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 10月号  2014年

伊藤伊那男作品 銀漢今月の目次 銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句  彗星集作品抄  
  彗星集選評  銀河集・作品抄 綺羅星集・作品抄 銀河集・綺羅星今月の秀句 星雲集・作品抄    星雲集・今月の秀句  伊那男・俳句を読む 銀漢の絵はがき 掲示板 鳥の歳時記 
 銀漢日録 今月の写真


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伊藤伊那男作品

主宰の八句

香水       伊藤伊那男

鎌倉も谷戸の奥なる半夏雨
曲るとき片身を浮かせ大百足虫
胸奥の闇深ければ夜鷹鳴く
富士講の一歩に星を近くする
風鈴を妻の吊るしし位置に吊る
香水の空瓶となりこの重さ
鬼灯の腹話術めく鳴り具合
輪唱のかたへの途切れ秋の蟬




        

        
             




今月の目次






銀漢俳句会/10月号










   




銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

「銀漢」の俳句       伊藤伊那男

句会の選句と結社誌の選句

 句会では主宰が採ったのに、銀漢誌に投句したら採られなかった。何故か、と聞かれることがある。その答えは
①、投句した句の中にその句よりもよいものがあった。
②、句会では採ったけれど、結社誌への投句では作者の名前が解っているので、その上で評価すると、あなたの作句レベルから見たら褒める句ではないよ、という二つがあり、多くの場合は②である。
 そもそも句会は誰の句であるかが解らないことが前提で、そのために清記作業がある。もちろん長いこと句座を囲んでいると、きっとあの人の句だろうなと思う句もある。だがほとんどの場合は不明である。句会には何十年も句を作っているベテランもいれば、昨日今日入った初心者もいる。俳句という短詩型文芸は、17音しかないために、ビギナーズラックを呼び易いし、ベテランの失策もある。
 句会指導者としては立場上、一定のレベルに達していると思われる句は、できるだけ採りこぼしがないように選ぶことを心懸けるものである。それが初心者の句であれば、類想であったとしても、それは必ず俳人の通る道程であり、褒める。ベテランであれば、内心、この人の句であれば褒めたくないな……と思う。
 そのように、句会には誰の作か解らないまま選句するもの。一方結社誌の選句は、主宰対名前のはっきり解っている投句者との一対一の形での対決ということになり、おのずから選句基準は違ってくるのである。主宰は投句者の俳歴や歩んできた人生を思い浮かべ、作句レベルを熟慮した上で選句するということになる。以上が選句基準の一端である。
 なお「星雲集」の巻頭作品を含めトップ15人の選句について付言しておく。例えば投句中に群を抜いた秀句があったとする。ただし他の句が駄目であれば選抜者の中には入れないのである。選者から見るとまだまだ不安定で安心できないからである。掲載する4句の粒がそこそこ揃っていなければならない。それも数か月はそういう打率の良い状態が続いているかどうかが大切な判断基準である。相撲の昇進基準のようなものが胸の中にあるのだ。休まずこつこつ打率を上げていくことが必要である。そしてその中にぴかりと光る注目句が出たときが「巻頭」ということになる。








       



 



  

盤水俳句・月の一句

伊藤伊那男


菊供養泥線香のすぐ炎ゆる      皆川 盤水

菊供養は浅草寺の行事。もとは旧暦9月9日の重陽の日であったが、今は10月18日に行われる。参詣者は境内の出店で菊の一枝を求め、仏前に供えるが、既に供えられている菊と取り替えて持ち帰る。陰干しにして枕に入れると病気を免れ、長寿を保つという。空気が乾いている季節にて大香炉の線香はすぐに炎え立つ。太々とした「泥線香」に目を付けたのが手柄。「風」30周年記念会の実行委員長として連中を案内した折の作品である。
                            (昭和51年作『板谷峠』所収) 




 
                    
 



  
 


彗星集作品抄

伊藤伊那男選

彗星集秀句順位 10月号 平成26年

風鈴の舌千転の音色かな        堀江 美州
鶉鳴く身の形に似る卵産み       島谷 高水
水を打ち母一代の雑貨店        武井まゆみ
香水の香の姦しき同窓会        朽木 直
細路地に夕日ふくらむ金魚玉      飯田眞理子
振り返る来し方遠し走馬燈       權守 勝一
神鶏の鶏冠の湿り梅雨晴間       堀江 美州
読み止しを読みかじるかに紙魚の痕   山下 美佐
髪洗ふ憂ひの一つ泡に乗せ       渡辺 文子
毒瓶を書斎に残し逝きにけり      塚本 一夫
蜀黍の葉擦れの郷へ帰りなむ      宮内 孝子
神前に頭を垂るる扇風機        中島 凌雲
冷麦や笊に盛らるる青海波       本庄 康代
体育の日の号砲が村走る        松田 茂
家系図を少しはみ出す生身魂      松代 展枝
宿浴衣風の通ひ路そこここに      谷口いづみ
水中花散るも眠るも知らぬまま     伊藤 庄平
巻き強き一揆の道の落し文       松原八重子
庭師来て庭軽くせり梅雨晴間      鈴木てる緒



      
              


          









彗星集 選評 伊藤伊那男

       彗星集秀句 10月号 平成26年

風鈴の舌千転の音色かな        堀江 美州
「風鈴の舌」、というのは風の抵抗を呼ぶための短冊のことである。風鈴は風の向き、風の強さによっておのずから音色は全部違う。作者はそれを聞き分けているのだ。「千転の音色」の把握がいい。だが、この句を見て俳人であればすぐに思い浮かぶのは芭蕉の言葉「舌頭千転」である。何度も何度も自分の句を声に出して読んで推敲を重ねよ、という教えである。そうしたことに読み手の想像を誘う点もこの句の面白いところだ。
  
