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2月号 2023年
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出羽三山は中世期は真言宗であったが、江戸期に羽黒山が天台宗に改宗したため、二つの宗派が混在することになった。湯殿山は修験、呪術の要素をより色濃く残していったようで、即身仏信仰も湯殿系が明治期まで残した。この句は「風」東北鍛練会での作句で、句集には中七が「大き幣とぶ」で掲載されているが、句碑建立に当たって改作された。出羽三山では三基目、第八句碑として平成九年湯殿山神社本宮登り口に建立された。(昭和五十三年作『山晴』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選書くことが命の子規の忌なりけり 長谷川明子
一枚の喪の便りより冬に入る 山田 茜
顔見世の火照りに川の夜風かな 谷口いづみ
長男は故郷に棲まず次郎柿 長谷川千何子
故郷の新米先づは手触りで 北爪 鳥閑
大根の抜かれし畑の遺跡めく 有賀 理
心の荷ひとつ花野に捨てにけり 福原 紅
しぐれ忌の詩囊を漱ぐ三井の鐘 武田 禪次
風紋や神在月の神の跡 白井八十八
荒縄の切り口匂ふ冬構 中野 堯司
満蒙は死語となりしか鵙猛る 坂下 昭
焼薯を割つて疎開のことなども 戸矢 一斗
鉄塔は夜中に鳴きて虎落笛 萩原 陽里
夜なべの母時をり鳴らす糸切歯 橋野 幸彦
しぐるるや能登の瓦をまた濡らす 白濱 武子
毛糸編む何も考へたくない日 北川 京子
吊り橋を渡り紅葉の山揺らす 西田 鏡子
泡ひとつ吐き寒鯉になりゆけり 大野 里詩
熱熱のお手玉となるふかし藷 多田 美記
海霧深し汽笛と鷗啼き交す 齋藤 克之
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伊藤伊那男・選
庭隅の紫蘇の実をしごき採ったのであろう。その仄かな匂が伝わってくる。田舎育ちの者にとっては懐かしい香である。塩漬や醬油漬その他にして冬中食卓に上るものであった。句は一瞬の香の通過を摑んで切れ味のいい感覚。 |
「一葉」とは桐の葉のこと。大きな葉であるから存在感がある。山の神からの託宣とも思われてくるというのである。同時出句の〈色変へぬ松の語れる栄枯かな〉は、季節が変わっても色の変わらぬ松に歴史の栄枯を洞察する目差に抒情の深みがある。 |
気のおけない友人であれば、裏に廻ってもらう。そんな付合いであるところがいい。小春日の縁側で四方山話でもしようというのである。小春の季語が生きている。〈同郷といふも縁やおでん酒〉は、たまたま隣席となった客が同郷の人であった、という酒場の風景で、「おでん」の配合がその興趣を深めている。 |
「浄瑠璃寺」の前書があった。奈良にあると思っている人が多いが、行政的に言うと京都府に属する。綺麗に整えられた浄土式庭園である。句にあるように彼岸の極楽浄土を具現しているのである。冬の蝶が作者の目の前と彼岸との間を行き来する。ただし儚さを伴った「冬の蝶」を配したことで、諸行無常を読後に漂わせるのである。 |
御柱祭で歌われる木遣の声は甲高く、よほど訓練をしないと歌えない。鳥の声の中でも鵙の声は高く「鵙高音」の季語となっているのだが、これを木遣の高さと比喩にしたところが非凡である。諏訪を囲む山々が目に浮かぶようである。同時出句の〈翁忌や曾良の墓にも初時雨〉は『奥の細道』に随行した曾良に焦点を当てた面白さである。「初時雨」にくどさを感じない。曾良の墓は諏訪正願寺にある。 |
