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 11月号  2022年

伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
 彗星集作品抄    彗星集選評  銀漢賞銀河集・作品抄  綺羅星集・作品抄
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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句













        
             

                        

    

今月の目次







銀漢俳句会/2022/11月号














 









銀漢の俳句 

伊藤伊那男 


◎盤水先生と高幡不動尊

 昨年、同人の小野寺清人さんと皆川盤水先生の忌日、八月二十九日に高幡不動尊の墓参をした。その折来年も来よう、と約束をしていた。ところがすっかり失念していて、前日清人さんから「明日ですよ」と連絡を受けて気付いた。不肖の弟子である。十二時半頃高幡不動尊に行くと、本堂前で杉阪大和さんと遭遇した。車で一人でお参りに来たという。少し高台にある墓地に行くと、清人さんが既に掃除をし、花を供えて待っていてくれた。線香を供えて三人で念仏を唱えた。二年前に亡くなられた鍵和田秞子先生の墓が隣にあり、お参りをした。盤水先生が亡くなったのは銀漢創刊の前年であったから今年は十三回忌ということになるのであろうか。そういえば八月の日付で御長男の丈人さん他何本かの新しい塔婆が供えられていた。月日が経つのは早いものである。
 春耕は私が入会するよりも前から、毎年の新年俳句大会はこの高幡不動尊を会場としていた。私も三十回以上は参加していることになる。遠方の方々も駆けつけて百人以上が参加した賑やかな会であったが、思えば初期の同人のほとんどは鬼籍に入られた。いろいろな先輩の顔が浮かぶ。俳句に造詣が深かったこの寺の川澄祐勝御貫主も入寂された。春耕二代目主宰を継いだ兄弟子の棚山波朗氏も今年二月亡くなられた。この寺を訪ねると感慨に耽ることが多いのである。盤水先生はこの寺との縁が深く、最後の句碑もこの寺にある。句碑にする石の選定にも立ち合ったが、仕上がってみるとなかなかの巨石で、運びこんだ時、川澄御貫主が「あっ」と驚きの声を挙げられたことを思い出す。
   
この寺の風鐸の音濃あぢさゐ   盤水

 先生の字は独学だというが、雄渾にして洒脱で味わいが深い。余白の使い方もうまい。この寺にはその他にも次の句碑がある。
   
如来出て()に受け給ふ枝垂梅    山口 誓子
紫陽花も山紫陽花も法の寺     清崎 敏郎
未来図は直線多し早稲の花     鍵和田秞子

 春耕の新年会のあとは宴会となるが、当初は畳敷きの大広間での高足膳であったが、皆座るのが窮屈になり椅子席の会場に変わった。料理はずっと変わることが無かった。刺身、胡麻豆腐、精進揚げ、煮染、味付け御飯、そしてとんカツ。冷えたとんカツは年寄りの方々には食べ切れないもので、私は勧められて、いつも三枚位は食べていたものだ。冬に食べる冷えた薄いとんカツ──そんなものまでが無性に懐かしいのである。
 












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

手焙や櫛形山の風の音            皆川 盤水
 
山梨県竜王町(現甲斐町)に土井玄由という住職のいる端良寺という小さな寺があった。玄由氏は寺を継ぐのが嫌で、教職に就き、職場の女性と駆落ちをして東京に出て本屋になった。フジテレビに出入りして棚山波朗氏他と知り合い、社内句会に参加して盤水先生の弟子になった人である。その後寺を継ぎ、境内に掲出句の句碑を建立したのである。私も参加して仲間で先生を囲んで、この寺に一泊吟行をした折の句である。櫛形山が目の前であった。(昭和五十八年作『寒靄』所収)
      







 





彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

中二日置いて鐘鳴る原爆忌            飛鳥  蘭
境内に残るゆうべの夜店の香           鈴木てる緒
帰省子に思はぬ小ささ金次郎           笠原 祐子
風よりも音を生みけり扇風機           白井 飛露
挨拶は潜りし後に茅の輪かな           内藤  明
敗戦の日の喉を焼くコーラかな          谷岡 健彦
地芝居の子役そろそろ声変り           宮本起代子
もう一度風を起こして扇置く           岡城ひとみ
生身魂注がるる酒は断らず            多田 美記
新聞をめくるに重き残暑かな           曽谷 晴子
白玉や苦労話を楽しげに             福原  紅
帰省子の夫とまがふ生返事            三代川次郎
子ら帰り抜け殻となる蟬も吾も          島  織布
稲の花時計代りのバスが行く           小泉 良子
お風入れ通さぬ袖を素通りす           本庄 康代
迎火の消ゆれば夜風踝に             三溝 恵子
露ふふむものをあまたに比企ヶ谷         谷口いづみ
捕虫網新幹線のホーム駆く            池田 桐人
大の字になるなり眠る帰省の子          箕浦甫佐子
山の日や産土の山動かざる            萩原 陽里















     









    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

中二日置いて鐘鳴る原爆忌          飛鳥  蘭
二つの原爆忌を詠み込んで、極めて緻密な構成の句となった。広島への原爆投下は八月六日、長崎への投下は八月九日。その間の八月八日あたりが立秋となるので、広島忌と詠むと夏、長崎忌と詠むと秋に分類されることになる。この句は広島への投下から中二日置いて長崎へ、となるのだが、そこを「鐘鳴る」としたのが凄いところである。誰もが知るあの「長崎の鐘」の歌を句の底に敷いて暗示しているのである。歳時記に残したい秀逸である。 

境内に残るゆうべの夜店の香         鈴木てる緒
 「夜店」は夏の季語で、寺社の縁日などに出る露店のことをいう。夕涼みがてらそぞろ歩きをしたものである。句では翌朝その夜店のあった境内を通ると、どことなく昨夜の名残の匂があった、というのである。アセチレンガスの匂、烏賊焼、蛸焼、焼そばのソースの匂。昨夜のくらがりの夢のような世界が甦るのだ。嗅覚の記憶というものは強く残るもので、子供の頃の夜店のことが今も鮮烈だ。