  
鶉鳴く身の形に似る卵産み       島谷 高水
ああ、確かに。そういえば鶉の卵は見るけれど、鶉を見た記憶はほとんど無いな、と思う。以前皇居の藪の中にずんぐりした茶色の鳥がいて、もしかしたら鶉か、と同行者と話したが不確かである。そう言われてみれば、鶉の卵ほどその親に似た形の卵はないのではないか、いやいや鶏卵とも形は同じであって、親が卵に似ているのだ、などと思い浮かべるのである。次に焼鳥屋で鶉を食べる時にもう一度考えてみよう。
 
  
水を打ち母一代の雑貨店        武井まゆみ
物語性のある句だ。俳句と言う一行詩で家の歴史、母の一代記を語り切っている。母が家業の雑貨店を切り盛りして家計を支えたというのであろう。だがそれも時流の変化で母一代で終る。「水を打つ」という行為で、店を大事にし、客を大事にした律義な女性像が浮かび上ってくるようである。

 
 香水の香の(かしま)しき同窓会       朽木 直
「姦しい」とはなかなか凄い文字である。女が三人寄ればもう収拾のつかないうるささだということである。まあそれは当り前のこととして、この句のユニークなところは香水の香の姦しさを詠んだところである。様々な香水の香が入り混ってもはや収拾がつかない同窓会場である。

  
細路地に夕日ふくらむ金魚玉      飯田眞理子
日が落ちる寸前、太陽は大きく見える。路地に吊った金魚玉を入日が照らすと、何だか金魚玉まで膨らんでくるようにも感じられてくるのである。「細路地」だからこそ、その感覚が強まるのである。
 
  
振り返る来し方遠し走馬燈       權守 勝一
回り灯籠のことで、同じ模様を繰り返す。「思い出が走馬灯のように浮かぶ」という慣用語がある。句ではその思い出もまた遥かに遠いできごとになったものだ------と感慨を新たにするのである。

 
 神鶏の鶏冠の湿り梅雨晴間      堀江 美州
神鶏も長梅雨にうんざり。湿った鶏冠(とさか)を乾かすのだ。
 
  
読み止しを読みかじるかに紙魚の痕   山下 美佐
読みかけの本。そのあとを紙魚が読み継ぐように齧る。
    

髪洗ふ憂ひの一つ泡に乗せ       渡辺 文子
シャンプーの泡で憂いも洗い去る。憂さ晴しの一策か.
 

  
毒瓶を書斎に残し逝きにけり      塚本 一夫
昆虫の標本造りの毒瓶。死後毒瓶を残したのが凄い。
 

 
蜀黍の葉擦れの郷へ帰りなむ      宮内 孝子
蜀黍(もろこし)と読んで、高粱(こうりゃん)のことであろう。「葉擦れの郷」がいい。
  

 
神前に頭を垂るる扇風機        中島 凌雲
お祓いの間の扇風機も頭を下げているようだ、と。
    

冷麦や笊に盛らるる青海波       夲庄 康代
青海波は波形を描いた文様。見立ての面白さである。


   
体育の日の号砲が村走る        松田 茂
昔の運動会を思い出す。村中総出の行楽の一日。
 

  
家系図を少しはみ出す生身魂      松代 展枝
正体不明の親戚のお爺さん。おかしくて不思議な句だ。


  
宿浴衣風の通ひ路そこここに      谷口いづみ
いいね、こんな温泉宿で糊の効いた浴衣を着てみたい。
   

水中花散るも眠るも知らぬまま     伊藤 庄平
散ることも閉じることもない水中花。「知らぬまま」がいい。
   

巻き強き一揆の道の落し文       松原八重子
「巻き強き」で一揆の歴史を強調した。
   
 
庭師来て庭軽くせり梅雨晴間       鈴木てる緒
放ったらかしの庭をようやく手入れ。「軽くせり」が手柄。
 

       
 
                     
  
                      
        







銀河集作品抄

伊藤伊那男選

夕日へと矢数を競ふ草矢の子     東京   飯田眞理子
水音も一品として夏料理       静岡   池田 華風
炎天下一峰ゆらぐ天城かな      静岡   唐沢 静男
火の山の息吹に応ふる鉄風鈴     群馬   柴山つぐ子
塔頭の影来て仕舞ふ梅筵       東京   杉阪 大和
見えてゐて梅雨の古墳の孤島めく   東京   武田 花果
梅雨滂沱のぼうの城の話など     東京   武田 禪次
寂々と通夜の風来る衣紋竹      愛知   萩原 空木
祝詞待つ弁財天の蚊を叩き水     東京   久重 凜子
川風をまづは窓より黴の宿      東京   松川 洋酔
四万六千日ですと高座より      東京   三代川次郎
地団駄を踏むにむかでの百の足冷し酒 埼玉   屋内 松山


            

       

               










