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 3月号  2024年



伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句












       
             

                        

    

今月の目次










銀漢俳句会/2024/2月号






















   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎温泉に浸かって

 温泉が好きである。40代の頃随分登山をしたが、帰りには必ず山懐の温泉に寄った。銀漢亭を開くまでの10数年間に170回位登山をしているので同じ数くらい入湯している。普通の旅を入れたらもっと沢山の温泉に浸かっている。
さて今回の入院生活では退院までの丸1月は病院のシャワーであった。退院してからも手術痕の化膿が治まるまでの3週間はやはりシャワーだけであった。
 話は遡るが、45歳の時大腸癌の手術のあと思い立って、武田信玄の隠し湯の一つといわれる山梨県の下部温泉に数日間逗留したことがある。切傷に効能があるといい、石原裕次郎も手術の後入ったと仄聞していた。長い廊下の先の地下の洞窟風呂で、冷泉である。入っていると身体中に細かな泡がまとわり付く。本を持ち込んで1時間浸かっていてものぼせることもなく、1日に何時間も浸かった。混浴で、地元の方と思われるお婆さんが3人ほど賑やかに入ってきた。私は隅の方で身を縮めて腹の手術痕を隠していたのだが、いきなり1人が「兄さん、大きな手術をしたね」と言う。ちゃんと見ているのだ。この宿には高浜虚子の
   
裸子をひつさげ歩く温泉()の廊下

という句が残っている。「ホトトギス」600号記念大会をここで開いた折詠んだ句である。これに因んで地元の堤俳一佳が俳誌「裸子」を創刊している。後継主宰となった長男の堤高嶺さんとは、八王子の俳句大会の選者などでご一緒した思い出がある。
 今回も下部温泉を考えたが、この季節にあの冷泉に入るのは無理がありそうだ。そこで先ず手始めに弦巻温泉を思い付いた。大山・丹沢の登山の帰りに何度か寄っており、私の家からは小田急線で一本、約1時間で行くことができる。そんなわけで抗癌剤の副作用もほとんど出ていないことが解った年末に小さな旅を試みた。やはり温泉はいい。今後はのんびりと温泉に浸かる時間を作ってもいいな。思えば俳句にまつわる仕事に毎日忙殺されながら、肝心な自分の作句する時間がほとんど無いという生活も異常である。この際少し義理を欠いても残りの人生に悔いを残さないように生きようと思う。
 郷里伊那谷の同期生で町の寺の住職、飯田実雄君が栄達して、京都御苑の横の浄土宗七大本山の一つ、清浄華院(しょうじょうけいん)の法主に就任している。往古御所の中にあった由緒ある寺である。彼の言葉に
   
今日は残りの人生の最初の日

があり、染筆のコピーを部屋のドアに貼って毎日見ている。このあとはそんな気持で1日1日を大事に、もうひと頑張りしようと思う。














 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

春の滝光をこぼしはじめけり       皆川 盤水

最近まで「春の滝」は一般的に詠まれている季語だと思い込んでいたが、主要な歳時記には立項していない。「滝」は夏、「冬滝・凍滝」は冬で、春と秋の滝は無い。ところが先生には八句もある。〈春の滝おもむろに音を出す〉〈春の滝力を出してきたりけり〉〈つづけざましぶきあげそむ春の滝〉など。面白いことに全て八十歳を過ぎてからの句であること、ほぼ全てが一物仕立ての句であることである。老境が成さしめたものか。(平成十二年作『山海抄』所






 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選

 煤逃のはずが会社に来てしまふ        谷岡 健彦
 隙間風屏風の風神より来しか         島  織布
 先づ椎の見えて冬日の幻住庵         中村 湖童
 ぞんざいなむしり跡ある古暦         大田 勝行
 大氷柱結界をなす空海廟           多田 美記
 墨絵めく雨の洛中春星忌           中島 凌雲
 飛騨人はさらに寡黙に冬籠          杉阪 大和
 義士会の門前に降る鳩の羽根         辻本 理恵
 電話とてうつされさうな風邪の咳       三井 康有
 風花の舞ひても溶けぬ穂高町         浦野 洋一
 七口のどこも綿虫通せんぼ          中野 堯司
 霧笛聞く港ホテルの聖夜かな         杉阪 大和
 悲しみに栞をはさみ冬めけり         有澤 志峯
 隈取に睨まれ羽子板買ひさうに        多田 悦子
 怒濤浴び隠岐の馬いや肥ゆるなり       渡辺 花穂
 冬ざるるひとり差し込む鍵の冷え       小野寺一砂
 素戔嗚も平家の武者も里神楽         横地 三旦
 万策の尽きし如くや枯蓮           福原  紅
 奥越の雪吊低き庭木にも           畔柳 海村
 懸大根あるがままなる百の影         多田 美記
 





  




 
 






    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

煤逃のはずが会社に来てしまふ       谷岡 健彦
企業戦士であった私にも覚えのある句だ。山積みの稟議書に落ち着かず、日曜出勤をしたり、休日のドライブの途中、車に積んだ背広に着替えて客の家を訪ねたりした記憶がある。この作者もそのような生活をしてきたのであろう。変革が叫ばれて久しいが、今もそういう風潮が残っているのか、と心配にもなる。「煤逃」の季語で、煤逃にならない現実の世相が詠まれており、新しい観点、新しい発見のある類例の無い句となった。 


隙間風屏風の風神より来しか        島  織布
高野山や出羽三山、戸隠の宿坊などで私も経験している情景である。天井も高いし、どこからともなく隙間風が来る。丁度風神雷神図の屏風があり、これはその風神が発する風ではないか、と思う。そんな風だと思えば隙間風もまた楽しいものになる。屏風も季語の一つだが、このような構成の句の場合、明確に主題は隙間風であり、全く問題にならない必然性のある表現、ということになる。


