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1月号 2024年
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伊藤伊那男作品主宰の8句 令和5年優秀作品集第13回「銀漢賞」作品拡大します。 拡大します。 拡大します。 拡大します。 今月の目次銀漢俳句会/2024/1月号
盤水俳句・今月の一句伊藤伊那男冬桜風出て影を大きくす 皆川 盤水
彗星集作品抄伊藤伊那男・選 古酒酌んで互ひに丸くなりしかな 中村 湖童
秋扇話し足りなきまま逝けり 竹内 洋平 鳥威し名を挙げるまで帰るなと 森濱 直之 カンバスに色なき風の色を差す たなかまさこ 無花果食む皆百までの面構へ 中野 堯司 腕組んで秋思の形整へり 小山 蓮子 蠟石で描かれし線路賢治の忌 絹田 稜 ひと駅を乗り越し鰯雲の下 辻 隆夫 潮騒に尾を振り肥ゆる岬馬 守屋 明 どの魚籠も空つぽ二百十日かな 笠原 祐子 釈迦の手のごとき葉のうへ芋の露 戸矢 一斗 居酒屋に祭を終へし神楽衆 大山かげもと 朝日より夕日に赫し曼珠沙華 長谷川明子 伊予石に一茶の遺墨稲雀 有賀 理 山風の夜半のざわめき栗をむく 佐藤 栄子 吉良邸の小さき中庭すがれ虫 高橋 透水 秋刀魚焼く街は昭和の夕日色 大田 勝行 金龍の鱗も舞うて菊日和 武井まゆみ 己が影と盃を重ねて月祀る 武田 禪次 あばれたる葉を手繰り寄せ大根抜く 松代 展枝
銀河集作品抄伊藤伊那男・選上州路
天高し毛野に古代の牧の跡 東京 飯田眞理子 出がてらの行きに帰りに鳴子引く 静岡 唐沢 静男 土地人の祈りの華や彼岸花 群馬 柴山つぐ子 蚯蚓鳴くを聞くまで余生伸ばさねば 東京 杉阪 大和 胡弓弾く腰もて進む風の盆 東京 武田 花果 秋炉焚く平家の裔に燻さるる 東京 武田 禪次 こをとろことろ釣瓶落としに唄なかば 埼玉 多田 美記 死体まで笑ひ出したり村芝居 東京 谷岡 健彦 蚯蚓鳴く閉ぢて久しき登り窯 神奈川 谷口いづみ 茸狩呼びあふ声のふつと消え 長野 萩原 空木 わが顔よ夜寒の鏡拭ふとき 東京 堀切 克洋 母子ともつけて健やか赤い羽根 東京 松川 洋酔 飼葉切る音軽やかや秋高し 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤伊那男・選
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伊那男俳句 自句自解(96) 分け合うて
大晦日の年の替り目の頃、京都祇園の八坂神社には除夜詣・初詣の人々が押し掛ける。四条大橋を渡った辺りから行列になっていた記憶がある。余談だが、四条通りの突き当り、東大路に面した西楼門を正面だと思っている人が多いが、実は正門は南楼門である。もう40年以上前のことになるが、混み合っていない正門から入り、白朮火を貰ったことがある。白朮を加えた大篝の火から吉兆縄に火を移し、火が消えないように軽く回しながら妻の実家に戻った。この白朮詣は新年の季語で、この火を神棚や仏壇の燈明、雑煮を炊く火種にしたのである。白朮はキク科の多年草で健胃薬。屠蘇散の材料の一つである。その白朮を加えた篝火を白朮火と呼ぶのである。さすがにこの混雑を極めた寒夜の行事には一度詣でただけで、年取りの酒に酔いつぶれてしまうのが恒例であった。なお「蒼朮(そうじゅ)を焚く」というのは夏の季語で、根を乾燥したものを梅雨どきに焚くと湿気や黴を防ぐという。福寿草てふ睦まじき混み具合
