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6月号 2020年
伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句 彗星集作品抄 彗星集選評 銀漢賞銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄 星雲集・今月の秀句 伊那男俳句 銀漢の絵はがき 掲示板 銀漢日録 今月の写真 俳人協会賞受賞 俳人協会四賞受賞式 |
伊藤伊那男作品主宰の8句今月の目次銀漢俳句会/2020/6月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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◎一期一会ということ 「一期一会」という言葉を知ったのは、慶応茶道会に入会して、茶道史を齧ってからである。千利休の弟子の 私には年と共に此の言葉が重みを増してきている。茶道は学生時代だけでやめてしまったが、人生のあらゆる場面において共通する人生訓だと思っている。俳句を始めてからは尚更である。或る日に集まった連中が、一年後の同じ季節に句座を囲み、果たして この句座は生涯に一度しか無いという意識をもって句会に臨みたい。そのように考えると、虚飾を排して正直な自分を詠むことになるだろうし、選句にも懸命な姿勢になる筈である。一回一回の句会を大事にして全力を傾注する筈である。松尾芭蕉の『おくのほそ道』を見ると、交通不便な時代のこと、旅の途中のたった一夜の句座を囲んだだけで、芭蕉に共鳴した者は、生涯芭蕉の弟子であることを自認したのである。生涯一度の機会に、全身全霊を傾けて芭蕉の話を聞き句と選を噛みしめたのである。 平和な時代の続いた現今では「今月は力を抜いても来月頑張ればいいや」とついつい思ってしまうものである。そのような時代が続いていたことは確かである。だが、今回のような事態に遭遇すると「一期一会」の言葉が大きな意味を持ってくるのである。ほとんどネット句会となった銀漢五月号の句会報を見ると「顔を合わせない句会は力が入らない」との幹事のコメントが多かった。この騒動が収束したら是非、顔を合わせ句座を囲む「一期一会」の句会の緊張感と楽しさ、幸せを改めて噛みしめていただきたいと思う。 |
「篠の子」は |
彗星集 選評 伊藤伊那男伊藤伊那男・選涅槃絵図泣き声もるるほど近し 大溝 妙子
還暦の若手を迎へ春祭 保田 貴子
雪形をはるかに一の鳥居かな 杉阪 大和
段畑を一つ登りて麦を踏む 三代川次郎
子の丈を刻みし柱あたたかし 半田けい子
何れが何れ指さす記紀の山笑ふ 多田 美記
農協の利息代りの花の種 渡辺 志水
懐郷は翼へ力鳥雲に 久坂衣里子
修二会竹講の差配の脈脈と 中野 堯司
あたたかや人に合はせて窪む椅子 唐沢 静男
ものの芽の万の声ごゑ出郷す 坂口 晴子
ガリバーの夢へと続く朝寝かな 有賀 理
絶壁の巣鳥飛びたつ怒濤かな 山元 正規
立春のふくらみてくるエンタシス 三代川次郎
雁風呂や今日は本家へ貰ひ湯に 中村 弘
菅公の呻き洩れくる春の雷 小野 岩雄
安曇野と聞けば馨し蕗味噌も 長井 哲
野火守に熊襲の裔も居るかとも 杉阪 大和
卒業す机の隅の傷跡と 森濱 直之
民宿の先代は漁夫若布干す 久坂衣里子
銀河集作品抄伊藤伊那男・選 双塔の見ゆる畦道草青む 東京 飯田眞理子
