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 9月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句  伊那男・俳句を読む 銀漢の絵はがき 掲示板 鳥の歳時記 
 銀漢日録 今月の写真


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△申し訳ございません。ミスで原稿を書き換えてしまいました。
修正していきますの暫くお待ちください・。
2015/8/25 記

伊藤伊那男作品

主宰の八句


磯 蟹       伊藤伊那男

磯蟹が畳を過る安房泊まり
磯宮を訪ふ雑兵の蟹散らし
高炉の火対岸に見て夜釣船
馬駆くるたび広げゆく夏野かな
結び目のどこがどうやら笹粽
試し書きともみえ落とし文あまた
この布団いかにも蚤の跳ねさうな
峰雲を背に敬礼の遺影かな




       



 

        
             




今月の目次







銀漢俳句会/9月号








   



銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎考える脚
俳句がうまくなるかどうかは、思い出の数をどれだけ持っているか、それをしっかりと憶えているかどうかにかかっていると思う。
何度か言っていることだが、例えば漢方薬店など覗くと、壁一面に小さな箪笥が並んでいる。その各々に様々な薬草が納められており、店主は客の症状に合わせて百ほどの抽出しの中から、何種類かの薬草を取り出して調合するのである。
そう、そのように俳句も、過去に見た思い出をしっかりと頭の中の小箱に整理整頓して仕舞っておことである。ある句会で席題が出たとしよう。頭の中の抽出しの思い出の整理番号を確認して行くのである。その体験をした時には俳句にならなかった事象、事物の破片であっても、何年かを経て、その席題と結合して、科学反応を起こし、美しい結晶を生むことが多々あるものだ。結局のところ俳句の要諦は思いの小箱をどれだけ沢山持っているかである。沢山持つためには俳句の目で観察する歳月が必要であり、要は年季と整理整頓力である。
自分の例を挙げるのは恐縮だが、先日の句会の席題で

夏草やそこが知覧の滑走路
隣村からもこちらへ虫送り

という句ができた。一句目はもう十数年前のことになろうか、妻と鹿児島を旅したことがあった。知覧の特攻機基地跡の記念館を訪ねた。その衝撃は大きく、その時はとても俳句を詠むことなどはできなかった。その後高倉健主演の『ホタル』という映画なども観て、それからの映像を頭の中の小箱に納めておいた。それが時を経て「夏草」の題に刺激されてふいにその抽出しが開いたのであった。
二句目も十年位前のことだと思う。「朝」の重鎮、青山丈さんに、埼玉県越谷の虫送りの行事を案内していただいた。虫送りは一つだけ残っていて、それも新興住宅地の中を通るので、火の粉が零れて嫌がられていて存続が危うい状況にあるということであった。隣の集落との境の川に虫を送った記憶を温めておいたものである。
二つの句は想像ではなく、足で歩き、実見してきたものだ。食物にも人生にも熟成を持つということがある。それが年季だ。
あっ、最後に言いたいことがある。俳句は頭ではなく足で稼ぐものだ。「考える葦」の人の句は大成しない。「考える脚」で俳句を作ることだ。


       



 



  

盤水俳句・月の一句

伊藤伊那男

桃売りが来る東京の濁り空     皆川 盤水

今もこの季節になると「武田節」などを流して甲府盆地から桃売りのトラックが来る。この句の作られた頃は確かに東京の空がスモッグで濁っていたことを思い出す。住んでいると気付かないのだが、信州の郷里から中央高速で高尾のあたりまで戻るとと東京の上空を灰色の空気がドームのように覆っていて、ああ、この街に突入するのだ・・・と少し暗い気持ちになったものだ。久女に『朝顔や濁り初めたる市の空』がある。

                                 (昭和47年作『銀山』所収)

                  

 



 
  

                      
 



  
 


彗星集作品抄

伊藤伊那男・選

漁火か鬼火か島の明易し        高橋 透水
蚊遣香考古学者の腰に揺る       屋内 松山
故郷の罌栗は坊主に山雨急       萩原 空木
机の蓋ばたんと閉めて夏休み      山元 正規 
盤水先生の懐に入る皐月晴       新谷 房子  
肌によき風を呼び込む古簾       高橋 透水
帰省子や一夜明けたる幼な顔      曽谷 晴子  
玫瑰やとほき波ほどかがやきぬ     渡辺 花穂 
長命の三代続く鰻好き         志村 昌也 
マロニエの花暮れなづむ銀座かな    坪井 研治
千体仏その各々に梅雨の闇       谷口いづみ
夏帽子振りて下山の合図かな      我部 敬子
ビキニ着てマヌカン海を知らざりし   堀内 清瀬
水中花嘆きのごとき泡ひとつ      五十嵐京子
骨切りの耳に残りて鱧を食ふ      大野田好記
更衣畳皺さへ形見とす         河村  啓 
密林のやうな駅前バナナ買ふ      大野 里詩 
時の日の針機嫌好く正午打つ      加藤 恵介
日時計の眠りし時や月見草       鏡山千恵子





      


          






彗星集 選評 伊藤伊那男

       彗星集秀句 9月号 平成25年
 
漁火か鬼火か島の明易し        高橋 透水
 遠流は最も重い流罪で、政争に敗れた皇族や公家が流された。江戸時代も、死罪
より軽く、追放より重い刑として、奕徒、女犯僧、誤って人を殺めた者などが伊豆七島へ流された。怨念を抱いたままその地に果てた者も多い。その骨が青い炎となって空をさまようこともあろう。遠望する島の周囲に烏賊釣船が火を灯しているのだが、ふと鬼火かもしれないと思う。歴史的感興を呼ぶ抒情句。

