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10月号 2014年
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伊藤伊那男作品主宰の八句香水 伊藤伊那男
鎌倉も谷戸の奥なる半夏雨 曲るとき片身を浮かせ大百足虫 胸奥の闇深ければ夜鷹鳴く 富士講の一歩に星を近くする 風鈴を妻の吊るしし位置に吊る 香水の空瓶となりこの重さ 鬼灯の腹話術めく鳴り具合 輪唱のかたへの途切れ秋の蟬 今月の目次銀漢俳句会/10月号 銀漢の俳句伊藤伊那男
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「銀漢」の俳句 伊藤伊那男 句会の選句と結社誌の選句 句会では主宰が採ったのに、銀漢誌に投句したら採られなかった。何故か、と聞かれることがある。その答えは ①、投句した句の中にその句よりもよいものがあった。 ②、句会では採ったけれど、結社誌への投句では作者の名前が解っているので、その上で評価すると、あなたの作句レベルから見たら褒める句ではないよ、という二つがあり、多くの場合は②である。 そもそも句会は誰の句であるかが解らないことが前提で、そのために清記作業がある。もちろん長いこと句座を囲んでいると、きっとあの人の句だろうなと思う句もある。だがほとんどの場合は不明である。句会には何十年も句を作っているベテランもいれば、昨日今日入った初心者もいる。俳句という短詩型文芸は、17音しかないために、ビギナーズラックを呼び易いし、ベテランの失策もある。 句会指導者としては立場上、一定のレベルに達していると思われる句は、できるだけ採りこぼしがないように選ぶことを心懸けるものである。それが初心者の句であれば、類想であったとしても、それは必ず俳人の通る道程であり、褒める。ベテランであれば、内心、この人の句であれば褒めたくないな……と思う。 そのように、句会には誰の作か解らないまま選句するもの。一方結社誌の選句は、主宰対名前のはっきり解っている投句者との一対一の形での対決ということになり、おのずから選句基準は違ってくるのである。主宰は投句者の俳歴や歩んできた人生を思い浮かべ、作句レベルを熟慮した上で選句するということになる。以上が選句基準の一端である。 なお「星雲集」の巻頭作品を含めトップ15人の選句について付言しておく。例えば投句中に群を抜いた秀句があったとする。ただし他の句が駄目であれば選抜者の中には入れないのである。選者から見るとまだまだ不安定で安心できないからである。掲載する4句の粒がそこそこ揃っていなければならない。それも数か月はそういう打率の良い状態が続いているかどうかが大切な判断基準である。相撲の昇進基準のようなものが胸の中にあるのだ。休まずこつこつ打率を上げていくことが必要である。そしてその中にぴかりと光る注目句が出たときが「巻頭」ということになる。 |
菊供養は浅草寺の行事。もとは旧暦9月9日の重陽の日であったが、今は10月18日に行われる。参詣者は境内の出店で菊の一枝を求め、仏前に供えるが、既に供えられている菊と取り替えて持ち帰る。陰干しにして枕に入れると病気を免れ、長寿を保つという。空気が乾いている季節にて大香炉の線香はすぐに炎え立つ。太々とした「泥線香」に目を付けたのが手柄。「風」30周年記念会の実行委員長として連中を案内した折の作品である。 (昭和51年作『板谷峠』所収) |
