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3月号 2020年
伊藤伊那男作品 令和元年優秀作品集 第9回「銀漢賞」作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 銀漢日録 今月の写真 俳人協会賞受賞 俳人協会四賞受賞式 |
伊藤伊那男作品主宰の8句今月の目次銀漢俳句会/2020/3月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎地名俳句について 私には地名を使った句が多い。師の皆川盤水も地名俳句が多く、知らず知らずのうちにその影響を受けたのかもしれない。私は割合地名を用いた句が上手だといわれており、以前、或る超結社句会で「伊那男さんはこの句会では地名を入れた句を出すのは禁止してほしい」と言われたことがある。 話は変わるが、私がずっと悔いていることの一つは百人一首に馴染まなかったことである。意味は解らなくても子供の頃にこの百首を憶えてしまった人は強いと思う。羨ましいと思う。 俳句を始めてから、これはいけないと思い、万葉集や古今和歌集などを通読した。百人一首についても解読本なども読んだが、諳んじるということになると、歌留多取りをしないことには難しいのだと思う。 この正月、我が家のトイレの壁に、子供の月刊誌かの附録と思われる百人一首の一覧表が貼ってあったので久し振りに通読してみた。それで気付いたのが、地名を詠み込んだ和歌の多いことである。数えてみると三十三首、つまり全体の三十三%が地名入りの和歌である。 それでは、と松尾芭蕉の『おくのほそ道』を繙いてみた。掲載されている芭蕉の句は五十一句、内、地名が詠み込まれている句は十九句、全体の三十七%である。 私も句集を編む時、好きな句を入れると地名俳句は三〇%を超えていた。三冊ともそうであった。そこで全体のバランスを考えて一五%位に抑えようと、気に入った句をバサバサ切って捨てたのである。句集は様々な要素のバランスを取って気持ち良く読んで貰う必要があるので止むを得ない。 また先述の、私に「地名俳句禁止」と言った人たちの考え方の中には頻繁に地名を使うのは卑怯であるという想いがある筈である。というのは地名は季語と同じ位、人目を引く力を持っているからである。一つ例を挙げると、〈広島や卵喰ふとき口ひらく〉という句などは「広島」が季語に替わる強烈な力を発揮しているのである。地名は歴史や生活を含めて膨大な情報を包含している。 そのようなことで、地名は安易に用いてはならないし、頼ってはいけないものである。違う地名━━例えば、長良川を千曲川や最上川に入れ替えても一句が成立する句であるとすれば、その句は捨て去らねばならない。この地名以外には一句は成立しない、というところまで突き詰める覚悟を持って地名俳句は作らなくてはならない。 |
先生は最初の勤務先、大連汽船での経験を生かして、戦後自ら船舶運営会社、倉庫会社を興し、東京湾に面した事務所を構えられた。東京湾をいつも見ておられたのである。荷の昆布が海水を被ったり、手の皮が剝けるような粗悪な石鹸を摑まされたなどといった苦労話などを聞いた。俳句も怠らずに続けておられたからこそ「鴨引く」などという情景にも目が行ったのであろう。東京湾が今よりも遥かに暗かった時代のことである。(昭和六十三年作『随處』所収) |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選一枚に畳む命や蝶凍てて 清水佳壽美
初日記はや三日目の余白かな 萩原 陽里
虎落笛賢治の本の隙間より 多田 悦子
耳が追ふ焼芋屋いま丁字路か 久坂衣里子
義士の日の男ばかりの会議室 谷岡 健彦
家のもん寝付かせてより竈猫 唐沢 静男
袖丈を指に計りて毛糸編む 小山 蓮子
大技へ息をひとつに猿廻し 多田 悦子
寒柝を湯につかりゐて有難く 畔柳 海村
マドンナの目尻に小皺漱石忌 坂下 昭
耳掻いて貰ふごろ寝や近松忌 大野田井蛙
