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 6月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句  伊那男・俳句を読む 銀漢の絵はがき 掲示板 鳥の歳時記 
 銀漢日録 今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句


 仏生会        伊藤伊那男

佐保姫の吐息の紡ぐ雲ならむ
義士祭の義士も生者も燻されぬ
鎌倉はすぐに日翳る仏生会
花冷や谷戸の哀史を聞くにつけ
花仰ぐこれはこれはと能の所作
乗り替へてまた春眠のつづきかな
この遍路いかにも野垂れ死にさうな
ふるさとの山河歪めてしやぼん玉







        
             


今月の目次





銀漢俳句会/6月号










   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

「銀漢」の俳句    伊藤伊那男

◎ 井月の越後訛
 ずい分前に手に入れた句文集『漂白の俳人 井月』を読み返してみた。井月の生地とされる新潟の俳人、大星光史さんが中心となり、当地の画家、書家を動員して、井月の句に絵と鑑賞文を添えたカラー版である。昭和63年発刊。発行所は新潟日報事業社出版部。今回は以前には読み飛ばしていた大星さんの解説を改めて読んだ。越後人から見た井月ということになるが、そこに井月句の越後訛についての興味深い記述があった(もっとも、宮脇昌三氏などが以前から指摘していることだが)。

  越後人特有の「い」と「え(へ)」の区別が明りょうでない、いわば〝えちごなまり〟の句がかなりある。一例を上げると、「万歳や人が笑ひばしたり顔」の「ひ」は「へ(え)」でなくてはならない─と。

            
 その他にも〈蝙蝠や足洗ひとて児の呼ばる〉があり、これも命令形の句なので「足洗へ」が正しいことになる。そもそも文法的な間違いがほとんど無い井月句であるから、この二つは訛からくる確信的な誤りなのであろう。こうした点も井月が越後の人である証拠の一つとなるものと思われる。それで思い出すのは、以前、上野駅界隈を歩いた折、居酒屋の看板に「いだまめ有ります」と書いてあったことだ。しばらくして気付いたのだが、それは「枝豆」のことであった。きっと新潟の方の経営する店だったのであろう、と今思う。

 そんな折、「銀漢」6月号の選句をしていると、同人の高橋透水さんの投句用紙に〈黄水仙向きそれぞれに寄り合ひり〉とあった。単純ミスだと思い、赤ペンを入れたのだが、「あっ」とペンが止まった。透水さんは新潟市の生まれなのである。後日透水さんに試しに前記の井月の句を見せたが、その仮名遣いの誤りにはすぐに気付くことはなく、違和感が無い様子であった。やはり透水さんの句も単純ミスではなく、発音からくる確信的な誤りなのである。聞くと「今でも煙突がいんとつか、えんとつか、鉛筆がいんぴつか、えんぴつか迷うんですよ」とのことであった。

 例えば井月に〈象潟の雨なはらしそ合歓の花〉があるが、係り結びをきれいに使った句で、井月の文法の認識や学識の確かさが垣間見られて秀逸である。このような句を作る井月でも越後訛に捕われて、出自の証になりそうな句を残していることを思うと実にほほえましく、井月の人柄までが偲ばれるのである。
 井月が死んで百年以上を経た今でも、越後人の「い」と「え」の混同は変らないようで、そのことも愉快なことであった。
 











 



  

盤水俳句・月の一句

伊藤伊那男

  
鏡太郎忌無数のコップ酒で満たす    皆川 盤水


 高橋鏡太郎は「春燈」創刊から編集に携った俳人だが、妻子と別れ、職を失い、毎晩「ぼるが」に来て、店主の高島さんや俳人に酒をねだったという。昭和37年6月22日、泥酔の上、四谷の土堤から転落死した。享年49歳。先生とも親しく、高島さんと共に葬儀を執行したという。この句は三回忌の席上。「無数」「満たす」に人物像が浮かび、また哀惜の情が滲む。 
                                   (昭和39年『銀山』所収)

  
 

  
                   
 



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選

彗星集秀句順位 6月号 平成二十六年

  
鮊子の磁気の効きたる釘煮かな     山田 礁
子供らの内緒すぐ漏れ山笑ふ      藤井綋一 
種袋振れば音階きざみをる       曽谷 晴子
春眠といふ遠浅の沖にをり       中島 凌雲
春泥へ小さきラガー倒れ込む      大野田好記
来し方はけぶりのごとし螺の道     中村 孝哲
うららかや指三本の歳といふ      谷口いづみ
大学に入口多し受験の子        戸谷 一斗
踊子と荷風散人春火鉢         屋内 松山
三年を補欠で終り卒業す        堀内 清瀬
恋猫の飛び出す路地も谷中かな     三代川次郎
故郷より伊那を愛して春に逝く     小坂 誠子
水底の濁り微かに田螺鳴く       森濱 直之
厳冬の底に箔打つ膝頭         松原八重子
春寒の蒲団にしまふ子のこぶし     上田 裕
養花天秘仏を閉づる鍵ひとつ      長谷川千何子
未来図のねぢれふらここすれ違ふ    桂 信子
みちのくの渚伝ひに鳥帰る       武田 花果
幼帝の海もりあがる雛流し       坂口 晴子
啓蟄や寅さんにまた旅の虫       大西 酔馬

  


      


        




