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5月号  2023年



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伊藤伊那男作品


主宰の8句












        
             

                        

    

今月の目次








銀漢俳句会/2023/5月号
















   


 











銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎金子兜太の秩父

 三年振りに仲間と猪鍋を囲みに秩父へ行った。金子兜太の春壺堂医院跡を訪問して以来であった。秩父には三十代の始めの頃から行き始めた。かれこれ二十回以上は行っていると思うが、その度に心の安らぎを覚える。四方を山に囲まれた盆地であることが、私の育った信州伊那谷と類似していることが愛着を覚える理由である。もちろん伊那谷を囲む山脈の方が遙かに高く、盆地も広い。較べてみると秩父が伊那谷の盆景のようにも見えてきて、それがまたいとおしいのである。ここはまた土俗的な風習や祭が残っている。素朴な食べ物も好ましい。
 さて金子兜太は皆野町で育ち、終戦後トラック島から生還し、日本銀行の地方支店を転々とした。四十八歳の時熊谷市に住居を定めた。「あなたみたいな人は、土の上にいないとダメになる」と皆子夫人に言われたのだという。皆子夫人も長瀞の生れで、秩父の草花を庭に移植したという。それまでの兜太は「秩父をむしろ軽蔑していた」という。だが確かにその頃からの兜太は秩父の土俗的な霊力を体内に取り込んでいったように思われる。秩父の血が目覚め、故郷回帰が始まったのである。私は兜太の最晩年の頃、日暮里の本行寺で行われた「一茶山頭火俳句大会」でお目にかかっている。もともと兜太の発案で始まった大会であるが、足許が覚束無いということで、その年は欠席の知らせがあったという。それが突然体調が良くなったとのことで、御子息の運転する車で来られたのであった。選者の控室で私の横の席に坐り、当日の募集句の選考を始めたが、その速さには驚かされた。また昼食に出された志乃多寿司の折を、確か稲荷寿司の一つを残しただけで食された。それがお会いしたというか、兜太を目撃した最後であった。兜太は四年前、九十九歳で死んだが、兜太の生前、私はその俳句を好きではなかった。私の習った俳句とは全く違う世界の人ということで、関心を持たなかった、という方が正しいかもしれない。この頃少しは解るようになってきた。
 兜太俳句の根底にあるのは、⑴戦争体験と⑵秩父を始めとする地霊との交感、ということになろうか。⑴についてはトラック島を離れる時の〈水脈(みお)の果炎天の墓碑を置きて去る〉、長崎支店時代の〈湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン〉〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている〉など。⑵については〈猪が来て空気を食べる春の峠〉〈人体冷えて東北白い花盛り〉〈華麗な墓原女陰あらわに村眠り〉など。以上秩父へ向かう特急ラビュー号の中でとりとめもなく兜太を偲んだのであった
 








 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

長城は天馬のごとし青胡桃         皆川 盤水


平成四年六月、俳人協会友好訪中団顧問として、北京・杭州・蘇州・上海を巡った折の句である。今現在の中国との政治状勢では考えられない文化交流があったのである。この旅の句は二十句ほどが句集に収録されている。掲出句は北京郊外の八達嶺付近での嘱目。青胡桃の実る農村地帯の指呼に聳える万里の長城は翼を広げて今にも飛び立つ天馬のように見えたという。長城の威容が具体的で、この国の酷烈な歴史が偲ばれるのである。(平成四年作『曉紅』所収)

  



 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

荒事に春著の集ふ木挽町            本庄 康代
伊予柑剝くふるさとの香のしぶき立て       武田 花果
ぽつねんと春待つやうに子規の卓        笠原 祐子
かまくらを覗くかつての童たち         小野寺清人
箸墓古墳の底見てきしか鳰の顔         渡辺 花穂
ファスナーの嚙んでいよいよ悴みぬ       多田 悦子
着ぐるみを脱ぐやうに着ぶくれを解く      松川 洋酔
亀鳴くや問診表に嘘少し            塚本 一夫
軒下の肥料袋や寒の明け            山﨑ちづ子
武甲嶺は銘仙もやう春の雪           大溝 妙子
都恋ふ飛梅の香やとこしなへ          矢野 安美
何もなきところで転び絵踏寺          堀切 克洋
春風や飛び箱一段上げ得たと          松浦 宗克
身震ひしゴム風船の萎みたる          杉阪 大和
筆圧で不安を潰す入試かな           小林 美樹
葉脈のやうに凍滝流れをり           片山 一行
春光やオールの飛沫虹となる          島  織布
冬の滝細々として音の鋭き           多田 美記
咳込みぬ鶯餅の羽ばたきに           白井 飛露
渡り漁夫かつて学生運動家           中村 孝哲










     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

荒事に春著の集ふ木挽町           本庄 康代
「荒事(あらごと)」とは歌舞伎の演出様式の一つで、怪力勇猛の武人や超人的な鬼神などを荒々しく誇張するもの。初代市川団十郎の創出で、江戸歌舞伎の特色となった。「木挽(こびき)町」は今の住居表示は銀座三丁目の一部に変ったが、歌舞伎座のある場所である。初芝居に集う目の肥えた人々の様子を巧みに捉えた小粋な逸品であった。 

伊予柑剝くふるさとの香のしぶき立て     武田 花果
伊予柑は明治二十年に山口県で発見され、数年後に愛媛県に導入され、愛媛の風土、気候に合致して栽培が拡がり現在に到るという。水分の多い甘い果汁を湛えて人気が高い。この地方の人にはこれが郷里の味なのであろう。「香のしぶき」がよく特徴を摑んでいるようだ。 

ぽつねんと春待つやうに子規の卓       笠原 祐子
根岸の子規庵に行くと子規の机が残っている。机の手前の一部が切り取られていて、不自由な身体を填め込むための工夫だったのであろう。しかしそれも叶わぬことになり、仰臥の日々となる。今その病床にはただ机だけが残されている。南国生れの子規には春は待ち遠しかったのであろう。「ぽつねんと」には病苦の子規の悲しさがある。 