烟されて霞む昭和や落葉焚 柊原 洋征
ぼろ市や楽屋のごとく古着吊り 堀内 清瀬
牛若の駆けし南部の馬の市 齋藤 克之
内子座の奈落の木組底冷す 佐藤 栄子
梟のこゑにふくらむ森の闇 武井まゆみ
いくつもの寝息とともに山眠る 山田 茜
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 老松に菰巻きさらに添へ木足す 東京 飯田眞理子
五百羅漢の寺に長居や冬もみぢ 静岡 唐沢 静男 稲穂添へ嫁の里より今年米 群馬 柴山つぐ子 富士を見る窓を残して掛大根 東京 杉阪 大和 水涸れて大鯉なほも背を正す 東京 武田 花果 煉炭の鉛を鎔かすまたぎ小屋 東京 武田 禪次 秩父山車金糸の波を立たせ曳く 埼玉 多田 美記 短日の見切りのつかぬ草野球 東京 谷岡 健彦 綿虫は彼の世此の世の抜け道に 神奈川 谷口いづみ 神鶏の樹上に憩ふ留守の宮 愛知 萩原 空木 新海苔の粗朶のつづきや海難碑 東京 久重 凜子 悪夢見ぬやうに布団を叩き干す パリ 堀切 克洋 凩の海を見てゐる漁師の子 東京 松川 洋酔 一の酉まだ生ぬるき風の中 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄藤伊那男・選
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家の前に残る足跡をよく見ると郵便配達の人の足跡。郵便受けの前に止まった後、次の家に向かっている。新雪の上の痕跡はまさに消印のよう。なかなか楽しい発想である。 |
句の季語は「絵襖」であるか「川涸る」であるか、というと「絵襖」である。「川涸る」は絵の中のこと、ということになる。ただし冬の「水涸る」頃である。その季感を持ち込み、襖絵の川は涸れることが無いという。その上で筆使いの「涸れ」という表現を更に加えた高度な技法には舌を巻くしかない。 |
近江湖北に琵琶湖と賤ケ岳を挟んで余呉湖がある。鳰をはじめとした水鳥の楽園である。坩堝とは物質を溶解するための耐火性の容器で、転じて熱狂の場や種々のものが入り混じった状況のたとえとして使われる。余呉湖の大きさといい、形状といい、水鳥の混在地であることといい、まさに「坩堝」は言い得て妙、正鵠を得た表現であった。同時出句の〈盆栽を松に置き換ふ年用意〉の淡々とした詠みぶりもいい。 |
「日向ぼこ」の句でこの大胆な表現には意表を突かれた。太陽という巨大な存在と一人の人間を「一対一」というのであるから豪気である。一人でいる縁側か、公園のベンチであるか、ともかくそこには太陽と自分だけしかいないのだ。 |
鰤は富山湾の至宝。大漁の網を引くのだが、富山湾の背後には北アルプスの山々を屛風のように立て廻している。その山々に凭れ掛かるように背を反らして網を引く……何とも豪快な誇張である。 |
「神無月」は十月の異称。古今集にその名があり、呼称は古いが、その意味は諸説ある。一般的には諸国の神が出雲に集まって男女の縁結びの相談をするため神が不在となる、と理解されているが、伊弉冉尊が崩じた月であることからとか、雷が少ない月だからだとか様々である。が、そこが俳人から見ると興趣の尽きない季語ということになる。さて掲出句は、一枚毎の田の神さえも不在になるという目の付け処の良さが俳諧味である。まさに八百万の神の坐す瑞穂の国である。 |
和歌の世界の高踏な精神を打ち破って、市井人の哀歓を表出したのが俳諧である。この句なども俳句だからこそ生きる嘱目で、やんごとなき方のお手植えの松も、菰巻きをするときには職人が足を掛けるという。こうしたことは今でも俳句でなくては詠めない世界なのである。同時出句の〈火の番の律儀に橋の半ばまで〉も面白い句だ。火事が発生する筈の無い橋の真ん中まで拍子木を鳴らして行く。半ばから向こうは隣町ということであろう。作者の性格まで想像されるような楽しい句である。 |