西南戦争の田原坂の戦いは凄惨であった。攻防の末、新政府軍の近代兵器や通信網に西郷軍は屈服する。〈雨は降る降る人馬は濡れる越すに越されぬ田原坂〉の歌がある。作者は末枯の時期に訪ね、雨に会ったのであろう。時を違えた雨の中で戦いを回顧しているのである。「末枯」に西郷軍への哀惜が籠められているのだろう。 |
年を取ると尚更であろうが、背中になかなか手が届かない。湿布を一人で貼るなどというのは無理である。そんなもどかしさが可笑しさを伴って詠まれている。 |
秋思の様子を丁寧に詠んでいる。机の前で頰杖を突いて物思いに耽っているのだが、それが額に移る。秋思が深まったのであろうか、いや居眠りに入ってしまったのであろうか。その解らないところが俳句の妙である。 |
都会への人口集中や少子化で、地方の祭や行事を継続、維持することが大変になっていると聞く。農業というものは天地の恵みや、人の結束で保たれているもので、その象徴として神社がある。農業が廃れると神社が荒廃する相関関係にある。こういう句が詠まれるようになったのは濃厚にその兆しが出ているということであろう。警鐘の句か。 |
「京のぶぶ漬」の諺があるが、これを基にした面白い句である。「ぶぶ漬でも……」と言い出す前に日暮時が来たと。機知の効いた、技倆のある表現。 |
東海道五十三次の鞠子宿(丸子)は江戸から二十番目にあるから、ほぼ半ば、とみてよかろう。広重にその茶店の浮世絵がある。自然薯掘が茶店に納めながらついでに酒を飲んでいる雰囲気の絵だ。こういう詠み方も一興である。 |
目配りの効いた句だ。嘗めてはみたものの持て余してしまったのであろうが、ぽつんと残った千歳飴というものに焦点を当てたところが俳句的である。 |
その他印象深かった句を次に
「神の旅」は八百万神の国だからこその面白い季語である。神話の世界では滅んでしまった出雲の国へ神が集まるというのも不思議で、そこが様々な想像を誘うところである。句は神の旅と、古い旅鞄を持ち歩く自分の旅とを合わせている。そうなると神の旅には荷物があるのだろうか、あるのならどんな鞄であろうか‥‥などと空想が湧く、取合せの面白い句となった。 |
唐辛子の説明に近い点はあるけれど「真紅の熱(●)」と捉えたところは新鮮である。私などは唐辛子の辛さに特に弱く、タイ料理店の扉を開けただけで、その熱気に汗が出てしまう位である。唐辛子の完全無欠な辛さをよく詠んでいる。 |
近頃のテレビニュースなどによると、飲食店でロボットが料理を給仕するという。そういう時代になったのである。我々の生きている戦後の八十年の科学技術の進歩は急激で濃密であった。これを「文化」というのであろう。文化の日の発祥は明治天皇の誕生日の天長節が戦後名称を替えたもので、私はその名称に違和感を持つのだが‥‥。それを含めて少し皮肉を含めた面白さの出た句であった。 |
洒落た句である。パリの秋は「焼栗」(マロン)が名物だという。それを食べながらのパリの旅を回想したのであろう。その時の地図が今も手許にあり、様々な思い出が触発されるのであろう。本当に匂が残っているわけではなかろうが、その地図を見ると焼栗の匂を確実に感じているのである。 |
「千曲川」の地名がよく効いた句だ。この川は甲武信ヶ岳に発して上田盆地から長野平に入って犀川と合流し、北上して新潟に入り信濃川と名を変えて日本海へ入る。数多の曲折を経ることから付いた名称であろうか。その川の発する朝霧であろうか、川に沿って纏わる。その曲折が鮮明に捉えられているのである。 |
