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 4月号  2024年



伊藤伊那男作品     銀漢今月の目次  銀漢の俳句 盤水俳句・今月の一句   
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銀漢季語別俳句集


伊藤伊那男作品


主宰の8句














       
             

                        

    

今月の目次










銀漢俳句会/2024/4月号





















   

 

銀漢の俳句 

伊藤伊那男 

◎渋谷の思い出
 渋谷の街の再開発が進み、山手線や東横線の付け替え工事なども最終局面を迎えたというので、テレビの映像だけではなく、その変貌ぶりをこの目で確かめておこうと、1月の某日に訪ねてみた。
   
馬多き渋谷の師走吾子と()つ  中村草田男

がある。昭和14年作、85年前の渋谷の風景である。
 私は昭和43年に上京したので、かれこれ東京生活は56年ほどとなる。渋谷は通学の乗換え駅であったので東京で最初に馴染んだ街である。既にして酒飲みであったから渋谷の街でもよく飲んだ。今では嘘のような話だが、若者で溢れる渋谷センター街を入ったすぐの所に木造二階建ての棟割長屋の酒場があった。気のいい女将さんがいて、18歳の私を常連扱いにしてくれて、ツケで飲ませてくれた。混み合うと2階に上がった。それも梯子を立て掛けただけの階段なので、四畳半ほどの床にぽっかりと穴が空いていて、焼鳥の煙がもうもうと上ってくる。二階の窓の手擦りに凭れてセンター街を見下ろしながら酒を飲んでいたのであった。他に当時は「コンパ」と呼ばれる酒造メーカー直営の洋酒バーが盛んであった。サントリーレッドとかジンとか、小売価格が500円位の酒瓶を1,000円でキープしてカウンターの中のお姉さんにカクテルを作って貰うのである。作り賃は50円。そんな所を徘徊していたのであった。その後も渋谷との付き合いは続き、色々な店に色々な思い出がある。
 そもそも渋谷は道玄坂と宮益坂が落ち込む谷底の街であり、地形としてははっきり言えば劣悪な土地柄である。底を流れる川が鉄分を含んで「シブ」色であったとか、しぼんだ谷だったとかが地名の由来だという説がある。高度経済成長期の頃は道玄坂の上から見下ろすとスモッグが谷底に沈殿していたものである。だが酒飲みというものは影のある街に愛着を持つ習性がある。棟割長屋の酒屋街では共同トイレに行くにはその都度鍵を借りていく。テーブルの端に時々ゴキブリの影を見たりする。水溜りにネオンが映る。そんな街がここにきて超近代都市に変貌を遂げたのである。
 人口減少が顕著な今、それにもかかわらず超高層ビルが次々に林立していく。建設コストは鰻登りのはずである。果たして需要が伴っていくのであろうか……。もう30年ほど前、歴史的痕跡として記憶されるバブル経済期、不動産融資会社の経営陣として見事に大型倒産をした身の上としては、四方を囲むビル群を眺めながら一抹の不安を覚えるのである。












 



  

盤水俳句・今月の一句

伊藤伊那男 

春行くと鶏鳴せつに応へ合ふ       皆川 盤水

鳥好きの先生には鶏の句も多い。全体的には〈寺の鶏雪崩の音にかたまれり〉などの自然詠が多いのだが、この句の鶏は、行く春を惜しむかのように鶏が鳴き合っている、というのであるから、かなり擬人的な描き方である。まるで鶏にも春愁の情があるかのようである。技法的には「鳴き合ふ」ではなく「応へ合ふ」で一層擬人化を強めており、加えて「せつに」の措辞で「物のあはれ」を強めているのである。
(平成二十二年作『凌雲』所収)






 




彗星集作品抄
  伊藤伊那男・選


 被災地へ毛糸編みませ千手仏         池田 桐人
 骨格をしかと見せをり冬の滝         本庄 康代
 若井汲む未だ明けやらぬ記紀の山       朽木  直
 鰭酒の咄に尾鰭ありさうな          中島 凌雲
 海鼠腸を逃がしてばかり象牙箸        坪井 研治
 指先のその先筑波冬霞            大野田井蛙
 初神楽はや降臨の見せ場かな         小山 蓮子
 竜の尾の高く跳ねたる吉書かな        有賀  理
 獅子舞の大口の闇こはがりぬ         大溝 妙子
 村眠るまぶたのごとく冬銀河         小野寺一砂
 冬さうび淡き日差しも離さざる        山元 正規
 凍瀧の全きは音失へり            坂口 晴子
 瞠目の火達磨転ぶどんど焼          白井八十八
 咲ききれずこぼす花片冬さうび        山元 正規
 先ぶれとして蠟梅の夜の香          こしだまほ
 降臨のごとく九輪へ初鴉           武田 禪次
 あやふやに囃して刻む七草粥         中村 湖童
 鉄橋の錆色の赤雪解川            森崎 森平
 寒牡丹鉄瓶かかる弥陀の寺          西田 鏡子
 予報では雪兎なら作れさう          坂下  昭
 
 











 
 







    
     

彗星集 選評 伊藤伊那男

伊藤伊那男・選

被災地へ毛糸編みませ千手仏        池田 桐人
私は基本的には時事俳句は作らないし、取ることも少ない。その理由は時事は一時の流行で、明日になればほとんど感動を呼ばない事が多いからである。俳句を作る以上悠久惟が欲しいと思うからで、でもそれは望み過ぎであるかもしれない。さてこの句、近事の地震や戦禍を意識した句である。句では千手観音にその千本の手で毛糸を編んで被災地へ届けてほしいと祈る。そこに古来から培われた深い祈りの心がある。「編みませ」の「ませ」は編んで戴きたい、という丁寧語でいい配置である。千手仏の斡旋に「真摯な滑稽感」があるところもよく、時が経っても褪せることの無い句になったと思う。


骨格をしかと見せをり冬の滝        本庄 康代
滝という水の流れに「骨格」を見たのが手柄である。もちろん岩を伝わって落ちるのでその骨格には岩の形状も含まれてはいる。しかし見えるものは水という衣服である。冬は水量が減るので尚更骨格は顕となる。凍滝ともなれば骨格標本である。冬滝に対峙して得た収穫の句となった。