かまくらを覗くかつての童たち        小野寺清人
秋田県横手のかまくらがよく知られている。小正月の子供達の行事である。この句は意外な角度からかまくらを捉えているようである。かつてかまくらを作り、中で遊んだ子供達が大人になって、覗いて歩いているというのである。素通りの旅人ではなかなか詠めない眼力のある句である。 

箸墓古墳の底見てきしか鳰の顔        渡辺 花穂
箸墓古墳は奈良桜井市にある巨大な前方後円墳である。三輪山の神である大物主命と倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の故事で知られるが、一方この古墳が邪馬台国の女王、卑弥呼のものだとする説があり、古代史の論争の種になっている。この墳墓の横に大きな池が拡がっていて、鳰が浮いている。作者は潜った鳰が古墳の底の歴史を見てきたのではないか、という。鳰の顔はどうやら歴史の真実を知っているのではないか、と。知的好奇心のある楽しい句であった。

ファスナーの嚙んでいよいよ悴みぬ      多田 悦子
冬物のジャンパーやジャケツなどはファスナーで閉じるものが多い。これがなかなか噛み合わないのである。中のマフラーを噛んでしまったりもする。そんなしどろもどろの感じがよく出ているようだ。強ばった指がますます寒さに悴んでしまうのである。 
 
着ぐるみを脱ぐやうに着ぶくれを解く     松川 洋酔
 このもたもたとたどたどしい表現が「着膨れ」である。

亀鳴くや問診表に嘘少し           塚本 一夫
 酒の量や煙草の本数を少なくしたりする。取合せの妙。

軒下の肥料袋や寒の明け           山﨑ちづ子
いよいよ春の農作業が始まる。素直な作り方で佳品。

武甲嶺は銘仙もやう春の雪          大溝 妙子
かつて秩父の特産品であった銘仙を比喩にしたうまさ。 

都恋ふ飛梅の香やとこしなへ         矢野 安美
菅原道真を偲んでいる。「とこしなへ」に抒情が滲む。

何もなきところで転び絵踏寺         堀切 克洋
季語からこのような発想が湧くのは技倆の高さである。

春風や飛び箱一段上げ得たと         松浦 宗克
 「上げ得たと」という大袈裟で重々しい表現が面白い。

身震ひしゴム風船の萎みたる         杉阪 大和
「身震ひし」に対象を確と見る眼力がある。

筆圧で不安を潰す入試かな          小林 美樹
 不安な回答を「筆圧で潰す」と、言い得て妙の表現。

葉脈のやうに凍滝流れをり          片山 一行
 凍滝とはいえ、細い流れがある。葉脈の比喩はいい。

春光やオールの飛沫虹となる         島  織布
虹となるが美しく「春光」の季語が生きている。 

冬の滝細々として音の鋭き          多田 美記
「細々」は流れにも音にも係るか。「鋭き」の納も佳。 

咳込みぬ鶯餅の羽ばたきに          白井 飛露
黄粉に噎せたのであろうが、空想を効かせ詩魂を見せた。 

渡り漁夫かつて学生運動家          中村 孝哲
 我々の世代にはこのような人生を歩んだ人もいたようだ。










 









銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

寒見舞一筆添へて熊の胆        東京  飯田眞理子
空合はせして寒釣の果てにけり     静岡  唐沢 静男
しばらくは水につけおく独活香る    群馬  柴山つぐ子
踏み終へて帰りまた踏む雪の道     東京  杉阪 大和
入院も旅にゐるごと日脚伸ぶ      東京  武田 花果
魚は氷に枯れゆく母の手の温もり    東京  武田 禪次
初鶏の底力ある声ののび        埼玉  多田 美記
ふるさとの家の客間に寝正月      東京  谷岡 健彦
蕪村忌の里の灯しは埋み火か      神奈川 谷口いづみ
草つらら草の吐息を閉ぢ込めて     長野  萩原 空木
だまし絵のごとき絨毯にて眠る     東京  堀切 克洋
一、二撃茶碗の縁に寒卵        東京  松川 洋酔
赤べこの春待つ首を振りにけり     東京  三代川次郎












         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

鶏鳴の華やかなれば寒卵        東京  柊原 洋征
垂直に庖丁しまふ寒の月        埼玉  大澤 静子
低くとも故郷の山や羽子日和      東京  朽木  直
氷に上る魚を供物の諏訪大社      長野  坂下  昭
店番の居たことのなき種物屋      東京  清水 史恵
写生会青の三寒四温の黄        神奈川 白井八十八
三寒の饂飩四温のパスタかな      東京  渡辺 花穂
てつちりや世話物を観てなにやかや   東京  辻本 理恵
仏罰を恐れぬ恋も歌がるた       埼玉  中村 宗男
大臣も朝臣も飛ばす歌留多かな     神奈川 三井 康有
徳利の大きな尻やお正月        東京  森 羽久衣
冴返る神話は星座よりこぼれ      東京  宇志やまと
三山の峰に等しき冬夕焼        神奈川 こしだまほ
しんしんと柱泣くべし雪の通夜     愛知  荻野ゆ佑子
いささかは雪解も削る武甲山      埼玉  戸矢 一斗
鉄瓶の湯気の重たき冬座敷       東京  絹田  稜
枝々に譜面整ふ春の鳥         東京  角 佐穂子
地を穢す一片もなし寒牡丹       東京  大溝 妙子
母のゐるところが日向実万両      千葉  長井  哲

