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6月号 2023年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2023/6月号
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五月号で〈長城は天馬のごとし青胡桃〉を取り上げた。私も同じ頃中国を旅している。八達嶺にも登った。北京では掲出句のような風景を目にした。近郷の農家が早朝から荷車を曳いて街に入り、路傍に西瓜を山ほど積み上げて売る。街中が西瓜一色の風景であった。「天秤棒」というのもその頃の北京の一景である。あれから三十年ほどが経ったのだが、怒濤の経済成長を遂げた北京だから風景は一変していることであろう。(平成四年作『曉紅』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選何かしら失せし気のする雛納め 長谷川千何子
貝寄風や灘より出でし下り酒 塚本 一夫
けふの酒治聾酒と言ひ許さるる 北川 京子
針供養足踏みミシン今も尚 田中 道
涅槃会の雨や歎きを流すほど 渡辺 花穂
三寒の小路四温の大通り 白井 飛露
弁慶のごとき豆腐も針供養 絹田 稜
初蝶や老境になほ志 池田 桐人
出郷を
春の鴨堰まで流れまた戻る 塩田佐喜子
桃の花活けて女系の家守る 長谷川千何子
亀鳴くや儲け話は水の泡 三井 康有
梅若の涙雨なり桜餅 島谷 高水
パイプ椅子軋み残して卒業す 上野 三歩
釣銭は賽銭箱へ苗木市 山室 樹一
涅槃図の裾は畳に曲がりけり 川島 紬
国分寺跡を眼下に揚ひばり 杉阪 大和
師を仰ぐ青き眉根や卒業歌 大野 里詩
春風や母の両手に子の一歩 福原 紅
余寒なほ軋みて膝の蝶番 岡城ひとみ
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伊藤伊那男・選
「亀鳴く」の面白い句が沢山あった。藤原為家の〈河越しのみちの長路の夕闇に何ぞときけば亀ぞ鳴くなる〉の遊び心からきた季語である。どれだけ想像力があるかを試される季語でもある。眞理子句は、本来なら亀卜に使われる筈であった亀が逃れて神域で鳴いているという。この断定的な言い切りが面白い。洋征句は建築物が建て込んで、もはや富士山を見ることのできない東京の富士見坂と、鳴かぬ筈の亀を対比させた発想。蓮子句は欠伸をしたために亀の鳴くのを聞き逃したと、亀は鳴くのだということを前提にした楽しさ。まゆみ句は、亀が鳴くのは浦島伝説の海亀が乙姫と浦島太郎を恋しくて鳴くという。武句は、耳搔きをしている、ごそごそとした音こそが亀の声で、それを止めれば鳴き止むのだが、もう少し聞こうか、と思っている。其々が個性と想像力、遊び心を駆使して楽しませてくれた。 |
珍しい視点の句である。針は供養されるが、その土台となる蒟蒻は逆に針の筵の受難の日だという。俳句の諧謔の面を十分に見せてくれた。同時出句の〈春眠より覚め永眠を恐れけり〉も同様のおかし味を持つ。豊かな発想力を称えたい。 |
黄砂はタクラマカン砂漠やゴビ砂漠から偏西風に乗って運ばれてくる。この句ではシルクロードで栄えた街や砦などが廃墟となり、風化して今黄砂として日本に飛来したのではないか、という。黄砂に壮大な歴史ロマンを見ているのである。同時出句の〈龍天へ登る構へもつながれて〉は秩父神社の左甚五郎作の竜は鎖で繋がれているので、とても天には上がれないだろう、と心配をしている可笑しさ。 |