「茎の石」というと大概は「祖母の世から」存在するというような発想になるのだが、石そのものに目を付けたところがいい。蓋の上に浸出した漬け汁が塩の跡を残す。洗ってもなかなか落ちないのである。そのような塩の残した筋が幾重にも残っている、という観察眼の鋭い句であった。同時出句の〈鰤起し能登の長者の間垣沿ひ〉も能登の風景が眼前に広がる。鰤漁で長者になったのかな……とも思わせるところもいい。 |
二句共珍しい素材である。竹(たっ)瓮(ぺ)は筌(うけ)ともいい、雑魚を捉えるための籠。柴(ふし)漬(づけ)は粗朶を束ねてそこに集まる魚を一気に捕獲するもの。失われていく季語を一句目はその捕獲方法を、二句目はその食べ方を伝えて、貴重な句であった。 |
「煉炭」が季語だが、狩猟の一場面である。今はほとんど消滅したと思われるが、山岳地を縄張りとして移住するまたぎという集団があった。その名残の人々が、狩猟の時期、またぎ小屋に集まって狩の準備をする。鉛を溶かして銃弾を作る、という一景である。作者が実見したかどうかは知らぬが、妙に実感を伴う句であった。 |
その他印象深かった句を次に
年を取ってきたせいであろうか、日向ぼこという行為がどこか死につながっていくような感覚がある。温かな縁側でうとうととしてそのまま死んでいくなどというのは一つの理想であるかもしれない。まだ死にたくは無いけれど。この作者もそんな気持ちを持っているのであろう。縁側は「棺の底」でもあるようだ‥‥という。若い頃には感じなかったし、想像をしたくもなかった事が、身近に思えてくるのは徐々に死が近づいているということなのであろう。そういう共感の持てた句であった。同時出句の〈片時雨枯山水の動き初む〉は石と砂だけで構成された庭が時雨という僅かな気象の変化で命を持つもののような存在になるという発想がいい |
綾取りで紅色の橋を紡ぎ出したという。赤い糸の橋である。折しも時雨が過る。この二つの取合せが幻想的である。現実の丹塗りの橋より美しく品のある仕上りである。同時出句の〈銀杏黄葉てふ片便り始まれり〉は降りしきる一方の銀杏の葉を「片便り」と見た認識の新鮮さ。〈その池の影も折れたる枯蓮〉は実物と影の対称の把握がいい。 |
沸騰すると鳴り出す薬缶を「怒り出す」と捉えた。外は雪催。重い雲が垂れ込めているのだ。長い冬の到来である。自然の摂理とはいえ耐え忍ばねばならない季節。人の心を代弁するかのようなケトルの怒りである。同時出句の〈白鳥の鳴き交はす空故郷たり〉は溢れるような抒情を感じる。〈弥次郎兵衛の体幹ぶれず冬に入る〉は「体幹」の措辞がいい。本来動物に使う言葉であるが、玩具に用いて生き物のように扱ったところが手柄。 |
穏やかな気持ちにさせてくれる句である。民話が多く残っているのは確かに雪国のようである。家の中で過すしかない環境なので必然的に様々な民話が語り継がれてきたのであろう。「雪国」と言わず「雪積もるところ」と句またがりに伸ばしたところに、民話の語り口のような良さがある。そして「民話のあるところ」と、「ところ」のリフレインを効かせたところもいい。同時出句の〈冬の日は冬の影生む港町〉はやはり「冬」を重ねているが、あの冬の光の陰翳の濃さをいやが上にも鮮明にした効果がある。 |
白鳥は群れて暮らす鳥であるが、あの大きさからか個々に生活するような印象もある。そこにこの句の眼目がある訳で、どんなに群れていても「孤高」であるとした、そこが卓見である。加えて「頭かな」と頭に焦点を絞って印象を強めたところもいい。同時出句の〈木枯に八百屋お七の心地して〉も振袖火事を起こしたお七と木枯を結び付けた発想が非凡であった。 |
寒紅に思い切り焦点を絞った句である。顔というのではなく、口元だけに焦点を当てた。「口のみ生きてゐるやうな」――ここまで削り込んだ、省略した表現を評価したい。同時出句の〈空よりも川面の赤く冬夕焼〉は、冬夕焼という季語の一面をよく捉えているようだ。 |
「上野」の地名がいい。南国で生産されたみかんが、車窓に置かれて東北地方に向かう。その移動の様子が象徴的である。みかんの存在を際立たせているのである。 |