背広にネクタイの生活を返上して久しい。結婚式や祝賀会でももうネクタイはほとんどしないが、葬式の時はそうはいかない。黒いネクタイを結ぶ。この作者も同じ感じなのであろう。喪服としての背広というのがその雰囲気を伝えている。取り合わせた季語の「冬日影」がいい。「影」には二つの意味がある。一つは日、月、灯火などの光である。「月影のワルツ」という歌があるが、この影とは「月光」。もう一つの影は光によってできる物の姿。つまり光と影は表裏一体であり、この句の生と死の主題に叶った意味の深い取合せになったのである。 |
確かに猫は何もしない。犬は番犬にもなり猟犬にもなり、『フランダースの犬』のような働きもするのだが、猫は何もしない。勝手気儘である。これを「尺寸の手も貸さぬ」と断じたのが句の味わい。漱石忌と合わせたところも『吾輩は猫である』に着地させる機知である。 |
童謡「たきび」の二番に「さざんかさざんかさいたみち/たきびだたきびだおちばたき/あたろうかあたろうよ/しもやけおててがもうかゆい」がある。昭和十六年にできたという。私達の子供の頃は到る処で焚火をしていたので実感があったが、今はこの句のように、焚火は無い。作者は見馴れた道を歩き、ふと口遊んで、そう言えば、と過去を回想する。淡い感傷がいい、 |
我々の学生時代だとロールキャベツは、価格的にはどうにか手の届く西洋料理であった。句の新宿という固有名詞も季語の夜学生も実感を持っているのは、恐らく作者の体験から出てきた句だからであろう。時代の匂を感じさせる句なのである、 |
精巧に作られた桐箪笥は上下の引出しの動きによる微妙な空気の圧力で動く。この句がいいのは「冬籠」の季語の取合せにあるようだ。乾燥した空気が感じられるのである。湿度が絡んで他の季節とは違う軽い動きなのであろう。 |
伊那男俳句 自句自解(85) 心中の芝居はねたる夕桜
平安時代前期までは、花と言えば梅が最も愛でられたのだが、遣唐使を廃して国風文化が隆盛する頃から桜が愛でられるように変わっていった。神話の美女、木花之開耶姫(こはなのさくやひめ)は桜の象徴となったし、『古今集』の〈世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平〉は今日まで一貫している日本人の桜に対する心情を代弁しているようだ。日本人は少なからず桜の花に対しては、他の花とは異なる霊力を感じているのではなかろうか。また桜の根は骸骨を抱いているという伝説も信じたくなるのである。さてこの句もそうした日本人の心情を頼りにした句ということになろう。西行法師の〈願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ〉も花と死がテーマである。心中物と桜という日本文化のテーマに則った句ということになろう。経営に参加していた会社が実質的に倒産状態となり、水天宮の近くに移転、明治座の近くの雑居ビルで飲んでいた時の句である。 奥は雲中千本は葉桜に
吉野には五、六回は行っているのだが、桜の時期に行ったのは一度だけである。それも微妙に桜の時期がずれていて、中千本と呼ばれる蔵王堂の辺りは既に散ってしまっていて葉桜であった。奥千本まで行くと西行庵の辺りに僅かに花が残っていた。そのような記憶を残していたので、それから何年か経たあとこの句が浮かんだのである。句の地理的構成でいうと、作者(私だが)は中千本、蔵王堂にいる。吉野は下千本、中千本、上千本、奥千本の四つに分かれており、その標高差で微妙に開花時期がずれるのである。つまり下千本は葉桜も終わってしまった状態。中千本は葉桜、上千本は桜吹雪の頃、奥千本は真盛りということになる。ただし句として成立させるためには「奥は咲き」と言ってしまっては芸が無い。「奥は雲」と表現したことで「花の雲」を連想させて、見えないけれど満開であることを匂わせたのである。写生派の私だが、芸を加えてみたのである。 |
