HOME 句会案内 バックナンバー  

 2017年 1月号  2月号   3月号 4月号   5月号  6月号  7月号  8月号  9月号  10月号   11月号  12月号
 2018年  1月号  2月号 3月号  4 月号   5月号  6月号   7月号 8月号  9月号  10月号    11月号 12月号 
 2019年 1月号  2月号  3月号  4月号  5月号  6月号   7月号 8月号   9月号 10 月号   11月号  12月号
 2020年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号 6月号  7月号   8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 
 2021年  1月号  2月号  3月号  4月号  5月号 6月号  7月号   8月号 9月号  10月号  11月号  12月号 
 2022年  1月号  2月号  3月号   4月号  5月号  6月号  7月号   8 月号  9月号 10月号   11月号  12月号 
 2023年  1月号                      

 1月号  2023年


伊藤伊那男作品 令和元年優秀作品集  第9回「銀漢賞」作品  銀漢今月の目次 
 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句    彗星集作品抄    彗星集選評  
銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄  銀河集・綺羅星今月の秀句 
星雲集・作品抄  星雲集・今月の秀句    伊那男俳句  銀漢の絵はがき 掲示板  
 主宰日録  今月の写真   俳人協会四賞受賞式


伊藤伊那男作品















































        
             

 
    

令和3年優秀作品集


   
 画像上で拡大します
PDF
画像上で拡大します
PDF



















        
             


第9回「銀漢賞」作品







第12回「銀漢賞」準賞作品 拡大します。
PDF



第6回「銀漢賞」佳作作品  拡大します。
PDF


第12回「銀漢賞」佳作受賞作品拡大します。
PDF



第6回『星雲賞」佳作受賞作品 拡大します。
PDF


第12回「銀漢賞」佳作受賞作品
PDF











        
             

    

今月の目次






銀漢俳句会/2022/1月号









    




  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎井上井月の正月

 井上井月の正月の酒の句を紹介する。

(以下①~④数字部分の行の頭を一字ずつ下げる)
①  盃の用意も見ゆる雑煮膳
②  屠蘇と声かけて手間とる勝手かな
③  (さかずき)に受けて芽出たし初日影
④  初空を心に酒をくむ日かな

正月の高足膳で、真先に盃に目を付けるところがいかにも酒好きの井月である。② 主が屠蘇の支度を厨に命じてもなかなか出てこないことをもどかしく待つ井月である。③ やがて満たされた觴に初日が映える。④ 「初空」を心に、まことに豊かな新年の酒である。井月は酒が出ると「千両千両」と手を打って喜んだという。

 井月の日記の断片が奇蹟的に残っている。三冊に分かれて発見されており、合わせると明治十六年十二月から明治十八年四月までの一年四ヶ月位の記録である。ただし途中に欠落した部分があるので、実質的には三百六十日分となる。年齢では六十二歳から六十四歳。享年は六十六であるから、最晩年の生活の記録ということになる。

 中味を見ると、旧暦(太陰暦)と新暦(太陽暦)表示が混在している。この日記の十年前の明治五年に日本は太陽暦採用を布告した。旧暦・新暦の間には約一ヶ月のズレがある。旧暦は月の運行に基づいたもので、古来農業や祭は月齢に沿って進められていたので簡単に切り替えができるものではない。この時期の伊那谷の正月も相変わらず旧暦で祝っているのである。日記には「年始」「年酒」「年詞」の記載が頻出する。明治十七年には三月二日まで、二十九回。翌十八年には実に五十二回の記載である。この年の最終の記載はなんと四月六日であり、新暦に直すと五月中旬である。前日には「竹の子佳」とあるから信州で筍を食する時期まで井月の年始廻りは延々と続くのである。

 旧暦の正月だけではない。役所や学校の行事は新暦で進められているので、新暦で祝う家も出ており、あるいは二度祝う家もある。日記の新暦十八年元日には「今朝三杯、雑煮佳」とあり、同日他家を訪ねて「年始馳走」などと数日続くのだが旧暦ほどの盛り上がりはない。そうは言っても井月にとって正月が二回あるのは実に嬉しいことだ。
  
目出度さも人任せなり旅の春     井月


























 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

真青なる秩父の空や初神楽         皆川 盤水

毎年一月三日は先生を囲んで秩父を吟行するのが決りであった。日頃はその存在さえ気付かないような札所十一番南石山常楽寺には大般若経の転読の声が溢れ、甘酒の振舞があり、福笹の配布がある。そのあと秩父神社へ向かう道筋で獅子舞に遭遇するのも例年の決りであった。〈獅子舞が面のうちより咳洩らす〉がある。秩父神社の舞殿では奉納神楽で鯛を釣ったりしている。先生と行く秩父はいつも快晴で淑気に満ちていたものだ。(平成十九年作『凌雲』所収)

 














  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

下町の銀座の秋刀魚特売日         長井  哲
供物とも山の神への鵙の贄         山田  茜
京の空ととのへてゐる松手入        堀切 克洋
道に出て秋冷にはかむすびの地       小泉 良子
障子貼る開け閉ての音湿らせて       本庄 康代
アルプスを書割として村芝居        伊藤 政三
子規の座の子規の庭てふ花野かな      戸矢 一斗
恩返しするかもしれぬ鶴来る        堀切 克洋
宮島や月の潮路の真ん中に         清水佳壽美
地歌舞伎のもう孫もゐるお軽かな      谷岡 健彦
木造りの山の教会霧深し          高橋 透水
山の背に倣へば傾ぐ藁ぼつち        大野 里詩
こもりくの初瀬の風に秋の声        末永理恵子
ありし日の母の仕草で墓洗ふ        脇  行雲
ふるさとが恋しくなりぬひよんの音     宮内 孝子
日本の隙間背高泡立草           森 羽久衣
初紅葉声では足りず杖で指す        福永 新祇
指間から故郷の顔衣被           福永 新祇
戻らんとすれば零余子のまたこぼる     大沼まり子
幸福の尺度それぞれ小鳥来る        日山 典子

























