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 7月号  2014年

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 銀漢日録 今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句

蕗の束        伊藤伊那男

おほかたは夕べに萎れ花御堂
臍乾く間もなきひと日甘茶仏
満願の湯に立てかけて遍路杖
炎撫で炎宥めて海苔焙る
天秤のやうに撓らせ蕗の束
山藤の狼藉といふ絡みやう
血管の膨らみきつて競馬
衣更へて愁ひのひとつ棚上げに








        
             


今月の目次






銀漢俳句会/7月号













   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

「銀漢」の俳句    伊藤伊那男

◎ 盤水先生の故郷を訪う

5月17日(土)、18日(日)、皆川盤水先生の郷里、福島県いわき市を訪ねた。1年ほど前に、先生の御長男の丈人さん、甥の文弘さんと会食した折、その話になり、お2人から「御案内しますよ」とおっしゃっていただいたので実現したのである。現地で移動できるバス1台分の人数、40数名で伺った。2日間とも好天気で、やはり「盤水晴れ」であった。
 勿来関で地元の古市文子さん、吉田初江さんが出迎えてくれた。文子さんの夫、枯声さん達が先生の句碑建立に尽力されたのである。10年ほど前であったか、私も枯声さんに招かれて、いわき俳句連盟の総会で講演をしたことがあるが、何かと目を掛けていただいてきた。
 勿来関のあと、津波の被災地である小名浜などの沿岸地帯を案内していただいたが、やはり悲しく痛ましい風景であった。先生はあの東日本大震災の前に逝去されたのだが、もし生きておられたらどんなに嘆かれたことか……。
 盤水先生の第一句碑〈閼伽井嶽夜風ゆたかな盆踊〉が赤井岳常福寺境内に建立されたのは昭和61年5月。私は俳句を始めて丁度4年目に入る頃で、37歳。まだ俳号はなく本名を音読みにして「ショートク!」と名乗っていた頃であった。沢木欣一(風主宰)、村田脩(萩主宰)、原裕(鹿火屋主宰)、加藤憲曠(薫風主宰)先生が来賓でいらしたようだが、俳壇の知識もなく、もとより雲の上の方々にて、近づくことも話す機会もなく、隅の方で弁当や引出物を渡す準備などをしていた。式典の間もテントの中で手荷物の番をしていたのではなかったかと思う。
その半年後に、白水阿弥陀堂前、大越邸に第2句碑〈ふんだんな懸巣の声や阿弥陀堂〉の除幕式があったので、その年は2回いわき市を訪問したことになる。振り返ってみると、当時先生は67歳ということになり、今の私はその当時の年令に近づいているのである。往時茫々の感がある。
 阿弥陀堂は美しい佇まいであったが、先生の育った頃は池も枯れていて、寺域は子供達の遊び場であったという。先生の生家は阿弥陀堂の右の脇道を入った裏側だったという。
 私のいわき行きは6回目か、7回目か。やはり現地を踏むたびに新たな発見があり、感慨が深まる。この度は先生没後の初めての訪問であったが、盤水先生の俳句の原点をまた、少しではあるものの垣間見ることのできた、貴重な旅となった。
           












 



  

盤水俳句・月の一句

伊藤伊那男


海峡の闇ひきよせて烏賊釣火      皆川 盤水


青森の同人から先生の句碑を建てたいという話があり、丁度私が講演で訪ねる予定と重なったので、先生からその候補地を見てくるようにと仰せつかった。三ヵ所ほどの候補地の写真を撮り、先生に報告したが、その話は幻に終ったようだ。その折に泊った下風呂温泉の津軽海峡に面した窓からは、この句のように無数の烏賊釣火のまたたきが見えた。翌朝、揚ったばかりの烏賊の刺身が出たが、皿の絵が見えるほど透き通っっていた。

                                   (平成7年『高幡』所収) 
 


  

                      
 



  
 

彗星集作品抄

伊藤伊那男選

彗星集秀句順位 7月号 平成二十六年

全きがゆゑたんぽぽの絮吹けず     唐沢 静男
筑波嶺を尾鰭で払ふ鯉幟        池田 桐人
椿寿忌や傍系なれど曾孫弟子      權守 勝一
それぞれの色舌にあるかき氷      松田 茂
春眠を踏みつけ猫の出て行けり     池田 華風
児の知恵のまた一つ増えさくらんぼ   松代 展枝
舫ひ舟ゆれて佃の夕桜         島 織布
一木をはみ出す光花辛夷        屋内 松山
うたた寝の腕のしびれものどやかに   武田 禪次
囀にもの憂き昼をあづけたり      佐々木節子
京の春清少納言の曙を         松浦 宗克
春泥のあと校門へ校門へ        唐沢 静男
神将の薙ぎてゆきしか落し角      谷口いづみ
夜桜や魂の出で舞ふ能舞台       屋内 松山
父の名の残る門柱鳥雲に        伊藤 庄平
しやぼん玉還らざる日の疼きだす    有賀 稲香
ほんたうも噓も纏へり春ショール    宮本起代子   
白魚の光まみれの四手網        五十嵐京子
藤の香の逢魔がときを濃くつつみ    原田さがみ
とくとくの水音ばかり花の庵      武田 花果

  
        
 


 



        






