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10月号  2023年

伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
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銀漢の絵はがき 掲示板   主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式
銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句












        
             

                        

    

今月の目次











銀漢俳句会/2023/10月号
























   


 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎小諸と高浜虚子

「こもろ・日盛俳句大会」のスタッフ俳人(句会補助者)という役割で参加するようになって今年で九回目の小諸訪問であった。「夏潮」主宰本井英さんの情熱で生まれた俳句大会である。コロナ禍で中止期間があり四年振りの再開であった。この間本井英さんは癌を患われ声を失われたが、元気なお姿を見て尊いものを感じた。この俳句大会の由来は高浜虚子の小諸疎開に因む。虚子は昭和十九年九月から二十二年十月まで、丸三年間、戦火を避けて鎌倉から小諸に移った。年令でいうと七十歳から七十三歳の時である。〈初蝶来何色と問ふ黄と答ふ〉〈山国の蝶を荒しと思はずや〉〈茎右往左往菓子器のさくらんぼ〉〈爛々と昼の星見え菌生え〉などはこの時期のものである。ちなみに初蝶の句の初案は「何色と問はれ」であったが、「何色と問ふ」に推敲し、禅問答のような味わいを醸し出したのである。小諸の与良町には「小諸高濱虚子記念館」があり、隣に虚子の暮らした旧居(「虚子庵」)が移築されている。
 小諸は戦国時代からの城下町である。何回か行くと次第に解ってくるのだが、地形的には町の中の一番低い位置に城郭があるという、戦術的理論に反する希妙な城である。城の裏側の千曲川の絶壁はいいとして、大手門側、正面の守りは一体どうだったのだろうか……。とにかく町は城よりも遥かに高い位置にあり、城下町ではなく、城上町というべき地形なのである。何回も通うとそんなことも気になってくるものだ。回を重ねると必ず見えてくるものがある。俳句も同じで脚で稼ぐものだと思う。
 また小諸は若き日の島崎藤村が小諸義塾の教師として六年間暮らした地でもある。小説『破戒』の稿もここで起こしているし、かの抒情詩『千曲川旅情の歌』〈小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なす蘩蔞は萌えず 若草も藉くによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る……〉を残している。
 九回町に通い、歩き廻ったせいか、小諸がいとおしい町に思えてくるものである。この間虚子と小諸について詠んだ拙句を挙げてみる〈虚子先生と呟いてゐる端居かな〉〈虚子庵の暑し立つても坐つても〉〈炎帝の転がつてくる坂の町〉〈青柿は弟子の数ほど虚子旧居〉〈汗の身を詫びつつ上る虚子旧居〉〈炎帝のこの坂虚子も喘ぎしか〉〈今年また虚子庵に脱ぐ夏帽子〉〈この暑さ悪人虚子の小諸ならば〉〈句敵のやうな蚊のゐる虚子旧居〉〈蚊遣火の焦げを畳に虚子旧居〉──私もようやくこの町に馴染んできたということになろうか。














拡大します。




 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 
喜寿の身に鬱の日はなし菊膾         皆川 盤水

 
先生は小食で、菊膾のようなものを好んだ。他に〈浅草に漫才を見て菊膾〉〈もつてのほか夜の宴の出羽訛〉〈講宿の風に鳴る注連菊膾〉がある。二句目は「天皇家の御紋の花を食べるのはもってのほか」という山形の食用菊の愛称である。掲出句には「喜寿を迎えた誕生日に」の前書がある。誕生日は十月二十五日。前年、第六句集『寒霞』で第三十三回俳人協会賞を受賞し、心身共に充実した誕生日である。自祝の菊膾とは風雅である。
(平成六年作『暁紅』所収)

  





 






彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 吾が影も休ませてをり片かげり        武井まゆみ
 一山を大きく祓ふ御戸開           山﨑ちづ子
 またひとつ消えて風呼ぶ夜店の灯       竹内 洋平
 更衣斯くて古りゆく月日かな         福原  紅
 照らさるる血糊の艶や立版古         宮本起代子
 蜘蛛の囲に捕まつてゐるかくれんぼ      山田  茜
 届かない高き鉄棒雲の峰           今井  麦
 くれなゐのいのちの鼓動袋角         渡辺 花穂
 奥社へと一直線の夏木立           田中  道
 蜘蛛の囲の朝に掃へば夕にまた        箕浦甫佐子
 片陰をつたひて登る団子坂          金井 硯児
 千の御手十一の顔堂涼し           武井まゆみ
 阿夫利嶺にかかる筋雲冷奴          山元 正規
 紙魚の痕解つたふりのケインズに       坂下  昭
 蛾も我も街の灯を目指しけり         山口 一滴
 炎天や郵便ポストまで遠く          北原美枝子
 在五忌の糒めける釜の焦げ          中島 凌雲
 捨てられぬ木綿のハンカチーフかな      多田 悦子
 子規庵の蚊に刺されては仕方なし       こしだまほ
 鉾立てて祇園の空の混み合へり        萩原 陽里









     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選


吾が影も休ませてをり片かげり       武井まゆみ
 炎天下の片陰は有難いものだ。人は片陰に入って一息をつくのであるが、この句の勝れているのは「影も休ませて」いるという詩的表現である。片陰の中なので自分の影は見えないが、それは重なっているから見えないのであって、存在はしているのだ、という発想である。写生を越えた秀逸である。「吾が影も(・)」の「も」が重要であることが判る。俳句は助詞の一つも疎かにできないのである。
 