たまさかの日差を得たる梅見かな 静岡 唐沢 静男 野火埃麓の蕎麦屋まで届く 群馬 柴山つぐ子 辛夷咲く山のふもとに生家あり 東京 杉阪 大和 紫木蓮父母の仏間へこの世の香 東京 武田 花果 常ならぬことは常なり彼岸凪 東京 武田 禪次 耕の音をも加へ記紀の道 埼玉 多田 美記 絵踏する足裏を突く主の肋 東京 谷岡 健彦 梅東風や絵馬の願ひは叶ひしか 神奈川 谷口いづみ 石乗せて干しある樽や春一番 愛知 萩原 空木 修二会の夜眼裏あつく眠りけり 東京 久重 凜子 バッティングセンター春の月狙ふ パリ 堀切 克洋 残る鴨やがて人にも慣れもして 東京 松川 洋酔 初午の町の底ひに川の音 東京 三代川次郎 綺羅星集作品抄伊藤藤伊那男・選
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炊き上がった混ぜ御飯を杓文字で均す。土筆は多分上に全部上っているのだが、これを均等に混ぜることを「天地返し」と、耕作の表現を使った。それは土筆飯だからこそ生きた言葉である。蓋を開けた表面は土筆なので茶色、まさに春の土の色である。釜の中の春耕という見立ては鮮やか。 |
機知のある句だ。ロダンの「考える人」は当然だが一年中考えている。違う姿勢をとることはない。だが一年の大きな節目の「去年今年」を季語にすると、味わいが違ってくるようだ。「休みなく」が生きるのである。高浜虚子の〈去年今年貫く棒の如きもの〉の延長線上にあり、しかも独自性を保っている。 |
あっと驚くおかしさである。本当にこんな学生がいるのだろうか。いやいるかもしれない、とも思う。こういう学生が成功するかどうかは不明だが、一服の清涼剤だ。この作者の自画像であるとしたら尚更面白い |
目借時には電車も眠たげだという。うつらうつらと目を開けると電車の扉も気怠く、まるで欠伸の続きのように開く。もちろん作者の主観なのだが、電車まで擬人化してしまうのは技倆。 |
雛よりもその影に焦点を当てた独自性を褒めたい。句からは影法師の方が本体より大きく立体感も持っているように感じられてくる。目の付けどころの良さ。 |
細見綾子の〈女身仏に春剝落のつづきをり〉を下敷きに置いた句であろう。綾子句はまさに「春愁」を具現化した句だといえよう。時を経て秋篠寺を訪ねた作者に、伎芸天は変わらぬ微笑を返す。綾子を癒したその微笑は作者の春愁も何もかも全てを諾うのである。 |
たとえば踏切で「列車が通過します」などと注意が放送される。通ったのを見ると、只の一両。なんだ一両編成でも「列車」と呼ぶんだ……と作者は苦笑する。その向こうはまさに「山笑ふ」時節。作者の気持を山も代弁している。 |
社寺の境内に百度参りの場所がある。願いを叶えてもらうため祈りながら百回往復する。雨の日も雪の日も。この句はその嘱目だが、「重ね合ひ」がいい。何人かが雪の上に足跡を重ね合っていく。少しの間に模様が変わる。 |
少子化時代なので各地でこのようなことが起こっているのであろう、と他人事のように見ていたら、我が母校伊那北高校もその対象になっているようだ、という。同じ町の元女子高と合併し、しかも敷地はそちらに移るというのだ。その女子高は「弥生ヶ丘高校」というが、季語に「弥生」が入っているので悲しくも笑ってしまう。作者は同級生。 |
鎌倉の地形をよく摑んだ句だと思う。谷戸は「やと」とも「やち」とも「やつ」とも言い、正確には「谷」の一文字で用いる。扇ヶ谷、比企ヶ谷など。各々が霞の中にあり、郵便配達の車かバイクが動き廻っている。小さく静かな谷戸の霞を搔き廻すような描写がいい。 |