綺羅星集作品抄

伊藤伊那男選 

余り苗句点のごとく置きにけり    東京  大溝 妙子
江の島の灯を遠くみる涼しさよ    神奈川 鏡山千恵子
祭衆の屈伸運動始まりぬ       東京  我部 敬子
トンネルの出口の丸き晩夏光     長野  北澤 一伯
菊坂や額紫陽花のたけくらべ     神奈川 こしだまほ
岩魚焼く壁に黒々村田銃       東京  島谷 高水
ねんごろに叩きをかくる安吾寺    静岡  杉本アツ子
咲ききつて百日の黙水中花      埼玉  多田 美記
心太水のかたちをつかむ箸      東京  田中 敬子
栓抜きのどれも傷みて海の家     神奈川 谷口いづみ
ぽつかりと逢魔が時の茅の輪かな   東京  塚本 一夫
母の名で呼び止めらるる祭の夜    東京  宮内 孝子
鮒鮓や時はゆつたり流れゐて     千葉  無聞 齋
金魚売り瞼の重き午後のひま     東京  村田 重子

母の暦は棚一列の香水瓶       東京  相田 惠子
風景の一点となる蝸牛        東京  有澤 志峯
香水の霧にまかれてしまひけり    東京  飯田 子貢
遠河鹿余り湯落す山の宿       静岡  五十嵐京子
月山の夜も生れ継ぐ夏の雲      埼玉  伊藤 庄平
白靴に来客を知りそつと入る     東京  伊藤 政三
梶の葉に生くる励まし教へられ    埼玉  梅沢 フミ
車座の芯に涼しき僧ひとり      神奈川 大野 里詩
初浴衣初志貫徹の老いし肩      東京  大山かげもと
針糸のするりと通る端居かな     東京  小川 夏葉
窓ゆらす涼風ありて祈りの堂     鹿児島 尾崎 尚子
六根のいよよ怪しき富士詣      埼玉  小野寺清人
疎開児にザリガニといふ無二の友   東京  影山 風子
海月浮く透ける命をやはらかく    和歌山 笠原 祐子
田の闇を銜へるごとく蟇の鳴く    愛媛  片山 一行
身ひとつの光陰の澱香水瓶      東京  桂 信子
蛍追ふ人もいつしか闇の中      長野  加藤 恵介
子の数ふ目高乱れてご破算に     東京  川島秋葉男
穴子飯ついでに寄りし芭蕉庵     東京  柊原 洋征
大夏野手書きのバスの時刻表     東京  朽木 直
まだ墨の乾かぬうちの落し文     東京  畔柳 海村
沖合の漁火ゆらぐ天の川       神奈川 權守 勝一
おさがりのすこし窮屈浮いて来い   長崎  坂口 晴子
山雨急蛍袋のうすあかり       千葉  佐々木節子
吹かれゆく雲の速さや稲の花     山口  笹園 春雀
夏布団積めば登る子崩るるまで    長野  三溝 恵子
蝙蝠や迎への母の割烹着       東京  島 織布
大奥のさながらの綺羅花菖蒲     東京  白濱 武子
函館港歩の上品な鷗かな       東京  新谷 房子
伸び代をまだ残したる今年竹     大阪  末永理恵子
長雨の日々のひと日に芒種かな    東京  鈴木てる緒
薬草を濃い目に煎じ半夏雨      東京  瀬戸 紀恵
風渡る丘の神事や夏袴        愛媛  高橋アケミ
ベランダに心干しをり梅雨晴間    東京  高橋 透水
黒南風や煙草に焦げし薄畳      東京  武井まゆみ
夏草のしげるがままにひとりかな   千葉  武田 千津
遠縁のタカラジェンヌやアマリリス  東京  多田 悦子
太平洋ひたすら踏んで立泳ぎ     東京  谷岡 健彦
禅刹に晩鐘の鳴る冷奴        東京  谷川佐和子
雹降るや静止画となる街景色     東京  坪井 研治
遠き日の歌ごゑ喫茶アマリリス    神奈川 中川冬紫子
夏空へ踏み出してゆく太鼓橋     大阪  中島 凌雲
父の忌を修す座敷や遠蛙       東京  中野 智子
香水瓶女の山河透きとほる      東京  中村 孝哲
京土産扇に洛中洛外図        茨城  中村 湖童
夏空のつと現れて坂の果つ      愛知  中村 紘子
一先づは安堵のカルテ半夏生     福岡  藤井 綋一
医通ひもどこか明るく半夏雨     東京  保谷 政孝
眼光のいよよ炯炯羽抜軍鶏      東京  堀内 清瀬
桑名へは七里の海路大南風      岐阜  堀江 美州
柵越ゆること諦めし羽抜鶏      パリ  堀切 克洋
屋上緑化猫の額ほどの夏野      埼玉  夲庄 康代
金継ぎの器も侘びて風炉名残     東京  松浦 宗克
冷し酒過去より未来語るべし     長野  松崎 正
あめんぼの足の置きたる水の窪    東京  松代 展枝
伊予に生れ四万十川を見ず遍路見ず  東京  村上 文惠
愛馬死すせめて手向けむ牧の百合   東京  村田 郁子
鶏小屋の隅から隅まで羽抜鶏     埼玉  森濱 直之
荒御魂鎮もる宮の木下闇       愛知  山口 輝久
無住寺の一杓を置く噴井かな     群馬  山田 礁
箱釣の片手に抱く袂かな       群馬  山田 鯉公
万緑や雲踏んで入る熊野みち     東京  山元 正規
風鈴のほどよく鳴れる夕心      千葉  吉沢美佐枝
名水のあふるる馬籠朴の花      神奈川 吉田千絵子
霊峰にはや沁みとほる蟬のこゑ    愛媛  脇 行雲
夏草の土塊あれば古墳とも      東京  渡辺 花穂





         
    