若井汲む未だ明けやらぬ記紀の山      朽木  直

過去に詠まれた例があるかもしれない感じもするが、それでもいい。心に安らぎを与えてくれる、見飽きることのない日本画のような句である。西に生駒、葛城、金剛、二上山、東に若草、御蓋、三輪山、南に吉野から熊野へ続く記紀に詠まれた山々。その暁闇の中のどこかの神社で若水を汲む風景を見たのであろう。誰の目にも時空を超えた懐しい大和の風景が浮かぶ。


鰭酒の咄に尾鰭ありさうな         中島 凌雲

鰭酒は河豚の尾鰭を干し上げて、焙り、熱燗に入れたもの。若い頃大阪の料理屋で昼間戸板に貼り付けて干しているのを見て「さすが本場だな」と感心したものだ。「尾鰭ありさうな」と言うけれど、もともと目の前の酒の中に尾鰭が入っているのであり、この句の面白さはここにある。余談だが鰭酒の鰭は直火で、焦がし過ぎではないか、と思う位に焙るのがいい。香ばしい飴色の鰭酒が楽しめる。


海鼠腸を逃がしてばかり象牙箸       坪井 研治

食物の句があるとつい取ってしまうが、それはさておき海鼠腸(このわた)は海鼠(なまこ)の腸で塩辛にする。竹筒に入って売られ極めて高値。長いので鋏で切る。少量を口に含み酒を味わう。垂涎の酒肴で能登の特産品である。「逃がしてばかり」は摘まむときの実感。象牙の箸を出した特別感がいい。


指先のその先筑波冬霞           大野田井蛙
柴又の江戸川堤辺りから見る筑波山を思い出す。往時江戸の町からは良く見えた山で「初富士」と並んで「初筑波」の季語も生まれた。千米に満たぬ、富士山の四分の一弱の標高なのに堂々日本百名山に入っていることも立派である。「冬霞」の良く似合う山なのである。


初神楽はや降臨の見せ場かな        小山 蓮子
正月なので見せ場だけに省略したか。初神楽の一景。


竜の尾の高く跳ねたる吉書かな       有賀  理
書初の竜。正月らしい淑気のある句となった。


獅子舞の大口の闇こはがりぬ        大溝 妙子
子供の頃を思い出す。「大口の闇」の措辞の斡旋がいい。


村眠るまぶたのごとく冬銀河        小野寺一砂
村を被う冬銀河を「まぶたのごとく」と見た比喩がいい。


冬さうび淡き日差しも離さざる       山元 正規
冬薔薇の可憐な中のひたむきさをうまく捉えている。


凍瀧の全きは音失へり           坂口 晴子
氷り切った凍滝は当然無音だが、あえて言った凄味。


瞠目の火達磨転ぶどんど焼         白井八十八
両目が開いた達磨の焚上げ。開眼を瞠目とした面白さ。


咲ききれずこぼす花片冬さうび       山元 正規

苛酷な時期に咲く冬薔薇をよく観察している。


先ぶれとして蠟梅の夜の香         こしだまほ

冬に咲く蠟細工のような花。夜の香気で綺麗な仕上りに。


降臨のごとく九輪へ初鴉          武田 禪次

正月は鴉も神々しい。八咫烏が降り立ったようだと。


あやふやに囃して刻む七草粥        中村 湖童

薺打ちに唱える「唐土の鳥が……」。記憶はあやふや。


鉄橋の錆色の赤雪解川           森崎 森平

〈夏の河赤き鉄鎖のはし浸る 誓子〉の冬版。これも可。 


寒牡丹鉄瓶かかる弥陀の寺         西田 鏡子
失われていく日本の美しい風景。心安らぐ句である。


予報では雪兎なら作れさう         坂下  昭
やや言葉足らずだが、雪達磨は無理だが雪兎なら……と。


 










銀河集作品抄

伊藤伊那男・選

荒神の札の真下にかまど猫       東京  飯田眞理子
代々の遺影くもらせ薬喰        静岡  唐沢 静男
煤逃と申す旅なり出向きけり      群馬  柴山つぐ子
菊炭に火の移りゆく淑気かな      東京  杉阪 大和
寒鯉へ平等院の時止まる        東京  武田 花果
初鶏のはや鳥目どき布留の宮      東京  武田 禪次
鮟鱇のずるりと箱の四隅埋む      埼玉  多田 美記
波郷忌の額に置かるる掌        東京  谷岡 健彦
淡海の風すこし入れいさざ鍋      神奈川 谷口いづみ
家継げば家のしきたり年用意      長野  萩原 空木
あをぞらのあをの噓めく日向ぼこ    東京  堀切 克洋
御師村へなぞへの道の懸大根      東京  松川 洋酔
観音の手の平の煤払ひけり       東京  三代川次郎
















         





綺羅星集作品抄

伊藤伊那男・選

能登半島地震
ふるさとの崩るるままを初写真     東京   森 羽久衣
お元日はつかに届く能登の揺れ     東京   飛鳥  蘭
風垣に礫食ひこむ日本海        東京   岡城ひとみ
千枚田一枚ごとの冬日差        千葉   川島  紬
初戎
吉兆を肩にそぞろの祇園町       神奈川  三井 康有
鯛釣りしかに撓りたる戎笹       大阪   中島 凌雲
冬ぬくし近江の人に道問へば      茨城   中村 湖童
神鶏も塒に布留の暮早し        東京   朽木  直
乗り換へてまた富士拝む初電車     神奈川  こしだまほ
日捲りの最後の声や暦果つ       東京   有澤 志峯
故郷の山は動かず初明り        神奈川  有賀  理
滔々と小便小僧凍て知らず       埼玉   伊藤 庄平
雪吊を懐の片道切符冬銀河       東京   武井まゆみ
土手鍋の崩すためにと土手築く     千葉   園部あづき
雪吊りをして一層の松の見栄      埼玉   志村  昌
降り止まず十二月八日の木の葉     広島   長谷川明子
歌留多会小町式部を平手打ち      長野   坂下  昭