彗星集 選評 伊藤伊那男

  
鮊子の磁気の効きたる釘煮かな     山田 礁
 鮊子は毎年神戸の方が作ったものを貰う。今年は確か2月28日が解禁日で例年より少し遅いということであった。4月末に松山の方が作ったものを戴いた。好物である。だからこの句を採った、という訳ではない。釘煮という名称からの発想であろうが、「磁気」という言葉にあっと思った。昭和30年代の初めであったか、錆びた折釘を磁石を引きずって集め、小遣銭にした小学生の頃を思い出したのだ。箱に詰まった沢山の鮊子、ああ、確かに磁力で集まったのである。「磁気」の発見を誉めたい。

 
  
子供らの内緒すぐ漏れ山笑ふ      藤井 綋一
明るく健やかな句である。「内緒だよ」などと指切りまでした話がすぐに漏れてしまう。次の子も「内緒だよ」と言って話してしまうのである。そんな罪のない子供達のやりとりを温かな目で捉えている。そして何よりも「山笑ふ」の季語の斡旋が決まっているのだ。新緑に子供達の姿が重なるし、「笑ふ」に周囲の大人達の様子が重なるのだ。


  
種袋振れば音階きざみをる      曽谷 晴子
「種袋振る」までの措辞への句は山ほど見てきた。ただしそのあとの「音階きざむ」は初めて目にしたように思う。音階は辞書を引くと「個々の音を高さの順に並べたもの。------一定の秩序により配列する------」とある。では種袋を振ると、一定の秩序で鳴るか、というとそうではないのだが、「音階きざむ」と断定してしまったのがこの句の取柄で、そこに詩が生まれる。春の曲を奏でているのであろう。


  
春眠といふ遠浅の沖にをり       中島 凌雲
「春眠」というものをよく詠み込んだ句だと思う。朝方、目蓋に薄い光が差し、少しづつ意識を取り戻しつつあるのだが、まだまだ浅い眠りの中にある。そんな様子を、遠浅の沖にいる、と形容したのだが、的を射ている表現である。浅い眠りだが、まだ汀までは遠いのである。

 
  
春泥へ小さきラガー倒れ込む      大野田好記
「ラガー」はラグビーの副季語ではあるが、この句では全く気にならない。初心者への俳句教室などでは季語は一つに、というが、それは建前。重なっていても必然性があり、句がよいかどうかで判断されるものだと思っている。春泥にボールごと倒れ込む子供達を瑞々しく捉えた佳句。

 
  
来し方はけぶりのごとし螺の道     中村 孝哲
自身の人生の感慨を螺の道に重ねたのである。紆余曲折のある螺の軌跡はすなわち自分の歩んだ道。往時茫々の思いなのであろう。この主観の投影もまたいい。


  
うららかや指三本の歳といふ      谷口いづみ
 「幾つ?」「三歳!」そんなやりとりが目に浮かぶ。 


  
大学に入口多し受験の子        戸谷 一斗
はてな?色々考えさせる句。写生句?世相への皮肉? 
 

  
踊子と荷風散人春火鉢         屋内 松山
浅草のヌード小屋の楽屋か。興味の有り処がおかしい。 
 

  
三年を補欠で終り卒業す        堀内 清瀬
若干の哀感があるが、社会に出たらこういう人が強い。 
 
 
恋猫の飛び出す路地も谷中かな     三代川次郎
 固有名詞の「も谷中かな」の締め方がうまい。 


  
故郷より伊那を愛して春に逝く     小坂 誠子
言わずと知れた井上井月への追悼句。故郷は越の国。 
 

  
水底の濁り微かに田螺鳴く       森濱 直之
空想の季語に、がっしりと写生を配して寄り切った。 
 

  
厳冬の底に箔打つ膝頭         松原八重子
 厳冬の底の「底」が効いている。「膝頭」の抑えもいい。 


  
春寒の蒲団にしまふ子のこぶし     上田 裕
蒲団からはみ出した子の手。何の夢か、握り拳である。
 

  
養花天秘仏を閉づる鍵ひとつ      長谷川千何子
「養花天」―花曇のことで、この句では揺るがない。

 
  
未来図のねぢれふらここすれ違ふ    桂 信子
二つのブランコに託した人生の寓意であるか。 
 

  
みちのくの渚伝ひに鳥帰る       武田 花果
丁寧に詠んだ。こんな帰り方もあるのか。「渚伝ひ」がいい。 

 
  
幼帝の海もりあがる雛流し       坂口 晴子
 安徳天皇への鎮魂か。「もりあがる」が独自の視点。 


  
啓蟄や寅さんにまた旅の虫       大西 酔馬
寅さんに重ねた自分であろう。春の気分が出た。 

     
  
 



        

                      
        







銀河集品抄

伊藤伊那男選

貴船振りなる田楽の色も香も     東京   飯田眞理子
冴返るふるさと更に遠くなり     静岡   池田 華風
下萌をくぐりし水の響き合ふ     静岡   唐沢 静男
堂おぼろ母に買ひたる念珠かな    群馬   柴山つぐ子
孤でもなく陣でもなくて春の鴨    東京   杉阪 大和
鎌倉やこのもかのもの白子舟     東京   武田 花果
鎌倉の明るき海や白子舟       東京   武田 禪次
軒に吊る魚の乾びや四温晴      愛知   萩原 空木
野に遊ぶ空の深さにひえきつて    東京   久重 凜子
お点前を外でいただく梅見茶屋    東京   松川 洋酔
花すみれ生糸運びし往還に      東京   三代川次郎
涅槃この方象は嘆きの眼持つ     埼玉   屋内 松山
     










      

     






綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

轟音の形をなせる雪解川       東京   有澤 志峯
闘鶏の勝鶏もまた尾羽枯らす     東京   大溝 妙子
のどけしや己が遺影をあれやこれ   東京   影山 風子
抽出に力をためて種袋        和歌山  笠原 祐子
豆撒かれ闇のくらさの乱れけり    愛媛   片山 一行
海境より渚局留さくら貝       東京   桂 信子
父の手の真中占めたる春火鉢     東京   畔柳 海村
クレヨンを畳にふみし春休      長野   三溝 恵子
鶯餅へこまぬやうに手に受くる    東京   島 織布
お松明の童子屈伸して待ちぬ     東京   白濱 武子
田遊のよく泣く苗をもてあます    東京   谷岡 健彦
浅春や風の衣桁の紐いろいろ     神奈川  中川冬紫子
魚は氷に上り幼に歯が二本      東京   中野 智子
初諸子つれづれに乗る湖西線     東京   中村 孝哲
裘脱ぎ重心の定まらず        東京   宮内 孝子

雁供養太棹の音のくぐもれり     東京   相田 惠子
涅槃図の沈黙といふ嘆きかな     東京   飯田 子貢
表具屋の刷毛の大小水温む      静岡   五十嵐京子
二度読みと気づくに間あり春炬燵   埼玉   伊藤 庄平
散り急ぐ花多かりき九段坂      東京   伊藤 政三
大声のはうが弱虫猫の恋       埼玉   梅沢 フミ
白湯呑むや四温に二温足らざる日   神奈川  大野 里詩
狭庭とて一際広し春深雪       東京   大山かげもと
水仙は群るるのが好き鳶の笛     東京   小川 夏葉
結論の出ない会議や春夕べ      鹿児島  尾崎 尚子
こゑ使ひ切つたる重さ落雲雀     埼玉   小野寺清人
軒つらら黙に響動めく巫女の鈴    神奈川  鏡山千恵子
折り癖の小座布団ある春炬燵     長野   加藤 恵介
落椿疵のなきまま息づきぬ      東京   我部 敬子
言ひ訳もとがめもなくて朝寝かな   高知   神村 睦代
研ぎ減りの包丁で引く細魚かな    東京   川島秋葉男
母の忌にたんぽぽの絮飛びたつや   長野   北澤 一伯
男の子だけ生みし娘や雛飾る     東京   柊原 洋征
橋渡るたびに教会春の海       東京   朽木 直
一升瓶の蓋あかずして初笑      神奈川  こしだまほ
塵の浮く運河かなしや多喜二の忌   神奈川  權守 勝一
引鶴のおのれ励ますこゑならむ    長崎   坂口 晴子
雛納めもう急ぐことなき齢      千葉   佐々木節子
白鷺の目を据ゑ狙ふ夕まぐれ     山口   笹園 春雀
うぐひすは鶯餅より少し地味     東京   島谷 高水
天領の町は長閑や雛飾る       東京   新谷房子
大阪の色ひといろに春の雪      大阪   末永理恵子
春泥に板渡しある婚の朝       静岡   杉本アツ子
上賀茂のこれより社領水菜畑     東京   鈴木てる緒
湧水の里傾けて初燕         東京   瀬戸 紀恵
莖立のもう止められぬ勢かな     愛媛   高橋アケミ
胸拡げ木の芽の主張受くる空     東京   高橋 透水
寅さんの産湯の水も温みをり     東京   武井まゆみ
移り来てここはつひの地草萌ゆる   千葉   武田 千津
ロシナンテの蹄の跡を花サフラン   東京   多田 悦子
息つぎの覚束無くて初音かな     埼玉   多田 美記
柳の芽風をゆるゆるひきよする    東京   田中 敬子
卒業や振り返り見る時計塔      東京   谷川佐和子
代参の土産のひとつ春の風邪     神奈川  谷口いづみ
春の風邪無聊な午後を小津映画    東京   塚本 一夫
剪定の音のたをやか国分尼寺     東京   坪井 研治
綾取りは梯子で終り春の雪      大阪   中島 凌雲
一向に進まぬ会議春の風邪      茨城   中村 湖童
啄みて鳥の広ぐる雪間かな      愛知   中村 紘子
風の子の出番胸張る春疾風      福岡   藤井 綋一
夕潮の満ち引きにゐる春の鴨     東京   保谷 政孝
甲斐の山まだ覚めやらず龍太の忌   東京   堀内 清瀬
春の風邪旅先に置き忘れたり     岐阜   堀江 美州
種袋振ればまだまだ眠さうな     パリ   堀切 克洋
つちふるや河に始まる文明史     埼玉   夲庄 康代
空港に一歩の暑さカイロかな     東京   松浦 宗克
牧柵に雪の深さを記しをり      長野   松崎 正
涅槃図に膨らんでゆく人の声     東京   松代 展枝
蜷の道生ある限り学べとぞ      千葉   無聞 齋
弟のいつも組み立て御殿雛      東京   村上 文惠
探梅や谷の瀬音の深みゆく      東京   村田 郁子
やどかりを探す波間の短さに     東京   村田 重子
手のひらの深き皺より種を蒔く    埼玉   森濱 直之
喧騒を纏ひ金縷梅捩れ咲く      愛知   山口 輝久
野遊の双手広げて羽化ごこち     群馬   山田 礁
どかどかとバスに乗り込む春の泥   群馬   山田 鯉公
春雷の口ごもるごと一度二度     東京   山元 正規
遠野火や大きく曲がる一倆車     千葉   吉沢美佐枝
縄電車乗客一人野に遊ぶ       神奈川  吉田千絵子
冴返る少年子規の三畳間       愛媛   脇 行雲
母に書く用なき文や浅き春      東京   渡辺 花穂