鎌倉の繁華街小町通りである。今年もいつもの角に暦売りの仮設の店が出る。途切れずに続いていることの嬉しさ。それは暦売りも作者も元気で年の瀬を迎えていることの証である。「小町通り」という歴史の背景があるところが句の骨格を支えている。同時出句の〈やまと三山みやこ遷して眠りをり〉も歴史的感興を生かしたところがいい。 |
鎌倉の嘱目である。私見だが鎌倉はまだあちこちに怨霊がいるような気がしている。そうした一面を虎落笛を介在させて詠み取った句だ。同時出句の〈山茶花の椿のごとし立子館〉は星野立子とその子星野椿とを詠み込んだ洒落た作品であ |
伊那男俳句 自句自解(50) 虫籠の中のやうなり外厠
宿坊や民宿などに泊ると、トイレが長い廊下の先にあったり、別棟にあったりする。あるいは公園のトイレなどを想像してもいいが、深夜にそんなところにいると、小窓から虫の音が溢れるように流れ込んでくる。普通は人間が虫を捕えて虫籠の中に閉じ込めて、その音色を楽しむものだ。ところが外厠にいると、自分がいるトイレが虫籠であり、その中に自分が閉じ込められているという錯覚に捕らわれるときがある。つまり人間と虫の立場が逆転してしまうのである。その錯覚を詠んでみたものである。これを思い付いたのは吾ながら嬉しいことであった。結局これも、虫も人間も同じ生き物であるという仏教的発想なのであろう。西洋人は蟬の声をうるさいと感じるという。秋の虫の観賞会などは無いようだ。根本的な思想と嗜好の違いなのであろう。俳句は自然から学ぶ文芸である。自我は控えて、天然自然の現象に自分の思いを託す。それを教えてくれた俳句に感謝しているのである。 雨降つてだらだら祭まだなかば
芝大明神の「だらだら祭」を見に行ったのは随分前のことだ。祭は正式には「芝明神祭」といい、別称「生姜市」「目くされ市」「だらだら祭」などと呼ばれる。「生姜市」の謂れは、近在が生姜の生産地で祭で売られ、その生姜を糠漬けにして食べると、一年間邪気感冒を免れるとされたところから。「めくされ市」の謂れは、根付き生姜→根っかち生姜→盲(めっかち)生姜→目くされ市と変化したものだという。「だらだら祭」の謂れは、九月十一日から二十一日迄の長期にわたって開かれたことによる。近時は九月十三日から十七日迄の五日間に短縮したが、それでも長いといえば長い。私が行った時は雨模様のせいもあり、参詣人はほとんど見かけることが無かった。千木筥を売るアルバイトと思われる巫女さんも手持無沙汰に欠伸を噛み殺しているように見えた。句は「雨降つて」と時間の経過を入れて思い切りだらだらした調べに引き伸ばした。「だ」「だ」「ば」と濁音も増やした。 |
去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。 ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新 |
二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。 |
伊藤伊那男 俳人協会賞 堀切 克洋 俳人協会新人賞 2019/3/17 学士会館 銀漢亭(二次会) |
△ 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。 △月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。 |
12月 12月12日(木) 3ヶ月に1度の「白熱句会」。木暮陶句郎、井上弘美、藤田直子、小山徳夫、檜山哲彦、佐怒賀正美さん。発行所「極句会」あと13人。仕事で付き合いのあった河田健次さんが、伊那北の同期生、桑澤文秀君と。丁度句会に来ていた井蛙、光汪さんとも会う。私は55年振りの再会。 12月13日(金) 13時、武田編集長と日本橋。毎日新聞「デジタル毎日」の今井竜氏と打ち合わせ。あと3人で滋賀県の日本橋オフィス訪問。田原所長、柿町主幹と面談。アンテナショップ「ここ滋賀」の2階レストランで滋賀を絡めた句会開催についての打ち合わせ。店、全く客無く19時閉める。