2017年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 | 11月号 | 12月号 |
2018年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4 月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 | 11月号 | 12月号 |
2019年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10 月号 | 11月号 | 12月号 |
2020年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 | 11月号 | 12月号 |
2021年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 | 11月号 | 12月号 |
2022年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 | 11月号 | 12月号 |
2023年 | 1月号 | 2月号 | 3月号 | 4月号 | 5月号 | 6月号 | 7月号 | 8月号 | 9月号 | 10月号 |
10月号 2023年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 主宰日録 今月の写真 俳人協会四賞受賞式 銀漢季語別俳句集 |
伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2023/10月号
盤水俳句・今月の一句伊藤伊那男喜寿の身に鬱の日はなし菊膾 皆川 盤水
彗星集作品抄伊藤伊那男・選 吾が影も休ませてをり片かげり 武井まゆみ
一山を大きく祓ふ御戸開 山﨑ちづ子 またひとつ消えて風呼ぶ夜店の灯 竹内 洋平 更衣斯くて古りゆく月日かな 福原 紅 照らさるる血糊の艶や立版古 宮本起代子 蜘蛛の囲に捕まつてゐるかくれんぼ 山田 茜 届かない高き鉄棒雲の峰 今井 麦 くれなゐのいのちの鼓動袋角 渡辺 花穂 奥社へと一直線の夏木立 田中 道 蜘蛛の囲の朝に掃へば夕にまた 箕浦甫佐子 片陰をつたひて登る団子坂 金井 硯児 千の御手十一の顔堂涼し 武井まゆみ 阿夫利嶺にかかる筋雲冷奴 山元 正規 紙魚の痕解つたふりのケインズに 坂下 昭 蛾も我も街の灯を目指しけり 山口 一滴 炎天や郵便ポストまで遠く 北原美枝子 在五忌の糒めける釜の焦げ 中島 凌雲 捨てられぬ木綿のハンカチーフかな 多田 悦子 子規庵の蚊に刺されては仕方なし こしだまほ 鉾立てて祇園の空の混み合へり 萩原 陽里
銀河集作品抄伊藤伊那男・選月涼し拝する山越来迎図 東京 飯田眞理子
溝浚へ力仕事を褒めらるる 静岡 唐沢 静男 盆花と呼ばれ田舎のなじみ花 群馬 柴山つぐ子 枕木の油混りの草いきれ 東京 杉阪 大和 子雀の覗く啄木終の家 東京 武田 花果 炎帝の居座つてゐる造船所 東京 武田 禪次 梅漬けて母の半年折り返す 埼玉 多田 美記 向日葵のもう日を追はぬ首太し 東京 谷岡 健彦 夢に来しむかしのをとこ業平忌 神奈川 谷口いづみ 噴水の止んで力を溜めをりぬ 長野 萩原 空木 書割のやうな月出て立版古 東京 堀切 克洋 見上げては指差す泰山木の花 東京 松川 洋酔 尺蠖の息整へるごと止まる 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
|