亀の甲より年の功という諺があるが、人は年と共に経験を積んで賢くなっていくものだ。この句はそうした年寄りの生きる智恵を面白く描き出している。「霞食ふ術」と言っても人は霞を食って生きていけるものではなく、一種の目眩ましである。古稀ともなればそれ位のことは……と。良い年の取り方で人生を楽しんでいるのである。こういう句は若い人には作れない。「古稀なれば」こその句である。 |
春になると魚が氷の上に躍り出すという七十二候の一つ。それに合わせて、それならば人魚はどうするのか、という発想が見事である。古来人魚伝説は各地にあるが、ここではアンデルセンの『人魚姫』が題材であろう。コペンハーゲンに銅像があるというが、まさに「人魚は銅像に」とうまく持ち込んだのである。鮮烈な発想であった。 |
『青春の門』は五木寛之の大河小説で、舞台は筑豊。まさに黄砂の飛来地である。本は累計二千万部を超えるベストセラーであったが、今の若い世代は知らない。まさに「よなぐもり」の中である。 |
一昔前は家計簿を付けている婦人が多かったものだ。家計の遣り繰りのために付けるものだが、何を買ったかを見ると当時の生活や趣味、嗜好も思い出す。つまりおのずから自分史にもなっているのである。「納税期」という季語を配したのが手柄である。出納記録が目的だが、自分史でもある、ということが強調されるのである。「似て」がいい。 |
種袋という暗い袋の中に入っている種は開封され太陽の光に当たることを待っている。振れば鳴るその音は種の発する声のようでもある、という。「光待つ」は今まで詠まれていなかった表現。瑞々しい感覚の句となった。 |
国生み神話の「おのころ島」は淡路島であろうとされている。そこから届いた若布となれば霊験あらたかである。淡路島は鳴門海峡に面しているので若布の産地である。「国生みの島」の表現で生きた句。言葉の魔術である。 |
取合せのうまさである。神獣鏡も大陸から渡来したもの。その鏡の曇りと黄砂を掛け合わせてぼんやりとした歴史の世界へ引き擦り込む巧みな仕掛けである。 |
その他印象深かった句を次に
「身ぬちの影」は抽象的な表現だが、冬の間の動きの鈍い、鬱屈した日々を指すのであろう。孤高を保っていた鯉が春を迎えて池の仲間と動き始めた様子が伝わってくる。同時出句の〈春の昼小出しに使ふ己が刻〉も前の句の鯉が人と入れ替わったような面白さを持つ。「小出しに使う」が面白いところで、雑用に追われる主婦の様子が出ている。 |
中野の哲学堂公園の前書がある。日頃は考えなくともこんな所を訪ねると、学識と哲理の違いなどという問題提起に頭を巡らしたりするのであろう。解ったようで解らないその境界線。真暗闇ではなく「春の闇」位にとどめたところが俳諧的な面白さである。同時出句の〈幾重もの絵馬に始まる入試かな〉は下五の「入試かな」の納め方が旨い。 |
「かはたれ」は一般的には明け方の薄暗さを言う。雛の闇は夜の闇よりも朝方の方が「異界めく」というのが独自の感覚である。王朝の時代の後朝(きぬぎぬ)などという言葉も想起させる感興を覚えた。 |
東北であれば暦の上では春になっても余寒は続く。炬燵もなかなか上げることができずにいるようだ。これは幻の座敷童子にとってもきっと嬉しいことなのであろうという、想像を巡らせた楽しい仕上がりの句となった。 |
駄菓子屋に並ぶ商品にも季節の変化がある。人の出も増えるので商品の動きも良いのであろう。そんな街の一角の様子が出ている。「日脚伸ぶ」位の方がいいか? |
