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伊藤伊那男作品主宰の8句 今月の目次銀漢俳句会/2022/2月号
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長野県茅野市から諏訪にかけての一帯 が寒天作りに適しているという。寒天小屋で天草を煮て、刈田の上に棚を作って干す。雪が降らず適度な風が吹き、夜は氷り、昼は溶けるという、寒暖の差が大事である。俳句を始めた頃訪ねたことがある。作業の方に聞くと、毎年旭川から出稼ぎに来るという。試しにどっちが寒いかと聞いてみると、意外なことにこっちの方が寒いという。多分この句のように建て付けの悪い粗末な造作の小屋のせいではないかと思った。(平成十九年作『凌雲』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選蒼天へ螺旋のひかり鷹柱 西田 鏡子
誰彼のゐぬ世に残り落葉掃く 半田けい子
山峡に荒星の増え猟期来る 多田 美記
雀化し蛤つひに碁石にも 戸矢 一斗
伝へたき言葉あるやう帰り花 山田 茜
鴨群れて字画乱るる心字池 針田 達行
母貼りしままに生家の障子古る 伊藤 庄平
セーターや十指編機として動く 松代 展枝
牧の秋嚙まれて温き馬の息 中村 藍人
雪浅間御魂鎮めて観音堂 佐藤 栄子
逆様に振つて取り出す千歳飴 戸矢 一斗
参道は蒸し牡蠣の香の神の島 白井 飛露
しばらくは欅に仕へ落葉掃く 深津 博
叡山へ二駅ほどの片しぐれ 杉阪 大和
猟犬のはるかへ動く耳ふたつ 坂口 晴子
妻恋ひの鹿に帰るは谺のみ 伊藤 庄平
蹴ちらしてよろめく笑ひ茸らしき 坂口 晴子
暮早し板絵のやうな富士の影 大溝 妙子
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宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』を題材に取った滋味のある句だ。狩に来た二人の紳士が山中の西洋料理店に入るのだが、実は山猫の経営する店で、客を料理してしまう怖い店なのである。その童話を模して花巻の宮沢賢治記念館に山猫軒なる店がある。その現実のレストランの支払いをどんぐりで済ませようという洒落た趣向の句。同時出句の〈木曾三川の雀あらかた蛤に〉も感嘆した作品。三川の横が桑名であるだけに、固有名詞の斡旋が巧み! |
パリ在住の作者なので「詩の国」はフランスであろうか。すぐに思い出すのは萩原朔太郎の〈ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し……〉。朔太郎の詩は五月の朝のしののめの頃だが、掲出句は秋。青いインクであろうか。詩の国のインク壺と秋天の取合せは秀逸だ。ちなみに私はモンブランのミステリーブラック。ちょっと現実的な話だが一壺三千円! |
美術館を見て廻ると、自分の故郷の風景を描いた百号の大作があったという。絵の中の「故山に出会ふ」がうまいところである。「美術展覧会」の季語は大正三年に始まった二科展から詠まれたようで〈蟷螂の如き裸婦見て二科を出づ 山口青邨〉あたりが初出のようだ。 |
この句は美術展ではないけれど、芸術の秋の上野の山を詠んだ秀逸である。秋の上野はすべてが「画材」だというところが面白い。美術館も博物館もあり、芸大生もいる。まさに豊富な画材の一山である。 |
「秋思」とはいかなるものか?「もののあはれは秋こそまされ」からきているのであろう。人生の寂しさとか人間存在の哀れさ……などであろう。でもそんなのは天気のせい。晴れていれば吹っ飛んでしまうよ、というのがこの句。もったいぶって格好をつけても駄目よ、ということか。 |
東海道五十三次」や「江戸名所図会」などの浮世絵に描かれた松が有って、今現在も残っているという。確かに有っても不思議ではない。句はそれだけではなく「色変えず」と納めていて、そこがこの句の要である。図会に有った松がそのまま晩秋にも鮮烈な色を保っているという所がうまい。 |