銀河集・綺羅星今月の秀句

  伊藤伊那男

余り苗句点のごとく置きにけり     大溝 妙子
植え終ったあとの早苗は束にして田の隅などに置かれる。今は減反政策などで空いた部分にぽつんと放っておかれたりしている。しばらくの間は補植などのために有用だがあとは黄ばんでいく。この句、ポンと投げられた余り苗の束が「句点」のようであった、と言う。句点とは「。」。確かに-------一仕事終ったあとの切れ目。見立てのうまさ。


江の島の灯を遠くみる涼しさよ     鏡山千恵子
江の島の固有名詞が効いている。江戸時代から信仰と行楽で人を集めた島で、今も昼夜賑っている。鎌倉の高台から遠望すると暗くなった海に島の影が解るほどの灯火がまたたいている。その灯を「涼しい」と見たところが何とも爽快である。湘南の一景を捉えて出色。

   

岩魚焼く壁に黒々村田銃        島谷 高水
東北の山奥などを訪ねると、先代あたりまでマタギであったなどという家が民宿になっていたりする。村田銃は日本で最初の国産制式銃で、日清戦争で使われた。その後狩猟などにも使われたのであろう。岩魚を焼く囲炉裏の梁に掛けてあったのであろう。がっちりと物だけを詠み切った写生句で、自分の感情など一切排除したところに厳然たる凄味が出てくるのである。

   

ねんごろに叩きをかくる安居寺     杉本アツ子
「安居」は仏教用語。万物が繁茂する梅雨時、生成を妨げたり殺生をしないよう、外に出ないという釈迦の教えである。この句は少し解り難いところがあるが、禅宗の寺で、座禅堂で警策の鳴る風景なのであろう。夏安居の最中なので、なおさら丁寧に座禅を組み、厳しく警策が鳴り響くのだ。そこを「ねんごろに叩きをかくる」と若干のユーモアを混じえて軽妙に捉えたのである。

 
  

咲ききつて百日の黙水中花       多田 美記
水中花は一瞬にして開き、水さえ替えれば衰えることもなく、いつまでも咲き続ける。夏の百日を全く変化しない様子を「百日の黙」と捉えたのは実にうまいところである。
もだ「黙」には何もしないでぼんやりしている、という意味合いも持つ。

 
 

栓抜きのどれも傷みて海の家      谷口いづみ
栓抜きに目を当てたのがいい。なかなか人が詠めないで見過ごしていたものだ。ビール会社などが販売促進用に出すメッキの栓抜きだが、潮風の当る海の家で、ひっきりなしに使うので一夏の内に傷み、錆びも兆すのであろう。それも一つ二つではなく全部。こういう細かなところに目の届いた観察眼を評価したい。

 
  

ぽつかりと逢魔が時の茅の輪かな    塚本 一夫 
「逢魔が時」は大禍時の転。平安時代などは真実恐れられた時間帯である。こんな時に茅の輪をくぐるのは、やはり今でも怖そうだ。知らない世界に引き込まれてしまう、その異界の入口のように見えてくる。「ぽつかりと」という俗語が実に効果を発揮しているのだ。


母の名でよび止めらるる祭の夜     宮内 孝子
久し振りに子供などを連れて実家に戻ったのであろう。祭の夜繁華街を歩いていると呼び止められる。それも母の名前で------。いつの間にか雰囲気も体型も母に似てきているのである。私も同窓会誌で一卵性親子と書かれたほど父と似ていたようだ。

   

鮒鮓や時はゆつたり流れゐて      無聞 齋 
酒の肴で何が好きか、と問われたら一番に鮒鮓を挙げる私なので、これはもう手離しで取り上げる句である。近江の国は私にとっては、時が停止しているような感覚を持つ土地である。時間の流れが緩やかなのである。歴史が息付いていて、交通も不便。稲作文化と共に入った鮒鮓という高度な料理がちゃんと生き残っているのが嬉しい。


金魚売り瞼の重き午後のひま      村田 重子
金魚売の句で珍しいところを詠んでいる。昼下りの最も暑い時間、人通りも少ないのだ。思い荷を持った金魚売も一休みといったところであろう。売声も間遠に------。
「午後のひま」の措辞はその雰囲気を一言で捉えて見事。


 その他印象深かった句を次に
  

火の山の息吹に応ふ鉄風鈴       柴山つぐ子
寂々と通夜の風来る衣紋竹       萩原 空木
衆の屈伸運動始まりぬ         我部 敬子
坂や額紫陽花のたけくらべ       こしだまほ
ンネルの出口の丸き晩夏光       北澤 一伯
心太水のかたちをつかむ箸       田中 敬子


             










        


           
 
 



 



星雲集作品抄

伊藤伊那男・選

斎牛の代搔きするをためらへり    兵庫   清水佳壽美
縮着てひととき過去に身を置きぬ   神奈川  曽谷 晴子
男運ひとつもなくて水中花      東京   森 羽久衣
涼しさや小節線にある余白    ニューヨーク 武田真理子
耳だけを澄まして端居してをりぬ   愛知   穴田ひろし
冷奴角の取れたる齢にも       東京   角 佐穂子
夜を照らし陰を騒がせ虫送り     東京   飯田 康酔
出目金の恋はごつんと頭から     千葉   土井 弘道
山道に粗忽な使者の落し文      神奈川  小坂 誠子
ふたしかなされどたしかなところてん 東京   小林 雅子
寄ればすぐ余生の話梅雨湿り     神奈川  多丸 朝子
迎火の風よぶごとくゆらめけり    東京   西原 舞
風鈴のすぐ庭風になじみけり     東京   沼田 有希
薬売り来てゐる軒の燕の巣      神奈川  原田さがみ
棚田植う大海原を眦に        石川   松原八重子
起立礼小学校の立葵         埼玉   志村 昌也
浴衣着て顔も和風になりにけり    東京   豊田 知子
早乙女の襷明るき御饌田かな     愛媛   藤田 孝俊
特上の鰻遠のく通知表        大阪   星野かづよ
状差しに大きな顔の団扇かな     埼玉   渡邊 勲