 
蚊遣香考古学者の腰に揺る       屋内 松山
 本で読んだり話に聞く考古学は楽しいけれど、藪の中であろうが沼地であろうが分け入って掘ったり削ったりするのであるから大変な仕事である。毒虫もいれば蛇などもいる。蚊遣を腰に吊るというのが誠に愉快である。農家の人や林業の人が吊るなら当たり前だが、考古学者を持ってきたことで意外性が出て、詩に変化するのである。


故郷の罌栗は坊主に山雨急       萩原 空木
 「罌栗坊主」とは花が散ったあとの球状の実。坊主頭のように見えるので愛称でそう呼ばれる。俳句独特の言い回しに「梅は実に」「紫蘇は実に」などという使い方がされるが、この句はその用例で「罌栗は坊主に」ともってきたものでそこが巧みである。「山雨急」の納め方もうまい。同じような例で私の好きな句へ<ふるさとの藜も杖になる頃か 三田きえ子>がある。
 

机の蓋ばたんと閉めて夏休み      山元 正規
確かに我々の子供の頃、木製の机で、筆記する面が蓋になっていて、その一枚板を持ち上げると中に物入れというものがあったことを思い出す。いよいよ夏休み。一学期の終業を先生が告げると、机の中のものを全部鞄に放り込んで閉める。「ばたんと」の擬音に子供達の逸る気持ちが出ているようだ。結局成績表を見た親に叱られるのだけれど。


盤水先生の懐に入る皐月晴      新谷 房子
 この結社内でしか通用しない句かもしれないが、俳句は座の中の合意が得られるかどうかが重要で、座の共通認識があればいい。いわき吟行で得た着想であろう。「懐に入る」の着想はまさに私の琴線を共鳴させる措辞。ああ、私がつくらなくてはいけない句だった。
   

肌によき風を呼び込む古簾       高橋 透水
古簾は秋簾の副季語。随分暑さも納まってきたのである。やや黄ばんだ簾の目を通して入る風も心地よくなってきた。それを「肌によき風」と詠んだ。「お肌にやさしい」など、最近のコマーシャルなどで流行している言葉を巧みに句に取り込んでいるのである。


帰省子や一夜明けたる幼な顔     曽谷 晴子
最初取り繕っていた帰省子だが・・・母親の実感。


玻瑰やとほき波ほどかがやきぬ     渡辺 花穂
草田男の玻瑰は心象句。こちらは確かな写生句。


長命の三代続く鰻好き         志村 昌也
確かに長命のDNAはありそうだ。「鰻好き」がいい。


マロニエの花暮れなずむ銀座かな    坪井 研治
銀座の地名が効いた。暮れのなずむの配合もいい。


千体仏その各々に梅雨の闇       谷口いづみ
 三十三間堂であろう。千の闇が仏像を取り巻いている。


夏帽子振りて下山の合図かな      我部 敬子
リーダーが帽子を振る。天候の異変を感じたか。


ビキニ着てマヌカン海を知らざりし   堀内 清瀬
 確かにショーウンドーしか知らないマヌカンの孤独。


水中花嘆きのごとき泡ひとつ      五十嵐京子
水中花、何故か擬人化をしたくなる季語だ、「嘆き」がいい。


骨切りの耳に残りて鱧を食ふ      大野田好記
 関西料理の割烹の一場面か。直前の骨切りの残像。
 

更衣畳皺さへ形見とす         河村  啓
「畳皺さへ」はなまなかではない。深い深い思いが・・・・。


密林のやうな駅前バナナ買ふ      大野 里詩
 人の群れが密林に見えたか。飛躍のある発想。


時の日の針機嫌好く正午打つ      加藤 恵介
 時計にも機嫌不機嫌があるか。楽しい句になった。


日時計の眠りし時や月見草       鏡山千恵子
 針が影を持たなくなる頃、月見草が。「ねむりし」がいい。


 




 
                      





                                






銀河集作品抄

伊藤伊那男・選


将門の開きし大地植田風       東京   飯田眞理子
聖五月富士には雲の懸りぐせ     静岡   池田 華風
厚切りの縞目をさやに初鰹      静岡   唐沢 静男
熊笹の広葉で汲めり岩清水      群馬   柴山つぐ子
青梅の青を引きたる雨雫       東京   杉阪 大和
鞍掛けの松の芯立つ勿来関      東京   武田 花果
撥ね橋の向かうの風車麦の秋     東京   武田 禪次
水入れてグラスにゆがむ桜貝     愛知   萩原 空木
鎮魂の海にみな向く夏帽子      東京   久重 凜子
花は葉に勿来関といふ砦       東京   松川 洋酔
山の色ととのふ卯月八日かな     東京   三代川次郎
豆の飯遠忌明るく集ひけり      埼玉   屋内 松山







      

      

     






綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

持ち帰る藪の匂ひや梅は実に     東京   大溝 妙子
鷥鳥のつもりでゐたる羽抜鶏     東京   桂  信子
植田にも嬥歌の山の峰二つ      東京   柊原 洋征
おでかけは似合ふつもりの夏帽子   東京   相田 恵子
ぼた山のかたちのままに夏木立    東京   朽木  直
南吹く付箋あまたの時刻表      静岡   杉本 アツ子
大地震のあとを均して田水張る    東京   谷岡 健彦
更衣少年棒のごとくあり       大阪   中島 凌雲
父の日や父の代り夫がゐて     東京   中野 智子
卯の花の腐す愁ひのまた深し     東京   松代 展枝
手刀を切りて昼寝の夫渡る      東京   宮内 孝子
またの名は美濃權守業平忌      神奈川  權守 勝一
梅雨の雲羽衣となり富士隠す     東京   渡辺 花穂
木耳生ゆ黒山の人ゐるごとく     長野   北澤 一伯