編集部が忘年会をすることになり、誘っていただき「揚子江飯店」へ。会食の中から次の企画について色々面白い提案が出る。 12月14日(土) 10時、運営委員会.毎日新聞デジタルメディア局「俳句てふてふ」との提携の件など議題。13時、麹町会館にて「銀漢本部句会」。55人。終わって中華料理店にて忘年会。20数名。帰宅して娘夫婦と小酌。 12月15日(日) 11時半、みなとみらいの県民共済みらいホールにて藤川ミュージカルスタジオのクリスマスコンサート。怜輔君出演。14時、馬車道駅へ。横浜忘年句会。27名。旧横浜正金銀行本店本館、旧富士銀行横浜支店(旧安田銀行横浜支店)、旧第一銀行横浜支店、旧横浜生糸検査所などの建物を見学。旧税関事務所遺構を見て海上保安資料館横浜館。北朝鮮の工作船の展示に衝撃を受ける。中華街の「梅蘭」にて3句出し句会と忘年会。あと馬さんの店。 12月16(月) 「演劇人句会」6人。あと皆川文弘さん来られたので飲む。23時まで。 12月17日(火) ひまわり館「萩句会」選句。店「閏句会」6人。オリックス時代の部下、片山和哉君、ひょっこり。 12月18日(水) 高校同期「三水会」7人。「雛句会」15人。昨日、三ノ輪吟行してきたと。あと井蛙、展枝、麦と「幹」へ。幹は今年で閉店。私の隠れ家であった……。 12月19日(木) 屋内松山さん「天穹」の方々と。「銀漢句会」あと13人など。 12月20日(金) M氏と奈良で遊ぶ計画があったので、早くから店休むことにしていたが、合流案無くなったので午後ゆるゆると奈良へ。年末の疲れもありホテルで休養。 12月21日(土) 11時10分、近鉄室生口大野駅。恒例の「煤逃吟行会」。26名集合。バスにて室生寺門前「橋本屋」へ。山菜料理の昼食。丁寧で綺麗。さすがに老舗。室生寺拝観。奥の院まで。快晴。40年振りくらいの訪問か。龍穴神社拝す。戻って大野寺の磨崖仏拝す。バスの迎えあり、榛原の「美榛苑」へ投宿。すぐ5句出し句会。関西勢、「雲の峰」の朝妻力主宰他4名の参加が嬉しい。18時半、食事会。 12月22日(日) ナトリウム系の温泉。美肌の湯というだけのことあり。朝食佳し。山芋のとろろ、塩鮭、いくら、茶粥等。9時発。聖林寺。十一面観音に再会。倉本明佳住職の説明を受ける。たたずまいの美しい寺。歩いて安倍寺跡。安倍文珠院にて昼食。文珠菩薩前にて祈祷を受ける。菩薩は圧巻の偉容。冬至の大神神社参拝。宝物収蔵庫見学。参道で酒少々。奈良の町へ出て「ホテルフジタ奈良」に荷を置き、「蔵」へ。茨木和生先生から差し入れの極上鮒鮓、朝妻力さんからの同鮒鮓を私が調理。5句出し句会。あと席題で4句出し句会。夕方から雨となる。 12月23日(月) 皆は6時から春日大社へ.私はゆっくり風呂。日記、その他の雑用こなす。8時50分位の近鉄にて生駒。タクシーに分乗して磐船神社。雨あとにて磐の中には入れず。白庭の長髄彦本拠地、鳥見白庭山、饒速日命墳墓などを巡り生駒にて解散。山下美佐、井蛙さんと三碓の添御県坐神社へ。名前を替えた長腿彦をお祀りしており、それを知ったのは収穫。15時、京都に出る。井蛙さんとここから2人旅。駅の蕎麦屋で旅初めの乾杯。京都の酒を3杯飲んでしまう。相鉄フレッサイン京都投宿。18時、歩いて堺町二条の「御所南 かまた」。和田ちゃん、今井悦子さん呼んで忘年会。今年閉店の割烹。腕は確か。真魚鰹の西京漬、コッペ蟹のごはんなど印象的。あと祇園の「COCO」。仁井田さんの店。久々歌う。あと「天下一品」にてラーメンと餃子を食べてしまう。ああ……また。 12月24日(火) 2日酔い。のろのろ風呂。「高木珈琲」のリッチモーニングセット。コーヒー佳し。一斗さんに宿題の奈良の3句送る。羅生門跡をスタート。千本通りを中心に東寺、六孫王神社、島原、壬生寺、新選組壬生屯所旧跡など巡る。「京都三条会商店街」に入り、酸茎漬沢山。壬生菜漬、白味噌その他を買う。寺町の「たつみ」迄歩き、粕汁、牡蠣、鉄皮、海鼠などで小酌。17時「味どころしん」。和田ちゃんと落ち合う。皮剥の薄作り、車海老、ぐじなど。