くるくると在りし日めくる走馬灯   東京   秋田 正美
香煙に香水混じる七回忌       神奈川  秋元 孝
真夜の雷吾を射すくむる如く鳴る   東京   浅見 雅江
暑気中り俄に家事のおろそかに    東京   荒木 万寿
星合や夜風になじむ袖袂       宮城   有賀 稲香
鎌研ぎの音ふと止みて栗の花     神奈川  有賀 理
白絣くつろぐ父の齢すぎ       愛媛   安藤 政隆
一つ食べ二つの笑窪さくらんぼ    東京   井川 敏夫
梅雨晴や車窓の運ぶ遠筑波      埼玉   池田 桐人
身を捻り結界にゐる蝸牛       東京   市毛 唯朗
したふ人亡き今夕の月見草      群馬   伊藤 菅乃
まほろばの里へ導け道をしへ     神奈川  伊東 岬
音全て吸ひ尽くしたる夏野かな    東京   今井 麦
五月雨の豪雨となりし峡の里     愛媛   岩本 昭三
夕風は夜風となりぬ星祭       東京   上田 裕
流すごと羅たたむ青畳        千葉   植竹 節子
筑波嶺に大虹かかる日暮かな     神奈川  上村健太郎
遠く病む子の形代も重ねけり     埼玉   大木 邦絵
麦酒乾し己ゆつくり立て直す     東京   大住 光汪
梅雨湿る波郷の町の銀座かな     東京   大西 酔馬
姥捨の田ごと田毎の梅雨の月     埼玉   大野田好記
駒草の花は馬面屈みみる       群馬   岡村妃呂子
木登りもやつと中程蝸牛       神奈川  尾崎 幹
雑草をむしるや庭の和むまで     京都   小沢 銈三
言ひ過ぎの言葉収むる晩夏かな    静岡   小野 無道
物干しの空手着夏の夜に挑む     東京   梶山かおり
炎天に硝子吹く午後川の町      東京   桂 説子
御下げ髪のはじける声やソーダ水   静岡   金井 硯児
空にして何やら空しソーダ水     神奈川  上條 雅
時計台花アカシアの香に満ちて    東京   亀田 正則
母の衣を夏の暖簾に風生まる     長野   唐沢 冬朱
夏蝶の高きを飛ばず草の影      神奈川  河村 啓
嵐去り色を極むる彼岸花       愛知   北浦 正弘
さばさばと羽抜鶏たり神の苑     神奈川  久坂衣里子
新池の主になりたる浮巣かな     愛媛   来嶋 清子
山椒の実を摘む指を棘が刺す     群馬   黒岩 章
黒南風や拾ふ松葉に海の冷え     愛知   黒岩 宏行
春暁に涅槃の父の姿あり       群馬   小林 尊子
芦の葉の湖水脈うつ芦の家      東京   斉藤 君子
黒塀に花のかんざし立葵       神奈川  阪井 忠太
銘仙の縦糸淡き夏ごろも       東京   佐々木終吉
煩悩を南部風鈴打ちひしぐ      群馬   佐藤 栄子
宿題を終へたる子らや百日草     群馬   佐藤かずえ
満願のお札納むる花南天       群馬   佐藤さゆり
鉾立の縄のにほひや雨あがり     静岡   澤入 夏帆
残暑なほ身内のほむらかきたてぬ   東京   島谷 操
滴りのとこしへにあれ杣の道     東京   須﨑 武雄
夕間暮れ会釈しあうて水を打つ    東京   鈴木 淳子
鰡跳ぬる羽田の潟にひとしきり    群馬   鈴木踏青子
親子して自転車磨く梅雨晴間     愛知   住山 春人
三線ひくおばあがひとり海の家    東京   田岡美也子
友来たるなじみの日傘さしながら   東京   髙橋 華子
山宿の天蓋として天の川       福島   髙橋 双葉
初恋は実らぬものよ佐千夫の忌    広島   竹本 治美
わが屋根を滑走路にし夏燕      三重   竹本 吉弘
問題もまづは片づき冷奴       東京   田中 寿徳
千鳥ヶ淵の桜吹雪を舟の中      神奈川  民永 君子
父の日や父の写真と向ひ合ふ     愛知   津田 卓
茹で上げて大笊大蛸大座り      東京   手嶋 惠子
梅の実を水につけ置く納屋の陰    埼玉   戸矢 一斗
夏足袋のながき一瞬能舞台      東京   中西 恒雄
文月の十日頃てふややを待つ     東京   中村 貞代
大渦の巴にたぎる出水川       埼玉   中村 宗男
街路樹の影くつきりと秋近し     神奈川  長濱 泰子
背負籠にあふるる程の夏蕨      群馬   鳴釜 和子
黒南風やごつごつ船出の呼子港    東京   萩野 清司
梅雨晴に水嵩みせて神田川      東京   長谷川千何子
くつたくを風に委ねて草を抜く    神奈川  花上 佐都
小さき刃のすべる夕さり鯵の腹    東京   福田 泉
霊地たる男鹿の御酒の暑気払ひ    東京   福永 新祇
万緑の中の植木屋もと部長      東京   福原 紀子
玄関に置物めける蟇二匹       東京   牧野 睦子
蘊蓄を語りて食す地蜂飯       東京   松田 茂
翠蔭にしばし憩ふも墓参かな     神奈川  松村 郁子
しをれつつ梔子の花なほ匂ふ     神奈川  宮本起代子
傾きの目立つ木道夏野行く      千葉   森崎 森平
語るたび母の人生走馬灯       長野   守屋 明
亡き母の膝掛温し仮寝する      東京   家治 祥夫
水の輪が一つ二つと夏落葉      群馬   山﨑ちづ子
背泳ぎをやめ青空にとどまりぬ    東京   山下 美佐
人の世は神の意のまま蝸牛      東京   結城 爽
香水瓶涸びしままの月日かな     神奈川  和歌山要子
輪踊りの人となりけり佐渡の旅    東京   渡辺 文子


