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 2月号  2022年

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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句











        
             

             
             

    

今月の目次









銀漢俳句会/2022/2月号



















銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎流山と一茶

 常磐線の馬橋から流山電鉄という二両編成のよく弾む電車が出ている。僅か六駅先の終点が流山である。江戸川の川港で、江戸に近いこともあり、醤油、味醂の一大生産地として繁栄した。味醂についていうと、今台所にある白味醂を開発したのがこの流山で、堀切家の万上味醂と、秋元家の天晴味醂が二大蔵元であった。万上味醂は現在はキッコーマンの傘下にある。天晴味醂は変遷を経て三楽オーシャンに吸収された。
小林一茶は江戸末期、二六庵竹阿の二代目を名乗って各地を歩いたが、弟子筋は今の千葉県が多い。その中でも先述の天晴味醂の蔵元、秋元双樹は最大のパトロンであった。一茶の部屋を用意して歓待してくれるので実に五十数回訪問を重ねている。一茶の生涯を見るとき、一番幸せな時間を過ごせる旅先であったと思われる。〈夕月や(ながれ)残りのきりぎりす〉があるが、丁度江戸川氾濫により町が水害に遭ったときで、「流」には流山の地名をかけてあるように思われる。双樹との間には〈豆引や跡は月夜に任す也 双樹〉〈烟らぬ家もうそ寒くして 一茶〉などの連句を残している。
 一茶は十五歳の時、継母に追われるようにして江戸に奉公に出た。江戸では少々名の出たあともそれほど幸せな生活ではなかったように思われる。たとえば句友で札差の夏目成美の向島の別宅に招かれた折、不運なことに泥棒が入り一茶は嫌疑を掛けられて数日足止めを喰うという屈辱を味わっている。郷里の弟が守る家屋敷の分与を執拗に狙ったのも江戸の貧乏生活の裏返しであった。弟は勤勉に働いて、一茶が家を出た時よりも遥かに財産を増やしていたのだが、その半分を要求したのであるから、一茶贔屓からみても理不尽である。弟が畑仕事に出ている間に病臥の父から証文を取ってしまったのであった。〈椋鳥と人に呼ばるゝ寒さかな 一茶〉がある。当時の江戸の町民は秋も深まると「そろそろ椋の来る頃だ」と言う。この「椋」とは信州、越後あたりからの出稼人を指す。農閑期に風呂炊きや米搗きなどの重労働に就くために峠を越えてくる。薄汚れたなりで、訛があり、白米が嬉しくて大飯食らいなのでその名が付いたのであった。一茶は奮闘したけれど江戸で一家を構えることができず、命懸けで弟との財産争いに臨んだのであろう。流山の一茶双樹記念館は流山市が小林一茶寄寓の地に指定して買い上げ、解体調査の上、復元し、平成七年(一九九五)に開館した。
 流山における一茶の句を紹介しておく。
畠打の顔から暮るゝつくば山
行秋をぶらりと大の男哉
 














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男  
 
嶺の風寒天小屋の戸を鳴らす         皆川 盤水
 
長野県茅野市から諏訪にかけての一帯 が寒天作りに適しているという。寒天小屋で天草を煮て、刈田の上に棚を作って干す。雪が降らず適度な風が吹き、夜は氷り、昼は溶けるという、寒暖の差が大事である。俳句を始めた頃訪ねたことがある。作業の方に聞くと、毎年旭川から出稼ぎに来るという。試しにどっちが寒いかと聞いてみると、意外なことにこっちの方が寒いという。多分この句のように建て付けの悪い粗末な造作の小屋のせいではないかと思った。(平成十九年作『凌雲』所収)


 


 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

蒼天へ螺旋のひかり鷹柱            西田 鏡子
誰彼のゐぬ世に残り落葉掃く          半田けい子
山峡に荒星の増え猟期来る           多田 美記
雀化し蛤つひに碁石にも            戸矢 一斗
伝へたき言葉あるやう帰り花          山田  茜
鴨群れて字画乱るる心字池           針田 達行
母貼りしままに生家の障子古る         伊藤 庄平
セーターや十指編機として動く         松代 展枝
牧の秋嚙まれて温き馬の息           中村 藍人
雪浅間御魂鎮めて観音堂            佐藤 栄子
逆様に振つて取り出す千歳飴          戸矢 一斗
参道は蒸し牡蠣の香の神の島          白井 飛露
しばらくは欅に仕へ落葉掃く          深津  博
叡山へ二駅ほどの片しぐれ           杉阪 大和
猟犬のはるかへ動く耳ふたつ          坂口 晴子
妻恋ひの鹿に帰るは谺のみ           伊藤 庄平
蹴ちらしてよろめく笑ひ茸らしき        坂口 晴子
暮早し板絵のやうな富士の影          大溝 妙子











    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

蒼天へ螺旋のひかり鷹柱          西田 鏡子
私事だが三十年位前に日本野鳥の会に入っている友人と伊良湖岬の鷹渡りを見に行ったことがある。度々先導役と思われる鷹が旋回しながら上空の様子を見に行くのだが、風が強い日であったためか、その日は渡りを実見することはできなかった。〈鷹一つ見付けてうれしいらご崎 芭蕉〉は鷹が密集するこの地で、名古屋の米相場で不正取引をしたという罪で所払いにあった杜国を見付けた喜びの句である。さてこの句、何といっても「螺旋のひかり」の把握力である。一斉に旋回しながら上空の風を捉えに行く。その上昇の一瞬を捉えた秀作である。 


誰彼のゐぬ世に残り落葉掃く        半田けい子
親類、知友が先立っていくのは生き物の免れ難い節理である。七十を過ぎた私にも今年何人もの別れがあった。五年位の単位で見たら、もう名前さえ朧である。この句は一人ではなく、もう名前も不確かになっていく知友を一括して「誰彼」と呼んだのであろう。人生の年輪というものが作らしめた味の深い俳句ということになろう。