    

    








銀河集・綺羅星今月の秀句

伊藤伊那男     
  

涅槃この方象は嘆きの眼もつ      屋内 松山
「涅槃」は私の好きな季語で、毎年その季節になると何かしらの句を作っている。さて、この句には「まいりました!」。象があの淋しそうな、身体の割に小さな目をしているのは「涅槃」への参加がきっかけである、というのである。生物学的にはもっとも古い哺乳類の一つであるのに、何ともさわやかで罪のない断定であることか。 

 

 

闘鶏の勝鶏もまた尾羽枯らす      大溝 妙子
 一物仕立ての句の面白さのひとつに、対象物を丁寧に詠んでいながら、読後に人間世界の寓意のようなものが感じられることがあることだ。この句の場合にも闘鶏を詠みながら、人間社会にも通じる哀感が浮かび上がってくるのである。「尾羽枯らす」の措辞が何とも味わいでペーソスが漂う。 



  

抽出に力をためて種袋         笠原 祐子
そう、確かに。大賀蓮などは千年を超えてその種子が芽吹いたというのであるから生命の神秘である。昨年収穫したあと抽出に仕舞っておいた種は、春になったことを感じとって今か今かと出番を待っているのである。「力をためて」の把握がいい。これも一物仕立の良さ。 

 

  

のどけしや己が遺影をあれやこれ    影山 風子
若い人がこの句を作ったら心配してしまうけれど、この作者であれば、ほほえましい味わいを醸すのである。やはり俳句は「いのちのうた」だなと思う。この人の人生の年季が入っているのである。でも注意してほしいのは私の義理の祖母が九十何歳かで亡くなった葬儀に70代の若い時の写真が出てきたこと。早々と遺影を決めたものの長生きをしたのである。 

 

  

田遊のよく泣く苗をもてあます     谷岡 健彦
少し説明がいる句だ。田遊は農村の豊作への予祝行事。東京でも高島平に二社、奇跡的に残っている。そこでは太鼓を田んぼに見立てて種蒔から収穫までの一連の農事を展開するのだが、苗の役は子供。抱き上げられて太鼓の上でぐずったのであろう。擬人化ならぬ、擬苗化といったところか。私の句に〈田遊の田となる太鼓打ちにけり〉がある。 

 

  

浅春や風の衣桁の紐いろいろ      中川冬紫子
杉田久女に〈花衣脱ぐやまつはる紐いろいろ〉があるが、それはそれで、これは一本立ちをした句といってよかろう。冬物から春の着物に模様替えをしているのであろうが、春を感じさせる風に衣桁の紐が揺れる。そこに春到来の喜びが滲む。艶冶な句柄となった。 

 

  

魚は氷に上り幼に歯が二本       中野 智子
七十二候の一つで立春の第三候。俳人の好きな季語である。暖かさに魚が氷の上に躍り出すというのである。その取合せに、乳児に歯が二本生えてきたというのだが、季語の意味と人の成長を並列に置いたところに、おかしみが滲み出る。この季節が来ると思い出すことになりそうな句だ。 

 

  

初諸子つれづれに乗る湖西線      中村 孝哲
琵琶湖では外来種の魚が跋扈しているために、年々諸子が減り、とんでもない高価なものになってしまった。網でさっと焙って醤油をつけて食す。それはさておき、取合せの「湖西線」が何ともいい。比叡山、比良山の麓を縫って北陸へ通じる。「つれづれに乗る」の浮世離れした措辞に春の近江を楽しむ様子がよく出ている。 

 

  

裘脱ぎ重心の定まらず         宮内 孝子
そもそも皮衣は万葉集にも詠まれている防寒衣だが、一頃はミンクのコートなどは金満家階級の象徴として着用されたものだ。今は動物愛護の観点などからやや逆風の中にあるようだ。この句、そのロングコートを脱いだ瞬間を詠んだものだ。重心が狂ったのは重さ?いやいや高価さ、ということなのであろう。 

 

  

豆撒かれ闇のくらさの乱れけり     片山 一行
刻明に詠まれた句である。豆撒によってその闇の暗さに乱れが出たという。闇の中にある変化――これは心象風景に近いものであろうが――を捉えた感性は出色である。 

 その他印象深かった句を次に
  

轟音の形をなせる雪解川        有澤 志峯
鶯餅へこまぬやうに手に受くる     島 織布
海境より渚局留さくら貝        桂 信子
父の手の真中占めたる春火鉢      畔柳 海村
クレヨンを畳にふみし春休       三溝 恵子
お松明の童子屈伸して待ちぬ      白濱 武子
息つぎの覚束無くて初音かな      多田 美記
つちふるや河に始まる文明史      本庄 康代



    

 

             
                  







 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

玄奘の踏みし砂かも霾れり      静岡     澤入 夏帆
太梁にすが洩りの跡代替る      神奈川    原田さがみ
木の芽和おなじ長さの夫婦箸     東京     結城 爽
剪定のどこをどうしていいのやら   東京     中村 貞代
紙風船弾むにつれて子も弾む     神奈川    曽谷 晴子
雛納紙の波間にやはらかく      東京     上田 裕
海鳴りをひと日背にして牡蠣割女   石川     松原八重子
吾子と音こぼしつつ食む雛あられ   東京     西原 舞
白魚の透明なりの影ありぬ      宮城     小田島 渚
燕来るチンチン電車走る街      東京     沼田 有希
誰よりも派手に浪花の春ショール   東京     大西 酔馬
重箱は鶯餅の巣箱めく        東京     森 羽久衣
春炬燵昔話も種切れに        東京     福永 新祇
囀りをたどればなんと小さきよ    ニューヨーク 武田真理子
あんパンの餡片寄りて春の闇     埼玉     戸矢 一斗