      




 

  

         







星雲集 今月の秀句


伊藤伊那男

斎牛の代搔きするをためらへり      清水佳壽美
お田植神事の一場面なのであろう。早乙女や観客なども揃い、田搔牛の役割を貰った斎牛も緊張してしまい、田に入るのをためらっている。その一瞬を詠み取ったところがいい。実際に見なければ作れないタイプの句で、足で稼いだな、という実感がある。同時出句の〈形代の数多の息に風立てり〉は心象風景だが、これもいい。 


  

縮着てひととき過去に身を置きぬ    曽谷 晴子
「縮」は手間のかかる着物だけに高価。日常的に着るものではなく、何かの行事の折に着るのであろう。着付けを終って、さてこの前着たのはいつであったか、その前は‥‥としばし思い出に耽るのである。句からは人生の襞のようなものが浮かび上ってくるようである。

 

涼しさや小節線にある余白       武田真理子
音楽に疎いので辞書を引いてみた。「小節線」とは、楽譜で小節を区分する縦線、とある。その線に区切られた中にほとんど音符が入っていないという。そこを「余白」と詠み、「涼しい」と感じた。ほとんどの人の頭の中に無かった独自の鋭い感覚である。同時出句の〈ともかくも踏ん張つてゐるあめんぼう〉も滑稽感を伴った秀逸。

  

耳だけを澄まして端居してをりぬ    穴田ひろし
人事句として面白い句だ。端居をしていながらも、自分の知らない話や、自分の悪口でも言っているのではないか、と聞き耳を立てている。いかにもこんなお婆さんがいそうである。これも活力のある証できっとまだまだ長生きをするのである。「端居」の「端」が効いている。

 

冷奴角の取れたる齢にも        角 佐穂子
冷奴の「奴」は仲間(ちゅうげん)が四角い紋をつけていたから、という説と、「冷っこい」が転訛したという説があるが、ともかく四角くなくてはいけない。年を経て人間も丸くなってきたが、冷奴はやっぱり角がなくっちゃ‥‥と、面白く詠んだ句。ちなみに作者は「角(すみ)」さん。同時出句の〈ソーダ水互ひに時を余しけり〉もソーダ水を挟んだ所在無さが出ていて楽しい。すっかり泡は消えてしまうのだ。

  

出目金の恋はごつんと頭から      土井 弘道
不器用な泳ぎを見せる出目金だけに納得のいく句である。「ごつん」の擬音が効果的で独自の表現である。同時出句の〈ワイパーのごしごし梅雨を削りけり〉も、この人でなければ出てこない表現。また〈目覚むれば大野となりぬ夏座敷〉も、夏座敷が大野になったという型破りの発想である。

  

山道に粗忽な使者の落し文       小坂 誠子
「落し文」は俳人の心をくすぐる季語だ。色々と想像をふくらませたくなるからである。この句は、うっかり者の使者が落したと見た。同時出句に〈中身なく風に転がる落し文〉〈恋文も数打てばとて落し文〉があり、このように同じ題で想像が飛んでゆくというのは技倆である。

   

ふたしかなされどたしかなところてん  小林 雅子
日野草城に〈ところてん煙のごとく沈みをり〉があるが、煙のごとく不確かで、だが箸で取り上げてみれば確かな存在。そんな、ところてんというものの特徴をよく見ているのである。同時出句の〈胡瓜きざむ音に目醒めし父母の家〉も久々帰省した生家のやすらぎを思う。

 

迎火の風よぶごとくゆらめけり     西原 舞
夕方の凪の中、迎火を焚くと、炎がゆらめく。それをきっかけに風が出てきたようである。句はそこまでしか言っていないが、その風に乗って先祖が戻ってくるのである。同時出句の〈風鈴の音につながる路地と路地〉も一読鮮明な風景が浮かび上る、感覚のいい句だ。

 

 特上の鰻遠のく通知表        星野かづよ
夏休みに入る節目に鰻重を注文するのだが、待て待て、あの成績はひどすぎる。お前だけは、松竹梅の梅!それでも幸せだと思え――といったところであろうか。何だか自分の昔を思い出すような、滑稽と悲しみと。

                その他印象深かった句を次に

  

男運ひとつもなくて水中花       森羽 久衣
風鈴のすぐ庭風になじみけり      沼田 有希
薬売り来てゐる軒の燕の巣       原田さがみ
棚田植う大海原を眦に         松原八重子
状差しに大きな顔の団扇かな      渡邊 勲
早乙女の襷明るき御饌田かな      藤田 孝俊
浴衣着て顔も和風になりにけり     豊田 知子
起立礼小学校の立葵          志村 昌也