「風鈴の舌」、というのは風の抵抗を呼ぶための短冊のことである。風鈴は風の向き、風の強さによっておのずから音色は全部違う。作者はそれを聞き分けているのだ。「千転の音色」の把握がいい。だが、この句を見て俳人であればすぐに思い浮かぶのは芭蕉の言葉「舌頭千転」である。何度も何度も自分の句を声に出して読んで推敲を重ねよ、という教えである。そうしたことに読み手の想像を誘う点もこの句の面白いところだ。 |
ああ、確かに。そういえば鶉の卵は見るけれど、鶉を見た記憶はほとんど無いな、と思う。以前皇居の藪の中にずんぐりした茶色の鳥がいて、もしかしたら鶉か、と同行者と話したが不確かである。そう言われてみれば、鶉の卵ほどその親に似た形の卵はないのではないか、いやいや鶏卵とも形は同じであって、親が卵に似ているのだ、などと思い浮かべるのである。次に焼鳥屋で鶉を食べる時にもう一度考えてみよう。 |
物語性のある句だ。俳句と言う一行詩で家の歴史、母の一代記を語り切っている。母が家業の雑貨店を切り盛りして家計を支えたというのであろう。だがそれも時流の変化で母一代で終る。「水を打つ」という行為で、店を大事にし、客を大事にした律義な女性像が浮かび上ってくるようである。 |
「姦しい」とはなかなか凄い文字である。女が三人寄ればもう収拾のつかないうるささだということである。まあそれは当り前のこととして、この句のユニークなところは香水の香の姦しさを詠んだところである。様々な香水の香が入り混ってもはや収拾がつかない同窓会場である。 |
日が落ちる寸前、太陽は大きく見える。路地に吊った金魚玉を入日が照らすと、何だか金魚玉まで膨らんでくるようにも感じられてくるのである。「細路地」だからこそ、その感覚が強まるのである。 |
回り灯籠のことで、同じ模様を繰り返す。「思い出が走馬灯のように浮かぶ」という慣用語がある。句ではその思い出もまた遥かに遠いできごとになったものだ------と感慨を新たにするのである。 |
神鶏も長梅雨にうんざり。湿った鶏冠(とさか)を乾かすのだ。 |
読みかけの本。そのあとを紙魚が読み継ぐように齧る。 |
シャンプーの泡で憂いも洗い去る。憂さ晴しの一策か. |
昆虫の標本造りの毒瓶。死後毒瓶を残したのが凄い。 |
蜀黍(もろこし)と読んで、高粱(こうりゃん)のことであろう。「葉擦れの郷」がいい。 |
お祓いの間の扇風機も頭を下げているようだ、と。 |
青海波は波形を描いた文様。見立ての面白さである。 |
昔の運動会を思い出す。村中総出の行楽の一日。 |
正体不明の親戚のお爺さん。おかしくて不思議な句だ。 |
いいね、こんな温泉宿で糊の効いた浴衣を着てみたい。 |
散ることも閉じることもない水中花。「知らぬまま」がいい。 |
「巻き強き」で一揆の歴史を強調した。 |
放ったらかしの庭をようやく手入れ。「軽くせり」が手柄。 |
伊藤伊那男
植え終ったあとの早苗は束にして田の隅などに置かれる。今は減反政策などで空いた部分にぽつんと放っておかれたりしている。しばらくの間は補植などのために有用だがあとは黄ばんでいく。この句、ポンと投げられた余り苗の束が「句点」のようであった、と言う。句点とは「。」。確かに-------一仕事終ったあとの切れ目。見立てのうまさ。 |
江の島の固有名詞が効いている。江戸時代から信仰と行楽で人を集めた島で、今も昼夜賑っている。鎌倉の高台から遠望すると暗くなった海に島の影が解るほどの灯火がまたたいている。その灯を「涼しい」と見たところが何とも爽快である。湘南の一景を捉えて出色。 |
東北の山奥などを訪ねると、先代あたりまでマタギであったなどという家が民宿になっていたりする。村田銃は日本で最初の国産制式銃で、日清戦争で使われた。その後狩猟などにも使われたのであろう。岩魚を焼く囲炉裏の梁に掛けてあったのであろう。がっちりと物だけを詠み切った写生句で、自分の感情など一切排除したところに厳然たる凄味が出てくるのである。 |