彗星集 選評 伊藤伊那男

       彗星集秀句 7月号 平成26年

   
全きがゆゑたんぽぽの絮吹けず     唐沢 静男   
たんぽぽの絮を吹くのは大人になってからも楽しいものだ。小さな花なのだが驚くほど沢山の絮を持っていて興が尽きないのである。さてこの句、吹こうと手にとったものの、完璧なまでの見事な絮に、吹くのが惜しくなったというのである。野の花とは言え、自然の造形の美しさに感嘆するこの気持がいい。句に自然との一体感があるのだ。
   
 
  
筑波嶺を尾鰭で払ふ鯉幟        池田 桐人
大きく出たものである。安藤広重の浮世絵などにあるような遠近法の誇張と同じ技法である。筑波山というところがいい。富士山だとあまりににも高すぎて噓くさくなるが、日本百名山の中で一番低く、一昔前は東京の町中からも見えたというこの山は格好である。風に揺れる尾鰭で筑波山が見え隠れするのだが、これを「払ふ」と捉えた卓見。 
  

  
椿寿忌や傍系なれど曾孫弟子      權守 勝一
「椿寿忌」は高浜虚子の忌日で四月八日。仏生会と同日である。墓のある鎌倉寿福寺ではホトトギス直系の方々が今も集まって句会を開く、と聞いた。私などもそうだが、俳人の多くは師系を辿っていけば虚子に行き着くようだ。「傍系なれど」がうまいところで、謙遜という訳でもない措辞が味わいである。 
  

  
それぞれの色舌にあるかき氷      松田 茂
 この年になると、かき氷は目は欲しくとも食べるには勇気がいる。脳天に響くのだ。子供の頃のかき氷はシロップの色素が強烈で、苺もメロンも原色。しっかりと色素が舌に残ったものである。舌を見せ合ったことなどを懐かしく思い出す。「それぞれの色」という上五から中七へ跨った打ち出しがうまいところだ。
  

  
春眠を踏みつけ猫の出て行けり     池田 華風
 「春眠を踏みつけ」は俳句的省略で、「春眠を楽しんでいる私の身体を踏み越えて」ということである。〈何求めて冬帽行くや切通し 角川源義〉と同じような省略である。理解できる、楽しい省略だ。猫という動物の生態もよく描かれている。
  
 
  
児の知恵のまた一つ増えさくらんぼ   松代 展枝
取り合わせのうまい句である。付かず離れずの間合いである。さくらんぼの愛らしさ、その粒の一つ一つが知恵の一つ一つのようにも見えてくるようだ。「また一つ増え」が読み手の目に重なってくるのである。
 
  
 
 舫ひ舟ゆれて佃の夕桜         島 織布
佃小橋のあたりか、江戸の名残の駘蕩たる夕景。 
 

  
一木をはみ出す光花辛夷        屋内 松山
 春の先駈けの辛夷を「はみ出す光」と捉えた眼力。
  

  
うたた寝の腕のしびれものどやかに   武田 禪次
  肘枕のしびれか。これもまた着眠の幸せ。
 
 
  
囀にもの憂き昼をあづけたり      佐々木節子
これも春愁の一つであるか。囀もまた愁いの種。 
  

  
京の春清少納言の曙を         松浦 宗克
「春は曙」の枕草子の本歌取り。旅の楽しみ方の一つ。 
 

  
春泥のあと校門へ校門へ        唐沢 静男
春泥の道を辿ってきた生徒達の様子を捉えて出色。 
  

  
神将の薙ぎてゆきしか落し角      谷口いづみ
奈良あたりの嘱目だからこそ神将が生きるのであろう。 
  

  
夜桜や魂の出で舞ふ能舞台       屋内 松山
夜桜という魂を揺する存在と能役者が一体となったか。 
  

  
父の名の残る門柱鳥雲に        伊藤 庄平
亡くなった父の表札を残す家。鳥雲にが抒情を深める。 
  

  
しやぼん玉還らざる日の疼きだす    有賀 稲香
しやぼん玉に触発される思い出。少し痛みを持って。 
  

  
ほんたうも噓も纏へり春ショール    宮本起代子
春ショールというベールに包まれた女性の心。 
  

  
白魚の光まみれの四手網        五十嵐京子
 白魚のあえかな光。「光まみれ」まで踏み込んだ。
 

  
藤の香の逢魔がときを濃くつつみ    原田さがみ
藤の香の艶冶な香りが際立つ。たそがれどきを強調。 
  

  
とくとくの水音ばかり花の庵      武田 花果
 奥千本の西行庵の静けさが偲ばれる。折しも花の頃。
   
 
       
          







  
   






銀河集作品抄

伊藤伊那男選

春荒にひとゆらぎして渡舟出づ    東京   飯田眞理子
花冷の身に縮緬の固きしぼ      静岡   池田 華風
そこここに車座のある春野かな    静岡   唐沢 静男
桜吹雪風吹く度にみどり増す     群馬   柴山つぐ子
揚ひばり俗世離るる高さかな     東京   杉阪 大和
響きよき遍路の鈴を誉め合へり    東京   武田 花果
母の手に戻り来る脈あたたかし    東京   武田 禪次
蕗味噌や山は朝より雪煙       愛知   萩原 空木
牡丹の芽寒山寺領のまさやかに    東京   久重 凜子
花篝果てて暫く闇揺れぬ       東京   松川 洋酔
涅槃図に割り込む余地のあるかとも  東京   三代川次郎
囀が遊べ遊べと古稀囃す       埼玉   屋内 松山

     





      

     



綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

母子草その名を知りてより折らず   埼玉   伊藤 庄平
農道をネクタイの来る祈年祭     和歌山  笠原 祐子
京劇の顔の厚塗り花蘇枋       神奈川  こしだまほ
古茶もよし雀親子も庭に呼び     山口   笹園 春雀
枝影を太らせてゐる花蘇枋      東京   鈴木てる緒
木蓮の空白濁を強めけり       東京   高橋 透水
藤の花地に近づくを競ひあふ     東京   田中 敬子
ふにやふにやの饂飩で締める伊勢参  東京   谷岡 健彦
佐保姫のいささか永き化粧前     神奈川  谷口いづみ
射的屋に並ぶ景品春の塵       東京   塚本 一夫
古稀なれば自由自在の目借時     福岡   藤井 綋一
青空に凧の切手を貼りつける     東京   松代 展枝

嵯峨野路に風を遊ばす竹の秋     東京   相田 惠子
千年の石棺に降る黄砂かな      東京   有澤 志峯
這ひ足りぬ田鼠鶉と化して跳ぶ    東京   飯田 子貢
つちふるや卑弥呼の墓のありどころ  静岡   五十嵐京子
ポケットで割れてしまへり桜貝    東京   伊藤 政三
湯沸しの笛が呼んでる春夕べ     埼玉   梅沢 フミ
芽柳へ雨がめそめそ啄木忌      神奈川  大野 里詩
春興に顔映しみる真間の井戸     東京   大溝 妙子
糸鋸の目ほどに欅芽吹きけり     東京   大山かげもと
囀りの神木の洞ふくらます      東京   小川 夏葉
悲しさを喜びにへと桜道       鹿児島  尾崎 尚子
逃水のなかに津波にゆきし貌     埼玉   小野寺清人
搗きたての草餅の香をいただきぬ   神奈川  鏡山千恵子
ど忘れの名をあいうえお長閑しや   東京   影山 風子
あたらしき家あたらしき木の芽かな  愛媛   片山 一行
うたた寝に覚めてもうたた日の永き  東京   桂 信子
白墨で土間に伝言花辛夷       長野   加藤 恵介
ひと風に黄を吐くさまや花ミモザ   東京   我部 敬子
若草に閉ぢこめられし競馬場     高知   神村 睦代
花山椒一茶に母と弟と        東京   川島秋葉男
手のひらに鼓動の大き子猫かな    長野   北澤 一伯
往き来する間に日影延ぶ苗木市    東京   柊原 洋征
東京の街にも峠春の月        東京   朽木 直
花山椒女将の小言聞きたくて     東京   畔柳 海村
畑返すかつて出城の三の丸      神奈川  權守 勝一
花見茶屋薬缶の底のまつくろに    長崎   坂口 晴子
水底に日をとりこみし蜷の道     千葉   佐々木節子
畝立てし土の匂ひや朧の夜      長野   三溝 恵子
花衣脱げばひとひら落ちにけり    東京   島 織布
下萌に座し赤彦の湖眼下       東京   島谷 高水
花曇ギプスの我が身老けこむよ    東京   白濱 武子
春雷や稲佐の浜は人寄せず      東京   新谷 房子
諸子食ぶ眼下の湖の波立ちぬ     大阪   末永理恵子
まう化けぬ文福茶釜山笑ふ      静岡   杉本アツ子
鳥の恋大物主の宮居なる       東京   瀬戸 紀恵
落花して地に再びの華やぎを     愛媛   高橋アケミ
ぴかぴかの車も祈願彼岸入      東京   武井まゆみ
この町のはづれに住みて草若葉    千葉   武田 千津
席詰むる田楽の串持たされて     東京   多田 悦子
春の山車山の追風もらひ曳く     埼玉   多田 美記
古里の近くて遠き霞かな       東京   谷川佐和子
つくづくと合はせ鏡の花衣      東京   坪井 研治
山里に威のある寺や牡丹の芽     神奈川  中川冬紫子
木蓮のくづれて風もなき日かな    大阪   中島 凌雲
人はみな故山を持つや啄木忌     東京   中野 智子
歌声喫茶の歌集ひもとく啄木忌    東京   中村 孝哲
須磨の浦低きに出でて春の月     茨城   中村 湖童
はくれんの風にはだけて空満たす   愛知   中村 紘子
ポケットに去年の春の領収書     東京   保谷 政孝
ふる里に負ふ母のなく啄木忌     東京   堀内 清瀬
引越しの部屋に残れる春炬燵     岐阜   堀江 美州
畳まれてゆく三月の陽のにほひ    パリ   堀切 克洋
過去を吐くやうに砂吐く浅蜊かな   埼玉   夲庄 康代
あれこれと迷うて金魚掬へざり    東京   松浦 宗克

逃げ水の色置けぬまま未完の絵    長野   松崎 正
供華あまたあるもあらずも彼岸寺   東京   宮内 孝子
蜷の道生ある限り学べとぞ      千葉   無聞 齋
楊貴妃のひげが気になる寺若葉    東京   村上 文惠
木の芽和約を果たしし事ひとつ    東京   村田 郁子
子の瞳虹色に染めしやぼん玉     東京   村田 重子
顔見せぬままに流れへ流し雛     埼玉   森濱 直之
わらべ唄記憶を辿る春炬燵      愛知   山口 輝久
一湾のくがに身投げの蛍烏賊     群馬   山田 礁
へろへろの春蚊に二人がかりかな   群馬   山田 鯉公
飛沫たつ波を花とも西行忌      東京   山元 正規
有り無しの風にも聡く風車      千葉   吉沢美佐枝
また忘れさうになりたる遍路杖    愛媛   脇 行雲
家族写真添へふるさとの花便り    東京   渡辺 花穂