先づ椎の見えて冬日の幻住庵        中村 湖童
 松尾芭蕉の『幻住庵記』の最後に、〈まづたのむ椎の木もあり夏木立〉があり、掲句はこの句を本歌取りしたものである。「先づ椎の見えて」の運び、「冬日」の配置、と巧みである。幻住庵は菅沼曲水が叔父の別荘を芭蕉逗留に用意したもので、現在復元したものが残っている。実際に椎の木もあり、拾ってきた友人から炒ったものを貰ったことがある。


ぞんざいなむしり跡ある古暦        大田 勝行
誰もが気付いているけれど、詠まれていないところを捉えた句である。特に日捲りなどでは、捲ることを忘れていて、まとめて千切ったり……と一年の間に起ったことの様々な出来事が、むしり跡から偲ばれるのである。いいところに目をつけた、発見のある句であった。 


大氷柱結界をなす空海廟          多田 美記
高野山の奥の院に今も空海上人は生きていて、毎日食事を運び続けている。石垣に囲まれた御廟の厳冬期の様子を捉えて臨場感がある。大氷柱が空海を護っているかのようのである。


墨絵めく雨の洛中春星忌          中島 凌雲
与謝蕪村の忌日は陰暦十二月二十五日。蕪村忌は俳号から取って夜半亭忌、画号から取って春星忌とも呼ばれる。当日の京都は雨が降ったという。これを「墨絵めく」としたことが手柄で、画家としての蕪村を称えているのだ。 


飛騨人はさらに寡黙に冬籠          杉阪 大和
 口の重い飛騨人を更に黙らせる厳冬の飛騨。


義士会の門前に降る鳩の羽根         辻本 理恵
討入りの日の寺の賑わいを常ならぬ鳩の様子で描いた。


電話とてうつされさうな風邪の咳       三井 康有
  発想はいいが「風邪の咳」はどうか。「咳の声」とか。


風花の舞ひても溶けぬ穂高町          浦野 洋一
 安曇野市穂高ならこんなこともありそうだ。

七口のどこも綿虫通せんぼ           中野 堯司 

     
鎌倉に今も残る七口。兵ならぬ綿虫が守りを固める。


霧笛聞く港ホテルの聖夜かな         杉阪 大和
 予定調和もここまでくると、まあ見事といってよい。


悲しみに栞をはさみ冬めけり         有澤 志峯
冬に暗転していく頃の心の変化を抒情的に捉えた。 


隈取に睨まれ羽子板買ひさうに        多田 悦子
大見得を切った役者絵。見事な羽子板が目に浮かぶ。


怒濤浴び隠岐の馬いや肥ゆるなり        渡辺 花穂
「隠岐」の地名がよく効いて臨場感のある句となった。 


冬ざるるひとり差し込む鍵の冷え       小野寺一砂
鍵を差し込んだ金属音が「冬ざるる」の音と響き合う。 


素戔嗚も平家の武者も里神楽         横地 三旦
 落人村であろうか。歴史が混然と融合した神楽である。


万策の尽きし如くや枯蓮           福原  紅
比喩の使い方がうまい。それも擬人化した比喩。 


奥越の雪吊低き庭木にも           畔柳 海村
 越の国も更に奥ということか。「低し(・)」の方がいいか。


懸大根あるがままなる百の影         多田 美記
大根にもある一本毎の形状の違い。「百の影」がいい。

 













銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

 
高千穂夜神楽
薪爆ずる音のもてなし神楽宿      東京  飯田眞理子
がらんどうの風除け港冬うらら     静岡  唐沢 静男
干柿の甘み増しけり浅間風       群馬  柴山つぐ子
表より裏の明るき朴落葉        東京  杉阪 大和
北限てふ茶の花濁りなき光       東京  武田 花果
法堂(はつどう)の読経のしらべ冬安居       東京  武田 禪次
晨鶏の鬨のそろはぬ神の留守      埼玉  多田 美記
顔見世の役者談議を梅田まで      東京  谷岡 健彦
はや暮るる坊の夕餉の凍豆腐      神奈川 谷口いづみ
初しぐれお百度石のぽつねんと     長野  萩原 空木
剝製のまなこに光山眠る        東京  堀切 克洋
はからずも八十路を歩む冬紅葉     東京  松川 洋酔
秋惜しむ幻住庵の縁に座し       東京  三代川次郎

















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

湯ざめして昔覚えし反戦歌       千葉   長井  哲
山彦の秋思濃くして返しけり      茨城   中村 湖童
厄詣他人の厄を搔き分けて       埼玉   深津  博
グラタンに積もる聖夜の粉チーズ    東京   森 羽久衣
炬燵にて地図で縦走奥穂高       神奈川  大田 勝行
猫の分もサンタクロースへの手紙    愛知   荻野ゆ佑子
寒鰤来絶えて久しき塩の道       長野   坂下  昭
口切の壺大仰なまでの封        ムンバイ 辻本 芙紗
カフェオレの描く兎や年送る      東京   松浦 宗克
蓑虫の安寧決めし高さかな       神奈川  大野 里詩
白雪姫も嫗となりぬ鏡冴ゆ       東京   小林 美樹
一村を迷路としたる風囲        東京   朽木  直
切干や北国日和てふ一日        東京   小山 蓮子
芭蕉忌や深川飯といふ駅弁       山形   生田  武
ふところに夕日仕舞うて浮寝鳥     東京   大住 光汪
冬銀河天狗の山をひとまたぎ      東京   白濱 武子
だるまさんよく転ぶ日の開戦日     東京   高橋 透水
波郷忌のなほ彼の色の雀どち      東京   武井まゆみ