山峡に荒星の増え猟期来る         多田 美記
冬が深まるにつれて猟期が近づく。解禁日は決っているのだが、猟師も猟犬も天候や山容の変化で体感していくのであろう。空気が次第に澄んで冷気も増す。見上げると星の光も明瞭になる……。「荒星の増え」が決め手。


雀化し蛤つひに碁石にも          戸矢 一斗
これは凄い句だ。雀化して蛤になるまででは終らない。その蛤の殻は、くり抜かれて磨かれて碁石の白石となる。空想の故事を抽いて、そのあと現実のこととして碁石になるという第三段階へ発展させた技倆は並大抵のことではない。この奇想天外の発想は大事にしてほしい。


伝へたき言葉あるやう帰り花        山田  茜
小春日の頃ひっそりと咲く帰り花。その様子を、言い忘れていたことを伝えたくて戻ってきたようだ……と擬人化した抒情句である。帰り花に故人の面影を見ることもある。ふと声を掛けてみたくなることもある。そんな思いが一句に凝縮したのであろう。


鴨群れて字画乱るる心字池         針田 達行
「心字池」とは「心」という字の草書体にかたどった池で、京都の桂離宮や西芳寺のものが知られている。心の平穏を求める思想から出てきたものであろうが、この句ではその池で鴨の群が一騒ぎをしている。作者はその騒ぎに池の字画が乱れてしまうのではないか、造園者の求めた心の平穏も搔き乱されてしまうのではないか、と心配しているのだ。


母貼りしままに生家の障子古る       伊藤 庄平
もはや破る人もいないままの生家。障子は黄ばんでいく。 


セーターや十指編機として動く       松代 展枝
十本の指を機械の一部と見立てた機知句。


牧の秋嚙まれて温き馬の息         中村 藍人
「嚙まれて温き」の把握は上手。牧の大景も想起される。 


雪浅間御魂鎮めて観音堂          佐藤 栄子
噴火の犠牲となった鎌原。浅間の雪が鎮魂として降る。 


逆様に振つて取り出す千歳飴        戸矢 一斗
異様なまでに大きな袋だけにこの描写に滑稽感が滲む。


参道は蒸し牡蠣の香の神の島        白井 飛露
安芸の宮島巌島神社の嘱目か。名物の季節の香。


しばらくは欅に仕へ落葉掃く        深津  博
欅も大樹となると神威を持つ。「仕へ」に実感がある。


叡山へ二駅ほどの片しぐれ         杉阪 大和
叡山鉄道であるか、坂本ケーブルか。「片しぐれ」がいい。


猟犬のはるかへ動く耳ふたつ        坂口 晴子
狩猟に気負い立つ猟犬の敏感な動作を的確に捉えた。


妻恋ひの鹿に帰るは谺のみ         伊藤 庄平
鹿の鳴声が哀れなのは晩秋。まさに季語の本意の句。 


蹴ちらしてよろめく笑ひ茸らしき      坂口 晴子
作者は思わずよろめく。もはや毒に当ってしまったか。 


暮早し板絵のやうな富士の影        大溝 妙子
江の島辺りから見る日没時の富士は凹凸の無い板絵。

 







      







銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

大三島六句
小鳥来る神事終へたる斎田に      東京  飯田眞理子
みな戻るまで松茸は仏壇に       静岡  唐沢 静男
久闊の人と逢へるも翁の忌       群馬  柴山つぐ子
行く秋の旅の帰りを鈍行に       東京  杉阪 大和
色鳥の色を称へて名を知らず      東京  武田 花果
返信のなき一年や雁渡る        東京  武田 禪次
地歌舞伎や秩父も奥に来てゐたり    埼玉  多田 美記
対岸も芋煮てゐたる最上川       東京  谷岡 健彦
どんぐりは山猫軒の支払ひに      神奈川 谷口いづみ
菊人形お伴の曾良は小さめに      長野  萩原 空木
天高し詩の国に買ふインク壷      パリ  堀切 克洋
高鳴きのあれは牡鹿の恋のこゑ     東京  松川 洋酔
火の恋し三日目となる妻の旅      東京  三代川次郎
   












         





綺羅星集作品抄

           伊藤伊那男・選

百号の故山に出会ふ美術展        和歌山 笠原 祐子
青空も紅葉も画材なる上野        東京  辻本 芙紗
晴れてさへをれば消えたる秋思かな    高知  神村むつ代
絵図に見るそのままの松色変へず     東京  田家 正好
猪垣の門の付きたる先祖墓        東京  福原  紅
焦げし石組み直しては芋煮会       東京  島  織布
種火ごと大鍋借りる芋煮会        東京  多田 悦子
新ばしり先づ献杯を古稀の宴       神奈川 伊東  岬
みづ浴びの雀ほどなく蛤に        東京  橋野 幸彦
白滝を買ひに戻れる時雨かな       埼玉  戸矢 一斗
新藁の土俵の匂ふ八幡宮         東京  中野 智子
消火器を土間のくらきに神楽宿      長崎  坂口 晴子
落葉降る枯山水の谷深く         東京  保田 貴子