島と島つなぐ航跡夏来る       東京   有澤 志峯
形代に罪ならぬ罪託しけり      東京   飯田 子貢
糶あとに残る魚臭や梅雨長し     静岡   五十嵐京子
聖鐘に手を止む島の袋掛       埼玉   伊藤 庄平
不気味なる規律を保ち百足来る    東京   伊藤 政三
鍵の鈴おさへて開けて月見草     埼玉   梅沢 フミ
大いなる薔薇の吐息を肺の中     神奈川  大野 里詩
拭き上げし南高梅のうぶ毛立つ    東京   大山かげもと
心地良き富士の裾風新茶くむ     東京   小川 夏葉
老の身に手摘みの新茶届く朝     鹿児島  尾崎 尚子
寝に帰るだけの青春黴の部屋     埼玉   小野寺清人
二三本噛みて選びし新茶かな     神奈川  鏡山千恵子
ほつこりとばあちやんのこと豆の飯  東京   影山 風子
白地着て解体新書など覗き      和歌山  笠原 祐子
大川の流れは三筋男梅雨       愛媛   片山 一行
地に近く朽ちし薔薇にも矜持あり   長野   加藤 恵介
入院の子を案ずるも明易し      東京   我部 敬子
浮くもので繕うてゐる浮巣かな    東京   川島 秋葉男
田植機を総動員の日和かな      東京   畔柳 海村
たましひの先とも虹のはじまりは   神奈川  こしだ まほ
キャンプ村蛇口上向く下を向く    長崎   坂口 晴子
夏帽子歩幅大きくなつてゐし     千葉   佐々木節子
月見草月のしづくは黄と思ふ     山口   笹園 春雀
木道を渡り蜻蛉の生るる国      長野   三溝 恵子
病名を問へば加齢やアマリリス    東京   島  織布
明易ややつと寝息をたて給ふ     東京   島谷 高水
赤ずきん読む子の窓辺アマリリス   東京   白濱 武子
少しだけ子供に戻る跣足かな     東京   新谷 房子
大薔薇のひとひらごとに抱く影    大阪   末永理恵子
大樟に千の木洩れ日夏はじめ     東京   鈴木てる緒
ぼうたんの崩るる憂ひ花びらに    東京   瀬戸 紀恵
時鳥よく啼く日なり今日も葬     愛媛   高橋アケミ
紫陽花に傘のぶつかる程寄りぬ    東京   高橋 透水
炊きあがる匂ひにはかに豆の飯    東京   武井まゆみ
ここに住み蠆の声にも親しみて    千葉   武田 千津
栂尾の戯画を遁れし蠆        東京   多田 悦子
鳴き出しのいつもだしぬけ牛蛙    埼玉   多田 美紀
羽抜鳥我が身をうつす鏡なる     東京   田中 敬子
なかなかに淡路は昏れず灰若布    東京   谷川佐和子
棄てられぬレコードにまたあはき黴  神奈川  谷口 いずみ
消し跡の残る黒板梅雨深し      東京   塚本 一夫
深閑として片蔭の勿来関       東京   坪井 研治
み吉野の風懐に鮎を食ぶ       神奈川  中川 冬紫子
旅衣決めかぬる間の明易し      愛知   中村 紘子
黒南風を通さぬ路地や佃島      東京   中村 孝哲
白服の車掌に山の名を問へり     茨城   中村 湖童 
昭和町と名づく路地裏軒簾      福岡   藤井 紘一
宮城のみどりに染まる奉仕隊     東京   保谷 政孝
丹の珊瑚丹の橋しづめ金魚玉      東京   堀内 清瀬
田水張る千枚の色それぞれに     岐阜   堀江 美洲
顔のほぼ半分くらゐサングラス    パリ   堀切 克洋
形代を流してよりの身の軽さ     東京   本庄 康代
太棹に傀儡をどるや西鶴忌      東京   松浦 宗克
闇の押しひしぐ声こそ牛蛙      千葉   無聞  齋
晩節によき友のありソーダ水     東京   村上 文恵
緑摘む俄か庭師の目となりて     東京   村田 郁子
白玉や母にもありし両ゑくぼ     東京   村田 重子
葉脈の跡うつすらと朴葉鮨      埼玉   森濱 直之
くるぶしに水の香残る川床涼み    愛知   山口 輝久
暖簾分けの暖簾名ゆるる麻のれん   群馬   山田 礁
捩花のねぢを緩めて盛り過ぐ     群馬   山田 鯉公
梅を干す一粒づつの影を濃く     東京   山元 正規
一葉の遺墨涼しき崩し文字      千葉   古沢 美佐枝
桐下駄に足裏すひつく薄暑かな    神奈川  吉田 千絵子
青鷲の今日もそ知らぬ素振りかな   愛媛   脇  行雲














銀河集・綺羅星今月の秀句

  伊藤伊那男・選

道も狭になだるる闇の躑躅かな   杉坂大和

持ち帰る藪の匂ひや梅は実に    大溝妙子


二つの句には共通点があるのだが、それは「本歌取」ということ。
本歌取とは、意識的に先人の作の用語、語句などを取り入れて作ることを言う。
杉坂句は先般のいわき吟行の折、勿来関を訪ねたときのもので、源義家の<吹く風を勿来の関と思へども道も狭に散る山桜かな>に想いを得たものだ。我々が訪れた時は既に桜は無く
躑躅の頃。この花の場合には「なだるる」の措辞が合う。時空と季節を違えて義家と勿来の関への挨拶。一方大溝句は、同じ旅の、白水阿弥陀堂前大越邸の皆川盤水句碑の<自然薯堀り藪の匂ひを持ち帰る>の本歌取。句碑の上には梅の実がたわわに稔っていた。
両句とも知的好奇心を掻き立たせてくれる句である。日本の詩歌独特の楽しみである。