昨夜のまま置かれてゐたる穴施行    東京   飛鳥  蘭
石塊の中のひとつや枯野仏       東京   有澤 志峯
冬の日を横糸にして杉の里       神奈川  有賀 理
鉄筆の音の速さや文化の日       東京   飯田 子貢
片頰のぬくみ増しけり日の障子     埼玉   池田 桐人
手習ひに手を添へらるる一葉忌     東京   市川 蘆舟
どぶろくや生涯村を出ぬ同士      埼玉   伊藤 庄平
餅搗くや臼の敷き藁震はせて      東京   伊藤  政
冬耕と言へど半畤裏の畑        神奈川  伊東  岬
篝火の大きく爆ぜて除夜の闇      東京   今井  麦
社会鍋喇叭の音が古書肆まで      埼玉   今村 昌史
先生の齢となりぬ漱石忌        東京   上田  裕
ポインセチア神は窓辺に降りてくる   東京   宇志やまと
鳥渡る高麗の山なみ高からず      埼玉   大澤 静子
立つといふ姿美し冬に入る       東京   大沼まり子
顔見世の襲名披露眉を濃く       埼玉   大野田井蛙
釣瓶落し子ら縄電車置き去りに     東京   大溝 妙子
薬飲むコップの底に冬青空       東京   大山かげもと
くすぶるや牡丹焚火の始まりは     東京   岡城ひとみ
わが顔ごと鏡拭きたる寒夜かな     宮城   小田島 渚
玉こんにやく売切れてゐる神の留守   宮城   小野寺一砂
足場なく架かるや能登の冬の虹     埼玉   小野寺清人
手の届く高さで終はる煤払       和歌山  笠原 祐子
柊の花の清むる鬼門かな        東京   梶山かおり
茶の花に嘘のつけない白さあり     愛媛   片山 一行
神無月雲の特急西へ飛ぶ        静岡   金井 硯児
一段ごと暮るる棚田や冬田打      東京   我部 敬子
糾へる縄に真白き大根干す       東京   川島秋葉男
叡山に雲の低さや片時雨        千葉   川島  紬
蒲団干し太陽神を抱くごとし      神奈川  河村  啓
笹鳴きのその身を隠す歯朶の陰     愛知   北浦 正弘
煤逃は碧き箒に跨れよ         長野   北澤 一伯
境内を離れぬ煙落葉焚         東京   絹田  稜
諍ひはここにも鴨の陣崩る       東京   柊原 洋征
時雨忌や八十路を辿る旅に出む     東京   畔柳 海村
二階より降りてくる間にしぐれけり   東京   小泉 良子
初冬のふはふはと喰ふ肉豆腐      神奈川  こしだまほ
漆黒の座禅座布団返り花        千葉   小森みゆき
相槌のなき妻に掛くねんねんこ     宮城   齊藤 克之
手袋の中に十指の闘士あり       青森   榊 せい子
芭蕉忌や旅に選びて有馬筆       長崎   坂口 晴子
売り声の飛び交ふ街や恵比須講     群馬   佐藤 栄子
良き夢を見たしと抱く湯婆かな     群馬   佐藤かずえ
献上の筆頭に記す熊の胆        長野   三溝 恵子
踏台にひるむ齢や煤払         広島   塩田佐喜子
シクラメン三面鏡の奥の奥       東京   島  織布
白山の水もて大根洗ひをり       東京   島谷 高水
冬ぬくし干し藁に入るかくれんぼ    兵庫   清水佳壽美
枯蔓を引く糸口の見つからず      東京   清水 史恵
侘助の日暮に浮かぶ白さかな      東京   清水美保子
人想ふこと多かりき十二月       埼玉   志村  昌
遠く住む子より帰り来歳の暮      千葉   白井 飛露
割鍋に綴蓋似合ふ狸汁         神奈川  白井八十八
ラ・フランス歯ごたへの無き甘さかな  東京   新谷 房子
石垣となりし仏像木守柿        大阪   末永理恵子
口切の折目正しき袴かな        東京   鈴木 淳子
頼りなき日差しを頼み返り花      東京   鈴木てる緒
冬の駅乗車も下車も我独り       群馬   鈴木踏青子
曲り角また曲り角神の留守       東京   角 佐穂子
氷瀑のどれほどの音閉ぢ込むる     千葉   園部あづき
ぼろ市の動かぬ玩具うら寂し      神奈川  曽谷 晴子
北塞ぐ噂ばなしの遠ざかり       長野   髙橋 初風
金風の長谷の舞台を渡りけり      東京   竹内 洋平
立冬や母へ薬に白湯を添へ       神奈川  田嶋 壺中
狛犬に檻のやうなる雪囲        東京   多田 悦子
侘助の子規の机上にある明かり     東京   立崎ひかり
柚子湯して今日のひと日を忘じをり   東京   田中 敬子
山国の静もる瀬音寒の鯉        東京   田中  道
着ぶくれて覚つかなしやこの一歩    東京   田家 正好
初冬の真鍮ノブの手擦れ艶       東京   塚本 一夫
神の意に添はぬ人の世神無月      東京   辻  隆夫
山伏の法螺の上ずる神の留守      東京   辻本 理恵
余生なほ苦楽織り交ぜ木の葉髪     愛知   津田  卓
切干や梁の煤けし湯治宿        東京   坪井 研治
白鳥来真珠を一つ置くやうに      埼玉   戸矢 一斗
なすこともなくて勤労感謝の日     東京   中込 精二
柏手を一等高く神迎          大阪   中島 凌雲
冬銀河恩師おほかた身罷りぬ      神奈川  中野 堯司
逃げやすき山の日とどめ柚子熟るる   東京   中野 智子
嚔してああ舌頭の句を忘ず       東京   中村 孝哲
枯蓮や競ひをるかの折れ具合      埼玉   中村 宗男
翳うすく冬のぶらんこ戻りける     東京   中村 藍人
木曾谷は緞帳下ろし山眠る       長野   中山  中
大島の近く見ゆる日帰り花       千葉   中山 桐里
飛石の一つぐらつく神の留守      大阪   西田 鏡子
浅蜊汁底に残りし砂少し        東京   沼田 有希
しんかんと武甲震はす冬花火      埼玉   萩原 陽里
切干の乾ぶるほどに風絡む       東京   橋野 幸彦
繕ひしあと大雑把秋簾         広島   長谷川明子
時の鐘鳴るを待たずに秋の暮      東京   長谷川千何子
幾たびも幻住庵に添水鳴る       兵庫   播广 義春
寒晴や昇り竜めく男松         埼玉   半田けい子
頑強な一本調子冬の滝         東京   福永 新祇
枯蓮栄華を泥に埋めつくし       東京   福原  紅
冬芽立つ天覧山の五葉松        東京   星野 淑子
濃き色を明日へと預け寒牡丹      東京   保谷 政孝
手の温み背ナに添へらる冬はじめ    岐阜   堀江 美州
寒柝の次の一打に星ふやす       埼玉   本庄 康代
胸にすむ母と座りて毛糸編む      東京   松代 展枝
炉開や水やはらかき京の井戸      神奈川  三井 康有
寄鍋をつつく仲にはなれぬまま     神奈川  宮本起代子
寒木瓜の朱を包み込む小糠雨      東京   村田 郁子
みちのくの少し濃い目の煮大根     千葉   森崎 森平
闇鍋の大きな物にぶつかりぬ      埼玉   森濱 直之
裏山と呼ばるる名なき山眠る      長野   守屋  明
千の灯を撒き街路樹は聖樹へと     東京   保田 貴子
敷松葉昼の温みの蹲る         東京   矢野 安美
故郷の餅搗唄は数へ唄         愛知   山口 輝久
冬日和つかめさうなる鳥の声      群馬   山﨑ちづ子
只管打坐とて足裏の冷たさよ      東京   山下 美佐
ひと言の台詞おほきく聖夜劇      東京   山田  茜
雨音の次第に強し花八手        東京   山元 正規
葉牡丹の芯に渦巻く濁世かな      東京   渡辺 花穂
人恋しはないちもんめ秋の暮      埼玉   渡辺 志水