冬の風邪と違って、春の風邪はそれほど重くなくても、倦怠感や春愁を含むようだ。子供も苦しさよりも甘え心の方が出てくる。そんな末っ子の様子をうまく捉えている。 |
春一番というものを目に見える形にしたところがいい。こういう風に捉えた句は今までに無かったように思う。いつもとは違う風紋に春一番を知ったのだ。 |
雪解川の勢いや水の色の違いを捉えた句である。海に突入してもすぐに海水に溶けるのではなく、沖まで雪解川の存在を明確に見せている。大景を捉えて観察の効いた句。 |
温泉街に今も射的屋が残っているのは好ましい。湯治のつれづれの遊び。コルクの弾を撃つ度に動く春ショール、春愁のようなものを感じられる感覚の良い仕上がりである。 |
丹沢、特にその一角の大山は雨降山ともいい、古来神の山とされ、江戸人の尊崇を受けていた。「風乗り換へて」は冬風が春風に変わったということであろうが、擬人化にしたことで神の存在を思わせる。地名の効果である。 |
久女の〈谺して山ほととぎすほしいまゝ〉を偲び、また称える句である。「聞かな」の「な」が決め手で、自分の意思としての「聞こう」、また人に対しても「聞いてほしい」と訴える二重の効果を発揮させているのである。 |
梅の木の寿命は七十年から百年で、中には二百年を越すものもあるという。毎年花を咲かせ、果実を稔らせるのであるから力仕事である。「梅白し」と最後まできっぱりと白を保っているのも高潔である。 |
神社の境内を借りての植木市だが、自ら節度があるもので、神域は参拝者が優先。その結界のようなものが一本の縄で仕切られているというのである。神社の佇まいが偲ばれる句である。人の見ない所を見逃さない視点があった。 |
伊那男俳句 自句自解(89) 長崎に降り立つすでに絵踏めき
長崎には一度だけ行っている。それも二十二歳の時で、主な目的は五島列島であったから、長崎は一泊か二泊かの観光であった。五島列島は家庭教師の教え子の父上の故郷で、度々話を聞いていたので、教え子と一緒に訪ねることにしたのである。父上は網元の家の出で東大医学部を出た医者であった。髭に赤毛が混じっていて「何代か前に欧州の血がはいったのだよ」と。また「確か李鴻章に金を貸した証文が残っている筈だ」とも言っていた。世界に窓が開いていたのである。島に似合わぬ立派な教会が幾つもあって驚いた。さて江戸初期のキリスト教禁教令の頃の「絵踏」が季語として今も俳句に詠み継がれているのは不思議なことである。様々な想像を掻き立てる言葉だからであろうか。人生には主義や思想、立場を試される場面が度々あることもこの季語が身近に感じられる要因であろうか。吉村昭や司馬遼太郎の小説に馴染んだせいか長崎は旧知の町のように感じられるのである。
狂ひ凧とはなりきれず還暦に
子供の頃、凧を揚げるのは正月の遊びであったから、正月の季語だと思い込んで使い、春の季語と知って驚いた。「凧」という字は風の略字の「几」と「巾」(ぬの)を組み合わせた和製の漢字である。ただし「たこ」と読み「いか(・・)のぼり」とも読むのが不思議であった。もともと「いかのぼり」であったが、江戸時代に盛んになり、喧嘩の元になったり、江戸城内に落ちたりしたことがあり、禁止令が出たという。だが江戸っ子はこれは「いか」でなく「たこ」だと言って揚げ続けたのだという。さて私の場合普通のサラリーマンで終わらず、二つの会社に勤め、三つ目は仲間と会社を経営して倒産した。あとは居酒屋を始めたりと厄介な人生を歩んだ。厳しい場面にも直面したが自暴自棄にはならなかった。「狂ひ凧とはなりきれず」と詠んだが、ならずに幸いであった、という反語である。苦境を乗り切れたのは俳句とその仲間がいたこと、俳句という精神安定剤があったことだ。 |