 
老境に入るがごとし春炬燵      愛知     穴田ひろし
壺焼の肝まで抜けて晴れがまし    東京     今井 麦
寧々の寺一段ごとの竹の秋      埼玉     大野田好記
壺焼の蓋にも渦の強さかな      東京     湯川 漁太
人の情両手で囲ひ葛湯吹く      神奈川    和歌山要子
捨て雪を蹴りつつ帰るランド     東京     秋田 正美
涅槃の日鳥獣保護区散策す      神奈川    秋元 孝之
遠き日の影ふみ遊び春惜しむ     東京     浅見 雅江
瞬きの間に敗れ去るスケーター    宮城     有賀 稲香
椿満つ社に粛と弓祈禱        愛媛     安藤 政隆
春めくや万歩を超ゆる万歩計     東京     飯田 康酔
消ゆるまで目と声で追ふ石鹸玉    埼玉     池田 桐人
手水舎の玉石に散る雪解水      東京     市毛 唯朗
針供養集ひて世間話など       群馬     伊藤 菅乃
的を射る目元鋭き百手かな      愛媛     岩本 昭三
大試験終へて夜汽車の人と      神奈川    上村 健太郎
帰る子を見送るごとく雛納む     埼玉     大木 邦絵
物捨てて部屋かるくなる春休     東京     大住 光汪
春霞すべてを隠し一人ぼち      群馬     岡村 妃呂子
大川に煌めき増して魚は氷に     神奈川    小坂 誠子
絵馬ゆらす東風の吹きたる社かな   神奈川    尾崎 幹
誰彼の言葉の弾む弥生か       京都     小沢 銈三
一列に七島望み伊豆も春       静岡     小野 無道
春光の洗濯物を抜け来たる      東京     梶山かおり
からからと箸忙しげに蜆汁      東京     桂 説子
潮騒は浦の組曲花見鯛        静岡     金井 硯児
田楽の串を向かうに供へけり     神奈川    上條 雅代
雪解川飽かず眺むる河童橋      東京     亀田 正則
春の雪すべてに重さ残しけり     長野     唐沢 冬朱
立雛へ留守居を頼む入院日      神奈川    河村 啓
落ちし子に親鳥啼くや谷空木     愛知     北浦 正弘
晩成を願はれゐしが亀鳴ける     神奈川    久坂衣里子
裏方に男手も居て雛流し       和歌山    熊取美智子
日溜りに晏如のさまのいぬふぐり   愛媛     来嶋 清子
零るなよ咲き誇りたる白椿      埼玉     黒岩 章
青空にそびゆる浅間雪弥生      群馬     黒岩 清女
春寒や鯉の固まる池の底       岐阜     黒岩 宏行
夜昼とゆるむことなく牡丹雪     群馬     小林 尊子
れんげ田に寝転びし子の今いづこ   東京     小林 雅子
群青の色を深めて(うみ)の春       神奈川    阪井 忠太
すみずみに日差伸びゐる仏の座    東京     佐々木終吉
物売りの声はつきりと梅見頃     群馬     佐藤かずえ
グラバー邸庭園巡る遅日かな     群馬     佐藤さゆり
簾吊る一陣の風香も青し       東京     島谷 操
雛の舟底に数多の別れ文       兵庫     清水佳壽美
新品の幼稚園バス春を待つ      埼玉     志村 昌也
焚付けの細き煙や雁供養       東京     鈴木 淳子
夜通しの風鳴り彼岸間近なり     群馬     鈴木踏青子
照らしあふ大内雛を遺影にも     東京     角 佐穂子
大正の硝子に滲む春の色(豊田佐助邸)   愛 知     住山 春人
雛荒しの怪獣たちにちらしずし    福島     髙橋 双葉
母の忌や紙風船の色あせて      広島     竹本 治美
三又の先に三椏花開く        三重     竹本 吉弘
クレヨンのにこにこ顔や紙雛     ヒューストン 田中沙波子
三寒の心はいまも地震のこと     東京     田中 寿徳
古雛我の齢を共に生き        神奈川    多丸 朝子
保育園児にも保母にも春近し     神奈川    民永 君子
華やぎの真砂女偲ばむ春の海     愛知     津田 卓
セピア色の昭和の家族さくら餅    東京     手嶋 惠子
暮るるまで一刻のあり春炬燵     千葉     土井 弘
梅や空の青きを埋めつくす      東京     豊田 知子
冴返る回廊に踏む緋毛氈       埼玉     中村 宗男
春の日の溢るる漁港鳶群るる     神奈川    長濱 泰子
落ち椿落ちてなほ紅生き生きと    長崎     永山 憂仔
涅槃西風上町台地通り抜け      東京     萩野 清司
花冷えや昨日の便り読み返し     東京     長谷川千何子
縁側でお茶長くなり町うらら     神奈川    花上 佐都
オリーブの木々のかたへに春の海   兵庫     播广 義春
そよかぜに風下のある梅日和     東京     福田 泉
年の豆五日がかりで食べにけり    愛媛     藤田 孝俊
芹摘みて透きし流れを濁さざり    東京     牧野 睦子
伸ばした手かすめ飛び去る鬼の豆   愛知     松下美代子
豊作を約束したと田水沸く      東京     松田 茂
杉開花して騒然の世を攻むる     神奈川    松村 郁子
眠る子の枕辺に置く年の豆      神奈川    宮本起代子
すぐそこが渡しの乗り場青き踏む   千葉     森崎 森平
背中から日差しの誘ふ朝寝かな    長野     守屋 明