瞬きの届かぬ星も寒明忌        東京  飛鳥  蘭
春めくや川瀬になじむ鳥の声      宮城  有賀 稲香
しづけさの結晶となる軒氷柱      東京  有澤 志峯
抜かれても土を放さぬ蘩蔞かな     神奈川 有賀  理
読経聞く亀口を開け鳴きたるか     東京  飯田 子貢
火の渦は風を呼び込む野焼かな     東京  生田  武
寄付名簿長き社や建国日        埼玉  池田 桐人
若返るはずなき寒の水飲めり      東京  市川 蘆舟
冬ぬくし神をあなたと呼ぶ祈り     埼玉  伊藤 庄平
野焼して獣の記憶ふと我に       東京  伊藤  政
路通す浦の一社や今朝の雪       神奈川 伊東 岬
早梅や日差しにまろき力石       東京  今井  麦
今日中ぞとて持たさるる蕨餅      埼玉  今村 昌史
二月の藪に鳥啼く余韻あり       東京  上田  裕
かしは手に底より浮かぶ寒の鯉     東京  大住 光汪
黄砂いま富士稜線を鈍色に       神奈川 大田 勝行
冬ざれに歩幅を広く保ちゆかむ     東京  大沼まり子
北窓を開け登りたき山近し       神奈川 大野 里詩
探梅行ゆけどその山まだ遠く      埼玉  大野田井蛙
壺の梅米粒ほどの莟かな        東京  大山かげもと
ゆさぶつてみたき蔵王の樹氷かな    東京  岡城ひとみ
裏木戸を確かめ閉づる朧の夜      東京  小川 夏葉
待春の結んでひらく小さな手      宮城  小田島 渚
人日の湯にあをぞらの墜ちてきて    宮城  小野寺一砂
湯気上げて野積の肥料春を待つ     埼玉  小野寺清人
雪囲してより座る性根かな       和歌山 笠原 祐子
祈らむとして絨毯に膝をつく      東京  梶山かおり
あを空を傷つけてゐる薄氷       愛媛  片山 一行
父在れば当年百に寒の明        静岡  金井 硯児
撫牛の瞳に映る梅明り         東京  我部 敬子
平九郎登りし坂の春遅々と       東京  川島秋葉男
一盞を溢れ出でたり春の月       千葉  川島  紬
修復の御仏は留守春淡し        神奈川 河村 啓
日の中に(みさご)の爪の魚飛ぶ         愛知  北浦 正弘
その腹のながながのびし春の猫     長野  北澤 一伯
亀鳴くに堀辰雄ゐる浄瑠璃寺      神奈川 久坂衣里子
まんさくの絡め取りたる日の光     東京  畔柳 海村
そこまでと送りに出たる四日かな    東京  小泉 良子
春風と遊び足らぬかフラフープ     東京  小林 美樹
餅花の揺れ仲見世も揺れにけり     東京  小山 蓮子
我が代で終へし銭湯春愁ふ       宮城  齊藤 克之
濁りぐせ風ぐせ十三の蜆舟       青森  榊 せい子
水餅の頭突きあひつつ沈みけり     長崎  坂口 晴子
射止めたか銃声響く雪の原       群馬  佐藤 栄子
パーマかけ春の女となりにけり     群馬  佐藤かずえ
井月の踏みし村道梅探る        長野  三溝 恵子
春荒や火炎渦巻く不動尊        広島  塩田佐喜子
亀鳴くや河童と話しをるならむ     東京  島  織布
亀鳴くやこんな声ならいつぞやも    東京  島谷 高水
今も減る庵の魚板桃青忌        兵庫  清水佳壽美
寒牡丹開く高さに向かひ合ふ      東京  清水美保子
白よりもなほ白のあり寒牡丹      埼玉  志村  昌
立子忌やをんなだてらは褒め言葉    千葉  白井 飛露
早春や母の年忌を知らす寺       東京  白濱 武子
去年の病鷽に託しに亀戸へ       東京  新谷 房子
のんびりと猫の横切る絵踏の地     大阪  末永理恵子
ねんごろに種火掘り出す初昔      東京  鈴木 淳子
かたき湯の一番風呂や女正月      東京  鈴木てる緒
心地良し昭和の電気炬燵なり      群馬  鈴木踏青子
大つぶのかがやき卓に寒卵       東京  瀬戸 紀恵
紙風船こゑの高さに弾みつつ      神奈川 曽谷 晴子
雪折の竹にはをらぬかぐや姫      長野  髙橋 初風
風船の突き方違ふ姉妹かな       東京  高橋 透水
くれなゐの渦に日を溜め寒牡丹     東京  武井まゆみ
折鶴にきさらぎの風ほぐれ来し     東京  竹内 洋平
寒行や役行者に促され         神奈川 田嶋 壺中
餅花のうなづくやうに揺れ止まず    東京  多田 悦子
勝鬨の小さき拳やけんか独楽      東京  立崎ひかり
初暦旅の予定は白きまま        東京  田中 敬子
実朝忌鎌倉彫の黒と朱         東京  田中  道
レコードの針のつぶやき寒の入     東京  田家 正好
針山に待針咲かせ春を待つ       東京  塚本 一夫
待つといふ言葉の予感春近し      東京  辻 隆夫
スケートの刃に乗りきれぬ及び腰    東京  辻本 芙紗
賑々しく三河万歳もてなせり      愛知  津田  卓
二階建てバスの二階や春を待つ     東京  坪井 研治
ラガーらといふ土塊が土落とす     大阪  中島 凌雲
霞立つ畝傍山(うねび)のかもす恋絵巻       神奈川 中野 堯司
笹鳴のゆたけき三輪のくすり道     東京  中野 智子
喜寿迎へ遺言のごと木の実植う     東京  中村 孝哲
風花と共に転校してゆけり       茨城  中村 湖童
インバネス悪所嬉しき漢かな      東京  中村 藍人
探梅行お蚕様の碑の前を        長野  中山 中
若草山焼くや堂塔闇の底        千葉  中山 桐里
名を呼べば付いて来る猫涅槃絵図    大阪  西田 鏡子
鯉のぼり兄三人は天国に        東京  沼田 有希
亀鳴くや万年前の黙破り        埼玉  萩原 陽里
波音のうつつともなき雁供養      東京  橋野 幸彦
路地出でて大きく膨れ寒念仏      広島  長谷川鹿の子
春めくや光集へる江戸切子       東京  長谷川千何子
献灯に読める嘉永や風冴ゆる      兵庫  播广 義春
寒夕焼むかうの向かう夫の国      埼玉  半田けい子
埋めし物ばかりを残し冬菜畑      埼玉  深津 博
着脹れの老い転ぶなと観世音      東京  福永 新祇
用一つ残して帰る寒の雨        東京  福原  紅
春氷吹かれて飛ばぬ鳥の羽根      東京  星野 淑子
行く春やテレビに脚のありし頃     東京  保谷 政孝
白鳥の胸の押し来る水輪かな      岐阜  堀江 美州
白米に少し芯ある余寒かな       埼玉  本庄 康代
大寒の深き茶碗に大服を        東京  松浦 宗克
針穴の先の恵方へ糸通す        東京  松代 展枝
獅子身中の鬼を祓ひて福の豆      東京  宮内 孝子
いつもよりよく嚙む人の日の朝餉    神奈川 宮本起代子
寒鰤や海の蒼さを身に潜め       東京  村田 郁子
大海に砕け散る波実朝忌        東京  村田 重子
凍鶴の一本足の暮れ残る        千葉  森崎 森平
啄むは己が羽根のみ寒鴉        埼玉  森濱 直之
寒卵とあらば何やら黄身の張り     長野  守屋  明
悴みて母の掌ひとり占め        東京  矢野 安美
紅梅や撫牛動き出しさうな       愛知  山口 輝久
針供養済ませて出向く草津の湯     群馬  山﨑ちづ子
持薬すら殊に寒九の水なれば      東京  山下 美佐
島どこも窓をふるはせ鰆東風      東京  山田  茜
寒牡丹朱の層塔を背とす        東京  山元 正規
卯之町へ来しや卯年の旅はじめ     愛媛  脇  行雲
習ひとて形ばかりの冬至粥       埼玉  渡辺 志水