造船所は平坦で、ほとんど覆いというものが無く、ほぼ全てが鉄の集積であるから極暑の極みである。海の照り返しもある。「炎帝の居座つてゐる」がまさに実感である。 |
家族全員が更衣をして、その姿を鏡で確認した上で次々に外出していく。「鏡出てゆく」が省略の効いた詩的表現である。「一人づつ」という複数の構成もうまい。 |
その土地を熟知した人でなくては詠めない郷土色豊かな句だ。信州諏訪地方の神社。茅の輪を編むのは御柱衆。七年に一度の御柱の絆の方が強いというところが決め手。 |
実感のある句だ。小さな漁村の狭い路地が目に浮かぶ。風がピタと止んだ夕凪の時、ふっと魚の匂が湧き上がる。それは何百年も積み重ねた郷愁のような匂である。 |
楽しい句だ。乙姫の代理人とは誰か、人魚を思わせる女人であるか、亀のような顔の男であるか。読み手夫々が空想をして愉快になる。いい海開である。 |
此の世を仮の世とすれば自宅も仮住まいということになる。取合せの「遠花火」にはどこかしみじみとした果無さを覚えるものである。同時出句の〈昼寝覚め今浦島となりにけり〉は「今浦島」がうまい。玉手箱は無いだろうが。 |
豊かな気分になる句だ。打水をして暖簾を掛ける。それに合わせたような一番客。「打水を踏み」が何とも爽やかで実感を伴う。常連の雰囲気である。 |
登山をしていた私には心に沁みる句だ。私はイタリア製の靴だったが、肉牛の皮ではなく、皮を取る為だけの牛も育てるのだと聞いた。疵を見る度に山の風景が浮かぶのだ。 |
子供の頃ナショナルの看板のある電器店の店頭でプロレス中継を見たものだ。時代は郊外の量販店に移ってしまい町の電器屋は消滅していった。「枇杷数多」が悲しい。 |
先代からか、いやもしかしたらもっと以前からの古釘なのであろう。毎年軒忍を吊るす位置の釘は錆びを深めて膨らんでしまっている。それでも定位置のその釘に愛着があるのだ。 |
胡瓜、ハム、鳴門巻、錦糸卵……冷し中華の具はどれも細く刻むことが要件。でも麵も出汁も出来合いのものであれば刻むだけでいい。「ひたすら」が効いている。 |
更衣の句で類例を知らない句である。夏に向かうので軽装となり、手足が露出するのだが、それを「伸びたる心地」と捉えたのは出色。開放感を表現して見事である。 |
富士山は一度だけ登ったが、山としては木も水もなく、一口に言えば砂漠を立て掛けたような印象があった。「富士塚で今年も済ます」が何ともほのぼのとしていい。 |
「ボタン大きく」がいかにも夏服である。私などのように衣服は妻か娘が決めてくれたものを着ている者には到底作れない句である。一読涼しい仕立ての句である。 |
神官の幣で穢れを祓い、安全を祈願して貰うのだが、この句では「浮力を賜る」という。ここが眼目である。足の軽さも戴いたということだ。独自の表現を称えたい。 |
その他印象深かった句を次に
勢いのいい噴水を見た作者は、もっと伸びるのではないかと思う。それを、噴水自身が伸びようとする思いを持っているのではないか、と擬人化したのが斬新である。同時出句の〈青りんご引力はまだ先のこと〉も面白い句だ。青林檎は夏の内に出る早生種だが、それではニュートンの林檎の逸話には相応しくない。やはり秋の赤くなった林檎でなくては引力は発生しないのだ…というのだ。 |
海の家のラーメンと言えば、やはり一昔前のものがいい。醤油ラーメンで支那竹と鳴門巻と刻み葱などが配されている。特に鳴門巻は外せないものであった。そういう思いが「眩し」に象徴されているようだ。赤い渦巻が目に浮かぶ。同時出句の〈端居して来るはずもなき人を待つ〉は、読み手をなるほどと肯定させる共通認識を持つ。 |
羊羹の切り口は美しいものだ。きりりとした角がいい。水羊羹はもっと脆いだけに角や切り口は尚更際立つものである。同時出句の〈この辺り河童住むかと沼茂る〉は開発を免れて今も伝説の残る沼であろうか。おおらかでいい。 |