帰省子に思はぬ小ささ金次郎         笠原 祐子
 昭和十年代、軍国主義教育の中で二宮尊徳の至誠報徳の教えが利用され、薪を背負いながら勉強する金次郎像が全国の小学校に建てられた。戦後はその反省から撤去されていった。もちろん今も残っている学校もある。句は子供の頃見上げていた金次郎像も、久々帰省してみるとずい分小さく見えたというのである。帰省子の成長をうまく詠んだ。

風よりも音を生みけり扇風機         白井 飛露
一昔前の扇風機は鉄製のがっちりとしたもので、古武士のような風格を持っていたものだ。首を振るのもぎこちなく律儀な感じであった。その様子をこの句はうまく表現している。「風よりも音」と、やや極端に強調して、あの時代の扇風機をうまく表現しているのである。 

挨拶は潜りし後に茅の輪かな         内藤  明
茅の輪を潜る直前に知人の顔を発見したのであろうか。だが茅の輪を潜る心の準備をしたあとのことで、それなりの作法もある。そんな訳で、知人への挨拶は潜ったあとにしようと思う。神頼みが先である。――そんな心の微妙な葛藤が詠み取られているようだ。

敗戦の日の喉を焼くコーラかな        谷岡 健彦
昭和二十年八月十五日、日本は多くの犠牲を払った末敗戦に到った。それから七十七年を経た。敗戦後アメリカの文化が一気に流入したが、コカコーラもその一つだ。最初に飲んだ時の薬臭い違和感にも今やすっかり麻痺しているのである。西洋の文化に屈服したいささかの悔いが喉を焼くのである。 

地芝居の子役そろそろ声変り         宮本起代子
 少子化の時代。来年は違う子を見付けてこないと……。

もう一度風を起こして扇置く         岡城ひとみ
もう暑くはないけれど、一煽りしてから扇を仕舞う。

生身魂注がるる酒は断らず          多田 美記
 元気な年寄である。あっ小生もまさにそのまま……。

新聞をめくるに重き残暑かな         曽谷 晴子
残暑というものを具体的に「物」に託して捉えている。

白玉や苦労話を楽しげに           福原  紅
時が経てば若い時の苦労は買ってでも、となる。

帰省子の夫とまがふ生返事          三代川次郎
声だけでなく、その仕種まで似てきて、と嘆く。 

子ら帰り抜け殻となる蟬も吾も        島  織布
賑やかな一時が終わる。蟬と吾を同等に扱った面白さ。

稲の花時計代りのバスが行く         小泉 良子
あっ十一時半のバスだ、という具合。稔りの喜びが籠る。

お風入れ通さぬ袖を素通りす         本庄 康代
 「お」が付くのを見ると由緒ある衣装の虫干しか。

迎火の消ゆれば夜風踝に           三溝 恵子
この句の場合「送火」とどちらが実感が深まるか?

露ふふむものをあまたに比企ヶ谷       谷口いづみ
  「露ふふむ」に敗者の幻影が深い。秋の実感。

捕虫網新幹線のホーム駆く          池田 桐人
夏休みに見かける風景。類句が無ければいいが……。 

大の字になるなり眠る帰省の子        箕浦甫佐子
私にも経験がある。生家の居間というものの安心感。 

山の日や産土の山動かざる          萩原 陽里
  五年前実施された祝日。新しい季語。八月十一日。佳句。











          


 






銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

大原は聲明の里涼新た         東京  飯田眞理子
黒南風や木槌で砕く網の貝       静岡  唐沢 静男
スープ皿五枚ある日の盆家族      群馬  柴山つぐ子
叡山の要所要所の山法師        東京  杉阪 大和
蓮の実飛ぶ武蔵野国の国衙跡      東京  武田 花果
八月や祈りの月と申しける       東京  武田 禪次
けふの日を大事にうけて日々草     埼玉  多田 美記
箱庭の釣れぬ魚待つ太公望       東京  谷岡 健彦
天穹に日を四条には月鉾を       神奈川 谷口いづみ
滴りの鑿跡いまも熊野道        長野  萩原 空木
昼寝子の枕となりし腕はづす      東京  堀切 克洋
もんじや屋の路地の軒ごと釣忍     東京  松川 洋酔
サングラス昔住みたる町に立ち     東京  三代川次郎



















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

不発弾運ばれてゐる雲の峰       長野  髙橋 初風
ばらばらと届くも暑中見舞かな     埼玉  戸矢 一斗

キャンプの火消えて我等は星の子に   千葉  長井  哲
正座には小さき座布団泥鰌鍋      東京  橋野 幸彦
講宿の高足膳のメロンかな       埼玉  大澤 静子
銀漢に溺れてをりし山男        神奈川 大田 勝行
喪の家の花の賑はひ百日紅       東京  柊原 洋征
北斎の浪を分け入る夏暖簾       神奈川 大野 里詩
燻製の肉縛る糸大南風         宮城  小田島 渚
心太に貫かれたる身体かな       神奈川 こしだまほ
細道の崖下は海芭蕉揺る        千葉  白井 飛露
目薬の残り一滴夏の果         神奈川 三井 康有
古扇開く記憶も開くかに        東京  辻本 芙紗
散らぬまま茗荷の花の倒れたる     神奈川 有賀  理
七草に外れてさみしをとこへし     静岡  杉本アツ子
遠雷や熊野に果つる皇子の墓      大阪  末永理恵子
幼にも昔はありぬ赤とんぼ       群馬  佐藤かずえ
甚平に風の入口出口かな        青森  榊 せい子
夕立急回覧板も至急なる        東京  島  織布