 
一山を大きく祓ふ御戸開           山﨑ちづ子
「御戸(みと)開(びらき)」は「山開」の副季語だが、古来信仰の対象としての登山、その開山式の感じが伝わってくる季語である。日本の農耕生活では山の神が里に降りて田の神となり、収穫が終ると山に帰る。その習慣から見ると、山開は重要な行事である。「一山を大きく祓ふ」には豊作を願う真摯な祈りが籠められているようだ。句全体を見ると大景をしっかり捉えて晴れ晴れしい構成である。


またひとつ消えて風呼ぶ夜店の灯       竹内 洋平
 夏祭も終了する時間が迫ってきたのであろう。参道に出店した屋台もぽつぽつと店仕舞をしていく。灯の消えた屋台には客の替りに風が吹くばかりである。終りかけている夏の様子がしみじみと、抒情濃く捉えられている。


更衣斯くて古りゆく月日かな         福原  紅
さて今迄に何回更衣をしたのであろうか、学生時代までは除いたとしても五十回は更衣をしたことになる。それをこの句では「斯くて古りゆく」と古式な言葉を用いておりそこが句を面白くしているのである。もともと「更衣(こうい)」は宮廷で帝の身辺の世話をした女官の役職名から発している季語であることを思い出させる。『源氏物語』の続きのような筆遣いの表現が面白いのである。


照らさるる血糊の艶や立版古         宮本起代子
「立版古」は江戸時代の飛び出す絵本のようなもの。「起し絵」ともいい、歌舞伎の一場面などを仕立てて、灯しを当てて夏の夜を楽しんだのである。この句では怪談の場面を描いて涼しさを呼ぼうとしたのであろう。「血糊の艶」に凄みがある。 


蜘蛛の囲に捕まつてゐるかくれんぼ      山田  茜
子供の頃を思い出す。「捕まる」を掛けた機転の良さ。


届かない高き鉄棒雲の峰           今井  麦
校庭の手の届かない鉄棒は懐かしい。雲の峰が雄大。 


くれなゐのいのちの鼓動袋角         渡辺 花穂
夏の鹿の生態。「いのちの鼓動」がいい表現である。 


奥社へと一直線の夏木立           田中  道
 戸隠奥社の参道を思い出す。清々しく、構図もいい。


蜘蛛の囲の朝に掃へば夕にまた        箕浦甫佐子
 蜘蛛の逞しさがよく出ている。哀れさもまた。




片陰をつたひて登る団子坂          金井 硯児
漱石や鷗外も歩いた団子坂の地名をうまく取り込んだ。


千の御手十一の顔堂涼し           武井まゆみ
 仏像に纏わる数字を巧みに生かした。季語の斡旋もいい。


阿夫利嶺にかかる筋雲冷奴          山元 正規
 大山の豆腐は名物。雨降山(あふりやま)ともいい、筋雲が効いている。


紙魚の痕解つたふりのケインズに       坂下  昭
皮肉の効いた句。私の時代には最高権威の経済学だった。


蛾も我も街の灯を目指しけり         山口 一滴
 「我」の目指すのは青い灯赤い灯か。滑稽の味わい。


炎天や郵便ポストまで遠く          北原美枝子
いつものポストまでが遠い。炎天のなせる技。 


在五忌の糒めける釜の焦げ          中島 凌雲
 業平も旅には糒(ほしいい)を持参したのであろうか。珍しい句だ。


捨てられぬ木綿のハンカチーフかな      多田 悦子
 太田裕美の歌の続き。男が渡せないまま持っていたか?


子規庵の蚊に刺されては仕方なし       こしだまほ
  子規信奉者か。「―刺されるも己むなしか」かな。


鉾立てて祇園の空の混み合へり        萩原 陽里
大袈裟というよりも「強調」といってよかろう。 







           







 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

月涼し拝する山越来迎図        東京  飯田眞理子
溝浚へ力仕事を褒めらるる       静岡  唐沢 静男
盆花と呼ばれ田舎のなじみ花      群馬  柴山つぐ子
枕木の油混りの草いきれ        東京  杉阪 大和
子雀の覗く啄木終の家         東京  武田 花果
炎帝の居座つてゐる造船所       東京  武田 禪次
梅漬けて母の半年折り返す       埼玉  多田 美記
向日葵のもう日を追はぬ首太し     東京  谷岡 健彦
夢に来しむかしのをとこ業平忌     神奈川 谷口いづみ
噴水の止んで力を溜めをりぬ      長野  萩原 空木
書割のやうな月出て立版古       東京  堀切 克洋
見上げては指差す泰山木の花      東京  松川 洋酔
尺蠖の息整へるごと止まる       東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

ひとりづつ鏡出てゆく更衣       長崎   坂口 晴子
茅の輪編む御柱曳く腕もて       長野   坂下  昭
夕凪や魚の匂抜けぬ路地        兵庫   清水佳壽美
乙姫の名代も来て海開         千葉   白井 飛露
遠花火死ぬまで住まふ仮住まひ     東京   竹内 洋平
打水を踏み口開けの客となる      茨城   中村 湖童
愛着は疵の数だけ登山靴        神奈川  有賀  理
ナショナルの電器屋閉ぢて枇杷数多   東京   生田  武
古釘の錆の膨らみ軒しのぶ       神奈川  伊東  岬
ひたすらに刻んで冷し中華かな     東京   今井  麦
手足やや伸びたる心地更衣       埼玉   大澤 静子
富士塚で今年も済ます山開       神奈川  大田 勝行
夏服のボタン大きく仕立てけり     東京   岡城ひとみ
大幣に賜る浮力山開          東京   柊原 洋征
注連縄を天狗が切りて山開       埼玉   志村  昌
日傘より影もらさじと爆心地      広島   塩田佐喜子
灯台の胴の太さや雲の峰        東京   小泉 良子
凹みたる胡椒の缶も海の家       東京   朽木  直
夏霧や隠し部屋ある御師の宿      東京   川島秋葉男
風鈴や余生の永き世に生きて      宮城   有賀 稲香
夫婦箸月日重ねて冷奴         東京   山田  茜