触れぬまま大玉過ぐる運動会       埼玉  秋津  結
聞いてやることしかならずそぞろ寒    東京  飛鳥  蘭
家系図に偲ぶよすがや長き夜       宮城  有賀 稲香
搾り出す絵具のままの秋野かな      東京  有澤 志峯
霜囲藁の寝ぐせもそのままに       神奈川 有賀  理
吹かれゐて矜持保てぬ木の葉髪      東京  飯田 子貢
慶喜の墓所にて釣瓶落しかな       東京  生田  武
宿坊のくらき灯も入る茸汁        埼玉  池田 桐人
登高や里も都心も手のひらに       東京  市川 蘆舟
行間より稲の香ほのと農日誌       埼玉  伊藤 庄平
梵字とも見ゆる花弁や曼珠沙華      東京  伊藤 政三
蛤になりそびれたる痩せ雀        東京  今井  麦
濡れ縁の音もなく濡れ冬めける      埼玉  今村 昌史
投函の音に十一月の文          東京  上田  裕
秋惜しむ鈴緒の五色ゆると振り      東京  宇志やまと
接心の障子を閉ざす石蕗の花       埼玉  大澤 静子
小鳥くる一茶寄寓の縁側に        東京  大住 光汪
運針は目よりも指で毛糸編む       神奈川 太田 勝行
灯火親し一書の声に耳すます       東京  大沼まり子
一合の飯噴きこぼる波郷の忌       神奈川 大野 里詩
小春日の半眼に入る淡海かな       埼玉  大野田井蛙
青空に影さす十月桜かな         東京  大溝 妙子
朝冷や血圧測り直し見ぬ         東京  大山かげもと
ぎんなんの掃き寄せてある根方かな    東京  岡城ひとみ
燈火親しまた負けさうな七並べ      東京  小川 夏葉
自愛言ひ合ふ秋の蚊にくはれつつ     宮城  小田島 渚
岬なる陸の舳先の秋の潮         宮城  小野寺一砂
音にぶく竹が竹打つ崩れ簗        埼玉  小野寺清人
秋の夜の身を案じあふ電話かな      東京  梶山かおり
どの口も唇もたず虎落笛         愛媛  片山 一行
影山風子さんを偲ぶ
漂流郵便局私書箱風子への賀状      東京  桂  信子
釣瓶落し闇に埋るる摩崖仏        静岡  金井 硯児
奈落めく懸崖菊の花の下         東京  我部 敬子
墓仕舞ひ十日の菊の香りけり       東京  川島秋葉男
部屋中に夜具綿広ぐ母の背や       千葉  川島  紬
描くものの商ひ難し十日夜        長野  北澤 一伯
凩の子分が通る隙間かな         東京  絹田  綾
もみぢして楷太々と孔子廟        東京  柊原 洋征
今朝の冬駅伝に聞く故郷の名       神奈川 久坂衣里子
跳ね癖は抜けずに雀蛤に         東京  朽木  直
素うどんを腹へをさめて一の酉      東京  畔柳 海村
小鳥来るそろばん教室廃れずに      東京  小泉 良子
だんだんと枝になりゆく鵙の贄      神奈川 こしだまほ
蔦紅葉音楽室の窓辺まで         東京  小林 美樹
親方は父親らしき松手入         東京  小山 蓮子
海山の深みゆく黙冬隣          宮城  齊藤 克之
柄の長き鉞半島冬に入る         青森  榊 せい子
支へ合ふ人という文字村小春       長野  坂下  昭
時雨忌や怒濤岩かむ親不知        群馬  佐藤 栄子
朴落葉牧舎の朝をざわめかす       群馬  佐藤かずえ
浮いてゐる釘打つことも冬支度      長野  三溝 恵子
行く秋や急行に乗り換へずゐて      東京  島谷 高水
空と地を貫く棒の中ににほ        兵庫  清水佳壽美
片時雨魚板の音をくぐもらせ       埼玉  志村  昌
耳奥に鬨の声聴く枯野かな        千葉  白井 飛露
筑波嶺に風の形の渡り鳥         神奈川 白井八十八
ルルド窟模すも聖地や小鳥来る      東京  白濱 武子
山の端は善光寺道初雪来         東京  新谷 房子
松手入仕上げは軍手取りてより      大阪  末永理恵子
日の暮れは背戸に始まり烏瓜       静岡  杉本アツ子
小鳥来る厚き図鑑の目次より       東京  鈴木 淳子
乾燥芋食うて疎開児想ひけり       群馬  鈴木踏青子
枯椰子のささくれの空帰燕かな      東京  角 佐穂子
行く秋の風のひびきを吊橋に       東京  瀬戸 紀恵
炊き上げて赤子の匂ひ今年米       神奈川 曽谷 晴子
朝風呂の楽しみのある夜なべかな     長野  髙橋 初風
富士見えぬ富士見坂より冬の月      東京  高橋 透水
口笛は風の音せり火恋し         東京  武井まゆみ
折鶴のひと折りごとに深む秋       東京  竹内 洋平
群青の空を薄めて鰯雲          神奈川 田嶋 壺中
みくじ結ふ今日も大吉天高し       東京  立崎ひかり
忘れえぬ童謡声に白秋忌         東京  田中 敬子
落葉どき宮に奉仕を募る紙        東京  田中  道
ため息のやうな泡浮く温め酒       東京  塚本 一夫
先代も当主も長寿木守柿         東京  辻  隆夫
鬱然の中の赤たる烏瓜          東京  辻本 理恵
幸不幸あざなへる縄ふと夜寒       愛知  津田  卓
くり抜きのその実うつはに柿なます    東京  坪井 研治
おでん屋の白髪それぞれ同期会      千葉  長井  哲
茸狩山を起こさぬやうに踏む       大阪  中島 凌雲
人恋し綿虫飛べばなほさらに       神奈川 中野 堯司
北窓を塞ぎ戸締り全うす         東京  中村 孝哲
すがれ虫忘れた頃に来る手紙       茨城  中村 湖童
鮭割くや手に盛るほどの塩の嵩      埼玉  中村 宗男
秋耕といふほどもなき山の畑       東京  中村 藍人
石蕗咲きぬ八一通ひし砂浜に       千葉  中山 桐里
鰯雲一駅ならば歩かうか         大阪  西田 鏡子
大小の親子に仕立て亥の子餅       東京  西原  舞
終演の余韻を包む春ショール       東京  沼田 有希
鋒の蒼天を衝く深谷葱          埼玉  萩原 陽里
柿捥ぐやうつかり終の一顆まで      広島  長谷川明子
竹箒たてかけてあり神の留守       東京  長谷川千何子
見はるかすかぎりひとりや秋起し     神奈川 原田さがみ
三の間に汲む宇治の水澄みにけり     兵庫  播广 義春
小鳥くる何処にもをらぬ青い鳥      東京  半田けい子
小春日や水琴窟に心耳の音        東京  星野 淑子
ふと目覚め生きてる鼓動虫の声      東京  保谷 政孝
仇とも夜は語るらむ菊人形        東京  堀内 清瀬
螇蚸飛ぶ落暉の色を地に移し       岐阜  堀江 美州
緩効性肥料のごとき冬日差す       埼玉  夲庄 康代
建国の日口をつく歌今もなほ       東京  松浦 宗克
富士山を半分隠す霜囲          東京  松代 展枝
田の神の下がり目尻や秋桜        京都  三井 康有
ほほゑみの母の生涯枇杷の花       東京  宮内 孝子
唐十郎文化功労者選出
アングラに日の当たりたる文化の日    神奈川 宮本起代子
寝べき夜を空高々と後の月        東京  村田 郁子
親鯨汽笛の如く潮吹ける         東京  村田 重子
牡蠣小屋でみな燻されてゐるところ    東京  森 羽久衣
小鳥来る泉にいのち溢れさせ       千葉  森崎 森平
立冬の日溜り分くるベンチかな      埼玉  森濱 直之
水かけて茎石俄然生き返る        長野  守屋  明
杉原千畝記念館にて
秋爽や命のビザのインク染み       愛知  山口 輝久
踏み入りし山の匂ひや冬来る       群馬  山﨑ちづ子
まつろはぬ氏か御饌田の稲雀       東京  山下 美佐
ありがたく法話聞くのも冬仕度      東京  山田  茜
藁ぼつち灸さながらの峡田かな      群馬  山田  礁
もの思ふときの頰杖火恋し        東京  山元 正規
一穢なき高野の空へ松手入        東京  渡辺 花穂
水琴窟色なき風の寺に聞く        埼玉  渡辺 志水

















銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

どんぐりは山猫軒の支払ひに       谷口いづみ
宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』を題材に取った滋味のある句だ。狩に来た二人の紳士が山中の西洋料理店に入るのだが、実は山猫の経営する店で、客を料理してしまう怖い店なのである。その童話を模して花巻の宮沢賢治記念館に山猫軒なる店がある。その現実のレストランの支払いをどんぐりで済ませようという洒落た趣向の句。同時出句の〈木曾三川の雀あらかた蛤に〉も感嘆した作品。三川の横が桑名であるだけに、固有名詞の斡旋が巧み! 


天高し詩の国に買ふインク壺       堀切 克洋
パリ在住の作者なので「詩の国」はフランスであろうか。すぐに思い出すのは萩原朔太郎の〈ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し……〉。朔太郎の詩は五月の朝のしののめの頃だが、掲出句は秋。青いインクであろうか。詩の国のインク壺と秋天の取合せは秀逸だ。ちなみに私はモンブランのミステリーブラック。ちょっと現実的な話だが一壺三千円!


百号の故山に出会ふ美術展        笠原 祐子
美術館を見て廻ると、自分の故郷の風景を描いた百号の大作があったという。絵の中の「故山に出会ふ」がうまいところである。「美術展覧会」の季語は大正三年に始まった二科展から詠まれたようで〈蟷螂の如き裸婦見て二科を出づ 山口青邨〉あたりが初出のようだ。 


青空も紅葉も画材なる上野        辻本 芙紗
この句は美術展ではないけれど、芸術の秋の上野の山を詠んだ秀逸である。秋の上野はすべてが「画材」だというところが面白い。美術館も博物館もあり、芸大生もいる。まさに豊富な画材の一山である。 


晴れてさへをれば消えたる秋思かな    神村むつ代
「秋思」とはいかなるものか?「もののあはれは秋こそまされ」からきているのであろう。人生の寂しさとか人間存在の哀れさ……などであろう。でもそんなのは天気のせい。晴れていれば吹っ飛んでしまうよ、というのがこの句。もったいぶって格好をつけても駄目よ、ということか。 


絵図に見るそのままの松色変へず     田家 正好
東海道五十三次」や「江戸名所図会」などの浮世絵に描かれた松が有って、今現在も残っているという。確かに有っても不思議ではない。句はそれだけではなく「色変えず」と納めていて、そこがこの句の要である。図会に有った松がそのまま晩秋にも鮮烈な色を保っているという所がうまい。


猪垣の門の付きたる先祖墓        福原  紅
東京の近郊でも、たとえば丹沢山麓などを歩くと、ずい分猪がいる感じで、蚯蚓を掘った穴が沢山ある。また猪の皮が干してあったりする。猪垣もあり、住民の被害も大きいという。この句は屋敷墓であろうか、猪垣の内にあり、蝶番の付いた出入口がある、というのが目の付け所のよさ。 


対岸も芋煮てゐたる最上川        谷岡 健彦
焦げし石組み直しては芋煮会       島  織布
種火ごと大鍋借りる芋煮会        多田 悦子
芋煮」が季語になったのは〈月山の見ゆと芋煮てあそびけり 水原秋櫻子〉あたりからであろう。私がたまたま米沢に行ったとき、最上川の河原一杯に芋煮会が繰り広げられていることに驚いたことがある。米沢は牛肉で醤油味、酒田は豚肉で酒粕と聞く。健彦句はまさに私が見た光景。織布句は細部に目の届いたいい写生句。悦子句は遅れてきたグループが鍋だけでなく、ちゃっかり焚火まで借り受けるという面白い句。