福寿草は江戸時代初期から正月の花として珍重されていたようだ。〈朝日さす弓師が店や福寿草 蕪村〉 〈ひともとはかたき莟やふく寿草 召波〉 〈帳箱の上に咲きけり福寿草 一茶〉などがある。黄金色に近い濃い黄色の花で、背が低く群れて咲くので、鉢に盛るのに都合がよく、正月の床飾りの花としてまことに好ましいのである。妻がこの花を好み、玄関に飾っていた記憶がある。寄せ植えにされた鉢は年の初めに相応しく、新鮮な光を放っていた。そんな往時を思い出して作った歌である。時を経て、その後次の句を作った。 或るときの家族の数の福寿草
前の句を発展させた句というか、いやその後の我が家の家族の歴史を辿った句ということになろうか。妻は55歳の誕生日の少し後に亡くなり、2人の娘は嫁いで家を去っていった。私は1人暮しになっていたのである。句の姿としても詩情としても後の句の方がよさそうだ。 |
10月 10月22日(日) 数句会の選句。「銀漢」12月号の校正。鮪の残りをヅケにして軽く焼いた刺身など。 10月23日(月) 24日入院の案内を受ける。華子さん19歳の誕生日、併せて小生の入院壮行会とて、馬刺、ユッケ、馬肉鍋の夕食。シャインマスカットのチーズケーキ。 10月24日(火) 宮澤に送って貰い9時、順天堂大学医院に入院。16階の部屋。孫達の激励の色紙が荷の中にあり。血液検査、レントゲン。 10月25日(水) 9時間近くぐっすり眠る。今日は栄養剤を飲むだけと。臍のそうじ。夕方、手術についての説明を受ける。 10月26日(木) 7時半起床。体重65,1kg。下剤処理。8時半、手術室に入り、背中から麻酔を入れて意識を失う。 10月27日(金) 集中治療室で苦痛な、眠れない一夜を過ごし、部屋へ戻る。いきなり制御が効かず立ったまま下痢。 10月28日(土) 怒涛の2日間であった。談話室から御茶ノ水の堀を見下ろす。 10月29日(日) 今日から食事が出る。ほんの少し食す。シャワー実に気持ち良し。手術痕を見ると、何ともメッタ切り。 10月30日(月) 前2日間が嘘のように全く食欲なく、脱力感。メールも打てない。どうやら昨日までは麻酔が効いていたため、カラ元気であった。 10月31日(火) 苦しい1日。ほんの少しの咳でも傷口の痛さは只事ではない。恐怖。 11月 11月1日(水) もうろうとした一日。ヨーグルトだけ少々口に入れる。 11月2日(木) ヨーグルト少々。午後、「北軽井沢句会」の柴山つぐ子姉が見舞に来て下さる。入口の硝子扉越しなら面会可と。食事はまだ駄目。蜜柑、シャインマスカット少々。 11月3日(金) 「大山鍛練句会」に参加の皆様へ近況報告のメールを送る。やや長いメールを打てるようになった。ご飯少々。15分ほど病廊を歩く。 11月4日(土) まだ日記など書くのが辛い。朝、納豆と、粒を数えられる位のご飯と味噌汁。担当医はまずは順調な回復基調というが、手術痕の化膿はひどい。毎日のシャワーで泡だてた石鹸で傷口を洗うのがなかなかの作業。15分ほど病廊を歩く。 11月5日(日) ヨーグルトと葡萄少々。桃子と硝子越しに面会。溜まっていたお見舞のメールなどに返信。まだ脱力感あり。これが一仕事。日曜日で静かなのでついつい散歩をさぼる。 11月6日(月) 早く抜きすぎたと思われる脇腹のドレーンの跡から1日、7、800㏄の腹水が出ていたが、昨夜あたりからほぼ止まる。これは精神的にも随分違う。研修学生(島歺まされて病廊を30分散歩。午後も40分散歩。杏子来てくれる。今日は桃子の誕生日。 11月7日(火) 雨。朝食少々。相変わらず膿多し。但し、感染症の数値はかなり改善しているという。15分ほど散歩。午後、研修生の介添えで本館地下のコンビニで郵便物を投函。少し気力が戻りつつあり。夕方、大野田さんが大山阿夫利神社の祈祷札を届けて下さる。参加者一同からと。手術内容が未だに不確かにて担当医に聞く。胆のう、胆管、十二指腸は全摘。膵臓は半分。胃は4分の1切除と。なかなかである。 11月8日(水) 日下剤飲むが反応なし。