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 3月号  2020年


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伊藤伊那男作品

主宰の8句












        
             

 
          
    

今月の目次





銀漢俳句会/2020/3月号












    



  




   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎地名俳句について
 私には地名を使った句が多い。師の皆川盤水も地名俳句が多く、知らず知らずのうちにその影響を受けたのかもしれない。私は割合地名を用いた句が上手だといわれており、以前、或る超結社句会で「伊那男さんはこの句会では地名を入れた句を出すのは禁止してほしい」と言われたことがある。
 話は変わるが、私がずっと悔いていることの一つは百人一首に馴染まなかったことである。意味は解らなくても子供の頃にこの百首を憶えてしまった人は強いと思う。羨ましいと思う。
 俳句を始めてから、これはいけないと思い、万葉集や古今和歌集などを通読した。百人一首についても解読本なども読んだが、諳んじるということになると、歌留多取りをしないことには難しいのだと思う。
 この正月、我が家のトイレの壁に、子供の月刊誌かの附録と思われる百人一首の一覧表が貼ってあったので久し振りに通読してみた。それで気付いたのが、地名を詠み込んだ和歌の多いことである。数えてみると三十三首、つまり全体の三十三%が地名入りの和歌である。
 それでは、と松尾芭蕉の『おくのほそ道』を繙いてみた。掲載されている芭蕉の句は五十一句、内、地名が詠み込まれている句は十九句、全体の三十七%である。
 私も句集を編む時、好きな句を入れると地名俳句は三〇%を超えていた。三冊ともそうであった。そこで全体のバランスを考えて一五%位に抑えようと、気に入った句をバサバサ切って捨てたのである。句集は様々な要素のバランスを取って気持ち良く読んで貰う必要があるので止むを得ない。
 また先述の、私に「地名俳句禁止」と言った人たちの考え方の中には頻繁に地名を使うのは卑怯であるという想いがある筈である。というのは地名は季語と同じ位、人目を引く力を持っているからである。一つ例を挙げると、〈広島や卵喰ふとき口ひらく〉という句などは「広島」が季語に替わる強烈な力を発揮しているのである。地名は歴史や生活を含めて膨大な情報を包含している。
 そのようなことで、地名は安易に用いてはならないし、頼ってはいけないものである。違う地名━━例えば、長良川を千曲川や最上川に入れ替えても一句が成立する句であるとすれば、その句は捨て去らねばならない。この地名以外には一句は成立しない、というところまで突き詰める覚悟を持って地名俳句は作らなくてはならない。














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男

鴨引きし東京湾の大き闇         皆川 盤水
 
 先生は最初の勤務先、大連汽船での経験を生かして、戦後自ら船舶運営会社、倉庫会社を興し、東京湾に面した事務所を構えられた。東京湾をいつも見ておられたのである。荷の昆布が海水を被ったり、手の皮が剝けるような粗悪な石鹸を摑まされたなどといった苦労話などを聞いた。俳句も怠らずに続けておられたからこそ「鴨引く」などという情景にも目が行ったのであろう。東京湾が今よりも遥かに暗かった時代のことである。(昭和六十三年作『随處』所収)                  








  

彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

一枚に畳む命や蝶凍てて          清水佳壽美
初日記はや三日目の余白かな        萩原 陽里
虎落笛賢治の本の隙間より         多田 悦子
深手にはならぬ程度に成木責        谷岡 健彦
耳が追ふ焼芋屋いま丁字路か        久坂衣里子
義士の日の男ばかりの会議室        谷岡 健彦
家のもん寝付かせてより竈猫        唐沢 静男
袖丈を指に計りて毛糸編む         小山 蓮子
大技へ息をひとつに猿廻し         多田 悦子
寒柝を湯につかりゐて有難く        畔柳 海村
マドンナの目尻に小皺漱石忌        坂下  昭
耳掻いて貰ふごろ寝や近松忌        大野田井蛙
烟されて霞む昭和や落葉焚         柊原 洋征
ぼろ市や楽屋のごとく古着吊り       堀内 清瀬
牛若の駆けし南部の馬の市         齋藤 克之
内子座の奈落の木組底冷す         佐藤 栄子
梟のこゑにふくらむ森の闇         武井まゆみ
いくつもの寝息とともに山眠る       山田  茜















    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

一枚に畳む命や蝶凍てて          清水佳壽美
「冬の蝶」というとまだ舞っている感じである。「凍蝶」というともはや動くこともできず、地に落ちて瀕死のありさまであったりする。掲出句は翅を開くこともできず、閉じたままかろうじて立っているのであろうか。翅を一枚に畳むということは即ち命も畳む、と掛けたところが技倆の高さで、冷静な目で哀れさを強調している。一物仕立てで無駄無く対象物の実態を活写した秀句。 

初日記はや三日目の余白かな        萩原 陽里
「初日記」の季語は元日に限る、という人がいるかもしれないが、私は三日であれば許容範囲だと思っている。一日、二日は意気込みを持って一年の抱負などを丁寧な字で綴ったりするのだが、三日目ともなると特に記す出来事もなく、余白が目立ったようになる。そのような推移が読み取れる楽しい句となった。 
 
虎落笛賢治の本の隙間より         多田 悦子
私ごとだが、宮沢賢治は気になる存在で、『銀河鉄道の夜』などは何度か挑戦したのだが、結局読み通すことができなかった。あのカタカナの名前が馴染めなかったのかもしれない。好きなのは『注文の多い料理店』という短編で、名作だと思う。さて賢治の本の隙間からの虎落笛、とはなにを象徴しているのであろうか。あらゆる分野に才能を発揮した天才であり、実践家であったが、三十代半ばで肺炎が悪化し、無念のまま三十七歳で死んだ慟哭の声であろうか。心で聞く虎落笛である。 

深手にはならぬ程度に成木責        谷岡 健彦
 「成木責」は小正月の行事で、柿の木などの果樹に少し傷をつけて、「成るか成らぬか、成らねば切るぞ」と脅す。相手が木ではあるが、科学的な根拠が少しはあるようだ。ただし、深手を負わせたら元も子も無いわけで、かたちだけ傷をつけるのである。その傷口に粥をかけて労る。 

