銀漢の俳句
伊藤伊那男
◎杉田久女の墓
二月末に北信濃の小さな旅をしたが、ふと思い出して杉田久女の墓を探すことにした。杉田久女といえば北九州の印象が強い。信州との縁は、父赤堀廉蔵が松本の出身であったことだ。廉蔵は大蔵官吏となり、郷里を離れ、久女は鹿児島で出生した。東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)付属高等女学校を出た才媛で、弁舌は人を魅了し、情熱家で、思い詰めたら一途な性格であったという。違う言い方だと直情的で摩擦を呼ぶ性格であったようだ。夫、杉田宇内は東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)西洋画科出身で、久女は夫が芸術家として名を成すことを切望したようだが、中学校の美術教師に甘んじていることに苛立ちを持っていたようだ。
足袋つぐやノラともならず教師妻 久女
この句を夫が目にしていたかどうかは知らないが、知っていたとしたら、思いは複雑であったと思う。一昨年、九州の英彦山に登山した折、その社殿手前にある石段脇に
谺して山ほととぎすほしいまゝ 久女
の句碑を見付けた。久女はこの句を得るために何度もこの山を訪ね、さ迷い歩いたようだ。小倉から英彦山といってもなかなかの距離があり、当時の交通事情を考えると日帰りは容易なことではない。家を空けることも度々ではなかったか、と思う。英彦山は急峻な修験の山であり、一人彷徨する姿を想像すると、鬼気迫るものがある。
久女は昭和十一年(1936)、日野草城、吉岡禅寺洞と共にホトトギス同人を理由不明のまま削除されるという屈辱を味わっている。虚子の住む鎌倉へ押し掛けたとか、欧州旅行に向かう虚子の船を、舟を仕立てて見送ったとか、狂気の振舞があったという話があるが、真実であるかどうかは解らない。虚子が久女の句集出版を許さなかったのは愛嬢立子の地位を脅かす存在になることを恐れた為という説もあるが、その真偽も不明である。想像するに、虚子は自身の考える矩を越えて領域に入ってくる久女の熱量に辟易したのではなかったか。ともかく久女は失意の中で昭和二十一年に五十五歳で死んだ。前述の師弟関係であったが、松本の墓は虚子の字で「久女之墓」と刻まれている。もしかすると虚子は過去の久女への仕打ちに贖罪の気持を持つようになったのかもしれない。墓地は松本城後方、城山と呼ばれる丘陵の途中にあるが、住宅地にすっぽりと囲まれているので探すのに随分難儀した。半ば諦めかけた日没寸前に辿り着くことができた。
思えば、芸術を目指す者の重い代償を背負った人生であった。
紫陽花に秋冷いたる信濃かな 久女
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盤水俳句・今月の一句
伊藤伊那男
鮎宿に持ちこまれたる地酒かな 皆川 盤水
「魚野川鮎漁」の前書がある。同時作に〈簗守の夜更かし酒や月の下〉〈雁木より飛燕浦佐は山の国〉がある。魚野川は谷川岳を源流として信濃川に入る。前出句から浦佐の簗であることが判る。『皆川盤水全句集』の季語別索引を見ると「鮎」の句が全部で二十二句あるが、そのほとんどが鮎簗の風景である。鮎簗では私は十尾位食べてしまうが、先生は一尾位しか食べなかった。鮎簗の風景やそこで働く人々の姿を見るのが好きなのである。
(昭和四十六年作『銀山』所収) |
彗星集作品抄
伊藤伊那男・選
沈黙の踏絵の語る窪みかな 北川 京子
蹴轆轤に陶土一貫水温む 白井 飛露
磯遊び鳶にもらひし二重丸 小山 蓮子
春愁に効くと言はれて陀羅尼助 森 羽久衣
さへづりやみな福耳の九品仏 大溝 妙子
夜桜へ身ぬちの鬼に誘はれ 谷口いづみ
あいまいに山茱萸の花解け初む 宮内 孝子
流氷の鳴きつつ沖へ引きにけり 鈴木てる緒
鰆東風千切るる程に大漁旗 川島秋葉男
犬ふぐりそこは生家の茶の間跡 池田 桐人
涅槃図の由緒語りの長かりし 川島 紬
ゆふぐれの暮れきるまでを春障子 山田 茜
線香の燻る先の彼岸かな 家治 祥夫
筆先をひかりに解す土筆かな 有賀 理
校長の式辞北さす鶴のこと 坂口 晴子
空鋏しては広げる庭の春 杉阪 大和
皆屋号呼び合うてゐる彼岸寺 山下 美佐