                





      






     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

湯ざめして昔覚えし反戦歌        長井  哲
 私の学生時代は学生運動で長期間の休校があったり、安田講堂立て籠り事件、新宿駅西口の占拠事件など、学生が主役となって血潮を滾らせた時代であった。ただし熱が冷めると各々社会人としての生活に入っていった。そうした世代が高齢者の時代に入ってふと口をついて出た感慨であろう。社会人の生活は長い湯ざめの時代であったのか……。


山彦の秋思濃くして返しけり       中村 湖童
 山彦が鸚鵡返しに同じものを返すのではなく、秋思を「濃くして」返したというのが手柄である。今までに詠まれていない「秋思」の句である。淡々と詠んでいるが、実に巧みで繊細な技倆が隠れているのである。


厄詣他人の厄を搔き分けて        深津  博
「厄払」は節分の夜の行事。厄を落とすために神社に詣でたのであろうが、混み合っている。それを搔き分けて進むのだが「他人の厄を搔き分けて」の表現に唸らせられた。他人の厄、と「厄」を挟み込んで断然と滑稽味を深めたのである。 


グラタンに積もる聖夜の粉チーズ     森 羽久衣
 俳句は読み手を楽しく、豊かな気持にさせることが大事だと思っている。この句、何と明るく無垢であることか。雪が積もるのではなく、グラタンに粉チーズが積もると置き替えた発想が鮮やかである。宗教観など全く無いところがいい。


炬燵にて地図で縦走奥穂高        大田 勝行
 私も随分登山をしたが、もう本格的な登山をすることは無さそうだ。この句のように暖かい部屋で記憶の地図を辿る方がいい。奥穂高は特に峻厳で危険な山。穏やかな老境。。


猫の分もサンタクロースへの手紙     荻野ゆ佑子
 若々しさと感性の鋭さのある句だ。俳句には年齢が滲み出るもので、若い頃にはこういう句を沢山残しておいてほしいと思う。子供の行動を代弁したものと思われるが「猫の分も」が何とも可愛いのである。「も」が絶大な効果。


寒鰤来絶えて久しき塩の道        坂下  昭
 往時信州には塩の道を通じて正月用の塩鰤が届いたのである。鰤一尾米一俵をといわれる高価な魚であった。交通網が発達して、塩の道も歩荷も消滅した。


口切の壺大仰なまでの封         辻本 芙紗
茶道では陰暦十月に「炉開」をし、その年の新茶を詰めた茶壺の封を切った。壺は和紙で密封し飾り紐を結んである。しみじみと拝見した感慨を「大仰なまでの」と詠んで、茶事への畏敬の念を表出しているのである。 


カフェオレの描く兎や年送る       松浦 宗克
 昨年が卯年で今年が辰年。ということは、この句は十二年に一度詠んでもいい句ということになる。ただし十二年前だと「カフェオレ」という言葉は一般的では無かったように思うし、十二年後だと手垢の付いた言葉になっているかも知れない。やはり今しか詠めない句なのである。


蓑虫の安寧決めし高さかな        大野 里詩
蓑虫の垂らした糸の高さに着目したのは面白い発見である。無為に垂れているのではなく、各々の「安寧」の位置を保っているのであろう。目の確かさである。 


白雪姫も嫗となりぬ鏡冴ゆ        小林 美樹
 想像力の豊かな句である。生き残った白雪姫も年を取る。継母の王妃は「鏡よ鏡一番美しいのは誰?」と問うたのだが、老いた白雪姫は鏡に何を問いかけるのであろうか。「冴ゆ」の言葉に輪廻の危険な匂を感じるのは私だけか?