11月 11月12日(土) 調布の講話。阿波野青畝について調べる。鶏と芹の鍋。昼前、日暮里本行寺「一茶・山頭火俳句大会」。当日句募集で300句ほどあり。16時終了し、鈴木忍、井上弘美、鳥居真里子さんと品川プリンスホテルへ移動。「玉藻」創刊千百号、星野椿プラチナ卒寿合同祝賀会。250人位の盛大な会。あと高士さん、中原道夫、小澤實、木暮陶句郎さん等と二次会。 11月13日(日) 酒残る。13時、発行所。「銀漢賞」選考会。禪次、大和、静男、眞理子の面々。決定後、近くの「本庄水産」にて打合わせを兼ねて親睦会。今後の運営について種々の提案あり。 11月14日(月) 「銀漢賞」についての選後評。各人1句その他の作業。数句会の選句。 11月15日(火) 5回目コロナワクチン接種。乾さんの曾良本、年内刊行計画とて2回目の校正原稿到来。優先して全部読み、付箋つけて草思社へ戻す。ヘトヘト。 11月16日(水) 10時、京王プラザホテル。「俳人協会創立六十周年記念式典」及び、「令和3年度俳人協会4賞授与式」。嵐山光三郎氏の講演あり。昼休みに久々、新宿センタービルに行ってみる。この33階に30歳の頃、5人で住宅事業部という融資部門を開いた、それが今のオリックス銀行。飲食街を見るとその頃の店は一軒残るのみ。ホテルで昼食戴き、式典は16時終了。17時、日暮里「夕焼け酒場」で「三水会」。2階で清人さんの集まりがあり、つぶ貝、牡蠣、鮪などの裾分けあり。牡蠣のバターソテー、鮪の胡麻和えなど手助けする。牡蠣10数個、根室の鹿肉貰う。 11月17日(木) 13時、田町専売ビル「慶大俳句 丘の会」句会。30数人。あと禅次、坪井、絹田さんと慶應仲通りの居酒屋。 11月18日(金) 14時、調布。俳句講話で阿波野青畝について2時間。あと上のレストランで歓談。酒は飲まずに帰る。 11月19日(土) 13時、大宮駅。「彩の国句会」「大倉句会」合同吟行会。氷川神社へ19人。快晴。七五三の家族多い。欅落葉がいい。15時、氷川の杜文化館会議室にて5句出し句会。あと「りくぜん」にて懇親会。料理佳。あと伊藤庄平さんと駅前の「いづみや本店」で小酌。 11月20 日(日) 数句会の選句。「三丁目の夕日」に「昭和歳時記」のエッセイ一本。1月号の選句続く。先日「夕焼け酒場」で猟師さんから貰った根室の蝦夷鹿肉を焼く。 11月22日(火) 快晴。湘南新宿ライン、東武線などを乗り継ぎ佐野へ。伊那北会城巡りの会。駅裏の佐野城(江戸初期廃城)、タクシーで真田父子犬伏の別れの地。あと唐沢山城跡へ。露垂根神社から登山。鶴翼状の巨大な山城を一周歩く。眺望佳。駅まで戻ると2万2,000歩程。16時、駅前の魚店「小暮商店」の食堂で打上げ。刺身佳。地元の酒「開華」佳。大宮へ出て「ほっかいや」太刀魚、芹のおひたし、牡蠣フライ他佳。 11月23日(水)、24日(木) 終日選句。莉子20歳誕生日とて河豚取り寄せ。最後の雑炊は私の役割。マロンケーキ佳。このところ頂いた庄内柿、富有柿、ラ・フランス、信州の林檎と果物豊か。 11月25日(金) 「銀漢」1月号の選句選評他全部終了。へとへと。 11月26日(土) 作句。明日の講演の準備。豚肉の味噌漬焼。 11月27日(日) 昼過、練馬区産業プラザ。練馬区の「秋の区民文化祭俳句大会」の選者、講演。17時まで。あと来てくださった武田夫妻、秋葉男さんと近くの居酒屋で小酌。 11月28日(月) 一通りの作業終わったので、ゆっくり。兄の畑の里芋がきたので芋煮鍋の用意など。 