    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

下町の銀座の秋刀魚特売日         長井  哲
私の生まれた信州の小さな町にも「銀座通り商店街」があった。離島にまで銀座通りがあったと聞く。それほど銀座の威力は絶大であった。ちなみに私の町の銀座は八割方がシャッターを降ろしている。さてこの句は東京の、たとえば砂町銀座のような所であろう。あの銀座とは段違いで、サンダル履きやジャージでも気楽に歩ける町である。温もりもある。そんな町の特売日。目玉は秋刀魚である。

供物とも山の神への鵙の贄         山田  茜
鵙は秋の内に食料を確保して木の枝などに刺しておく。果してちゃんと覚えていて冬に回収するのかどうか? ともかく昆虫や蛙などを捉えては縄張りの中の木に蓄える。「鵙の贄」とは言い得て妙である。作者はこれを鵙が神々へ奉仕するために行っているのだという。山の神への貢物。この発想が面白い。そもそも「贄」とは神に供えるものを言う。鵙の無償の行為と見たところが面白い着想だ。

京の空ととのへてゐる松手入        堀切 克洋
京の町には千五百ほどの神社と二百ほどの寺があるという。当然古くからの名園も多い。名木も多い。その松の手入れをしている風景だが、それを、空を整えている、と見たのが卓見である。松を整えているのではなく空を整えている。庭園の構図や余白を考えると、これは正しい見方かもしれないと思う。いい視点である。

道に出て秋冷にはかむすびの地       小泉 良子
「むすびの地」とは『おくのほそ道』の終着点、大垣のことである。芭蕉は八月二十日前後に到着したものと思われる。今の暦に直すと九月の末、ということになる。秋冷を肌に感じる頃である。そのように辿ると「道に出て」もおくのそ道の「道」に通じるようにも思えてくる。

障子貼る開け閉ての音湿らせて       本庄 康代
障子貼りは障子戸を洗って前の障子紙を丁寧に剝がしてから貼り直す。障子戸は湿りを含んでいるし、糊を使うし、貼ったあと霧を吹きかけるし、作業全体が湿り気を帯びているものである。開け閉ての音も湿りを含んでいる、というのが、今迄詠まれていない珍しい観点である。

アルプスを書割として村芝居        伊藤 政三
信州伊那谷は村歌舞伎が盛んであった。昔はあちこちの集落で催行されたようだが、今は大鹿歌舞伎が僅かにその痕跡を残しているだけだ。見物席は露天の境内である。舞台にはもちろん書割があるが、歌舞伎そのものの風景を眺望すれば、背後の山脈部分が書割のようだ、というのである。

子規の座の子規の庭てふ花野かな      戸矢 一斗
病臥の身の子規にはあの狭庭も「花野」である。
 
恩返しするかもしれぬ鶴来る        堀切 克洋
『鶴の恩返し』と現実の鶴を混然とさせた面白さ。

宮島や月の潮路の真ん中に         清水佳壽美
神の島宮島の名月。「潮路の真ん中」の措辞が美しい。

地歌舞伎のもう孫もゐるお軽かな      谷岡 健彦
村人の役者のなかなか世代交替できない現実。

木造りの山の教会霧深し          高橋 透水
軽井沢などの外人の開いた保養地。木造がいい。

山の背に倣へば傾ぐ藁ぼつち        大野 里詩
山が傾いていれば藁塚もまた。面白い見立て。

こもりくの初瀬の風に秋の声        末永理恵子
長谷寺であればその声は観音の発する声であるか……。

ありし日の母の仕草で墓洗ふ        脇  行雲
思い出せば自分も母と同じ仕草。遺伝子である。
 
ふるさとが恋しくなりぬひよんの音     宮内 孝子
ふるさとの子供時代に繫がる瓢の笛の音。郷愁の音。

日本の隙間背高泡立草           森 羽久衣
まさに隙を衝かれた感じの背高泡立草の蔓延である。

初紅葉声では足りず杖で指す        福永 新祇
初紅葉に出合えた感激をうまく表現している。

指間から故郷の顔衣被           福永 新祇
三つの指で摑むと自然に剝ける衣被。故郷の顔がいい。

戻らんとすれば零余子のまたこぼる     大沼まり子
風にも零れる零余子。切り上げるのが難しいようだ。

幸福の尺度それぞれ小鳥来る        日山 典子
人の幸福は各人各様。小鳥を見るだけで幸せな作者。



 





























銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

獺祭忌子規のどこかに武士の自負    東京  飯田眞理子
母をらず卓に二本のふかし藷      静岡  唐沢 静男
熊除鈴腰にぶらさげ秋日和       群馬  柴山つぐ子
霧吹けばそれなりの出来障子貼る    東京  杉阪 大和
見るだけで無言の喝や唐辛子      東京  武田 花果
稲架垣をめぐらす棚田砦めく      東京  武田 禪次
つづれさせ甕の古色を深めけり     埼玉  多田 美記
鑑真に一目見せたき観月会       東京  谷岡 健彦
十六夜の月の翳りに膝くづす      神奈川 谷口いづみ
山の霧川の霧とて鬩ぎあふ       長野  萩原 空木
鹿舐むる水の光つてゐたりけり     東京  堀切 克洋
盃を持ちて良夜の羅漢さん       東京  松川 洋酔
貼り終へし障子の内に母の声      東京  三代川次郎




















         





綺羅星集作品抄


伊藤伊那男・選


段々と腰高くなる障子貼り       東京  鈴木てる緒
ことごとく影となりつつ障子貼る    東京  有澤 志峯
貼り終へて雪見障子を落としみる    東京  渡辺 花穂
障子貼る段取り忘れし母なれど     東京  多田 悦子
障子貼り影絵遊びも遥かなり      東京  塚本 一夫
銀の匙紅茶に秋思溶かすかに      東京  辻本 芙紗
マグカップ一杯分の秋思かな      東京  梶山かおり
今年また金木犀に虚を衝かれ      東京  朽木  直
秋団扇閉ぢし店の名なほ褪せず     埼玉  伊藤 庄平
出郷と云ふは置き去り冬瓜汁      東京  柊原 洋征
まだ余力あるを頼みの運動会      東京  福原  紅
酒もまた温故知新や古酒新酒      東京  中村 孝哲
死を言ふや十年日記買ふくせに     東京  桂  信子
芋嵐にあふられ廻す回覧板       埼玉  秋津  結
秋の蝶鏡のなかに戻れずに       宮城  小田島 渚
棒読みで吉良の首取る村芝居      長野  坂下  昭
雁や人の名もまた短き詩        千葉  長井  哲
回るほど影の濃くなる木の実独楽    東京  松代 展枝