一村を迷路としたる風囲         朽木  直
一読して昔行ったことのある奥能登の風景を思い出した。冬の強烈な風波を防ぐための風囲の集落。まさに入口もよく解らない迷路である。この度の大地震であの厳しくも美しい風景はどうなったのであろうか。 


切干や北国日和てふ一日         小山 蓮子
 『おくのほそ道』の敦賀の段に〈名月や北国日和定めなき〉がある。変り易い北国の気象のことである。比較的安定している初冬でも北国の天気は安心できない。「切干」との取合せが実に的確であった。


 その他印象深かった句を次に

芭蕉忌や深川飯といふ駅弁        生田  武
ふところに夕日仕舞うて浮寝鳥      大住 光汪
冬銀河天狗の山をひとまたぎ       白濱 武子
だるまさんよく転ぶ日の開戦日      高橋 透水
波郷忌のなほ彼の色の雀どち       武井まゆみ












                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

鴨鍋に鉛の弾の煮られをり       岐阜  鈴木 春水
胸中にくすぶる火種石榴の実      東京  関根 正義
熊野路や八咫と見紛ふ寒鴉       埼玉  園部 恵夏
罅割れを耐ふる正座の鏡餅       栃木  たなかまさこ
逝き方の本の隣の日記買ふ       神奈川 日山 典子
追ひ越せぬ吾が影連れて風邪心地    千葉  平野 梗華
馬籠路に霜の声聞く夜明け前      大阪  杉島 久江
十二月八日のかはいさうなざう     東京  髙坂小太郎
また訃報減る一方の賀状書く      東京  倉橋  茂
冬夕焼我が老身に血潮かな       静岡  橋本 光子
日向ぼこ時計を持たぬ母と居る     埼玉  内藤  明
山陰のとある漁村の虎落笛       広島  井上 幸三
双龍の眼光四つ冬に入る        神奈川 西本  萌
繕ひの指に針刺す一葉忌        東京  西  照雄 
記念写真はぎゆうぎゆうの白鳥と     東京  西田有希子










星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選


大つごもり抽斗に噛む備忘録      東京  尼崎 沙羅
紅葉への移り変はりをいろは坂     東京  井川  敏
信州の側より眠る甲武信岳       長野  池内とほる
ラジオから曲はイマジン十二月     東京  一政 輪太
漆黒の扉の向かう聖夜あり       東京  伊藤 真紀
そばへ来て一斉に散るいてふかな    愛媛  岩本 青山
窓硝子拭き拭き見たる冬花火      長野  上野 三歩
訪ふ人のなき冬の日の遭難碑      東京  上村健太郎
冬木立顕となりし我家かな       長野  浦野 洋一
闇の淵音なく舞ひぬ鷺一羽       群馬  小野田静江
旅先の目覚しとなる鰤起し       東京  桂  説子
受付に魚板と木槌雪催         埼玉  加藤 且之
残照が織りなす絵巻枯木立       長野  唐沢 冬朱
月影の映る湖面や浮寝鳥        愛知  河畑 達雄
神楽坂小路に入れば帰り花       群馬  北川 京子
待ち時間長き乗り継ぎ冬の雨      神奈川 北爪 鳥閑
能登路にて窓にとどろく鰤起し     神奈川 北出 靖彦
切り分けるブロッコリーの深き森    東京  北原美枝子
舊字體舊假名遣漱石忌         東京  久保園和美
寒風や討ち入りの日の刻刻と      東京  熊木 光代
冬虹の車窓に映る開拓地        群馬  黒岩伊知朗
大いなるわが浅間嶺に雪降り積む    群馬  黒岩 清子
煤払笹で天守を突き上ぐる       愛知  黒岩 宏行
探し物探し暮れゆく短き日       東京  黒田イツ子
神無月線路も動く渋谷駅        東京  小寺 一凡
枯れゐても根は生々と蓮の骨      神奈川 阪井 忠太
裸木の枝混み合ふも触れ合はず     長野  桜井美津江
湯たんぽにブリキの波の音微か     東京  佐々木終吉
蜜柑箱幼の宝物入れは         群馬  佐藤さゆり
黄昏は心許なき神の留守        東京  島谷 操
永年の撞きたき想ひ除夜の鐘      東京  清水旭峰
庭に出る八十路九十路菊日和      千葉  清水 礼子
磊石に閊へつかへて朴落葉       東京  須﨑 武雄
母の手の吾に握らする蜜柑かな     愛知  住山 春人
はち切れむ腹を選びて真鱈買ふ     埼玉  其田 鯉宏
木の葉髪細きに泣きて指に巻き     東京  田岡美也子
灯りつく峠の向かう日短か       東京  髙城 愉楽
冬めくや止まつたままの観覧車     福島  髙橋 双葉
初冬の音ともならず奈良の雨      埼玉  武井 康弘
古里に帰る家なし十勝鍋        東京  竹花美代惠
寒紅を差すとき背筋伸びてをり     東京  田中 真美
凩や冷たき鍵を鍵穴に         広島  藤堂 暢子
姿見の奥に白泉十二月         長野  戸田 円三
湯けむりに冬霧からむ湯町かな     群馬  中島みつる
山茶花や満開の枝地に向かふ      神奈川 長濱 泰子
国引きの杭となりにし山装ふ      京都  仁井田麻利子
年経ても子は子のままに雪婆      宮城  西岡 博子
納豆に藁の香のある朝餉かな      東京  橋本  泰
阿夫利山雲一つなき小春かな      神奈川 花上 佐都
裸木の影絵のごとし工場の灯      長野  馬場みち子
宿坊に大の字に寝て隙間風       千葉  深澤 淡悠
アルプスの麓に林檎買ひ出しに     長野  藤井 法子
ありがたき医者の診断ただの風邪    福岡  藤田 雅規
六義園の胸突坂の照紅葉        東京  牧野 睦子
初雪の枯山水のままに積む       東京  幕内美智子
夜神楽の面にこもりし吐息かな     東京  松井はつ子
吾は十年夫は五年の日記買ふ      愛知  箕浦甫佐子
冬めけり藪突き抜くる鳥の声      東京  棟田 楽人
長き夜や何も語らぬ父のメモ      東京  無聞  益
なりやまぬ俎板の音年の暮       宮城  村上セイ子
おのが身の手足短し煤払        東京  家治 祥夫
風呂敷に包む感謝や年の暮       群馬  山﨑 伸次
団塊の世代の訃報冬薔薇        神奈川 山田 丹晴
ハチ公も待ち人は来ず冬の暮      静岡  山室 樹一
青空と対比のごとく冬紅葉       群馬  横沢 宇内
御心は和解の筈や聖夜の地       神奈川 横地 三旦
年用意寺の庭師の大鋏         神奈川 横山 渓泉
宝くじ売り場の傍に慈善鍋       千葉  吉田 正克
この先は閑の一字と掃く落葉      山形  我妻 一男
宍道湖の八雲好みの寒蜆        東京  若林 若干
それぞれの樹にそれぞれの黄落期    東京  渡辺 誠子



