観潮船揺れて身ぬちの弥治郎兵衛 矢野 安美
伊藤伊那男・選
沈黙の踏絵の語る窪みかな 北川 京子
江戸初期キリスト教禁教に伴い、キリシタンではない証として聖母マリア、十字架のキリスト像などの絵を跣で踏ませた。主に信徒の多かった九州で一月から三月頃まで行われたという。幕末に廃止されたので、現実的な季語ではないが、様々な想像を誘う、俳人の好む季語として詠まれ続けている。踏まれ続けて木板や銅板が磨滅したという表現は見馴れているが、この句の眼目は「沈黙」の文字。沈黙しているが磨滅こそが大いに歴史を語っているというのだ。同時に遠藤周作の、棄教せざるを得なかった宣教師の苦汁の内面世界を描いた名著『沈黙』を想起させる仕掛けがあるようだ。そこがこの句を深くしているところだ。 |
蹴轆轤に陶土一貫水温む 白井 飛露
一読、真向から切り下ろしたような気持のいい句である。「陶土一貫」と言い切ったところが爽快である。「水温む」の季語の取合せも叶っている。たっぷりと水を含んだ陶土である。水温む頃の川水で練り上げたものなのであろう。土と水と太陽と火と人の手と足の合作である。 |
磯遊び鳶にもらひし二重丸 小山 蓮子
少し想像を加えて読み解く必要のありそうな句だ。磯遊びの空の上を鳶が飛翔している。空に輪を描いている様子を「二重丸」と表現したのである。二重丸は丸印より更に高い評価を表わす記号であるから、海も穏やか、晴れ渡って暖かな磯遊びであることが解る。少し飛躍した独自の表現を評価したい。 |
春愁に効くと言はれて陀羅尼助 森 羽久衣
信仰の山には大概薬草で作った丸薬がある。御嶽山だと百草丸、陀羅尼助は吉野という具合である。私は陀羅尼助を常用しているが、もっぱら二日酔予防のためのもの。この句で身体にではなく、春愁という心に効用があると言った意外性の面白さである。さて陀羅尼助の効能効果の欄を見ると、胸やけ、胸つかえ、は入っていたが、やはり春愁とは少し違うようである。 |
さへづりやみな福耳の九品仏 大溝 妙子
「九品仏」は世田谷区の浄真寺の別称。彼岸浄土の上品堂、中品堂、下品堂の三仏堂が並び、合計九体の巨大な阿弥陀如来があることからその名がある。仏様であるから福耳であることは言わなくてもよいのだが、「さへづり」の季語を合わせたことで、おおらかで明るい句となった。 |
夜桜へ身ぬちの鬼に誘はれ 谷口いづみ
桜には霊が宿っていると、ほとんどの日本人は思っている。桜の根は骸骨を抱いているという話も不思議ではない。ことに夜桜ともなると一層霊気が漂ってくるものだ。この句は自分の心の中の鬼に誘い出されるようにして夜桜に会いに行くという。日本人の桜観の一面を摑んでいる。 |
あいまいに山茱萸の花解け初む 宮内 孝子
煙ったように咲くこの花を「あいまい」と捉えた手腕。 |
流氷の鳴きつつ沖へ引きにけり 鈴木てる緒
鰆東風千切るる程に大漁旗 川島秋葉男
それこそ鰆の大漁であろうか。「千切るる程」がいい。 |
犬ふぐりそこは生家の茶の間跡 池田 桐人
涅槃図の由緒語りの長かりし 川島 紬
ゆふぐれの暮れきるまでを春障子 山田 茜
上五から中七までの冗漫な叙法がこの句に合っている。 |
線香の燻る先の彼岸かな 家治 祥夫
筆先をひかりに解す土筆かな 有賀 理
校長の式辞北さす鶴のこと 坂口 晴子
鶴の飛来を大事にしている町か。再来を待つ暖かい心。 |
空鋏しては広げる庭の春 杉阪 大和
皆屋号呼び合うてゐる彼岸寺 山下 美佐
観潮船揺れて身ぬちの弥治郎兵衛 矢野 安美
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銀河集作品抄
伊藤伊那男・選
掘りすすむ木簡の野や揚雲雀 東京 飯田眞理子
盆梅の正面といふ枝の張り 静岡 唐沢 静男
夫の日と決めて一夜の春彼岸 群馬 柴山つぐ子
春愁や家持ほどでなけれども 東京 杉阪 大和
浦上の余りに小さき絵踏板 東京 武田 花果
母の手の温みを握る春の闇 東京 武田 禪次
舟歌に揺られ来してふ古雛 埼玉 多田 美記
酒つがれ生まれを聞かれ井月忌 東京 谷岡 健彦
見慣れたる庭も追儺の闇らしく 神奈川 谷口いづみ
鶏のひと日出払ふ井月忌 長野 萩原 空木