「安居」は仏教用語。万物が繁茂する梅雨時、生成を妨げたり殺生をしないよう、外に出ないという釈迦の教えである。この句は少し解り難いところがあるが、禅宗の寺で、座禅堂で警策の鳴る風景なのであろう。夏安居の最中なので、なおさら丁寧に座禅を組み、厳しく警策が鳴り響くのだ。そこを「ねんごろに叩きをかくる」と若干のユーモアを混じえて軽妙に捉えたのである。 |
水中花は一瞬にして開き、水さえ替えれば衰えることもなく、いつまでも咲き続ける。夏の百日を全く変化しない様子を「百日の黙」と捉えたのは実にうまいところである。 もだ「黙」には何もしないでぼんやりしている、という意味合いも持つ。 |
栓抜きに目を当てたのがいい。なかなか人が詠めないで見過ごしていたものだ。ビール会社などが販売促進用に出すメッキの栓抜きだが、潮風の当る海の家で、ひっきりなしに使うので一夏の内に傷み、錆びも兆すのであろう。それも一つ二つではなく全部。こういう細かなところに目の届いた観察眼を評価したい。
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「逢魔が時」は大禍時の転。平安時代などは真実恐れられた時間帯である。こんな時に茅の輪をくぐるのは、やはり今でも怖そうだ。知らない世界に引き込まれてしまう、その異界の入口のように見えてくる。「ぽつかりと」という俗語が実に効果を発揮しているのだ。 |
久し振りに子供などを連れて実家に戻ったのであろう。祭の夜繁華街を歩いていると呼び止められる。それも母の名前で------。いつの間にか雰囲気も体型も母に似てきているのである。私も同窓会誌で一卵性親子と書かれたほど父と似ていたようだ。 |
酒の肴で何が好きか、と問われたら一番に鮒鮓を挙げる私なので、これはもう手離しで取り上げる句である。近江の国は私にとっては、時が停止しているような感覚を持つ土地である。時間の流れが緩やかなのである。歴史が息付いていて、交通も不便。稲作文化と共に入った鮒鮓という高度な料理がちゃんと生き残っているのが嬉しい。 |
金魚売の句で珍しいところを詠んでいる。昼下りの最も暑い時間、人通りも少ないのだ。思い荷を持った金魚売も一休みといったところであろう。売声も間遠に------。 「午後のひま」の措辞はその雰囲気を一言で捉えて見事。 |
その他印象深かった句を次に
お田植神事の一場面なのであろう。早乙女や観客なども揃い、田搔牛の役割を貰った斎牛も緊張してしまい、田に入るのをためらっている。その一瞬を詠み取ったところがいい。実際に見なければ作れないタイプの句で、足で稼いだな、という実感がある。同時出句の〈形代の数多の息に風立てり〉は心象風景だが、これもいい。 |
「縮」は手間のかかる着物だけに高価。日常的に着るものではなく、何かの行事の折に着るのであろう。着付けを終って、さてこの前着たのはいつであったか、その前は‥‥としばし思い出に耽るのである。句からは人生の襞のようなものが浮かび上ってくるようである。 |
音楽に疎いので辞書を引いてみた。「小節線」とは、楽譜で小節を区分する縦線、とある。その線に区切られた中にほとんど音符が入っていないという。そこを「余白」と詠み、「涼しい」と感じた。ほとんどの人の頭の中に無かった独自の鋭い感覚である。同時出句の〈ともかくも踏ん張つてゐるあめんぼう〉も滑稽感を伴った秀逸。
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人事句として面白い句だ。端居をしていながらも、自分の知らない話や、自分の悪口でも言っているのではないか、と聞き耳を立てている。いかにもこんなお婆さんがいそうである。これも活力のある証できっとまだまだ長生きをするのである。「端居」の「端」が効いている。 |