鸞鳥のつもりでゐたる羽抜鶏    桂 信子

鸞鳥(らんちょう)とは中国の想像上の鳥の名。鳳凰の一種。形は鶏に似て、羽は赤色に五色をまじえ、鳴く声は五音の律に合う、という。句は羽の抜けた、どことなく哀れな鶏だが、自分では鳳凰のつもりでいるようだ、というのだ。こんな人間もいる、という寓意も感じられてくるし、裸の王様の話にも連想が及ぶ楽しい句だ。同時出句の<玄武見る日のため子亀買ふ夜市>もなかなかに面白い句だ。夜店の子亀から、天の北方をつかさどる四神の一つ、玄武に連想が及ぶとは、凄い!

植田にも嬥歌の山の峰二つ     柊原洋征

   

  
嬥歌の山といえば筑波山。標高千メートルに満たない山ながら、美しい単独峰である。山頂は男峰と女峰に分かれ、女峰の方が六メートルほど高い。春秋、男女が山に登り、歌を掛け合い求愛をした風習があったといわれ、万葉時代から歌垣(嬥歌の山)として名高い。
今、筑波の植田にくっきりと二峰が映つているという。豊かに自然を称えた気持ちのいい句。

 

ぼた山のかたちのままに夏木立   朽木 直  
 
いわき吟行会の嘱目。常盤炭鉱が廃鉱になって四十年ほどになる。映画「フラガール」にも写っていたボタ山もその間にすっかり木々に覆われて、よく見なければ昔からある山と変わりがなくなってきた。そんな炭鉱の変遷が窺われる句である。成長した夏木立に歴史の重みを思う。


南吹く付箋あまたの時刻表     杉本アツ子

時刻表のあちこちに付箋がついているということは、旅の計画をいろいろと練っているのであろう。夏季休暇の計画。「南吹く」は夏の季節風。その風に急かされるように時刻表を捲る。何とも季語の斡旋がいい。

大地震のあとを均して田水張る    谷岡健彦
 東日本大震災のあと三年を経たいわきでの嘱目である。もちろん土地を限定する必要はない。地震の爪痕のある田を均し稲作を再開する。亀裂の入った田を再生する。人は休むことなく新たな営みを続けるのである。山口誓子に<大和また新たなる国田を鋤けば>があるが、そうした句も思い出させる句だ。


更衣少年棒のごとくあり       中島凌雲

 

ああ、私も大学を卒業するまではスリムであった。それが二、三年ごとに背広のサイズが合わなくなるという肥満を繰り返していったのである。この句、背が高くて細い少年たちの様子がよく出ている。更衣で更に手足の長さが目立つのだ。同時出句の<枇杷の実の捥がれては日の滴とも>も枇杷の実の特徴をよく捉えている。

 

父の日や父の代わりの夫がゐて    中野智子

父の日を詠んで類例がない。父の日なのに夫を詠んでいるのだ。夫が父のような存在になってきた、という誠に幸せな状況になってきているようだ。これが三、四十代の人の句だと問題がありそうだが、この作者の年代なら・・・・。同時出句の<青嵐勿来の関をもとほれば>は上質な抒情句。


卯の花の腐す愁ひのまた探し     松代展枝

陰暦四月の長雨、卯の花を腐らせてしますほどの鬱陶しい雨。心の愁いも更に深めるようだという。春愁がぶり返したような・・・・。平安期の女流歌人の続きのような・・・・。

手刀を切りて昼寝の夫渡る      宮内孝子

一読破顔の句。これもまた幸せな夫婦関係である。居間で昼寝をした夫、邪魔だけれど起こさずに跨ぐ。申し訳ないので、相撲取りが懸賞金を受け取る時の仕種で、謝意を表明するのである。愉快である。

紙面の都合で評を書けなかったが次の句もよかった。

またの名は美濃權守業平忌      權守勝一
梅雨の雲羽衣となり富士隠す     渡辺花穂
木耳生ゆ黒山の人ゐるごとく     北澤一伯


  





        

          
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

静脈の分枝さまざま更衣       東京   森 羽久衣
釣堀を眺めてこれも釣り日和     東京   大西 酔馬
十薬の匂ひ泌み入る洪庵邸      兵庫   清水佳壽美
全自動洗濯槽の裏黴る        埼玉   戸谷 一斗
短夜や愉しき夢も短編で       東京   豊田 知子
形代をふるひにかける小波かな    神奈川  上条 雅代
六道の辻とは知らず道をしへ     東京   中西 恒雄
我ありと時を作れり羽抜鶏      埼玉   中村 宗男
黴ほのか古地図に探す吉良屋敷    千葉   森崎 森平
水鱧や堂島川をわたる風       静岡   金井 覗児
黴の香やマッカーサーの執務室    埼玉   志村 昌也
拭き上げし床に吸ひつく素足かな   神奈川  多丸 朝子
東京の地図横長に梅雨入する     東京   中村 貞代
俤を幾世に伝へ合歓の花       東京   沼田 有希
音に聞く勿来の関の青嵐       東京   山下 美佐
剥がす葉のふんばってゐる桜餅    東京   湯川 漁太
新刊を手に初夏の駿河台       東京   結城  爽
句敵が勿来越えくる青嵐       東京   高橋 双葉
やつ橋の風はむらさき燕子花     東京   小林 雅子
観自在夏書の墨のにほひかな     静岡   澤入 夏帆
安らぎや素足ひと日の気ままにて   東京   角 佐穂子
弟の世話やく姉やしゃぼん玉     神奈川  曽谷 晴子