     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

鶏鳴の華やかなれば寒卵           柊原 洋征
一読張りのある句だ。高々と鳴く鶏の声を聞いて、寒卵を産んだのだな、と思う。子供の頃卵は高価だったので、どこの家でも鶏を飼っていた。鶏が親しい存在であった頃の、鳴き声で知る寒卵である。 

 

垂直に庖丁しまふ寒の月           大澤 静子
 庖丁を垂直に立てて仕舞うという、ぞくっとする感覚と、「寒の月」という冷たく冴え返った感触、その語感の固さが相俟って、鋭利な仕上がりの句となった。


低くとも故郷の山や羽子根日和        朽木  直
山は高さで競うものではない。思いの深さで決まるものだということが解る。古代には山には神が宿ると信じられていたのである。その山に育まれた人達の正月の行事が温かく詠まれて、心が洗われる心地の句となった。 


氷に上る魚を供物の諏訪大社         坂下  昭
 諏訪大社の上社前宮に御(おん)頭(とう)祭(さい)がある。明治に入るまでは、七十五頭の鹿の生首や雉子、鯉などを捧げた記録が残っている。縄文時代の雰囲気が濃厚である。「魚氷に上る」という暦の故事と土俗的な祭事を重ねた深い味わい。


店番の居たことのなき種物屋         清水 史恵
私の知っている種物屋は廂の深い古い商家で薄暗く、人の気配がしないという雰囲気であった。呼ぶと奥から人が出てくる。そんなことを思い出させる。信頼感で結ばれていた地方の一時代前の町の様子が偲ばれる。 


写生会青の三寒四温の黄           白井八十八
三寒の饂飩四温のパスタかな         渡辺 花穂
「三寒四温」という気象現象を絵具の寒色と暖色で書き分けた楽しい句である。人の心は天気で支配されることが多いので、おのずから写生会での絵にも色使いに違いが出てくるのであろう。花穂句はこの違いに食物で迫っている。三寒には熱い汁を張った饂飩、四温にはたとえば菜の花のスパゲッティ、といった感じか。両者とも視覚や味覚を組み合わせて楽しい句に展開している。


てつちりや世話物を観てなにやかや      辻本 理恵
「てっちり」という言葉はやはり大阪である。東京ではふぐ鍋とかふぐちりと言う方が多いようだ。やはり鰒は大阪。この句は「世話物」というのがまたいい。加えて「なにやかや」にいかにも大阪のおばちゃん達のお喋りが沸き立ってくるようだ。大阪の喧噪を活写している。


仏罰を恐れぬ恋も歌がるた          中村 宗男
大臣も朝臣も飛ばす歌留多かな        三井 康有
人の恋心と社会秩序を維持するための道徳はいつも相反するもので、恋も物語もそこから生まれる。神様だって道に背く恋を残しているのだ。「仏罰を恐れぬ」が逆説的で面白い。康有句は、高位の官職の和歌であろうが、歌留多取りでは容赦なく撥ね飛ばすという痛快な句。


  

徳利の大きな尻やお正月           森 羽久衣
元旦には儀式として漆塗りの器などで祝の酒を酌むが、そのあとは大きな徳利で注ぐ、というのが酒吞みの作法。「大きな尻」と焦点を絞ったところが俳諧味で、胡坐をかいてくつろぐ様子がよく出ている。  


冴返る神話は星座よりこぼれ         宇志やまと
星座にはギリシャ神話の神々の名前が付けられている。各々の星座に古代の物語が秘められているのだが、それを「星座よりこ(・)ぼ(・)れ(・)」としたのが詩心である。