3月 3月21日(火) 10時過ぎ、東武線武蔵嵐山駅集合。伊那北会。バスにて杉山城へ。あと歩いて鎌形八幡神社、木曽義仲の産湯の清水。川沿いの桜並木を歩いて畠山重忠の菅谷館跡。その中の「埼玉県立嵐山史跡の博物館」を見学。17、8キロは歩いたか……。この駅には酒場が無く、川越に出て駅近くの酒場。静岡おでんや焼き鳥屋、佳。あと「築地銀だこ」の居酒屋と2軒。 3月22日(水) WBC戦決勝戦を見る。終日、「銀漢」5月号の選句。夜、久々、家族揃う。明日葉のおひたし、春菊の胡麻和え、武蔵嵐山の農協で買ったあわび茸と豚バラのオイスターソース炒め。大根葉と油揚のさっと煮、鯛のカルパッチョなど。 3月24日(金) 選句続く。夕方、ヘアメイクの中川さんに思いっきり短く切って貰う。豚肉のソテー、葱と油揚げのぬた。百合根の卵とじ。切り干し大根煮付など。 3月26日(日) 10時、大宮駅中央改札口。「彩の国句会」と「大倉句会」の合同吟行会に参加。バスにて見沼たんぼの取水口へ。伊藤庄平さんの案内で用水べりの桜並木を散策。ただし、終日、冷たい雨の中。14時過ぎ、庄平さんが教会長を務める「カトリック北浦和教会」へ。集会場にて五句出し句会。18人。あと、駅近くの「あじめん北浦和店」にて親睦会。多田美記さん森濱直之さんとは3年振りの対面であるか。 3月27日(月) 「銀漢」5月号の選評など、全部終了。ずっと机にしがみついている。夜、昨日の見沼で買ったエシャレット。のらぼうの胡麻和えなど。雨降り続く。 3月28日(火) 小田島渚さんの句集『羽化の街』の書評に取り掛かる。夜、「雪月花」。羽久衣、文子、まほさん。そこへ水内慶太、パリ在住のサキソフォン奏者仲野麻紀さんなど。終電。 3月29日(水) 買い物など。小田島渚句集評を秋葉男さんに送る。2,500百字位か。森羽久衣さん句集、2回目の点検、返却す。芋茎を入れた豚汁、人参とするめの郡山風浅漬など。 3月30日(木) 12時、熱海駅待ち合わせ。井蛙、清人さん。唐沢静男さんの車の迎えを得て、網代の唐沢家へ。烏賊、鰤の刺身、頼んでおいた干物類(鯵、鰯味醂、室鯵のくさや、鰯丸干)他。洋子夫人お元気。結局3人で升空けて焼酎に移る。19時辞す。実に楽しい酒盛り。 3月31日(金) 『神保町に銀漢亭があったころ』ついに出版成る。「栴檀」俳句大会の募集句の選句(760句)。青葱と焼油揚のぬた、蓮根の胡麻和。華子土産の金沢の麩と鶏鍋。家族7人久々食卓を囲む。皆川丈弘さんから到来のチューリップの球根が花開く。 4月 4月1日(土) 奈良の深川知子さんより句集出版の運びと。出版記念会の案内あり。慶祝。快晴。自転車で成城界隈の桜を見に。桜並木はバザーの屋台が出て、3年前の賑わいを取り戻している。仙川沿いの並木もいい。筍を買い、公園の山椒の芽を少し貰う。筍と若布の炊合せ、韮のおひたし、鮪と芹の和物、鮪の胡麻和え。 3月2日(日) 「全国俳誌協会第29回俳句コンクール」の選句(応募九30句)、「銀漢」6月号のエッセイ他。華子、成城学園大学へ進学。入学式で答辞を読んだと。龍正、誕生日と、祝い事二つ有り、ビーフステーキ焼く。莉子がブルスケッタ。蒸しジャガ芋とバター添えなど。 3月3日(月) 「第17回角川全国俳句大賞」の選句に入る。予選通過は、自由題848句、題詠530句。一昨日、安く買った鯛のカルパッチョ、牛蒡と炊合せ、春キャベツ。 3月4日(火) 11時、発行所。『神保町に銀漢亭があったころ』の1回目の発送作業日。