耳が追ふ焼芋屋いま丁字路か        久坂衣里子
そろそろ焼芋屋が通る頃かと耳を澄ます。その声から丁字路だな、そろそろ買いに出るかな……と思う。焼芋屋の声だけを追いかけるという面白い句だが、やはり相当焼芋に執着のある人の句なのであろう。 

義士の日の男ばかりの会議室        谷岡 健彦
二月号の「銀漢の俳句」でも述べたが赤穂浪士の功罪については諸説あり、討つ方と討たれる方の立場では評価が両極端である。いずれにしてもこの物語は男性が主役。掲句は「男ばかりの」が眼目。戦場と会議室という違いはあるが、それだけが共通点というおかしさもありそうだ。 

家のもん寝付かせてより竈猫        唐沢 静男
 ようやく竈猫の出番であろう。静かな夜。

袖丈を指に計りて毛糸編む         小山 蓮子
私の母もそうであった。指で計るという温かさ。 

大技へ息をひとつに猿廻し         多田 悦子
 猿も、猿の使い手も、観客も三者全部が「ひとつに」。

寒柝を湯につかりゐて有難く        畔柳 海村
「有難く」の止めがいい。俳句は「感謝」の詩でもある。

マドンナの目尻に小皺漱石忌        坂下  昭
 やや付き過ぎだが、その諧謔精神はいい。

耳掻いて貰ふごろ寝や近松忌        大野田井蛙
 この辺から危なくなるという近松劇の導入部。

烟されて霞む昭和や落葉焚         柊原 洋征
昭和は三十年も前。まさに煙の彼方となった……。

ぼろ市や楽屋のごとく古着吊り       堀内 清瀬
 「楽屋のごとく」の着想が面白い。露店の楽屋である。

牛若の駆けし南部の馬の市         齋藤 克之
「馬の市」は秋の季語。歴史と重ねて情感を深めた。 

内子座の奈落の木組底冷す         佐藤 栄子
私も実見したことがあるが、夏でも冷えていた。 

梟のこゑにふくらむ森の闇         武井まゆみ
梟の声は神秘的だ。「こゑにふくらむ」がそれを捉えた。

いくつもの寝息とともに山眠る       山田  茜
鳥獣、昆虫、草木、菌類……皆寝息を立てている。 


















銀河集作品抄


伊藤伊那男・選

老松に菰巻きさらに添へ木足す     東京  飯田眞理子
五百羅漢の寺に長居や冬もみぢ     静岡  唐沢 静男
稲穂添へ嫁の里より今年米       群馬  柴山つぐ子
富士を見る窓を残して掛大根      東京  杉阪 大和
水涸れて大鯉なほも背を正す      東京  武田 花果
煉炭の鉛を鎔かすまたぎ小屋      東京  武田 禪次
秩父山車金糸の波を立たせ曳く     埼玉  多田 美記
短日の見切りのつかぬ草野球      東京  谷岡 健彦
綿虫は彼の世此の世の抜け道に     神奈川 谷口いづみ
神鶏の樹上に憩ふ留守の宮       愛知  萩原 空木
新海苔の粗朶のつづきや海難碑     東京  久重 凜子
悪夢見ぬやうに布団を叩き干す     パリ  堀切 克洋
凩の海を見てゐる漁師の子       東京  松川 洋酔
一の酉まだ生ぬるき風の中       東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

藤伊那男・選

郵便夫雪に消印残すかに        東京  白濱 武子
絵襖の川を涸らさぬ墨の涸れ      東京  橋野 幸彦
水鳥の坩堝めきたる余呉の(うみ)       埼玉  戸矢 一斗
太陽と一対一の日向ぼこ        東京  堀内 清瀬
鰤網を引く立山に背を凭れ       東京  保田 貴子
石ひとつ置くだけの田の神も留守    東京  山元 正規
お手植ゑの松に足掛け菰を巻く     東京  朽木  直
累代の塩の輪しるき茎の石       東京  桂  信子
日の中に寝込みを襲ひ竹瓮上ぐ     群馬  山田  礁
次の間もまたつぎの間も冬座敷     神奈川 こしだまほ
マッチ擦る修司は常に皮手套      埼玉  池田 桐人
山眠る定時発破の束の間を       東京  上田  裕
水涸れて湖底に描く等高線       東京  小林 雅子
五線譜に乗らぬ音して虎落笛      東京  鈴木 淳子
大鍋に梵字鮮やか大根焚        東京  山田  茜