天麩羅を食ふ春昼のぽるとがる パリ 堀切 克洋
ひとりづつ渡る小橋や山笑ふ 東京 松川 洋酔
屋上の祠に御饌や一の午 東京 三代川次郎
伊藤伊那男・選
揚雲雀南大門を下に見て 埼玉 秋津 結
花あんず姉妹寄つたり離れたり 東京 飛鳥 蘭
にぎり飯頬張る児らや山笑ふ 宮城 有賀 稲香
柊を挿す酒蔵の長屋門 東京 有澤 志峯
田に畑に雲雀の声の投網めく 神奈川 有賀 理
祝詞長し山焼の火を焼べ足して 東京 飯田 子貢
百千鳥宿の貸下駄緒の固く 東京 生田 武
父祖もまた仰ぎし山や麦を踏む 埼玉 池田 桐人
春めくや返す堆肥の匂ひ立つ 東京 市川 蘆舟
折鶴の七羽七色風光る 埼玉 伊藤 庄平
ふらり来て谷中の路地に初音かな 東京 伊藤 政三
鍬打てばひかり飛び散る二月かな 神奈川 伊東 岬
また埋まる豆腐の隙間針供養 東京 今井 麦
尖塔の先は消えゐて鐘霞 埼玉 今村 昌史
春風や箒にて掻く子豚の背 東京 上田 裕
黒板も黒板消しも春休み 東京 宇志やまと
梁の闇をうごかす雪解風 埼玉 大澤 静子
薄氷の静かに水に戻る音 東京 大住 光汪
紫雲英田の絨毯剝がす耕運機 神奈川 太田 勝行
桜の芽拳ひしめき上ぐるごと 東京 大沼まり子
直立は意志ある証麦青む 神奈川 大野 里詩
まだ温き末黒野崩す鍬一打 埼玉 大野田井蛙
連写音梅のさゆらぎまで撮るか 東京 大溝 妙子
臘梅の香をカーテンの孕みゐし 東京 大山かげもと
どことなく土のにほひの蕨餅 東京 岡城ひとみ
朝寝せし日よ落し物した様な 東京 小川 夏葉
椿東風海には海の目覚めあり 宮城 小田島 渚
春寒や下りがこはき老いの坂 宮城 小野寺一砂
独活にある水の匂と日のにほひ 埼玉 小野寺清人
下萌の力に触るる土ふまず 和歌山 笠原 祐子
ビルとビル青き影なす余寒かな 東京 梶山かおり
旧道の風のねぢれて夏近し 愛媛 片山 一行
浅葱と五箇山豆腐さげて呼ぶ 東京 桂 信子
野地蔵におにぎり分かつ探梅行 静岡 金井 硯児
一灯のゆらめかせゐる涅槃像 東京 我部 敬子
百千鳥てんでに歌ふ相聞歌 東京 川島秋葉男
春潮や平家納経色褪せず 千葉 川島 紬
ものの芽のけものの眼ひらく如 長野 北澤 一伯
雷神の太鼓の試打か春の雷 東京 絹田 稜
起重機の仕事場として春の空 東京 柊原 洋征
瞑目や十一日の沖霞む 神奈川 久坂衣里子
湖の幽かな満ち干諸子釣る 東京 朽木 直 風車どぎつき色に止りけり 東京 畔柳 海村
雛あられ物の弾みに浮きさうな 東京 小泉 良子
熊野
悴みの膝を抱へてつぼ湯かな 神奈川 こしだまほ
耳で追ふ空の高みや揚雲雀 東京 小林 美樹
日捲りの位置の定まる二月かな 東京 小山 蓮子
脚立持ち向う三軒菖蒲葺く 宮城 齊藤 克之
沈黙の海に花束涅槃雪 青森 榊 せい子
春一番金印の島かくれなし 長崎 坂口 晴子
ままごとの土筆尽くしの椀と皿 長野 坂下 昭
春耕の風に魂消て戻りけり 群馬 佐藤 栄子
梅東風や色とりどりの菓子袋 群馬 佐藤かずえ
旧暦に慣ひ雛の間灯し継ぐ 長野 三溝 恵子
立子忌を過ぎて五日の雛納 東京 島 織布
一年の病確かむ納税期 東京 島谷 高水
啓蟄を急かすかのごと竹箒 兵庫 清水佳壽美
旧正やここに小さな中華街 埼玉 志村 昌
蛙鳴く夜は幼きころの夢 千葉 白井 飛露
香焼けの棘抜き地蔵入彼岸 神奈川 白井八十八
クレヨンのはみ出す鬼面鬼は外 東京 白濱 武子
スカートの型紙採寸日脚伸ぶ 東京 新谷 房子
水中の根に光あり風信子 大阪 末永理恵子
春雷や叩いてあけるジャムの蓋 静岡 杉本アツ子
手の癖に曲がりし針を供養する 東京 鈴木 淳子
十一面観音拝し初諸子 東京 鈴木てる緒
この川はどこまで行くや春の夢 群馬 鈴木踏青子
記念樹の蘖さらに際立てり 東京 角 佐穂子
春めくや明るき空の昏れてなほ 東京 瀬戸 紀恵
地球儀のどこも春塵かかる国 神奈川 曽谷 晴子
啓蟄や地下鉄出でて繁華街 長野 髙橋 初風
日本の春を背負ひしランドセル 東京 高橋 透水
魞挿すや神棲む島ををろがみて 東京 武井まゆみ
連凧の天下無双の青き空 東京 竹内 洋平
光陰を惜しむ間もなく二月来る 神奈川 田嶋 壺中
針供養からまる糸を解きつつ 東京 多田 悦子