青すだれ軒打つ雨を(たしな)めよ      東京     家治 祥夫
水温む昨日とちがふ空の色      群馬     山﨑ちづ子
裾野まで富士隠れゐる涅槃の日    東京     山下美佐
涅槃会や居場所を探す寺の猫     埼玉     渡邊 勲
子と共に戦火くぐりし雛祭る     東京     渡辺 文子




  

         


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星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

玄奘の踏みし砂かも霾れり       澤入 夏帆
ああ、何とも壮大な発想であることか。春に日本に飛来する黄沙を見て、およそ千四百年前に玄奘三蔵法師が辿った『大唐西域記』の時代の砂かもしれない……と思うのである。歴史への共感の何と瑞々しい句であることか。同時出句〈なびき寄る玉藻沖つ藻人麻呂忌〉〈馬刀突きて累代隠れ切支丹〉〈春塵の軒に乾びし十団子〉も各々歴史や古句を踏まえて出色。人麻呂の句は、岩見国に入水死したという梅原猛説に基づいている。切支丹の句は感情移入をほどよく抑えた佳品。十団子の句は許六の〈十団子も小粒となりぬ秋の風〉という東海道の宇津谷峠での句の季節を違えての本歌取り。いづれも品格の高さを思う。 



太梁にすが洩りの跡代替る       原田さがみ
 「すが洩り」などという季語は久々に目にした。軒の雪などが暖房で溶けて室内の壁などに染みをつくることをいう冬の季語である。的確な写生ながら「太梁にすが洩りの跡」までは他の人でも詠めるかもしれない。ただし「代替る」の下五の押えは詠めるものではない。ああ、この家も代替りになるのだ、という感慨に転じたのである。写生句からさらに一歩踏み込んで独自の句境に持ち込んだようだ。



木の芽和おなじ長さの夫婦箸      結城 爽
一読して笑ってしまった。私の受け取り方は、今までは長さの違う箸を使っていたのだが、いつの間にか夫婦の位置関係も変化して同じ長さになってしまった、というもの。木の芽和がピリリと効いた配合である。安心してはいけないのは、いずれ妻の箸の方が長くなるかもしれないということ。同時出句の〈箱ひとつ足りなくなりし雛納〉は、皆が経験したり感じたりしていたけれど詠めなかった場面ということになろうか。笛や簪ではあるが、箱までは! 

 

剪定のどこをどうしていいのやら    中村 貞代
私も庭の木などを自分勝手に剪定したものだが、確かにどこまで鋏をいれるのがよいものやら、確信の持てぬまま切っていたものだ。この作者も、やってみる!と言ってはみたものの、途方にくれているのであろう。俳句の持つ「諧」の部分で「剪定の」の「の」の戸惑いが面白い。〈少女らの笑顔のためにすみれ咲く〉〈春禽に取りに戻りし遠眼鏡〉も楽しい発想の句であった。 

 

雛納紙の波間にやはらかく       上田 裕
雛納めはやわらかな和紙に包むのだが、皺の多いその紙を「紙の波間に」と捉えたのが独自の視点である。次の一年迄その波間に眠るのである。同時出句に〈雛納払ふ三日の薄ほこり〉も、たった三日間ほどの埃を詠み収めた眼力はなかなかのもの。〈寝ころびて仰ぐ書棚の小雛かな〉は男から見た雛飾りで、これも珍しい視点の句だ。 



吾子と音こぼしつつ食む雛あられ    西原 舞
あるがままを詠んでいて、そこに詩とユーモアがあるという句。「吾子と」の「と」が大切。つまり親子でぼりぼりと食べているのである。ただそれだけのことなのだが……読後に笑いがこみ上げてくるのである。もちろん基底に子の成長を見守る、あたたかな母親のまなざしが存在するからこその面白さなのである。 

 

重箱は鶯餅の巣箱めく         森羽 久衣
私も鶯餅は何句も詠んだものだが、この発想には至らなかった。重箱に入った鶯餅、その重箱を詠んだところがこの句の取柄で、それが巣箱のようであった、というのである。重箱が巣箱とは……楽しませて貰った句。 

 

白魚の透明なりの影ありぬ       小田島 渚
白魚にも影があるという。まあそれはそうだろうと思う。その微妙なところを「透明なりの影」と捉えたところにこの対象物の特徴、季語の本意に迫っているのである。「それなりの」という言葉、それ相応に、という意味だが「透明(とうめい)なり(●●)の」との運びは、感性の高さということだろう。 


  

壺焼の蓋にも渦の強さかな       湯川 漁太
壺焼の栄螺をよく観察した句。はがれた蓋もよく見ると、しっかりとした渦巻模様である。栄螺そのものが渦を巻いているのだが、蓋までも!発見を称えたい。 

 その他印象深かった句を次

紙風船弾むにつれて子も弾む      曽谷 晴子
誰よりも派手に浪花の春ショール    大西 酔馬
囀りをたどればなんと小さきよ     武田真理子
人の情両手で囲ひ葛湯吹く       和歌山要子
老境に入るがごとし春炬燵       穴田ひろし
壺焼の肝まで抜けて晴れがまし     今井 麦
寧々の寺一段ごとの竹の秋       大野田好記
田楽の串を向かうに供へけり      上條 雅代