凄絶な風景である。深夜ではあるが、月に照らされているのであろう。白煙を上げている。遠雪崩なので無音の世界である。「見たり」に自然界の躍動、崇高な美に触れた作者の感動が伝わる。 |
確かに四角や三角の鳥の巣は無い。それならこの句のどこがいいか、というと「丸く納める」という慣用語である。鳥達も夫婦円満に巣作りをして子育てに励む。巣の形状からそのような事にも無言で言及するところが面白いのだ。 |
その他印象深かった句を次に
「椿餅」の起源は桜餅などよりも遥かに古く、源氏物語に登場する。内容は餅粉を甘葛で捏ねたものであったようだ。今は小豆餡を道明寺糒で包む。椿は日本原産の植物であり、確かに古代から愛でられたので納得できる。桜餅の葉は私などは一緒に食べてしまうが、さすがに椿の葉は食べるわけにはいかない。句は皿の上に光沢のある二枚の葉が残っている、というところがいい。同時出句の〈雛流し加太の門波へ遠流めく〉はほど良い抒情。〈帰る鴨見てゐる我を鴨は見ず〉はほど良い滑稽感。 |
八ヶ岳山麓の広大な高原野菜の耕地は先人の苦闘による開墾の成果である。この句の眼目は「少し借り」であろうか。この措辞により八ヶ岳山麓の広さが解るからである。確かこの山のもともとの山容は富士山に匹敵するほどであったという。同時出句の〈さざ波に光を置いて鳥帰る〉は「光を置いて」に鳥の帰ったあとの本格的な春の到来を予感させる。 |
構図の面白い句だ。杭に繫がれた山羊が動き回るのだが、それは紐の長さを半径とした円の中。どんなに動いてもその範囲内というところに悲しさと可笑しさが混じる。「牧うらら」の季語の斡旋が豊かである。 |
農業の死活を制するものは水。その為山から流れ出る水の分岐点に神を祀った。水利技術の発展した現代は神に縋ることは少なくなった。だが、大事にしなければ、という気持は変らず、それがこの句の「奉り」になったのであろう。この句の「奉り」は形だけ高い地位に置いて、という感覚であろうか。信仰と科学のはざまを詠んだ句。 |
新聞から余寒が零れ落ちるということは無いのだが、感覚としては実感がある。この時期の手に受けた新聞の冷たさを皆知っているからである。この感覚を十七音に纏めたのは手柄である。同時出句の〈紙飛行機春夕焼を曳きながら〉も郷愁を誘う作品だ。「曳きながら」がいい。 |
パソコンに頼ると漢字が書けなくなり、電卓に頼ると暗算が出来なくなる‥‥そのような時代である。算盤も過去のものになりつつあるのが残念だ。納税期には何かと数字が絡む。そんな時父の残した算盤を思い出す。父は自分達を育てるために様々な苦労をしたのだろう‥‥という感慨。 |
信州育ちの私が新宿駅に愛着があるように、東北地方の方には上野駅は特別な存在であろう。古くは石川啄木の短歌を、我々の世代では井沢八郎の「ああ上野駅」などが思い出される。その意味でこの句の「上野駅」は刻印のように印象的である。寒夕焼が上野から始まった、という見立ても面白いところだ。ただし今東北新幹線の始発は東京駅となり上野は地下ホームに変り、往時茫々の思いである。同時出句の〈まだ売れぬ海鼠女に突かれる〉は朝市の一景であろうか、楽しい風景だ。 |
姿勢の良い句である。黄砂にぼんやりとした影を牽く馬の列。平山郁夫の絵に出てきそうな景色である。無駄な言葉が無い。同時出句の〈霾や旅に黄ばみし流亡記〉は更に抒情を深めた佳句。 |