前夜の酒がまだ残っており、20時、おひらきとして早々に寝る。 12月25日(水) 6時起床。快調。9時間寝たか。9時出立。今日も「高木珈琲」のリッチモーニングセット。快晴。11時、南座前にて仁井田さんと落ち合い、井蛙さんと3人、タクシーで「将軍塚青龍殿」へ。快晴のテラスから京都の街を鳥瞰。徒歩で、円山公園に降り、大谷祖廟。妻の実家の墓、妻分骨の祖廟を墓参。平安神宮などを巡り、15時半過ぎ。聖護院の「河道屋養老」、養老鍋で旅の打上げ。19時位の新幹線に乗車。 12月26日(木) 2時過、渡辺志水さんと神保町の郵便局。資金移動。妙子さんに星雲集選句稿渡す。店、小島健さん来店。「俳句α・あるふぁ」中島編集長と岩波OBで同郷の今井康之氏。「大倉句会」幹事会の面々。気仙沼大島の牡蠣の畠山重篤先生が外科医の清水先生と。 12月27日(金) 本年の営業終了日。戸矢一斗さん、太田うさぎさん、井蛙さんの声掛けで15、6人集まり句会。たまたま来られた種谷良二さんなども巻き込んで。一平さん、峯尾文世さん。 12月28日(土) 12月の店の月次表作成。広島から到来の牡蠣の殻剥き、玄界灘の1本釣りのヒラマサを捌き、シャブシャブ。カラスミの干し上がり上々。あと大腹三本は塩漬のあと酒びたしに。 12月29日(日) 礼状、通信.選句追い込み。11時、「ドコモショップ成城店」。ついにガラケーを卒業してスマホ「らくらくホン」の変更作業。あと喫茶店などで選句作業。4時間近く熱中。18時過か、日暮里の伊藤政三さんの店へ。今日、年末打ち上げと。行くと、朽木直、今井麦、戸矢一斗、森羽久衣、こしだまほさんなどがいる。21時過帰宅。家族は今朝から信州へスキーツアー。そのあと軽井沢で合流しないか? と誘われたが2月号の句評等まだにて家に残ることに。 12月30日(月) 同人評。会員評。彗星集評を書いて2月号原稿終了。クタクタ。終日家。 12月31日(火) カラスミ、追加の二腹干し上がり。そのあと追加の三腹干し始める。結局今年は十三腹。家族留守にて1人の大晦日。早々に寝る。 1月 1月1日(水) 快晴。午後、家族軽井沢から戻る。お節料理、白味噌雑煮、自家製カラスミ等々で新年の宴。渡辺花穂さん句集点検と跋文準備。 1月2日(木) 今日はお澄ましの雑煮。朝からの酒でうたた寝。午後、家族揃って喜多見の寒川神社へお参り。花穂さん句集の跋文、ほぼまとめてまたうたた寝。夜、タラバガニ。ズワイガニ、ヒラマサの塩焼きなど。 1月3日(金) 部屋の片付け、5時間ほど。ようやく歩ける広さとなる。16時、杏一家来宅。新年会。莉子は朝からスキー合宿へ。 1月4日(土) 部屋の整頓、「銀漢新年俳句大会」の選句(応募500数10句)。飯田眞理子句集の原稿チェックなど。あとは怠惰に過ごす。 1月6日(月) 午前中、会員の折原あきのさんの親戚より電話。あきのさん今朝、ご逝去と。「銀漢」に参加されて1年少々か。ご冥福を祈る。今日より「銀漢亭」スタート。小川洋、清人さん。「月の匣」の水内慶太氏一派。慶太氏、年末体調崩しておられた(奈良での合流叶わず)。麦さんの友人グループ。「かさゝぎ俳句勉強会」あと10人などなど。大賑わい。莉子、スキー、今日の大会スラロームの部でインターハイ東京からの出場者10人に選抜! 快挙! 1月7日(火) 冷たい雨の1日。毎日新聞の今井竜さん。私のスマホに毎日「俳句てふてふ」を開設して下さる。客無く、21時前に閉店。 1月8日(水) 発行所「梶の葉句会」。西村麒麟君、1月27日の「角川俳句賞」受賞式のあとの二次会、銀漢亭でやりたいとの相談あり。「きさらぎ句会」あと6人。莉子スキーもう一つのジャイアントスラローム、0・04秒差でインターハイ逃す。スラロームの代表は獲得しているが。 |
△バイモ
バイモは中国原産の球根植物で、日本には江戸時代の享保年間に薬用植物として、中国の商人が幕府に献上したのが始まりとされます。
別名として「編笠百合」。
パン屋の仕事帰りの城址公園に群生を毎年撮影しています。ここは野草の宝庫です。