    

    








銀河集・綺羅星今月の秀句

  伊藤伊那男

母子草その名を知りてより折らず    伊藤 庄平  
春の七草の御形の花である。ある歳時記の高田風人子の解説に「父に先立たれた母子が、寄り添って挫けずに生きている面影とも見える」とある。中国では上古、三月三日にこの葉で餅を作って供えたというが、要は母子揃って無事平穏を祈る意である。作者はその名と古事を知って、只の雑草とは思えなくなり、決して折ったりはしないことにしたのである。「その名を知りてより」、うまい措辞だ。 

  

  

農道をネクタイの来る祈年祭      笠原 祐子
祈年祭という季語の句を初めて見た。歳時記を開くと、二月十七日、一年の稲の豊穣を予祝する行事で、宮中の賢所で祭典もあるという。この句は農村の嘱目。農家の方々が、今日はネクタイ姿で神社へ集まってきたという。馴れないネクタイ姿であるところに豊作を願う敬虔な祈りの気持が込められているようである。「農道を」が的確。 

  

  

古茶もよし雀親子も庭に呼び      笹園 春雀
なんともおおらかな句である。新茶が出ると、それまでの茶葉を古茶と呼ぶのだが、決して味が劣るわけではない。新茶の頼りなさに比べてしっかりと腰があり色も濃い。縁側で茶を楽しんでいると雀の親子が来る。それを「呼び」と言ったところが味わい。この「古茶」には年輪を重ねた人間のよろしさも重なるようである。 

  

  

枝影を太らせてゐる花蘇枋       鈴木てる緒
あの蘇枋の花をよく見たなと思う。この花は枝にびっしりと付着して咲く。葉も出ないので、その影を見ると、枝や幹が太っただけのように見えるのである。影でその花の様子を捉えた視点の勝れた写生句である。 

  

  

木蓮の空白濁を強めけり        高橋 透水
一際高い所に咲く白木蓮であろう。空一杯に咲き、空に溶け込む。多分薄曇りの天気であったか、白木蓮の色が加わって尚更「白濁を強め」たのである。「白濁」は発見! 

  

  

藤の花地に近づくを競ひあふ      田中 敬子
言われてみれば確かに、確かに。藤房が垂れるのは、地面に近づくのを競い合っているのだと。これも対象物を観察した成果で、藤棚というものの特徴をしっかりと摑んだのである。写生の末に独自の感性を加えた。 

  

  

ふにやふにやの饂飩で締める伊勢参   谷岡 健彦
伊勢参は春の季語。遷宮の済んだ今年は尚更賑やかなことであろう。名物は伊勢うどんだが、これがまた何とも頼りないのである。だが伊勢の人の話では、旅人にすぐ出せるように茹でていること、疲れた胃にやさしいように、と、もてなしの精神から生れたものだとか。この句、締まらないうどんで「締める」という俳味。 

  

  

佐保姫のいささか永き化粧前      谷口いづみ 
春を司るのが佐保姫、秋は竜田姫。いずれも奈良の川の名から付けられた雅な季語である。佐保姫が芽吹きのタクトを振っていくのだが、おやっ今年はいささか遅い。まだ化粧台の前に坐ってもいないようだ、と春到来の遅れを心配しているのである。同時出句の〈宿の湯のぬるさ諾ふ雁供養〉も空想の季語を用いて巧みな仕立てである。 

  

  

射的屋に並ぶ景品春の塵        塚本 一夫
面白いところに目を付けたものである。温泉地の射的屋、今や絶滅に近いゲームセンターである。空気銃でコルク弾を飛ばすのだが、なかなか当らない。たまさか当たったところで子供騙しの景品である。何年も当っていない景品、時々拭くのかもしれないが------また春の塵が。 

  

  

古稀なれば自由自在の目借時      藤井 綋一
充実した七十代だなと思う。眠い時には眠る、やるときはやる、という自由な時間配分。目借時に無理矢理起こされるほど辛いことはない。この自由も長年働いてきたからこその賜物。「古稀なれば」の「なれば」の存在感。 

  

  

青空に凧の切手を貼りつける      松代 展枝
 洒落た構成の句である。高く揚がった凧は、あたかも空に貼った「切手」のようだと。比喩にしないで「貼りつける」と断定したところも大胆である。

 その他印象深かった句を次に
  

花冷の身に縮緬の固きしぼ       池田 華風
涅槃図に割り込む余地のあるかとも   三代川次郎
囀が遊べ遊べと古稀囃す        屋内 松山
京劇の顔の厚塗り花蘇枋        こしだまほ


                     