まだ似合ふ二十の頃の冬帽子      東京  相田 惠子
冬夕焼星の(ざわ)めき出番待つ       神奈川 秋元 孝之
裏鬼門花柊のこぼれ咲く        宮城  有賀 稲香
子の刻の笛の幽けき神楽かな      神奈川 有賀  理
風神も雷神も発つ神無月        東京  有澤 志峯
川涸れ切らず国栖人の神ならば     東京  飯田 子貢
寝息ほどの風を裾野に山眠る      埼玉  伊藤 庄平
冬あたたか聖観音の指の先       東京  伊藤 政三
潮騒の通り抜けたる枯木立       神奈川 伊東  岬
鏡台の鏡にくもり神の留守       東京  今井  麦
月魄の深々とあり冬至粥        東京  宇志やまと
冬ざれや村の塞ぎの藁の蛇       埼玉  大澤 静子
静けさが雪つむ音と解るまで      東京  大住 光汪
解禁や猟場の籤を座に回す       東京  大沼まり子
襟巻のきつねの器量目鼻立ち      神奈川 大野 里詩
泉岳寺訪はば後れて雪虫来       埼玉  大野田井蛙
一斉に解脱のやうに木の葉散る     東京  大溝 妙子
街師走生くる商友五指ほどに      東京  大山かげもと
運針は今も苦手や日向ぼこ       東京  小川 夏葉
一生をきのこに困らぬ山を継ぐ     東京  小田島 渚
顔映るほどに新海苔艶めける      埼玉  小野寺清人
着ぶくれを褒めて挨拶交はす仲     神奈川 鏡山智恵子
行く秋を各駅停車にて追へり      和歌山 笠原 裕子
目に見えぬものを恐るるマスクかな   東京  梶山かおり
冬服の見てゐる米軍基地の旗      愛媛  片山 一行
蘂もまた消えいりさうに冬桜      東京  我部 敬子
鮟鱇やおもて煩悩うらの無垢      高知  神村むつ代
牡蠣殻に海の猛りの残りけり      東京  川島秋葉男
眠る山しとねの裾の家眠る       長野  北澤 一伯
歳末の街を鞭打つちんどん屋      東京  柊原 洋征
十二月八日鷗の昏き脇         神奈川 久坂衣里子
棟上の折をはみ出る栗おこは      東京  畔柳 海村
横顔の湯ざめしてゐる三面鏡      東京  小泉 良子
冬の虹消え入りさうに留まりぬ     東京  小林 美樹
山ねむる遭難悲話を重ねつつ      神奈川 小林 好子
立読みの今日の運勢小六月       東京  小山 蓮子
骨格をあらはに男滝涸れはじむ     長崎  坂口 晴子
落城の悲話語るらし帰り花       長野  坂下  昭
破れ蓮は風きて風をやり過ごす     千葉  佐々木節子
熊よけの大きな鈴のランドセル     群馬  佐藤 栄子
山脈を燃え立たせたる冬落暉      長野  三溝 恵子
鳥影に雪見障子を上げてみる      東京  島  織布
冬夕焼見つけて呉れぬかくれんぼ    東京  島谷 高水
がらんどうの炬燵の中の忘れ物     兵庫  清水佳壽美
冬菜干す選ぶ日加減風かげん      埼玉  志村  昌
虎落笛四辺天井までの書架       千葉  白井 飛露
マフラーや又落したるイヤリング    東京  新谷 房子
母を守る役目負ひたる炬燵かな     大阪  末永理恵子
屋根裏に蚕飼の名残冬ざるる      静岡  杉本アツ子
綿虫や神隠してふ昔あり        東京  鈴木てる緒
松葉蟹肩怒らせて大皿に        東京  角 佐穂子
富士塚の径を灯すや石蕗の花      東京  瀬戸 紀恵
終電の通路に一つ黒手套        神奈川 曽谷 晴子
着ぶくれて公暁になれず銀杏散る    長野  高橋 初風
冤罪の叫び吞み込み冬怒濤       東京  高橋 透水
心持ち近き筑波嶺水涸れて       東京  武井まゆみ
遅るるも水輪大きく真鴨の子      東京  竹内 洋平
山国の砂嚙む冬菜洗ひけり       東京  多田 悦子
甲板に旅寝ををしむ星月夜       東京  立崎ひかり
もの言はぬ一人居の咳響くのみ     東京  田中 敬子
公園の干物となりて日向ぼこ      東京  田家 正好
昼の部のはね短日の池之端       東京  塚本 一夫
礼状に不沙汰を詫びて冬に入る     東京  辻  隆夫
ラガー押す芝生のめくれ直す人     愛知  津田  卓
手に掬ふほどの初島冬めけり      東京  坪井 研治
粕汁や骨のみ残る椀の中        東京  豊田 知子
秋篠寺
燈火親し天女の御手も影絵めく     大阪  中島 凌雲
古暦たづきの日々のあからさま     神奈川 中野 堯司
極月の忙しと言うて長電話       東京  中野 智子
神の旅俳句の神も同行す        東京  中村 孝哲
ふるさとの凩さへも懐かしく      茨城  中村 湖童
箒目の影それぞれに冬立てり      埼玉  中村 宗男
亥の子餅紫がかる月夜かな       東京  西原  舞
俳人をじらして亀の鳴く構へ      東京  沼田 有希
駅弁を買ひて冬旅したつもり      埼玉  萩原 陽里
鐘の音の余韻に釣瓶落しかな      広島  長谷川明子
色鳥来順番を待ち松の枝に       神奈川 原田さがみ
茶の花や恭仁京跡を見霽かす      兵庫  播广 義春
喝采に木の葉の舞へり大道芸      東京  半田けい子
観音のみ足をかばふ冬紅葉       東京  福永 新祇
菰を巻く木を抱くやうに手を廻し    東京  福原  紅
望郷や柞落葉に日の匂         東京  星野 淑子
子の歓声すべり台にも木の実降る    東京  保谷 政孝
茎漬や滋味の染み出す馬籠宿      岐阜  堀江 美州
お尻から根つこの生ゆる炬燵かな    埼玉  夲庄 康代
温む水行方追ひゆく橋の上       東京  松浦 宗克
冬山の重たく座る始発駅        東京  松代 展枝
良し悪しは二の次にして年惜しむ    東京  宮内 孝子
北窓を塞ぎし家に母ひとり       神奈川 宮本起代子
多摩川の堰の光に都鳥         東京  村上 文惠
ローマ教皇来日
菊日和温と厳との祈りかな       東京  村田 郁子
鎌倉の家並の低し冬銀河        東京  村田 重子
尾久橋に渡しの名残都鳥        東京  森 羽久衣
釘四本咥へ北窓閉めに行く       千葉  森崎 森平
枯菊の芯にまだ色残しをり       埼玉  森濱 直之
ダム工事終へて安堵の山眠る      長野  守屋  明
凩の行きて帰らず親不知        愛知  山口 輝久
家中の散らかつてゐる神の留守     東京  山下 美佐
胼疼くこれも生きてゐる証し      愛媛  脇  行雲
込み合へる一畑電車神在月       東京  渡辺 花穂
顔洗ふ昨日と違ふ今朝の冬       埼玉  渡辺 志水















     







銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男

郵便夫雪に消印残すかに         白濱 武子
家の前に残る足跡をよく見ると郵便配達の人の足跡。郵便受けの前に止まった後、次の家に向かっている。新雪の上の痕跡はまさに消印のよう。なかなか楽しい発想である。


絵襖の川を涸らさぬ墨の涸れ       橋野 幸彦
句の季語は「絵襖」であるか「川涸る」であるか、というと「絵襖」である。「川涸る」は絵の中のこと、ということになる。ただし冬の「水涸る」頃である。その季感を持ち込み、襖絵の川は涸れることが無いという。その上で筆使いの「涸れ」という表現を更に加えた高度な技法には舌を巻くしかない。 