秋草を曳けば引き合ふ根の力      東京  飛鳥  蘭
露の玉あにあね六人みな仏       宮城  有賀 稲香
山盛りの小糠の余熱今年米       神奈川 有賀  理
雲の瀬のさざ波となる渡り鳥      東京  飯田 子貢
駅を出る人の背丸き十三夜       東京  生田  武
臥す前にまた路地へ出づ月今宵     埼玉  池田 桐人
雄がゐる雌蟷螂の斧の前        東京  市川 蘆舟
天高し道祖神にも御柱         東京  伊藤 政三
本堂の檀家総出の障子貼        神奈川 伊東  岬
ばらけると見せて数増す鷹柱      東京  今井  麦
先生は河原ではしご芋煮会       埼玉  今村 昌史
彼方まで白々見ゆる秋の潮       東京  上田  裕
正面は神の席なり村芝居        東京  宇志やまと
秋高し垂直にさす刺繡針        埼玉  大澤 静子
かげろふの羽音とどまる真間の井戸   東京  大住 光汪
一枝挿し茶室は紅葉山となる      神奈川 太田 勝行
子を高く風に掲げて大花野       東京  大沼まり子
ゆるやかに水澄む町に人も澄む     神奈川 大野 里詩
豊年の夜は後継ぎの話へと       埼玉  大野田井蛙
玄海はおほき日向や去ぬ燕       愛知  荻野ゆ佑子
もう聞けぬ受話器の声や秋深し     東京  大溝 妙子
秋澄むや商道の真子に託す       東京  大山かげもと
秋麗や北山杉の磨かれて        東京  岡城ひとみ
亡夫かも肩に止まれる秋の蝶      東京  小川 夏葉
厄日来る島はおほきな海難碑      宮城  小野寺一砂
子規の忌の机に当たる膝頭       埼玉  小野寺清人
賤ケ岳二湖それぞれに秋の声      和歌山 笠原 祐子
切株の香りの立ちて四十雀       愛媛  片山 一行
落雁の地へ直角の急降下        静岡  金井 硯児
初鴨の池の真中を使ひきる       東京  我部 敬子
落し水田ごとに違ふ水の音       東京  川島秋葉男
崩れてはまた積み上ぐる鷹柱      千葉  川島  紬
白湯注ぐ湯吞の罅も寒露かな      神奈川 河村  啓
揃ひなき零余子の粒の風に揺る     愛知  北浦 正弘
ひとかはを剥かれいたいけ青みかん   長野  北澤 一伯
実柘榴や除けも封じもえんま堂     東京  絹田  稜
五感また一つ衰へ夜は長し        神奈川 久坂衣里子
秋日和とりもなほさず富士日和     東京  畔柳 海村
噴煙のかすかに燕帰る日も       東京  小泉 良子
どぶろくの里に伝はる剣舞       神奈川 こしだまほ
男郎花姿よきまま立ち枯るる      東京  小山 蓮子
冬瓜を抱いてみるのも旅ならで     宮城  齊藤 克之
秋気満つ白樺は空深く立ち       青森  榊 せい子
鈴虫のこゑ聞く会へ帯しめて      長崎  坂口 晴子
持ち寄りの赤飯配り村祭        群馬  佐藤 栄子
木琴のごとく藤の実連なりぬ      群馬  佐藤かずえ
田の隅に煙を育て豊の秋        長野  三溝 恵子
ゆで栗の甘さ仏の慈悲のごと      広島  塩田佐喜子
鯉はねてあとは平らか秋さびし     東京  島  織布
いちぢくの尻をくづさぬやうに捥ぐ   東京  島谷 高水
万物の影に力や月の道         兵庫  清水佳壽美
草の実を尾にたてがみに牧の馬     東京  清水 史恵
水引の互ひ違ひに紅散らす       東京  清水美保子
秋晴や富士に守られ野良仕事      埼玉  志村  昌
末枯や静脈針を逃れをり        千葉  白井 飛露
忘れ潮収まりきれぬ鰯雲        神奈川 白井八十八
十夜法要脚くづし待つ楽師をり     東京  白濱 武子
有りの実の清しき水を蓄へて      東京  新谷 房子
辛口もときに必要唐辛子        大阪  末永理恵子
山門の覇権争ふ乱れ萩         東京  鈴木 淳子
鮮血の如き朝焼け台風来        群馬  鈴木踏青子
名月や円空仏に削げ少し        東京  角 佐穂子
風一陣海へはみ出す稲雀        東京  瀬戸 紀恵
長き夜の鳩の出を待つ時計かな     神奈川 曽谷 晴子
蓑虫の蓑も借りたき雨となり      長野  髙橋 初風
神よりの恵みと思ふ猿酒        東京  高橋 透水
身に入むや胎内めぐる闇にゐて     東京  武井まゆみ
かつて子の部屋の残り香秋夕焼     東京  竹内 洋平
吹きかくる霧を仕上げに障子貼る    神奈川 田嶋 壺中
谷川の尖る稜線山粧ふ         東京  立崎ひかり
身に入むや謡聞こゆる遠離の地     東京  田中 敬子
深秋の信濃で啜る胡桃蕎麦       東京  田中  道
帰燕後の駅の雑踏みな無口       東京  田家 正好
身に入むやいくつ指折るけふの悔い   東京  辻  隆夫
戻る夫また引き留めてけふの月     東京  辻本 理恵
単線の先へ行くほど大花野       愛知  津田  卓
表札の旧町名や障子貼る        東京  坪井 研治
刈るたびに莢の弾ける胡麻日和     埼玉  戸矢 一斗
酒欲しくならぬ程度の夜食出す     大阪  中島 凌雲
慈照寺の盛り砂均す良夜かな      神奈川 中野 堯司
生けられてコスモス風を忘れけり    東京  中野 智子
子規庵を覗いてゐたる糸瓜かな     茨城  中村 湖童
身に入むや砂を嚙みゐるうつせ貝    埼玉  中村 宗男
竹伐れば月の光の地に降りぬ      東京  中村 藍人
啄木鳥や森の静寂を打診して      長野  中山  中
栗落ちて添ひ寝の昔話かな       千葉  中山 桐里
扇置く風のたよりも途切れがち     大阪  西田 鏡子
初雪や見なれし山の神さびて      東京  沼田 有希
鶏頭の襞に真昼の暗さあり       埼玉  萩原 陽里
畑にも場末ありけり芋嵐        東京  橋野 幸彦
遺影が目を細めたるかに栗ごはん    広島  長谷川明子
月明り夜干の網も照らしをり      東京  長谷川千何子
家のなき故郷恋し芋の秋        神奈川 原田さがみ
蔕小さく糖度上げゐる青蜜柑      兵庫  播广 義春
山澄めるあまたの札所ふところに    東京  半田けい子
鬱の字の総画いくつ螻蛄が鳴く     埼玉  深津  博
またたびや湯舟の深き旅の宿      東京  福永 新祇
ひとつかみ最後と思ふ秋茗荷      東京  星野 淑子
猿酒と信じて杯を重ねたり       東京  保谷 政孝
障子貼り庭のひかりをほしいまま    岐阜  堀江 美州
腰に手をあてて牛乳天高し       埼玉  本庄 康代
貼り終へし障子に鳥の影止まる     東京  松浦 宗克
指すべて空へ揃へて柿をもぐ      神奈川 三井 康有
長靴の跡のどんぐり溜りかな      東京  宮内 孝子
殿中の上は青空村芝居         神奈川 宮本起代子
山粧ふ旅も善しとて誘はれ       東京  村田 郁子
豊の秋古事記の神は神を産み      東京  村田 重子
秋深したまには酒を飲まぬ夜も     東京  森 羽久衣
波止昏き尾鷲漁港や鷹渡る       千葉  森崎 森平
山の神より賜りて秋果盛る       埼玉  森濱 直之
降り注ぐ灰に仕上がる芋煮鍋      長野  守屋  明
貴船神社に占ふ恋や水澄めり      東京  矢野 安美
にはか旅釣瓶落しの古書肆に果つ    愛知  山口 輝久
名残茄子まだ一花を咲かせをり     群馬  山﨑ちづ子
どぶろくを恰幅のよきおかめより    東京  山下 美佐
村人と見紛ふばかり案山子どち     東京  山田  茜
我なりの養生訓に菊の酒        東京  山元 正規
鼓岡木の丸殿跡
団栗を踏み行く院の終焉地       愛媛  脇  行雲
ぶら下がるだけの因果の糸瓜かな    埼玉  渡辺 志水
