東京の近郊でも、たとえば丹沢山麓などを歩くと、ずい分猪がいる感じで、蚯蚓を掘った穴が沢山ある。また猪の皮が干してあったりする。猪垣もあり、住民の被害も大きいという。この句は屋敷墓であろうか、猪垣の内にあり、蝶番の付いた出入口がある、というのが目の付け所のよさ。 |
芋煮」が季語になったのは〈月山の見ゆと芋煮てあそびけり 水原秋櫻子〉あたりからであろう。私がたまたま米沢に行ったとき、最上川の河原一杯に芋煮会が繰り広げられていることに驚いたことがある。米沢は牛肉で醤油味、酒田は豚肉で酒粕と聞く。健彦句はまさに私が見た光景。織布句は細部に目の届いたいい写生句。悦子句は遅れてきたグループが鍋だけでなく、ちゃっかり焚火まで借り受けるという面白い句。 |
長寿社会になったとはいえ、七十歳ともなれば亡くなった仲間も出てきている。献杯をすることが増えてきたのである。酒好きの友であったか。「新ばしり」の取合せがいい。 |
雀大海に入り蛤となる」は七十二候の一つ。秋に里雀が少なくなることを、海に入って蛤になってしまうからだ、と解釈したのだ。この句は水浴びを持ってきたことで、段々水に近づいていくと段階を辿ったところがミソだ。 |
秋に飛来する美しい鳥は種類が多く、また動きも早いので見分けることが難しい。それで「色鳥」という名称ができたのである。鳥の名前を明確に詠み始めたのは中西悟堂に教えを受けた馬酔木派の俳人からである。「称へて名を知らず」の曖昧な位が詩的でいいのかもしれない。 |
林檎を剝く表現にはさんざん言い尽くされてきたように思っていた。だが「帯解くごとく」は初見であるように思う。「亡き母」を持ってきたところがいい。恐らくその時代の母は着物を着ていることが普通の生活であった筈で、ごく日常的な動作なのである。林檎を剝く表現の比喩の面白さと共に、母への回想が重なっているところが味わいの深さである。 |
七五三の行事の季語。子供の着物の付け紐を取って、初めて帯を締めさせる祝儀で、昔は男女共に九歳であったというが、後に男子五歳、女子七歳となった。成長と守護を願い、また社会への入口の自覚を持たせるためのものでもあった。「母譲りなる富士額」がいい。脈々として遺伝子が繫がっているところが心強い。 |
大根の葉というものはなかなか奔放なもので堅く葉先もとげとげとしている。抜くときは手で束ねて身体に寄せる。そのような所作をうまく纏めた表現である。「あばれたる葉」に実感がある。 |
薬石の効無く」という言い方があるが、単に薬だけを言うのではなく、投薬も含めて治療や食事方法全般を指す。つまりこの句では、新しく始めた運動でもいいし、身体にいい食物でもサプリメントでもいい。冬に向けて一つ始めたというのだ。「薬石」という忘れていた言葉をうまく復活させたのである。 |
渡り鳥は決まった空の道を通ることが多いようだ。風の道とか山の形とかで空の通路があるようだ。「仰ぐ山あり」と止めて、「名を知らず」と呟くように締めたところに調べの良さと格調がある。登山をしていた頃、山梨県の笹子トンネルの近くの「 |
夜なべ仕事をしていて、ふと空腹をおぼえておにぎりでも食べたものと思われる。そのひと時ラジオに耳を傾ける。生活の一齣が無理なくごく自然に伝わってくるところがいい。俳句は市井の唄だな、と思う。 |
私の故郷を詠んだ、地元の作者の句である。少し解説すると木曾山脈(中央アルプス)を挟んで二つの谷があるが、木曾谷のある箇所などは川と国道と鉄道だけで埋まり、家も建たないような所もある狭隘な谷間である。伊那谷は谷とは言いながら盆地に近い広さを持つ。その二つの谷の違いを「なべて鋭角」「およそ鈍角」と対句的に表現したところが実に見事である。 |
死んでしまった者の遺影はもはや年を取らなくて、時間の観念からは解放されることになるが、生者の時間は途切れることが無い。たつきに追われればあっという間の一周忌である。すぐに搔き消える冬夕焼の季語が象徴的である。 |