 
    
 



 




 


新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む      伊藤伊那男
  
  
回想―句集『知命なほ』の時代(1)     伊藤伊那男
 句集『知命なほ』には平成10年から平成19年までの10年間の句を収録した。角川書店の角川21世紀俳句叢書の一巻として平成21年7月7日に発刊した。
 題名に使った「知命」というのは論語の中の言葉で、広辞苑によると、①天命を知ること。②論語「五十而知天命」五十歳の称。とある。句集名を『知命なほ』としたのは、そういう年令に達したものの、なお、而立することも叶わず、不惑にも縁が遠く、相も変わらず身過ぎ世過ぎに追われているという我が身を、やや自嘲を籠めて付けたものである。『銀漢』のあとの第二句集なので『金柑』『金環』などという案も思い浮かべたのだが、句をまとめていく過程の中で、自然にこの題名に固まっていった。
 句集の中に「知命なほ」という言葉を使った句が二つある。
  知命なほさびしくなれば鞦韆に(平成10年)
  知命なほ草莽の徒や麦青む  (平成15年)
 一句目は50歳を過ぎてもやはり淋しいことがある。そんな時は人気のない公園のブランコに身を任せて空を仰ぐ、という初老の男の悲哀を詠んだものである。
 二句目は前書に「酒場開業」と付けた。この年の五月の連休空けに千代田区神田神保町に、居酒屋「銀漢亭」を開いたのである。いくつかの仕事を経て、53歳にして全く未経験の仕事を始めた覚悟のようなものを詠んだのである。「草莽」という聞き馴れない言葉を使ったのだが、広辞苑を見ると、①草の生い茂った所。くさはら。くさむら。②民間。在野。―とある。「莽」の字を漢字源で見ると①(名)くさ。おおいかぶさる雑草。また、くさ深い野。②(形)くさのおおいかぶさるさま。「莽莽(ボウボウ)」―とある。また、「草莽の臣」という慣用語があるが、それは官に仕えないで民間にある人。在野の人。―のことを指す。幕末の頃、浪人となった志士達が走り廻っていたのだが、この人達のことを「草莽の徒」と言った。そうしたことから多少の志はあるものの、草叢をばたばた走り廻って不安定な生涯を送っている者という意味を持って、自分を草莽の徒として詠んだのである。「麦青む」の季語の配合に多少の希望を託した。
 40代も落ち着かなかったけれど、50代も忙しない日々であった。ちなみに句集の始まりの平成10年は49歳、終りの平成19年は58歳ということになる。「銀漢亭」は儲からないながら何とか続いて今年12年目に入る。またまた取留めのない話になると思うが、このあとしばらくの間この時代の断片を綴ってみる。


  (平成10年)
桑畑を吹かれてきたる獅子頭
福笑ひ泪目となり終りけり
嚔してふつとあの世を見し思ひ
節分や闇ゆたかなる父の国
知命なほさびしくなれば鞦韆に
数珠を揉むごとくに蜆洗ひけり
涅槃図を鳴いてよこぎる寺の猫
  妻乳癌手術受く
妻癒えよ魚氷に上るきのふけふ
曳き網に一夜の湿りおんばしら
護符添へて月山筍の届きけり
神保町あぶな絵のやや黴くさし
どう見ても無駄働きの鵜のをりぬ
玉解きし芭蕉に膳所の雨しきり
木曾殿の墓打つてゐる男梅雨
大津絵の鬼の大きな跣足かな
雨乞に金精様を担ぎ出す
蘭鋳のつまづくごとく泳ぎをり
鮒鮓や日照雨隠しに夕伊吹
虫籠の中のやうなり外厠
茄子の馬膝といふもの無かりけり











 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。





    





   

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 カンパニュラ












鳥の歳時記

  




燕の子




















        
 

         



  
             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男

3月

3月15日(土)
池内けい吾さんよりデコポン到来。正午、桃子の車で高井戸。杏子一家と会い、改装のダメチェック。明るく開放的になり家が生き返った感じ!一緒に成城に戻り、アルバム整理や衣装棚の設置を手伝ってもらう。あと追加した通販の本棚が一本入るとダンボールが解消する。昼から博多モツ鍋、武雄の温泉豆腐鍋、からすみで酒盛り。宮澤と莉子は伊勢神宮参拝で不在。杏子一家泊。酔って20時30分には寝てしまう。

 3月17日(月)
龍正君、成城幼稚園卒業式と。店、「演劇人句会」5人。毎日新聞・鈴木琢磨さん3人。閑。23時の電車で帰路についたのに快速急行に乗ってしまい新百合ケ丘まで行ってしまう。結局、零時過ぎの帰宅。

 3月18日(火)
春一番と。それも強烈。小田急線乱れる。オリックス時代の上司・中野さん他3人(鎌倉の「和賀江」会員)俳縁での再会。またまた閑散、ああ……。

 
3月19日(水)画像上で拡大致します。
武田編集長より母上緊急入院と。「三水会」4人。「はてな句会」3人など。対島康子さん久々来店。閑。



3月20日(木)
起きると九時前。テレビ「ごちそうさん」見逃す。やや疲れているか。連休が待ち遠しい。

3月21日(金)
お中日。追加の本棚が入りこれにてダンボール無くなる。久々、私も宮澤も在宅にて17時から夕食。家だとどうしてこんなに酔ってしまうのか。21時就寝。杏子さん杉並の家に引っ越し最中。子供2人預かる。