枠干しの海苔簀かすかに匂ひたつ 東京 立崎ひかり
ものの芽の穿つ矛先空をさす 東京 田中 敬子
繕ひし垣続く道日本海 東京 田中 道
母の世の遠きへ戻し雛納む 東京 田家 正好
春を待つ反物畳走りけり 東京 塚本 一夫
雛あられ分けて話の糸口に 東京 辻 隆夫
薄氷に閉ぢ込めらるる息吹かな 東京 辻本 芙紗
翻る辻の幟の一の午 東京 辻本 理恵
時流れ絵踏せぬ町皿うどん 愛知 津田 卓
凍蝶の付箋の如く身じろがず 東京 坪井 研治
鉄棒にただぶら下がる日永かな 埼玉 戸矢 一斗
鞦韆や人生になき折り返し 千葉 長井 哲
涅槃図の象の周りの空いてをり 大阪 中島 凌雲
浮島の如き皇居の花明り 神奈川 中野 堯司
啓蟄や閊へて開かぬ小抽斗 東京 中野 智子
わが右脳生き辛き世ぞ蜆汁 東京 中村 孝哲
どの道もふるさとへ行く井月忌 茨城 中村 湖童
風立つをしほに座を立つ梅見かな 埼玉 中村 宗男
多喜二忌の上潮黒き隅田川 東京 中村 藍人
兄も吾も酒量減りたり蜆汁 千葉 中山 桐里
大王の諱は知らず亀鳴けり 大阪 西田 鏡子
校庭の風と駆けきり卒業す 東京 西原 舞
白丁はおほかた学徒賀茂祭 東京 沼田 有希
杉玉の青さ残して井月忌 埼玉 萩原 陽里
亀石の重きまぶたに春の塵 東京 橋野 幸彦
草萌えてゐるらむ戦のさ中にも 広島 長谷川明子
話しかけ和紙纏はせて雛納め 東京 長谷川千何子
長き日の老の一日や夕ごころ 神奈川 原田さがみ
春潮に数多の海石現れぬ 兵庫 播广 義春
金婚の胸に夫抱く余寒かな 東京 半田けい子
真つ黒は始まりの色大焼野 東京 福永 新祇
疾風来て逃ぐる二月の背を押す 東京 福原 紅
踏青や風の通へる和歌の浦 東京 星野 淑子
晩年と言ふ書初をさりげなく 東京 保谷 政孝
凩や街道鉤の手に曲がる 岐阜 堀江 美州
くちびるの厚さ薄さも三官女 埼玉 本庄 康代
一客一亭雛を交へて酌み交はす 東京 松浦 宗克
花衣決めかねてゐる鏡かな 東京 松代 展枝
落柿舎や朧となりし蓑と笠 京都 三井 康有
卒業や前のみを見てゐしあの日 東京 宮内 孝子
雪の果この日大老討たれしと 神奈川 宮本起代子
亀鳴くや曖昧模糊な世となりて 東京 村田 郁子
ワクチン証明いささか絵踏めき 東京 村田 重子
そのうちに崩るる膝や蕨餅 東京 森 羽久衣
鍬の泥こそげば遠き春の雷 千葉 森崎 森平
独活折りて香り立ちたる獣道 埼玉 森濱 直之
畑焼きて林檎農家を継ぐと言ふ 長野 守屋 明
指先で押す笹舟や水温む 東京 保田 貴子
見失ふゴッホの夕日黄沙来る 愛知 山口 輝久
春泥を訪ね来し靴ならびをり 群馬 山﨑ちづ子
満開となれば錆ある藪椿 東京 山下 美佐
見送るも見送られるも辛夷咲く 東京 山田 茜
立子忌の節供届けず汀子逝く 群馬 山田 礁
灯しても余寒の部屋の暗さかな 東京 山元 正規
一滴が陸をうろほす初硯 東京 渡辺 花穂
春の雪臨時ダイヤの慌ただし 埼玉 渡辺 志水
銀河集・綺羅星今月の秀句
伊藤伊那男・選
酒つがれ生まれを聞かれ井月忌 谷岡 健彦
鶏のひと日出払ふ井月忌 萩原 空木
杉玉の青さ残して井月忌 萩原 陽里
十六年ぶりに『角川俳句大歳時記』の改訂版が出版され始めている。季語の見直しがなされ、春の部に新たに「井月忌」が立項された。実は歳時記に井月忌が載るのは初めてのことである。信州伊那谷の人達は長い間井月の顕彰を続け、十年前には「ほかいびと~伊那の井月~」が上映され、復本一郎編『井月句集』が岩波文庫に収録されたが、そのような盛上がりの結果であった。信濃毎日新聞は大きな記事で伝えた。季語の解説は私が書き、例句には〈どの嶺と酌みかはさふか井月忌 我部敬子〉〈来し方を霞がくれに井月忌 武田禪次〉が収録されたのは嬉しいことであった。このようにして季語が生まれていくのであり、その一部始終を見ることができたのである。前書が長くなったが、谷岡句は酒好きであったことや、出自を隠さざるを得なかった井月を。空木句は気儘に出歩く井月と放し飼いの鶏を合わせている面白さ。陽里句はやはり酒にまつわる逸話の多い井月に、まだ青さを残している杉玉を取り合わせたのは季感を捉えて巧みである。井月が死んだのは三月十日。旧暦に直すと二月十六日であった。東京では井月忌俳句大会を開催して九回になるが、当初井月はずっと旧暦感覚で生きてきた人なので、二月に俳句大会を開いたらどうか、という案も出ていたことを付記しておく。 |