冷奴の「奴」は仲間(ちゅうげん)が四角い紋をつけていたから、という説と、「冷っこい」が転訛したという説があるが、ともかく四角くなくてはいけない。年を経て人間も丸くなってきたが、冷奴はやっぱり角がなくっちゃ‥‥と、面白く詠んだ句。ちなみに作者は「角(すみ)」さん。同時出句の〈ソーダ水互ひに時を余しけり〉もソーダ水を挟んだ所在無さが出ていて楽しい。すっかり泡は消えてしまうのだ。
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不器用な泳ぎを見せる出目金だけに納得のいく句である。「ごつん」の擬音が効果的で独自の表現である。同時出句の〈ワイパーのごしごし梅雨を削りけり〉も、この人でなければ出てこない表現。また〈目覚むれば大野となりぬ夏座敷〉も、夏座敷が大野になったという型破りの発想である。 |
「落し文」は俳人の心をくすぐる季語だ。色々と想像をふくらませたくなるからである。この句は、うっかり者の使者が落したと見た。同時出句に〈中身なく風に転がる落し文〉〈恋文も数打てばとて落し文〉があり、このように同じ題で想像が飛んでゆくというのは技倆である。 |
日野草城に〈ところてん煙のごとく沈みをり〉があるが、煙のごとく不確かで、だが箸で取り上げてみれば確かな存在。そんな、ところてんというものの特徴をよく見ているのである。同時出句の〈胡瓜きざむ音に目醒めし父母の家〉も久々帰省した生家のやすらぎを思う。 |
夕方の凪の中、迎火を焚くと、炎がゆらめく。それをきっかけに風が出てきたようである。句はそこまでしか言っていないが、その風に乗って先祖が戻ってくるのである。同時出句の〈風鈴の音につながる路地と路地〉も一読鮮明な風景が浮かび上る、感覚のいい句だ。 |
夏休みに入る節目に鰻重を注文するのだが、待て待て、あの成績はひどすぎる。お前だけは、松竹梅の梅!それでも幸せだと思え――といったところであろうか。何だか自分の昔を思い出すような、滑稽と悲しみと。 その他印象深かった句を次に |
回想―句集『知命なほ』の時代5 伊藤伊那男 私が大腸癌の手術を終えて2年ほど経った頃、妻が乳癌の診断を受けた。癌については夫婦で色々な本を読んでいたこともあり、慶應病院の放射線科医、近藤誠先生の門を叩いた。先生は早くから温存療法を提唱しており、癌に対する考え方も大学病院の方針とは違っていたことから、先生に頼る患者の手術は外部で執刀ということになる。ほとんどが鎌倉市の大船中央病院の雨宮先生にお願いすることになる。 妻の手術は一口に言えば患部のくり抜き手術で、あとは縫うこともなく、絆創膏を貼って「はいおしまい」というようなものであった。ただし妻の場合は5年以内に25%位が再発するグループに入っており、抗癌剤を使うことによって18%位に抑えられるという。そんな手術を終えて定期的に慶應病院、大船中央病院へ通うという日々であった。ところがその5年を迎える少し前に肺への転移が確認されたのである。ただ、すぐに弱るわけではなく、精神的苦痛はさておいて、普通の日常生活であった。数年後、肺に水が溜るようになり、転移は進行していく。その最後の一、二年の間も私と京都、四国、九州、信州などの旅をしたし、長女一家とは沖縄やハワイのリゾートに行ったし、従姉妹とイタリア旅行にも行っていた。54歳の秋、近藤先生の診察室に私と娘2人も同行して所見を聞いた。余命3ヶ月、治療の手立ては無い、ということであった。暗澹たる気持で帰路についたが、一番落ち着いていたのは妻であったかもしれない。