親にべったりとくっついていた子供も、ある時から興味の対象を見付けてくるものだ。。この子は天道虫に着目したようだ。「ひとりの時間」は成長の一歩なのだろう。同時出句の〈再会やぬるきビールも出て楽し〉は、ビールの生ぬるさも気にならないという再会の喜び。こういうビールの詠み方もあるのか、という珍しい発想。 |
スポーツとしての登山が入ってくるまでの日本の山は信仰の対象であった。神の依代であったり、先祖の棲む処であった。だからこそ「声無き声」を感じるのであり、涼しさも感じるのである。 |
夏料理の器となれば薄手の白磁や染付け、極めつきは硝子器である。それに荒削りの氷を敷いたりする。光の屈折が涼しさを呼ぶ。「光閉ぢこめ」がうまい表現である。 |
生物というものは、生きているだけで他の生物を傷付けてしまうものだ。形代流しは対人間だけではなく、自然に対する贖罪の気持ちも含まれているのであろう。この句では罪のある息は「重い」という。諾うばかりである。 |
私位の年齢になると故郷には父母や伯父伯母などもいないし、心の通う友人や従兄弟が少し残っている位である。たまさか帰省しても雲の峰が立ちはだかっているばかり。しかしそれもまた懐かしく頼もしいものである。 |
私が俳句を始めた頃は、「七変化」が紫陽花の傍題であることは知っていたが、七変化で詠むことはほとんど無かった記憶である。写生句には合わない傍題であった。時代の変化であろうか、最近はよく目にするようになった。この句の場合は「七変化」が合っているようだ。七の上に一つ枯色を加えて八変化したと機知を加えたのである。 |
人は年を取ると教訓を垂れたがるものである。辛苦を舐めた経験があるので役に立つだろうという親心があるのだが、たいがいは嫌われる結果となる。この句も折角の端居の寛ぎの最中に始まった人生訓に辟易としているのだ。 |
「山姥」は深山に住み、怪力を発揮する伝説上の山女のこと。山開きのどこかに来ているかもしれないと作者はそっと見回すのである。空想の楽しさだ。高坂句は「山の神」と詠んだが、山の神はやはり女神であり、女人禁制の理由の一つにしたのである。今、日本で女人禁制の山は唯一、奈良の大峰山(山上ヶ岳)のみとなった。 |
都会風景、それも歓楽街の一景である。私などは若い頃親しんだ新宿を思い出す。生きた花ではなく水中花という偽物の花であり、仇花ともいえる存在がこうした街に合うのだ。 |
伊那男俳句 自句自解(93) 一礼に水筒ごぼと山開
四十代の初めから登山を始めた。それまで全く無縁の世界であったが、すっかり魅了されて月に一、二回は登るようになった。記録を見ると銀漢亭を開業するまでの十数年間に一七〇数回登っている。私も仲間もまだ仕事を持っていたので、たとえば金曜日の夜中に集合して車で登山口まで行き、夜明けを待って登り、近くの温泉で汗を流して帰宅し、日曜日は家にいるというような駆足の登山であった。俳句を作る余裕は無く、また俳句とは別の趣味だと割り切っていたので、あれだけ山に登りながら山の俳句は少ない。登山俳句で知られる岡田日郎氏は三百名山を目指した時も、納得する俳句ができなければ登ったことにせず、登り直したという。「伊那男さん、俳人はそうでなくちゃあ」。さて掲出句は数少ない登山俳句の一つ。それも登山を止めて随分経ってから席題で作ったものだ。岡田日郎先生からは叱声を受けそうである。 色見本とも色鳥のつぎつぎに