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

段々と腰高くなる障子貼り         鈴木てる緒
ことごとく影となりつつ障子貼る      有澤 志峯
貼り終へて雪見障子を落としみる      渡辺 花穂
障子貼る段取り忘れし母なれど       多田 悦子
障子貼り影絵遊びも遥かなり        塚本 一夫
私の子供時代は十一月頃であったか、父の休みの日に一家総出で障子貼りをしたものだ。家の裏の小川に障子戸を丸ごと浸けて、束子で古い紙を洗い落とす。その上で貼り替えるのであった。当時の家の仕切りは板戸か襖か障子で、障子の無い家などは皆無であった。東京の暮しが長くなるが、前の杉並の家では一部屋だけ障子の部屋があり、何年に一度か貼り替えたものだ。今の家には一枚の障子も無い。「障子貼る」という作業はもはや季節感は薄れているし、現実に行う機会も無いので、失われていく季語の一つになっていくことになりそうである。それはそれとして、今回はなかなか味のある俳句が発表されていた。てる緒句はその作業をよく観察している。障子貼りの継目が上を向くと、そこから埃が溜まるので、下から貼り上げていく。おのずから腰が上がっていくものである。「腰高となる」に的確な把握がある。志峯句は貼るごとに隙間が無くなり、視界に入っていたものが影に入っていく。貼っている自分も、家族も影に入っていくのである。「なりつつ」の進行形が面白いところだ。花穂句は仕上げに雪見障子を落としてみる。映画のスクリーンが閉じるように障子貼りが終わるという感じで、実に見事な仕上げの高度な技倆である。悦子句は記憶の薄れてきた母も、そろそろ障子貼りの季節だ、と言うのであろう。そうした母への哀惜が「母なれど」の下五に余韻として籠められている。一夫句は我々に共通する郷愁のようなものがある。縁側から手で作った狐などを障子越しに見せる他愛もない遊びだが、今の子供達にはない、日溜りを楽しむ懐かしい遊びである。いずれも半世紀前の日本の慎ましやかな風景を見せてくれた句群であった。


銀の匙紅茶に秋思溶かすかに        辻本 芙紗
マグカップ一杯分の秋思かな        梶山かおり
いずれも銀漢の若手の女性の句である。一昔前の我々の詠む秋思は外界の風景や気温、湿度の変化によってもたらされる秋思が中心であったように思う。この二句はそれとは趣を異にしていて、部屋の中、それも一杯の飲み物に設定された秋思である。自然から触発された秋思ではなく、自己に発する秋思である。これも時代の変化、人間を取り巻く環境の変化なのであろう。飲み物も緑茶や焙じ茶ではない。紅茶であり、コーヒーであるようだ。