初鴉羽金剛に輝かせ          東京   飯田 子貢
出羽訛歳暮の礼の電話取る       山形   生田  武
観音の千手防げぬ隙間風        埼玉   池田 桐人
寒灯や硯の海にちりぢりに       東京   市川 蘆舟
帰るなり我に豆降る鬼は外       東京   伊藤  政
城ヶ島浦の底まで小春凪        神奈川  伊東  岬
咳の子の咳の合間に塗るクレヨン    東京   今井  麦
干し網と高さ競ふや花アロエ      埼玉   今村 昌史
知命なほ大盛に喰ふ夜鳴蕎麦      東京   上田  裕
満開の御籤の花や三が日        東京   宇志やまと
御下がりの大根いただく待乳山     埼玉   大澤 静子
アメ横を桂馬跳びして年詰まる     東京   大住 光汪
掘炬燵地図でアルプス縦走す      神奈川  大田 勝行
三列に家族の布団干し終へる      東京   大沼まり子
初泣きは村一番の優良児        神奈川  大野 里詩
大袈裟に受くるご祝儀獅子頭      埼玉   大野田井蛙
猪駆くるあとのしづけさ柳生道     東京   大溝 妙子
吐く息に胸共鳴す老の春        東京   大山かげもと
遠山の丈をしだるる餅花も       愛知   荻野ゆ佑子
明日帰京する身しばらく冬の海     宮城   小田島 渚
白波の沖へ沖へと干蕪         宮城   小野寺一砂
世継榾土間を引かれて来たりけり    埼玉   小野寺清人
詠み人の知れぬ恋歌冬ざくら      和歌山  笠原 祐子
日脚伸ぶ花屋に水の匂して       東京   梶山かおり
霊柩車速度を落とし冬の梅       愛媛   片山 一行
寒の内鼠色なる能登の空        静岡   金井 硯児
どんど場の跡の燻り夜更けまで     東京   我部 敬子
羽根つきの音の間合も古都らしく    東京   川島秋葉男
船出かと入船かとも宝船        神奈川  河村  啓
餅搗きの音の乱るる老夫婦       愛知   北浦 正弘
理科室の隅大寒のかたまれり      長野   北澤 一伯
偕老の薄味とする雑煮かな       東京   絹田  稜
仲見世てふるつぼに溶くる師走かな   東京   柊原 洋征
三山へ次つぎ掛かる時雨雲       東京   畔柳 海村
数へ日の一と日を父母の墓の前     東京   小泉 良子
毛布重く我の眠りに蓋をする      東京   小林 美樹
寒詣息と足音だけの夜         千葉   小森みゆき
白息や祈りに剝げし撫で仏       東京   小山 蓮子
一斉に口開け吊さる鮭の顔       宮城   齊藤 克之
寒風や津軽ことばの語尾飛んで     青森   榊 せい子
唐寺の春まつ百の朱蠟燭        長崎   坂口 晴子
冬の雲衣に見立て寝観音        群馬   佐藤 栄子
初夢の野良着の母のまぶしけり     群馬   佐藤かずえ
旧暦の井月日記読みはじめ       長野   三溝 恵子
小銭入ればかり膨らむ年の暮      広島   塩田佐喜子
初詣よろけるほどの二礼かな      東京   島  織布
萬両の萬の実に満つ未来かな      東京   島谷 高水
白光を重ぬる如きかぶら漬       兵庫   清水佳壽美
ぼろ市のドロップの缶振つてみる    東京   清水 史恵
数へ日の買ひそびれたる物いくつ    東京   清水美保子
積み上げてすぐに崩るる牡蠣の殻    千葉   白井 飛露
千年の王城鎮護初比叡         神奈川  白井八十八
僧四人でも重さうや鏡餅        東京   白濱 武子
国訛しよつぱい鮭の粕煮も出      東京   新谷 房子
一言で書けぬ一年年賀状        大阪   末永理恵子
破れたる障子の穴に小さき目      東京   鈴木 淳子
毛糸編む祈りのやうに背を丸め     東京   鈴木てる緒
単線の車輪響けり冬の谷        群馬   鈴木踏青子
雑煮椀夫婦好みを合はせ来て      東京   角 佐穂子
露の世に棲みて久しくなりにけり    神奈川  曽谷 晴子
死神に背を向けてゐる日向ぼこ     長野   髙橋 初風
凍滝に昇り切れない龍の跡       東京   高橋 透水
懐の片道切符冬銀河          東京   武井まゆみ 
着膨れて丸善に買ふモンブラン     東京   竹内 洋平
建て付けの悪さもよかれ白障子     神奈川  田嶋 壺中
大坂より待ち人来る近松忌       東京   多田 悦子
樏の一歩大地を叩くかに        東京   立崎ひかり
河豚鍋や国の話も具に加へ       東京   田中 敬子
ぶつ切りの寒鯉並ぶ信濃かな      東京   田中  道
目を細め春待つこけし並びたり     東京   田家 正好
代々の影鋤き込みし冬田打つ      東京   塚本 一夫
数へ日のまた一日が暮れにけり     東京   辻  隆夫
二度三度のちに止めの大嚔       ムンバイ 辻本 芙紗
討入の日や塩飴を懐に         東京   辻本 理恵   
ひしひしと時の足音年暮るる      愛知   津田  卓
極月となり神鶏の毬となる       東京   坪井 研治
風なきを賞め上州の御慶かな      埼玉   戸矢 一斗
父母にありし戦争掘り炬燵       千葉   長井  哲
煤はきや終の住処の壁の染み      東京   中込 精二
焼鳥の串の数とは業の数        大阪   中島 凌雲
龍の玉村の神童今いづこ        神奈川  中野 堯司
その名には似合はぬ声の都鳥      東京   中野 智子
冬蠅を打つて一茶の句に打たれ     東京   中村 孝哲
鰹節を叩き叩かせ年の市        埼玉   中村 宗男
枯蘆に潮の上げくる毛馬堤       東京   中村 藍人
ざざ虫も星の欠片も四手網       長野   中山  中
一人逝き一人加はり初写真       千葉   中山 桐里
御仏へはたきふはりと煤払       大阪   西田 鏡子
豆撒かず鬼と仲良く住む覚悟      東京   沼田 有希
なみなみと百一歳の年酒酌む      埼玉   萩原 陽里
内陣に雪の匂へる薬師堂        東京   橋野 幸彦
参道の小砂利の音や初詣        東京   長谷川千何子
後円の箒目著き年の暮         兵庫   播广 義春
天日にかざす扇や初神楽        埼玉   半田けい子
枯尾花直線だけで押し通す       埼玉   深津  博
喧騒は平和の証年の暮         東京   福永 新祇
幸ひが住むかも知れぬ山眠る      東京   福原  紅
風鐸の舌大揺れに年の市        東京   星野 淑子
年酒とてひと注ぎ受くる小盃      東京   保谷 政孝
鉄橋の汽笛短し冬銀河         岐阜   堀江 美州
初夢の記憶ひととこ脚色す       埼玉   本庄 康代
手に余る程の薬袋年の暮        東京   松浦 宗克
初髪の合せ鏡のあはひかな       東京   松代 展枝
辛抱のし甲斐てふもの寒の灸      神奈川  宮本起代子
冬桜帰らざる日のことばかり      東京   村田 郁子
妻でゐることの久しさ日記買ふ     東京   村田 重子
人生の上がりは何処絵双六       千葉   森崎 森平
寒鯉の尾の一振りの薄濁り       埼玉   森濱 直之
期待するほどは崩れず福笑       長野   守屋  明
青き火を洋酒に灯す降誕祭       東京   矢野 安美
つくばひの空をついばむ寒鴉      愛知   山口 輝久
俳友米寿
水色の生れたてなる氷柱かな      群馬   山﨑ちづ子
うちひさす宮人の今枯葦に       東京   山下 美佐
凍鶴の梵字のやうに二羽三羽      東京   山田  茜
山眠る寝息のやうに風の音       東京   山元 正規
灯の点り羽子板市の影ふくる      東京   渡辺 花穂
秋思とも終活ノート書き直す      埼玉   渡辺 志水