「色鳥」の席題で作った句だ。いかにも頭で作ったな、という句だが自分では愛着がある。秋に飛来する小鳥達は色取りもいい。春の鳥には囀りを楽しみ、秋の鳥には色取りを楽しむという、日本人の季節に対する感性は鋭敏である。「色見本」でよく目にするのは本の出版などで使う色見本帳である。たとえば赤色といってもその系統色は十も二十もあり、私などは見分けがつかず、もう装丁者に任せるしかないと思ってしまう。そんな発想から色見本を捲るように小鳥が現れた、という自分では機知を効かせたつもりであった。思い出してみると盤水先生はこういう比喩の句はほとんど作らなかった。回りくどい表現は好みでなかったのだと思う。私が思い出す比喩の句は〈卯月浪白磁のごとく崩れたり〉位である。「―とも」とか「―のやうな」とか「―に似て」という句もほぼ無かったように思う。上段に構えて一気に切りおろす。直球勝負の俳人であった。 |
7月 7月7日(金) 浅学非才にしてただ元気に72歳となる。この日晴れるのは珍しいこと。数句会の選句。15時、夕焼け酒場。清人さん持ち込みの海鞘、鮪の処理など。飲み始める。井蛙さんからハワイ土産のアロハシャツ、光汪さんからBEAMSのシャツなど戴く。まほさんから面白グッズ。他。「大倉句会」の方々があとから参加してくださり、40名近くの誕生会となる。11時、少し前におひらき。感謝! 7月8日(土) 「あ・ん・ど・うクリニック」。NHK俳句「私の第一句集」校正。礼状、通信など。昨日の酒少々残る。夜、ステーキ。モモ肉にて薄切りに。 7月9日(日) 午後、日本橋「ここ滋賀」にて「てふてふ句会」。北軽井沢の山﨑ちづ子、北川京子さん来てくださる。あと近くの居酒屋で親睦会。東京駅地下でも、もう一軒。 7月10日(月) 農家の野菜買う。モロヘイヤが出る。孫の好物。調布の講話の芭蕉についてのレジメ作成。「りんどう」の藤岡筑邨先生、10月に百歳を迎えられるとて一句求められる。〈一望にして白ほどの青嶺かな〉。 7月11日(火) おくらの煮びたし、甘辛炒めなど。「銀漢」9月号のエッセイなど。夜、発行所にて「火の会」11人。あと餃子舗。 7月12日(水) 農家の野菜買う。甘唐辛子を焼き浸し。いんげん茹でる。「銀漢」9月号のエッセイなど書き上げる。 7月13日(木) 「銀漢夏の全国俳句大会」応募476句の選。染筆を大野田さんに送る。夜、野菜サラダ、練り物など。 7月15日(土) 11時、日本橋「吉」にて纏句会9人。あと5人で近くの店。ワイン少々。それでもうぐったり。 7月16日(日) 午後、杏一家来宅。家族12人揃い、私の誕生祝いをしてくれる。庭でBBQパーティー。私は野菜物数種類を作る。 7月17日(月) 「俳句てふてふ」の「俳句万華鏡」に中村草田男についてのエッセイ送る。 7月18日(火) 数句会の選句。手が空いたので関東城跡巡りの記録の整理。茄子の煮浸し。豚汁。 7月19日(水) 17時、「夕焼け酒場」で「三水会」8人。 7月20日(木) 10時、三田専売会館にて「丘の会」幹事会。午後、句会。18時過ぎから「銀漢句会」。あと居酒屋で親睦会。今日は句会のダブルヘッダー。 7月21日(金) 梅雨明前ながら梅漬を三昼夜干し、取入れ。14時、調布にて俳句講話。あと宝田さん、竹内夫妻と茶話会。来期も講話継続の依頼あり。 7月22日(土) 8時過ぎの新幹線で米原。乗り継いで守山。井蛙、いづみ、小石さん(祇園祭メンバー)。レンタカーで信楽宮跡へ。朝集殿跡。陶芸の里は50年前訪問の時は発掘されていなかった。学生時代に作陶の合宿をした。牛の置物購入。水口岡山城は登り口までとし、三上山の御上神社参拝。「ベッセルイン滋賀守山駅前」に投宿。近くの「魚丸守山店」。 7月23日(日) 9時発。琵琶湖大橋を渡り、堅田、浮御堂へ。暑い。湖の風景佳し。戻って県立琵琶湖博物館。湖魚の展示など内容豊か。草津宿本陣、うばがもち。