新ばしり先づ献杯を古稀の宴       伊東  岬
長寿社会になったとはいえ、七十歳ともなれば亡くなった仲間も出てきている。献杯をすることが増えてきたのである。酒好きの友であったか。「新ばしり」の取合せがいい。 


みづ浴びの雀ほどなく蛤に        橋野 幸彦
雀大海に入り蛤となる」は七十二候の一つ。秋に里雀が少なくなることを、海に入って蛤になってしまうからだ、と解釈したのだ。この句は水浴びを持ってきたことで、段々水に近づいていくと段階を辿ったところがミソだ。


色鳥の色を称へて名を知らず       武田 花果
秋に飛来する美しい鳥は種類が多く、また動きも早いので見分けることが難しい。それで「色鳥」という名称ができたのである。鳥の名前を明確に詠み始めたのは中西悟堂に教えを受けた馬酔木派の俳人からである。「称へて名を知らず」の曖昧な位が詩的でいいのかもしれない。

 その他印象深かった句を次に

白滝を買ひに戻れる時雨かな       戸矢 一斗
新藁の土俵の匂ふ八幡宮         中野 智子
消火器を土間のくらきに神楽宿      坂口 晴子
落葉降る枯山水の谷深く         保田  貴


















                






 




星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
亡き母は帯解くごとく林檎剝く      神奈川 河村  啓
帯解きの母譲りなる富士額        東京  清水 史恵
大根引くあばれたる葉をまとめては    広島  塩田佐喜子
薬石を一つ増やして冬に入る       栃木  たなかまさこ
雁道と仰ぐ山あり名を知らず       愛知  塚田 寛子
ラジオ聴く机の上の夜食かな       千葉  園部あづき
信州の風に包まれ林檎箱         東京  中込 精二
菊人形末期の水に生き返る        岐阜  鈴木 春水
木曾谷はなべて鋭角冬に入る       長野  中山  中
冬夕焼生者に早き一周忌         埼玉  深津  博
花石蕗の明かりに戻る旅疲れ       長野  藤井 法子
末枯の野に雑草の青き意地        愛知  松下美代子
柿を剝く一本道を辿るかに        東京  矢野 安美
江戸見坂駆け降りて来る落葉かな     東京  北原美枝子
不意に出る広島弁や牡蠣啜る       東京  田中 真美

熱燗やこのぐい吞みと五十年       静岡  小野 無道
来る年を見渡すごとく熊手上ぐ      東京  北川 京子
少しづつ隙間広ぐる干菜かな       千葉  小森みゆき
搔き寄せしところどころの落葉かな    東京  清水美保子
黄落や街ごと老けし喫茶店        東京  田岡美也子





星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選
            

冴返る柱時計の振子かな         京都  秋保 櫻子
ギターケース斜めに銀杏散る外苑     東京  尼崎 沙羅
額に手あてて冷たし逝く秋に       愛媛  安藤 向山
団栗は坐りの悪き悪童よ         東京  井川  敏
株のまま来る里芋ひと家族        長野  池内とほる
つくばひに映る厚雲雪催         東京  石倉 俊紀
薄紅葉まだ映えもせず川の面       東京  伊藤 真紀
猪の止め刺されし静寂かな        広島  井上 幸三
ふるさとの自慢の山のすすきかな     愛媛  岩本 青山
幼子の歩幅短し舞ふ木の葉        長野  上野 三歩
お礼肥やや厚くして冬に入る       東京  上村健太郎
切干の炊きて我家の香かな        長野  浦野 洋一
ひつじ穂にそれなりの香と重さあり    埼玉  大木 邦絵
僧正の菊ほめらるるたび合掌       東京  岡田 久男
暮早し洗濯物を取り入れる        長野  岡村妃呂子
茸狩ののちなる籠目洗ひけり       東京  荻野ゆ佑子
義仲寺の軒に駆け込む初時雨       神奈川 小坂 誠子
札所道転ぶも仏縁冬夕焼         埼玉  小野 岩雄
秩父路や秋色すすむ観音堂        東京  桂  説子
河豚の胆食うて豊後の土とならむ     埼玉  加藤 且之
裁ち鋏持つ一瞬に今朝の冬        長野  唐沢 冬朱
野口英世菊人形で古里に         愛知  河畑 達雄
秋風や夕日の綺羅の波頭         愛知  北浦 正弘
破芭蕉神田川縁番屋跡          神奈川 北爪 鳥閑
熱々の蕎麦湯染み入る冬初め       長野  北出 靖彦
倫敦の日暮は早し漱石忌         東京  久保園和美
白鳥を車窓に数へ十三湖(とさこ)へと       東京  熊木 光代
猪鍋の鉄砲玉を歯に当つる        東京  倉橋  茂
七五三山門くぐる鳩のゐて        群馬  黒岩伊知朗
添ひ寝の児あまき香りよ冬日向      群馬  黒岩 清子
凩やバスを降りれば追つて来る      三重  黒岩 宏行
日当りに寝間を移して冬支度       東京  黒田イツ子
犬放つ人影のみの冬の浜         神奈川 小池 天牛
義仲の産湯武蔵に石蕗の花        東京  髙坂小太郎
嵯峨菊や茶筅の雨に絡むやう       東京  小寺 一凡
熱き心持ちて溶かさむ冬の雨       神奈川 阪井 忠太
朝に履く靴にこはばり冬に入る      長野  桜井美津江
表札の色褪せてをり帰り花        東京  佐々木終吉
強霜や一夜に変はる庭の景        群馬  佐藤さゆり
水音もかそけくとがる今朝の冬      東京  島谷  操
春の雪覆ひ尽くせる廃炉棟        東京  清水 旭峰
冬空や天明偲ぶ鎌原に          群馬  白石 欽二
大山にはためく幟新豆腐         東京  須﨑 武雄
箱根越え霧の奈落の深みかな       愛知  住山 春人
それぞれの身の上話焚火かな       東京  髙城 愉楽
捨てられぬセーターありて毛玉取る    福島  髙橋 双葉
手を引かれ大国魂の七五三        埼玉  武井 康弘
凩に言葉つまづき消えゆけり       東京  竹花美代惠
雨催ひ鴉鳴き交ふ神の留守        神奈川 多丸 朝子
膝にさす日の暖かさ冬隣         広島  藤堂 暢子
日向ぼこ小さき声の母と居る       埼玉  内藤  明
波の彼方潮高く吹き鯨消ゆ        神奈川 長濱 泰子
旅立ちの片道切符天高し         京都  仁井田麻利子
本堂の裏手に揃ふ落葉籠         東京  西  照雄
訃報欄に思ひ寄せたる冬隣        宮城  西岡 博子
沿線に布団干す家小春かな        静岡  橋本 光子
敗荷やいよよ年金暮しの身        東京  橋本  泰
父母の顔車窓に冬の日本海        神奈川 花上 佐都
野辺送り牛舎の跡に帰り花        長野  馬場みち子
ひと筋の水尾の広ごる冬はじめ      千葉  針田 達行
児の歌の舌足らずなり野菊晴       長野  樋本 霧帆
立冬や二礼二拍手山に入る        千葉  深澤 淡悠
寒鰤を裂きし包丁脂映ゆ         福岡  藤田 雅規
秋日傘さすでもなくて荷となりぬ     東京  牧野 睦子
勝手口明かりほのかに花八手       東京  幕内美智子
秋晴や海が見たくて坂急ぐ        神奈川 松尾 守人
息白し行人坂を登る犬          東京  水野 正章
湿(しと)り失す閉園前の菊人形         東京  棟田 楽人
おのが身の影に怯えて浮寝鳥       東京  家治 祥夫
母の忌の終りて海の冬に入る       東京  山口 一滴
農機具を洗ひ揃へて冬に入る       群馬  山﨑 伸次
風を読み強きになびく秋桜        神奈川 山田 丹晴
暁に目覚めて無聊小鳥待つ        静岡  山室 樹一
浅間嶺も穏やかにくれ菊日和       群馬  横沢 宇内
小さき町に過ぐる賑はひ酉の市      神奈川 横地 三旦
秋晴や銀杏並木の画学生         神奈川 横山 渓泉
初冬や血圧測る六回目          千葉  吉田 正克
通草熟れ聖のごとし月の山        山形  我妻 一男
青空の要となりし木守柿         東京  渡辺 誠子