              





      






     





銀河集・綺羅星今月の秀句


伊藤伊那男・選

ふるさとの崩るるままを初写真      森 羽久衣
お元日はつかに届く能登の揺れ      飛鳥  蘭
初句の作者は能登羽咋の出身。能登地震のその日その時、正月休暇で実家に戻っていたという。初写真がまさに故郷の崩れる風景であったという残酷な状況である。ただし感情を抑えて冷静な目で現状把握をしているので句として成立しているのである。冷静なだけに悲しみは一層深い。後句はその日東京で体感した能登地震。日記に記すように淡々と詠んでいるが「はつかに」の措辞に、とんでもないことが起っているのではないかという不安と現地への思い遣りの気持が入り混じっているようだ。やはり俳句は事実や物を具体的に提示することで力を得るものだと思う。


風垣に礫食ひこむ日本海         岡城ひとみ
千枚田一枚ごとの冬日差         川島  紬
これらの句は直接今回の地震を詠んではいないけれど、能登地方への思いが深く潜んでいる句である。やはり感情を抑えて「物」に執着して詠んでいるからこその強さである。写生の眼に裏打ちされていることを称えたい。


吉兆を肩にそぞろの祇園町        三井 康有
鯛釣りしかに撓りたる戎笹        中島 凌雲


両句共関西の「十日戎」を詠んだ句で、関東人には解り難い句ということになる。副季語として「初戎」「戎笹」「福笹」「残り福」「吉兆」などがある。初句は京都の恵美須神社、後句は大阪の今宮戎の一景。東京の酉の市(熊手市)と似た行事である。両句からは何となく京都と大阪の気質の違いが滲み出ているように思う。


冬ぬくし近江の人に道問へば       中村 湖童
芭蕉の〈行く春を近江の人と惜しみける〉の本歌取りの句である。芭蕉句については「近江の人」の替りにたとえば「丹波の人」であってもいいじゃないか、という異論がある。ここが俳句という文芸形式の特殊なところで、やはり芭蕉という作者の名前が前書にあることが大事である。芭蕉の晩年は近江の弟子達、近江の風景が支えであった。だからこそ義仲寺への埋葬を指示したのである。芭蕉の作である限り、この句は「近江の人」以外には有り得ないのである。それが理解されているからこそ、掲出句の「冬ぬくし」が意味を持つのであり、また「道」も単なる道路だけを指しているわけでないことが解るのである。


神鶏も塒に布留の暮早し         朽木  直
奈良県天理市布留町にある石(いその)上(かみ)神宮(じんぐう)の嘱目である。山辺道が始まるこの神社は布(ふる)留(の)宮(みや)とも呼ばれる奈良でも有数の古社である。もともとは物部氏の氏神を祀り、武器庫でもあったと聞く。有名な七支刀も蔵されている。境内には色鮮やかな神鶏が闊歩しているが、この句では短日に早々と塒に入ったという。奈良の冬の抒情である。同時出句の〈七支刀も仕舞はれ布留の年用意〉〈うちひさす宮のいにしへ冬うらら〉も雅な味わいを持った句である。


乗り換へてまた富士拝む初電車      こしだまほ  
私も東京に暮らすようになって以来、富士山は心の山だなと思っている。晴れた日は私の町からも遠望できるし、新幹線で西に向かえば、富士山に会えるかどうか、とそわそわする。この句からも関東人の富士山愛が滲み出ているようだ。「乗り換へてまた」と富士山を探す姿勢が嬉しい。