雄叫びは手押しポンプの水合戦     埼玉  秋津  結
夢と夢の間とて夢青葉木菟       東京  飛鳥  蘭
どくだみ茶薬缶のたぎる大暑の日    宮城  有賀 稲香
はたた神継ぎ目あらはな阿弥陀仏    東京  有澤 志峯
ほむら長し四万六千日の燭       東京  飯田 子貢
川舟の夕闇に溶け荻の声        東京  生田  武
釘打つ音の怒りに似たる残暑かな    埼玉  池田 桐人
砂の城攻め立ててゐる土用波      東京  市川 蘆舟
新涼の旅のひと夜の籾枕        埼玉  伊藤 庄平
秋近し隣家の音のよく聞こゆ      東京  伊藤 政三
三陸の海より明くる椿の実       神奈川 伊東  岬
片蔭の途絶えて長し渡月橋       東京  今井  麦
円座なれど拝殿なれば背筋伸ぶ     埼玉  今村 昌史
白帯となれる轆轤の瓢かな       東京  上田  裕
新涼のパレットに溶く風の色      東京  宇志やまと
滴りを閼伽とし沁むる摩崖仏      東京  大住 光汪
口開けて鴉声なき朝曇         東京  大沼まり子
流灯の揺れて名残の灯とならむ     埼玉  大野田井蛙
間遠なるバスを待つ間の氷菓かな    東京  大溝 妙子
新涼や一句浮かびし咀嚼の間      東京  大山かげもと
西瓜食めば水音のする耳の奥      東京  岡城ひとみ
四阿へ向かふ吊橋青嵐         東京  小川 夏葉
家中の音を味はふ夏の風邪       宮城  小野寺一砂
水打てば道に樹影の生まれけり     埼玉  小野寺清人
始まりも終りも坐禅夏期講座      和歌山 笠原 祐子
涼しさや雨音を聞く枕元        東京  梶山かおり
うつしよは秋の蛍のたなごころ     愛媛  片山 一行
終戦の日徒死を散華といふ国に     東京  桂  信子
蚊遣火の巻き付く路地の稲荷かな    静岡  金井 硯児
郵便受けに残る暑さの封書かな     東京  我部 敬子
掬ふ手に重さの消ゆる新豆腐      東京  川島秋葉男
大波に挑む青鳩潮溜り         千葉  川島  紬
精霊の馬によろしき曲り瓜       長野  北澤 一伯
席一つ空しき教室休暇明        東京  絹田  稜
音のみと知りてものぞく遠花火     神奈川 久坂衣里子
三伏の溶接の火の町工場        東京  朽木  直
祭鱧こんちきちんを遠く聞く      東京  畔柳 海村
土用波つまづくごとく崩れけり     東京  小泉 良子
余白なき地獄絵見上ぐる炎暑かな    東京  小山 蓮子
天草取り婆の帆待(ほまち)や磯またぎ      宮城  齊藤 克之
浦町の日盛猫を見たるのみ       長崎  坂口 晴子
隠遁の尼御前めきて秋茗荷       長野  坂下  昭
水口の芥払ひて喜雨休み        群馬  佐藤 栄子
端居には此処が一番山眺む       長野  三溝 恵子
堅焼に歯の負けてゐる残暑かな     東京  島谷 高水
兄よりも年上となり盆の月       兵庫  清水佳壽美
あらかたは寝具はねのけ夏の風邪    埼玉  志村  昌
子規庵の鶏頭歪む玻璃戸かな      神奈川 白井八十八
夏浪と張り合つてゐる島太鼓      東京  白濱 武子
退院す先づ香水を吹きてみる      東京  新谷 房子
魂を吐き出す様に秋の蟬        東京  鈴木 淳子
にはか雨朝顔市の人散らす       東京  鈴木てる緒
学会も挨拶はまづ暑さから       群馬  鈴木踏青子
窓一つふたつ灯りて夜の秋       東京  角 佐穂子
競はずに数多咲きつぐ白桔梗      東京  瀬戸 紀恵
あひづちの欲しくなる道星月夜     神奈川 曽谷 晴子
縦横に笑顔の皺や生身魂        東京  高橋 透水
網戸して夜風よそよそしくなりぬ    東京  武井まゆみ
声知らぬ父来てをりし盆の闇      東京  竹内 洋平
喚声の中を糸引く兜虫         神奈川 田嶋 壺中
百日紅の粗熱さます通り雨       東京  多田 悦子
七色の川の灯まとひ涼み船       東京  立崎ひかり
家中を団扇も人と移動せり       東京  田中 敬子
家ぢゆうの布団を敷きて盆休み     東京  田中  道
登校のまづ朝顔に水与ふ        東京  田家 正好
三山の青田に刻む風のすぢ       東京  塚本 一夫
打水やこの道いつもこのにほひ     東京  辻  隆夫
握る手の跳ね返されて西瓜割り     東京  辻本 理恵
絵手紙に海の匂や夏の果        愛知  津田  卓
人生に遅速ありけり走馬灯       東京  坪井 研治
船名のタイタニックも浮いてこい    大阪  中島 凌雲
西瓜切るこの世とあの世等分に     神奈川 中野 堯司
降り出しの雨の匂や蝸牛        東京  中野 智子
夕方に落ちて地に咲く沙羅の花     東京  中村 孝哲
香水といふ凶器もて迫り来る      茨城  中村 湖童
鉄棒の錆手のひらに夏終る       埼玉  中村 宗男
葉に触れて買ふ縁日の含羞草      東京  中村 藍人
故郷は旅先となり星流る        千葉  中山 桐里
頁繰るとき秋風の立ちにけり      大阪  西田 鏡子
秋深し古墳に眠る夢の数        東京  沼田 有希
地蔵会や掌に載る念持仏        埼玉  萩原 陽里
葭簾納屋の奥より担ぎ出す       広島  長谷川明子
誰も来ぬままに日暮れて釣忍      東京  長谷川千何子
うす曇る空のまぶしき麦の秋      神奈川 原田さがみ
登拝の未だに解けぬ山開        兵庫  播广 義春
草蔭にのこる流灯しらみ初む      東京  半田けい子
読みかけを最初から読む夜の秋     東京  福永 新祇
睡蓮の咲きて池の面定まりぬ      東京  福原  紅
侮れば庭席巻の藪枯らし        東京  星野 淑子
蟬時雨特攻の跡鳴き止まず       東京  保谷 政孝
星とぶや父と夜釣の瀬戸の海      神奈川 堀  備中
なほさらに輪中の備へ戻り梅雨     岐阜  堀江 美州
虫干や呼吸始める桐簞笥        埼玉  本庄 康代
やつと今朝蟬一声の透り初む      東京  松浦 宗克
車座の話も廻す扇風機         東京  松代 展枝
水飲んで足首太る老いの夏       東京  宮内 孝子
花魁がこちら見てをり立版古      神奈川 宮本起代子
忌日なれば
回想の尽きることなく雲の峰      東京  村田 郁子
芝刈りの音の朝から避暑ホテル     東京  村田 重子
剝く跡のさざなみめきて桃の肌     東京  森 羽久衣
池底に手児奈の悲恋紅睡蓮       千葉  森崎 森平
旅愁なほ隠しきれざるサングラス    埼玉  森濱 直之
墓洗ふ次男入れぬ墓なれど       長野  守屋  明
桃洗ふ赤子が湯浴みするごとく     東京  保田 貴子
滴りの太る間際を煌めけり       愛知  山口 輝久
懐かしき話ばかりの盆の夜       群馬  山﨑ちづ子
根の国の鎧脱ぎしか蟬の殻       東京  山下 美佐
くるぶしを風の過ぎゆく秋はじめ    東京  山田  茜
蕎麦殻の枕いぶせき熱帯夜       東京  山元 正規
鷺草を見詰むる程に羽拡ぐ       愛媛  脇  行雲
   熊野 
伊邪那美の窟に氷水の旗        東京  渡辺 花穂
西日受く体育館の優勝旗        埼玉  渡辺 志水














銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

天穹に日を四条には月鉾を          谷口いづみ
 三年振りに祇園祭が開催された。疫病退散を願うことから始まった祭が、疫病のために中断していたのは皮肉であった。この句は天には太陽が、いま四条通りには月鉾の山車が通過すると、日・月を並列させた意外な発想である。祇園祭は古来沢山詠まれているが、まだまだ新鮮な発想の句は出てくるものだな、と頼もしく思った句である。


不発弾運ばれてゐる雲の峰          高橋 初風
 沖縄に行くと今でも、明日は何々通りは不発弾回収のため何時から通行止め、という知らせがテレビに流れる。日常的な事なのである。訪ねる度に、今に続く戦争の歴史を認識しておかなくてはならぬ、と思う。それにしても海も空も明るい。驚くべき高さと幅の雲の峰がある。


ばらばらと届くも暑中見舞かな        戸矢 一斗
確かに、年賀状と違って暑中見舞は、ばらばらに届く。それは皆が解っているのだが、このように俳句にすることができたか、というと詠めてはいなかったのである。そういう意味で、一つの発見があった句である。俳句は見馴れた日常生活の中から新しい発見をすることが肝要。
キャンプの火消えて我等は星の子に      長井  哲
瑞々しい抒情のある句だ。キャンプファイアーが終わると、夜空は星の光に包まれる。皆の視線も星空を追うことになる。それを「我等は星の子に」と纏めたのだが、その発想は自在で豊かな詩情に溢れている。 


正座には小さき座布団泥鰌鍋         橋野 幸彦
 確かにその通りなのだ。思い出してみると、下町は馬肉屋も蕎麦店も概して座布団が小さい。江戸の人口密度が高かったこと、江戸っ子が食べ物屋で長居をしないこと、などの伝統がその遠因かな、とこの句を見て思った。同時出句の〈抜け首の行灯廻る立版古〉も面白い句だ。立版古は今の飛び出す絵本のような物。江戸の粋な夏の遊び。


講宿の高足膳のメロンかな          大澤 静子
東京近辺でいえば奥多摩の御岳山、伊勢原の大山に今も僅かに講宿が残っている。昔からの料理が高足膳に載って供されるが、この句のようにいきなり今の食べ物が出されて驚くことがある。昔だって同じような変化があったのであろうが、古色を帯びた宿で作者は新鮮な思いをしたのだ。


銀漢に溺れてをりし山男           大田 勝行
 私もずい分登山をしていたので、この句に実感を持つ。山頂の夜は上空ばかりではなく、目の行く所全てが星の中にある。これを「溺れる」と捉えたのは卓見である。山男冥利に尽きる風景で、ああ、私が詠みたい句であった!


喪の家の花の賑はひ百日紅          柊原 洋征
 喪中になったとはいえ、百日紅の花は咲き続けているし、剪るわけにはいかない。場違いながら賑やかに花を付けている。そういう人間世界の都合と自然界との不一致がこの句に出ているのだ。その花がまた悲しみを深くする。


北斎の浪を分け入る夏暖簾          大野 里詩
 葛飾北斎の富嶽三十六景の一つ、神奈川沖浪裏のことである。これを暖簾にした店に入ったというのだ。「浪を分け入る」がうまいところである。あの富士山よりも高い波と、暖簾の二つを重ね合わせたところが卓越した技倆。


燻製の肉縛る糸大南風            小田島 渚
 大南風の取合せのうまい句だ。タコ糸で盛り上がった肉を縛る。活力の源である。折から大南風の吹く季節であるから梅雨も明けて気分も高まる頃である。夏を迎える明るい気分が横溢した爽快感のある句となった。


心太に貫かれたる身体かな          こしだまほ
心太が身体を貫く、とはなかなか大胆な発想だ。このように心太を詠んだ句は今まで見ていなかったように思う。今後心太を食べる時には思い出す句になりそうだ。