10人程が既に作業に入っていて下さる。有難いこと。 3月6日(木) 自転車で農家に野菜買いに。祖師谷大蔵にも。「あ・ん・ど・うクリニック」、郵便局、薬局……。角川に選句稿、選評発送。夜、菜の花の胡麻和え、車麩、丁子麩と筍の甘皮、絹莢の精進鍋。「三丁目の夕日」の「昭和歳時記」エッセイ一本。数句会の選句。 3月7日(金) 7時半、小田急永山駅に五日市夫妻と待合せ。車で信州に向かう。雨。11時、伊那の「産直市場グリーンファーム」で買い物をして兄夫婦と合流。「行者そば梅庵」という蕎麦店へ。田舎蕎麦、鴨汁、佳。酒少々。近くの鳩吹公園の桜見事。高遠へ向かう。雨のせいか人出少なく、一番上の駐車場へ入れる。昨日が一番の見頃だったとのことだが、十分楽しむ。絵島の囲み屋敷に回る。駒ヶ根に出て光前寺の枝垂れ桜。「駒ヶ根プレモントホテル」に荷を解き、母の実家「角十綿屋商店」池上家へ。従兄弟夫婦と会い乾杯。18時、「よし乃」にて7人で宴会。馬刺、ざざ虫、蜂の子なども出してくれる。料理佳。酒は「夜明け前」「今錦」。生家跡を見てあと、このメンバーで初めてのカラオケ。 3月8日(土) 晴。6時半、中央アルプス(木曾山脈)の雲が取れる。五日市夫妻にはこの山の風景を見てもらわないと! ホテルの朝食佳。光前寺の枝垂れ桜を再び。見事。これは誇ってもいい。寺へ続く無数の水仙も凄い。木曾奈良井宿を散策。岡谷の釜口水門に出て鯉料理屋を捜すが無く「あら川」の鰻重。蒸さない焼き方。諏訪大社上社の「神長官守矢史料館」、前宮、上社と巡り、旅はここまでとする。 3月9日(日) 「銀漢」5月号の校正。数句会の選句。京都の和田ちゃんから筍到来。若布と炊合せ。焼き筍に柚子味噌添。山椒の芽は公園から頂く。旅で入手したほうとう鍋。アスパラガスのバターソテー、楤の芽の天ぷら。 3月10日(月) 『神保町に銀漢亭があったころ』を贈呈した大学時代の先輩、職場の友人、妻の友人等からの連絡あり、嬉しい事。「銀漢」六月号の選句に入る。五加木のおひたし、糸コンニャク、明太子和、孫が餃子。 3月11日(火) 14時から、『神保町に銀漢亭があったころ』出版の収支についての会議。頁数の多さやカラー写真入ったことなどなどでクラウドファンディングと一般売上では収支マイナスの結果。夜、「火の会」12人。あと6人ほどで餃子店。 3月13日(木) ずっと「銀漢」6月号の選句続く。近所の植松さんから筍(烏山の別宅の竹林のもの)到来。今年はずい分筍を食べている。 3月14日(金) 昼、滋賀県の長浜。井蛙、いづみ、まほ、政、有賀さんと合流。長浜曳山まつり。今年は異例の12基勢揃いとのこと。子供歌舞伎が良く、山車も間近。味噌田楽で酒を飲みつつ、山車を追って長浜八幡宮へ。「茂美志や」で小鮎串焼、諸子、小鮎天ぷら、のっぺいうどん。18時からの「夕渡り」を見る。彦根に出て「だいみょうかもん」で小酌。「コンフォートホテル彦根」泊。 |
△凌霄花 日本には、平安時代に渡来し、当初は「ノセウ」「ノウセウ」と呼ばれていたのだとか。それが後になまって「ノウゼン」となりました。古来より寺社などに植えられ、現在でも庭園樹として親しまれています。。 和名は、漢名の「凌霄(りょうしょう)」という名前が「ノウセウ」となまり、その後ノウゼンになったといわれています。 英名は、ラッパに似た花の形から「トランペットヴァイン(Trumpet vine)」や「トランペットクリーパー(Trumpet creeper)」と呼ばれます。 ノウゼンカズラ(凌霄花)は色々な仕立て方を楽しめる花 |