三山の峰に等しき冬夕焼           こしだまほ
大和三山であろう。畝傍山をめぐって耳成山、香具山が争ったという伝説が万葉集に詠まれているが、たいして標高差の無い低山である。伝説の山も今は等しく冬夕焼の中。恋の伝説を下敷にして抒情を醸し出している。


しんしんと柱泣くべし雪の通夜        荻野ゆ佑子
雪の重みも加わってか、通夜の家はその柱まで泣いているようだ、という、詩情の濃い詠法である。「べし」の表現がうまいところで、泣くべきである、泣くのが当然だ、きっと泣くだろう、と擬人化に持ち込んだのが非凡である。


いささかは雪解も削る武甲山         戸矢 一斗
秩父の武甲山は古代から信仰を集めた神の山だが、海底が隆起した山で石灰岩でできていることが禍して、セメント会社に採掘され続けて変容している。この句は雪解け水も少し加担しているのではないか、という俳諧味。


 その他印象深かった句を次に

地を穢す一片もなし寒牡丹         大溝 妙子
鉄瓶の湯気の重たき冬座敷         絹田  稜
枝々に譜面整ふ春の鳥           角 佐穂子
母のゐるところが日向実万両        長井  哲














                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸
菅公の袖の香かくや夜の梅       埼玉  園部 恵夏
呟きは溜息となり息白し        東京  中込 精二
春待つや温泉町の射的場        東京  棟田 楽人
立春の金平糖に角いくつ        東京  渡辺 誠子
産みたての卵ぬくぬく雪催       静岡  山室 樹一
実朝忌辞世の歌も詠まぬまま      千葉  平山 漂語
湯たんぽに足裏のみの浄土かな     東京  橋本  泰
炬燵ごとにじり動きて物を取る     埼玉  内藤  明
幼子を湯ざめさせじと追ひかける    広島  藤堂 暢子
給食の献立表に春きざす        東京  田中 真美
厳冬の岩穿つ波竜飛崎         栃木  たなかまさこ
鬼やらひ夫に飛礫の豆を炒る      東京  尼崎 沙羅
花冷えや打たぬ鼓の置きどころ     大阪  杉島 久江
福島の余寒と余震いまもなほ      東京  清水 旭峰
仮死といふ生を選びし冬の蠅      東京  石倉 俊紀







星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

土佐山の福寿草畑拝見す        愛媛  安藤 向山
奴凧小脇に抱へ堤へと         東京  井川  敏
赤蕪の赤に凝りたる飛騨の寒      長野  池内とほる
鰤起し氷見にはためく大漁旗      東京  一政 輪太
たよりなく見せて芯ある水菜かな    東京  伊藤 真紀
一献をかたむけたきと賀状かな     広島  井上 幸三
トンネルを抜ければ瀬戸は春の色    愛媛  岩本 青山
背の順に少年少女寒稽古        長野  上野 三歩
陸奥の山を遥かに野焼かな       東京  上村健太郎
凍返り直ぐ引返す散歩道        長野  浦野 洋一
顔役のそろひの法被午祭        静岡  小野 無道
節分や明治の祖父の一升枡       群馬  小野田静江
急坂を抜け寿福寺へあたたかし     東京  桂  説子
散る波を詠む歌のこし実朝忌      埼玉  加藤 且之
子の部屋の日ごと萎みしゴム風船    東京  釜萢 達夫
泥濘に一歩を遅々と梅探る       長野  唐沢 冬朱
湯たんぽは妣の恩情とこしなへ     愛知  河畑 達雄
山独活の土も香りのひとつとし     群馬  北川 京子
軽過ぎて掛けた気のせぬ羽蒲団     神奈川 北爪 鳥閑
福は内忘れた頃の豆一つ        神奈川 北出 靖彦
透き通る幼の髪や風光る        東京  北原美枝子
腕白の膝に赤チン春初め        東京  久保園和美
端正な挙措の子役や初芝居       東京  熊木 光代
春一番蕾目覚めて二番待つ       東京  倉橋  茂
梅三分ここは上州西の果て       群馬  黒岩伊知朗
独活の香や夫と一献かたむけむ     群馬  黒岩 清子
主なき門扉潜りて寒見舞        愛知  黒岩 宏行
蠟梅の香りも淋し友逝けり       東京  黒田イツ子
波躱し媼ひたすら海苔を搔く      神奈川 小池 天牛
亀鳴くや盾の形の鏡出て        東京  髙坂小太郎
粘着かぬ家伝の五万米箸の伸ぶ     東京  小寺 一凡
鶯の地鳴きを辿る藪の中        千葉  小森みゆき
浮石に足取られたる探梅行       長野  桜井美津江
地下鉄の一番出口春を待つ       東京  佐々木終吉
還暦の祈祷を夫と春来る        群馬  佐藤さゆり
はこべらやまだ親友といへぬ仲     東京  島谷  操
夕刊を読む卓明し日脚伸ぶ       千葉  清水 礼子
新聞配る朝のしじまの春めけり     群馬  白石 欽二
字消えて丁目となりぬ花ミモザ     東京  須﨑 武雄
茶を飲みて只それだけの寒見舞     岐阜  鈴木 春水
湯たんぽの終の温もり抱きしむる    愛知  住山 春人
藁苞の内に息づく寒牡丹        東京  関根 正義
鶴の群れ真白き息の群れとなる     千葉  園部あづき
胸騒ぎ押へて探す冬北斗        東京  田岡美也子
いつときを歌にさすらふ実朝忌     東京  髙城 愉楽
炉語りに座敷童を見たといふ      福島  髙橋 双葉
早春の火を焚いてゐる山家かな     埼玉  武井 康弘
鶯や厨仕事に飽きし時         東京  竹花美代惠
夕東風や連絡船に手を振りて      神奈川 多丸 朝子
神鏡に何も映らぬ鬼やらひ       長野  戸田 円三
浅間噴くかと思ひけり春の雷      群馬  中島みつる
春の雨待たるる谷戸や実朝忌      神奈川 長濱 泰子
飲んだはずの薬数へる春隣       京都  仁井田麻利子
熱の子に優しく吹いて薺粥       東京  西  照雄
白鳥の渡る真下を通り過ぐ       宮城  西岡 博子
はこべらや遠き昔の通学路       東京  西田有希子
鍵盤の鳴らぬ一音花曇         神奈川 西本  萌
米を研ぐ手に朝日さす春隣       東京  野口 光枝
父の忌や母の忌もまた寒最中      静岡  橋本 光子
節分や豆の袋のおかめ笑む       神奈川 花上 佐都
はこべらやぼつぼつ重い腰上ぐる    長野  馬場みち子
春雷の号令のごと出航す        千葉  針田 達行
放浪の果てに古りたるセーター棄つ   神奈川 日山 典子
落椿ヘッドライトに甦る        千葉  平野 梗華
砂浜に足跡ひとつ実朝忌        千葉  深澤 淡悠
軒下に窓より高く榾を積む       長野  藤井 法子
鍼灸師三代続く針供養         福岡  藤田 雅規
山茶花の蕊おきざりに散りにけり    東京  牧野 睦子
結露拭く朝の日課や春兆す       東京  幕内美智子
いつもならつかめる島も霞かな     神奈川 松尾 守人
爪先の砂にめりこむ寒稽古       愛知  箕浦甫佐子
鶯餅羽音に噎せる八十路かな      宮城  村上セイ子
寒卵小屋の隅からころげ出る      東京  家治 祥夫
一枝に源平開く梅の花         群馬  山﨑 伸次
海を越え真白きままの白鳥来      神奈川 山田 丹晴
滑り台尻の温もる四温かな       群馬  横沢 宇内
駅までを梅咲く路地へ遠廻り      神奈川 横地 三旦
黄身二つ不揃ひなれど寒卵       神奈川 横山 渓泉
初午や鳥居潜りて千本目        千葉  吉田 正克
竹林の朽ちし東屋虎落笛        山形  我妻 一男
白魚の黒目ばかりが生きてゐる     東京  若林 若干