水鳥の坩堝めきたる余呉の湖(うみ)    戸矢 一斗
近江湖北に琵琶湖と賤ケ岳を挟んで余呉湖がある。鳰をはじめとした水鳥の楽園である。坩堝とは物質を溶解するための耐火性の容器で、転じて熱狂の場や種々のものが入り混じった状況のたとえとして使われる。余呉湖の大きさといい、形状といい、水鳥の混在地であることといい、まさに「坩堝」は言い得て妙、正鵠を得た表現であった。同時出句の〈盆栽を松に置き換ふ年用意〉の淡々とした詠みぶりもいい。


太陽と一対一の日向ぼこ         堀内 清瀬
 「日向ぼこ」の句でこの大胆な表現には意表を突かれた。太陽という巨大な存在と一人の人間を「一対一」というのであるから豪気である。一人でいる縁側か、公園のベンチであるか、ともかくそこには太陽と自分だけしかいないのだ。


鰤網を引く立山に背を凭れ        保田 貴子
鰤は富山湾の至宝。大漁の網を引くのだが、富山湾の背後には北アルプスの山々を屛風のように立て廻している。その山々に凭れ掛かるように背を反らして網を引く……何とも豪快な誇張である。 


石ひとつ置くだけの田の神も留守     山元 正規
 「神無月」は十月の異称。古今集にその名があり、呼称は古いが、その意味は諸説ある。一般的には諸国の神が出雲に集まって男女の縁結びの相談をするため神が不在となる、と理解されているが、伊弉冉尊が崩じた月であることからとか、雷が少ない月だからだとか様々である。が、そこが俳人から見ると興趣の尽きない季語ということになる。さて掲出句は、一枚毎の田の神さえも不在になるという目の付け処の良さが俳諧味である。まさに八百万の神の坐す瑞穂の国である。


お手植ゑの松に足掛け菰を巻く      朽木  直
和歌の世界の高踏な精神を打ち破って、市井人の哀歓を表出したのが俳諧である。この句なども俳句だからこそ生きる嘱目で、やんごとなき方のお手植えの松も、菰巻きをするときには職人が足を掛けるという。こうしたことは今でも俳句でなくては詠めない世界なのである。同時出句の〈火の番の律儀に橋の半ばまで〉も面白い句だ。火事が発生する筈の無い橋の真ん中まで拍子木を鳴らして行く。半ばから向こうは隣町ということであろう。作者の性格まで想像されるような楽しい句である。 


累代の塩の輪しるき茎の石        桂  信子
「茎の石」というと大概は「祖母の世から」存在するというような発想になるのだが、石そのものに目を付けたところがいい。蓋の上に浸出した漬け汁が塩の跡を残す。洗ってもなかなか落ちないのである。そのような塩の残した筋が幾重にも残っている、という観察眼の鋭い句であった。同時出句の〈鰤起し能登の長者の間垣沿ひ〉も能登の風景が眼前に広がる。鰤漁で長者になったのかな……とも思わせるところもいい。 


日の中に寝込みを襲ひ竹瓮上ぐ      山田  礁
柴漬の雑魚の搔揚げ呼ばるるも      同
二句共珍しい素材である。竹(たっ)瓮(ぺ)は筌(うけ)ともいい、雑魚を捉えるための籠。柴(ふし)漬(づけ)は粗朶を束ねてそこに集まる魚を一気に捕獲するもの。失われていく季語を一句目はその捕獲方法を、二句目はその食べ方を伝えて、貴重な句であった。 


煉炭の鉛を鎔かすまたぎ小屋       武田 禪次
 「煉炭」が季語だが、狩猟の一場面である。今はほとんど消滅したと思われるが、山岳地を縄張りとして移住するまたぎという集団があった。その名残の人々が、狩猟の時期、またぎ小屋に集まって狩の準備をする。鉛を溶かして銃弾を作る、という一景である。作者が実見したかどうかは知らぬが、妙に実感を伴う句であった。


 その他印象深かった句を次に

次の間もまたつぎの間も冬座敷      こしだまほ
マッチ擦る修司は常に皮手袋       池田 桐人
山眠る定時発破の束の間を        上田  裕
水涸れて湖底に描く等高線        小林 雅子
五線譜に乗らぬ音して虎落笛       鈴木 淳子
大鍋に梵字鮮やか大根焚         山田  茜












                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選
秀逸
縁側は棺の底か日向ぼこ       東京  市川 半裂
あやとりの橋は紅色しぐれ来る    東京  矢野 安美
怒りだす笛吹ケトル雪催       青森  榊 せい子
白鳥の群れて孤高の頭かな      東京  絹田  稜
寒紅の口のみ生きてゐるやうな    東京  北原美枝子
冬夕焼開聞岳の影を研ぐ       埼玉  今村 昌史
年用意開かずの扉錆び付きて     東京  尼崎 沙羅
上野発つ列車の窓に置くみかん    埼玉  秋津  結
金風や勝男木乾く風の宮       東京  田中  道
隙間風長子いづこも瘦せ我慢     千葉  長井  哲
暦売り小町通りの常の角       神奈川 堀  備中
虎落笛もののふの怨籠りしか     東京  小寺 一凡
風花や野麦峠に風の道        長野  池内とほる
雪積もるところ民話のあるところ   東京  高坂小太郎
佐久の鯉の筒切りにされ冬至の日   群馬  山﨑ちづ子

ユトリロの絵をはみ出して木の葉舞ふ 東京  渡辺 誠子
楮町紙漉町としばれけり       神奈川 水木 浩生
吹きすぎて頃合ひ逃す葛湯かな    神奈川 田嶋 壺中
夕暮の近づく浅間榾を継ぐ      群馬  佐藤かずえ
磔の股引空を蹴り上ぐる       千葉  小森みゆき
文旦のその大きさよ土佐の宿     広島  井上 幸三