斑猫やもとより通ひなれし径      東京   飛鳥  蘭
噴水のおのがひかりをほどきけり    東京   有澤 志峯
まだ花の盛りの中の初茄子       東京   飯田 子貢
床柱拭きて仕上ぐる夏座敷       埼玉   池田 桐人
片蔭や物思ふには狭すぎて       東京   市川 蘆舟
草矢打つかの日もけふも的に妻     埼玉   伊藤 庄平
少しだけ世を斜に眺め端居かな     東京   伊藤  政
水換ふる水中花にもある命       埼玉   今村 昌史
毒瓶に毒注ぎ足して虫捕りへ      東京   上田  裕
海境をはるかに見たり箱眼鏡      東京   宇志やまと
釣堀の背はみな猫背糸垂れる      東京   大住 光汪
惜別や茅花流しの中に立つ       東京   大沼まり子
炎帝の威に真向ひて槍穂高       神奈川  大野 里詩
麦笛のここぞの触り掠れけり      埼玉   大野田井蛙
「太陽の季節」の墓に詣でけり     東京   大溝 妙子
父の日や塩竃の鯛藁苞に        東京   大山かげもと
欄杆に蜥蜴光となりて過ぐ       東京   小川 夏葉
肌といふほんの一枚梅雨寒し      愛知   荻野ゆ佑子
夏シャツの胸に英字のさやうなら    宮城   小田島 渚
五月雨や流人のごとく島にゐる     宮城   小野寺一砂
すべらせて夏座布団をすすめらる    埼玉   小野寺清人
分水となりて疏水は一瀑に       和歌山  笠原 祐子
品数のこれも一つに心太        東京   梶山かおり
なめくぢら水の重さを描きをり     愛媛   片山 一行
俳号を記し形代流しけり        静岡   金井 硯児
出郷のはや半世紀盆の月        東京   我部 敬子
富士も入れ大きく祓ふ海開       千葉   川島  紬
鰺釣や船と空母と潜水艦        神奈川  河村  啓
立葵人待つごとく背伸びして      愛知   北浦 正弘
命涸れつつも立ちけり余り苗      長野   北澤 一伯
濡れそぼつ湯屋の煙突男梅雨      東京   絹田  稜
旱星訃報に訃報重なり来        神奈川  久坂衣里子
風鈴の南部の錆のにごりかな      東京   畔柳 海村
木漏れ日を色のひとつに七変化     神奈川  こしだまほ
サイダーの栓抜けば泡駆け上る     東京   小林 美樹
大瑠璃や日当りながら山の雨      東京   小山 蓮子
総立ちの銀鱗鰯一網に         宮城   齊藤 克之
靖国の御魂の数よ蟬しぐれ       青森   榊 せい子
天をつく仏舎利塔や山茂る       群馬   佐藤 栄子
夏風邪の遠のく兆し雨あがる      群馬   佐藤かずえ
暗闇へ五体を預け蛍狩         長野   三溝 恵子
ヨーデルの裏声の子の半ズボン     東京   島  織布
四万六千日なれど毎年来てしまふ    東京   島谷 高水
水中花散る安らぎを知らぬまま     東京   清水 史恵
噴水の立ち昇るときたぢろがず     東京   清水美保子
山羊髭の禰宜厳かに夏祓        神奈川  白井八十八
父の日や父の故郷の酒買ひに      東京   白濱 武子
坂道の多き渋谷の雲の峰        東京   新谷 房子
初恋の人の近況夏薊          大阪   末永理恵子
花茣蓙の匂の中に幼き日        東京   鈴木 淳子
行幸の熊野いづこも木下闇       東京   鈴木てる緒
梅雨の書の滲むのもよし墨磨りぬ    群馬   鈴木踏青子
夏旅や匂袋の香を残し         東京   角 佐穂子
馬駈けて白雲を呼ぶ大夏野       東京   瀬戸 紀恵
一つづつうれひを深く黒ぶだう     神奈川  曽谷 晴子
風死すや困つてしまふ風見鶏      長野   髙橋 初風
弥彦よりありがたきかな青田風     東京   高橋 透水
単線の終点までの夏至の旅       東京   武井まゆみ
囮鮎休む間もなく放たるる       神奈川  田嶋 壺中
父の日の足の長めのクレヨン画     東京   多田 悦子
啄木の文みな寂し半夏生        東京   立崎ひかり
急の雨日傘をさしてみたものの     東京   田中 敬子
ケルン積む太古は青き海の底      東京   田中  道
太宰忌の夕日まつ赤に跨線橋      東京   田家 正好
羅に隠し通せし胸の内         東京   塚本 一夫
読み返す昭和史重き梅雨の日々     東京   辻  隆夫
足裏に青芝の息触るるやう       ムンバイ 辻本 芙紗
時の日やきのふと似たる日を暮らし   東京   辻本 理恵
下天の世の敦盛偲ぶ薪能        愛知   津田  卓
大瑠璃やコッフェル沸かす沢の水    東京   坪井 研治
雨の日は海ばかり見て海の家      埼玉   戸矢 一斗
いい人で終るいい人心太        千葉   長井  哲
条坊の条を真つ直ぐ大西日       大阪   中島 凌雲
鬼棲むや吉備路の青嶺巡る旅      神奈川  中野 堯司
走り梅雨意ありて書けぬ弔意文     東京   中野 智子
書斎にて書物の森の森林浴       東京   中村 孝哲
双眸は爛爛として羽抜鶏        埼玉   中村 宗男
手でよけて奥を伺ふ夏暖簾       東京   中村 藍人
道場の麦茶の薬缶師範めく       長野   中山  中
白絣身を故郷の風に置き        千葉   中山 桐里
住吉の松風匂ふ御田植祭        大阪   西田 鏡子
耳しひのこころにひびく秋のこゑ    東京   沼田 有希
沈みたる心太にも角在りぬ       埼玉   萩原 陽里
釣堀に並ぶ肩書失せし肩        東京   橋野 幸彦
弁慶のごと振りまはす草刈機      広島   長谷川鹿の子
ほととぎす訃報はいつも唐突に     東京   長谷川千何子
虫干に木箱から出す和讃かな      兵庫   播广 義春
大香炉にむせて四万六千日       埼玉   半田けい子
大いなる旅の始めを滴れり       埼玉   深津  博
雲食ぶる竜とはなれず心太       東京   福永 新祇
たつぷりと水を含ませ描く四葩     東京   福原  紅
物忘れ兆すふたりの茗荷汁       東京   星野 淑子
抽斗に少し空く癖五月闇        東京   保谷 政孝
梅雨寒や蛹のごとく眠りをり      岐阜   堀江 美州
海神と山祇に逢ふ夏休み        埼玉   本庄 康代
緑蔭に眠れる森の美女とならむ     東京   松浦 宗克
夏の月かつて煙突ありし街       東京   松代 展枝
大原女の面影尋ね紫蘇の里       神奈川  三井 康有
白絵具吸ひ上るごと白紫陽花      神奈川  宮本起代子
七夕竹色濃き幼なの筆の跡       東京   村田 郁子
白靴や傷も残さず時は過ぎ       東京   村田 重子
噴水が風を濡らしてゐるところ     東京   森 羽久衣
炎昼のカーブに軋む荒川線       千葉   森崎 森平
少年の瞳大きく金魚鉢         埼玉   森濱 直之
天竜川(てんりゅう)を眼下にをさめ夏祓       長野   守屋  明
折り皺のなき衣のごと瑠璃啼けり    東京   矢野 安美
蚊遣火の焦げ跡父の文机に       愛知   山口 輝久
一斉に騒ぐ風あり夕立かな       群馬   山﨑ちづ子
虫干や和綴ぢの糸のほつれたる     東京   山下 美佐
黒潮の威をそのままに初鰹       東京   山元 正規
走り梅雨雲の隙間を雲奔る       東京   渡辺 花穂
葉桜の頃やつて来る紙芝居       埼玉   渡辺 志水