飛び出す絵本なのであろうか。桜の花が目に飛び込んでくるのだが、ついでに花咲爺も出てくるところがこの句の眼目。俳句の特徴である滑稽を混在させているのである。さて、絵本の中の桜は季語か? という指摘が出るかもしれないが、季感があるかどうかの判断でいいと私は思っている。同時出句の〈海苔を干す町に越し来て空広し〉もいい感覚である。 |
瞽女は三味線を弾き唄う盲目の旅芸人。その唄と雁供養を合わせたのだが、土俗的な風韻が濃く、空想句であるのに妙な実感を持つ不思議な句だ。 |
源平の戦いを元にこのような展開をした発想を称えたい。どっちの池に沢山の鴨がいたのか解らないが、「鴨帰る」で勢力図が変ったというのだ。知力を発揮した秀逸。 |
伊那男俳句 自句自解(53) 大仏の煤を掃かせて貰ひけり
「貰ひけり」と詠んだけれど、実は私が体験したわけではない。「煤掃き」の大仏といえば何といっても奈良東大寺の廬舎那仏である。年末になると必ずと言っていいほどその煤掃きの様子がテレビのニュースで流れる。じつは「お身拭い」というのが正確なのだが……。僧侶百五十人ほどが参加して、ロープで吊り下げられたりする壮大な作業である。私が大仏殿を最初に見たのは中学校の修学旅行であった。その頃は大仏殿の柱の穴くぐりができる体形であった。その後も度々訪ねている。四十代の頃、金曜日の夜行バスに乗って何度も奈良へ吟行した。五時過ぎに奈良に着き、喫茶店で寛いだあと、どこに行ったらいいかというと、主要な寺社で最も早く扉が開くのは東大寺で、七時半からであったと思う。そのような愛着の深さから、揚句のように私自身が参加したような気持になり「掃かせて貰ひけり」とつい嘘を言ってしまったことも廬舎那仏には許して貰えるだろうと思っている。 雪祭神の降りくる荒筵
同時に詠んだ句に〈榾はぜて湯立神事の神散らす〉〈雪祭神呼ぶ声の怒涛なす〉がある。信州伊那谷の私の出身地よりもさらに南の下伊那郡阿南町新野で一月十三日から十五日にかけて行われる祭である。発生は鎌倉期とも室町期とも言われるが詳細は不明である。昔は正月神事とか田楽祭と呼ばれたが、折口信夫により「雪祭」と呼ばれるようになった。神前に雪を捧げて五穀豊穣を祈願する予祝行事である。私の訪ねたのは四十九歳の時。最も寒い時期の夜中の祭であるから見学するには相当な体力と覚悟がいる。朦朧とした記憶だが吹き曝しの社殿の茣蓙の上で延々と緩慢な舞が続いており、休憩して戻ってもまだ続いている。変化があるのは神の控える庁屋(ちょうや)の板壁を叩く「ランジョウ」や作り物の馬に乗った騎手が矢を射る「競馬(きょうまん)」位が記憶に残っている程度である。国の重要無形文化財に登録されている貴重な行事だが、もう一度行くか、と問われたら……返事はできない。 |
去る3月5日、平成30年度の俳人協会四賞の授与式が京王プラザホテルで行われました。 ご存じの通り、伊藤伊那男主宰が句集『然々と』で第58回俳人協会賞を、同人の堀切克洋さんが『尺蠖の道』で第42回俳人協会新人賞を受賞四、銀漢俳句会から4賞の内二賞を頂くという快挙となりました。2019/4/30/更新 |
二次会・店内に入りきれない人数でしたが,日曜日とあって店の前の通りも通行が少なく,穏やかな天候の下、外に溢れる受賞者の二人や他結社の方々と交流するなど、思い思いにお酒を楽しみながr懇談を深め,何時までも祝賀会の熱気は冷めることがありませんでした。 |
伊藤伊那男 俳人協会賞 堀切 克洋 俳人協会新人賞 2019/3/17 学士会館 銀漢亭(二次会) |
△ 月刊「俳句四季」に受賞の記事が掲載されました。 △月刊「俳句四季」に受賞の記事掲載は5月号(4/20発売)か6月号(5/20発売)のどちらかを予定しています。 |