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

菅公の袖の香かくや夜の梅         園部 恵夏
 菅原道真公は失意の内に太宰府で死に、その恨みは雷と化して京都御所を脅かした。怯えた朝廷は道真の名誉を回復し、更に神として祀り上げたのである。〈東風吹かばにほひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ〉は道真の代表歌で、天満宮といえば梅の花に象徴される。この句は道真への魂鎮めの句ということになろうか。平安期の典雅な和歌の雰囲気を句に盛り込んだのが手柄で、格調の高さがある。同時出句の〈余生よしまた立春の声を聞き〉の穏やかで前向きな姿勢にも好感を持った。


呟きは溜息となり息白し          中込 精二
人の心と身体を支配するのは「気」である。病気、元気、気力などの言葉が象徴している。「天気」も自然界の気ということであり、人間を大きく支配している。冬はその気が衰えている時期であり、この句は呟きもおのずから溜息になるという。溜息はあたかも吹き出しのように白息になるという。冬場の心の動きが巧みに描写されている佳句。 


春待つや温泉町の射的場          棟田 楽人
 昔は温泉地ではお決りの娯楽に射的場やヌード小屋などがあったものだ。今も射的場が残っているのを見ると何だか涙ぐましく、郷愁のようなものを感じるものである。冬の温泉地は客が散策することも少なく暇を託っているのであろう。「春待つや」の季語がこの様子を実感を持って伝えているようだ。

  

立春の金平糖に角いくつ          渡辺 誠子
コンペイトーはポルトガル語で、戦国時代に日本に入ってきたもので、織田信長に献上されたという。あの角の作り方も実に不思議だが、さて角は一体いくつあるのだろうか。明るい色彩であることからも春に相応しい菓子であり、「立春の」の季語の打出しがよく効いている。


産みたての卵ぬくぬく雪催         山室 樹一
私の育った信州では普通の家でも鶏を飼っていたものだ。朝卵を採りにいく。あの頃、私の記憶では中華そばが三十五円位で、卵は一個十円から十数円であったから極めて高価なものであった。「卵ぬくぬく」はその時の喜びをよく伝えている。雪催の日などは尚更であった。 


実朝忌辞世の歌も詠まぬまま        平山 凛語
 歌人の忌日季語で俳人の好むのは、西行忌、啄木忌、そしてこの実朝忌であろうか。死に方が劇的であったことが一番大きな理由であろう。確かに辞世の歌を詠む暇は無かったのであるが、それを句に詠んだ例も無かったことが面白い。ちなみに寿福寺に矢倉墓があるが、将軍の墓としては淋しいものだ。


湯たんぽに足裏のみの浄土かな       橋本  泰
私の子供の頃は電気毛布などは無かったから、埋火にした炬燵に蒲団の端を入れるとか、湯たんぽか、のどちらかであった。あの頃の蒲団は重くて冷たかったものだ。とりあえず足の裏に触れた湯たんぽは実に至福のものであった。湯たんぽに発して徐々に身体に暖かさが広がっていくのだが、まさに初めは「足裏のみ」の浄土であった。 


 

炬燵ごとにじり動きて物を取る       内藤  明
電気炬燵なのであろう。移動可能である。抜け出すのが嫌なので、炬燵ごと物に近づいて取る。まさに物ぐさ太郎に近いのだが、自分にもそんな覚えがある。


  

幼子を湯ざめさせじと追ひかける      藤堂 暢子
 このような子育てをしたに違いない、と信じさせる実感がある。一昔前は家の中でも居間と風呂以外は寒いものであった。子供の無邪気さと親心のせめぎ合いが好もしい。


 給食の献立表に春きざす         田中 真美
あの頃の給食は酷かった、という人がいるが、私はほとんど不満が無かった。むしろ有難く嬉しいものであった。小中学校が一緒の敷地にあり、団塊の世代が中心なので多分四千人位に給食を出していた筈である。その中でも季節の変化を汲み取ることができたのだ。「春兆す」の実に珍しい観点の佳句。 