鰹食む口を開けば土佐なまり     東京   秋田 正美
凛として四方見据ゑしアママリリス  神奈川  秋元 孝之
舌で知る種の大きさ枇杷食うぶ    東京   浅見 雅江
開け放つ窓いっぱいの青嵐      愛知   穴田ひろし
起き臥しに青水無月を我がものに   東京   荒木 万寿
令索麺戦中戦後清く生き       宮城   有賀 稲香
百合の香やほほゑむ遺影若かりし   愛媛   安藤 政隆
止まり木に胡坐をかいて桜桃忌    東京   飯田 康酔
学舎を彼方に浮かべ麦の秋      埼玉   池田 桐人
指先に絡めて競ふ蓮華草       東京   市毛 唯朗
立葵の影長くして日暮れかな     群馬   伊藤 菅乃
小気味良き音立て鰻裂かれけり    神奈川  伊東  岬
乱れ髪両手に余る大南風       東京   今井  麦
ふるさとの橋で待ちたる初蛍     愛媛   岩本 昭三
蜻蛉の疾し頭上を過ぐるとき     東京   上田  裕
紫陽花の毬に光のうねりあり     神奈川  上村健太郎
捥ぐ人のなきまま高し小粒びわ    埼玉   大木 邦絵
二本目に点る燐寸や梅雨深し     東京   大住 光汪
剃刀の切れ味鈍き戻り梅雨      東京   大野田好記
黒南風に夜ごと吹かれし葉音かな   群馬   岡村妃呂子
寺めぐり夏鶯に導かれ        神奈川  小坂 誠子
対岸の殊に明るき桐の花       京都   小沢 銈三
闇を切る鴉の声の明け易き      静岡   小野 無道
夏風邪や薄きベーコン炙る夢     東京   梶山かおり
旋餓鬼会や門前町に灯の点る     東京   桂  説子
水鱧や堂島川をわたる風       静岡   金井 硯児
形代をふるひにかける小波かな    神奈川  上條 雅代
朝夕に変化見つめて額の花      東京   亀田 正則
笹百合の活くる間を開きをり     長野   唐沢 冬朱
梅雨晴れや伊勢の一日をありがたく  神奈川  河村  啓
朝顔や艶つかの間の淵の色      愛知   北浦 正弘
大南風我も胸張る桂浜        東京   絹田 辰雄
門番の午後の退屈牛蛙        神奈川  久坂衣里子
すかんぽや話してみれば佳き人で   愛媛   来嶋 清子
山間に笛の音かすか夏祭り      群馬   黒岩  章
木下闇弘法杖の逆杉         群馬   黒岩 清女
薫風に荷降ろしの肩ほぐしけり    愛知   黒岩 宏行
逝く春やまだ残したる農作業     群馬   小林 尊子
黒百合を見つけしといふ声の張り   東京   斉藤 君子
杉玉の軒に軽やか風薫る       神奈川  阪井 忠太
帆を上げて風の標的夏帽子      東京   佐々木終吉
祠へと氏子集うて夏祭り       東京   佐藤 栄子
嬬恋に若葉模様の空ありぬ      群馬   佐藤かずえ
蜘蛛の巣に径ふさがれてしまひけり  群馬   佐藤さゆり
てのひらへささなみ伝ふ桜貝     東京   島谷  操
蜘蛛の巣にふさがれてしまいけり   群馬   佐藤さゆり
てのひらへささなみ伝ふ桜貝     東京   島谷  操
黴の香やマッカーサーの執務室    埼玉   志村 昌也
垣越えて影の泳ぐや鯉幟       東京   須﨑 武雄
筍の丸と三角鍋の中         東京   鈴木 淳子
墨摺りつ聞く近碲きの時鳥      群馬   鈴木踏青子
日焼けして同じ笑顔の姉弟      愛知   住山 春人
あぢさゐや道細り行く法の山     東京   高橋 華子
クレヨンのおひさままぶし母の日に ニューヨーク武田真理子
噴水の音従へて風来たる       広島   竹本 治美
青き葉に陰の深々山法師       三重   竹本 吉弘
父の日のことに賑やかなりし父   ヒュートン 田中沙波子
十薬の旧知のごとく庭の隅      東京   田中 寿徳  
拭きあげし床に吸ひつく素足かな   神奈川  多丸 朝子
夏帽子挨拶されて見まちがふ     大阪   近松 光英
更衣父の背中に似てきたり      愛知   津田  卓
ハイボール青春の夏発泡す       東京   手嶋 恵子
日輪をゆつくり廻す蟇        千葉   土井 弘道
彩りも変化自在に芋の露       東京   徳永 和美
我ありと時を作れり羽抜鶏      埼玉   中村 宗男
大奥の有りし広場に緑増す      神奈川  長濵 泰子
両国に甘き残り香五月場所      長崎   永山 憂仔
花山葵瀬踏みして採る沢歩き     群馬   鳴釜 和子
若竹の風に交はる丈ならむ      東京   西原  舞
紅花の蕊に秘めたる火花かな     埼玉   萩原 陽里
気がつけば家族の揃ふ端居かな    東京   長谷川千何子
栗の花濃く匂ひ立つ雨上り      神奈川  花上 佐都
生かされて傘寿の素足廊下拭く    神奈川  原田 さがみ
黒南風や船瀬へ戻る遊漁船      兵庫   播广 義春
糖蜜の光流れて蜜豆へ        東京   福田  泉
紅薔薇の翳に始まる海の暮れ     東京   福永 新祇
初鰹の幟はためく三崎港       東京   福原 紀子 
伸びきりし松の緑や留守の家     愛媛   藤田 孝俊
三代と続く納豆の黴にほふ      大阪   星野 かづよ
子のしゃくり泣いてとまりぬ日雷   東京   牧野 睦子
尾を交へ水輪の真中赤とんぼ     東京   松田  茂
文机に折りかけの鶴鳥雲に      石川   松原八重子
額咲いてめぐる思考も楷書にて    神奈川  松村 郁子
夜濯の水音小さく教師妻       神奈川  宮本起代子
黴ほのか古地図に捜す吉良屋敷    東京   森崎 森平
万緑の構造線を北上す        長野   守屋  明
糸瓜忌や不折が傘は濡れしかな    東京   家治 祥夫
蒲公英の絮毛ほどかれ風となる    群馬   山﨑ちづ子
剥がす葉のふんばってゐる桜餅    東京   湯川 漁太
骨切りの妙技も口も鱧料理      神奈川  和歌山要子
樺太や近きを隠す夏霞        埼玉  渡辺  勲
被写体は小枝の先の蝸牛       東京  渡辺 文子