今年また金木犀に虚を衝かれ        朽木  直
私も毎年こうした経験をしている。道を歩いていて、あっと思う。周囲を捜すと金木犀の垣根があり、よくよく見ると小さな花を付けている。「虚を衝かれ」の表現に納得する。「虚を衝かれる」とは、備えのないところをつけこまれて攻められることだが「嗅覚」に転用した面白さだ。


秋団扇閉ぢし店の名なほ褪せず       伊藤 庄平
団扇を配ってくれた馴染の店が閉じたのである。団扇だけが残ったことを「秋」で強調しているようである。ここ数年の疫病下であちこちの名店が看板を降ろした。「なほ褪せず」に消えない思い出が籠められている。


出郷と云ふは置き去り冬瓜汁        柊原 洋征
今とは交通事情も通信事情も違い、出郷は別れの大きな節目であった。肉親であろうが、友人であろうが、恋人であろうが……。「置き去り」に重さがある。少し時代が後になると太田裕美の「木綿のハンカチーフ」になるが、この句は「冬瓜汁」であるところが、可笑しくも悲しいところだ。

 

まだ余力あるを頼みの運動会        福原  紅
運動会の大人の出番の場面であろう。多少の自信と不安のままで出場する。そんな感じがうまく出ている句である。私ごとだが子供が小さかった頃、親が参加する綱引きがあり、私は二日酔いで躊躇したが、参加したお父さんが二人、気持が悪くなって退場したことを思い出す。


酒もまた温故知新や古酒新酒        中村 孝哲
論語の「温故知新」の故事の四字熟語を「古酒新酒」と合わせた見事な言葉遊びである。でありながら、平仄も合い、意味にも滋味を持たせた秀逸である。新酒ばかりを喜んではいけない。古酒の味わいも捨て難く、古酒あってこその新酒である、というのだ。


  

死を言ふや十年日記を買ふくせに      桂  信子
人の持つ矛盾をうまく衝いた句だ。口癖で死が近いことを言いながら、十年日記を買っている。「買ふくせに」の口語表現が面白く、決して非難しているわけではなく、相手を理解している雰囲気があるのがよい。



 その他印象深かった句を次に

芋嵐にあふられ廻す回覧板         秋津  結
秋の蝶鏡の中に戻れずに          小田島 渚
棒読みで吉良の首取る村芝居        坂下  昭
雁や人の名もまた短き詩          長井  哲
回るほど影の濃くなる木の実独楽      松代 展枝



















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
他人事のやうに思へて敬老日      東京  中込 精二
待ち侘びしやうに飛び付く牛膝(いのこすち)     栃木  たなかまさこ
色変へぬ松や手児奈の名残の井     神奈川 北爪 鳥閑
秋深し言ひたき事を追伸に       神奈川 横地 三旦
北国に母ひとり居り鱗雲        静岡 山室 樹一
各々が深夜便聞く夜長かな       長野  藤井 法子
秋声や柱時計の八角形         愛知  住山 春人
首傾げ探る仕草もけらつつき      長野  池内とほる
粗壁に影くつきりと柿簾        東京  倉橋  茂
面影の有り無し問はず菊人形      東京  伊藤 真紀
佇みて露の声きく鈴ヶ森        埼玉  加藤 且之
長き夜は胸中明かすためにあり     群馬  北川 京子
大方の薬舗はビルに神農祭       大阪  杉島 久江
つくづくと壺中の我や星月夜      千葉  平野 梗華
空の色編むかに垣の牽牛花       愛知  箕浦甫佐子










星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


見霽かす魚眼レンズの大花野      東京  尼崎 沙羅
傘杖に加賀の旅路や鰯雲        東京  井川  敏
杉の実の急襲風の奥之院        東京  石倉 俊紀
太刀魚やルアーの先の剣の舞      東京  一政 輪太
父の貌鏡に見るや秋深し        広島  井上 幸三
雨予報村に広がる刈田かな       愛媛  岩本 青山
節々の痛みて近き野分かな       長野  上野 三歩
菩提寺へ続く畦道曼珠沙華       東京  上村健太郎
遠目にも山粧ふや信濃富士       長野  浦野 洋一
潔くありたき余生秋桜         神奈川 小坂 誠子
水薬枕辺に置く夜寒かな        静岡  小野 無道
曇天の沼のさざ波枯尾花        群馬  小野田静江
山霧の湯殿詣でや朝早し        東京  桂  説子
言の葉にすればたやすき秋の風     長野  唐沢 冬朱
透けるほど無垢な心や白芙蓉      愛知  河畑 達雄
金木犀の香り深追ひせずに去る     東京  北原美枝子
猪と生くは定めの在所かな       東京  久保園和美
現世の縁に似たる葛引けば       東京  熊木 光代
秋風や湖底に眠る旧駅舎        群馬  黒岩伊知朗
七竈山肌白き万座の湯         群馬  黒岩 清子
狐花生家にごんが見えさうな      愛知  黒岩 宏行
届きたる傘寿の祝ひ新走り       東京  黒田イツ子
猫太る港に鰯零れ落ち         神奈川 小池 天牛
花野行く模型のごとき五能線      東京  髙坂小太郎
二度三度母屋を巡り燕去ぬ       東京  小寺 一凡
烏賊焼の串の天指す秋祭        千葉  小森みゆき
無言程怖きもの無し秋の闇       神奈川 阪井 忠太
むくげ垣にはかに道に紅させり     北海道 坂本  城
青空を小さく揺すり竹を伐る      長野  桜井美津江
見渡せば合掌村の豊の秋        東京  佐々木終吉
金木犀の香に活力を貰ひけり      群馬  佐藤さゆり
柘榴割れ笑顔もどこか恐ろしき     東京  島谷 操
福島に何の罪ある稲の花        東京  清水 旭峰
来し方の悲喜こもごもや小鳥来る    千葉  清水 礼子
草原に吾も居るよと吾亦紅       群馬  白石 欽二
寂寥や上枝の風の虚栗         東京  須﨑 武雄
鳥からも相手にされぬ捨案山子     岐阜  鈴木 春水
秋晴の端つこにゐて深呼吸       千葉  園部あづき
身を反らし仰ぐ大仏秋高し       埼玉  園部 恵夏
思ひ出はふるさとに置き鳥渡る     東京  髙城 愉楽
読みさしを伏せて見上ぐる宵の月    福島  髙橋 双葉
秋風や湖底に沈む我が母校       埼玉  武井 康弘
疎開てふ言葉は遠し柿をむく      東京  竹花美代惠
秋蒔きの種袋先づ振りてみし      神奈川 多丸 朝子
サフランの蕊の燃え立つ窓辺かな    広島  藤堂 暢子
うそ寒し記憶の箱の蓋開かず      埼玉  内藤 明
虫の音の俄に響く雨後の庭       神奈川 長濱 泰子
輪に入りて遅れとらずに盆踊      京都  仁井田麻利子
十六夜の幽冥の府や平泉        東京  西  照雄
本音まだ言ひ足りぬまま石榴の実    宮城  西岡 博子
鬼灯や鳴らせた記憶無いやうな     東京  西田有希子
鯉跳ねて水輪重なる秋日和       神奈川 西本  萌
豊穣の後の刈田となりにけり      静岡  橋本 光子
地下鉄を上がれば釣瓶落しかな     東京  橋本 泰
ぼた餅の数に先祖も秋彼岸       神奈川 花上 佐都
竹伐りて間合ひよろしき風の筋     長野  馬場みち子
小鳥来る障子開けてと言ふ遺影     千葉  針田 達行
売る家は父の家なり障子貼る      神奈川 日山 典子
鷹渡る島の灯台目印に         千葉  深澤 淡悠
単線の行き違ふ駅稲穂垂る       福岡  藤田 雅規
残暑かな首巻きタオル再度替へ     東京  牧野 睦子
数珠玉を入れしお手玉軽きこと     東京  幕内美智子
群れが群れ呼ぶ椋鳥のねぐら入り    東京  丸山真理子
鈍行の堅き座席の良夜かな       東京  棟田 楽人
仏さまへあげてけさいと今年米     宮城  村上セイ子
雑踏にかき消されゆく社会鍋      東京  家治 祥夫
曼珠沙華大数珠廻す阿弥陀堂      群馬  山﨑 伸次
何度目か無沙汰詫びたる秋彼岸     神奈川 山田 丹晴
二筋の飛行機雲や秋の空        群馬  横沢 宇内
肌寒き堂の板の間龍鳴けり       神奈川 横山 渓泉
猪の大鍋囲む猟仲間          千葉  吉田 正克
秋の日の翳りは少しづつ午後へ     山形  我妻 一男
同色のマフラー編みしのち夫婦     東京  若林 若干
まだ歩くまだまだ歩く敬老日      東京  渡辺 誠子



