   

      







     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

炎帝の居座つてゐる造船所          武田 禪次
 造船所は平坦で、ほとんど覆いというものが無く、ほぼ全てが鉄の集積であるから極暑の極みである。海の照り返しもある。「炎帝の居座つてゐる」がまさに実感である。


ひとりづつ鏡出てゆく更衣          坂口 晴子
 家族全員が更衣をして、その姿を鏡で確認した上で次々に外出していく。「鏡出てゆく」が省略の効いた詩的表現である。「一人づつ」という複数の構成もうまい。


茅の輪編む御柱曳く腕もて          坂下  昭
その土地を熟知した人でなくては詠めない郷土色豊かな句だ。信州諏訪地方の神社。茅の輪を編むのは御柱衆。七年に一度の御柱の絆の方が強いというところが決め手。 


夕凪や魚の匂抜けぬ路地           清水佳壽美
実感のある句だ。小さな漁村の狭い路地が目に浮かぶ。風がピタと止んだ夕凪の時、ふっと魚の匂が湧き上がる。それは何百年も積み重ねた郷愁のような匂である。 


乙姫の名代も来て海開            白井 飛露
楽しい句だ。乙姫の代理人とは誰か、人魚を思わせる女人であるか、亀のような顔の男であるか。読み手夫々が空想をして愉快になる。いい海開である。 


遠花火死ぬまで住まふ仮住まひ        竹内 洋平
 此の世を仮の世とすれば自宅も仮住まいということになる。取合せの「遠花火」にはどこかしみじみとした果無さを覚えるものである。同時出句の〈昼寝覚め今浦島となりにけり〉は「今浦島」がうまい。玉手箱は無いだろうが。


打水を踏み口開けの客となる         中村 湖童
豊かな気分になる句だ。打水をして暖簾を掛ける。それに合わせたような一番客。「打水を踏み」が何とも爽やかで実感を伴う。常連の雰囲気である。 


愛着は疵の数だけ登山靴           有賀  理
登山をしていた私には心に沁みる句だ。私はイタリア製の靴だったが、肉牛の皮ではなく、皮を取る為だけの牛も育てるのだと聞いた。疵を見る度に山の風景が浮かぶのだ。 


ナショナルの電器屋閉ぢて枇杷数多      生田  武
子供の頃ナショナルの看板のある電器店の店頭でプロレス中継を見たものだ。時代は郊外の量販店に移ってしまい町の電器屋は消滅していった。「枇杷数多」が悲しい。


古釘の錆の膨らみ軒しのぶ          伊東  岬
 先代からか、いやもしかしたらもっと以前からの古釘なのであろう。毎年軒忍を吊るす位置の釘は錆びを深めて膨らんでしまっている。それでも定位置のその釘に愛着があるのだ。


  ひたすらに刻んで冷し中華かな      今井  麦
 胡瓜、ハム、鳴門巻、錦糸卵……冷し中華の具はどれも細く刻むことが要件。でも麵も出汁も出来合いのものであれば刻むだけでいい。「ひたすら」が効いている。


手足やや伸びたる心地更衣          大澤 静子
 更衣の句で類例を知らない句である。夏に向かうので軽装となり、手足が露出するのだが、それを「伸びたる心地」と捉えたのは出色。開放感を表現して見事である。