日捲りの最後の声や暦果つ        有澤 志峯
「最後の声や」が独自の発想で、最後の一枚を破り取る音を擬人化した表現に無理が無い。


故郷の山は動かず初明り         有賀  理
「山は動かず」は当り前のことなのだが、これだけ堂々と断言されると諾う他は無い。「初明り」の効果か。


滔滔と小便小僧凍て知らず        伊藤 庄平
小便小僧の始まりは十七世紀のブリュッセルだという。浜松町駅には今も有るのか?実に不思議な発想の句だ。


懐の片道切符冬銀河           武井まゆみ
綺麗な作り方の句である。宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』を思い出す。「片道切符」で非現実の世界へ空間移動する。


土手鍋の崩すためにと土手築く      園部あづき
 土手鍋は牡蠣の味噌鍋。練味噌で鍋の縁を築きそれを崩しながら食す。食いしん坊でなければ作れない句。


雪吊りをして一層の松の見栄       志村  昌
雪吊りをすることによって松が一段と際立つと詠む。そのような視点で雪吊りを詠んだ句は珍しい。


降り止まず十二月八日の木の葉      長谷川明子
 言うまでもなく十二月八日は太平洋戦争の開戦日。歴史は繰り返すというが、句またがりの表現に不安が宿る、


歌留多会小町式部を平手打ち       坂下  昭
 小野小町、和泉式部、紫式部、小式部内侍という才女を次々に平手打ち。高度な遊びの句となった。






            









                






 

星雲集作品抄
伊藤伊那男・選

秀逸

晩年の粗方見えし初景色         栃木  たなかまさこ
(あざ)はもう書かぬ村なり初浅間      群馬  北川 京子
着ぶくれて達磨の如く動かざる     岐阜  鈴木 春水
溶けざると決め凍滝の頑に       静岡  橋本 光子
胸中の火種消さむと寝酒かな      東京  関根 正義
社会鍋まづは喇叭の音合せ       東京  久保園和美
一炊の夢を見てゐる竈猫        東京  橋本  泰
大小の雪靴ならぶ共同湯        東京  伊藤 真紀
亡き友の波の花にて帰り来る      京都  仁井田麻利子
初旅の一句を宿の箸袋         群馬  中島みつる
落葉搔く枯山水の海に入り       長野  戸田 円三
柚子湯にてアルキメデスと親しうす   東京  小寺 一凡
ふるさとに来てふるさとの雑煮かな   埼玉  園部 恵夏
湯豆腐や卒寿の母の国訛        神奈川 西本  萌
数の子の音の数ほどよきことも     東京  西田有希子

一声で笑顔とわかる初電話       東京  渡辺 誠子
さながらに母子寄り添ふ福寿草     千葉  針田 達行
去年今年書架に積み置くカフカかな   東京  熊木 光代
雑煮餅丸角分かつ関ヶ原        東京  倉橋  茂
ストーブの機嫌宜しきやかんかな    埼玉  内藤  明










星雲集作品抄

            伊藤伊那男・選

手毬つく十より先は作り唄       東京  尼崎 沙羅
「神田川」と呟いてみて湯ざめかな   東京  井川  敏
鐘の音の果ては何処まで除夜の闇    長野  池内とほる
寒鯉や水面に映る雲白し        東京  一政 輪太
頭の中を雪吊の雪かがよへる      広島  井上 幸三
息子から年玉うれし傘寿かな      愛媛  岩本 青山
一羽づつ声音ありけり寒鴉       長野  上野 三歩
風花やとぎれては消え木遣り唄     東京  上村健太郎
左義長や広き畑のど真ん中       長野  浦野 洋一
烈風に白鳥鳴きぬ名残空        群馬  小野田静江
伊勢海老の木屑蹴散らし現るる     東京  桂  説子
訪ひの魚板凹みし雪催         埼玉  加藤 且之
居るだけで静かな暮し竈猫       愛知  河畑 達雄
砂浜に伸びる我が影初明り       神奈川 北出 靖彦
老いの影見え隠れして初鏡       東京  北原美枝子
冬晴れや鋤かれしままのキャベツ畑   群馬  黒岩伊知朗
どんど焼火も絶え絶えの過疎の村    群馬  黒岩 清子
アメ横の口上を聞く年用意       愛知  黒岩 宏行
破魔矢買ふ的は我が身の翳りかな    東京  黒田イツ子
寒雀押しつけられるのが嫌ひ      東京  髙坂小太郎
夕時雨飴色となる犬矢来        神奈川 阪井 忠太
雪嶺は神の領域日の出前        長野  桜井美津江
初音聴く梁に貼られし千社札      東京  佐々木終吉
雪道の慎重に出す一歩かな       群馬  佐藤さゆり
数へ日の数へきれざるやり残し     東京  島谷  操
初鏡吾は何者と問うてみる       東京  清水 旭峰
青空を透く大枯木名を知らず      千葉  清水 礼子
とつおひつ漸く片す春炬燵       大阪  杉島 久江
琅玕をくまなく研く冬夕焼       東京  須﨑 武雄
焼芋を折りて黄金の湯気のなか     愛知  住山 春人
泣初や能登の地獄に震へたり      東京  田岡美也子
生国は日の出づる国初茜        東京  髙城 愉楽
阿武隈に月のかかれり松納       福島  髙橋 双葉
初夢の中ではいつも追ひつけず     埼玉  武井 康弘
敬白で終はる一文寒椿         東京  竹花美代惠
柚子湯かな柚子を身近に招き寄せ    広島  藤堂 暢子
三代の拍手揃ふ初詣          神奈川 長濱 泰子
縦横にひび本堂の鏡餅         東京  西 照雄
魅せらるるシャガールの目の暦買ふ   宮城  西岡 博子
こだはりはそれぞれ暮の大掃除     神奈川 花上 佐都
新春や一升五合の手巻寿司       長野  馬場みち子
赤松に木琴の音年木積む        神奈川 日山 典子
ひと日生き老いのひと夜の白障子    千葉  平野 梗華
冬芽なる鎧の下の色重ね        千葉  平山 凛語
寒鯉の動く水面揺らさずに       千葉  深澤 淡悠
菜を漬けて信濃は冬に突入す      長野  藤井 法子
探梅や高架線より見遣る富士      福岡  藤田 雅規
去年今年仏壇にあるマッチ箱      東京  牧野 睦子
富士の嶺白き稜線淑気立つ       東京  幕内美智子
初暦吊るす一角生気立つ        東京  松井はつ子
枯菊は刈らず手折りぬ一枝づつ     愛知  箕浦甫佐子
ぎこちなく辞書めくる指霜夜かな    東京  棟田 楽人
短日の妻の帰りを案じをる       東京  無聞  益
餅花を受け継ぐ子等のめでたさよ    宮城  村上セイ子
寝正月夢と現の旅枕          東京  家治 祥夫
雪掻の腰の膏薬臭ひをり        群馬  山﨑 伸次
一茶忌や招かれざりし蝿の来て     神奈川 山田 丹晴
己が身の骨まで曝し冬木立       静岡  山室 樹一
ブルブルと灰をふるひて竈猫      群馬  横沢 宇内
息災の粥の緑や初薬師         神奈川 横地 三旦
羽落とす荒き飛翔の寒鴉        神奈川 横山 渓泉
日脚伸ぶ歩数目標一万歩        千葉  吉田 正克
閑の一字とつぶやきながら懐手     山形  我妻 一男
裏山に迫る夕闇薬喰          東京  若林 若干