 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

しやぼん玉とんで竹馬の友の貌    宮城     有賀 稲香
さまざまな影をまとひし遍路かな   神奈川    曽谷 晴子
亡き母の机上遍路の予定表      兵庫     清水佳壽美
見送りの母たつ畦の夕かはづ     東京     小林 雅子
ふらここに過去乗り合はす重さかな  神奈川    上條 雅代
春休み羽を伸ばして背ものびて    東京     角 佐穂子
春愁を我が神将に問うてみる     東京     中村 貞代
末の葉に風強かりき糸柳       東京     西原 舞
彼岸寺童子とあるは姉のこと     東京     沼田 有希
花の雨薄墨の名もさてこそと     静岡     澤入 夏帆
行く春を海の向かうに見送りぬ    静岡     金井 硯児
山藤の猛る蛇身となり絡む      東京     大西 酔馬
通るたび音のしさうな花馬酔木    東京     鈴木 淳子
春塵や野良のラジオに雑音も     埼玉     戸矢 一斗
窯跡にのこる陶片寒椿        石川     松原八重子
朝寝して離島のごとく五体あり    埼玉     池田 桐人
彼岸寺ついで参りの叔母の墓     福島     髙橋 双葉
ジョーカーのまためぐりくる春炬燵  神奈川    多丸 朝子
のどけしや三十三間堂の端      千葉     土井 弘道
白木蓮空の奥処に風鳴れり      神奈川    原田 さがみ
木片の細きやあはれ雁供養      神奈川    宮本 起代子
羊羹の厚き一切れ春の闇       東京     森 羽久衣

絢爛と舞ふ花びらや武家屋敷     東京     秋田 正美
商店街ぬふ江ノ電の長閑なる     神奈     秋元 孝之
花の冷祖母手作りの羽織着て     東京     浅見 雅江
高跳びの助走の少女風光る      愛知     穴田 ひろし
君子蘭客待つ部屋に王者めく     東京     荒木 万寿
牛蒡蒔くほどよき刻に雨となり    愛媛     安藤 政隆
花筏関門抜けて組み直す       東京     飯田 康酔
花筵囲ひし靴の乱れやう       東京     市毛 唯朗
露天風呂までこでまりの白き道    群馬     伊藤 菅乃
迸る血潮の如し花蘇芳        神奈川    伊東 岬
おしまひと言ひても止まぬ石鹸玉   東京     今井 麦
讃岐富士切絵のごとく花の間に    愛媛     岩本 昭三
入学の顔を映せるランドセル     東京     上田 裕
ふるさとを一望にして山笑ふ     神奈川    上村健太郎
一輪車に乗れて一面犬ふぐり     埼玉     大木 邦絵
春光をくるくる巻きて飴細工     東京     大住 光汪
逆上がり着地に見やる犬ふぐり    埼玉     大野田好記
巣つばめの小さき順に餌をもらふ   群馬     岡村妃呂子
古竹の手入れも終り竹の秋      神奈川    小坂 誠子
遠霞富士の姿も隠れたり       神奈川    尾崎 幹
桜咲く前の日数のゆたかさよ     京都     小沢 銈三
家持の終焉の地に雲雀啼く      宮城     小田島 渚
旅籠屋の春日を移すなまこ壁     静岡     小野 無道
藤房のかくも大きなシャンデリア   東京     梶山かおり
花冷えや温泉宿の常夜灯       東京     桂 説子
千年の古木と云へり藤の花      東京     亀田 正則
靴紐のかたさ確かむみどりの日    長野     唐沢 冬朱
腹這ひに網に並ぶや干し鰈      神奈川    河村 啓
風待ちて巣立ちを習ふ翼かな     愛知     北浦 正弘
聖橋渡りひととき花人に       神奈川    久坂 衣里子
ふるさとの過不足なしの桜かな    和歌山    熊取 美智子
断髪の少しまぶしき新入生      愛媛     来嶋 清子
われ先に堰遡る小鮎かな       岐阜     黒岩 宏行
目覚めをり春暁の月寂しくて     群馬     小林 尊子
袖口に値札残して新社員       神奈川    阪井 忠太
犬ふぐりその土手この畦ほしいまま  長野     桜井美津江
まな板の音軽やかに春の昼      東京     佐々木終吉
あげ舟や桜吹雪のうづの中      群馬     佐藤かずえ
風光るSL列車に手を振れば     群馬     佐藤さゆり
古民家の歳月の香も梅雨湿り     東京     島谷 操
ほぎうたを添へて鰆が届きたり    埼玉     志村 昌也
一輪のかもす気迫や白牡丹      東京     須﨑 武雄
一声に続く羽震ひ雉子間近か     群馬     鈴木踏青子
つくしんぼ子の手の中でしをれけり  愛知     住山 春人
清明や家族写真の並び位置      ニューヨーク 武田 真理子
みどりごに思はず笑むや山笑ふ    広島     竹本 治美
ひと時に空に背伸びの土筆かな    三重     竹本 吉弘
実をつけぬ花も香るや花蜜柑     ヒューストン 田中沙波子
桜餅買うて一日の留守居かな     東京     田中 寿徳
江の島も富士も霞のなかにあり    神奈川    民永 君子
見頃なる花見は車窓より済ます    大阪     近松 光栄
沈丁の香の重くなり雨催ひ      愛知     津田 卓
春うらら知らぬ街行バスに乗る    東京     手嶋 惠子
好き好きに飲みて話して花見かな   東京     豊田 知子
囀りやけぶりそめたる雑木山     東京     中西 恒雄
夕東風に揺れを連ねて舫ひ綱     埼玉     中村 宗男
大山に袴のごとき春の雲       神奈川    長濱 泰子
点滴の雫数へて春愁ひ        長崎     永山 憂仔
柳絮飛ぶ午後の紅茶の憩ひかな    東京     萩野 清司 
ふるさとの空緩ませて春夕焼     東京     長谷川千何子
制服の折目際立ち風光る       神奈川    花上 佐都
すはゑにも桜びつしり咲きにけり   兵庫     播广 義春
春雨の枝へ留まり真珠めく      東京     福田 泉
旅の夢ばかり見さする春の風邪    東京     福永 新祇
花の宴終れば戻る主婦の顔      東京     福原 紀子
若人の清しさに似て白木蓮      愛媛     藤田 孝俊
満ち満ちて淵へなだるる桜かな    東京     牧野 睦子
翻る團旗影濃き炎天下        東京     松田 茂
飛花激し自動扉の開きしとき     神奈川    松村 郁子
林檎咲き信濃の空を白くする     東京     村上 敏和
譲り合ふ竹の柄杓や仏生会      千葉     森崎 森平
踏み入れば隙無きまでに犬ふぐり   長野     守屋 明
短か夜の夢の続きを獏が喰ふ     東京     家治 祥夫
赤飯に大粒の豆入学す        群馬     山﨑ちづ子
手水舎にとどまる小さき花筏     東京     山下 美佐
花ふぶきひらがなあまた舞ふごとし  東京     結城 爽
浅蜊掘る大小の手や九十九里     大阪     吉田かづよ
信濃路に一期の出会ひ五加飯     神奈川    和歌山要子
五百羅漢我影探す余寒かな      埼玉     渡邊 勲
時折は方言も出て入社式       東京     渡辺 文子