富士塚で今年も済ます山開          大田 勝行
 富士山は一度だけ登ったが、山としては木も水もなく、一口に言えば砂漠を立て掛けたような印象があった。「富士塚で今年も済ます」が何ともほのぼのとしていい。


夏服のボタン大きく仕立てけり        岡城ひとみ
「ボタン大きく」がいかにも夏服である。私などのように衣服は妻か娘が決めてくれたものを着ている者には到底作れない句である。一読涼しい仕立ての句である。 


大幣に賜る浮力山開             柊原 洋征
 神官の幣で穢れを祓い、安全を祈願して貰うのだが、この句では「浮力を賜る」という。ここが眼目である。足の軽さも戴いたということだ。独自の表現を称えたい。


 その他印象深かった句を次に

梅漬けて母の半年折り返す          多田 美記
注連縄を天狗が切りて山開          志村  昌
日傘より影もらさじと爆心地         塩田佐喜子
灯台の胴の太さや雲の峰           小泉 良子
凹みたる胡椒の缶も海の家          朽木  直
夏霧や隠し部屋ある御師の宿         川島秋葉男
風鈴や余生の永き世に生きて         有賀 稲香
夫婦箸月日重ねて冷奴            山田  茜







              










                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
噴水にまだ伸びしろの思ひあり     神奈川 北爪 鳥閑
ラーメンのなるとが眩し海の家     群馬  北川 京子
切り口の角の際立つ水羊羹       千葉  園部あづき
幼にもひとりの時間てんとむし     神奈川 日山 典子
神の山声無き声のあり涼し       千葉  小森みゆき
ギヤマンに光閉ぢこめ夏料理      千葉  平野 梗華
形代にかけたる息の重みかな      群馬  横沢 宇内
友がゐるのみの故郷雲の峰       神奈川 横地 三旦
枯色を一つ加へて七変化        東京  熊木 光代
今更の人生訓や夕端居         静岡  小野 無道
山姥も参列したる山開         千葉  平山 凛語
山の神嫉妬深いぞ山開         東京  髙坂小太郎
水中花越しに煌めくネオン街      東京  倉橋  茂
透ける程薄き形代夏祓         長野  池内とほる
夕凪や島の暮しも慣れたころ      東京  桂  説子

梔子は鬱へ誘ふ花なるぞ        愛知  箕浦甫佐子
訛ある男来て買ふ囮鮎         山形  我妻 一男
粽喰ふ孫の背丈が吾を抜き       東京  清水 旭峰
短夜の当直終へし手を洗ふ       福島  髙橋 双葉
方言は旅の入口半夏生         埼玉  内藤  明








星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選



ゆりの木の高き花影立ち暗む      東京  尼崎 沙羅
尺鮎は川釣る如き手ごたへぞ      東京  井川  敏
幾山も灘も越え来し百合鷗       東京  石倉 俊紀
独歩忌や武蔵の国の止まぬ雨      東京  一政 輪太
祇園会や黒き黛稚児の顔        東京  伊藤 真紀
八月の語り部の声被爆川        広島  井上 幸三
愛着の増すふるさとの青き山      愛媛  岩本 青山
二階から見下ろすほどの花南瓜     長野  上野 三歩
泡盛の五腑にそろりと島の夜      東京  上村健太郎
日盛や思ひ出さるる古畳        長野  浦野 洋一
ぐんぐんと黒雲満ちて梅雨の雷     群馬  小野田静江
荒梅雨や熊野分岐の道しるべ      埼玉  加藤 且之
おだまきの色無き色を供花として    長野  唐沢 冬朱
御巣鷹へ続く慰霊の夏帽子       愛知  河畑 達雄
吹き下ろす風の途中の夏野かな     東京  北原美枝子
書を曝すとは書斎をも曝すこと     東京  久保園和美
山開雨の一日となりにけり       群馬  黒岩伊知朗
わんぱくがねずみ花火に追はれけり   群馬  黒岩 清子
十あつた母気に入りの夏帽子      愛知  黒岩 宏行
波音に真砂女の浜の花海桐       東京  黒田イツ子
立葵競ひて空に背伸びかな       東京  小寺 一凡
みみず這ふ我が人生の如く這ふ     神奈川 阪井 忠太
帰り路は兄が先頭あをすすき      長野  桜井美津江
叩かれし数幾度か西瓜買ふ       東京  佐々木終吉
分業の収穫急ぐキャベツ畑       群馬  佐藤さゆり
幾重にも空の蓋あり梅雨曇       東京  島谷  操
青楓種となるもの朱を帯ぶる      千葉  清水 礼子
打水の戸口さやけし客を待ち      大阪  杉島 久江
かたつむり朝の葉おもて夕の裏     東京  須﨑 武雄
水着着てマネキンのごと動かざる    岐阜  鈴木 春水
禪林に生死悟れと蟬の声        愛知  住山 春人
山形の幸せ届くさくらんぼ       東京  関根 正義
店の灯の水に溶けゆく水中花      埼玉  園部 恵夏
花茣蓙や三線の音の泣き笑ひ      東京  田岡美也子
老境や猫と語らふ夕端居        東京  髙城 愉楽
手花火の火の色映す子の瞳       埼玉  武井 康弘
走馬灯終の棲家の古机         東京  竹花美代惠
早世の昭和の父のカンカン帽      栃木  たなかまさこ
前髪を上げて下げての団扇かな     東京  田中 真美
枇杷食めば大き音して種こぼす     広島  藤堂 暢子
白檜曾のいぶきに揺るるさるをがせ   長野  戸田 円三
寝転んで富士と語らふ夏座敷      東京  中込 精二
山鳩の声を頭上に昼寝覚め       群馬  中島みつる
梅雨晴間低く烏が往来す        神奈川 長濱 泰子
春炬燵仕舞ひて迷ふ座る位置      京都  仁井田麻利子
特攻の平和記念碑雲の峰        東京  西  照雄
籐椅子に新聞広げ母に似て       宮城  西岡 博子
湯上りの哲学の道蛍追ふ        東京  西田有希子
高層の窓に墨田の遠花火        神奈川 西本  萌
黒南風や湾を攻め来る波頭       静岡  橋本 光子
皮膚赤き酒呑童子か羽抜鶏       東京  橋本  泰
酒饅頭膨らむ頃を祭笛         神奈川 花上 佐都
夏座布団今年も出番なきままに     長野  馬場みち子
紅刷毛に雨の雫や合歓の花       千葉  針田 達行
大正池鏡の如し夏木立         千葉  深澤 淡悠
思ひ出の詰まる簞笥の土用干      長野  藤井 法子
取り取りの木枠の金魚糶を待つ     福岡  藤田 雅規
夏鴨の嘴が突然魚銜ふ         東京  牧野 睦子
盆の月父母の面影映しけり       東京  松井はつ子
振り向けば形崩れし入道雲       神奈川 松尾 守人
南風や黒酢の並ぶ壺畑へ        東京  棟田 楽人
アスファルト穿ち夏草丈伸ばす     東京  無聞  益
三陸の海もふくらむ植樹祭       宮城  村上セイ子
朝市や茄子の蔕の反り具合       東京  家治 祥夫
五月雨や艶の増したる能登瓦      東京  山口 一滴
後退りする荒梅雨の濁流に       群馬  山﨑 伸次
静かなる雨音の良し梅雨に入る     神奈川 山田 丹晴
渓流に魚信を待てば岩燕        静岡  山室 樹一
片蔭や細見の猫について行く      神奈川 横山 渓泉
漏れ聞こゆ昼餉支度の古簾       千葉  吉田 正克
夕立に惑ふ渋谷の雑踏に        東京  若林 若干
おじぎ草三度閉ぢさせ飽きにけり    東京  渡辺 誠子
