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

亡き母は帯解くごとく林檎剝く      河村  啓
林檎を剝く表現にはさんざん言い尽くされてきたように思っていた。だが「帯解くごとく」は初見であるように思う。「亡き母」を持ってきたところがいい。恐らくその時代の母は着物を着ていることが普通の生活であった筈で、ごく日常的な動作なのである。林檎を剝く表現の比喩の面白さと共に、母への回想が重なっているところが味わいの深さである。


帯解きの母譲りなる富士額        清水 史恵
七五三の行事の季語。子供の着物の付け紐を取って、初めて帯を締めさせる祝儀で、昔は男女共に九歳であったというが、後に男子五歳、女子七歳となった。成長と守護を願い、また社会への入口の自覚を持たせるためのものでもあった。「母譲りなる富士額」がいい。脈々として遺伝子が繫がっているところが心強い。 


大根引くあばれたる葉をまとめては    塩田佐喜子
大根の葉というものはなかなか奔放なもので堅く葉先もとげとげとしている。抜くときは手で束ねて身体に寄せる。そのような所作をうまく纏めた表現である。「あばれたる葉」に実感がある。 


薬石を一つ増やして冬に入る       たなかまさこ
薬石の効無く」という言い方があるが、単に薬だけを言うのではなく、投薬も含めて治療や食事方法全般を指す。つまりこの句では、新しく始めた運動でもいいし、身体にいい食物でもサプリメントでもいい。冬に向けて一つ始めたというのだ。「薬石」という忘れていた言葉をうまく復活させたのである。


雁道と仰ぐ山あり名を知らず       塚田 寛子
渡り鳥は決まった空の道を通ることが多いようだ。風の道とか山の形とかで空の通路があるようだ。「仰ぐ山あり」と止めて、「名を知らず」と呟くように締めたところに調べの良さと格調がある。登山をしていた頃、山梨県の笹子トンネルの近くの「雁ヶ腹摺山(がんはらすりやま)」に登ったことがある。山と山の間にたるみがあり、そこが鳥の道であることから名付けられたようで、山梨にはその名の山が三つあるという。 


ラジオ聴く机の上の夜食かな       園部あづき
夜なべ仕事をしていて、ふと空腹をおぼえておにぎりでも食べたものと思われる。そのひと時ラジオに耳を傾ける。生活の一齣が無理なくごく自然に伝わってくるところがいい。俳句は市井の唄だな、と思う。 


木曾谷はなべて鋭角冬に入る       中山  中
伊那谷はおよそ鈍角冬浅し          同
私の故郷を詠んだ、地元の作者の句である。少し解説すると木曾山脈(中央アルプス)を挟んで二つの谷があるが、木曾谷のある箇所などは川と国道と鉄道だけで埋まり、家も建たないような所もある狭隘な谷間である。伊那谷は谷とは言いながら盆地に近い広さを持つ。その二つの谷の違いを「なべて鋭角」「およそ鈍角」と対句的に表現したところが実に見事である。