        

 

  

         







星雲集 今月の秀句


伊藤伊那男

静脈の分枝さまざま更衣       森羽 久衣


そう言われるてみれば確かに確かに・・・・。やや老いの目立つ私の手足も静脈が目立ってきたように思われる。句はそれだけではなく「分枝さまざま」と言う。静脈の様々な枝分かれの様子を見ているのだ。さすがにこの観察は!なるほど作者は女医さんである。頭の中には解剖図などが見えているのであろう。同時出句の<短夜の韓国ドラマあと三話>なども何やらおかし味がある。延々と続くドラマもあと三話、夜も明けてきたのである。

 

釣堀を眺めてこれも釣り日和     大西 酔馬

釣堀は夏の季語。東京でも中央線から市ヶ谷の堀の続きに見えるし、集合住宅の上からも俯瞰できたりする。作者は自分で釣っているわけではなく、ただ眺めているのである。それもまた「釣り日和」。なんとも長閑やかで豊かな気分にさせてくれる句であることか。

 

十薬の匂ひ泌み入る洪庵邸     清水佳壽美

洪庵とは大阪北浜の蘭学医緒方洪庵の住居跡で、ここで医学を講じたので、適塾と呼ばれる。大村益次郎、福沢諭吉など俊英を育てた。この句、十薬を配したところが面白い。西洋文化を説いた適塾に漢方薬の材料である十薬(どくだみ)が生え、その匂いが建物に泌み入るほどだという。「泌み入る」が発見だ。

 

全自動洗濯槽の裏黴る       戸谷 一斗

誰もが気になっている洗濯機の汚れ。黴落としの洗剤などもあるが、なかなかしぶといのだ。解体するにもいかないし・・・・。そんな現代生活の一齣を切り取った視点がいい。現代の密閉された家屋では年中起りそうな事象なので季感はやや薄いが・・・・。発想を褒めたい。

 

短夜や愉しき夢も短編で      豊田 知子

短夜ならではの夢のはかなさ。折角楽しい夢を見ているのに「短編で」―――この下五の素気ない言い切りがなかなかうまいのである。人生だって楽しい時間は・・・などと深読みしたくなるというものだ。同時出句の<ぼうたんの薄き花びら重ね着す>も「重ね着」が独自の目、発見である。

形代をふるひにかける小波かな   上条 雅代

自分の名前を書いたり、息を吹きかけて流す形代。すぐに沈んでしまうものもあれば綺麗に流されていくものもある。形代という穢れや罪を流したものでさえ、更に小波の篩にかけられる。単に写生句として読んでもいいが、どことかにアイロニーが潜む。

 

六道の辻とは知らず道をしへ    中西 恒雄

六道とは善悪の業によっておもむく六つの迷界。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天。六道の辻はその別れ道。京都では火葬場であった鳥辺山の辻、今の珍皇寺あたりを言う。ともかく、その六つの選択肢の岐路で、道をしへが跳ぶ。さてそれに従ったものか、どうか・・・・。

 

我ありと時を作れり羽抜鶏     中村 宗男

羽の抜けてやや貧相になった夏の鶏が、それでも精一杯自己主張をしているように見えるという句。「我ありと」の擬人化が面白いところである。一生懸命に時を告げているところも、羽抜鶏に仮託して、何か人物像も浮かんでくるような萬意も感じられてくるようだ。
一物仕立で対象物を詠み切って成功した。

黴ほのか古地図に探す吉良屋敷    森崎 森平

 両国国技館近くに吉良屋敷跡の表示があり、井戸などを残しているが、古地図でみると、かなり広い敷地であったようだ。作者は古地図を広げて往時の様子を追想しているのであろう。ほのかな黴の香のある古地図である。「吉良屋敷」の固有名詞が効果を出した句で、赤穂浪士の面々覗ているような面白さが重なってくる。


 

万緑の構造線を北上す       守屋  明

構造線は大規模な断層で、中央構造線が有名。作者はその真上の伊那谷の人。大分、松山、伊勢、豊川、高遠、茅野と、構造線に沿って夏が到来する。その推移を「万緑の・・・・北上す」と一言で把握したのは見事である。
  
           その他印象深かった句を次に

 