星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

噴水にまだ伸びしろの思ひあり      北爪 鳥閑
勢いのいい噴水を見た作者は、もっと伸びるのではないかと思う。それを、噴水自身が伸びようとする思いを持っているのではないか、と擬人化したのが斬新である。同時出句の〈青りんご引力はまだ先のこと〉も面白い句だ。青林檎は夏の内に出る早生種だが、それではニュートンの林檎の逸話には相応しくない。やはり秋の赤くなった林檎でなくては引力は発生しないのだ…というのだ。 


ラーメンのなるとが眩し海の家      北川 京子
 海の家のラーメンと言えば、やはり一昔前のものがいい。醤油ラーメンで支那竹と鳴門巻と刻み葱などが配されている。特に鳴門巻は外せないものであった。そういう思いが「眩し」に象徴されているようだ。赤い渦巻が目に浮かぶ。同時出句の〈端居して来るはずもなき人を待つ〉は、読み手をなるほどと肯定させる共通認識を持つ。


切り口の角の際立つ水羊羹        園部あづき
 羊羹の切り口は美しいものだ。きりりとした角がいい。水羊羹はもっと脆いだけに角や切り口は尚更際立つものである。同時出句の〈この辺り河童住むかと沼茂る〉は開発を免れて今も伝説の残る沼であろうか。おおらかでいい。


幼にもひとりの時間てんとむし      日山 典子
 親にべったりとくっついていた子供も、ある時から興味の対象を見付けてくるものだ。。この子は天道虫に着目したようだ。「ひとりの時間」は成長の一歩なのだろう。同時出句の〈再会やぬるきビールも出て楽し〉は、ビールの生ぬるさも気にならないという再会の喜び。こういうビールの詠み方もあるのか、という珍しい発想。


神の山声無き声のあり涼し        小森みゆき
スポーツとしての登山が入ってくるまでの日本の山は信仰の対象であった。神の依代であったり、先祖の棲む処であった。だからこそ「声無き声」を感じるのであり、涼しさも感じるのである。 


ギヤマンに光閉ぢこめ夏料理       平野 梗華
夏料理の器となれば薄手の白磁や染付け、極めつきは硝子器である。それに荒削りの氷を敷いたりする。光の屈折が涼しさを呼ぶ。「光閉ぢこめ」がうまい表現である。


形代にかけたる息の重みかな       横沢 宇内
 生物というものは、生きているだけで他の生物を傷付けてしまうものだ。形代流しは対人間だけではなく、自然に対する贖罪の気持ちも含まれているのであろう。この句では罪のある息は「重い」という。諾うばかりである。


友がゐるのみの故郷雲の峰        横地 三旦
私位の年齢になると故郷には父母や伯父伯母などもいないし、心の通う友人や従兄弟が少し残っている位である。たまさか帰省しても雲の峰が立ちはだかっているばかり。しかしそれもまた懐かしく頼もしいものである。 


枯色を一つ加へて七変化         熊木 光代
 私が俳句を始めた頃は、「七変化」が紫陽花の傍題であることは知っていたが、七変化で詠むことはほとんど無かった記憶である。写生句には合わない傍題であった。時代の変化であろうか、最近はよく目にするようになった。この句の場合は「七変化」が合っているようだ。七の上に一つ枯色を加えて八変化したと機知を加えたのである。


 

今更の人生訓や夕端居          小野 無道
 人は年を取ると教訓を垂れたがるものである。辛苦を舐めた経験があるので役に立つだろうという親心があるのだが、たいがいは嫌われる結果となる。この句も折角の端居の寛ぎの最中に始まった人生訓に辟易としているのだ。


 