冬夕焼生者に早き一周忌         深津  博
死んでしまった者の遺影はもはや年を取らなくて、時間の観念からは解放されることになるが、生者の時間は途切れることが無い。たつきに追われればあっという間の一周忌である。すぐに搔き消える冬夕焼の季語が象徴的である。 


末枯の野に雑草の青き意地        松下美代子
人が見逃していたところをしっかりと摑んだ句だなと思う。末枯といってもその枯葉、枯草の下にはしっかりと雑草が根を張っている。その自然の逞しい姿を見詰めているのである。「青き意地」が独自の目、独自の表現である。 


熱燗やこのぐい吞みと五十年       小野 無道
名のある陶磁器ということとは別に、愛着のある食器というものがある。私も五十年以上使っている盃がある。上京したての頃、先輩が案内してくれた六本木の割烹で気に入って戴いたものだ。駄器ながら今も好みで時々使う。この句の作者のぐい吞みは熱燗が合う酒器なのであろう。 


その他印象深かった句を次に

 

捨てられぬセーターありて毛玉取る    髙橋 双葉
黄落や街ごと老けし喫茶店        田岡美也子
搔き寄せしところどころの落葉かな    清水美保子
少しづつ隙間広ぐる干し菜かな      小森みゆき
来る年を見渡すごとく熊手上ぐ      北川 京子



       


   










伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(73)          
  
しばらくは湯気吐いてゐる海鼠餅

 伊那谷で育った頃、正月の餅は男手のある母の実家で搗いて貰っていた。鏡餅、伸し餅、海鼠餅の三種類であった。海鼠餅には黒豆と青海苔が搗き混ぜてあり、子供の私は苦手であった。海鼠餅は大きな塊にして冷めるのを待ってから筒切りにするのだが、湯気に包まれていた。当時は各家に火鉢があり、炭火で焼くとしっかりと焦げ目が付き真中が大きく膨らんで割れ、溜息のような湯気を噴いた。今はトースターや電子レンジなので、なかなかあの旨さが出ない。京都で育った妻は丸餅派で、雑煮は白味噌仕立てで、餅は焼かずに茹でて入れる。それはまた旨いもので兄達はむしろそちらを踏襲しているようだ。郷里の従妹は今も臼と杵で餅搗きをしている。以前立ち合って杵を持ってみたが、なかなかの重さで、搗く位置が定まらないという体たらくであった。郷里から毎年届く餅の荷が楽しみである。今では子供の頃苦手だった海鼠餅が待ち遠しいのである。

知命なほ草莾の徒や麦青む

 五十二歳の頃、神田神保町で酒場を開いた。失業の身で始めたので、背水の陣であった。ただ、証券業、金融業という人の褌で相撲を取るような仕事を三十年も続けていたのであるから生半(なまなか)なことではない。幸いに子供二人は成人しているので少々気が楽ではあったが妻をこれ以上不幸にするわけにはいかない。食べることや酒を飲むことには人一倍関心を持っていたが、仕事とは別である。午前中に買物をして、午後は調理をし、四時過ぎに看板を出すという日々が始まった。この句には「酒場開業」の前書がある。「草莾(そうもう)の徒」とは草叢を走り廻る在野の人、幕末の脱藩浪士のような者の事を言う。天命を知るという知命の年を過ぎて、まだ世の隅を這いずり廻っているという自虐を交えた決意の句であった。第二句集には〈知命なほさびしくなれば鞦韆に〉という句も入れた。句集名を『知命なほ』としたのは、この二つの句からであった。 








     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。


             


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。





 
        







掲示板










主宰日録  

  
11月

 11月5日(金
 夜中、一眠りして午前中に、「銀漢」12月号の校正。武田氏に送る。いくつか書き物。16時前、目白駅から雑司が谷へ散策。鬼子母神は20年振りくらいか。17時、割烹「大倉」。清人さんの「大倉句会」10周年の祝い。内輪の10人ほど。ヴーヴクリコ、日本酒、ワインのいい銘柄が並ぶ。楽しい一夜。21時には帰宅。

 11月6日(土)
 長女桃子誕生日にて、気仙沼大島から、牡蠣の剝身4Kg取り寄せ。生牡蠣をレモン、ニンニクケチャップソースなどで。八丁味噌の土手鍋。からすみ大根。丁度到来した気仙沼の秋刀魚の塩焼など。

11月8日(月)
 伊藤政三さんから依頼の『三丁目の夕日』コンビニ版の新企画「懐かしい時代の俳句」用に、4、5編のエッセイ試し書き。宮坂静生先生の「岳」10句選。6回目の最終選。昨日からずっと机に就く。

11月9日(火)
 夜、発行所にて「火の会」。久々、佐怒賀直美、今井肖子、大塚凱さん参加。

11月10日(水)
 軽井沢へ。柴山つぐ子さんの「北軽井沢句会」200回記念の祝賀会に呼ばれたため。仲間との合流は14時半だが、折角の機会なので久々に旧軽井沢の紅葉を見ようと11時着。少し散策して「茜屋珈琲店」。散策すると色々と思い出す事あり。楓や唐松が強風に舞う。ビストロでハンバーグのランチ。14時半、迎えのバスにて嬬恋村の「軽井沢倶楽部ホテル1130」へ。東京組は、武田、大野田、小野寺、戸矢、政三、谷口、松代。15時半より記念句会。18時半より会食。21時よりカラオケスナックに繰り出す。久々、3曲歌う。戻って、部屋で秋葉男さん差し入れの1升瓶を空けてしまう。