  

    




*
     





星雲集 今月の秀句


伊藤伊那男

しやぼん玉とんで竹馬の友の貌     有賀 稲香
大人になってから見るしゃぼん玉は様々なことを想起させてくれるものだ。割れたり、飛び去っていくはかなさに人生の哀愁のようなものが重なるからであろう。この句はしゃぼん玉の一つ一つに幼馴染の顔が浮かび出たというのである。しゃぼん玉の大小や色の違いで、あっあの子だ、この子だ、と連想がすすむのであろう。だが、それらも束の間に割れて消え去る。もう戻らない日々である。久保田万太郎の〈竹馬やいろはにほへとちりぢりに〉を思う。 
 

さまざまな影をまとひし遍路かな    曽谷 晴子
 遍路が影を曳くという発想の句は沢山見てきたが、この句の影は、物理的な影ではなく、それぞれの遍路の持つ「人生の影」を描いているようである。「まとひし」の措辞でそれが明らかになる。同じ影でも心の中の影。
 

亡き母の机上遍路の予定表       清水佳壽美
 〈亡き母の机上/遍路の予定表〉と切る。亡くなられた母上の机に、いずれは達成したいと思っていたお遍路の地図や宿泊地のメモなどが残されていたのである。母の遍路は果たされなかったけれど、子がこのような句を詠んだことで十分満足していることであろう。とかく情に溺れ易い母恋いの句だが、「物」だけで詠み切ったことで成功した。
 

見送りの母たつ畦の夕かはづ      小林 雅子
懐しい句だ。私もこんな風にして信州を往き来したものである。いいから、と言っても母は見えなくなるまで、いつまでも立っている。この句「夕かはづ」の季語が何とも味わい深い斡旋で余韻を残している。 
 

ふらここに過去乗り合はす重さかな   上條 雅代
重量というものを持つはずのない「過去」の思いがあることで、ぶらんこが重くなったという。その心の重さを体重と重ねたことで悲しさとおかしさを醸し出した句である。大人のぶらんこは哀愁に包まれているのだ。 
 

春休み羽を伸ばして背ものびて     角 佐穂子

 春休みに羽を伸ばして、までは誰でも詠めそうだ。だが「背ものびて」と対句に持ち込んだところは類例がない。夏休みではなく「春休み」が効いているのは、短い休みながら学年が一つ上る、というところにありそうだ。書かれてはいないが、心の成長も含まれているようだ。同時出句の〈うららかや雀は影を差し交し〉も佳句。
 

春愁を我が神将に問うてみる      中村 貞代
 確か新薬師寺の神将などには干支の守り神が書かれていたように思う。この春の愁いは一体どこから来るのだろうか、と干支の神将に問う。答など返ってこないことは作者も承知であるところが面白い。春愁とはそんなものだ。
  

末の葉に風強かりき糸柳        西原 舞
糸柳をよく見ている句だ。末の葉の揺れが大きいのは先端に向かって枝が細くなるからだが、この句では、そこだけに風が強く吹くからだという。ここに独自の観察眼がある。同時出句の〈茎が茎はじく紫雲英を編みにけり〉も丁寧に対象を見てその特徴を捉えた佳句である。 
 

のどけしや三十三間堂の端       土井 弘道
一読おかしさのこみ上げてくる句だ。あの長い長い堂の外廊下の端っこにいる、というただそれだけ、それが「長閑」であると。実はこうした、とりとめもない安らぎが「長閑」の本意である。「端」の把握が何とも出色! 
 

ジョーカーのまためぐりくる春炬燵   多丸 朝子
 誰もが思い出のある風景。昔は婆抜きなどと言ったが、今だと禁止用語になるかもしれない。春炬燵の中で繰り返されるゲーム。何とも倦怠感溢れる面白い句だ。
 

朝寝して離島のごとく五体あり     池田 桐人
朝寝から覚めた一時、その気怠さに五体がままならない。「離島」のようにばらばらな状態で神経が繫がらないのである。比喩に実感がある。 
 

木片の細きやあはれ雁供養       宮本起代子
想像上の雁風呂を題材にした句。「細い」と本当のことのように断定したことで現実感を持たせた。その骨格があるので「あはれ」という直截な言葉が生きたようだ。 
 その他印象深かった句を次に