星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


冬桜淡き匂をこぼしけり       東京  秋田 正美
二階より埃払ひて聖樹かな      京都  秋保 櫻子
水鳥の波紋に揺らぐ空の青      東京  朝戸 る津
ちりちりと風の音する枯蓮田     東京  浅見 雅江
身につきし朝夕念仏去年今年     愛媛  安藤 向山
素風にも色のありけり夫婦岩     東京  井川  敏
焼き立てのパンを抱き込む雪催    東京  生田  武
岩木山撓む胡桃の枝の間に      東京  石倉 俊紀
記しある残り二つの忘年会      高知  市原 黄梅
真ん中に大河を通す雪の原      東京  伊藤 真紀
指宿の湯にほださるる冬の夜     愛媛  岩本 青山
紀勢線少し眠りて鰤の海       東京  上村健太郎
柚子香り阿讃さかひの湯舟かな    愛媛  内田 釣月
行く年や四十九日に三回忌      長野  浦野 洋一
見つからぬ針一本に湯ざめせり    埼玉  大木 邦絵
水よりも早く暮れゆく浮寝鳥     神奈川 大田 勝行
福耳の夫へ差し出す冬帽子      東京  岡城ひとみ
語り部の一服の間も暖炉燃ゆ     東京  岡田 久男
蕎麦搔きに母思ひ出す夜更かな    群馬  岡村妃呂子
やり残し諸諸ありて年暮るる     神奈川 小坂 誠子
澎湃と聚めし日射枯芦原       京都  小沢 銈三
針山に待針忙し一葉忌        静岡  小野 無道
冬めける怒る眼のまゝ烏賊売らる   宮城  小野寺一砂
霜の夜やときにかまつて欲しき猫   東京  折原あきの
鴨鍋や襖の隙を通る風        東京  桂  説子
単線の串刺す漁村冬ざるる      静岡  金井 硯児
夕映えや己が影連れ枯野人      東京  釜萢 達夫
吾子の子に吾子見る小春日和かな   長野  唐沢 冬朱
生かされて薬十錠冬の水       神奈川 河村  啓
貝踏めば浜鴫の声散りにけり     愛知  北浦 正弘
欠伸する猫が出窓に小春かな     長野  北出 靖彦
大橋を渡り淡路へ神の留守      神奈川 北爪 鳥閑
顔寄せて内緒の話枇杷の花      東京  久保園和美
仁王門抜けて伽藍へ寒雀       東京  倉橋  茂
一茶忌や師に伴はれ信濃路へ     群馬  黒岩伊知朗
雪の夜のむかしがたりや父の膝    群馬  黒岩 清子
寒鴉鯱にとどまり下天見る      三重  黒岩 宏行
海峡の潮目変はりし神の旅      東京  黒田イツ子
山眠る二基の古墳を胎内に      神奈川 小池 天牛
足早に東京駅の小夜時雨       群馬  小林 尊子
喫水線沈め鱈船接岸す        宮城  齊藤 克之
はうたう鍋食うてむかへる冬の陣   神奈川 阪井 忠太
雪吊の小木にも及ぶ飛驒の庭     長野  桜井美津江
ストーブや南部鉄瓶ゆげ走る     東京  佐々木終吉
冬籠句帳離さずうたた寝す      群馬  佐藤さゆり
買物は豆腐一丁落葉道        広島  塩田佐喜子
挨拶も長くなりたる小六月      東京  島谷  操
短日の後ろより声かけられし     東京  清水美保子
新蕎麦や二八十割蕎麦談議      東京  上巳  浩
語り継ぐ家の習ひの年用意      神奈川 白井八十八
茨線の百舌の速贄変電所       東京  須﨑 武雄
小さき庭そこだけ眩し石蕗の花    岐阜  鈴木 春水
ぬるき温泉(ゆ)の長き語らひ冬の宿  群馬  鈴木踏青子
粕汁の鮭の頭のひとにらみ      愛知  住山 春人
紙漉の水一枚の厚みかな       千葉  園部あづき
枯山水けふは濡れゆく初時雨     埼玉  園部 恵夏
短日や奈落に落つるかのごとく    東京  田岡美也子
厚味増す薬手帳や除夜の鐘      東京  髙城 愉楽
踏み進む銀杏落葉の嵩たかし     福島  髙橋 双葉
大槻に投光器結ひ酉の市       長野  宝 絵馬定
セーターや手編みに母を思ひ出す   埼玉  武井 康弘
凩のつまりて戻る旅鞄        東京  竹花美代惠
短日やはたと曜日を見失ひ      神奈川 多丸 朝子
冬の朝靄の底より白川郷       愛知  塚田 寛子
見開きて神農の虎頸を振る      大阪  辻本 理恵
干柿の簾は遠き昔の日        東京  手嶋 惠子
栗の毬踏み踏み廻る縄文遺跡     神奈川 長濱 泰子
七五三祝五歳ははしやいでゐて転ぶ  東京  中村  弘
保冷室に母置き帰る霙道       千葉  中山 桐里 
芯の無き会話のごとく湯豆腐食む   東京  永山 憂仔
鳶鷗舞ひたる湾の淑気かな      宮城  西岡 博子
本尊は磨崖の弥勒鷹渡る       大阪  西田 鏡子
舞姫になりきつてゐる木の葉かな   静岡  橋本 光子
冬囲終へて軍手の藁払ふ       東京  橋本 泰
富士ありて空澄みまさる冬田かな   東京  長谷川千何子
四つ目のくさめに堪へて湯に入る   神奈川 花上 佐都
いらぬ事言はぬが華とマスクもて   長野  馬場みち子
幾年ぞ無心のごとく紙を漉く     千葉  深澤 淡悠
日一日下を向きゆく熟柿かな     長野  藤井 法子
絶筆の句碑に糸瓜の長き影      東京  牧野 睦子
日々新たちぎり目厚き古暦      神奈川 松尾 守人
大ぶりのコーヒーカップ今朝の冬   愛知  松下美代子
身に入むや鳥居を越ゆるこの一歩   京都  三井 康有
銀杏落葉まだ残る葉の疲れ気味    東京  三好 恵子
御殿場の演習弾と虫の声       東京  棟田 和博
短日をしみじみ思ふ古希となり    東京  八木 八龍
春光の海に汽笛のくぐもれり     東京  家治 祥夫
墓のみの源氏三代冬めきて      神奈川 山田 丹晴
水鳥の一気に飛びて空暗む      静岡  山室 樹一
股引の似合うて父に近付きぬ     高知  山本 吉兆
波音に耳を傾け年忘れ        群馬  横沢 宇内
年用意旧きためしをそのままに    神奈川 横地 三旦
教皇来日
転びても前へ歩めと冬の月      神奈川 横山 渓泉
行く年や足湯で癒す旅日和      千葉  吉田 正克
雪の花一夜に融かし五大堂      山形  我妻 一男
鉄橋を渡る汽笛や年が行く      神奈川 渡邊 憲二
