         













星雲集 今月の秀句

伊藤伊那男

晩年の粗方見えし初景色         たなかまさこ
私ごとだが平均寿命は奇蹟的に伸びたが、七十歳を過ぎるとしみじみ晩年だな、と思う。新しい人生や事業を始めることも無いだろうし、先行きは「粗方見えて」いるのである。だが繰り返しの人生の中にも新しい発見や感動はある。全く同じ風景でも正月に見る「初景色」などはむしろ年齢を積み重ねることによって、若い時よりも人生の滋味の深さや感動を覚えるのである。


(あざ)はもう書かぬ村なり初浅間        北川 京子
「大字(おおあざ)」「字(あざ)」は江戸時代の行政単位であったが、市町村の合併によってかなり消滅してきている。作者のいる群馬県吾妻郡嬬恋村には石田波郷の〈葛咲くや嬬恋村の字いくつ〉の名句があるが、近時「字」は消滅したようである。波郷句の理解にも影響が出そうだが、時代の流れでもある。この句は「初浅間」が動かないのである。


着ぶくれて達磨の如く動かざる      鈴木 春水
一読楽しい句だ。達磨大師は九年間面壁坐禅をして動かなかったのだが、凡人は着ぶくれて動きが取れない、というのである。俳句だから描ける滑稽である。同時出句の〈炬燵猫安眠破る足来る〉も滑稽が持ち味である。


溶けざると決め凍滝の頑に        橋本 光子
凍滝のありようを擬人化した句である。滝が自分から「氷った以上簡単には溶けないぞ」という意志を貫いているという作り方である。同時出句の〈寛容であれと初富士裾広ぐ〉も富士山がやはり擬人化されて意志を持っているのである。独自の技法を持ったことを称えたい。


胸中の火種消さむと寝酒かな       関根 正義
酒というものは不思議なもので、薬にもなれば毒にもなる。火種を消すこともあれば煽ることもある。ということでこの結末はどうなったのであろうか?


社会鍋まづは喇叭の音合せ        久保園和美
社会鍋は救世軍が主に年末に行う募金活動。新宿駅頭で度々見掛けたものだ。句は写生を基本に置いた正統な作り方で、好感を持った。きちんと「物」を見ているのだ。こういう作り方を身に付けた人は上達が早い。


一炊の夢を見てゐる竈猫         橋本  泰
学生の廬生が趙の都邯鄲で道士の枕を借りて人生一代の夢を見る。それが粟が煮え切らない短い時間であり、人生の栄華のはかなさを知ったという故事がある。黄梁の夢、邯鄲の夢、盧生の夢などともいう。猫もそんな夢を見ることがあるのだろうか?読後に余韻の残る句となった。同時出句の〈板壁に鋲の刺し跡暦果つ〉は写生の基本を守った句である。


大小の雪靴ならぶ共同湯         伊藤 真紀
実景がよく解る句で共感を持った。私は野沢温泉の共同風呂を思い出す。いくつもの靴が脱ぎ棄ててある。きちんと並んだ靴も飛び跳ねている靴もある。その様々な靴の主の姿や動きにも想像が及ぶのである。


亡き友の波の花にて帰り来る       仁井田麻利子
波の花の凄味を知っている人でなければ作れない句だ。この句から先日亡くなった伊集院静さんを思い出した。氏の弟さんは海難事故で戻らぬ人となったが繰り返しそのことを悼んでいた。日本海の厳しさを捉えた句であった。


初旅の一句を宿の箸袋          中島みつる
いい旅をしましたね!と思う。苦吟などではなくごく自然に浮かんだ句なのであろう。特に人に見せようというわけではなく、心覚えに認めたのである。俳句とは本来このような楽しみでいい。老練の味わいである。


落葉搔く枯山水の海に入り        戸田 円三
「枯山水の海」がうまい。非現実の「海」と具体的な「落葉搔き」を合わせて天晴な技量である。


柚子湯にてアルキメデスと親しうす    小寺 一凡
柚子湯にアルキメデスの原理を持ち込んだ面白い句である。こういう興味の持ち方を羨ましく思う。アルキメデスが堂々と俳句になったのである。同時出句も自由自在である。〈去年今年貫くゴルフ下手のまま〉〈寄鍋や蓋の穴より汽車の音〉


その他印象深かった句を次に


一声で笑顔とわかる初電話        渡辺 誠子
さながらに母子寄り添ふ福寿草      針田 達行
去年今年書架に積み置くカフカかな    熊木 光代
雑煮餅丸角分かつ関ヶ原         倉橋  茂
ストーブの機嫌宜しきやかんかな     内藤  明









       














伊那男俳句


 伊那男俳句 自句自解(99)
  