彼岸寺ついで参りの叔母の墓      髙橋 双葉
彼岸寺童子とあるは姉のこと      沼田 有希
羊羹の厚き一切れ春の闇        森羽 久衣
白木蓮空の奥処に風鳴れり       原田さがみ








 
    
   




 


新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む      伊藤伊那男

  

回想―句集『知命なほ』の時代(2)    伊藤伊那男
 前月号から『知命なほ』の時代が始まったが、最初の20句の中に近江の句が4句ある。
   
玉解きし芭蕉に膳所の雨しきり
曾殿の墓打つてゐる男梅雨
津絵の鬼の大きな跣足かな
    
鮒鮓や日照雨(そばえ)隠しに夕伊吹

 このように近江は私の俳句のホームグラウンドである。俳句を始める前から馴染んだ土地であることは前にも書いた。さて、たまたま1月ほど前に、地方の新聞に配信するエッセイの依頼を受けた。食物にまつわる文章を1回400字で10回分というものである。食物エッセイなら、「任せておけ!」とばかりすぐ書いたが、振り返ると近江の食物を3つ取り上げていた。それだけでも私が近江フェチであることを解ってもらえると思う。取り上げたのは冒頭句にもある鮒鮓、鴨鍋、日野菜。
 鮒鮓は高校時代、友人宅に行ったとき、父上の食膳に見たことのないものがあり、食べてみろ、という。それが鮒鮓で、うまい!と思った。鮒鮓は、にごろ鮒の内臓を抜いて数か月塩漬けにしたあと、御飯に漬け直して熟成を待つ。米文化と共に伝来した保存食で奈良の朝廷には、鹿肉、鰻なども漬けられて献上されたという記録があるが、今は琵琶湖に鮒鮓として残るばかりである。独得の匂いを持つので京都の料亭では酒粕に漬け直したりもするが、私はこの臭みが好きである。どろどろの御飯も余さず食べる。
 この古代の鮓は、その後、今の柿の葉鮨のような短時間熟成させる押鮨に変様していく。     
小林一茶の〈酢になる間を配る枕かな〉、井上井月の〈絵本など見せて置かれて俄ずし〉などがそれである。更に江戸期に入ると気の短い江戸っ子はその時間さえ待ちきれず、御飯の自然発酵を省略して、食酢を交ぜて酸っぱくしてしまうという今の早鮨に変様させたのである。
  私が鮒鮓好きなことを知って、茨木和生(運河主宰)先生が、年末の奈良煤逃吟行会に合わせて一本差し入れしてくれる。木箱入りの特大の極上品で、腹一杯に卵が詰っている。ここ3年ほど毎年いただいており、奈良の夜の酒盛りはこれで始まる。ただし非常に困ったことは、年々参加者が増えてきたことである。昨年は30人ほどで分け合うことになってしまった。「臭いよ、嫌な人は無理しないでね!」と声を枯らして叫ぶのであるが、だんだん愛好者が増えてきてしまっているのである。困ったーーー。
             
 鮒鮓や夜の底深き(うみ)の国      伊那男


  平成10年
身を投ぐるやうに散りたる酔芙蓉
雨降つてだらだら祭まだなかば
地蜂捕り地蔵の辻に集まれり
熟るるとは枯れたるごとし棗の実
後の月故郷に借りる父の帯
秋風や首を回せば鳴るこけし
下町の一気に冷ゆる一葉忌
ひよんの実を吹きて淋しさ募らする
一茶忌の藁引き合へる雀かな
大仏の煤を掃かせて貰ひけり


  平成11年
  信濃 新野雪祭 三句
雪祭神呼ぶ声の怒濤なす
榾はぜて湯立神事の神散らす
雪祭神の降りくる荒筵
鷹匠の肘張つて富士まなかひに
根深汁芯のとりわけ熱きこと
冬の蝶生くるしるしの翅立てる
炉話の同じ話にまた泣けり
鎌倉の公暁の忌なり悴めり
雁風呂を焚くころといふ誘ひかな
世を落ちて青空市の男雛













 


銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。




  
 

     
     



   半化

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掲示板










        








鳥の歳時記


   



斑鳩









大瑠璃







       





  
           
         

  
             
 
  





銀漢亭日録

伊藤伊那男


4月


 4月9日(水)
発行所梶の葉句会」の選句へ。店、閑散。「月の匣」水内主宰。亀戸の名店の鯖鮓二本お土産に来店。山形のあべ小萩さんと。早めに帰宅すると桃子が宮澤と英語のレッスン中。宮澤の初のドキュメンタリー映画「うみやまあひだ」|伊勢神宮の森から響くメッセージ|が完成し、ワシントンの「全米桜祭り」で試写会の運び。そこで舞台挨拶のレッスンと。

4月10日(木
閑中の閑。22時半、店閉める。

 
 柴山つぐ子句会
4月11日(金)
宮澤渡米中にて、怜輔の成城幼稚園入園式に付き添い。初めて成城学園のキャンパスに入る。もっぱら写真の係。14時、角川・打田氏と新刊本打ち合わせ。店、対島康子さん友人と。嬬恋村の柴山つぐ子さん、佐藤さゆりさん来店。お土産いろいろ。大野田、洋酔さん来て盛り上がる。高校先輩の伊藤文明(「秋麗」)、大塚紀年(「岬」)卒業50周年の打ち合わせあととて寄って下さる。大塚さんは私の実家の町内会。そこへ岩波社友の今井さん来店。この方は実家から百数十メートルという近所にて、何とも……。またまた寝過ごして京王線に入り、明大前にて終電。トホホ……。