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

縁側は棺の底か日向ぼこ         市川 半裂
年を取ってきたせいであろうか、日向ぼこという行為がどこか死につながっていくような感覚がある。温かな縁側でうとうととしてそのまま死んでいくなどというのは一つの理想であるかもしれない。まだ死にたくは無いけれど。この作者もそんな気持ちを持っているのであろう。縁側は「棺の底」でもあるようだ‥‥という。若い頃には感じなかったし、想像をしたくもなかった事が、身近に思えてくるのは徐々に死が近づいているということなのであろう。そういう共感の持てた句であった。同時出句の〈片時雨枯山水の動き初む〉は石と砂だけで構成された庭が時雨という僅かな気象の変化で命を持つもののような存在になるという発想がいい 

      

あやとりの橋は紅色しぐれ来る      矢野 安美
綾取りで紅色の橋を紡ぎ出したという。赤い糸の橋である。折しも時雨が過る。この二つの取合せが幻想的である。現実の丹塗りの橋より美しく品のある仕上りである。同時出句の〈銀杏黄葉てふ片便り始まれり〉は降りしきる一方の銀杏の葉を「片便り」と見た認識の新鮮さ。〈その池の影も折れたる枯蓮〉は実物と影の対称の把握がいい。 

  

怒りだす笛吹ケトル雪催         榊 せい子
沸騰すると鳴り出す薬缶を「怒り出す」と捉えた。外は雪催。重い雲が垂れ込めているのだ。長い冬の到来である。自然の摂理とはいえ耐え忍ばねばならない季節。人の心を代弁するかのようなケトルの怒りである。同時出句の〈白鳥の鳴き交はす空故郷たり〉は溢れるような抒情を感じる。〈弥次郎兵衛の体幹ぶれず冬に入る〉は「体幹」の措辞がいい。本来動物に使う言葉であるが、玩具に用いて生き物のように扱ったところが手柄。 

  

雪積もるところ民話のあるところ     高坂小太郎
穏やかな気持ちにさせてくれる句である。民話が多く残っているのは確かに雪国のようである。家の中で過すしかない環境なので必然的に様々な民話が語り継がれてきたのであろう。「雪国」と言わず「雪積もるところ」と句またがりに伸ばしたところに、民話の語り口のような良さがある。そして「民話のあるところ」と、「ところ」のリフレインを効かせたところもいい。同時出句の〈冬の日は冬の影生む港町〉はやはり「冬」を重ねているが、あの冬の光の陰翳の濃さをいやが上にも鮮明にした効果がある。

  

白鳥の群れて孤高の頭かな        絹田  稜
白鳥は群れて暮らす鳥であるが、あの大きさからか個々に生活するような印象もある。そこにこの句の眼目がある訳で、どんなに群れていても「孤高」であるとした、そこが卓見である。加えて「頭かな」と頭に焦点を絞って印象を強めたところもいい。同時出句の〈木枯に八百屋お七の心地して〉も振袖火事を起こしたお七と木枯を結び付けた発想が非凡であった。 

  

寒紅の口のみ生きてゐるやうな      北原美枝子
寒紅に思い切り焦点を絞った句である。顔というのではなく、口元だけに焦点を当てた。「口のみ生きてゐるやうな」――ここまで削り込んだ、省略した表現を評価したい。同時出句の〈空よりも川面の赤く冬夕焼〉は、冬夕焼という季語の一面をよく捉えているようだ。 

  

上野発つ列車の窓に置くみかん      秋津  結
「上野」の地名がいい。南国で生産されたみかんが、車窓に置かれて東北地方に向かう。その移動の様子が象徴的である。みかんの存在を際立たせているのである。

 

暦売り小町通りの常の角         堀  備中
 鎌倉の繁華街小町通りである。今年もいつもの角に暦売りの仮設の店が出る。途切れずに続いていることの嬉しさ。それは暦売りも作者も元気で年の瀬を迎えていることの証である。「小町通り」という歴史の背景があるところが句の骨格を支えている。同時出句の〈やまと三山みやこ遷して眠りをり〉も歴史的感興を生かしたところがいい。

 

虎落笛もののふの怨籠りしか       小寺 一凡
鎌倉の嘱目である。私見だが鎌倉はまだあちこちに怨霊がいるような気がしている。そうした一面を虎落笛を介在させて詠み取った句だ。同時出句の〈山茶花の椿のごとし立子館〉は星野立子とその子星野椿とを詠み込んだ洒落た作品であ 

  

その他印象深かった句を次に

 

冬夕焼開聞岳の影を研ぐ         今村 昌史
 隙間風長子いづこも瘦せ我慢      長井  哲    
 ユトリロの絵をはみ出して木の葉舞ふ  渡辺 誠子
 楮町紙漉町としばれけり        水木 浩生
 吹きすぎて頃合ひ逃す葛湯かな     田嶋 壺中
 夕暮の近づく浅間榾を継ぐ       佐藤かずえ
 磔の股引空を蹴り上ぐる        小森みゆき
 文旦のその大きさよ土佐の宿      井上 幸三


















伊那男俳句  


伊那男俳句 自句自解(50)
          
  
虫籠の中のやうなり外厠


 宿坊や民宿などに泊ると、トイレが長い廊下の先にあったり、別棟にあったりする。あるいは公園のトイレなどを想像してもいいが、深夜にそんなところにいると、小窓から虫の音が溢れるように流れ込んでくる。普通は人間が虫を捕えて虫籠の中に閉じ込めて、その音色を楽しむものだ。ところが外厠にいると、自分がいるトイレが虫籠であり、その中に自分が閉じ込められているという錯覚に捕らわれるときがある。つまり人間と虫の立場が逆転してしまうのである。その錯覚を詠んでみたものである。これを思い付いたのは吾ながら嬉しいことであった。結局これも、虫も人間も同じ生き物であるという仏教的発想なのであろう。西洋人は蟬の声をうるさいと感じるという。秋の虫の観賞会などは無いようだ。根本的な思想と嗜好の違いなのであろう。俳句は自然から学ぶ文芸である。自我は控えて、天然自然の現象に自分の思いを託す。それを教えてくれた俳句に感謝しているのである。
  