  

   




 




新連載 【伊那男俳句を読む】

 伊那男俳句を読む      伊藤伊那男
  


回想―句集『知命なほ』の時代5    伊藤伊那男

 私が大腸癌の手術を終えて2年ほど経った頃、妻が乳癌の診断を受けた。癌については夫婦で色々な本を読んでいたこともあり、慶應病院の放射線科医、近藤誠先生の門を叩いた。先生は早くから温存療法を提唱しており、癌に対する考え方も大学病院の方針とは違っていたことから、先生に頼る患者の手術は外部で執刀ということになる。ほとんどが鎌倉市の大船中央病院の雨宮先生にお願いすることになる。
妻の手術は一口に言えば患部のくり抜き手術で、あとは縫うこともなく、絆創膏を貼って「はいおしまい」というようなものであった。ただし妻の場合は5年以内に25%位が再発するグループに入っており、抗癌剤を使うことによって18%位に抑えられるという。そんな手術を終えて定期的に慶應病院、大船中央病院へ通うという日々であった。ところがその5年を迎える少し前に肺への転移が確認されたのである。ただ、すぐに弱るわけではなく、精神的苦痛はさておいて、普通の日常生活であった。数年後、肺に水が溜るようになり、転移は進行していく。その最後の一、二年の間も私と京都、四国、九州、信州などの旅をしたし、長女一家とは沖縄やハワイのリゾートに行ったし、従姉妹とイタリア旅行にも行っていた。54歳の秋、近藤先生の診察室に私と娘2人も同行して所見を聞いた。余命3ヶ月、治療の手立ては無い、ということであった。暗澹たる気持で帰路についたが、一番落ち着いていたのは妻であったかもしれない。治療方法はない、と言われても何もしないというわけにはいかない。奇跡を願いたいのである。娘2人と色々と調べて、都内某病院で行っている高温治療を受けてみることとした。これは、癌細胞は高熱に弱いといわれていることから、カプセルの中で体温を徐々に上げていき、40度とか41度とかの状態をしばらく保ち、癌細胞を死滅させるという治療である。これを3回ほど受けたが、高熱の中に入るので体力の消耗が大きく、結局ほとんど効果は見られないとの結果に終った。極めて高額の治療費であった。それではそのまま手を拱くかというと、それにはまた耐えられない。今度は知人の紹介で、高知県土佐清水の漢方系の医師を頼ることになった。ものすごく人気のある医師で、月に一、二度新横浜駅近くのビルに来て問診をするのだが、長蛇の列で、午後5時頃を指定されて行ったのだが、先生と面談できたのは午後8時過ぎであった。(この項続く)

  平成十二年
冷奴妻の小言にいつか馴れ
蟇つちくれとなる動かねば
逡巡のあとありありとなめくぢり
東京にづかづかと夏来りけり
はやばやと蠅捕リボン父の部屋
屑金魚水ごと汲まれ売られけり
端居してしみじみと世の端にをり
埋火とならむ雨夜の蛍火は
伸びきつてでで虫の角透きとほる
子別れの鴉のこゑを夜更けまで


  平成十二年
形代の揉み合うてゐる淀かな
町中が爪先立ちに阿波踊
朝顔の枯れ枯れとなほ咲きつげり
捕物めく自然薯掘りの道具立て
火事見舞とて藁苞の生卵
裏畑をいま鎌鼬とほりしと
湯豆腐や清濁の濁増やしつつ
マスクして世事遠くする思ひかな
日溜りに溺るるさまの冬の蝶
満開といふさびしさの枇杷の花

            
                      






        
 




 





銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。




  

 


       
    
     
     







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鳥の歳時記

    














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銀漢亭日録

伊藤伊那男

6月

 6月29日(日)
雷雨の中、17時、赤坂「うち田」。大野田好記君の紹介の店で今夏3回目。家族及びその学校仲間で大人8人、子供8人貸し切り。好記君、子供達が飽きないようお絵描き帖やトランプなど用意してくれる。鱧料理。酩酊。帰宅してバタン。


7月

 7月1日(火)
6月の月次表作成。彗星集選評など。店、やはり閑散。阪西敦子さん今日から青山勤務と。七夕短冊の飾り付け。
〈涸らび初む笹も笹竹売りの声も〉
新潟の阿部静雄氏(角川賞作家)より電話あり、新潟日報連載の私の食物エッセイ楽しいと。

 7月2日(水)
坪田明氏より、今年また、さくらんぼ到来。超弩級というべき凄さ。他のさくらんぼと並べると横綱と幕下。15時半、オリックス時代の上司、中野さん店へ。鎌倉「和賀江」の会員。入沢、矢野春行子さんグループ。発行所「きさらぎ句会」9人。「宙句会」あと7人来てシャンパンで早めの私の誕生日祝ってくれる。「はてな句会」あと岸本尚毅、敦子、文子さんなど。対馬康子さん、若手俳人4人。……厨房忙しく挨拶できず。皆川文弘さん会社の同僚と。野村證券北京にいた川畑保さん、野村土地建物の加藤さん他と。川畑さんようやく「銀漢」入会。加藤さんは昨日来ていた中村宗男さんと同期と。伊那北高校後輩で野村総研の有賀さん、「宙句会」に2回出て今日入会。武田編集長に8月号の原稿渡す。これで全部。