11月29日(火) 9時過の新幹線で京都へ向かう。曇天で富士山見えず。シウマイ弁当の朝食。車中来期の調布市の俳句講座の講話予定表を作成し宝田氏に送る。京都は小雨。西本願寺に上る。銀杏黄葉佳。飛雲閣をあちこちの角度から覗く。龍谷大学(重文)も。15時半、「たつみ」海老天、鉄皮、酒粕、酢牡蠣、どぼ漬。「京つけもの処錦 高倉屋」で酢茎でまつもと2杯。娘の手配してくれた「ORI六角ホテル」に。これから4泊。 11月30日(水) 10時、近くの六角獄舎跡。禁門の変の折、30数名処刑。山脇東洋の日本で最初の腑分け(解剖)の地。近くの武信稲荷神社の銀杏黄葉佳。坂本龍馬縁の榎の巨樹もいい。京都三条会商店街の「珈琲工房てらまち」で朝食。歩いて新京極の映画館で「土を喰らう12ヵ月」を見る。昨日、高倉屋の姉さんからジュリーが主役と聞いたので。水上勉の『土を喰う日々』が原作。ジュリーはぼてぼてに太って水上勉の面影は無い。あと、東山、霊山歴史館で幕末の京都の展示を見る。大谷祖廟をお参り。17時、「京極スタンド」。きずし、白菜漬、粕汁で酒。向かいにいた松井さんという62歳の男と仲良しになり、彼の馴染みの店を紹介して貰うことに。連れ立って先斗町の路地の中の女将1人の「SANTA」。子持ち鮎の含め煮佳。あと高校の先輩の店という木屋町の「志満」。1升瓶をぽんと置いて勝手に飲めという。親父さんも一緒に飲み始めて料理は出ない。勘定は? 1,000円。もう一軒行こうと訪ねるが休み。梯子のおじさんである。別れて京都三条会商店街を歩き、もう一軒、と思うが焼肉店しか無く、タンとハラミを食べてしまう。「ロマンポップ」という店。私も梯子爺さんである。 12月 12月1日(木) 10時過ぎ、御陵駅。天智天皇陵を拝す。琵琶湖疎水に出て本圀寺、山科聖天、毘沙門堂。毘沙門堂は見事。紅葉も見事。徳林庵。山科駅で朝昼兼用のきつねうどん。17時、茨木駅。朝妻力さんの行きつけの店「家庭料理とお酒 えふ」。力、播广義春、酒井多加子、力さんのお嬢さん岡田潤さん他、計8人。「雲の峰」12月号発送のあとの打ち上げに参加させて戴く。21時半、ホテルへ戻る。 12月2日(金) 町歩き。後白河天皇即位の高松殿跡。鞍馬口に出て上御霊神社。応仁の乱勃発の地。鳥居前の「水田玉雲堂」の「唐板」を買う。京で一番古い菓子。寺町に出て出町枡形商店街。「満寿形屋」で鯖鮓ときつねうどんセットの昼食。1,300円。御所横に浄土宗大本山清浄華院があり、第83世に幼馴染の飯田実雄氏が就任しており、突然ながら訪ねて挨拶する。御所散策。下御霊神社参拝し、16時過ぎ、「魚棚 ふみ文」。ぐじ、鱧、鮒鮓など。あと一昨日行った「SANTA」。 12月3日(土) 金戒光明寺、真如堂。あと聖護院の「河道屋養老」で養老鍋。夜、「しん」。ぐじ、皮剥薄造り、くもこ、こっぺ蟹など。帰宅23時過ぎ。 12月4日(日) 郵便物沢山。返信。数句会の選句。「俳句てふてふ」の「俳句万華鏡」に久保田万太郎1,500字ほど速達で送る。 12月5日(月) 終日、「銀漢」1月号の校正。紅白なます、蒟蒻煮など作る。 12月6日(火) 「銀漢」2月号のエッセイ、自句自解、盤水の一句。「三丁目の夕日」のエッセイ1本など。終日机。 12月7日(水) 快晴。郵便局。百均他雑用。俳人協会賞選考委員の委嘱を受く。3回連続となるが。長芋輪切りのバターソテー海苔包みなど。 |
△黄梅 「梅」という字が入っていますが、梅の仲間ではありません。1つ前の項目でご紹介したように、モクセイ科ソケイ属。こちらは、ジャスミンの仲間と言えます。しかし、ジャスミンと違い、黄梅には香りがありません。 |