  

鬼やらひ夫に飛礫の豆を炒る        尼崎 沙羅
  一読愉快な句だ。夫を鬼役にして思い切り豆をぶつけてやろうという魂胆である。「夫に飛礫(つぶて)の」がうまいところで、本当にやるかどうかは解らないがその遊び心がいい。


花冷えや打たぬ鼓の置きどころ       杉島 久江
 松本たかしの〈チチポポと鼓打たうよ花月夜〉の本歌取りで、このあとの情景へ繋いだ、という感じであろうか。花冷えの頃のとりとめのない情感を伝える典雅な句。


その他印象深かった句を次に


  

厳冬の岩穿つ波竜飛崎           たなかまさこ
福島の余寒と余震いまもなほ        清水 旭峰
仮死といふ生を選びし冬の蠅        石倉 俊紀



















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(88)
          
  
或るときの家族の数の福寿草

 歳時記で正月の植物の項を見ると、十六種が立項されている。だが、歯朶、楪、野老などの正月の飾りに添える植物や七種粥に使う野草が中心で、鑑賞する花はというと福寿草一つだけである。何といっても福寿という名称、黄金色の花が正月にふさわしい。もともとはキンポウゲ科の野草であったが、江戸時代より観賞用に栽培され、園芸種が多く作り出された。鉢に寄せ植えをして玄関や床の間に飾る。一花だけでなく複数の花が咲き揃うのが見処である。私の家は妻と二人の娘の四人家族であった。この句を作った頃に娘は嫁ぎ、妻は死んで一人暮しとなっていた。旅先で福寿草の鉢を見かけるとちょうど四つ開花していた。ああ、これは子育ての頃の家族の数であったな、と思う。花の位置にも高低があり、ひと塊りの家族のようにも思えてきたのである。和服姿の若かった妻、配膳を手伝う娘達の姿などが福寿草の花と重なって、しばし足をとどめたのであった。

寒林に入り散策は思索へと

 子供の頃夕方になると一人で自転車を漕いで田園風景の中を走るのが好きであった。木曾山脈に日が沈んでいく。天竜川に大きく削られた河岸段丘の上に、往古、赤須城という城があったという。城といってもよく見れば土塁の跡かとおぼしき凹みがある程度のもので、灌木が茂っていた。葉を落とした幹の間から透けて届く夕日は美しいものであった。伊那谷は両側を三千米級の山脈に囲まれている。残照の中の赤石山脈の向う側に東京がある。もう少ししたらきっと東京に出て何かをして生きていくのだろうなと思う。何を求めて生きていくのだろうか、と少年の胸に様々な思いが去来する。散策はだんだん思索へと変わっていくのであった。もちろんこの句ができたのはずっと後のことであるが、そんな思い出が根底にあって一句に結実したものである。俳句は長いこと作っていると自然に身に付くのだが、散策の「策」と思索の「索」の韻を踏んだ表現は意識的に合わせたものである。







     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        












銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。





        










掲示板
















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。

















主宰日録  

  

2月
 
2月20日(月)
 「銀漢」4月号の選句続く。「井月忌の集い俳句大会」応募600余句の選句。「春耕新年俳句大会」応募500余句の選句。

2月22日(水)
 「銀漢」4月号選句稿を各々担当へ送る。選評書く。ここ数日ずっと机にいる生活。夜、油麩と鶏の鍋。

2月23日(木)
 彗星集選評を辻本理恵さんに投函し、4月号の執筆終了。孫の龍正君と二人だけの夕食。ケンタッキーフライドチキン。

2月24日(金)
 一段落付いたので「あ・ん・ど・うクリニック」、薬局、京都行切符手配。渋谷の「鳥竹」他数軒梯子。

2月25日(土)
 4月の信州行について兄、従兄と連絡取り合う。武田花果さんから退院したとの電話戴く。お元気に生還、よかった!「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」用俳句エッセイ1本。「銀漢」5月号のエッセイ一本。「俳句てふてふ」の歳時記春の部、いづみさん選句の点検。伶輔君「ライオン・キング」100回出演。西村和子さんがお孫さんを連れて見に来て下さったと。戻ったところで褒美のステーキを焼く。

2月26日(日)
 森羽久衣句集稿を見る。午後、日本橋「ここ滋賀」句会。「銀漢」の方々が来て下さり、15人ほどの句会。早めに着いたので、兜町などを散策。私の勤めていた野村證券本店ビルは解体中で三分の一位しか残っていない。終わった後、皆さんと居酒屋。成城に戻って「街かど酒場 さんたろう」で小酌。

2月27日(月)
 朝の新幹線にて京都に向かう。富士山を拝す。シウマイ弁当。「静鉄ホテルプレジオ京都四条」に荷を預けて散策。「築地」のウインナコーヒーで一服。「たつみ」で氷魚の釜揚げ、独活の天婦羅、酢牡蠣、ビール、酒は「まつもと」。17時、「味どころ しん」にて和田ちゃんと落ち合う。ぐじ塩、皮剥の薄造り、鰊の煮付、くもこ、粕汁など。あと鴨川沿いの洋酒バー「セント ジェームス クラブ」でドライマティーニ。宿近くの「萬福」のラーメン。

2月28日(火)
 「纏句会」の選句など。赤山禅院を目指して行くと修学院離宮が当日見学可能と! 前回、大雨で見学者が私一人。途中で戻ることになり再挑戦となる。近くの食堂できつねうどん。赤山禅院でのんびり過ごす。雲一つない快晴。14時から修学院離宮を見学。夕方また「たつみ」あと先斗町「居酒屋すずめ」。地元のお客さんと歓談。