治療方法はない、と言われても何もしないというわけにはいかない。奇跡を願いたいのである。娘2人と色々と調べて、都内某病院で行っている高温治療を受けてみることとした。これは、癌細胞は高熱に弱いといわれていることから、カプセルの中で体温を徐々に上げていき、40度とか41度とかの状態をしばらく保ち、癌細胞を死滅させるという治療である。これを3回ほど受けたが、高熱の中に入るので体力の消耗が大きく、結局ほとんど効果は見られないとの結果に終った。極めて高額の治療費であった。それではそのまま手を拱くかというと、それにはまた耐えられない。今度は知人の紹介で、高知県土佐清水の漢方系の医師を頼ることになった。ものすごく人気のある医師で、月に一、二度新横浜駅近くのビルに来て問診をするのだが、長蛇の列で、午後5時頃を指定されて行ったのだが、先生と面談できたのは午後8時過ぎであった。(この項続く) 平成十二年 冷奴妻の小言にいつか馴れ
蟇つちくれとなる動かねば 逡巡のあとありありとなめくぢり 東京にづかづかと夏来りけり はやばやと蠅捕リボン父の部屋 屑金魚水ごと汲まれ売られけり 端居してしみじみと世の端にをり 埋火とならむ雨夜の蛍火は 伸びきつてでで虫の角透きとほる 子別れの鴉のこゑを夜更けまで 平成十二年 形代の揉み合うてゐる淀かな
町中が爪先立ちに阿波踊 朝顔の枯れ枯れとなほ咲きつげり 捕物めく自然薯掘りの道具立て 火事見舞とて藁苞の生卵 裏畑をいま鎌鼬とほりしと 湯豆腐や清濁の濁増やしつつ マスクして世事遠くする思ひかな 日溜りに溺るるさまの冬の蝶 満開といふさびしさの枇杷の花 |
6月 6月29日(日) 雷雨の中、17時、赤坂「うち田」。大野田好記君の紹介の店で今夏3回目。家族及びその学校仲間で大人8人、子供8人貸し切り。好記君、子供達が飽きないようお絵描き帖やトランプなど用意してくれる。鱧料理。酩酊。帰宅してバタン。 7月 7月1日(火) 6月の月次表作成。彗星集選評など。店、やはり閑散。阪西敦子さん今日から青山勤務と。七夕短冊の飾り付け。 〈涸らび初む笹も笹竹売りの声も〉 新潟の阿部静雄氏(角川賞作家)より電話あり、新潟日報連載の私の食物エッセイ楽しいと。 7月2日(水) 坪田明氏より、今年また、さくらんぼ到来。超弩級というべき凄さ。他のさくらんぼと並べると横綱と幕下。15時半、オリックス時代の上司、中野さん店へ。鎌倉「和賀江」の会員。入沢、矢野春行子さんグループ。発行所「きさらぎ句会」9人。「宙句会」あと7人来てシャンパンで早めの私の誕生日祝ってくれる。「はてな句会」あと岸本尚毅、敦子、文子さんなど。対馬康子さん、若手俳人4人。……厨房忙しく挨拶できず。皆川文弘さん会社の同僚と。野村證券北京にいた川畑保さん、野村土地建物の加藤さん他と。川畑さんようやく「銀漢」入会。加藤さんは昨日来ていた中村宗男さんと同期と。伊那北高校後輩で野村総研の有賀さん、「宙句会」に2回出て今日入会。武田編集長に8月号の原稿渡す。これで全部。 7月4日(金) 「大倉句会」あと11名。清人さん酒。羽久衣さん特級のさくらんぼ。遠藤さん米沢の焼豚どかんと。岬さん枝豆山ほど……。豊穣な持ち込みの品々。店用のズボン、桃子がユニクロに買いに行ってくれる。「股下67センチて本当?正明は78センチなんだけれど」と問い合わせの電話あり。「ホント……」(股丈の好みもあろうが……)。 7月5日(土) 「銀漢亭Oh!納涼句会129名。半分以上が他結社の俳人というところが面白い。兼題五句でスタートし、3句出しの席題句会を2回。シャンパンで乾杯。清人さん鮪の刺身、焼きそばを。幹事の朽木直さん腰痛を押して仕切ってくれる。