人が見逃していたところをしっかりと摑んだ句だなと思う。末枯といってもその枯葉、枯草の下にはしっかりと雑草が根を張っている。その自然の逞しい姿を見詰めているのである。「青き意地」が独自の目、独自の表現である。 |
名のある陶磁器ということとは別に、愛着のある食器というものがある。私も五十年以上使っている盃がある。上京したての頃、先輩が案内してくれた六本木の割烹で気に入って戴いたものだ。駄器ながら今も好みで時々使う。この句の作者のぐい吞みは熱燗が合う酒器なのであろう。 |
伊那男俳句 自句自解(73) しばらくは湯気吐いてゐる海鼠餅
伊那谷で育った頃、正月の餅は男手のある母の実家で搗いて貰っていた。鏡餅、伸し餅、海鼠餅の三種類であった。海鼠餅には黒豆と青海苔が搗き混ぜてあり、子供の私は苦手であった。海鼠餅は大きな塊にして冷めるのを待ってから筒切りにするのだが、湯気に包まれていた。当時は各家に火鉢があり、炭火で焼くとしっかりと焦げ目が付き真中が大きく膨らんで割れ、溜息のような湯気を噴いた。今はトースターや電子レンジなので、なかなかあの旨さが出ない。京都で育った妻は丸餅派で、雑煮は白味噌仕立てで、餅は焼かずに茹でて入れる。それはまた旨いもので兄達はむしろそちらを踏襲しているようだ。郷里の従妹は今も臼と杵で餅搗きをしている。以前立ち合って杵を持ってみたが、なかなかの重さで、搗く位置が定まらないという体たらくであった。郷里から毎年届く餅の荷が楽しみである。今では子供の頃苦手だった海鼠餅が待ち遠しいのである。 知命なほ草莾の徒や麦青む
五十二歳の頃、神田神保町で酒場を開いた。失業の身で始めたので、背水の陣であった。ただ、証券業、金融業という人の褌で相撲を取るような仕事を三十年も続けていたのであるから |
11月 11月5日(金) 夜中、一眠りして午前中に、「銀漢」12月号の校正。武田氏に送る。いくつか書き物。16時前、目白駅から雑司が谷へ散策。鬼子母神は20年振りくらいか。17時、割烹「大倉」。清人さんの「大倉句会」10周年の祝い。内輪の10人ほど。ヴーヴクリコ、日本酒、ワインのいい銘柄が並ぶ。楽しい一夜。21時には帰宅。 11月6日(土) 長女桃子誕生日にて、気仙沼大島から、牡蠣の剝身4Kg取り寄せ。生牡蠣をレモン、ニンニクケチャップソースなどで。八丁味噌の土手鍋。からすみ大根。丁度到来した気仙沼の秋刀魚の塩焼など。 11月8日(月) 伊藤政三さんから依頼の『三丁目の夕日』コンビニ版の新企画「懐かしい時代の俳句」用に、4、5編のエッセイ試し書き。宮坂静生先生の「岳」10句選。6回目の最終選。昨日からずっと机に就く。 11月9日(火) 夜、発行所にて「火の会」。久々、佐怒賀直美、今井肖子、大塚凱さん参加。 11月10日(水) 軽井沢へ。柴山つぐ子さんの「北軽井沢句会」200回記念の祝賀会に呼ばれたため。仲間との合流は14時半だが、折角の機会なので久々に旧軽井沢の紅葉を見ようと11時着。少し散策して「茜屋珈琲店」。散策すると色々と思い出す事あり。楓や唐松が強風に舞う。ビストロでハンバーグのランチ。14時半、迎えのバスにて嬬恋村の「軽井沢倶楽部ホテル1130」へ。東京組は、武田、大野田、小野寺、戸矢、政三、谷口、松代。15時半より記念句会。18時半より会食。21時よりカラオケスナックに繰り出す。久々、3曲歌う。戻って、部屋で秋葉男さん差し入れの1升瓶を空けてしまう。 11月11日(木) 7時起。温泉佳し。ゆっくり入る。浅間山が目の前。9時半、「北軽井沢句会」の迎えの車に分乗。天明の浅間山噴火で村人570人中、477人が犠牲となった「鎌原観音堂」。石段の途中で、果てた遺骨もあり。 あと、「八ッ場ダム」。今年開業。近くのうどん店で昼食。吾妻渓谷の散策。戻って浅間の残照。黒斑山を頭に、浅間を胸と見ると、まさに前田普羅の〈春星や女性浅間は夜も寝ねず〉が実感できる。柴山家にて5句出し句会。あと酒宴。漬物、粕汁が実にうまい! 19時40分、新幹線で帰京。北軽句会のもてなしに感謝。 11月12日(金) 終日、各句会の選句、返信、出句その他で部屋に籠ったまま。柴山家の、焼いた塩鮭を入れた粕汁がうまかったので真似て作る。 