星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男


鴨鍋に鉛の弾の煮られをり        鈴木 春水
 私ごとだが、ここ十年ばかりの間、長浜の鴨料理店を訪ねている。琵琶湖周辺は禁猟区なので、北海道や敦賀から取り寄せているという。北海道は豪快に撃つので散弾銃の弾が残ることが多いという。確かに弾を噛み当てたこともある。この句はいかにも鴨鍋である。普通なら「残りをり」と詠んでしまうところだが「煮られをり」としたことで詩情が一気に高まったのである。この微妙なところが大事。


胸中にくすぶる火種石榴の実       関根 正義
石榴の実には次の説話がある。鬼子母神(訶梨帝母)が他人の子を奪って食したので、仏は彼女の最愛の子を隠して戒め、代りに石榴の実を与えて人肉に替えさせた、という。そういうおどろおどろしさを感じさせる果実である。「くすぶる火種」にはやや複雑な心理描写があるようだ。 


熊野路や八咫と見紛ふ寒鴉        園部 恵夏
 神武天皇の大和への東征の折、熊野からの険路を先導したのが三本足の八咫(やた)烏である。熊野を旅した作者は寒鴉と八咫烏を重ね合わせたのである。歴史を踏まえた発想が面白い。


罅割れを耐ふる正座の鏡餅        たなかまさこ
 床の間に据えられた鏡餅は三ヶ日を過ぎるころから罅が入りはじめ、正月明けの十一日鏡開きとなる。この句はその鏡餅を擬人化した楽しい句である。日を追うにつれて罅が深まるのだが、鏡餅は身じろぎもせずそれに耐えている。鏡開きまでは正座を崩してはいけない、という必死の鏡餅である。俳諧の楽しさを教えてくれる句である。
逝き方の本の隣の日記買ふ        日山 典子
 一つの句の中に「生」と「死」を描いた名作である。最近「終活」という言葉がよく使われている。その言葉よりこの「逝き方」という表現の方がはるかに深みがある。その本の横の日記を買う。日記はこれから巡ってくる日々を記録するものだ。人の世の隣合せの宿命を描いている。


追ひ越せぬ吾が影連れて風邪心地     平野 梗華
 当然ながら分身としての影を追い越すことはできない。その影に作者は自身の心の投影を見ているのであろう。どことなく自分の影に元気が無いことに気付くのである。そうした微妙な心理描写を感じさせる句である。

馬籠路に霜の声聞く夜明け前       杉島 久江
夜明け前と言えば当然島崎藤村の長編小説『夜明け前』がこの句の根幹にある。馬籠路があるから、付き過ぎという意見が出るかもしれないが、この両方が無いとこの句の情感は成立しないので、必然の結果といってよかろう。「霜の声聞く」には自然描写に加えて、主人公の青山半蔵の苦悩の声も交じっているのであろう。半蔵は藤村の父がモデルである。苦悩の末に病んだ父が入れられた座敷牢が今も藤村生家である脇本陣に残っている。


十二月八日のかはいさうなざう      髙坂小太郎
 『かわいそうなぞう』は児童文学作家、土家由岐雄による童話。太平洋戦争中、上野動物園では空襲で檻が破壊された場合の猛獣の逃亡を視野に入れて殺処分を行った。象三頭には毒餌や毒の注射が通用せず、餓死を待つことになる。戦争の悲惨な歴史の一つである。開戦日の季語と合わせて意味の深い句となった。


また訃報減る一方の賀状書く       倉橋  茂
十二月に入ると喪中葉書が舞い込むようになる。また年を重ねると親族や友人の死も身近になる。来る年賀状も減るけれど、当然出す年賀状も減っていく。生きている者の節理であるが、やはり老境に入らないと詠めない句である。 


冬夕焼我が老身に血潮かな        橋本 光子
老いの身が冬夕焼から力を貰うという。夏の夕焼ではなく冬夕焼であるところが味わいである。若い時とは違う血潮を養ってくれる静かなしみじみとした夕焼である。 