 11月11日(木)
 7時起。温泉佳し。ゆっくり入る。浅間山が目の前。9時半、「北軽井沢句会」の迎えの車に分乗。天明の浅間山噴火で村人570人中、477人が犠牲となった「鎌原観音堂」。石段の途中で、果てた遺骨もあり。
あと、「八ッ場ダム」。今年開業。近くのうどん店で昼食。吾妻渓谷の散策。戻って浅間の残照。黒斑山を頭に、浅間を胸と見ると、まさに前田普羅の〈春星や女性浅間は夜も寝ねず〉が実感できる。柴山家にて5句出し句会。あと酒宴。漬物、粕汁が実にうまい! 19時40分、新幹線で帰京。北軽句会のもてなしに感謝。

11月12日(金)
 終日、各句会の選句、返信、出句その他で部屋に籠ったまま。柴山家の、焼いた塩鮭を入れた粕汁がうまかったので真似て作る。

11月13日(土)
 正午過ぎ、日暮里本行寺「一茶・山頭火俳句大会」へ。久々の選者仲間と会う。300数10句の出句あり。大会のあと、「又一順」の2階で加茂住職招待の親睦会。数年振りに会う顔ぶれは嬉しいこと。

11月14日(日)
 快晴。皆川文弘さんからの富山のチューリップの球根を植える。蟇目良雨夫人逝去と。14時半、日本橋の滋賀県アンテナショップ「ここ滋賀」句会。まだ一般会員無く、銀漢メンバーのみ10人。あと東京駅地下の居酒屋にて親睦会。芙紗、紬、みゆきさんとは久々。もう1軒。

11月日15(月)
 農家の野菜買う。大根の葉とじゃこ炒め。南瓜と豆の炊き合わせ。

11月16日(火)
 夕方、「あ・ん・ど・うクリニック」インフルエンザ予防接種受ける。1月号の選句。羽黒山三光院様より庄内柿到来。

 11月18日(木) 
昨日、気仙沼大島の鮑の開口。菊田志尚さんにお願いし、20個ほど送って貰う。半分を早速、酒蒸しに。17時頃、銀座を散策。18時頃、8丁目の「銀座いしざき」。元部下であった公認会計士の藤井先生の招待。牛肉の刺身と海胆、オニオングラタンスープ。牛舌串焼のステーキ、メロンのかき氷等々。酒は京都の「まつもと」にする。積もる話尽きず。

11月20日(土)
 発行所にて13時より、「銀漢賞選考委員会」。大和、禅次、静男、眞理子さん。記録、秋葉男さん。終了後、近くの居酒屋にて歓談。17時半、日本橋「ここ滋賀」のレストラン「滋乃味」にて毎日新聞今井さんと会食。「てふてふ歳時記」担当のいづみさんと同席。招待を受く。久々、鮒鮓。近江牛など。

11月22日(月)
 気仙沼の鮑をバター焼、刺身を武田さんのオリーブオイルと塩で食べてみる。いい! 終日、選句など。

11月23日(火)
 美容師の中川さん来て、思い切り短く切って貰う。

 11月24日(水)
 昼、発行所。12月号の発行作業で八人ほどのスタッフが来ていて下さる。歓談。あと郵便局で「銀漢」の資金移動。喫茶店で雑務。15時、「魚勝」。ホッピー。「雪の茅舎」二杯。刺身ほか、肴佳し。あと「なごみ」にも寄る。帰宅すると莉子の19歳誕生日とて、ワインで乾杯! と結局飲みすぎ……。

 11月25日(木) 18時半、中央道深大寺バス停に伊那北高校同期の北原泰明君と待ち合わせ。氏の車で高山に向かう。「諏訪湖サービスエリア」でコーヒー。松本から安房峠へ。5、6センチの積雪あり、真冬の景色。高山へ入り、千光寺の円空仏を訪ねるが、土日しか宝物殿は開かないと。寺内寒い。「両面宿儺堂」を覗く。11時頃、白川郷へ。初見。五平餅をかじる。泰明君は見学せず、車へ。14時頃か、高山駅前の「飛騨高山ワシントンホテルプラザ」へチェックイン。泰明君は見学しないという。「高山陣屋」「高山城址」、商家街などを見学。どっぷりと日が暮れる。17時半、居酒屋「八角亭」に入り、泰明君を呼ぶ。実に素晴らしい店で、皮剥、かじき鮪、シャコ刺身、生牡蠣。牡蠣鍋など旨い!
大当たり。酒は飛騨の「久寿玉」。泰明君は酒を飲まない。おにぎりとコロッケなどを食べている。隣席の御夫婦と話。私と同年、M信託で初任地が京都であったと! 20時にはホテルに戻る。

 11月26日(金)
 4時起。作句、日記など。6時、風呂。7時、朝食。宮川沿いの朝市を覗く。赤蕪、銀杏、山椒の芽の煮物など入手。神岡経由で富山。上越に出て、「さかなや魚勢」で鰤、たらこ、つぶ貝などを買う。上杉謙信の春日山城を訪ねるが、雨。また散策する時間なし。六時に西船橋で解散。

11月27日(土)
 雑務多数。夜、上越で入手の鰤の刺身、照焼。つぶ貝煮、栃尾の油揚、飛騨赤蕪漬など。

11月28日(日)
 彗星集選評を書いて1月号終了。「春耕賞」応募四15編あり。選句結果送る。「銀漢賞」「星雲集」の選後評及び応募者各1句選。担当秋葉男さんに送る。夜、鱈の湯豆腐。

























         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2022/2/23撮影  背高泡立草   Hachioji






花言葉   「生命力」
  
     
背高泡立草
草丈が高いアワダチソウで、アワダチソウ(別名アキノキリンソウ)はたくさんの黄色い花が泡立つように盛り上がって咲くことから名づけられました。
花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。

紅梅 椿 菜の花 節分会
アリッサム 姫踊子草 白梅 仏の座 プリムラ
馬酔木 背高泡立草










写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2022/2/23







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