今日、座薬にも反応なし。ついに浣腸にて実に12日振りの便通。安堵! 午後、研修生に励まされて八階の屋上庭園を30分ほど散策。快晴。秋の草花を見る。感染症は遅々として治らず。桃子来て硝子越しに面会。夜、冷奴、サラダ少々。 11月9日(木) 朝食、パンだったせいか、八割食す。数句会の選句。胆汁のドレーンを抜く。あとは膵液のドレーン1本となる。便通あり。感染症はこの手術では起こり易く特に緊急入院時に胆汁を通すためのステントを入れたので雑菌が混入したのではと。午前中10分、夕方25分の散歩。 11月10日(金) 便近く熟睡できず。感染症も治まらず。7時半、便通少々あり。「銀漢賞」の件で秋葉男さんにメール。「本部句会」に出句。「大倉句会」の記念祝賀会に挨拶のメール。夕方、25五分散歩。 11月11日(土) 割合気分良し。3日振りの髭剃り。メール何人かに。朝食、パン一枚、ヨーグルト。あと20分散歩。昼、ホットドッグ、頬張って食べてみるが胃もたれしてヘタる。夕方、気を取り直して散歩20分。 11月12日(日) 苺ジャムでパン少々。便通2日無し。下剤を飲んだが駄目。座薬でようやく効果あり。晴れ晴れ。夕方30分散策。桃子来る。今度は下剤が効きすぎて難儀。 11月13日(月) 外はかなり寒くなった様子。朝食半分ほど。午前中気怠く過ごす。「NHK俳句」2月号の「一句旬菜」の校正。句会の選句など。担当医が、今週末位に退院できるかもと。え! まだ膿はずい分出ているし、食欲は無いし、便通は不確かだし……。夕方30分散歩。富士の夕景が美しい。夜、腕の点滴を外す 11月14日(火) 夜明けの富士を見る。朝食4分の3位食す。今日は朝シャワーを浴びてすぐ処置室で壊死した細胞などを鋏で除去。散歩は15分位しかできず。杏子来てくれる。昼食、夕食共ほとんど食べられず。「銀漢句会」に出句。 11月15日(水) 朝シャワーで手術痕を洗い治療。「本部句会」選句。食欲なし。シャワーのあと治療。だらだら過ごす。便通なし。夕方、30分散歩。膿は減ってきている。 11月17日(金) 割合元気。断片的な日記を纏める。手術についてのエッセイを粗書きしてみる。ようやく文字を書く気力が出始める。朝食半分以上食す。採血、レントゲン、シャワーのあと治療。これだけでぐったり。15時過ぎ、杏子来てくれる。昨夜から処方されたツムラの大建中湯の効果で便通あり。昼、夕食はほとんど 食べられず。 11月18日(土) シャワーあとの治療で切傷の皮膚の下のストローを抜く。大分気分が違う。夕方30分散歩。1月号の選句を少し。 11月9日(日) 6時ごろから朝日に染まっていく富士山を30分程眺める。やや食欲が出てきたので栄養剤の小腸への注入は終了。昼過ぎ、30分散歩。「銀漢」1月号の選句。少し疲れて昼寝。 11月20日(月) 朝食後に便通あり。安堵。膵液のドレーンが抜けてついに点滴棒と別れる。市田先生より22日(水)退院はどうかと。そのあとは通院。桃子来てくれる。夕方、30分散歩。 11月21日(火) 便通あり。食事しっかり取る。当面の自宅用薬貰う。夕方散歩40分。スクワット少々。汗ばむ。 11月22日(水) 栄養剤の管を抜く。昼、杏子の迎えを受けて退院。先生、看護師さんの至れり尽くせりのお世話に只々感謝。天野屋に寄り、芝崎納豆とひね沢庵を買って帰宅。頼んでおいた卵を落とした八丁味噌汁、鯵の開きでお粥の昼食。部屋のソファーにゆったり寛ぐ。 |
△ 枇杷の花 ビワは寒い時季に花を咲かせてくれる貴重な植物です。ビワの花は一見するとあまり目立たず寂しい印象ですが、暖かそうな綿毛に包まれた小さな花には風情があります. 12月頃から枝の先に白色五弁の小花をたくさん付け、花の色が白から黄みを帯びてくるにしたがって、香りが徐々に強くなってきます。 |