春愁や家持ほどでなけれども 杉阪 大和
大伴家持に〈うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば〉があり、「春愁」の概念はここに始まる、という説もある。掲出句は「家持ほどの深さではないけれど……」と、あの歌を読み手に想起させる仕組みである。家持はもっぱら万葉歌人の面から知られているが、実は大和朝廷の大豪族で武人であることを忘れてはならない。長岡京遷都に絡む政争で藤原種継暗殺の黒幕とみなされて、既に死後であったが墓を暴かれるという激しい時代を過ごした人である、。それを知れば家持の春愁の深さはまた違ったものになるというものだ。 |
魞挿すや神棲む島ををろがみて 武井まゆみ
暴悪大笑面見てきし夜の焼諸子 同
近江国の早春を詠んだ二句である。ここでいう神棲む島とは竹生島。西国観音三十三霊場の一つ宝厳寺がある。思えば舟なくしていけない霊場はここだけである。「暴悪大笑面」は十一面観音の大概は裏側にある面で、怒りを通り越した凄みのある笑いを表現したもので、我々衆生への戒めである。魞といい、諸子といい近江の風物と神仏を合わせた名品である。余談だが「湖」の字を平気で「うみ」と使う方がいるが間違いであることを知っておいてほしい。「湖」は訓読みは「みづうみ」、音読みは「こ」である。但し歴史的に「近つ淡海(近江)」「遠つ淡海(遠江)」「諏訪の海」があったことから、琵琶湖と諏訪湖については「湖」と使ってもいいかな、というのが今の私見である。 |
時流れ絵踏せぬ町皿うどん 津田 卓
俳人の好む季語だが成功率は少ない。今は行われていないことで嘱目が限られてしまうからであろう。この句はすっかり開き直って、無いものとして季語を使い、目の前にあるのは皿うどんだという。長崎ちゃんぽんである。踏絵変じて皿うどん、こんな作り方もあるという新たな切り口。 |
浅葱と五箇山豆腐さげて呼ぶ 桂 信子
富山県五箇山の景か、土産で買ってきての景か、どちらでもいい。固い豆腐と浅葱。どんな料理になるのか解らないが、二つの地物を並べただけで、その地の風景と郷愁を誘うのは句の力だ。同時出句の〈祈りもまた薬のひとつ長命縷〉があった。長命縷は端午の節句の季語「薬玉」の一種。長いこと俳句をしているが句として見たのは初めての季語だ。このような句を見るのも嬉しい。〈茶に添へる古漬炒め夏炉焚く〉も茅葺き屋根で囲炉裏の生活をしていた父の実家の生活を思い出す。酸っぱくなった漬物を塩抜きして油炒めにして食べたのである。 |
立子忌を過ぎて五日の雛納 島 織布
星野立子には〈雛の前今誰もゐず坐り見る〉〈雛飾りつゝふと命惜しきかな〉があり、何と三月三日が忌日である。句はその三月三日を二日ほど過ぎて五日に雛納めをしたという。遅れるといっても二日ほど。この微妙な情感がいい余韻を残しているのだ。 |
水中の根に光あり風信子 末永理恵子
風信子はヒヤシンスのこと。透明のビーカーの上に球根を乗せて水栽培したものである。水を求めて真白い髭根が水中に伸びる。句は花はさておき、この根の美しさに目を付けているところが面白い。もちろん言わなくても美しい花を開いていることが理解できるのである。 |
その他印象深かった句を次に
風車どぎつき色に止りけり 畔柳 海村
ままごとの土筆尽くしの椀と皿 坂下 昭
花あんず姉妹寄つたり離れたり 飛鳥 蘭
祝詞長し山焼の火を焼べ足して 飯田 子貢
百千鳥てんでに歌ふ相聞歌 川島秋葉男
大王の諱は知らず亀鳴けり 西田 鏡子
伊藤伊那男・選
秀逸
鶯の初音絵巻をほどくかに 東京 矢野 安美
啓蟄や地下鉄二回乗り換へて 東京 尼崎 沙羅
啓蟄や大地を梃に蠢きぬ 神奈川 河村 啓
信濃路は今も墾道土筆生ふ 長野 中山 中
降り足りぬかに上州の名残雪 東京 清水 史恵
三月の海を見てゐて人恋し 東京 北原美枝子
薬より言葉の癒す春の風邪 東京 中込 精二
春近し幸福ゆきの切符かな 東京 清水美保子
青き踏む筑波二神を仰ぎ見て 千葉 針田 達行