7月4日(金)
「大倉句会」あと11名。清人さん酒。羽久衣さん特級のさくらんぼ。遠藤さん米沢の焼豚どかんと。岬さん枝豆山ほど……。豊穣な持ち込みの品々。店用のズボン、桃子がユニクロに買いに行ってくれる。「股下67センチて本当?正明は78センチなんだけれど」と問い合わせの電話あり。「ホント……」(股丈の好みもあろうが……)。

7月5日(土)
「銀漢亭Oh!納涼句会129名。半分以上が他結社の俳人というところが面白い。兼題五句でスタートし、3句出しの席題句会を2回。シャンパンで乾杯。清人さん鮪の刺身、焼きそばを。幹事の朽木直さん腰痛を押して仕切ってくれる。一斗さん補助。あと10人程で「もちぶたや」。

7月6日(日)
午後、中野サンプラザにて「春耕同人句会」。季刊「詩歌句」(北溟社)へ十句とエッセイ。「俳句」9月号に若井新一句集『雲形』の一句鑑賞文送る。

 7月7日(月)
65歳誕生日。またもや雨の七夕。誕生日とて洋酔さんはじめ仲間が集まって、シャンパンやケーキで祝ってくれる。「俳句界」の七夕の集いのあとの水内慶太、加茂一行、祐森水香、山田真砂年さん寄ってくれる。発行所は「かさゝぎ俳句勉強会」、あと12名来店。などなど賑やか。

7月8日(火)
返信の手紙、礼状など雑務で昼まで。店「火の会」広渡詩乃(朝)、卓田謙一(りいの)、飯田冬眞(未来図)、太田うさぎ、今井肖子(ホトトギス)、佐怒賀直美(風の道)、峯文世(銀化)、阪西敦子(ホトトギス)、梅田津(銀化)、入れ替わりはあったものの10年近くなるので今後どうするかを問う。全員、継続希望。改善案出し合う。朝妻力さんより電話。本日、東吉野「天好園」にて故藤本安騎生氏を偲ぶ会。ちょうど新潟の友人が送ってきた私の食物エッセイの蝮酒の話で安騎生氏を語っていたので会で披露したと。「運河」編集長・谷口智行氏と電話替わり、同誌に転載したいと。もちろんOK。嬉しいこと。

7月9日(水)
沖縄は台風で大荒れと。午前中、平成俳壇の選句など。「梶の葉句会」選句へ。店、閑散。

 7月10日(木)
平成俳壇仕上げ発送。やれやれ……。店、宮澤、伊勢神宮の河合禰宜他と。河合氏、文化部長、「神宮徴古館・農業館」館長に栄転。購読会費払って下さる。台風の影響で客少なし。台風は予報外に静か。虎ノ門ヒルズに吟行したという、うさぎさん他6人程がなだれ込む。

 7月12日(土)
10時より運営委員会。13時より「銀漢本部句会」57人。あと「随一望」にて親睦会。武田編集長の誕生日に当たったので幹事がバースデーケーキを用意。

7月13日(日)
終日家。休養日。やや疲れがたまっていたか。川村悦子(妻の従姉妹、画家)の展覧会行けず。上京中の悦子に電話で詫びる。一家で夕食。莉子の友達二人泊まり。学校はもう夏休みである。

 7月14日(月)
暑い。家族はディズニーランドへ。店閑散。祐介、朝ギックリ腰とて急遽、いづみさん登板。閑散。

7月15日(火)
祐介まだ駄目。今日は小石さん、明日は初子さんに代打を頼み込む。禪次、直、硯児さんなど。「秋麗」藤田直子さん他6名、句会の帰路と。てる緒さんバニラと。太った!

 7月16日(水)
閑散。森濱、皆川文弘、酔馬さんと書道の宗介先生、「三水会」の日を間違えた上羽場君。硯児さん会社の女性と。俳句へ誘導中。


 7月17日(木)
17時、「爽樹」の方々、小山徳夫氏から川口襄氏へ代表交替の会、13人。「銀漢句会」あとの親睦会18人。新潟日報の大日方氏と友人、などなど。祇園祭に行った洋酔さんから千本釈迦堂のぼけ封じのお守り、他の方からもお土産。


 7月18日(金)
洋酔さん第二句集の跋文、谷岡健彦氏の第一句集の序文、校正稿届く。店、「蔦句会」あとの暑気払いに8人。他は閑散。9時半に閉めて洋酔、健彦氏他と餃子屋。零時前帰
宅は久々のこと。

 7月19日(土)
昼、銀座壱番館ビル「思文閣ギャラリー」。川村悦子「連×聯」展を見る。日本橋にてたまたま「春耕」棚山主宰と行き会う。あと日本橋「与志喜」にて「纏句会」。久々、好成績。あと、冬瓜と海老のくずあん、鰯煮付。題の鱚の天ぷら。酒は播州の酒。追加で山口の「東洋美人」。握り。あと渋谷に出て「鳥竹」にて鰻の串など。もう一軒廻り、その間、エッセイの下書き二本。ただし酔っている。経堂駅で祭囃子を耳にして下車。「経堂まつり」で阿波踊りの行列の最中。若者の踊り手が健気で上手でふと涙ぐむ。ああ、酔っている。



          
       



   
    







今月の季節の写真



2014年10月20日撮影  ねこじゃらし     HACHIOJI




花言葉     「遊び」「愛情」


写真は4~5日間隔で掲載しています。 

2014/10/20 更新


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