細道の崖下は海芭蕉揺る           白井 飛露
この句の芭蕉は季語であり、俳人の芭蕉ではない。そうでありながら、『おくのほそ道』の親不知辺りの芭蕉の姿が重なってしまうのである。「芭蕉揺る」の措辞は実に巧みな所で、不安な表情の芭蕉翁が彷彿する仕掛けとなる。 


 その他印象深かった句を次に

目薬の残り一滴夏の果            三井 康有
古扇開く記憶も開くかに           辻本 芙紗
散らぬまま茗荷の花の倒れたる        有賀  理
七草に外れてさみしをとこへし        杉本アツ子
遠雷や熊野に果つる皇子の墓         末永理恵子
幼にも昔はありぬ赤とんぼ          佐藤かずえ
甚平に風の入口出口かな           榊 せい子
夕立急回覧板も至急なる           島  織布


















                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

広島忌放てる鳩は家を指す       広島  塩田佐喜子
風死して戒厳令のやうな街       埼玉  深津  博
神官の後に従ふ羽抜鶏         東京  清水 史恵
熟れし桃取り出す指の不確かさ     東京  北原美枝子
髪切つて脳の軽さや秋の立つ      神奈川 河村  啓
白玉や浮きくるまでの箸の黙      東京  尼崎 沙羅
ひまはりを描くさまざまの角度から   東京  清水美保子
水平線縦に見てゐる夏の風邪      千葉  園部あづき
霊峰をころがり来たる毛野の雷     栃木  たなかまさこ
母父に洗ひ浚ひを墓参         長野  中山  中
立秋や風の軽さを身に纏ひ       静岡  橋本 光子
アイロンの糊は弱めに夏終る      東京  橋本  泰
まどろみし牧夫のための夏木かな    神奈川 日山 典子
羽衣は炎の色に薪能          千葉  平山 凛語
蜩の谷戸の夕べに透き通る       東京  桂  説子

ふるさとの稜線深し墓洗ふ       山形  我妻 一男
祇園祭やつと疫鬼と手打ちせり     神奈川 山田 丹晴
ラムネ玉コンと留まり我が青春     東京  矢野 安美
余所者を隠し通せぬ阿波踊       東京  水野 正章
土の手をはたき黙禱終戦日       千葉  平野 梗華
三日目の帰省子少しぶつきらぼう    福島  髙橋 双葉
束のまま線香を焚く野分前       埼玉  加藤 且之







星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


台風過光る水面の速さかな       京都  秋保 櫻子
施餓鬼幡たたみて置けり霊棚に     愛媛  安藤 向山
老いてこそ真昼の奢侈やかき氷     東京  井川  敏
秋めくや木曾の川瀬に風の声      長野  池内とほる
盆踊江都なれども炭坑節        東京  石倉 俊紀
年忌にも行かれぬままに秋の蟬     東京  伊藤 真紀
夜勤明け茄子の煮浸し買ふ鰥夫     広島  井上 幸三
それぞれに影一つづつ夏木立      長野  上野 三歩
焼け焦げの干物の苦し終戦日      東京  上村健太郎
郷に入り郷に従ひ硬き桃        長野  浦野 洋一
暑中見舞郷の野風をつれて来し     埼玉  大木 邦絵
白玉を食ふ白玉のやうな子が      愛知  荻野ゆ佑子
郷里からお施餓鬼の札送られて     神奈川 小坂 誠子
八月や磯にからぶる雑魚数多      静岡  小野 無道
滴りを神饌とする岩場かな       愛知  河畑 達雄
一滴もたらさぬやうに梨かじる     愛知  北浦 正弘
夕立の最初の一滴吾が額に       群馬  北川 京子
闇市の名残の屋台濁り酒        神奈川 北爪 鳥閑
宅配の扉越しにも桃匂ふ        神奈川 北出 靖彦
朝顔の咲いて絵日記華やかに      東京  久保園和美
何もせぬこともくらしと夏果つる    東京  熊木 光代
願掛けに七夕竹の撓みをり       東京  倉橋  茂
逢ふ度に背丈の伸びる里帰り      群馬  黒岩伊知朗
八月十二日慰霊登山の杖の跡      群馬  黒岩 清子
滴りは天岩戸の常闇に         愛知  黒岩 宏行
海鳴りの変はる気配や夜の秋      東京  黒田イツ子
宗太の名冠する鰹将に旬        神奈川 小池 天牛
さざなみの大津石山星祭        東京  髙坂小太郎
不揃ひも昭和の儘の蕃茄食ぶ      東京  小寺 一凡
宿の朝ほの温かき新豆腐        千葉  小森みゆき
家を出る足躓かす蟻の列        神奈川 阪井 忠太
秋澄むや遺墨の文字を詩仙堂      東京  佐々木終吉
国分寺蓮田の守る観世音        群馬  佐藤さゆり
百日紅一夏意地をはりとほす      東京  島谷  操
土用波南洋椰子の実を運ぶ       東京  清水 旭峰
涙ふく白きハンカチ忍ばせる      千葉  清水 礼子
白壁の名にし負ふ村柿すだれ      大阪  杉島 久江
老鶯のいざなふ杣や竈跡        東京  須﨑 武雄
端居して又ひととせを過ごしをり    岐阜  鈴木 春水
法螺貝の音のうなりや山開       愛知  住山 春人
今日のこと今日に済ませて星涼し    埼玉  園部 恵夏
その音をまた聞き逃す桐一葉      東京  田岡美也子
終ひの地はいづこにありや流れ星    東京  髙城 愉楽
右の手に鋏左の籠に茄子        埼玉  武井 康弘
目をとぢて青田の風を聴き澄ます    東京  竹花美代惠
大木の鳴くごときかの蟬の声      東京  田中 真美
広き葉に雨音強き芭蕉かな       神奈川 多丸 朝子
飽きもせず昼餉昼餉の冷さうめん    広島  藤堂 暢子
縁台のもう一つ増え地蔵盆       埼玉  内藤  明
総立ちの応援席の西日かな       東京  中込 精二
雲の峰富士を土台により高く      神奈川 長濱 泰子
夏空に競うて雲の力瘤         京都  仁井田麻利子
三陸の一夜泊まりや鰯雲        東京  西  照雄
目で追うて青空にのる蜻蛉かな     宮城  西岡 博子
ひさかたの雨洗ひたり花茗荷      東京  西田有希子
甜瓜節太き手で渡さるる        神奈川 西本  萌
帰りきて白雨に洗車任せたり      神奈川 花上 佐都
花咲きて思ひの至る茗荷かな      長野  馬場みち子
爆心地噴水の水絶え間なく       千葉  針田 達行
遠雷や歩みの遅きままの母       長野  樋本 霧帆
くやしきは夜中三時の蚊の羽音     千葉  深澤 淡悠
信濃では迷ふことなく洗鯉       長野  藤井 法子
通り抜けできぬ脇道破芭蕉       福岡  藤田 雅規
読みかけのページに栞夜の秋      東京  牧野 睦子
新涼や灸の熱さも耐へられて      東京  幕内美智子
いつも来る友の西瓜と息災と      神奈川 松尾 守人
風の手に白檀扇の操られ        東京  丸山真理子
遠花火物干し台の撓みけり       愛知  箕浦甫佐子
病窓に街は尾灯の小晦日        奈良  三村  一
練乳の沼に崩るる苺かな        東京  棟田 楽人
老いの身をどんとおされる猛暑かな   宮城  村上セイ子
踊る輪の人は途絶えてつむじ風     東京  家治 祥夫
炎天の水牛の角反り返る        東京  山口 一滴
遠雷や童話二冊に子は眠り       静岡  山室 樹一
半坪の書斎に開く曝書かな       群馬  横沢 宇内
大銀河落ち行く先に小さき富士     神奈川 横地 三旦
冷蔵庫死角に隠す取つて置き      神奈川 横山 渓泉
芭蕉葉やそよぎて花の見え隠れ     千葉  吉田 正克
オープンカー夏の思ひ出乗せ走る    東京  若林 泰吉
何かしら買ひ忘れたる炎天下      東京  渡辺 誠子
川の字の少し乱れて昼寝かな      埼玉  渡辺 番茶





