雨降つてだらだら祭まだなかば

 芝大明神の「だらだら祭」を見に行ったのは随分前のことだ。祭は正式には「芝明神祭」といい、別称「生姜市」「目くされ市」「だらだら祭」などと呼ばれる。「生姜市」の謂れは、近在が生姜の生産地で祭で売られ、その生姜を糠漬けにして食べると、一年間邪気感冒を免れるとされたところから。「めくされ市」の謂れは、根付き生姜→根っかち生姜→盲(めっかち)生姜→目くされ市と変化したものだという。「だらだら祭」の謂れは、九月十一日から二十一日迄の長期にわたって開かれたことによる。近時は九月十三日から十七日迄の五日間に短縮したが、それでも長いといえば長い。私が行った時は雨模様のせいもあり、参詣人はほとんど見かけることが無かった。千木筥を売るアルバイトと思われる巫女さんも手持無沙汰に欠伸を噛み殺しているように見えた。句は「雨降つて」と時間の経過を入れて思い切りだらだらした調べに引き伸ばした。「だ」「だ」「ば」と濁音も増やした。









     


 

伊藤伊那男  俳人協会賞受賞










 去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。
ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新

















俳人協会四賞・受賞式









更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。


 二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。









 受賞 祝賀会

 伊藤伊那男 俳人協会賞
堀切 克洋  俳人協会新人賞
2019/3/17 学士会館
銀漢亭(二次会)


 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。
月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は
5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。


リンクします。

句集 「然々と」 伊藤伊那男

 
句集「尺蠖の道」
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linkします。



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受賞祝賀会 3月17日 日時 12時 
会場 学士会館 東京神田 




haishi etc
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銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。




 









掲示板




















               
 
     

銀漢亭日録

 
12月

12月12日(木)
3ヶ月に1度の「白熱句会」。木暮陶句郎、井上弘美、藤田直子、小山徳夫、檜山哲彦、佐怒賀正美さん。発行所「極句会」あと13人。仕事で付き合いのあった河田健次さんが、伊那北の同期生、桑澤文秀君と。丁度句会に来ていた井蛙、光汪さんとも会う。私は55年振りの再会。

12月13日(金)
13時、武田編集長と日本橋。毎日新聞「デジタル毎日」の今井竜氏と打ち合わせ。あと3人で滋賀県の日本橋オフィス訪問。田原所長、柿町主幹と面談。アンテナショップ「ここ滋賀」の2階レストランで滋賀を絡めた句会開催についての打ち合わせ。店、全く客無く19時閉める。編集部が忘年会をすることになり、誘っていただき「揚子江飯店」へ。会食の中から次の企画について色々面白い提案が出る。

12月14日(土)
10時、運営委員会.毎日新聞デジタルメディア局「俳句てふてふ」との提携の件など議題。13時、麹町会館にて「銀漢本部句会」。55人。終わって中華料理店にて忘年会。20数名。帰宅して娘夫婦と小酌。

12月15日(日)
11時半、みなとみらいの県民共済みらいホールにて藤川ミュージカルスタジオのクリスマスコンサート。怜輔君出演。14時、馬車道駅へ。横浜忘年句会。27名。旧横浜正金銀行本店本館、旧富士銀行横浜支店(旧安田銀行横浜支店)、旧第一銀行横浜支店、旧横浜生糸検査所などの建物を見学。旧税関事務所遺構を見て海上保安資料館横浜館。北朝鮮の工作船の展示に衝撃を受ける。中華街の「梅蘭」にて3句出し句会と忘年会。あと馬さんの店。

12月16(月)
「演劇人句会」6人。あと皆川文弘さん来られたので飲む。23時まで。

 12月17日(火)
ひまわり館「萩句会」選句。店「閏句会」6人。オリックス時代の部下、片山和哉君、ひょっこり。

12月18日(水)
高校同期「三水会」7人。「雛句会」15人。昨日、三ノ輪吟行してきたと。あと井蛙、展枝、麦と「幹」へ。幹は今年で閉店。私の隠れ家であった……。

12月19日(木)
屋内松山さん「天穹」の方々と。「銀漢句会」あと13人など。

12月20日(金)
M氏と奈良で遊ぶ計画があったので、早くから店休むことにしていたが、合流案無くなったので午後ゆるゆると奈良へ。年末の疲れもありホテルで休養。

12月21日(土)
11時10分、近鉄室生口大野駅。恒例の「煤逃吟行会」。26名集合。バスにて室生寺門前「橋本屋」へ。山菜料理の昼食。丁寧で綺麗。さすがに老舗。室生寺拝観。奥の院まで。快晴。40年振りくらいの訪問か。龍穴神社拝す。戻って大野寺の磨崖仏拝す。バスの迎えあり、榛原の「美榛苑」へ投宿。すぐ5句出し句会。関西勢、「雲の峰」の朝妻力主宰他4名の参加が嬉しい。18時半、食事会。

12月22日(日)
ナトリウム系の温泉。美肌の湯というだけのことあり。朝食佳し。山芋のとろろ、塩鮭、いくら、茶粥等。9時発。聖林寺。十一面観音に再会。倉本明佳住職の説明を受ける。たたずまいの美しい寺。歩いて安倍寺跡。安倍文珠院にて昼食。文珠菩薩前にて祈祷を受ける。菩薩は圧巻の偉容。冬至の大神神社参拝。宝物収蔵庫見学。参道で酒少々。奈良の町へ出て「ホテルフジタ奈良」に荷を置き、「蔵」へ。茨木和生先生から差し入れの極上鮒鮓、朝妻力さんからの同鮒鮓を私が調理。5句出し句会。あと席題で4句出し句会。夕方から雨となる。