水鱧や堂島川をわたる風      金井 硯児
黴の香やマッカーサーの執務室   志村 昌也
拭き上げし床に吸ひつく素足かな  多丸 朝子
東京の地図横長に梅雨入する    中村 貞代
俤を幾世に伝へ合歓の花      沼田 有希
音に聞く勿来の関の青嵐      山下 美佐
剥がす葉のふんばってゐる桜餅   湯川 漁太












   





 

新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む      伊藤伊那男
  
回想 句集『知命なほ』の時代(4)    伊藤伊那男
俳句に救われたな、と思うことがいくつもある。
40歳代の前半、積年の暴飲暴食に多分ストレスも加わって大腸癌に羅漢。築地の国立がんセンターにて手術を受けた。S字結腸を30㎝位筒切りして繋ぐという土木工事のような手術を受けたのだが、子供も小さかったし、とてもこのまま死ぬわけにはいかない、という悲愴な思いであった。結局生き残ることができたのだが、退院の句は
退院の一歩はこべら踏みにけり
というもので、幸運をしみじみ噛みしめた。そのあと妻が乳癌に羅漢、更に追い討ちをかけるようにバブル経済の崩壊により会社は急坂を転げるよに傾き倒産した。その頃の句に
妻癒えよ魚氷に上るきのふけふ
夕立の止むときもまた潔し

などがあるが、ともかく失業手当も退職金もない状況で、会社の設立費用も借金して残るという絶望的な状況であった。
これを救ってくれたのは俳句であったと思う。本名と俳号が違っていたのもよかったと思う。俳句の時間に没入するときは世俗名とは違う、全く別人の「伊藤伊那男」であった。その切り替えで、別の世界で学ぶことができたのは救いであった。俳句の世界で「伊那男」という別人格が存在することが辛うじて挫けそになる心を支えてくれたのである。最後の社長として会社の自己破産の申請をした時も、新聞に名前がでたけれど、別の名前で別の世界を持っていたことがいく分かの慰めであった。俳句仲間も私の世俗で失敗に対して何か言うこともなく、ごく自然に俳句の出来、不出来だけに感心を持って接してくれたのである。
「銀漢」創刊時の時もそうであった。創刊メンバーの献身的協力はもちろんだったが、「雲の峰」主宰の朝妻力さんが、俳誌を出すには何かと金がかかるから、と過分な金額を送ってきてくれた。「負担にならないで書けるエッセイの連載を頼みます」と。またそれを聞きつけた「運河」主宰の茨木和生さんが、「僕も支援するよ」と、同誌同人評の執筆依頼と共に過分の金額を送ってきてくれたのである。そうした外部からの応援も加えて、どれほど力を与えてくれたことか。
生きていれば誰にでも苦境がある。私が50歳代、何かと平衡感覚を保って過ごしてこられたのは俳句の恩恵である。座の文芸の支援である。もろもろ俳句が助けてくれて今日があると思っている。

  平成11年
仲見世も一筋裏も秋の風
   高遠 絵島囲み屋敷
座敷牢より色鳥を見てゐしか
地芝居の子役に泣いてしまひけり
松手入こまごまと日を散らしけり
酉の市出て一葉の町暗し
熱燗やあまた仏に会ひし夜は


   平成12年
手鏡の中より妻の御慶かな
葱鮪鍋下町に闇にはかなり
凍滝に凍てきらざりし一縷あり
猟犬の尾の逸りつつ地を打てり
紙雛戸の開け閉て倒れけり
えいえいと担ぎ出したる涅槃絵図
地下鉄を出て啓蟄と思ひけり
泡ひとつ吐くは田螺の鳴くならむ
春の蚊の鳴くこともなく打たれけり
種浸す諏訪明神の湯を足して
蝌蚪の群あたため合うてゐるらしき
青梅の音符のごとく転がれり
筍に産湯のごとく湯を沸かす
ひきがへる跳びて揃はぬ後ろ足

                

                

      

    


 




 





銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。




  
 


       


    
     
     







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銀漢亭日録

伊藤伊那男


6月4日(水)
「宙句会」あと九人。「きさらぎ句会」あと8人。「宙句会」には伊那北高校15年ほど後輩が見学参加。広渡敬雄さん3人。一般のお客さんも何組かあり、久々賑わう。

6月5日(木)
「十六夜句会」あと7人。カウンターは越村蔵さんが、伊丹三樹彦さんの息女、啓子さんと。池田のりをさんが飛鳥蘭さんと。2人共、慶應「丘の会」のメンバー。月野ぽぽなさん信州から戻る。一平、敦子、文子……。

 6月6日(金)
「大倉句会」あと15人。清人さん鮪捌く。伊東岬さん娘さん経営のパン(SANGO)持参。湘南の人気店。片山一行さん「大倉句会」に出席。宇和島のじゃこ天、ちくわ、かまぼこなど沢山。結城爽さん夫妻も「大倉句会」に。お2人とも津山の西東三鬼賞の秀逸を取り、その席上で片山さんが「銀漢」を持っていたためお互いが解ったという関係。谷岡健彦さん「銀漢」連載の「せりふの詩学」がカモミール社から『現代イギリス演劇 断章―舞台で聞いた小粋な台詞36―』として出版される。

  6月7日(土)
梅雨入りか。冷たい雨。13時、赤坂「うちだ」。皆川丈人、文弘さんをお招きして「いわき吟行会」の慰労会。当方、武田編集長、大野田、展枝、いづみ、洋酔さん。鱧料理、雑炊絶品。あと表参道のカラオケのある店に移り、20時時頃までか……歌う。あと渋谷で途中下車して飲むが記憶薄い。