星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

他人事のやうに思へて敬老日        中込 精二
この感じは私にも覚えがある。もうすっかり老人なのだけれど、敬老会の案内が来るわけではないし、まだ先のことなのだろうと思っている。でありながら、渋谷などで飲んでいると、ぐるりと居酒屋の中を見渡して、自分より年上はいるだろうか、と見ると‥‥いない。五六年位前からそうしているのだが、渋谷には私より年長の飲み助はいない。やはり私は老人なのである。そんな微妙な感覚の句だ。


待ち侘びしやうに飛び付く牛膝       たなかまさこ
ここ数年、関東の城跡巡りをしているが、山城が多く、晩秋から冬にかけては、よく牛(いのこ)膝(ずち)を付けて戻ることがある。しっかりと付着していて剝ぎ取るのが厄介である。種を伝播する力は凄いものだと思う。まさにここで会ったが百年目、という気迫があるようだ。


色変へぬ松や手児奈の名残の井       北爪 鳥閑
水原秋櫻子の第一句集『葛飾』を見ると、氏が幼少の頃よく来ていた真間と、今の真間は随分変わってしまった、という。出版したのは昭和五年であるから、そこから更に九十年以上経ていることになる。周囲の風景は大いに変化したが、名残はある。「色変へぬ松」は、季節が変わっても松は緑を保っていることをいうのだが、この句の場合は手児奈の悲しい物語は今も色褪せないということに懸かってくるように思われ、そこがこの句の眼目である。同時出句の〈あいまいな里山の地図虚栗〉は細道で繫がる集落の雰囲気をよく摑んでいるようだ。


秋深し言ひたき事を追伸に         横地 三旦
同一民族であったからか、日本人の表現方法は曖昧で、以心伝心とか、素振りで察するとか、目で解るとか、忖度するとか、難しいところがある。私は個人的には悪いことではなく、面白いと思っているのだが、今のように国際化が進む時代には通用しなくなってきそうである。手紙にしても本当に言いたいこと、訴えたいことは、追伸で手短かに伝える。「秋深し」にしみじみとした奥床しさが滲む。


北国に母ひとり居り鱗雲          山室 樹一
「鱗雲」は郷愁を誘うものである。何故か解らないが、この作者と同じように私も故郷の空を思い出すのである。北国であれば冬も近い頃であろう。残してきた母を思う。句は「母ひとり居り」としか言わない。そこまでに止めてあとは読み手に任せたのがよかったのだと思う。夫々の胸の中の母が甦るのである。同時出句の〈秋風や罅深くなる飯茶碗〉も、「罅深くなる」に感性の良さがある


各々が深夜便聞く夜長かな         藤井 法子
秋というものは自分を見直す気持にさせるもののようだ。一人を楽しみたい気分になる。各々が自分の部屋に入り読書をしたり、ラジオを聞いたりする。この句では同じラジオを別々の部屋で聞いているという。そこが夜長という季語の本意の一つに近づいているところである。


首傾げ探る仕草もけらつつき        池内とほる
啄木鳥が首を傾げるのは洞の中の虫の動きや気配を察知するためではないか、という。単に意味のない仕草であったのかもしれないが、そうなのだ、と断定したところがこの句の良さである。


面影の有り無し問はず菊人形        伊藤 真紀
確かに頼朝だ義経だ、といっても菊人形のその顔は時代考証をして作るわけではなかろう。マネキンの首の中からそれらしい物を選ぶのではなかろうか。菊人形を見ながら、そのようなことに思考が行く作者の目がなかなか面白いのである。