3月

3月1日(水)
 大津に出て、「大津祭曳山展示館」。園城寺からの湖の風景絶佳。「大津市歴史博物館」をじっくり2時間ほど。弘文天皇(大友皇子)陵など散策。旅を終える。

3月3日(金)
 羽久衣句集稿再読して返却。18時、新大久保の「がんこ 山野愛子邸」。『曾良の正体』作者乾佐知子さんの招きで会食。一斗、「春耕」の蟇目、池内氏、草思社の番茶さん、編集の渡辺さん。

3月4日(土)
 昼過、四谷「主婦会館プラザエフ」、「第10回井月忌の集い俳句大会」。3年振りに開催。70人程が集まって下さる。あと隣の中華料理店にて親睦会。30数名。懐かしい面々。

3月5日(日)
 「銀漢」5月号のエッセイ他。「銀漢」4月号の校正。夜、近所のユウタさん一家来る。ユウタさんは蛸焼の名人。材料一切持参。私は酒肴数種用意。

3月6日(月)
 「宙句会」10周年記念号の原稿読み、10周年に寄せて600字ほど直さんに送る。夕方渋谷。久々「福ちゃん」。大将が覚えていてくれて、「今日は休み?」「3年前に閉めたの」「趣味があるからいいね」と。奇妙な店だが、逸品を出す。蒸鮑、初鰹のニンニクポン酢。戻って成城の「街かど酒場 さんたろう」。

3月7日(火)
 13時、「京王プラザホテル」。俳人協会総会。4賞授賞式。受賞者の謝辞が長い。

3月8日(水)
 結婚記念日。48年前のこと。数カ所へ送金など。セロリのオイスターソース炒めなど。

3月9日(木)
 調布「愛とぴあアカデミー」の講話資料作成。神代から万葉集までの詩歌の歴史について。行方克巳氏より「慶応丘の会」の本井英さん体調不調にて副会長辞任の申し入れあったので、小生に副会長後任をと。Tさん句集稿再読し返却。

3月10日(金)
 「俳句てふてふ」「俳人の風景」の水原秋桜子書く。華子さん高校卒業式。

3月11日(土)
 一昨日作った調布の講話の資料は四月用のものであったことに気付き、3月用に明治から大正までの女流俳人についての資料作成。今夜は家族出払っているとのことにて、駅前の「さんたろう」「城下」「小島屋」と梯子。「城下」の赤なまこ、蒸し牡蠣佳。お替り。

3月12日(日)
 昨日酔った帰路、小田急OXで鰤の刺身半額で購入してあり、解凍した毛蟹の残り一尾と供す。

3月13日(月)
 数句会の選句。郵便局、区役所出張所など雑用。到来の焼穴子で穴子丼。一昨日、半額で入手した鰤を西京漬にしておいたものを焼く。

3月14日(火)
 今迄歩いた関東の城について整理に入る。夜、発行所にて「火の会」。10人。

3月15日(水)
 17時から日暮里「夕焼け酒場」で高校同期の「三水会」があるので少し前に出て根津神社へ。洲崎パラダイスに移転前の根津遊郭がどのあたりであったか捜してみる。あとこれも何10年かぶりで団子坂を上り、「森鴎外記念館」へ。建物がすっかり変わっている。谷中銀座の八百屋で芹が安かったので買う。「三水会」7人。有賀理、まほさん来てくれて22時過ぎまで。

3月16日(木)
 一斗さんが纏めてくれた「俳壇」の空想季語に遊ぶの選句。13時、三田の専売会館にて「丘の会」30数名。あと蕎麦の「朝日屋」にて、行方、武田、坪井さん他と一献。帰宅して野球、日伊戦を見る。

3月17日(金)
 14時、調布の俳句講話。20数名。明治、大正の女流俳人について。あと竹内夫妻、宝田、井蛙さん等と「酒呑んで飯食って 蛙之介」。あと仙川の「汐○」、岡山の蒸し牡蠣他佳。「田酒」もあり。中古店で「ビクトリノックス」の時計の出物見付けて買う。竹内夫人より戴いた蕗の薹で蕗味噌たくさん作る。

3月18日(土)
 雨、買い物。明日の「夕焼け酒場」の料理仕込み。蕗味噌のおにぎり、蓮根炒めの胡麻まぶし、砂肝の黒胡椒炒め、芹のおひたしの予定。

3月19日(日)
 13時、日暮里「夕焼け酒場」、「銀漢亭の日」。24人集合。桜日和。「夕やけだんだん」はすごい人出。久々のマスクをしていない集まり。本行寺の加茂住職も来て下さる。3句出し句会」。清人さんの鮪刺身、焼きそば、蝦夷鹿の塩焼き佳。結局、21時まで。

3月20日(月)
 快晴。数ヶ月振りに、自転車で入間町の農家の野菜を買いに。農家の方、皆さんお元気。富士山が見える。あと成城の桜並木を散策、今日で五分咲きといったところか。今年は華子高校卒業。龍生中学卒業。伶輔初等卒業と続く。












         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2023/5/26撮影 ユッカラン  HACHIOJI 







花言葉 「偉大」、「颯爽とした」、「私に近づかないで」

△ユッカラン
リュウゼツラン科ユッカ(キミガヨラン)属。別名:アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)。 公園など春と秋に花を見かけます。 葉は先端が尖り、別名のアツバキミガヨラン、「立派な、栄光ある」という意味がありそこから立派な名がつけられた。
 原産地:アメリカ大陸原産。 1,596年にイギリスに渡り、日本へは明治中期に渡来した。 英名は「スペインの小刀」の意味、剣状の葉っぱに由来する。 中国名は「鳳尾蘭」で、「鳳凰」の尾のような形をした蘭という意味。


御衣黄桜 ベルゲランサス 鯉幟 レウイシア シレネ・ピンクパンサー
ニオイシュロラン シルバープリペット 忍冬 朴の木 翼果
ヒメフウロ ユッカラン






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20223/5/26








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