6月8日(日)
強烈な二日酔い。ああ、また……。昨日は13時から10時間位飲んでいたことになるか。書かねばならない原稿などあるが昼過ぎまで何も出来ず。ヘアメイクの中川さん来て家族の整髪。私も呼ばれてカットと眉毛の手入れ。15時から杏一家来て家族の宴会。店で焼いておいた鮎の塩焼15本出す。酒盛り、ああ……また。

6月9日(月
宮澤の初監督映画『うみやまあひだ』試写会好評で11日(水)国会議事堂内で映写会と。「海の日」に対する「山の日」も国民の休日に制定する動きに絡んでと。大西酔馬君、59歳誕生日パーティー。結局38名及びサキソフォン奏者、仲野麻紀さんとその仲間(母上も)四名など。差し入れの酒、食物多し。22時半まで。柴山つぐ子さんより、「北軽井沢句会」一人入会と。小野寺清人さんの父上御逝去と。気仙沼大島でお世話になった。享年91歳。

6月10日(火)
角川「平成俳壇」締め切り日、発送する。「火の会」6人と少ない。あと、今後の会の運営についての話し合い。太田うさぎ、広渡敬雄、阪西敦子、天野小石さん。阪西敦子、3年ぶりに水戸から東京青山に転勤と。乾杯す!

6月11日(水)
午前中、ずっと「銀漢」7月号の校正。14時くらいにようやく食事。店に行くと発行所は「梶の葉句会」。すっかり失念していて、選句、選評できず、詫びる。店、閑散。

8月12(木)
午前中、洋酔さんの第二句集の跋文仕上げる。「火の会」の今後についての提言書。店、環さんの女子会5人。カウンターは俳句仲間の常連。

8月13日(金)
昼、怖い程の雷雨。店、柚口満さん、閑散。遅くに佐古田亮介神保町古書店連盟会長来て、「神田古本まつり」の投句少ない、心配だと。

8月14日(土
10時、発行所にて運営委員会。午後、「銀漢本部句会」、50人。「本の街」の俳句欄を見て見学の方も。あと、「随一望」にて10数名で親睦会。家は学校の音楽祭あとの恵俊彰さん一家他。数家族が来て大宴会あった様子。

8月15日(日)
午後まで休養。サッカーワールドカップ、コートジボワール戦をうとうとと見る。負け。秋葉男さんから極上の鮪刺身沢山。鮪パーティーとなる。父の日に桃子の友人から「獺祭」の発泡酒。

8月19日(木)
「銀漢句会」あと20人。遅い時間、岩波OB・今井先輩、東大新聞研究所OBの某氏と。一平さんグループ、句会あと六人。など。新潟日報・大日向氏より電話。小生の食物エッセイ昨日より連載されていると。10回連続。他に何紙かにも同時掲載。

8月21日(土)
「纏句会」。日本橋は再開発になって大賑わい。杉阪、谷岡氏は「金星句会」の本郷合宿で欠席。終わって題の穴子の姿煮。ばい貝、茄子と湯葉のあんかけ、あと握り。帰宅して家族揃っているというので佐賀武雄の温泉湯豆腐、秋葉男さんからの鮪、作り置きしておいた鮑酒蒸しなど。白ワイン、「満寿泉」の特上。

8月22日(日)
10時、四ッ谷、ルノアール。「金星句会」合宿あとの締め(杉阪さん指導)。事前投句10句についての成績発表と選評。合宿中の4回の句会の選など。12時まで。午後、「信州伊那井月俳句大会」の選句、8月号選句など。

8月23日(月
清人さん、出版業界仲間と「鮪を食べる会」。鮪、山ほど。ほや、牡蠣60個を蒸す。鮪はズケ焼き、胡麻和えも。27人。22時半には閉める。

8月24日(火)
「信州伊那井月俳句大会」選句送る。応募1.700余句。「玉藻」の奥住氏、松山さん、飯田の方と。「塔の会」あとの佐怒賀正美、真砂年、森岡正作さんなど。

8月25日(水)
朝、サッカー、コロンビア戦後半を見る。2敗1分。「銀漢」8月号選句。金井硯児さんに「銀漢亭」の看板、品書の墨書頼み完成。新規客二組ほどあったのはその効果?「雛句会」10人。対馬康子さん久々来たので閉店後、うさぎ、小石、展枝、いづみ、清人さんと「天鴻餃子房」。

月26日(木
8月号の選句やっと終わる。エッセイ一本。宮澤と桃子、宮沢りえさんの舞台「海辺のカフカ」へ。ポスターは宮澤の写真。

8月27日(金)
発行所「門」同人会へ貸し出し。十四時、解錠。店、三ヶ月に1度の「白熱句会」。水内慶太(月の匣)、小山徳夫(爽樹)、藤田直子(秋麗)、檜山哲彦(りいの)、佐怒賀正美(秋)、井上弘美(汀)。発行所「金星句会」あと店へ6人。

8月28日(土)
14時、ロイヤルパークホテル。星野椿主宰「玉藻」千号記念祝賀会。14時から小泉進次郎の講演会。東日本大震災復興をテーマに俳句なども絡めて。33歳とは思えぬ、1時間、全く飽きさせない話、見事!17時より祝賀会。来賓二百数十名。会員300名の大パーティー。椿さんから高士さんへ主宰継承。同ホテルにて二次会も。〈星々の千のまたたき梅雨晴間〉


          
       



   
    







今月の季節の写真



2014年9月17日撮影   紅葉葵 (もみじあおい)      HATIOJI
・別名  「紅蜀葵(こうしょくき)」
高浜虚子 『引き寄せて はじき返しぬ紅蜀葵』





紅葉葵    「温和」  「優しさ」



写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2014/9/17  更新


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