佇みて露の声きく鈴ヶ森          加藤 且之
旧東海道の一角に鈴ヶ森刑場跡がある。敷地は国道や住宅地に取られて、森という面影は無い。小さな寺があり、磔の柱を立てる凹みのある台座や供養碑があるだけだ。だが江戸時代を通じて、どれだけの人が刑場の露として消えていったことか‥‥。作者は声無き声を聞いたのだ。


大方の薬舗はビルに神農祭         杉島 久江
長いこと俳句を見てきたが「神農祭」の句は初見である。大阪道修町の十一月二十二、三日の行事で、薬神の少彦名命と中国の神農氏も祀るという。江戸時代に輸入薬の問屋ができ、幕府公認の株仲間が結成され、今も百五十社ほどが軒を連ねるという。今は大方がビルになっている、というのがこの句の眼目。近代的ビル群の中の小さな祭、というのがまた味わいだ。


その他印象深かった句を次に
空の色編むかに垣の牽牛花         箕浦甫佐子
つくづくと壺中の我や星月夜        平野 梗華
秋声や柱時計の八角形           住山 春人
粗壁に影くつきりと柿簾          倉橋  茂





















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(84)          
花杏このごろ父は泣き易し

 妻が死んだ翌年、次女杏子が結婚した。披露宴の会場に遺影を飾った。歳を重ねてきたこともあってか涙もろくなってしまっている。最後の挨拶では娘二人と抱き合って泣いてしまった。娘の名前は、長女は桃子、次女は杏子と花の名前を付けた。桃も杏も花を愛でられ、果実も喜ばれる。桃の実は素戔嗚尊が黄泉の国から逃れるとき、桃の霊力で追手を退散させている。杏の種は薬にもなる。そのようなことを色々頭を巡らせて考え出したのであった。長女の結婚式の折の句は〈桃咲くや嫁す日も父は酒臭し〉であった。まだまだ毒気が抜けていない頃である。冒頭の次女の時になると少し弱っている。人生は誤魔化しがきかないものである。同じ花を見ても毎年違う句ができるのは、その花を見る自分の人生に変化があるためである。だから俳句は死ぬまで作り続けることができるのだと思う。女の子の孫が二人いる。莉子と華子と各々花の名前である。嫁ぐまで生きているかどうか。

滝壺の底は根の国さくら散る

 師の皆川盤水から「頭で俳句を作るな。写生に徹せよ」、そのためには「吟行をすること」と言われて育った。今もそれは忘れずに守っているつもりである。どこかに吟行した時に物をしっかり見て、目と胸に焼き付けておくことが大事だ。その時の句会で成績が悪くても失望しないことだ。見たものを頭の中に蓄積してあればそれで十分意味がある。また訓練をすれば、その光景を漢方薬店の百味箪笥のように頭の抽出しに整理整頓して仕舞っておくのである。一年後なのか何年後なのか、席題が出たときなどにその抽出しを開くのである。実際の吟行時には作れないままであったものが、時を置いてその席題と合致して一句が成立することがあるものだ。さて「根の国」とか「黄泉」ついては、出雲の旅をした折に「黄泉平坂(よもつひらさか
」についという石門を訪ねた。素戔嗚尊はここから現世へ逃げ帰ったという。そういう具体的な「物」をみたことで自分の言葉として身に付いたのである。









     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。


haishi etc
↑link

















銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


















 



   













掲示板





















               
 
     

主宰日録  

  
10月

 10月13日(木)
岩野歯科にて治療のあと、発行所。柴山つぐ子さんに上京して貰い、句集の最終校正に遅れて参加。帰路、思い出横丁で小酌。帰宅してまた小酌して19時には寝てしまう。

10月15日(土)
昼過、岡山着。「ヴィアイン岡山」に投宿。岡山城、後楽園を散策。あと「成田家」という居酒屋に入る。大当り。刺身盛り合わせ、黄ニラの卵とじ、ヤリイカ酢味噌、ふぐ唐揚、わたり蟹、ビール、酒2杯。勘定4,500 円に驚く。あと、「やじろべぇ」という店を梯子。

10月16日(日)
6時起き、講演の確認など。11時、岡山国際文化交流センターにて「岡山県俳人協会総会」。講演、選評他。清水佳壽美、西田鏡子、杉島久江さんが大阪から来て下さる。聴講800人と。あと、曽根薫風会長他幹事のご案内で「飛鳥」という店。瀬戸内の小魚料理、旨い!

10月17日(月)
10時過、備中高梁。タクシーでふいご峠。歩いて備中松山城。自然の岩山を利用した見事な石垣。天守もいい。下山して武家屋敷。頼久寺の庭を見る。帰路は総社から吉備線(桃太郎線)に入り、吉備津神社を拝し、岡山へ戻る。駅ビルで牡蠣フライとビール。

10月18日(火)
金木犀が2度咲か。旅のあとにて郵便物の返事や選句等で午前中終わる。読売新聞のコラム1本書く。水原秋櫻子についての資料作成。到来の秋刀魚焼く。10本。

10月19日(水)
「銀漢」発行所に年会費の振り込み用紙の印刷済みの束を届ける。17時半、「夕焼け酒場」。高校同期の「三水会」7人。

10月21日(金)
14時から16時、調布。俳句講話「水原秋櫻子」。あと竹内御夫妻、井蛙さんと「蛙之介」で歓談。

10月22日(土)
久々、農家の野菜買いに。ほうれん草、いんげん、胡瓜、茄子など。ごぼうと蒟蒻の炊き合わせ。乾佐知子さんの本の原稿の点検。

10月23日(日)
10時半、小田急線向ヶ丘遊園駅。「宙句会」の生田緑地吟行に誘っていただく。桝形城址。生田長者穴横穴墓群、谷戸、日本民家園、晩秋の風景佳し。吟行の下見に来ていた「磁石」の冬真、央子夫妻と会う。あと喫茶店で5句出し句会。14人。あと「かまどか」で親睦会。馳走を受く。新しい会員も入って楽しい1日。