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

広島忌放てる鳩は家を指す       塩田佐喜子
原爆忌の式典で飛ばした鳩が家に戻る。と、鳩の習性を詠んだのだが、「原爆忌」と取合わせたことで、常とは違う風景となる。原爆の落ちたその日、鳩も人も何もかも帰路に着くことはできなかった。帰る家も灰燼に帰したのである。日常生活がなくなった日である。淡々と詠んでいるが、それだけに読後に凄味が残る。同時出句に〈この月は命日多し盆用意〉〈合掌の腕むき出し広島忌〉があった。戦後七十七年、酸鼻を極めた歴史の記憶も風化していくものである。記憶の欠片であっても持っている方、その土地に知見を持つ方はいつまでも詠み続けていってほしいものだ。たとえ類形が有ろうが、無かろうが構わない。 


神官の後に従ふ羽抜鶏         清水 史恵
 式典を終えたあとの神官の列のあとを羽抜鶏が付き従っていくという。しかるべき規模と思われる神社の参道に、貧弱な鶏を合わせたのが俳味である。一種の風景の破調がこの句の面白さである。同時出句の〈直会に着替へし禰宜の夏羽織〉も本来の場面ではなく、少しくつろいだ時間帯にずらせて詠んだところが俳句的目差である。


熟れし桃取り出す指の不確かさ     北原美枝子
果物の中で桃の扱いが一番難しいかもしれない。触ったところから熟み始めるので、生産者も大変だが、取り出す方も慎重だ。特に最初の一つ目は箱の隙間も無いので、この句のように不確かな指使いとなる。 


白玉や浮きくるまでの箸の黙      尼崎 沙羅
白玉は糯米粉を寒晒しにしたもので、練って丸めて茹でる。浮き上ってくれば火の通った証拠である。句では、その瞬間をじっと待っている。手に持った箸の先も動かない。


水平線縦に見てゐる夏の風邪      園部あづき
 仰臥していると風景が逆さに見えるかというと、実はそうではない。そう見えるような錯覚をするのである。だからこの句を読んで、なるほど、と思ってしまうのである。その騙し絵的な発想が面白く、感覚のいい所だ。


霊峰をころがり来たる毛野の雷     たなかまさこ
 群馬県はからっ風が有名だが、夏は雷の産地でもある。毛野の霊峰といえば、赤城山、榛名山、妙義山‥‥。それらの山が雷を繰り出す。「毛野の雷」の纏め方がいい。同時出句の<遠雷の故旧のごとく近づき来>も「故旧」の措辞の斡旋に独自性がある。<連合ひを送りし同士氷菓食む>もいい味わいだ。


立秋や風の軽さを身に纏ひ       橋本 光子
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行〉がある。気配で感じ取るというのが日本人の心である。この句では「音」ではなく「軽さ」を感じ取ったというのである。その軽さを身に纏った、というところに上質な抒情が滲み出るようだ。


アイロンの糊は弱めに夏終る      橋本  泰
 私も長い間、ワイシャツと背広の生活をしていたのでこの句は良く解る。今とは違って、真夏でも長袖のワイシャツにきっちりネクタイを締めていたものだ。企業戦士の軍服であった。夏こそ気を引き締めるために糊を効かせていたのであろう。秋の気配に少し気を揺めた所である。


まどろみし牧夫のための夏木かな    日山 典子
高原の牧場の一景を、まるで四季派の詩人のように美しく詠んでいる。夏の木を「牧夫のための」としたのが独自の表現である。同時出句の〈青山椒煮て曇り無き硝子窓〉は青山椒のすがすがしさ、独得の香を「曇り無き」に繫いだのが手柄である。いい感覚がある。 