日向ぼこ時計を持たぬ母と居る      内藤  明
「時計を持たぬ」には働いた末に安息の時間を持った母の姿がある。もう何もしなくていい、安らかな日々を送ってほしい、という作者の気持ちが籠っている句である。このように具体的に物(時計)を詠んだことで句が生きるのである。 


山陰のとある漁村の虎落笛        井上 幸三
 まるで幕が開いたばかりの舞台の書割を見るようである。そうでありながら行ったことのある冬の山陰の漁港を、読み手に思い出させる句でもある。たとえば季語が「虎落笛」でなく、「雪囲」や「風囲」であったらどうであろうか。その場合は視覚だけに訴える平面的な句で終わってしまうのである。「虎落笛」で聴覚を巻き込んでこの句の幅を広げているのである。





       


















伊那男俳句


伊那男俳句 自句自解(98)          
        
  
縄飛に亡き誰彼を呼び込まむ


 冬の子供達の遊びとして、竹馬・押しくら饅頭・綾取り・縄飛などがあるが、季語として詠まれた歴史が短く、こういう遊びも廃れてきたので例句も少なくなってきたようだ。特に綾取りは載っていない歳時記も多い。縄飛も冬の遊びというよりも、複雑なステップをこなしたり、大きな輪の中に何人入れるかを競ったりと、年間を通じてのスポーツと化して、季節性は薄れてきているようである。従って今は観念的に詠むしか無いようだ。この句もまさに観念の句である。私なども子供の時以降縄飛に興じた記憶はなく、運動神経が鈍いこともあり、大縄飛の輪の中に入ることなど不可能である。だが、そんな縄飛の弧の中に「亡き誰彼」を呼び込みたいと思う心は本気である。七十歳を過ぎると関わりのあった人達がぽつぽつと黄泉の国へと旅立っていく。俳句は短い詩だけれど人生の紡ぎ出す詩である。観念をうまく取り込んで句の中に作者の人生観を表出できたらいいと思う。

短夜を聞き短世のことかとも


 「短夜」の席題が出たときに、作句帖に間違え「短世(・)」と書いてしまった。が、それもいいじゃないか、と思った。「黄梁一炊の夢」(邯鄲の夢)という故事がある。官吏登用試験に落第した青年盧生が趙の邯鄲で導師呂翁から栄華が意のままになるという不思議な枕を借りて寝たところ、立身出世をして富貴を極めた夢を見た。ところが目覚めると、黄粱(こうりゃん)がまだ煮えないほどの短い夢であったという。栄枯盛衰のはかなさの譬えである。「短夜」は夏至の頃の夜の短さを写生する方法と、短さを惜しむ抒情的な作り方の二つに分かれる。この句は「みじかよ」という同じ音(おん)の言葉を聞き間違えたようにして、人生のはかなさに転換してみたものである。こういう作り方の句は、私が初期に学んだ「春耕」には皆無で、またその当時は単に「語呂合わせの遊びの句」という位の評価で黙殺されたのではないかと思う。私は写生の訓練の上の独自の詠み方ができたと密かに思っているのである。







   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        
















銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。

















掲示板


















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。












主宰日録  

  


12月

12月25日(月)
「銀漢句会」の選、坪井さんに送る。銀漢「新年俳句大会」の選句。終日家。転た寝など。BSテレビで小津安二郎の「秋刀魚の味」を見る。

12月26日(火)
散歩がてら郵便局や買物など。このところ、おろし大根蕎麦、とろろ蕎麦などが好み。甘い物も。

12月27日(水)
「新年俳句大会」の選句稿を大野田さんへ投函。3月号の「銀漢」のエッセイ粗書きする。夜、おでん。三浦大根が甘い。

12月28日(木)
亡妻、光代さんの誕生日。生きていれば73歳。「銀漢」3月号のエッセイ、自句自解をまとめる。午後、成城仲間2家族来宅。歓談に少々加わる。料理持ち寄りとて私はセロリと海老の豆鼓炒めを供す。

12月29日(金)
天気良し。散歩がてら買物など。「上島珈琲店」でミルクティー和三盆入りをしみじみ飲む。夜、サラダとパスタ。

12月30日(土)
朝、味噌汁と焼餅の海苔巻。昼、苺とヨーグルト。夜、南瓜と豆の炊き合せ。蒸し鶏と胡瓜、晒し葱の胡麻ドレッシング和。鶏つくね鍋。

12月31日(日)
3月号の自句自解、「銀漢」のエッセイ、盤水の一句など仕上げる。正月料理の準備手伝う。黒豆煮、数の子、ごまめ、煮物……。夜、成城仲間の中川家へ4家族が集まる恒例の年忘れの会。18人と犬3匹。21時前、一足先に帰宅。訃報あり。「白熱句会」「火の会」の仲間、「風」系でもある「りいの」主宰檜山哲彦さん逝去と。11月、「りいの」の創刊15周年記念の祝賀会は残念ながら欠席したが、只々、無念である。東京藝術大学教授退任式のことなど懐かしく思い出す。ご冥福を祈る。

1月


1月1日(月)
5時起。新年に辿り着くことができたことを有難く思う。八百万の神、先祖、仲間のお陰である。今回の病気では仲間からはお守りを13、祈祷札を四枚頂いている。7時、窓から初日の出を拝す。久々、般若心経を唱える。福茶戴く。家族揃って昼から新年の宴。「プロセッコ」「越乃寒梅」少々。お節の重は中川家から毎年来る。今年は金沢の「金城樓」製。14時半、喜多見の氷川神社へ初詣。コロナ明けとあってかいつになく混んでいる。一眠り。夕方、杏一家来宅。新年会。12人。