12月23日(月)
皆は6時から春日大社へ.私はゆっくり風呂。日記、その他の雑用こなす。8時50分位の近鉄にて生駒。タクシーに分乗して磐船神社。雨あとにて磐の中には入れず。白庭の長髄彦本拠地、鳥見白庭山、饒速日命墳墓などを巡り生駒にて解散。山下美佐、井蛙さんと三碓の添御県坐神社へ。名前を替えた長腿彦をお祀りしており、それを知ったのは収穫。15時、京都に出る。井蛙さんとここから2人旅。駅の蕎麦屋で旅初めの乾杯。京都の酒を3杯飲んでしまう。相鉄フレッサイン京都投宿。18時、歩いて堺町二条の「御所南 かまた」。和田ちゃん、今井悦子さん呼んで忘年会。今年閉店の割烹。腕は確か。真魚鰹の西京漬、コッペ蟹のごはんなど印象的。あと祇園の「COCO」。仁井田さんの店。久々歌う。あと「天下一品」にてラーメンと餃子を食べてしまう。ああ……また。

12月24日(火)
2日酔い。のろのろ風呂。「高木珈琲」のリッチモーニングセット。コーヒー佳し。一斗さんに宿題の奈良の3句送る。羅生門跡をスタート。千本通りを中心に東寺、六孫王神社、島原、壬生寺、新選組壬生屯所旧跡など巡る。「京都三条会商店街」に入り、酸茎漬沢山。壬生菜漬、白味噌その他を買う。寺町の「たつみ」迄歩き、粕汁、牡蠣、鉄皮、海鼠などで小酌。17時「味どころしん」。和田ちゃんと落ち合う。皮剥の薄作り、車海老、ぐじなど。前夜の酒がまだ残っており、20時、おひらきとして早々に寝る。

12月25日(水)
6時起床。快調。9時間寝たか。9時出立。今日も「高木珈琲」のリッチモーニングセット。快晴。11時、南座前にて仁井田さんと落ち合い、井蛙さんと3人、タクシーで「将軍塚青龍殿」へ。快晴のテラスから京都の街を鳥瞰。徒歩で、円山公園に降り、大谷祖廟。妻の実家の墓、妻分骨の祖廟を墓参。平安神宮などを巡り、15時半過ぎ。聖護院の「河道屋養老」、養老鍋で旅の打上げ。19時位の新幹線に乗車。

12月26日(木)
2時過、渡辺志水さんと神保町の郵便局。資金移動。妙子さんに星雲集選句稿渡す。店、小島健さん来店。「俳句α・あるふぁ」中島編集長と岩波OBで同郷の今井康之氏。「大倉句会」幹事会の面々。気仙沼大島の牡蠣の畠山重篤先生が外科医の清水先生と。

12月27日(金)
本年の営業終了日。戸矢一斗さん、太田うさぎさん、井蛙さんの声掛けで15、6人集まり句会。たまたま来られた種谷良二さんなども巻き込んで。一平さん、峯尾文世さん。

12月28日(土)
12月の店の月次表作成。広島から到来の牡蠣の殻剥き、玄界灘の1本釣りのヒラマサを捌き、シャブシャブ。カラスミの干し上がり上々。あと大腹三本は塩漬のあと酒びたしに。

12月29日(日
礼状、通信.選句追い込み。11時、「ドコモショップ成城店」。ついにガラケーを卒業してスマホ「らくらくホン」の変更作業。あと喫茶店などで選句作業。4時間近く熱中。18時過か、日暮里の伊藤政三さんの店へ。今日、年末打ち上げと。行くと、朽木直、今井麦、戸矢一斗、森羽久衣、こしだまほさんなどがいる。21時過帰宅。家族は今朝から信州へスキーツアー。そのあと軽井沢で合流しないか? と誘われたが2月号の句評等まだにて家に残ることに。

12月30日(月)
同人評。会員評。彗星集評を書いて2月号原稿終了。クタクタ。終日家。

12月31日(火)
カラスミ、追加の二腹干し上がり。そのあと追加の三腹干し始める。結局今年は十三腹。家族留守にて1人の大晦日。早々に寝る。

1月

1月1日(水)
快晴。午後、家族軽井沢から戻る。お節料理、白味噌雑煮、自家製カラスミ等々で新年の宴。渡辺花穂さん句集点検と跋文準備。

1月2日(木)
今日はお澄ましの雑煮。朝からの酒でうたた寝。午後、家族揃って喜多見の寒川神社へお参り。花穂さん句集の跋文、ほぼまとめてまたうたた寝。夜、タラバガニ。ズワイガニ、ヒラマサの塩焼きなど。

1月3日(金)
部屋の片付け、5時間ほど。ようやく歩ける広さとなる。16時、杏一家来宅。新年会。莉子は朝からスキー合宿へ。

1月4日(土)
部屋の整頓、「銀漢新年俳句大会」の選句(応募500数10句)。飯田眞理子句集の原稿チェックなど。あとは怠惰に過ごす。

1月6日(月)
午前中、会員の折原あきのさんの親戚より電話。あきのさん今朝、ご逝去と。「銀漢」に参加されて1年少々か。ご冥福を祈る。今日より「銀漢亭」スタート。小川洋、清人さん。「月の匣」の水内慶太氏一派。慶太氏、年末体調崩しておられた(奈良での合流叶わず)。麦さんの友人グループ。「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人などなど。大賑わい。莉子、スキー、今日の大会スラロームの部でインターハイ東京からの出場者10人に選抜! 快挙!

1月7日(火)
冷たい雨の1日。毎日新聞の今井竜さん。私のスマホに毎日「俳句てふてふ」を開設して下さる。客無く、21時前に閉店。

1月8日(水)
発行所「梶の葉句会」。西村麒麟君、1月27日の「角川俳句賞」受賞式のあとの二次会、銀漢亭でやりたいとの相談あり。「きさらぎ句会」あと6人。莉子スキーもう一つのジャイアントスラローム、0・04秒差でインターハイ逃す。スラロームの代表は獲得しているが。











         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2020年3月23日撮影  バイモ   from hachioji



   

花言葉     
母の優しさ」「威厳」「威光」「天上の愛」
バイモ
バイモは中国原産の球根植物で、日本には江戸時代の享保年間に薬用植物として、中国の商人が幕府に献上したのが始まりとされます。
別名として「編笠百合」。
パン屋の仕事帰りの城址公園に群生を毎年撮影しています。ここは野草の宝庫です。
フウの実 雪割草 アズマイチゲ 雪割草 白木蓮
山茱萸  ハーデンベルギア  雪柳 バイモ 片栗の花

写真は4~5日間隔で掲載しています。 
2020/3/23    更新







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