4月12日(土)
10時、運営委員会。昼、「いもや」の海老天。13時より「銀漢本部句会」。選者の杉阪、禪次、眞理子さん欠席ながら54人と盛況。春の陽気と満腹で眠い眠い。次郎さんに仕切ってもらう。あと、「なにわ」にて親睦会。13名。

4月13日(日)
高井戸、杏の家のお披露目。桃子、孫と。筍煮て持参。庭のウッドデッキ設営はまだ工事中。ワイワイ飲んで一眠り。帰宅して22時には就寝。


4月14日(月)
松代展枝さんお誕生会。なんと25人程が集まる。最後はビンゴゲームで盛り上がる。あと展枝さんを囲み六名程で「ふくの鳥」。京都・伸子さんより筍到来。

4月16日(水)
広渡敬雄氏、会社仲間と6人。発行所「はてな句会」あと4人。「三水会」7人。駒ヶ根市の宮澤宏治さん、駒ヶ根市誌の一部コピー送ってくれる。昔の市の風景などに見とれる。

 4月17日(木)
升本栄子さんより電話。93歳になられる「春耕」会員の丸川房子さんの句集を送ってくださると。店、「銀漢句会」あと14人。

4月18日(金)
「蔦句会」あと3人。踏青子さん、武蔵高校時代からの学友と会合あと5人で寄って下さる。中には昭和天皇の執刀医の方も。

4月19日(土)
洋酔さんの第二句集の句稿閲す。宮澤、福岡出張と。その前に一緒にワインで昼食。今週は日帰りの京都出張もあり多忙の様子。19時、日暮里・本行寺へ。「月の匣」創刊4周年記念祝賀会に招待受ける。当方、展枝、いづみさんも。あと町に出て盛大なカラオケ大会。

4月20日(日)
二日酔い。上の孫二人は駆けっこクラブの大会で代々木競技場。宮澤、福岡出張中にて終日、下の孫2人の子守り。

4月21日(月)
「演劇人句会」7人。皆川文弘さん、いわきの下見で何か支障はなかったかどうか?と心配して寄って下さる。山崎祐子さんに歓待していただいたようだと言うと、多分、屋号「塩屋」という名家の方ではないか?と。

 4月22日(火)
IMAGICA東京映像センターにて宮澤の初監督ドキュメンタリー映画「うみやまあひだ」の完成披露試写会に。あと、ランチレセプション。「萩句会」選句へ。店、硯児、坪井、対馬康子さんなど。終わって対馬さんと餃子屋にて小酌。

4月23日(水)
「雛句会」7人。洋酔さん句集の件、打ち合わせ。22時に閉めて、「ふくの鳥」。閑だとよその店で飲むという悪い習慣。

4月24日(木)
池田のりをさん、パリ出張の仕事仲間と5人。「天為発行所句会」あと4人。遅くに一平さん他、句会あと8人ほど。

4月25日(金)
発行所、14時より「門」同人句会(鳥居真里子さん他)に貸し出し。夜、「金星句会」店は閑散。井上井月顕彰会・堀内功会長来店。「銀漢」への基金2万円を戴く。


4月26日(土)
「纏句会」。10人と少ない。句会あと鰹の叩き、めばるの煮付け、桜蝦のかき揚げ、生海苔揚(兼題)、酒は「十四代」の生酒。あと握り。日本橋の三重県アンテナショップに寄り、松阪の宮崎屋の「養肝漬」を入手。以前は取り寄せたほどの好物。宮澤の伊勢神宮の写真集を販売しているのも嬉しい。

4月28日(月)
ゴールデンウィークの様相。店、開いてはみたものの……超閑散。


 4月29日(火)
家族の会。大人5人。孫六人。映画の完成祝いと、ひと足早く子供の日の祝い。ローストポーク、からすみ、イカの豆鼓炒めなど作る。ここ2日程で6月号の原稿書く。「雲の峰」誌への「そして京都」2回分程書き溜める。俳人協会来年のカレンダーへ句送る。

 4月30日(水)
池内けい吾さんいかなごの釘煮届けて下さる。好記さん井月の資料沢山、伊那の図書館でコピー取ってきてくれる。てる緒さんバニラと。元気!

5月

5月4日(日)
「春耕同人句会」いつもより少し早めに着いたなと、中野サンプラザの七階でエレベーターを降り、「未来図」の部屋をちらと覗くと静かに選句中。あれ、いつもなら受付の最中なのに……。うっかり一時間間違えていて、春耕も選句中。結局、出句はせず途中からの選句。連休呆けか……。あと「炙谷」で親睦会。5、6人でもう一軒廻る。池内さんの伊予弁の話「へらこい」など楽しく。大竹憲治氏に「銀漢」の寄稿の礼状。

 
 
「祝」 12周年
5月7日(水)
連休明け。発行所「きさらぎ句会」あと8人。「宙句会」あと九人。思えば今日から店は十二年目に入る。つぶれずに今日まで……。

  5月8日(木)
ワッシー、宗一郎、直さんなど。客少なかったが、後半、一平、うさぎ、敦子、文子、清人、近恵と俳句仲間でカウンターが埋まる。一般客、オリックス時代の高木氏も来て、0時近くまで



          
   




   
    






今月の季節の写真



2014年7月23撮影   カサブランカ    TOKYO/HATIOJI




 


   花言葉      「威厳」 「純潔」 「高貴」



写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2014/7/19    更新


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