1月2日(火)
朝、山芋のとろろ蕎麦。昼、家族揃い雑煮(昨日は白味噌、今日は醬油味)、鰭酒少々に酔って昼寝。夜、すき焼き。白滝、焼豆腐がいい。

1月3日(水)
作句。何人かに便り。家族は山梨の宮澤の母へ新年の挨拶へ。今日はテレビを見たり、転た寝をしたりだらだらと過す。

1月4日(木)
13時半、荻窪の「光明院観音ホール」にて「りいの」主宰檜山哲彦さんのお別れ会。奥様の嘆きはいかほどかと……。大勢の俳句仲間とお会いする。皆、小生のことを案じてくれており、回復を喜んで下さる。〈友逝くや初松籟の響動むなか〉

1月5日(金)
快晴。風無し。庭で鳥声を聞きながら日向ぼこ。この頃、ミルクティーが好み。昼、スッポンスープの雑煮。夜、伊那男
流粕汁(大根・人参・油揚を繊切り)、家族は明日軽井沢へ行くというので賞味期限の迫ったローストビーフ、冷凍しておいた鮑の酒蒸し、からすみ、芽キャベツのアンチョビバター炒めなどなかなか贅沢。

1月6日(土)
那在住の高校同期、松崎正君より、同期の春日貞秋君が4日に逝去との連絡あり。松崎逍遊君に続いて、強烈に生きた人がまた……。

1月7日(日)
「銀漢」2月号の校正終え、武田編集長へ投函。天気良し。買物がてら散策。作句。

1月8日(月)
「銀漢」3月号の選句作業に入る。三浦大根と柚子が余っていたので甘酢漬に。夜、家族帰宅。夜から3回目の抗癌剤服用。

1月9日(火)
終日選句。途中、昼寝も。NHKの番組「語ろう! 俳句」のゲスト出演の依頼あり、2月は無理にて5月頃で受諾。番組に合わせた原稿依頼も受ける。夜、豚しゃぶといっても私は野菜ばかり。

1月10日(水)
終日選句。途中、転た寝。ジャガイモのアンチョビバターソテーは好評。

1月11日(木)
今日も選句。抗癌剤服用の副作用か、気怠さが出て集中力が続かない(この程度で済んで幸いだが……)。

1月12日(金)
午後、下北沢の喫茶店にてNHK出版「NHK俳句」担当の浦川聡子さんと打合せ。2月号の「一句旬菜」刷り上り。次は秋にも組みたいと。あと下北沢で宝飾店を開いている甥の今村正俊君を訪ね、新年の挨拶。私が元気なのに驚いている。あと渋谷に出て変貌した街の様子を見物する。

1月13日(土)
森羽久衣句集『匙のうら』到着。山口一滴さんの優しく豊かな色彩の装丁。小野寺清人さんの跋文は核心を突いた名文。「銀漢」3月号の同人集、会員集選句、選評ともに終了。

1月14日(日)
「春耕新年俳句大会」の選句(応募606句)。選評を投函。「銀漢本部句会」の選句。

1月15日(月)
昼、「アルカディア市ヶ谷私学会館」にて井蛙さんと会い、「銀漢俳句会総会・新年会」の進行につき打合せ。会場を確認。とろろ蕎麦の昼食。別れて靖国神社を参拝。九段会館で一休み。30年位前、三輪初子さんの「チャンピオン」の祝賀会以来。その後見事に外装を残して改築。

1月16日(火)
3月号彗星集の選句、選評を終えて辻本理恵さんに投函。「第18回角川全国俳句大賞」本選の選句に入る。丸ごとキャベツとウインナソーセージのスープ煮。

1月17日(水)
四国の同人片山一行氏のご尊父、辰巳氏逝去の報あり。弔意のメール送る。夜、娘の作った鮟鱇鍋。

1月18日(木)
今日は少々気怠さがあり、1日休養日としてぐずぐず過ごす。千葉から到来の鰤の照焼、三浦から到来のカリフラワーとブロッコリーのサラダ、能登から到来の蕪鮓。

1月19日(金)
数句会の選句。「角川全国俳句大賞」の選句。鰤大根。

1月20日(土)
『角川季語別俳句集成』(年末刊行予定)の小生の掲載例句の確認依頼あり、点検。100句ほど。

1月21日(日)
妻、光代の18回目の命日。雪の降る寒い日であった……。宮澤事務所でヘアメイクの中川さんに髪を切って貰う。雑誌用の近影を宮澤に撮って貰う。まだ遺影ではない。一塩にしておいた鰤の酒粕煮(信州の年越肴)。数句会の選。

1月22日(月)
「角川全国俳句大賞」の選句、特選句評投函。昨日特売で入手の鮪の刺身、山かけ。韮のお浸しの黄身和。蕪の柚子風味漬。

1月23日(火)
午前中で3回目の抗癌剤の服用終わる。このあと、1週間の休み。毎日新聞のブログ「俳句万華鏡」の「俳人の風景」を前回で終了し、「食べ物歳時記」へ。第1回は鮟鱇、鱈とし、執筆、投函。今月約束の仕事はこれで全部終了。



















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2024/4/1撮影    イシワリソウ    HACHIOJI





花言葉      「待ち合わせ」「出会い」。

△イシワリソウ(石割草)
根際から長い円心形の葉が2~3枚生える。
葉の縁には不規則なぎざぎざ(鋸歯)があり、葉の先は尖る。
葉の柄や花茎には腺毛(粘着物質を出す毛)が生える。
開花時期は4~5月である。
白い輝くような花が石を割って岩場で生きるこの多年草の生命力を物語っているように見えます。元気をもらいました。


ミモザ 桃の花 金のなる木 ハナビシソウ スノードロップ
ネコヤナギ ヒメオドリコソウ 辛夷 白雲木 サンシュユ
セダム・パルメリ  土筆 キブシ イシワリソウ






写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/3/31








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