11月13日(土) 正午過ぎ、日暮里本行寺「一茶・山頭火俳句大会」へ。久々の選者仲間と会う。300数10句の出句あり。大会のあと、「又一順」の2階で加茂住職招待の親睦会。数年振りに会う顔ぶれは嬉しいこと。 11月14日(日) 快晴。皆川文弘さんからの富山のチューリップの球根を植える。蟇目良雨夫人逝去と。14時半、日本橋の滋賀県アンテナショップ「ここ滋賀」句会。まだ一般会員無く、銀漢メンバーのみ10人。あと東京駅地下の居酒屋にて親睦会。芙紗、紬、みゆきさんとは久々。もう1軒。 11月日15(月) 農家の野菜買う。大根の葉とじゃこ炒め。南瓜と豆の炊き合わせ。 11月16日(火) 夕方、「あ・ん・ど・うクリニック」インフルエンザ予防接種受ける。1月号の選句。羽黒山三光院様より庄内柿到来。 11月18日(木) 昨日、気仙沼大島の鮑の開口。菊田志尚さんにお願いし、20個ほど送って貰う。半分を早速、酒蒸しに。17時頃、銀座を散策。18時頃、8丁目の「銀座いしざき」。元部下であった公認会計士の藤井先生の招待。牛肉の刺身と海胆、オニオングラタンスープ。牛舌串焼のステーキ、メロンのかき氷等々。酒は京都の「まつもと」にする。積もる話尽きず。 11月20日(土) 発行所にて13時より、「銀漢賞選考委員会」。大和、禅次、静男、眞理子さん。記録、秋葉男さん。終了後、近くの居酒屋にて歓談。17時半、日本橋「ここ滋賀」のレストラン「滋乃味」にて毎日新聞今井さんと会食。「てふてふ歳時記」担当のいづみさんと同席。招待を受く。久々、鮒鮓。近江牛など。 11月22日(月) 気仙沼の鮑をバター焼、刺身を武田さんのオリーブオイルと塩で食べてみる。いい! 終日、選句など。 11月23日(火) 美容師の中川さん来て、思い切り短く切って貰う。 11月24日(水) 昼、発行所。12月号の発行作業で八人ほどのスタッフが来ていて下さる。歓談。あと郵便局で「銀漢」の資金移動。喫茶店で雑務。15時、「魚勝」。ホッピー。「雪の茅舎」二杯。刺身ほか、肴佳し。あと「なごみ」にも寄る。帰宅すると莉子の19歳誕生日とて、ワインで乾杯! と結局飲みすぎ……。 11月25日(木) 18時半、中央道深大寺バス停に伊那北高校同期の北原泰明君と待ち合わせ。氏の車で高山に向かう。「諏訪湖サービスエリア」でコーヒー。松本から安房峠へ。5、6センチの積雪あり、真冬の景色。高山へ入り、千光寺の円空仏を訪ねるが、土日しか宝物殿は開かないと。寺内寒い。「両面宿儺堂」を覗く。11時頃、白川郷へ。初見。五平餅をかじる。泰明君は見学せず、車へ。14時頃か、高山駅前の「飛騨高山ワシントンホテルプラザ」へチェックイン。泰明君は見学しないという。「高山陣屋」「高山城址」、商家街などを見学。どっぷりと日が暮れる。17時半、居酒屋「八角亭」に入り、泰明君を呼ぶ。実に素晴らしい店で、皮剥、かじき鮪、シャコ刺身、生牡蠣。牡蠣鍋など旨い! 大当たり。酒は飛騨の「久寿玉」。泰明君は酒を飲まない。おにぎりとコロッケなどを食べている。隣席の御夫婦と話。私と同年、M信託で初任地が京都であったと! 20時にはホテルに戻る。 11月26日(金) 4時起。作句、日記など。6時、風呂。7時、朝食。宮川沿いの朝市を覗く。赤蕪、銀杏、山椒の芽の煮物など入手。神岡経由で富山。上越に出て、「さかなや魚勢」で鰤、たらこ、つぶ貝などを買う。上杉謙信の春日山城を訪ねるが、雨。また散策する時間なし。六時に西船橋で解散。 11月27日(土) 雑務多数。夜、上越で入手の鰤の刺身、照焼。つぶ貝煮、栃尾の油揚、飛騨赤蕪漬など。 11月28日(日) 彗星集選評を書いて1月号終了。「春耕賞」応募四15編あり。選句結果送る。「銀漢賞」「星雲集」の選後評及び応募者各1句選。担当秋葉男さんに送る。夜、鱈の湯豆腐。 |
△背高泡立草 草丈が高いアワダチソウで、アワダチソウ(別名アキノキリンソウ)はたくさんの黄色い花が泡立つように盛り上がって咲くことから名づけられました。 花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)である。 |