3月22日(土)
「纏句会」日本橋はCOREDO完成にて大にぎわい。句会は10人とやや少なし。あと兼題の青柳のぬた、飯蛸の煮付け、鯛のあら汁、握りなど。酒は「出羽桜泉十段」。家族は幼稚園の仲間で箱根へ。

 3月24日(月)
5月号の原稿書き進める。家族、越後湯沢へ早朝出発した模様。スキー。店、「雛句会」。あと閑散。

 3月25日(火)
「萩句会」の選句へ。店、何とも閑散。

 3月26日(水)
てる緒さんバニラ連れて来てくれる。益々元気!2キロから2.4キロに太ったと。閑中の閑!21時30分閉めてしまう。


3月28日(金)
快晴。あちこち桜開花。発行所「門」同人会へ貸し出し。鳥居真里子さん、野村同人会長など8名。毎月定期的に開くことに。終わって3人店へ。あと長浜謹編集長も。「井月忌の集い」の反省会と8月末の伊那での「井月俳句大会」、来年の「井月忌の集い」の打ち合わせで、北村監督、平沢事務局長、宮下、井口、大野田氏。「白熱句会」水内慶太、檜山哲彦、小山徳夫、井上弘美、藤田直子さん。「金星句会」六人。洋酔さん。家族、越後湯沢から戻る。

 3月29日(土)
桃子、風邪でダウン。食事担当す。朝、だし巻き卵、納豆、大根と油揚げの味噌汁など。夜、蛸とトマトのサラダ。蕪、その他でポトフ。きゅりともずく。うるめ、ししゃもなど。

 3月30日(日
あいにくの嵐の中、10時、鶴川駅。「早蕨句会」の「三輪の里吟行会」。20数名。杉阪、透水さんと共にゲストで参加。久重凛子さんの手配で国士舘大学教授・藤森馨先生が案内してくださる。熊野神社、高蔵寺、沢山城址(枝垂桜見事!)、椙山神社と、豪雨の中を巡る。何故か解説が始まると雨激しくなる。鶴川駅の和光大学ポプリホールにて句会。17時、町田の居酒屋にて親睦会。新規2名が「銀漢」に入会。あと久重、瀬戸、冬紫子、杉阪、透水さんとでもう一軒。

3月31日(月)
酔馬、真砂年、洋さんなど明日の麒麟さんの会の打ち合わせ。健彦、好記さんなど、いわき下見の打ち合わせ。政三さん、気仙沼海の俳句大会、今年は無いようだとの現地の知人の方からの手紙を持参。やはり……少々淋しい。

4月

 4月1日(火)
家族、熱海へ。龍正君誕生祝いで一泊と。西村麒麟さんの句集『鶉』出版記念会。山田真砂年、小川洋さん発起人で筑紫磐井、土肥あき子、鳥居真里子、阪西敦子、佐藤文香、松川洋酔、川島秋葉男、水内慶太、竹内宗一郎、今井聖、三輪初子さん……など35人集う。閉店のあと、水内慶太さん他が行った店に合流し、歌も一曲歌ったような気がするのだがどこの店だったか記憶が戻らない。帰路、うたた寝のまま京王線に入ってしまい、つつじヶ丘駅で終点。トホホ……。

4月2日(水)
「きさらぎ句会」あと八人。「宙句会」あと6人。池田のりを、福井さん。久々、国会議員のT先生。靖国神社の薪能の帰りとて。池田さんを相手に話盛り上がっている。帰路、また寝てしまい京王線に入る。明大前経由で何とか小田急へ軌道修正し終電に間に合う。やれやれ。

 4月3日(木)
蔵さん金沢から。酔馬さんのお花見の会の一行8人。入れ替わりで「十六夜句会」あとの8人。野村の川畑保さん(一度だけ「深大寺吟行会」に参加)、中国での勤務終えて今年退任の予定と挨拶に見える。武田編集長の名を言うと北京で交流があったと驚く。小川洋さんお花見句会用にとヴーヴクリコ2本分の金おいていってくれる。花の雨、寒い。

4月4日(金)
宮澤、2人。「大倉句会」あと11人。清人さん松葉杖で。小島健さん、松山さん。いわき吟行の下見のあとの事業部、谷岡、いづみ、展枝、好記さん。いわきで山崎祐子さんの歓待を受けたと。土産までいただく。敦子、美紀さん(年末、奈良以来)。

 4月5日(土)
恒例の「Oh!花見句会」20数名。五句持ち寄りあと三句、二句と席題句会。終わって有志で一つ隣の「鳥ふく」で打ち上げ。

4月6日(日)
終日家。宮澤は午前中、テレビの撮影で本門寺。午後、桃子の大学時代の友人2人来て酒宴に。私にも懐かしい人達。何品か料理作る。

4月8日(火)
龍正君、成城学園初等学校の入学式。早朝から着付けの人来て桃子和服で。店「火の会」欠席多く6人。脇行雲さん四国より2年半ぶり上京。「歓迎句会」10数名。持ち寄り二句「行」「雲」の題。〈行く雲も来る雲も見て春愉し〉あと席題句会もあった模様。武田編集長、秋葉男さん幹事


 



 




   
    






今月の季節の写真



2014年6月20日    赤カンナが咲いていました   TOKYO/HATIOJI



   花言葉   「情熱」「快活」「永遠」「妄想」


写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2014/6/21    更新


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