山姥も参列したる山開          平山 凛語
山の神嫉妬深いぞ山開          髙坂小太郎
「山姥」は深山に住み、怪力を発揮する伝説上の山女のこと。山開きのどこかに来ているかもしれないと作者はそっと見回すのである。空想の楽しさだ。高坂句は「山の神」と詠んだが、山の神はやはり女神であり、女人禁制の理由の一つにしたのである。今、日本で女人禁制の山は唯一、奈良の大峰山(山上ヶ岳)のみとなった。 


 

水中花越しに煌めくネオン街       倉橋  茂
都会風景、それも歓楽街の一景である。私などは若い頃親しんだ新宿を思い出す。生きた花ではなく水中花という偽物の花であり、仇花ともいえる存在がこうした街に合うのだ。 
その他印象深かった句を次に

梔子は鬱へ誘ふ花なるぞ         箕浦甫佐子
訛ある男来て買ふ囮鮎          我妻 一男
粽喰ふ孫の背丈が吾を抜き        清水 旭峰
短夜の当直終へし手を洗ふ        髙橋 双葉
方言は旅の入口半夏生          内藤  明























伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(93)          
  
一礼に水筒ごぼと山開

 四十代の初めから登山を始めた。それまで全く無縁の世界であったが、すっかり魅了されて月に一、二回は登るようになった。記録を見ると銀漢亭を開業するまでの十数年間に一七〇数回登っている。私も仲間もまだ仕事を持っていたので、たとえば金曜日の夜中に集合して車で登山口まで行き、夜明けを待って登り、近くの温泉で汗を流して帰宅し、日曜日は家にいるというような駆足の登山であった。俳句を作る余裕は無く、また俳句とは別の趣味だと割り切っていたので、あれだけ山に登りながら山の俳句は少ない。登山俳句で知られる岡田日郎氏は三百名山を目指した時も、納得する俳句ができなければ登ったことにせず、登り直したという。「伊那男さん、俳人はそうでなくちゃあ」。さて掲出句は数少ない登山俳句の一つ。それも登山を止めて随分経ってから席題で作ったものだ。岡田日郎先生からは叱声を受けそうである。

色見本とも色鳥のつぎつぎに

 「色鳥」の席題で作った句だ。いかにも頭で作ったな、という句だが自分では愛着がある。秋に飛来する小鳥達は色取りもいい。春の鳥には囀りを楽しみ、秋の鳥には色取りを楽しむという、日本人の季節に対する感性は鋭敏である。「色見本」でよく目にするのは本の出版などで使う色見本帳である。たとえば赤色といってもその系統色は十も二十もあり、私などは見分けがつかず、もう装丁者に任せるしかないと思ってしまう。そんな発想から色見本を捲るように小鳥が現れた、という自分では機知を効かせたつもりであった。思い出してみると盤水先生はこういう比喩の句はほとんど作らなかった。回りくどい表現は好みでなかったのだと思う。私が思い出す比喩の句は〈卯月浪白磁のごとく崩れたり〉位である。「―とも」とか「―のやうな」とか「―に似て」という句もほぼ無かったように思う。上段に構えて一気に切りおろす。直球勝負の俳人であった。









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        













銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。







       










掲示板
















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。

















主宰日録  

  

7月

7月7日(金)
 浅学非才にしてただ元気に72歳となる。この日晴れるのは珍しいこと。数句会の選句。15時、夕焼け酒場。清人さん持ち込みの海鞘、鮪の処理など。飲み始める。井蛙さんからハワイ土産のアロハシャツ、光汪さんからBEAMSのシャツなど戴く。まほさんから面白グッズ。他。「大倉句会」の方々があとから参加してくださり、40名近くの誕生会となる。11時、少し前におひらき。感謝!

7月8日(土)
 「あ・ん・ど・うクリニック」。NHK俳句「私の第一句集」校正。礼状、通信など。昨日の酒少々残る。夜、ステーキ。モモ肉にて薄切りに。
 7月9日(日)
 午後、日本橋「ここ滋賀」にて「てふてふ句会」。北軽井沢の山﨑ちづ子、北川京子さん来てくださる。あと近くの居酒屋で親睦会。東京駅地下でも、もう一軒。

7月10日(月)
 農家の野菜買う。モロヘイヤが出る。孫の好物。調布の講話の芭蕉についてのレジメ作成。「りんどう」の藤岡筑邨先生、10月に百歳を迎えられるとて一句求められる。〈一望にして白ほどの青嶺かな〉。

  7月11日(火)
 おくらの煮びたし、甘辛炒めなど。「銀漢」9月号のエッセイなど。夜、発行所にて「火の会」11人。あと餃子舗。

 7月12日(水)
 農家の野菜買う。甘唐辛子を焼き浸し。いんげん茹でる。「銀漢」9月号のエッセイなど書き上げる。

7月13日(木)
 「銀漢夏の全国俳句大会」応募476句の選。染筆を大野田さんに送る。夜、野菜サラダ、練り物など。

7月15日(土)
 11時、日本橋「吉」にて纏句会9人。あと5人で近くの店。ワイン少々。それでもうぐったり。

7月16日(日)
 午後、杏一家来宅。家族12人揃い、私の誕生祝いをしてくれる。庭でBBQパーティー。私は野菜物数種類を作る。

  7月17日(月)
 「俳句てふてふ」の「俳句万華鏡」に中村草田男についてのエッセイ送る。

7月18日(火)
 数句会の選句。手が空いたので関東城跡巡りの記録の整理。茄子の煮浸し。豚汁。

7月19日(水)
 17時、「夕焼け酒場」で「三水会」8人。

7月20日(木)
 10時、三田専売会館にて「丘の会」幹事会。午後、句会。18時過ぎから「銀漢句会」。あと居酒屋で親睦会。今日は句会のダブルヘッダー。

7月21日(金)
 梅雨明前ながら梅漬を三昼夜干し、取入れ。14時、調布にて俳句講話。あと宝田さん、竹内夫妻と茶話会。来期も講話継続の依頼あり。

7月22日(土)
 8時過ぎの新幹線で米原。乗り継いで守山。井蛙、いづみ、小石さん(祇園祭メンバー)。レンタカーで信楽宮跡へ。朝集殿跡。陶芸の里は50年前訪問の時は発掘されていなかった。学生時代に作陶の合宿をした。牛の置物購入。水口岡山城は登り口までとし、三上山の御上神社参拝。「ベッセルイン滋賀守山駅前」に投宿。近くの「魚丸守山店」。