寿司飯の白に隠れし白子干 千葉 平山 凛語
百千鳥声に色彩ある如く 埼玉 内藤 明
いつせいに旧正月の汽笛かな 埼玉 渡辺 番茶
磨かれし海賊船や水温む 神奈川 日山 典子
浅間には小浅間もあり山笑ふ 群馬 北川 京子
二度目でも笑へる話春の宵 神奈川 北爪 鳥閑
もう少し浮世見たかろ雛納 埼玉 園部 恵夏
凍て戻るバス待つ男棒となり 東京 田岡美也子
もう少し浮世見たかろ雛納 埼玉 園部 恵夏
凍て戻るバス待つ男棒となり 東京 田岡美也子
五通ほど輪ゴムに巻かれ賀状来ぬ 広島 井上 幸三
ぶら下がるだけの鉄棒春浅し 東京 岡田 久男
花冷のひと切れ厚く練り羊羹 東京 丸山真理子
老夫婦二人の床屋あたたかし 神奈川 横地 三旦
星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
見えぬほど重なり合うて夕桜 京都 秋保 櫻子
雛道具明治二年の祖母のもの 愛媛 安藤 向山
山焼くや沼の堤を浮き立たせ 東京 井川 敏
銭湯の向かひに酒場春灯 長野 池内とほる
雪晴の野に一兎二兎足の跡 東京 石倉 俊紀
大川の河口ほどなし雁帰る 東京 伊藤 真紀
錦江を渡る春陽を切る漁船 愛媛 岩本 青山
儚さは人の世のごと春の雪 長野 上野 三歩
春泥の跳ねて木曾路の新馬かな 東京 上村健太郎
天窓を端から端へ朧月 長野 浦野 洋一
食卓の公魚の目の悲しさう 長野 岡村妃呂子
雛飾る平屋暮しの良かりけり 愛知 荻野ゆ佑子
行く雲に旅心涌く春隣 神奈川 小坂 誠子
茎立の鋤かるるを待つ山の畑 埼玉 小野 岩雄
こころざし何時しか折れて鳥雲に 静岡 小野 無道
雁帰るじきに黄昏せまるころ 東京 桂 説子
腰越の詫状空し白子干 埼玉 加藤 且之
卒業す尊徳像に手を振つて 東京 釜萢 達夫
ぬかるみの径は近道春灯 長野 唐沢 冬朱
気がつけばいつも懐炉がついてくる 愛知 河畑 達雄
片栗の下に廻つて蝶の口 愛知 北浦 正弘
春の泥抱き上ぐる子の重きこと 東京 久保園和美
春風邪に一日遅れて傘を干す 東京 熊木 光代
樟脳の香り仄かに雛飾る 東京 倉橋 茂
春炬燵猫が入れば猫の城 群馬 黒岩伊知朗
小さき手が整へてゐる雛の膳 群馬 黒岩 清子
悲しみはくすみとなりて絵踏かな 愛知 黒岩 宏行
啓蟄や菰外したる松の腰 東京 黒田イツ子
名にし負ふ字桜山花吹雪 神奈川 小池 天牛
淡雪の清水寺の阿弖流為碑 東京 髙坂小太郎
立春や山河の命谺して 東京 小寺 一凡
春が来るまた震災の日を思ふ 千葉 小森みゆき
気の憂さを遠く飛ばして春一番 神奈川 阪井 忠太
手すさびの母の雑巾針供養 長野 桜井美津江
狛犬の合はぬ阿吽や花吹雪 東京 佐々木終吉
雪解や幼き頃の逆上がり 群馬 佐藤さゆり
走り根にあまた瘤ある余寒かな 広島 塩田佐喜子
春雷は記憶の底へ響くごと 東京 島谷 操
椿咲く人の戻らぬ浪江町 東京 清水 旭峰
春泥に遠回りして会ひに行く 千葉 清水 礼子
山腹に煙舞ひ上げ杉花粉 群馬 白石 欽二
兄と呼ぶ男の子を知らず草の笛 大阪 杉島 久江
落椿枯山水の波頭かな 東京 須﨑 武雄
しらうめや産衣に移る赤子の香 岐阜 鈴木 春水
繰り返す卒業証書受くる声 愛知 住山 春人
一口に命の数多白子干 千葉 園部あづき
もう少し浮世見たかろ雛納 埼玉 園部 恵夏
凍て戻るバス待つ男棒となり 東京 田岡美也子
名画座の古りし看板町おぼろ 東京 髙城 愉楽
三月や野に道草のランドセル 福島 髙橋 双葉
薄氷踏まれて端の重なれり 埼玉 武井 康弘
椅子ゆれてなほ春眠の深まりぬ 東京 竹花美代惠
菜種梅雨兆す裾濃の夕筑波 栃木 たなかまさこ
蟻出づる大きな壁は子らの指 東京 田中 真美
白子干母の好みし卵とぢ 神奈川 多丸 朝子
鳥帰る空に大きく弧を描き 愛知 塚田 寛子
お内裏の首抜けかかり雛納 広島 藤堂 暢子
野遊の三角にぎり母の味 神奈川 長濱 泰子
東風吹くや御土居の上の大欅 京都 仁井田麻利子
春天の屋根に霊獣孔子廟 東京 西 照雄
全身を耳にして待つ春告鳥 宮城 西岡 博子
仙人めく夫の白眉や日向ぼこ 静岡 橋本 光子
目薬を頰に余して冴返る 東京 橋本 泰