3月 3月月19日(木) 閑散。北海道の廣田和久さん(「雪華」)訪ねて来て下さる。「俳句αあるふぁ」の中島三紀編集長他。 3月20日(金) 休日。エッセイ一本。昼、晴天にて散歩。「樫尾俊雄発明記念館」の庭園から「はけ」を下りる。住宅街を戻ると桜並木は二分咲。 3月21日(土) 花見を兼ねて「さきたま古墳群」「忍城」を吟行。井蛙、展枝、小石、うさぎさん。吹上駅からバス。10時半、古墳。丸墓は石田三成の忍城攻めの本陣。高さ20メートルほどあり。「稲荷山古墳」は国宝の鉄剣出土。行田市役所前の「うどん大地」で昼食。少々のビールで眠気が出て忍城のベンチでうたた寝。「水城公園」でもうたた寝。桜は二、三分咲き。快晴。16時、足袋御殿の「和牛懐石 彩々亭」で5句出し句会あと刺身、ステーキなどで宴会。19時、大宮に出て駅前の「いづみや」で二次会。ねむい、ねむい。 3月22日(日) 昼、「国立成育医療研究センター病院」に龍正君を見舞う。まずは元気。『鬼滅の刃』あり、二巻まで読んで疲れる。桜、一気に満開に。休養の1日。少しネジを巻かないと。夕食、新ジャガとベーコンの炒め煮好評。 3月23日(月) 店、皆川文弘さん久々、福島の酒、菓子などの差入れ。陣中見舞のお気持か。清人、肇、寺沢さん。朝夜、成城の桜並木を通る。夜は桜の匂いが濃い。成城の駅の山桜がいい! 3月24日(火) 店、客無し。19時閉める。 3月25日(水) 店、てる緒、井蛙、いづみ、閑散。21時前閉める。久々、家で食事、小酌。 3月26日(木) 桜を見つつ駅へ。店、清人、硯児、宗一郎、麦、羽久衣、道、幸彦さん。「俳句てふてふ」の今井竜氏にエッセイ渡す。毎月掲載の予定。 3月27日(金) 店、大溝妙子、鈴木淳子、石倉さん……19時閉店。 3月28日(土) 昼、天気の良い内にと成城を散策。桜満開。椿もいい。3丁目は国分寺から続くはけの道。「俳句てふてふ」のエッセイ2本書く。 3月29日(日) 春の雪、積もり始める。 3月30日(月) 店、辻本芙紗さん、ミャンマーから帰国と挨拶に来店。羽久衣、宗一郎、毎日新聞の今井さん、はじめさん、小石さん、うさぎさん、シャンパンで芙紗さんの帰国を祝う。 3月31日(火) 今日から、今週は店休みとする。深刻な状況である。七月の「こもろ・日盛俳句祭」中止の知らせ。5月5日の「足立俳句連盟」の俳句大会中止の知らせ(選者予定であった)。1日だらだら過ごす。少し気が抜けてしまったか……。酒抜く。 4月 4月1日(水) 雨。『角川俳句大歳時記』新版用の季語解説の校正など。終日家。今後、莉子、華子(孫)が夕食一品ずつ料理作ることに。莉子がキンパと笹身の青しそ包み焼。華子がチヂミ。私が茄子とピーマンの回鍋肉。 4月2日(木) 昼、成城散歩。1時間少々。 4月3日(金) 昼、成城散歩 2時間ほど。仙川沿いの桜、花筏、しみじみ。夕飯は私がジャガイモとベーコン蒸焼。孫達がマーボ豆腐など。「宙句会」「十六夜句会」「童夢句会」「鎌倉句会」のネット句会の講評。 4月4日(土) 10時半から散歩。桜を見ながら祖師谷公園方面。公園で木の芽を少々貰い、スーパーで筍他買う。今年はしみじみ桜を見ている。「大倉句会」の選句。夜、筍の木の芽まぶし、スペアリブなど。 4月5日(日) 昼、1時間ほど散歩。曇天。「銀漢」5月号の校正。夜、モツ鍋と砂肝炒め、三葉のおひたしなど。孫はきんぴらごぼう。 4月6日(月) 午後店。冷蔵庫の清掃。整頓など長期休業の準備。夕食は蛍烏賊のさっと煮、鶏唐揚など。