 7月23日(日)
 9時発。琵琶湖大橋を渡り、堅田、浮御堂へ。暑い。湖の風景佳し。戻って県立琵琶湖博物館。湖魚の展示など内容豊か。草津宿本陣、うばがもち。レンタカーを返し、15時過の電車で京都、烏丸御池の「ホテルギンモンド京都」へ投宿。祇園祭後祭の宵山へ。鉾町で中島凌雲君と待ち合わせ。錦市場にて生牡蠣で少々飲む。19時過ぎ、「味どころ しん」。鱧のおとし、造り、ぐじ。まな鰹の一塩。その他佳品。凌雲君途中で帰る。

7月24日(月)
 朝から暑い。8時発。鉾町の巡行を見る。市庁舎前の籤改め、河原町の巡行。まほ、政さんと会う。昼、先斗町「まめ八」にて会食と七句出し句会。凌雲君も合流。あと「たつみ」。鱧のおとし、海老天、伏見唐辛子他、佳品。実にいい居酒屋。あと「京極スタンド」。錦市場の祭衆と話。以上で旅の終わりとする。

7月25日(火)
 雑務。夜、「雪月花」。清人さん、敦子、近恵さん。小石さんの日。

7月26日(水)
 11時、唐木田駅に兄夫婦と日野の姉と待ち合わせ。「和食まかど」という店で昼食。実にうまい定食屋。あと兄の家。兄夫婦が若い頃留学していたドイツに50年振りの旅をしたとて、その話を聞く会。自作の野菜の料理など佳し。野菜の土産沢山。

  7月28日(金)
 午前中で「銀漢」9月号の選句稿を各担当に投函。午後、選評を書き、投函。焼き茄子の煮浸し、イカ人参(福島で覚えた)。

7月29日(土)
 昼、小諸着。4年振りの第15回「こもろ日盛俳句祭」に。まずは「刻」の蕎麦。相盛り。13時、与良の「与良館」にて5句出し句会。題は「片陰」。11人。筑紫磐井さんの講演後パーティー。あと昼に頼んでおいた「刻」へ。井蛙、羽久衣、淳子さん。「旅籠 つるやホテル」に投宿。近くの「居酒屋 寅さん」という店。渥美清から店名を貰ったと。同年の女将。

7月30日(日)
 11時までホテル。スーパーマーケット、喫茶店、図書館と涼しい所を渡り歩く。13時から市民交流センターで句会。題は「瓜」。終わって駅前「遠州家」に井蛙、羽久衣、淳子、「ホトトギス」合宿あとの阪西敦子、相沢文子さんと落ち合い酒盛り。鯉濃! で旅を終える。

 7月31日(月)
 彗星集の選、選評を理恵さんに送り、9月号終了。ひと段落付いたので、新宿で買い物、思い出横丁他を少々飲み歩く。七月も終わり。

8月

8月1日(火)
 久々、農家へ。野菜を買う。25代続くこの家は、昨日今日がお盆と。10月号のエッセイ一本書く。第58回「子規顕彰全国俳句大会」の選句に入る。応募句8,500句余。

 8月2日(水)
 17時半、毎日新聞「俳句てふてふ」の今井竜さん、上司の高塚保氏の誘いで神保町「ランチョン」。当方、いづみさん。あと「なごみ」に寄る。大将元気。

8月5日(土)
 夕方、井の頭線富士見ヶ丘駅。30年暮らした街。次女一家と会い、夏祭を楽しむ。阿波踊が二連出る。懐かしく商店街を散策。帰路、下北沢の盆踊も見て、成城に戻り「街かど酒場さんたろう」で小酌。この頃の外出は下駄。

8月8日(火)
 夜、発行所にて「火の会」10人。あと二軒ほど飲み歩く。終電で新百合ヶ丘まで乗り越し。とほほ……。

8月9日(水)
 13時、水道橋「台湾風中華居酒屋 青龍門 東京ドームシティ 水道橋店」。「梶の葉句会」の食事会に呼んでいただく。午前中にあった句会の選句。食事のあとスタバで茶話会。突然の白雨。 

 8月10日(木)
 農家の野菜買う。T氏句集第二稿点検。もう1人のT氏句集初稿点検。「俳壇」11月号に十句。「子規顕彰全国俳句大会」の選句、選評送付(6、7日とほぼ缶詰の一仕事であった)。「銀漢」10月号のエッセイ等。空芯菜炒め、モロヘイヤと納豆。谷中、巾着茄子の八丁味噌炒め。















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2023/10/20撮影  アマクリナム  HACHIOJ




   

花言葉      「惑わされない心」「禁欲的」「厳格」


△アマクリナム
花の名前は、古代ローマの歌に登場する、美しい羊飼いの乙女、アマリリスにちなんで名付けられたと言われています。
アマクリナムは、ヒガンバナ科の“ホンアマリリス”を母方、“ハマオモト”を父方にする属間雑種です.


 白花曼珠沙華 コエビソウ 金木犀 案山子 ハナアロエ
ニューサイラン アマクリナム






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20223/10/23








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