腐葉土を押し上ぐ緑蕗の薹 神奈川 花上 佐都
来し方をたしかむるやに麦踏めり 長野 馬場みち子
桜餅葉を食ぶる母残す父 長野 樋本 霧帆
山門の裸電球棚霞 千葉 平野 梗華
凪の海遠く光りて白子干 千葉 深澤 淡悠
老いて聞く恋猫なれば応援す 埼玉 深津 博
十人が一斉に畦焼く煙 長野 藤井 法子
母校への緩やかな坂青き踏む 福岡 藤田 雅規
春雪に東京丸くおさまりぬ 東京 牧野 睦子
暗き湖ぐらりと揺らししじみ舟 東京 幕内美智子
花の雲大伽藍から鴟尾覗く 神奈川 松尾 守人
絵踏して後の信心深みゆく 愛知 松下美代子
手を合はす神の山から囀れり 東京 水野 正章
梵鐘の到る湖畔へ諸子舟 東京 棟田 楽人
潮まねき津波の海を忘れまじ 東京 家治 祥夫
伊豆の日を芯に集めて黄水仙 東京 山口 一滴
指先にねばりを残し桜餅 群馬 山﨑 伸次
粟津野に日が沈みたり義仲忌 神奈川 山田 丹晴
バイエルの拙き音も名草の芽 静岡 山室 樹一
参道の敷石埋めて落椿 群馬 横沢 宇内
湖のさざ波の綺羅卒業す 神奈川 横山 渓泉
受験終へ一番星に手を合はす 千葉 吉田 正克
奪ひ合ふ空の青さよ蕗の薹 山形 我妻 一男
生白子のみを盛り上げ漁師飯 東京 若林 泰吉
矢絣の居並ぶ舞台卒業歌 神奈川 渡邊 憲二
春告ぐるものみな淡く匂ひけり 東京 渡辺 誠子
星雲集 今月の秀句
伊藤伊那男
鶯の初音絵巻をほどくかに 矢野 安美
鶯は春のさきがけの鳥として万葉集以来親しまれ、春告鳥の名もある。「初音」だけでも季語で、その声を待ち侘びたのである。さて掲出句だが「絵巻をほどくかに」がいい取合せである。平安時代の絵巻物の世界に読み手は引き込まれていくのである。「ほどくかに」の表現も鶯の声が滑らかに伸びていく感じと合っているようだ。同時出句の〈あをによし奈良の雛の一刀彫〉も雅な展開である。 |
啓蟄や地下鉄二回乗り換へて 尼崎 沙羅
都会生活者の生活実感としての啓蟄である。土の世界ではなくコンクリートの街であるから地下道があり地下鉄が縦横に走っている。あたかも自分自身を蟄虫(冬ごもりの虫)のように見立てたところが面白い。地下鉄の深さ、長さも窺われるのである。 |
啓蟄や大地を梃に蠢きぬ 河村 啓
啓蟄とは二十四節気の一つの時候を言うが、穴を出た虫そのもののことも言う。「大地を梃に」は独自の表現なのであろうが、気候の変化を感じた大地のエネルギーの事を言っているのであろう。万物を動かす地力をうまく摑み取っているようだ。 |
信濃路は今も墾道土筆生ふ 中山 中
万葉集に〈信濃路は今の墾道刈株に足踏ましむな沓はけわが背〉がある。墾道とは新たに開いた道のことで、茅の切株などが突き出ているだろうから足に怪我をしないように沓を履くように、と防人に行く夫を気遣う妻の歌である。掲出句は「今も(●)」というところが味噌で、そこには刈株ではなく土筆が生えていると転換した妙味である。同時出句の〈十日目に付きし巣箱のつつき跡〉も定点観測をしている面白さである。 |
三月の海を見てゐて人恋し 北原美枝子
細見綾子に〈峠見ゆ十一月のむなしさに〉がある。何故十一月なのか、別の月ではいけないのか。確かに音数から見て六音の月は十一月しか無いので調べの点では合格である。ただしそれは本質ではなく、十一月とはどんな月なのであろうかと考えたとき、この句の醸し出す情感はやはり十一月でなくては納まらないと思わせるのである。それと同じように掲出句の場合も、三月が一番合っていると思わせるのである。 |
薬より言葉の癒す春の風邪 中込 精二
暖かくなったのでつい油断をしてひくのが春の風邪。症状はそれほど重くないのが一般的である。優しい言葉を掛けて貰うのが一番の薬だというところに実感がある。同時出句の〈ふる里は芽吹きの頃よ夜行バス〉は望郷の気持が素直に出た気持の良い句であった。一眠りしたら古里。 |
青き踏む筑波二神を仰ぎ見て 針田 達行
固有名詞が効果的な句だと思う。「青き踏む」で、古代この地で行われてい
たという嬥歌の風習が想起されるからである。現在の筑波山麓の風景を描きながら、読み手を古代に誘い込む、二つの時代を重ね合わせる手法である。 |
浅間には小浅間もあり山笑ふ 北川 京子