10月24日(月)
両国の東京都慰霊堂を拝し、16時半、「第一ホテル両国」。「白魚火」の通巻800号記念祝賀会。鈴木しげを、片山由美子、櫂未知子、井上弘美さんと同席。

10月25日(火)
「銀漢」12月号の選句。夜、「雪月花」。まほ、文子さんなど。WEP俳句通信へ10句送る。

10月26日(水)
読売新聞「俳句あれこれ」のコラム1本。宮澤氏の誕生日で鰤しゃぶ。希望ありとて用意。

10月27日(木)
終日机。「銀漢」12月号の選句、選評。鶏鍋。

10月29日(土)
新幹線、羽越線を乗り継いで昼、鶴岡駅着。快晴。出羽三山神社の中野氏が法螺貝で迎えてくれる。「羽黒山全国俳句大会」子供の部。選評など。あと、合祭殿にて正式参拝。あと中野氏に鶴岡市内の「庄内ざっこ」迄送って貰う。「月の匣」の水内慶太、本行寺の加茂一行住職が句会で来ていて合流。はたはた料理でこんなに旨い物は初めて。他の料理も見事。ゆきのほたるさんに送って戴き、「休暇村庄内羽黒」に泊まる。

10月30日(日)
雨上がり。紅葉が美しい。温泉佳し。朝食の蕎麦粒のおかゆ佳し。中野氏の迎えで五重塔拝見。昨日に続き、いでは文化記念館で「羽黒山全国俳句大会」。講演。午後、募集句、当日句の選評。15時、終了。16時過、宿泊の「ショウナイホテルスイデンテラス」に荷を解く。18時より宮野宮司、吉住参与、中野さん、市の神林さん、角川の藤村さんとレストラン「ムーンテラス」で食事会。甘鯛の松笠揚佳し。

 10月31日(月)
6時起、ゆっくりサウナ。水田に囲まれた不思議な宿。部屋の作りも変わっている。朝食中に北原泰明君が到着。夜中の2時に幕張を出たという。9時発、月山の冠雪、紅葉を見て、山形市へ。山形城。あと二本松城。これは実に素晴しい山城。本丸跡から安達太良山、阿武隈を一望。泰明君は疲れたとて車中。「郡山ワシントンホテル」に入る。郡山の町を散策。ホテル近くの「大町酒場いっぽ」という店で飲む。鶏刺佳し。18時、「居酒屋安兵衛」に入り、泰明君を呼ぶ。鯉のなめろう、大なめこの天婦羅、するめと人参漬、佳し。別れて芭蕉小路の中の「比内や サスケ」という蔵造りの店。あとラーメン。これはいけません!

11月

 11月1日(火)
7時半発。安達太良山ロープウェイ。紅葉見事。海沿いに帰るというので、いわきで下りてもらい、磐城平城城跡へ。あと小名浜漁港で乾物など少々入手して、夕方、西船橋で別れる。帰宅して、読売新聞「俳句あれこれ」のコラム2本、松本さんへ送る。

 11月2日(水)
快晴。6時過から「銀漢」12月号「彗星集」の秀句の選句選評。芙紗さんに送る。「俳句てふてふ」歳時記の正月の部の校正。いづみさんへ送る。

 11月3日(木)
「銀漢」新年号の「盤水の一句」「自句自解」など。「銀漢賞」の選考など。夜、近くの佐藤さん一家来る。私は郡山で覚えたするめと人参漬。和布サラダ、ごぼうの胡麻まぶし、ニラのお浸しなど作る。

11月4日(金)
13時、大久保地域センターにて乾佐知子さん、草思社の渡邊大介氏と曾良の本についての校正と検討会。結局、17時まで4時間に及ぶ。

11月5日(土)
13時より「銀漢賞」応募作46篇、「星雲賞」応募作20篇の第1回選考会。杉阪、禪次、眞理子、静男(欠席)、秋葉男司会。あと運営委員会。麦、井蛙参加。16時半、神保町「新世界菜館」にて編集部事業部メンバーと慰労会。21人。あと、「しちふく」10人程。

11月6日(日)
伊那の講演「井月と一茶」のテープ起こし(井蛙さん)の2回目の校正。「銀漢」1月号に掲載予定。長女桃子の誕生日にて気仙沼の生牡蠣取り寄せ。生食と蒸し、土手鍋の用意。裕太さん一家来宅。雑炊佳し。
 
  11月7日(月)
「銀漢」12月号の校正。武田氏へ投函。眼科検診。白内障が出ていると。今日はポン酢で食べる牡蠣鍋に。

11月8日(火)
天気良し。思い立って増上寺、三解脱門の一般公開を見る。徳川将軍家の御霊廟も。浜松町の「世界貿易センタービル」が解体中。27歳でオリックスに中途採用で入社した時の本社。46年前が感慨深く思い出される。近くの焼き鳥「秋田屋」は健在。小酌あと新橋まで歩いてみる。飲食街健在。2軒ほどに寄る。

11月10日(木)
酒残る。「春耕賞」応募30篇の選句。八戸「たかんな」30周年記念俳句大会の選句。牡蠣のバターソテー。ルッコラと茸、ベーコンのサラダ。酒は少々とする。

11月11日(金)
夜中に起きて「銀漢賞」予選通過作品を再点検。




















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2023/1/24 撮影  蔓日々草   Hachioji







花言葉      「優しい」 「思い出」
△蔓日々草
ツルニチニチソウという名前は、ニチニチソウにそっくりな花を咲かせ、ツル性であることが由来しています。
冬でも緑色の葉っぱをつけている常緑植物であることから、古代ヨーロッパでは「悪い物を寄せつけない」「繁栄と幸福をもたらしてくれる」といい伝えられています。

梅擬 菜の花 白梅 紅梅 寒椿
寒椿 犬ふぐり 黄梅 落椿 ザクロ
 マサキ 水仙 蔓日々草





写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2023/1/25更新








HOME