反骨の心も少し古茶淹れて

 緑茶が好きである。祖父が信州小梅の梅干に砂糖を掛けたものを添えて毎朝濃いお茶を楽しんでいた影響かもしれない。若い頃香港を旅して茶館の面白さを知り、中国茶にはまった一時期もあったが、おおむね緑茶が私の日常飲料である。かれこれ二十年位狭山茶を取り寄せている。深蒸茶なので色も濃く、味も深く、しまも何回も淹れることができる。起床したら部屋の電熱器で湯を沸かし、濃い目の茶を淹れる。自分で漬けた梅干を齧る。それが朝の始まりである。新茶は季節感を味わうもので、日常のものではない。ワインのボージョレヌーヴォーと思っている。やはり古茶の風格が好きである。新茶が出る頃は、見方を変えれば古茶の深みが際立つときでもある。信念というほどのものはないが、流行にはすぐには乗らずに生きてきた。「反骨」というのは大袈裟で、せいぜい、俺は古茶のほうがいいんだ……」という程度のこと、屁の突張りのようなものである。
  
書き順と違ふ火勢の大文字

 京都に赴任していた若い頃、大文字の送火は二回見ているはずであるが、思い出薄い。車の窓から見て「あ、そういえば」と気付く程度であった。遅れ馳せながらこの歳になってようやくその歴史や、京の人々の祈りの気持などが解るようになってきた。このところ三回ほど大文字の送火を訪ねている。「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」「鳥居」と各々の地区が代々涙ぐましいほどの努力でこの長い伝統を守り抜いている。某日、銀閣寺の左横から大文字を点す如意ヶ岳に登ったことがある。松の割木に井桁に組んで組んで乗せる火床が設らえてあるが、目の前で見ると驚くほど巨大である。規模はもちろん違うだろうが、空海の時代からとも、足利義政の時代からともいわれるこの山を踏むのは感慨深いものがあった。第一画八十m、第二画一六〇m、第三画一二〇mに点した火は風向きや点火の速度で書き順が違うときがありそれも一興だ。先祖への感謝と祈りと、また煩悩浄化の炎である。







   


 



俳人協会四賞・受賞式





更新で5秒後、再度スライドします。全14枚。







リンクします。

aishi etc
        
















銀漢の絵はがき


挿絵が絵葉書になりました。
Aシリーズ 8枚組・Bシリーズ8枚組
8枚一組 1,000円

ごあいさつにご利用下さい。


















掲示板

















               
 
     

「銀漢」季語別俳句集




拡大します。
銀漢季語別俳句集
待望の『季語別俳句集』が3月に刊行されました。














主宰日録  

  



1月

1月25日(木)
8時、「順天堂大学病院」。採血は外套を脱ぐ間も無いほど空いている。CT検査も予約前に呼ばれる。造影剤の注射は痛い。1回失敗。9時過には終了。天気も良し、湯島天満宮へ散策。梅3分咲。合格甘酒を朝食替り。歩いて上野。五條天神社にお礼参り。湯島も五條も今日は鷽替の行列あり。行列の人と話すと早朝から亀戸〜湯島〜五條と巡っていると。国立科学博物館の特別展「和食〜日本の自然、人々の知恵〜」を見る。さすがに途中で疲れ、30分ほど休憩。14時、池之端の蕎麦屋「蓮玉庵」に久々入り、三段重ねの昼食。神保町に出て、短冊などを購入。「天為」発行所に寄り、編集部の方々に挨拶。今日17,000歩位歩く。少々疲れ、早々に寝る。

1月26日(金)
「三丁目の夕日」「昭和歳時記」の3月号エッセイ書く(細見綾子句)。「俳句四季」5月号の「俳号の由来」書く。年末に気仙沼の「ヤマヨ水産」に頼んでおいた牡蠣4キロがやっと到来。ノロウイルスで出荷できなかったと。

1月27日(土)
「銀漢新年俳句大会」用の短冊を染筆。後々の分まで入れて20十枚ほど。手が空いたので「三丁目の夕日」「昭和歳時記」四月号(角川源義)を書く。数句会の選句。生牡蠣、ケチャップとレモン、ニンニクのカクテルソース。梶木鮪の味噌漬(自家製)。

 1月28日(日)
昼前、「アルカディア市ヶ谷 私学会館」。「銀漢新年俳句大会・新年会」90人ほどが集まって下さる。気仙沼の一砂、長崎の晴子、大阪の佳壽美、凌雲、嬬恋村のちづ子、宇内、名古屋の美州、宏行さん等、遠方からも。新年会の席には、皆川丈人、文弘さんも。途中、映画監督の北村皆雄氏が突然来られ、私に花束を贈呈して下さる。皆さんに快復した姿を見て戴くことができ、感激の一日。

1月29日(月)
11時半、川越駅。「草樹」の河瀬代表、小山徳夫顧問の迎えを受く。駅ビルで蕎麦の昼食を戴く。五年振りの新年俳句大会と。90人ほどが集合しておられる。井上井月についての講演、1時間。当日句の選句など。宴席は辞退して帰宅。

 1月30日(火)
「順天堂大学病院」外来。斎浦先生と面談。25日のCT検査の結果は転移無し。血液検査の結果も順調と。有難し。抗癌剤は引き続き服用。新宿に出て、西口の「渡邊」で天せいろの昼食。ブックオフ、成城の古書店を巡り帰宅。生牡蠣でコロナビール。セロリの豆鼓炒め。今夜から抗癌剤4回目の服用へ。