浅間山の近くに標高が千メートルほど低い、小浅間と呼ばれるミニチュア版のような山がある。浅間山の裾の方ということになろうが、春が来て木々が芽吹く。極端に標高の違う同じ形の山を並べた構図が面白く、明るく大らかな表現がいい。 |
二度目でも笑へる話春の宵 北爪 鳥閑
誰もが思い当たることだ。筋やオチが解っているのだが、聞けばやはり笑ってしまう。これに取合わせた「春の宵」がいい。心地良い温かさ、柔らかな闇が合っているのだ。 |
もう少し浮世見たかろ雛納 園部 恵夏
雛納が遅れるとその子の婚期も遅れるという迷信があるので、早々と仕舞う。この句は雛たちはもっと飾っていてほしいのかもしれないと思いつつ納めている様子である。「浮世見たかろ」と浮世を使ったのが面白いところである。もともと仏教用語の「憂き世」が転化して「浮世」となったのだが、雛を擬人化して享楽の世をもう少し見ていたかったかも……と想像を膨らませているのである。 |
凍て戻るバス待つ男棒となり 田岡美也子
春が来て軽装となった途端の寒さのぶり返し。バス停で立ちすくんでいる男の姿である。「棒となり」にその姿が如実である。吹きっ晒しのバス停という場所の設定もいい。
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その他印象深かった句を次に
五通ほど輪ゴムに巻かれ賀状来ぬ 井上 幸三
ぶら下がるだけの鉄棒春浅し 岡田 久男
目薬を頰に余して冴返る 橋本 泰
花冷のひと切れ厚く練り羊羹 丸山真理子
老夫婦二人の床屋あたたかし 横地 三旦
伊那男俳句 自句自解(77)
足早な龍馬の国の夕立かな
坂本龍馬が京都河原町通蛸薬師下ㇽの近江屋で暗殺されたのは慶應三年十一月十五日。大政奉還の翌月のことである。襲撃したのは後年になってから、京都見廻組というのが一番有力な説となっている。享年三十二歳である。京の町を歩いてみると、南北は四条から御池通りの間、東西は鴨川から河原町通までの実に狭い地帯に勤王派、佐幕派が蠢き合っていたことに驚く。龍馬はリスク管理の面で不注意であったと言わざるを得ない。明治に入って龍馬の功績はほとんど忘れられていたが、明治皇后の夢枕に出現したことから再評価が始まったのである。さて、この句は土佐の高知、桂浜の龍馬像を訪ねて触発された。土佐の雨は激しいが、その雨の勢いさながら龍馬の人生は疾風怒濤であった。その短いけれど濃密な人生を、夕立を借りて「足早な」と捉えてみたのである。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で多分に美化されたが、歴史の曲り角で彗星のように現れて、消えたのである。
恐山乾びきつたる蓮の飯
青森県下北半島の恐山には三回訪ねている。一回目は学生時代、突然夜中に宿坊に着き、叱られた。翌朝散策して、宇曽利山湖の水が火山の熱で温かいことに驚いた。二回目は四十代の後半、むつ市の句友で小学校長の退任記念講演会に講師で呼ばれた折であった。前回に較べると宿坊も鉄筋で新築されており、様変りであった。境内の禊小屋の温泉に浸った。地獄巡りの硫黄の噴煙の量が以前より少なくなったように感じられた。数年前に三回目の訪問をしたが、参道の敷石などが整備されて更に綺麗に磨き上げられていて、その分霊気というか、おどろおどろしさが減退したように思われたものである。北国の山地とはいえ、夏の恐山は剝き出しの岩肌が灼けて、眩暈がするほどの暑さである。仏飯を盛った蓮の葉もろとも乾び切っていたのが印象的であった。天台宗の慈覚大師円仁の開山と伝わるが、今は曹洞宗が管理している。いたこの口寄せが知られているが、まだ見ていない。 |
更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。
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aishi etc
挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円
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