一斗さん補助。あと10人程で「もちぶたや」。 7月6日(日) 午後、中野サンプラザにて「春耕同人句会」。季刊「詩歌句」(北溟社)へ十句とエッセイ。「俳句」9月号に若井新一句集『雲形』の一句鑑賞文送る。 7月7日(月) 65歳誕生日。またもや雨の七夕。誕生日とて洋酔さんはじめ仲間が集まって、シャンパンやケーキで祝ってくれる。「俳句界」の七夕の集いのあとの水内慶太、加茂一行、祐森水香、山田真砂年さん寄ってくれる。発行所は「かさゝぎ俳句勉強会」、あと12名来店。などなど賑やか。 7月8日(火) 返信の手紙、礼状など雑務で昼まで。店「火の会」広渡詩乃(朝)、卓田謙一(りいの)、飯田冬眞(未来図)、太田うさぎ、今井肖子(ホトトギス)、佐怒賀直美(風の道)、峯文世(銀化)、阪西敦子(ホトトギス)、梅田津(銀化)、入れ替わりはあったものの10年近くなるので今後どうするかを問う。全員、継続希望。改善案出し合う。朝妻力さんより電話。本日、東吉野「天好園」にて故藤本安騎生氏を偲ぶ会。ちょうど新潟の友人が送ってきた私の食物エッセイの蝮酒の話で安騎生氏を語っていたので会で披露したと。「運河」編集長・谷口智行氏と電話替わり、同誌に転載したいと。もちろんOK。嬉しいこと。 7月9日(水) 沖縄は台風で大荒れと。午前中、平成俳壇の選句など。「梶の葉句会」選句へ。店、閑散。 7月10日(木) 平成俳壇仕上げ発送。やれやれ……。店、宮澤、伊勢神宮の河合禰宜他と。河合氏、文化部長、「神宮徴古館・農業館」館長に栄転。購読会費払って下さる。台風の影響で客少なし。台風は予報外に静か。虎ノ門ヒルズに吟行したという、うさぎさん他6人程がなだれ込む。 7月12日(土) 10時より運営委員会。13時より「銀漢本部句会」57人。あと「随一望」にて親睦会。武田編集長の誕生日に当たったので幹事がバースデーケーキを用意。 7月13日(日) 終日家。休養日。やや疲れがたまっていたか。川村悦子(妻の従姉妹、画家)の展覧会行けず。上京中の悦子に電話で詫びる。一家で夕食。莉子の友達二人泊まり。学校はもう夏休みである。 7月14日(月) 暑い。家族はディズニーランドへ。店閑散。祐介、朝ギックリ腰とて急遽、いづみさん登板。閑散。 7月15日(火) 祐介まだ駄目。今日は小石さん、明日は初子さんに代打を頼み込む。禪次、直、硯児さんなど。「秋麗」藤田直子さん他6名、句会の帰路と。てる緒さんバニラと。太った! 7月16日(水) 閑散。森濱、皆川文弘、酔馬さんと書道の宗介先生、「三水会」の日を間違えた上羽場君。硯児さん会社の女性と。俳句へ誘導中。 7月17日(木) 17時、「爽樹」の方々、小山徳夫氏から川口襄氏へ代表交替の会、13人。「銀漢句会」あとの親睦会18人。新潟日報の大日方氏と友人、などなど。祇園祭に行った洋酔さんから千本釈迦堂のぼけ封じのお守り、他の方からもお土産。 7月18日(金) 洋酔さん第二句集の跋文、谷岡健彦氏の第一句集の序文、校正稿届く。店、「蔦句会」あとの暑気払いに8人。他は閑散。9時半に閉めて洋酔、健彦氏他と餃子屋。零時前帰 宅は久々のこと。 7月19日(土) 昼、銀座壱番館ビル「思文閣ギャラリー」。川村悦子「連×聯」展を見る。日本橋にてたまたま「春耕」棚山主宰と行き会う。あと日本橋「与志喜」にて「纏句会」。久々、好成績。あと、冬瓜と海老のくずあん、鰯煮付。題の鱚の天ぷら。酒は播州の酒。追加で山口の「東洋美人」。握り。あと渋谷に出て「鳥竹」にて鰻の串など。もう一軒廻り、その間、エッセイの下書き二本。ただし酔っている。経堂駅で祭囃子を耳にして下車。「経堂まつり」で阿波踊りの行列の最中。若者の踊り手が健気で上手でふと涙ぐむ。ああ、酔っている。 |