1月31日(水)
抗癌剤服用に入るとやはり微妙に気怠さや眠気などがあるようだ。終日、集中力を保てず。セロリのオイスターソース炒め、カリフラワー。

2月

 2月1日(木)
昼、東京国立博物館の特別展「本阿弥光悦の大宇宙」を見学。2時間ほど巡り、疲れる。家族はスキーへ。

2月2日(金)
天気が悪いせいもあるが、終日、気怠く寝て過ごす。

 2月3日(土)
天気回復。数句会の選句。辻隆夫句集『梅日和』の最終校正。NHK俳句。「俳句界」から依頼のエッセイ構想。豆撒き。

 2月4日(日)
若干ぼんやり。朝、大根おろしとじゃこ、味噌汁、海苔とご飯。昼、とろろ蕎麦。夜、伊那から到来の鯉のうま煮。スナックさや、独活のきんぴら、粕汁。

2月5日(月
雪、降り止まず。悪寒あり、38度6分。終日、家で臥す。食欲無く、林檎少々。

 2月6日(火)
平熱に戻る。朝食摂る。18時、京橋の「明治屋」で高部務氏と待ち合わせ。「鮨 藤山」へ。見事な鮨。私が酒好きと知って「14代」の封を切ってくれる。小さなグラスで1杯。去年の9月以来酒をほどんど断っていたが、「うまい!」と感じる。そろそろ酒は解禁かな。

2月7日(水)
「銀漢」3月号の校正済ませ、武田編集長へ返送。「春星句会」の選他。とろろ蕎麦、秩父から到来の豚の味噌漬。

 2月8日(木)
朝、豚汁、飯一椀。昼、京都着。駅ビル内の「葵」で九条葱うどん。龍谷ミュージアムの特集展示「仏教の思想と文化」を見る。散策後、「京極スタンド」で粕汁、きずし(しめ鯖)、酒は一杯だけ。あちこち飲み歩いたのは昔日の事。19時前には、「京都糸屋ホテル」に入る。

 2月9日(金)
6時起、昨日、錦市場で買った鯖鮨、鰻鮨を一切ずつの朝食。「本部句会」投句。「大丸 京都店」の地下にて、京のそうざいを色々と買う。今夜の娘達の酒盛りの。13時、「わらじや」に桃子、杏子と待合せ。今日から2泊3日親子3人で遊山。三十三間堂、方広寺大仏殿跡、国家案康の鐘と、近場を見学し、「ホテルハーヴェスト京都鷹峯」に入る。比叡山の見えるファミリータイプの部屋。持参の惣菜でだらだらと歓談。2人共酒飲み。

2月10日(土)
5時半起。日記、エッセイ手直しなど。夜明けの比叡山を見る。ここは温泉あり。昨夕、夜、朝また朝と。光悦寺を見て町に出る。「錦市場」散策。「八坂神社」経由で妻分骨の「大谷祖廟」。実家の牧野家の墓参。折しも春の時雨。16時、室町の川村悦子さん(妻の従兄弟、画家)を訪ねる。桜餅とお薄のもてなし。和田ちゃんも来て5人となり、「御所南 かまた」。大将も昨年心臓病で倒れ、3ヶ月休業した由。料理佳品揃い。21時半、糸屋ホテル投宿。

 2月11日(日)
桃子と「高木珈琲店」で朝食。11時、真如堂〜金戒光明寺〜平安神宮。13時、聖護院の「河道屋 養老」の養老鍋。和田ちゃん、悦子さんも来て5人で昨夜の続き。20時前帰宅。親子3人の旅は無事終了。

2月12日(月)
留守中の雑務。数句会の選句。娘2人を連れての京都案内は少し張り切り過ぎたか。1日休養。

 2月13日(火)
今朝まで抗癌剤4回目の服用終了。「銀漢」4月号のエッセイなど執筆。「俳句界」のエッセイ、春筍を題材に執筆。

2月14日(水)
元野村證券社員で店の客であった川畑保(呆人)さんが北辰社から句集『古希の旅人』を出版。お祝いの便りを出す。

2月15日(木)
「NHK俳句」5月号「語ろう! 俳句」に句会の効用についてのエッセイ。2,500字はなかなかキツい。仕上げた後、詳細を見ると「ですます体」の指定あり。書き直す。何とも……。

2月17日(土)
昨日入手の鹿児島産の春筍を茹でて焼く。山椒味噌、山椒醤油を作り、仕上げる。小さな木の芽が6枚で258円! は口惜しいが……。娘に写真撮ってもらい「俳句界」5月号の「春の季語」の特集に送る。1,400字の春筍についてのエッセイも投函。昼、到来の獨逸パン旨い。

2月18日(日)
「銀漢」4月号の選句に入る。愛媛から到来の伊予柑が身体に合うのか、このところ毎日食す。

2月20日(火)
「銀漢」4月号の選句続く。八戸から到来のせんべい汁。夜から5回目の抗癌剤服用に入る。

2月21日(水)
12時、発行所。北辰社の今後について打合せ。武田、杉阪、柊原、川島、多田さん。あと大野田さんと「井月忌の集い 俳句大会」他の打合せ。


       















         
    






今月の季節の写真/花の歳時記



2024/4//29撮影  ハンカチの木   HACHIOJI






花言葉   思いやり」

△ハンカチの木/手巾木
ンカチノキは中国を起源とする樹木です。学名はDavidia involucrataです。この木は非常に特徴的な白い花をつけることで知られています。花には大きな白い包み紙のような構造があり、風に揺れる様子がまるでハンカチを振り回しているように見えます。そのため、ハンカチノキと名付けられました。 ハンカチノキは高さ20メートルに達する大木です。幹はまっすぐで丈夫です。葉は大きく、長さは10から20センチメートル、形状は卵形や広卵形です。葉の裏面は灰色がかっていて、ざらついた感触があります。 この木は中国の一部で自生。
日本へは1952年にアメリカより種が入ってきたのが最初です。この時は2本の苗木が育ち、1965年に初めて1本開花しましたが、その後2本とも枯れてしまいます。その後も少しずつ苗木は輸入されていましたが、1991年頃に中国から種や苗木がたくさん輸入されるようになり日本でも出回るようになりました。現在日本で一番古い木は1958年頃に種から育てられた木で、小石川植物園で現在も見ることが出来ます。


イシワリソウ ミツマタ バイモ カタクリ レッドキャンピオン
ハナズオウ カロライナ
ジャスミン
星さくら ムベ(郁子) 金蘭
御衣黄桜 ネギ坊主 カマツカ 銀蘭 チゴユリ
ハンカチの木





写真は4~5日間隔で掲載しています。 


20224/4/30








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