羽衣は炎の色に薪能          平山 凛語
薪能は火と闇の祭典。羽衣の衣装に炎の色が映える。天女の飛翔に使った衣であるだけに、読後に様々な想像が過るのである。同時出句の〈海の泡閉ぢこめて居る心太〉はたまたまできてしまった泡からの発想であろうが、信用させられてしまう説得力を持つ。 


蜩の谷戸の夕べに透き通る       桂  説子
鎌倉あたりの嘱目であろうか。蜩は秋の蟬で、夕方などは、ああ、これから日に日に秋が深まっていくのだな、という哀愁を感じさせるものである。この句は「透き通る」の押え方がいい。透明感のある鳴き声が谷戸に染み込む。 


印象深かった句を次に


ふるさとの稜線深し墓洗ふ       我妻 一男
祇園祭やつと疫鬼と手打ちせり     山田 丹晴
ラムネ玉コンと留まり我が青春     矢野 安美
余所者を隠し通せぬ阿波踊       水野 正章
土の手をはたき黙禱終戦日       平野 梗華
三日目の帰省子少しぶつきらぼう    髙橋 双葉
束のまま線香を焚く野分前       加藤 且之
























伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(82)         
  
久女忌に妻の忌日の加はれり

 妻の誕生日は十二月二十八日で、前年五十五歳になって一月足らずの一月二十一日に死んだ。杉田久女の忌日と同じであることに後日気が付いた。癌の末期であったので高輪の病院の個室を借りて、治療は痛み止めだけにして貰って、私は神保町の居酒屋の仕事を終えると終電で病院に入り、ソファーベッドで寝泊りをした。妻が死んだのは雪が降り出した午後であった。遺体を乗せた車は新婚時代を過ごした広尾の家の前を通って杉並の家に戻った。その時の句に

凍蝶といふさながらに妻逝けり

 がある。私は野村證券に入社し、京都支店に配属されたが、その職場で妻と知り合った。結婚して三十年であった。葬儀を終えて一段落した頃の句に〈鬼やらふ妻なき家をおろおろと〉、〈妻呼べばたちまち春の星うるむ〉などの句がある。男というものは漠然と妻より先に死ぬものだと思い込んでいるものだ。それが反対になって戸惑ってしまうのである。

たんぽぽの絮吹き故郷遠くせり

 妻の死ぬ一月ほど前に父が死んだ。父は長男であったが、町で医院を開業したので、生家は弟に任せていた。その敷地の中に、いわゆる屋敷墓があったが、弟に譲っているので、駒ケ根市の光前寺に墓を買った。それを聞いて私も同寺の墓を買っていた。父は脳梗塞で倒れたあと、兄の近くの日野の施設に入っていた。兄は後々のことを考えて、多摩動物園の近くに墓を買って葬ることになった。私の妻は私が墓を買ったとき「信州は寒いから嫌だわ」などと言っていた。それを思い出したので私も信州の墓を解約し、青山の梅窓院に葬った。父も妻も東京の墓地に入ったこと、また信州の家も空家になってしまったことなどで、信州が急に遠くなってしまったように感じたのである。十八歳で上京して、信州での生活の倍ほども東京に住んでいると、もう信州に戻るわけにはいかない。私も東京で死ぬことになるのだな……という思いの中で掲出句が出てきたのであった。 






     


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        











銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。



 

        








掲示板












               
 
     

「銀漢」季語別俳句集


26

拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。















主宰日録  

  

8月

 8月4日(木)
17時、神保町「雷門 き介」。米国の青柳フェイさん帰国中で、天為の方々の仲間に誘っていただき歓迎会に参加。あと「魚勝」。

   8月7日(日)
午後、浅草「神谷バー」。ロスの青柳フェイさんを「駒形どぜう」に案内。あと「ときわ食堂」。あと新宿、思い出横丁と、丸半日飲み歩く。

8月9日(火)
「子規顕彰全国俳句大会」の選送る。約8,000句にて、流石に延べ4日程かかる。伊勢の河合真如先生より「銀漢俳句会」に高額の基金頂戴したと。恐縮。夜、発行所にて「火の会」、9人。

8月10日(水)
俳人協会岡山県支部俳句大会の選。応募句800余句。

 8月12日(金)
「馬酔木」同人評3回目。5,000字ほど。ヘアメイクの中川さんきて短くカットして貰う。

8月13日(土)
台風来。『三丁目の夕日』の「昭和の歳時記」エッセイ一本。

 8月16日(火)
「銀漢」の選句続く。柴山つぐ子さん句集の2度目の選句など。羽黒山三光院の粕谷様より、だだ茶豆到来。

8月21日(日)
11時半、日暮里「夕焼け酒場」。清人さんと仕込み。政三さんの住む「富士見ホテル」がいよいよ取り壊しとて、前の広場でサヨナラパーティー。刺身、寿司。くさやを八枚ほど焼く。「富」「士」「見」で三句出し句会。結局21時位まで歓談。20数名か。

8月22・23日(月・火)
「銀漢」10号、各結社句会の選句など。農家の野菜買いに出た他は部屋に籠り切り。

 8月24日(水)
朝、清人さん、焼津港に入った鮪漁船から入手の鮪を裾分けに寄ってくれる。今日はカマを焼くか。

 8月26日(金)
午後、家族揃って庭で食事会。牛舌、ハラミなど焼く。野菜料理何種類か作る。「銀漢」10月号の選句その他、全部終了して一段落。

8月27日(土)
小林一茶について各種本調べる。9月の伊那の講演会用。このところ、到来の茗荷毎食。夕顔汁も。

 8月29日(月)
昨日より家族は、数日鎌倉で夏休みと。昨日清人さんより連絡あり、今日、盤水先生の忌日と。昨年一緒に墓参し、今年も、と約束していたが、危うく失念するところであった。13時、高幡不動に行くと大和さんも来ていて、ばったり会う。三人で墓参。うどん店で小酌。といっても昼酒は効く。別れて仙川でまた……。