孫は茸とブロッコリーの挽肉炒め。宮澤は撮影で日光。明日東京に緊急事態宣言出ると。 4月7日(火) 怜輔、先日からミュージカル「ライオンキング」の練習。多分今日までで、あとは宣言開けか。昼、1時間半ほど散歩。夕食。豚肉の味噌漬。蕪の蒸煮。新玉葱サラダ。若布とちりめんじゃこのポン酢サラダ。孫はビシソワーズ。 4月8日(水) 晴天。昼、一時間ほど散歩。途中の農家でブロッコリーの芽や春菊を買う。「梶の葉句会」「春星句会」ネット句会の選句。午後、孫2人が料理を作り、庭で食事会。 4月9日(木) 午前中散歩。調布市との境の農家がいい野菜を売っているのに遭遇。葱、ホウレン草、パクチー計350円。6月号の原稿を飛露さん、政三さんに送る。夕食にマッシュポテトとトマトソースの重ね焼、からすみ大根。ブロッコリーの芽の蒸し煮用意。 4月10日(金) 全国俳誌協会コンクール選句。約九100句応募あり。孫の怜輔と散歩・野菜買う。今日は鰯の生姜煮、あこう鯛の粕漬、ほっけ焼。ホウレン草とソーセージの蒸し煮など。 4月11日(土) 10時から散歩。農家で野菜買う。夕食、鳥鍋、きぬさやの卵とじ。からすみ大根。サラダ菜とシーチキンのサラダなど。 4月12日(日) 怜輔、Eテレ「おとうさんといっしょ」の最後の踊りと歌のコーナーに出演。怜輔と散歩。柴山つぐ子さんから、群馬の菓子や独活など。川島秋葉男夫人より電話あり、秋葉男さん、腸管穿孔で入院、手術を受けたと。4週間ほどの入院と。夕食、カレー、独活きんぴら、独活、椎茸、パクチーの天麩羅など。 4月13日(月) 4時過起床。生活のリズムがまだ掴めず。雨。散歩あきらめて「カウボーイ」に乗る。夕食、蕗煮、焼そば、孫がジャガイ芋と鶏肉の中華炒めなど。 4月14日(火) 快晴。10時前から散歩。農家でパクチー、春菊、ブロッコリーの芽、葱、サラダ菜、きぬさやなどを買う。富士山が美しい。海棠、石楠花などがいい。葉桜も。龍正君退院。姉2人がチョコレートケーキを作っている。夕食、ビーフステーキ、焼き方三種類に変えて出す。サラダ菜とツナのサラダ。ウインナーソーセージとジャガ芋の蒸焼。 4月15日(水) 龍正、怜輔と散歩。富士山を見る。野菜買う。手羽元の黒酢煮、摘菜と油揚のさっと煮、島らっきょう、鯖の塩干焼、鮪と若布。「高遠句会」「銀漢句会」「閏句会(他結社)」などの選句。 4月16日(木) 龍正と散歩。午後、庭で食事をすることになり、牛舌、ミノ焼。ルッコラのサラダ、キャベツとウインナー、ベーコンのコンソメ煮、島らっきょう、ジャガ芋焼など。ヘアメイクの中川さんに来て貰い、散髪。思い切り短髪に。髭も20日ほど剃っていないので、我ながら風貌が変わった。 4月17日(金) 龍正、怜輔と散歩。農家で野菜買う。孫がパンを焼く。夕食、筍焼き木の芽添え、春菊のおひたし、茗荷の茎と鰹節。モツ鍋。ルッコラのサラダ。きぬさやの卵とじ。 4月18日(土) 雨。選句。飯田眞理子句集の句稿点検と序文の構想を練る。夕食、豚の味噌漬のカツレツ、スナックサヤのマヨネーズ和、レタスとルッコラの胡麻ドレッシングサラダ。筍と若布の煮物、パクチーと納豆など。 4月19日(日) 10時、婿、孫と四人で散歩。備蓄食料も仕入れ。午後、庭で食事。ブロッコリーと鯖缶(孫)、若布とちりめんじゃこサラダ、苦瓜スライス、パン(孫)など。昼酒に酔い昼寝。飯田眞理子句集の序文、五千字弱、書き上げる。「十六夜句会」の選など。 |
△柳花笠
柳花笠という名前は、ヤナギのように細長い葉と、花笠のような半球形に集まった花の姿に由来します。