レンタカーを返し、15時過の電車で京都、烏丸御池の「ホテルギンモンド京都」へ投宿。祇園祭後祭の宵山へ。鉾町で中島凌雲君と待ち合わせ。錦市場にて生牡蠣で少々飲む。19時過ぎ、「味どころ しん」。鱧のおとし、造り、ぐじ。まな鰹の一塩。その他佳品。凌雲君途中で帰る。 7月24日(月) 朝から暑い。8時発。鉾町の巡行を見る。市庁舎前の籤改め、河原町の巡行。まほ、政さんと会う。昼、先斗町「まめ八」にて会食と七句出し句会。凌雲君も合流。あと「たつみ」。鱧のおとし、海老天、伏見唐辛子他、佳品。実にいい居酒屋。あと「京極スタンド」。錦市場の祭衆と話。以上で旅の終わりとする。 7月25日(火) 雑務。夜、「雪月花」。清人さん、敦子、近恵さん。小石さんの日。 7月26日(水) 11時、唐木田駅に兄夫婦と日野の姉と待ち合わせ。「和食まかど」という店で昼食。実にうまい定食屋。あと兄の家。兄夫婦が若い頃留学していたドイツに50年振りの旅をしたとて、その話を聞く会。自作の野菜の料理など佳し。野菜の土産沢山。 7月28日(金) 午前中で「銀漢」9月号の選句稿を各担当に投函。午後、選評を書き、投函。焼き茄子の煮浸し、イカ人参(福島で覚えた)。 7月29日(土) 昼、小諸着。4年振りの第15回「こもろ日盛俳句祭」に。まずは「刻」の蕎麦。相盛り。13時、与良の「与良館」にて5句出し句会。題は「片陰」。11人。筑紫磐井さんの講演後パーティー。あと昼に頼んでおいた「刻」へ。井蛙、羽久衣、淳子さん。「旅籠 つるやホテル」に投宿。近くの「居酒屋 寅さん」という店。渥美清から店名を貰ったと。同年の女将。 7月30日(日) 11時までホテル。スーパーマーケット、喫茶店、図書館と涼しい所を渡り歩く。13時から市民交流センターで句会。題は「瓜」。終わって駅前「遠州家」に井蛙、羽久衣、淳子、「ホトトギス」合宿あとの阪西敦子、相沢文子さんと落ち合い酒盛り。鯉濃! で旅を終える。 7月31日(月) 彗星集の選、選評を理恵さんに送り、9月号終了。ひと段落付いたので、新宿で買い物、思い出横丁他を少々飲み歩く。七月も終わり。 8月 8月1日(火) 久々、農家へ。野菜を買う。25代続くこの家は、昨日今日がお盆と。10月号のエッセイ一本書く。第58回「子規顕彰全国俳句大会」の選句に入る。応募句8,500句余。 8月2日(水) 17時半、毎日新聞「俳句てふてふ」の今井竜さん、上司の高塚保氏の誘いで神保町「ランチョン」。当方、いづみさん。あと「なごみ」に寄る。大将元気。 8月5日(土) 夕方、井の頭線富士見ヶ丘駅。30年暮らした街。次女一家と会い、夏祭を楽しむ。阿波踊が二連出る。懐かしく商店街を散策。帰路、下北沢の盆踊も見て、成城に戻り「街かど酒場さんたろう」で小酌。この頃の外出は下駄。 8月8日(火) 夜、発行所にて「火の会」10人。あと二軒ほど飲み歩く。終電で新百合ヶ丘まで乗り越し。とほほ……。 8月9日(水) 13時、水道橋「台湾風中華居酒屋 青龍門 東京ドームシティ 水道橋店」。「梶の葉句会」の食事会に呼んでいただく。午前中にあった句会の選句。食事のあとスタバで茶話会。突然の白雨。 8月10日(木) 農家の野菜買う。T氏句集第二稿点検。もう1人のT氏句集初稿点検。「俳壇」11月号に十句。「子規顕彰全国俳句大会」の選句、選評送付(6、7日とほぼ缶詰の一仕事であった)。「銀漢」10月号のエッセイ等。空芯菜炒め、モロヘイヤと納豆。谷中、巾着茄子の八丁味噌炒め。 |
△アマクリナム 花の名前は、古代ローマの歌に登場する、美しい羊飼いの乙女、アマリリスにちなんで名付けられたと言われています。 アマクリナムは、ヒガンバナ科の“ホンアマリリス”を母方、“ハマオモト”を父方にする属間雑種です. |