8月30日(火)
19時、日暮里「スナック雪月花」。天為の小石さんがママ。相沢文子さん誕生日とてケーキ持参す。スペインのカバで乾杯。(ヴーヴクリコは2年前5,000円位だったものが、現在12,000円の高値にて買えない……)

8月31日(水)
『神保町に銀漢亭があったころ』の1回目校正。360頁あり、1日かがり。懐かしく読む。帰宅後、岩波文庫『一茶俳句集』読む。

9月

9月1日(木)
午後、手が空いたので初めて赤羽に行ってみる。昼ながらあちこち酒場が開いていて、2軒ほど歩く。あと新宿にもついつい寄ってしまう。歌舞伎町の「もつ焼きカミヤ」は30年振りか。店の様子はほとんど変わっておらず、ガツ刺などの味も佳。

9月2日(金)
「足立区俳句連盟」へエッセイ一本送る。山田春生氏逝去とて、「春耕」へ追悼文。夜、家族の友人のあゆちゃん、杏一家が来る。あゆちゃんは肉を食べないので、清人さんから到来のキハダ鮪半身を刺身、胡麻和え、三つ葉和え。いんげんの胡麻浸し、糠漬けの茗荷、胡瓜の梅肉和えなどでもてなす。

9月3日(土)
『三丁目の夕日』の「昭和の歳時記」エッセイ送る。あ・ん・ど・うクリニック。「銀漢」10月号の校正。岩波文庫『井月句集』読み直し。

9月4日(日)
「一茶と井月」についての講演会内容詰める。若井さんの茄子再度到来。15個程焼きなすにしてストック。嬬恋村からの夕顔煮る。

9月5日(月)
一茶・井月の講演資料まとめる。松山の子規の俳句大会、二重投句や類句取消しなどあり、2度目の調整。調布の講話の杉田久女について調べに入る。

9月6日(火)
12時、発行所。『神保町に銀漢亭があったころ』の校正会議。武田編集長、洋征、秋葉男、悦子さん。途中から堀切君が加わり、たっぷり五時間。あと武田、洋征さんと近くの餃子屋で歓談。別れて「魚勝」で一杯。

9月7日(水)
杉田久女についての資料渉猟。作句。

9月9日(金)
9時35分、新宿バスタ発高速バスにて伊那へ。13時着。喫茶店「門」にて小休止。高校生の頃から変わらない店。「井月生誕200年祭 井月さんまつり」にて、一茶と井月の講演。仙醸酒造の黒河内靖会長(ゼミの先輩)が会いに来て下さる。あと「角八」にて親睦会。北村監督、平沢事務局長、小澤實、相子知恵、西村麒麟さん。「銀漢」は大野田、政三、まほ、有賀理さん。北澤一伯さんも来てくれる。泊りは「伊那パークホテル」。あと、井蛙さんの同級生経営のスナック「パートナー」。12時過ぎ。

9月10日(土)
快晴。「かんてんぱぱガーデン」散策。グリーンファームにて茸の塩漬け他購入。美篶から高遠をドライブ。午後、「いなっせ」の「井月さんまつり」に参加。小澤實さんの講演など。終って飯田線で辰野。鯉料理の「鯉店小坂」へ。洗い、鯉こく、旨煮、鰻の白焼でこの町の酒「夜明け前」。折しも名月の日。辰野駅で電車を待つ間、また車窓からもじっくり楽しむ。伊那へ戻ってまた「パートナー」。小鮒の煮付け、栗の渋皮煮など佳。今日は興が乗ってカラオケ……また……。

  9月11日(日)
伊那市主催の「井月俳句大会」(事前投句は選)は参加を失礼して、飯田線で飯島町へ。沿線懐かしい風景。伊那市駅と飯田駅だけに駅員がいて、あとは無人駅になってしまった。飯島陣屋(復元建物)を訪ね、1時間ほど見学。町で開いているのはラーメン店1軒のみ。冷やし中華の朝昼兼用の食事。1時間以上駅で飯田線を待つ。15時過ぎ、伊那に戻り「門」にてビール! 塩烏賊と胡瓜、小鮒煮など。酒(夜明け前)。井蛙さん合流。急ぐ旅ではないし、もう一泊しようという事になる。「高遠句会」の守屋明、坂下昭、福沢(旧松浦)さんに連絡。「羅針盤」という居酒屋で歓談。あともう1軒。水争いの歴史や焼餅祭の話など面白く聞く。

 9月12日(月)
快晴。9時過出。高遠句会の坂下昭さんの家訪問。井月の直筆句を拝見。父上の本。岳父氏の句集戴く。南瓜、じゃが芋、薩摩芋戴く。近くの同期福沢さん(旧松浦)訪問。茗荷、モロヘイヤ、胡瓜、オクラなど戴く。高遠に出て「高遠そば ますや」で久々、高遠蕎麦三種。佳。家まで井蛙さんに送って貰う。実にいい旅。色々な方に感謝!












         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2022/11/25撮影   ブーゲンビリア    熱海





花言葉   「情熱」「熱心」「あなたしか見えない


△ブーゲンビリ
トロピカルで南国らしさ満載の植物ブーゲンビリア。オシロイバナ科ブーゲンビリア属の常緑つる性植物です。中南米の熱帯が原産地の低木で、生息地では年中咲いています。そのため寒さに強いのですが、真夏の暑さと乾燥には弱いのが特徴です。

クロガネモチ アメジストセージ ブラシの木 ツワブキ 案山子
烏瓜 穭田 ムラサキゴテン 姫蔓蕎麦 ブーゲンビリア









写真は4~5日間隔で掲載しています。 
20222/11/17







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