ロサ・ルビギノーサ ウォーターミント お茶の花 案山子
姫蔓蕎麦








写真は4~5日間隔で掲載しています。 
20222/10/23







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